大道シリーズ叢書 第13冊『大道一貫』
日本語版
◆ 前置・序 ◆
丁酉中秋、2017年10月
大道シリーズ天書第十三冊『大道一貫』は、世間の宗教信仰が認識しているものについて、その大部分が過去の伝承に留まっており、古来より極めて稀な真実の理諦を参考にすることは難しいと述べています。このような因縁によって、千古の真の奥義を根本的に理解することはできず、より高遠な天機の良縁を追い求めることも叶わないのです。
大道界に来て学びと成長を遂げるのは、すでに人間界で構築されたからこそ、「唯識の理論、観念、行い」を必ず理解できるのです。さらに今後、弥勒内院に入り、「唯識の理論、観念、行い」の修行課程を学ぼうとする者も、すでに今この時に、深く透徹した理解と知恵を備えているのです。
そして、必ずしも未来に弥勒浄土に入って修整する必要はありません。もし縁と弘化の願力によって、弥勒浄土に入って修整したいのであれば、実はすでに備わっているのです。弥勒浄土の教化師資としての資糧（格）の位階においては、亡くなった後に苦労して再び弥勒浄土に入り、学び成長するのを待つ必要はありません。
それは個人の行いによって達成され、これからのすべての災難を解消するものです。なぜなら、「延康風劫」の罡風の劫難はすでに徐々に形成されているからです。しかし、「延康風劫の災い……」が人間世界にある以上、もし今すぐにさらなる超越と回帰がなければ、自分自身は永遠に人間世界の輪廻の中に留まることになるでしょう。
さらに、自己の回帰と成長を妨げることになり、いかにして反省し改善することができるだろうか。一貫先天大道のすべての修行者たちが、未来において大変な苦労を重ねて努力し、弥勒浄土に入って修行の過程を経ようとするならば、必ずやまず現在の人間界において、自らに思考を構築する透徹を、ごく容易に与えることができるのである。
未来において、どのような宗教の流派に入って修行するにしても、またこの世において、三十六の弓長、七十二の祖師はそれぞれが一方を教化しており、これを真偽の天命とは言えず、また各人の修養の高低を問わず、上天の視点から見れば、まさにそれぞれが一方を教化し、すべての任務を導いているのである。
もし「天下唯一」の天命のみが回帰できると言うなら、ではなぜ万教が一斉に発展する必要があるのか、それを仮の天命と言えるだろうか？そうではない！まさに「万教斉発」と同時に、必然的に「万教帰一」の集結が必要であり、この帰一こそが「天地正理」によって施行されるべきものであり、それが正しい道なのである！
決して自分の天命がどれほど大きく、あるいは天下唯一で、どれほど殊勝なものかということだけに留まるのではなく、はっきりと認識する必要があります。天命とはまさに天からの授かりものであり、成し遂げるべき役割と使命を担うもので、それぞれの宗派にもそれがあるのです。私の信仰する宗教だけが大天命を持ち、他の宗教には小天命さえないと言えるでしょうか？少し考えれば分かることです！
天の大命が授けられたもの、真に有情衆生を導いて回帰させることができるのは、まさに「普渡收圓」の時にあり、天道を修める者に対し、知らしめるのである：三十六の仮の弓長、七十二の仮の祖師の中にあって、真偽を分別すべきではなく、天命を分別すべきでもなく、ましてや人数の多寡を分別すべきではない。
各人がそれぞれ天命を担い、下界を教化するにあたり、万教が一斉に興隆する様をありのままに観じつつ、万教が一つに帰するならば、その「一」とはいずこにあるのか？ それは「純一」なのである！ この「純一」とは「万教帰一」の総合体を指す。万教が一つに帰するというなら、それは決して特定の宗教や個人にのみ帰するものではない！
このようなやり方はもはや宗教的平等が持つべきものではなく、全ては無極一貫の先天に帰し、すなわち「純一」に回帰して主導原理となるのであって、決して単に人間界の「一貫先天大道」に帰属するだけではないのです！これは誤った論説です。なぜなら、万教帰一の「一」とは、まさに元始真如の自らの真の本性こそが、真実そのものだからです！
万教は一つの統合に帰すべきであり、決して人道世界によって帰納されるものではない。また、未来に弥勒の降誕を待つ必要もない。今、真実の修行に励む修行者たちよ、いかに自らを処すべきか問う。彼らを三途六道の生死の流浪に委ねてよいものか？否、決してそうではない！なぜなら、弥勒が真に降誕される時は、まさに時空が未だ人間界に到来していない時だからである。
理心光明禅師 題す
大道シリーズ第十三冊再版前
大道一貫　編集誌
◆ 懿旨と諸序 ◆
接旨著書
##虚空天尊　文衡聖帝
母の心は切に望む
勤めに励み勇気を奮い起こし
怠ることなく疎かにすることなく
母の意に背かぬように
##無極駕前　九天玄女仙姑
2002年6月18日 壬午年五月八日（火）
大道シリーズ叢書第十三冊－大道一貫
勅命を受けて書を著す
矢のように勤め矢のように勇み、怠ることなく忽せにせず、志を堅くして完成し、衆生を教化せん。
##虚空上人–南無虚空上徳人天古仏
無極の懿旨を恭しく迎え奉り　　赤霞丹誠の真理明らかに彰る
崇心道場にて再び書を著し
大道系列さらに弘揚す
謹んで　御意を拝受し　ここに頒示す
本日はちょうど、本宗脈第二全冊大道シリーズの著作が完成した佳き日にあたります。これは崇心のすべての聖務、神仏および学生たちに対する確かな肯定と賞賛であり、弘揚教化においてその効果を発揮してきました。また『大道有情』完結後も、大道シリーズ天書の著作を継続して受け継ぎ、人々の教化の根本的資糧を延長してまいりました。
我が心は大いに喜び、本宗脈の虚空落筆天尊と虚空金筆開智天尊を命じて三十里外でお迎えに上がらせ、本宗脈の虚空仙姑天上聖母と虚空霊会仙姑を命じて二十里外でお迎えに上がらせる。その他の神人と学生、及び無極大道院の霊修院士らは列を整えて後からお迎えに上がり、礼儀を欠くことのないようにせよ。
◆ 跋・讃賀 ◆
序言、讚曰、頌　賀
2002年6月21日　壬午年五月十一日（金）
序言、讚曰、頌　賀
◆ 旨 ◆
完書繳旨
矢のように勤め、矢のように勇み、怠ることなく、疎かにすることなく、志を堅くして完成させ、人間を教化する。
◆ 懿旨と諸序 ◆
接旨著書
##欽差大臣　太白星君　李白
無極皇母が自ら御旨を下され　　御前で母に仕え徳の心を示される
九天玄女が聖堂に降臨され　　大道が弘まり一貫の始まりとなる
謹んで無極皇母の懿旨を携え、崇心道場に降りて宣読する。神も人も平伏せよ！
懿　旨　を　開　き　読　む
謹んで拝受いたします
無極皇母大天尊　懿旨に曰く
母は理天の聖地に住まわれ、有情を教化する聖務に当たられる。これは衆霊児を引き上げて回帰成長の因縁の根本とし、上蒼の大いなる徳沢と教化の玄機を、人々の世を潤すものとされる。さらに有情の真の修練を実践する修行者に対し、宗教に入って多くの資糧を得られるようにし、自らを引き上げて回帰超越へと導かれる。
また、すべての霊魂が理解できるように、人間の世は長く生き続けることはできず、ましてや五濁悪世に耽溺してはならないことを教えます。この世のすべての因果応報を償い、自らの迷いを打ち破り、円満に回帰する機会を与え、未来に良き善縁をもたらすことが必要です。
母心懿は崇心堂を設立する旨を拝領し、丙子年に堂を開設して以来、直ちに大道シリーズの天書著作に着手し、現在までに第一全巻を完成させました。真理の真実を理解し実践するには、自らの心の意識が主導権を握ることが大切であり、それこそが自己を成長させ学びを深める道であり、またすべての子らが真如を顕わし、仏性を輝かせることにもつながるのです。
自己を成就し、有情を成就する功績は計り知れず、これもまた必要である。母は大いに喜び、再び第二全冊、すなわち大道系列第十三冊を授け、その表題を『大道一貫』と名付けられた。南屏道済古仏と南海古仏を主著仙仏とし、その他の三界の高真を陪著仙仏と命じられた。
これは「大道の自然」の運行に対し、「一貫の大いなる徳の恵み」を成就させることであり、またすべての子らとあらゆる有情の万物・蒼生に対し、修行による成長と徹底した理解を通じて向上させることができることこそが、真実である！旨を下した後は直ちに着手し、時日を限らず一日も早く完成させて世に頒布し長く伝えよ。すべての霊なる子らが天地の真実の理諦を自由に学び、回帰して超越し、再び蓮華の仏国浄土世界に入ることができるように。
◆ 跋・讃賀 ◆
序言、讚曰、頌　賀
2002年6月28日　壬午年五月十八日（火）
第一回　大道元始
◆ 旨 ◆
完書繳旨
矢に勤め矢に勇み、怠ること勿れ忽せにすること勿れ。自己を成就し、蒼生を渡化せん。
◆ 懿旨と諸序 ◆
接旨著書
##南天主宰　文衡聖帝
無極皇母は御旨を下される
儒宗聖教の真仏心宗
無極大道院　懿勅崇心堂
天運壬午年五月八日戌の刻
勅旨を授け終わり、崇心神人が共に力を合わせて「大道を弘揚し、徳沢を一貫させる」ことが真実の性に叶うことを心より慶賀いたします。謹んでお祝い申し上げます。我は理天に戻り、勅旨を奉還いたします。
◆ 跋・讃賀 ◆
序言、讚曰、頌　賀
2002年7月2日 壬午年五月廿一日（火）
第二回　一貫大道
◆ 懿旨と諸序 ◆
接旨著書
##無極元君　麻仙姑
懿勅崇心 再び書を著し
虚空上人 主樞と作る
大道シリーズ十三冊　　一貫真理実に特殊
諸聖仏及び諸賢生、並びに無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は謹んで無極皇母の懿旨が降堂され頒示されました。また、崇心に対して肯定と賞賛が示されましたが、これは皆様のご苦労と努力の結晶であります。どうか引き続き大道を弘揚し、真理を広めて向上に努め、自らが更なる成長と超越を遂げられますようお願い申し上げます。
謹んで　昊天より玉詔が堂に降り、本宗脈の無極天尊、関聖帝君二・三柱に命じて二十里外にて御駕を出迎えさせ、本宗脈の無極仙姑　普賢菩薩と、無極仙姑　大勢至菩薩に命じて十里外にて御駕を出迎えさせる。その他の神仏と学生、及び無極大道院の霊修院士らは列を整えて御駕を待ち、礼儀を欠くことなかれ。
◆ 跋・讃賀 ◆
序言、讚曰、頌　賀
2002年7月5日　壬午年五月二十五日（金曜日）
第三回　大道一貫
◆ 懿旨と諸序 ◆
接旨著書
天帝の玉の勅旨を奉じて、太白星君李が降臨す。
崇心道場が再び著作を成し　　大道は弘まりて真理を引き展べる
謹んで奉る。昊天の玉詔、崇心堂に降りて示しを頒つ。神人、伏し拝す！
玉旨を開きて読む
謹んで奉る
玉皇大天尊玄霊高上帝の玉旨に曰く
朕は九五の尊位にあり、儒宗聖教の真理教化に対し、それは過去数千年の全ての精華を有情衆生に下化し、多くの善縁が宗教修持に入り、実際に真実の理諦を得て、修行による改造の根本とすることができ、これによって「大道を弘め、一貫の宗旨」を高め超越させるのである。
有情なる衆生が布告を下し道場を設け教化を行う中で、上天は真に「天に代わって教化を宣べ、天を体して道を行く」ことのできる宗脈を選び出される。そして南天主宰・文衡聖帝 関卿の上奏を経て、台湾桃園の懿敕崇心堂は、大道シリーズ叢書の著作を通じて、上天の大いなる徳沢が天地に満ちる様をありのままに演繹しているのである。
現代の世においては、新たな法を引用して有情衆生を成就すること、この功績は甚だ豊かであり、すでに確立されている。また有情を引渡す中においては、非常に広範であり、さらに無私無為をもって犠牲奉献している。朕の心は大いに喜び、崇心を上蒼の棟梁とし、朕に代わって衆生を成就し、導き引くという徳意を為さんとす。
大いなる天地のすべての宗教が教え導くところは、ことごとく真実のままに円満かつ融和しうる。今や大道シリーズ第一全巻を完成したゆえ、理に従い第二全巻の大道シリーズを再び示し開くべきである。朕、心に大いに悦び、その顔（表紙）に『大道一貫』と題す。必ずや上蒼の徳沢と天地の演化の真実の意義を体得せねばならない。
「大道の真理は一貫して潤いを与える」有情の真実の修行を実践する修子たちを成全し超越させるためには、良き因縁による成全があり、「心性と霊性」の向上も促される。命派は　南屏道済古仏と　南海古仏を主たる仙仏とし、その他の三界の高真を陪従する仙仏とする。
ご下命の日より直ちに開示を開始し、時日を限らず一日も早く完成させ、自らに対しても衆生に対しても、共に「大道自然、一貫滋潤」を円滑に提供し、天地に豊かな資糧の源をもたらし、有情衆生の真の修行実践者を利益する。まさに自らが獲得し実証して受益を得るのである。
◆ 跋・讃賀 ◆
序言、讚曰、頌　賀
##玄玄上人
2002年7月12日　壬午年六月三日（金）
第四回　乾坤始奠
◆ 懿旨と諸序 ◆
接旨著書
玉皇大天尊　玄霊高上帝より　玉旨を下賜され
儒宗聖教　真仏心宗　無極大道院　懿勅崇心堂
天運壬午年五月初八日戌の刻
ははっ！　老仙がまた詔を下された。崇心道脈を認め、儒宗聖教を以て「真佛心宗」を設立し、これを弘めて有情を引渡し、真の修行と実践による回帰・円満・超越を正しき道とされる。また現代の科学技術文明こそが、人類衆生の福祉と利益をもたらすものであると。
我が心は大いに喜び、崇心に対して確信と賞賛を抱いております。天上界の諸仙仏もまた、崇心が「天地演繹」の大いなる徳の恵みを解き明かし、有情衆生が上蒼の徳が全宇宙の衆生を向上・超越させることを体得できるよう、切に願っております。皆様、ご苦労さまでした。私は昊天に戻り、ご命令を果たします。縁あればまたお会いしましょう。
◆ 跋・讃賀 ◆
序言、讚曰、頌　賀
##神農大帝
2002年7月16日　壬午年六月七日（火）
第五回　陰陽両儀
◆ 懿旨と諸序 ◆
接旨著書
懿勅道脈は私無く行い　　崇心再び接旨し書を著す
大道は一貫して著作を継承し
上蒼と天地の賜りに感謝す
本日は、無極懿旨と昊天玉詔を謹んでお迎えし、降堂して頒示する儀式がすべて完了いたしました。これは崇心全体の神人に対して、力を合わせて「大道を弘揚」し、「一貫して成長」するよう励まし、真の修行を実践する有情の衆生を育み成就させるためのものです。自らが宗教の固定的な教育に制限されないよう、心から願っております。
また、真実の理諦をもって、衆生が互いに円融に成長することを讃嘆し、今日、崇心に降り立ち、全員の神人が一層奮闘し、大道の弘展のために更に高い次元へと向上し、自らが無私無為であり、犠牲を払って奉献し、功果のためではなく因を造ることが、自然に回帰し成就する道であることを願う。
◆ 跋・讃賀 ◆
序言、讚曰、頌　賀
##太上無極混元教主　元始天尊
2002年7月19日　壬午年六月十日（金）
第六回　純一契転
◆ 懿旨と諸序 ◆
接旨著書
崇心は再び御旨を受け、書を著す
頒布完成の天来の賜り
皇母のご恩に感謝し叩頭し奉る　　昊天玉帝の慈悲を讃え奉る
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は無極より降された御旨と昊天より下された詔書の頒布が完了し、引き続き大道シリーズ第十三冊の著作を進めております。これは大道一貫を真に向上させる因縁の体であり、上蒼の慈悲と徳沢が有情衆生と崇心道脈に及ぶことを、必ずや明らかにせねばなりません。
◆ 跋・讃賀 ◆
序言、讚曰、頌　賀
##虚空理徳仙姑　観世音菩薩
2002年7月26日　壬午年六月十八日（金）
第七回　契り転じて契りとなる
##南屏道済古仏　李修縁
2002年7月30日　壬午年六月廿一日（火）
玄は玄にして妙なる無生
玄は本より玄機、真理を申す
上徳は徳とせず、人の為に徳とす
人間の提引、序言を成す
序　言（じょげん）
大道一貫の者は：
自然と大宇宙の天地と諸々の星球を護り、大道有情の一貫性によって継承され、天地の演繹する本質と融合し、人類世界と有情衆生の基本規範を提唱することが、正しい道である。また、人間界を宇宙や大虚空と比較すれば、人は極めて微小な存在に過ぎない。
この微小なるものは、天・地・人の三才と並んで一つに列せられる。故に、天地の運行を推し量れば、人道の生存が依って立つ本質がある。人類を大道や天道、一貫する理と互いに比べることは、まさに「一以貫之」の精神であり、また大道は人を高め、有情の生存が互いに融け合うことを通じさせてくれるのである。
一貫の大道とは：
天地：すべての相は互いに循り合い、互いに連続するものとして言う。それゆえ、宗教は人類の生存に対して、通貨を充足させることができる。故に「一貫」をもって人世を貫通し高めれば、人道生存という関門に背くことはない。それは「一貫」が大道によって連なり、その「一貫」が大道の礎石となるからである。
「貫一」とは道を成就したものを大と称し、大とはすなわち道の貫一をもって、万霊蒼生を成すことである。つまり大道を貫通して「大道一貫」と融合するとは、まさに人生に背かず、天地に背かず、伝承に背かず、大道の根本に背かず、大いなる天地のすべての衆生の生存に対して、利益と福祉をもたらすことをいう。
人世の衆生を論ずるに、有情の宗教が相互に連携し結びつくことができること、これは「一貫大道、大道一貫」が主導する根本的なものであり、宗教同士が相互に円満・円融し、さらに人類の生存を快適・便利・普遍的なものへと円合させることができる。これは人類には極めて理解し難い観念である。
玄玄上人　序言を降す
儒宗聖教　真仏心宗　無極大道院　懿勅崇心堂
天運壬午年五月十一日戌の刻
第八回　化転じて転化す
##無極伝道天尊
2002年8月2日　壬午年六月二十四日（金）
神は世界を開き人を生み造り　　農耕の田は国を立てる根本実に成る
大道一貫の作賛に曰く
帝徳は私なく真理を証す
讃　す
大道一貫、これを称えて曰く：
まさに肯定されるべきは、南贍部洲における台湾地域の教化であり、儒宗聖教の著作を通して観れば、一連の叢書としてまとめられる稀有なものだと言えます。これもまた非常に稀な条件なのです。儒宗聖教は新（心）の法を掌握し、有情衆生が現代の人類世界に融和するためには、生存の依り所となるものに符合しなければなりません。
必ずや有情の衆生をして互いに賞賛し擁護させ、生存が有情の衆生の基本的要求に符合するようにしなければ、真実の性と言える。また、大いなる天地はすべての宗教の流派が互いに融合し、互いに背くことのないことを許容し、真理が四海に弘揚されることを基準とし、大道の演繹する徳沢が人類の衆生に符合するようにするのである。
貫一大道の賛に賛して曰く：
理天の勝境が超越するものは、正等、正覚、正信、正念をもって「天音伝真」の基本思惟を高められることであり、すべての含蔵が全体として体系を発揮できるようにすることです。また、各環節においても『大道一貫』が称賛するように：これは肯定であり、賞賛であり、規範なのです。
「理の筆」の卓越したところは、一般的な著作とは比べものにならず、まさに相当に高い次元の科学技術文明に到達し、また人類衆生の持つすべての玄機を、『天地の進化の真理』を依り所とし、また『人類衆生の生存』を基盤としており、これを称えて言う。
聖なる言葉の大道は天下に頒ち
理を以て玄機を化し、衆生を渡さん
神農大帝降臨す。讚して曰く
儒宗聖教の真仏心宗
無極大道院　懿敕崇心堂
天運壬午年五月十一日戌の刻
第九回　転契作用
##南海古仏
2002年8月6日　壬午年六月二十八日（火）
元より虚空は凡塵に転じ　　始めて無極に至りて方に真を了す
天の徳は頻りに施す大宇宙　　尊きは崇心に降りて賀成を頌す
頌賀
大道一貫の自然とは：
大道は本来自然であり、自然こそが大道である。人身はすなわち大道の源であり、また大道は人身の根源である。人間世界がまさに宇宙の小周天であることを悟り得れば、各人の心念意識が発する周波数と共振し、宇宙や虚空、無極、天地と相互に霊性を結び合わせることができる。
すなわち、周波数が発散する中に、確固たる一貫した基礎となる本質が存在する。これは人間世界で言うところの「DNA」を遺伝子として、各人の本質に対応している。現代の時代で言えば、DNAはあらゆる時空の回転においても滅びることなく、様々な人類の本質的DNAによって提唱され、創造発展させられているのである。
人類世界あるいは万物の蒼生の遺伝子本質は、決して各人の因質が主導することを離れず、すなわちDNAが促成本質は永遠に消滅せず、つまり永遠に失われることなく追跡可能な方法であり、必ずや周波数によって大宇宙天地に発散される。周波数によって発散される様子から観れば、人類の心の動きや念いはいかがであろうか？
大道の根本を貫く者は
有情万物の霊性はまさに追い求めるべき因質であり、各人が独立した因質は永遠に変わらず、永遠に滅び失せることもない。また「天心鏡」と「地心鏡」が存在し、いずれもこの周波数に沿って発散され、各人がどこにいるかを知ることができる。これによって天地の本来の因質、すなわち遺伝子を受け取ることができる。
天心鏡が提唱することを通じて、如来仏の如く、また去仏の如く、すべては来去自由であり、まさに大宇宙の天地のすべての成就の本霊に対して、真如を顕わし自性を明らかにし、自らの本来の因質、すなわち人間が言うところの「DNA」の本質によって、追い求めることができることが真実の性であり、いかなる時空にも背かないのである。
元始天尊より、祝賀の頌を賜る
儒教の聖なる教え
真の仏教の心髄
無極大道院
懿勅崇心堂
天運壬午年五月十一日戌の刻
第十回　体用一如
##無極理法仙姑
2002年8月9日　壬午年七月一日（金）
大道一貫の序を賛頌す　　道家の聖尊降り来たりて拱す
必ずや心を崇めて大道を行い
観音登台の礼成を恭しく拝す
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日『大道一貫』に著された序言・賛辞・頌賀は、崇心への確信と賞賛を示すとともに、「大道シリーズ第二全冊」の著作の始まりとして、更なる高みへと昇華し、「儒・道・釈・耶・回」に分別心を抱かぬことを願うものであります。
崇心所著作の「大道系列叢書」は非常に優れた内容であり、これをいかにして全世界に弘め、国際的に広めるかについては、より一層の尽力が必要です。本宗脈のすべての学び手、宗生たちが心を一つにして、上蒼のために大乗菩薩行を共に実践されることを願っております。これは自らを徳で潤すと同時に、衆生の向上と超越をもたらすことになるのです。
第十一回　三際二辺
##南無燃燈古仏
2002年8月16日　壬午年七月八日（金）
南屏の有情は回帰を為し　　道済の仁徳は承推を啓く
古仏降り来たりて一貫を著す　　大道元始本因を追う
大道は本来自然なり
人類が生存するにあたり、この広大な世界に存在するすべての生きとし生けるものに対して、互いに助け合い、互いに成就し合うことができる。これは有情の修行者にとって、宗教に入り信仰を持つことによって、自らの宗教的信仰と修行を依りどころとする主導的な力とし、信仰を最も重要な事柄とするのである。
さらに、自分が信仰する宗教こそが、天下に「唯我独尊、かつ天下第一」であると信じているのです！それゆえ、信仰に基づいて統治するのであり、これは人類の衆生が宗教的信仰において基本的に追い求めるものであり、信仰こそが最も重要であり、また自らに追い求める根本の原因を与えるものなのです。
いかなる宗教を信仰するにせよ、人倫道徳から外れることはなく、綱常倫理や五常がその根本をなしています。信仰と修行は自らが認める基準に基づき、自らを高め、学び成長するための基本的な素質を養うことができます。それはまた、人類衆生の福祉に貢献し、快適さ、利便性、普遍性を提供するものであります。
元始の本質
信仰を持つ者にとって、信仰はその行いや振る舞いを導くものであり、また世の中のあらゆる宗教を信仰の対象とすることは可能であると考える。しかし、すべての宗教を一つに統合することはできず、むしろ自らが大きな助けとなると考える一つの宗教を選んで信仰し、さらには拠り所とするのである。
宗教が提唱する本質は、信仰者に追い求める道を示し、導くことにある。しかし、未来において極楽世界や天国、天国の世界に入ることができるかどうかは、必ずしも確定的ではありません。いずれも、信仰する宗教を通じて、信仰者が追い求め、導かれ、また将来浄土の世界に入ることを願うものなのです。
もし信仰する者によって違いがあり、また各人の信仰による効果も異なるならば、発するものは基本的に皆異なるものとなる。一体の公平・公正、さらに一体の慈悲、一体の惻隠、一体の清真、一体の博愛、一体の無為に対してさえも、実は現代世界の宗教において、五教だけに限られるものではないのである。
大道元始の作用
また、多くは五教を継承しつつ広がっていくものであり、あらゆる宗教に対して平等、博愛、慈悲、惻隠、清真、無為を貫くことが、まさに「元始宗教」の基本的な要義である。俗世に入れば信仰する宗教によって導かれることになるが、各宗教が提唱する内容も異なるため、宗教の伝道者の行いによって修正されていくのである。
実は、昔、天が下した世界の五大宗教は、互いを分け隔てず、あなたと私を区別せず、また各宗教の優劣や長所短所を分けることもありません。それぞれに利点があり、それぞれに弊害もあるのです。「原始宗教」の本来の意図に対しては、それは一つの花の五つの花弁のような働きであり、決してすべての長所を一つの宗教に集めることはありません！
どの宗教に入って修行するにせよ、平等心を保つことができれば、この世において公正で公平な修行と自己改革が可能です。しかし、多くの信仰者や修行者は、自分が信仰する宗教こそが「天上天下唯我独尊、唯一無二」であると考えがちです。
大道は元始の根基なり
実は、どの宗教であれ、かつて五教の聖人が示された根本的な条件は、皆、平等、慈悲、博愛、惻隠であり、また清浄で無為であった。しかし、多くの信仰と修行を持つ人間に対して、信者を引きつけて修行させ、自らの教えの信仰を固め、自らの信仰する宗教から離れることを恐れるあまりに、
もし非道に陥り、正しい信仰と正念の宗教ではなく、誤った道に入ってしまったならば、柵を高く張り巡らせて、修行者が信仰するのは自分が信じる一つの宗教だけにし、他の宗教が修行者の信仰の範囲内に侵入する機会を与えないようにする。
これは現代のすべての宗教者が最も活用すべき一つの規範と境界であり、有情衆生が如何にして体得すべきか、大道の本源を解明し、本因源への要求を通じて、真の修行者すべてが体得できるようにし、自らが公正平等の心を保持することを必要とするものである。
大道は元より始まり成長す
自分が信仰する宗教だけに留まらず、他の宗教が時には自分が信仰する宗教よりも優れていることもあると理解できるようになります。各人が選択する宗教にはそれぞれ長所と短所、良さと欠点があるため、人々が様々な宗教を信仰しても、互いに矛盾することもなく、互いに非難し合うこともありません。
さらに、互いに排斥や誹謗をすることなく、相互に統御し合い融合することが、自分が信仰する宗教を最も優れたものとし、自分の知識領域をより広いものとすることになります。実際のところ、自分が信仰する宗教が他の宗教を体得し証し得ることは、自分の知識領域を向上させることなのです。
他の宗教に対して言えば、いかにして自らの思想の渦や限界に陥らずに済むかは、大宇宙、大虚空、大無極、大天地が互いに融合し合うことによって実現される。信仰者は往々にして、宗教においては一貫して終わりまで従うべきだと考えがちであり、それこそがまさに真実であると信じている。
大道は元始に帰向す
宗教を信仰するよりどころは、自分自身を称賛し肯定できるようにすることであり、また他の宗教が教え導き教育する効果こそが、信仰への帰依に融合されるべきものです。天地の理を以って言うならば、人類世界が信仰する宗教は、単に自分自身に一つの信仰を与えるに過ぎず、超越への回帰は難しく、それには何か理由があるのでしょうか。
ただ自分自身を、反復する輪廻の種子の因縁に入らせないだけなのです。もしさらに一歩深く体証することができれば、人類世界のあらゆる宗教に対して、単に一つの宗教信仰に執着して依り所とするのではなく、必ず天地の演繹過程を体証し、何が信仰する宗教に対して永遠に離れることのない状態を保つことができるのか？それはあまりにも難しいことです！
信仰の戒律と規範は、信仰者に対して平等を実現し、また非常に適切であり、「天地の演繹」をより深く理解することができる。このようにすれば、人間世界の宗教的信仰に固執することもなく、宗教の限界から脱却し、宇宙、虚空、無極、天地と共に、永遠の未来を切り開くことができるのである。
まさに自らが向上の原動力となり得るのである。人類世界がこの境地に達する必要があるならば、もしただ自らの信仰する宗教に固執するだけで、しばしば他の宗教を排斥する渦に陥るならば、後者の場合は本当に賢明とは言えない。人類は往々にしてこのようなものであり、また「愚かすぎる」と言えるほどに愚かなのである。
大道元始は本より自然なり　　信仰宗教は実の如く顕る
公正と平等を体得し　　宗教の限界を超えて進む
宇宙虚空は大いなる無極
天地有情は共に相契う
千秋万代を争わず　　根本を超えて且つ如意
この偈は、有情の衆生が互いに励まし合い、信仰によって必ず向上することができる。さらに天地と共に千秋万代を競い合うまで高められるなら、それが真の知恵と聡明さである。このように向上すれば、すべてが一目瞭然となる！まずは老衲が著作を始めるが、その真髄をどう体得するか？各自が自ら得るほかなく、それが正しい道なのである。
第十二回　遷流三際
##無極伝道仙姑
2002年8月21日　壬午年七月十二日（火）
無極の命を受け崇心に降り　　道を伝えて広大に心霊を渡す
天尊の徳沢は有情に巡り　　大道一貫の首章の因
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は主著仙佛・南屏道済古佛・李修縁が降筆された『大道一貫』の首章により、「大道元始」について深く体認いたしましたが、これは依然として宗教の枠内に留まり、是非・○Ｘ・正邪・善悪の対立する局面に陥っているのです！
自らがさらに業を造る機会を増やさないためには、いかなる宗教であれ、「平等・博愛・慈悲・惻隠・清真・無為」を体得し実証できなければ、宗教教育文化課程の根本を見失うことになる。このように自ら宗教に入りながらも、かえって多くの「因果業報」という良からぬ行いを招くことになる。
時に自分は宗教を擁護し追従することが、他者が批判や改変の機会を与えるべきではないと考えがちです。このようにして、自分は信仰において多くの業と因果応報を造ってしまい、これは非常に望ましくない行為です。深く信仰するには、穏やかにお互いを支え合い称え合うことが本来あるべき姿だと、はっきりと理解すべきです。
第十三回　四方を連ね貫く
##南無虚空蔵菩薩
2002年8月23日　壬午年七月十五日（金）
南贍部洲に天の書は著され　　海と空の色は一段と清らか
古より大道は凡塵に転ずと説かれ　　仏は一貫して大道を殊なるものと示す
一貫たる大道の根柢
宇宙の広大さを観察してみると、すべての惑星の運行は、それぞれ定まった位置にあります。また、すべての惑星を観察すると、もし位置が定まっていなければ、まさに大道の公正平等な運行に背くことになり、それ自体の自転と公転に影響を及ぼします。このような位置の定めこそが、大道の自然な守りであり、それは生命ある惑星のすべての衆生にまで及んでいるのです。
保護作用を有するのみならず、自転と公転に対しても、すべては有情衆生が大いなる徳の恵みを受ける運行過程を担っており、大道自然が一切の有情蒼生を育むことに対し、「大道一貫」が担う各星球の自転と公転も、すべて大道の全ての公律と平等性に背くことはない。
すなわち、広大な星々の相互間のバランスを指す。したがって、広大な宇宙は諸惑星の間に相互の均衡を保ち、また広大な宇宙のすべての惑星は、バランスが主導する法則に背くことなく、それぞれが独立した個体として運行し、自転と公転を形成していることを知らねばならない：引き寄せ、牽引し、均衡を保つ。
大道一貫の行うところ
このような条件があれば、有情の衆生は、自らの運転自主性の中で安らかに過ごすことができ、他の惑星の発展とも平和に共存できる。すなわち、南贍部洲の数多き蒼生の視点から見れば、この地球に存在するすべての有情衆生は、自分たちが住むこの惑星しか知らないのである！
智慧や天眼の神通力をもってしても、宇宙の他の星々を観察することは極めて難しい。そのため、自分が住む星だけに固執し、他の星々の科学技術文明を垣間見ることはできない。このような状態では、自分が理解している知識の領域に留まるだけで、広大無辺な宇宙の星々の間へと到達することは難しい。
それゆえに、より大きな融通と理解を得ることはできず、また、すべての衆生はこの星の間にいるだけで、根本的に他の惑星の文明と科学技術を完全に理解することはできません。しかし、もし単にこの地球の文明と科学技術だけをもって、他の惑星に模倣できる文明と科学技術をもたらそうとするならば、必ずやすべてを完全に理解することはできないでしょう。
また、上蒼より申し伝えられておりますが、必ずや南贍部洲の地球を改造して向上・超越させ、他の惑星から多くのハイテク人材を借り受け、地球空間に降ろしてより大きな科学技術の顕現を行わせる必要があります。また、大いなる天地の中では、すでに早くから多くの有情なる他の惑星のハイテク人材が地球星系に入り込んでおります。
ハイテク人材を借りる
来るべき時代の動きを育むことは、ハイテク文明の人材に対して、つまり南贍部洲の地球が星々の中に提供するものとして、多くの真実に即した文明科学技術を推進し、またこの種の天界の間において、有情衆生がなぜわずか20年余りの時間で、過去には多くの神通力を具えることができなかった境地を十分に備えることができるようになるのか。
したがって、このような条件のもとでは、文明と科学技術はより大きな役割を果たすことになり、かつては高度な科学技術文明を通じて徹底的に理解することができなかったことを、今や無数の生きとし生けるものたちに広め、潤いを与えることができるようになりました。これはまさに、上天の大いなる徳の恵みと慈悲であり、また、上天には多くの科学技術文明を主導する機関があり、それらを完成に導いていることを見ることができます。
したがって、『大道一貫』が提唱する文明と科学技術の現れる作用と利益は、すべて上天の慈悲深い大いなる恩恵を受け継いだものであり、大道一貫が科学技術の世界に示すことによって、未来の多くの民衆に利益をもたらすことができる。必然的に、宗教のすべての教育が進化し平等性の中で、より大きな弘揚を行うことができるのである。
また、科学技術文明に対して、いかにして大宇宙の天地のすべての資源を善用し、有情衆生に福をもたらすか、さらに天地のすべての豊富な資源をいかに善用するかについて、科学技術文明に対して真の条件が整うことになります。したがって、「崇心」に未来の水資源について、大局的な視点から包括的な解明を行うことを求めます。
大道の展開の過程
大道の展開過程において、天地の豊かな資源を採取し、また天地の豊かな資源を「世界から取り、世界のために用いる」という形で活用し、有情衆生がこの時代に恩恵を受けられるようにしています。また、現代の科学技術文明が人類の心の浮き沈みをもたらしていることは、過去よりもさらに深刻で、最も重大な問題となっています。
科学技術文明によって、多くの有情衆生をより高みへと引き上げることができる。それは大いなる天地に生きるすべての衆生に対して、より豊かな時空の資源をもたらすものであり、すなわち自らの心霊をより高次元へと昇華させることである。このような大いなる天地のすべての衆生に対する働きかけは、決して「心霊の構築」によって達成されるものとして埋もれることはない。
必ずや「身体、心、霊」の三者が相互に融合し、相互に超越することができるはずです。そうでなければ、有情の衆生は皆、福徳の報いと現代の科学技術文明の恩恵に沈溺し、自分自身の身体、心、霊の三者を貫徹して理解することもできず、ただ自分の飲食や睡眠といった生理的欲求のために生きるだけとなってしまいます。
有情なる衆生に問います：自分はただこのような生活条件だけを望んでいるのでしょうか？真実の修行を志す者にとっては、まさにこのような奴隷となることに甘んじることはなく、逆に、自らをより超越し高められる境地へと進め、自らの未来の方向と目標に対しても、より大きな期待を抱き、月を指し示す回帰の目標へと歩みを進めるのです。
心身と魂は如何にして超越するか
また、この種は自らの身・心・霊の三者に対して、ただちに現代文明世界において超越と上昇を達成することができる。さもなければ、再び来世に転落したとき、果たしてこのような因縁条件と時間・空間がまだあるだろうか？このような類似の因縁条件を得て、向上し増長し、超越を高めることは、非常に難しいことである。
宇宙のすべての生命は、この時代においてそれぞれの任務と使命を担っている。ゆえに！崇心はこの時期において、未来の蓮華仏国浄土世界の開拓者となるべく、必然的に！宇宙生命の継起を超越する創造者となり得る。果たして自らこのような超越を成し得るか？あるいはただ崇心に入った後、いわゆる学び成長するのみで、それでいったいどうなるというのか？
自らが、未来において浄土世界に到達できると考えるならば、必ずや知らなければならない。自らの身・心・霊の三者が相互に応用し合い、相互に融合し合って、向上し成長し超越していくことができなければ、未来において、真実のままに自らを浄土世界に入れて回帰することは、決して叶わないのである。
八識の田に作為を清掃す
ただ自分自身の第八識において浄化と改造を行うだけでなく、天地の豊かな資源をも取り入れることができてこそ、真実の性と言えるのです。しかも、このような有情衆生に対しては、まさに今この瞬間に蓮華仏国浄土世界へと超入することができ、未来を待つ必要などまったくないのです！
今この瞬間に、すでに蓮華仏国浄土世界に入っている。思想と観念の向上と再構築は、必ずや未来において多くの資源と知識の領域を獲得するに至るであろう。蓮華仏国に入るとは、まさに崇心宗脈のすべての学びと修行者にとって必要な心理的構築であり、また縁起の働きとして如実に完現させねばならないものである。
このような因縁の中で、衆生の師もまたこの因縁の再創造と完成を促すことを願っておられる。すなわち崇心が求めるように、天地・宇宙・無極・虚空の広大無辺なるものを自ら昇華させる因縁の根本とし、さらに未来の科学技術文明の再創造に対して、一つの模範となる道筋を示すことが、真実のあり方なのである。
広大な宇宙は果てしなく　　人間の科学技術を通してその因を究明する
文明世界の身心霊　　三者合一して情を超越す
大道一貫は主理を作し　　一貫大道は相依に来る
有情は天地の源を豊かにし　　自ら摘み取って円満の親を得る
この偈を、有情の衆生と共に励まし合いましょう。未来において如何に天地の豊かな資源を採り入れるかは、一層一層と分析を重ね、崇心の未来が真実のままに弘法の契機と企画の青写真となるべく、真実の利益をもたらし、また衆生を利益することができるでしょう。これは必ずや実現し、向上して成長し、高みを超えて昇華していくことでしょう。
第十四回　大寰五象
##南天降道天尊
2002年8月30日 壬午年七月二十二日（金）
無極天界より御旨が下され
理法ともに崇心の因を助けん
仙姑が台に登り情を会す　　大道一貫次回に引く
諸聖仏及び諸賢生と無極大道学院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日の『大道一貫』次回は、主著仙仏である南海古仏が降筆され、「一貫大道」の根本的な本質と、いかにしてそれを向上させ、どのようにして世の中の方法を応用して天地の豊かな資源を獲得するかが、真実のあり方であると説かれます。
天地の中において、多くの他の惑星文明の科学技術を借りて、一流の人材を降ろし、この地球に降臨させ、未来の科学技術文明を創造することを体得する必要があります。それはいかに自分自身に利益をもたらすか？いかに衆生に利益をもたらすか？はっきりと理解しなければなりません。また、このようなことが単に人類と優劣を争うだけならば、それは取るに足りないことです。
必要に応じて天地と千秋万代を争うことができてこそ、より真実に近づくのである。したがって、崇心の現在のすべての聖なる務めは、上蒼によって示されたものであり、多くの試練と検証の過程を経て、一関一関を突破することで、将来上蒼がより大きな任務と使命を降ろすことに適い、蓮華仏国浄土の完全な現実化と創造を成し遂げることができるのである。
修行において、誰もが未熟であり、自己を向上させることのできない多くの障害があります。知る必要があるのは、いかにして「大道シリーズ」を理解し、日常生活に応用し、天地の資源を取り入れるかということです。これこそが自己を変革し、真の向上を実現する方法なのです。
さらに自ら天地と共に千秋を競うべく、ただ生存のためだけに人間と優劣を争うことは取るに足らぬ。たとえ生存には豊かな通貨の因縁が必要であれ、もしこれを理解できず、ただ通貨の因縁のために自らを埋没させるならば、それはただ崇心に入り見習いとなるに過ぎない。
少しも自分を変えようとしていない！自分を徹底的に見つめ直す必要がある。経験を活用して通貨の縁を得ることはできるが、智慧が増えなければ、毎回の試験や検証に合格できず、その繰り返しで、結局は通貨の縁という枠組みの中でもがくだけで、根本的な「身・心・霊」の向上にはまったく至っていない。
反対に、自らを自らの奴隷とし、己を卑しめて売り渡すがゆえに、崇心宗脈の学問や宗生においても、一部はこのような状態にあり、改めようともせず、ただ仙仏が転じて救ってくれるのを待ち望むばかりである。それで果たして十分に得られるだろうか？否である！よく智慧を働かせて、より豊かな資源を得るようにすべきである。
また、自らの口の徳において、自分自身を省みることもせず、かえって一方では福を積みながら、他方では罪業を造るという状態に陥っています。これでは、多大な苦労を重ねても、果たして自分自身を変えられるでしょうか。自らを改める方法をしっかりと理解することが、真実のあり方なのです。皆様、お疲れさまでした。本日の著作の核心を深く理解されれば、必ずや通貨にまつわるご自身の困難を好転させることができるでしょう。では、またお会いしましょう。
第十五回 六合に彌倫す
##南無彌勒菩薩
2002年9月3日　壬午年七月二十六日（火）
人天教化して一元を渡す　　南無燃燈古仏の縁
真仏心宗が弘め広がる　　大道一貫これ本源なり
大道の元始は一貫した本質なり
元始の初生、本位が凡塵に降りてくるとき、必ずや自らの修持によって因縁の根本を改造することができ、自らの修業をもって成長を遂げることができる。また、元始の本位こそが、まさに自らの因質成就の契機であり、大いなる天地に生きるすべての蒼生は、成就の因質を内に宿している。自らを高める主要な資源をもってこそ、これを達成することができるのである。
一元天地教化の基本範疇においては、いずれも各霊体が主導する過程から離れることはなく、自らを過去の基本条件を超越させ、成長と向上の根本的な原因を自らに培い、人世において自らの主人となり、自らの奴隷とならないようにするのである。
大道は本来自然なるもの：天地、無極、虚空、宇宙によって大道の原始的な基礎が形成され、これはあらゆる宗教と相互に融合可能であり、また修行者にとっては因縁体を改造するものである。それは人間世界のみで生存するにとどまらず、さらに他の惑星世界の国々においても、因質を成就することができるのである。
大道は宇宙の運行の根本である
大道は自然に運転し、天地、無極、虚空、宇宙と相互につながっています。また、人間世界はまさに一つの小さな周天であり、天地、無極、虚空、大宇宙に対してはさらに大きな周天です。互いに高め合い、完成させることができ、また霊的なメッセージを受け取る過程において、自らその境界を見通すことができるのです。
もしその境界を見通す法がなければ、自分が霊的なメッセージを受け取ろうとするとき、必ず達成することができず、さらに大宇宙のすべての基本的な要義に対して、各人が受け取る条件を基準として、大宇宙のすべての衆生に対して、互いに助け合い、受け取る作用が生じ、互いに調和し合うことができるようになります。
必ず通過しなければならないのは、上蒼の「天心鏡」を自らが吸収する根本の縁とすることです。つまり、情報を受け取ることで天界を理解できるようになり、必ず自分と同じ周波数で相互に縁を結びつけることができ、自分と完全に同じ周波数になって初めて、順調に受け取り吸収することが可能になります。同時に、排除するものと受け取らないものとの区別も形成されるのです。
大道一貫の主体
一貫は大道に対して相当な作用を有している。もし一貫が天地の演繹過程において相互に背離しないことを理解しようとするならば、不足や不円満があってはならない。そうでなければ、どうして行使する周波数を持つことができようか。真に相互融合する契機が必要であり、また周波数の受信過程において、干渉や雑多な周波数が混入していないかどうかを確認しなければならない。
天地、無極、虚空、大宇宙の周波数と調和して通じ合うか、あるいは不良な干擾周波数が混じるか。往昔の上界より、聖神仙佛、菩薩高真などは、下界へ分霊・分身として降り、あるいは本尊自らが劫を応じて衆生を救済するために下凡される。もし往昔と同じく、あるいはさらに優れた境地に達し、輪廻に落ちず、五濁悪世に沈淪することなきを。
周波数が過去に下界に降りて分身や分霊となり得るかどうか、あるいは本尊や本霊に対してかどうかについては、これによって明らかに見て取ることができる。また、霊的メッセージを受信する際には、同じ電波周波数を持つ多くの者が相互に受信する条件を備えており、このようなものは聖神、仙仏、菩薩の周波数を相互に受信し融合させることができるのである。
宇宙からの霊的メッセージはすべて連鎖的に繋がっている
全宇宙の星々は、三千世界のあらゆる周波数が互いに一致するとき、情報を受信する際に自らと接続する暗号も存在する。もし保護作用が得られなければ、まさに本尊、本霊、分尊、分霊が五濁悪世に入り成就することを指す。これによって非常に明らかに観察することができるだろう！
大道は一貫して本質を貫き、周波数に対する受信者との両相に吸収作用があり、また周波数が同じ時には、人間世界における有情の霊能者、霊通者、霊乩者、霊媒者、正鸞者、正乩者、天筆者など、すべて同じ霊的メッセージを受信する者には、霊的メッセージを受信する作用が存在します。
似ているか？同じか？保護作用があるか？必ずしもそうとは限らない！まさに他の周波数と霊的メッセージを互いに受け取り吸収させるためである。大道一貫はまた天地のすべての：聖神、仙仏、菩薩を依りどころとし、受け取りの基本ともなり、大道一貫の基礎に対して、完全に通徹することができるのである。
人類世界は、まさにこのような霊的メッセージを受信する範囲内にあり、それが正しいかどうかを理解できるのでしょうか？すべては次元によって観察すると非常に明らかです。なぜなら、大道は一貫しており、霊的メッセージの受信者の基本的条件に対して、明晰であるか、透徹しているか、いかなる雑音もないかが問われるからです。それによって霊的メッセージの受信を完全に明瞭に行うことができるのです。
人体は小周天　宇宙は大周天
もし断続的であったり、長短様々で一貫して連続できない場合、互いの基本的な霊的メッセージを受信することができません。つまり、天地、無極、虚空、宇宙とより大きな接合を持つことができず、これは自分自身の不足、あるいは霊的メッセージに対する不足であると理解できます。これによって完全に明らかになり、非常に明確になります。
有情なる衆生は人間世界において、宗教による薫習の過程を通じて、多くの法門が互いに向上し合っています。特に現代においては、あらゆる教えが一斉に花開き、千の門、万の宗がそれぞれの教えを弘めています。それらは皆、自らの修持を基本とし、天地・無極・虚空・宇宙と相互に霊性を繋ぐ働きを持つものです。
基本条件を明確に把握する必要があります。もし自らのエネルギーが十分かどうかを徹底的に理解できなければ、もし霊的接続の過程において『真実の理諦』を後ろ盾としていなければ、未来の時空において突然停止したり、霊的情報の受信過程に留まってしまったりする可能性があります。同時に自らをも妨げることになり、まさに完全に知らず、理解していない状態に陥ります。
大道は一貫して基本をなすものであり、それゆえ聖神も仙仏も菩薩も皆このように、天地・無極・虚空・宇宙と互いに霊を接続することができる。そうすると、自分は天に通じ地に入ることができると思い込み、常にこの段階に留まり、かえって人道の精神をもって行動することができなくなり、自分の能力は天に通じ地に入ることができるものだと思い込んでしまうのである。
霊的メッセージの伝播は、相当な正確さが必要である
このような状況は、自分自身が障害となり足かせとなるもので、知らず知らずのうちに、霊的障りには皆この過程が存在し、自分を幻境に陥らせ、また魔障に陥らせ、さらに虚妄の認識の中に落とし入れるのです。ただ過去のすべての因縁を体得しているに過ぎず、自分の霊的メッセージがどれほど優れているかなどと執着して見てはなりません。まさにすぐに魔境に陥ってしまうからです。
宇宙の天際周波数を受け取る者には、必ず多くの類似点がある。いかにして自分が受け取ったものに誤りがないかを見極めることが正しい。もし用いずに済むならば、それが最も優れている。もし用いるならば、必ず自分と衆生の両方に利益があることが正しい。そうでなければ、多くの霊的修行者がこの段階で停滞してしまうことになる。
このような困難を突破することはできず、むしろ最後にはまた幻境に陥り、さらに抜け出せなくなることもあります。これは「大道一貫」のすべての霊媒者が最も犯しやすい欠点であり、自分でよく考えればすべての経緯が明らかになり、まさに跡をたどることができるものです。過去のすべての障害を変えなければなりません。
大道一貫は先天なり　　一貫大道自然に顕わる
メッセージの受け取りは正しいか　　平常心を保ちつつ歩め
霊障は本来の霊体から来る　　干渉の頻度はより容易になる
同じく受け入れれば即ち迷いに入る　　法なくして離れることできず自らを困らす
この偈は、大道一貫の学習者にとって、まさに別の次元での受け止め方であり、自らの成長と超越を高めるためのものです。自分に霊障が存在するかどうか、この困難を突破できないかどうか、これによってその原因を探ることができます。自分自身が真実の利益を得て円満に回帰できることを願うことが、正しい道なのです！
第十六回　天枢七星
##南天普化天尊
2002年9月6日　壬午年七月二十九日（金）
無極はそもそも無極なり
道を伝え、意を伝え、己を伝える
仙姑は壇に登り賢き生に会う　　一貫の大道は道一を貫く
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道学院、院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈大宗師　南無燃燈古仏が降臨され、『大道一貫・第三回　大道一貫』においてご解説されました。それは同じ周波数を持つ者が受信する過程を分析し、有情衆生と共に励まし合うものであり、受信周波数の範囲内において理解できるかどうかについてであります。
魔境や魔障に入り込むことはありません。はっきりと認識すべきは、まさに自らの向上と霊的障礙の因縁の根本を化除することであり、また如何にしてこの障害を突破するかは、今現在の行いを通じて認識することができ、それがすなわち真実の姿なのです。また、人間世界はまさに因果業障の清算の過程にあり、それは日常の中に存在しているのです。
また、未来においては、あらゆる災厄が必ず次々と押し寄せてくるでしょう。特に「地水火風」の災難に加え、人為的要因が重なることで、有情衆生がこれらの災厄を無事に乗り越えられるか、それとも災厄と共に消え去ってしまうだけなのかは、自らの行いによって明らかにはっきりとわかることでしょう。
自分が宗教信仰の修行に入ったからといって、宗教の仙仏聖神が保護してくれるとは限りません。必ずしも安心して枕を高くして眠れるわけではないのです。各人の因果の法則による裁きをはっきりと理解すべきであり、まさに「劫を逃れることはできない」のであり、またその限界を変えることもできません。常に自分自身で守ることが最も重要であり、それによって一世また一世の因果の業障を完全に消し去ることができるのです。
未来の災いを明確に把握し、事前に警告を発する役割を果たすこと。これは自分自身がよく考えれば明らかになることであり、必ずや将来において凶事を吉事に変えることができる。未来は皆が遠い時空のことだと思うかもしれないが、そうとは限らない！災いがいつ訪れるかは必ず定数があることを明確に理解しなければならない、分かるか？心に刻み、ありのままに修行して改めていかなければならない！
第十七回　天地八政
##南無地藏王菩薩
2002年9月13日　壬午年八月七日（金）
虚空世界は実に美しく　　チベット仏法は民衆に降りる
菩薩は一貫の書を作す　　乾坤始めて奠まりて衆継を得る
乾坤いかにして始めて奠まる
『大道一貫』を観るに、一貫した大道は、あらゆる生存の契機に対して必ず「乾坤始奠」の基盤を引き起こす。もし「乾坤始奠」がなければ、先天八卦も存在し得ず、また後天八卦による導きも得られない。先天と後天が形成される過程においては、乾坤が始めに奠められることが必要なのである。
陰陽の分かれる根拠は、乾坤によって陰陽を区別することにあり、これにより陰陽八卦によって乾坤両極を細分化することができる。すべての支えは有情世界の運行に向けられ、さらに乾坤を基盤として初めて確立されることが正しい道である。すなわち、人道世界のあらゆる生存を通じて運化され、万物の生きとし生けるものに伝え継がれる必要性がある。
乾坤：まさに無極が凡界に降りた後、純一の境界に入れば、乾坤に分かれさせることもでき、また乾坤が陰陽の両極に分かれることもできる。生存と密接に関わり、怠ることなく責任と使命を伝承するには、必ず乾坤が陰陽に分かれることが必要である。乾坤と陰陽の両極において、「純一」によって回帰しなければならない。
大道は如何にして超越し向上するか
無極が凡世に降りて純一の後に、必ず乾坤・陰陽の両儀を区分し八卦を演繹する必要があります。そして一が二に分かれ、二が四に分かれ、四が八に分かれ、八がさらに八八六十四卦に区分されるのです。これは卦爻を対照し、すべての興衰窮通を知り得ることで、大いなる有情衆生を利益し潤すことができるのです。
もし乾坤と両儀によって陰陽の二つの側面を区別することができず、陰陽の先天八卦と陰陽の後天八卦を成就することができないならば、八八六十四卦によって統合することができ、さらに陰陽の二つの側面によって八卦を細分化し、乾坤の始まりを成長の契機とすることで、人類世界のあらゆる応用可能な卦爻の中から、向上を図ることができるのです。
すべての人は、自らが未来の盛衰を知ることを求めています。卦爻を通じて明らかにすることはできますが、過去に対しては非常に精通し、現在においても同様に理解することができます。しかし未来においては、必ずしも卦爻が示す吉凶に従うわけではなく、むしろ自らの行いを通じて選択し、本来の運命を変化させていくのです。
また、卦爻が存在する未来を予知できることは、まさに卦爻が示す未来の吉凶予測に完全に従って論断することはできず、必ず卦爻を通じて、陰陽が両儀の規範に分かれることを通じなければならず、つまり純一の境地を通じる必要があり、また宗教においても「純一」の重要性を知ることはできません。
卦爻は未来の予測に正確です
人類は八卦が先天卦爻を回復できると考えると、陰陽・両儀・乾坤始奠の過程に入ると考えますが、実は陰陽両儀・乾坤始奠の過程において、純一の境地に至らなければならないことが明確に理解できていません。これは現代の宗教や有情衆生の盲点であり、「純一」の真実の境地を理解することが難しい所以なのです。
したがって、一花五瓣を基盤とします。なぜなら「一花五瓣」は天地のすべての陰陽五行に対して相互融通の働きを与え、陰陽両儀と乾坤の始まりを定め、最も主要な因縁の根本へと回帰させるからです。これはまさに、生存の在り方を確かに知り、純一の境地へと立ち返ることを通じて実現されるのです。
これは乾坤の始めに奠まり、陰陽両儀が基礎となるものである。もし乾坤の始めに奠まり、陰陽両儀を通じて得られなければ、一貫大道の基本的な働きを貫通することもできず、また一貫大道のすべての根本的な主導過程に対しては、まさに有情の聖、神、仙、仏、菩薩、高真などが喜んで追求する目標である。
ある者は超越することができ、ある者はここに停滞し、ある者は天地の演繹過程を通過できずに創造主導を有し、ある者はかえって凡塵の五濁悪世に沈淪する。したがって「純一」の境界に対する主要な動能は、詳細に分析する必要があり、それこそが実践的であり、妨げられることもなく、また理解できないこともないのである。
乾坤始めて定まる一境の性
かくして乾坤両儀を基盤とし、人類世界のすべての生存においては、「動くものと動かぬもの」有情衆生が互いに結びつき合うことが存在する。必ずや始めの礎を通過できるか否かを明らかにすべきであり、天界より降りて凡塵世界に至ることができ、ただ凡塵の華やかな世界、五濁悪世に迷い障られることのないようにする。ここに「純一」を基盤とする所以である。
天地の演繹：『純一』に対して正しい主導性があり、また五教の聖人が提唱するものは純一に依拠し帰一するものである。仏教では「万法帰一」と説き、儒教では「執中貫一」と説き、道教では「抱元守一」と説き、イスラム教では「清真返一」と説き、キリスト教では「黙祷親一」と説く。これらはすべて純一の境地を提唱するものであり、純一という唯一の境地の中にあるのである。
全ては「純一」の思想観念に帰納されることによって初めて、真実の性質となり、いかなる宗教に対しても偏ることなく相互に融合することができます。万法が「一境性」に帰入することを主導する機能を体得することが必要です。なぜなら、「一境性」は大宇宙の天地において、すべての真の修行実践者にとって、相当に実行可能な作用を持つからです。
また、「一境性」が五教の円満に融け込むことで、いかなる紛争や隔たりも生じない。このような「一境性」とは、「純一」の因縁によって互いに円満し合うことであり、真の宗教信仰が実現され、修行においても互いに円満し合い、あらゆる生存の円満を連ねて超越することができる。これこそが如実性なのである。
乾坤始めて根基の作用を奠む
乾坤が初めて定まる：陰陽両極、乾坤両儀に対して、変化して八卦となった後は、未来の吉凶に入り、一定のパターンと方向性を持つ。それゆえ、人為的に未来の固定された道筋を改造し、自らの行いに対して、いかに向上させるか？いかに促進するか？いかに達成するか？
また自分自身に対して言えば、これは非常に重要な改造の因縁の根本であり、人間世界においてただ食べたり飲んだり排泄したり眠ったりするだけのために、さらにうつらうつらと一生を過ごしてしまうことです。有情の衆生に問いますが、自分自身に対して非常に残酷な事柄はないでしょうか？まさに有情の衆生が過去の辛酸苦痛を最も忘れやすい、これこそが心を刺すような痛みなのです！
おそらく時が経つにつれ、恐怖心も薄れ、びくびくする気持ちも消え去り、再び自らが設定した渦の中に身を投じてしまうでしょう。これは疑いなく、未来において必ず後天八卦の卦爻が示す吉凶に従い、自らを貶めるだけの行為であり、誠に悲しいことです。
自分はまたこの世に生まれ変わっても、少しも改めることがないのではないか。自分はぼんやりと一生を苦労して過ごし、最後に得たものは「全身に罪悪を満ちている」だけではないか！どうすれば自分のすべての不足と改めるべき点を徹底的に理解できるのか、本当にわからない。まさに今この瞬間から改め始め、確実に理解できることを願うことこそが、真実のあり方なのだ！
乾坤初めて奠まりて陰陽を分つ　　八卦爻中に障りを帯ぶ
過去の因縁がこの果を結び　　未来の因は過ぎし行いを詳らかにする
大道一貫にして本より自然なり　　一を貫いて道大なり、衆岸を得ん
体証を改めて主人と為し　　下世に累わされず天航に帰す
この偈を！有情の衆生と共に励まし合おう；未来においては極めて真実のありようがあり、自らが陰陽両儀、乾坤始奠の中にあって、純一の境地に入ることができる。すなわち、「明心見性、開悟證果」を成し遂げて成長できないことを憂える必要はなく、また今この瞬間に感じることは、自分にとって益があるかどうかによって、その中で体得したものを分別することである！
第十八回　天地九如
##南天弘揚天尊
2002年9月17日　壬午年八月十一日（火）
南天世界に真理威を降し
凡塵に道を下して世人推す
天尊は共に崇心堂を助け給い、乾坤始めて真理の会を奠む。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南無虚空蔵菩薩が降臨され、『大道一貫・第四回　乾坤始奠』を著作されました。これにより自ら陰陽両儀と乾坤始奠を体証し、八八六十四卦の卦爻について注釈を加えることができました。
先天八卦と後天八卦を用いて、これまで自らが体得できなかった真の資糧を転換する必要があります。これによって「一境性」に入り着手し、「純一」と契合することができます。なぜなら人間世界は乾坤・陰陽・両儀から離れることができず、これによって乾坤の始めに奠（さだ）まる境地に入ることができるからです。
陰陽両儀が追い求める道に従ってこそ、真実の向上が得られる。さもなければ、ただ人間世界に生きるだけでは、すべてが自分と調和することができず、霊性をさらに超越的に高めることも、純粋な一体感と調和することも難しくなる。これが自らを障害の中に閉じ込め、そこから脱することができない原因となる。よくよく考えてみれば、必ず多くの正しい見解と思惟が得られるはずだ。
未来の災いが近づいている、自ら十分に気をつけなさい！もし気をつけなければ、その時になってまた仙仏が守ってくれなかったと責め、また「劫を逃れられない」ことに対して完全な身体を保つことができず、まさにどうしようもない！どうしようもない！共業は必ず各自が償わなければならず、最も恐れるべきは一定の時間的制約があることで、またどこに疑問があって尋ねることができようか？
問い一、純一とは陰陽が合抱し、まだ分離していない状態のことか？
答：その通りです！乾坤が初めて定まる時、必ずや「双魚が互いに抱き合う」状態、すなわち子午が交わる時なのです。
問う、陰陽が未だ分離せざる時は純一なり、分離した後は即ち陰陽両相対待となるや？
答：その通りです！純一とは先天のことであり、ゆえにそれはまだ無極の中にあります。両儀が初めて分かれて定まってからが、太極の後天となるのです。さらにその後、未来にはより多くの資糧があり、一つひとつ聖示が著作として現れるでしょう。心を込めて深く理解することを願っております。必ずや多くの収穫があることでしょう。
第十九回　福徳十全
##南無普賢菩薩
2002年9月20日　壬午年八月十四日（金）
南無弥勒菩薩降　　大道一貫第五章
宇宙虚空の因を弘めんとす　　陰陽両儀は二様に分かる
陰陽両儀の世界
陰陽とは乾坤が初めて定まることであり、八卦から未来の吉凶禍福を引き出すことができます。それらにはすべて定まった数理があり、すべての有情衆生にとっては、「無極純一」の後に必ず両儀が分かれ、乾坤が太極の境地に入ります。つまり、無極から太極が生じ、太極から両儀が生じて四方を造り、やがて八卦に入るのです。
陰陽、乾坤の始めに定まり、八卦の中で有情世界を主導する。純一の後、如何にして乾坤始定の総枢軸を受け、乾坤両儀に細分化の動作を与えることができるか。人類世界においては乾坤両儀に左右され、有情世界の衆生を成就する。
陰陽が調和すれば、五行八卦は互いに生じ合い成し遂げることができるが、陰陽両儀が調和しない場合は、必ず大道の作用による相剋が生じる。大道は現代の有情衆生・非情衆生に対し、いずれも両儀乾坤と関連する作用を有しており、一貫大道が主導する作用がどのようなものであるかを知る必要がある。
乾坤を離れれば、ただ単一の種のみが存在する
また乾坤両儀に背くこともなく、このように陰陽が始まって以来の導きと、相互に循環する作用によって開拓される。人類世界はまさに陰陽両儀が相互に対峙する世界であり、もし調和が図れなければ、相反する刑剋の作用が生じ、有情世界において衆生が成長し超越することを許さないのである。
まさに人類世界を主導し、生存の方向へと導く動作であり、有情の衆生と非情の衆生を問わず、すべてはこの世の陰陽相生を通じてこそ、連綿と絶えることなく伝承される作用を持つのです。では、いかにして自らが有情世界において向上を図ることができるでしょうか？必ずや陰陽の調和の中で、相互に連綿たる伝承を下化させていく必要があるのです。
相生の働きがあれば伝承ができ、生々不息の作用に至ることができます。もし世の中で伝承ができなければ、生々不息もあり得ません。まさに「孤陰は生ぜず、孤陽は長ぜず」という制約があるのです。陰陽両儀に対して生存志向の動きがあることが、すなわち生々不息であり、陰陽相剋に対しては、思い通りにはいかないものです。
陰陽は相生し、相生して刑剋す
相生相剋：人間世界を主導するすべての相融性について、またこの世がまさに陰陽両儀にあるがゆえに、すべての相生・相剋の主導機能は、人間世界であれ万物の世界であれ、有情・非情を問わずあらゆる動物・植物が、陰陽をもって調和を図らなければ、長く続くことはないのである。
生存志向の伝承を正しく行うためには、持続可能な作用を生み出す必要があり、生存志向は人類世界に対して正しい導きの役割を果たさなければなりません。つまり、現在の時空においては、種子因による選別のプロセスが必要です。大宇宙のすべての相互循環・融合可能な種子因は、この選別の過程を経なければなりません。
未来のハイテク文明世界において、優良な品種を正確に向上させることができます。人種という観点から見れば、21世紀中に向上を図る必要があります。ハイテク文明に対する適応性によって品種を選別し保存するのです。そうしなければ、未来世界においてより優れた品種を維持することはできません。まさに、多くの適応できない遺伝子を選別するということなのです。
このような時代の品種は、必ず一部が改造と沈殿・浄化の過程を経てこそ、未来の選抜品種を向上させることができます。これは21世紀の優れた品質を高めるためであり、すなわち優生学的品種によって構築されるものです。これは人間世界にはなぜこのようなことが必要なのか、到底理解しがたい障壁なのです！
篩選動作の実用性
一部の部分は必ず向上させる必要があり、大いなる天地のすべての保存可能なものは、善徳の因縁によって良好な品質を持つことにおいて、全て改造の動作を必要とします。これはまさに「劫運」の過程を経るものであり、もし大部分を改造向上させることができなければ、一部は伝承することができ、一部はまさに「劫を逃れられない」のです！
「劫を逃れられぬ」という経験を経た後、再び他方の世界へ移し保存する、つまり新たに沈殿処理を行うことで、必ずやこの作用によって21世紀の蓮華仏国を現前に示現させることができる。人類世界の種子因に対しては、高品質な遺伝子-DNAを通じて人類世界に示現することが可能となる。
また他の品質の不良もなく、乾坤が始めて定まる作用の中に回帰することができる。まさに「如一、純一、正一」が提唱する向上によって、原始初生の真如仏性に回帰し、さらに未来のすべての信仰も、必ず弥勒浄土世界での学習過程を経なければならない。実は、すでに今この瞬間に引き寄せられているのである！
純粋一貫の静寂なる心の働き
心性と霊性の向上によってこそ、真実の成就が得られるのである。また、大宇宙の天地に存在するすべての有情衆生は、乾坤の初めに定められ、陰陽両儀を通じて選別され、回帰と超越を果たす。これは極めて真実であり、すべての有情衆生を観るに、すでに自らの霊性を「真如仏性」の中に置いているのである。
「仏性」を高め超越するためには、静寂の中において、自らがこの世で積み重ねてきたあらゆる経験を通じて、「心性・霊性」を再構築することが必要です。そうすることで、浄化と沈殿を確実に成し遂げ、さらには障りをも取り除き、また「自身・心性・霊性」の穢れを昇華させることに適い、生きる方向性を成就することができるのです。
自己の思想改造から離れることなく、乾坤両儀においても、まさに相互に対峙する世界であり、どうして円満で純一な境地に到達できようか。必ずや人世間の生存経験を通じて、自己の生存指向の作用によってこそ達成されるのであり、そうでなければ、自身の修養がどれほど高深であろうと、どうして成し得ようか。
乾坤両儀は同じ霊性を分け持つ
また、霊性がどれほど鋭敏であっても、それはすべて心性によって構築されたものであり、「天地の演繹過程」を通じて体得することはできません。人間世界で修行する者は、必ず知るべきです：半杯の水、半桶の水、半湖の水、半海洋の水のように広大な心を持ち、未来の向上を図り、成長の恩恵を受けることができることを。
自分が信仰し修行しているものに、いかに深遠な神通力があるかを執着してはならない。もし「天地、無極、虚空、大宇宙」のすべての展開過程を体得できなければ、どうして自らの迷妄の過程を打破できようか。これは宗教信仰と修行者の迷妄であり、真の修行実践者が最も陥りやすい過ちである。
もしこのような限界を打ち破ることができなければ、未来においてどうして向上することができるだろうか。これはつまり、向上するための資糧と行動を備えることができず、逆に自らを信仰の障害に陥らせ、自らの神通感応に執着して固執し、自ら業を造りながら問題の核心を理解できないということである。実は、すべて自らが造り出したものなのだ！
天地初めて定まりて陰陽を分つ
両儀造りて四方を潤す
八卦は先天と後天に細分され
人間の情愛は吉祥の兆しを表す
品質を選別して向上させ　　良き因縁を保ち人となる
未来の科学技術はさらに進歩し、優れた遺伝子をいかにして実現するか
この偈を、有情の衆生と共に励まし合いましょう。未来において一つひとつ示現されることで、ここから向上し、保存し、選別する中に真実が現れるでしょう。まさに人間世界において浄土世界を達成するためにこそ成し遂げられることであり、未来の人種の遺伝子進化を向上させることにもなります。これは科学技術文明を改造する必要性なのです！
第二十回　帰復伝継
##無極元君　麻仙姑
2002年9月27日　壬午年八月二十一日（金）
南天の教化に私偏なく
普く衆生を化して徳性を延ぶ
天尊は諸賢生と共に会し、一貫の理を演繹して無辺の真理を啓く。
諸聖仏及び諸賢生、並びに無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南無弥勒菩薩が降臨され、『大道一貫・第五回 陰陽両儀』にて人種の選別と篩い分けの動作について述べられます。果たしてこれは劫を逃れられぬ運命なのでしょうか。保存されるべきものなのでしょうか。それとも改造を施し実態を留めるべきなのでしょうか。今この瞬間から、一つひとつ明らかになってまいります！
自らの行いが果たしてこの時節に消滅するのか、それとも未来へと伝わり続けるのか。今この瞬間に、自らが積み重ねてきた良からぬ因縁を改めることができるのか。真に主要な資源を高め、回帰と超越を実現することができるのか。もし高めることができなければ、かえって五濁悪世の中に沈み続けることになる。
また、このような時局において構築されるものは、自分自身に対して非常に残酷ではないでしょうか？これは自らが改革を考えないことによって引き起こされたものであり、なぜなら、悪を容認して育てることが、有情の衆生が常に行っていることだからです！では、どのようにして不良の種子の因を選別すればよいのでしょうか？21世紀に存在し得るのは、福徳と知恵を備えた人間性の世界であり、どのようにして生命の改革を達成すべきでしょうか？
必要とされるのは、沈殿、浄慮、浄化、静濾です。そうでなければ、大同世界の蓮華仏国はどうして築けるでしょうか？理解できるでしょうか？沈殿できなければ、再び蓮華仏国世界に入る縁は得難く、ただ弥勒浄土に入るのを待つしかありません。もし選別しなければ、どうして蓮華仏国の向上を促せましょうか！
第廿一回　帰り復し回り返る
##南無大勢至菩薩
2002年10月1日　壬午年八月二十五日（火）
南無地蔵王菩薩　　大道一貫に基因は達す
理天の至徳の意を弘め揚げ　　純一に契って道徳の根を固めん
純一に契うことは、知る人少なし
先天八卦は回帰をなす。まず四相作用に入り、その後再び陰陽両儀に戻って基礎とする。すなわち「乾坤始奠」が主導機能を回復し、必ず純一契転を行わねばならない。「純一契転」に対して相当の実際的主要動作があってこそ、初めて「純一契転」が主導を担うことができるのである。
無極は太極を生じ、太極は両儀を生ず。中間段階に入りてこそ純一契転となり、これこそが未来のすべての分差に対し如実に目指すところである。もし「純一契転」が転じられなければ、「乾坤始めて奠まり、陰陽両儀」分別することもできず、必ず「純一契転」によって初めて陰陽両儀に対し主導統御の因縁体たりうるのである。
世の中の有情宗教に対して、いかにして純一の境地に回帰すべきか？仏教の立場から言えば、まさに「万法唯一」である。この万法が唯一たり得るのは、「心念意識」によって衆生を導くことによる。それは必ずや、一人ひとりの人間衆生の心の動きと念いの中に、ありのままに成長する因縁の根本として存在するのである。
仏家の慈悲の純一
すなわち、実相世界において向上することが必要であり、もし万法はただ心が造り出すものであることを理解できなければ、自己の「心念意識」によって現れるものも徹底的に通達できず、またすべての「起心動念」をありのままに応用することもできず、必ずや実相世界を通じて有情衆生を成就することはできません。まさに仏教の真理において、とてもありのままに構築することができるのです。
また、五教の中でも、仏教思想による改造の原因を適用すべきであり、もし仏教の「万法帰一」という念識思想を用いることができなければ、心を動かし念を起こす際に、いかにして自らの求める心の意識を統御すべきかを理解することもできない。まさに仏教の理諦に対してこそ、経典を通じて高められるのです。
有情衆生に対して、第一段階の改造を行うことができます。人間世界は「心、念、意、識」という四つの動作によって主導される思想の因縁を本来高めることができるのですが、「心念意識」を統御しないため、「起心、動念、入意、蔵識」という四つの動作に区別されるのです。
道家は無為によって純一を成す。
「道」家においては自然無為を主導とし、また自然無為によって作用し、「心の善し悪しを教える教育」を理解することができる。これにより有情の衆生にすべての良き因質を学び成長させる機会を与える。有情の衆生が「仏」家の「万法は唯一に帰す」という教えと相まって初めて、「道」家の両者が互いに補い合い、相成すことができるのである。
道家は「三魂七魄」によって統御し、また仏家の「心念意識」と相通じる妙なる比喩がある。つまり道家の無為と仏家の慈悲の思想は、この両者に相互に調和する働きがあり、さらに「仏」家と「道」家は、根本的に優劣の差を分けることができないのである。
「道」家における「三魂七魄」と仏教における「心念意識」は、それぞれが説く機能にそれぞれの奥深さがあり、まさに異なる宗教の教えの中で、道教と仏教の両者の思惟作用に対して相互に融合し、相互に称賛するものであり、あらゆる動作には相互性があることを示している。
儒家の惇惻隠微なる純一
皆が仏教と道教の両家を統合し合い、まさに中華の炎黄子孫の中に、確かに相補い合い統御する動きが生じます。この「儒」家は、「大同世界」という宏観的な心構えで融合を図り、これもまた仏教・道教の両家と相互に応用し合い、それぞれの段階においても互いに融合していくことができるのです。
互いに尊重し合い、成就し合う中で、いかに自己の心の在り方を徹底的に理解し、「自己の主人となる」こと、すなわち「自己の奴隷とならない」ことを実現するか。そのためには、儒教・道教・仏教の三教の教義が互いに補完し合い、中華の子孫にとって確かな教化の機能と縁起を有するものであることを認識することが、正しい道である。
儒家思想：二千余年の時を経て、世の中の中心思想として存在するのは正しいことですが、現代においては次第に衰退しつつあります。これは全体の本質が変わったからではなく、科学技術文明が明らかにする思考観念によるものです。儒家の惻隠の思想に対しては、新たな再創造の因縁の根本があるのです。
ヤハウェの博愛の純粋さ
まさに博愛を基礎とし、儒家思想とも相補い合うものである。もし「キリスト教」の博愛の姿勢を以て、現代におけるキリスト教（家）の博愛、さらに言えば儒・道・仏の三家に対し、実際に慈悲・博愛・惻隠・無為をもって、この世に生きる縁起の理を下ろして教化するならば。
もしも確固たる実践が人類世界に示現されるならば、その恩恵を受ける者は限りなく利益を得、空疎な生存の難関を乗り越えることができます。このような「耶」家の博愛はまさに、儒・道・仏の三教が補いきれなかった部分を埋めることができ、むしろそれを凌駕するものがあります。これこそが異なる宗教の優れた特質なのです。
現代において最も広く伝播している宗教は、キリスト教の博愛であり、すべての人々を救済し教化するその働きは、まさに世界中のあらゆる国々に遠く及ばないところなく広がっています。また、博愛は過去と現在を問わず広大な福音をもたらすものであり、さらにメディアを通じて伝播されることで、人々の心により深く根を下ろしています。
帰りて真実の清浄なる所に至り、純一を為す
イスラム教の教義は、清浄さに対して体系的な教化を行うものであり、また清浄さが水晶のように透き通り、一点の瑕もないことから、真実の実践が日常生活の中に完全に現れます。さらに、清浄さが心を浄化し、真実に寄り所を与えるため、純粋な動作によって、必ず信仰と崇拝の動作と相互に融合することができるのです。
また、アッラーなる真の主を崇拝し信仰することは、日々、時々刻々の非常に敬虔で忠実な信仰によって成り立ち、毎日五回東方に向かって礼拝することができます。これは現代の宗教的信仰において模範とすることができ、異なる宗教が示す真の感動もあり、またすべての宗教が及ばないところでもあります。
儒教、道教、仏教、キリスト教の思想は、心の働きを補完することができ、また「回」教の教義に対して、清浄な体系の下で教化することもできる。まさに万法は唯心によって造られるということであり、実相世界において促進されるのである。もしこの清浄さから離れてしまえば、何の役に立つだろうか？まさに「契転作用」によって、すべてが如実の性質を持つことになるのである。
純一なる契機は転じ、転化する
それでは、どのようにして契（かなう）のか、またどのようにして転（かわる）のか。「契」とは相投じ合うことであり、契はまた相合して融け込む。それゆえ、契によって依りどころとし、ただ契に留まって転じないのは、まさに改造の因縁の根本が欠けているのである。必ずや「どこで転ずるのか」を知る必要がある。このような転はまた『純一』において、両儀・陰陽・乾坤に対して、四相の分かれ差をなすところにある。
人間は往々にして「転」じることができず、ただ契（ちぎり）の中に融け込むことしか知らない。なぜなら「契は投合なり」であるからだ。契の中で既に投合しているなら、どうして転ずることができようか。まさに最大の功力が発揮される作用であり、「契転」とは「純一」の中において、転化の因縁の根本となることを知る必要がある。これこそが真実の姿なのである！
「転」には確固たる動作が必要であり、これが正しい方法であるためには、「化」の作用に入らなければなりません。また、「転化」と「契転」は同じではありません。契転とは融合し、互いに調和し合いながら下化することです。一方、転化とは融合と相互調和をさらに下化に帰結させることであり、下化は人類にとって最も是非の防ぎにくい動作です。
転化して下り、化導の業をなす
真実の修行を実践する修行者から見れば、この最後の関門こそが純一への回帰であり、この純一への契合と転換は、純一が完全に融合できるかどうか、転化の主要な資糧源となり得るかどうかを決定する。転化はまず万象からの回帰を経た後、乾坤が初めて定まり、陰陽両儀が作用する境地に入ってこそ、純一への回帰と融合を成し遂げることができるのである。
融合した後、もし単に「契転」だけで「転化」がなければ、まさに契転に制約され、四方に展開することができず、また契転の中に留まるだけでは、転化も難しくなります。もし「転化」と「契転」が互いに融合し、互いに隔てることができれば、それは契転が本来持つべき機能を転化させることになり、そうして初めて絶えることなく生まれ続けることができるのです。
これもまた有情衆生が、回帰の過程において最も障害を受けやすい主な原因である。このように「契転と転化」を適切に応用できてこそ、主要な因縁の根本と調和し相応することができるのである。必ずや「契転と転化」また「契転と転化」が必要であり、それをいかに応用するかは、まことに如実なるものである。
六合を統べ純一となり　　互いに契り転じて宜しきを得る
転化して四方を拓くこととなす　　
彌（いよいよ）に入りて相合うは即ち正理なり
有情の衆生は去ってまた帰る　　四方八方追い難し
化転して再び転じて契入す　　純一こそ正に無極の基なり
この偈は、有情の衆生に示現するものであり、「契転と転化」の両者は融合して契入することができる。いかにして四方八方を教化するか？純粋なる真実を必ず理解しなければならない。もしただ一生涯の修行に留まるならば、なおこの段階の境地には不足がある。いかにして太極から純一に回帰し、さらに無極に入るか、これこそが自らに真の功徳をもたらすのである。
第二十二回　伝承継続
##南天正倫天尊
2002年10月4日　壬午年八月二十八日（金）
南天より旨を頒ち書を著すに依る　　大道の真理を弘揚する期
天尊は台に登り賢者を集め　　末尾に述べて扶持をなす
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の衆霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南無地蔵王菩薩が降臨され、『大道一貫・第六回 純一契転』を著作され、詳細かつ実践的に分析されました。過去の全ての経典が貫通しきれなかった真実の意義に対して、「化転と転契」の中で、いかにして純一に回帰するかを明らかにされます。
純一は五つの教えが共に帰納する因縁の根本であり、もし純一の動作に回帰しようとするならば、必ず「化転と転契」の両者が相互に補助し合わなければならない。そうでなければ、どうして「契転と転化」を融合させ下化することができようか。これこそまさに有情衆生がことごとく通徹することができない因源の根本なのである。
「契転と転化」から再び「化転と転契」へと回帰する。世間の無明に対して、契転と転化、化転と転契を通じて徹底的に理解するには、いかに区別すべきか？必ず詳細かつ徹底的に通達すべきである。おお！汝らの智慧は向上した。さもなければ『契転と転化』を理解し得るか？必ずしもそうとは限らない！未来において再び開示しよう。
問う：いかにして契転と転化を実現するのか？
答：契転はまさに陰陽が合抱する前の段階であるが、この合抱が果たして純一そのものと言えるか？その通りである！純一は契転によって引き出された後、さらに転化の中に入り、そして転化は四相八方へと分化していくのである。
化転と転契はまた二つの異なる動作であり、化転とは四相八方をさらに原始回帰へと融合させることです。しかし、その転はどのように回帰するのでしょうか？まさに六合の中に弥倫し、まず化転を行い、その後転契に入り、さらに純一の中に入ってこそ、無極に回復することができます。名詞は順序が入れ替わっていますが、動作は異なっています。
もしこれを理解することができず、また修行者自身においても徹底的に通じることが難しく、ただ陰陽が互いに抱き合うだけに留まり、その中にさらに多くの動作があることを通じることもできないならば、太極から無極へと回帰することができる。この契りが転じて転化する一方は下へと化し、化が転じて転契する一方は回帰する。これにより四つの異なる動作が生じるのである。
契転、転化：これが下化の動作である
化転、転契：これが回帰の動作である
聡明なる者よ！聡明なる者よ！あなた方は少し指摘すればすぐに理解するが、実際に応用できるようになるには、理解できることでも自ら体得しなければ真実の向上は叶わない。有情衆生はまさにこのような因縁による明晰さを欠いているため、多くの真の修行者は一定期間後に必ず壁にぶつかり、果たして真の修行を理解できているのかと自問するのである。
転化とは、下化の動作であり、「契転は転化に比べる」とは、さらに先立つ動作を指す。化転とは、第一の動作に回帰することで、「転契は化転に比べる」とは、さらに深い次元の動作を意味する。その最大の障壁は、まさに有情衆生が最も容易に下化を無限に継承し、人間世界で展開されるすべてがこのようであることだ。
しかし、それは生存の過程に留まるのみであり、なぜなら満腹を得るための動作が必要で、根本的に如何に回帰すべきかを知らないからです！もし回帰すべき正しい方法を通徹できなければ、おそらく永遠に五濁悪世に沈淪し、いかなる宗教を修めようと区別なく、超越への回帰も難しくなるでしょう。この点はよく理解すべきです！
無極が太極を生じ、太極が両儀を生ずる作用
無極○－円で零（霊）を表す山－先天－まだ分かれていない。○は純一を表し、すなわち五教が共に従うところである：
仏は言われた：万法はただ一である。儒は言う：静心はただ一である。道は言う：自然はただ一である。回は言う：清真はただ一である。耶は言う：博愛はただ一である。皆、純一にしてただ一が根本である。
太極は両儀に分かれ、陰陽を分かち、後天において有情を下化す。
◎ 下化動作：無極 ○ 純一→太極両儀－陰陽抱擁（潤合体）→契転（潤合離脱）→転化（離合体）→下化有情四方→
◎ 回帰動作：無極 ○ 純一←太極両儀－陰陽合抱（潤合体）←転契（潤合重回）←化転（離合体）←下化して四方を聚集す←
契→潤合体　転→離合体　化→行動体の全ての観念、この三者はすなわち　離合契（クラッチ）が作用するものであり、離合契（クラッチ）とは：上天が早くに下して人間界を化し、もって発明の観念をなすためのものである。
契合離（器合離）：すなわち、すべての運転における起動と休止のことである。これはまさに、すでに現代の車両や運転の概念において必要不可欠なものとして用いられており、これは人間の「物理工学」の観念である。このような考え方は百有余年前からすでにこの世に実践されており、すべてこれによって後の科学技術文明が継承されてきたのである。
第二十三回　条綱十一
##南無大智文殊菩薩
2002年10月11日　壬午年九月六日（金）
南無と唱える衆生は如来に等しく
普賢の仏道は両者相並んで進む
菩薩降り来たりて一貫に著く　　契り転じて契り転じ理に応ずるべし
純一なる契機が転じて作用する
純一が契転に入るとは、まさに陰陽の両者が和合することによって、純一の動作が生じることを指す。また契転によって、陰陽両儀はいかに転契すべきか？必ずや切実で確かな動作を持つことで初めて、「陰陽・両儀」を契転の中に融け込ませ、人世界のあらゆる陰陽・乾坤の相循動作へと結びつけることができるのである。
有情の宗教を訪ね求める者は、いずれの宗教に入ろうとも、回帰の実践には確固たる行動が必要です。四方を経た後、いかにして両儀に回帰し、さらに両儀から純一へと回帰するか——これこそがすべての宗教の究極の目的であり、まさに「純一」を目指すものなのです。
純一なる動作は他の宗教において言えば：無極より太極を生じ、太極より両儀を生ずとは言わないが、関連する動作はすべて同じである。ゆえに、両儀から純一なる動作の中へ回帰するには、必ずや再び純一へと回帰できなければならない。また、純一こそはまさに「契転、転契、転化、化転」という四つの動作を含んでいるのである。
純一契転に必要なもの
まさに無極から太極に入る段階であり、この間に、なお一つ相当に重要な分界点がある。もし宗教の視点から見れば、純一は「契転」の相互動作を含み包むことによって初めて、「契転」に対して千真万確の動能を持つことができる。両儀、陰陽、乾坤に対して、四方、八卦へと展開する条件をそれぞれに備えているのである。
契りの転換動作を如何にして、必要に応じて如実に達成することができるか？それは無極が太極の中途駅に降り立ち、純一をもって回帰と下化の動作を行うことである。しかし、すべての宗教においては、まさにこのような条件が欠けているため、「純一」の動作を回復することは困難であり、またどの宗教もこれについて言及することはできないのである。
また、古代から現代に至るまで、すべての経典は千年百年の歳月の移り変わりを経ており、すでに原始経典としての主体性を保つことが難しいものもあり、また数多くの改訂と修正を重ねてきたため、本来の姿を人々の前に示すことはできません。無極が太極を生み、太極が両儀を生み出し、それがこの世に広まっていったのです。
両儀は四相を生じ、純一を欠くこの動作。すべての宗教は純一への回帰を説くが、また各宗教の説くところは皆異なる。「一」においては同じ回帰であるが、唯一、帰一、清一、無一、真一というように、すべて「一」によって主導されている。また各宗教が説く「一」は同じであるが、その本質は実は異なっている。
無極が太極を生じる作用
また、原始の因質がすべて同じであり、相互融和性もあることから、まさに大道の根幹を基盤として回帰と下化の動作を主導するため、大道を主体とすることになる。宗教の経典が述べる内容はすべて同じであるが、各宗教にはそれぞれの特質と長所がある。さらに、大道が主体となる動能は互いに相容れ、相互に循り合い、相互に補い合って円満を成すのである。
宗教がそれぞれ「一」を説くのは、実は大道から見れば、名称は異なれど、各宗教の本質は本来同じものである。名こそ違えど、その本質と根源は一つであり、また大道が展開したすべての有情衆生、そしてあらゆる宗教は、人類衆生が宗教に入り修行することを可能にするという点において、皆同じなのです。
しかしながら、それぞれの地域の関係性に基づいて形成された儒教、道教、仏教、キリスト教、イスラム教、そして現代世界のあらゆる新興宗教（流脈）は、いずれも天地に内在する宗教的思惟の枠組みから外れることなく、有情の衆生を導いて「自心と霊性」の向上へと向かわせるものと言えるでしょう。
異なる宗教の純粋性はすべて同じである
有情なる衆生は、世界のあらゆる隅々とそれぞれの国々において、宗教的修行による向上から離れることはありません。有情なる衆生が宗教に入れば、必ず自分は修行していると考え、宗教が定めた規則や戒律を実践し、それをもって自らを「修行者である」と称するのです。
一般の世俗の有情衆生に比べれば、非常に親しみやすく修行の態度があり、人類の衆生に対しても、真に宗教に入って観ることがない場合には、異なる感応と憧れを持つことになります。宗教に対する信仰と修行は、人類世界に対して真に確かな教化と教育の方法をもたらすものです。
契転のなすところは如何なることぞ
無極下化とは、陰陽両儀以前の始原を包含するものであり、無極が下化するとは純一なる契転を指す。なぜなら契転は無極「○」を経た後に、さらに「○」の純一に分化し、その純一から太極が分かれて生じ、真の両儀が合抱する純一が現れるからである。これこそがすべての宗教の迷いの障壁となっている点である。
両儀が抱き合う最初の状態は純一であり、また純一はまだ何の動きもない最初の段階、すなわち純一がまだ起動していない状態である。このような純一は無極から下化されるが、両儀がまだ分かれる前の段階において、純一に対して契転の動きが必要であり、それによって両儀を分離させることができる。これこそが、人間世界における「契合離」である。
未来の物理工学を形成する「クラッチ（契約）」、両儀がまだ分かれていない状態を無極と言うのではないか？そうではない！無極はまさに○である：円をもって零（霊）を表し、この零こそがすべての総開頭である。○（円）と零の作用を太極において明確に区別する必要があり、この陰陽が抱き合う最初の状態こそが、両儀の原始なのである。
太極の初め、この両儀がまだ分かれる前は、まさに純一であり、またこの純一は必ず下化するか、あるいは無極に回帰しなければならない－それは○零（霊）である。もし回帰できないならば、まさに両儀に下化するのである【　】。そしてこの両儀が分かれようとする前、つまり必ず分かれなければ、はじめて契機が転じて行動を起こすのである。
両儀が分かれた後はどうなるのでしょう
両儀が分かれることによって、はじめて確かな動能が生まれ、それが可能となる。ゆえに両儀が分かれた後、再び元に戻そうとするならば、必ず「転契」ができなければ到達できない。この転契とは回帰の動作であり、またまず両儀が存在した後に、新たに両儀が合抱する状態へと復合する必要がある。
転契とは契転とは異なり、二つの異なる作用と機能に対してこそ、回帰と下化の動作の中で、一切を展開しまた一切を回復するのである。有情天地のあらゆる宗教の経典も、十分に明確に引用することはできず、有情衆生は往々にして十分に細かく区別することができないのである。
このような状況はまた、どのような原因によって引き起こされるのでしょうか。それぞれの宗教が引用している内容について、その内側にある優れた真髄を根本的に理解できず、このような条件を分析することも困難であるため、しばしば自らが両儀の状態に戻ることを妨げ、転契を経て再び「純一」の段階に入ることが難しくなります。往々にして制限を受けるのも、ここにあるのです。
転じて回帰するが如き真実の性に契う
回帰には必ず動作が必要であり、もし転契によって達成できない場合は、まず化転が必要です。「化転と転契」は二つの連続した動作であり、これによって有情衆生は如何に成就すべきかを了知することができます。「放てば六合に満ち、巻けば密に退蔵す」というのは、まさに一貫して体得し了知すべきことなのです。
もし向上超越がなければ、「化転」に回帰することはおそらくかなり難しいでしょう。どのようにして化転を通じて宗教的修行を主な依り所とし、転契の中に入ることができるのか。また、「転契が両儀を把る」ことによって再び合抱した後、純一に戻ることは無極への回帰であり、まさに大道の始まりなのです。
この種の回帰条件は、数多くの実践を積むことで初めて到達できるものです。もしも衆生が修持（羞恥心）を通じて回帰へと導かれなければ、残念ながら理想的な効果を得るのは難しいでしょう。ただ輪廻の中を転がり続けるだけで、転化の過程で再び回帰の境地に入ることは困難となるのです。
逆に、両儀から四方と八卦へと展開することは、比較的容易である。なぜ現代の真の修行者がしばしば行き詰まりに遭遇するのか、その理由もここにある。もし乾坤、陰陽、両儀の働きを明確に区別することができなければ、根本的に三界の輪廻から離脱することはできない。
人類はなぜ堕落するのか
まさに永遠に三界の中に存在し、互いに輪廻を繰り返している。これは有情の宗教では到達し得ない体証と理解である。必ずしっかりと把握しなければならない：無極→太極→両儀→四方→八方→有情衆生、いかに回帰すべきかを深く考えるべきであり、すなわち有情衆生→八方→四方→両儀→太極→無極へと至る道である。
これこそが大道の根源であり、この根源は一つ一つの行動の中に存在する。どうすれば一歩一歩着実に達成できるのか？真に通達し明瞭であることが必要である。そうしてこそ、数十年にわたる信仰と修行の中で、かえって回帰への道に入る縁を得ることさえできず、永遠に有情の人間世界に停滞してしまうことがないのだ。
皆さんにお尋ねしますが、非常に悲しいと感じることはありませんか？よく考えればわかることです！すべてのことは、一歩一歩成長し向上させなければならず、順序を踏んで初めて達成できるものです。千里の道を歩んでも、最後の一歩が足りなければ、未来への回帰と超越を成し遂げることは難しいのです。まさに：
千里百里の道を行き来すれど　　真の道はただ一度のみ
もし還郷の道を悟り得れば
人間の修持は輪廻を造る
無数の因縁はもとより真実の如く
一貫して演繹されることもまたかくの如し
故郷に帰るには真如の心を知らねばならぬ
回帰するにはこの理を究めなければならぬ
この偈は、有情の衆生と共に励まし合うものである。回帰と下化の二つの道を確かに理解することが、有情の衆生にとって最も困難な回帰の道程を正しく知るための因縁条件となるのである。
第二十四回　原則十二
##南天仙道天尊
2002年10月15日　壬午年九月十日（火）
崇心道脈は弘程を展べる　　必ずや実性の如きを検討すべし
○Ｘ是非能く改正す　　正邪対錯明らかに分かる
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南無普賢菩薩が降臨され、『大道一貫・第七回 契転転契』を著作される因縁により、一切の根本を詳細に解き明かし、徹見されました。しかし、有情衆生が真実の修持の過程を理解できるかどうか、あまりにも難しいことです！
各段階において、いかにして真実のままに実践し、その原動力に対して確固たる確信を持って目標に到達するかが、正しく向上し超越するための道である。なぜなら『大道一貫』の天書は、これまで上蒼が下ろすことのできなかった数多くの因縁と資糧を、必ずや崇心において著作するからである。
これは本宗脈の全ての学生が、第一手の資料から得られることである。もし心を込めて理解することができなければ、まさに自分が宝山に入りながら、宝蔵を得て帰ることが難しいようなものだ。仙仏が慈悲を垂れずにいるなどと言えるだろうか？それはまさに自分自身が努力しないことによるものであり、必ずや自分に欠けているところと不足しているところに対して、ありのままに改めていく必要がある。
本宗脈は近月中に、各動作を再検討し改善を加え、大道弘揚にふさわしい確かな動きとなるよう努めます。諸賢生もまた、自らの不足や欠点を改めることにより、教化・教育の要となる宗脈に相応しく、自らを高める因縁の基盤とすべきです。
第二十五回　理諦十三
##南無大悲観世音菩薩
2002年10月18日　壬午年九月十三日（金曜日）
大いに弘法を広め教化を行う
勢至菩薩が人間に蓮華を浮かべる
至徳は本来即ち私無し　　菩薩は転化し化を転じて駕す
化転と転化、契転と転契
無極は太極を生じ、太極は両儀を生ず。一切の有情衆生を観るに、まさに下化と回帰という二つの道の作用である。一般の者はただ下化のみを知るだけで、また回帰を通徹することは難しい。故に、各々の環節において、中継站を設けて潤合させなければ、各環節における下化と回帰の功用を成し遂げることはできない。
これは大道有情の衆生にとって、いずれも体証し理解することが難しいことです。なぜなら、下化は一貫して伝承されてきたものであるのに対し、回帰は理解することができず、それぞれの下化の動作において、いかにして自らを真の回帰の転換点へと向かわせるかが問われるからです。このような転換点は、有情の衆生にとっては下化のみを知り、回帰の動作を理解することは難しいのです。
必要とされるのは「契機を転換させ、転化させる」、あるいは「転化させ、契機を転換させる」という条件であり、これはあらゆる事柄に内在する作用である。しかし人間世界では、このような心構えや観念を持つことができず、すでに一つ一つの動作の中に下ろされていると考えがちで、ただひたすら前進するのみとなってしまう。
自然界における生存はまたいかがなものか
ただひたすら前進することしか知らず、自らを振り返って「心性と霊性」を顕現させることなどまったく考えない。それゆえ、人類世界は自らの「心性・霊性」が本来求める真の回復を成し遂げられず、まさに人類世界のあらゆる教化と伝承によって阻まれているのである。
さらに、先人から受け継がれてきた教化においても、このようにあるべきだと考えられてきたため、「心性と霊性」を内省することができず、人間としての学習過程を捉え、自らの経験を積み重ねて統合することが、それぞれの段階において、自らを変容させられない限界を生み出しているのです。
自らの変化と転換の作用は、逆に一つの勇往邁進となり、目標に向かって前進する中で、望む動作と効果を達成する。さらに勇往邁進するには、あらゆる過程において茨の道を切り開く動作を経るだけでなく、この世で全ての苦難と苦痛を味わわなければならない。
振り返って自分を見つめて初めて過ちに気づく
自らの一挙一動の過程において、歩みを整えるよう心がけなさい。しかし、知らねばならないのは、有情の衆生は無明に阻まれているため、そもそもどの段階において、自らが歩んできた道をいかに振り返るべきかを悟ることができず、必ず立ち返って自らの不足や欠点、過ちを顧みて修正しなければならないということです。
まさに過去の行いを点検し、いかに改善すべきかを考えるべきです。このような条件を満たすことができれば、世の中の多くの困難を減らすことができます。さらに、反対の角度から観察し、自分のすべての行動について反省しているかどうかを考えなければなりません。もし改善できるならば、「転化と化転」という二つの作用に対して、どのように実践すべきでしょうか？
人類世界のすべての動作は、必ず再び転化の条件に入る必要がある。これは、無極が太極に下化し、太極が両儀を生み、両儀がさらに四象を生んだ後、それぞれの過程において必ず転化を下化させなければならず、また転化の動作が実際に伴わなければ、欠如となり、必ず各段階で停滞を生じることになるからである。
阻害や停滞を招くことになります。したがって、すべての動作を転化することは、まさに絶え間なく生まれ変わる営みなのです。また、それぞれの段階の動作は、すべて転化を受けて目標と作用を達成します。このような過程こそ、人間世界のあらゆる動作と段階が必ず潤滑な調和体を備えていて初めて到達できるものなのです。
契転と純一の相互性
契転正は純一の後に、再び両儀の中に下化するものであり、契転においては下化であり、四方八面に対しては下方への伝承である。また、「契転」が下化した後、再び「転契」の中に回帰し、さらに「純一」の動作に入ることができるかどうかについて、人間世界はまさにこれによってすべての行動と作用を知るのである。
人間界においては、一部の人々が転化の過程で何らかの悟りを得るに過ぎず、全ての有情衆生は「転化」を完全に理解し通徹することは困難である。まさに「転化」によって制限を受け、その本質を体証し理解することができず、さらに人間界においては単に行動を起こして目標に到達するに過ぎないのである。
すべての人々に対して観察する際には、もし転化の過程において相当の理解を持つことができなければ、まさに細やかに体得することができないのである。人類世界において本来備わるべき弁別力は、すでにすべての動作が人間の知識と知恵によって阻害されているため、より大きな突破と衝撃を得ることができないのである。
人類世界はまさにこのような条件に制限され、また自らを内省し難い限界に閉じ込めてしまっている。すべての不足、欠陥、誤りを改め直し、真に人類世界の学習と成長を超越的に向上させるためには、無明と無知の過程を通じて、自らに永遠の未来を切り開くことが求められる。
化転と転化が来て下化する
化転とは転化の動作によって、再び回帰の因縁体となることである。人間界にはただ通徹できる者があるのみで、なぜ生存のために「転化」の条件を繰り返すのか、根本的に「化転」が回帰する主導が「逆増上縁」の原動力であることを知ることができず、また再三再四、五濁悪世に輪廻を繰り返すべきではない。
必ず通徹する必要があり、「化転」がどのように転化によって達成されるべきかについてです。また、「化転と転化」はまさに二つの異なる因縁体の作用であり、有情衆生は皆、自らの性質を転化して別のものとしていますが、化転の真実性に回帰することはできません。これはまた、すべての宗教の経典と論蔵が言及していないことでもあります！
このような動作を明確に理解する必要があります。まさに人類の衆生はこの世界において、あらゆる国や異なる地域に存在するすべての生きとし生けるものがそうであるように、「化転と転化」によって有情衆生と密接に関わり合い、いかなる動作によっても背かれることはありません。むしろ、あらゆる動作の中で、化転の影響を受けながら互いに作用し合っているのです。
主体聖務所のなされる御業
そもそも、変化と転換の中でどのようにして自らの清らかな霊性を回復すべきかを知ることはできず、それはすべて人類がこのような条件に繰り返し沈み、それに左右されることによるものであり、必ずや有情衆生が自らの原始の初地に戻ることを困難にし、またすべての教化の中で明確に理解できない行動こそが、輪廻が主導する障害点なのです。
崇心の主体聖務とは、一貫天道に対する「普渡収円」を成し遂げた後、上蒼は崇心道場が更なる回帰と円満を高め、未来の弥勒浄土回帰の動きを超越することを望んでおられます。しかも既に崇心の下化によって六年の歳月が経過し、あらゆる宗教の回帰の動きにおいても、体系的に分析することはできませんでした。
今や『大道一貫』を回帰させて詳細に分析し、同時に天書の中にもそれぞれ詳述しました。諸賢生がこのような殊勝な因縁を体得できるかどうか、また無極「○」に対して必ず「純一」を以てした後、「契転」と「転化」によって一貫した下化を達成できるか、まさにこれを人世間に下化するのである。
宗教経典と因縁の体
如何にして全ての因縁の体を、人類世界の生存に対して、再び自己の心霊の原始の初地に回帰させるか。常に宗教経典によって、真の因縁を体得することは難しく、宗教経典は度重なる改訂を経た後、根本的に更に大きな原始の因縁を持つことはできず、ただ障礙を受けて学習の資糧とするに過ぎない。
おそらく多くの誤りがあるでしょう。今、崇心において著作された「大道系列天書」は非常に稀有な因縁であり、すべて聖神仙仏菩薩の自らの経験に基づき、自らの心血の結晶を解き明かして下界に伝え、第一級の資源をもって明らかにしたものです。これはまさに皆さんに与えられた因縁と福分であり、大切にできるでしょうか。
今この瞬間に理解できること、もし大切にできなければどうしようもない！人間の世界では、根本的に自分自身の障害と妨げを受けるものであり、自分を苦しみと困難の中に過去に置き去りにして、本来の運命はこのようなものだと！しかし、今この時代においては、過去の不足や欠陥、過ちを変えることができ、必ず上へと成長し超越していかなければならない！
純一が下って両儀を化す　　その中に契機の転移あり
転化の後は即ち世に入る　　人間の因縁互いに契う
すべての回復は本心の霊性にあり
因縁を化転して契機を転ずる
再び純一に帰して太盈に入る　　無極根本造化の情
この偈を！有情の衆生と共に研鑽すれば、世の中のすべての動作が、この種の局限から離れられないことを細やかに体得できるであろう。諸賢生は体証し大切にすることができようか？切に願う、切に願う！崇心六周年堂慶が間近に迫り、我々もお邪魔して、崇心宗脈のすべての良き善きものと共にこの佳き良き日を祝賀したい。
第二十六回　作用十四
##南天斉揚天尊
2002年10月25日　壬午年九月二十日（金）
南天より弘揚の旨を頒示す　　正倫人間に偏私無し
天尊は共に崇心堂を助け給い
教化の因縁、徳は世に遍く満つ
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は、南無大勢至菩薩が降臨され、著作『大道一貫・第八回 化転転化』を通じて解説されます。これは、崇心の学生がすべての事象が「転化と化転」という二つの因縁作用の中にあり、いかに成長し向上していくかを深く理解できるようになるためです。
自らの無明と障礙を体得すれば、まさにその瞬間に、より超越した因縁の体へと自らを進ませる縁となる。もしこれを徹見することができれば、無明の障礙に囚われることなく、ありのままに向上を遂げることができる。しかし、障礙を受けながらも徹見する縁に恵まれぬとき、これこそが有情の衆生にとって最も体証し難き行いとなる。
第二十七回　真実の十五
##南無阿難陀菩薩
2002年10月29日　壬午年九月二十四日（火）
南無衆生喜如来　　大智は智慧を開き現す
文殊菩薩が堂に降臨され　　契機を転じて世間に作用を排す
契転は生存と関わりがある
人道生存のこの関門には「化転と転化」があり、契転と転契の過程においては、必ずや契転と転契を明らかにする必要があります。また、「転」と「契」の両者の相互作用において、「契」は即ち合であり「転」は即ち離であり、さらに「化」もまた「転」の作用です。「体相」と「用相」の両者の差異についても区別されます。
生存によって「転契作用潤合体」を判別することは、大寰天地のすべての衆生にとって、「契と転」の両者から離れることはできず、さらに「化」の行動体に入ることで、まさに大寰天地のすべての「潤合の動作」と「離合の動作」が、互いに融合し合うことができるようになるのである。
契転と転契、化転と転化には、それぞれ「体と用」という二つの側面があり、その違いはここにあります。また、「体」の働きにおいては、主体となる因縁は動かず、体を主とすることができます。この「体」によって自らを明らかにし、体の働きを通じて、あらゆる事柄を識別することができるのです。これには必ず「個体」が必要です。
体の作用の過程
したがって、主体を依り所とし導きとすることが大切です。もし「体の用」が欠けていて、「用の用」だけに頼っていると、成長は難しいのです。体の本質を明確に理解し、主観的な意識を根拠とすることが必要です。なぜなら「体」は実相の世界であり、衆生の目に示されるものだからです。もし体が活用できなければ、修行は「体」からの恩恵を受けられないことになります。
「体」の観察に入ると、有情衆生を向上させ利益を与えることは難しくなります。「体」の本来を明確にすべきであり、「体」の認識過程を通じて、すべての生存の方向性を統合することは容易であるはずです。なぜなら「体」は有情衆生にとって形と相を有し、また「体」は実相世界において完全に備わっているからです。
人間世界はまたどのような用途があるのでしょうか？さらに答えて：体は「人間の身体」と「生存の実体」を含んでおり、まさに実相世界です。体の作用を明確に理解し、実相世界が示す主体の因縁を、人間社会において統合する過程が必要です。このような過程は有情衆生にとって最も有益であり、また実相世界で生きることとも呼ばれます。
「用」の用いる過程
したがって、体の作用は、その「実相」を識別することを根拠とします。なぜなら、体があって初めて用があるからです。そしてこの用の用は、人類世界が包含するすべての生存志向によって判断されます。それによって自らがより豊かな資源を得ることが可能となり、ひいては「用の用」の途上において、人類の生存志向の経験を通じて実現される可能性が生まれるのです。
生活に必要な条件を潤滑油として活用し、生存の選択を行うことは、まさに「用の用」を通じて生存の方向性を定めることであり、すべての依存条件を満たして初めて達成できる。また、「用の用」は生存経験を通じて、自らが無限の恩恵を受けられるよう導き、同時にすべての有情衆生も無限の恩恵を受けられるようにするのである。
もしこの作用が活用できなければ、利益を得ることもできません。人類世界のあらゆる生存の実相は、自らがこの世において体証し活用できるようになってこそ、はじめて自分自身に利益をもたらすのです。そうでなければ、ただ体証するだけで活用することができず、みなさんにお尋ねしますが、この世において経験を積み重ねることができるでしょうか？利益を得ることができるでしょうか？非常に難しいことです！
転契と転契の体用
まさに「体」と「用」の一対であり、人間世界は転契の作用から離れることはできない。一般的な有情の修行者は「体」と「用」の両者を理解できるに過ぎず、「契転と転契、化転と転化」という四者が、生存の方向性において真に体証されるべき根拠となる境地には、到底至ることができないのである。
生存志向が自らの行動に利益をもたらすことにおいて、自分自身に利益をもたらす道を求めること、つまり自分自身がまず利益を得ることが真実の性質である。これは上求自利してこそ下化利他ができるのであり、もし有情衆生が生存に対して、修持であれ宗教への信仰であれ、まさにすべての生命潤いの接点となるのである。
すべては体と用の両者から離れることはできず、この体と用は『転契、転化、化転、契転』という四つの動作に対して、相循する必然性を持っています。まさに有情の衆生はこのような観念を欠いているため、人間世界において自らがしばしば多くの困難や誤り、挫折に遭遇することになるのです。
また、「体」と「用」の両者は、まさに自らに利益をもたらすものであり、自らが実際に体験することで、あらゆる生存の方向性を日常生活の中で融合させ、自らの生活に取り入れることが正しいのです。さらに、日常生活を体得することは、まさに応用の範囲内で主導権を握ることを悟ることができるからです。
契転と転契　化転と転化
これは四つの動作の結合点であり、同時に有情衆生にとって、契転は非常に理解しにくいものです。なぜ自己の生存と正しく、さらには関連して契合するのかといえば、『契：潤合体、転：離合体、化：行動体』であり、潤合があるからこそ離合が可能となるのです。
潤合と離合が同時に進行できないならば、行動体は生存の方向性をいずれも欠くことになり、さらに経験を積み重ね、実証する過程を持つことができません。すなわち、「潤合と離合」があるからこそ、変化の行動作用が生じ、無極から太極を生み出す両儀において、潤合が行われるのです。
無極は本来○である：この無極がもし下界を教化しようとするならば、必ず潤合を経て両儀を成す必要がある。この種の両儀は果たして純一のみであろうか、なぜならまだ分離していないからである。もし分離したならば、さらに離合が生じた後、初めて四方八方が生じる。まさに潤合と離合のうちにこそ、人類衆生の「体と用」が分かれる所以があるのだ！
すべては純一の段階を経る必要があり、それによって潤合と離合によって生じる隙間を調整することができる。現代の生存器具とその作用もまた、「潤合体と離合体」から離れることはできず、まさに人類世界のあらゆる動作がこのようである。純一の早い段階において、すでに両儀と有情衆生を示現していたのである。
転じて作用に契い、如実の功用と為す。
契転と化転、転化が融合する、いかに回帰すべきか？またいかに下化すべきか？まさに四つの動作が針と糸を通すように、大寰世界の人類に自らの潤合と離合の動作を持たせるのである。もし自分を無明の未来へと歩ませるならば、自らが「潤合と離合」の中で分別できるかどうか？
潤合と離合の作用によって、生存への志向が生じます：喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、衣・食・住・行はすべてここから創発し達成されます。なぜ有情の衆生はこの過程を貫徹できないのでしょうか？「契転と転契」を区別することができず、「化転と転化」によって理解することができるのです。
人間世界はすべてが渾然一体となっているため、実際にこのような制限を突破することはできず、ただ「自己の奴隷」となるだけで、根本的に「自己の主人」として向上することはできません。これはまさに有情衆生が理解できない障害であり、また自らの選択によって決まるものなのです。
崇高なる心の殊勝なる因縁
まさに「回帰、円満、乗越」という回帰の働きであり、もしこれを真実のままに実践できなければ、諸賢者よ、回帰について概念を持つことができるでしょうか？否です！ただ自らの因果業障に従い、次なる反復輪廻を繰り返すのみです！これは自らにとって非常に残酷なことではないでしょうか？
このような先入観を経て、さらにこの概念を日常生活に真に実践できれば、将来、回帰し、乗り越え、円満を達成できないことがあろうか。そうでなければ、ただ空論を弄するだけで、日常生活や信仰と修行の調整にどう実践できるかも分からず、それは正しい方向に向かわないのではないか。
ただ過去の誤りに左右されるだけで、自分自身に対して正しい方法を持つことが難しく、真の「体」を証得することも、自分自身の利益のための「用」を実現することもできません。したがって、「体」と「用」の両者は、有情の衆生が完全に理解することができず、多くのどうしようもない迷いの障壁を生み出してしまうのです。
転契作用は明晰にすべし　　四つの動作は皆適宜ならん
契は転じて契となり両方に分別し
化は転じて化となること正に稀なり
体の認識が来て知る　　用いて自ら能く理を明らかにす
体と用が相まって自らを利し
証悟して潤いを離れ玄機を識る
この偈を！有情の衆生と共に励まし合いましょう。『大道一貫』に対して真の体証と応用ができ、自らが徹見し弁別できることは、自己を利し衆生を利することであり、こそが大いなる智慧の者であります。今日、師として幸いにも著作シリーズ叢書に参加でき、真心より感銘と喜びを覚えます。まさに大道の弘揚に真の棟梁の才あることを示しています。ではまたお会いしましょう！
第二十八回　道徳十六
##無極仙童　中壇元帥
2002年10月31日　壬午年九月二十六日（木）
南天の御教えは誠に特別なり　　仙道は私無くして本来自ずから足る
天尊は共に崇心堂を助け給う　　大道一貫を弘揚する主
諸聖仏と諸賢生、そして無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南無大智文殊菩薩が降筆された『大道一貫・第九回　転契作用』についてお話しします。皆様がこれを体得し、日常生活の中でご自身に応用できるかどうか、自分自身に対しても衆生に対しても実践的で、真実の性質を明らかにする確かな応用ができるかどうかが大切です。
さもなければ、一切の有情衆生は、皆自分自身の過去世における因果業障に従って、償還の行為を積み重ねている。しかし、その償還作用において、果たして業因果障が如実に完全に消滅しているかどうかを知ることは極めて難しい。まさにこれが難しいのである。転契作用を理解することは難しく、また体と用の両方について根本的な概念を持つ者はほとんどいない。
また、どのようにして真に「潤合体と離合体」を明らかにすることができるだろうか。あらゆる事象は「潤合と離合」の二者から離れることができないからこそ、自らが「体と用」の両方を貫徹することができず、もし知ることができても真に実践できなければ、ただ知っているだけに過ぎず、「体と用」によって昇華することは非常に難しいのである。
第二十九回　倫理十七
##南屏道済古仏
2002年11月5日　壬午年十月一日（火）
南無、来世の衆生有情に帰命す
大悲の徳、蒼生の霊を潤す
観世音の声は菩提に転じ
菩薩の体用は一如の因
体と用は如何にして一如であるか
「体用」の過程を通じて理解することは、大宇宙の天地におけるすべての生存の方向性に対して、まさに一切の動作を体得し、はじめて自由自在に応用できるようになる。この「体用」は生存において自然と応用されるものであり、あらゆる事象の過程において、自らが生存に必要な作用を体得できるように存在させることが肝要である。
すべての潤生の過程を理解してこそ、自在に応用することができ、このような条件に対して確かな足場を人間世界に築くために必要な役割を果たし、すべての潤生の基礎となる通潤点に対して、人類の衆生に「体得し、応用する」必要性を提供し、「一如」の生存利益を成就することができるのである。
体とは、明晰な実相世界において適用される基本的範疇であり、すべて実相の体物である。また「体」を無形界の観点から見ると、大寰世界におけるすべての生存指向の結合点に対し、この結合点は体を根拠としており、しかも「体」は何ら形相を持たないと言える。
体と用が一如である功徳の働き
それは各人が心の中で体得する過程であり、学習を通じて認識と経験を積み重ねて初めて到達できるものです。そして体感を通じてその名相を認識し、体得の作用においては、あらゆる生存の志向が存在し、必ず新たな認識が生まれます。このような過程は過去の経験の積み重ねによるものであり、さらに過去世のあらゆる経験の蓄積が成果として含まれているのです。
現代には多くの科学技術の発明人材がいますが、これは過去世におけるすべての因縁の積み重ねによってもたらされたものです。体証の過程においては、自ら一切の事相の作用点を体悟します。なぜなら、過去の事相の作用を体証することで理解が深まり、未来をどのように進むべきか、大きな知恵を得て利益を受けることができるからです。
必ずや自らが霊感に随い、地球空間に生存するものとして、あらゆる悟りと感応を貫徹する力を増すことができる。まさにこのような作用によって、常に「心に霊犀を通じ一点に通ず」という功徳と感応が生じ、さらに尽きることのない発明を創造することができる。すなわち、すべての有情衆生が尽きることのない恩恵を受けられるようにするのである。
体用の実相とその働き
体証の過程があるため、心霊感応の相通ずるものに対して相互に補完し合う契機となり、また「体」の作用と実相世界の両者についても、互いに通じ合って対応することができる。大宇宙の天地に存在するすべての未来の衆生が利益を得られるよう、必ずや多くの発明創造がなされ、下化の基本的な徳沢として残されるであろう。
まさに「体の作用」と「体の実相」の両者を相互に調和させて応用することによってこそ、「体の作用」と「体の実相」をありのままに対することができるのであり、これはまた、人間の生存がすべての経験の蓄積を通じて到達するところであり、生存の方向性に対して正しい方針を与え、潤いある生活を創造する必要性と創造性を授けるものである。
絶え間なく流れ、次々と下化していくことになる。さらに、相循作用に跳躍することもなく、「体」を悟って生存の実相を知ることは、それぞれの人の過程であり、互いに補い合うことができるかどうかは、「体の作用」と「体の実相」が主導的な方向性を持つかどうかにかかっている。そうして初めて、人類世界において善く「用いる」ことができるのである。
用いること、用いるもの、なすところ、為すところ
「用」の働きとは、まさに生存の志向性を主導することを体証することであり、必ずや先立つ観念があってこそ示現する。もしこのような観念の作用がなければ、生存の創造的発展に対してはむしろ疎遠なものとなり、まして創造的霊感を得ることはできない。まさに「応用」によって「体証」を働かせ、霊感と相互に交わり合うことによって達成されるのである。
観念によって創造と再生が生じるにつれ、「用いることの作用」に対しては、自らの生存志向に基づき、主導的な役割を果たす基本的な観念を持つようになる。有情の衆生は福祉と徳性の相互作用的な点を創造することができ、また生存志向に対して「心に霊犀一点通ずる」という感応によって、この種の観念を統合的に作用させることができる。
生存のための創造発明を目指すことで、「テレパシー」のような作用が生まれ、初めて「用の用」という基本条件を通過し、創造発明によって自己と衆生が相互に恩恵を授け合う徳沢を達成できる。この徳沢が絶え間なく流れ、途切れることなく下へと広がっていくかどうかは、まさにその「用」の基本を理解し通徹しているかどうかに対応している。
応用の過程において、もし如実にできず、また「一如」の根本にすらなかなか到達できないのであれば、「一如」に対しても「体用一如」の因縁の根本を成し難く、必ずや体用が「一如」であることを了知しなければなりません。これは跳躍して論断できる障害ではなく、人類の衆生はよくこの過程で制限を受けるのです。
すべての応用プロセスはどのようにすべきでしょうか
応用の過程において、どのようにして自己をも衆生をも教化するか。これは「体用能一如」も切り離せない問題である。「体用一如」が達成できるかどうか、自己の「心性と霊性」の向上につながるかどうかは、まさにこの世における基本的な観念であり、それによって初めて「体用一如」を展開し、その恩恵を受けることができるのである。
応用の過程においては、必ず多くの障害や困難に遭遇するからです。そもそも、無明が多く立ちはだかり、前進の基礎を阻むことになります。また、人類の生存の方向性には一定の目標があり、人間世界において、もしこの方向性を持つことができなければ、必ずや無明の妨げを受け、自ら困惑することになるでしょう。
自らの未来を方向付け、あるいは導くことにおいて、もし方向性を定める作用が働かなければ、方向性を決める決心が分別作用として現れ、既定の未来目標に到達することも難しくなります。生存の方向性をどう適用するかを明確に理解する必要があります。人間世界は自らが主導し、自らが成し遂げ、さらに自らが完成させるものなのです。
心に一点の霊犀通ず
「心有霊犀一点通」を通じてこの霊感の働きを捉え、それによって「応用」という基本過程における識別を可能にしなければならない。また、人類が潤いをもって生きるためには生存の方向性が必要であり、それはいかにして始まり、いかにして到達し、いかにして発展するのか。応用の過程においてこそ、「用の用」が円満の境地に達することができるのである。
体と用は一体となり得るか？これは各人の学習と経験によって区別されるものであり、いかにして「認識一如、体証一如、応用一如、体用一如」を通じて人間世界に完全に現れるか、あるいは自らと有情衆生が「体証一如、応用一如、認識一如」を通じて明らかにするかにかかっている。
「体用一如」を通じて自らを教化し利益を得るとともに、有情衆生をも教化することこそが、「認識一如」と「体証一如」、そして「応用一如」と「体用一如」の間に必ず存在する数多くの未知と無明の障害を、あるがままに受け止めることである。人間の世には未知と無明による揺れ動きがあるからこそ、創造と前進が生まれるのである。
人類世界には絶え間なく創造と発明が生まれ続けています。このような創造と発明はいかにして途切れることなく流れ続け、いかにして尽きることなく次世代へと伝えられるのでしょうか。より深い次元での認識による融合が必要であり、「認識一如、体証一如、応用一如と体用一如」を実践する過程においてこそ、認識と観念が行動へと結実するのです。
一如を認識すれば必然に顕現し
一如を体証すればすなわち観念となる
応用一如を行動と為し　　体用一如真実を現す
もし無明がなければ未知もなく　　人類の開創は無始より
創造は源々として絶えず　　拓展すれば即ち天機に馳すべし
この偈を、有情の衆生と共に研鑽すれば、認識一如・体証一如・応用一如・体用一如において、正しい観念と行いを達成することができます。これは人類の衆生が日々用いているものですが、その全体の過程がどのようなものかを知りません。皆が学ぶ必要があり、同時に利益を得て成長し、超越することができるでしょう。
第三十回 孝行と親子の情十八
##虚空天尊　済公活仏
2002年11月8日　壬午年十月四日（金）
南天の教化は本より自然なり　　共に徳を揚げて大道展ぶ
天尊は共に崇心堂を助け給い
登台して共に励まし、心の内を語り合う
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南無観世音菩薩が降臨され、『大道一貫』第十回をお説きくださいます。体用一如をどのように応用し、さらに深い認識を得ることができるでしょうか。「認識一如、体証一如、応用一如と体用一如」を融合させることについてお話しされます。
このような働きがあるからこそ、人は日々それを使っているが、その過程を認識し理解することはできない。これらはすべて一貫して通じ合い、さらに融合することができる。人類の生存する世界は、まさに一貫して通じ合う有情世界であり、上下に一貫し、左右に一貫し、交差して一貫し、連結して一貫し、縦横に一貫しているのである。
また、一貫して人類世界に下ろす教化があるからこそ、大いなる天地のすべての無明と未知を解消することができ、それは絶え間ない創造と発明を生み出し、また有情の衆生に潤いある生の徳沢と創造的な研究開発をもたらす。つまり、徳沢が限りなく下ろされ、未来の人類のあらゆる生存は、真実のままに大きく向上していくのである。
第卅一回　情理法治十九
##南海古仏
2002年11月15日　壬午年十月十一日（金）
阿弥陀仏極楽界　　難陀教化衆生為
菩薩は一貫の冊を降ろし給う
三際二辺に主介を為す
両辺三際を断ちて陰陽を絶つ
一如を認識し、一如を体得し、一如を応用し、体用一如であること：有情衆生を観察してみると、彼らは「一如」についてまったく概念を持たず、この世において「一如」と絶対的な関係にあることも知らず、また「体用一如」が今この瞬間に成長し、それによって利益を得て向上できるかどうかについても理解していないのです！
さらに一如の観念に対し、過去のすべての因縁の本質を理解する。また人間世界においては、宗教に入るか入らないか、修行があるかないかに関わらず、すべての衆生は必ず「一如の境界」に入らなければ、自らの成長をこの世界において確実に実現することはできない。
三つの時空が分かれて人間界を形成する
三際：すなわち一如より二辺に入りて初めて到達し得るものであり、また一如の下化において二辺を通り過ぎたところにあり、まさに陰陽を分別し、乾坤を分別し、日月を分別し、男女を分別するのである。また二辺は有情世界においては、大いなる天地の衆生に対し、すべての動くもの動かざる動植物を含む一切を包含しているのである。
また、二辺を基準点とし、人類世界は一如世界を通じて初めて二辺に対して相互に因循する作用を持つことができる。したがって、二辺は有情衆生が知り得ない一切の過程であり、必ず一如の境界を体証し、まさに二辺へと下化してこそ、初めて三際、四方、五象……が存在し得るのである。
つまり二辺を人間世界に融合させ、またこの世界に二辺がなければ、因縁が展開することはありません。二辺が人間世界にあることは、まさに相互に対待する有情世界であり、生存の過程には大きな限界があります。また、相互に対待し、限界に妨げられるからこそ、乾坤や男女の違いを区別するのです。
二辺とは何か、それは陰陽である。
人類世界は、いかなる人種や種族をも区別せず、すべて二辺、乾坤、陰陽によって、人類世界が伝承と教化の徳沢を成し遂げることを促しています。また、この徳沢こそが絶え間なく流れ続けることができ、二辺を真の主導的機能たらしめるのです。それは「二辺」があってこそ、「三際」の教化作用に入ることができるからです。
二辺三際断じて私無く　　人間有情教化を保つ
もし天地の義を知り得るならば
必ずや上昇し超越して馳せ往くべし
これは「二辺三際」に対して非常に大きな注釈であり、二辺が人間世界に入るには必ず展開の原動力があり、また二辺が存在した後こそ、「純一」から「一如真実世界」へと、一如世界を通じて直接に統合の働きが生じ、大宇宙の天地すべての万物衆生に成長をもたらすのである。
人々の世においては、また大いなる天地に対して、伝承し教化を施すという徳沢を為すことこそが、まさに生々と絶えることなく伝承を為すのである。また、両側の全ての物種において、もし単に孤陰のみであれば必ず生じず、孤陽のみであれば必ず長じない。もし陰陽が相互に結合しなければ、潤い合い利益を受けることもできようはずがない。人々の世はまさに陰陽によって伝承されるのである。
両辺に分かれ、三際に遷流す
そこには生々流転と川の流れのように止まることがありません。なぜなら、二つの側面が生存の方向性を導く因縁を与え、すべての動作の基本源は上昇と下降を引き起こすからです。また、有情の衆生には必ず伝承と下降があるため、このような条件こそが陰陽が相互に対峙する大いなる世界なのです。そして、すべての万物は絶対にこのような境界から離れることはできません。
二辺は一つの世界に対するものであり、絶対的な使命の継承があります。大宇宙の世界におけるすべての事柄には、必ず○×、是非、正邪、正誤があり、また人類衆生に対しては、必ず是非、善悪、美醜、福禍の区別が生じます。それは、是非がすべて人間の口と舌によって作り出されるからです。
また、この口舌を人間世界の視点から見ると、相対的なものはあり得ません。なぜなら、絶え間なく流れ変化し、生々発展して受け継がれていくからです。この世界において、いかにして伝え広め、いかにして受け継いでいくかは、まさに「川の流れのように絶え間なく」と「生々発展して尽きることがない」という二つの因縁のあり方に入りやすいのです。
人はなぜ口が一つだけなのか
人類もただ一つの「口」しか持っていないのに、どうして人間世界では口の言語が、口が一つ増えたからといって余計な話が増えるわけではなく、有情衆生が言葉を交わす際に他のことを言わない、つまり是非、○×、正誤、正邪といった言論を口にしないことを求めているのか。そして人間世界において最も理解しがたいのは、まさにこの限界なのだ！
常に多くの是非や口論が生じるが、人の体について考えてみよう：なぜ人間や万物の生き物には口が一つしかないのか。男女、乾坤、陰陽の区別があっても、体には口が一つしかない。顔の中には他にも器官がある：目は一対、耳は一対、鼻は二つの穴がある。
この種のものは目や耳や鼻の中にあり、互いに対応している。なぜ人は口が一つだけで、二つないのか？それは人間が不必要な言葉を少なくし、善い言葉や徳のある言葉を多く語るようにするためである。これは両極端に対して作用し、人間の世界が口を通じて善い言葉を語り、口論や是非、○×、正誤、正邪を減らすようにさせるのである。
有情の人類は「大道の演繹」の過程をじっくりと味わうことができます。それはまた、人類のすべての生存世界がまさに「双々対対」によって組み合わされていることからも分かります。しかし、この双々対対の相対性の中で、「相対」を「絶対」に達成することができるでしょうか？このような条件は非常に達成が難しく、根本的に不可能です！また、そのような観念も存在しません。
両辺はどのようにして三際の中に連なるべきか
二辺三際：有情衆生にとって言えば、まさに過去・現在・未来の三時に在って、とても真実である。仏教には「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」という言葉がある。もし過去の心も得られず、現在の心も得られず、未来の心も得られないとしたら、一体どうなるのだろうか？
ただ空相のみとなり、実相はなくなる。大寰天地と無極・虚空・大宇宙は相互に基本条件のもとで融合するが、得ることのできない心があるため、人類がこれを推し進められるかどうかは、不可能なことである！人類の三際遷流の過程もまた、得られない中から「実得」が生じるのである。
過去の経験の蓄積があるからこそ、現在において多くの困難や障害を減らすことができる。このような未来への光明大道への期待は、また、得られないものに対しては、必ずや有情衆生に行動の原動力を与えることはできず、いかにして得られない心に対して取捨の観念を持つことができるであろうか！
三心は得られない　しかし智慧は得られた
この捉えどころのない心を理解することができるならば、それは天地や無限、虚空、大宇宙と互いに比べられるようなものであり、それゆえに「不可得」と言われるのです。また、人間世界におけるすべての生存の方向性や動作、そして過去の生存経験はすでに消え去ってしまったものであり、いったい誰が過去を止めることができるでしょうか？できはしないのです！
過ぎ去った時光は得ることができず、むしろ既に消え去ってしまった。また、有情衆生やいかなる聖神、仙仏、菩薩であっても、時間を止めることはできない。ましてや、既に跡形もなく消え失せており、時光が消え去るということは、まさに得ることのできない過去であり、さらに人間を「得られない」という障礙の中に陥らせるのである。
しかし、その中で積み重ねられた経験は、まさに自分自身が否定できないものではないだろうか？よく考えればわかるはずだ！すでにすべての過去の心を手放すべきだが、確かに実際の経験の積み重ねがあり、それが今この瞬間の心を形成する。いかに真の利益を得る条件を整えれば、向上し成長していく力が生まれるのだ！
今この瞬間の心が成長に役立つ
今この瞬間の心は、自分自身を成長させるものであり、過去の経験があってこそ、今この瞬間を活かし、より広大な空間と未来へと進むことができる。それが得られないとしたらどうだろうか？今この瞬間に確かな生きる空間と環境があるだろうか？ないのである！また、今この瞬間に過去の豊富な経験の蓄積がなければ、どうやって創造できるだろうか？とても難しいことだ！
過去の心は得られず、現在の心も得られず、未来の心もまた得られない。皆さんはその中の真意を実現し体証することができるでしょうか？否です！二辺三際はまさに大いなる天地を通して、すべての「事象の連鎖と食物連鎖」を実相界として結びつけているのです。
人類世界のあらゆる生存の方向性は、先人たちが植え付けた労苦の結晶を継承し、豊かな生存経験の蓄積という糧を得ることで、現在の有情衆生が衣食に困らず豊かに暮らせるようになり、さらに未来の人類世界に福祉を継承し無限に続けていくことです。そのためには、二辺三際の過程において、必ずや二辺三際の過程から学び知る必要があります。
いかにして三際二辺をより円満に統合して作用させることができるのか。これはこの「二辺三際」と「一如世界」によって下化されるのであり、そうでなければ、有情衆生はいかにして「一貫大道」の中で、生存の方向性を統合する主体となることができるだろうか。不足や欠落、誤りに陥ることなく、千真万確な実際の過程の経験を持つことができるのである。
一如：世界は主理を作す　　二辺：陰陽は両岐を分つ
三際：時の往復　　四方：有情の機縁
五象：共に大道の依りて成る　　六合：乃ち天地の義を知る
七星：衆の徳の儀を明らかに識る
八政：方に満つる基に帰す可き
この偈を、有情の衆生と共に励まし合いましょう。人類世界が光り輝く未来へと歩みを進め、過去と現在の経験を後世の子孫へと伝え、さらに世界に尽きることのない福と幸せを創造すること、これこそが蓮華仏国浄土世界であります。願わくば！ 我もまた未来において、共に浄土世界の実現と創造を助けんことを。
第三十二回 公道人心二十
##虚空理徳仙姑　観世音菩薩
2003年11月19日　壬午年十月十五日（火）
皆さん、こんばんは。私も参りました。
中壇に登り、賢才と会います。
元帥は人間に教化を施し、邪を排し、
崇める心は一貫して天理を開く。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は、仏教　釈尊の大弟子である阿難陀菩薩が降臨され、『大道一貫・第十一回　三際二辺』を闡述されます。一如世界において、如何にして自らが一如の生存世界の中で、多くの資糧を得ることができるかについてお話しくださいます。
学習資源があるからこそ、三際二辺によって伝承がなされ、人間世界はまさに相対的な世界であり、すべてこのような過程の中で物事が展開されるのです。では、いかにして二辺三際によって伝承と教化を行い、人間世界におけるすべての生存の基本的な要求を達成することができるでしょうか。
もし、過去心、現在心、未来心のいずれも得られないとすれば、どうして有情衆生の福祉を永遠に創造することができるでしょうか。非常に難しいことです。過去、現在、未来という三つの時空がすべて得られないことを明らかにした上で、この過程において天地の有情衆生を利益することができるかどうか、という点を明確にする必要があります。
実は、今この瞬間がすでに役に立たないのであれば、どうして過去・現在・未来という「三際」の応用を体得できるでしょうか？どうして「二辺」によって成長することができるでしょうか？有情衆生に対して今すべてが停止していると捉え、よく考えればその内実が理解できるはずです。必ずや別の次元の悟りがあり、それを認識し体得することこそ、まさに智慧が向上した証なのです！
第三十三回　道源一貫
南無燃燈古仏
2002年11月22日　壬午年十月十八日（金曜日）
南開一貫自然に顕れ　　有情を屏障して神仙に悦ぶ
道済が降りて天書を著す　　古仏が遷流して三際に現わる
三世の流転は瞬く間に過ぎ去る
純一なる心をもって有情衆生を観ることは、向上の因縁をなすものであり、これはまさに一貫大道が提唱する基本的要求である。有情衆生が純一なる清らかな本質を回復し得ることは、華やかなる世界より回帰するための基本要務である。しかし有情衆生は知らない、いかにして自らを主導とし、いかにして回帰し、いかにして依りどころとすべきかを。
大道の基本的な観念は、有情衆生が過去・現在・未来の今この瞬間に、いかにして真の実証に入り、基本的作用によって成就された一切の因縁の根源を体得するか、いかにして自らを向上させ、堕落し沈淪することを避けるかを促します。また、ほとんどの人間もこのようにしているのです。
三つの時空の流れに対する基本的な作用とは、すなわち過去の時空が現在の瞬間と未来に対して、いかにして自らを真実の「生存空間」へと向かわせる過程であり、この過程はどのような時間と空間においても、「運転する時空」に対する差異が存在し、それによって多くの無明の障害が引き起こされ、限界が生じるのである。
成長過程における経験としての実践
まさに有情の人類衆生が理解し難いところであり、またそれぞれの空間の働きを理解し、どのように着手すべきかを知ってこそ、真に「運転空間」に入り、それを体得するための基本的な要件と認識を備えることができ、はじめて有情衆生が生存の現在に対して、過去のすべての経験の蓄積であることを理解できるのである。
また、成長と基本への回帰という作用もあるが、それはどこから進めていくべきだろうか。大宇宙のすべての生存空間について、もし情ある衆生の視点から見るならば、自らの生存空間を理解し向上させることが必要である。しかし、もし他の異なる空間世界の過程と実相を完全に理解しようとするならば、それはあまり容易なことではない。
有情なる衆生は、自らの生存空間を理解することのみに存在する。生存空間に対しては、まさに人間世界が主導する過程であり、また生存の方向性においては、まさに自然のままである。さらに、有情なる衆生のすべての生存が、潤いある生の実相界に溶け込むとき、自らの生存に対する依存性が生じるのである。
また、超越的な突破を成し遂げることも難しく、情愛を持つ人間衆生に対してより大きな成長をもたらすこともできません。三際の流転の中でいかに向上を図るべきか？また、いかに融合を果たすべきか？三際の流転があるゆえに、過去・現在・未来という現在の時点において、いかに生存空間から他の生存空間を窺い知ることができるのか？
衆生は三際の遷流の中に生きている
これは有情衆生が到達し得ない基本的な要求であり、ましてや人間を基礎とし、仙仏と相互に周波数を受信する者であっても、このような境地を完全に通徹することはできず、またこのような空間でさらなる次元の向上を遂げることもできない。ここから見ると、有情衆生が理解している経験と知識は、まさに非常に浅はかなものである。
三際：これは過去、現在というこの瞬間、未来の過程を指して言うのである。また、三際と三世によって、様々な異なる角度や方位が生じる。三際と三世は互いに連関し合うことができるが、それぞれ異なる生存空間を持っている。この三際と三世に存在するものこそが、まさに人類が生きる現実の空間世界なのである。
如何にして未来世における一切の生存の方向を知ることができるのか？過去、現在、未来の三世にわたる一切を、いかにしてさらに超越的に向上させることができるのか？このようなことは、過去のすべての経験に加えて、先人たちが荒野を開拓し、教化を施してきたこと、つまり先人たちが苦労して種をまいてきた過程を、いかにしてその苦労を理解するかということである。
有情なる衆生に対して三際の提唱を行うことは、基本的な空間を主導することにあり、また如何にして現在の全ての生存志向を、より広大な生存の時空世界へと向かわせるかが問われます。これは三際に対する働きであり、過去の経験を基礎として、有情なる衆生の全ての生活を豊かで実質的なものとする作用なのです。
遷流とはすなわち速やかに消え去ることなり
これにより多くの無駄な面倒や争いを減らすことができ、また現在のすべての生存志向の機能において、先人が種をまき、後人がその恩恵を受けるということを理解すべきです。さらに現在の時空において、私たちは皆、先人たちの苦労してまいた種が結晶したものを享受しています。どうやって現在から未来の子孫たちのために、経験を伝承し、次世代に引き継いでいくかが問われています。
遷流：過ぎ去った時はすでに消え失せ、後の世代に現在の生存を残している。まさにこの時間と空間の中で、先人たちの恵みを受け継ぎ、また自らが先人を受け継ぎ、苦労して蒔いた経験と空間を融合させる。この遷流の中で、すでに跡形もなく消え去っている。
さらに、現在の視点で過去のすべてを見ることは難しい。移り変わる過程において、生存する現在には、次世代へと伝えていくべき一分の責任と使命がある。なぜなら、私たちは過去のすべての先人たちの苦労を引き継ぎ、現在の世界を切り開いているからであり、また、現在存在する自分自身の生存も、やがて未来において消え去り滅びるものであるからだ。
過去の時空とは、現在の延長線上にある生存の方向性が主導する作用であり、いかにして流転をより大きく発揮させるか？現在において創造可能な福祉を、未来の人類の幸福に遺すことができてこそ、真実の姿と言える！ゆえに、現在も未来も、やがてはあとかたもなく消え去ってしまう。信じられない方は、静かに思いを巡らせてみられよ。
過去現在未来、これが三際である
先ほど、師が降臨して著された『大道一貫』シリーズの第十二回における時空は、すでにすべて跡形もなく消え去ってしまったのでしょうか？また現在、師がこのような時空を題材に著作を展開される過程も、やがて来る未来には同様に跡形もなく消え去ってしまうのでしょうか？いずれも確かなことです！
この種は、移り変わる流れの中で、自らが有情衆生のために福祉を創造する依り所となり、有情衆生は「今この瞬間の心」の空間と過程を保つことができる。しかし、それは瞬く間に跡形もなく消え去ってしまう。すべての生存の時空と環境に対して、別の次元で体証し向上させることができるだろうか？必ずしもそうとは限らない！
三際遷流：これはすなわち、過去世・現在世・未来世のあらゆる生存空間の作用を、智慧によって向上させ、さらに積み重ねる過程に他なりません。自らの生存の依り所となるべきものに対して、正しい方向と行動があるかどうかは、本来ここから始まるべきであり、また三際遷流の過程を通じて向上していくものでもあります。
如何にして経験の豊富な蓄積へと歩みを進めるか。過去・現在・未来の三際の流転に対して必要なものは、すべての基本的な作用を促し、生存経験が子孫へと伝承された後に再創造される。そして、いかにして自らの現在において獲得し、未来において創造するかによって、より大きな成長の余地が生まれ、より多くの福徳が下化される。これらは現在において具足し獲得することができるのである。
経験の蓄積に優劣はない
生存の方向性や学習経験において、多くの有情衆生は、現在学んでいる経験が将来に役立たないかもしれないと考えることがあります。しかし、時空の移り変わりの中で、過去に蓄積されたすべての学習経験は、まさに未来において活用できるものとなるのです。
もし過去の学びの蓄積がなければ、どうして自分が豊富な経験を備えることができるだろうか。また学びの過程において、その時点では全く役に立たないことが多くても、時空が移り変わる中で、必ずや後の異なる時間と空間において、まさにありのままに応用されることになる。これは過去の学びと成長の蓄積の作用によるものである。
有情なる衆生は知ることができ、生存の学習により豊富な知識を成長させることができます。三際の遷流に対する理解は、まさに未来において実証可能な過程であり、これを通じて進めることができるでしょうか？必ずしもそうとは限りません！もし天地の中にある、未来に起こりうる主導的な作用を、現代人の視点で未来を見据え、未来に対して予測の過程を持つことができるならば。
現在を通して、未来を予知し警告することができる。もし現在の生き方において、いかに豊かな経験と学びの過程を備えるかが、未来に成就する因縁の根本となる。再びこのような時を積み重ねて下化していくか、あるいはただ迷いと盲目の中に留まり、一生を過ごすだけなのか！
実相世界は天地と比べるべくもない
有情なる衆生がもしこの過程から離脱すれば、未来の成就を望むことは、自らに無明の方向付けを与えることに等しい。豊かな資源を下化することが円滑に行えず、また現在というまさに実相世界を自ら体験できるこの時を、人類の生存に有益なものとすることができないからである。
天地や無極、虚空、大宇宙の恒常と比べるならば、今の私たちはまるで草の切れ端のようなものであり、草の切れ端のように消え去っていく存在です。しかし、時空の長い流れの果てには、有情の衆生には到底知り得ず体証し得ない過程があり、それは各人が今この瞬間に体証することによってこそ、未来に豊かな果実として現れてくるのです。
先人が木を植えれば後人が涼を得る。今の人が種を蒔けば、未来の人が収穫する。それは未来の人々の中に存在するだろうか？今の私たちにとっても、未来の「過去世」の人々となる。このような子孫、人類の衆生は見ることも聞くこともできず、ただ文字で記録し、後世の子孫に伝えるのみである。
現代の科学技術文明は、千年後であっても容易に保存され、何一つ失われることはないでしょう。現在の私たちが天書のような著作を残すこと、そして未来の人類が私たちを珍しい存在と感じるかどうか？これによって、すべての経験の再創造は、まさに現在、私たちが過去の先人たちが蒔いた種から生まれていることを理解できるのです。
二辺の過程を分かちて判ずれば　　三際と両途、各々伴と為す
過程は過ぎ去りて経験を留め　　未来は得るべくして無辺の岸
我々は今、書物を著し、一貫して十二の特殊を完成させよう。
移り変わる物事は千年を経て　　さらに頼りとする稀有の数となる
この偈を、共に有情の衆生と励まし合おう。我々の現在と未来においてこそ、過去の様々な経験が再現し融合されることが、まさに真実の姿なのである。この過程をじっくりと味わってみよ。そこには過去・現在・未来が融け合っている。なぜなら過去も現在も未来も、すべては「今この瞬間」の中にあるからだ。
未来の科学技術文明は、我々を珍しい動物として扱うだけだろうが、しかしそれはあらゆる生存経験の再創造と継承が現れたものであり、その中に潜む奥深さとは何かを細やかに感じ取れば？すなわち、ほほえみながら心に通じる一笑を浮かべるだけで、天地が進化させてきた神秘を体得できる。それはまさに有情なる衆生に対して細やかな配慮を欠かさないものである。老僧は本日、崇心においてお邪魔させていただくこととなった。
第三十四回　先天大道
##虚空彩霞仙姑
2002年11月29日　壬午年十月二十五日（金）
兄弟が集うならば
杯の水の淡泊もまた良し
口を開けて人生の道理を笑い語るも
瞬く間に過ぎゆく天地の機微
今日、我々兄弟が崇心に降りて天書を著作し、しかも後世に残すことができたのは、実に非常に稀なことです！なぜなら、濟佛主尊は大変お忙しく、他の宗教への著作の大部分は代理人を立てる方が比較的迅速であり、またより容易だからです。崇心のように天機の良縁に恵まれるという条件は、まことに稀なことなのです！
本日は、師が登壇して皆さまと共に研鑽を深めるにあたり、先ほど主著仙佛である南屏道済古仏が自ら降臨され、著作の内包される真意を明かされました。その中に秘められた奥深い妙味を、どうか細やかに心に留めて味わってください。もし深く心に刻み体得することができれば、それは大いなる智慧を持つ者と言えましょう。しかしもし心が散漫であれば、このような殊勝な印証を悟りとして体得することは、到底叶わないことでしょう。
仙仏が時に応じて、崇心に無限の宝蔵を下ろし教化されるからこそ、もし皆様が今日この著書を通じてそれを得ることができれば、無駄にはなりません。もし得られなければ、ただ人間の時空を浪費して過ぎ去るだけです！それは難しいことであり、また難しいことなのです！
各人が自らの機根に応じて体証し
真実の天地の理を明らかにする
過去現在と未来に
人生の真理は天意にあり
第卅五回　一貫の省思
##無極駕前　董雙成仙姑
2002年12月3日　壬午年十月二十九日（火）
南贍部洲に再び書を著す　　海天の本霊自ら主となる
古言ふるくの教えに道徳を整えよとあり、
仏の教えには四方を連ねて殊なるを説く。
三つの時空が四方に相互に連関して作用する
三つの時を流転して有情衆生の行いを見るに、その全ては人間世界において性向を弁別し潤いある生の動作に向かう。また生存の志向によって、如何なる行いを求めるべきか、これは人間の経験の伝承に依拠するものであり、さらに人間世界における生存の向上と下降に対し、まさに両極化した世界なのである。
生存の指向は、三際の遷流によって生存の総合体を観察し、また生存に対してより豊かな充足を得ることにある。三際の後は連続する四方に入り、四方は東西南北でつながり、「仁義礼智」を基本として相互に結合し、礼・義・廉・恥は四維とされる。
四維：四方を定位することができ、四方の定位に確かな拠り所があるならば、四方定位の条件の中で、四維の作用と理解に到達し、さらに有情衆生を向上させることを主な因縁の根本とします。いかにして四維を四方と融合させることができるのか？それは四方の定位に対して、まさに道徳規範の拠り所が如実にあることです！
四方：これは東西南北を連携させることであり、連携の中から必ずや人道の生存と道徳の基本的要求に合致し、人類世界に実用的な応用過程を持ち、相互に生存の安楽を助け合うことができます。さらに有情衆生に対しては、快適さ、便利さ、普及性をもたらし、人類を向上させることで善良な生活空間が生まれます。
四方の一つ：東方
「東」方甲乙：これが青木であり、天にあっては青の主となり、地にあっては木の主体となる。ゆえに「東」は「青」に属し、五行では仁に配される。まさに春の生気から言えば、青木が骨格を支え、その色は青である。したがって、青の色はすなわち翠緑であり、またすべての大地にとっては生気あふれる様を表している。
人類世界は人為的要因を応用することができ、また人類は心性によって慈悲の徳性を体得し、有情衆生の向上を司ります。慈悲の徳性を顕現させるだけでなく、このような条件に依拠する過程においても、青の翠緑が統合を司り、人道世界はこの翠緑の青色によって拡大していくのです。
東方の始まりは、すべて青木を基盤とし、四方の最前線でもある。正に四方を貫通して連結することができ、それにより東、西、南、北という四方の区別が生じる。また、東南、東北、西南、西北という八方によって連携され、大きな相互結合性が生まれるのです。さらに「中方」という違いもあります。
四方の一つ：南方
「南」方丙丁：これは紅火を指し、天にあっては紅色の本体、地にあっては火種であり、五行では礼に属する。この徳性をもって、人道生存の基本要義と為す。すなわち火の徳性をもって、有情衆生の心臓を温め、大道との調和においては温暖性を為す。人体の作用においてもし火の温暖性を欠くならば、死屍一具と言うべし。
故に南方は火の徳性に属し、また万物を成長させる太陽の光芒として、この種の光芒は大いなる天地のあらゆる衆生を照らし渡す。この光芒がこの世に均等に照射されることによって、まさに生存する光明の大道がここから成長するのである。天の光明は「南方丙丁火」の光芒に属し、無限である。
人道世界の衆生は、もし光明が普く照らす法がなければ、即ち温かさの原動力に欠けるのである。火の光明は大いなる世界を照らすが、この条件が欠ければ、より大きな光明と温かさを現すことはできない。南方丙丁火のエネルギーに対して、人類の衆生により大きな利益をもたらすのである！
四方の一つ：西方
「西」方の庚辛は、これ白金をなす。白色を以て天となし、地に在りては人類生存の拠り所となり、これ通貨をなす。五行は義に属し、また色沢は黄白色をなす。人の身体においては、身上の皮膚を拠り所とす。有情衆生に対し観るに、もし西方庚辛の金を欠くならば、すなわち人類生存の通貨因縁を欠くこととなる。
また、大いなる天地が西方に及ぼす作用は、まさに有情衆生に対して黄色を主としながらも、黄色でありながら白を主導として内包している。この黄色の西方作用を、現代の有情衆生が観るにあたり、もし自らの霊体によって包み込むことができなければ、東方の骨格を支えとして用いることも極めて困難であろう。
身体を主導する作用において、修行による依り所を通じて、まさに西方極楽世界を目指すのであり、また母なる神が西方世界におわすことは、西方に対する働きかけであり、いずれも天の光明を導きとしている。仏教が西方極楽世界を宣揚して人々を招き寄せ、また人類が西方を憧憬するのもここに由来し、まさに異なる道ながら同じ境地に至る妙なる真実がある。
四方の一つ：北方
「北」方の壬癸：これこそ黒水であり、天にあっては黒となり、地にあっては体となり、五行においては智に属する。人体においては水に属し、この水は冬の作用から見れば、まさに終結に入る時であり、それゆえに収蔵の妙諭がある。人の生存においてもまた欠くべからざるものであり、「北」の作用は有情の衆生に対して潤いと調和をもたらす。
潤合があるからこそ、極限を超えることがないのである。まさに燥熱の気が影響を及ぼす時、必ずや北方の潤合作用によって、有情の衆生にとって生存に欠かせないものをもたらし、しかもこのような条件を過度に浪費してはならない。これは水の応用が北方に定められた所以であり、未来において水資源には必ず拠り所が必要となるのである。
有情衆生に潤いと調和をもたらす要素を提供することこそが、未来において基本的な効果を達成し得るからです。では、このような条件はどこから着手すべきでしょうか？未来における基本的作用の向上に依拠することで、人類の生存の安寧と快適さを実現し、善良で便利かつ普遍的なものとして形成することができます。これは成就可能なことなのです！
五方の相互結合
「東方甲乙木」「西方庚辛金」「南方丙丁火」「北方壬癸水」は、すべて互いに連携し合い、有情世界に応用することができます。この中で「中央戊己土」は五象を結びつける役割を果たしており、いずれか一方が欠けても有情衆生にとって有益とは言えません。
しかし人間界では、東・南・西・北を四方として連なり、その位置づけもまた、東南・東北・西南・西北という四つの地がもう一つの四方を成し、合わせて八方すべてが連なり合う。これが八卦となると、さらに「乾・坎・艮・震・巽・離・坤・兌」として区別されるのである。
これは四方の変化が八卦へと展開する作用であり、すべて有情衆生の未来の吉凶を判断するものであり、また互いに融合することもできます。さらに四方の融合と連携はより実際的であり、全体としての四方と八方の結合により、あらゆる角落に円満な連携が生まれ、相互融合が可能となるのです。
八卦は八つの象が融合したものであり、それぞれに利と弊、得と失があります。四方が連なり融合することで、まさに有情の衆生により大きな成長の空間を与えることができ、また大いなる天地のすべて、すべての人類有情の衆生にとって観れば、まさに四方を相互に連ねることこそが、真実の本性なのです。
四方に演繹し各角度から
東西南北みな自主なり
経緯を定めて方向を成し　　潤いを与え有情を共に助けん
人としての道に従って生きるならば、すべての吉祥の根本は堅固となる。
青紅白黒を基盤とし　　徳ある衆生共に群れを成す
この偈頌は、有情の衆生と共に研鑽するものである。互いに融合できるだけでなく、有情の大衆すべてが互いにその利益を蒙ることができる。これは順生の理に適い、相互に結合して人類の生存に必要なものを提供するのである。人類の安定した生活に対し、皆が円融に連なり、公正平等の機会を創り出すことになる。
第卅六回　改造回帰
##虚空霊会仙姑
主なる仙仏が心に降り立ち
著作は一貫して万民を利す
四方から連絡を取り合い集い来たり　　情け有り徳有る者共に相迎えん
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は主著仙仏・南海古仏が降著された『大道一貫・第十三回 四方を串連す』をお届けします。ここには多くの意味が込められており、有情衆生にとっては、原動の基本を向上させることができる内容となっております。
また、互いに連携し合う各々の隅々を円融させることについて、如何にして有情衆生が順生できて逆生しないようにするか、まさに「順生と逆生」によって区別されるのであり、有情衆生にとって最も理解し難いことである。従って、順生とは人道世界のすべての相互に潤い合う「体用」の過程を融合させることができるのである。
有情なる衆生が順境を求めて好むことは、逆境に比べてより適切で現実的であり、また憧れでもあります。連続する中で、どのようにして順境を達成し、逆境に陥ることなく、過不足なく、すべてが法に適うようにするか。四方八方の異なる因縁と連関する相対性において、大きな円満が得られるのです。
跋、凡例
2002年12月6日　壬午年十一月三日（金）
跋、凡例
序言、讚曰、頌　賀
##無極駕前　許飛瓊仙姑
南無、衆生の心の灯を開かん　　燃燈法会に本霊在り
古仏降りて来たりて護佑す　　大寰五象は是れ主裁なり
五つの象が作用するところ
純一に二辺を把握して三際の過程に入り、「四正」を依り所とする、これが人間社会における生存の方向性である。「四正道」を向上させるには、必ずこの過程に入らなければならず、また生存条件について言えば、有情衆生が四方を導きとし、さらに四正をそれぞれの継続点とするのである。
一切の状況を了知するに当たり、四つの正しい観点の中でも、特に人間世界の生存環境は「地・水・火・風」の四大が仮に和合し、あらゆる生存の主要な過程を司っている。まさにこのような働きによって、四大の仮和合によるすべての生存が、人々に恩恵をもたらすと同時に、人々を制限していることを理解できるのである。
知る必要がある：地・水・火・風こそ、仏教でいう「四大仮合」である。もし「仮合」を「仮」とは言えないものとすれば、それはすなわち真実の生存である！あらゆる生存の依拠に対しては、このような条件によって成長し、日常生活に確かな必要性を形成する。一方では助けとなり、他方では制約となるのである。
四大仮合の実際の性
地、水、火、風は四方によって連なり結ばれる。この連なりは、大宇宙の天地に存在するすべての生きとし生けるものにとって、「地の堅固なる性質」「火の温もりある性質」「水の流動する性質」「風の吹き動かす性質」から離れることはない。ゆえに四大は正しい道のよりどころとして、情ある衆生はこの四つの正道から離れることができないのである。
また、四方を基礎として初めて生存の依存が可能となり、多くの如実なるものが融合してくるのである。もしこの種の依存から離れれば、人類世界の有情衆生は皆、生存を支える拠り所を持つことができなくなる。必ず理解すべきは、四方とはすなわち東・西・南・北・東南・東北・西南・西北の八方が相互に連結し合っているということである。
このような作用は、「地水火風」を連携させることであり、有情世界はすべてこの循環作用から離れることはない。この観点から生存への指向と依存を見れば、実に！これは極めて重要であり、四大の正しい導きの作用から離れることは決してありえず、また「四大の正しい導きの作用」によって相互に連携し融合するのである。
五行は風に融合して
すなわち、互いに補い合いながら、金・木・水・火・土の調和へと入っていく。これは日常の生存が五行に依拠していることを意味し、また「金・木」の二者を「水・火・土」の三者から切り離すことは、「風の吹き動かす力」による主導を欠くことになり、それは有情衆生の存在する世界そのものである。
したがって、地水火風はすべて「金木水火土」の五行の系列に帰入し、さらに五行は「風」の主導に依拠する。すべての有形有相の物種、あるいは非情の衆生と動植物などに対して、風の主導が存在し、真実の実在として依拠する働きを持つこととなる。
もし「風の吹動」という主導が欠けているならば、日月が照らす光も、天地星辰が実在する必然性に合致することはできず、また日月星辰が位置を定めた後、世の中のあらゆる現象に作用して、すべて「風の主導」によって有情衆生の呼吸機能を潤すこともできないのです。
万物は皆、風の伝導を具えていなければならない
また、呼吸作用があるからこそ、火の炎熱を中和させることができ、水の過激さを調節し、土の堅固な作用を水火の調和を通じて調整し、土の堅固さが水の過激さや火の炎熱の中で過度になったり、焦げたり、消えたりしないようにします。これこそが「中和の正道」なのです。
必ず「風の吹き動き」にしっかりと依拠し、有情衆生が生存の方向性を通じて、すべての食物連鎖と事象の連鎖を、有情衆生の生存調節機能の中に取り入れ、四大と五行の調和性を形成させ、万物の生きとし生けるものに一方では利益をもたらし、他方ではまさに制限を与える。この種のものはまさに矛盾と言える！
五行のうち：すでに水、火、土の三者が人体に入り、さらに金、木を合わせて人間の生存する肉体を成し、また養分を補って支えとしている。しかし、金と木の両者はまさに「東方と西方」の二方位によって達成されるものであり、それでは人間にとって一体どのような意味を持つのか？
「東方木公」と「西方金母」の両者が合わさって人体を形成する。この合成作用は水・火・土の三者が互いに潤い合い、また五行において大寰五象に背かず、すなわち金・木・水・火・土の五行が互いに生剋し合った結果であると言える。
五常と五臓、五方と五行はすべて連なり合っている
また、仁・義・礼・智・信を五常とし、心・肝・脾・肺・腎を五臓とし、さらにこれに対応して東・西・南・北・中を五方とする。多くのものが連なり依存し合い、「五象」に対して全体的に相互補完の作用を果たしている。まさにすべてのものが相互に融合し合う中から抽出されたものである。
この種の方法で人類の生存の方向性を高めるには、相互依存が最も重要な一環であり、決して人類の生存と依存の過程に背くことはあり得ません。もしそのうちのいずれか一つでも欠けていれば、身体にとっては一つの病気となり、身体の機能にも多くの欠陥と衰退をもたらすでしょう。
人間の肉体は、「金木水火土」の相互循環作用をいかに維持するかが、実に極めて重要なのである！有情衆生がそのうちの一つでも欠けば、肉体に安らぎをもたらす作用は失われ、多くの障害や症状を引き起こし、肉体の健康な存在に影響を及ぼすことになる。
五つの象が互いに融合する
五徳とは、人道の生存基準である仁・義・礼・智・信によって高められるものです。仁・義・礼・智・信が人道の生存基準に備わっているからこそ、道徳の基本要求から外れることがないのです。これは人道の基準と身体の基準が、必ず心・肝・脾・肺・腎において相互に融合し合うことを意味しています。
また、東、西、南、北、中の五方には互いに連関する契機があり、有情の衆生は道家の思考観念において、大宇宙の五象を全体的に連関させて捉えています。もし儒・釈・耶・回の四家の視点から見ても、このような構造的思考は得られません。ゆえに、科学技術文明が有情世界に入り込むことによって、これを解明することが可能となるのです。
人間が病気や障害を抱える時、その人の道徳倫理を観察すれば明らかになるが、実際には人道の「仁義礼智信」という五倫のいずれか一つ、あるいは他の不足している部分が欠けているのである。これによってはっきりと理解することができる。真の医療倫理を持つ者は、必ず五行と五象を徹底的に理解しなければならない。
人体の作用には多くの連携可能な根拠があり、もしいずれかのエネルギー体が不足していれば、その不足を他のもので補うことができます。また、「金木水火土」、「仁義禮智信」、「心肝脾肺腎」は、まさにこれらが「東西南北中」に入り、人類衆生のすべての生存と結びついているのです。
身体の病痛は五行によって知ることができる
人界においては相互融合が可能であり、有情衆生はこれを通徹することはできるが、皆、身体の病症を診治して調整することを如何にして真に実践すべきかを理解することはできない。人類に対しては多くの病因がこれによって化解され、必ずこの過程において治癒機能を得るのであり、それは五行の不足・欠如を補うことによってなされるのである。
五つの象徴が区分けされるのは、東・西・南・北・中に起因し、仁・義・礼・智・信に帰し、さらに心・肝・脾・肺・腎と融合し、金・木・水・火・土を相互に連携させることができる。これは人間世界において、より大きな調和と発展をもたらし、衆生を利益するものである。
有情なる衆生は、もしこのような相互の調和を欠いているならば、必ずや自らの潤いある生命と智慧、そしてあらゆる万象から得る知恵を理解することができず、ましてや五方・五常・五臓・五行を統合し応用することは非常に困難であり、まさにこのような制約を受けているからこそ、科学技術文明においても調整することができないのです。
知る必要がある。未来においては、水資源に対し、未来の生存方向性を見据えた徹底的な理解が求められる。また、人類が生存する南北両半球では、既に多くの氷河期の原始氷山が徐々に溶解しつつある。さらに、大気層の破壊に関しては、人類が理解し得るように、オゾン層の破壊は、未来にどのような災いをもたらすのか。
五色の珠がオゾン層を修復する
明確にできるかどうか：日中の太陽が照らす紫外線が直接影響を与えることにより、人体に多くの悪い適応をもたらすだけでなく、大宇宙の天地にあるすべての五象の作用にも影響します。まさに「五色珠（石）」のエネルギー体が不足しているため、金・木・水・火・土の各色が、白・青・黒・紅・黄などの「五色珠」のエネルギー体を形成することができなくなっているのです。
また、大気層に開いた穴をどのように応用して修復すべきか？この種の方法で埋め合わせと修復を行うことができ、必ず五色珠（気層）を用いて整える必要がある。これにより、有情衆生が現在の災厄を解消し取り除くことができる。そうでなければ、どうして大宇宙の天地にあるすべての五象を、生存に必要なものとして融合させることができようか？
未来の生活の方向性を構築することができ、多くのものはこの種のエネルギーを基礎としています。もしこれから離れてしまえば、五色珠（大気層）を補うことができず、必ずや未来の研究創造の基本的作用に影響を及ぼすでしょう。なぜなら、西洋の科学技術では、東洋世界の道学の基礎を体得することができず、その機能や作用を発揮することも非常に難しいからです。
中華の地にて炎黄の子孫によって発明創造されたものこそ、まさに未来の浄土世界を向上させるためのものであり、崇心に大いなる因縁がある。これを体得できるかどうかは、著作に含まれる意味を通徹した内容「玄機の中に玄機を蔵す」の中にあり、細やかに内実を味わえば無限の利益を得ることができる。実のところ人類の生存に提供されれば、良き善きものは増長し超越していくのである。
金木水火土の五行　　仁義礼智信の五常
東西南北中の五方　　心肝脾肺腎の五臓
オゾンの破洞を五色で補い　　大気層は透き通るように明らかとなる
五行の資源は未来に用い
崇心の因縁は資源を得る
この偈は、有情の衆生と崇心の諸賢生が互いに研鑽し合い、細やかに体得する中に、多くの玄機が秘められている。では、いかにして宝を掘り当てるべきか？今この瞬間から、実際に獲得し、大切に保つことである。そうすれば、未来において必ずや、人類衆生に真実の利益をもたらし、安楽で便利な、広く普及した生存環境を実現することができるであろう。
◆ 旨 ◆
完書繳旨
2002年12月13日　壬午年十一月十日（金）
完書を奉じて旨を復す
◆ 跋・讃賀 ◆
序言、讚曰、頌　賀
##虚空彩霊仙姑
虚空は本来無極の天　　彩霞の宮には多くの嬪妍あり
仙姑降臨し聖示を闡明す　　崇心の因縁天より顕わる
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は人世間の中元節普渡でございます。無極大道学院は先日より休暇に入っておりましたが、明日より再開いたします。一部の真に霊修を体得せんと志す院士たちは、子孫家族のもとへ戻らず、大道院に留まって修行に励んでおられます。誠に感心に存じます。
本日は大宗師・南無燃燈古仏が降臨され著作された『大道一貫・第十四回 大寰五象』をもって、あらゆる生存の方向性が持つべき基本的作用を分析し、いかにして日常生活に応用し、人類の「道徳的思考」が構築する要素から逸脱しないようにするかを明らかにします。
このような条件により、有情の衆生は「大道シリーズ」の著作を通じて、将来より大きな研究、発明、創造を獲得し、また科学技術文明が後世の有情衆生に福祉を顕現させる。今日の著作の意味は、未来においていかに五色の球（珠）によって天の破れを補うかであり、まさに人間界で言うところの「オゾン層の破洞」である。
問う：オゾン層の破壊は、形あるものがあれば補修できるのか？
答：これは五行の「有形有相」の本体であり、これが欠けていると天の破れは到底補い難い。皆さんはここから未来の科学技術文明に入る基礎とすべきであり、また「無形無相」の中から相補い成り立たせることによってこそ、真実の性となるのです。
現代の科学技術では、そもそもこのような境地や条件に到達することすらできないのに、どうしてさらに進歩した科学技術で補うことができようか。必ずや「形も相もないもの」に「形も相もあるもの」を加えて、初めてこの補いができるのである。だからこそ、多くの仙仏が人類衆生の災難を除くのを喜んで助けるのも、まさにこのようなわけなのだ！
天地五行：金・木・水・火・土　　天地五方：東・西・南・北・中
天地の五常：仁義礼智信
天地の五色：赤黄青黒白
天地に五つの生あり：裸・胎・卵・化・湿
天地に五つの音あり：宮・商・角・徴・羽
天の五行：乾元亨利貞
地の五行：春夏秋冬土
人体の五官：目・耳・鼻・舌・身体  
人体の五臓：心・肝・脾・肺・腎
人体の五元：精・気・神・情・性  
人体の五徳：温・良・倹・恭・譲
人体の五情：喜怒哀楽欲
人体の五戒：殺盗淫妄酒
人体の五味：甘・酸・塩・苦・辛  
人体の五魔：貪・瞋・癡・慢・疑
この方向から研究を進めれば必ず収穫があり、また全ての努力は未来の善き縁を結ぶ基盤となります。少しの智慧を用いてこそ到達できるのです。さらに、縁はつながりを紡ぎ縁を結ぶことを可能にし、自分自身と有情の衆生が共に尽きることのない恩恵を受けられるようにしてくれます。よく考えればその中にある奥義を理解できるでしょう、大切にしてくださいね。
この領域のエネルギー体は、いかなる五行変異エネルギーの色沢を具えているのでしょうか。五行には仁・義・礼・智・信、金・木・水・火・土、青・黄・赤・白・黒が含まれ、これらの五行によって異なる色沢はそれぞれ異なるエネルギーを持つことになります。（以下、天地五行配列表）
東方、甲乙、木：仁、青、肝、肝膽、殺、元性、遊魂
西方、庚辛、金：義、白、肺、呼吸、盗、元情、鬼魄
南方、丙丁、火：礼、紅、心、循環、淫、元神、識神
北方は壬癸に属し、水を表す。智、黒、腎、泌尿、酒、元精、濁精を象徴する。
中央、戊己、土：信、黄、脾、リンパ、妄、元気、妄意
##無極駕前　九天玄女仙姑
無極より旨を頒ちて天書を著す　　駕前に侍して母の徳意に駐す
六合の作用を遍く照らす
大いなる宇宙の五つの象徴は、有情なる衆生の行いと作為を見守っている。すべての存在は五つの象徴を生存の拠り所とし、大いなる宇宙の五象と調和する基準点を見出すことにより、この天地に生きるすべての衆生は向上を遂げ、基本的な枠組みを超越することができる。大いなる天地の五象と相互に融合することが必要である。
また「天地君親師」を「東西南北中」に置き換え、さらに「仁義禮智信」という相互関係について論じることで、人倫道徳から有情衆生が依拠する五つの象を展開させている。これは大宇宙の天地に存在するすべての五象を融合させ、五行を相互に結合させるものであり、五行をもって相剋させるものではない。
五つの相が観察されると、人類世界のあらゆる生存の方向性は、まさに生活の拠り所として存在し、宗教的信仰に依って帰依する。また、このような霊性世界と実相世界の関係において、もし相互に融合することができなければ、必ずや修行の主要な基準が宙に浮き、修行こそが精神の方向性を高めるものである。
五つの角度から実施する
また、精神界と実相界において、両者が融合して初めて成長が可能となります。有情の衆生は往々にして精神と実相を統合することができず、むしろ精神と修行の側面のみを重視するため、生存の最も重要な依り所から離れてしまいます。なぜなら、宗教信仰の鼓吹のもとでは、一体どうなっているのでしょうか？
精神領域をより高遠なものに喩えることがしばしばありますが、それは日常生活の支えを失わせ、人道としての生存という関門から離れてしまいます。もし修行のみに重きを置き、実際の生存の重要性から遠ざかるならば、まさに相互補完による向上は成し得ません。生存そのものに重きを置くようになった時、いったいどうなるのでしょうか。
それはまるで修行をしない衆生のようで、生存の拠り所さえあれば、いかなる宗教的修行も重視する必要はなく、むしろ自分を悪業を造る環境に陥らせるだけで、より大きな成長の余地はまったくありません。生存と修行は、互いに融合し高め合うべきなのです。
六合に満ちて互いに補い合い作用する
すなわち、人間世界は「東・西・南・北・上・下」の範囲内で統治されるべきものである。もし自己との調和が図れなければ、生存の基盤となる条件から離れ、さらに基本的な範疇における統合も困難となり、人道世界は向上しがたい環境に置かれることになる。
生存志向の障礙に陥り、自らの修行を統御して調和を図ることができなくなってしまう。人類が生きるこの対弥倫空間においては、大いなる天地のすべての衆生を観照する視点から、対弥倫の正道が本来備えるべき基本的条件とは何か。いかに修行すべきか、いかに潤いある生を営むべきか。まさに今この瞬間において成長を遂げなければならない！
弥倫が本来備えるべき基本的な教化の機能は、必ずや弥倫が六合において「東西南北上下」を融合して連なり、すべてを貫通して阻害されることなく、また「巻の密中」の作用に従うことにある。いかにして「六合を弥倫」できるのか。さらに大いなる天地のすべての参与する演化と演繹をもって、人道世界を潤い調和させるのである。
特に人類世界の生存は、大道が主導する一貫した作用によって成り立っています。この条件をいかにして、人類世界の繁栄向上に活かすかが、真の成長と言えるでしょう。そうでなければ、いかにしてさらなる創造や革新的な研究開発のプロセスを生み出し、未来の有情衆生が後顧の憂いなく生きられるようにできるでしょうか。
彌倫はどのように向上させるべきか
このような福祉を実現することこそ、現代の人類が持つべき基本的な理念と行動であり、まさに「巻密」の中に示された「六合に弥倫する」境地を体現するものなのです。大宇宙の天地に生きるすべての動植物が、万物の生あるものの安らかな生活を守り育む恵みを受けられるようにするためです。
また、天地の有情なる聖神、仙仏、菩薩、高真たちも皆、共に協力して創造に携わり、人類世界に徳と恵みを護り授けることができます。ただし、はっきりと理解しておく必要があります：この大いなる天地のうち、すべての天界にいらっしゃる聖神・仙仏・菩薩・高真たちは、時を選ばず、絶え間なく人類地球の有情なる衆生を護っているのです！
他の星の異種による侵害を受けさせず、さらに「天魔の境界、阿修羅の衆生」が害をなすことを許さず、むしろそれらを逆用して有情衆生を成全し成就させる。これこそまさに、上蒼が万物衆生に与えられた大いなる徳沢であり、またすべての天界の聖神仙仏菩薩高真たちも、皆このようにされているのである！
いかなる宗教・宗派の聖神仙仏を問わず、すべてこのように働きかけ、大宇宙の天地に存在する有情・非情の衆生、およびすべての動植物を護り育む。人間の世界に成長の契機があってこそ、大いなる道に対して多くの研究開発が可能となり、有情世界のあらゆる衆生に徳の恵みを創造することができ、これこそが真実の姿なのである。
六合は人類衆生と互いに合致する
これは天地の「東、西、南、北」の方角と「東南、東北、西南、西北」などの八方位を統御するものであるが、この種のものは「上下」の両者を欠いている。上界の聖神仙仏菩薩高真など、幽冥世界及び人道世界を含むものを通して、安らかな護佑への融合を図る必要がある。
このような境地は、大いなる天地に存在する全ての有情衆生を守り庇う働きにおいて、必ずや天界の聖神・仙佛・菩薩・高真の成就に依り、また下界の幽冥世界に沈む一切の有情の亡霊たちをも含め、人道世界において陰陽両方の利益を貫くことが、正しい道なのである。
また、六合とは天地四方のことであり、六合が広く行き渡ることで、はじめて人道世界に対して統合と潤いの働きかけができ、人道世界を守護することができる。また、人道世界の有情衆生は、天地のすべての生存の方向性と精神に対して、修持が完全に通じることができず、さらに多くの知識と観念の成長にも欠けている。
六合を遍く覆う主たる本性
また天地のすべての生存と精神霊力の通潤点を体証することができず、さらに台湾と一部の他の世界の国々は、炎黄の子孫として別の次元の教化を行っているため、霊的なメッセージの受信において相互に体証し合い、自らの心性によって主導されることにより、必ず多くの顕現が現れるが、これらはいったいどのような原因によって形成されているのだろうか。
個人の観察と表出によって、天地と相互に補完し合えるか、それとも他の霊的メッセージを受信するだけに留まるかは、すべて個人の因縁によって導かれます。また、霊的メッセージを受信する際には、必ず成長を向上させなければならず、下降や制限、障害に陥ってはなりません。しかし、往々にして人はただ沈み続けるだけなのです。
個人が霊力を感受することで確認されるのです。なぜなら「弥倫於六合」とは外へと広がることであり、「巻之於密中」の本来の姿へ回帰することが欠けているからです。この過程において、自らの心性を主導することができず、かえって霊的な情報を感受することに沈溺し、判別することもできなくなってしまうのですから、どうしようもありません。
大道は密かに巻かれ、六合の根本は天機を造る。
人世の過程に霊が来て迎える　　個人の体悟がその本義を明らかにする
大いなる宇宙の五つの象が根源にあり
天地の融合はすべて思いのまま
修行と生活の両立は相まって良し　　有情を成就して天地の器と為す
この偈を、有情の衆生と共に励まし合いましょう。じっくりと味わえば、いかにして自らをより超越した修行者たらしめるかがわかります。ただ「霊的なメッセージ」に頼って受け取るだけに留まらず、また自らの奴隷となるだけでは、自らを成長させる原動力など生まれようがありません。これこそが現代人類の最大の障壁なのです。
皆様、お疲れ様です。本日は麻仙姑姉妹の厚意あるお招きにより、大道シリーズ叢書の著作に参加させていただきました。これは大道シリーズが一冊また一冊と積み重ねられてきた集合であり、南贍部洲における初めての殊勝な大因縁でございます。どうか大切にお守りいただきますよう、崇心堂にお邪魔して未来の導きと成就について共に語り合う機会を心より願っております。
##虚空彩雲仙姑
虚空無極本より一たり　　霊会は有情衆生に宜し
仙姑が壇に登り賢者と会う　　大道一貫こそ玄機の本
諸聖仏と諸賢生、および無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は無極駕前より董雙成仙姑が降臨され、『大道一貫・第十五回 弥倫六合』を著作されました。これは大いなる宇宙の五つの象を相互に連携させて受け入れるものであり、有情衆生が互いに融和し、今この瞬間に一体となることができるよう示されています。
なぜなら、大いなる天地には人間の世界だけがあるわけではなく、数多くの有情の衆生や、肉眼では見ることのできない神霊の世界も存在するからです。さらに、天魔や修羅の境界もすでに人間の世界に降りてきており、修行者に対して別次元の試練を与えています。いかにしてこの制限を受けず、自らの学びを通じて成長していくかが問われているのです。
「正等、正覚、正信、正念」という観念を持つ必要があります。天魔や修羅の境地の周波数と互いに受信・干渉することなく、ましてや天魔の奴隷の中に入り込むことのないようにしなければなりません。では、どのようにして確固たる基盤を築くべきでしょうか？これによって確認することができるのです！また、天魔や修羅は、大道を修める者に対して、逆説的に完成へと導く役割を果たすのです。
無事に通過できるか、それとも障害の中に沈んでしまうか？それではさらに上のレベルへと向上することはできません！まさに自らの心性と霊性によって知ることができてこそ、有情の衆生が「霊的メッセージ」を受け取る過程において、自らの主人となるのか？それとも自らの奴隷となるのか？がその場で判別され明らかになるのです！
皆さんが静坐修行によりより大きな悟りを得られるように、あるいはただ人数を揃えるために堂に来るだけにならないように！じっくりと感じ取ってください：崇心の磁場と気場の中では、とても穏やかで温かみがあります。これは他の道場では到底及ばないところです。また、一部の方々は霊感を通じてメッセージを受ける過程を好まれますが、十分に注意を払う必要があります！
もし真理が明らかでなく、しかも自分に対して警戒心を保つことができず、仙仏の加護も得がたい状況にあれば、まさに自分を益するものとはなりません！それどころか、かえって自分の霊的障害に陥りやすく、どうして自分が真に「心を明らかにして本性を見、悟りを開いて果を証す」という体得ができましょうか？非常に難しいことです！
単なる霊的メッセージの受信に留まるのではなく、霊的障害に陥りやすく、根本的な問題解決には至りません。このような学生がどうして真の体得を得られましょうか。知るべきです：崇心の教えは他の宗教の縁とは異なり、人類衆生が恩恵を受け成長することを提供し、必ずや良き超越をもたらすのです。
まさに「正等、正覚、正信、正念」であり、一般の道堂や宮廟が教えるような、単なる霊的なメッセージを受け取るだけのものではありません。もし霊的なメッセージの受信に留まるだけでは、「明心開悟」や「見性證果」という真の成長を得ることは非常に困難です。霊的なメッセージの障害を超越し、より真実に「真如一境」に入って成長することが、正しい道なのです。
##無極駕前　麻仙姑
無極理天に成し全うし　　駕前に侍して母の徳意を旋らす
許飛瓊が崇心堂に降り立つ　　天樞七星の大道篇
天樞七星の作用
大寰世界におけるすべての生存の方向性と行動には、一定の方向性と方位があります。それによって有情衆生は、生活を潤し修行を実践する必要性を行使することができ、人間世界においてそれを獲得し成就することができるのです。また、有情衆生は五行の中にあって、生存の方向性を成就する過程において、自らを相互に補完し合う働きの中に置くことになります。
五行「金、木、水、火、土」によって主導され、大いなる世界に生きるすべての動植物は、「日、月」の星辰の定位によって初めて守護の働きを得る。これはまさに、大いなる天の枢軸である七星を定位として大いなる徳の恵みが与えられ、潤いと安らかな生存に必要なものを提供するのである。また、これは有情の衆生には理解しがたい実相でもある。
天枢：星辰を以って定位をなし、また日月が大寰天際に定位するに当たり、まさに「日月妙合」によって銀河星系を光耀させ、人類に潤いある動きを向上せしめる。宇宙の南贍部洲星際に潤合をなすのみならず、大寰天際のすべての星辰に定位をなし、天地を護佑し眷顧するものである。
天樞は星辰の定まる所
また必然的に頼る必要がある：日、月、星辰、そして金、木、水、火、土の各星々によって位置を定め、南贍部洲のすべての星々が依拠し守護されるに至る。必ずや金、木、水、火、土の星辰を通じて、互いに位置を定める中で依拠し合い、いずれも大道の運行する自然の法則に背くことはない。
このような条件は、各々の星々に相互に従う動作をもたらし、同時に大宇宙の有情なる衆生を護り助ける。それによって、それぞれの星の間には相互に保護し合う動作が生じる。また、天の枢軸においては、「日・月・金・木・水・火・土」の七星が相互に位置を定め、自転と公転の法則の中で均衡を保っているのである。
まさに大道は公正平等を伝え導き、各惑星の自転と公転の法則を循環させている。これは大宇宙の枢軸である天王星、海王星、冥王星などに対してだけでなく、全ての惑星に対しても公正平等であり、この法則に従って運行している。それによって万物蒼生は、安らかに住むことのできる空間を得ることができるのである。
七星伝導所依帰
七星：すなわち南贍部洲において、すべての運行する星辰（球体）に対しては守護の働きがあり、銀河系の星々は互いに依り頼り合い、それぞれの星が自転と公転を行うことで、なおかつ宇宙の大道の運行に従わなければ、銀河系の星々を相互に守護する働きが生じ、守護の動作が現れるのである。
宇宙空間には多くの隕石があり、常に銀河系の他の星々を襲撃しています。大宇宙のすべての天体――金、木、水、火、土の星々、天王星、冥王星、海王星などの多くの星を含む――に対して、特に地球空間においては「太陽と月」を守護の印として位置づけています。
同時に、宇宙の法則によって惑星は軌道に沿って運行し、つまり大道の進化の中で各々の惑星が公転と自転を循環する際、すべての外部からの隕石を消滅・除去し、必ずや南贍部洲の惑星間で発生する追突と衝突を減少させることができ、これは有情の衆生の原霊に対する保護作用となります。
上蒼の大いなる徳沢：それは各々の星が、外部からの隕石の追撃と破壊を受けずに済むことである。まさにこのように、すべての星と、情ある原霊の衆生が守護と眷顧を得られるよう、これほどまでに深く愛されている。これは人類の衆生にはなかなか理解し難い観念であり、また宇宙に古くから存在する大いなる徳沢でもある。それはまた、各々の星のすべての安穏を守り護っているのである。
天樞七星の成せるわざ
天樞七星はすなわち：金・木・水・火・土によって、互いに補完し合う働きがあり、さらに互いに刑剋を解消するのです。大宇宙の全ての星々に対して、まさに全体の星辰を異なる五行星系に区分し、また金・木・水・火・土に分けて、互いに補完し合い、互いに守り合うようにしているのです。
外界の隕石が他の惑星へ投げ出される際には、相互に引き付け合い反発し合う作用があり、銀河系の他の惑星に接近する機会を与えぬよう、衝突と追撃という大災難を引き起こさないようにする。これこそが、上天の法則が大道を成就させる所以であり、いかにして大道が銀河系の全ての星辰に従い、規則と守護をもたらすのであろうか？
まさに大寰天樞の七星は、互いに「相生と相剋」の作用を有している。相生とは、大寰天樞のすべての星を守護する働きであり、相剋とは、外部から飛来する隕石に対して斥力と破壊の刑剋作用を示すものである。このような相生相剋の働きによって、大寰天樞のすべての星と衆生は守護されているのである。
すべては平穏無事に共存することができ、銀河星系において向上と超越を果たし、宇宙の大道が公律を運行させる。天地星辰の定位によって、人類が生存する地球空間が形成され、まさに「日月の光明」が大いなる天地を遍く照らしている。また、宇宙のすべての星々に対しても公正平等であり、それぞれの星が運行する中に存在している。
日月星辰の普く照らすところ
地球の科学技術文明をはるかに凌駕する多くの文明が存在し、まさに人類世界の科学技術文明では到底理解し得ない知識観念があります。もし他の惑星の文明を真に悟ることができれば、それらは地球の科学技術に勝るとも劣らず、また一部は地球の科学技術文明よりも遅れていることが分かるでしょう。
しかし霊性の本質においては、地球人類の霊性に勝るとも劣らないものがある。ではどうすれば急いで追いつくことができるのか、これこそが最も重要です！はっきり認識すべきは、この30年の歳月において、地球のあらゆる科学技術は目覚ましい発展を遂げており、未来には必ずや他の惑星の科学技術文明の向上を追い求めることができるだろうということです！
まさに、根源的な大道が統御と主導を行う存在があり、それは「無極虚空」によって司られています。これは、有情の衆生には理解し難い過程であり、大宇宙のすべての星系に対して相互に守り助け合い、そして生存の安寧を通じて、あらゆる霊的存在と衆生の居住環境の質を高めることができるのです。
大いなる天の枢に七星の位あり　　金木水火土日月
運行する公転と自転　　五行は相生相剋す
隕石はこの星を追撃す　　ここにおいて五行を以て離を破る
相生融合して大地を覆い　　正導の作用は互いに合う
この偈は、有情の善縁ある者たちが互いに未来の科学技術文明を築くならば、たどるべき方向を見出すことができる。知る必要があるのは、未来においていかに自らを成就の因縁の根本へと向かわせるかであり、それこそがすべての生存空間に対して真実のあり方であり、相互に守り合い成長し、また万物の蒼生に大きな徳沢をもたらすことになるのだ。
また、大寰天樞に存在するすべての星辰、すなわち太陽、月、金星、木星、水星、火星、土星、天王星、冥王星、海王星……を含むあらゆる星々は、まさに1200余億万もの星球から構成されており、南贍部洲の銀河星系において、大道の正しい導きのもと、自然のままに運行する作用をなしているのである。
本日は、麻仙姑姉妹が共に『大道一貫』を招き著わすことにより、この天樞七星を主題として、南贍部洲の有情衆生に対し、未来の科学技術が主導する方向について思索を深めさせ、人類衆生の大きな福祉を成就し、向上させることを可能とした。これは、人々が生存する安適な空間である。
##虚空天尊　福德明王
虚空無極は元より一つの始まり
彩り豊かな霊徳は宇宙の機微に遍く満ちる
仙姑、台に登りて賢生に会う　　大道一貫、書を著わす期
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は無極駕前より許飛瓊仙姑が降臨され、『大道一貫・第十六回 天樞七星』を著作されました。これまで人界で縁がなかった事柄を解き明かし、皆様に金・木・水・火・土の星辰の存在について知らしめられます。
大寰天樞に存在するすべての星辰が保護を行うには、必ず大寰天樞が無数の星球に対して通じ徹している必要があります。これにより光明世界が大道によって融合され、人間世界の科学技術文明が正しく導く役割を果たし、大道の自然な運行軌道から外れることなく、まさに真実のままに正しい導きの軌道で自然に運行することができるのです。
まさに、星々の間で追撃や衝突が起こらないのは、上蒼がどの星にも大道自然の法則を適用し、このような帰依が公正かつ平等に作用するようになっているからであることを知らねばならない。このような上蒼の大いなる恩恵は、南贍部洲のすべての星々にとってどのようなものだろうか？我々が見ることのできるのは、限られた生存資源だけなのである！
地球の科学技術に対するすべての動作要求を明確に理解するには、大宇宙が無限無尽の大いなる恩恵を、公平かつ公正に各惑星体の間に施し、あらゆる霊的生命の生存を守り育むことを体得しなければならない。同時に、未来の科学技術の進化に対しても、実質的な向上と恩恵をもたらすことになるであろう。
林堂主にはどのようなご高見がおありでしょうか？
問う：各銀河星系には異なる数の星辰があるのでしょうか、特に南贍部洲の空間は比較的小さいのでしょうか？
答：そうとは限らず、また大きさも一定ではありません。他の銀河系にはなお数千億万の星々が存在します。もし皆が崇心に長い時間留まることができれば、上蒼が下される資糧は、まさに他の宗派では到底知り得ない宇宙の大いなる神秘なのです。
師もまた虚空より来たり、大宇宙の一切の実相の過程を了知し得る。すべてはありのままに明白となり得る。もし崇心の主体因縁から離れれば、他の因縁によって明晰に到達することは難しく、ましてやこの契機を得ることはできない。
さらにあなた方に一つの大きな奥義を伝えましょう。南贍部洲には、他の銀河系から「人材を借りてきた」天才たちが多く存在します。彼らは今、この地球星系を成就させるために到来し、すでに約200万人以上がこの星域に滞在し、研究や発明、創造に取り組んでいます。
崇心は未来世界において、九九八十一の世界を主導する体系の中で、極めて重要な役割を担うことになるでしょう。崇心を離れては真の契機を得ることは難しく、また台湾においても崇心宗脈のみが存在します。皆さんには一部が見える部分もありますが、一部は見ることができないのではないでしょうか？これは天機に属するものであり、論じるべきことではありません。
過度の時期を理解し得るならば、目の前の問題をどう処理すべきか？まさに「霊障」を選別することが最も重要であり、もし改善できなければ、脱しようと思うか？縁に任せよ！無理に求めて何になろう！そもそも気にかける必要もなく、まさに自らを霊障の中に閉じ込め、天魔や修羅を魔の子孫の列に加えるだけである！
##南天主宰　文衡聖帝
無極より旨を頒ちて崇心に降る　　九天玄女の至誠心
仙女の徳は真心に満ち　　天地八政は実心を本とす
天地八政の提昇する所
有情なる衆生が理解する知識は、大いなる天の枢たる七星を以て観るならば、あらゆる生存の方向性と行動は、現代の時代性と融合させ、銀河星系を主軸として統御される。各々の星々は互いに引き上げ合い、大いなる天の世界において相互に成長するという根本的要義を達成し、生存の安寧と適応を実現するのである。
各惑星に存在する有情の原霊は、「霊性と肉体」の改造と向上を通じて成長することができます。この向上の過程で豊かな資糧が与えられ、それぞれの生存環境において、あらゆる個体の霊性は過去よりも真の悟りを得るでしょう。まさに自らが向上を成し遂げるのです！
人類が「心を明らかにし、本性を見る、悟りを開き果を証する」という実践的体得は、それぞれの時代と環境が提供する資源によって判断される必要があり、成就の過程においては、人類の信仰もまた心を明らかにし本性を見る、悟りを開き果を証することに欠けている。このような条件において「心を明らかにする」というすべての性質を識別することは、必ずや「本性を見る」という本体によって、性の本質に対して確実かつ透徹した理解を得ることになる。
八政の基礎とはまた何であるか
「開悟」を通じて過去の因縁を体得し、「証果」の実際の過程をもって現代を完現する。では、「明心見性、開悟証果」をいかに実際的に下化していくか？現在の生活の中から、あらゆる宗教がこれによって向上し、成長していくことが必要である。
まさに「心を明らかにして本性を見、悟りを開いて果を証する」ことを、現実の生活の中に真に実践し、有情の衆生が潤いある生き方を選べるように導くことで、その広大な徳は後世の子孫にまで及びます。また、今を生きる自分自身も、有情の衆生も、皆「心を明らかにして本性を見、悟りを開いて果を証する」という境地へと、有情の衆生が互いに導き合いながら至ることができるのです。
もし他の惑星の運行という概念を超越することができれば、「明心見性、開悟證果」はすべてごく自然な条件となります。この境地に至れば、自らの生存する現在を下化し、自らの本来の心と本性を明らかにして悟りの証果を体得し、未来の成長における福祉の向上を完全に実現することができ、さらには超越さえもできるのです。
なぜなら、有情衆生が追い求める目標はそれぞれ異なり、全体の過程における試練も異なり、体得（悟り）する目標も異なるからです。すでに授けられた徳の恵みによって、「明心見性、開悟証果」を通じて向上することができます。現代の幸福を求める目標は、すでに日常の生活の実りとして現前しているのです。
天地八政は科学技術の基盤である
天地：これによって有情の衆生のすべての生活のよりどころを達成するのである。このような条件は生存の方向性に対して、ただ生存環境に対してどれだけの利益を得られるかだけを知っているに過ぎず、明心見性し、悟りを開き証果を得る者がまさに稀であることも知らず、また福祉を下ろして人類の衆生を潤すことも難しいのである。
また、心の本性を悟り、開悟して果を証する者にとっては、大宇宙のすべての星の運行を徹見すべきであり、そもそもそのような観念さえ持っていないのに、どうして真の徳の潤いをもって生存の方向性を育むことができようか。それはまったく法にかなわぬ作用である！そもそも科学技術文明に対して、各人の行いの条件と縁をいかに示すべきか、まったく理解できないのである！
本当に実践してこそ利益が得られるのであり、もし自分自身が無限の恩恵を受けられないならば、ましてや福徳をもって有情衆生を潤すことなど到底できません。このような条件下では、どうして天地の間で、すべての資源を善用して開発と創造を行わせることができるでしょうか。必ず四方の位置づけを通じて、八方に連なることを成し遂げなければならないのです。
八方は八徳と八卦を連ねる
これらはまず、孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥の八徳によって実践され、さらに東、西、南、北、東南、東北、西南、西北の八方へと連なり、また乾、坎、艮、震、巽、離、坤、兌の八卦において、「先天八卦」と「後天八卦」を結びつけるのである。
また、金・木・水・火・土の五行が互いに補い合いながら、「八正道」を潤し和合させることもできる。さらに天地の八政は、東・西・南・北・東南・東北・西南・西北をもって互いに連なり、孝・悌・忠・信・礼・義・廉・恥を実践していくのである。
まさに八卦：乾・坎・艮・震・巽・離・坤・兌によって到達される。また、人道の生存において向上すべきは、関連する条件において「金・木・水・火・土」の五行を適用可能なすべてに相生の理をもって科技に応用し、人道生存の「明心見性」と「開悟証果」を成就することにあると観る。
八政の下化する所はこれ正道なり
真に下界の人道世界を教化するには、科学技術文明の創造過程において、もし先見の思惟作用がなければ、どうして実際に未来の成就の青図を完成し、利益を受けることができようか。まず思惟観念を主導とし、科学技術文明がもたらすすべての文明的障害を、いかにして解消すべきかを考えなければならない。
すなわち、金・木・水・火・土の五行によって向上発展を達成し、また創造を行うこともできる。これは大宇宙の天地に存在する有情衆生が享受すべき徳の恵みを潤すものであり、科学技術文明による洗練を通じて、文明の創造と研究の働きも可能であることを理解させる。科学技術による創造研究を通じて、有情衆生に徳の恵みを潤すことを達成するのである。
天地の八つの政（まつりごと）は、「正等、正覚、正信、正念、正行、正道、正心、正定」に入り、互いに補い合う。また、この八正道は、現在のあらゆる宗教が最も欠いている機能であり、どうやって達成するかというと：東、西、南、北、東南、東北、西南、西北の八方が、それぞれつながり合っているのである！
また、孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥の八徳は、乾・坎・艮・震・巽・離・坤・兌の八卦と相互に連関させることができ、科学技術文明を通じて、宗教が体得してきた明心見性や悟りを開き果を証するという境地を、人類衆生が達成し、徳の潤いをもって成長させることができるのです。
天地八政は科学技術の最先端である
まさに有情衆生により大きな成長の余地を与えることであり、かつての「法術による変異や虚妄の作用」にのみ頼る障害を避けなければならない。大宇宙のすべての実相世界は、人間の生存を通じて一歩一歩開拓され発明されてきたことを体得する必要があり、より実際的に有情衆生すべてが無限の恩恵を受けられるようにすべきである。
未来の科学技術を体得しようとするならば、このような思考の方向性を持つことによっても可能であり、またこれによって未来への方向性を持つ作用が生じ、未来の科学技術文明を貫徹し通すことができる。あらゆる生存の方向性に対する徳の恵みと目標とは、まさに現在において確固たる基盤を築くことにあり、あらゆる悪しき禍いや業障を生じない作用を通じてこそ、真実の性質と言えるのである。
有情世界のすべての研究、発明、創造は、「宗教的な善徳信仰の思考」によって構築されるものではありません。宗教に入ったからといって、ただちに研究や発明、創造ができると考えるのは、あまりにも浅はかな認識です。このような宗教に入りながら悪業を重ねる者は、実に数多く存在しているのです。
もし明心見性や開悟証果を経由する方法がなくとも、次のことを通じて理解することもできる：未来の科学技術文明が、真の徳沢をもって多くの人々の福祉を潤し、また上天に対して見るならば、宗教信仰を応用して明心見性・開悟証果を得られる者が、主導的な機能と効果を発揮できる。まさにこの働きにあるのである！
天樞七星は主理をなす　　金木水火土ことごとく宜し
未来科学技術文明展　　心を見極め本性を悟ることは契約に合うが如し
悟りを開き果を証することは本来の実相であり
善き徳の因縁はすべて天の意による
創造研究を以て発明を成し
徳沢は潤して衆生の機を滋す
この偈は、有情の善縁に恵まれた衆生が互いに研鑽を重ねることを示す。未来には必ず真の導き手と教化者が現れ、天の審査と試練を経て、明心見性し、悟りを開いて果位を証する者たちが、未来における研究と創造の徳沢を司り、大いなる徳沢をもって有情衆生を潤すこととなる。
ただ宗教に入って名分だけを占める者、悪を造り災いや業障をなす者、この時代には至る所に存在している！もし機会があって未来の科学技術文明を主導し、統理する立場に立てば、このような主事の衆生が大衆を福蔭できるだろうか？とても知り難いことである！常にすでに私心を以て自ら用いているのに、どうして衆生を利益することができようか？考えてみればすぐに分かることである！
本日は崇心六年目の佳き吉慶の佳辰を拝し、麻仙姑姉妹の厚情あるお招きを賜り、『大道一貫』の著作に降臨されました。これにより未来へ通徹する因縁を下化し印証されるとともに、理筆宗主の労苦に満ちたご尽力は、誠に肯定と賞賛に値するものでございます！崇心をお騒がせいたしましたが、未来の弘化を推し広める一助とさせていただきます。
##済公活仏
懿勅崇心六載慶　　虚空無極仙仏臨
彩雲仙姑が舞台に登りて会す　　大道の弘展を慶賀し親しむ
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は無極駕前より九天玄女仙姑が降臨され、『大道一貫』第十七回において天地八政を詳しく分析・解説されました。『大道一貫』の全著作はさらに科学技術文明の領域に踏み込み、一つの主要な条件と役割を備えております。
いかにして未来の科学技術文明の暴走を認識し、真に「道徳を備えた者」を選抜して統治させるべきか。そうすれば、良からぬ宗教信仰を持つ者が機に乗じて導くこともなく、罪悪の源を減らすことができ、さらに有情衆生への危害にも影響を及ぼさない。これは人間社会が必ず留意すべき思考である。
今日の著作に込められた内実をよくよく細かく研究すれば、未来の科学技術文明をいかに実現すべきかが明らかになる。人類の福祉を持続させるためには、必ずや大いなる徳を備えた者が統率し主導せねばならず、これは未来の時空において必ず起こることであろう。時勢が英雄を生み出すが如く、人類が如何に選択するかこそが正しい道なのである。
問う：先天八卦と後天八卦の違いとそれぞれの役割は何か？
答：「先天八卦」と「後天八卦」の違いは、「先天八卦」が凡俗に降りた後、あらゆる時期の違いによって生じたものであり、現在の「後天八卦」ももはや通用せず、ただ人間の八卦の限界に応用されるに過ぎない。
「理心（天）八卦」を起用するには乾坤を対正に置き、これによって演繹を行うことができます。堂主は当然、さらに応用可能な点を理解すべきであり、もし明確に把握できない場合は、土曜日に再び集まって共に研究しましょう。「理心八卦」とはすなわち「理天八卦」であり、また「虚空八卦」「無極八卦」でもあります。本来このようなものであり、今この場で応用可能なのです！
##南極長生大帝
無極の御前に理天より来たり　　本宗脈の副宗師に載せらる
麻仙姑が崇心堂に降臨され　　天地の九如は主がお定めになる
天地九如が連なりて
大いなる天地は「五行」によって生み出され、まさに「八卦」と「七星」がすべての導引の過程を担い、大いなる天地に対してすべての人類世界の生存の方向性を提供しています。個人の成長と学習においては、大道が生存への恩恵を結びつけ、このような条件によって潤いある生活の基本的要求がもたらされるのです。
さらに人倫の規範から道徳規範へと進み、初めて人類世界の生存におけるあらゆる向上の因縁と根本を促進することができる。したがって、このような条件を提唱し実践するにあたり、「八卦と八正道」を人道生存の依拠となる基準として用いる。これは人類が潤いある生活を営み、安らかで適切な存在空間を持つためのものである。
天地が徳と恵みを展開するのは、「八正道」が「九如」に対して示す過程によるものであり、生存規範を主導として扱い、主導的な生存の方向性を基礎とすることが必要です。そうして初めて、八正道は人倫道徳の基準を提唱することができ、このような人道の基準によってすべての生存の方向性を見つめることが、主要な因縁の本質を高めることになるのです。
天地の正道は九如なり
もし天地のあらゆる資源を採取することができなければ、人倫の世界における生存を主導することもできない。なぜなら、人倫の世界では生存の志向を通じて採取を行うことで、生存の基本的な要求は個人の行動によって達成され、生存の志向に対しても相互に依存し合う過程、相互に補い合うことが可能となるからである。
これは大道の展開に対して正確性を持ち、さらに、人道の生存規範と倫理道徳から逸脱することはありません。天地の進化において、もし衆生と万物の観点から見れば、まさに「主導する機能と行動の原動力」という依拠する過程があり、人類の生存に安らぎをもたらし、長きにわたる福祉と徳の恵みを人間世界にもたらすことができるのです。
九如：これは八正道から九の極数に入ることであり、「九は天、六は地」であるため、九の天相（象）と六の地相（象）によって、九六原霊の数が存在します。したがって、「天」と「地」の両方で帰納し、天地の数の根本を論じます。もし多くの原霊の数で論じるならば、それはいかがでしょうか？
九六が導き手となるが、しかし九六の原霊だけなのか？そうではない！天の極数と地の極数は、九と六の働きによって「九如」の基本過程に入り、大いなる天地のすべてが人道による生存を通じて、基本の働きを摘み取り守ることができる。これによって良きものが増長していくのである。
九如の極数、天地に帰納す。
まさに「天地九如」をもってさらなる成長と超越を図り、九如を人道世界に応用し、「九之如用」によって人道を九六原霊から昇華・回帰させるのである。人道世界が理解できるのは単なる数と次元に過ぎず、また有情衆生の原霊という観点から見れば、九六や九二原霊だけに限られるものではないのだ！
九の極数は天を依り所とするため、必ずや九の一たる九重天と九重地に帰着する。その根源はまさに「三十三天と三十六天」を基盤とし、九の極数において十全の円満に入り、さらに「かくの如し」という全体の過程と作用を、より深く分析し透徹させることができる。
大道は天地の極みの数であり、陰陽両儀はすべて人道世界と銀河星系において相互に融合することができる。その連なりは天地を以て応用するものであり、日、月、金、木、水、火、土、海王星、冥王星、天王星のすべての星系を定位の主導とし、また金、木、水、火、土の相輔相成によって基本的な動能をなす。
有情の衆生が存在する世界は、すべて金・木・水・火・土の五行によって規制されています。もし金・木・水・火・土の五行の働きを理解できなければ、福祉を向上させ、人類の生存と継続する生命を創造することもできません。まさに金・木・水・火・土の五行の星系によって依りどころとされているのです。
五行は九如に帰納される
大道もまた、金・木・水・火・土の五行に従って依拠するものである。必ず知るべきは、人類世界が南贍部洲にあり、すべて銀河星系を導きとして、豊かな資源を提供し、人道の生存と発展の機能を高めることができるならば、大道を通じて大いなる徳沢を演繹し、有情衆生を利益することができるということである。
銀河星系：それは単に南贍部洲の地球星系だけではありません。大宇宙全体のあらゆる資源を活用する必要があります。科学技術文明の創造過程において、まさに人道世界が生存する地球星系が導き手となり、未来には多くの有情衆生が引き継ぎ、人類の種子因を向上させることになるのです。
それゆえに「優生学の品種」によって達成され、それぞれの原霊が導きと超越を行うことによって、この銀河星系に対して、すべての大宇宙の星系に対して、すなわち：太陽、月、金星、木星、水星、火星、土星、天王星、海王星、冥王星……、すべての1200余億万の星系を向上させるのである。
したがって、科学技術は未来の地球星系の福祉と超越を創造するが、どうすればそれによって各星系が互いに補完し合いながら超越を達成できるのか？それは九如来の潤いと融合によって可能となる。なぜなら「九如」こそが「順生」であり、「如九」はすなわち「逆生」であるからだ。このような概念は、人類には根本的に存在していない！
順生逆生人生の真理
順逆は次のような作用を引き起こす：金・木・水・火・土の星（五行）の星系及びあらゆる隕石の追撃において、また各惑星が導く力との間には、必ず引き合い反発する作用が生じる。さらに、この引き合い反発によって惑星間で悲惨な衝突が起きないのは、まさにこの規範と軌道に従って運行しているからである。
これは「九如」が公律を運転し、「順生」が相補い合って運化をなすのであり、「逆生」がすべての追撃と衝突を行うのではない。知る必要がある：もし人道世界が円満な「順生」を持つことができなければ、必ずや「逆生」の追撃と衝突の中に置かれ、害をなす行為が形成されることになる！
人道世界における追撃と衝突は、ほんの些細なことに過ぎません。もしも惑星間の追撃と衝突となれば、それはまさに重大事なのです！天地九如はまさにこの原理によって成り立ち、また「順生」と「逆生」の両者に対して真に規範となる軌道を定め、互いに補完し合う動きへと導くことができるのです。
天地は公平に順逆を生じ　　九如はその生に順って中に成る
九逆の生がその禍いを造るが如し　　星の衝突には慎みを要す
体悟は十分に円満を加え　　人道倫理は今を造りて還る
順逆ともに因縁の本を成す　　星球は軌道に循いて巡るを見る
この偈は、有情の衆生が未来の思考の方向性として、金・木・水・火・土の働きにおいて、いかに「順生と逆生」を統合するかを考えるためのものである。これによって、銀河星系のすべての星体がまさにこのような公律に従って運行する条綱を理解し、大道の平等と公正の規範に到達することができるのである。
##虚空龍翔天尊
虚空無極は本理の天　　福徳の衆生は皆愛を顕す
明王が台座に登られると有情が集う
一貫した働きが縁を明らかにする
諸仙佛と諸賢生、及び無極大院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈副宗師・無極元君 麻仙姑が降臨され、『大道一貫・第十八回 天地九如』を著作されました。これは地球星系における過去すべての順生と逆生の基本動作を、極めて透徹して理解し、闡述されたものとなります。
大道の演化する規範と軌道において、いかに平等公正な条綱の中で、大道の正しい導きの役割を果たし、銀河系のすべての星辰が互いに引き合い斥け合って衝突や追撃を起こさないようにするか。銀河星系に生存する動物は、高等な霊力と科学技術文明によって育まれるものであることを知らなければならない。
惑星の福祉が真に如実であるかどうかに関して、「九如の順生」と「如九の逆生」が相互に理に適った動作をすることができるかどうかは、宇宙のすべての惑星が大いなる天際において超越と福祉の徳沢を行い、初めて銀河星系が相輔相成する如実な徳沢となるのであり、これこそ人類の科学技術には全く存在しない概念である。
九如：これは順生であり、九は天の数であり、九の極数である。このように順意と達成があるため、「九如」は大いなる天地に対して正しい導きの役割を果たし、また「九如」が尊崇される所以である。如九：「如」は順の本体であり、如九の後に位置し、すなわち○に返り帰る。故に九の数は既に尽きている。
このように九は、すなわち逆に生ずることであり、このような条件はもう一度やり直すためのものである。「九が天、六が地」であることを理解できるのは、まさに天地のすべての陰陽の数であって、単に九六または九二の原霊だけではない。また天地と陰陽に対して、九は陽の極み、六は陰の極みであることから、その違いを分けるのである。
言えることは、九六は即ち天地の陰陽の数であり、また「九如」と「如九」は正に異なる働きを持つということです。たとえただの逆転した数に過ぎないとしても、しかし「毫釐の差が千里の誤りを生む」のであり、将来には大きな差異が生じ、人類が理解し難い科学技術文明へと変容することになるでしょう。
師匠は久しぶりに登壇しましたが、皆さんは私を見て笑っていますか？それとも少し可愛らしいと思っていますか？では、皆さんと一緒に「揺れ動いて」みませんか？とても貴重な機会です！こうして舞台に上がって一堂に会したのですから、皆さんそんなに緊張しないでください！何か疑問があれば質問してください、皆さんの迷いを解きほぐしましょう！
林堂主が問う：天地の理に従うことは本来このようなものであり、逆に生じることが極まるところがまさに順に生じる始まりであり、物事が極まれば必ず反転する道理もすべてこの通りである。これが「順生と逆生」の分かれ目であり、二つの異なる作用と機能である。世の中のすべての喜怒哀楽は「順生と逆生」の両者を通して、成就に至るのである！
天地もまたこの通りであり、大いなる宇宙もまたこの通りなのである！金、木、水、火、土という五行を徹底的に理解し、それによって自らが順生と逆生の中で、真実のままに「理心八卦」を通過し達成することができる。乾坤が相対する理心八卦を体得すれば、先天八卦よりも豊かな資源と作用を備えた境地へと入ることができるのである。
大道を弘揚することはとても容易で、理心の八卦もまた理天の八卦であり、無極の八卦であり、虚空の八卦なのです。まさにこの通りです！今この瞬間に飛び出す必要はありません。なぜなら人間は本来、陰陽によって制限されているからです。ではどうすれば「心を明らかにして本性を見、悟りを開いて果を証す」ことができるのでしょうか？それはまさに、天地宇宙の徳と恵みをありのままに繋ぎ合わせ、理解することなのです！
大宇宙の進化全体の過程を徹底的に理解する必要があれば、無限の宝蔵と資源が存在し、自らと衆生を教化して利益を得ることができる。このように、陰陽においては「自己の主人」となることであり、生存の中でただ「自己の奴隷」となることではない。これこそが真実である！人類の衆生はこれを理解できるだろうか？必ずしもそうとは限らない！
「順生も了知し」、「逆生も了知する」ことによってのみ、障害や制限を受けることはなく、智慧は広がるだけでなく、心の本性を明らかに見て悟りを開き、証果を得ることができる。世の中のあらゆる是非や正誤を心に留めることなく、陰陽の制限を超越し、まさに五行の中から超越へと入ることができるのである。
言葉の中に玄機を含み　　各人それぞれに体得し契う　　順逆の生ずるを知り了る
ただちに天の意を達し
心を明らかにして悟りを開き
本性を見て果を証するに宜し
創造の徳沢は深く
恩恵を受け、各々成就す
有情みな昇進す
相生相剋：それはただ限界の中にあるだけです。すべての悟りは自分自身の中にあり、理解できるでしょうか？皆さん、ご苦労様でした。師匠として滅多に壇上に立つことはありません。ではまたお会いしましょう！
##北極紫微大帝
南天の教化は自然の縁にあり　　主宰する宗教の徳は辺り無し
文衡聖帝は崇心に降臨され、福徳十全の道が顕れる。
九如が福徳の十全を連ねる
「九如」が「順生」と「如九」の「逆生」をなすことは、大道に対する生存の基本的要求であり、必ずや行うことなすことに統一的な動作が生じ、また徳沢によって有情衆生を潤すことになる。大いなる天地のすべての生存の方向は、「九如」と「如九」を通徹し了知し得るかどうかにある。必ずしもそうとは限らない！
また、生存の現在において、「九如」と「如九」をより豊かに準備することで、このように「福德十全」の基本要件に入ることができます。これはあらゆる生存志向の過程において、自らを超越することを提供するものであり、まさに向上の基本原動力であり、必ずや自らの向上成長、高揚超越の恩恵を受けることができます。
福徳とは、まさに有情衆生が最も好んで追い求め、祈願する行為であり、福徳を自らに授けることは非常に有益である。さらに、人道世界において潤いをもたらし、自らの応用範囲を培い、より大きな成長と利益を得ることができる。なぜならば、この因縁条件のもとでは、生存のために求められる成長と利益を実現できるからである。
十全を加え添うれば、即ちこれ福德なり
生存過程を潤すことを与えるのは、「福德」によって具足される。なぜなら、福德が具備しているのは、大いなる天地のすべての衆生に対して、「福縁」の中で利益を受ける過程を提供し、さらに「徳性」を加えることによって、生活が確実に完現される作用をもたらし、人類に良き超越を授けるからである。
自ら潤すことによっても恩恵を受け成長し、また生存の過程においては福徳が示す要求から離れることなく、生存の現在に必要な因縁の本質は、必ずや相互補完的に融合し潤すことができ、それによって生存の志向目標を通じて、福徳の備わりと成就に至ることができるのです。
十全とは、いささかの欠けたる作用なきことを指す。知るべきは、人界においては、もし多くの行使要義を欠くならば、すべての欠陥を修整すること難くならしめる。このような条件は十全の求むるところであり、またあらゆる衆生において達し難きものなり。十全の求むる主要なる機能に対しても、人界においては阻害となることあらん。
十全とは、何一つ欠けるところがないことである。
なぜなら、十全が求めるのはまさに一切の欠点がないことであり、必ず自分に生存を求める基本的な動作を与え、大道が示す基本的な機能を通じて、自分と有情衆生がこのような条件を達成できるようにするからです。それなのに、なぜ有情衆生はより大きな成長の余地を持つことができないのでしょうか？すべては無明に覆われているからです！
全ての存在は生存の制約を受け、自らの存在を潤すことに専念するあまり、本来あるべき円満さを顧みることができず、十全十美も難しくなる。それゆえ、有情衆生はより大きな成長の余地を持つことができず、人道世界において根本的に確立することさえ叶わず、自らの生存における悪しき習性と性質を改めることができないのである。
すなわち、一度ならず二度、二度ならず三度と、自分自身が生存するその瞬間において、自らの良くない習性や性質を本当に改めることができず、行いや振る舞いによって生きるすべてにおいて、大道が示す条件に到達することが難しい。主導し創造するにあたっては、必ずや人道世界においても、ただ向上を妨げる障害点でしかないのである。
福德はどうすれば十全に備わるのか
福徳十全：これは、人としての生存において修行の条件を実行するものであり、また大道に対して示されるものであり、まさに十分に正道公平であり、さらに平等博愛をもって施行される。また、福徳十全について、もし有情衆生が大道の範囲内で行動を行使するならば、人としての生存を通じて十全十美を獲得することができる。
十全が示されるのは、まさにこのようにして達成されるのです。なぜならば、有情衆生はすべて陰陽の対立と相互制限の世界に影響を受けるため、双方が真に融合し合い、いずれか一方に偏ることなく、どのようにして福徳の十全によって、真に有情のすべての衆生に創造の徳の恵みをもたらすことができるのかを、実際に行う必要があるからです。
大道が示す一貫した要求は、「福徳十全」を達成するための基本的な動作と実践を明らかにする。現在の有情衆生にとって、これは先人たちが心血を注いで蒔いた福の種を享受し、この時代にその徳の恵みを被ることである。よくよく味わってみれば、この21世紀において、いかにしてすべての科学技術文明を発展させ、輝かせるかが問われているのである。
人類の心性と霊性はどのようにあるべきか
人道世界は心性と霊性にあり、もし相互に連携して向上させることができなければ、かえって埋めがたい深い溝が生じる。そしてこのような溝は、科学技術文明の時代において、有情衆生の成長の妨げとなる。もし現代の時代と相互に融合することができなければ、はっきりと認識すべきである：科学技術文明に対して一体どのような影響を及ぼすのか？
まさに数千万年にわたる福徳の蓄積を経て、すべての科学技術が幻のように進化した文明の時代において、他の惑星の第一級のハイテク人材を人類の世界に「借りて」下ろし、有情衆生の福祉を潤すことである。このようなことは「福縁」の中にはすでに備わっているが、「徳性」の中ではつまり欠けているのである！
このような条件を完璧に満たすのは難しいかもしれないが、一歩一歩着実に進めていくことで、科学技術文明が真に発揮される空間と成長環境を整えることはできる。これは十分に実現可能な条件である。人類が未来の科学技術を理解しようとする現状は、まだまだ表面的なものに過ぎない！
一から十まで完全に作用する
一なる一如、二なる二辺、三なる三際、四なる四方、五なる五象、六なる六合、七なる七星、八なる八政、九なる九如、十なる十全、これらの条件と因縁によって大道を一貫してつなぎ合わせ、さらに科学技術文明から「知恵を借りる」ことで応用研究と創造が可能となる。いかにして科学技術文明を、真に徳性の光明を顕わす良き時代へと導くべきか！
単に福分があるだけではなく、もし福分が無限に満たされるならば、必ずや徳性をさらに加えなければならない。さもなければ、それは単なる「借り物」の役割に過ぎず、科学技術文明が顕著な時代に限られたものとなる。将来、大いなる世界のすべての衆生は「福分の世界」しか持たず、「徳性の世界」はなくなってしまうだろう。
いかにして徳性と福分を長く受け継ぎ、広く広げていくことができるか。それは教育文化の課程の中でこそ現れるべきものです！有情世界における徳性の働きが、もし福分よりも高く優れたものとならないならば、未来には福分はあっても徳性はなく、そうなれば、上蒼と諸天仙仏の本意とはなりません。
したがって、人類の衆生は教育課程を通じて、この時空の中で確実に実践しなければなりません。そうして初めて、「福徳十全」の根本を人間世界において確実に顕現させることができ、未来の福祉を永遠に尽きることなく創造することができるのです。これこそが、上天と仙仏が心から待ち望み、願っていることなのです。
一如成長して応用をなす　　二辺来たる時陰陽を分つ
三世の過程は真実の如く　　四方に連なりて更に長く続く
五象融合は天地の基　　六合円満は能く宜しきを追う
七星は有情を潤し大いなる恵みをもたらす
八政は因縁に合わせて共に調和する
九如が九如の内に入るが如く
十全の福德は将才を借りて成る
順生と逆生の理を体恤し
永遠に伝承して尽きることはない
この偈を、有情の衆生と共に励まし合いましょう。未来においては互いに潤い合い成長し、現在においては一切の障害を解消し、人道世界に実質的な幸福と限りない恩恵をもたらします。人類の生存には善良で快適な環境が広く普及し、有情の人類衆生が恩恵を受けることを信じております。
##虚空鳳翔天尊
救済は世を救い人々を救う
公正は公の心で万端に利する
生きよ生きよ今生を造り　　仏よ仏よ本因に返る
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は大主席　南天主宰　文衡聖帝が崇心に降臨され、『大道一貫・第十九回　福德十全』を著作され、人間が生存する上で向上し成長し、超越していくという、この世には存在しないとされる観念を解き明かされます。
まさに、一如、二辺、三際、四方、五象、六合、七星、八政、九如、十全を体系的に連関させて説き明かすことである。『大道一貫』の著作においては、まさに真実のごとく、一二三四五六七八九十を、○の始まりから無限に広がるものとして展開するのである。
大いなる天地のすべてにおいて、参与し進化を遂げることができる無数の衆生は、まさに大道が示す基本の課程である。この規章制度に基づいて確立され、これに従って依拠することで、確かな軌道の効果があり、さらに、有情の衆生が人道世界において、真に向上し高まるために求められる要件と因縁の根本を得ることができるのである。
おお！皆の智慧は増し、今日の大主席の著作を理解できるようになったことは、誠に喜ばしいことです。しかし、おそらくそうではなく、本当はどう質問すべきか分からないのではないでしょうか？さあ、師として皆に尋ねます。どうすれば「十全の福徳」を具えることができるのでしょうか？
黙って言葉もない！それはまだ「福徳十全」を備えていないから理解できず、智慧もまだ向上していないのだ。考えてみよ！どうすれば備えられるのか？どうすればよいかもわからない？よく考えてみよ、もしわからなければ、「禅機で迷いを破る」ということで、また尋ねに来るがよい！あなた方と遊んでいられない、　師匠は陪賓に行かねばならぬ！
##東極青華大帝
南極北極天の極
長生にて蔭護し衆生を守る
大帝の徳は万霊を潤し護り　　帰復し伝え継ぐは真実の理
一如より十全に至るまで、ことごとく順に生ず。
一から十まで、またゼロから始まる全体としての人類衆生の生存の方向性と行動を、一の如、二辺、三際、四方、五象、六合、七星、八政、九如、十全という観点から見ると、まさに快適さ、利便性、普遍性の向上が求められており、これは人類世界において必要不可欠な基本条件である。
まさに、一如、二辺、三際、四方、五象、六合、七星、八政、九如、十全に対応し、霊（零－○）の作用を高めることで、有情衆生が大いなる天の下のすべての万物衆生を通じて、零から十までの全体の作用を受け継ぎ、これを伝承し続けることができるようにするのである。
以下は千万、百万の数にまで及ぶものであり、この種のものはあらゆる条件をもって有情衆生に、『大道一貫』において如何にして天地と断絶することなく、互いに融合し合い、あらゆる伝承に対して徳沢を継続し、まさにここから根本的な生存の功用に達し、如何にして長く絶えることなく続くかを悟らせるものである。
帰り戻るには、大いに心を用いる必要がある
これが霊（零－○）の伝承を一から十へと継いだ後、次は伝承を続けるか、それとも帰復回返するか？このような区別によって依り所が定まり、またこのような条件に対し、一つは：帰復回返であり、一つは：伝承を続けることであり、それによって人類の生存には転換点となる分別性が生じるのです！
もし帰復回返を了知する方法がなければ、どうして通徹して伝承を継続することができようか。しかし、帰復回返を通徹するためには、零から九の極数に至った後、さらに十全を依り所とすることであり、このようにして十全こそが上昇と下墜の分岐点となり、十一の後にも無限の伝承が下化されることになる。
十一の後には、もはや帰還することはできず、すべての作用において、どうして真の「帰還と回返」の条件があり得ようか。必ずこのような条件によって区別されるのである。一つは上昇であり、一つは下落である。なぜなら、有情衆生はまさにこのようなものであり、人間世界はただ功徳と業障の分岐点に過ぎないからである。
これによって、人類世界がなぜ常に悪業と罪深い因縁の深淵の中にいるのかが明らかになります。このような条件は、九の極数に達した後、必ず十全の成長に入ります。もしさらに下って因果業障と行いの条件を成就すれば、自分自身をまさに向上すべきか、あるいは堕落すべきかの分岐点に置くことになるのです。
帰復回返の作用
十全はここから総合され、九如から再び八政に戻り、その後七星、六合、五象、四方、三際、二辺、一如を経て、再び零に回帰する。また霊（零－○）の原始初地はこの帰復にあり、これは有情衆生が最も到達し難い条件である！
すべては九如の後に続き、さらに十全の福徳を経て、さらに十一条の綱領、その後に十二の原則、さらに十三の理諦、十四の作用、十五の真実、十六の道徳、十七の倫理、さらに十八の孝道と親情、十九の情理と法治、二十の公道と人心……と、このように果てしなく尽きることなく展開していくのです。
大いなる天地の有情なる衆生は、帰還した後にいかにして円滑に世間での修行を通じて向上するかという方法を自らに得ることができず、ただ多くの活用可能な資源を欠き、自らを転換困難な窮地に陥らせ、より充実した経験を得て下化と成長を遂げることも叶わない。それではどうすればよいのか？
伝承を継ぎ使命を果たすとはいかにあるべきか
このような条件では、帰復作用を理解させることは比較的難しいのです。すべてはただひたすらに沈み込み……、千百万、このように見ると、五濁悪世に沈みながら真実を修持する者は、もし現代のような声色利誘の時代に置かれれば、まさに自分自身の主人として向上することは非常に難しく、すべて声色利誘の中に埋没してしまうのです！
これらはすべて、声色と五濁の悪世に沈淪し、自らの根拠を沈淪と障害に変えてしまうものである。どうすれば自らこれを通過できるのか？真に道理を明らかにする修練が必要であり、初めて向上と超越に到達できるのだ！これによって有情の人類世界を成就するのである。現在の科学技術文明は、他の惑星と比べるのは難しいが、それでもどうしようもないことだ！
しかしながら、人間世界の「人材借用」という作用を通じて、改造し、成就し、研究し、創造することが可能です。これは、大宇宙の天地に生きるすべての衆生に対して、天地の星々が庇護を与えていることを意味します。大道は、すべての星の働きに対して、より大きな成長の空間と環境を提供するものなのです。
また、この広大な宇宙の果てに対して、あらゆる生存の方向性や文明・科学技術を深く理解することは、非常に大きな鼓舞作用をもたらすことを知る。いかにして人類の衆生が研究と創造を通じて、情ある天地に生きる無数の蒼生を守り育むことができるだろうか。科学技術文明を通じて、教育機関が推進する教化を実現し、人々の道徳的福祉を長期的に育むことができるのである。
伝承は無限に続けることができる
現代の有情世界における宗教は、多くの活発な発展を見せているものの、「大道平等の観念」に基づく実践は不足している。このような状況は「借将」を通じて成就することができ、地球と星々のあらゆる文明と科学技術を顕現させ、蓮華世界の浄土を築き上げることができる。このような条件によって調和がもたらされるのである。
人類が継承しうるものは、限りなく、尽きることなく、窮まりなく、果てしなく広がる。ゆえに継承とは、陰陽をもって乾坤に対し、八卦をもって五行に対し、また大いなる天の果てにあるすべての動く動物と動かぬ植物をもってするものであり、これらは皆「地球星系の進化の過程」に参与している。いかなる有情の衆生も、この限界から逃れることはできない。
上蒼は大いなる天界において、いかにして衆生を導き渡すことができるか？いかにして広く教化することができるか？地球星系の数多き衆生が依って従うべき道を示すことによってである！では、いかにして自らがこのような条件を成就させることができるか？真に自らのため、上蒼のため、数多き衆生の大いなる徳沢のために、天地が依りどころとする徳の陰庇を学ぶならば、必ずやこの条件を成し遂げることができるのである！
有情なる衆生が参拝に訪れても、どう成長し教化を広げるべきか分からない。人間界では、大半がただ繰り返し繰り返し、生きるだけで精一杯であり、向上の契機を得ることは極めて難しい。そもそも自分がこの世に何をしに来たのかさえ理解できず、皆難しいことばかりだ！そのような意識すら持たず、どうしようもないのである！
零より成長して九如に至る　　十全に福の至らんことを求む
十一の後に即ち伝継す　　帰復して無極に馳するは難し
因縁ここに来たりて生長す　　判別明晰にして明らかに当たる
もし大道の情けを体恤することができれば
必ずや無辺の常に帰向することができよう
この偈は、すべての有情衆生が互いに励まし合うものであり、自らの未来がこの世において真に成長と創造の因縁を為す根本であれば、自らを利し、また衆生をも利益することができるのです。長らく壇上に上がることがありませんでしたが、今日このような機縁を得て崇心に降り立ち、崇心にこのような気勢ある様子を見るに、理にかなってより一層の加持を恒常に加えるべきであり、未来の後福は尽きることがありません。
##虚空理智法天尊
虚空は極まりなく天地を貫き　　龍は雲端に翔け本を済わす
天尊は台に登りて有情と会す　　大道は一貫として実諦の如し
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日、南極長生大帝が降著された『大道一貫・第二十回　帰復伝継』により、人類世界を明らかにすることができます。もし一如、二辺、三際、四方、五象、六合、七星、八政、九如、十全を経た後、いかにあるべきでしょうか。
まさに上昇と下降の分岐点であるが、人間の衆生は往々にして気づくことができない。これこそが回帰すべき時機でありながら、自らを主とすることができず、かえって繰り返し人道の五濁悪世に沈んでいく。根本的に自らの主人となることができず、皆自らの奴隷となっている。まことに悲しむべきことである。よく考えれば明らかであろう！
明日はちょうど人間界の中秋節にあたります。今日の執筆を終えた後、大道院の霊修院士たちは凡塵に戻り、二日半の休暇を過ごします。その中には戻らず、より深遠な妙諦を求めて自己成長に励む者もおり、誠に喜ばしいことです！未来の成長には必ず良き向上と超越が伴いますから、大いに努力することが肝要です！
明日は中秋の名月ですが、皆様はお祝いの喜びをお持ちでしょうか。皆様が大いに喜ばれているのを見ますが、暴飲暴食は避け、胃腸に負担をかけないようにしてください。お時間があればお堂へお越しいただき、お経を唱えて業を消し去りましょう。月を愛でるのは夜になってからで、昼間は月を見ることはできませんが、青空と白日を見ることはできます！皆様にご挨拶申し上げます：
中秋佳節おめでとうございます。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。
##太極天皇大帝
北極天樞は弘化を為し　　紫微星君は道家の華なり
大帝降り来たりて崇心堂に臨み　　帰復回返して本基の芽に至る
帰復回返の主要な功用
一なる如、二辺、三際、四方、五象、六合、七星、八政、九如、十全という観点から見れば、まさに十全、九如、八政、七星、六合、五象、四方、三際、二辺、一なる如へと回帰し、零へと復する働きであり、これこそが霊の本体である。
本霊（零）をいかにして自らの成就した境地と位階に帰復させるべきか？これこそが最も主要な依拠とすべきである。なぜなら、零への回帰作用において、その本霊はまさに「十全」から零へと帰復する作用によって、零の主導を通じて本霊を「一如」の原始境地へと向かわせるからである。それでは、いかがであろうか？
初めて帰復成就を語ることができ、それは帰復において成される：まさに人道世界において、すでに真に「明心見性、開悟證果」の過程を体得し、「本霊」が主導する自己の成就により、確固たる資源の基盤が形成され、現在の霊性を向上させて成長させることができ、さらに上昇するための依り所とすることができる。
帰り還る必要性
つまり、自分を人道世界に入れた後、十全の作用によって、自分の生存志向に対して確かな経験の蓄積ができ、無理に飛躍して繋がりや結合ができないことなく、また人道世界そのものから見れば、あらゆる生存志向の経験過程をなし、それによって到達するのである。
さらに、自らの生存過程においては、経験が結びつき蓄積されていくものであり、まさに人道世界においては、自らの生存の方向性を確固として理解し、人道世界におけるあらゆる生活過程がどのようなものであるかを知り、またいかに自らの「性向を弁別する」志向性によって模索すべきかを知るのです。
自身の未来が大道に到達できるという一条の道があってこそ、成就することができる。これはまさに、自己の生存において実際に完全に現実化されるものであり、また、自分が人道世界において如何に深い体悟と了知を得られるかということであり、自己が帰復する条件として、必ずや自らをより大きく、より広大な有情世界へと進ませなければならない。
人道世界において：いかにして一切の生存する有情の物種に対して、自らの経験を確実に伝承し教化することを了知し、またその伝承教化が根を下ろし芽を出すかどうかについて、必ずしもそうとは限りません！また、根を下ろし芽を出す前に、教化を望むか望まないかの区別があるべきです！
帰復とは、戻ることを指すのでしょうか
すべては「帰復と伝継」の取捨選択によって決まるのである！また、取捨選択が「伝継か帰復か」によって決まり、これによって定められる。「帰復」とは、人間界の経験がまだ深くなく、人間世界において純真な心を保つことができ、世俗の汚染や習俗に左右されないことを指す。
帰復の条件において、自らを「原始の根源へと回帰させる」という向上へと正しく導くことができます。また、人道世界においては、自らがまだ世間の経験を深めていないうちに、自らが汚染したもの、特に改善が難しい多くの穢れた習性がまだ形成されていない状況であれば、その穢れを容易に取り除くことができ、また、その習性が形成される過程を浄化することができるはずです。
もしすでに人道世界で十分に染まりきってしまい、さらに！自分が染まったものを改め洗い清めることもできないならば、おそらく回帰作用の過程において、自分を明晰かつ透徹させることは難しくなるでしょう。自分が染まったものが人道世界のあらゆる汚染と垢に侵され、「染汚」に襲われることになるからです。
もし本来の本性に立ち返ろうとするならば、確かな澄みきった明るさを得ることは難しいかもしれない。なぜ有情世界の多くの衆生は、人間界に沈淪し、真の回帰と復帰の動きができないのか？それはあまりにも深く汚染されているからである。もし人間が清浄な法の水を用いて洗い清めることができればよいのだが。
回帰復帰の働き
もし経が濁りを清めた後であれば、比較的容易に本来の性質に戻ることができます。もし汚染があまりにもひどければ、本来の性質に戻ろうとするとき、おそらくすでに自分を回復できない色合いに染めてしまっているでしょう。どうして自分が汚染したものを簡単に解消し、洗い流すことができるでしょうか？非常に難しいことです。
自らが積み重ねてきた修養の過程において、常に澄み切った心を保ち、自らの良からぬ思考の癖に左右されないことが必要です。すなわち、人道世界に生きる者として、この華やかで五濁に満ちた悪世において、あらゆる修養の過程と経験に対し、純真な心をすでに跡形もなく埋もれさせてはならないということです。
さらに、良心を曇らせ、あらゆる天良を喪失するような悪行を働けば、五濁悪世のすべての悪習に染まる過程を経るだけでなく、自らを挽回困難な境涯へと追いやり、清らかに洗い清められる機会さえ失ってしまいます。生きる方向性においては、常に「赤子の心」を保つことが必要です。
天理の本性を保つことができ、五濁悪世の習染作用に影響されることなく、自らをこの人道世界に埋没させることもありません。また、天理の良心を失うことは、自らが「業を造り、悪を造り、罪を造る」過程に生きていることに対して、さらに自らが人道世界にありながら天理の良心を発揮できないことに対しても、同様です。
回帰と復帰の区別
現代の時代には、多くの天より遣わされた聖職者がおられますが、本来は広く教化を導き弘めようとしていたのに、なぜか人道世界に沈み、天理と良心を埋もれさせてしまっています。それゆえ、自らの本来の性質を真に理解し通徹することができず、皆、自らが積み重ねてきた穢れの影響を受けているのです。
もし自分を純真無垢な心で保つことができず、天理良知の本性を保つことができないならば、人道世界において帰復回返ができない原因はまさにここにある。さらに、自らが行うべき聖職を怠ることは、非常に惜しい主な原因でもある。帰復回返に対しては、根本的に何の観念も持っていないのである。
帰復回返：最も重要なのは、人間世界のあらゆる経験を統合し、人間世界のすべての生存習性に加え、自らが失わない天理の本性をもって、赤子の心を顕現し再現することである。これはすべての帰復回返に対して、真の体悟と了知を成し遂げることができる。そうでなければ、次へと伝承し教化していくのである！
したがって永遠に帰復回返することはできず、いかなる方法も伝承による教化に左右される。明確にすべきは、帰復回返に対して自らが無限の方法を受用できることであり、まさに自らがこのような条件を満たし、また自らが帰復回返を実践する中でこそ、初めて実際に正しい理解を得られるということです。
赤子の心に立ち戻り　　世の道徳を保ち導く
一如根本元始の因
天理良知の本性
人間は縁によって教化を施し
伝承は限りなく、さらに昇華する
因縁が果てしなく広がり起こる　　本来の心の家に帰るは難し
この偈は、有情の衆生と共に励まし合うものである。自らの努力によって、自らの行いを成就させる中で、己の赤子の心、そして天理良知の本心・本性が顕現するに至り、まさに基本へと回帰し返る要求と動作である。今日、縁あって崇心の著作に参じることは、喜び賀すべきことである。
##虚空道伝徳天尊
虚空の大道は帰復を成し
鳳凰は世界を翔け福をもたらす
天尊は台に登りて有情と会す　　紫微大帝は一貫して殊なり
諸聖佛と諸賢生、そして無極大道院霊修院の院生の皆様、こんばんは。本日は北極紫微大帝が降筆された『大道一貫・第廿一回 帰復回返』により、有情衆生が自らの伝承と下化の中で、いかにして自らが原始の初地へと帰復回返できるか、その向上の方法をお伝えいたします。
過去のすべての汚れと染まりの過程を洗い流すのはとても容易であるだけでなく、まさにその汚れの作用を通して、いかに自分を楽に本来の状態へと回帰させられるかを知ることができます。だからこそ永遠に赤子の心を保ち、自らの天理良知、本心本性が五濁悪世に侵されることなく、自分自身が楽に本性へと融け込み、回帰し成就できることを、皆さんもご理解いただけるでしょう。
##無極大寰　金徳星君
東極天樞に至りては道徳に通じ　　青華東方はこれ無遮なり
大帝は一貫の冊を降ろされ　　伝承は続いて理則を存す
伝承の継続と回帰
帰り来て観れば、有情の衆生は大いなる天地において、各自が回帰する主なる因縁の根本をなす。それは「一如より十全へ」と成就され、大いなる世界に対して、各人の経験が積み重ねられ、また各人の行いによって大道の世界を観る。理に照らせば、各人が生存する依り代となる過程において、必ずや向上を遂げなければならない。
自己の「性的指向の識別」作用に対しては、各人が主導権を取り戻すことになるが、「回帰復元」はまさに反対方向への逆操作である。このように人類の生存における「継承継続」に対しては、逆操作方法に細心の注意を払わなければ、「回帰復元」が可能となるのである。
しかし、一般的な有情衆生は、往々にして帰復回返に至ることができず、したがって人界に順応して生存するほかなく、ただ伝承を継続する動作しかできません。有情衆生は人界においてこのような制約を受けるため、必ずやこのような状況の中に置かれ、また繰り返し人世を輪廻することになるのです。
伝承されるすべての基本の行い
つまり伝承が続くということです。なぜなら伝承があるからこそ継続が可能であり、もし伝承ができなければ継続は困難になります。また、伝承される内容は各人の「志向作用」と「性質識別」の両方に関わりますが、これらが互いに連携できない場合、「志向作用」や「性質識別」だけに留まってしまうことになります。
常に多くの隔たりと障害が生じ、またこの二つの方向に左右され主導され、相互矛盾の中に存在しています。しかし、伝承を継続する上では必ず多くの阻害要因があり、まさに伝承の中から徹底的に理解し区別することができず、またその方向性の作用に対して自分自身がひたすらまっすぐに前進してしまうからです。
各人の性格傾向を理解し、また各人の志向とその作用を完全に把握できない場合、人間の生存に伴って生じる多くの矛盾点の影響を受け、各人の心の状態が主導することになります。さらに、より大きな成長の余地が得られないのは、各人の「志向の作用と性格傾向の理解」によって、障害や困難点が区別されるためです。
伝承は続く、その届かぬところなし
これはまさに、先人たちのすべての経験の働きを受け継ぎ、教化や学習を通じて、先人たちの行いを知り、下化の動作に至ることを可能にします。人道世界は陰陽両相が潤い合う世界であり、また陰陽両相の潤い合いに対して、なぜ乾坤両造は多くの相互循環が難しく、相互に融和することも難しい行動を生み出すのでしょうか？
現代の時代は良くない教育に加え、科学技術文明の技術に偏重して害を受けている。両者が融合する世界においては、現在は陰が盛んで陽が衰えている状態であり、さらに「子午」の作用によって、甚だしくは「午未」において「陰が陽に勝り」、「陽が陰に衰える」という状況が生じている。大道の作用において陰陽が調和して潤うべきであり、本来いかなる障害もあってはならないはずである！
また、すべての陰は坤の女であり、陽は乾の男である。かつての伝承においては、乾陽が坤陰を凌駕し、乾陽の被害を受け、また坤陰の成し遂げたものを抑圧してきた。そのため、午と未が交代する時が来ると、時代は変遷し、さらに現在においては乾陽が衰退し、坤陰が盛んに成長する状況となっている。したがって、今日の伝承の下での展開は、坤陰によって主導されているのである。
その先はどうなるのでしょうか
大いなる宇宙天地が　無極皇母によって導かれている所以は、宇宙天地のすべてが豊かな資源を下ろすことができ、坤女（陰）が台頭することにあります。これはまさに天地の午と未が交わる時を担い、未来の人倫世界はもはや乾陽の世界ではなく、坤陰の世界となるのです。
大道の根源は、また「母系世界」の元会に回帰し、入手可能な豊富な資源のすべてが、これによって坤陰の旺盛さを形成することになります。人道世界において現在、女性の地位が次第に向上しており、遠からず女性が主導する時代となり、国家の指導者としての才能が次々と現れてくるでしょう。
大いなる天地のすべての乾坤両造は、まさに互いに補い合うことができ、また伝承を継続させることができる。果たして長く保存できるだろうか？果たして限りなく、無限であれるだろうか？それは今この時に知ることができる。大いなる天地のすべての生存依存の過程において、もともと坤女が乾男に依存していたものが、すでに「坤女と乾男」が平等であるという状態へと転換しているのである。
近い将来、坤女が乾男を凌駕する時代が訪れます。大道のすべての成長過程は、過去の「母系社会」が大道の人倫世界を築いたことから理解できます。これは人類世界のDNA遺伝子を通じて知ることができ、人道DNAは千古伝わらなかった秘密を、科学技術文明によって余すところなく明らかにしました。
人類の遺伝子は伝承を担う
大いなる生存の方向性は融合を目指し、科学技術文明に対しては継承と発展を続け、長きにわたって人道世界に一貫した役割を果たす。これはまさに大道の総合的枢軸であり総源流であり、「一如」から「十全」の中に顕現されるものである。すなわち、「帰復回返」と「継承発展」を実現しうるのである。
人類の科学技術の遺伝子：DNAは、過去の生存志向が明らかにできなかった過程を担い、さらにDNA：遺伝子を「科学技術文明」を通じて未来の「科学文明」に示し、恩恵をもたらすものであり、まさに絶え間なく人道世界に降り注ぎ、有情の衆生が大いなる道徳の恩恵を受けるに至るのである。
人道世界のDNA：遺伝子は成長し、全ての総枢軸と総源流は大道のDNAと同じであり、関連する要素から絶対に離れることはできない。また、人類世界は現在、十分に徹底的に実証できないかもしれないが、未来の数十余年後には、人道世界の全てのDNAの遺伝子を非常に如実に知ることになるだろう。
まさに同じ一つの遺伝子から下化されたものであり、また大道の総枢軸と総源流に対しては、まさに情ある世界の衆生に徳沢を施し、互いに補い合い成し遂げることで下化を継承することができる。このような条件こそが「無限の継承と果てしない継続」であり、また未来の科学技術文明に対しては、万物の生あるものに大きな福祉をもたらす利益となる。
帰り復するは即ち一如なり　　伝え継ぐは無始なり
DNAの細かい研究で起源を探れば　　大いなる道の源の初めを知ることができる
引き継ぎて下化の徳沢深く
伝承して無窮なるは更に真なり
有情の衆生は本より同源　　大道元始に真如顕わる
この偈を、有情の衆生と共に研鑽しましょう。未来の科学技術文明を通じて、地球村をより親密な距離に引き寄せ、有情衆生の向上の因縁を培うことにより、互いに融合し、互いに確かめ合い、互いに高め合うことが、真の道であります。今日、縁あって崇心の著作に参画できたことを喜び、崇心道場が「大いに宇宙にその道を広める」ことをお祈り申し上げます。
##無極瑶池鳳瓊仙女
虚空世界は果てしなく広大で　　理智の法を開き徳は正しく親しむ
天尊は共に崇心堂を助け給い
道務を弘めて有情に遍く及ぼす
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは！本日は四極大帝の一柱である東極青華大帝が降臨され、『大道一貫・第二十二回　継承は続く』を著作されました。大いなる天地の中、すべての有情の乾坤と陰陽を、いかに調和させるか？今この時と未来を通じて、人道世界を知ることができるでしょう！
未来の成長の根拠をどのように築き、人間としての生存という関門を飛び越えることなく進むべきか。大道一貫においては、零の初源から始めて達成される。一つの如から十全へ、そしてすべての下化の過程において、いかにして一つの如から零の山（霊山－Ｏ山）へ回帰するか。各人が自らの生存において帰復し回返することこそ、正しい道なのである。
今日の著作の中には、多くの深遠な機微が含まれており、未来の人倫世界がどのように成長し回帰していくかをじっくりと体得することができます。皆さんに事前に知る機会を与えることで、人類衆生の福祉と利益を実現することができるのです。これは必ず訪れる時空の因縁であり、皆さんはどうぞご期待ください。
##無極大寰　木徳星君
太極無極真の天地　　天皇地皇人皇の極
大帝の徳は多くの有情を潤し
十一の条綱は大道を広く救う
条綱十一、既に後は帰り難し
帰復回返と伝承継続という観点から見れば、有情衆生の潤生と合群の働きは、あらゆる生存の指向を依り所とし、零から十全に至るあらゆる生存指向の働きこそが、十全を体系立てて行使するものであり、『大道一貫』に対しては「帰復回返と伝承継続」の働きがあるのである。
それゆえに、回帰して：零の原始初地あるいは伝承継続に至り、十一の綱領を主体任務とし、このような作用によって生存の第一要務に組み入れ、すべての生存に必要な綱領に対して管理規則を設け、これに従って進み、さらに人道世界に対して正しい方向へと導くべきである。
管理の綱領に対して、効果的な管理を実現するには、規則と制度の基準を定め、人倫道徳の遵守に資するものでなければなりません。このように、管理の綱領においては必ず拠り所となるものが必要であり、それが正しい道なのです。また、生存の必要性を超えることもなく、これは人類集団の生存における最も重要な条件です。
管理制度の構築の必要性
これは、綱領全体を人類が人類を管理する際に行使するものであり、必ず規約、制度、典則、規範を定める必要があります。皆がこれに従い、共通の基準として遵守することで、規章制度を越えることなく、各人の言動を通じて皆の認めるところとなり、規範に従うことができるようになります。
また、このような条件によって導かれることもあります。もし有情衆生の行為に対して規範がなければ、多くの「我が道を行く」という良くない行為が存在し、まさに集団生活に適合することができません。このように、一人の行いが集団の生存規範を超えて影響を与え、さらに皆の認同と肯定を得ることができなくなります。
これは規律・制度・典則・規範の中から懲罰を行い、また大道世界の管理規範に則って行使され、さらに各人が規範に従うことである。いかにして小さな集団から大きな集団へ、さらには国際社会全体が従う秩序へと、皆が認める様々な管理制度を条綱として整えていくべきか。
条綱秩序は基本を遵守する
これは国家と国家、団体と団体、家庭と家庭、個人と個人の間に定められた規約・制度・規範を行使するものであり、自らが規約・制度・規範に従って行動するよりどころとなり、また個人や家庭、団体と国家の間で生きるよりどころともなります。
相互に制度と規章に従うことがあり、それは大いなる天地のすべての生存過程において、従うべき動作があり、有情の衆生がその規範を超えないようにするものである。もしその規章、制度、典則、規範を超えた場合は、他の懲罰方式を適用して、法を守らない人を規制することができる。
これは規範に従うための綱領であり、集団の全ての制度と秩序を融合させ、大道において基本的な役割を果たすべきものです。また、どのように一人の人間が法を守り、一つの家庭が法を守り、さらに一つの集団が法を守り、一つの国家が法を守ることで、すべての人々をこのような制度の中に統合し、規範と規律を整えることができるのでしょうか。
すべての人々が平穏に暮らし、生活の安らぎを乱すような問題が一切生じないようにするため、制度であり、法令であり、規章であり、典則であり、規律でもあります。すなわち、国家と宗教の双方において、規章、制度、典則、規範が制定され、運用されることで、皆が従うべき指針が与えられるのです。
条綱管理規範の適用範囲
いかなる宗教の宗派も同様であり、もしこれを各国と宗教の間に規律を行使する基準とし、戒律の中で規範とすることができなければ、もし規律と戒律を越えれば、犯した規章と戒律によって懲罰の措置が取られ、これは条文に基づいて管理規則を適用し、完遂させるものである。
皆が認め、かつ従うことのできる方法を与えることによって、平和で相互に平等な世界を達成する条件はどのようにして生まれるのか。また、どのようにして規約の中から制度、典則、規範、法律や戒律が生まれるのか。まさに人道世界が管理規則を作り出し、皆がこの綱領に従って物事を進めていくのである。
いかにして条綱制度の規範を定め、人々が制定された範囲を越えたり超越したりしないようにするか。もしその範囲を越えたり超越したりしたならば、必ず罰や処罰を受けるのが正しい。そうでなければ、有情衆生は規範、規律、条綱、戒律を定めることができるが、どうやって人道世界によって人道世界を管理するというのか！
したがって、人道世界においては、人道世界を統一管理の対象とします。このように、上蒼の視点から見ても同様であり、天・地・人の三者の中には必ず管理制度・方法・規律が設けられて実行され、全体を統治する適用範囲内で運用され、その範囲を越えることはありません。これは統括管理の基本要件となるものです。
統治条件の遵守
大道に従う条綱の中において、理諦と治理規範を作り、治理条綱によって定められるものとは、つまり管理方法の創造と制定であり、必ずや現在と未来の生存に応用できるものである。大道のすべての応用可能な基本範疇に対しては、皆が共に相互に遵守し、相互に尊重し合うことを目指すものである。
まさにこのことによって、管理規章制度の適用と実行が実現されるのであり、天・地・人という三才の空間と時間においても同様である。天には天の管理制度があり、地には地の管理制度があり、人には人の管理制度がある。すべての者がこのような規範に従って遵守すれば、いささかの誤りや過ちも生じることはない。
これは大道が定めた条綱に対して、真に自分自身、家庭、団体、国家、大地、そして上蒼のために従うことこそが、人間衆生の生存に如実に対応し、良き福祉と恩恵をもたらし、潤いある安らかな生活を形成し、普及しやすいものとし、未来の人類すべての科学技術文明に提供するものとなるのです。
条綱管理を制定し　　律法戒律共に従う
一切の天地人三才
皆、規律ありて相い敦しむ
大道に従って導きとし　　律法に背かず平安を迎える
越え過ぎれば罰を受ける　　十一条の綱領は大道に親しむ
この偈を、共に有情の衆生と励まし合いましょう。条綱の中に在って、いかに大円満の応用過程を行うべきかを理解することができます。各人の行いが、全て規律に従い定められたものに背かず、まさに越えることなく罰を受けることもない。このような条件は、皆様もこのようにあるべきだと思われませんか？
##虚空福德明王
虚空道伝徳天尊　　崇心道脈に従いて作す
体制規章と制度を整え　　未来にわたって共に従い守る
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は太極天皇大帝が降臨され、『大道一貫・第二十三回 条綱十一』を著作されました。その中で、「天には天の治理規範があり、地には地の治理規範があり、人には人の治理規範がある」ということを、ありのままに理解することができます。
いかに条綱から全体を構築し、また崇心のすべての条綱において、賢生たちが今日の著作を通じて、本来あるべき作用を明確に把握し、理解して従うことが正しい道である。そうでなければ、未来において皆が相互に従うべき根拠をどう確立できようか。上蒼と仙仏の大いなる慈悲、苦労を重ねて自らを高めようとする心を理解できるように！
汝らがどのように従うべき基準を設けるべきか！さもなければ、汝らは未来において多くの挫折や試練、困難に遭遇することになる。これは未来の時空において従うべき作用であり、自らがはっきりと理解できるようにするためである。諸賢生よ、今日から明確で分かりやすい規則を定め、それに従って制定すれば、未来の障害を必ず減らすことができるであろう。
また、本日授業開始前に見せた不適切な模範、道場での怒号、理不尽な騒動を徹底的に明らかにし、諸賢生に明確に目撃させる過程を通じて、各自の心の在り方から智慧を働かせて解消することが、自らの本能と霊力を高めることになる。そうでなければ、このようなことは本来起こるべきではなかったのであり、それが正しいあり方である！理解できるだろうか？
ただのいい人になるだけではいけません。知恵が足りなければ、うまく対応することもできず、ひたすらへりくだるしかありません。これはとても素晴らしいことです。このような方法は、これからも実践していくべきです。そうでなければ、他人が挑戦してきたとき、どう対応すればよいのでしょうか。時には人に譲ることも、何の損にもならず、むしろ業障を消す最良の方法です。自分でよく味わってみてください。
##無極大寰　水徳星君
無極の勝地は本来理の境　　大いなる世界の衆生を迎えん
金徳星君、堂に降り来たり　　原則十二、書を著わして臨む
原則十二　必要性
一切の衆生の視点から見れば、生存の後には必ず管理制度、規章と典則が存在する。まさに管理制度が定めた条綱が規範として機能し、このような原則に対しては如何なる偏りや誤りもあってはならない。また、原則が一旦制定されたならば、随意に如何なる修正も加えるべきではなく、さもなければ従うことができなくなる。
また、原則を制定する前には、全ての基本的な主要条項と要求を制定する中で、どのような欠陥があるかを考えて修正することができ、その原則の部分については言うことができます：それは制定された規則に従うことを逸脱してはならず、最も重要なのは、制定する条項の前後で分かれる差別を判断することです。
大原則が不変であるならば、すべての規則を制定する際には、十分に緻密に思考を巡らせなければならず、またすべての制度において、原則の重要性から外れてはならない。原則自体も、むやみに変更を繰り返してはならない。もし制定時に規則通りに実行する方法がなければ、人々に認められ、従われることもできないだろう。
条綱制定の原則
いかなる規律も、必ず相当に緻密に考え抜かれ、少しの漏れもあってはならない。制度を制定する際には、実行した後に何らかの不都合が生じないか、人々がその制度を認め難くならないかを熟考する必要がある。つまり、皆の同意と理解を得て初めて、修正と遵守の基準とすることができるのだ。
その原則は、左にも右にも偏らず、また朝令暮改であってはならないということであり、そうでなければ人々の認めるところとなりにくい。また、条綱を制定する前には、必ず長い時間と空間をかけて緻密に考え抜く必要があり、そうして初めて規章制定の過程に入ることができ、完全かつ健全な制度が生まれるのである。
さもなければ、規則の制定において、もし安易に制定してしまうと、人々の認可と肯定を得ることができず、非常に大きなダメージを生み出します。これは一つの世界においても、どの国においても、またビジネスや家庭の倫理においても同様であり、人間世界のあらゆる生存に必要な依存関係においてもそうです。
人間は是非を論ずる動物である
人がいるところには是非があり、人がいるところには善悪、正誤、正邪が存在します。人類の習性、性質、慣性の中に、どうして規則や綱領に従う作用があり得ましょうか。つまり、各人の認識に従う規約、制度、法則、規範を依り所とするのです。なぜなら、人類はいかなる国においても、異なる習性を持つ衆生がいるからです。
善人もいれば、悪人もおり、普通の人もいます。これらの規則を全て善人や普通の人に当てはめようとすると、おそらく役に立ちません。しかし、不善の人、つまり悪人については、ほんの些細なことから、これまで築き上げてきた貴重な国家やチームを破壊してしまう可能性があるのです。
また、人間関係においても、円満と和楽を容易に打ち破り、このような不善の人、すなわち悪人の中では、必ずやこの規範や典則に依拠するものであり、規矩を守らぬ者を規範し、越えた行いを罰するのが正道であり、そうして初めて公正平等な制度が生まれるのです。
原則は変えられないものです
既に全ての管理に対して制定されている以上、人為的な変動や変更に基づいてはならず、そうでなければ人々は制度に従うのが難しくなります。また、全ての行動と規定に従うべき基準があるならば、どうやって皆が共同で認め、遵守できるでしょうか？まさに、一つの完璧な管理制度が必要なのです！
このような規則、規範、基準は、非常に真実に即したものでなければなりません。国家であれ、チームであれ、会社であれ、家庭であれ、もし年長者と年少者の区別がなく、何らかの規則や制度がなければ、現代の時代に合わせて発展させることは困難です。また、規則、制度、規範、基準の中で、どのように従うべきかという問題もあります。
人々に単に各自の束縛に帰するのではなく、認めさせ遵守させなければなりません。生活の必要性を総括し、国家とチーム及び社会に対する共同遵守を人々に与え、また人倫道徳と家庭倫理のすべての生存需要をもって、管理と順守を行うのです。すなわち条綱によって、各人が共に従い認めるようにするのです。
天地宇宙には皆不変の原則がある
皆が共同で認める範囲内においては従うべきであり、範囲外であれば随時変更可能です。しかし、範囲外のものは遵守の範疇に含めることはできず、必要に応じて従うことができます。このような場合は別の規章制度を用いて、範囲外のものをまとめることができます。すべての人が共同で遵守できる倫理と道徳は、このように扱われます。
宇宙には宇宙の規範と統治の綱領があり、各惑星間にもそれぞれの統治の綱領があり、天地にはまた天地特有の統治の綱領があります。各国の組織や社会の倫理道徳、家庭倫理及び人間関係の統治綱領と規範には、必ず様々な異なる統治綱領が規範として存在しています。
制定された規則や綱領は、朝令暮改であってはならず、また皆が納得して遵守することが難しいものであってはなりません。もしそうであれば、宇宙や各惑星、天地、さらには国家の組織や家庭の倫理はすでに崩壊し尽くしているのではないでしょうか。すべての従うべき「原則」が打ち散らされてしまい、どうして皆に納得と遵守を求められるでしょうか。
条綱制定は原則に依拠し　　変えずに根本を貫徹する
皆で共に守り行えば
心安らかに吉祥楽しみ多し
朝に命じて夕べに改むれば従い難く
法無きは皆が認められぬ
原則は変わらず微調整　　吉祥円満で和やかに
この偈は、すべてのもの――宇宙、惑星、天地、国家、チーム、家庭、倫理、人間関係――が共に参照すべきものであり、一つの新たに興った宗派が成功を収めることは非常に容易ではないと理解できます。上に立つ者が模範を示し、下の者がそれに従い、団結して和やかに楽しみ、ちょうど良い調子で（台湾語の発音で）楽しく、円満に楽しく自由に過ごす。皆様が細かく研究されることをお勧めします。
崇心道脈の気勢がこのように盛んなのを見ると、指導者の手腕が確かであることが十分に分かります。これは崇心のすべての指導者、および多くの仙仏たちを共に祝福するものです！長きにわたるご苦労と、皆様が払われた犧牲と奉献が、未来の成就の礎となることでしょう。心よりお祝い申し上げます！私は一旦退き、しばしお邪魔いたしました。一杯のお茶をいただきましょう！
##虚空天上聖母
無極より旨を頒ち道の芽を啓く　　瑤池の宮中は母の家
鳳瓊は凡界に降りて崇心堂に至り　　仙女たち共に賢良の駕に会す
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは！本日は五徳星君の第一位、金徳星君が降臨され、『大道一貫・第廿四回 原則十二』を著作されました。これはまさに、世界や国家の団体、あるいは天地の星球と宇宙が、人の世の家庭と同じであることを皆様にお知らせくださるためです。
共通して遵守すべき原則と綱領が必要であり、皆がそれを認め、従うことで、いかなる偏りや誤りも生じないようにすべきです。また、大道が定める人類生存の共通原則は、みだりに変更や修正を加えることはできず、必ず全員の認識を集約して修正を行うことが、真実に即したあり方なのです。
##無極大寰　火徳星君
無極大寰は元より先天にあり　　木徳星君が降臨して語る
大道一貫著作篇　　理諦十三真理顕
理諦十三の準則
人類の生存という観点から見れば、必ず真実の道理が顕現していなければならず、それゆえに綱領と典則の中で成長するのである。また、原則は変えることができず、初めて大道を教化の基礎とすることができる。そして真実の道理に依拠するものであってこそ、大いなる世界に対して真の改革の因縁の根本が欠けることがないのである。
世の中の人心が依拠できるかどうかについて、生存を真実の理諦として捉え、必ず人道の生存の確かさに合致させて実現しなければなりません。そうしてこそ、有情の世界においてより大きな融合を果たすことができ、さらに真実の理諦を依り所として、人類の生存に快適さと利便性を提供し、普及させ、真の利益をもたらすことができるのです。
現代において、あらゆる宗教を観察すると、皆が真実の道理を依り所としていると言いますが、その真実の道理の中には「世俗と勝義」の両方が融合していることを知らないのです。もし現代のすべての生存の在り方を依り所とするならば、必ず知らなければなりません：生存には生存に必要な真実の道理があるのです！
真実の理諦が作用するところ
真実の理諦：生存することは当然のことである。なぜなら、大宇宙の天地におけるすべての生存の方向性は、生存を導くよりどころとすべきだからだ。もし良好な生存の方向性に合致できないならば、必ず通貨による生活の潤いを得てこそ、生存に対して確実に良好な方向性と保障を持つことができるのである。
人間世界において食物に対しては、必要不可欠な志向の総合体が存在し、それによって食物連鎖への依存の必要性が明らかになります。また、食物連鎖はあらゆる食物供給の面で不足なく、すべての生きとし生けるものが食物連鎖の供給において求めるものに対して、豊かで欠けることのない状態をもたらすのです。
食物連鎖の選択の可否は、取引連鎖との結合に依存し、また通貨の応用が非常に如実であることによってのみ、取引連鎖への支払いの面において、生計を潤す報酬の実質性を成し得る。そして通貨の因縁によって獲得できるか否かは、また「福縁と徳性」というこの二つによって、すべての具足条件を分判するのである。
通貨の備えるべき条件
また、通貨の縁によって得られるものは、「福縁と徳性」の両方に対する通貨縁の方向性に依存し、実際に獲得する根拠を持つことができます。大宇宙のあらゆる国々には通貨の縁が存在し、現在の時空においては「貨幣」によって生存の融合を高めています。
有情なる衆生に与えるものは、真実の理諦において比較的実践的な獲得をもたらします。また、多くの有情なる衆生がまさにこのような心構えを持っているからこそ、大いなる世界の有情なる衆生は、真実の理諦を応用し実践する過程において、「修行と生活の潤い」という二つの側面の違いを細かく理解することができるのです。
修行の観点から見れば、真実の道理とは、まさに世界中どこでも通用する普遍的なものです。単にその土地の風土や習慣に依存するだけのものではありません。なぜなら、有情の衆生はまさに修行における「真の実践」と「名ばかりの学習」の二者を区別し、どちらが「勝義」であり、どちらが「世俗」であるかを判断しているからです。
理諦十三の原則
生存と修行という観点から言えば、もしすべてを勝義に適用するならば、おそらく！真の修行を実践する有情の修行者にとっては、まさに転換が難しい状況であり、有情世界もまた「食物連鎖と事象連鎖、そして通貨による生活潤滑」という三つの側面の集合から離れることはできません！もしいずれかの側面を外して見るならば、真の修行実践はどうなりましょうか？
有情なる衆生に問います：あなた方は人間界に来たのは、ただ修行のためだけでしょうか？修行するにも食事は必要ではありませんか？もし宗教的な修行だけで食事をしなくてよいなら、長い命を持って存在し続けることができるでしょうか？このように、食事を必要とするならば、必ず「通貨の連鎖」という縁が必要であり、また「食物連鎖と事象の連鎖」が結びついたものでなければなりません。
これを以て言う：天地の真実の理諦である！また、大いなる天地に生きる有情の衆生に対して観るに、もし修行において食事を必要としないというなら、それは相当に高深な境地であり、必ずや人世を遠く離れている必要がある。すでに道を証したと言え、もはや人類の衆生ではないのである！もし宗教の修行において必ず食事を必要とすると言うなら、それは天地のすべての生存に必要な性質に符合するのである。
修行者は食事をとる必要がありません。
一切の真実なる道理は、いかなる人もこのような条件の制約から離れることはできません。もし食事をしなくてもよいと言い、ただ修行するだけで生活しなければ、それは非常に望ましいことですが、この道理において、それは実行可能でしょうか？いいえ、そうではありません！人がいれば必ず事があり、事があるというのは、人間世界に生きるものとして、人間の生存を導く活動の力だからです。
また、生存の方向性について言えば、まさに有情衆生が人道世界において、真実の理諦を持つことが必要です。人道世界において生存するためには、通貨の因縁を具足しなければなりません。しかし、通貨の因縁は修行者だけに与えられるのでしょうか？それは不可能です！真に労働力を付出した者にこそ、得ることができるのです！
このように、一分の耕耘に一分の収穫があるのは、天地の真理であり、努力と成果の関係は必ずしも比例するとは限らない。ある者はわずかな努力で多くの成果を得、ある者は多大な努力にもかかわらずわずかな成果しか得られず、またある者は努力も成果も並々である。人間にとっては、これら相対的な経験こそが大きな成長と向上をもたらすのである。
智慧の応用により、通貨は円滑に流通する
時に、すべての計画や企画は、個人の福徳と徳性の蓄積にかかっている。修行者にとって必要なのは、「通貨因縁」に過ぎない。なぜなら、金銭は人を養うこともできれば、人を害することもできるからだ。それは個人の心の在り方と努力によって、通貨の応用を通じて理解されるのである。
まさに極めて微妙であり、あらゆる生存の方向性が依拠するところに関わっている。もし人間界において、ある事象が到来した際に、智慧を以て完全に現前させ顕現させることが困難な時、すなわち多くの応用可能な真実の理諦を提供することができず、またあらゆる生存の方向性が人為の造作から離れられないがゆえに、そうなってしまうのである。
また、すべてにおいて人の行いをもって観るならば、人の努力は時にこそ収穫の拠り所となり、この種の拠り所によって智慧の蓄積を増すことができ、それによって個人の行いを通じて、すべての「事象の連鎖と食物連鎖」の総集合を成就することができる。必ずや潤いある生活と通貨の充足をもって達成されなければならない。今日の著作に込められた意味を理解することができるであろうか？
通貨は縁によって連なりをなす　　生存の指向は恩沢限りなし
福縁は徳性と陰徳に加わり　　財運は亨通して連綿と続く
幸せは努力にこそあり　　働く喜びに勝るものなし
すべては通貨の縁深くして、一切は真実の諦と成し得る。
この偈頌よ！有情の衆生と共に研鑽を重ねれば、必ずや多くの感応と通徹が得られよう。また崇心のこの気勢と団結を見よ、人々の世に対して真の大いなる力の集合となり、人為の努力によって形成される。しかし「方法の正しさ、時機の良さ、福報の充足」もまた必要である。これらすべてが備われば、弘まらぬはずがあろうか！
##無極瑤池霊宝仙童
福は福は皆が愛し　　徳は徳は皆が集う
明けよ明けよ主となれ　　王よ王よ天の配剤
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は五徳星君・木徳星君が降臨され、『大道一貫・第廿五回　理諦十三』を著作されました。本日の著作には多くの涵意が含まれております。為師が本日壇上に上がり、福徳を少し述べましたが、崇心がもはや昔のようではないことを感じ取ることはできましたか？
今日の出来事において！皆が一つの心であることを見るに至り、認識に対して非常に称賛すべきことであり、喜ばしい限りです。このような団結力が存在することを十分に示しており、崇心が弘揚されないと言うことは不可能です！全生徒に福運と徳性を加えて賜り、さらに財源も加えましょう。今日のことは、師匠である我等が自ら手配いたします。皆の行いが正しく、非常に素晴らしい！
##無極大寰　土徳星君
無極先天が教化を施す
大いなる世界の衆生は皆、芽吹きを迎える
水德星君が崇心に降臨し
十四の真理の駕を作用せしむ
作用十四の基本
すべての生存志向が融合して、現在の有情衆生に生存のよりどころとしての作用を与えるには、それが人類世界においてのみこのような動きがあることを知る必要があります。なぜなら、すべての生存志向においては、生存に対する依存と方向性の作用が存在し、まさにこの作用が人類にとって必要なものだからです。
すべての規律、制度、典則、規範を拠り所とし、管理を通じてこれに従うことによってこそ、真実の理諦において、このような生存に必要な動作を通じて、人間の生存に必要な応用動作の中で、自らが生存作用の必然性を介し、潤いある生活の中で成長を高めることができるのです。
生存のために必要な綱領は、自らが安らかで快適に過ごせるようにし、かつ後顧の憂いなく、すなわち自らの生存の方向性が確実に人類世界において完現できるようにすることです。したがって、このような作用によって、自らが安らかで快適に生きられ、またこの世の中で潤いある生活の条件に不足を感じることなく生きられるのです。
理諦の作用はどのようなものか
潤生には必ず「食物連鎖と事象連鎖」の組み合わせが必要であり、さらに「通貨因縁」を加えて充足させることで、初めて人間世界において自らに何の欠乏も貧困も生じず、必ずや食物連鎖と事象連鎖の中で、通貨因縁による充足を得ることができるのです。
このような生存作用への確固たる依拠があってこそ、人間としての生存という関門を飛び越えることなく、有情世界において万物の霊長と称される人類として、いかなる世界や国にあっても、必ずこれに融合し、人道生存の関門から逸脱することはないのである。
さらに有情衆生に対して観察を加えると、まさに持つべき行為であり、生存に対して確実な作用を有し、人間としての生存の必要性を飛び越えることのないものであることを知る必要がある。すべての作用は人間世界から獲得し、手に入れるものであり、もし獲得し、手に入れることができなければ、それは欠乏と貧困に陥ることを意味するのである。
作用の基本は何を会するか
人間の有情衆生は、往々にして生存という関門を離れてしまい、「修持」を極めて高尚なものに譬えるが、知らず知らずのうちに、現代の世の中ではすべての修持の作用には、必ず誰かが護持する必要があり、そして人の護持は自らの努力に頼らなければならない。そうでなければ、ただ自分で弄ぶだけで、ただ孤高に自らを賞賛するだけに過ぎない！
また、どうして真の教育文化の伝承があり得ようか？必ずや一切の作用の中を通り抜け、道理はこのようであるべきだ！また、大いなる天地のすべての動作の連続点に対して、この連続は人道世界にあり、もし確かな生存の方向性を持って融合することができなければ、すなわち欠落しているのである！
極めて稀なる対生存の護持の必需性があれば、修持の高超のみが生じ、生存必需の重要性が埋没してしまう。このように言えば、人道世界は必ずや潤生の主体因縁の本から離れ、生存に必要な条件の中で、自らに向上の転換点を与えることになる。
すべての作用において、あらゆる適用可能な資糧源を融合させること、これはまさに人道世界を継承する主要な体であり、つまり人として人を成すのであって、人道世界を飛び越えて向上することはできません。このような条件では、根本的に成長や超越はあり得ず、相対的に言えば、ただ潤いをもたらすだけなのです。
修持の作用は向上させることにある
有情なる衆生は修行において、生存に関わるすべての「食物連鎖と事象の連鎖」を総合的に集約しなければ、真の修行とは言えません。また、修行と生存には必ず「食物連鎖と事象の連鎖」が組み合わさっており、それらが実相のままに上昇し向上していくことが必要です。これは人類には稀な観念なのです。
そうでなければ、修行を積んでも食事を必要としないということは、すでに人間としての生存の関門を超えており、もはや人間とは言えません。また、すべての作用において、これをもって人間の生存と融合させることが必要であり、そのために必要な主体の因縁はまさに人間によってもたらされるのです。そうでなければ、もし仙人や仏陀、あるいは他の次元の霊魂が融合を可能にしたとしたら、一体どうなるでしょうか？
お尋ねしますが、有情の衆生は、神通力の境涯あるいは鬼通力の境涯において、自分自身で理解し、はっきりと分析することができるでしょうか？ いいえ、できません。有情の衆生は、自らを神通と鬼通の境界に入らせ、人道世界の生活という関門から離脱するのです。これはすなわち、非人をもって人となることです。皆さんにお尋ねします：修行するには「食事」が必要でしょうか？
また、どのような作用が制限を受けるのか
もし修行によって食事を摂らずに生きられるようになるとしたら、それは非常に難しいことです。神通力や霊通を得た後、再び障害に遭うのではないでしょうか？それはさらに正しくありません。ですから、人間の衆生は皆、追求を好み、それぞれの因縁の中で神通力の境地を求めてそれを促進し顕現させようとします。そうすると、容易にその境地に入り込んでしまうのです。
そのままに引きずられて脱し難くなる。もし鬼通力境をもって観れば、まさに有情衆生は皆死ぬほど怖がっているが、しかし大半以上が鬼通力境の影響を受け、さらには冤親債主の迷いの影響を受けて身にまとわりつかれる。ゆえに、鬼通力境と神通力境とを互いに比べるならば、いかがであろうか。
まさに向上が難しいのです！皆さんにお尋ねします：もしあなた方が今感じているのがまさに鬼通力の境地だと言ったら、皆さんはそれを信じますか？恐れますか？争いを起こしますか？まさにこのような状況なのです！有情衆生は、自分が神通力の境地に入っているのか、それとも鬼通力の境地に入っているのかを、はっきりと見分けることが非常に難しいのです！
よくよく観察してみれば、傍観者の目で見ればはっきりと分かることだが、それはすべての行為を資糧として変革していくことである。そうでなければ、どうして「神通力の境」の作用と「鬼通力の境」の作用を知ることができようか。まさに自らの因果業障に従って追いかけられ、絡みつかれるのだ。みなさん、心の中で恐れないだろうか？ 恐れないはずがない！
仏教は神通を説かず
これによって初めて、自らの徳性と修行がどのようなものであるかを、はっきりと理解することができるのです。もし単に宗教に入っただけで、すぐに「天に代わって教化を宣べる」と言って衆生を救済できるというなら、皆さんにお尋ねしますが、そのすべての資糧の源は、いったいどこにあるのでしょうか？だからこそ、仏教は神通を語らず、道教やその他の宗派が神通力の境地を語るのです。すべての霊感を受ける過程に対して、一体どのように対処すればよいのでしょうか？
台湾や世界各地は因果業障の浄化期にあり、有情衆生の怨親債主は自らの主神として担うことができ、互いに融合して世を救い改める働きをしています。もし有情の怨親債主が干渉し霊を受け入れるならば、それは単に「鬼通力境」の霊力を持つに過ぎません。
「神通力境」が示すところに到達することは極めて困難であり、また大宇宙のすべての：仏通力境、道通力境、無極通力境、虚空通力境の霊力神通について、皆さんにお尋ねします：神通能力は一体どこにあるのでしょうか？これによって明らかになるでしょう：自分自身がただ受信する霊力しか備えていないのかどうかが！
神通も業力に引きずられるには敵わない
必ずや天地を貫いて真実の意味を演繹し、人々が一切の神通力の境地を理解できるようにすることは極めて難しい。もし成就できたとしても、それは単に「地上で仙神と呼ばれる」存在に過ぎず、「天地の運行」という真実の理諦を超越することは難しく、真に自らを識別作用の乗り越えさせ、未来への向上成長を促すことはできない。
もしこの状況に陥ったならば、それはまさに自らが向上を遂げられず、あるいは永遠に沈淪する障害点となるのではないか？実に難しいことである！ゆえに、神通力の境と鬼通力の境に対しては、今の時代において、まさに燎原の火のごとく天地間に広まりつつあり、また鬼通力の境における冤親債主に対しては、さらに一段と激しく実のところ討伐が行われているのである！
すべての冤親債主が、済世と化改の行動を通じて、個人のすべての功果を円満成就させて廻向し、因果業障を完全に消滅させて清算することができますように。皆さんはじっくりと味わってみてください：自分はいったいどのような神通霊力の境地の中に存在しているのか？そして過去のすべての因果による報いを受けることは、必ずや跡をたどることができるのです！
また、永遠に霊通力の境地に留まってはなりません。そうでなければ、天地、無極、虚空、大宇宙と軌道を接続し、乗り越える境地を成就し、自由に向上することが非常に難しくなります。これは人類の衆生が把握できることであり、皆さんと共に励まし合いたいと思います。それは、現在の分別が未来を決定するからです。
神通力の境が完全に現じ
鬼通力の境が如実に顕わる
冤親債主が主神となり　　互いに世を救い徳も増す
前世の怨みと恨みを完全に消し去り　　このような心境こそ円満成就できる
上蒼の慈悲と徳の恵みの意
累積の因縁を消し去り、共に大切に相い慈しむ
この偈を、共に有情の衆生と互いに励まし合おう。なぜ台湾と神州、そして世界各地で、今まさに全世界に燃え広がる勢いで広がっているのかを理解できれば、多くの「鬼通力の境界」が顕現する者がいることになる。それはまさに跡を辿ることのできる軌道であり、自分自身が今何をしているのかをよく理解する必要がある。
ははは！ははは！本日崇心観に降臨し、この気勢を見るに、まさに言えることは　上蒼が真理を顕わし、実諦の正しさと円満さを示されたということだ。もし崇心の真理による教化がなければ、このような状況と境地を、いったいどれほどの者が理解し通達できようか？どうかご理解いただきたい、細やかに研究し会得すれば、必ずや良き収穫と益を得られることであろう！
##虚空上人
因縁に従い心を高めて展開する　　大道の真理は一貫して明らかになる
天上聖母が台に登り　　諸賢と共に会して徳意を闡明す
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は水徳星君が降臨され、『大道一貫・第二十六回 作用十四』を著作され、すべての真理を明らかにされました。また、「神通力の境」と「鬼通力の境」、及び冤親債主による討伐の作用について、どのように述べられたのでしょうか。
己自身が神通力の境地に入っているのか、それとも鬼通力の境地に入っているのかを、はっきりと理解できるようにしましょう。さらに「魔通力の境地」というものもありますが、皆さんはそれを理解できるでしょうか。もし崇心宗脈の一文字一句を分析して著作することがなければ、皆さんの智慧は向上できるでしょうか。他の宗脈の縁を超えることができるでしょうか。決してできません！
崇心：まさに天地の真実の理諦が下化として存在し、さらに絶え間なく続く資源があり、皆が恩恵を受けることができる。当然喜ばしいことであり、現代に参入できたことを言うならば、天下第一の学府と言えよう。これは単に一般的な道場で修行と生活の潤いを行うだけではなく、まさに皆の未来の修行における障害を取り除くものである。
今後の道程の行く先は、すべて明明白白と大道シリーズの中に標示されています。これは第一級の資料であり、他の宗派ではなかなか得られないものです！皆さん、これは喜ばしいことではありませんか？さらに、無極や虚空の仙仏が教育文化課程を教えてくださるという徳沢があります。これは仙仏が暇を持て余しているからでしょうか？一体何のために、皆さんはそれを理解できるのでしょうか？
有情なる人間の衆生はまさに「様々な念が生い茂る」状態であり、前の念が去らぬうちに次の念が続いて起こるため、向上が難しいのです。他の修行者を既に超えているかどうかが、第一手の資料として「明心、見性、開悟、証果」の因縁の根本となります。他の宗派との因縁においては、このような契機は得られないのです。
以後、著作活動や救済事業、法会を行う際に、妨害者が現れた場合は、まず人間的な方法を用い、穏やかな言葉で立ち退きを促すこと。それでも効果がない場合は、警察に通報して対応を求めること。それでも解決しない場合は、強制的に排除して立ち退かせてもよい。再犯の場合、すでに三度の寛容を示しているため、もはや容赦や情けをかける必要はなく、強硬な手段で「強制的に撃退する」ことも許される。
確かに実践に移し、諸天仙仏にいささかも無礼な思いをさせてはならない。今日より厳格に実行し、決して容赦しない。理解したか？全てはまず人間の方法で対応し、それで解決できなければ仙仏と共に協議すべきである。もし著書の進行を妨げるならば、「天威」の尊厳を損なうこととなり、その罪は赦し難い！分かったか？
本日、神通・鬼通・魔通について詳細かつ明確に解説し、本宗脈の一部の学生が同様に、専ら自己の霊力に頼ることで本宗脈の弘揚に影響を及ぼすことのないよう、細心の注意を払わなければならない。それは決してあってはならないことである！　上蒼が多くの天地の資糧源を下ろされたのは、崇心が「大いなる清泉」、すなわち人間界の「大いなる灯台」となることを必要とされているからである。
##南無燃燈古仏
無極先天は真理を闡明し　　大寰世界の衆生はこれに依る
火徳星君が崇心に降りて
真実の十五道徳の期を告げる
真実の十五の原則
人間世界のすべての行動は、自らの生存の方向性と修行の境地との区別であり、次のように観察することができる：生存と修行の両面から、生存と修行を相互に融合させることこそが、まさに現代世界のすべての宗教が最高の境地として鼓吹する主要な因縁の根本である。
生存において、いかなる状況にあろうとも、霊性の修養を主導的な拠り所としつつ、この大いなる世界において、もし修行を積まない一般の人々に言わせれば、生存は修行よりもはるかに重要であり、さらに、それは極めて実践的な技芸であり、家庭生活の潤いや生計の面で利益をもたらすものなのです。
確かに人道の基本精神を実践するには、あらゆる生存条件の中でも、家庭生活の潤いと動作に対して、真の快適さと普遍的な利便性を備えることが重要です。この普遍性が求める条件は、もはや少数の人々だけが満たしうるものではありません！まさに情愛ある人類衆生すべてが、等しく如実に獲得できるものであるべきです。
真実の生存の構造
この真実の生存に必要な基本的な要求とは、有情衆生が自らの努力を通じて通貨の因縁を獲得し充足させることができ、さらに家庭の生存の快適性と利便性の普及性を向上させ、有情衆生とその子孫たちに完全に浸透させ、潤いある生活の恩恵をもたらすことができるということである。
このような真実の生活過程は、生計を潤す基本的な要求から離れることはなく、むしろ、生計を潤す面において無限の福祉を創造することができます。自分自身が利益を受けた後、さらに衆生や後世の子孫に利益をもたらすことができます。このような真実の生活は、決して生計を潤す基本的な要求から離れることなく、自分自身と衆生の両方が無限に利益を受けることができるのです。
規律、制度、法則、規範においては、自らが主人となり、生存に必要な基本要件から逸脱することなく、同時に生存の過程において、子孫に徳と恵みを創造し、人類世界に永遠に尽きることのない幸福をもたらす。まさにこれらの先人たちの徳と恵みによって、生存の必要性が創造されているのである。
上蒼の大いなる慈悲の徳沢は、研究・発明・創造をもたらし、有情衆生に潤いある生活の条件を与えることができます。生活の基本機能において、子孫に尽きることのない福祉と徳沢をもたらし、また現代のあらゆる生存の方向性において、有情衆生が自らと衆生を利益し、快適で便利で普遍的なものを持つことができるようにします。
真実の徳沢は衆生を利益する
このような徳の恵みがあるからこそ、後の世代の子孫たちは不足に悩むことがなく、またこのような条件のもとで人類世界に大きな変化がもたらされるのです。悪しき環境と修行において、いかに「生活を潤す営み」と「修行の実践」を互いに調和させるか、これは人類が本来持つべき基本的な認識なのです。
いかなる条件も、まさに修持と潤生を確かに関連づけることができる。また、宗教的な鼓吹のもとでは、往々にして修持を非常に神秘で高尚なものに喩えるが、知る由もないのは、人間世界において修持の神秘のベールを取り除いたとき、初めて修持の境地がどのようなものであるかを理解できるということである。
等級と層次は非常に明確に分けられているが、大まかに言えば、世の中の道理と人の心の正直さを明らかにすることから離れることはできない。必ずや知ることができるのは、人間の生存と修持が、往々にして宗教の神秘的なベールによって遮られ、修持者の基本的な精神と根本的な要義を見通すことができず、いかにして向上させるべきかということである。
かくして、心と精神の中には、実質的な生活の基本的要求があり、さらに生活の必須性があることを理解できる。また、基本生活の主要な因縁の根本にいかに通じるか。人類の衆生は皆「食事」をしなければならず、食物連鎖によって温飽を得て行動しない衆生は一人もいない。
生存には食物連鎖の飽食が必要である。
もし冗談で食事をしなくてもよいなら、修行がどんなに優れていてもただの「地上の仙人」に過ぎず、世間では「汚れた仙人（垢で汚れた仙人）」と笑いものにされる。このように宗教に「生きた仙人（台湾語の発音）」という位を与えるのは、非常に高い次元の話で、皆さんはこのような境地に達したことがあるだろうか？風呂に入らなければ仙人（垢）になるというわけだ！
生存とは本来真実の過程であり、人間世界におけるすべての生存について、すなわち修行において通過できるすべてのこと、また修行と潤生（現世生活）の両方から見るならば、現代には一部の宗教が、修行を潤生よりも超越したものと見なす傾向があります。しかし、人道世界においては、まさに人間の働きの中に存在していることを知らないのです。
人は仙人や仏、道や神、聖人になることはできますが、まだ成就していない間は、生存のための食物連鎖から離れることはできません。もし宗教が「人は食事をしなくても、修行さえすれば仙人になれる」と言うなら、本当に食事をせずに仙人になれるのか、確かめてみましょう。それなら、とても役に立つことでしょう！
人生は短き年月なり
人間界では食事も生存も必要なく、修行さえすれば仙人になれるという理屈は、皆さん試してみてこの理屈が通じるでしょうか？難しいでしょう！なぜなら、真実の世界は大道のすべてを潤すものであり、真実で偽りのない人道世界では、必ず生存して食事をしなければ温飽を得られないからです！
人間の寿命と生命は非常に短いものですが、これは天地や無極、虚空、大宇宙と比較した場合の話であり、その意味では確かに短いと言えます。しかし、他の有情の種族や衆生と比べると、人間の世界には偽りのない真実の肉体があり、それが人間に大きな変革の契機を与えているのです。
もし、人間が食事や食物連鎖を必要とせずに修行の境地を成就できると言うなら、それはあまりにも高尚であり、あまりにも有用であり、まさにあまりにも不思議です！もしそのような好機があれば、その時に皆さんにお知らせし、このような境地と修行の方法が成就できるかどうかを見に行きましょうか？人間の世界は真実であって、偽りではない世界です！
宗教の修行も腹が満ちていなければならない
第三空間の神霊と比較することはできません。なぜなら、神霊は食事を必要としませんが、人間衆生は生存するために必ず食事を必要とするからです。もし食事をしなくてもよいなら、それはあまりにも稀で珍しいことです！実際には、真実の理諦を自らの主人とし、人道における生存の潤いと修行の両方を空しくすることはありません。
修行において、もし修持が転生よりも重要だと言えるならば、必ずや智慧も相当に優れていなければならないはずです。人間の世界には真実で偽りのない身体があることを理解でき、もしこの身体がすでに存在しないならば、どうして確実に来世の因縁を積み重ねる過程を修正できるでしょうか？まさに必ずしもそうとは限らないのです！
どのようにしてこの一生において、今この瞬間に成就し、未来世での成就を望むのではなく、また皆さんには少しの機会もないのですか？もしこの道理を徹底的に理解せず、認識し難いならば、ただ来世に再び輪廻する衆生に過ぎません。人道世界に対して明晰であるためには、確かな生存を通じて変革を遂げなければなりません！
人道の修持は潤生に頼る　　潤生には必ず通貨の成就が必要
通貨を潤し生を加えて修持を修め　　過ぎし生存の真を改造す
真実の世界は偽りなく　　宇宙の虚空は果てしなく広がる
天地と人類、万物は皆同じく
今世の家に宿る仮の体
この偈は、有情の衆生と共に研鑽すべきものである。諸々の善き縁が修持に通じることを授け、また潤生に対しては正に：食事という大事は、「生死の大事」よりもさらに重要である。さもなければ、有情の宗教者は皆「生死事大」を鼓吹しながら、今この時「食事は皇帝よりも大いなる事」と知らず、修持と潤生を相補い成り立たせることを見失ってしまう。
自らの因縁の根本を向上させる方向に向かうことこそ、真の向上と超越を可能とするのです、おわかりでしょうか？もしこの真理を理解できなければ、容易に「痩せこけて」しまい、仙人のような風骨があっても、それもまた良いでしょう！ご自身でよく考えてみてください。さらに崇心堂にはこのような気概があり、しばらくの間お邪魔いたしました。皆様が立ちながら書物に寄り添ってくださり、誠にありがとうございました。では、またお会いしましょう！
##虚空理徳観世音菩薩
無極の宮にて皇母に伴い　　瑤池の勝地に徳意を託す
霊宝自ら来たりて台に登る　　仙童賢者に会い皆これを観る
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は五徳星君・火徳星君が降筆されました『大道一貫・第二十七回 真実十五』において、人類世界こそが真の実在する生存世界であり、すべての衆生はこの世界の中で、未来の環境改善を成し遂げるために存在していることを明らかにされました。
もしこの世において自らを改善する術がなければ、来世もまた輪廻の種因を繰り返すのみで、到底、無極勝境や極楽仙郷、虚空世界へと回帰することは叶いません。このような状況に対し、深く理解し、透徹した認識を持つことができましょうか。修行は極めて重要ではありますが、生を潤すことこそ、さらに重要なのです。
特に、人間にとって「食事」は「生死の一大事」よりも重要であり、もし食事が生死よりも重大であることを理解できなければ、人が亡くなった後、なぜ腹を満たしてから旅立つのか、黄泉の路で餓鬼とならぬためであることが分かるであろう。必ず知るべきは、「食事」は「生死」よりもさらに重大な事柄であるということだ。
赤ちゃんが生まれたばかりの時、すぐにお乳を欲しがって泣き叫びます。みなさん、食事は最も大切だとは思いませんか？それは生死の問題よりもさらに重要です。生死はほんの一瞬のことですが、「食事は一人ひとりの百年の業績」と言われるように、もし十分に食べられなければ、今日みなさんが仏堂に集まって整列し、授業を受けることなどできるでしょうか？決してできないのです！
少し時を置いて、大腸が小腸を訴えるようなことがあれば、どうして安らかで順調でいられようか、食事をしなくてもよいのか？いや、そうではない！皆、十分に食べなければならず、そうして初めて大きな問題を引き起こさないのだ。しかし、我々仙仏にとってはその必要はなく、ただ空気を吸うだけで満腹になることを羨ましく思うか？仙仏の先生方と同じようになれるだろうか？必ず相当の心を込めて向上し、超越しなければならない！
無極大道院第三批、無極理天に回帰して修行を行う者について、近いうちに名簿を公布した後、さらに第四批、第五批、第六批なども順次公表されます。心の準備をしておく必要があります！また、「無極大道仙童教化院」では、十二名の教化補佐教授者を選抜することになります。
本宗脈の学生：水錦、豐玲などの後継者たちも皆含まれており、無極に戻って潜修することを要する。この千載一遇の機縁に、未来において果位を成就できるか？もちろんです！必ず大道院の休暇と同じように、もし家族に会いに行って別れを告げたいなら？また下元水官の時節には二日間の休暇があり、成績優秀者のみが休暇を取ることができます！
我々四名の無極仙童・仙女も、仙童教化院に赴き中壇元帥を補佐して教育文化課程を担当します。我々は無極より降りた者ゆえ、一般の仙童とは異なります。これこそ仙童教化院の殊勝な縁であり、それ故に虚空天界の仙仏老師が課程を教授されるという追加部分が設けられたのです。
虚空虹彩の仙女　　虚空彩鶴の仙女
虚空彩花仙姑　　虚空霊通仙姑
虚空霊意仙姑　　虚空霊竅仙姑
諸仙仏の先生方も共に仙童教化院を助けておられます。本来このようにあるべきなのですが、先ほどの静坐観感はいかがでしたでしょうか？共に研究にお越しいただけませんか？すでに多くの時間が過ぎてしまい、ただ壇上で長々と話をして皆様の時間を浪費してしまい、申し訳ございませんでした。
##耶教教主　耶和華
無極大寰は元より先天にあり　　土徳星君が降りて言葉を授く
大道は一貫して天書に著す　　道徳十六の真理篇
道徳十六の基礎
実相世界が展開する過程は、すべての生存を支える衆生にとって、道徳面での拠り所を与えるものであり、すなわち大いなる徳の恵みを高めるものがある。また、大いなる世界のすべての人類の生存と万物の生存する実相世界に対して、道徳規範の面で相互に補完し合い実行するならば、必ず確実に向上がもたらされる。
自らと衆生に対しては徳の恩恵を超えることができ、また大いなる天地のすべての生存する種族に対して言えば、まさに人道世界が道徳的主体として依り所となり、情ある万物の生きとし生けるものを潤すことができ、また人道世界と相互に補い合い助け合うことができる。これによってこそ、安らかで心地よい生存を実現することができるのである。
人類は実相世界に生きる存在であり、下界に徳を施す役割を担っています。この使命は人倫道徳の面において、まさしく千真万確な必然性を持っています。また、人類社会には善人も悪人も普通の人々も存在し、このような枠組みは、規章・制度・典則・規範を守らない者に対して制約と懲罰を与えるものなのです。
人類の衆生は道徳をもって世を行く
人道世界においては、あらゆる生存の在り方は必ず、道徳という帰依するところに基づいて真実を完うし高められなければなりません。なぜなら、人間世界において道徳という指針がなければ、互いに奪い合い、欺き合う状況が生じるからです。このような事態を正すためには、まさに道徳規範によって行動し、また生存のための規律を設けて、法を守らない者を拘束することが必要です。
また、これは規則を守らない人々を束縛し妨げるためであり、大いなる世界のすべての生存を主とし、さらに道徳を遵守して本性を支えとすべきである。そうでなければ！人倫の世界がただ弱肉強食のみであり、他の種を害するならば、それは人倫の世界に人類しか存在しえないことになってしまう。
また他の衆生が存在することもできず、ただ人間に限定されるだけである。大寰世界において因縁の根本を高め、大道に対して示すべきは、道徳の基準こそが天地をよりどころとし、また人間世界によって天地と同じく、人間と同じく、万物と同じく、互いにこの星球に共存することを定めるものであり、これこそが天地の徳沢の現れである。
道徳は人間の基準である
道徳とは、天地が定めた基準に、人間世界の生存を融合させたものであり、大いなる天地のすべての衆生に適合するものである。このような過程を通じて道徳の基準を規範とし、また道徳の基準が備えるべき条件と規則によって、すべての人々が共に遵守できるようにするものである。
皆様は共通して認めることができます。人道世界には実際の管理と施行があり、また無形の規律が道徳基準を依り所としています。これは人類の生存が受け継がれてきたものであり、皆が共通して認め、遵守できるようにするためです。さらに、生存の方向性を融合させ、皆が認め、賞賛できるようにするものです。
さらに、皆が共に遵守できるようにするのは、人間世界においてまさにこの通りなのです！また、他の種の衆生にも普及させることができ、これを依り所とし、この種の綱領によって人倫道徳規範の行使を実現する。それはすなわち、上蒼の大いなる徳沢、天地の大いなる徳沢、衆生の大いなる徳沢、万物の大いなる徳沢に他なりません。
天地の徳沢は道をもって事を行い
実のところ、人類が大いなる徳を以て衆生を潤し、また　上天がこれに基づいて人類世界に相応しい福祉を定められるのです。それは国が泰まり民が安らかで、風雨が順調に巡り、また全ての災厄の原因と結果を事前に察知し、時期を前後させ、あるいは道徳によって築かれた力で未然に消し去ることができるという条件であり、これは一種の規制として施行されているのです。
天地の大いなる徳の恵みは、まさに人類衆生の大いなる徳の恵みに符合する。道家においては、太上道祖である道徳天尊が五千言の『道徳経』を以ってこれを伝承され、後代の子孫に帰依と持続的な信仰を与えられた。この道徳経を以って中土の炎黄子孫の教育文化課程とし、既に数千年余り伝わってきたのである。
また儒教においては、孔子の聖人としての倫理を依り所とし、仏教においては、釈尊の慈悲の徳性を規範とする。まさに「三教同宗と五教同源」が融合したことにより、天地間に存在するあらゆる宗教が互いに照らし合い、互いに補い合い、互いに支え合うことができるのである。これこそが、人類の宗教信仰における融合の姿である。
道徳十六の作用
互いに非難し合い、欺き合い、排斥し合うのではなく、人道上の世界において、あらゆる宗教を信仰する者にとって、最も取るべきでない行為である。また、天地は本来一体であり、宗教は皆、一つの花の五つの花弁のように、緑の葉がそれを引き立てる。実際、一つの花から五つの花弁が生じることは、天地の五行によって演じられる大いなる徳と恵みに符合しているのである。
五方の演繹が徳沢を普及させて五教を成し、さらに未来の千門万教へと継承される。まさに我ら金・木・水・火・土の五星君に対し、共に大道系列第十三冊『大道一貫』の著作を成就せしめたことは、決して偶然ではなく、また尋常の資糧でもない。これは正に天地間に存在する一切の衆生を昇華させることのできる、大いなる徳沢の資本なのである。
天地間に存在するすべての聖人、神々、仙人、仏陀、菩薩、高真などは、皆共に実現を望んでおります。ましてや、宗教の区別なく、五教の教主たちが喜んで大道系列に示される資糧位を成就させ、大いなる天地の人類が回帰を果たし、原始の根源たる境地を超越して達成することを、共に成し遂げようとされているのです。
成就の因縁は崇心にあり　　金木水火土の五星
降りて来て著作を一貫して一冊にまとめるのは、決して偶然の原因ではない。
天地に情ある衆生愛す　　徳は乾坤に遍く天の配剤
道徳規範は主理をなす　　綱常倫理は大道に載る
この偈は、有情の衆生と共に研究するものである。五行と五方の働きによって、人間世界の生存に必要な基本要素を融合させることができるだけでなく、人道世界を高める各章節を通じて、有情の衆生が人間世界の縁起の根本となることを如実に示し、また主要な縁起の本質を高めるものである。
大寰世界の中にあってこそ、真の回帰と下化の資源が得られるのです。これは人類衆生が生きる基本条件であり、ありのままに成長していくものです。皆様、ご苦労様でした。天書に立ち会ってくださり、ありがとうございました！我々も今日は少しお邪魔いたしました。未来において、衆生が印証として研鑽できるよう、またお会いしましょう！
##虚空済公活仏
虚なるも実なるも人生の理　　空なるも間なるも時間の契り
上壇に集う諸賢の生
人の世は瞬く間に迷い盲目の時期となる
諸聖神と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は五徳星君・土徳星君が降臨され、『大道一貫・第二十八回 道徳十六』の著作を通じて開示と分析を賜りました。五徳星君が降臨されて著作されることは決して偶然ではなく、上天が既に時空を整えられ、大道系列著作の過程を成就させられたものであります。
本宗脈はすべて大道系列を依り所とし、未来の有情衆生が依拠する基準を持つことを可能にし、生存と修行の間に断絶が生じないようにしている。これはまさに現代において比較的稀な天書の系列であり、この事柄をどのように見て顕現させるべきか、これこそがまさに現在において、未来を超越するための基本的な依り所とすることができるのである。
もしこのよりどころがなければ、あなた方はどうして上蒼の大いなる徳と恵みを知ることができましょうか。また、どのように行動し、どのように実践すべきでしょうか。これから一つひとつ詳しくお話ししていきます。今週の土曜日、皆さんも当番の仙仏とお話しすることができます。本日はすでに時間がかなり経ってしまいましたので、次回はお早めにお越しください。申し訳ありません。さようなら！さようなら！
##回教教主　ムハンマド
南無、衆生が如来と称える
燃燈の心、証し自然に開く
古仏の徳沢は崇高な心に降り
倫理十七は道徳を載せる
倫理綱常の作用
有情ある衆生は、人倫道徳の面において、必ずや倫理綱常の主要な因縁体制が必要である。倫理綱常は人類の生存に必要な動作であり、すべて倫理の規制の中にある。もし倫理がなければ、綱常を保つことは難しく、必ずや「父は父ならず、子は子ならず、上は上ならず、下は下ならず」という状況が生じる。このようでは、倫理綱常の拠り所を失うことになる。
倫理綱常という拠り所があるからこそ、正統な教育文化が必要であり、また倫理は人道世界において向上の因縁となる。倫理によって依り所とし、倫理綱常によって全体を支える規範と法則とすることは、まさに人道世界のあらゆる管理過程における主要な因縁の根本に合致するのである。
もし倫理綱常が欠けていれば、大道の人心を大方向に沿って支えることが難しくなります。また、倫理は人道の生存に必要な条件として、多くの従うべき主要な綱領を与えるものです。もし倫理綱常に基づいて、人道世界が持つべき管理制度の遵守と規律を守ることができなければ、この世においても従うことが難しくなるでしょう。
倫理綱領によって構築された
倫理：それは長幼の序を重んじ、尊卑の別をわきまえることである。上は上として、下は下として、父は父として、子は子として、すべて倫理に基づいて指導と統治の規範を定める。これは団体や国家においても、あるいは事業体においても同様であり、単に長幼・尊卑・上下・父子の序列を受け継ぐだけでなく、それによって規章に従うことができるのである。
また、指導的立場においては、必ず長幼の順序に従い、家庭や団体、国家、事業における指導力を高めるために、倫理に基づいて遵守すべき規範を定める必要があります。そうでなければ、依るべき規範がなくなりかねません。なぜ規範を制定するのでしょうか？まさに倫理を拠り所とするためなのです。
天地の中には、皆に長幼尊卑があり、父子の親情も含まれている。もし長たる者が長としての役割を果たさず、幼たる者が幼としての道を尽くさなければ、上下の連携は保たれず、長幼の倫理が主導する秩序も失われてしまう。これでは綱紀を管理する制度を確立することができず、人々が共に規章制度を守ることも叶わない。
天には天の条綱があり、地には地の条綱があり、団体には団体の条綱があり、国家には国家の条綱があり、家庭には家庭の条綱があり、事業体には事業体の条綱がある。すなわち、長幼の序があり、尊卑の別があるのである。もしこの道理に従うことができなければ、衆生をして共に遵守させることもできない。尋ねたい、この世界は一体どういう体統になるというのか？
倫理綱常の規範
綱常：まさに不変の常道として依拠すべきものである。なぜなら、「綱」は公の統率・指導を意味し、「常」は「このようにある」ことを指すからである。この公の統率方法は、団体、国家、家庭、事業体など、あらゆる組織に適用でき、すべて綱常に従って運営することができる。綱常は天地のすべての管理制度に通じる公平性と制度性を備えており、人類が共に守るべき規範なのである。
また、綱常を重んじ、世の中の道徳と人心には相応の条綱と規章があるべきです。典則の面では、風土や民情に従って修正を加えることができ、管理制度にも合致します。全ての条綱に従うことで、管理の制約から外れることもなく、戒律の行使も正しく行われます。まさに管理、制約、戒律の中に従うことこそが大切なのです。
人界には人がいれば事があり、事があれば管理の明確な判断があり、皆が共に守り民心を服従させることができる。皆が共に綱領制度を遵守して依拠する。また、綱は統率と公の統率であり、統率は管理制度であり、必ず従うべきものがある。さもなければ統率に背き、綱常に従うことが難しくなる。乱れないわけがない！
綱は統領す　常に本の如く是なり
倫理綱常の統率は次の通りである：まさに下が上を尊崇し敬慕することは、指導的統一と管理の面において、大方向を示す指標として確立でき、もし下が上を尊崇し敬慕するのであれば、まさに上位者が管理する制度と帰依するところであり、各階層、各単位、各指導者が統一して服従することができる。
綱常倫理の構築は、生存の徳沢において大いなる天地の中にあり、大宇宙、大虚空、大無極、大天地、大国家、大団体、大事業、大家族を問わず、すべては倫理綱常によって、すべての人間の管理制度を構築し、倫理綱常を依り所とするものである。
上は下に対して、下は上に対して、年長者は年少者に対して、年少者は年長者に対して、尊い者は卑しい者に対して、卑しい者は尊い者に対して、いずれも慈悲と博愛、尊崇と敬慕の念があります。これはすなわち、上から下へ注がれる徳の潤いを尊び敬慕する心が、虚空が無極に注ぐ徳の潤いと合致するからです。まさに至るところに用いられ、さらに怨みも悔いもないのです。人間世界においてもまた、このようにあるのです。
虚空と無極は互いに連なり合う
虚空が無極に対して悔いなく尽くすように、人類の年長者も年少者に対して同じく悔いなく尽くします。これは、虚空が無極に対して悔いなく捧げることに符合し、倫理の常道がまさにこのようであると理解できるのです。大いなる天地の有情なる衆生は、この理を徹して悟ることができるでしょうか。虚空が無極に対して示すのは、まさにあらゆる手を尽くす大いなる徳の恵みなのです。
まさに恨みも悔いもなく捧げたものこそが、無極の境地で受け止められ、普く衆生を救い円満に導く使命として成就されるのです。天地の使命をいかにして虚空無極の中で成就に至らしめるか、それは単なる「普渡收円」に留まらず、一歩一歩成長を重ねる段階的な過程であり、あらゆる宗教信仰にとって、超越へと高められる必要不可欠な道程なのです。
崇心のこの時期の使命と責任とは、虚無から無極に対して無怨無悔の教化を行い、その伝承教育を人類世界に広めることであり、「普渡収円」を通じて達成される。人類世界に必要な規範と制度に対して、管理を通じて普遍的に普及させ、また大道の根源において、基本的な制度面から実施されるべきものである。
互いに補い合い、互いに包容し合う
大道が生存に対して指導的統一をなすべきことを思いやり、また虚空において無極に対してまさに怨み悔いなく成全し、「普く衆生を救い円満に収める」というこの種の条件をなすことは、まさに指導的統一及び管理制度であり、また全ての規制を依り所として、崇心によって「回帰、超越、円満、乗越」へと向上することができる。
これは普く衆生を救い収円を果たした後に、再び達成されるものなのです。まさにこの通りであります。もしそうでなければ、普く救い収円を果たした後、再び「回帰・超越・円満・乗越」を行わなければ、人類世界の有情衆生は無極理天に回帰し超越することができるでしょうか？できません！なぜなら、虚空が無極に対して、怨みも悔いもなく大いなる徳を施し与えるからこそ、一貫して向上していくことができるのです。
一貫の道：これはまさに孔子の教え、道徳の道、仏性の道、キリストの道、帰郷の道であり、いかにして帰郷するかの道をはっきりと知ることができる。それは人道世界に生まれて成長することである。孔子の教え、道徳、仏性、キリスト、帰郷、これらはまさに一つの花が五つの花びらとして作用するようなものであり、いかなる宗教を区別することなく、すべてこのようである。
孔子の教えは忠恕にあり
老子の道は天下を平らかにす
仏性の道は慈悲なり
耶博の道は皆平等なり
帰郷の道を知る門路　　五教ともに往復回帰すべし
まさに人間界を乗り越え追い求める時
円満に超越し理の天界へ回帰す
この偈を、有情の衆生と共に励まし合いましょう。未来においてじっくりと体得してください。なぜ崇心宗脈が一般の道場と異なる主な因縁は、ただ「大道シリーズ天書」を著作しただけではなく、数多くの乗り越えるべき資糧の源があり、回帰と乗り越えの因縁の根本を高めるためです。これは人世界において非常に稀な条件なのです。
もしこれを離れるならば、蓮華仏国浄土世界に入ることは難しく、ただ未来に弥勒浄土世界に入るのみである。「普渡収円」と「復古収円」及び「五教収円」などの信仰者に対しては、なお下って転生しなければならない。よく考えてみよ、いずれが乗り越えられるか？いずれが停滞するか？必ずや明らかになるであろう！
##虚空福德明王
大宗師が崇心堂に降臨され　　観音菩薩が船出を導かれる
有情著作完成の後
崇心第四章を展開す
諸聖仏と諸賢生、および無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は大宗師・南無燃燈古仏が降臨され、『大道一貫・第二十九回 倫理十七』を著作されました。このお示しを分析いたしますと、大宗師が著作された乗越資糧位によって、崇心の未来における弘揚と普及を成就することができるのであります。
また、有情の衆生を無極理天と虚空天界へと導き戻すこともでき、まさに綱常・倫理・条綱の正しさに符合します。なぜなら条綱とは管理規章によって有情の衆生を成全するものであり、それはまさに「明心見性・開悟証果」をその場で実現し得るものだからです。これを崇心の視点から見れば、誠に真実であり、また極めて現実的なことなのです。
すべては人間としての生存という関門から離れることなく、むしろこれを通じて人間性を高める啓発に至り、また仏性の根本的な働きによって、すべての衆生が無限の利益を受けることができるのです。皆が心を一つにして、崇心の未来のために弘め開拓していくことは、まさに自分自身を利益し、衆生を利益する成長と超越となるのです。
##儒教教主　大成至聖先師　孔夫子
キリスト教は博愛の教えを伝え
主なる神は崇高な心を授け給う
大道一貫が著作を授けられ
孝道親情十八の扉を開く
孝道と親情の基本的な実践
倫理綱常の観点から見れば、孝道と親情は、人間世界が本来持つべき基本的な行動であり、孝道と親情に対しては、世界のどの国の民族であれ、このような条件をもって子孫に伝えていくものである。特に中国の炎黄の子孫は最も徹底しており、孝道と親情を人類が生存し伝承していくべきよりどころとしている。
さらに「孝道の親情、倫理綱常」をもって世界に徳を広め潤す。中国の炎黄子孫が受け継ぐ孝道の親情は、欧米諸国と比べても遜色なく、むしろ優れている点がある。なぜなら、人類は孝道の親情を最も重要な拠り所とする過程を通じて、有情の衆生に父母に孝行するという根本を与えているからである。
人類の生存は、先人たちの徳の庇護のもとにあり、またそれを子孫に伝えていくことができる。これは欧米諸国には見られないことであり、人道の世界を高め、これを広めていくことである。中国では五千年以上にわたり絶え間なくこの徳の恩恵が続けられてきた。このような綱領は「孝」という形で、目上の者への思いやり、親の慈愛の光として表れている。
親に孝行し、年長者を敬うことは、人としてのよりどころとなるものである。
また、親の恩に対する慈しみの作用として、子孫たちに「孝」とは目上の者に対して「その深い恩を知り」、「その徳と恵みを理解する」ことができ、さらに自らに報恩の思いを抱く働きを与えるものである。「順」とは即座に寄り添うことであり、また「順」とは平坦で悔いのないことでもある。
また、「順」とは、平和的に作用することを理解し、すべてが長上への継承として可能であることを知ることです。単にその意に従うだけでなく、その心を理解し、さらにその思考にまで通じなければなりません。これこそが「孝順」について理解すべきことであり、欧米諸国で伝えられている孝順もまた、親に背かず、逆らわず、悪事を働かず、長上に恥をかかせないことなのです。
欧米諸国が提唱する孝行の道とは異なり、炎黄の子孫たる我々の孝行は次の点にあります。親に従い、その意を体し、その知を理解し、その行いを明らかにし、親に逆らわず、背かず、また他の悪事を働かず、その傍らを離れないことです。所謂「父母在れば遠く遊ばず」、またその傍らで朝夕に安否を伺うことができます。
さらに、亡くなった後には三年間も霊を守り、さらに「二十四孝の教化」を根本とし、「百善孝を先とす」を伝承としており、まさに欧米諸国が及ばないところである。これは「伝承への依存と宗嗣の継承」であり、ここでは「親を大切にすること」が主眼であり、「親孝行」の求めるものでもある。すべて慈愛の心でその意を伝えているのである。
親族の情けは和やかで順調であり、なすところの行いもすべて
したがって、「親孝行」には感情の作用があり、それゆえに「親」を「親」として、その愛を愛し、その情けに情けを寄せて家族となるのです。このような親情、感情の慈愛に満ちた潤いがあればこそ、欧米の地域であれ、中国の炎黄の地であれ、親情の倫理をよりどころとし、世界中どこでも通用し、また父系社会であれ母系社会であれ、同じように当てはまるのです。
「親情倫理」は小さな家庭から始まり、社会集団の繁栄を築くことができます。多くの家庭が集まって国家を形成するため、国家は現代社会において家庭倫理と親情が依拠する基盤となり、倫理道徳の本質から外れることなく、国家社会の形成に重要な役割を果たします。
すべての小さな家庭が集まって全体の社会を構成し、それはまた大道の演繹が有情衆生に徳沢をもたらすことにも符合しており、欧米でも中国でも世界でも同様であり、まさに人間世界のあらゆる国々に普遍的に作用している。しかし21世紀の人類世界では、欧米諸国の「高い離婚率」を追従して模倣するという状況にあり、誠に無念なことである。
親情と倫理、孝道の伝承
生活の中で、一つの家庭が築かれるとは、二人が心を通わせて夫婦となることだとは考えられない。個人の習慣から生じる問題もあり、欠点を改めることも知らず、ただ自分が正しいと思い込み、むしろ相手の非を責める。それによって、本来は楽に過ごせるはずの夫婦の絆を、無理やり引き裂いてしまうのである。
また、結婚をまるでゲームのように軽く見なす風潮があり、ひどい場合には反目し合って仇のようになることもあります。これは現代社会でますます激しさを増しており、私たち五教の教主たちも首をかしげ、心を痛める思いです。これは果たして教育や文化に問題があるのか、それとも人々の心の変化が引き起こしているのか、本当に分かりません。高い離婚率が後を絶たないのは、このような状況が原因ではないでしょうか。
自分の実の子を他人に預け、他人を父母と呼ばせるだろうか？あなた方の心境はどうであろうか？私にもわからない！だからこそ、親子の情や倫理は五教において同じであり、いかなる宗教も孝道を継承し、それぞれの信仰が拠り所とする軌跡を残し、この伝統が長く続くようにしているのだ！
孝道と親子の情は倫理規範として確立された
孝道と親子の情愛に対しては、まさに世界全体を支えるものであり、すべての家庭の最も主要な縁起の効用である。もしこのような効用が欠けているならば、平穏な世界宗教観を持つことは非常に困難となる！教育文化においては、まさに上蒼が望まない良くない事柄であり、また我ら五教の教主が最も賛同しないことである。
どの宗教も親情と孝の道を以て伝承し、またそれぞれの家庭が親情倫理孝道の伝承を持つことで依り所とし、すべての円満でない欠けを補い維持することができる。親情倫理の中では、外界よりもより良いコミュニケーションが図れ、すべての不如意を解消できるかどうか、じっくりと感じ取ることができる。
現代人は皆、目先のことに囚われて近視眼的であり、長い目で物事を見ることができません。親子の情愛や孝行の道、倫理観を長く持続させていく必要があります。また、欧米や中国、そして世界の徳の恩恵によって、人間社会における親密な婚姻関係の分裂を減らし、多くの人々が入り乱れた人倫関係に陥ることを避けなければなりません。
これは必ず修整し変革すべき限界と障害である。もし蓮華浄土の再来を待ってから提唱するならば、現在の人類は、このような不良な孝道と親情倫理の作用をいかに乗り越えるべきか、本当にわからないだろう。それでは不足してしまう。皆さんは先鋒となって、孝道の伝承と親情倫理道徳の構築を成し遂げることをお望みだろうか。
中華の地に炎黄の孝順あり　　欧米には及ばぬ孝の純
霊を守ること三載、等閑ならず
人間の大道敦しきに比ぶ
親情倫理の道徳を開き　　ヤハウェは崇高なる心を降ろし給う
崇高なる心の因縁は真に殊勝なり　　今宵の第一台に留まりて
はっはっはっ！はっはっはっ！誠に恐れ入りますが、本日初めて崇心に降臨いたしまして、理筆宗主が天書を著す速度を拝見しましたが、あまりにも速いこと！私も楽しみながら妙筆生花の速さで解析を進めたいと思います！さらに崇心の因縁を拝見しますと、道気が横溢しているだけでなく、人材も豊富であり、まさに棟梁の才を選抜するにふさわしい真実性を備えています！
我が帰還後、直ちに旨意を伝え、「大道シリーズ天書」と崇心人文科技大学の未来における弘揚に対し、相互補完と称賛・普及を推進する。天父に恭しく礼拝を捧げます、アーメン！本日は南無燃燈古佛に随い崇心に降り立ち、一夜を煩わせました。皆様ありがとう、またお会いしましょう！
##虚空霊意仙姑
一壺の薄酒を教主に捧げ　　両心相悦びて心も和らぐ
嬉しさに再び巡り合い　　今日の崇心を留め置く
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは！本日は、耶教教主である耶和華がご降臨され、『大道一貫・第三十回 親情孝道十八』をご著作くださいました。本宗脈にとっては初めてのことであり、耶教教主が崇心にご駐駕されたのです。遠方より友来たれば、古き友の喜びは心に花咲き誇ります。
千年の芳醇な酒を一壺いただき、まさに気ままに人生を楽しむこの喜び、なんと愉快なことか、心が爽やかに躍るよ！このような機会はめったにない、キリスト教の教主が今日崇心に一晩お泊まりになる、楽しみだ、嬉しい！喜ばしい！爽快だ！ははは！あはは！堂主が千年の芳醇な酒をお願いしたのだから、あなたたちに分け与えないのはあまりにけちけちしている、みんなで分けて喉の渇きを癒そう！
##道教教主　太上道祖　道德天尊
まず内に向かって、真主アッラーに心から礼拝を捧げます！
回教は大道を継承し修行す　　ムハンマドの情は世に留め難し
モーゼの教えが崇心堂に降り来たり　　情理法治第十九
情理法の十九の枠組み
有情なる衆生が「道徳観念」に対しては、有情なる衆生を向上させる因縁の根本とし、また行ったこと全てが人間界において善と悪の二つの道に分別され、判別されることを通じて、有情なる衆生に情理の範囲内で、いささかの越えも、ましてや超過もないように与え、人々の世の中に良き生存をもたらすのである。
このような条件があれば、人道的な世界に適応できます。もしこの情理と法治の規範を越えれば、必ずや人類を含む有情の衆生の認めるところとはなりません。「情理」の中で度を越してしまった場合には、「法治」によって越えた者に対して懲罰を加え、公の律として施行されることになります。
時に「情理」と「法治」の間で、両立が難しい状況に直面した場合、「法治」による制裁をもって、すべての有情衆生が心から納得し、大道の働きに対して、真に人道による管理と制度規程を通じて、管理制度を皆が遵守できるものとし、不備な点を改善していくことができるようにする。
情理法治の作用するところ
規律、制度、規則と規範を確立し、皆が共に遵守するようにすることで、規範に不適合な点を生じさせません。もし遵守することが非常に困難な場合は、改造や修正を行いますが、これは「情に理を伴う」という前提の下で行われます。「情と理」の両方に基づいて行動を調整することが、初めて「法治」が世の中の道理と人心を規律するものとして適切であると言えます。
真に「治理」の条綱を定めることができれば、管理単位に治理の条件と依拠を提供することになります。なぜなら、治理の条綱と基準があれば、それから外れることもなく、どうすべきかわからなくなることもなく、管理できないという事態も避けられます。さらに、世の中の人心に対して統合的な基本要求を課し、情理をもって人道世界の管理規則とするだけでなく、
また、情理の面から見れば、人間世界において真に心の中に存在するものは、心から敬服させる作用がある。さらに、人道世界には「人がいれば必ず事が起こる」「事があれば管理が必要」「管理は度を越えてはならない」「度を越えれば罰を受ける」という普遍的な法則があり、これは世の中の道理と人の心に対して当然に備わるべき規範に基づいて実行されるものである。
法治の条綱と対治
情理において、もし有情衆生に納得させ、共に従わせることができない場合は、必ず「法律」を用いて法を守らない者を規制し、また法を守らない悪人を「対治」して懲罰しなければならない。このような懲罰によって初めて人心を服従させることができる。もし皆が法を守らず、規則に従って行動しなければ、管理規則を行使することはできない。
さらに、有情の衆生が法による統治によって心から納得し、その効果を発揮させることは難しい。なぜなら「法」とは、法を守らない者を「治める」ものであり、規則を守らず悪事を働く者を罰するものだからである。このような罰は、人々に警戒心を抱かせるだけでなく、公共の法律や規律を理解させ、必ず守らなければならないことを知らしめるのである。
罰を受ける中にあっても、悪を造らず過ちを犯さないように自らを律することは、人々が共に法律や規則を守り、互いに助け合い、思いやりを持つことであり、人道世界において本分を守る役割を果たす。このように、法が統治の条件として用いられるのは、人々が共に遵守できる主な綱領と統治規則によるものである。
情理と法に基づく管理規制
まさに大道のすべての管理効果の基本動作に合致し、また人道世界においては、いずれの国においても情理と法治に基づいて、一国あるいは団体及び単位、経商事業及び営利の様々な実績を統率しなければなりません。いかに情理と法治をもって、大道が本来備えるべき条綱と治理規則に対応できるかが問われます。
皆が認められるようにすべきであり、規則で縛り付けるものではありません。また、規則や法律を守らず悪事を働く者は、当然罰を受けるべきです。これは人々に誤った模範を戒めとして示し、自ら同じ過ちを繰り返さないようにするためであり、法律による統治の原則を尊重し、真の効用をもたらすものです。
まさに情理に適い、法の範囲を越えないことが必要であり、皆が共に守るべきものだ。情理と法治の中には従うべき方向があり、情理や法治を越え、度を過ぎた時には、適切な懲罰を与えることが正しいのである。
管理規程の制定
これによって、すべての人々が民心に従うことができるようになります。そうでなければ、法を守らない者や規範を越えた者に対して、もし自らの天理良心の中で修正を加えることができるなら、それは非常に望ましいことです。しかし、これは目に見えないことです。なぜなら、誤りは思考によって判断するのが難しく、そもそも誤りを改め修正する条件が全くないからです。
天理と良知は外見から知ることはできず、誤りを修正し改善しているかどうかは、懲罰によって確実に誤った行為を正し導き、次に同じ過ちを繰り返さないようにする必要があります。過ちを犯しながら悔い改めない場合は、情理と法に基づく懲罰を通じて修正と戒めを与えなければなりません。
ようやく誤りを改め改善することができ、世の中の人心に対して真実の戒めと修養の効果をもたらす。したがって、法治はやむを得ない場合にのみ用いるべきであり、そうでなければ宗教による教化の過程を通じて導くべきで、決して人倫道徳の規範を越えてはならない。情理においても法治においても、人心を納得させることができるのである。
また皆が共に守るべきものとして、このような情理に適った法規と制度は、統治の基本綱領として備えるべき規範と規則であり、人類衆生の生存の安寧、すなわち悪しき生計の制約や障害がない状態を実現するためであり、また現代の時代に生きる我々が、まさに良き居住空間を持つことにもあります。
情理と法による懲戒が施され
人間教化の根本は心の華を開くこと
すべての規則と制度は　大衆を守るためにある
親情を成就し孝順を加え、また人心の皆安純なるを要す
大道一貫にして本の如く始まる　　有情の衆生、宜しく敦ぶべし
この種の開示は、崇心が著作した『大道一貫』に対して、同じく有情の衆生と共に励まし合うものです。皆が互いに補い合い、規矩を守らない悪しき者や国家に対して、これはまさに未来において「国際宗教仲裁機構」という審判単位を設立し、皆が共に遵守すべき条綱を与え、互いに有情の衆生を成全させることなのです。
全ての五大宗教の教主、尊者たちは、皆、共に世道人心を相互に成全し、未来の向上の因縁の根本となることを願い、このように崇心においては、上蒼が頼りとする宗脈として、更に全力を尽くし、共に21世紀の蓮華浄土世界、虚空実宝浄土世界への乗り越えを促すべきである。願わくば！願わくば！
本日は崇心堂に降臨し、著作をなさることを大変喜ばしく思います。しばらくお時間をいただき、今後相互に補い合い助け合い、研鑽を重ねることで、五大宗教の平等な教化課程に合致し、人類が相補い合って向上し、良き宗教信仰を持つことができるようになります。皆様、ご苦労様です。立ちながら天書の著作にお付き合いいただき、ありがとうございました。それでは、さようなら。アッラー！
##虚空御伝天尊
虚空無極はもとより慈愛に満ち　　福徳ある衆生は皆これを敬い拝す
明王が台に登り賢者を会す　　正神情有りて共に来る
皆さん、こんばんは。本日はイスラム教の教主、ムハンマド預言者が自ら降臨され、『大道一貫・第三十一回 情理法治十九』を著作して開示されました。これにより、有情の衆生は未来において、この綱領に従って真実の道を歩むことができ、また人間界で学び成長し、向上して超越することができます。まさに今この瞬間から恩恵を受けることができるのです。
有情なる衆生は一貫天書の中で、元始の後「一如」から現在の「情理法治十九」に至るまで、一字一字、一句一句、一回一回を積み重ねて成就してきた。未来においては『大道一貫』によって、一貫天道を真に実践する有情なる善縁の者、およびすべての霊通神境の善縁の者を導き渡すのである。
皆で共に大道に相応しい情理法治を成し遂げ、皆が共に大道の慈悲と徳沢を体認することができます。これはまた、無極皇母が最も望まれている引渡聖務であり、崇心の全ての神仏と学生たちが共に努力して引渡聖命を成し遂げることを切に願っておられます。努力しましょう！福徳は自らが作り出すものなのです。
##仏教の教主　本師釈迦牟尼仏
儒教は二千年を伝承し　大成の至聖、徳は辺り無し
先師降臨して一貫を著す
公道人心二十篇
公道は自ずと人の心にある
道徳、親情、倫理の観点から見れば、情理と法の統治の中で、必ずや世の中の道理と人心に対して公平かつ公正な導きを行う過程こそが、「公道は自ずと人心にあり」というものである。もし情ある天地のすべての衆生という観点から見るならば、情理と法の統治という働きを与え、「公道は自ずと人心にあり」という綱領を行使させることになる。
これは天の理、地の理、世の公道がまさにこの世に存在することを示している。人間は徳の恵みをもって有情衆生を支え、道徳、親情、倫理、孝道の継承、そして法治においても、人間を含むすべての有情衆生の心には、それぞれ一つの物差しが備わっている。なぜなら有情衆生は、それぞれの生活の中で自らの尺度を持って生きているからである。
教育文化課程によって育まれる過程において理解すべきは、世の中の道理と人の心がなすべきこと、なすべからざること、道徳規範と親情、倫理、孝道が伝承されるべきことである。そしてこれはまさに情理と法の統治の中にあり、公道は天理の循環の中にある。すなわち天地の道もまた天の道、地の道であり、さらに人の道も必要とするのである。
公道は人の心の中に自ずとあるものだ
公道とは、まさに四海に放つがごとく、風土民情と国家の律法が相互に因循して依りどころとなり、生存する環境の中において自ずから論断を持つものである。天理の循環、地理の帰納、人理の依持という準則に対して「公道」を与えることは、いずれも大いなる天地に生きるすべての衆生に背くことはない。
すべての者は互いに肯定し、認め合うことができます。また、「公道」とは、国家の法律、風土人情、統治の基本原則に背かず、主導的な役割を果たすものであり、公道はすべての人が認め、賞賛できるものでなければなりません。もし皆が認め、実践することが難しいのであれば、そうした場合、公道が有情の衆生にどのように認識されているかを理解する必要があります。
人間世界において大きな環境改造の依り所となる過程を支えるだけでなく、大環境の風土や民情が天地の正しい道理と互いに依り添い、照り映えることにもなります。さらに、人間社会の道徳と行いを支えるものであり、まさに天の心、地の心であり、また人の心が生きるための規範でもあります。大部分はこのようなあり方なのです！
人心が天心に合致すれば、徳の恵みは広く行き渡る
さらに、大寰の風土と民情に合致し、法律と情理が相互に支え合うものです。なぜなら、過ちを犯した者が、自らの過ちがどこにあるかを理解し、法治によって統治されるべきであり、受けるべき懲罰がある場合でも、法律による懲罰は必ず軽減されるからです。もし過ちを改めることができれば、これは天地の心と相互に照り輝くことになります。
したがって、天の心は人の心であり、地の心も人の心であり、神の心もまた人の心であります。天地神人は皆この一つの心を共有しており、もし人の心が正しくなければ、天地と神々は警告と懲罰を与え、どこに過ちがあるかを悟らせます。過ちを悟ったならば、法の定める懲罰を受け入れるべきです。
すでに法の制裁を受けた以上、その後は必ず改心の機会を与えるべきであり、これは人間社会の統治原則によって導かれるものである。また、もし人々が法に従って行動し、法を守る者を規律するならば、法を守る者自身に対しても同様に適用されるべきであり、これこそが人類に対する公正な法の正しい施行である。
公道と人心は福沢を下に化す
有情なる衆生に「一如」を与えた後、今日に至るまで「公道人心」を保ち、さらに無限に続く下化の伝承を人道世界にもたらすことは、このようにして帰還を果たすのは、比較的容易なことではありません！これは無極一如を経て、人道世界に現れ、天・地・人の三才に授けられて完成されるものです。
共に人道世界を為し、世界を改造して向上させるのでなければ、有情世界において向上の資糧を得られるかどうかは定かではありません。必ず各人の修持が円満に成熟したかどうかを見極めて選択するのです。なぜなら、それは前世の行いによって積み重ねられた成就の因縁と、現在の選択によって成就されるものであり、未来において真に潤いある生を営むためのものだからです。
また、いかなる境地に入るべきかの原動力がなければならない！もし善い徳と因縁を十分に備えることができなければ、人間世界においてもただ流れに身を任せるだけであり、自らの生存する空間を繰り返し輪廻し続けることになる。これは有情衆生にとって非常に残酷な事実であり、ただ一世また一世と繰り返し輪廻するためだけに過ぎず、どうすることもできないのである！
はたして、天の不仁、地の不仁、あるいは自分自身への不仁であると考えるかどうか、明確に理解できるだろうか？必ずしもそうではない！ちょうど一つの因縁が始まるように、すべての人に公平に機会が与えられているが、衆生自身がそれを望むか望まないかだけである。善徳の因縁によって修行の道を進むことが促されるとき、それはまたどのようなものになるだろうか？
公道は人の心に自ずとあり、それを骨組みとする
まさに反対方向からの牽引力があるからこそ、自らを排除してしまうのであり、おそらく自らの思考構築の中においても、善徳と不善徳の両者が構築する作用を貫徹することは容易ではない。これらはまさに「思・惟・修」の三者を通じて、各人のあらゆる思想観念を連動させているのである。
また、各人の因縁が熟し、あるいは各人の選択の中で制約されることもあり、さらに「公道は人の心の中に自然と存在する」という中で、世の中の人心に対して、あるべき公道が依拠できるかどうかは、実は各人の心の変化によって選択することができるのです。実際、公道は人の心の中に自然と存在しており、一人ひとりが認識する概念も異なっています。
上蒼は有情衆生に一つの大道を選択する機会を与え、未来への方向を示す指標となっている。これは有情衆生にとって、もし誰もが順調に選択を遂げられるならば、未来の条件の中で必ず回帰すべき大道が実現可能となるはずである。しかしながら、現実は必ずしもそうではない！一体どうしてこのようなことになるのだろうか？
一貫大道は普く衆生を救い、円満に収めることを成就する。
有情なる衆生は常に執着して固定化し、また円滑に融通することが難しいため、自らが選んだ過ちを改めることも困難です。それゆえ、人界に輪廻し続ける原因もここにあり、有情なる衆生に「公道は人の心に自ずからある」と認めさせることは、最良の注釈となり、まさに伝承者が定めた基準として認められるものです。
一貫があるからこそ、伝承を行うことができ、向上を図ることができ、改造に至ることができるのです。人類世界がまさに「生命上昇と下降の改造界」にあることを明確に認識しなければなりません。では、いかにして自らが相当に正しい大道を選択するか？それは、上蒼が下ろされた教化の中にこそ、成就へ至る道があるのです。
有情衆生に自ら選ばせ、自ら決断させて依り所とさせます。また、それぞれが選び、それぞれが決断して依り所とするからこそ、各人が選択し、各人が成就し、各人の因果であり、各人が清算するのであり、これこそが因果の法則の公平性に合致し、未来のよりどころとなるのです。
親情と倫理を拠り所とし
道徳規範はこのように定められる
情理と法治をもって懲罰と統治を行えば
公道と人心は天より潤い育まれる
今に至るまで二十に入るが如く
源々として下化すること更に此の如し
永遠に伝えゆく限りなき遠き道　　回帰の選択は自らが支え持つ
よくよく細かく研究する必要がある：一つの如から現在の公正な人心の二十まで、これらすべてはまさに無極・太極から演繹され、下化して伝承される無限の流れに符合している。有情衆生にはこの思惟の過程を知り得ず、また人類世界にこのような良機がなければどうなるだろうか？まことに理解し難いことである！
有情なる衆生がもし、いかなる経典においても、大道が演繹する徳沢を明晰に通徹しようと望むならば、成就と実現に至ることはおそらく難しいでしょう。崇心にあるがゆえにこそ、このような良き機会があり、このような因縁があり、このような徳沢が下化され、そしてこのような条件があってこそ、自らを超越へと高めることができるのです。
大切にできるでしょうか？それともただ名前を連ねて学んでいるだけでしょうか！自分自身を最もよく知っているのは自分です！今日この素晴らしい機縁に恵まれ、崇心の著作を通じて、皆様に理解していただくために分析と共有をさせていただきます。しばらくお時間をいただき、崇心の仙仏たちと共に、未来に向けて大道を広め、「儒宗聖教」の伝統を遠くまで継承していくことを語り合いましょう。
##虚空落筆天尊
虚空天際は極まりなく貫き　　霊意の徳沢は心に崇く依る
仙姑が壇に登り賢生と会い　　共に未だ明かならざる主理を語り合う
諸聖佛と諸賢生、そして無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は儒教の教主である大成至聖先師・孔聖人が降臨され、『大道一貫・第卅二回 公道人心二十』を著作されました。これより人道世界に入り、その伝承は遠くまで届くことでしょう。しかし、ここで「無極清純の純一」を回復しようとすれば、おそらく困難が伴うことでしょう。
もし自らが如何にして無極理天・虚空天界へ回帰するかを知ることができなければ、永遠に輪廻の環境に留まるのみで、どうやって向上すればよいのか。「身・心・霊」の三者を融合させ、各人の修行によってこの境地に至るべきである。願わくは皆が超越し、円満し、回帰できますように。
##南海古仏
道教の教主、蓬莱に降り立ち　　太上道祖、徳意を並べ給う
道徳天尊は天書を著す　　道の源は一貫して理天に載る
道の源は一貫して人生の至理である
一如、二辺、三際、四方、五象、六合、七星、八政、九如、十全より、今に至る公道人心の二十に入り、またすべての主理の過程において、有情衆生に対して絶え間なく下化して人世間に及び、また道源の根本は甚だ知り難く、さらに他の宗教は皆迷いの障りである。
また、現在の「儒教と仏教」も同様であり、道の源流に対しては、大いなる道の根幹を継承し下ろすものである。もし衆生に「道の源」の基本を知らしめようとするならば、他の宗教よりもはるかに長遠で悠久なものであり、道の源である功徳の母たる基本要義は、すでに数百億年の歳月を経て伝えられてきたのである。
有情なる衆生に理解させねばならないのは、「道源一貫」によって繋がり、「道源功徳母」に回帰することが、まさに『大道一貫』が説く課程であるということです。これは単に中原の炎黄子孫が五千年にわたり伝承してきた歴史に留まるものではなく、千万年来、文字による記録がなかったために、誰もが全く知り得なかったことなのです。
道の源にして功徳の母なる主体
道の源そのものを理解するには、無極が太極へと展開した後、両儀、四相（象）、八方へと進み、あらゆる伝統が継承されてきたことを知る必要がある。また、この伝統は有情衆生の文明に対して、現代の科学技術文明では証明できないものであり、まさに有情の世における無明と未知の事象なのである。
道源：それはすべての根源の始まりであり、もしこの始まりを有情衆生に対応させれば、人間界における身体、心、霊の三者が相互につながり連鎖する主要な因縁の根本を提供できるだけでなく、道源は人間の宗教を通じて、有情衆生がその全過程を貫通し理解することを可能にし、道源に大きな基盤を与えることができるのです。
どのようにして向上し、超越していくべきか。人類が信仰する宗教の観点から言えば、すべてを理解することができるのです。上蒼（神）の視点から見ると、有情衆生に対して絶え間なく下ろされるものがあり、豊かな資糧の源があります。道の根源と基礎を向上させることによってこそ、「身体、心、霊」の三つを真に向上させ、修養を高め、成長させることができるのです。
真実の修行を実践する修行者として、個人が世の人々を教化し、人間世界を超越する契機を与える。信仰から宗教へ、そして修行へと入り、「身体、心、霊」の三者を高め超越させる。さらに、宗教修行に入ることを観察し、どのような心構えと行動を持っているかを見れば、すべてを理解することができるのです！
道源の基礎的役割
まさに人類の根源であり、古来より言われてきた「龍華三会」について、現在の経典において詳細な注釈を加えなければ、多くの不必要な混乱を招く恐れがあります。龍華三会とは「弥勒仏」が天盤を司ることを指し、これによって　弥勒仏は祖師、尊者、菩薩という段階を経て、次第に仏果へと昇華されるのです。
多くの元会を通じて下化しなければ到達できず、今現在では例えば、一貫大道の一部の書籍が述べているように、「三十六の仮の弓長、七十二の仮の祖師」が人間に示現している。これらのいわゆる弓長や祖師について、その真偽を問うことができるだろうか？否である！ではなぜ、ある者はこれを仮であると称するのか？
まさにこの時期の聖なる務めのなかで、それぞれが担当する職責と使命を持ち、一方の衆生を導き渡すこと、これは上蒼の徳沢と慈悲によるものである。もし一つの宗教がすべての宗教を含み、教育と教化の伝承を行うことができるならば、問う：現在いわゆる五大宗教は、すべて上蒼が五大神洲において、衆生を導き渡すために下されたものではないだろうか。
道の源の根本は、有情の衆生にそれぞれの興味に従って追求することを与え、それは宗教信仰にあり、ここから向上へと高められる契機が生まれる。しかし、宗教に入ることで真の修行と実践の向上が達成できるかというと、必ずしもそうではない。しばしば、ある期間が経つと熱意が冷めてしまうこともある。
大道一貫の作用
すなわち、道の源をもって修行の道筋を促し、超越的な向上の因縁の根本とすることができる。また、一期ごとに一期の責任と使命があり、どの宗教もそれぞれの枝葉を広げて他の宗派との縁を結ぶ。これは万教が一斉に花開くことに合致しており、万教が一斉に花開いた後、いかにして万教を一つに帰するかという問題である。
真の修行と実践を施すには、真実の理諦を応用して初めて実現できる。そうでなければ、どうして有情衆生が向上し、超越することができようか。まさに各人が別々の方向へ向かうかどうか、各人が向上・超越と成就を達成しようとするかどうかにかかっている。各人のすべての努力と創造を見て判断するのである！
有情なる衆生は、現世のあらゆる宗教において、自らを真の向上へと導く因縁と契機に向かわせることができなければ、向上と超越を成就することは極めて難しいのです。ましてや、どのような宗教の宗派に入って修行しようとも、向上と超越に到達することは難しく、ただ絶え間なく、止むことなく輪廻を繰り返すだけなのです。
大道一貫は論蔵天書なり
「大道シリーズ天書」はまさに、各宗教の経典の不足を補うものであり、いかにして「論蔵」を人間界を通じて伝播させ、自らがより大きな成長へと向かう空間を与えるか？それは各人の努力による普及によって達成される必要があり、有情衆生に真実の道を示し、各人の修行向上の過程を支えるものである。
一貫天道においては、玄関・合同・口訣の成就を通じて導かれることもありますが、それはあくまで天然古仏が下された教化であり、一貫道の修行者を真の回帰超越の契機へと導くためのものです。そうでなければ、ただ玄関・口訣・合同に留まっているだけでは、どうして無極理天へ回帰できましょうか。それはあまりにも難しいことです。
ただ一点の玄関をもって、生死を超えられるか？それはあまりにも幼稚である！これは、天地の一貫した大道が持つべき条綱と律戒に合致しない。必ず明らかにすべきは、一貫大道によって仏・道・儒の三教の融合を促すことこそが、まさに相補い合い、また一貫大道の中で成長し超越することなのである。
崇心は五つの教えを融合させてきた
崇心宗脈：これはまさに「大道シリーズ」の論蔵天書を提供するものであり、儒教、道教、仏教、キリスト教、イスラム教などの宗教を問わず、一貫道や現代のすべての新興宗教に対しても、「唯識理論、観念を行いとして実践する」という機能を提供し、すべての宗教経典を補完して教化し、すべての人々が恩恵を受けられるようにするものです。
現在の過程に固執してはならず、必ず未来において非常に真実の如く、大いなる天地の全ての国と宗教の中に広まっていくことを理解しなければなりません。これは崇心のみが持つ契機と資源であり、決して大言壮語などではありません。崇心が著作した「大道シリーズ天書」の殊勝さをよく観察すれば分かりますが、まさに人間界では非常に稀なものなのです！
他の宗教とは異なり、すべての経典と論蔵を相互に照らし合わせて理解し悟ることができます。また、崇心宗脈は決して一般的な宮堂ではなく、「能力と願力と努力」によって達成されるべきものです。有情衆生を教化する因縁に対し、皆様はどうぞご期待ください。仙仏は決して妄語を吐きません！
大道根源は一貫として作す　　道源一貫より連串に来たる
有情宗教経典論　　シリーズ叢書の根本端
努力の願力と能力は　　決して並みのものとは比べられない
崇高なる心は未来に宇宙を広げ　　成就し回帰する超越の時を迎える
皆様は未来の第四期以降を詳しくご覧ください。誠実に聖なる務めを全世界に推し進めております。私は本日、大変喜ばしく思い、再び崇心に降臨し、理筆と諸賢生の全ての努力と犠牲的な奉仕を拝見し、大いに感銘を受けました。後ほど私も引き下がり、共に一杯の甘い酒を酌み交わし、崇心宗脈に一つの印証を与えましょう！
##虚空天上聖母
一壺の甘麴を道祖に捧げて　　一夜の誠心を留めん
稀なることに本尊自ら来臨され　　理筆宗主の本因は格別である
ああ、今日は本当に珍しいことだ。道教の教主、太上道祖の本尊が再び崇心にご降臨され、千年の古酒を取り出して、旧友と共に語らいを交わされる。酔わずして爽やかならず、心も爽やか、事も爽やか、神人ともに爽やか、実に素晴らしいことである。今日の著作の過程を通じて、道祖が説かれる深い意味を理解することができる。
崇心に対しては大きな方向性と強心剤があり、諸賢生に相互に印証と体悟を与えています。もしこれを通じて『大道一貫』の注解に入ることができれば、まさに全ての経典と論蔵を体得することになります。また、崇心には必ず多くの真理の玄機が下化されており、これは玄機の中にあって崇心だけが持つ資源です。大切に大切にし、よく体悟しなければなりません。
##南屏道済古仏
仏教の教主世尊来たり　　本師釈迦降臨の台
牟尼仏祖は一貫を著す　　先天大道の真理を排す
先天大道の作用
人類世界において有情の衆生を観るに、向上の因縁の根本と成し得るには、必ずや「道源の功徳母」を依り所としなければならない。まさに「道源一貫の中」において成長するのであり、それは上蒼が先天大道を下ろし、世の有情衆生に授けられたゆえである。すべての者が「明師一指」の機縁を授かり、大道と融合することを得るのである。
人類世界は激動の情勢にあり、心の構築において、安らぎと成長を得ることができなければ、把握することも難しく適応しがたく、心の空虚と寂しさを引き起こします。生存に必要な依存条件を補うにはまだ不十分であり、さらに人道世界には、根本的に安らぎと敬慕の念を抱ける宗教が存在せず、拠り所とするものがないのです。
上天は下界に資源を降ろし、いかなる宗教や宗派も区別せず、互いに融合することができます。三教同宗と五教同源こそが、過去のあらゆる宗教の壁を打ち破り、また人道世界において融合すべきものであり、宗教が教化を通じて伝承してきたものでもあります。それはまさに信者を引き寄せるためなのです。
先天とはまたどのような天界なのでしょうか
自らの宗教の殊勝さを語らざるを得ないのは、まさに天下唯我独尊であり、しかも唯一極楽世界や天国世界に上昇回帰できる因縁であるからです。これは有情衆生が宗教に入る本来やむを得ないことであり、必ずどの宗教にも教化の因縁と教育課程があるはずです。
そうでなければ、どうして有情衆生が自分自身の宗教信仰を依り所とすることができるでしょうか。また、宗教観念に対して「唯我独尊、垢穢思想」という考え方を染めつけ、新たに宗教に入った学生は、どうしても破れない観念を持つことになります。まさにこのような状況の中にあり、それが将来のすべての執着を固着させる原因となるのです。
宗教による救済と超越の過程においては、このようなことが起こり得ます。また、新たに信仰に入った人々が宗教に帰依した後、このような状況や教化観念が存在するならば、宗教に入っても変わることがなく、むしろ、頑固な汚れた思想となり、必ずや将来に影響を及ぼし、非常に望ましくない思考作用をもたらすことになります。
先天大道の弘化する所
まさに、上天が人類世界に下された教化であるが、もし有情衆生が宗教に入った当初の汚れた考えを改めることができなければ、自分が信仰する宗教を「天下唯一」あるいは「唯我独尊」の観念として捉え、他の宗教を排斥するようになり、非常に望ましくない障害を生み出すことになる。
その後、他の宗教の教化機能を損なうことになり、人類世界も平等な宗教観念を持つことができず、むしろ自分自身を害し、他の宗教をも害する状況に陥ります。このような宗教の教化と教育の観念は、取るべきでない行為であり、実行すべきでもありません。人類にはこのような障害があまりにも多すぎるのです！
肝要なのは、天下いずれの宗教も、すべて先天より下化されたものであり、まさに五教の聖人がそれぞれ一方に降誕し、各部洲の人種を修持の境地へと導かれたのである。それは単に人道世界を生存させるためだけでなく、潤生の中での安楽を知るのみならず、真の心の拠り所を得るためである。
まさに自らが確固たる信仰の原動力を得られないがゆえに、宗教に対する信仰は悪しき結果を生み出す教化の仕組みを減らすことができる。このように、宗教はまさに国家の法律と社会教育の不足を補い、また人類衆生の存在する空間において、すべての衆生の生存権利に対して公正かつ平等なのである。
大道は私なく平等なり
大道は平等、博愛、慈悲、惻隠、清真にして無為であり、また世の中の五大宗教は、いずれもそれぞれの宗教の中で、因縁と成長の空間において相当に大きな成果を達成することができます。さらに、宗教平等の観念に対しては、すなわち上蒼が提唱する一貫した働きでもあります。
また、いかなる宗教であっても、不足や過剰があれば互いに融合し補い合うことができます。さらに、宗教的信仰の平等観が確立されなければ、現在の有情世界に悪影響を及ぼし、教育や教化に否定的な影響を与えるでしょう。教育文化課程を通じて伝承されるべきものこそ、宗教によって高められるべきなのです。
自らの宗教を尊崇し信仰するだけでなく、他宗教をも肯定し賞賛する姿勢こそが、大道信仰の依りどころとなり、平和で争いのない有情世界を実現するのです。これは上蒼の一貫した御心であり、大道をより大きな達成へと導き、さらなる融合をもたらして、人類に恩恵を与えるものなのです。
先天大道基本構造
先天大道が備えるべき基本的な観念として、上蒼の聖神・仙仏・菩薩・高真らは、儒・道・釋・耶・回などの宗教の区別を設けず、一体として公正平等に対応される。いかなる高低や宗派による区別もなく、すべてが向上へと昇華する縁（えにし）の根本となり得るのである。
平等と無争の世界を授け、また、人間界において平等を成就するからこそ、有情なる宗教の信仰者に対して、先人が教えた誤った観念によって宗教平等が損なわれることなく、無為、清真、慈悲、惻隠、博愛の中から、各人の信仰が達成されるのである。
まさに徳の恩恵は自らに及び、宗教に及び、有情衆生に及ぶことで、多くの欠落や不足が生じず、信仰者が教化・教育の根本的な素質として、必ずや蓮華仏国浄土世界に至って成長し、成就することができるのです。また、蓮華浄土世界があるのも、先天大道によってもたらされたものだからです。
平等で私心なく、無為の有情世界。しかし、現在の宗教修行者や崇心の学生たちが、第一手の資料によって人間浄土世界を成就できるだろうか。必ずや実現に導くことができる！まさに無私無為をもって下化し、徳沢を有情衆生の福祉に伝え、利益をもたらすのである。
先天大道は公正にして平等なり
すなわち、信仰を修持する者は、日常の生活を営む動作を通じて、永遠に暇がなかったり、時間がなくて改造できないということはない。明確にすべきことは、現代はすでに21世紀に入っており、余暇時間は昔よりも多くなり、また「身体、心、霊」の三者を養い融合させることをより重視しているということである。
暇な時間も比較的豊富で、昔の農業時代の苦労はすでに跡形もなく消え去り、より多くの余暇時間がある。これは各人の「身体、心、精神」の三つを向上させることであり、現在の有情衆生がすでに昔の苦行の段階から脱し、まさに新たな局面へと歩みを進めていることが分かる。
有情衆生に安らぎの場を与え、より多くの時間を宗教的信仰に充て、修持を通じて変革を遂げ、契機となる縁起の本質を超越することを促す。では、これをどう成就させればよいのか。修行を学ぶ者がより成就を得る機会に入るためには、まさに現在のあらゆる宗教が教化の課程を促進することが必要であり、信仰から修持へと入っていくのである。
先天大道の基本的契機
昔、天が下された「一貫天道」は「普く衆生を救い、円満に収める」という聖なる使命を担っており、今や時空はさらに殊勝なる『回帰、超越、円満、乗越』という局面に入っています。これは無極皇母の大いなる慈悲の徳沢であり、人々を引き上げ超越させるため、いかなる宗教の縁も区別することなく行われているのです。
下化される現代唯一無比の「大道シリーズ天書」は、有情衆生に向上の因縁と根本を与え、崇心によって著述される。いかなる宗教・宗派・思想に対しても、改造と回帰成長の契機となり得る。信仰者にとっては、まさに如実に成長し回帰する道となる。
さらに、あらゆる宗教経典の不足を補うことができ、また過去の因縁による制限をも補完するものである。これは、我が仏陀が当時、すべての仏教経典において不足していた点を補うものであり、これは時空の因縁が異なるためである。現代の時代に合致し、衆生が必要とする条件にも合致し、さらに宗教教化の原則にも合致するものでなければ、真実の性質とは言えないのである。
一貫して先天の大道を行い
信仰し修持することの妙は限りなし
平等の観念を深く培うことが必要であり、平和共存は善なる徳の報いである。
先天無極が凡塵に降り
大道一貫が理証をなす
有情の宗教は高められん　　人間蓮花浄土の城
この偈を、すべての有情の衆生と共に励まし合おう。いかなる宗教の流れも分け隔てず、ただ我々仏教だけが教化する縁であるとも考えず、実はすべての宗教は互いに融和し合い、さらに互いに衆生を助け合って向上・超越させることができるのだ。このような心の広さと観念を持てれば、未来への回帰と成長の第一歩を踏み出したことになる。
また崇心の現在の勢いを見るに、もはやかつてのようではなくなっており、成就は必ず期待できる。さらに、未来の衆生に対して真実の教化資源を提供できるよう、天地の資糧源を人類衆生が受益できるよう、大いに心を込めて施す必要がある。本日は崇心に一晩滞在させていただき、南無燃燈古佛などと共に未来について語り合った。皆様、ご苦労さまでした。
##虚空彩花仙姑
虚空無極は崇心を貫き　　落筆天尊降り来臨す
共に力を合わせて筆を執り大道を弘め
有情を引渡し成就を導く
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は仏教の釈尊がご降臨され、『大道一貫・第三十四回 先天大道』をお著しになりました。これは有情衆生が宗教を信仰するにあたり、完全で美しいよりどころとなる作用があり、信仰者に対して平等の観念をいかに確立すべきかについてであります。
また、どのようにして21世紀を向上させるか？これは有情宗教のすべての不足に対して、もう一つの改造の因縁とすることができる。もしさらに一層の円融を達成することができなければ、現在の宗教間には多くの隔たりと不円満が存在するであろう。有情衆生が信仰に入るには、自ら最も好む宗教信仰を選ぶ必要がある。
未知なる世界へと向かうことになるが、未来を透徹することもできず、すべては過去の経典が導く作用によって、教育を通じて自らの過去に対する依り所を明らかにする。もし今この瞬間に自らが選ぶ依り所を持つことができなければ、必ずや現在の人類衆生に対して、自らの成就と超越を促すことはできないだろう。
これは衆生が常に直面する壁である。知らず知らずのうちに、今まさに「人間として人間らしくある」べきところを、「人間として神のようになろう」とする障害に陥っている。これはすでに人道の生存の根本から外れてしまっている。もしこの道理がわからなければ、将来必ず多くの障害や挫折に遭遇し、また仙仏や天地が慈悲深く守ってくれないと怨むことになる。これはいったいどういうことだろうか。
人類が不足しているのは、必ずや一切を知り尽くすことができるはずだということです。現在、皆の智慧はすでに向上していますが、必ずしもそうとは言えません！あまりにも多くの迷いと困惑があり、またしばしば「知識の障害と道理、惑いの障害」の中にいて、自ら自らを妨げているのです。どうしてこの大きな扉を開くことができるでしょうか？これは智慧と経験の中から得られるものなのです！
南贍部洲に有情あり
海天果てなきも亦真心なり
古仏の道徳今再び伝わる　　一貫して省みて因を検討す
一体どう省みるべきか
先天大道が下界に降りて教化するのは、まさに　上天が大宇宙のあらゆる宗教を向上させるためであり、人類衆生が宗教に入った後、向上の因縁の根本を与え、宗教に入って自らの志向と作用によって、自ら宗教の中で成就の因縁をなすことができるようにするためである。学習の過程を通じて向上し、成長していくのである。
宗教の宗派の経典と論蔵を通じて、自らの成長の契機とすることができます。現在のすべての宗教は、自らの信徒や学生が他の縁によって将来の成長の契機を得ることを許さず、高い垣根を築き上げています。ただ自らの宗教が持つ経典と宝懺の中で学び、成長するだけなのです。
知らずや、現代はすでに科学技術文明が顕著な時代に入っており、上天はすでに多くの方法を用いて有情衆生を向上させている。宗教に入った後、より多くの縁によって成長と向上を遂げることができ、善縁ある者に対しては自らを成長させ、多くの恩恵と超越と成長を得ることができるのである。
どのように歩調を調整すべきか
自分が信仰する宗教だけが天下第一だと思い込むのではなく、そうすれば永遠に上蒼の徳沢と真意の根本を本当に理解することはできません！下ろされた資糧の源は、すべての宗教が公平に享受できるものであり、現代においては仏教信仰の因縁よりもさらに重要なものなのです！
まさに内なる世界の善良な種子を開花させる因となり、自らを人間菩薩の修行の境地へと歩みを進めさせ、より大きな弘法活動を通じて広く伝えることができるのです。また、「一貫」はまさに儒教・道教・仏教・キリスト教・イスラム教の精髄に合致するがゆえに、自らを成長の因縁の根源へと向かわせるものなのです。
上蒼の仙仏と全ての宗教の教化機関が観察するところによれば、個人の好みと成就の因縁によって、自らの主人となることができ、また菩薩の境地を行持する中で、まさに仏家の子弟が信仰し依り持つ人数よりも、むしろ勝るとも劣らないものがある。しかしながら、上蒼が下化された新興宗教は、いかがであろうか？
一貫天道によって導き渡される
有情なる衆生は「普渡收圓」において、「合同、口訣、玄関」の三者によって成就されます。しかし、ただ一指を授かるだけで超生脱死できるわけではなく、まさに先に求め後に修め、先に得て後に就くことによってこそ、あらゆる宗教宗派と肩を並べ、一貫道の成長の契機を融合させることができるのです。
まさに人心の拠り所として最高のものであり、さらには超昇の因縁の根本ともなり得る。このような因縁条件は、本来とやかく言うべきものではなく、一貫天道が守るべき戒律と綱領において、各組織に対してはそれぞれ異なる因縁によって引渡しが行われるが、決して各「金線」が導く過程から離れることはない。
有情なる衆生は、修行の中でそれぞれの興味に従って得ることができ、外界の修行者に匹敵する純朴で愛らしい善き相を一分持つことができる。また、どれほど悪しき者であっても、一貫天道に入って修行すれば、皆、知らず知らずのうちに感化され変化し、かつ、過去の良からぬ習慣を修正することができる。
天道は修子をして成長せしむ
過去の誤りや食い違いを互いに補い合い、完成させていくことこそが、一貫天道の中に潜む、人を静かに感化し根本から変革する源なのです。なぜなら一貫天道は、各人の成就の因縁の基盤であり、特に十八組の線に対しても同様です。また、現在宗教に入っていない人々に対しても、在家で修行する便益を提供しています。
また、仏教の僧侶や尼僧のように、必ずしも家を離れ、門を出て、さらに剃髪して家庭を捨てて修行する必要はなく、このような一貫天道の修行は、自分自身を修行の列に置く主体の縁として、根本的に家を離れず、門を出ず、剃髪することなく、現代の時代が必要とするものにより適合していると言えるでしょう。
すべての新しさを求め変化を求める基本的な作用は、自らを「天下唯一」の宗脈と言えるものへと向かわせて修持することです。そうすれば、家を離れ出家して剃髪するという様々な束縛を減らすことができるだけでなく、自分の家庭にも配慮しつつ、さらに上は親孝行を継承し、下は子孫を教育するなど、すべての教育課程を果たすことができます。
出家せずとも修行が叶う利点
まさに「儒家」の孝道継承の主体的な縁に合致し、さらに「道家」の信仰の拠り所にも合致し、また「仏家」の孝道による恩返しの基本にも合致し、「耶家（キリスト教）」の博愛による親族への行動にも合致し、さらに「回家（イスラム教）」の団結を重んじる基本教義にも合致する。これによって五教の平等な信仰にも合致することができるのである。
つまり、世界の五大宗教に、すべての有情衆生に徳を施し教化を伝えることを可能にさせると同時に、自分自身が信仰する宗教に対して、何の未練もなく「天国に登録され、地獄から除名される」と言える境地に至ることを可能にし、それによって向上を図ることです。これは「先に得て後で修め、先に求めて後で成就する」という過程であり、未来の成就のための因縁の種に過ぎないのです。
また、一貫の天道ゆえに、菩薩の行いをなすべきであり、自らを利するのみならず、さらに衆生を利するものでなければならず、単に信者を引き寄せて道を求めるだけのものではありません。このような条件は注意すべき問題であり、理解しなければなりません：この中には多くの先人の誤ったやり方があり、根本的に未来において向上し超越することはできません！
どのように改善すべきか反省し検討する
天堂に登録し、地府から除名されることも、単なるスローガンに過ぎず、求道修行者が真に自己回帰超越の因縁の根本を実践することは、根本的に難しい。なぜなら、一貫天道が本来備えるべき「先に得て後に修め、先に求めて後に成就する」という条件は、まず広く宣揚し、自らの内面世界における菩提の種子を発芽させることができるからである。
有情なる衆生が自ら菩提の種子を広めるには、菩薩行の働きが必要であり、宗教による教育と文化の薫陶の過程を通じて初めて到達できる。これはただ内面で徳の恵みを自分自身に思惟するだけでは、衆生に徳の恵みを及ぼすことは難しく、「意識」を構築し、垢穢なる思惟を除去し、浄化することが必要である。
はじめて自らを、過去のすべての因果業障を完全に消し去らせることができます。そうでなければ、一世のうちに「即身成仏」を望むことは、空に向かって願うようなものであり、また自ら未来世界と来世を知ることができず、ただ再び輪廻に制限されるだけです。まさに人間世界に生きるという潤いある生活に過ぎず、どうすることもできません！
自らの行いを振り返り省みる
必ずや各宗派の流れを融合して現代に合わせ、全ての宗教経典に対して下化することができます。このような条件は、懿敕崇心堂が著作した「大道シリーズ天書」を通じて、仏教の「唯識理諦」の起源に入ることができ、まさに唯識理論、観念と行いに対する基本的な動作に入るべきです。
またなぜ、我々師弟は上蒼無極皇母にご旨意を請い、「大道系列叢書」を著作しようとするのか。これは儒宗道門が提供する現代の時代において、宗教の盲点を真に理解し、障害を解消するための参考書となるものであり、無極皇母が直接ご自身の尊い命をもって任命された、特別なる聖なる務めなのです。
今日の世の中のすべての宗教経典の不足を融合させ、真に理解するべきは：どのように唯識の「理論、観念、行い」の機能によって、大乗菩薩の行いを実践し、真実のままに衆生を救済するかということである。そうすれば、一貫道の天道と仏教の弟子、道教の弟子、儒教の弟子、キリスト教の弟子、イスラム教の弟子が互いに融合し、利益を得ることができる。
さらに、この革新的で公正・平等・無私な参考書は、自らに無限の利益をもたらし、「論蔵」の透徹した観点に沿って向上を図ることで、因縁の根源に回帰し、円満を達成し、超越することに繋がります。また、無極皇母が崇心に「大道系列天書」を著作させた本来の意図もここにあり、深く味わえば必ずや得るものがあるでしょう。
大道一貫次第に完成し　　人間の宗教信仰証す
平等無私に構築する　　唯識の理論、観念深し
行いのあり方は本来の姿を超えている
反省し細かに考えて業を改め深く沈潜する
円満に回帰してさらに超越す　　分け隔てなく皆これ真なり
この偈は、有情の衆生が細かく研究し理解することができる。なぜ「大道シリーズ」が一貫天道の中で著作されず、仏教の中で著作されず、道教の中で著作されず、崇心堂を選んで下化されたのか。これは儒宗体系の二千余年にわたる最も殊勝な因縁であり、決して偶然に降ってきたものではない。
一歩一歩の足跡を通して観察し、監督してきた。理筆宗主の先天に含まれる蔵と願力は、二十余年もの試練の道程を経ても、初志を退けず、固い意志をもって達成されてきた。また、個人の心の在り方に高慢さがないかを見極め、選択がなされてきた。そこには多くの試練と磨きが証しとして存在し、一般の人々が理解できるものではなく、細やかに体得してこそ明らかになるのである。
師匠は本日、崇心にて一晩お世話になることになりました。今後の成就をさらに高めるため、あらゆる宗教の不足を補い、一貫天道の真の修行者たちに、豊かで確かな資糧の源を提供し、未来の成長と向上の基盤を築くことができます。皆様には『大道一貫』という天書の編纂にご協力いただき、誠にありがとうございます。お疲れ様でした。
跋、凡例
##南無薬師如来仏
序言、讚曰、頌　賀
天の徳は私なくして大衆を化す　　上蒼の徳沢は慈しみの意濃し
聖命成就の理を筆に因りて記す　　母心親身の懿命を崇む
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は主著仙仏・南海古仏が降著された『大道一貫・第三十五回 一貫省思』により、現代の宗教界に多くの難解な障壁が存在する理由について述べられます。その根本は、人々がただ生存を求めるのみであり、障壁を解消することが極めて困難であることにあります。
もし天地、無極、虚空という大宇宙の演繹過程を体証し通徹することができなければ、ただ布施行善を施し、善人として生きるだけに留まり、さらに苦難と制限から脱することもできず、真に自己の主人となることも叶わず、ひたすら人道世界の中で転がり続けるだけとなってしまいます。
知らず知らずのうちに、上天はすでに多くの豊かな資源を下ろし、有情の衆生が向上し超越するための因縁の根本を与えています。したがって、「大道系列天書」はとても真実に、この方面の豊かな資源を下ろし潤し、また有情の人類衆生が、この一生においてとても実際的に超越と向上を果たすことを可能にします。
これは自分自身に対して責任を負い、過去の業因果報を解消させることです。これは『大道系列天書』を通じて、誠実に得られ成就した殊勝な因縁であり、他の宗派にこのような因縁と契機があるでしょうか？非常に難しいことです。また現在においては根本的にそのような条件もありません。皆様がこの機会を大切にし、保持できるかどうかわかりません。
崇心は近頃、ちょうど第四期聖務の継続点を調整しているところです。心の準備ができることを願っています。また、今後どのように推進し、下化していくか？どうか心を込めて取り組んでください。そうすれば、善き弘めと普及が実現し、広く善縁を引き寄せて集結・帰隊させることができます。これはまさに、自分自身を成就させると同時に衆生をも成就させることなのです。
未来は明るく期待できる　　方法を適切に整えれば
推し広める努力を拡大し　　個人の成就と徳を広く開く
跋、凡例
##南無阿弥陀仏
序言、讚曰、頌　賀
南屏一貫天書を著す　　道済先天の真理殊なり
古仏は一貫道を成就し　　検討し改造して回帰の途に就く
改造してこそ向上し、回帰することができる
先天大道は成就と向上を成し遂げ、有情衆生が普度収円の中で、自らを向上させ成就に至る因縁の根本を高める。これは「一貫先天大道」を主軸として、有情衆生の成長を支え、興味と理解の働きを通じて、自らがより広大な成長の空間へと歩みを進めることを可能にする。
すなわち個人として向上を図ることは、自己にとって非常に望ましい行為であり、また「一貫先天大道」が現世の有情衆生に対して普度収円を行う際には、綱紀礼節を依り所とし、一貫先天大道におけるすべての真の修行者は、過去の先人から伝承された誤謬の思想を必ず打破しなければならない。
すなわち、浄土思想による改造に入らなければならないのです。そうでなければ、弥勒菩薩が再び降臨される時を待つことになります。有情の一貫した真実の修行者たちに尋ねますが、皆さんは容易に弥勒浄土に入って修行することができますか？いいえ、できません！その理由は何でしょうか？それぞれの宗教信仰には異なる制約があり、すべてが向上できるわけではないからです！
いかにして超越するか　彌勒浄土
彌勒浄土：これは「唯識の理論、観念、行い」を総合した体系である。もし亡くなった後に彌勒内院に入り、唯識の基礎を学ぼうと待つなら、少し遅すぎるように思われる。今こそ、無極皇母のご命令により、未来に彌勒浄土内院に入り修行課程を積むことが、すでに現在に前倒しされているのである。
人間世界において学びと成長を遂げるのである。なぜなら、すでに人間世界において構築されており、「唯識の理論、観念、行い」を理解することができるからだ。さらに今後、弥勒内院に入り、「唯識の理論、観念、行い」の修養課程を学ぼうとするときも、すでに今この時点において、深く透徹した理解と知見を有しているのである。
しかも、未来に再び弥勒浄土に入って修整する必要はなく、もし縁と広大な願力によって弥勒浄土に入って修整したいのであれば、実際にはすでに弥勒浄土の教化師としての資糧（資格）の位階を備えており、亡くなった後、苦労して再び弥勒浄土に入って学び成長するのを待つ必要はありません！
ご下命により、因縁深き著作を賜る
このような条件は既に人類世界に下ろされており、弥勒浄土の課程を貫徹する備えが整っています。皆さんから見て、これは最も適切で現実的なことではないでしょうか。今この瞬間、有情衆生の福徳はまさに無極皇の自らによる慈愛の命によって高められており、一貫天道のすべての迷妄と障害を検討し、これによって解消することが必要であると理解できるでしょう。
師は一貫天道において、すべての修行者の向上の因縁の根本として、すなわち南海古仏と諸々の法律主、護法主、天尊恩師らと共に、無極皇母に恭しく懿旨を請い、大道シリーズ叢書を著作し、これを下ろして潤すことにより、現代の一貫天道とすべての宗教の修行者を向上させ、改めることを与えるのである。
一貫天道において資糧が不足していること、またなぜ一貫天道において著作ができないのかという原因は、まさに先天に含まれる願力の選定によって促され、その評価条件はすべて非常に如実であり、「一貫天道」の真の修行実践者、およびあらゆる宗教の学徒が、衆為師などを通じて大道シリーズを著作し、向上することを可能にするものです。
一貫して修行者を導き、向上と超越を促す
まさに天地の至理を下化するものである。もし個人の心構えと我執によって局限されるならば、天地の中にある一切の潤いと豊かな資源が、まさに上蒼によって与えられ、さらに衆為師によって勝ち取られたものであることを理解するのは難しい。それによって、有情衆生と一貫天道の修子たちは皆、回帰超越の因縁の根本に至ることができるのである。
また、個人の行いによって達成され、将来のあらゆる災難を解消するものです。なぜなら、「延康風劫」の強風の災難はすでに徐々に形成されており、しかし「延康風劫の災い……」が人間界において、もし現在より大きな超越と回帰がなければ、自分自身を永遠に人間界の輪廻の中に置くことになるからです。
さらに、自己の回帰と成長を妨げることになり、どうして検討と改善ができるだろうか。つまり、一貫先天大道のすべての修行者は、将来非常に苦労して努力し、弥勒浄土に入って修行する過程を、早いうちに今の人間界において、とても楽に自分自身に思惟構築の通徹を与えることができるのである。
心を込めて教える師の思いを無駄にしてはならない
未来においては、どの宗教の流派に入って修行するにせよ、あるいは俗世にあって、三十六の弓長、七十二の祖師はいずれもそれぞれ一方を教化しており、これを真偽の天命とは言えません。また、各人の修行の深浅を問わず、上天から見れば、まさにそれぞれが一方を教化し、導きの任務を果たしているのです。
もし「天下唯一」の天命のみが回帰できると言うなら、問いたい：なぜ万教が一斉に発展する必要があるのか、それを仮の天命と言えるだろうか？否である！「万教斉発」と同時に、必ず「万教帰一」によって集結する必要があり、この帰一こそが「天地正理」によって施行されてこそ、正しいのである！
もし単に「天下唯一」、つまり「唯我独尊」の観念のみを唱え、ただ自らが授かった天命だけが真実であると主張するならば、他者が授かった天命には真実性がないのか？このようにして「万教斉発」を論じることは、比例を欠くだけでなく、現実的でもない。衆生が宗教修行に入ることは、すべて縁を高めるための根本なのである。
自己に執着してはならない、これが最も大切である。
むしろ、自分だけが天命をどれほど授かっているか、あるいは天下唯一の存在か、いかに特別であるかということではなく、必ず明確にすべきは、天命とはまさに天から与えられたものであり、それによって成し遂げられ、担うべき職責と使命は、どの宗派にもそれぞれ存在するということです。自分が信仰する宗教だけが大きな天命を持ち、他の宗教には小さな天命さえないと言えるでしょうか？考えてみれば、すぐにわかることです。
天が授けた大いなる使命は、真に有情の衆生を導いて回帰させることにある。この「普く衆生を救い、円満に収める」という時において、天道を修める者たちに知らしめるべきは、三十六の仮の弓長や七十二の仮の祖師の中にあって、真偽を分別すべきではなく、天命を分別すべきでもなく、ましてや人数の多寡によって分けるべきではないということである。
各々が天命を担い、それぞれの役割を果たすことこそが、真に万教斉発の実践であり、また万教帰一がどこへ帰する「一」であるかといえば、それは「純一」なのです！この「純一」とは、万教帰一の総合体を指します。万教帰一と言うならば、ただ一つの宗教に帰するのでも、ただ一人に帰するのでもありません！
自らの超越と回帰を妨げることになる
このようなやり方は、もはや宗教的平等が持つべきものではなく、すべて無極一貫の先天に帰し、「純一」を主理とする回帰にほかなりません。しかしながら、決して単に凡塵の一貫先天大道に帰属するだけではないのです！これは謬論です。なぜなら、万教帰一の「一」とは、まさに自らの元始真如、自らの真の本性こそが、真実そのものであるからです。
万教は一つの統合に帰するべきであり、決して人道世界によって帰納されるものではない。また、未来に弥勒の降誕を待つ必要もない。今、真実の修行に励む修行者たちは、いかに自らを処すべきか？彼らを三途六道の生死の流浪に委ねてよいものか？否である！なぜなら、弥勒が真に降誕する時は、まさに時空が未だ人間界に到来していない時だからである。
今まさに　弥勒下生の時節に当たり、それぞれ天命を領し、それぞれ一方を教化するに過ぎず、決して真偽の天命と謂うべからず、これは誤伝によるものである。更に無用な争論や誤った論断を為すことなく、それらもまた　上蒼の職責を承けて下化と教育の聖命を担うものであるから、その真偽を論ずるべからず。
真偽：それは個人の行いや振る舞いの中からその真偽を判断するものであり、また衆生に利益をもたらし、向上させることができるならば、それを天命の真偽と言えるだろうか？もしただ衆生を奴隷のように見なし、さらに弟子や孫弟子を使い走らせて向上も難しく、ただ顕現に執着するだけなら、それを天命の真と言えるだろうか？自ら考えてみよ、答えはその中にある！
弓長祖師は天命を授かり　　各地を教化するにもそれぞれ縁由あり
真偽は差異と言えず　　主事各人の心中に引き起こす
一貫して反省を重ねて省みる
広く衆生を救い、円満な果実を結ぶ
円満に回帰し更に超越す　　弥勒浄土の資を成就す
この偈は、先天大道と仏家の子弟に同じく思惟を促すものである。各人が信仰する宗教の宗派を天下唯一のものと執着して見てはならず、「時が移れば法も移る」という今この時に、有情の修行者たちが容易にかつ如実に乗り越え実践できるよう、更に上蒼の真理規範に合致した行持を現世において実践することを了知せねばならない。願わくば！願わくば！
『大道一貫』はここまで三十六回をもって全ての著作が完了いたしました。崇心宗脈の聖務因縁に対する第三期は次第に終わりを迎えつつありますが、いかにして第四期の弘揚と拡大を開くか、どうか心を尽くされんことを願います。必ずや相応の収穫と成就が得られるでしょう。まさに自らの努力によって向上を達成し、超越する条件を備えることになるのです。
今夜は老衲、帰らずに崇心に一晩居座らせてもらおう、どうじゃな？もう一壺XOを飲んで、一切の是非を忘れよう！今日　老衲が持参した「香茗甘麴」は数年飲み続けているが、まだ飲み尽くせぬゆえ、崇心に一晩居座り、すべての仙仏の老友と共に集い、未来の弘化推広について語り合おう。
跋、凡例
##南無大日如来仏
序言、讚曰、頌　賀
南屏道済は一貫を著し
虚空より彩花降り来たりて伝わる
大道一貫はすでに完成し　　凡例跋の作を待つばかり
諸聖佛と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南屏道済古仏主著の仙仏が降臨され、『大道一貫』全三十六回のうち「改造回帰」を著作されました。これにより検討と改進を行い、一貫先天大道と全ての宗教の修行者に対し、省察の機会と大いなる因縁成就の空間を提供されます。
いかにして自らをより大きな成就へと導くか？理にかなって実際的であることが必要であり、それは自己成長の因縁を高めることであり、さらに真実の性質を超越して回帰することである！さて、香ばしいお茶と甘酒は私が独り占めさせていただきます、OK、これは南屏道済古仏より賜った、独り占め（享受）する機縁です、皆様お疲れさまでした、またお会いしましょう！
跋、凡例
##虚空上人（南無虚空上徳人天古仏）
##虚空霊通仙姑
南無薬師如来の御慈悲は、すべての衆生を救い開き、その御徳の恵みは、民を苦しみから解き放つ。
如来如去真実在り　　仏降り崇心に跋来を著す
跋　一（ばつ　いち）
「跋」の役割：書物の結びとして評価する際、衆生に利益をもたらすことができるかどうかが最も重要な条件であり、また自らの人間としての生存における徳の潤いを改めることもできる。衆生は向上を目指して努力し、自らを超越的な成就の因縁の根本へと進ませることができる。
したがって、「跋」において肯定を与え、賞賛を与え、自信を与えることは、「大道シリーズ」が崇心の現在の大乗菩薩行の実践に対して、天地の真理をもって人間の行いの徳と要義を知らしめるためであり、さらにすべての経典の不足を補い、現代の時代に必要なものに適合させるためである。
衆生に対して「向かって取る」と「取る方向へ向かう」という過程において、いかに自らが智慧を増し向上させるかは、必ず自らが獲得しなければならない。また、かつて二千有余年の時を経て、今や深く六道輪廻の相互循環する時空に置かれているため、人類世界においてももはや往時の経典をもって行持することはできない。
小乗であれ、中乗であれ、大乗であれ、その実践はすべて経典による薫習の過程に左右され、障害を受けるものです。自らの生き方に対する興味や理解が生じたとして、いかに成長へと着手すべきでしょうか。経典が非常に優れ完璧であることは知っていても、現在の実践に合致しなければ、ちょうどその良さを知りながらも実践が難しいのと同様です。
現代の科学技術文明の観点から、過去の経典が現代に適合するかどうかを再検討するならば、世代交代や人心の変遷という過程において、さらに宗教に入って向上し、智慧を積み重ね、「明心見性、開悟証果」に至って通徹することは、実証であり、まさに現実的なことなのです。
南無薬師如来に帰依いたします。
儒宗聖教　真仏心宗　無極大道院　懿勅崇心堂
天運壬午年葭月初三日戌の刻
南無一貫著大道　　阿弥陀経は真に良し
仏は智慧菩提昇と説き給う　　跋来賀頌限りなく多し
跋　二（ばつ　に）
懿勅崇心堂：現代の儒宗聖教から見れば、これは画期的な試みであり、また著作された「大道シリーズ」の天書は、現代の時代における有情衆生に対して、仏教、道教、儒教、イスラム教、キリスト教の経典を貫通させ、融合と平等をもたらすものであり、各宗教の流派においても相互に通じ合い、相互に成就することができます。
一切の衝突や調和の難しい点は生じず、さらに天地の真理を演繹する過程を下化することは、有情の衆生が人間世界において自らを「明心見性、開悟証果」へと向上させるための知恵となり、実在する方向性を示すものである。まさにこの世において自らの主人となる所以である。
宗教に入るのではなく、経典に左右され、ましてや原始経典の教義が明らかにすることを通徹することはさらに難しく、有情衆生はまさにこのようなものです！宗教経典に対して、もし大局的な視点から見ることができず、もしただ自分の宗教の派閥の中に執着するだけであれば、他の宗教経典の教義を明らかにすることは非常に難しくなります。
また、天地の演繹過程に対して向上を促す因縁の根本を提示することもできませんが、「大道シリーズ天書」に著述された内容は、人間界のすべての信仰者に対して極めて真実に即し、極めて適切であり、信仰宗教に帰依する過程において障害を受けることなく、かえってすべての経典の教義を貫通し、その完備を理解することができるのです。
まさに自らをより充実した、智慧に満ちた完全な現実へと向かわせるものであり、また現代の修行者にとって最も理解しにくい事象である。もし相互の完成を助け合い、称賛し合うことが明らかになれば素晴らしい。儒宗聖教を通じて全ての宗教の経典と教義を融合し、しかも経典の教義に制限されることなく、大地の大いなる徳の恵みと天上の大いなる徳の恵みを理解し、人間世界においてそれを展開させることができる。
南無阿弥陀仏降りて、跋に於いて二つ
儒宗聖教
真仏心宗
無極大道院
懿勅崇心堂
天運壬午年葭月初三日戌の刻
◆ 旨 ◆
完書繳旨
##崇心主席　文衡聖帝
◆ 跋・讃賀 ◆
跋、凡例
南無、衆生が如来を念ずるように
大いなる日輪の光、蒼生を慈しむ
如来佛祖は崇高なる心を降ろされ
大道一貫、ここに来たりて開かれる
跋　三（ばつ　さん）
崇心堂の著作「大道シリーズ叢書」は、あらゆる宗教の経典に匹敵するものであり、さらに現代の有情衆生にとって、回帰超越の因縁の根本に合致しています。これは単に有情衆生が天地の演繹とその徳沢を理解するためだけでなく、上蒼の諸仙仏らが力を合わせて共に成就するための基本でもあります。
人間世界において「21世紀の蓮華仏国浄土」の資源本を創造せんとするならば、もしこれを離れて観るならば、また過去の経典を現代の時代に置いてみたとき、一体どれほどの経典が現代の衆生の憧れと追求に合致し得るでしょうか。まさに極めて稀であり、人類にはそもそもこのような観念さえないのです。
科学技術文明によって、自らを向上させて資源の本源へと回帰させることができると同時に、人間世界において、過去のあらゆる因果業障を次々と大きく改め、大きく変革することもできます。そうでなければ、閻浮提の衆生が心を動かし念いを起こすことすべてが業障に引きずられているとしたら、どうして自らの過去の因果の絡み合いを断ち切ることができましょうか。
必要に応じて、「唯識の理論、観念、行い」の実践において真実を知り、大乗菩薩行の位階に入らなければなりません！有情衆生に「心を明らかにし本性を見る、悟りを開き果を証する」ことを、自らの成長の因縁の根本とし、「本性を見ることと果を証すること」を真実のままに、未来の資源の蓄積とします。
まさに　上天の多くの仙仏が下って教化し、また諸々の賢者たちが力を合わせて自ら獲得し、実際に自ら獲得し通徹するものである。常に謙虚でへりくだった心を保ち、自らの未来の成就の因と根本とし、また天地の演繹の過程を通徹して、大虚の天際を自由に飛翔する成就を成し遂げる必要がある。
「跋」の確証：崇心堂が著作した大道天書シリーズに対して、上蒼と諸仙仏が賞賛と確証を与えたことは、刻苦耐労し、何の資源もなく始めたものが、今や次第に実績と効果を上げ、人類の成長に利益をもたらすまでに至ったことを示している。これはまさに天地と千秋万代を争うようなものであり、皆さんはどうお考えだろうか？
南無大日如来仏　跋三を降す
儒宗聖教の真なる仏心の宗派
無極大道院　懿敕崇心堂
天運壬午年葭月初三日戌の刻
我々三人は退き、共に崇心第四期の聖務拡大と弘揚について協議した。
◆ 旨 ◆
完書繳旨
##無極駕前　麻仙姑
◆ 跋・讃賀 ◆
跋、凡例
虚実天地に貫きて無極に至り　　空転凡塵に衆生を救う
上徳は徳とせず、人は徳を行う
人間の教化は因縁に依る
凡　例（はんれい）
一、懿勅崇心堂に申し伝える：大道シリーズの天書を著作するに当たり、有情衆生が宗教修行に入った後、しばしば多くの行き詰まりに遭遇し、いかにしてこれを解消すべきかを知り得ないことが多い。天地の演繹する真実の相を通徹することが必要であり、これこそが実のところ困厄から障碍と行き詰まりを化除するものであり、まさに真実の性なのである。
二、大道系列：これは論蔵であり、一冊一冊が天地と宇宙、無極、虚空が徳沢の過程を演繹して下化することを如実に記し、あらゆる宗教の経典を通じて有情の修行者が自らの信仰する宗教経典を貫徹し、各人の信仰と依持の条件に合致させ、現代という時代において向上させるものである。
三、大道一貫：天地の理によって有情の衆生を導くにあたり、儒・道・釋・耶・回などの宗教の区別なく、いかなる新興宗教とも互いに融合し、互いに高め合い、互いにその真実を照らし合わせることができる。これは宗教を信仰するにあたり、ただ自らの宗教に固執して「天下に唯一つ」という穢れた思想を持つことのないことを示している。
四、一貫：これは現代の「先天一貫大道」を修める者に対して、信仰の参考となる書物を提供するものである。一貫大道によって向上し、今後は苦労することなく弥勒浄土に入って修持できるようになり、さらに現在においても楽々と無極・虚空浄土世界へと超越して入ることができる。
五、論蔵経典の制作について：これはまさに諸天の仙仏たちが雲車を駆って労苦を厭わず、風雨をものともせず、過去に成し遂げられたすべての因縁の根本を下界に降ろし、あらゆる仙仏の経験を積み重ねて、人間界の儒宗聖教を通じて著作するものであり、必ずや人類の信仰を高め、論蔵と経典の不足を補う必要があります。
六、先天一貫大道：一貫先天大道を修める者であれ、仏門の信仰を修める者であれ、また道家や儒家、あるいはキリスト教やイスラム教の信仰者であれ、皆それぞれの信仰する宗教の中で、確かな依り所とする過程と、より実際的な超越の因縁の根本を、そのままに得ることができるのである。
七、天地演繹：いかなる宗教も人類世界においては、ただ一つの地域を教化するよりほかなく、全面的な救済を行うことは難しい。まさに天地の演繹過程に、現代の科学技術文明の恩恵を加えて明らかにし、大道系列の天書に極めて如実に注釈し、また人間世界において実証させることを実現するのである。
八、天地の資源：これは大地の衆生に提供する条件であり、天機が示現することを授けたものである。また、有情の衆生に対しては、果たして自分が信仰するものだけを固執するだけであろうか？さらには、「大道系列」や他の経典による薫習を排斥するならば、それはただ人間世界で再び輪廻を繰り返すだけである！
九、人類はただ下世に輪廻するだけではならず、必ず超越せねばならない。各人の眼光と信仰に応じて向上を図るのである。もしその内側から宝を掘り起こすことができれば、無限の利益を得られるだろう。これこそが大道シリーズの著作目的であり、修行者にとっては、より広大な信仰のよりどころを持つことが、真実の姿なのである。
十、一貫先天大道：仏教信仰者及び一貫先天大道信仰者に対して、天地の演繹を貫通する資源を提供する。「大道系列叢書」は「論蔵」として、未来の人間浄土の構築と向上を可能にする。それは各人の自発的な達成と、各人が自ら進んで受益を得ることによって実現される。
十一、懿勅崇心堂、理筆宗主に告ぐ：『大道心燈』の第一シリーズを著わして以来、今に至るまで第十三シリーズ『大道一貫』を完成するに至った。上蒼は崇心がこの六年間にわたり精勤して下化に努めてきたことを監察され、さらに以前の行善堂において著作に費やした年月を合わせれば、既に十二年の歳月となる。
十二、第三期の完成休止を経た後、第四期の聖務弘揚を再び開く。大道系列の天書、いずれの一冊を著作するにも、必ず天神の護佑がある。大切にし、冒涜してはならず、天譴を受け罪の消え難きを免れるためである。これは現代において必ず知るべき事柄である。
十三、もし何か願い事があるならば：『大道一貫』の天書の印刷を支援することができます。上蒼はその願い事に応じて業障を消除することを考慮し、さらに：宣講、配布、印刷支援、著作に携わる者の労苦に対し、上蒼は決して皆の苦心や労苦、犠牲と奉献を無駄にはせず、未来には必ず相応の報いが実現するでしょう。
真仏心宗の人天宗師　虚空上人、凡例を降ろす
儒宗聖教　真仏心宗　無極大道院　懿勅崇心堂
天運壬午年葭月初三日戌の刻
◆ 旨 ◆
完書繳旨
##崇心正主席　虚空上人
◆ 跋・讃賀 ◆
跋、凡例
虚空無極より降り来たりて　　霊通徹し因縁開く
仙姑初めて我が聖台に登り　　賢き生と共に会し礼を整えん
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は、仏教の南無薬師如来仏、南無阿弥陀仏、南無大日如来仏と、本宗脈正主席の虚空上人が共に崇心に降臨され、『大道一貫』の跋と凡例をお著しになりました。これは崇心の聖務に対する確信と賞賛であります。
また、本宗脈の理筆宗主が払われた努力に対しても、皆が称賛と激励を惜しまない。そこで今日、多くの仙仏が崇心に集い、未来の聖務と第四期の展開について協議し、大道シリーズの著作と弘揚に一層の努力を傾けることを期待している。これは千載一遇の機縁であり、大切にできるかどうかは、各自が自ら悟るところによる。
本日初めて崇心に登り、諸賢生と共に未来の弘揚準備を語り合う。より一層心を込めて拓展することを願い、各人の心構えの応用において、如何に自らの誤りと過ちを調和させるかが、真実の姿である。さもなければ崇心に入った後も、この世の良からぬ業果を改めることは難しく、いかにして否定できようか？
一度に無極理天や虚空天界へ回帰できるか？必ずしもそうとは限らない！師である私が虚空から降りてきたのは、「霊通と通霊」の方向で修行する者を成全し、更なる高みへと引き上げるためである。それによって現在の人間世界に障りを生じさせることもなく、まことに如実に自らが利益を受け、後にどのような応用と下化があるかを了知できるようになるのだ。
◆ 旨 ◆
完書繳旨
##欽差大臣　馬天君
##崇心大主席　南天文衡聖帝
大道一貫今に完旨を成し
上蒼に呈げて徳意の賜わりを賜う
聖務三期の劃休止　　四期大道の殊を開啟す
謹んで　完書を拝受し　聖旨を奉還す
諸聖佛と諸賢生、そして無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は、本宗脈が開堂して以来、第三期の聖務が完成した日であり、また大道シリーズ天書第十三冊『大道一貫』の完書・奉納著作という慶びの日にあたります。師として、誠に光栄に存じます。
命ずるに本宗脈の虛空靈通仙姑、虛空靈會仙姑、虛空靈竅仙姑をして、三十里の外にて恭しく無極懿旨を堂に迎え来たらしめ、本宗脈の虛空御傳天尊、虛空落筆天尊、虛空銀筆大道天尊をして、二十里の外にて恭しく無極懿旨を堂に迎え来たらしむ。その余の神人と無極大道院霊修院士らは、列を整えて駕を待ち、儀を失うことなかれ。
ご威光を帯びて懿旨が崇心に降り　　麻仙姑の徳は衆情に遍く行き渡る
大道一貫に書の旨を完うし
普く四海を化して徳新たなり
謹んで無極の懿旨を帯び、崇心道場に降りて宣読す。神人ともに俯伏す！
懿旨を開き読み奉る
謹んで奉る
無極皇母大天尊　懿旨に曰く
母なる御方は理天の聖地におられ、常に南贍部洲の有情なる衆生の子らが回帰し救われるよう、あらゆる手立てを尽くされました。しかし、いかなる方法を用いても、有情なる子らを回帰させ超越させることは叶わず、彼らは度々五濁の悪世に沈み、俗世への執着と業の造作によって、さらに深く沈淪を深めております。
また、澄んだ思惟を用いて向上と回帰を促すことは難しく、常に母なる心を深く悲しませております。どうか諸仙仏が人間界を教化する徳沢を以て、情ある衆生の子女に対し真理を暢やかに導き授け、実際に向上成長できるよう与え、良き利益を得て向上超越できるよう願っております。
南贍部洲台湾桃園にて、母なる心の尊きお導きにより崇心堂が設立されてより今日まで、常に『大道シリーズ天書』を著作し、情ある衆生の子らを導いて真理を円滑に行わせ、天地の演繹する徳沢を自らに体証させてまいりました。崇心道場の行うところの事柄に対しては、一層のご指導とご期待をもって、天地の真理をもって実義を闡明することができるよう願っておられます。
今や「大道シリーズ」第十三冊『大道一貫』の著作を完成させたことで、母なる心は大いに慰められております。理児が志を堅く持ち揺るがず、聖務と仙仏の教化において一切手抜きをせず、また優れた成果を挙げて四方に弘法していることを、母なる心はことのほか慈しみ愛でておられます。さらに崇心副主席の麻仙姑より、崇心に関する一切のご報告がございました。
心道の脈絡を崇め、弘化を推し広げる実情をありのままに報告されたことは、誠に称賛に値します。今や崇心の聖なる務め第三期を成し遂げられましたゆえ、崇心の神仏と諸々の子ら等の労苦に報いるべく、瓊漿二壺を賜ります。一壺は崇心の諸仙仏に、もう一壺は崇心の諸々の子ら等に賜り、福徳を増し智慧を加えんことを。
また、今後も財運が順調に通じるよう、そして「崇心大学」が一日も早く設立され、人間世界で教化の糧となることを願っております。これは母の心の願いであり、「大道シリーズ天書」を通じて広く教化を施し、まさに諸霊児が宗教信仰に対して着実に向上し、回帰超越する利益をもたらすことができるのです。
無極皇母大天尊、懿旨を降す
儒宗聖教の真仏心宗
無極大道院 懿勅崇心堂
天運壬午年葭月初十日戌の刻
ご下命が完了し、本宗脈に対するまた一つの肯定と職責の達成となりました。次の段階の使命と聖なる任務は、より多く、かつより広がりを持つことになります。師は速やかに無極に戻りご下命を復命いたします。皆様、またお会いしましょう！
虚実の間に伝わる真理
空しく転ずる凡塵も本より宜しき如し
上徳はまっすぐに大道を行き　　人寰は相互に本心に依る
本日は謹んで無極皇母の懿旨をお受けし、降堂によるご下示が完了いたしました。しばらくお待ちいただき、続けて昊天玉詔を謹んでお迎えし堂に降ろし、本宗脈より虚空観世音菩薩、虚空天上聖母、虚空彩虹仙姑を命じて二十里の外にてお出迎えにあたらせます。
命ずるに虚空道伝徳天尊、虚空理治法天尊、虚空龍翔天尊をして五里外にて駕を迎えしめ、その余の神仏と衆学生及び無極大道院霊修院士らは、列を整えて駕を待ち、儀を失うことなからしむ。
勅使が聖旨を携えて聖堂に降り立つ　　馬天君が徳意を伝えて船を降りる
昊天より玉詔が下り崇心に頒布され
大道一貫の書章を完うす
玉詔を開きて読む
謹んで奉る
玉皇大天尊　玄霊高上帝　玉旨に曰く
朕は九五の尊位にあり、有情を教化して現世に実績を挙げんことを願う。儒宗聖教の体系において今、台疆懿敕崇心堂、理筆宗主が有情なる諸賢生を導き、共に「大道系列叢書」を著す。今に至り「大道系列」第十三冊『大道一貫』を成し遂げた。
理として、天命を果たして天界に戻るべきであり、それゆえに朕の心は大いに喜び、崇心道脈が志を固めて新天地を開き衆生を救うことに、儒宗の体系が上蒼の徳沢を堅く守り通せたからこそ、先天に秘められたものと先天の大願力が相まって成し遂げられたのである。すでに十三冊の「大道系列天書」を完成させ、崇心全体への確信と励ましを示したことは、まことにもって真実である。
儒宗体系はここ十数年来衰退し、現在は「真仏心宗」がただ一筋に上蒼の大梁を担い、上蒼の棟梁の才としての貢献と努力は、すべて上蒼と多くの仙仏の認めるところであり、特に南天主宰文衡聖帝は、常に崇心道脈を称賛し、いかなる難関をも堅い志で乗り越えることができると述べておられます。
また、「大道シリーズ」の著作条件に対して非常に高い評価を与え、さらに「時間を守り、法を守り、信を守り、義を守る」という姿勢で著作活動を実践していることに対し、大道シリーズの天書に対して上天が認め、肯定し、賞賛を与えている。これはまさに諸神仏の教化が適切であり、指導の成果が現れている証であり、大いに称賛に値するものである。
このような条件こそ、まさに上蒼の棟梁の才であり、大棟脈の成就は、自らが創造し、自らが獲得するものである。また、上蒼は皆の勤勉な努力を決して無駄にせず、未来には自らが誠実に上昇・超越・回帰の成就を達成することになる。喜ばしく賀すべきこと、称賛し励ますべきことである。
玉皇大天尊　玄霊高上帝が　玉旨を降される
儒宗聖教　真仏心宗　無極大道院　懿勅崇心堂
天運壬午年葭月十日戌の刻
よろしい！勅旨の下達は完了した。崇心神人が功績を立て、しかも功績の表彰に執着しないとは、まさに人間界の模範となる棟梁の才の成就である。皆、ご苦労であった。われは昊天に戻り勅旨の復命を果たし、また会おう！
崇心に帰返し来たりて旨を接し
大道一貫の示しを完成せん
上蒼は必ずや賞賛を加えられよう　　神仏の学生は徳と志を保ち続ける
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は、無極懿旨と昊天玉詔を恭しくお堂にお迎えし、頒布を賜りました。また、「大道シリーズ」第十三冊『大道一貫』の完書に伴うご旨への復命が全て完了いたしました。まことにおめでたく、慶賀に堪えません。さらに、崇心のすべての神仏と学生が志を堅く持ち、揺るがぬことを称えます。
理筆宗主と林堂主の尽力により、数多くの難関を乗り越え、その都度上蒼より「優等」との評価を賜る成果を収めることができました。これは理筆宗主の堅固なる志と、林堂主の聡明賢く大いなる智慧、そして弛まぬ努力の賜物であり、まさに未来において人間浄土を創造し、教化を成就するための糧となるものであります。
まさに　多くの者が師匠に認められ慰められたように、他の学生たちもまた志を堅くし、宗主・院主・堂主の指導のもとで人間浄土を成就し、大道の体系を輝かせて成就することは、自らが成就したものであり、自らが獲得したものなのです！　師匠として諸賢生と共に大道の弘揚と普及に携わることができたことは、誠に嘉すべきことです。
今や崇心堂第三期のすべての聖務は完了し、これまでに教化の基盤構築も全て完成いたしました。今後は第四期の大聖務を開拓し、いかにして皆様がより無限の恩恵を受け、実際に獲得できるよう発展させるかが課題です。
また、今回無極理天霊修院に戻ってきた修行者たちに対し、自らの学びと成長に共に励み、将来は教師として天の代わりに教化を広め、天の道を体現して大いなる徳を施す役割を担えるよう、自らが成し遂げるべきことをしっかりと努力されることを願っております。