大道シリーズ叢書 第23冊『大道德澤』
日本語版
◆ 前置・序 ◆
書名
2007年6月29日　丁亥年五月十五日（金曜日）
南天の主宰　文衡聖帝
大道シリーズ叢書第二十三冊―大道德澤
矢のように勤め、矢のように勇み、怠ることなく、疎かにすることなく、志を堅くして完成せよ。
◆ 本文 ◆
第三回　  德澤功用
南無燃燈古仏
◆ 跋・讃賀 ◆
大道シリーズ二十三冊　　大道德澤序言究
◆ 前置・序 ◆
書名
2007年7月3日　丁亥年五月十九日（火）
南天の主宰が降臨されし儀式　　懿勅は崇心の大主席を賜う
大道シリーズ二十三冊　　再び懿玉の旨を承けて降臨の期を定む
懿旨と玉旨を公布する
本日はまた崇心宗脈にとって、殊勝な大いなる因縁の日であります。あらゆる大道の弘化が、衆生に徳沢をもたらすことができ、真に有情なる四億の仏子を導いて回帰・超越させ、また円満・乗越を成し遂げることができます。全体の崇心宗脈から見れば、まさに大道の聖務を弘化することができ、万霊蒼生に徳沢を及ぼすことができます。これは誠に崇心宗脈にとって、この上ない光栄と欣慶に存じます。
良辰既に至る。命じて本宗脈の虚空御伝天尊、虚空落筆天尊、虚空理治法天尊を三十里の外に派遣し、無極の懿旨を恭しくお迎えし堂に来たらしむ。また命じて本宗脈の虚空彩霊仙姑、虚空彩霞仙姑、虚空彩虹仙姑を二十里の外に派遣し、懿旨を恭しくお迎えし堂に来たらしむ。その他の神仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士らは、列を整えてお出迎えの準備をし、礼儀を欠くことなかれ。
無極の御前  許飛瓊仙姑
無極の懿徳が降臨し来たりて　　御前に侍して母の徳意を載す
許飛瓊が心の高みに降り立ち　　仙姑の徳の恵みは巧みに整えらる
本日、欣より無極の懿旨を携えて崇心堂に降り、頒示されました。さらに崇心堂が真に肯定されるに至り、恭しくお祝い申し上げます。神人ともに平伏し、礼儀を欠くことなきよう。
懿旨を開きて読む
謹んで奉じます
無極皇母大天尊　懿旨に曰く
母は理天聖境におられ、大いなる世界のあらゆる宗教の教育と教化を通じて、すべての霊魂が上昇し超越する天機と良縁を成就されるが、古より今に至るまで、真に功績を残す者は稀である！まさに凡塵世界に落ちた者は、皆五濁悪世の迷いと障りを受け、さらに人道としての生存の在り方において、各自の生存が依存するものに主導されているのである。
人々の世においては、天地の大道真理を暢達して、人々を向上・超越させる徳沢を与え、依り所とすることもできず、またこのような天機を大道の弘化と向上の中に示現する。凡塵世界のすべての原霊児が成長するために、必ず回帰と超越の因縁の根本があり、これが上蒼の基本的な徳沢と慈悲である。
今や台湾の地に、母なる心－懿敕崇心堂の宗脈があり、丙子年に堂を設立して以来、一貫して「大道系列天書」の著作に対し、数多くの天機と良縁を授け、さらに天地、星系、宇宙、無極、虚空、大羅天界など、多くの奥義を開示し、これらを凡塵の世界へと下ろしてきた。
順を追って、この未来の科学技術、文明の大いなる縁を凡塵に降ろしました。これは母の心が望んでいたことです。理に従って大道シリーズ第二十三冊―その表題を「大道德沢」とし―を弘め広めていくべきです。すべての天地の殊勝な縁に対し、すべての霊児たちに明らかに示すのです。上蒼の慈悲と徳沢とは一体何なのかを。
命じるに、南海古佛と虚空上人を主著仙仏とし、その他の三界の高真を陪著仙仏とす。旨到るの日より即ち開著を行い、一日も早く完成して頒布し世を寿からしめ、以て衆霊児が真に明晰に上蒼と大徳の恩沢を理解し、衆霊児の成長超越と果てしなき回帰獲得を提供せん。
母なる心は崇心宗脈のすべての神仏の子らが、心を一つにして「大道を弘め、上蒼と母なる心の大いなる徳沢」をこの凡塵世界に共に創り上げることを切に願っておられる。これは崇心宗脈がこの十年の歳月をかけて積み重ねてきた功績と弘化の大いなる因縁であり、称賛と確信に値するものである。
矢のように勤め矢のように勇み、志を堅くして完成せん
◆ 本文 ◆
第十九回　 社稷貢獻
南無燃燈古仏
◆ 跋・讃賀 ◆
先天一炁鴻鈞老祖　降序言於
◆ 前置・序 ◆
書名
上蒼の託付を以て　　回帰を達せしめ　　円満に乗り越える
無極皇母大天尊　御旨を下さる
儒教の聖なる教え
真の仏教の心髄
無極大道院
懿旨崇心堂
丁亥年蒲（あやめづき）月十五日、戌の刻
誠に恭しく、懿勅崇心宗脈の殊勝なる因縁を祝賀し、大道シリーズ第二十三冊の殊勝なる天機を継承し、諸天仙仏の肯定と賞賛を得るに至りましたことは、皆様の不断の努力により、いかなる困難をも堅い志で克服された賜物であり、まことにおめでたく喜ばしい限りでございます。皆様、ご苦労様でした。さて、私は速やかに理天に戻りご復命いたします。またの機会にてお目にかかりましょう。ありがとうございました。
虚空上人－南無虚空上徳人天古仏
懿（よ）く崇心正主席に勅（みことのり）し　　虚（むな）しき空（そら）の上人（しょうにん）登台（とうだい）の意（こころ）
大道系列は再び御旨を受け継ぎ、弘化を提昇して徳沢の時期を迎える
本日はまた崇心宗脈のもう一冊『大道シリーズ天書』のご聖旨を拝受する佳き日であり、上蒼に対し拝察申し上げますと、崇心宗脈のすべての固き志を感じ取り、殊勝なる使命を達成して成長してきたことが分かります。これにより上下心を一つにし、共にこの殊勝なる因縁の成就を担うことができました。これもまた崇心宗脈が十一年の歳月を経て、努力を重ねてきたことによる結果であります。
また、上蒼の肯定と賞賛のもと、崇心のすべての神仏と学生たちが、この大道の因縁を共に成就することを願っています。先ほど無極懿旨の下示を恭しく受け終わり、続けて昊天玉詔が堂に到来しました。本宗脈の無極二・三関聖帝及びすべての聖帝に命じて二十五里の外で昊天玉詔を恭しく迎え、堂へと導かせました。
再續命派：本宗脈の虛空理德觀世音菩薩は、崇心宗脈のすべての觀世音菩薩を率いて十五里の外にて、再び恭しく昊天玉詔を堂へお迎え申し上げる。またその他の神仏と学生、および無極大道院の霊修院士らは、列を整えてご到着をお待ちし、礼儀を欠くことのないようにいたします。
昊天の欽差大臣　徐仙翁
昊天の勅使降臨し来たり　　徐仙翁玉詔を携えて開く
懿勅崇心は再び旨を受け、大道德澤は天がお定めになる。
昊天玉詔を奉じて、崇心堂に降ろし示す懿敕を授かり、神人ともに伏し拝む
玉　旨　開　読
謹んで奉る
昊天玉皇大天尊　玄霊高上帝の玉旨に曰く
朕は九五の尊位にあり、南贍部洲のすべての渡化、回帰、超越に対して言えることは、あらゆる思慮を尽くして成就させ、いかなる宗教宗派も区別せず、五教の弘化と融合において、相互に成就し引渡し高め合う境地に至ることができる。今に至るまで、すべての宗教の教育と教化が相互に融合し得るものは、まことに稀である。
また、宗教間の融合度が不足している点において、本来はこのような区分けによって各体系の教化因縁を整え、上蒼の徳沢を以て大道の弘化教育を推進し、相互に高め合う殊勝な融合を図るべきである。現在、台湾桃園に「懿敕崇心堂」という一つの道場があり、丙子年の立堂以来、今日まで十一年間、弛まぬ努力と堅固な志を持って職務を全うしてきた。
足る能力を持って、上蒼の大棟梁の才となり、すべての原霊仏の円満と超越を導くことができる。今や多くの殊勝な功勳を成し遂げ、『大道系列天書』の著作に対しても、期期、回回、冊冊ごとに、諸天仙仏の肯定と称賛を得ることができると言えよう。
さらに、懿勅崇心堂が上蒼の大棟梁の才となることができたのは、理由のないことではない。崇心宗脈のすべての仙仏・神聖が教導に方策を有し、また崇心の主事者に対して肯定と賞賛を寄せることができるからである。つまり、堅固な志と揺るぎない毅力を持ち、大道を弘め教化し、有情衆生の徳沢を高めることに余力を残さないからである。
「大道系列」の因縁に対し、真実を以て犠牲と奉仕を捧げてきたことにより、当然ながら続けて－大道系列第二十三冊、その表題を「大道德澤」とし、これを　南海古佛と　虚空上人を主著仙仏とし、その他の三界の高真を陪著仙仏として命じ、力を合わせて完成させん！
御下命の日より直ちに開示を開始し、一日も早く完成させて世に公布し、寿を全うせしめん。これにより、情ある衆生の原霊たる仏子たちが明晰に理解できるよう、上天の仙仏と大いなる道徳の恩沢が下ろされ、すべての万霊蒼生を向上させ円満ならしめ、超越せしめるのである。未来の四億の仏子たちの成長に符合し、すなわち自己を成就するとともに衆生を渡化するに至るのである。
◆ 跋・讃賀 ◆
大道德澤讚曰言　　恭喜崇心大道載
先天八卦伏羲大帝　降頌賀於
2007年7月6日　丁亥年五月廿二日（金）
南屏道濟古佛　降跋二於
南無燃燈古仏
◆ 旨 ◆
完書繳旨
矢のように勤め矢のように勇み、怠ること勿れ忽せにすること勿れ。
◆ 前置・序 ◆
書名
大道は弘く化し、徳は蒼生を潤す。
昊天玉皇大天尊　玄霊高上帝　玉詔を頒示された
儒宗聖教の真仏心宗
無極大道院 懿敕崇心堂
丁亥年蒲（あやめづき）月十五日、戌の刻
謹んでお祝い申し上げます！懿敕崇心堂のすべての神仏と学生たちが、上蒼より認められ、大道の要となる人材となられたことを。自らと有情の衆生たちが上昇回帰を成就し、さらに多くの原霊仏子たちの円満と超越を成就させることが、真実の姿であります。我は速やかに昊天に戻り旨を奉じ、改めてお訪ねいたします。皆様、ご苦労様でした。ではまた。
虚空文澤　教化天尊
天帝の勅命により崇心の主席を迎え
文澤教化の天尊が門戸を開かれる
大道の徳沢は既に頒示せり　　弘化して福運を提昇し載す
諸聖佛と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は無極より懿旨が、昊天より玉詔が下され、大道シリーズ第二十三冊の続編が授けられました。全ての詔勅はすでに発布を終え、次回はまた新たな始まりとなり、更に別の天書が続くこととなります。
すべての神仏と学生たちが、この大道の弘化を共にすることができますように。上蒼の徳沢、仙仏の徳沢、崇心の徳沢、そして皆様の徳沢に向けて！天恩師徳のご加護に感謝を捧げるべきであり、それが真実の姿です。このような真実の良き善き因縁があればこそ、往来しつつ成長し、向上し、超越するという恩恵を得られるのです！
明日はまた土曜日で、「禅機が迷いを破る」という機縁は、また一つの導きと成就をもたらします。皆様と共にこの殊勝な縁に集い、すべての犧牲と奉獻、努力と回向を捧げることを心より願っております。きっと未来において、皆様一人ひとりが真に殊勝な条件を備え、向上し回帰されることでしょう。皆様のご尽力に感謝し、すべてが吉祥でありますように。またお会いしましょう！
2014年7月22日12時10分◎＃※   了解＃
先天の一気　鴻鈞老祖
◆ 本文 ◆
第一回　 德澤演繹
2007年7月13日　丁亥年五月廿九日（金）
◆ 跋・讃賀 ◆
先天混元一炁　玄玄上人　降讚曰於
◆ 旨 ◆
完書繳旨
矢に勤め矢に勇み、堅く志を成し、聖務を弘化す
◆ 前置・序 ◆
書名
先天の一気宇宙にあり
鴻鈞老祖降り来たる由
◆ 本文 ◆
第二回　  德澤架構
2007年7月17日　丁亥年六月四日（火）
◆ 跋・讃賀 ◆
大道の徳は蒼生に潤し　　頌賀恭しく成就の期を祝す
◆ 本文 ◆
第三回　  德澤功用
2007年7月20日　丁亥年六月七日（金）
◆ 跋・讃賀 ◆
大道系列廿三冊　　大道德澤序言究
序   言（じょ   げん）
大道とは：
これは自然の理であり、すべての宇宙万物と生きとし生けるものが生存し依存する基盤を育んでいる。ここから、全体としての宇宙、虚空、無極、昊天に対して、「啓明星」がどのような作用と機能効果をもたらすかを理解することができる。大道の弘化の過程においては、あらゆる万物と生きとし生けるものの進化作用に参与しているのである。
これは大道そのものの広大な慈悲によって、すべての万物衆生が寄り添うことのできる配慮を与えることである。この万物衆生が依りどころとする基本的な働きこそが、あらゆる宇宙星系と万物衆生に徳沢をもたらし、生存の方向性を統合する作用として、まさにこれらの万物衆生が安らかに生きられるようにしているのである。
あらゆる生存の依拠要求に対して、安楽を達成する主要な原因の根源は、またすべての明けの明星の中の万物と国が求めるものであり、これもまたすべての生存の指向に対して、平穏で安定した生活を持つことには、生活の中の衣・食・住・行・育・楽、およびすべての関連する因縁の体系から離れることはできない。
徳沢とは：
真に安らかで快適な生存の拠り所を得るとは、あらゆる有情の衆生が求め追い求める目標に対して、またすべての衆生が教化の縁の中で、互いに成就し向上させる縁の根本を築くことである。それはすなわち、あらゆる良き善き縁の条件によって、向上し増長し超越していくことなのである。
これは単に生存志向から高めるだけではなく、さらに心の浄化によって高められることが、真実の性質なのです。また、現代の時代に入って言えることは、心の浄化による高まりは、いかなる国やあらゆる人種にも寄り添うことができるということです。なぜなら、文明が進み、開発が進んだ国であればあるほど、その心はより安らぎを得られるかどうか？
必ずや未来の生存の方向性に関わり、科学技術文明が切り開いたものと、相当に大きな関連を持つことになります。このような心の浄化による向上は、生存の方向性の向上よりもさらに重要であり、それによって初めて「身体、自心、霊性」の三者が相互に融合し、向上、超越、円満を達成して回帰することができるのです。
頌   賀
◆ 本文 ◆
第四回　 德澤定義
2007年7月27日　丁亥年六月十四日（金）
◆ 跋・讃賀 ◆
先天一炁鴻鈞老祖　降序言於
儒宗聖教
真仏心宗
無極大道院
懿勅崇心堂
丁亥年蒲（あやめづき）月十九日、戌の刻
ああ！恭賀いたします。懿敕崇心宗脈は、上蒼のすべての肯定と賞賛を受け継ぎ、大道系列第二十三冊『大道德澤』の著作を続けられ、まさに有情の衆生に徳沢を施されます。しばらく崇心宗脈をお騒がせし、未来のすべての引渡しの詳細を共に協議いたしましょう。皆様、ご苦労さまでした。ではまた！
先天混元一炁 玄玄上人
先天混元一炁開き  玄玄上人降臨来たる
先天八卦伏羲大帝　降頌賀於
◆ 本文 ◆
第一回　 徳沢演繹
第五回　 天地蓋載
2007年7月31日　丁亥年六月十八日（火）
◆ 跋・讃賀 ◆
大道德澤讚曰言　　恭喜崇心大道載
讃   す
大道の殊勝なる因縁とは：
すなわち、一切の万物蒼生およびあらゆる星系・星際そのものを生み育む根源的な動力であり、ここから理解できるのは、大羅先天世界が一切の万物蒼生に宿す種子の因縁によって、すべての生存の方向性と依存関係が定まることを指し、これを以て品種をより優れた遺伝子本質へと高めていくことをいう。
このような良好な遺伝子の本質を、各人の身体の中に取り入れ、子孫に徳と恵みをもたらすには、将来の人種の基本的な素質を向上させることができれば、人道世界のDNAの基本構造を理解し、さらにこの基本的な素質を、優れた品種のRNAの遺伝子へと向上させることができるでしょう。
これこそが未来に向けて、各々が自ら発光するQNAエネルギー体を生み出せるかどうかに関わるものであり、まさに全ての有情衆生の原霊自身が努力するか否かの分かれ目となる。もしこの最も基本的な思惟観念さえ、第八意識の全ての思惟体系の中に築くことができないならば。
向上し、超越することを望むなら、それは根本的に不可能です。もしこのような思考観念がなければ、どうして自らの思考体系を向上させることができるでしょうか？それはまるで天に登るよりも難しいことです！ここで提供するのは、まさにこの上昇と超越の基本的な観念であり、それによって達成と超越を実現するのです。
徳沢の基本的な作用：
もし「懿勅崇心宗脈」がなければ、この元会において「大道系列天書」を著作するという殊勝な因縁に対して、どうして向上する思惟体系を持つことができようか。また、どうしてこの大いなる因縁に乗じて向上の観念を培うことができようか。それによって初めて、各々自身が真に地冥星（明けの明星）の制約から脱却することが可能となるのである。
このような障害は、まさにあなた方に真に理解させるためにあります。この時空の因縁において、いかにして上昇し、超越するべきかを。現代の時代と時空の因縁に即して、すべてを成就し超越することができるのです。これは単にあなた方の思考体系を構築するだけのものではありません！
さらに、あなた方が「懿敕崇心宗脈」に入り、学び成長する中で、真に大きな福縁の基本的な機能と効果を得ることができ、また、あなた方の累世にわたるすべての限界と障害に対して、真に「雲を払って日を見る」ことや「門を開いて山を見る」ような超越を実現できるのです！これは称賛に値することです！
◆ 本文 ◆
第二回　  徳沢の架構
第六回　 天蓋地載
2007年8月3日　丁亥年六月二十一日（金）
◆ 跋・讃賀 ◆
先天混元一炁　玄玄上人　降讚曰於
儒宗の聖教
真仏の心宗
無極大道院
懿勅崇心堂
丁亥年蒲（あやめづき）月十九日、戌の刻
恭賀申し上げます。崇心宗脈は再び上蒼より御認可を賜り、「大道先天」を継ぐ著作の機縁に栄えました。これは上蒼の「大道德澤」を凡塵世界および一切の宇宙星系へと下ろすもので、誠に喜ばしく、賀すべき、嘉すべき、励ますべきことです。しばらく崇心宗脈にお邪魔し、今後の弘揚と引渡・再接引について共に議しました。皆様のご尽力に感謝申し上げます。吉祥如意。またお会いしましょう。
先天八卦 伏羲大帝
先天八卦の真義を伝う　　伏羲大帝降りて来儀す
◆ 本文 ◆
第七回　 日月普照
2007年8月7日　丁亥年六月二十五日（火）
◆ 跋・讃賀 ◆
頌   賀
大道は本体なり。
これはすべての万物、星辰、あらゆる存在が依存するものに対して、人間世界と宇宙の星系が相互にこの時代の科学技術文明を共創していることを真に理解できることである。もし過去を以って現代を見るならば、まさに比べるべくもない。なぜなら、かつての三十六天罡、七十二地煞は多くを回収されたからである。
また、すべての幻化術法においては、これらはすべて実体をもってさらに凡塵世界へと下化され、往昔にはわずかな人種しかこれを得ることができませんでした。また、上蒼はこれを見て、この種の幻化術法を天界へと取り戻し、より多く、より実際的な実体の科技を下化して、一切の有情衆霊蒼生を潤しました。
これは生存志向に対して、快適さ、便利さ、安定したすべての生存空間がもたらされる。これはまた大衆に普及する殊勝な因縁であり、まさに上蒼が度重なるご加護によって、この天機の良縁を普及させてこられたのである。現代の科学技術文明が、有情なる人類衆生に利益をもたらすことを、深く理解しなければならない。
徳の恵みの功徳と効能：
真に向上を遂げる快適な空間に入ることができます。これは、上蒼がすべての生存の方向性を主導し、本来ならば時空の因縁が到来していたものの、天機の因縁に妨げられていたものを、昊天主宰・玄霊玉帝が九五至尊の位に登られた後、本来ならば人心が古に戻らず混沌としていたものを
しかしながら、すべての仙仏が懇願した末に、古来より天機が未だ凡塵世界に示されなかったすべての殊勝な因縁を、一つひとつ下化させたのである。これは往昔の第一、第二元会のすべての科学技術文明を、この第三元会に移し入れ、創造し、発明し、研究させるためであった。
また、下界への教化を助けるため、外宇宙星系から200万人以上のハイテク人材を降ろし、人道世界の啓明星に送り込み、未来の研究、発明、創造の恩恵をもたらす。あなた方は、このようなすべての人道世界が「生存の安楽と霊性の進化」を向上させるために成し遂げたことを、よく考えてみるがよい。
すなわち、すべての人間世界に対して、未来の四億余りの星系において、自らが示す模範的な役割を果たし、「明けの明星－地球星系」を通じて相互に成就し合うことである。これはまさに現代の時代における、上天の大いなる恩恵と福徳であり、情ある人類衆生に利益をもたらすものである。喜ばしい！称賛に値する！慶ぶべき！励まされるべき！
道済降著第三回　　古仏讃じて曰く功用呈ず
◆ 本文 ◆
第三回　  徳沢の功用
第八回　 日普月照
2007年8月10日　丁亥年六月二十八日（金）
◆ 跋・讃賀 ◆
先天八卦伏羲大帝　降頌賀於
儒宗の聖教
真仏の心宗
無極大道院
懿勅崇心堂
丁亥年蒲（あやめづき）月十九日、戌の刻
真に道賀の意を表し、懿勅崇心堂に参じます。期を追い、冊を重ねて上蒼に応え、「大道シリーズ天書」を以て人界に下化するこの殊勝なる大いなる因縁は、まさにこの元会を通じて、あらゆる万霊・万星・万物の蒼生を、すべての向上と超越へと成長せしめるに至りました。崇心宗脈の皆様にはしばらくご迷惑をおかけし、今後の一切の引渡しと成全に関する会議を共に協議いたしました。皆様、ありがとうございました。吉祥如意。ではまたお会いしましょう！
無極元君 麻仙姑
無極元君麻仙姑　　崇心道場に副座を任ず
大道は徳を以て衆生を潤し
六期に渡り万霊を引いて顧みる
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は、先天一炁鴻鈞老祖、玄玄上人、伏羲大帝の三聖尊が、ご降臨くださり、大道シリーズ第二十三冊『大道德澤』の序引、賛辞、頌賀をお与えになりました。これは有情なる衆生のための著作であります。
真に殊勝な天機良縁が訪れ、崇心宗脈のすべての努力を肯定するでしょう。これはまた、崇心宗脈が未来において「宇宙生命開拓者」となるための基盤を築く工程であり、まさに一歩一歩、足跡一つ一つが確かな印となり、その一つ一つが着実に教化と成長をもたらし、情ある人類衆生を利益するものとなります。
必ずやあなた方に、先に思考観念があり、その後に行為動作があることを提供でき、まさに皆に上昇と超越の大きな因縁を与えることこそが、真実のままにあなた方が懿敕崇心宗脈に入り、より大きな殊勝な超越を得て、いわゆる回帰と成就を遂げることに繋がるのです。皆様、ご苦労様でした。またお会いしましょう。
2014年7月22日13時18分◎＃※   ０Ｋ＃
虚空上人－南無虚空上徳人天古仏
◆ 本文 ◆
古仏降著第四回　　徳沢定義大道程
第九回　 皇王國土
2007年8月17日　丁亥年七月五日（金）
◆ 跋・讃賀 ◆
先天八卦伏羲大帝　降頌賀於
虚空は有情を造りて徹し　　上人の大道德澤を作す
大道シリーズ二十三冊　　徳沢の演繹根本則
◆ 本文 ◆
第一回　 德澤演繹
上蒼の徳沢は大いに為す
上蒼は有情の衆生を向上、上昇、超越させる因縁の根本であり、この中で大宇宙のすべての星系、星際を向上させる根本的な作用があり、すべての原霊子が超越に至る因縁体であり、またすべての大宇宙天地と星系の因縁によって、一切の演繹を連鎖させるのである。
このような因縁と条件によって、向上と超越を促すのです。この大道の徳の恵みは、まさに細部にまで行き届いており、さらに徳の恵みを基盤として、大宇宙の天地に存在するすべての霊的存在が、上蒼の基本的な徳の恵みとは何かを理解できるようにするものです。言い換えれば、それはあらゆる万物と衆生の進化と進歩を創造するためのものなのです。
上蒼の根本的な働きに対しては、大道が弘めた教化に対して乗り越えることができるものは、必ず条件が必要であり、これはまた、すべてのより次等の基因が上昇していくためには、上昇するという関門を経なければならず、そうして初めて、元来同じ基因の本質が、次々と、回を重ねる時空の進化と演繹の過程を経ることができるのです。
これらの本来同じ品質を向上させ、堕落することなく、互いに成長し合う大きな因縁を持つようにすること。互いの平等な本質に対して、各自の行動が進化する際には、原始の基本因質が沈んでしまう。これはまさに時空の因縁を経て、なぜずっと向上することが難しいのかという理由である！
徳の恵みは、すべての善良な衆生に及ぶ。
大いなる天地のすべての生存の方向に対しても、これ以上の成就を得ることはできず、すなわち人道世界に影響を受けています：四大要素の支配のもと、生存の方向におけるすべての不満足は、まさに地・水・火・風という四つの基本要素によって形成され、向上へと昇華することができず、むしろ下降して沈んでいく、これにどう対処すればよいのか！
それゆえに、上天はこれを見て直ちに下化し、大宇宙世界の根源的な本質を浄化し昇華させた。二十億年以上の歳月が繰り返し巡る中で、本来なら光り輝き円満なる霊性は繰り返し汚され、清浄に戻すことが極めて困難となり、ついにはそれぞれが凡塵世界に沈淪することとなった。
有情の衆生が向上を求める際には、相当大きな障害が生じます。この種の障害は、何度何回経験しても、根本的に変えることはできません。ましてや来世になってから自らの習性を変えようと望んでも、それは全く不可能なことです。各々自身の習性の本質は、同じ均質の遺伝子本質なのですから。
また、なぜある者は上昇し、超越することができるのか？なぜある者は平凡な一生を送り、またある者は次々と、回を重ねるごとに堕落を繰り返し、五濁悪世の中に沈んでしまうのか。これらの様々な要素が重なり合い、大いなる世界のすべての霊魂たちが向上し超越することを妨げている。その原因は一体どこにあるのか！
演繹条件は必ずや全てが参与するものである
それなのに、なぜ次から次へと、生まれ変わりを繰り返し、永遠に地冥星に沈み続けるのか、それはいったい何が原因なのか。徳の恵みの根本的な意義を理解し、大宇宙の天地に生きとし生けるものすべての生存の方向性に対して、向上して超越する境地に達することができるはずなのに、なぜこの世では繰り返し沈んでいくのか。
しかし、向上へと高めることができない場合、必ずや明らかにしなければならないのは、地・水・火・風というこの四者によって制限され、障害となっているものは何かということである。さらに別の角度から見れば、もし地・水・火・風というこの四者がなかったならば、おそらく人間世界の原霊子は根本的に向上へと高めることができず、一方では障害を形成し、他方では向上へと高めるということはあり得るだろうか？
それはまさに矛盾の核心点であり、また人類の生存の方向性は、生活に安らぎをもたらす原動力にこそある。それによって各自の生存の拠り所が得られ、安楽と利便性が広く行き渡るようになる。さらに大宇宙の天地が展開する作用により、上蒼の基本的条件が大世界のすべての原霊子に与えられ、向上へと高められるのである。
さらに、あらゆる天仙仏陀、そしてあらゆる聖神、菩薩、高真といった神々は、すべての原霊子たちに対して、より大きな相互の成就をもたらすことを願っておられる。教育と教化のすべての伝承においては、宗教の洗礼を通じて教え導くことが必要であり、それはすべての善良な人間衆生のためである。
人類の衆生が生存するために必要なすべてのもの
宗教の基本的な教義によって、上昇と超越を達成できる者には必ず真の方法があり、それは歴代の「師から師への伝承」を通じて後世の子孫に伝えられてきました。その結果、各宗派は一部を保持することはできても、すべてを各宗教の内部に完全に降ろすことはできず、また各自が学び成長する知識と経験にも依存しているのです。
成就されるものは、もはやかつての五教聖人の伝承教育に沿って成長することはできず、このような因縁条件は二千年余りの歳月を経て、今日の天下の宗教を見るに至っては、実に多くが変質しており、根本的に昔の修行方法に従って成就を達成することはできません。
この時空の因縁が移り変わる中で、現代の原霊子にとっては、根本的に超越と向上を成し遂げることができず、また現在の時空因縁を今に至るまで観るに：このような先天の因縁が凡塵に降り、修行による改造の道を歩むとしても、現在の原霊子に対しては、おそらく往時のすべての修行方法に及ばないであろう。
また、現代の人々は常に速成の方法を追い求め、段階を踏んで修行し変革することができません。このような縁起の条件は、徳沢を演繹する方法とは根本的に合致せず、もしこのような条件で上蒼の徳沢と慈悲に依って成長しようとするならば、現代の時代に合った方法と作用を引用すべきです。
徳の恵みは大道の根幹を演繹する
宗教修行の方法を改めて定め、再び整える必要があります。速やかに進めるべきか、順序を追って進めるべきか、時空の違いによって変えられるかどうかは、上蒼の慈悲が博愛として伝承され、下ろされるものであり、広大な原霊仏子が成長する過程において、生存の方向性を考慮することが必要です。
また、通貨の縁起を追求する必要があり、それに伴う安楽感と利便性、そして普及性も求められます。しかし、上蒼は昊天会議を再定義し、すべての五教の聖人たちを同じく：無極、虚空、大宇宙において、相互に次々と、回を重ねる会議の場で、二十余回に及ぶ会議を経て決定されました。
昊天玉帝と無極皇母による最終確認と御許しを得て、過去の第一、第二元会において、地冥星のすべての生存の方向に参与し、殊勝なる成長を遂げて超越に至った者たち、また、往昔の大いなる因縁によって「将を借り」、現在の地冥（啓明）星と殊勝なる因縁を持つ者たちが選ばれました。
再び「将を借りる」ことにより、その原霊を啓明星の中に降ろし、すべての研究、発明、創造を経て、これらの各々の時空因縁の原霊子を集計し、過去のすべての大いなる因縁を成就した者に対して、すなわち「将を借りる」ことによって啓明星の内に下ろし、研究、発明、創造を開始する。
科学技術文明は人類と衆生に恩恵をもたらす
未来の21世紀に向けて、すべての科学技術文明の進化と創造は、向上と超越を達成するためにあります。あなた方はよく考えてみてください。この約40年間の科学技術文明の歩みを振り返ると、まさに天が「人材を借りる」という形で研究、発明、創造という大きな恵みを授けてきたのです。
これまで僅かな人々のみが十分に備え、獲得できたものを、現代においては、全ての原霊子が安らかに普及できる便宜を提供するものである。そして、あなた方が今担っているのは、まさにこのような統一された徳の恵みによって、生存の方向性が依拠し、良き成長を遂げることとなるのである。
この徳沢が21世紀において演繹され、生存の指向性における利便性、快適さ、普及性に対して、あなた方は皆恩恵を受けているであろうか。まさに上蒼と諸天仙仏の共同会議によって、この元会を通して成就され、人道世界と未来の四億余りの星系に対して示範作用を果たしているのである。
これはまた、あなた方人間界の科学技術文明が向上するために下された作用でもあり、このような科学技術文明は多くの快適さ、便利さ、普及性といった機能を生み出すことができます。しかし同時に、あなた方に多くのプレッシャーをもたらし、また人間界では制御しきれず、多くの達成困難な苦境を形成しているのです。
徳沢を演繹する基本構造
さもなければ、人間社会の科学技術文明は、心の建設との相互補完において、十分に整った教育体系を持たないことになります。さらに、あなた方はもう一度よく観察してみてください。現在の世界各国の人類衆生は、あらゆる経済システムを追求することに終始しており、人間の心の建設を真に実践し向上させることは非常に困難な状況にあります。
また、現在のあらゆる宗教も同様で、このような経済的な豊かさだけを追求する傾向は、「身体、自心、霊性」という三つの側面を向上させるのが非常に難しく、「借り物の力」に依存する作用を促してしまいます。これにより、これらの「借り物の力」に依存する作用には、非常に憂慮すべき問題が生じています。
未来において、各々の「身体、自心、霊性」の三者間を往還することが可能か否か。これこそが　上蒼が最も憂慮される一つの事柄であり、約140余年前、昊天の会議場において、未来のすべての善良なる人類衆生の向上を図るための協議が行われたのである！
経由して、虚空上人、南無燃燈古仏、南海古仏、南屏道済古仏、南天主宰文衡聖帝、北極玄天上帝、九天司命真君…など、およそ三十余りの諸天仙仏が、「洞冥宝記」と「蟠桃宴記」という二冊の天書に下化することを共に議した。
徳の恵みは広く行き渡り、すべての来たるべき成就を成し遂げる
このような天機の良縁を理解すれば、時代が移り変わる中で、天運辛亥年（民国六十年）に至り、皇母が再び無極の懿旨を北台雲宮弘化堂に下し、「先天の真詮を弘め、天地の大道を行い、杏壇の規範を立てる」ことを著した後、ただ一つの時空の因縁が到来するのを待つばかりであったことが分かります。
天運下元丙子年の時空因縁を経て、旨を下し「懿敕崇心堂」宗脈を設立するに至り、まさにこれらの借り受けた二百余万の高科技人材に対し、上蒼の豊かな資糧源をもって成し遂げさせ、『大道シリーズ天書』を著作せしめる。これはすべての未来に対し、これらの借り受けし原霊子および九二原霊子の向上を図らんがためである。
また、青陽期と紅陽期にすべての成就を収めて帰還した四億の仏子たちは、すべて地冥星に降りて教化し、統一的な動作による聖なる任務を全うするため、この基本構造の機能と効果を適用し始めました。「懿敕崇心堂」の設立を促進し、すぐに大道シリーズ「渡衆生之回帰」の著作に着手し、現在までに二十三冊の著作があります。
上蒼は徳を以て衆生を潤す　　
演繹の過程は上昇に至る
大道の系列は真に殊勝なり　　天機の因縁来たりて相乗ず
懿勅により崇心堂が著作を担当し、玄機真理の体系を構築する。
宇宙の大いなる秘密を開き
人間教育による浄化は多い
この偈は、有情の衆霊子が互いに励まし合い、大いなる道徳の恩沢の第一回として、真の徳沢の演義を成し得る。これにより、すべての崇心宗脈の神仏と衆学生、及びすべての原霊仏子にとって、一回また一回、一度また一度と、天地の奥義と奥秘を知る機縁となるでしょう。皆様のご相伴によるご苦労に感謝し、またお会いしましょう！
無極進財天尊
無極の因縁が訪れ来たりて
財を進め諸賢と皆親しむ
天尊、神人らと共に会し
大いなる道の徳は、まず因縁に回らす
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈正主席　虚空上人が降臨され、「大道德澤」第一回を著作されました。これは主著仙仏が崇心の因縁のいきさつを開示され、すべての神人と善縁の方々が理解できるようにと願ってのことであります。
上蒼が借りて作用する中で、最も憂慮すべきは、これらの原霊仏子たちをいかにして回帰と超越に至らしめるかである。これは崇心が未来において行うべき大いなる聖務であり、これは汝らに先立つ観念の思惟体系を与えるものである。時至って慌てふためき、なすべきを知らぬことのないように。
その中の要所（コツ）がどこにあるかを理解できるだろうか？回帰する原霊仏子に対して、上昇と超越の豊富な資糧源を提供し、乗り越える者となることができる。明日はまた土曜日であり、これも引渡しの大いなる好機である。今日の正主席が著作された意味合いの主な枠組みや考え方を、未来の引渡しにどう活かすか？皆さん、またお会いしましょう。
2014年7月22日16時10分◎＃※   ０Ｋ＃
南海古仏
第四回　 徳沢の定義
第十回　 國家水土
2007年8月21日　丁亥年七月九日（火）
第一回　 德澤演繹
南贍部洲にて教化を施し　　海天宇宙に徳沢を化す
古の言葉は今に伝わり仏道は化す　　徳の恵みは架構し普及化す
仙翁著作第五回　　天地蓋載恩恵構
第十一回　 師長教育
2007年8月24日　丁亥年七月十二日（金）
第二回　  德澤架構
大道は弘化を演繹す
これは、地冥星のすべての万物蒼生、および現代のあらゆる宗教宗派とすべての国々に対して、徳の恵みを下ろす基本的条件であり、天の豊かな資糧の源に対して、大いなる天地のすべての万物蒼生が、快適で便利で普遍的な向上を達成するためにある。
また、ほんのわずかな人々が得るだけではありません。この天の基本的な恩恵の構造は、普及、快適さ、利便性に対して、より大きな利益と回収を得ることができるというものです。過去のすべての因縁の中で、根本的に達成できなかったこのようなことが、なぜ現代にこのような天与の良縁があるのかを理解する必要があります。
まさに「借将」とは、二百余万人もの異星系のハイテク人材を借り受け、地冥星に降り立たせることであり、またこのような千古以来、人道世界においてほとんど見られなかった根本的な条件は、まさに昊天玉皇大天尊玄霊高上帝の大いなる慈悲と仁徳が具わっていることによるものである。
この元会のあらゆる状況に対応するため、過去に第一元会と第二元会において既に成就した有情の原霊仏子たちを、再び地冥星の中へと入らせることとなりました。すなわち、上蒼会議場における構造に従い、さらに昊天玉帝と無極皇母の最終確認と御許しを得て進められることとなりました。
徳沢の基本的な作用を演繹する
今ここで言えることは、この種の会議はすでに140年以上の時を経ており、地球という星そのものの観点から見れば、これは高度な科学技術文明が人類衆生の生存基盤に降り注ぎ、数多くの豊かな資源と糧を提供し、同時に過去には到達できなかった文明を、一つ一つ21世紀の中で顕現させてきたということです。
これは、すべての昊天会議に参集された仙仏の皆様方へのお言葉である。お一人お一人にそれぞれ異なる使命と役割が与えられ、地冥星を守護し慈しむために尽力されてきた。この百年の時を経た今、特にこの四十年余りの歳月において、あなたがたは科学技術文明が、かつては到底及ばなかったような驚異的な進歩を遂げる様を目の当たりにされていることだろう。
すでに一つ一つ明らかになっているかどうか、今ここで観察してみよう：これはまだほんの始まりに過ぎない。必ずや未来に対して真の模範を示さなければならず、また他の四億余りの星系のすべての模範に対しても、さらに千年の時を経て初めて、このような条件を整え、すべての良き因縁を高めることができる。
全ての地冥星の万物蒼生に対し、この時代に入って言えることは、まさに豊かな福縁と福分があるということです。また、全大寰天地に対し、過去の一切の昊天皇極世代の中で、ずっと停滞していた地冥星において、全ての不良な気場を発散させることです。
徳の恵みが持つ根本的な機能
汝らはもう一度細かく観察してみるがよい。台湾であれ、いかなる地域や国であれ、すべて昊天皇極世代が存在する機能がある。これこそが、上蒼が言うところの「復古収円」の局面である。もしこれらの皇極帝制を向上させて高めなければ、未来の世代は恩恵を受けることができるだろうか！
未来においては、恐らく地冥星の全ての万物と生きとし生けるものに対し、非常に良くない気運と災難が生じるでしょう。これはまさに、上天が決して望まない気の流れなのです。なぜなら、かつての帝制や皇極世界においても、このような「復古収円」の因縁は存在していましたが、現代の総理制度の時代には、もはや存在し得ないからです。
これもまた、すべての昊天上帝の極世界の情勢に対して、新たに上方への昇華を定めるものであり、また汝らはまさに今、このような情勢の過渡期にあり、このような過渡期が生じるのである。それは、各自が累世にわたって積み重ねてきた怨親債主、あるいは同じDNAを持つ亡霊世界と共にある。
さらに背負い、これらの昊天皇極の「復古収円」を上昇させ続けることである。もし上昇させることができなければ、おそらくこの種の昊天皇極の「復古収円」の中で、近い二十～三十年のうちに、またこのような気勢は消え失せてしまうだろう。したがって、必ずや上昇し増長し、超越していかねばならない。
そのような障害がずっと続くことになります
これは天が慈悲深くないわけではなく、このような気勢がずっと漂い続け、なおも地冥星の中に留まっているならば、どうしても多くの解消し難い気場と災禍、さらには戦禍の惨害を生み出すことになるからです。これは歴史の変遷から、人類史における第一次世界大戦、第二次世界大戦を通じて観察することができます。
すべての人倫世界が高度な科学技術文明の時代にあるかどうか、もしこのような災難を人倫世界にとっての転換とすることができれば、福祉を高める徳沢をもたらすことができますが、あなた方はそれを望みますか？それとも、高度な文明に加えて、昊天上帝の極みにあるすべての帝王制度を再構築することを選びますか？
また、自らが権力を握り、衆生の生死に関する重大事を裁くということは、上天が求めず、また望んでいないことである。さらに、この24年（二紀）の間にすべての因果を総決算した結果、「霊通心法」と「通霊心法」が互いに補完し合う形となった。
もし自分自身に対して、「霊通心法」と「通霊心法」を顕現しようとする時、そこには必ず各人が累世にわたる因果があり、この「霊通心法と通霊心法」に対して真に討伐を行う根拠となり得る。またそれは「明心見性、開悟証果」に近づく隔たりの中にあるからである。
主要構造の機能と役割
このことは「明心見性、開悟證果」によって体得される境地に照らして見ることができる。もしへりくだって謙虚になることができなければ、おそらく自分自身の過去世における怨親債主から、その根拠をもって討伐されることになろう。また、この「仏性が顕現する」と同時に、もしへりくだって謙虚になることができなければ、すなわち「魔性が顕現する」ことが必ず訪れることになる。
では、あなた方はこのような状況に対して、どうすれば円満に処理できるでしょうか？できません！すべての万物の霊魂に対しては、「霊通心法」と「通霊心法」の二つがあり、これらは怨親債主の討伐に対する確かな根拠なのです。では、なぜ正統的な道家や仏家は、霊通心法と通霊心法を用いないのでしょうか？
このような状況を理解するには、一人の有情の原霊仏子が、低い心で謙虚に、あるいは赤裸々な心でいられるかどうかを見れば、未来に遭遇するであろう苦難、災難、挫折、逆境がどのようなものかが分かるはずです。なぜ上蒼は崇心宗脈に堂を建立した後、「大道系列天書」の著作を始めるよう命じられたのでしょうか。
これは、上天が崇心宗脈の主事者に対して、三十年の歳月をかけて試練を与え、さらに崇心宗脈が道場を建立してからのこの十年間における一切の所業が如何なるものであったかを問うものである。果たして上天がより重大な職責と使命を授けるに足る者であるかどうか。すなわち、一方では資糧の源を下界に広めながら、他方では教化と試練をもって、崇心宗脈主事者自身を鍛え上げるのである。
構造が殊勝で、すべての作用を備えている
上蒼の真実の理諦を教化の意義として用いることができるかどうか、上蒼の審査と監督を順調に通過できるかどうか、今まさに懿敕崇心堂を祝福することができるのは、南天主宰文衡聖帝の強力な推薦があり、さらに虚空界・無極天界の仙仏が崇心宗脈に降臨し、すべての上蒼の大いなる聖務に対応しているからである。
これは決して空から降ってきたものではなく、まさに汝らが堅固な志を持ち、あらゆる困難を人為的な要因によって克服し得たからこそ、今日に至るまで　上天がより重大な職責と使命を授けられたのである。汝らは未来においても人為的な要因をもって、人類衆生の福祉と徳沢を創造せねばならぬ。まさに得難き尊き殊勝なる行いである。
これこそが、崇心宗脈の諸仙仏老師たちが安心してあなた方に「大道德澤」を施し下ろせるようにし、また師である私と南屏道済古仏、南無燃燈古仏、虚空上人などが、心から崇心を誇りに思い、あなた方のこの十一年の歳月における成長に対して確信を持つことができるようにするものです。
徳の恩恵を構築する効能
上蒼よりのご肯定を賜り、崇心宗脈の特に優れた功勳と佳績は、未来永劫の行持のよりどころとすることができます。この優れた功勳を保ち続けることによってこそ、21世紀というこの元会は殊勝な条件の枠組みとなり得るのです。これは汝らの堅固な志と真心が、上蒼の肯定と賞賛にまで至ったことの証であります。
なぜ懿敕崇心宗脈は、上蒼無極皇母が自ら下された「三曹普渡」の使命を引き受けることができるのか？また、このような使命は本来一貫天道において行われるべきものであり、天道系統の点伝方式はすでに完全に回収されたはずである。しかしながら、多くの地域では今なお繰り返し点伝が行われているが、それはやむを得ないことである。
有情なる衆生と仏子が宗教的な洗礼と鍛錬、そして求道に入ることができるようにするだけであれば、このような因縁の条件のもとで、一人の原霊仏子を普度収円に至らしめることも、上蒼が許す職責と使命である。今言えることは、この天道のシステムに対して、すべての点伝を再び施行することである。
四億の仏子を導き渡し、成就せしめる
これは、すべての原霊仏子たちを導き、宗教に学び成長する天機の良縁に入らせるためのものである。もし、これらの比較的経験豊富で、すでに天道修行の道を伝えられてきた修行者たちが、さらに一段階向上することができず、常に地冥星の中に深く留まっているならば、なぜ時代が変わったのかを理解しなければならない。
無極皇母の御自らの尊いご命令によって、「懿敕崇心宗脈」が選ばれ設立されました。今まさに崇心宗脈が道場を立てて活動している様子を見れば、これこそ上天が信頼を寄せられる模範的な宗脈であり、また崇心宗脈には「真仏は心の中にあり」という「真仏心宗」の因縁が授けられました。これはまさに幾千幾百世代を経て初めて得られる天機の良縁なのです。
現在、真の上天第一学府に入って修行し成長しているかどうかにかかわらず、「大道シリーズ天書」の優れた奥深い内容は、外界のすべての天書よりも勝るとも劣らず、まさにさらに大きな使命が下されているのです。あなた方は「大道の徳の恵み」の中で、すべてを理解するようになるでしょう。
殊勝なる因縁が崇心に降り　　三十年の堅き心を試みる
人類の衆生は人を因とし　　一歩一足に一つの印
大道の徳沢は来たりて演繹す　　上蒼の慈悲は万霊と契る
諸天の仙仏が待ち望む　　崇心大道を弘める機縁
この偈は！すべての有情の衆生、原霊仏子、そして崇心宗脈のすべての神人と共に、互いに励まし合い、必ずや良き因縁と条件に恵まれ、向上し成長し、超越していくことでありましょう。このような成長とは、まさに皆様のご苦労と、著作に伴うすべての努力とご尽力、そして崇心宗脈への一時のご迷惑をおかけしたことに対するものです。皆様、またお会いしましょう！
無極道真天尊
無極大道の霊修者よ
誠に特殊なる功績を恭賀す
理天に回帰して更に精進し　　道は真に心を崇めて成し遂げることを祝う
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は大道德澤主著仙仏、南海古仏がご降臨され、「大道德澤」第二回を著作されました。一つの徳澤の架構についてご開示を賜り、また崇心宗脈に対し、真実の大いなる期待を寄せられ、未来において如実に弘化する基礎を築かれました。
このような大いなる道の徳の恵み、天の徳の恵み、無極皇母の大いなる徳の恵み、昊天玉帝玄霊高上帝蓋天古仏の徳の恵み、および諸天仙仏の徳の恵み、さらに懿勅崇心宗脈の徳の恵みを、未来へと下ろし教化するよりどころとすることができる。この天機の良縁はすでに下ろされたのである。
汝らが未来において、堅固な志を持ち続けられるかどうかは、謙虚で慎み深い行いによって決まる。汝らの行いが、天命が長く続くかどうかを分かつのである。皆が心を一つにして、大道と上蒼のために、自らを導き、すべての生きとし生けるものを教化し、回帰と超越へと導くことこそが、真実の姿なのである。
無極大道院霊修院士第12期生、総計65名の証道審査全員合格を恭賀申し上げます。丁亥年六月一日、証道を成し無極理天第二天界に還り、更に精進成長されますことを、特に恭賀・祝賀いたします！明日はまた土曜日、衆生を引渡し帰還させる大いなる契機の日であります。
皆で教化と救済に励み、各自がどれだけ行ったか、各自が皆はっきりと理解できます。また、すべての功績と果位に対してどれだけの報いがあるでしょうか？このような因縁と条件は、自らが把握し、掌握することができ、必ず真実の利益と回向を得ることができます。皆様、お疲れ様でした。また明日お会いしましょう！
2014年7月23日18時05分◎＃※   ０Ｋ＃
南屏道済古仏
第五回　天地蓋載
第十二回　 開堂闡教
2007年8月31日　丁亥年七月十九日（金）
第二回　  德澤架構
南開大道は広く衆生を救い
徳の恵みはすべての生きとし生けるものを守り育む
仙翁降著第六回　　天蓋地載の徳沢佑
第十三回 　父生母養
2007年9月4日　丁亥年七月二十三日（火）
第三回　  德澤功用
大道の基本としての働き
すなわち、無数の星々と万物を基盤とし、これは大宇宙の天地において、すべての霊ある生きとし生けるものを潤し育むと同時に、必ず上蒼が一切の生存の方向を統べ治めることを意味する。まさに人道世界の管理規制があるからこそ、万物と生きとし生けるものの生存過程において、多くの適応困難な生存状態が生じることがないのである。
また、多くの困難と障害が生じるのは、上蒼の徳沢の基本的な働きが、あらゆる万物の生きとし生けるものの生存の方向性に対して、快適さ、利便性、普遍性を実現しつつ、すべての上昇成長において必ず上蒼が主導する、地・水・火・風の循環によるものだからです。
この四つの「風調雨順」においてこそ、有情衆生の生存過程に真の保障が得られうる。ゆえに「風調雨順」は万霊蒼生の生存過程に対し、通貨因縁を具足させることができ、まさに人間界の努力によって獲得され、また如実にさらなる大きな受益をもたらすのである。
さもなければ、人道世界が依拠するものは、通貨の因縁が具わった後に初めて、快適で安定した生存の方向性を持つことができます。このように、通貨の因縁が具足しているかどうかは、必ずや一切万物の生きとし生けるものに関わってきます。すべての福徳の因縁と通貨の因縁、この二つの違いの作用によって、具足しているかどうかの優れた条件が生じるのです。
徳の恩恵の作用はまた何であるか
この人道世界に対する観点は、まさにすべての生存の方向性を主導し、快適さと安定の主なよりどころとなるものです。また、もし通貨という縁起が具わっていなければ、多くの良からぬ煩わしさや障害が生じることになります。では、どうすれば通貨という縁起を具えることができるのか。それには、努力して奮闘する精神が必要不可欠です。
また、福徳を具足する必要があり、さらに、時間が経過した後に初めて、通貨の因縁による報償作用が生じます。この人道世界における通貨の因縁は、人類の生活の平穏と安適、および安定機能を支える主要な要素として、まさに通用貨幣の蓄積によって具足されるものです。皆さん、これは正しいでしょうか？
大寰世界において、全体が恩恵と収穫を得られる主要な源泉を持つためには、生存の方向性が生計を潤す必要性に依存していることから、衣食住に困らない「欠乏の憂いなし」という境地に達することが主要な因縁の根本となります。古来より「人は財のために死に、鳥は食のために亡ぶ」と戒められてきたように、遠い昔から現在に至るまで、この道理は変わりません。
人道生存の時空因縁において、最も古くは貝殻を用いて他の物品と交換し、すべての生存の方向性を供給し、食物による温飽という必須性を満たすことができました。その後、銅や鉄を用いて交換貨幣とし、さらに金や銀で銭錠を作り、通用交換に用いました。現代に至っては、すでに紙幣を用いて通用交換を行っています。
徳の恵みの根本的効果
しかし未来においては紙幣はもはや用いられず、プラスチック貨幣が物品交換の主要な基準となる。一切の人界で獲得される富は、プラスチック貨幣によって統計される。人為的要因が達成可能な必要性に対して、またプラスチック貨幣は水の具足を以て、人界の生存志向が求める需要に応えるものである。
人界では「銭水、銭水（泉の水）」という言葉がある。これは時空の因縁が具わったものであり、人間界における財産の因縁は生存の方向性を開くために必要不可欠である。よって通用貨幣が相互に流通するようになった。全宇宙の天地において、過去の時空因縁では、一部の地域のみが通貨の因縁を具えて応用することができたのである。
時空の因縁を経て、すべての一般的な行いとは異なるものは、未来において水の流通が生じるでしょう。自分自身が備えている、通用通貨としての財富の蓄積に対して、あなた方は今この「水」の因縁を具現化するためには、必ずそれと多く縁を結び、「金の水」がそばを通り過ぎていくのを許してはなりません。
その時になって、あなたがたが「一文なし」になって、また仙仏が守ってくれなかったと文句を言うのです！これはあなたがたが今、「水」の縁によって通用貨幣を十分に得る必要があること、またあなたがたの徳が依存する主要な条件が、大道の通用貨幣によって満たされるべきことを示しています。では、大道の貨幣はどのようにして得られるのでしょうか？
徳の恵みの働きによる功徳と利益
これはあなた方の「財富」が蓄積されることについて述べたものです。自分自身が備えるためには、知識と経験を身につけた後でなければ、智慧を応用して発揮することはできません。智慧を導入するということは、「水」を集めるようなものです。なぜなら智慧は「水」という大きな因縁から生まれるからであり、人間の世界もまたこのようにあるべきなのです。
汝らは崇心宗脈に入りながら、また如何にして「水」を汝らの思想体系に取り入れるべきかを知らず、従って「水」によって進化することを知らない。これは汝らの「智慧如海」という因縁に対してである。海もまた水なり、汝らが「水」を具足するには、必ず主要な因縁の根本が必要である。汝らはこれを求めようか？（求めん！）
とても賢いですね！しかし必ずしも使いこなせるとは限りません。仙仏の先生方も、あなた方が通用貨幣をとても必要としていることをご存知です。そこで仙仏の先生方はあなた方に「智慧如海」をお授けになりますが、あなた方はお受け取りになりますか？（はい！）本当に大きな声ですね！このような天機の良縁は「智慧如海」を得た時、必ず大いなる智慧を積み重ねた者に授けられるのです。
あなた方にとって「金の水」が通用通貨として十分に備わっていることが真実である。そうでなければ、「金の水、金の水」があなた方の周りを巡っていても、どうやって自分のポケットに入れればいいのか、あるいは自分の金庫の中に納めればいいのか、あなた方はわからないだろう。この二つ、あなた方はどちらを選ぶ？（金庫の中に）！本当に少し貪欲だね！
福縁が具わり、徳の恩恵が効能と利益をもたらす
実は、各人の福徳の縁によって具わる「金運、金運が入ってこい」と願うべきです。「金運、金運」を自宅に招き入れることができてこそ、真に満ち足りたものとなり、通用通貨の蓄積につながるのです。大船が港に入ったのに、荷を下ろさず倉庫にも入れないようなことがあってはなりません。そうなれば、あなた方は依然として「財布が寂しい（お金がない）」状態で、どうしようもないではありませんか！
「智慧如海」を応用するにあたっては、まず学び成長した後、世の中のあらゆる生き方に対して、智慧を福田の大いなる耕植に積み重ねることが理に適っています。このような福田の大耕植は、自らを犠牲にして奉献し、私心なく無為の心で捧げた後に初めて、十分な条件が具わるのです。
毎年必ず一度か二度統計を取り、各人が積んだ福田の多寡に応じて、下半期あるいは来年の福運を授け、今年の全ての努力を収穫と受益へと結びつけます。そのため、あなた方は知らないのです。上天が全ての衆生に与える福田には多寡があることを。次の年度には、必ず多寡ある福運と財富が蓄積されるのです。
他の各々が必要とする主な因縁の根本、および各々が求める願望は必ず達成される。これは汝らが福田を耕し植えた後、徳行を十分に加えることができたならば、自分を良善な人と言えるのか？普通の者は皆「私はそうだ！私はそうだ！」私は善良な人だ！と言うだろう。
徳の恵みと徳の行いが増し加わる
善人に対して悪事を働くとき、罪は一等重くなるか？このように「罪は四非となり、四非は罪となる」のである。この人道世界でいわゆる善人もまた悪事を働く。汝らが下課の後、周囲に尋ねてみよ。誰一人として「自分は善人である」と言わぬ者があろうか。
このように善き良き人は、必ず徳性が増すはずです。ではあなたがたは、徳性を増やしているでしょうか？十分に積み重ねているでしょうか？少しばかりの小さな善行を満足げに大げさに宣伝し、天下に自分が善良な人間であることを知られないかと心配するような、そんな善良な人に徳性があるでしょうか？むしろ自分がいかに善良であるかを誇示するなら、その徳性はもうなくなってしまうのです！
もし徳性が具足して満ち溢れる時が来れば、あなたにはきっと分からないでしょう。なぜなら徳性は自分では見えないものだからです。確かに明らかな光があなたの身体を包みます。どんな人の行いにも、必ず一つの気の色合いがあり、それは常にあなた方の身体を取り囲んでいるのです。
人は何事をなすにしても、自ら誇示する必要はない。自分がどれほど善良であるか、また仙仏は一目で見通せるもので、あなたの行いがどうであるかを。このような徳性の積み重ねは、黙々と増していくものであり、決して自らがどれほど高遠な徳性を持っていると誇示するものではない。このようなものは単に「陽善」と呼ぶにふさわしいだけである。
大道の徳の恵みの効能と利益
すなわち、人間界のすべての万物の衆生に善なるものがあるか、悪しき醜いものがあるかを、一目で明らかに見極めることができるのです。必ずや自らの行いによって、徳性の色合いを増し積み重ねるかどうかを区別することが、まさに汝の今生、この一世、そして未来におけるすべての願望への求めるべき正道であり、真実のあり方なのです。
まさに徳性をもって、自らが求めるものに対して、もし怨みも悔いもなく、苦労を惜しまずに取り組むことができれば、そもそも自分がどれだけのことをしたかを言う必要はない。そこには「陰功と陽善」という区別がある。陰功とは陰隲のことであり、陰隲は汝らが求めない一切のものを具足し、一つひとつ実現させることができるのである。
このような因縁条件は、未来においてありのままに現れ、自らの身体や家族全体、そしてあなた方の子孫にまで及ぶ。この陰徳は、古来より上天が最も誇りとする豊かな賜物であり、また求めず、作為なく、私心なく施すことによって、必ずや豊かな収穫と報いをもたらすものである。
もし「陽善」を人々が誇示する事績とすれば、自分がどれだけの功徳を積み、大々的に宣伝し、天下の人々に知られないことを恐れないようなものだ。自分に対してはどれだけ行ったか？まるで一本のろうそくが燃え尽きるかのように、すぐに枯渇してしまう。次の一本を継ぎ足そうとしても、おそらく容易ではない。このろうそくが相当に大きいものでない限りは。
陰徳と陽善の差別性
大きな蝋燭を例に取ってみると、それにも時間の制限があり、ほんの束の間で消え去ってしまいます。陰徳と陽善について言えば、まさにこの世では福田を耕す深さによって決まるのです。深く耕す時には、必ず徳が積み重なり増していきます。このような条件は誰もが整えることができるのです。
何の願いを祈る必要がありましょうか？天はあなたが必要とするもの、そしてこの世が必要とするものに従って、あなた方に授けてくださいます。「富貴と長寿」「子孫の賢明さ」「良妻と優れた子」「立派な夫と賢い父」など、数え切れないほどの恵みです。これらはあなた方にとって互いに支え合うものであり、財産に満ち足りた生活をもたらすのです。
「銭水」の流通を理解する必要があり、初めて真に獲得することができる。また、あなた方が下校前に恭しく誦読する「関聖帝君覚世真経」の中にある「富を求めれば富を得る」という教え、あなた方が「富貴寿禄」と「賢良な子孫」を求めるとき、これこそがまさに如実に獲得し、回収し、収益を得る道なのである。
大道演義の弘むる願い
徳沢有情に乾坤に顕る
陰徳と陽善を区別して行えば、天の祝福が絶えず授かる。
富貴と長寿、子孫の繁栄は
すべての生きとし生けるものが望むもの
智慧の福田に徳性を加えれば　　必ずや収穫を得て利益来たる
この偈は！同じ有情の衆生、原霊仏子が互いに励まし合い、また崇心宗脈のすべての神仏と学生が互いに励まし合い、いかにして　上蒼から賜るものを得るか？それは自らが黙々と奉献する中にあり、私心なく無為であることが、まさに正道なのです！  老衲今日また参りました、汝らは仙仏に何を賜りたいのか？
智慧が必要です！ライチを持ってきてください！よし、あなたたちが智慧を求めることができるとは、本当に良いことです！しかし、一つ「銭水（ぜにみず）」がありますが、あなたたちはそれを望みますか？望みます！「銭水、銭水（せんすい）」を得るためには、まず智慧を持ち、次に福田を築き、さらに徳性（陰徳）を積んで初めて、「銭水」を得ることができるのです！
あなた方は大門前の池のほとりで、恭しく無極天心浄瓶観世音菩薩に向かい、「銭水」を叩いてお願いしてください。心を込めて弘法と普及に努め、自らを成就させるとともに衆生をも成就させてください。皆さん、お疲れ様です。崇心宗脈にご迷惑をおかけし、「また引っ張り出しましたね！（台湾語）」という状況ですが、これも自らの努力の賜物です。ではまた。
無極降道天尊
無極降道天尊来たり　　大道德澤弘く化を開く
南屏道済本尊御降臨　　福と智慧を賜う　銭と水が載せる
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日、南屏道済古仏の本尊が降臨され、「大道德沢」第三回を著作されました。大道德沢の功徳をありのままに説き明かされ、さらに汝らが最も望む「銭水、銭水」について、既にはっきりとご開示くださいました。
陰徳と陽善の両方が必要であり、この二つは未来において区別される。智慧を積み重ねた福田を耕し植えるかどうか？深く耕すことに加えて陰徳（徳性）を添えるかどうか？必ずやあなたがたの求めること、怨み悔いなく、何も求めない者に対しても、あなたがたにより大きな収益と回収をもたらすことができるであろう。
汝らに通用する貨幣だけではなく、これはとても簡単なことだ！自分で努力せよ！仙仏もその成功を喜び見守り、汝らに真の富（マニー・マネー）を与えよう！今日、仙仏は実に心躍る喜びを感じ、汝らが大道シリーズを執筆することを、大いなる楽しみをもって完成させよう。汝らの労苦に感謝する、皆また会わんことを！
2014年7月23日20時55分◎＃※　０Ｋ＃
第六回　天蓋地載
第十四回　 孝順報恩
2007年9月7日　丁亥年七月二十六日（金）
第三回　  德澤功用
南無至上有情生　　燃燈の伝承、衆生を成す
大道徳沢第七回　　日月普照光輝耀
第十五回　  仙佛眷顧
2007年9月14日　丁亥年八月四日（金）
第四回　 德澤定義
大道の徳沢は衆生に利益を与える
徳沢の定義：すべての万物の霊と蒼生、および万物は、皆同じく上蒼の大いなる徳沢を蒙り、それによって演義がなされ、進化と創造を経た後、再び次々と、回を重ねて遺伝子の本質を向上させてゆく。これは生存の方向性において、上蒼が世話をし、護り、成就させてくださるということである。
すべての万物蒼生は、地冥星の中に入り、さらに上蒼の数多くの微に至るまでのご加護、守護、庇護を受けて成長することができる。これはまさに正道である！また、地冥星のすべての万物蒼生をもって、地球空間のすべての進化の働きに参与し、いかなる国においても区別しないのである。
人界におきましては、皆この元会の徳沢の働きを共にし、上蒼より下される大いなる徳沢とお導きを通じて、あらゆる万物蒼生の成長の恩恵を受け、安らぎの空間を得ることで、真に上蒼のご加護とお守りを享受する進化を遂げ、必ずや万物蒼生の生存が依って立つところの、良きものの増長に寄与するのであります。
正に人為的要因によって成し遂げられるものであり、全ての地冥星の中でも、地・水・火・風の四元素は、万物衆生の遺伝子本質を進化させ、向上・超越させ、真の浄化機能を果たすことで、はじめて人道世界の遺伝子本質に対して、自らをより大きな成長へと導くことができるのである。
徳の恵みの要義は基本としての行いである。
したがって、すべての徳の恩恵の基本的な機能に対しては、上天の慈悲深いお導きがあり、さらにすべての宗教の宗派や系統、諸天の仙仏が同じ縁を持つ者に対して、より大きな恩恵をもたらすことができます。このような人道世界は、上昇を提供することでより大きな利益を得ることができ、同時に上天の徳の恩恵によって下ろされることもあります。
また、すべての万物の蒼生に対しても、同じような試練と鍛錬があります。言うところの「寒さ徹骨せずんば、梅花の香り鼻を撲つを得ん」というように、鍛錬を経てこそ向上があり、それはとても真実で、必ずやより高い境地へと進化することができます。また、それは人道世界において進化するからです。
いかなる国や人種の区別なく見るならば、まさに自分が過去に積み重ねたすべての因縁を、このような時空の縁起の中に持ち込んでいるのである。つまり、この一生、この一世、この時空の縁起において、なぜこのような時空の縁起が現れたのかを理解しなければならない。それはまた、自分の前世や累世と密接に関わっているのである。
このような万物の霊長に対する、現世という空間への入りにおいては、必ずや過去の染まりを浄化することができなければならず、これこそが来世において、より高い次元の境地や果位へと向上し、超越していくためのものである。このような殊勝なる因縁の条件は、あらゆる善きものの増長を超越するためのものである。
徳の恵みがあれば、善良な成長がもたらされる
この境地そのものに対しても、実に様々な区別があるが、どうすれば機能的な効果を成長させることができるのか、まるで分からない。それでこそ真に「染浄」を浄化できると言えるのだ！人間世界のすべての生存は依拠するものに頼っているが、この生存の依拠の中に、かつて言われていたものがある。すなわち、福分があるか否かによって区別されるのである！
今生、この世で長く福分を享受できるかどうかは、積み重ねたものによるものであり、なぜ今生、この世が前世や累世と必ず相互に関連するのか？福分の多寡によって、各々の前世の行いを区別し、「陰隲と陽善」、「悪を造ることと罪を造ること」の違いを理解しなければならない。
このような因縁の条件は、様々な異なる次元や段階における福禍を区別し、この一生、この一世において相互に関連性を持つものである。また、汝らがこの福田に積み重ねたものと、悪しき行いに積み重ねたものを見れば、今生今世のすべての福分があるかどうかを観ることができ、それによって前世がどのような因縁であったか、そしてそれが今生今世にどのように植え付けられたかを理解することができるのである。
徳の恩恵を定義するにあたり、理解すべきことがあります。たとえ天が直接に各人に授ける福分が多くあるとしても、また天はその大半の福田と福分、そして悪しき災いの累積に応じて、一つの相互因縁の中に集め、償いと享受とし、現在に積み重なったものを引き受けるのです。
徳の潤いの浄染と染浄
徳の恩恵に対しては、大いなる天地の中で言うならば、また上天が「風雨順調」や各人の福分、そして財産・徳・寿命・禄の区別について、多くの人道的世界を通じて、各自の行いによって分別し、それによって各自が福を享受するか災いを受けるかが決まります。人世界におけるすべての受けるものは、前世において積み重ねられたものです。
なぜなら、ある者が前世におけるすべての生存の在り方によって積み重ねられたもの、および今生今世におけるすべての過程が、現在の瞬間に入り込み、災難に遭うか福報を享受するかは、それぞれの前世において積み重ねられたものによって区別されるからです。すなわち、今生における「因縁果報」の前に為した行いが、改善されたか否かによって判断されるのです。
すなわち、すべての参与と創造はこの地冥星においてなされてきた進化の過程であり、汝らは細やかに観察することができるだろう：遠古から現在に至るまで、科学技術文明は果たしてどうであったか？一日千里、いや一日万里の勢いで発展し、未来には真に「他地を移化し」「地を他化する」ことが可能となり、さらには仮想現実が汝らの周囲に顕現することもあろう。
また、あなた方が生存の方向性を求める過程においては、多くの人間世界での生存の方向性を経験し、より大きな成長へと向かうことになります。この中には必ず、上天の慈悲による成就とお導きがあり、言うなれば、地冥星のすべての万物と衆生の生存の方向性を司り、より大きな成長と収穫へと導くのです。
徳沢は定義の基本的作用をなす
人間の生存意義について言えば、それは一代から次の代へ、一世から次の世へと伝承されるものであり、必ず相互伝承による依存関係が存在してこそ、より大きな収益と収穫を得ることができます。このことは上天から見れば、まさにあなた方が通貨という因縁の中で、「銭の流れ、銭の流れ」を積み重ねることによって得られるものであり、それが正しい道なのです。
そうでなければ、すべてが「散らばり散り散り」になってしまい、安らかな生活空間に入るには、どのような条件が必要なのでしょうか。それは、快適さ、便利さ、普遍性という対になる要素が、すべての生きとし生けるものに施される必要があります。そうして初めて、真にそれを得ることができるのです。これはまた、上天が第三元会において、すべての生きとし生けるものの生存の方向性を導くものでもあります。
真に普及させることができれば、すべての生存志向の安らぎと、平穏な生存空間に対してである。すでに、徳沢は　上天が化したものであり、人為的な要素をもって完遂させなければならず、必ずや人為的な要素をもって　上天の徳沢に合わせ、この「人と天の相互連携」のすべての調和を下界に広めねばならない。
また、生存の志向が安らかで安定したものであり得るかどうかは、平和が重要な基準となります。なぜなら、激動の時代や戦乱の危機において、あらゆる命あるものが安らかで平和な生存空間を与えられるかどうかが問われるからです。そうではありませんか！この生存の志向を理解する際には、天地の間のいかなる国や団体も同じであることを知る必要があります。
徳の恵みは穏やかで安らぎに満ちる
主事者が必要であり、互いの管轄作用に依拠する者があってこそ、他の侵侮に遭った際に相互の争いが生じるかどうか、これがすべての安適ならざる生活への恐れを引き起こす。しかし、万物の霊たる衆生が恐れるものは何か。すなわち滅亡の苦難を恐れるのであり、この生存への恐れは避けがたいものである。
人道世界の生存志向において、無常が訪れることを常に知り得るか？否である！また、この無常の到来は、死滅の消滅を恐れるものである。人道世界には争いがあり、進化もあり、成長もあり、収穫もある。もし進化と争い、成長と収穫によって得るものがあるとすれば、それはいかにして得られるのであろうか？
必然とは、一方では争い、一方では進化し、一方では成長し、一方では収穫を得ることであり、縁起の中にあり、また無常の過程でもあります。誰が永遠に安楽で憂いなくいられるでしょうか？いや、そうではありません。天の徳と恵みがすべての生きとし生けるものに広く行き渡り、ほんのわずかな人だけが恩恵を受けるのではないのです。
上蒼の徳沢は大いなる有情衆生に及ぶ
この肝心な点は、まさに各自の福田に対して、具足するか否か、あるいは具足できないという違いにあるのです。あらゆる万物の霊が生まれる空間においては、上天と諸天の仙仏のすべてのご加護とお守りを通じて、守り、お世話をいただき、そしてさまざまな、あまりにも多くの徳沢が、万物の蒼生に施されることになるのです。
真の下化による成長と向上へと入ることができるならば、人道世界はまた相互に対応する大いなる天地であり、すべての生存の方向性は必然的にあなた方により大きな福徳をもたらすものである。今に至る時空の因縁の移り変わりの中で、必ずや四億の仏子たちが進化し、九二原霊を導いて成長と超越を遂げることとなる。
つまり「借将」によって、他の星系から二百万人以上のハイテク人材を招き、地冥星に降ろして創造、発明、研究を通じて進化の働きをなさしめているのです。そしてあなたがたはまさにこの盛大な機会に巡り合った特別な縁に恵まれている。今こう言えるでしょう：すでに少しずつ成果が現れています。しかし、あなたがたの思考体系と行動のあり方は、いかがでしょうか？
徳沢は定義の行使を定む
時代の潮流の移り変わりと変化についていけるかどうか、このような縁起の条件はあなた方にとって真実の忠告となっている。もし人道世界がこのような時空の因縁の中で、ある者は思いもよらないことだが、すでにその内なる道を進化させ、生存の方向性に到達するためには、福田を深く植え付け、深耕することを積み重ねる必要がある。
陰徳の積み重ねがあってこそ、さらに汝らが無為に捧げ、犠牲を享受し、享受を犠牲にすることができる。これこそが　上天の基本的な働きであり、まさに汝らが今生・今世において犠牲を捧げ、享受を犠牲とし、奉仕を享受する中に、未来において真に上昇し、超越する根拠が宿っているのである。
しかしながら、行いながら不平をこぼすようなことはおやめください。それでは仙仏や上蒼、そしてあなた方の同輩たちも、どうして認めることができましょうか？ですから、ありのままに実践し、いかにして向上し、成長し、超越していくべきかを考える必要があります。このような尊い因縁と条件は、必ずや皆が回帰し、円満に乗り越えていくことを可能にするでしょう！
福田は陰隲に深耕し
陽善は自ら知るを要す
両者の区別は本来無為にあり　　収穫と受益は二つに分かれて育つ
徳は万霊と衆生を潤し　　今生今世に明らかに証せられる
各自がなした行いに応じて　　未来の成就は各々自ら成す
この偈は、有情の衆生である原霊仏子たちが互いに励まし合い、一つの徳沢が完成したその功徳と効用を、はっきりと分析したものである。汝らはどう実践すべきか？それこそが真に利益を得て報われる道であり、皆が良き成長と向上を遂げられるようになる。皆様、ご苦労さまでした。ありがとうございます。ではまたお会いしましょう。
無極善円仙姑
無極善圓会賢生　　仙姑との縁は徳澤深し
共に崇高な心を降ろして大道を助け、広く教化し導いて教えを成さん。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈の大宗師、南無燃燈古仏が降臨され、大道シリーズ第二十三冊『大道德澤』第四回を著作されます。ここに徳澤の定義を、皆様にはっきりと解き明かし、皆様に陰隲の積み重ねがあるか、あるいは陽善の行いがあるかを示されます。
己のために、天に向かって永遠の未来を勝ち取ることに心から努めるべきであり、ただ人の世で是非を争うだけではなく、さらにわずかな善行を施しながら口うるさく言い続けるならば、その一念で全ての功徳が水の泡と消えてしまう。あなた方はどう思うか？皆様、ご苦労さまでした。すべてが吉祥でありますように。さようなら！
2014年7月24日11時50分◎＃※   ０Ｋ＃
李太白仙翁
第七回　日月普照
第十六回　 貴人提攜
2007年9月18日　丁亥年八月八日（火）
第四回　 德澤定義
李は桃柳の聖門に転じて作し
太白降り来たりて大道拓く
第八回 舅の徳沢を著す　　日普く月照らす大道の炁
第十七回　 同儕相扶
2007年9月21日　丁亥年九月十一日（金）
第五回　 天地蓋載
万物の蒼生は人道世界に生まれ
必ずや天地が覆い載せる恩恵があり、それによって依り所とすることができる。このことを地冥星において観るならば、いかなる万物の衆生と人種であっても、皆、地冥星の天に覆われ、また地に載せられている。この二つの天地の覆い載せる徳沢は、いかなる国や宗教をも分け隔てることなく、すべてこのようである。
また、この天の覆いと地の載せる力という二つの万物蒼生に対する生存の方向性によってこそ、安らかで調和のとれた公平な生存空間が得られるのです。その中には地の載せる力によって多くの震動が生じることもあれば、天の覆いに対しても「水と風」という二つの破壊力が生じることになるのです。
あなた方人間世界では、いったいどのような観点で生存の方向性を定めているのでしょうか。天が覆い、地が支えるというこの二つの原理は、必ず理解しなければなりません。天地のすべての恩恵は一体どこにあるのか？それはつまり、地冥星系に対して、いかなる国家や宗教、宗派も区別することなく、すべて公平平等に守護しているということなのです。
また、過去から現在、未来に至るまでの時間の区別なく、すべて同じく「天の覆い」のもとで生存を享受しているのであり、天の覆いを理解することができる。地冥星におけるすべての覆いの条件は、まさに一種の保護作用なのである。もし地冥星の自転と公転がなければ、どうして地冥星におけるすべての生存の方向性が形成されようか。
天の蓋は星球を覆い護る
これによって知ることができる：毎年、毎月、毎日、毎時の計算公式があり、またこのような計算公式があるからこそ、天の覆いと地の冥星が互いに守り合い、すべての万物蒼生の生存のあり方が、まことに安らかで安定した生存空間を得ることができるのだと。
知る必要がある。天が覆うことに対して、それはまさに外宇宙のすべての隕石を受け止め、地冥星に向かって投げつけられるのと同時に、異星体のエネルギーによる保護作用が生じるのである。また自転と公転があるからこそ、すべての外宇宙の隕石が地冥星に向かって投げつけられるのを避けられるのと同時に、多くの殺傷力を形成することを減らすことができるのである。
これらは、天がすべてを覆い包み動かすことによって、初めて安らぎと快適さの条件と生存空間が得られるのである。また、地冥星の自転と公転はなぜあるのか？これもまた大道の軌跡に従って運行しており、いかなる星体も例外なく同じである。隕石による殺傷力を最小限に抑えることができるのは、このためである。
まさに大道の公理と制度に従って運行しており、決して大道の運行軌道から外れることはない。しかし、外宇宙からの隕石に追撃された時には、必ず保護動作が行われる。このような外宇宙からの隕石が地冥星に投げつけられる際、運行軌道をわずかにずらして、直接の侵襲を受けないようにすべきかどうかという問題がある。
天の覆うはこれ保護の動作なり
外縁の星流力場がすべての斥力作用を持ち、外宇宙の隕石を地冥星の傍らへと円滑に通過させ、直接的な被害を受けないようにすることができる。必ず理解すべきは、この種の天機の奥義の秘訣はどこにあるのか？それは、すべての生存する地冥星において、いかなる国や宗教も区別せず、すべて同じであるということだ。
また、天地は互いに連なり合っているが、天が覆いかぶさり、地が載せ支えるという点で異なり、その中間に天地があるからこそ、あらゆる万物や生きとし生けるものが潤い育まれる空間が融和するのである。この中で地の載せ支える働きを見ると、大地は堅固な性質を持ち、また確かに万物や生きとし生けるものが踏みしめて立つことのできる、すべての確かな足場の役割を果たしている。
さもなければ、すべての原霊子の衆生は、大地の支えと覆いから離れて生きることはできません。この大地の支えと覆いとは、つまり真実の土地があり、万物と蒼生のすべての重みを支えることができ、万物と蒼生のために何らかの不快や不良、不安な生存状態が生じることもない、と言えるでしょう。
すべての者は公正かつ平等に接し、地冥星のすべての有情なる衆生を慈しみ、愛する者と愛さない者を区別しない。すべては同じく平等かつ公正であり、大地を踏みしめ、生きることは、すなわち大地の公正と平等であり、またすべての万物衆生に対して、生存の方向性においてすべての護りと恵みを与えるのである。
大地は万物蒼生を載せ覆う
あなたが大切にしているからといって、より多くの空間と恵みを与えるわけではなく、また大切にしていないからといって、あなたの生存空間や恵みを減らすわけでもありません。これは一体平等で公正であり、すべての万物衆生の生存のあり方と、あらゆる行為・動作に対して、生存が依存する過程は、まさに大地全体の空間から来ていることを知る必要があります。
また、守護と恩恵の必然性について言えば、万物の生きとし生けるものに対して、すでに浄化されているからといって特別扱いするのではなく、浄化を求める者には多くの福徳を授け、汚れているからといって見捨てるのではなく、汚れを放置する者には多くの懲罰を与える。これらはすべて、公正・無私・平等の働きによって、すべての万物の生きとし生けるものに対して、同じように均等に守護と慈しみを注ぐのである。
大地のすべての生命を育み、生かす恵みに対して、大地を主な依り所とし、万物の生きとし生けるものは生存の方向性から離れることができないため、万物に対して真に快適で安定した生存空間を向上させることが求められます。その中で、大地の守護と慈しみは、有情のあらゆる霊的な生き物たちに生存空間を与えているのです。
そこには、心地よく安定した生存の志向があり、またすべての霊と万物、すべての生活空間に対して相互に示現するものである。大地はすべての霊の母であり、生存の志向を支え覆う主要な因縁の根本である。さて、あなた方は大地の覆いと支えを受けずにいられるだろうか？ 否、そうではあるまい！
大地が万物を載せ覆うことは、公正で私心がない。
すべての衆生は、大地の覆いと支えを受ける必然性を担っている。この覆い支えの必然性があるからこそ、有情の生存空間において、自らが求めるものや生存に必要なものを真に得ることができる。したがって、万物の蒼生は皆、地冥星において同じ条件にあるのに、なぜ互いに保護の機能を保ち安らかに共存することができないのだろうか。
それどころか、ずっと地冥星の生活空間を破壊し続けており、この地冥星に対する破壊は、まさに変えることが非常に難しい要素です。あなた方の将来の生存に不安をもたらすことを減らす必要があります。今の時点で見れば：遠古の時代、女媧が天を補修した時から現在の時代まで、あなた方が言うところのオゾン層の穴は、いったいどのようなものなのでしょうか？
これは黒資源全体がもたらした影響であり、これはあなた方の二酸化炭素削減に対して、気流自体に悪影響を及ぼし、必ずや近い将来、全世界（地冥星）の生存に影響を及ぼし、あなた方により大きな殺傷力を引き起こすでしょう。未来になって初めて事態の深刻さを実感することになるのです！
天地が覆い載せる恩恵
しかし、もし天の過ちは必ず天自らが償い、人間の過ちは必ず人間自らが償うのであれば、これは公平の原則に合致する公律であり、汝らが理解し得ることであろう。地冥星に生きる者として、現状を見よ：汝らの科学技術文明は一体どうなっているのか！
これによって、地冥星のすべての機能と作用を知ることができますが、その中には、あなた方の現代科学技術では理解できない多くの奥深い道理がまだあることを知りません。また、このような科学技術文明は、あなた方が自ら被害を受けた後で初めて、痛みを糧に反省し、原始的な悪しき気質の原因を変えて成長させなければならないからです。
天地が覆い載せる恩恵とは、つまりあなた方相互が支え合い、保護と配慮によって安らかに生きる空間を保つことであり、いかなる国や宗教にも区別なく同じである。また、このような平等・公正・守護・配慮は、全地冥星において、すべての万物蒼生に対し、同じく平等で無私・無為なるものである。
天地は覆い載せ、護り佑けて萬靈蒼生を守る
この中でも特に天地が覆い載せる恩恵によって、汝らすべての生存の方向性に対し、必ずや汝らの生存空間を守り続ける。これこそが汝らの生存の方向性にとって、真の安らぎと平和をもたらす作用であり、これは上蒼の大いなる徳沢であって、また汝らが地冥星系の空間に生きる存在に対しても及ぼされるものである。
すべての生活に必要なものと欲求においても、人為によって作り出され、縁起に対する取捨選択の必然性が生じます。また、それゆえに人類世界のあらゆる地域と国々は、地冥星のすべての守護と慈しみを受けています。決して私心や不平等はなく、これこそが上蒼の公正なる大道の運行なのです。
また、すべての有情の衆生、原霊、仏子に対して、相互に助け合い、すべての良縁と善き条件を成就させることで、向上し、成長し、超越することができる。しかし、汝らが悟ることができるかどうかは分からない。上蒼が汝らに対してどれほどの配慮と守護を与えているかを。
また、情愛に執着する人間の衆生に対しては、根本的に理解することすらできないのです！
天地が覆い載せる恩恵は
有情の衆生が互いに助け合う
社稷を形成して安定せしむる所　　福祉と徳沢は衆霊に帰す
天は蓋のごとく衆生を護り、地は万物を載せて成らしむ。
公正平等が守り給う　　安らかで心地よい生活が訪れる
この偈は、有情の衆生が互いに励まし合うものである。また汝らに理解させんがため、人道世界になぜ天地が覆い載せる恩恵があり、護り顧みて、これら有情の衆生のすべての生存の方向を守るのか。これこそが汝らの未来の行く末を照らし、大道のすべての公正で私なき偏りのない道理を理解させるものである。
上天は無為にして無私であり、すべての仙仏もまた無為にして無私である。あなた方はこの無為・無私を学ぶことができるだろうか？もしできるならば、未来の成就は必ずや大いに見るべきものとなるであろう。もしできなければ、ただただ世々代々、巡り巡るすべての輪廻の作用に過ぎない。それぞれが自らを悟り、自らを明らかにすることを要する。皆様のご相伴とご尽力に感謝申し上げる。ご苦労さまでした。ではまた。
無極満徳仙姑
無極の因縁は真に殊勝なり　　満徳の登台に賢生を会す
仙姑今日は当番を務め　　大道の徳沢天書成る
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は李太白仙翁が降臨され、「大道德沢」第五回を著作されました。上天の天地が覆い載せる恩恵について、前半部を分析され、次回はこの因縁を受け継ぎ、更に大きな成就へと導かれます。
汝らは理解せよ、上天の恵みと仙仏の恵み、日月の恵み、天地の恵みを。では汝ら人間の恵みとは何であろうか？必ずや次々と繰り返される巡りの中で、すべての奥義が如何なるものかを真に悟ることができる。また汝らへの恵みに依り頼むことによってこそ、人類衆生が真に恩恵を受けることができるのである。
明日はまた土曜日で、渡化の好機でもあります。近頃は第六期の弘法を推進する段階に徐々に入ってきており、これもまたあなた方全員が広げていくことができるものです、お分かりですか？各自が努力を重ねれば、未来の良き善縁と条件のよりどころが得られ、自己を成就するとともに衆生を救済することになります。皆様、ご苦労様です。すべて吉祥であります。ではまた！
2014年7月24日13時20分◎＃※   ０Ｋ＃
八仙翁の一人　鍾離権仙翁
第八回　日普月照
第十八回　 親友共助
2007年9月28日　丁亥年八月十八日（金）
第五回　 天地蓋載
鍾離は八仙の首と称される　　功果の権衡は自ら修むるにあり
第九回　皇王國土
第十九回　 社稷貢獻
2007年10月2日　丁亥年八月廿二日（火）
第六回　 天蓋地載
天は覆い、地は載せ、徳は万物を潤す
すなわち、あらゆる霊や万物の生きとし生けるものが生存し依存するためには、必ず必要な基本的条件がある。天の覆いがなければ、どうして快適で安寧な生活空間が得られようか。この天の覆いこそがなければ、外からの侵害や攻撃を受けずに済むのである。また、天の覆いは古より今に至るまで、常に同じなのである！
地冥星系の中に存在する限り、すべての人道上の世界の万物蒼生は、天の覆う大いなる徳沢を受けています。これはすでに人道世界の始まりから現在に至るまで、そして未来に至るまで変わることがなく、大いなる宇宙星系の基本的な徳沢として、有情衆生に利益をもたらすものです。
このため、どの星系にも天の覆いがあるからこそ、生存に適した必要条件が可能となるのである。このような縁起の条件は、あらゆる時空の因縁において、すべての生きとし生けるものに対して同じく成就されている。また、現代においては、このような天地の覆いと支えに対しても、すでに慣れきっており、もはやほとんど注意を払うこともなくなっている。
また、天の覆いの下においては、必ずや人道世界の万物の霊や生きとし生けるものたちが、人道のあらゆる生存と進化の働きに参与し補佐することで、初めて生存と依存の安らかな機能が得られることを理解することもないでしょう。もし「天地の覆いと支え」がなければ、容易に他の星系からの隕石や別の星系の侵攻や攻撃に遭いかねないのです。
天は覆い、地は載せる
これは人道世界に対して、相互に成就し合う主要な因縁の根本こそが、真実の本性であると言えます。あらゆる衆生にとっては、正しい必要性があり、また一人ひとりの衆生は皆、人道世界から離れることができず、人道の生存における主要な因縁の根本からも離脱できないのです。
もし人類や万物の霊長たる蒼生が、人道世界である地冥星を離れようとするならば、必ずや既に上昇し、神々を超越した存在、すなわちこのような高等なエネルギー体を持つ神々、つまり聖神仙仏、菩薩、高真などと呼ばれる者でなければならない。広大なエネルギー体を備えていることが必要であり、そうして初めて人道世界から脱することができるのである。
さもなければ、すべての有情衆生にとって、天の覆いから離れることはできません。その中には、生存に依存する主要な機能体と依存体が必ず必要であり、これは人類の群居生活の必然性から離れることはできません。万物の霊長たる生き物の生存の方向性が依存する動作によって、天の覆う大いなる徳と恵みに応えることができるのです。
有情世界は理解できない、なぜ天の覆いがあるのか？もし天の覆いがなければ、どうして宇宙や虚空の間に生存できるだろう？生存に適した動作に安住することもできず、必ずや全体の冥星によって言わなければならない：生存空間を、人道世界と万物の蒼生、すべての存在界に収容することである。
天地は覆い載せ、徳は万物蒼生を潤す
そして、こう言われる：生存空間の因縁において、これこそが人間世界の制約から脱することができず、またすべての万物の霊が束縛から逃れられない障壁である。必ず理解しなければならない、人道世界にはなぜこのような制約と障壁があるのか？汝らの生存が依存する中に、必ず汝らに対する天の覆いがあるのだ。
この天の徳沢は、一方ではあなた方の生存と安楽を守り支え、他方ではあなた方の成就を高めるためにある。互いに妨げ合い、成長に限界があることこそが、あなた方の人道世界なのである。なぜ今に至るまで繰り返し、人道世界を輪廻するのか。その主な原因もここにある。
必要なるのは、有情の万物蒼生が人道世界に入る際、大地の支えを踏みしめることである。いかなる万物蒼生をも区別せず、この姿勢は地冥星系のすべての蒼生に対しても同様である。また、なぜ大地の支えが永遠に沈むことも休むこともないのかといえば、それは大道の運行軌道の中に、従うべき動作が存在するからである。
この大道の運化作用こそが、各々の星体自体の自転と公転を可能にし、それによって回転の力が生まれ、宇宙全体の星系の運行空間を支え浮かべ、すべての霊性ある衆生とその中の山河大地を載せているのである。また、このような生存の相互依存関係には、あらゆる生存の方向性における必然性が存在する。
大地は有情の衆生を支えています。
つまり、あなた方の呼吸の中には、大道の先天一炁、あるいは一炁先天大道の「炁そのもの」に由来し、地冥星の球体における後天の気場へと転換されるものがあります。これがあなた方の呼吸する空気なのです。もし先天一炁の炁のエネルギーが欠けているならば、あなた方の生存に必要な後天の空気を転換することもできなくなります。
すべてが滅び去る事態を招きかねません！さらに、先天一炁の炁のエネルギーは、人間界において欠かすことのできない空気転換のエネルギー体であり、あらゆる万物の衆生を区別することなく、いかなる国や宗教、人種などにも等しく公平・公正に、博愛の慈悲をもって慈しみを注ぎます。それはすなわち、惻隠の心、清らかで真実なあり方、無為の境地でもあるのです。
地冥星の自転と公転が運行しているからこそ、生きとし生けるものが大地を踏みしめて生きることを支え、万物と蒼生を守護しているのです。富貴であろうと貧賤であろうと区別なく、一体として公正・平等に守護します。また、大地が特別に顧みるか顧みないかも区別せず、平等かつ公正に地冥星系に踏みしめられ支えられているのです。
万物の霊に対する徳沢において、もし大地が「震動」を起こした後に、万物の蒼生に対して甚大な殺傷力を形成するならば、これはあなた方人道世界で言うところの「地震」である！古くは「地牛が身を翻す」と言い、また現代においては、地冥星系における地心引力の熱エネルギー体と称されるものである。
大地は、すべての生きとし生けるものを支え、その足元を踏みしめさせている。
ある期間に蓄積された力は、やがて非常に大きな爆発力を形成し、瞬時に地表を持ち上げ、すべてのプレートを押し寄せます。これは、あなた方の現代科学が実証している「地震災害」そのものであり、大地の負荷に対する警告です。あなた方が暮らすこの地冥星において、これは重大な警鐘なのです。
この空間は、あなた方が長く留まるべき場所ではないことを理解する必要があります。果たしてすべての仙仏と共に、広大な宇宙や虚空の中で逍遥自在に過ごし、超越と呼べる境地に至ることができるでしょうか。人道世界に警告が示された後、永遠に滅びることのない種族など存在するでしょうか。決してそうではありません！また、このような大地の震動によって生じる破壊力は、実に恐ろしいものです！
汝らにとってこれは警告の兆しであるが、果たして誰が真に奥義を理解できようか？否である！まさにこの万物の生きる空間において、安らかで静かな境地を高めようとするならば、何が永遠に衰えずにいられようか？肝要なのは、人の世はただ「山河が主、人は客」に過ぎぬ一時の旅人であることを悟らねばならぬということだ！
人間が生きる上でのすべては、仮のもの、借り物、旅人のように借りて過ごすものに過ぎない！いわゆる所有や借用による享受にすぎないのである！また、時空と因縁は遠からず消え去り、跡形もなくなる。いったい誰が天地の運行変化の働きを理解できようか？「天が覆い、地が支える」という偉大な恩恵を理解することさえ難しいのである。
天は覆い、地は載せ、大いなる徳は潤す
まさに宇宙の創造がもたらす大きな恩恵であり、天の創造がもたらす大きな恩恵である。また、あなた方に理解していただきたいのは、人道世界が安らかで平穏な生存空間を持たなければ、人々は毎日恐怖の時を過ごすことになり、どうして真に安らかに修行と自己変革に専念できるだろうか。このような生活の基本的な保障さえも、まったく失われてしまうのである。
汝らはただ汲々として、人道世界のあらゆる物品をひたすら追い求めるのみで、千秋万世を超越するものを求めることができない。これは、上蒼が天の覆いと地の載せる徳沢の中に、汝らが安らかな時空の因縁を得て、生存の方向を高められるようにしてくださっているのである。
願わくば！これは汝らに対し、安楽な生存の中で沈淪することを許すものではない。それは自らの生存の方向性にとって、まったく値しないことである。自らのすべての生存の志向は、必ずや向上し、高められ、超越されなければならない。真実の私にとっては、この一生のうちに、真に回帰し、円満に乗り越えを成し遂げなければならず、そうしてこそ真実の利益を得て、回収することができるのである！
天の蓋は星体を覆い
地の載せるは互いに助け合う
有情なる衆生その中にあり
万物の霊、永遠に伝わり継がれる
天地の徳沢は恩を覆い載せる　　必ずや体悟し銘記すべし真に
千古に遺すべからず忘失す　　此れ永住の地に非ず回帰の程
この偈は、有情の衆生たる霊子たちが互いに励まし合い、汝らが人道世界に入るにあたり、必ずや天地が覆い載せる恩恵が如何なるものかを悟らねばならぬ。これこそが、上蒼の大いなる道徳と恵みが万霊蒼生に対して示現したものであり、地冥星に授けられた一切を大切にし、後代の子孫が永く大いなる福と恵みを享受できるようにせねばならぬ。
また、一世代で彼を無駄遣いし、子孫に何千万代もの負債を残すようなことは、まったく価値のないことです！子孫のために豊かな福祉を創造しなければなりません。このような素晴らしい縁と条件は、皆で創造できるものです。崇心宗脈にしばらくお邪魔いたしました。皆様、お疲れさまでした。ではまたお会いしましょう！
無極道真仙姑
無極の因縁は真に殊勝なり　　道真降り来たりて賢生に会す
仙女は共に諸々の有情と会し、大道の徳沢は更に真実を極める
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は八仙翁の第一位、漢鍾離仙翁の本尊が降臨され、「大道德澤」第六回を著作されます。前回の天地が覆い載せる恩恵について、さらに明確に解き明かし、あなた方に理解していただくため、天地の自転と公転の中にある理由を詳しく述べられます。
すべての万物蒼生は、なぜ回転の原因を感じることができないのか？それは、あなた方が生まれてからずっと地冥星の運行に慣れ親しみ、時空因縁の異なる関係を理解することができず、したがってその中の奥義と神秘を深く悟ることができないからである。
もし深く心に悟ることができるならば、地冥星の自転と公転が大道の軌跡に沿って運行していることを理解すれば、人道世界こそが永住すべき場所ではないという観念が分かるでしょう。それは自分自身の未来に対して真に超越、回帰、円満、乗越という向上をもたらすものです。皆様にご相伴いただき、お疲れ様でした。感謝いたします。ではまたお会いしましょう！
2014年7月24日14時50分◎＃※　０Ｋ＃
八仙翁の一人　張果老仙翁
大道徳沢第十回　　国家水土衆生則
第二十回 　上蒼德澤
2007年10月5日　丁亥年八月廿五日（金）
第六回　 天蓋地載
両手を広げて大道を行く　　果老仙翁が降り来たりて到る
第十回　國土と風土
第廿一回　 玉帝慈仁
2007年10月12日　丁亥年九月二日（金）
第七回　 日月普照
天が覆い地が載せる主たる因縁の本
すなわち、太陽と月が広く照らすことによってこそ、大いなる天地のあらゆる衆生は、この日月が遍く照らす恵みを共に受けることができるのです。このような因縁の条件を、人間の世界から見るならば、すべての万物と生きとし生けるものは生存の方向を定めるにあたり、必ずや日月の遍照を受けることになります。もし日月の光が広く照らし届かなければ、すべての計り知る空間を理解することも難しいでしょう。
また、どのようにして統計を持つことができるだろうか：日時、年数の計算は？大いなる天地のすべてにおいて、万物の蒼生であれ人類の衆生であれ、皆天に覆われ地に載せられ、かつ日月の光輝が普く照らすことを受けている。それぞれが真に向上を遂げるならば、生存には：快適さ、便利さ、普遍性が作用することになる。
もし言うならば、過ぎたるも及ばざるも中道にあらず、益を受けるどころか、かえって害を受ける。これはまさに陰陽が区分するところであり、もし太陽が照らさない時があれば、光明が現れることもない。また太陽を計算の基準とすることもできず、日月の光輝が天地人を明らかにするとき、いつ光明が始まり、いつ暗闇に入るのか？
これは日月が交代する仕方である。また、日辰の光明をもって前途や活動の無限を表し、もし月辰の暗闇をもって休息や静寂を表すならば、すべては安らかに滞りなく行われる。日辰の光明が照らし、月辰の暗闇が広く行き渡ることは、万物の生きとし生けるものにとって、生活の方向を定める上で必要なことである。
日月が遍く照らすことの差別性
また、今日のすべての行いは、すでに過ぎ去ったのです！生命もまた光陰と共に一日ずつ減っていきます。これは日々を数えてあなた方に休息と静寂を与えるためですが、それでもあなた方は崇心宗脈に来て、「大道系列天書」の著作に参加しています。これは単にあなた方の生存の在り方を求めるだけではないのです。
すなわち、あなたがたが天下第一のエネルギー資料を積み重ね、増やして得られる恩恵を受けられるようにし、また今日を無駄に過ごさず、より充実した一日となるようにするためです。さらに、天地が徳と恵みを演繹するのを見るに：生存を志向するほとんどの有情衆生は、生存のために依存し、より多くの通貨因縁を積み重ねているのです。
また聖堂に入ることもできず、仙人や仏陀のような豊かな資糧源とエネルギー体を学び、蓄積し、吸収することもできません。このように言えるでしょう：あなた方は、多くの時間を犠牲にしたものの、より大きなエネルギー体を蓄積することができ、一方で寿命は短くなったものの、他方では生命の向上と獲得、利益を得ることができたのです。
主なる働きは、有情世界に対し光明を普及し照らし渡すことにあり、すなわち万物の蒼生を区別せず、いかなる国や宗教の流派であっても、すべて一体同様に普く照らすのである。貧賤や富貴によって差別することもなく、すべて一体として平等であり、公正をもって大いなる天地の間にあまねく顧みられるのである。
日月が広く照らし、恵みを施す徳
すべての万物蒼生に対して同じように恩恵と収穫をもたらし、またこのような万霊蒼生は、いかなる宗教、国家、宗派、そしてすべての万物の人種によって区別されることなく、まさに人道の公理と法則に対して真の守護と配慮を与え、万物蒼生が「互いに補い合ってより良くなる」という成全を成し遂げることができると言えます。
さらに言えば、あなたがおべっかを使ったからといって私的に受け取ることもなければ、あなたが誹謗したからといって受け取らないこともありません。すべて大いなる天地の万物の霊と蒼生に対して一体として公正かつ博愛であり、すべてを慈しみ照らし輝かせます。太陽と月の両方に対しても、すべてのありとあらゆる衆生に等しく普及しています。ただ自分自身が望まないだけではありませんか？
さらに言えば、自ら進んで日月の光輝が遍く照らす恩恵を受けようともしない。つまり、各自のエネルギー体が天地宇宙のエネルギーから十分に獲得し恩恵を受けることができるかどうかについても、人類の衆生は日月の遍照を受けるか否かを選択できるからである。このような衆生はあまりにも少なく、すべての衆生は皆、群れをなして共に生きる動物なのである。
都市と田舎を区別せず、すべての者が日月の光輝を等しく受け入れ、それぞれの身体に顕現させることができる。もし自らが日月の光輝を受けることを選ばなくとも、すべての日月が定める法則を通らねばならない。また、汝が日月の光輝を選ばないからといって、それを私的に独占することは許されず、全体としての公正と平等が保たれるのである。
日月は普く照らし、徳沢の功を用う
また、この天地が覆い載せる恒常の理は、まさに日月が普く照らす徳沢であり、自らの身体のエネルギーから得られる恩恵に由来する。この万物の霊たる蒼生に対して、もし日月の光輝が普く照らす恩恵を受けられなければ、すべての計算式を完全に統計することは難しく、時空の歳月が移り変わることも理解できないのである。
このような万物の霊長にとって不可欠な条件は、あらゆる生き物の生存環境において98%以上が日月の光に恵まれているからです。檻の中や地の底、深海に生きるものを除き、日月の光を浴びない生き物は、万物の霊長という観点から言えば、あまりにも少ない！あまりにも少ないのです！
しかしながら、人間を含む衆生は、この世に生を受けてから命終えるまでの間、太陽や月の普遍的な光の恩恵を受けずに過ごすことは稀であり、ほとんどありません。また、この太陽と月の遍く照らす光は、ほとんどの万物の霊や生きとし生けるものにとって利益をもたらし、収穫を得ることができます。すべての有情の衆生、原霊の仏子たちは、天の大いなる徳の恵みによって守られ、覆われることができるのです。
日月が遍く照らすことにより、人々は確かな利益と獲得を得ることができる。また、太陽が輝き活動するときには、必ず月が休息し静まる時がある。このすべては万物の霊長がより遠く、より長く歩んでいけるように与えられている。しかしながら、上天の根本的な恵みはまさにこのようなものであるが、いったいどれほどの者が上天の大いなる恵みを思いやることができようか。
普く地冥星系の機能と効果を照らす
いかにして一切の万物蒼生を顧みるべきか、上天の恩沢と基本的な作用に対しては、このように成長し恩恵を受けるのである。もし上天の恩沢と基本的な機能効用を思いやることができなければ、どうなるであろうか？必ずや日月の遍く照らすことに対して、過不足の問題が生じ、煩わしさと怨みの心を抱くことになる。かくして、そこから派生してくるのである！
天地のすべての恵みに対して、いかなる国や宗教、宗派、またあらゆる生きとし生けるものに対しても区別なく、一様にこのような守護と慈しみが与えられる。この公正で平等な光が互いに照らし合い、守り合うのである。その中にあって、すべての生き方の方向性は、あらゆる生きとし生けるものの行いと深く関わり合っている。
もし過ぎたり足りなかったりすれば、どちらも「中道」とは言えません。しかし、大いなる天地の中心において、すべての天候の変化や月の満ち欠けには、天地が統御する計算の法則があることを必ず理解しなければなりません。それは誰かの縁によって私的に左右されるものではありません。また、すべての生きとし生けるものに対して、互いに補い合ってどのように利益を得られるかについても、過ぎても足りなくても中道ではなく、利益や獲得にもなりません。
このように理解すれば、天地が覆い載せ、日月の光明が遍く照らすことは、大宇宙の天地の中のすべての生きとし生けるものの生存の方向性に対して、大部分の者が恩恵を受け尽くすことができ、ただ少数の人々だけが恩恵を受けるのではないことが分かります。また、日と月が遍く照らす光は、大地の万物に対して初めて「生き生きと繁栄する」生存の方向性をもたらすのです。
日月は普く照らして、応に化すべき所を照らす。
一切の万物蒼生は、日々の太陽の光に照らされることで初めて生長の契機を得る。全ての国々の蒼生の生存の方向性は、それぞれの生活空間において生活の必須性を果たすことから来ている。「山河が主であり、人が客である」という前提の下では、すべての山河大地、あらゆる「二酸化炭素」が人類に利益をもたらすことを理解しなければならない。
樹木の吸収作用によってこそ、人類の呼吸を支え、互いに補い合うことができます。もし南極や北極の氷山雪原に生存していたならば、「生い茂り栄える」ような光り輝く恵みは得られず、このような機能と恩恵もほとんどなかったでしょう。つまり、普遍的に存在するすべての機能と恩恵を明確に理解する必要があるのです。
何をもって私せず、何をもって受けず、すべて公正・平等に利益と収穫を得る。このように、日や月が普く照らす光輝に対して、正しい思惟と観念をもって、自らを完成させることができるであろうか。もし台湾の四季の区別がはっきりしていることを例にとれば、春、夏、秋、冬、皆さんはどの季節が一番お好きですか。
必ずや春と秋の二季に対しては比較的喜びを感じ、夏と冬の二季に対しては比較的喜ばしくないこともあるでしょう。また、春夏秋冬の時節において、様々な時空の節目ごとに、異なる太陽と月光が公平に照らす性質があります。大いなる天地の間にあるすべての万物の霊と蒼生に対して、同じ太陽の光が等しく降り注いでいるのです。
人類の衆生が有するすべての良き善は、利益を受ける
もし日輪の光明が照らす必然性が欠けるならば、必ずや暗き月輪を引き受け、『日輪太陽の光明』の照らすところを見ることが難くなるであろう。また大宇宙の天地において、日と月の光明が遍く照らすことを引き受けるにあたり、決して何ものにも偏ることなく、決して何ものにも左右されることなく、すべて公正平等をもって眷顧するのである！
大宇宙の天地において、すべての生きとし生けるもの、あらゆる他の種を含む万霊の衆生は、皆この日月の光輝を共に浴びている。すなわち、宇宙天界の日辰（太陽）の光芒に照らされ、また宇宙天界の月辰（太陰）の暗き光をも受けることによって、はじめて陰陽が互いに対峙するのである。
また、月辰（太陰）星系においては、地冥星の自転と公転の方式を受け継ぎ、太陽の光芒が太陰の反対側に伝わり、太陰星の球体に反射されることで、太陽の光芒を受けることができ、さらに太陽星系の反対側に反射して、光芒が普遍的にすべてを照らすようになります。
この知識観念を、人道科学の視点から見れば、ここ三十年ほどで初めてこのような正確な思考観念が生まれたのであり、もし過去の人類世界であれば、そもそもこのような思考体系の向上はあり得なかった。太陽が月の裏側を照らして静止しているという事実は、実は別の角度から見た違いに過ぎないのである。
日月が普く照らす主なる因縁の体
また、日辰と月辰の統計・計算式の違いが生じる。地冥星の観点から見れば、一方の面は日辰の光を受け、もう一方の面は日辰の光を受けず、暗い陰影を形成する。日辰の光を受けることができず、月辰は日辰の反射光を受けるという、異なる面を持つことになる。
それが地冥星の天空に反射してくるとき、地冥星のもう一方の面に対しても、また月の満ち欠けや明暗によって、静止と休息の主要な因縁の根本を定めることができる。これもまた天地の奥深い妙なる主要な機能の体であり、また汝らがこのような過不足に対しては、いずれも中道の思惟構築の思想体系には当たらないのである。
さらに深い次元での理解を得ることはできるだろうか。天地の運行と循環の奥義はいかなるものか。万物の霊長たる人間の根器の「利と鈍」の違いについて、もし根器が鋭い者であれば、この瞬間にすでに悟ることができるであろう。「天地創造の中道的思惟体系」とはいかなるものか。人道世界における生存の依存関係はいかなるものか。
日月が普く照らす人類の観念
これは天地と日月の循環を体得できるもので、万物の生きとし生けるものにとっては、永住できないこの天地の中で、この殊勝な理諦に乗じて超越することができるかどうか、それは天地の自転と公転に由来し、さらに日と辰のすべての自転と公転の法則に従うものである。もし古代の思想や観念に照らせば、まさに正反対である！
太陽星系はまた、地冥星が月辰（太陰）星系を追いかけるように運行しています。これはここ三十年ほどの間に初めて明らかになったことで、太陽（日辰）は動かず、すべての宇宙星系は太陽（日辰）の軌道に沿って公転の法則を循環し、すべての自転と公転を行っているのです。
また日月や星辰が従う公理と軌道に基づき、万物の生あるものを守り恵みを与えることについて、日輪の光が宇宙全体の星系を照らすことができるか、もし日輪の光の照射が欠けたらどうなるか、という問いに対しては、もちろん可能です！ただ、日輪（太陽）の光の照射から離れることの必要性について考える必要があるのです。
銀河系の各恒星系
すなわち銀河系を離れ、生存星系の別の方面へと拡大していくことを指す。それは現在の地冥星ではなく、異なる因縁と使命を持つ別の惑星であることを理解しなければならない。地冥星と同じ星系には、なお26個の星が存在する。しかし、もしそれらすべてが太陽の光を離れたら、どうなるだろうか？
それはまた別の天体の運行作用であり、これにはいわゆる地冥星もなければ、あなた方の生存空間も存在せず、さらにあなた方の生存の方向性について、現代の思考体系を通じて、日月や星辰の光が照らす主な因縁の本質は何か、人道世界における生存の方向性はどのようなものかを問うことができる。
生存の志向には、より大きな因縁が本来存在するのでしょうか？未来には宇宙生存の奥義が明らかになるでしょう。必ず「大道シリーズ天書」の中で完成され、あなた方はこの殊勝な天機の進化機能から恩恵を受け、各自が利益と収穫を得ることになるでしょう。一歩一歩、確かな足跡を残しながら実践していくことになるのです。
天地が覆い載せる恩恵に
日月星辰も共に集い来る
光芒は照射し反射する　　これに対して大道を運転す
有情なる万物の衆生は
天地と共に参画して生命を育む
その中の大いなる奥義を悟りて
回帰して自らを超越し成る
この偈は、有情の衆生である原霊仏子たちが互いに励まし合うとともに、日月や星辰の光が照らすところから、宇宙天地が互いに連なり繋がっていることを悟り、あなたがたがここから奥義に入り、理解し分析できるようにとの願いを込めています。これにより、あなたがたは真にこの一世において、回帰・超越・円満・乗越という高みへと至ることができるでしょう。皆様、ご苦労さまでした。すべてが吉祥でありますように。崇心宗脈にしばらくお邪魔いたしました。ではまたお会いしましょう！
無極理法仙姑
無極天界には人稀なり　　理法降り来たりて崇心の因と為す
仙姑は今日、賢生と会い
共に大道を弘める親しき縁を語り合う
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は八仙翁の一人、張果老仙翁が降臨され、「大道德澤」第七回を著作されました。日月が普く照らす恩恵を、前半部において分析し、あなた方の思惟体系に対し、人道世界の不足と欠如がどこにあるかを真に理解させてくださいます。
必ず未来において、一つ一つ明らかになっていくことであり、あなた方にとって真にこの一世で成就と超越に至ることも、また全体の皆が共に成就に至ることである。上蒼の徳沢が、あなた方にとって真に利益となり収穫となることを願う。ただ名義だけを掲げ、崇心の学生と称するだけではないことを。
未来に皆が成就し回帰を果たした時、自分だけがなおも人道世界を繰り返し輪廻し、あるいは三悪道の世界にいるなどということは、まったくもって取るに足りません！明日は土曜日、また本宗脈の学生による祭改の法会がございます。今回の法会において、仙仏はあなた方の今明両年にわたる冤親債主と祖先にご加護をお授けくださいます。
成就できるものについては、仙仏は決して惜しみません。皆さんが多くの討伐の動きを減らせるよう必ず手助けします。しかし、もし自ら償いを果たすか成就する必要がある場合には、仙仏も全力で皆さんを守り助け、すべての報いと恩恵が互いに成就するよう導きます。皆さん、お疲れ様でした。また明日お会いしましょう。
2014年8月6日 18時45分 ◎＃※   ０Ｋ＃
八仙翁の一人　曹国舅仙翁
第十一回　師長の教育
第廿三回　 昊天成全
2007年10月19日　丁亥年九月九日（金）
第七回　 日月普照
天地開闢に正気あり　　国泰民安理に疑いなし
第十二回　開堂闡教
第廿四回　 南天主理
2007年10月26日　丁亥年九月十六日（金）
第八回　 日普月照
日は普く照らし、月は輝きを放つ
すなわち、上蒼星系が地冥星に徳沢を施す働きがあり、日辰の光芒を通じて地冥星を照らすことができる。このうち、もし日月辰星から離れてしまえば、いわゆる日が普く照らし月が照らすということはなく、地冥星をもって陰陽普照が相互に対応するというのである。これは古来よりの機能と効果である。
人倫世界に生きるすべての存在が地冥星から見るならば、大寰世界の人種を陰陽・乾坤と呼ぶが、もし地冥星を離れたらどうなるだろうか。人倫世界において、すべての生存の方向性が必然性を持つ中で理解すべきは、人倫の生存が太陽と月の光明の遍く照らしに依存しているということである。
また、人道世界においては、「生存活動」と「静止休息」があり、これによって大いなる人道世界におけるすべての生存の方向性が必然性を持つに至る。したがって、日と月が互いに人道世界を照らし合うことは、必要不可欠な依存機能であり、これを生活の大道と称するのである。
すなわち、太陽の光が広く照らすことから離れることはできません。このように、すべての万物や生きとし生けるものにとって、生存の方向性において、ほとんどが食物連鎖の供給から離れることはできません。この食物連鎖自体から見れば、必ずや太陽が大地を照らすことが必要であり、それによって初めて生存のよりどころとなる恵みが、あらゆる生きとし生けるものに及ぶのです。
生活の大道は、今この時に成就する
必ずや日輪の光輝が普く照らすことを経てこそ、初めて生々不息の理が後代の子孫へと伝わり継がれる。さらに人種や万物の蒼生を区別することなく、必ずや生々不息の継承が必要である。そうしてこそ、人道世界に対して食物連鎖の必須性を提供できる。もし日輪の照らすことがなければ、どうして生態平衡への相互創造と進化を生み出せようか。
これもまた、あらゆる万物の衆生と人間の世界において、すべての生存の方向性は必ず相互に結びつきを持つものであり、絶えることなく伝わり続けるさまざまな万物衆生の生存への依存関係において、食物連鎖の需要を提供することができる。これは必ずや太陽の光による光合成作用が必要であり、それによって初めて生命の継承の必然性が引き起こされるのである。
もし日が照り輝かなければ、どうして一日の始まりと終わりが分かるだろうか。このような因縁は生存に寄り添い、互いに円満と成全を成し遂げるものであり、必ずやあなた方の日常生活と同じく、相互に従うべき主要な因縁の根本があってこそ、正しい道と言える。有情世界、人道世界において生活と呼ぶものは、日が地冥星からあまりにも遠く離れてしまったときのことを指すのである。
また光明と温もりの光のエネルギー作用を提供することができず、あらゆる霊魂と生きとし生けるものを潤すことができません。この光明と温もりは大地のすべての生存の方向性を照らし、大道の道程を照らし出すことができ、また地冥星のすべての様々な様相を観察することができます。そしてこのような条件は「色相」によって、あらゆる霊魂と生きとし生けるものの生存と生活に対応しているのです。
日々の光は万物の蒼生に寄り添う
相互に照見する必要性がある。また、このように万霊蒼生が目で観察できる必要性を通して、色相がどのようなものであるかを理解する。さらに、この万霊の色相が知識や経験の蓄積を通して認識されることにより、一切の万霊蒼生の名項（相）を知り、次回の認知経験や知識の応用に役立てるのである。
それゆえに智慧の向上と呼ばれ、このようにして太陽が光と温もりを提供し、人間界の昼間のあらゆる活動に対して、また万物の生きとし生けるものに活動する力を与える必要性を理解することができます。生活に必要なすべての衣食を満たし、さらに食物連鎖は太陽の光合成によるものです。
有情世界の人種及び万霊の蒼生に対して、多くの光輝を普く照らし、人道生活における光合成作用として示現することができる。また、このような必要性は、なぜ人道世界には日々の光輝が普く照らされる必要があるのか？それによってこそ、日々の計算公式の条綱を通じて、年輪の記録を統計することができるのである。
すなわち、次々と、回を重ね、年々、月月、日々、刻々と異なる記録をもって、これは文明をもって人道世界に加え、あらゆる生存の方向性の後に初めて文明による記載が可能となり、また日々の光輝の後の一切の行為動作に対し、大地には休息の時を与えるのである。
月の光が普く照らすごとき徳の恵み
また、なぜ毎日の昼間にあるのかと言えば、万物の霊長たる生きとし生けるものは皆、行動する体を必要とし、特に人間世界の有情衆生はなおさらそうである。もし行動に依拠するものがなければ、通貨の因縁が具わる累積も欠けることになる。これにより、日中の光が照らす行動の力が、夜の休息と静寂に備えるものであることが理解できよう。
人界と万物の生きとし生けるものにとって、行為や動作はすべて何かに依存している。古くから「人は財のために死に、鳥は食のために亡ぶ」という格言がある。これは古来より人間が財のために命を懸け、また食物連鎖の必然性から、通貨が現在のように蓄積されるようになったことを示している。しかし、通貨（金銭）そのものは因縁によっては食べることができないものである。
通貨をもって食物連鎖の交換を手に入れなければならず、この必要性こそが自らの腹を満たすことができる。さもなければ、通貨があっても食物がなければ、あなた方の生存志向は何の役に立つだろうか？それゆえに、太陽の光輝は大地を照らして光合成を促し、さらに月の光輝もまた大地の衆生を遍く照らしているのである。
日月は毎日、光り輝きを普く照らす。
陽と晴れ、陰と欠けの作用がある。このような月の運行と普照の中で、いつ明るくなるのか？いつ陰になるのか？すべて日と同じで、雨が降るときや台風の日には、この日は雲を貫いて大地を照らすことができない。日と月の運行に光輝がないか、あるいは普照しないか？そうではない！
陽と晴れ、陰と欠けの働きによって、太陽と月の光が覆い隠されて見えなくなることがあります。地冥星からこの大地の恩恵を見ると、すべてが地域的に見えないだけなのです。実際に太陽と月の二つの天体から見れば、まさに絶え間なくその光を大地に降り注いでいるのです。
これは次のように言えるでしょう：地上の星に生まれるすべての生きとし生けるもの、またあらゆる国や宗教、宗派に対しても、一体として公正・平等に光を注ぎ、慈しみを注がれているのです。あなた方はよく、太陽や月、星が見えないとき、地上の星の気候や厚い雲層が光を通さないのだと考えがちです。
また、地冥星の自転と公転から派生して、太陽と月という二つの星が絶え間なく照らしていることについても、昼と夜の区別はなく、ただあなた方が住む地域によって太陽の時か月の時かを区別しているだけです。このような天の自然な進化は、まさに有情世界があなた方に対して、太陽と月という二つの星の異なる方向においてなしていることなのです。
日と月が照らす基本的な機能と効果
大道の自然な進化とは何かを理解することができるでしょうか？人間の生存における進化と発展とは何でしょうか？太陽と月の二つの天体について理解すれば、それは絶え間なくあなた方の生存の方向により多くの光明と恩恵を注ぎ、あなた方のすべての生存の方向における必要な成長を守り、見守っているということです。
このようにして、あなた方に対して時を選ばず、また有情の衆生は、この日と月という二つの星辰が大道の自然な進化に依拠していることを理解するでしょう。それはまさにあなた方の生存の方向性に対して、時を選ばず、また昼と夜、日と月を区別することなく、常により豊かな成長の糧と源へと向かわせるものです。
もしあなた方が日と月の両方の光芒が普く照らす時を経由して、この方面からより上乗の思惟構築に到達することができるならば、またあなた方はもはや一般的な思想観念ではなくなったと言えるでしょう。すなわち、あなた方にとっては、すでに上乗の思想構築に入り、さらに人道世界において向上し超越していると言えます。
ならば、絶えず自分には回帰も超越も永久に機会がないと思い込むことはありません。そのような考え方の構築は、より大きな成長と達成をもたらすことができます。なぜ太陽と月の二つの星辰が、絶え間なくあなた方地上の生存により大きく、より豊かな資源と糧を提供しているのかを理解する必要があります。それはまさにあなた方の上昇、超越、回帰のためなのです。
大道は自然にすべてを演化させる
既に更に真実の如く、大地の徳沢を積み重ね、また日と月の光輝が普く照らすところとなり、あらゆる万霊蒼生が人道世界に在っては、皆、日と月、そして昼と夜に制限されるため、その中の奥義が如何なるものであるかを順調に明らかにすることはできず、このような日月両辰が絶え間なく人道世界に対して、向上を促し超越させることは如何にして為されるのであろうか？
さらに、あなた方に対して、より大きな収益と回収を得ることができるようになることさえあります。これは夢物語ではなく、まさにあなた方が理解できることです。なぜ有情衆生には昼と夜があるのか？なぜ乾坤両儀によって制限されるのか？なぜ男女によって曲解されるのか？本来ならば上昇し、超越することができる天の機会と良縁なのです。
これらすべては、地冥星における一切の相互対立に制限され障壁を受けたものであり、また汝らの生存の志向と汝らの思想・観念によって打破されるものである。汝らに何故このような制限と障壁があるのか、それは何か？この大いなる道の徳の恵みの基本構造は、上蒼の徳の恵みの基礎によって示現されるものである。
日月二つの星は殊勝の光輝を放つ
汝らは何故、日輪の普く照らすことと月輪の普く照らすことを受けるのか？これには必ず昼と夜があり、昼は行動であり、夜は休息静寂である。それならば汝らは、陽の晴れと陰の欠けの基本構造と条綱が何であるかを体得できるか？必ずこのような条件を通して、上蒼の大いなる徳沢と日月の大いなる徳沢を体得することができるのである。
人類の衆生が大地の恩恵を受けるとは、一体どういうことでしょうか。人道世界は宇宙、虚空、無極、昊天世界から地冥星へと降ろされたものです。あなた方はもう一度よく考えてみてください。母の胎内から生まれた後、あなた方は地冥星の自転と公転の影響を受け、上蒼の大道がどのように展開しているかを知ることができないのではないでしょうか。
また、人道世界におけるすべての進化と創造はどのようなものか？皆、人道世界において順境を享受するあまり、自らが本来持つ上昇し、基本条件を超越できる可能性を埋没させ、すでに忘れ去ってしまったのです！また、そこから人道世界を理解することもできず、はたして、食べ、飲み、排泄し、雑事に追われ、眠る以外の天際はどのようなものなのか？
すべての衆生が求めるものは何か？それによってこそ、大道の自然な進化と人類の進化創造の歴史を真に理解することができる。もし各元会に蓄積された智慧を、人道世界の思考構築に注ぎ込むならば、あなた方はより大きな完成と利益を得ることができるだろう。
人類の進化と創造はどのように行われたのか
まさに汝らが「日辰と月辰」の遍く照らす光の作用を理解し、さらに有情の衆生に光明を提供し、すべての「形色」を照らし見せることを指して言うのである。生存の大道の恵みは、ただ汝らの生存の方向性に快適さと安定を求めるだけのものである。もしこれだけならば、人類は食べ、飲み、排泄し、雑事をし、眠る以外に何があるだろうか。
すべての種々の生存については、あえて気にかける必要もなく、次の世で再び何度も何度もあなた方に輪廻し、また左右の制限を繰り返し巡ってくるが、あなた方はそれを望むだろうか？皆、望まない！このようなあなた方の生存は、飲食や排泄、雑事や睡眠のほかに、日や月、星辰の光輝が普く照らし、真実にあなた方の生活の起居の中で提供されているのである。
これらは皆、快適で安定した生存空間において相互に補い合っている。もし太陽の光輝がなければ、暗黒の大地が形成され、あらゆる霊的存在は太陽光合成を行うことができず、万物の生長に必要な繁栄をもたらすこともできない。あなた方は永遠に、この銀河系の太陽星辰のように、すでに遥か遠く離れた惑星と似た状態となる。
また、いかなる日や月の光も遍く照らすことはなく、毎日統計される公式がどのようなものか理解することも難しい。このような大地への恩恵は、地冥星にのみ基本的な構造と因縁があり、まさに上蒼が大地の万物衆生に与える恩恵であり、光明が遍く照らし寄り添う条件となり、また上昇して超越するための成長を形成するのである。
日輪の光明は普く照らし
月輪の静寂はまた創造す
時を問わず静まることなく　　その中にある奥義を体得せよ
人道に生きるこの関門には　　安らぎと安定の環がある
なぜ人間は限界を抱えるのか　　順境と逆境を理解してこそ自らを省みる
この偈は！有情の衆霊子らが互いに励まし合い、汝らが日輪と月輪が絶え間なく冥界の星々を照らし、時に休むことなく、一刻も静止することなく、永遠に休むことを知らないことを理解できるかどうか、その中の奥義を体得できるかどうかを問うものである。汝らはすでに神祇の思惟に昇華し、もはや人間衆生の考え方ではない！皆様がご相伴くださり、崇心宗脈のしばしの時を煩わせましたことを感謝します。皆様のご多幸をお祈りします。またお会いしましょう！
南天正倫天尊
南天の因縁は真に殊勝なり　　正倫降り来たりて大家成る
天尊は諸賢生と共に会し、大いなる道の徳沢は真の性を実らせる。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は八仙翁の一人、曹国舅仙翁が降臨され、「大道德澤」第八回「日と月の普照」の次回に向けて、完全なる分析と開示を著作されました。それはあなた方がなぜ地冥星の制限と障害を受けるのか、またその原因はどこにあるのかについてであります。
ここに一つの問題がある。あなた方はなぜ人道世界が相互に対立するのか理解できるだろうか？また、もう一方の殊勝な因縁が何であるかを知ることができないのはなぜか？有情の衆生は皆、より快適で平安で安定した生活空間を求めるばかりで、逆境の中にこそ、まさに増上縁によって向上し超越できることを知らないのである。
もし有情世界において、人類の衆生が常に順境を追い求め、逆境がもたらす向上の縁を思いやることができないならば、あなた方の功績や成果がどれほどであろうとも、それはただ次の輪廻へと繰り返される相に過ぎず、なんと悲しいことでしょう。さらに、あなた方は悟ることができるだろうか、上天の徳と恵みが凡俗の世界に降り注ぐ様を。真の向上と超越を逆の視点から観ることができるだろうか。皆様、お疲れさまでした。すべてに吉祥あれ。またお会いしましょう。
2014年8月7日12時55分◎＃※   ０Ｋ＃
八仙の一人　何仙姑
第十三回 父生母養
第廿五回　 崇心串連施行
2007年10月30日　丁亥年九月二十日（火）
第八回　 日普月照
何の花が夏に咲くのか　　仙道は私なく大道の基
娘は仙道を修め得ん　　皇王国土天徳期
第十四回　孝行で恩に報いる
第廿六回　 承命施行
2007年11月2日　丁亥年九月二十三日（金）
第九回　 皇王國土
天地が覆い載せるご恩恵
観ることができる：日月が大地を普く照らすように、必ずや皇王の国土の行いに対して、大いなる天地のあらゆる国々と万霊の衆生、そして宗教や宗派などに対しても、すべて平等に、公正に護り慈しみ顧みられる。これによって、大地の国土と国々が互いに慈しみ護り合うことができることが理解できる。
人界を経由して依り所とする条件によって、あらゆる国土の領土を区別し、すべての民衆を顧み守護することができる。これは今も昔も変わることなく、互いに補い合い守り合い顧み合うことである。このような縁によって国土の領土に入れば、安らかに住み生きることができるのである。
互いに守り合い、慈しみ合うことができます。すべての民衆にとって、これは生活に必要な安らぎをもたらすものです。この相互の成就を区別するにあたり、広大な大地において、それぞれの地域には異なる主導者がおり、各々の国土を守り、慈しんでいます。
自国の国土と領土を他国からの侮辱や凌辱に遭わせないことは、あらゆる国土と国家に対して庇護と守護の役割を果たすものであり、古来より一貫して国家全体に寄り添い守り続けてきた。このような国土と領土の必要性は、また異なる地域における衣・食・住・行の区別をもたらすのである。
皇王はこれをもって大地と謂う
形成には一つの後ろ盾となる支えの力がある。そうでなければ、それぞれの国の衆生が、その国において責任、義務、権利を行使しない時、どうして国が安定することができようか。国家の指導者や主事者に対して言えば、古代の君主、帝制、皇帝と酋長…など、多くの名称で指導者と呼ばれるものがある。
指導者に対しては、すべての国々の収支バランスを集約し、豊かさと不足の有無を観察します。それにより、それぞれの国の主事者自身の福徳と行いによって、異なる形態の国々を区別することができます。また、国全体の教化の因縁において、このような国々が互いに守り合い、配慮し合うことも見て取れます。
したがって、すべての人民を指して言えば、同じ生命共同体にあり、国家が安定した税収を得て初めて実現できるのは、豊かで健康な安らかな生活である。つまり、一つの国家においては、あらゆる行動規範がなければ、各国の収支を均衡させることができず、赤字が生じて容易には回復できないのである。
豊かで安寧な国にとって、税収の均衡や豊かさは、国家全体、社会、そして家庭の安楽と平穏に関わる重要な要素である。国土が十分な衣食に恵まれるというこの縁起の条件は、相互保護の基本条件として国家の基盤を形作るものである。
国土とは人民の生存に不可欠な基盤である
また、国家の指導者に対しては、これを皇王と呼び、現代の名称では総理、大統領、あるいは帝制に基づく称号で、指導的立場にある者がこれに当たります。つまり、国家の領土には、必ず土地が必要であり、万物の生きとし生けるものが生存するには、「水と土」の二つに依拠しなければならないのです。
すべての生存の方向性は水と土から離れることはできず、もし土地の確立がなければ、領土の完全性を保つことは難しい。したがって、領土の中では、人類も万物の生きとし生けるものも水と土から離れることはできず、もし水と土がなければ、安定した生活空間を得ることはできず、水による生存が必須となる。
あらゆる農作物の生長が依存する灌漑が可能であり、また水を主要な生存条件の指向とする。このような水の存在は、すべての有情衆生・万霊が主体となる因縁を必要とするものである。もし人界の視点から見れば、人間の身体には土の堅実性が備わっており、それはすなわち骨格の包摂である。
水の流れがなければ、自ら生き延びることはできず、また人体の70％は水が主導しているが、もし土の20％の堅固さがなければ、生きることは難しい。このようにして、どの国においても必須なのは、水と土によって形成されるものであることがわかる：山や川の景色、すなわち「風景が美しい」と言われるものだ。
国土には完全性がなければならない
このように、もし山川や河海がなければ、どうして万物の蒼生に対して、光合成によって生み出されるものがあるだろうか。これは通じることができる。現代の機能的な方向性は、また「水と土」によって万霊蒼生の生存空間を守り、また一切の有情の蒼生に対して、なぜこのような必要性があるのかを理解させることができる。
従って、国家の領土が備えるべき条件は、いかなる地域においても、水と土の両者は水と火、風よりも必須である。その備えは、あらゆる国の中で人間の衆生が生存の方向性と依り所を持つことを可能にし、もしこの中に水と土の存在がなければ、どうしてより広大な生存空間を開拓することができようか？
このように国家の領土は、生活の依り所として必要不可欠であり、国家の領土保全に対する行動を理解し、あらゆる水と大地の保護と保持に努めること。山川や河海が存在するということは、極めて重要な必然性があり、また人類が生存するあらゆる活動において、他の民族から侮りや辱めを受けないためでもあります。
これは一国の指導者が必ず持たなければならない基本的認識であり、国家全体の一体性をもって相互に保護し合う作用を持つ。もし自国が他国から侮辱や屈辱を受けたならば、必ず相互に行動を起こし、守り導く機能と効果は、教育全体が認識する方向から来るものであり、これを「中道」と称するのである。
国家の領土はまさに人民の居住空間である
ここから理解できるのは、国家領土そのものの完全性が、いじめや侮辱といった挑戦に直面した際、平和的な作用と相容れない場合、必ず相互の闘争によって解決されるということであり、これは古今東西変わらぬ道理である。また、このような国家間の完全性についても同様である。
すべての国々の民衆に対し、守護と慈しみを施すことができます。また、有情世界においては、いかなる国や宗教、宗派の区別なく、すべて平等に守護と慈しみを与えます。このような守護と慈しみによって、人々は平穏無事に暮らし、豊かに衣食に恵まれ、さらに気候も順調で五穀が実り、国は安泰で民は平和に暮らすことができるのです。
一方、万民の蒼生と国家の指導者・主事者が求めるものは何か！もし安住して楽しく働くことができなければ、どうして安定した生存のよりどころが得られようか。必ずや集団で反抗することになる。これは安定と快適な生存の方向性があるかどうかによって決まるのであり、生活空間に安定と平穏があれば、相互に共通の一心を成す作用が生まれるのである。
古代の帝王の帝政時代から現代の民主主義時代に至るまで、国家の国土に対する配慮は、どの国においても同じであると言える。この千古にわたって相互に開拓されてきた領土は、主導的な指導者を経て、国家の全領土の完全性を相互に安定させることができるのである。
皇王の水土及び国家の土地の恩恵
風調雨順や国泰民安が実現できるかどうかは、まず指導者自身の福徳と、国家全体の教育・教化という大きな因縁が必要です。もし一国の衆生が人倫道徳に依る所がなければ、民心の安定と生活の安定は決して得られず、本来あるべき相互循環も成り立ちません。
また、安定した国家の生存志向もなく、これは多くの福縁が至るところで区別され、一つの国の安定の有無を区別するためであるのか？また、戦乱、横禍、殺戮などに遭遇するかどうか；もし人為的要因によって引き起こされたものであれば、必ずや安定した快適な生活空間を得ることはできない。
さらに、天災や人災も避けられず、国が安泰で民が安心し、気候が順調で五穀が実るという状況がなければ、民衆が暮らしていけなくなり、容易に転覆される事態を招きかねません。これは、一国の指導者およびその国のすべての民衆の福徳の深さ・浅さに関連しており、気候が順調で五穀が実り、国が安泰で民が安心できるかどうかが決まるのです。
必ずや異なる教化の因縁によって、すなわち国家の倫理と道徳が未来のあらゆる人倫道徳に依拠するか否かが問われる。そしてこれを生存の方向性とし、国家の安泰と民衆の平安、風雨の順調さを指し、安寧な生活空間が得られるかどうかが第一の要務となる。あらゆる万民の生きとし生けるものが、人災や天災による恐怖と災禍から免れること、これこそが取捨選択の要諦である。
国は衆生の生活の中にあり
護り導くことは必ずや成就する
権利と責任に義務を加え　　共に豊かで強く盛んな国を実現する
国が泰（やす）らかで民が安（やす）らかであることが第一
風雨（ふうう）順調（じゅんちょう）であることはなおさら必要
安らぎに満ちて暮らしを営む　　すべての民に徳の恵み躍動す
この偈は、有情の衆生が互いに励まし合い、一つの国家や国土、帝王、水土への加護と守護があるかどうかは、国家を統治する指導者の徳性の如何に関係し、生活の安定を支える根本的な縁によって加護と守護が選択されるのである。そうでなければ、必ずや民衆の蜂起による打倒に遭うことになる。
このような行為と動作は、古より今に至るまで、あらゆる世界の各地域において共通してきた過程であり、必ずや良き因縁と条件を備え、国が泰平で民が安らか、天候が順調で五穀が実る生存空間を提供することが、最も基本的な生存条件となります。皆様にはご苦労をおかけし、お付き合いいただき感謝申し上げます。崇心宗脈にしばらくお邪魔いたしました。皆様、またお会いしましょう！
南天伝道天尊
南天に大道の書を開創し
道を伝え惑いを解きて衆生を安んず
天尊は諸の有情と共に会し、大道の徳沢は真に特殊なり。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は八仙翁の一人、何仙姑が降臨され、「大道德澤」第九回を著作されました。一人の帝王と、水と土からなる国家、土地について前半の分析をなされ、すべての万霊蒼生が理解できるよう、あなた方の生活する土地とはいったい何なのかを明らかにされています。
これは何の理由もなく互いに守り合い、成就し合えるものではなく、あらゆる万物衆生の生活空間が、快適で安定し、国が泰平で民が安らか、風雨が順調で、恐怖から免れ、生活が安楽であるかどうかによって判断されるべきです。これはすべての万物衆生が追求する目標であり、あなた方もこのような生活の方向性を持つことができるでしょうか。
明日もまた土曜日となり、参拝に訪れる方々にとっては素晴らしいご縁を導く好機であります。本宗脈のすべての学生は、自らが崇心に入ったこの特別なご縁が如何なるものかを認識することができるでしょうか。先日、主席はすでに各自の福徳と財利を皆様に授けられました。どうか一同、共に自らのために努力を重ねましょう！
また、崇高なる心のため、大道のため、未来の子孫の福祉のために、尽きることのない福徳を創造し、教育と教化という殊勝な縁に対し、真の向上と超越がなければならない、それが正しい道なのです！そうでなければ、ただ福分があっても智慧がなく、ましてやどうやって長遠に尽きることなく続けられるかを教えられなければならないでしょうか？考えてみればすぐにわかる、上蒼の徳と恵みとは何か？仙仏の教化の苦心とは何か？皆様、ご苦労様でした。すべてが吉祥でありますように。またお会いしましょう！
2014年8月7日14時07分◎＃※   ０Ｋ＃
八仙翁の一人　藍采和仙翁
第十五回　仙仏の眷顧
第廿七回　 大道德澤
2007年11月6日　丁亥年九月二十七日（火）
第九回　 皇王國土
八仙の一人藍采和　　仙翁降りて大道の冊を著す
第十六回　貴人の引き立て
第廿八回　  德澤大道
2007年11月9日　丁亥年九月三十日（金）
第十回　 國家水土
国は水土を保護し、衆生を育む
相互に保護する行動があってこそ、はじめて指導統治の働きが生まれます。それぞれの地域や国家の国土には、必ず様々な異なる関連する領土を保護する行動があり、所属する国家の民衆に対して相互に守り助け合うことができます。まさに国家安泰で民衆が平安に暮らし、天候が順調に恵まれるという条件が、相互に補い合って実現されるのです。
国家の領土の完全性がなければ、一つの国家として、全体の国家制度と法律を完成させることはできません。これは、各国の領土と制度、法律が相互にすべての生存の方向性を管理する必要性であり、つまり、皇帝、国家、領土に対して実質的なものを持つことになります。
相互に依存し合い、管轄作用の施行において制約し合うことが存在する。すなわち、上天と人道世界が連なり合い、それぞれの国家の領土管理制度に対して、相互に必要な庇護と守りを持つことができる。これに必要な条件とは、集団の生存が主体の縁に依拠することであり、また「家」が形成された後には、必ずや大きな集団全体の集合が必要となるのである。
国家の完全な姿を成すには、まず家庭が整い、その後に国家が形成される必要があります。こうして初めて一つの国としての形が整うのです。この国家は異なる地域からなり、その地域に暮らすすべての民衆は、国家によるあらゆる保護を受けることができます。このような保護の働きが、民衆の生存の方向性を形作っていくのです。
国家には責任が生じる
方便普及の快適さに安住できるかどうかこそが、相互に完全な保護行動と守護の力を生むのである。もし近隣諸国から強い者が弱い者をいじめるような行動に遭えば、この国は抵抗する力を失い、さらには他国に併呑されてしまうことになる。これはまさに、万物の霊長たる人類が最も見たくない光景である。
いかなる国の制度が強盛であるか否かにかかわらず、国家の富強に関わるかどうか？これは統治制度の相互性にかかわるものであり、生存の方向性としての如実の動きと言える。それゆえに、国家のすべての国民が富強で安寧な契機の中に生きられるかどうかは、また過去の国家と現代の国家の違いにも関わっている。
かつての帝政時代において、各王朝を統治する主権者は、国王・帝王・君王・皇帝など様々な呼称で呼ばれました。このような統治者は、自国の民衆を保護し、他国からの侵略や併合を防ぐ役割を担っていました。そのためには、国を豊かに強くし、民衆の安楽を保障する制度を整えることが必要不可欠だったのです。
国家内のすべての生あるものは、互いに守り合い、助け合うという最も基本的な保護の働きが必要である。もし安らかで、静かで、衣食足りた生活が保障されなければ、度重なる不安定の後に、必ずや国中のすべての生あるものによって、この国の王朝は覆され、埋もれ、消え去ることになるだろう。
国家生活の安定性
この条件は往昔にあり、すべての国々の変遷や消滅が次々と現れ、歴史に記された不良な暴政によって覆されたことから、王朝の交代はすなわち生活の志向によって言い表せることを理解できる。安楽と平穏、快適さと利便性の普及を追求し、豊かさと安寧を得られるかどうかが、まさに第一の要務である。
必ずや外からの侮りを受けずに済み、生活におけるあらゆる快適さと安寧な生存の志向に安らかに適応することができる。これは、多くの万物の衆生が追い求める目標であり、到達点である。それゆえに、国家が富強であるか貧弱であるかに関わらず、出会う境遇に従って安らかに住まい、生存と安住のあらゆる志向を形作ることができる。それは生存の安適さから来るものである。
多くの生きとし生けるものは、風土や民情に順応して生きる道を選ぶことができます。豊かさや貧しさに関わらず、統治制度がこうした豊かな国を生み出すことによって、すべての生き物が安らかに暮らせるかどうか、また生きる道を真実に歩めるかが決まります。もし平穏な生活が得られなければ、腹を満たすという最低限の必要性にも影響が及ぶでしょう。
また、このような種の考え方がある：人は財産のために死に、鳥は食のために亡びる。すべての万物の生きとし生けるものは皆、このようにして自らの腹を満たす以外に、なおも生活の中で必要とされる多くのもの、すなわち衣・食・住・行・育・楽を追求する。このような快適で安定した生存への志向は、富強と豊かさに対して必然性を持っている。
水土はすなわち良き居住空間なり
人間はあらゆる創造の因縁において、必要性がなければ創造する必要はなく、この必要性こそがすべての創造の成果であり、生活習慣の必然性なのです。あなた方の現在の台湾におけるあらゆる生存の方向性と日常生活は、すでにこのような習慣性の中に溶け込んでいます。もし他の地域に移り住んで生きることになったら、どうなるのでしょうか。
必ずや水土の相互適応作用があり、これもまた他の地域への移動や変更によって、水土不服の問題が生じる原因となります。あなた方にとっての習慣的な問題として、もしあなた方が現代において海外旅行をするのは比較的普通のことですが、各国の水土が互いに馴染むかどうかは必ずしもそうとは限りません！
もし現在の地球を地球村と考えるなら、過去のすべての生活様式に対する不適応は、比較的軽減されるでしょう。このように、電信や映像を通じて理解される、各地域や各国の風土や人情の違い、さらに環境への適応の問題は、すでに克服できるようになっています。
したがって、風土に馴染めない者に対しては、現代では航空機の高速移動を利用し、その力を借りて有情の衆生を異国へ旅行に送り出すことで、風土不服の問題を最小限に抑え、あるいはすでにこのような風土における悩みを解消することができます。
国は水と土のすべてが成就する性質を有す
また、すでに地面に着いていないため、水土不服の問題はすべて克服することができます。あなた方はどう思いますか？このような、昔は必ず船舶の航行を借り、また必ず足で波と大地を踏まなければならなかった問題は、水土の違いによる障害を克服することができるのです。このようにして地球村の融合が実現するのです。
朝に台湾を出発し、昼には目的地に到着できる。このような高速移動手段は、あなた方の快適さ、利便性、普及性に貢献するものであり、これこそが上蒼の恩恵の一つである。異なる国々が互いに融合して一つの地球村となり、また地球という星の中で生きる方向性を探り、いかにしてより大きな融合へと歩みを進めるか。
あなた方はインターネットを利用することができ、また生存に必要な情報を互いに伝達し、さらにテレビや通信技術を通じて伝播されるものを見ることができます。まさに「天涯も比隣の如し」と言え、これはあなた方の身をもって実証されています。これはあなた方が人を探して尋ねる必要もなく、すぐに理解できることであり、異なる国の生き方の違いを明らかにしています。
これもまた、汝らの国と風土との融合であり、かつては享受できなかった一切を、今この時に満たすことができる。故に、汝らが生きる今この時代は、過去のあらゆる生存の在り方を凌駕し、科学技術文明が汝らの現在に示現し、未来の子孫を利益する所以である。
水土国家の組み合わせ
さらに、あなた方の現在の生活様式や日常の営みは、より快適で便利になり、より広く普及していくでしょう。しかし、霊性の面での成長において、真の向上と超越が果たせるかどうかは、未だ知る由もありません！　上蒼の定められた政策が施行される中で、これらすべての霊的存在と蒼生に対して、より大きな超越をもたらすことが必要とされているのです。
心の浄化によって向上することが、実のところあなた方の未来の子孫にとって真の幸福をもたらすのである。しかし、未来においてあなた方が大宇宙の中に存在し続けられるか、あるいはすでに他の世界に沈んでしまっているかはわからない。それゆえ、今この瞬間のあなた方自身の浄化作用こそが、真の変革と実践をもたらすのである。
相互に全ての国々の万霊蒼生に対して、向上して大いなる超越を成し遂げることができ、また未来の子孫が汝らと同じように存在するとき、永遠に地冥星や他の星に留まるか、あるいは更なる超越を果たして無極・虚空・大宇宙天界へ回帰できるかは、汝らが永遠に滅びることなく存在し得るか否かに深く関わっている。
あるいは永遠に宇宙の星系の中に存在する、これを超越した殊勝な因縁という。あなた方は深く仙仏の先生方の苦労を心に刻むことができるだろう。それは「大道シリーズの天書」を著作し下ろすことによって、次なる世であなた方が上昇し、超越するために必要なことを、あなた方が自らを高める境地に到達できるようにするためである。
自らの内面、霊性、肉体の不滅を必要とする。この肉体が不滅となり得るか否かは、汝らの未来の科学技術が人類の肉体の存在を維持できるか、あるいは霊性の昇華を実現できるかにかかっている。それによって初めて、汝らが未来世界へと入る際、「地を移して他を化す」のか、それとも「化を移して他地へ至る」のかの区別が生じるのである。
肉体不滅の法則　　霊性は無限に成長す
心性は智慧を増し加え　　福祉は未来の後代の依り所となる
人の世は長からず　　仮の宿りは永く修め難し
天の大いなる徳と恵みを悟りて　　回帰し上昇して円満成就す
この偈は、有情の衆生たる仏子たちが互いに励まし合い、国家と国土の完全なる保護という観点を深く考察するものである。汝らが今生きるこの地冥星は、すでに地球村となっている。いかにしてこの機会を自らの努力によって捉え、自らの霊性を永遠に滅びることなく保つか、これこそが真の道である。
その時、あなた方は死ぬことなく妖怪に変わるのか？そうではない！これはあなた方が今、自らの陰徳と福徳を積み重ね、すでに道を証し超越した者であることを指すのである！善き回帰と超越を得るためには、しっかりと努力しなければならない。皆様にはお付き合いいただき、崇心宗脈をしばらくお騒がせしました。ではまたお会いしましょう！
南天仙道天尊
南天の因縁は誠に殊勝なり　　仙道は災いを化して衆生に及ぼす
天尊今日来たりて台に登り　　共に有情の諸生と会す
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は八仙翁のうち、藍采和仙翁が降臨され、「大道德澤」第十回を著作されました。一国とその水土の因縁について分析をなさいました。有情の衆生は、上蒼の徳澤とは何か、仙仏の徳澤とは何か、衆生の徳澤とは何かを理解することができるでしょうか。
このような相互に連なり合い、真に向上し超越するものは、単に人間界における生存志向のみを指すのではありません。理解すべきは、人間界が天地と、上蒼と、宇宙・虚空・無極と相互に連なり合い、生存の依り所となる条件であることです。真に体得することが必要です。
明日は土曜日で、「聖帕台風」が接近していますが、すべての引渡しは通常通り行います。すべての学生は十分に注意してください。自身の移動に支障がある場合は、参加するかどうか各自で判断してください。十分に注意すれば何事もなく順調に、学習成長と引渡しを達成し、自らに良い成長と学びをもたらすことができます。将来は無限の利益を受けることでしょう。ご苦労様です。皆さん、またお会いしましょう！
2014年8月7日17時00分◎＃※   ０Ｋ＃
八仙翁の一人　韓湘子仙翁
第十七回　同輩互いに助け合う
第廿九回　 建構施行
2007年11月16日　丁亥年十月七日（金）
第十回　 國家水土
韓德の道理は弘化を為し
湘條の妙諦は昇華に至る
子は徳沢を十一回に著す　　師長の教育は佳話を伝える
第十八回　親友共助
第三十回　 推廣福澤
2007年11月20日　丁亥年十月十一日（火）
第十一回　 師長教育
師長は伝承し、教育を弘化する者なり。
すなわち、人間界に生きる年長者を基礎とし、また師匠は道を伝え、学業を授け、疑問を解くという機能と役割を持つ。これは教育と教化が伝承するものであり、人間界が凡塵において必ず年長者と師匠を教化伝承のよりどころとしなければならないことを理解できる。いかなる人であれ、皆このようである。
経験の蓄積に到達し、智慧として応用されるようになる。これはまさに教化や教育における学習成果であり、子孫や学生の学習を通じて、すべての教育機能が働き、将来社会に出たときに、真に生存志向に対応できる行動を取ることができるようになる。
真に自らの生存に有益であり、道徳倫理の要求に合致し、生存志向という関門を飛び越えることのないものである。教育を後代の学生や子孫に伝承するには、必ず経験の蓄積による成熟が必要であり、後代の子孫や後進の学生に対して、学習と成長の必然性を如実に示さなければならない。
人間世界において、十六歳以前はまさに学習と成長の契機であり、生まれてから十六歳までの期間に、未来の生存の方向性が依存するすべての要素が含まれています。これには人倫道徳のすべての構築条件のよりどころが含まれており、倫理教育の有効性から外れることはありません。したがって、教育と教化の機能と役割が必ず必要となります。
師長の教化によってこそ、向上して成長することができる。
初めて将来の成長に役立ち、真に自らが学習を通じて成長し、未来の成就へと進むための蓄積を自らに与えることができる。有情世界は十六歳という段階に限定されるものではなく、実のところ、あらゆる時空環境において学びと成長は続いており、これは永遠に学び尽くせない世界であり、完璧な全才など一人も存在しない。
すべての人間の衆生は、一部分だけを学び成長することしかできず、あらゆる生存の方向性を自らの思想の中に全面的に取り込むことは極めて難しい。また、すべての衆生が知識を学び成長するにも限界があり、あらゆる生存の方向性における一つひとつの行動を、一人の人間がすべて包含することはできません。
必要とされるのは、人間世界が一つの集団が集まる生存空間であることを理解することです。各人が自らが学んだ知識を捧げ、生存のための職業に就き、それぞれの職業において努力を重ねることで、相応の通貨報酬を得て、自らの家族に衣食住の安定と安らぎを与えることです。これは生存のための必須の方向性なのです。
このような生存志向の中において、師匠や先生の教育・教化の成果を通じて、自らが利益を得ること、すなわち自らが学んだすべての知識、技能、経験の蓄積を継承し、それを必要とする者たちへと伝えていく教育の継承こそが、一人ひとりの人間衆生が人道世界に入り、生存の方向性を定めていくためのものなのです。
師長の教育機能の効果
各々の行為や動作に基づいて、それが各々の学びや認識となる業種へと転換していく。これは各人が現在または未来において生存の方向性を持つために必要なことであり、またこのような学びや認識、経験の蓄積には一定の時間を要するため、やがて習熟して巧みになるものである。
大宇宙の天地において、学問のある者、知識のある者を問わず、経験の蓄積の中で学び、知ることは、一つの得意技が熟練によって巧みになることです。このように「習熟すれば巧みになる」ということは、軽々と熟練し、さらには一目瞭然となり、その過程に何の欠陥や誤りも生じないことを意味します。
すなわち、業界のあらゆる困難と問題に精通することができる。これは先人が後人に教え導いた経験の継承であり、また各人が熟知する中で、未来の教化過程に対応するものである。学習者に教化・教育を通じて継承され、すべての学習経験を達成させる。これこそが人界に下って、生存の方向性を示すことなのである。
また、師長たる者は、まさに授業と解惑を伝える者であり、師から師へと伝授される大きな因縁であり、また、熟練が生み出す巧みさへの累積と継承の必要性に対して、これは人道世界であれ他の世界であれ、同様にこのように継承されると言える。学習と教育の課程を通じて、自らが未来に利益を受け、遭遇する事柄が再び起こるようにするのである。
授業における専心と精進
これによって容易に対応できるようになります。これは学習と成長を通じて得た豊富な経験を持つ者が、無明で無知な者に対する教育課程を提供し、学習者が将来にわたって無限に活用できるようにするものです。また、教えを授ける師匠は経験豊富である必要があり、それぞれの専門知識領域にも精通していなければなりません。
後世の子孫と多くの学び手に伝承し教化することができる。学び伝承する過程には相互の因縁による教化があり、未来においても達成可能である。教育体系を通じて認定されるか否かを区別せず、これを導師と呼ぶのである！師が疑問を解き明かすことを「師から師へと伝授する」と言うが、まさに区別なく認定される条件ではないだろうか？
また、すべての経験と知識を伝承して次世代に伝えること、つまり口頭での伝達、身体動作、または静態的な授業などの行為を通じて、すべて授業と疑問解決の智慧と思想観念の成長をもたらします。このような智慧は上から下へ、あるいは下から上へ、またはその中間と日常的な「私的な伝授」を通じて行われるものであり、これをそう呼びます。
これは、すべての師長の授業から疑問を解き明かすことを学び、また人が生まれて初めて学習と成長を通じて豊かな経験を積み、これを成長経験の過程と呼ぶ。人道世界は様々な異なる学習経験を通じて伝承され、古から今に至るまで、誰であれ例外なく、学ぶことによって初めて経験を得るのである。
教化と教育による学びと成長
古人は、比較的多くの知識を学ぶ必要がなく、智慧の応用において、現代人はどうであろうか。一人の生存の質を向上させたいならば、自ら多くの課程を学び、これらの学習経験を継承し、自らの第八識の中に取り込まなければならない。
来る者に告げる：自らの経験の蓄積と収穫である。人道世界とは、自らが学びと成長を通じて収穫を得、それによって自らに利益をもたらすことができる場であり、これは変わらぬ真理である。あらゆる人間の衆生は、今日たっぷり眠ったからといって、過去に存在しなかった経験の蓄積が一夜にして形成されることはありえない。
絶対に不可能なことです。このような一足飛びに獲得できる天地の資源と糧食の源は、人道世界こそが一歩一歩、足跡一つ一つを確実に刻み、その一つ一つが着実であることを理解しなければなりません。これを真実の世界と呼ぶのです。もし人道世界が偽りであると言うなら、あなた方の今この身体は何と言うのでしょうか？これはまさに真実に生きる世界であり、真実性と呼ぶのです。
また、教育や教化によって伝承され、各人が学習した基本的な知識を通じて、生存の方向性が与えられ、これは人間としての生活に必要なものであるとも言えます。この大いなる天地の中にあって、あらゆる命あるものは、生存を通じてこそ、より高みへと向上し、安らかで快適な生活を手に入れることができるのです。
師長の教化思想に影響を受けた
この現代において、人類の学びがもたらす知識の蓄積は、古代の時代よりもはるかに豊かであります。教えは師匠や同僚、兄弟姉妹を通じて伝承され、様々な異なる生活習慣の中で、学びと成長がなされ、自らを豊かにし、人間として生きるために必要なものを充実させているのです。
これは昔と今の時代の違いであり、人間が生きていくうえで頼りになる条件は、自分がどれだけ学んだかによって得られる利益の大きさが決まるので、いざという時に「学び足りなかった」と後悔しないためである。多くは「師から師へと伝えられる」学習経験の積み重ねを通じて、日常生活に応用されている。
生存志向とは、人間の生存という関門を通り抜け、自らが各人の生存への依存の中に至ることで、安らかな生活空間が得られる。これこそが生存の質を向上させるものであり、堕落させるものではない。したがって、「師から師へ、私から私へと伝授される」ような縁を経ずとも、学びと成長を遂げることができるのである。
これは人道世界における生存の質を向上させる作用であり、人為的要因を通じて要否を決定することができ、どうすれば自らが到達できるかを考える。各人の自身の条件に対しては、経験が知識の蓄積を継承した後、必ず現れるものであり、私が今、どのようにしてさらに向上し、超越していくべきかという問題である。
人類の衆生が持つすべての良き善きものは受け継がれてゆく
すなわち、自らの子孫や後進の弟子たちへと伝えていくのです！まさに「一代から一代へ、一世から一世へ」と継承され、学びの必要性が決して消えることなく、師から師へと伝授されるのです。このようにして、「師から師への伝授」と「個人から個人への伝授」の二つを理解できるでしょうか？まさに、それぞれが自らの手で教育と文化を継承していくことなのです。
一歩一歩と積み重ねて一つの事柄に対し、初歩的な概論を得るに過ぎない。さらに自らの現場経験を加え、生活の中のあらゆる事柄を身をもって体得し、それを学び成長させ応用し利益を得るという。汝ら人道世界において、自らの師より密かに授かる利益に至ることができるか否かは、自らがどれほど心を込めるかにかかっているのである。
どれだけ学んだか？どれだけ成長したか？それに応じてどれだけの収穫があったか？これはあなた方が心を込めて実感できる経験の過程であり、実際、良き善き因縁が積み重なり向上し超越していくのだ。今ここにあるすべての著作もまた同じであり、さらにこの中にある秘訣と微妙な角度がどこにあるのかを体得することができるだろう？はっはっ！
師長の教育の伝承　　人道世界の真実の本性
異なる因縁が促し合い　　学び成長し経験を証す
師から師へと伝えられるのは高等の教えであり、個人から個人へと伝えられるのは奥義の秘宝である。
各自が努力と心を尽くせば
未来の利益と徳の恵みは深まる
この偈は、有情の衆生であり原霊仏子である者同士が互いに励まし合うものであり、また全ての万霊蒼生に対し、人道世界を真に理解することができれば、各人が努力する中で必ずや収穫と報いを得ることができる、という千真万確なる学びの成長と獲得を示すものです。皆様のご相伴とご著作の労に感謝し、またの機会をお待ちしております。
南天斉揚天尊
南天の因縁降り来たりて成ず　　斉しく大道を揚げて本真成ず
天尊は諸賢生と共に会し、丁亥の普渡に再び収穫を得る。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は八仙翁の一人、韓湘子仙翁が降臨され、「大道德澤」第十一回を著作されました。師長の教育と伝承という殊勝な因縁を、天書の中に下ろされておられます。崇心宗脈の学生たちが、今ここで仙仏が説かれる言葉を体得できるかどうか、はかりかねます。
それは一つの知識と経験の蓄積によって受け継がれてきたものであり、その中にある微妙なポイントを理解できるかどうか？そして自分が利益を得られるかどうかを見分けることができるか？このような殊勝な因縁と条件は、しっかりと努力しなければならず、そうして初めて大きな利益を得ることができ、すべての世の中の行いに対して自分自身が獲得するものとなるのです。今日はここまでとし、皆さん、またお会いしましょう！
2014年、0807、1808◎＃※   ０Ｋ＃
八仙翁の一人　李鉄拐仙翁
第十九回　社稷を守る
第卅一回　 德澤效用
2007年11月23日　丁亥年十月十四日（金）
第十一回　 師長教育
八仙降り来たりて天書を著す　　李鉄拐仙翁開きて著す
大道徳沢十二回　　開堂闡教更に特殊なり
第二十回 上蒼の徳沢
第卅二回　 宗教德澤
2007年11月30日　丁亥年十月二十一日（金）
第十二回　 開堂闡教
師長の教育と教化によって受ける利益
生存志向を持つことができる。この過程では多くの人為的要因を経験し、多くの技術と技量を学ぶことができる。人道世界における生存志向においては、必ず行動を起こす必要があり、生計を潤すことを基準点として、通貨の因縁を十分に得ることができる。それだけでなく、家族全員の生存に必要なものを潤すこともできる。
また、家族全員、大人も子供も温かく満たされ、飢えに苦しむことがないのも、一つの学習の成果であり、技能の現れである。これは生存を志向する上で、必ず備えるべき生活技能であり、あらゆる命あるものが人間世界で生き延びるために必要なものである。必然的に、生活を潤すことがその基盤となる。
そして害を受けないことが、まさに正道なのです。ゆえに宗教は名相であり、いかなる宗教や宗派も区別せず、すべてがそうである。また、開堂して教えを説くことによって、後世の子孫や学び手を教化し、より大きな収穫と成長を得ることができる。このように宗教の宗派は、後世の子孫に伝承され、学び成長すべきものなのです。
人界の長老と先賢を経て、初めて後代の子孫を教化することができる。宗教の流派にとっては、後進の学生がいてこそ長く衰えることがない。もし弘化をより広範にし、大いなる天地の全てにおいて弘揚と渡化を行えば、良好な成果を上げ、人類衆生を高めて利益を得ることができる。
開堂闡教の意義
開堂した後も依然として参拝者がわずかであるならば、仙仏が降臨された貴重な機会と苦労が無駄になってしまいます。では、どのようにして教えを広め、より大きな成長と普及を実現し、自分が信仰する宗教を真に向上させることができるでしょうか。また、人々が生活に追われるこの世界において、いかにして潤いをもたらす必要性を深く理解していくべきでしょうか。
すなわち、潤いのある生活を観察するに、精神的な支柱が必要であり、この種の支柱は宗教によって提供されることがあります。そのすべての構造と支えは、もし人道主義的な生存志向に基づくならば、必ず「民は食を天と為す」という前提に立つことになります。また、すべての民衆は食物を基準点とするため、十分な衣食が得られた後に初めて安らぎと快適さを得ることができるのです。
必ずや声色の娯楽を追い求めようとするのは、それを日常生活に取り込もうとすることであり、ただ声色の娯楽の刺激を追い求めるだけでは、真の宗教信仰者にはなり得ず、また声色の娯楽への追求に引き込まれることも難しく、結局は自ら五濁悪世に沈んでしまうことになる。
もし各人の本性の好みから見れば、なぜ多くの衆生が宗教的な慰めを精神的な支えとし、心の空虚さや安らぎの欠如を補おうとするのでしょうか。それは、音や色の娯楽が人の心を陶冶することはできても、善良な安らぎの感覚に欠けているからです。
開堂闡教の功徳と役割
このような宗教は、娯楽や享楽以外の安らぎ、すなわち精神的な拠り所を提供することができます。この精神的支柱は、人生の低迷期に生じる不安感を軽減し、また人間の生存が無常の過程であることから、あらゆる時空間において、真の安らぎと精神的支えを得られない場合に役立つのです。
人界においては、目標を持って作用と機能の効果を発揮することもできず、このような人界の因縁に対して、生存の方向性を提供し、安らかな精神を位置づける機能と効果を持つことができる。では、いかにして自らが、精神的な拠り所となる慰めの中で、心を安定させる支えとなることができるだろうか？
つまり、宗教をよりどころとするということは、宗教の教化をよりどころとすることであり、それはまさに人心を安定させ心の慰めを得ることを通じて、信仰を追求する原動力を生み出すものです。では、いかにして自分が宗教に入った後、信仰をよりどころとすることができるのでしょうか。それは精神的慰めによる安らぎが、助けと支えとなることができるからです。
理解できるのは、人間界においてすべてが思い通りにならない時、あるいは挫折や逆境に直面した時、またすべてが順調でなく、各人の心の安らぎを得るのが難しい時、信仰の拠り所があれば、必ず全力で打ち込むものである。宗教信仰という精神的支柱により、信仰が依存するものを高めることができる。
開堂闡教の縁起と役割
信仰そのものに対しては、まさに人類の精神的慰安の支柱として安らぎを与えるものであり、宗教間には必ず仙人・仏陀、聖神、菩薩などが存在し、宗教のすべての行政と教化の縁を主導し、さらに人道世界において、社会の中で信頼と精神的拠り所を得ることができない人々を助成することができます。
各人が宗教に入った後、なぜ多くの人が困難や挫折、逆境、不順に遭遇した時に、必ず宗教に入って仙仏や聖神、菩薩を求め、すべての不如意な出来事を指摘し、訴え、どうやってこのような困難を解消できるのかを考えるのでしょうか？
また、宗教の機能と効果は、古来より、すべての万物の霊が宗教に入った後、必ず信頼の支柱と信仰のよりどころを持つことです。これが現代の宗教がなぜこれほどまでに発展している主な理由なのでしょうか？それはまた、人類の衆生が無常の変動の過程に深くあり、いつ災いや死が訪れるかわからないからです。
まさに完全に理解することはできませんが、宗教を通じて――仙人・仏陀、聖なる神々、菩薩など――部分的に示され理解することができ、すべての兆候を予知することができます。また、なぜ宗教に入ることが、社会の中では具えることのできなかった障害を解脱する因縁の根本を解消できるのか、これもまた信仰者にとって、宗教に入った後こそが教化の因縁となるのです。
開堂闡教の目的
各宗教はどのように教化と救済を行うのか？それは個々の宗教信者が真に体得し明確に理解できることであり、またこのような宗教の機能と効果とは、吉凶の未来に兆しが先立ち、仙仏はさらに吉凶を分析し、凶を吉に変えて各人の欲望を追求する中で、必ず追い求めるべき目標が存在するということである。
信仰宗教そのものに対して、真の教化と向上があり、信仰の支持者たちが支えとなるならば、機能的な効果が生まれ、向上をもたらします。これは現代の宗教が持つ教化機能の実質的な効果であり、あらゆる霊的存在と衆生を包括して、どの宗教の教義の機能を信仰するかによって、すべての者が恩恵を受けることができるのです。
これは、個人が担う使命と聖なる務めとが深く関わっていることに対応するものであり、それぞれの段階の違いによって、境地や果位も異なり、教化の機能もまた異なっている。それゆえ、各宗教自体が依拠する対象も異なり、それぞれが目指す目標も異なってくる。しかしながら！宗教が人を善へと導く本質は、いずれも同じなのである。
このように人を善に導く本質は、衆生の異なる習性に対し、同じ善の道の思想を具足することができる。この善の道の思想は、自分を推し量って他者に及ぼすこともでき、天下を広く善くすることもでき、さらに自他ともに利益をもたらすこともできる。このような宗教の本質は、善の道の思考によって構築され、あたかも真実の性質を高め、完成させるかのようである。
開堂して人類と衆生を教化する
すべての生きとし生けるものは、普段の生活の中で、しばしば己の心を曇らせて求めがちです。それゆえに宗教は、己の心を曇らせて求める時の避難所を提供することができ、また次に同じ過ちを繰り返さないよう教え導き修正することもできます。さらに、すべての生きとし生けるものにとって言えば、まさに宗教に入ることによって、少しずつ緩やかに修行し改変することができるのです。
各人の罪悪と災難に対する避難所として、宗教の本質は教育と教化にあり、それは二度と過ちを犯さぬという殊勝な因縁である。このように宗教にとっては、許せぬ人はおらず、解決できないこともない。人間のことは必ず人間自身が解決し、取り除き、そして許しと寛恕をもって対処しなければならない。
したがって、宗教教育と教化はまさにこのような博愛と慈悲であり、一般の衆生が宗教に入った後には、必ず真の信仰のよりどころと信頼の支柱を持つことになります。これはすべての宗教の創始者、すなわち五教の聖人たち、そしてすべての宗教の先人たちの苦労と積み重ねによるものです。
これは、異なる各宗教に対して、真に全ての生きとし生けるものを互いに関わり合う縁のあるものとして、互いに助け合い教化することができるということであり、このような全ての生きとし生けるものに対する視点から見れば、まさにどの宗教宗派も信仰することができ、またどの宗教・宗派にも入り、信仰の追随者となることができるのであり、それは各人が選択するところによる。
開堂闡教の教化目的
このような万物の霊長に対する近接的な利便性と教化の縁は、善道を信じる者に帰することができます。いわゆる一般的な善道の信仰者に対して、真に心の超脱を求める信仰者は既に別の次元に昇華しており、一般的な善道の信仰者から心の超脱の境地へと入っていくのです。
その契機と因縁を理解すれば、すべてはまだ定まっていないことが分かる。互いに成長し合う中で、人道世界の別の次元について理解する必要がある。それは向上できるのか、それとも単に別の次元を追い求めるだけなのか？各人の行動が、より大きな成長をもたらし得るかどうかを見極めなければならない。
必要に応じて理解すべきは、なぜすべての宗教が善道をもって称されるのか？しかし精神の次元を高める点においては稀である。なぜなら、清らかな流れを持つ宗教体系の中には、まさに様々な異なる次元の仙仏の先生方がおられ、堂に駐在してすべての前因後果を開示し、また行使すべき一切の機能効用と教化の因縁を示してくださるからである。
このような万物の霊長たる人類が宗教に入った後、真実の信仰のよりどころとすることができるかどうかは、異なる宗教が設立した教会と教派の教化課程の実施にかかっており、必ずや主事者の知恵と主神の加護が相互に作用し合い、広く人類衆生を導き入れることができるかどうかを見る必要がある。
開堂闡教の殊勝なる因縁
これは、すべての万物の霊が宗教に入った後、単に一般的な善行の考え方だけでなく、「自己の生死の大事」に対する真の深い悟りを得られるかどうかに関わることであり、また、各宗教にはそれぞれ異なる成就の優れた因縁があるからです。つまり、それぞれの宗教の信仰者が依り所とするものなのです。
没後、すべての帰する所はどのようであるべきか？この没後の帰する所は、各宗教の聖人たちの成道の過程から来るものであり、また殊勝な因縁を成就するものである。宗教の聖人を頂点とする伝播者を通じて、次々と第二代、第三代、第四代…へと広がっていくことができるのである！
現在から未来にかけて、このような万物の霊長に対する宗教の聖人たちがかつて悟りを開いた精神を求める一方で、なぜ宗教の聖人たちの悟りの精神は、傍らに付き従う者たちの成就には比較的容易であるのに、その後次第に困難や挫折に直面し、あるいは道に背く者が数多く現れるのでしょうか。
人類の衆生は智慧の根基が定まっていない
そもそも、原始宗教の聖人たちの修行方法に従って悟りを開く縁起条件を整えることさえできない。このような状況は、現代の修行者に対して言えば、その微妙な要点や秘訣を知ることができず、また昔の悟りを開いた人々の実体験も、すべて経典の伝承によるものであり、一部の精華を断章取義しているに過ぎないということになる。
したがって、非常に明確に理解することは難しいのです！宗教の聖人たちのすべての努力と奮闘精神は、いったいどこにあるのでしょうか？このような継承の効果が推奨に値しないものであるならば、いかにして正道を広く教化することができるでしょうか？初めて、かつての努力の精神を真に広めることができ、人々の心を教化する機能と効果、そして目的は、非常に優れたものとなるのです。
すなわち信仰による拠り所があり、それによって向上し超越していく。これらの宗教の聖人たちの努力に対しては、まさに学び成長する指標となり、また相互に成就する因縁と殊勝な契機でもある。このように宗教が道場を開き教えを説く機能と効果は、台湾に限らず、全世界のあらゆる宗教において同じである。
師長の教化の恩沢　　宗教の啓発教化は透徹す
五教の聖人が伝承を創り　　教化して学生が互いに得る
開堂闡教は真に殊勝なり　　その内奥を体悟して堂証す
媚角の極意はどこにありや　　各人自ら求めて成す
この偈を！有情の衆霊子たちが互いに励まし合いましょう！開堂闡教という殊勝な因縁を解き明かし、あなた方が一世で成就するか多世で成就するかは、あなた方自身がどれだけ努力して学ぶかによって明らかになります。皆様にご相伴いただき、崇心宗脈をお騒がせしたことをお詫び申し上げます。それではまたお会いしましょう！
南天普化天尊
南天世界に多くの人知るあり　　普化の因縁に少なき人馳す
天尊は諸大徳と共に会し、その徳の恵みは殊勝にして妙なる大智なり。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は八仙翁の一人、李鉄拐仙翁が降臨され、「大道德澤」第十二回を著作されました。一つの宗教が開堂闡教することを分析し、あなた方に理解していただけるよう、なぜ人道世界のあらゆる生存の方向性の中にあるのかを明らかにされます。
宗教の学びと成長に入ることができるのは、まさに昔の宗教の聖人が教えを開き闡明してから今日に至るまで、この機会の中で互いに成就し合うことができるからです。あなた方は、私たち師弟が、あなた方が仙仏を見ることができなくても、仙仏はあなた方のすべての行動をよく知っていることを、じっくりと感じ取ることができるでしょうか。
これはあなた方に理解できるかどうか、互いに素晴らしい縁を成就し合うとは何かを示しています。また、昨日の普渡法会はとても円満に終わり、皆さんお疲れさまでした！これは崇心宗脈が一つの求心力によって成し遂げたものであり、まずその効果の如何を問わず、崇心宗脈がこのような団結した努力ができることを理解できるでしょう。
広く普及し成果を上げることを得ることは、非常に広範であり、また実際の功績と機能的な効果があります。皆様のすべての努力に感謝いたします。明日はまた土曜日で、導き渡し、善縁に回帰し、崇心宗脈の新たな力となることができます。皆さん、しっかりと掴んでください。今日はここまで、お疲れ様でした。すべてが吉祥であります。さようなら！
2014年8月7日21時25分、◎＃※、０Ｋ＃
八仙翁の一人　呂純陽仙翁
第廿一回　玉帝の慈仁
第卅三回　 教化德澤
2007年12月4日　丁亥年十月二十五日（火曜日）
第十二回　 開堂闡教
大道を開き儒教を広める呂祖
純陽帝君が降臨なさった
南宮の孚佑は聖門を振るい　　父の生み母の養う大徳に報いる
第廿二回　母娘の懿徳
第卅四回　 教育傳承
2007年12月7日　丁亥年十月二十八日（金曜日）
第十三回 　父生母養
万物の霊長たる蒼生は皆、父に生まれ母に養われる
これは人道精神に基づいて行われるものであり、言えることは：全宇宙の天地において、湿生、化生、胎生、卵生といった様々な生誕過程がある中で、必ず胎生が父から生まれ母から養われるということが、古来より変わらぬ当然の根本的な因縁である。また人道世界の観点から見れば、あらゆる生養教育もこれに依るのである。
父系社会であれ母系社会であれ、その中には必ず父母の結合があり、それによって初めて子孫を継承し行動を支えることができます。この広大な天地において、それは倫理道徳のよりどころと呼ばれ、あらゆる生存の方向性にとって必要なものであり、また倫理と親情が集まって一つの家庭を形成するのです。
人道世界とあらゆる種族の世界において観察することができます：父が生み母が育てるという行為は、また反哺（恩返し）の主要な役割を果たしており、倫理的な親子の情愛に対しては、まさに家族全員の感情的依存を支えるものであり、またこのような条件を通じて、人道世界と種族世界における「倫理的な親子の情愛」を依り所とすることに至るのです。
まさに人道世界において「倫理的な親情」という道徳規範に対して、この「倫理道徳的親情」の観念に依拠するものであり、またそれは一つの家庭の生活の中で、父が生み母が育てるという情感によって結ばれていることから来ています。すべての人類衆生の「倫理道徳的親情」の働きはここにあります。
父は生み母は育てるという主な役割があります。
もし父の生み母の養いを主体の因縁とするならば、また父を乾とすれば、いかにして生まれるのか。これは父の精と母の血が結合し、胚胎となって妊娠するのであり、昔は乾道を重んじる社会であった。しかし、男は生むことができるか。否である。父を主要な精血の源としてこそ、はじめて伝承できるのである。
古代から現代に伝わるまで、父方の姓を主な継承のよりどころとしてきたが、現代社会では母方の姓を継承のよりどころとする役割も認められるようになった。また、父は生み、母は育てるものとして、母親は十月にわたる懐胎を経て、その後も子孫を守る行動を取り、父親よりも直接的な世話をし、さらに母親の輝かしい偉大さを感じさせてくれる。
古より今に至るまで言えることは、父親は生活の重荷に比較的重きを置き、また一家の生活の必要を担うものであり、そのため全ての教育、養育の責任は母親に帰属し、世話をし、教育、教化を行う。このうち一部のより重要な事柄は、父親が自ら伝承するのである。
すべては父に依拠し、また母には養育と教育という重責大任があり、この両者は互いに補い合っている。理解すべきは、親から生まれるという進化を通じて、子供は親の遺伝子の本質を受け継ぎ、人間としての生存の方向性から見れば、必然的に両親に似ており、あらゆる生活習慣が受け継がれていくということである。
父母のご苦労はまたいかばかりか
さらに、生活習慣による影響と、各人の前世の因果が今生に加わることにより、各人の個性と気質は、親から受け継がれた血統を遺伝することになる。各人の習性や癖は両親からの遺伝によるものである。しかし、各人の個性と気質については、両親からの遺伝的影響は受けていない。
このように、各人が前世や累世から受け継いできた異なる個性や気質については、一組の双子の子供を見ればよくわかる。親から受け継がれた生育環境や教育は、各人の将来の行く末を左右するものであり、子供の頃からその半分は見通せるのである。
また、このような子孫の養育と教育は、未来が幸せか災いか、その他の縁によってもたらされるものであり、必ず理解した上で、人道世界を評価し、未来の進路はどうあるべきかを判断しなければならない。人道世界は累世にわたり、同じ父母との相互因縁関係を通じて形成されてきたのである。
また、この一生において初めて後代の子孫となることができるのであり、もし少しも前世の因縁関係がなければ、必ずや父母に対する因縁として子孫となることは難しい。このような父母に対する一切の習性、慣性、生活起居は、異なる因縁によって形成されたものであり、これこそが父母に対する主要な因縁の根本なのである。
父母が生み育て、教育の基本を授ける労苦は
互いに助け合うことがあれば、どうして父母の養育の労苦に報いることができるでしょうか。必ずや、人道における生存と日常生活の全ての習性や習慣を明らかにしなければなりません。それはつまり、あなた方一人一人の前世や累世において互いに因縁のある者だけが、その家の門をくぐり子孫となることができるのです。必ずや父母の全ての福と禍を受け継ぎ、それによって自らを形成していくのです。
父母が残した福分は、必ずや子孫に受け継がれるものであり、もし禍いを負う時も、それは子孫に伝えられる。父母の田畑や財産を見ても、それは自らの子孫に受け継がれるものである。もし互いに関係する因縁がなければ、それを得ることは極めて難しい。
田産や財産を継承したいと思うならば、それは可能でしょうか？いいえ、そうではありません！それはむしろ、親がすべての教育や教えを通じて、養育と教育の過程で積み重ねてきた、非常に深い感情によるものです。この非常に深い感情は、お金では測れず、お金で買うこともできないのです。
必然的に、父母と家の中の大小すべての成員に対して、感情を繋ぎとめる主要な因縁の根本となります。これは、上蒼が大いなる天地の中で、なぜこのような殊勝な機能作用が必要なのかを、一つの家庭が創造した子孫によって継承させ、他者が創造した子孫には得難いものとしている所以です。
父母の恩は天よりも高く、地よりも厚し
また血縁関係が薄れ、この分野で受け継がれてきた要素が減少し、血脈の継承という主体機能が弱まることで、子孫に対する養育教育の必要性や、相互の関心、世話、守護という主要な機能体が減少します。さらに、人界においてなぜ自分自身の両親と相互の因縁があるのでしょうか？
しかし自分で選ぶことはできない。もし自分で選べるとしたら、より大きな特別な縁と使命がある場合に限り、自分で選ぶことができる。そうでなければ、大宇宙世界のすべての生きとし生けるものは、選ぶことのできない縁によって作り出されているのである。これは　上天のとても巧みなご配慮である！人類のすべての生存の継承である。
まさに子孫への伝承を通じて、目上の者に対する相互の義務と継承が生まれ、目上の者のすべての禍福は必ず自分自身に受け継がれることになるのです。このような父母の養育の苦労そのものを通じて、人道世界は父の精と母の血が結びついて初めて胚胎が形成されることを理解できるのです。
さらに、十月の懐胎を経る必要があり、この十月の間に、一人の万物の霊長たる衆生の習性、慣性、個性、天性がどのようなものであるかを観ることができる。また、このような前世の因縁によって、母親の胎内に入り、自らが妊娠するのである。両親から受け継いだすべての習性と慣性を残すだけでなく。
父母が生み育て教育する目的
また、出生前後から来るもので、元々既にある習慣ですが、個性や気質においては、父母の習慣性をそのまま受け継ぐことはできず、自分自身が累世から積み重ねてきたすべての生存習性が、各人の胎児の中に入り込みます。各人の個性と気質は、妊娠中にはっきりと見て取ることができるのです。
これは、まだこの世に生まれ出でぬ万の霊ある衆生が、未来にどのような因縁を成し、どのような行いをなし、どのような成就を得るかを知り得ること、すなわちその大半を知り得ることである。もしこれに、生まれた後の三年間、母の乳をむさぼるように吸って育つこと、つまり母と互いに血脈を通わせ結びつくことを加えれば、さらに理解が深まるのである。
この中で父親が果たす役割は、子供に対して必要な配慮と世話をすることであり、また両親が真夜中に子供を育て、食事を与え、飢えて泣き出さないようにすることである。もし子供が生まれつきの癖が悪く、さらに性格も良くない場合、非常に世話がしにくい多くの問題が生じることになる。
それだけでなく、湿気、寒さ、熱さ、暖かさといった様々な要因が重なり合う中で、良い子であれば比較的育てやすく、良くない子に対しては育てにくいものです。このような因縁条件は、子供が恩返しに来たのか借りを返しに来たのかに関わるもので、非常に明らかです。もし良い子であれば、必ずお互いに善良な因縁があるはずです。
父母が与えてくれたすべての配慮
もし良からぬ子であれば、生まれた後に問題が山積するだけでなく、変えようのない苦しみの因果による報いを受けることになります。これはいわゆる親自身の前世の因果によって定まることであり、古より「子を抱いて初めて親の恩を知る」「子を抱いて初めて親の情けを知る」と言われております。
これは子を産み育てていない人々に対する戒めである。各人は自らの両親が子を産み育てる苦労を思い、人倫世界における親子の情愛を大切にし、それを支えとする行動を取ることが極めて重要である。中でも三年に及ぶ授乳期間は苦労の連続であり、その後も長い教育の過程が続く。いかにして将来の大きな可能性を育んでいくかが、まさに必要不可欠な課題なのである。
すなわち、この中に長きにわたる教育と教化の機能作用が含まれており、未来の成就の有無を分かつ判断基準となる。自分に子孫ができて初めて、昔、父母が私を養い育てる一切の労苦がどれほどのものであったかを知るのである。このような身をもって感じる骨身に沁みる体験こそが、各人が自ら体得する機能と効用なのである。
このように、天のご配慮は実に巧妙で、あなた方に自らの子を養育する苦労（心労）を身をもって体験させてくださいました。これは身をもっての体験であり、また骨身にしみる効能でもあります。さらに人道世界から見れば、すべての生養教育に費やされる時間、空間、金銭、心血は、まことに一言では言い尽くせません！
父母の養育の恩恵に報いる
これは、個々の異なる生活習慣、各人の異なる気質や性格によって区別されるものであり、異なる生育環境や教育によって生じる相違点でもあります。また、このような両親の生み育てのあらゆる教育の心血、養育の心血、生活の心血、親情の心血、倫理の心血は、まさに細部に至るまで行き届いているからです。
また、ある者は、そのために費やされたすべての心血と金銭を計算することができず、無私で無為のままに捧げる、つまりこのような無私で無為の献身の中では、たとえ自分の子供がどんなに悪くても、親の目には「たとえできものだらけの子供でも、やはり自分の子が一番良い」という思いが生まれるのです。
この世の中に、間違いのない親はいないということは、紛れもない真実であり、必ず報いなければならない主なる恩恵である。しかし！各人が自らの子を育てる過程を身をもって体験し、親がどれほど心を砕き、心血を注いだかを考えてみよ。もし自らの親に対して、無私無欲で何の見返りも求めずに育て教育してくれたことを思い返すことができるならば。
生み育て教育する恩恵は最も大きい
人道世界におけるすべての生存の方向性について考えるとき、必然的に深く感じるのは、親の苦労や心遣いがいかなるものかということである。それは、子供たちに対する長い教育の過程において、いかに気が揉まれ、将来彼らが頭角を現し、あるいは胸を張って生きていけるかどうかという思いから来ているのである。
もし龍や鳳凰になることができなくても、地方に害を及ぼさず、ただ安らかに善人として生きることができれば、それだけで両親の養育の恩に報いることになります。しかし、このような両親に対する心情はどうでしょうか？その中で、将来の結婚相手を選ぶ際には、いかに良き母の教えを授けるかが重要な課題となります。
もし良縁に恵まれれば、親の心配も幾分か和らぐでしょう。しかし、子供たちが結婚した後、様々な問題が次々と起こると、親はまた苦労を強いられることになります。これもまた親としての心配や苦悩であり、一方で子供としての立場では、どのように感じるべきなのでしょうか。
父の精と母の血が結び合い
胎児は十月の間母胎に宿る
子が生まれて喜びを得るも
三年の授乳に苦労を重ねる
十年の教育に苦心を重ね　　未来の成長を社会が迎える
結婚した後も心配は尽きず　　良縁に恵まれるかどうか
この偈は、有情の衆生である原霊子たちが互いに励まし合うものである！父母のご苦労を一つ一つ分析してみよう。現代の人道世界に生きる子供たちは、果たして父母の苦労と努力の過程を理解できるだろうか？また、幸せの中にいながらその幸せに気づかない者たちよ、いかにして父母の「私心なく、無為にして」捧げる心を理解することができるだろうか？
このような真実の心血と苦労は、あなた方が結婚して自ら子を育てるようになって初めて、身をもって理解できるものです。その時こそ、両親がどれほどの苦労をして自分を育ててくれたかを、必ず実感できるでしょう。皆様には長らくお付き合いいただき、崇心宗脈にお邪魔いたしました。どうもありがとうございました。ではまたお会いしましょう！
西方文殊菩薩
西方極楽より降り来たりて　　題文を開きて父母の情を示す
菩薩は共に養育の恩を語り
父母の恩沢の因を体得す
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は八仙翁の一人、呂純陽仙翁（南宮孚佑帝君－聖門五聖恩主の一人）が降臨され、「大道德澤」第十三回を著作されました。前半部では、父母の養育の恩徳について詳しく分析されています。
有情世界の数多き衆生は、この父母のご苦労を理解できるだろうか。それは無私、無為、いかなる怨みや嘆きもなく捧げられるものであり、自ら子を育てて初めて父母の苦労を知るのである。己の父母の苦労を理解できなければ、どうして自分の子を慈しみ愛することができようか。
自分はどれだけのものを捧げてきただろうか？どれだけの愛情を注いできただろうか？汝の両親を振り返れば、まさにこのような捧げ方をしているのだ！一切の細やかな点や滴りは、自分自身で体験しなければならない。明日はまた土曜日、すべての導きも普段通りに行われる。如何に仙仏を体験するか、それは汝の両親と同じように汝ら全ての心血と苦労を慈しみ、世話してくれるのだ。
2014年8月8日8時35分◎＃※   ０Ｋ＃
九天司命 護宅真君
第二十三回　昊天成全
第卅五回 　潤生德澤
2007年12月14日　丁亥年十一月五日（金）
第十三回 　父生母養
九天司命の衆生霊　　護宅真君降り来臨す
大道徳沢十四回　　孝順報恩の福徳迎う
第二十四回 南天主理
第卅六回　 成全提昇
2007年12月18日　丁亥年十一月九日（火）
第十四回　 孝順報恩
父母が生み育ててくれた恩、孝行は当然尽くすべき
人道世界には、教育や教化が継承される場があり、父母の両親によって養育される労苦を通じて、天の高さや地の厚さに例えられるほどの恩情があります。これは必要な倫理と親情であり、子孫に受け継がれる基本的な役割です。まさに、父母への孝行を通じて、すべての養育の恩に報いることが求められているのです。
これは大いなる天地において、中華の炎黄の子孫であるか他の国々であるかを区別せず、すべてこのように示現されるのである。孝行によって伝承されることが必要であり、また父母の労苦を惜しまぬ養育の恩恵に対して、報恩を果たすに至る。これらは必ずや主要な因縁の根本を有するものであり、まさに良き伝承の一つであり、祖先への報恩なのである。
また、人道世界はまさに両親の養育の恩恵があるからこそ、その恩を少しずつでも報いたり、湧き出る泉のように恩返しをすることが、大いなる人道世界において倫理と親情のあるべき基本的な行動であり、人道世界の父母に対する孝行と恩返しの伝承を支える行動でもあるのです。
また、真に天から賜る福徳と寿命の両方が備わることを得ることができる。これは「孝」とは、目上の者が与える慈愛に満ちた教えに従うことであり、「順」とはその慈愛に満ちた教えを越えず、むしろ父母の意向に沿って行動し、背くことなく、必ず孝をもって親に順い、孝順に至ることである。これは中華の炎黄の子孫が受け継ぐ優れた伝統である。
孝行は待つことができず、必ず時を逃さずに行うべきです。
「孝」という親の慈愛に寄り添ってこそ、親の本来の思いに「順」うことを拠り所とし得る。このような「倫理的な親子の情」は、人倫の世界において互いに支え合いを成し遂げるよりどころとなり、またこの人倫の世界における実践の規範は、人倫世界が実践可能な綱領となるものである。
かくして孝の道は、中国の炎黄の子孫たる国の精神を立てるものであり、これは上は父母の慈しみの光を受け、下は自らが養育の恩恵に報いることである。このようにしてさらに下へと教育を伝え、自らの後の子孫へと継承し、また孝順の心に従って、父母に粗末な食事でもって養育の恩恵を奉ることができるのである。
これは大いなる人道世界に対し、孝道の始まりは、養育の恩恵と慈しみ、守護、世話によって成し遂げられるものであり、これこそが正道であることを示しています。大いなる天地の間において、孝順の本能を持つことができると言えるのは、人道世界が決して切り離すことのできない、最も重要な因縁の根本なのです。
人界において、どの国であれ、親孝行の始まりは親に従う行動であり、これは天性から来るものです。古くから言われる「孝順は孝順な子を生み、不孝は不孝な子を生む」という教えのように、孝道の伝承は、軒先の雨垂れが一滴一滴漏らさずに落ちるように、少しずつ確実に行われるものです。
孝行の道は後世に伝えられる
人々は言う：孝行の始まりは粗末な食事でも親を喜ばせるという必須の性質であり、人道倫理と親子の情は、大家族であれ核家族であれ、必ず両親や年長者から自分自身と子孫へと受け継がれる。このように三代にわたって、孝行の「倫理大綱」に見られるように伝承されるのである。この孝行に対する本能は、また一種の天性による依存関係でもある。
人道世界においては、まさにこのような天性による本能的な依存があり、さらに動物においても同じく孝の道が受け継がれていることから、「烏が親に餌を返す恩恵、子羊が跪いて乳を飲む省察」という行いは、人道世界に様々な影響を与え、人倫の大綱として受け継がれる行いであり、孝の道が人類衆生を養うことができるものであることが分かります。
この大宇宙の天地において、孝行の基本的な機能と言われるもの。中国の世間では、人倫道徳において最も孝行な帝王は「舜」であり、「舜帝」が模範を示すことによって、父母への孝行を全うするための規範が示されました。言うまでもなく、このような人倫孝道の伝承は、千古にわたって芳しく伝えられるものなのです。
また、中国の二十四孝は、すべての模範を後世に伝承し、孝行の道の始まりとしての基準を示すことができる。人道世界のすべての衆生は、父母によって生まれ養われており、孝行の基本精神は人間の本能から来るものであり、これを「孝の道」というのである。
孝道と恩返しの基本となる行い
少なくとも、父母や目上の人に少しも不快な思いをさせないこと。もし親孝行の実践を通じて、父母の養育や教育の恩恵に報いることができれば、人としての世界において真の向上を遂げることができる。また、恩に報いる基本は、目上の人への孝養を尽くすことにあり、さらに父母のために名声を立てて家名を輝かせることができる。
このようにして後の子孫たちは、まさに良き子孫を持つ福縁に恵まれます。人の世のすべての父母は、自らの子が人並み外れて出世し、龍や鳳凰のように立派になることを願い、さらには先祖の名を広め、家門を栄えさせることを望みます。このような子孫への期待は、古くから「良き子孫を得るにはまず徳を積め」という格言で言い表されてきました。
これは子孫の善し悪しを分けることでもあり、また天下の親が望む子孫とは、自らが手ずから育て、生活の営みや日常の潤いを育む全過程を経たものであるからだ。この期間は、まさに細部に至るまで心を配り、いかに苦労があろうとも、文句一つ言わずに耐え忍ぶと言えるだろう。
決して自分の子供たちに、衣食住に困る生活をさせてはならない。これは父母が苦労を重ねて養育し、教え導いて受け継がせてくれたものであり、まず家族を養い生活を営む基本的な学びと行動を教え与えられたのだ。将来必ず、自分の妻や子供、そして子孫に対して、互いに支え合い、善良な日常生活と生存を共にできるようにしなければならない。
孝道と恩返しの基本的な機能
この天が高く地が厚いような恩恵は、人間世界において各家庭で実践され、まさに父母両親の養育と教化があってこそ、子孫が将来に頭角を現すことができるのです。大宇宙の天地すべてを父母と呼ぶように、子や子孫に対しては私心なく、無為の心で尽くすものです。
まさに何の見返りも求めず、むしろ心から喜んでそうするのです。どんなに苦しくても、子供たちに良いものを食べさせ、良い服を着させ、良い住まいに住まわせ、あらゆる物質的な要求を満たそうと工夫します。自分の子供や子孫に与えるのです。また、このような人道的な世界から見ると、自分の両親以外に、これほどまでにしてくれる人はほとんどいません。
このように無私で、恨みも後悔もなく尽くすことができる者は非常に稀である。それは自分自身の世話だけでなく、子孫への配慮にまで及ぶ。このことを理解しなければならない。子は自分が生み出したものであり、自らの精血の結晶である。有情の衆生は、いかなる人種であれ、両親の労苦に報いる必要がある。
これは、上天の徳沢が大いなる天地に及ぶことについて言えることです。すべての生きとし生けるものにとって、天地は大きな父母のような存在です。しかし、天地といえどもその中に生きるすべての子供たちを完全に世話することはできません。それゆえ、天地の中のすべての子供たちは、それぞれの父母を通して成長と教育を受け継いでいくのです。
親は子や孫が皆、立派に成長することを願っています。
さらに、両親は子孫に伝えることができ、つまり異なる因縁を持つ子孫たちを分配し、自らが世話をすることです。しかも、心から喜んで、恨みも後悔もなく、ただ自分の子供や子孫が出世し、立派な人物となり、家門を栄えさせ、先祖の名を輝かせることを願うだけです。
このような願いが果たして自分の望み通りに叶うのか、あなた方は考えてみたことがあるだろうか。天はなぜあなた方に夫婦として共に暮らす機会を与えたのか？そして子を産み育てることは、まさに自らが生み、育て、受け継いでいくことである。考えてみてほしい：このような省察の行為が、いかにして自分の子孫を栄えさせ、祖先に栄光をもたらすことができるのかを。
すなわち、父母や目上の方々のご苦労に報いることが正しい道であり、また、このような人道世界への一切の慈悲と博愛こそが、上天が人道世界のすべての両親を顧み、人間的な要因を通じて善良で優れた子孫を創造し、自らの家風を継承させる所以なのです。
古くから言われているように、「立派な子孫を得るにはまず徳を積むこと」が正しい道である。人道世界において親に孝行することは、人間的な要素であり、誰が立派な子孫を育てられるかによって、功績を上げて上昇し、超越することができる。天地において父母と呼ばれるものは、まさに上蒼に対する職責と使命であり、天職として完遂されるべきものである。
孝道を尽くし恩に報いて先祖の霊を昇華させる
これは人道世界に依拠する動作において、人為的な恩返しの行動を通じて、自分自身と隣人に対する必要性を示す模範となることである。有情衆生が人道世界における孝行と恩返しを行うことは、自分自身がこの世に存在するだけにとどまらず、さらに自分より上の三代にまで及び、すべての亡くなった肉親を向上させ超越させることさえできるのである。
まさに、親孝行な子供に必要な基本的な精神であり、また人間の世界における「存在する、存在しない」ということも、ただ一つの霊性が移植され投入されたに過ぎないのです。もし一息でも途絶えれば、それは死体一具に過ぎません。言うならば、両親がこの世にいる間に、宗教に入り修行する機縁がなくても、上へと成長していくことができるのです。
良き子孫がいることで、両親や祖先は超薦（ちょうせん）の機会を得られ、天の機縁に恵まれることになります。これは子孫にとって、目に見える形では決して出会えないものですが、身をもって感じ取ることができるものです。自分の祖先や両親がこの世で苦労してきたことを思えば、「一人が悟りを開けば、九代の祖先までもが救われる」と言えるでしょう。
しかし、もし九玄七祖（先祖代々）が存在するならば、とっくに別の地に転生しているはずであり、もし長上（祖先）三代までが存在するならば、こう言えるでしょう：これこそ真の孝行の子である、と。これは人道世界において依りどころとすべき必然性の中にあって、まさに優れた子孫を持つことにより、こう言えるのです：良き子孫を得るにはまず徳を積まねばならない、と。もしこのような子孫がいるならば、長上である両親はこう言えるでしょう：すでに優れた子孫を得た！と。あなた方はこれをどう思われますか？まことに肯定に値することです！
孝順な子は孝順な子を生み、不孝な子は不孝な子を生む
両親のご苦労には必ず恩返しをせよ
人類の伝承は倫理の徳なり
養育の恩は比類なく大きい　　生み育て教えることに心を砕く
糞尿を以て成長せしめ　　苦辛を畏れず福の基を賜う
この偈は、有情の衆生たる霊子たちが互いに励まし合い、人道世界においては互いに人道を継承し、本来備わるべき基本的な倫理と親情を大切にすること。これは人間として達成できることであり、孝行な子孫を育てられるかどうかは、今この時に成就されるのです。皆様、ご一緒に著作にご尽力いただき、崇心宗脈にしばらくお邪魔いたしました。どうもありがとうございました。またお会いしましょう！
西方文采菩薩
西方極楽大世界　　文采妙理智慧開
菩薩が台に登り賢者と会す　　諸聖仏尊共に集い来る
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は聖門・五聖恩主の一柱である「九天司命護宅真君」がご降臨され、崇心宗脈の著作『大道德澤』第十四回において、父母の生育の恩に孝順をもって報いるという上下回の呼応について、ご解析を賜ります。
これはあなた方人道世界において、孝の道を後世の子孫に伝えられるかどうかという問いかけであり、まさに今、真に功績ある成果を上げられるかどうかであり、また人の力によって自らの行いの成果を達成することでもあります。下半期と来年からは、祖先の恩恵と累世の親族の加護、そして冤親債主の報復に十分注意する必要があります。
今後、天災や人禍に対しては十分に注意を払わなければなりません。避けられない災難や変えられない法則に陥らないよう、細心の注意を払い、防ぐ必要があります。このような因縁の条件から、すべての災難が次第に近づいており、多くのどうしようもない災厄が生じていることを理解しなければなりません。さて、すべてが吉祥でありますように。皆様、またお会いしましょう。
2014年8月8日18時25分◎＃※   了承しました＃
北極玄天上帝
第廿五回　崇心串連施行
◆ 跋・讃賀 ◆
南無燃燈古佛　降跋三於
2007年12月21日　丁亥年十一月十二日（金）
◆ 本文 ◆
第十四回　 孝順報恩
北極聖門に五聖と称す　　玄天降りて著し徳澤成る
上帝は十五回にわたり著を降し給い　　仙佛は大道の程を眷顧し給う
第廿六回　 承命施行
第十五回　  仙佛眷顧
人類世界は生存を志向として営まれている
生活には拠り所が必要であり、このような生活の方向性は人為的要因にあり、どのような条件を満たすかが生活の必須事項となります。これはまた、日常生活において生計を潤すための依存が如実に現れることであり、そこでは多くの無明の障害に遭遇します。宗教的信仰を通じてこそ、拠り所となる行動が得られるのです。
これは、有情の人間世界において、多くの原霊子が宗教に入った後、必ず仙仏の信仰に頼り、生活の大部分の支柱とすることを指しています。この大部分の指標こそ、仙仏の先生への信仰に頼ることによって成就されるものであり、世の中を見渡せば、まさに自分自身の生存の中で現れているのです。
常に多くの解消し難い無明の障害に遭遇しますが、ではどのようにして宗教の門をくぐることができるのでしょうか？自分自身の信仰による拠り所を持つことができるのでしょうか？どのようにして宗教に入った後、真に自分の無明や障害を解消し、さらに自分が到達し得る境地に至り、真に大道の弘化を実践することができるのでしょうか？
人間界において、宗教に入った後には、必ず拠り所と信仰の原動力が必要となります。それは一種の無形の霊光体であり、人為的要因では存在の有無を確立することはできません。また、人間の目で存在の有無を見ることもできません。それなのに、なぜ仙仏を信仰の拠り所とすることができるのでしょうか。
仙仏の師、すべてのご加護
仙仏の存在を目で見ることはできなくとも、その無形の霊光が自らの生活の隅々まで照らし出しているのを感じ取ることはできる。すなわち、人間は仙仏の存在そのものを目にすることは叶わぬが、仙仏が存在するエネルギー体を感知することは可能なのである。これこそが人間にとっての要因、すなわちその存在を感じ取る縁（えにし）の有無にかかわる所以である。
あるいは存在しない因縁の本来の区別について、仙人や仏陀はどのようなエネルギーなのでしょうか？必然的に各々の存在が感じるものは異なりますが、ではどのような条件を備えた仙人や仏陀の師が、同じ相互因縁を感じる者を参賛の列に加え、さらに弟子や学生として、多くの新たな戦力を増やすことができるのでしょうか。
このような因縁条件によって、程度や層次、境界の違いが生じ、それぞれ異なる因縁によって相互に感応し合います。自分が弟子や学生の列に加わることに対しては、仙仏にとっては霊光体を照らし見ることができない状態です。たとえ霊光体と言っても、目に見えず、触れることもできません。
神像を通じてのみ問うことができる：これはどの仙仏か？その職称と名銜は何か？これは無形の仙仏の師に対して、人間界の後世の子孫や学生、あるいは門徒と相互に感応通じることができるようにするためである。相互に感応通じた後は、必ず仙仏の師の聖なるお言葉と訓戒に従って実践しなければならない。
仙仏聖諭と戒律
如何にして自分が行持において、仙仏の先生方の戒律と綱領を越えないようにするか、宗教の宗派を弘揚し広める必要があります。まさに人道世界においては、戒律と綱領を越えないように従って実行する役割があり、一人一人の門徒と学生が宗教に入って学び、成長するためにあります。
しばらくの間、模索と学習の過程を経る必要があり、相当の心遣いが求められます。自ら宗教に至るためには、その教義の綱領と戒律を遵守することが必要であり、初めてその宗教の流派の門徒や学生と言えるのです。また、このような信仰への帰依は、自ら進んで学び、成長することを望むものであり、しばらくの時を経てこそ実現するものです。
必ず階級に従って昇進し、様々な職位と職責、使命を通じて広めていく。また、このような人材が多いほど事は円滑に運び、この過程は新たに宗教や宗派に入った者が、戒律や綱領を越えることなく実践を重ね、一定の時を経て成長を遂げることができるものである。
まさに仙仏の先生方の奥義と秘訣に対して、いくつかの概念を探り当てることができる。これは人道世界に対するものであり、学び成長する条件に入ったとはいえ、必ず理解しなければならないのは、人道世界における自分自身のあらゆる奇抜な癖や気性が、この時期に次々と現れてくることであり、必ずや時が経てば人の心が見えてくるということである。
すべての信仰のよりどころとして
時に宗教に入りたての頃は、自身の良からぬ気風を宗教の中に持ち込んでしまい、その悪しき習気が一気に信仰の良からぬ部分に染まってしまうこともあります。それはまた、一人の衆生が無明であるがゆえに、自らをよく知ることができず、自らの不足や欠けたところがどこにあるのか分からないからでもあります。
人道世界は、上昇と下降の分岐点ではありますが、教育や教化の課程において、自分自身が理解できるかどうか？人道世界におけるあらゆる奇抜な癖や習性、慣性、個性、気質を改められるかどうか？それはまさに、修整の必要性の中にあって、宗教に入り学び成長していくことなのです。
宗教に入った後、自分自身の不足と欠点を真に改めることができるようになることを願っています。宗教を信仰した後、一定の期間を経て、正式に学生と弟子の列に入ります。この時こそ、一人の普通の衆生が宗教を信仰し、自分自身の信仰のよりどころを築くことになるのです。
必ずやその宗教の流派と合流し、犠牲を払い奉納し、私心なく無為のままに捧げる。すなわち、仙仏が依り所とすることができ、門徒や学生に対して慈しみと護持の力を示すことができるようにする。また、これらの門徒や学生が自らの宗教に入った後も、宗教が定めた綱領に従って実践していくことになる。
仙仏の老師のすべてのご加護とご縁
篩選の動作があるということは、信仰に入るための必要条件において、宗教の規律や戒律を受け入れ、それを実践して成就に至ることができ、すでに真の門徒や学生としての条件を備えていると言えます。しかし、仙仏は自らの門徒や学生を必ず見守り、宗教事務を通じて教化と普及に努めなければなりません。
これもまた極めて真実なことです。一人の衆生が宗教に入った後、必ずこのような条件の試練を受けなければ、真に宗教体系に入ることができ、正式な学生と門徒と呼ぶに至ります。これは試練の条件を経て到達するものであり、自らの門徒と学生に対する綱領であり、すでに自らの条件が許すところまで達しているのです。
このように仙仏には、必ず責任と義務と権利があり、自らの学生や門徒を守り導く。すなわち、庇護し、守り、教え導き、成就させるという様々な教育と教化を行うことができる。つまり、このような綱領によって実践の準備を整え、いかにしてより大きな普及と発展に向かうかは、仙仏と主事者の智慧が如何に示されるかにかかっている。
これは門徒と学生に対して、宗教におけるあらゆる責任、義務、権利の中で広く教化を推し進めることです。これはまた、人間的要因が宗教に入った後、仙仏の老師の教えを受け継ぎ、各自が職責、使命、職務義務を担うことによって、大きな力が集結し、模範を示すことにもなります。
眷顧の徳沢、仙仏のエネルギー
この義務、権利、職責の行使行為は、すなわち宗教が共同して団結力を大きく弘めることです。これは、各学生と門徒が団結し、さらに仙仏の老師の指導のもとで相互に推し広めていく弘揚であり、あらゆる宗教や宗派にとって実行すべき必然の行為なのです。
まさに仙仏の師匠に対面するにふさわしい者は、さらにその力の及ぶ範囲で、学生や弟子たちに対して相互に助け合い、庇護し、慈しみ、教えを完成させる必然性がある。それゆえ、あらゆる宗教や宗派は互いに補い合うものと言え、このような綱領や戒律はすでに数千年にわたって施行されてきたのである。
また、全体の宗教の門徒と学生に対して、相互に団体の弘化の推進を施すことができる場合、誰がそれを行うのか？誰が名を連ねるのか？誰が言葉を発するのか？誰が沈黙するのか？また、誰が努力するのか？誰が怠けるのか？誰が精進するのか？誰が成就するのか？これもまた、それぞれの異なる習性の作用によって、各人の努力のあり方がどのようなものであるかを理解することができる。
このような人道への努力において、成就に至る者は少なくないが、一方で自らの名を掲げるだけで、一切の奉仕を好まない者もいる。このような学生や弟子と呼ばれる者に対して、仙仏は必ず警告を与える。もし改めることができなければ、自ら生まれ自ら滅びるに任せ、もはや関わらないであろう。
仙仏の加護と守護の功徳
しかしながら、同時に配慮と成全も行い、各人が負うべき一切の因果応報を課すことで、公平性を保つのです。これは仙仏がその中から教育と教化の課程を設けられるかどうか、すべての門徒と学生に対してなのです。道理を認めて真理に帰り、仙仏の師の聖なる諭示と訓戒を遵守し、規律を奉じて実践できるかどうかが問われます。
真の施行機能と効果を発揮することができ、この種の作用は各人が成し遂げるものである。開堂して教えを説く機能と作用において、門徒と学生は真に到達することができ、それぞれ異なる根本的な原因によって促進され、真の利益を得ることができる。これこそが仙仏の先生方の教導課程に従い、上へと成長し高まっていくのである。
また、経典や各宗派の課程の配置は、授業時間を通じて学び成長する必要性に基づいています。これは宗教自体にとって言えば、まさに昼間の日常生活を終えた後、夜間や各種法会の中で相互に呼応し、良好な因縁と条件のもとで学び成長することを意味します。
仙仏の教化と成就
形成は弘化と普及の必然性にあり、これらの門徒や学生、信者たちが宗教の行列に参画できるようにする。これは様々な因縁によって様々な実践機能を達成し、陰陽双方に利益をもたらすと同時に、宗教の普及と弘揚を促進し、さらに宗教そのものにとっても恩恵となるものである。
また、仙仏と門徒及び学生たちに対しては、まさに善き向上と超越があり、多くの優れた点を宗教課程に対して相互に高め合うことができる。このようにして仙仏と門徒、学生たちは成長して恩恵を受け、功績を積み重ねることができ、さらに弘法と普及のために多くの良好な条件を提供することになる。
さらに広大なる多くの衆生を引き渡し、宗教の行列に入らせて、多くの新たな力を増やすことができる。これはすべての宗教が、一人の稀少な者から次第に多くの信仰の帰依処となることが正しい道であり、同時に善良で美しい一つの世界を築き上げることになる。これこそが教育文化の課程である。
仙仏は衆生を護り給う　　帰依し信仰して学びを成す
人間の多くの宗教は、それぞれが自らの選択により、各々の境地に至る。
末代まで見守り守り給い　　更には全家に愛が満ちる
学び成長することは如何にして　　未来に成仏の果実を結ぶか
この偈は、有情の衆生たる仏子たちが互いに励まし合うものである。すなわち、仙仏の加護と慈愛の恩沢は、教育と教化を基盤とし、自らが向上する機会を掴むことができる。もし宗教に入った後、しばらくしてまた離れてしまい、それを幾度も繰り返していると、やがて一生を終えることになってしまう。
結局のところ、何の成果も得られず、かえって全身に汚れと垢のような煩悩をまとうことになる。これは決して取るべき道ではない。このような教訓を心に刻む必要がある者はあまりにも多い。一生を歩みながらまた何一つ成し遂げられないなど、本当に惜しいことだ。皆様のご苦労と、崇心宗脈にお世話になったこの時間に感謝いたします。皆様のご多幸をお祈りします。さようなら。
西方理経菩薩
西方極楽より降臨まします　　道理と因縁は天がお定めに
菩薩と共に諸賢の生を会し
大徳の道沢、福祉を開く
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は聖門五聖恩主である北極玄天上帝が降臨され、「大道德澤」第十五回を著作されます。仙仏が眷顧される主体の因縁を剖析し闡述され、人道世界の宗教信仰に対して、どのような推広と弘揚をもたらすのかを論じられます。
全体が団結する大きな力があってこそ、このような殊勝な因縁を真に一地域あるいは全世界に弘化することができる。それは各仙仏神祇と主事者の眼光と心構えによって区別される。人道世界では、非常に如実に弘揚・推広することもできれば、小さな範囲だけで弘揚することもできる。
主事者各位の見識、度量と努力、そして認識されている考え方はどのようなものか？明日はまた土曜日で、引渡しにとっては重要な日です。必ず一層心を配らなければなりません！また、弘揚引渡しには真の効果と利益があります。皆様と共に推進していくことを期待し、皆様のご尽力に感謝いたします。すべてが吉祥でありますように。ではまた。
2014年8月9日13時35分◎＃※　０Ｋ＃
南天の主宰　文衡聖帝
第廿七回　大道德澤
第十五回　  仙佛眷顧
南天の主宰が聖門を伝え　　文衡聖帝が教えを明らかにし成す
大道徳沢十六回　　貴人の引き立てにより徳意を証す
第廿八回　  徳沢大道
第十六回　 貴人提攜
仙仏恩師は大いなる貴人である
護佑の教えを授かった後には、必ず貴人の引き立てが必要となります。このような貴人は、人間世界の人類だけに限らず、さらに広く大宇宙に存在する聖神や仙仏など、また言葉と教化によって人を向上させるすべての存在を含みます。つまり一言で言えば、夢中にある者を目覚めさせてくれる貴人と言えるでしょう。
すべてはこう言える：有情の人類衆生を引き上げる主要な因縁の根本は、必ずや人道世界において、単に生活の起居だけでなく、あらゆる問題の盲点に対する開示を通じて、すべてが貴人と呼ぶに値するものである。このような人道世界における貴人は、また非常に貴重であり、人類衆生の生存の方向性に利益をもたらすものである。
人道世界は問わず、有情、無情、有形、無形を問わず、すべて貴人となることができる。これはまた、万物の蒼生に対して、一つの行動の基準を持つことができ、引き上げることもできる。つまり、人為的要因の中から、人道世界の無明や無知に対し、相互に成就し合い、相互に支え合うことができるのである。
これもまた、人道の生存の方向性として、真に向上へと高められることが必要であり、下へと沈んでいくことではありません。また、昔の皇宮の后妃を貴人と呼ぶようなものでもありません。ここでいう「貴い人」とは、道を指し示し、迷いを解く者、あるいは事務において引き立ててくれる者、そしてあらゆる事物の連鎖において相互に依存し合う者を指すのです。
貴人の手引きと迷いを解く導き
時には些細な手助けによって、一人の向上心ある者を成就させることができます。もし互いに向上心ある者を成就させることができなければ、貴人と言うことは難しく、さらに区別せずに、人間世界において能力ある者すべてに対して言えることです。それは、誰々の貴人であり、人間世界において貴人がどれだけ存在するかを観ることができるのです。
そして一生のうちでどれだけの成果を達成するかが決まるのですか？それゆえ、あらゆる時空の縁によってもたらされるものに対して、善徳と福縁を十分に積み重ねることができるかどうか、それをいわゆる「ある人の貴人」と呼びます。往々にして、このような貴人は、各人の困難を解決する盲点を解消し、あらゆる事柄の連鎖において互いを成就させることができるのです。
必要に応じて明確にしなければならないのは、自分自身の迷いや困難がどこにあるのかということである。人間界では、往々にして自分の考えや観念通りに物事を成就することができず、それによって多くの無明が生じるのである。また、学問の教育と教化は非常に重要であり、もし学問を修めた後に、各人の無明の障害が生じることは必至である。
この千鈞一髮の心念の中では、まさに貴人の引き立てを欠いている。もし各人の福縁が相当に深い時には、必ずや問題や困難点が現れた後、各人の困難を生み出すことになる。この時、各人の困難をどう解消すべきか？必ずや焦頭爛額の苦境に陥るであろう。
貴人が現れると、良いことが次々と続く
この時、この状況で、もしも貴人が現れて指針を授けてくれれば、困難や障害を乗り越えることがとても順調に進むだろうか？必ずや凶を吉に転じ、危険を安全に変えることができる。また、どんな困難や危険が訪れようとも、このようなその場での貴人は、自らの困難を解消する転換点となり、良き方向への転換を形作ることができる。
このような貴人はまさに凶を吉に転じる大功労者であり、もし何かが自分の思い通りにいかない場合、必ずしもすぐに現れるわけではなく、ある期間を経て、突破できない困難点に遭遇した後で初めて現れるか、あるいは全く現れないこともあります。そうなると、誰もが思い通りにいかないことや心の持ちよう、考え方に対して、一種の茫然自失の無力感を覚えることでしょう。
この時、この場面に、もし縁ある貴人が現れて、すべての困難を解消してくれるならば、それは言葉に尽くせぬほどの感謝の気持ちを生むに違いない。さらに言えば、人間世界の行動規範に照らして、あらゆる行いのあり方を観察し、自らのすべての行動を拠り所として、困難から生じる障害を解消することができるのである。
この時、自分自身もまた自分の貴人となることがあり、必ずしも外部のすべてだけが貴人と呼ばれるわけではありません。また、人間世界は一種の天性に由来するため、人間の衆生はしばしば自分の無明が生じる際に、このような解消できない現実と困難が生じ、互いに助け合うことができないことが多々あります。
人類の衆生には必ず貴人の引き立てが必要である
人道世界における全ての行動規範に対して、自らが知識経験と智慧を高めることができますが、往々にして自らを到達させることができず、真に困難を解消できる改善点を持つことができません。それはつまり、人道世界において自らが往々にして理解できず、あらゆる困難な問題点は一体どうすればよいのかということです。
人的要因の中には、自らの知識、知恵、経験の成長があります。この時こそ、外部からの力である貴人の助けを借りる必要があります。このような知識と経験を積み重ねるには、すでに経験した事柄を通じて、生活の方向性の中で経験を経て成長していくことが不可欠です。
また、多くの困難は自らが困難を乗り越える過程で生じるものであり、自分で解決できる困難点は必ず経験や知識の蓄積による智慧の向上から来るものであり、これもまた自分自身が自分の貴人であるということです。まさに一言、一事、一つの困難点が、自分自身や他人の経験を借りて乗り越えられるのです。
相互に補い合い、自らの困難を乗り越えることは、大いなる天地の中で真の成就を得るために貴人が現れるかどうかを区別することでもあります。人間の衆生のすべての縁は、まさに累世にわたる、あるいは現代に至るまでの積み重ねによって、相互の補完と成就をもたらすことができるのです。
人道世界には良き人と貴き人が現れる
このいわゆる貴人に対しては、知識と智慧の応用によって自らの困難を改め除くことができるよう、成全する必要があります。これこそが貴人の成就と言えるもので、自分自身や他者に利益をもたらすことができるのです。しかしながら、自分自身も他者の貴人となり得るし、他者もまた自分自身の貴人となり得るのです。
時にはほんの少しの手助けや、盲点の指摘、方向性の示唆があるだけで、誰もが他人の貴人となり得るし、また他人が自分にとっての貴人ともなり得る。これは各人が積み重ねてきた経験の賜物であり、有情世界のあらゆる人々が、この人道世界において生きるために必要な在り方なのである。
無明や無知による盲点が生じ、自分では解決できない困難も現れます。これは、自分が自分の貴人となることも、他人が自分の貴人となることも、自分が他人の貴人となることも、自分自身が自分の貴人となることも可能であり、あらゆる事象における二重の因縁の発生を区別するものなのです。
問題を解消するために、人道的世界では、あらゆる生存志向の中にある種々の問題を除けば、実は、人間の生存に関わるものであれば、相互に関連するものは必ず自分自身に対して相互の支援をもたらすものです。このような支援は問題を解消し、自分自身と他者とが共に利益を得られるようにするものです。
衆生を導き救う仙仏の広大なる誓願
このような相互支援は、人間世界においてあらゆる事柄の連鎖を支え合うものである。必然的に、問題が生じた際には、正しい方向性や指針となる提言がなされる。これは、人間世界のすべての人々が、自ら問題に直面したとき、必ずしばらくの間は見えなくなる盲点があるからにほかならない。
これはある事柄について、人為的要因を通じて困難の発生を克服することはできず、有情世界の人類にとって見るならば、いかにして事の成り行きを正しく理解し、真の方向性と正確性を備えた実践的効果をもたらすかが、人道世界におけるすべての人為的要因を解消するために必要なことである。
時には、一つの思想や観念を転換するだけで済むこともあります。時には、行為や動作の主要な原動力そのものを克服しなければなりません。時には、人間関係に善悪の境界線があるかどうかが問題となることもあります。また時には、自分自身が持つことのできない逆方向の思考論理によって生じることもあります。
問題や困難に直面した時、自分自身が行き詰まりに陥り、問題の経緯をはっきり見極められなくなることがあります。そうすると、自らが遭遇した限界という障害をうまく乗り越えることができず、むしろ人為的要因によって、自らが人々を導き、あらゆる困難を克服する力を発揮する機会を妨げてしまうのです。
提携機能は良き作用をもたらす
自分をより大きな成長へと導くためには、時として直面する盲点や困難に対して、人間関係を活用してお互いに支え合い、それらの問題を容易に乗り越えられるかどうかが重要です。そのため、良好な人間関係が築けているかどうかは、自分にとって多くの良き導き手（貴人）が現れるかどうかと深く関わっているのです。
様々な行き詰まりに直面した時こそ、人と人との関係において互いに補い合い、寛容であることが求められます。そこには多くの場合、人為的な要因が積み重なって築かれた福の縁が存在するのです。自分にとっての貴人が現れるか否かを見極めることによって、人為的要因が積み重なって形成された人間関係は、問題発生後の様々な相互成長の糧となるのです。
この人界におけるいわゆる人間関係は、まさに自分自身が人界においてどれだけ多くの福縁を積み重ねてきたかによって決まります。自分にとっての困難点を相互に成就させるか、人為的要因による困難をいかに解消するかは、すべて自分自身の思想、観念、そして行動によって左右されるのです。
区別は、人間のあらゆる事柄において、繰り返し、何度もあらゆる困難な事柄を解消することができるか、あるいは繰り返し、何度も知識と智慧が高められた後に生じる点にあります。人道世界の因縁条件は、非常に微妙な福縁であり、時には、一つの事柄や一人の人間の行動に関わるものです。
貴人が引き立ててくださるすべての行い
非常に緊急な状況や危険な場面に遭遇したとき、一言や一つの行動が、しばしば一人の人間や一つの事態を救うことができます。これこそが「乾坤を一転させる」と言われるもので、重大な局面での決断は、自分自身と他人に対して、この種の問題を解決する分岐点となることが多く、まさにその通りに事態を好転させるのです。
自分自身の問題や困難を乗り越えられるのは、自分自身が互いに助け合えるからです。あなた方が自分自身の貴人になりたいか、それとも他人の貴人になりたいかは、すべて良き因縁の積み重ねと増幅であり、これこそがすべての事柄の連鎖に対して真に相互に助け合うことなのです。
この時、もし宗教的な迷いや盲点を互いに補い合い、助け合うことができるならば、あなた方はこのような状況に身を置いたとき、果たして自分自身のこの世における一切の「生死事大」の問題を本当に理解できるでしょうか。生存を志向する生活は非常に重要ではありますが、それでもなお、どうすればよいのでしょうか。
人道世界とは、「生死事大」という帰依に対して、来世における輪廻への再入と上昇・超越を区別するものである。有情の人類衆生は宗教の洗礼を受けた後、必ず全身全霊で打ち込み、宗教信仰の教育と教化に対しても、仙仏の先生方のすべての諄諄たる教えに従うのである。
一言で目を覚まさせてくれるのも、人生の恩人である。
お気づきでしょうか、ただ一人の貴人の引き立てと助け合いだけでなく、その中のすべての学生もまた、お互いに貴人として支え合っているのです。また、人としての世界では、しばしば多くの変えられない困難に直面することがありますが、そんな時こそ、先人の教えや同輩との縁が、たった一言でお互いを助け合うことができるのです。
また一言で、互いに自分自身のすべての宗教的信仰を打ち破ることができる。しかしこの一言は、他人と自分を仙人や仏に成らせることもできるし、自分と他人を永遠に悪道の衆生に沈淪させることもできる。これが一言の機能と効用である。あなたたちはこれを体得しているか？これはただの一言に過ぎないのだ！
まさにこれほど大きな差異と重要性があるのです。人間の要素と言葉が「悟りを開くか否か」を分けることもあり、有情世界における「人言は恐ろしい」という側面と「人言は称賛をもたらす」という効用は、まさに「一句の良き言葉は三冬を暖め、一句の悪しき言葉は六月に雪を降らす」という古訓の通りなのです。
往々にして、一生涯あなたを恨み、さらに来世まで骨髄に徹する恨みを残すという残念な結果を招くことになります。人為的に達成できることは、あなた方同士が互いに助け合い、成就し合うことであり、すべての良き因縁と条件を実のところ上昇させて増長させることも、「口舌と口徳」のわずかな違いの作用にのみかかっているのです。
貴人の引き立てと仙仏の契り
困難を除き救いを成し遂げる
互いに励まし合い、寛容の心で接する
上昇と下降、二つの道は分かれる
仙仏もまた大いなる貴人なり　　人道に生きるは皆真なり
困難に遭えば聖神に祈るべし　　有形無形を化すこと能う
この偈は、有情の衆生が互いに励まし合い、人間界における様々な「因縁の積み重ね」に対して良き福縁を培うことができるよう、自らが問題や困難に直面した時、この一言や一つの行動の持続こそが、往々にして自らの盲点や困難を転換し、解決・克服する力となるのです。皆様のご相伴に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。またお会いしましょう。
西方伝経の菩薩
西方より経典を伝えて有情を化す　　菩薩登台して共に相迎えん
南天の主宰たる大主席　　道門の五聖帰来を導く
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は道門五聖の一柱である本宗脈大主席・南天主宰文衡聖帝が降臨され、「大道德澤」第十六回を著作されました。ある貴人を引き立てる因縁について分析と解説を加えられ、皆が共に利益を得て成長できるようご提供くださいます。
崇心宗脈の大主席である南天主宰文衡聖帝こそ、聖門の一切の聖務を総主理される方ゆえに、そのお姿が降臨され著作にあたられることで、この殊勝なる因縁を明示する聖諭を通じ、あなた方に徳沢の中にあって、上蒼と仙仏の大いなる徳沢が何であるかを心で悟らしめんとされるのです。実のところは、鉄が鋼とならぬことを嘆きつつも、成長を願う切なる期待なのです。
明日はまた土曜日：禅機が迷いを破り、互いに善縁を引き渡し導くことができます。明後日は崇心宗脈の年に一度の放生活動で、生物の生命に対して尊重と配慮、そして守り育むことが正道であると願っています。皆様お疲れ様でした。すべてが吉祥でありますように。またお会いしましょう！
2014年、0809、1512◎＃※　０Ｋ＃
精忠武穆王  岳元帥
第二十九回　建構施行
第十六回　 貴人提攜
道門五聖の著作が来たり　　精忠武穆の岳元帥
大道徳沢十七回　　同輩相い扶けて福運開く
第三十回　福澤を広く推し及ぼす
第十七回　 同儕相扶
人生においては互いに助け合うことが必要です
どれだけ多くの貴人や師長がいて、教育文化の課程を作り伝承し合い支え合うか、これは人道世界が凡塵に入るにあたって、前世と今生の区別も生じる。人道世界におけるあらゆる生存の方向性を経た後、貴人への依存について、このような貴人を通して観るならば、いかがであろうか。
申し上げますと、師匠、同輩、父母、兄弟姉妹、親戚友人、そして多くの知らない善縁の方々――これらは、人間界における生存の方向性、あるいはあらゆる人為的要因において、成就に至ることができる者を区別するものです。事業経営、財産利益の獲得、そして仙仏の加護の中においても同様です。
自分にとってどれだけの貴人がいるか、見分けることができるでしょうか。しかし、これらの外部の貴人と互いに助け合い、支え合う一方で、必ずや自分自身が努力し、奮闘し、懸命に取り組んでいるかどうかが問われます。これこそが真の自分自身の貴人であり、自らが成長することで、善良さが向上していくのです。
如何にして人間界において、自分にとっての貴人であることを、衆人の貴人へと昇華させるか？それは、自分が衆生の福祉向上と創造に向かって歩んでいるかどうかにある。人間界とは、自分を衆生の貴人へと高めることである。これこそが真実の性質であり、過去・現在・未来を区別することなく、善き因縁が互いに成長し合うのである。
人類が集団で暮らすことの必要性
人世界には累世の因縁があってこそ、自分と他の者たちが互いに支え合い、善き因縁に恵まれた職場に入ることができる。それが組織であれ、団体であれ、事業であれ、共に過ごす機縁が得られるという。このような機縁は長くも短くも、すべてそれぞれの人の因縁によって作り出されるものである。
互いに成長し合い、支え合うことを区別せず、同輩の中には学ぶべき多くのことがあります。自分自身の本分と職責を互いに全うし、いかなる事業体や団体に対しても、たとえわずか数人に過ぎない小さな集団であっても、なぜ自分がそのような環境に置かれているのかを考えるべきです。
理解できることは、どのような環境や場所においても、他人と怨みを結んだり、異なる認識を生じさせたり、互いに争ったりすることなく、人々の世の中に対して善悪の因縁への依存を超越し終えることができるということです。この中で、自分が甘草のような人物か円満な人物か、また貴人であるかどうかはどうでしょうか？
これらはすべて、各人が行った言動によって判断されるものであり、自分自身と他人、特にすべての同輩に対して区別される。主事者であれ、他の幹部であれ、一般の同輩であれ、人界において自分自身の貴人となったか、あるいは他人の貴人となったかによって、自らの未来を区別することができるのである。
同僚による支援の主な機能
自分と同じ縁を持つ人が自分の貴人となるのか、それとも他人が自分の貴人となるのかという区別は、このような貴人に対して、いわゆる同輩の時期には、相互の縁によって成就と蓄積が生まれ、それによって将来においてより大きな成長と学びに巡り合い、真の収穫を得ることができるようになるのです。
すなわち、一つの単位、団体、またはその他の集団が共に事を行う縁（えん）を指します。どのような単位であれ区別せず、人々が集まって共に働くこと、あるいは宗教の中において、またあらゆる団体・単位において、自らが相互の縁を積み重ねて向上させることができるかどうか、そして人々の世界がこのような縁をどのように捉えるかということです。
言えることは、まさに人間同士が互いに善縁を結べるということです。このような環境の中で、人と怨みを結んだり、隔たりや不快な悪縁を作ったりしてはいけません。それは必ず将来に影響を及ぼします。もし縁があって出会う機会があれば、他人の一言で、あなたがこれまで積み上げてきた努力が無に帰してしまうこともあり得るのです。
また、広く善縁を結ぶことも、同輩の間で、将来において互いに助け合う善い縁があるかどうかということです。人間の世界では、このような縁をそうとは思わない人もいるかもしれませんが、人々の間の善い縁は、互いを完成させるよりどころであり、あなたが今どうであるか、未来がどうなるかは問わないのです。
人類の衆生を支え助ける
ここにおいて、「汝らは現在において備えているが、未来において必ずしも備えているとは限らない」というものと、また「現在において備えていなくても、未来において必ずしも備えていないとは限らない」というものとが、人間世界において相互に円融し合うことにより、善き因縁が積み重なり具わっていくことになります。言うなれば、人為的要因に対しては、相互に支え合うための基準とよりどころが存在するということです。
また、人道世界において、同じ団体や組織に参加し、相互の共通認識を持つことができる者、いわゆる善き因縁がある場合、このような善き因縁を互いに成就させ、選択することができるかどうかが、同じ組織、団体、事業、宗教などにおいて、すべての良きものが増長するといわれる所以です。
また、あなた方はこのような因縁をよく考えてみるべきです。それはいかに微妙で殊勝なことでしょうか。このような因縁は、あなた方にとって、人間界から見れば、まさに互いに知り合い、共に生きる縁となるものです。これは言うなれば、前世に多くの善き因縁が必要であり、それによってこそ今生、今世に加わることができたのです。
同じ団体や組織、あるいは宗教の場において、互いに善き縁を結ぶことができます。これは人為的な要因によって、善き縁を長く持続させることができるか、それともほんの短い間だけ共に過ごすかにかかっています。このような人としての世界において、「花に百日の紅なし、人に千日の好なし」とは言えません。
支援と援助の必要性
これは必ず理解しておく必要があります。一人ひとりに困難や挫折は必ず訪れますが、まさにこれらの仲間たちこそが、あなた方が困難や挫折に直面した時、最良の後ろ盾となり精神的な支えとなってくれる存在なのです。このような縁（えにし）の条件によって、私たちは同じ職場、団体、事業組織、あるいは宗教の場において互いに支え合うことができるのです。
あなた方には、どれほどの仲間がいるでしょうか。現在、まだ困難や挫折に直面していない時でも、人生には多かれ少なかれ、多くの思い通りにならないことがあるものです。また、これらの仲間の中には、本当に心を開いて話せる者もいれば、将来の事業を支えてくれる者もいれば、今この瞬間に、互いに助け合い成長し合える者もいます。
ある者は井戸に石を落とすように追い打ちをかけ、さらに甚だしい者はあなたの足を引っ張るなど、様々な良からぬ現象が次々と現れるでしょう。このような環境の中で、真に円融円満を実践できているかどうか、そして未来はどうなるのかを区別することができます。言えることは、未来において必ずや多くの誹謗、挫折、足の引っ張り、落井下石、あるいは闇討ちに遭うことになるでしょう。
これは、一つの事柄が円満に融和しているかどうかを区別するのは、すべて自分自身が判断することであり、自分の円融度が足りないか、あるいは自分が独りよがりに固執し、他人の忠告さえも聞き入れないことによる。このような人に対しては、人生における貴人は必然的に非常に少なく、さらには全くいないと言ってもよいだろう。
支え合ってこそ、善き効果が生まれる
あなたがこの世に人として生まれたのは、貴人からの支えが不足しているからです。そうでなければ、あなたはどうしようというのでしょうか（台湾語発音：もしなければあなたはどうするつもりか）。人としての世界においては、同輩の間で互いに支え合い、各自の困難や挫折に対する精神的な支えとなり、互いに支え合って円満を成し遂げること、これこそが正しい道なのです。
互いに困難や挫折を乗り越えていくこと、これを「人には皆、思い通りにならないことやはっきりしない時がある」と言います。これは無明の始まりであり、人は「人生、思い通りにならないこと十に八九」と言いますが、誰もが同じです。あなたたちはもう一度よく考えてみてください、自分がこの世に人間として生まれてきたこと、それについてどう思いますか。
人生はすべて順風満帆で、挫折や困難が一切ないのでしょうか？そうではありません。誰もが多かれ少なかれ、他人には言いにくい様々な困難を抱えています。時には体面を気にしたり、どう切り出せばいいかわからなかったりして、自分が直面している困難を解消することができず、成長や向上の妨げとなっているのです。
この時、上司、両親、役人、同僚、親戚、友人…誰もが互いに一言で、自分自身の無明と苦境を目覚めさせることができる。その中であなた方を成就させ支えるためには、必ず自分自身がこの一つの部署、団体、社会、事業、そして宗教と家庭における人間関係を見つめなければならない。
仲間同士が支え合う人間関係
円満かどうかの区別は、必ず他人があなたに対してどれほどの支えと助けを与えるかによってこそ、正しい道となります。つまり、自分自身が現在において円満かどうかの区別は、一人ひとりが他の人々の貴人であり、また、他の人々もまた一人ひとりの貴人であり、自分自身もまた他の人々の貴人であるということを形成しているのです。
この役割の違いによって、同僚の間で区別されることにより、互いに助け合い、支え合い、相乗効果を発揮できるか、それとも逆に互いに争い、さらには足を引っ張り、窮地に陥れた者をさらに追い詰め、強制的に排除されたり、仲間外れにされたりするかは、自分自身がこの組織におけるすべての人間関係を円滑に築けるかどうかに関わってくるのである。
各人の欠点や風変わりな癖からも知ることができる。もし各人の風変わりな癖や欠点が、互いに心を許せる同僚の間で、お互いに忠告し合えるならば、怨恨を生じることはない。しかし最も恐ろしいのは、表面上は親しい同僚であっても、本心を語れば次の瞬間には顔色を変えてしまうことである。
あなたがたを信じないとも言えるが、真心とは、いわゆる真心とは、真心の言葉、真実の言葉、本当の言葉を語るとき、それはとても耳障りで、つまり忠言は耳に逆らうものであり、また言い方を変えて諭すことも知らず、ただ単刀直入に言うだけなので、得られるのは心の中に恨みを抱かれることであり、将来は「田螺の恨み（恨みを結ぶ）」として報いられることになる。
心の通じ合う良き友は必ず支え合うもの
この種のいわゆる真心を持つ者、心を知る者、良き友人は、一瞬にして怨親債主に変わってしまうのです！このような修行者と称する者に対して、あなた方は「何者だ？」と言ってもよいでしょう。人間世界では時として他人を諭すにも、少しばかりの知識と知恵を用い、一歩引いて互いを成就させることも必要です。
これはあなた方の経験に対して示すものである。自分が思う真心や知心、親友というものが、往々にして一言の下に、知らず知らずのうちに他人を傷つけていることを忘れてはならない！ましてや、自分が親友を戒めていると思い込むのは、得るものより失うものが多く、少しばかりの知識と知恵を用いて戒めてこそ、初めて効果があるのである。
少しばかり方向を転じても人を傷つけず、むしろ互いに支え合うことができる。皆さんはこの道理をお分かりだろうか？つまり、自分と相手の立場から、困難や欠点を互いに検討し合うことである。これこそが真心、理解、良き友人関係に必要な基本条件であり、自分には何の過ちも欠点もないと独りよがりになるべきではない。
特に宗教を修行する者にとっては、あなた方が宗教に入った後、仙仏の師が互いに教育し教化してくださいます。そうすれば仙仏の師は、あなた方の些細な欠点や過ちを逐一正すことはなさらず、相当大きな欠点や過ちがある場合にのみ、より公正で客観的な課題を示して現れてくださるのです。
同僚の相互支援による機能と効果
仙仏の先生方が述べられた一切の分析が、まさに各人の欠点と過ちを指摘しつつ、自尊心を傷つけにくい前提で示現されたものであることを、はたして理解できるでしょうか。もし仙仏の深いお心を十分に理解できず、なおも「それは私のことではない、他人のことだ」と考えているならば、いかんともしがたいことです。
必ず知るべきは、仙仏が誰について語るにせよ、すべては一つの戒めである！もしあなた方にこの種の欠点や過ちがあれば、必ず改めなければならない。もしこの種の欠点や過ち、不足がなければ、必ず戒めとしなければならない。他人の良くない模範も、まさに私に対する非常に大きな戒めであり、それこそが私にとっての前車の鑑とならぬための教訓なのである。
さらに、同じ過ちを繰り返す欠点や誤りこそが、真の道である。皆さんは、仙仏の先生方や仲間同士が互いに戒め合う意味を理解できるだろうか？この大宇宙のすべての修行者たちよ、あなた方は真の心の友、真心を持つ者、良き友、仙仏の戒めを得ることができるだろうか？
同輩は互いに支え合い、善良さを全うする。
すべては各人の心の持ち方と認識によって判断される。未来がどのような区別となるかは、自分が宗教に入った後、真に向上して高まるか、それとも宗教に入った後に堕落するかによる。また、それはあなた方のこれまでの生涯で積み重ねてきた良くない性質、習慣や惰性が自然となり、さらに永遠に変わらない悪しき個性によるものである。
この変わらぬ悪しき性質こそが、汝らが来世また来世と輪廻を繰り返し、度々修行者となりながら、「我は修行がかなり良く、少しの習気もなくなった。未来必ずや超生躍進し、来世また修行に挑む」などと口にする所以なのだ。慚愧なるかな！慚愧なるかな！自らよく味わうがよい！
仙仏の師と同輩の間で互いに支え合い、誰があなたの貴人なのか？すべて一つ一つ明らかになるでしょう！自分が自分の貴人とならないならば、来世にまた一度、二度、三度と、次から次へと、おそらく千世百世を経ても、なかなか帰ることができないでしょう。あなたがたは必ず肝に銘じておくべきです！すべては自分自身の努力によって得られるものなのです！
同輩の間で互いに支え合い
修行には無知を改めることが必要
個性改めざればまた如何せん　　下世にまた再び修持をなす
仙仏が目覚めさせるのは客観的である　　一つの事柄が公正に還る
己を省みてこれ有るか否か
戒め励みて大道を転ぜよ
この偈よ！有情の衆霊子たちが互いに補い合い、汝らが真に修行による変容に入れるか否か、単に「私は修行している」「私は信仰している」「私は宗教的犠牲奉献をしている」「無私無為である」と称するだけで、なぜ向上・超越が難しいのか？これらの問題を一つ一つ指摘し、汝らが今後において一つずつ修正と調整を加えることを願う。これこそが正道である。崇心宗脈にしばし煩わせていただいた。さらば！
西方道展菩薩
台風の日に書を著す　　西方の道は真に特殊なり
菩薩と共に集う諸の有情
大道の徳沢にて悪性除かる
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は道門五聖恩主・精忠岳武穆王元帥が降臨され、「大道德澤」第十七回を著作され、同士が互いに支え合う因縁を解き明かされます。皆様の無明が、自らの奇矯な気性や習性を改める修養へと転じられますよう、心より願っております。
自分自身の習性がそうであると決めつけてはならない。決して変わらないあの悪しき個性が、あなた方の本性に加わっているなら、どうして真に一生をかけて成就を遂げることができようか？これはあなた方が人間界に存在する上での必然性であり、自らが向上し、超越することを妨げてはならない。それは価値のないことだ！聖なる教えを詳しく解説しよう。さらば！
2014年8月10日 17時54分 ◎＃※   ０Ｋ＃
南天鸞務院院尊　豁落霊官王天君
第卅一回　 徳沢の効用
第十七回　 同儕相扶
南天鸞務院院尊　　豁落霊官王天君
大道の徳沢十八回　　親友共に助けて大徳敦し
第三十二回　宗教の徳沢
第十八回　 親友共助
親しい友人や同僚が互いに支え合う過程
益友と損友を区別すること、これは人道世界における全ての生き方の方向性を区別するものであり、有情の「善と悪」の因縁から来る区別です。この大宇宙の中で同輩と呼ばれる者たちは、互いに支え合うこともできれば、互いに引き合うこともあり、それは各人の態度によって決まるのです！
すべての善悪の因縁とは、つまり現世および累世にわたって積み重ねられた因であり、またこのような益友と損友という前提のもとで、必ず人為的要因によって互いに成就し合い、また互いに引き合い、さらに人道世界におけるいわゆる同輩の間では、必ず互いに支え合うべきものです。
またどうして互いに引き合うことがありましょうか？友人に損害をもたらすことは、前世や累世からのすべての因縁の蓄積に加えて、今世、今生のすべての行いによって区別されます。損害を与える友人、利益をもたらす友人、これらは人間世界において達成されるものであり、どうすれば向上させることができるでしょうか？
むしろ下方へと沈んでいくことに限定されるのではなく、これは人為的要因によって説明できる。すなわち、「善」と「悪」の因縁を備えた者の区別であり、このような所謂福報の有無によって判断される。これは人道世界における生存の方向性であり、互いに集まり合う人類衆生を指し、相互に支え合う行為をいうのである。
親しい友人同士の良き縁
このように言えるだろう：親族と友人との相互の縁において、古くから「人は親しむべき土壌に親しみ、親族はさらに親しく、友人は同じ志を持つ者と交わり、良き友こそ最善である」と言われてきた。これもまた人道世界において言われるものであり、親族と友人との主要な縁の根本こそが、人道世界に対して真に貢献できる、すべての親族と友人の存在なのである。
親というのは相互の縁によって成り立つものであり、生まれてから老いて死ぬまでの間を、最も親しい人と言うことができる。この中で、親族が互いに共に生活している者は、真に最も親しい人を持つことができるのであり、前世の良き因縁を積み重ねた結果、今世、今生において初めて互いに共に生きることができるのである。
また、最も身近な親族に対して言えば、同じ屋根の下で共に暮らす、このような縁起の条件は、父母、兄弟、姉妹、子供、甥姪、孫、曾孫、および互いの嫁姑など、、、これらすべてを親族関係と言い、この一層親密な関係において、共に生活していると言えるのです。
つまり、自分が家庭の中にいて、すべての生活の起居、また全ての行動や動作が、互いに一つの屋根の下で共に生活する。このような時間は長くも短くもあり得る。しかし、時間の長短に関わらず、そこには一種の親情が繋ぎ止めており、生活起居のすべてが、なんと貴重で大切な天与の良縁であることか。
親しい友人や同僚との良き縁
このような天与の良縁を持つことは、人々の世界において親族縁と関係を持つことができると言えます。まさに親族間の感情が積み重なり、互いの親密な縁の関係を維持することで、親族間の親密な関係はさらに深まり、友人に対しては良し悪しの区別が生じるようになります。
人道世界において、友人とは益をもたらす者もいれば、損をもたらす者もいる。この友人関係は、肉親に比べて血縁の絆が一層薄く、また相互の因縁関係も異なる。しかし、互いに成長を促し合う因縁という観点から見れば、時に肉親よりも親密になることもある。なぜなら肉親に対しては、必ずしも心の奥底まで理解し合えるとは限らないからである。
このように言えるでしょう：互いに心を知る者に対しては、最良の親友に及ぶものはなく、ここに親族を見ることができます。時には家族の縁よりも友人との関係の方が、より親密で心と心が通じ合うことがあるのです。これは「真心をもって接し、心を知って大切にする」という縁の中から生まれる友人こそが、家族よりも「マッチ」した存在だと言えるでしょう！
このように親しい友人は「マッチ」と呼ばれるような存在で、生活におけるあらゆる良し悪しについて互いに支え合い、助言し合う関係にあります。つまり、真心を尽くす者、心の通い合う者、良き友というものは、非常に見つけ難く、得難く、備わり難いものであり、それは必ずや自分自身の前世の因縁の善し悪しによって判別されるものなのです。
貴人は多寡によって良き縁を区別する
これは親しい友人を持つ者に対して、あらゆる行動において互いに支え合い、すべての困難や挫折を乗り越えていくことである。これはまた、人間世界における区別を経て、友人に対しては正直に、誠実に、忠告をもって互いを高め合う相互の成全でもある。人の世に生きる中で、真に心を通わせ合う誠実な良き友は必ず存在するだろうか？
これらはすべて相互関係であり、あなたの前世と今生におけるすべての行いによって、友人の多寡が区別され、またこの世での恩人はどれほどいるかが分かれるのです。さらに、良き友人を持つことの貴さは、互いに戒め合い、過ちを犯した時には諫めて改善を促すことができる点にあります。これはつまり、人間の世においては過ちを恐れる必要がないと言えるでしょう。
ただ恐れるのは、過ちを犯した後に、心を許せる真の友人や親族が諫めてくれず、一つの過ちからまた過ちを重ね、さらにはますます甚だしい過ちを犯すことだ。一度、二度、三度と過ちを繰り返しても、なお悔い改めて自らを正そうとしない。あなた方はこれをどう言うだろうか、このような過ちはどうだろう、まさにどうしようもないことではないか？
このようなどうしようもなく、繰り返し誤りを正せない状況に対しては、こう言えるでしょう。世間の人々はただ生きている屍、動く肉に過ぎず、向上して超越することは極めて難しい。人道世界はまさに、この種の変えられない誤りと苦境の中に深く身を置きながら、なおかつ向上して超越することが非常に難しい状態にあるのです。
親しい友人たちと共に問題を解決する
これはどうしようもないことである。来世には必ず再び機会が巡ってきて、修正することができる。また、正しいか間違っているかの分かれ目があるのに、なぜ共に助け合わなければならないのか？必ず理解しなければならない。人道世界こそが集団で生活する世界であり、すべてを人類衆生と呼び、互いに共存し合う様々な業界の中で生きていくことができるのである。
あらゆる業界には、通貨因縁によって積み重ねられた相互の蓄積が具わっています。このような通貨因縁による具足は、必ず福縁の積み重ねを必要とし、それによって初めて「具足」と呼ばれるのです。人界において福報の具足がなければ、通貨因縁によって積み重ねられたものを具足させようとするのは、おそらく、自らの望む通りに成就を遂げることは難しいでしょう。
また、福報や福縁が具わるのは、福田を耕し植えることによって積み重ねられたものであり、すなわち「陰徳の積み重ね」による「陰功の福報」である。これは人の世で言うところの、通貨の因縁が具わり積み重なることである。しかしながら、人の世で福田が深く根付くとされるのは、自らが無為の布施を行うことによって具わるものである。
自分自身の豊かな蓄積に対して言えば、一人の人間世界を生存志向として備えることは、通貨因縁が具足しているか否かによって、有無の差別性を分かつものである。また、人間世界における通貨因縁とは、前世と累世におけるすべての布施、および今生における福田の深耕から来るものである。
共に支え合えば良き縁が生まれる
このようにして通貨の蓄積を助け合い、富の縁起に対する志向においては、真に欠乏の憂いなき境地に至ることが正道である。また、人間界において言えば、富の通貨縁起は果たして欠乏の憂いなき境地に達し得るかどうか。さらに、通貨をもって他の生活必需品と交換するのである。
これはまた、共助の主要な因縁の根本に対して、すべての生活用品と器具を豊かに蓄積して生活を豊かにするかどうかを問うものである。このような人道世界の生活必需品は、大部分が通貨の因縁によって交換されなければ、真に充足することはできない：快適さ、便利さ、普及性の促進と創造を。
生活の方向性を考える際には、同時に、人間の生活必需品が備えるべき快適さ、利便性、普及性についても考慮しなければなりません。なぜなら、このような生活必需品は、あらゆる産業の生活因縁から生まれ、人々が自ら蓄積した通貨で他の物品と交換したり購入したりして使用するものだからです。
さらに、自身の家庭を温飽に足り、不足に悩まされることなく過ごせるようにすることもできる。これはいわゆる人道的な生活のあらゆる志向において、各業種が共に創り出し、社会の安定、快適さ、利便性、普及性を目指す、このような生活の志向が集団生活の中で積み重なることで、必ずや良好な生存空間が生まれるのである。
共に助け合い、生活が良好になるよう支援する
つまり、地域性、社会性、国家性を持つ、いわゆる集団生活の必然性の中に共に生きているのです。この世はまた、共に生きる場であり、互いに補い合い支え合う中にあります。有情の衆生が共に生きるということは、一つの地域に縁あって集うことであり、それは前世からの因縁を積み重ねて集い合ったものなのです。
古人は言う：十年の修行で同じ船に乗る縁ができ、百年の修行で同じ枕を共にする縁ができる。今生・今世におけるすべての相互扶助の縁は、個人の行いによるものであり、融合した繁栄する社会の中で区別される。人道の生活において、もしこのような群居生活がなければ、どうして生きていけようか。
一人の力で自分と家族を養い、安楽な生活環境を築くには、非常に長い時間が必要です。このように言えるでしょう：集団生活におけるあらゆる利点が減少し、より進化した成長を遂げることは困難になります。これは人類の生活様式の必然性について、過去と現代の時代の違いによって区別されるものです。
科学技術文明の創造と進化については、また天と地ほどの違いがあり、互いに比較することもできません。さらに、あなたがたはもう一度よく考えてみてください。様々な業種が貢献してこそ、現在の生活の進化と向上があるのです。では、このような進化と成長が、どのようにして人類衆生の快適さ、便利さ、普及性という成果に到達するのでしょうか。
親しい友人と共に助け合い、上へと成長していく
各業界、各分野の人々が心血を注いで努力を重ねる中で、大きな力の集合体が形成され、今日の時代の進化と創造がもたらされました。これはあなた方の科学技術文明が進化・向上できるだけでなく、最も親しい家族にとっては相互扶助を通じて向上し、また良き友人にとっては支援を通じて成長を積み重ねることができるのです。
むしろ損をもたらす友人をそう呼ぶのではなく、もし損をもたらす友人がいなければ、どうしてすべての過ちを骨身に刻むように積み重ね、次に同じ過ちを繰り返さないようにできるだろうか。したがって、損益をもたらす友人に対しては、人道世界において創造と向上を達成し、またこの創造と進化によって成長するということがあるのだ。
また、この人生、この世におけるあらゆる生活の方向性に必要な品々は、まさに日進月歩する他の分野や様々な業種を通じて提供されるものです。生活の快適さと安定に必要なものこそが、快適で便利な普及性を蓄積できる基盤であり、これは人道世界において、親族や友人たちが互いに助け合うことの最良の証左であります。
人道世界の生活は集団生活から離れることはできず、自ら孤独な生活を望む以外は、必然的に集団生活において互いに支え合うことができます。また、このような支え合いは、家族と共に暮らすことや友人同士が互いに助け合うことに区分され、これは人道世界で言うところの：生存の方向性における安らぎと適応です。
自らも利益を得、衆生をも利益する
真の利益と獲得が生まれるのである。人道世界におけるいわゆる生活の安定性というものは、すべての人類に共通する責務と使命、そして任務に由来する。これは、すべての生活において、人為的要因を通じて、真に快適さ、安定性、利便性の普及を向上させることができるかどうかが、正しい道なのである。
これは、各々の身内が自分たちの家族に対して相互に守り合う行為ができることから来ており、さらに他の人類衆生がそれぞれの業種や産業の産物を提供することで、人類衆生は相互に補い合うことができる。また、この中には益をもたらす友人もいれば、損をもたらす友人もいるが、必ずや各々が持つ福縁の中から見分けなければならない。
善き因縁と悪しき因縁が具わっているかどうか、未来の成就是如何なるものか。これは人道世界において創造し得るものであり、「向上、進化」という最も主要な因縁の原動力によって、このような成長と成就を実現するのである。汝らがこのような現代の因縁に身を置き、いわゆる時代の科学技術文明と呼ぶものは、まさに深く厚い福徳の縁を積み重ねることが必要であり、これを具えているのである。
益となる友は良善と謂い、損となる友は胆寒と謂う。
善悪の因縁は両端に分かれ　　成長と墜落は因果の巡り
親しい友と共に助け合い成長し
どの業界でも皆が報われる
日常生活必需品　　快適便利普及常
この偈を！同じく有情の衆霊子たちが互いに励まし合いましょう！あなた方の人道世界における親しい友人たちが共に助け合い、互いに分析し合い、損益の友を成就させる中で、自ら知識と経験と智慧を積み重ね、成長のための資質を備えることができれば、一つの過ちを繰り返すことなく、さらに甚だしい過ちに陥ることもないでしょう！
西方道研菩薩
西方の縁は深く厚し　　道は降りて来たりて架構を成す
菩薩は台に登り賢者と会い　　親しい友と共に助け合い主軸となる
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は鸞門院尊　豁落霊官王天君が降臨され、「大道德澤」第十八回を著作されました。人道世界における親友の相互扶助について、互いに分析し闡明されましたが、あなた方の生活における徳の恵みはいかがでしょうか。
このように区別することができます。人道世界の向上という観点から言えば、このような日常生活における起居から得られる他の生活必需品の質は、様々な業種・職業の人々の苦労に満ちた創造から生まれ、精緻な物産を実現させ、自分自身が快適で安定した便利さを普遍的に享受できるようになることで、良き恩恵がもたらされるのです。
もしあなた方が現代の科学技術文明を基準に考えるならば、五千年にわたる時空の因縁を振り返って言えることは、まさに豊かさに満ちているということです。人間の世界はこのような因縁によって、衣・食・住・行・育・楽のすべてにおいて、必要なものが整い、まさに非常に快適で便利、かつ広く行き渡っていると言えるでしょう。
明日もまた土曜日、これもまた良い機会です。互いに学び合い、助け合うことでこそ、自らの功徳を豊かに積み上げることができます。これは皆さんが学び、成長し、布施を行う最良の時であり、皆さんはこの機会を望みますか？これによって善きものは増長し、向上と超越がもたらされるでしょう。皆で一緒に努力しましょう！
次回第二期：まさに人世間の丁亥年中秋節、崇心宗脈の仙仏老師も皆様と共にこの佳節を過ごすこととなり、また今回は聖諭の著作となります。授業終了後は皆で月の輝きを共に賞し、互いに照らし合うことができます。ご苦労様でした。すべて吉祥であります。ではまたお会いしましょう！
2014年8月15日12時07分◎＃※   了解＃
南海古仏
第三十三回　教化と徳沢
第十八回　 親友共助
南開の大道は群生を渡し　　海中の珠珍は浮き沈みせず
古仏今に伝わり徳沢来たり　　社稷貢献して大道真なり
第三十四回　教育の伝承
第十九回　 社稷貢獻
人は世に生を受ければ、必ず群れを成して生きるものなり
すなわち、集団生活の習性から離れることはできません。そのため、人間世界においては群居する動物であり、またあらゆる時空と局面において相互に連環する作用があります。このような人為的要因による生活様式において生存の方向性を定める際には、必ずや集団がそれぞれの持つ力を捧げることが必要となります。
初めて、それぞれの時空の縁によって、快適さ、便利さ、普及性を集約することができます。また、このような生存習慣は、各人が自ら一部の心を尽くして貢献することから生まれ、生存の方向性に対する真の利益を集約することができるため、これは大いなる天地において必要なことなのです。
すべてのものを指して言うならば、人道の生存に必要な要素の中で言えば、国家への帰属は、自分自身と他のすべての生きとし生けるものの利益と幸福に対して、人道世界が真に生存の方向性に依拠できるようにするものであり、国家への貢献とは、つまり現代の地域社会において言うならば、その上には一つの国が管轄しているということです。
これを一地域の依存動作と呼び、このように社稷もまた一地域的な生存方式である。あらゆる生存依存は全郷里の人々を集結させ、さまざまな生活必需品を提供し、自らが必要とする様々な物品を利益として得ることができる。これこそが群居生活の中にある徳沢なのである。
社稷は皆を一つに集める
人類の衆生が依存することを示すことができ、これは大いなる天地の中で言われるところの、群居生活の必要性を持つことができるということです。しかしながら、群居する社会に必要な主体の依存は、物品を市場で購入し販売することを提供することから来ており、それによって通貨の因縁による取引行為が生じることを理解することができます。
この通貨因縁を具えた取引行為は、各人の通貨福報の多寡によって区別されます。では、いかにして自らの通貨因縁を容易に充足させることができるでしょうか。通貨因縁を取引行為を通じて、各人が必要とするあらゆる物品の購入と販売に用いることで、「需給」の条件を形成することができるのです。
社稷に向けて形成されるものは、すなわち集団生活における相互の組み合わせであり、このような生存を志向する一切の機能作用は、必ずや各人の必要と求めるものに応じて、通貨という縁による取引・購買・販売が可能となる。自らが備える販売物品を通じて、通貨という縁を獲得することができるのである。
これは、自らが心血を注いだ結晶に対して得た通貨の充足であり、自分自身および家族全員が食物連鎖の欠如に陥ることなく、こうして言えるのである：食物連鎖そのものに依存しているのは、まさに一つの事務連鎖の結合であり、それによって初めて通貨連鎖の蓄積が充足されるのだと。
国家の機能と効用の必要性
このように「食物連鎖と事柄の連鎖」を相互に結びつける契機は、あらゆる事柄の始まりと終わりとなる。必ずや群居する社会団体が必要であり、自らの労働力を提供して得る通貨の縁、あるいは自らの労働力を物品に加えて交換する通貨の縁は、人為的要因が相互に補完し合うことができるのである。
これはまた物を貨幣と交換するか、あるいは労働力を貨幣と交換することであり、最終的な目的は、貨幣によって家族全員の衣食住を潤し、温飽を満たすことであり、これは正しい道である。さらに、一つの家庭が安定することは、人類の生存の方向性が依存する重要な基盤であり、全体の社会に対して「食物連鎖と事象連鎖」の結合を提供することになる。
これを生存志向と呼ぶ。また、このいわゆる生存志向は人類に由来するものであり、食物連鎖の必要性が生じる。食物連鎖によって構成され、はじめて事物の連鎖が結びつく。このような人類の生存における相互依存による補完関係は、生存依存の志向機能を有すると言える。
このように言えるでしょう、社稷（郷里）において共に暮らすすべての人々は、互いに各人の必要とする欲求に依存し、食物連鎖から事柄の連鎖へとつながり合っているのです。これを、郷里が食物と事柄を提供し合う相互の縁（えにし）と呼びます。
人類と衆生のすべての生存に貢献する
有情世界の人類衆生は、この種の相互成全と相互局限から離れることはできません。これは現代という時代が必然的に生み出す産物であり、生活の快適さ、安定性、利便性、普及性と呼ばれるものは、食物連鎖と事象連鎖の各担い手が相互に結びつくことによって、それぞれに提供されるものなのです。
お尋ねしますが、有情衆生の中で、食物連鎖の必然性や、事物の連鎖によって結びついた必要性を経ずに済む者は果たしているでしょうか。人類の衆生は、もし過去の時代であれば、深山や海辺で独り生活することも可能でした。しかし現代においては、都市と地方の距離は縮まり、特に生活に必要なあらゆる物資に関しては、その隔たりはほとんどありません。
言えることは、これは非常に豊かで十分な状態です。通貨という縁さえ備わっていれば、いつでもどこでも、自分が好きで必要なものを購入することができます。食、衣、住、行、育、楽など、生活全般にわたる物品はすべて通貨という縁によって購入することができ、あらゆる生活に必要な器物を満たしているのです。
これは現代の科学技術文明がもたらした恩恵であり、豊かな衣食住の生活環境を享受できるようになりました。また、この豊かな生活環境を維持するためには、多くの人々の協力が必要です。それは異なる時空において、衣・食・住・行・育・楽など、あらゆる物質的な必需品を含むものだからです。
人類の衆生にはそれぞれの職業があります
一切の生存志向の必要性に対して言えば、これらの生活に必要なすべての物品は、あなた方に快適さ、安定、便利さ、普遍性をもたらすことができます。もし通貨だけがあって、一切の物品が生み出されないならば、その通貨（お金）だけでは、お金を食べ物として口にすることはできません。
このように、生活に必要なあらゆる品々を数多く提供し、市場取引を通じて販売した後、すべての人々が容易に自分に必要な物品を手に入れ、自分自身と家族全員の衣食住を満たし、楽しみ、快適さ、利便性、そして普及を享受することができるようになるのである。
また、現代において社会（地域）に対して形成されるあらゆる生存志向の機能と効果は、各人自身に由来するものであり、同時に自己の力を提供することでもあります。つまり、各人がそれぞれの立場で安寧を得ることが、各人の安定した生活につながり、社会全体を集合させることで、相互に全体の安定した生活を高め合うことができるのです。
また、人間の生存における必須の方向性として、食物連鎖と事象の連鎖を統合し、社会と国家の安定と調和を実現することが求められます。これによって初めて安定した生活空間が得られると言えるでしょう。これは一般的な有情衆生が追求する目標と方向であり、すべての良き縁に恵まれた生活を築く基盤となるものです。
貢献の働きは人類の衆生に利益をもたらす
つまり、いわゆる善良な衆生にとって、安定した生活を維持するための必要性があるということです。これは人類の衆生が求めるべきものであり、安定、衣食住の充足、快適さと利便性、そして普遍性があってこそ、人類の生存の方向性が真に平和な力を生み出し、素晴らしい生存空間が形成されるのです。
したがって、全体が各人の力の発揮と普及を統合し、ある時空の因縁において、いかなる国家の指導者であれ、あるいは社会（地域）の指導者であれ、広い視野と寛大な心を持つことができるかどうかが、全体の：社会、国家、団体、組織の未来の幸福の大きさに関わってくるのである。
これらはすべて、人間の生存の方向性に対して、広く大きな視野と心を持つことが必要であり、真に主導者の心の大きさがどれほどあるか、見識がどれほどあるか、智慧がどれほどあるかを理解できるかどうかに関わっている。各地域の人類衆生にとってそれが福祉となるか、災いとなるかは、すべて主導者の管理制度が広く大きなものであるかどうかにかかっている。
このような視野、心の広さと度量が広いかどうかこそが、真に大衆から恩恵を受けられるかどうかを決めるのです。したがって、人類の生存の方向性に対しては、必ずや全ての田畑や財産を社会に貢献するために提供し、本当に皆から認められるかどうか、あるいは単に自分だけの「独占的享受」に留まるかどうかが問われるのです。
誰もが集団を持つべきです
これによって、ある指導者の心の広さ、見識、度量の有無を見分けることができる。人間の生存と依存はすべて集団生活から来ており、互いに助け合い、共に成長するという相互補完の精神を重視する必要がある。また、この相互補完とは、社会の一員として誰もが責任、権利、義務を負っていることを意味する。
安定で快適、便利な生活空間を維持することは、社会の安定に貢献する最も主要な原動力です。もし社会の安定を支える原動力が欠如すれば、社会の人間や衆生が互いに補い合い、依存し合う行為を成し遂げることができず、行き過ぎた時には必ずや一斉に反抗するでしょう。
もし次回の選挙の際には、その当選の実績に再び票を投じることはないでしょう。これによって理解できるのは、なぜ国家に最も貢献した者が、より多くの人々から確かな支持を得られるのかということです。今や時代はすでに民主選挙の時代に入っており、かつての千秋万代にわたる古代帝政の継承は、もはや見られなくなったのです。
有徳の者は長くその地位に留まることができ、無徳の者はやがて淘汰されていく。このような状況が、子孫にまで及ぶ福徳を生み出す。その徳の恩恵とは何か？それは人為的要因によって明らかに見て取れる。もはや昔のように受け継がれるものでもなく、また子孫に真の徳の恩恵をもたらす政治的業績を見ることも難しい。まさに己をも利し、人をも利するものなのである。
社稷への貢献は最も大きな功績である
すなわち、国家の安定を補助する力としての役割であり、特に上に対しては下に対しては、徳の恩恵が広く行き渡る機能が必要である。これは人類の生存の方向性にとって、必ず安定の機能と効果を備えていなければならない。また、人道世界は管轄する力が動作に付随することにあり、これを主事者の徳政と呼び、その地域の福祉がどれだけあるかは、これにかかっているのである。
全ての生存の方向性と機能の依存は、最も主要な依拠条件であり、あらゆる時空間の局面において同じである。古代の帝政が、あらゆる国家社会への貢献において、主事者自身の仁政と徳の恵みに由来し、相互に交わり合ってその地域、国家、社稷、郷里の有情衆生に対して応用されてきたことが理解できる。
潤いと安らぎ、安定をもたらす方向性が生まれます。これは自らの力を子孫のために注ぎ、長期的に相互に支え合う統治を実現するためのものです。では、どのようにして長期的な統治機能を発揮できるのでしょうか？非常に長期的な視野と広大な心を持ち、有情の衆生を利益することが必要です。
人類の優れた知恵を上手に活用する
さらに、智慧をありのままに応用することで、有情衆生は快適で安定した、便利で普遍的な生活空間に生きられるだけでなく、次第に生活の質を高次元へと向上させていくことができるのです。これは、人間世界において理解すべきことであり、人間の衆生はより安定した生存を求める傾向にあるからです。
人間世界において、なぜこのような生活の安定、便利さ、快適さ、そして普遍性への欲求が存在するのでしょうか。人間の生存に関する主要な本能は、一つには衣食住の充足と安定に由来し、それ以外は各人の努力の有無、および知識や経験の応用に依存する必要があるからではないでしょうか。
特に！一般の人間衆生は、労働力をもって通貨の因縁の多寡を引き換え、さらに様々な商取引に応用することで、通貨因縁の獲得を通じて自らを益し、また皆が共に益するようになることこそ、真に良き因縁条件を具え、上へと増長・向上・超越してゆく所以であります。
国家の安定は民の生活にあり、民の生活は食糧の豊かさにあり
物と金は互いに引き合い　　労力と交換は必ず釣り合う
社稷が互いに融合し親しみ合い　　快適で便利な利便性を提供します
衣食住行を普及させ　　育樂は更に良き因を成す
この偈は、有情の衆生たちが互いに励まし合うものである！すなわち、上蒼の大いなる徳沢が人類世界の生存の方向へと下ろされ、あらゆる時空の節目が環のようにつながり合い、これこそが人類生存の大道と呼ばれるものである。本日は皆様が著作にご相伴くださり、崇心宗脈のしばしの時を煩わせていただき、誠にありがとうございました。皆様のご多幸をお祈りします。またお会いしましょう！
虚空彩霊仙姑
虚空の因縁は真に殊勝なり　　彩霊の徳意は更に真誠なり
大道徳澤第十九回　　南海古仏降来成
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南海古仏本尊がご降臨され、大道徳沢第十九回を著作されました。一つの社稷の貢献を前回に引き続き記述され、まさに一本の天書に連なるように著作されております。これにより、各回の章節からすべてを理解することができるのです。
あなた方の思考や観念が真に向上するならば、天地の恩恵、大道の恩恵、上天の恩恵、仙仏の恩恵、人類の恩恵が相互に連なり、人間としての生き方を通じて、真実の向上と超越へと至ることができるでしょう。そうしてこそ、安楽、安定、利便、普遍性が実現され、真実の姿となるのです。
明日もまた土曜日で、すべての引渡しは通常通り行われます。崇心宗脈十一周年堂慶が間もなく近づいております。皆様が共に助け合い、この法会を弘め広めることでこそ、真の広がりが生まれ、自らを成就させ、衆生を救済することができます。皆様、お疲れ様でした。吉祥にて再会いたしましょう。
2014年8月15日13時38分◎＃※   了解＃
第三十五回 潤生の徳沢
第十九回　 社稷貢獻
南無、衆生の称える如来よ
燃燈の心法、徳沢を排す
古仏降著二十回　　上蒼の徳沢大道開く
第卅六回　 成全提昇
第二十回 　上蒼德澤
有情なる衆生の全ての生きる方向
人道世界に生まれ潤いを得る過程において、社会と国家が相互に補完し合う様相を観察することができる。この中で、人為的要因は必ず相互に補い合い、また潤いを得ることが必須条件となる。このいわゆる生存志向は、人間生活の習性から生まれ、潤いを得ることに依存している。それは人間生活の必然性によるものである。
このようにして、人為的要因を経て、また人間界において生活必需品を提供することができるようになったことが理解できます。この中には必ず多くの有情衆生が存在し、互いにそれぞれの職業や業種において助け合いの機能を果たし、生活を潤す中でのあらゆる生存の方向性、そして各人が必要とする欲求に対して貢献することができるのです。
すなわち、あらゆる業種・業界が、バランスの取れた要求を満たすために、人為的要因に対しては人道的世界という観点から、潤いある生活に収益や報酬の還元作用をもたらす。その中でも特に通貨の縁は、あらゆる物品の購買と販売において相互依存の必然性を有している。
まさに人道世界が統合を担い、各人が求める快適さ、安定、普及した利便性を実現する。これは人道世界において、あらゆる職業の生き方を区別することなく、通貨という縁によって物品が備わり、また通貨という縁そのものに対する相互の欲求から生じるものである。
天はその徳の恵みを万物とすべての生きとし生けるものに施す
このいわゆる通貨（金銭）を用いて購入する、あるいは物品への欲求を売買する行為において、各人が福徳の通貨（金銭）を蓄積する必要性が生じる。まさにここにおいて言えるのは、通貨（金銭）の相互性が具わっているか否かによって、各人の福報の多寡が形成されるのか、そして金銭という資糧の源泉は何か、ということである。
すなわち、金銭（通貨）のエネルギー体はどれほどあるのか？人道世界の有情衆生の中には、必ず通貨（金銭）への需要を求める者がいる。つまり、集団が一つの地域に居住し、快適さ、安定性、普及性、利便性を備えることによって初めて、「通貨因縁」に必要な条件が具足されるのである。
自らを区別する：すなわち肉体労働や自営業、あるいは物品を売って通貨（金銭）の報酬を得ること、これらの中に人道世界においてどれほどの金銭的資糧源（エネルギー体）があるのか？これは有情世界において言われるところの「手品は誰でもできるが、それぞれ巧妙さが異なる」という作用である。
いかにして様々な芸当を用いて物品と交換し、また物品を売却した結果、通貨（金銭）を充足させるか。もし福徳が深厚な者は、さほど心を砕かなくとも必ずや人間界における一切の生存に必要な金銭を充足させることができる。これは通貨の因縁に対して、交換し合う相互性を有するからである。
上蒼の大徳は慈悲をもって平等に施される
人道世界においては、また金銭によって計られる。自らが備えるべき快適さ、安定、利便性、普及性、機能性、効益の多寡によって言い表される。また各人が費やす：心力、労力、体力、智力、物力…様々な要素を合わせたものが、通貨をどれだけ獲得できるかの多寡を分けるのである。
このいわゆる通貨（金銭）の必要性もまた、人道世界において各人が得る多寡によって統合されるものです。なぜ上蒼が依って立つところが、これだけではないのかを理解する必要があります。人道世界ではなぜ物品と金銭を交換しなければならないのか？あるいは物品を売って金銭と交換するのか。
言うことができる：古代の銭貨、その銭の示現は、まさに金戈戈が相互に結合しているものである。この金が具足するのは、必ずや戈戈両者の相互性によって初めて具足する。今の時代は異なり、往昔の金は兵戎相見によって具足していた。汝らに言えるのは、この兵戎相見を戈戈の相互引き合わせにあるということである。
これは一つの時代が「金戈戈」によって変化し、物々交換から「金戈戈」と呼ばれる通貨へと移り変わったのである。このように「通貨の作用」において、人間の福徳には多寡があるのか？人類の衆生は皆、金戈戈に対する意欲的な追求を好むが、これは正しく正しい道なのである。
天の徳の恵みの働き
人類の衆生は、すべて金銭を呼び物としている。このような状況において、もし金銭があなたの追求に応じないなら、古い諺にあるように「人は二本足、金は四本足」、さらに翼を生やして飛び去ることもある。あなたは到底追いつけず、ただ無駄に悩みを増やすだけだ。金銭を追い求めてはならない、金銭があなたを追いかけてくるようにならなければならない。それが最も重要なことである。
しかしながら、こう言えるだろう。天に対しては、互いに頼り合う人間の必要に応じて、まさに各人の金銭（通貨）の縁によって、充足があるか否かがある。また、人道世界においては、とはいえ、完全に金銭を重視しないわけにはいかない。これは「金銭は万能ではないが、金銭がなければ、決してできない」と言える所以である。
上蒼は人道世界に対して、通貨の因縁を定め給う。往昔の貝殻を進化させて金銀錠とし、また当今の時代には紙幣を沿用した後、未来にはプラスチック貨幣を用いることができる。すなわち現今の時代において、全世界に適用され、もはや現金を持たずとも通行無碍となることを謂う。
このように言われる、未来の全世界共通通貨は、まさに通貨という縁によって具足するものであり、また通貨は「銭の水」である。あなた方は「銭の水」を具足させる方法について、自分自身が安穏に暮らせるよう蓄積する術を持っているか。このいわゆる通貨とは、まさに今この瞬間に全世界を自由に行き来できるものなのである。
上蒼の基本徳沢の功能
これは貨幣そのものの価値観に対して、汝らがそれを備えている必要性があるかどうかを判断することこそが、真実をもって汝らを相互に成全する所以である。また、人道世界が人的要因によって努力し、多くの人道世界では成し得ない因縁を克服し、各人の累世および現在の自らが創造したものに対して作用させるのである。
さらに、各人が持てるものを全て注ぎ込んだ：心の力、労力、体力、物資などをもって、自らが備えるべき通用貨幣を獲得し、それにより自らが真の利益を得るとともに、家族全体も恩恵を受けることができる。また、上蒼の徳と恵みは、まさに大宇宙の天地の下にある一切の有情の万霊蒼生を護り守っているのである。
特に人類の衆生は、皆　上天の大いなる徳の恵みによって示現されている。いかにして上天の大いなる徳の恵みを人間世界に下ろし教化するか？それによって利益を受けた後も、自分がただ金銭の奴隷に固執するだけにならないためには、「人は二本足、金は四本足」で飛び去ってしまえば、しっかり掴むこともできないということを知る必要がある！
人類が通貨流通を上手に活用できなければ、どうして金銭を外に出してさらなる金銭を導き入れ、自らの家に帰すことができようか。このいわゆる「財は来たり去る」ものは、互いに再び集まり合うことができるが、そこには真の布施と譲り合いが必然的に求められる。人道世界はただ金銭を固守することにこだわってはならない。恐らく、次の瞬間にはまた流れ去ってしまうであろうから。
天の恩恵と機会はすべての人に平等に与えられる
汝の家にじっと留まることができないのに、どうして外に出た後、大勢の金銭を汝の家に引き連れて帰ることができようか。それは汝がどれだけの心を注いだかを見るのである。いわゆる「コツと媚び」というものだ。人間が通貨を追い求めても、通貨が汝を追い求めない時は、ただ無駄に煩悶と不足を増すだけではないか？
上蒼が大地に与える恵みは実に多く、あまりにも多いものである。人道世界では深く理解することができない。なぜ上蒼は人道世界のすべての通貨を均等に賜わらないのか？そうではない！なぜなら、すでに均等に賜わっているからである。ただ、それぞれの人が心を込めるかどうか、それに加えて、それぞれの人が払った努力に対する報いがあるだけである。
全体の加算、減算、乗算、除算は、各人の行いによって区別され、またある者は多くの蓄積を増やすことができ、ある者は節約して使い、ある者は平穏無事に一生を過ごし、ある者は全てを一気に使い果たしてしまう。では、このように使い果たしてしまった衆生に対してどうすればよいのか？未来に再び大きな通貨の縁があるかどうかは、必ずしもそうとは限らない！
あるいは一日三食さえ満足に取れないような状況でも、上蒼の慈悲は必ず少しばかりの余地を残し、その後の衣食がかろうじて足りる程度にはなるようになさる。しかし、快適で安定した暮らしや便利さが広く行き渡ることはなくなり、一気に大きく削減される。これはつまり、際限なく欲望に駆られてはならないという自戒の機会を与えられるということなのである。
天は福分を人類の衆生に授け給う
自らの福徳と通貨を消耗し尽くすことは、有情衆生に対する基本的な役割として、有徳者が居るべきであり、有福者が居るべきである。このような「徳と福」こそが財富の因縁を積み重ねるものであり、自分自身や家族に対しては、善良なる：快適さ、安定、普及、そして利便性をもたらすことになる。
上蒼の福分の授かりは、まさに自らが日常の中で「福分と徳性」の両者を積み重ねた結果であり、人間界、特に中土の炎黄の子孫は、とりわけ福德正神を深く崇敬し拝む。しかしながら、福と徳は、汝らが最も欠くところの二つ、重要な資糧の源なのである。
これこそ自らのエネルギーである。また、福と徳が具足するのは、自らが行う財施・法施・無畏施という三つの布施に由来する。この三施を並行して実践することが、すなわち福であり、徳であり、財であり、入って来るものなのだ。もし福がなければ財もなく、徳がなければ財もない。通貨が入って来ることを願っても、根本的に求めることさえできないのである。
人道世界は常に財産の充足を追求しており、必ずやあなたの「福と徳」がどれだけあるかを見て決定する必要があります。また、あなたが費やしたもの：心力、体力、物力、労力など、様々なものを積み重ねて、初めて本当に通貨を充足させることができます。これはあなた方が本当に通貨を得る因縁にとって、最も基本的なエネルギー体なのです。
人道世界は具足と需要を備えている
これに対し、衣・食・住・行・育・楽という六つの基本機能の効用は、必ずや自らが具え積み重ねた中から、より多く、より大きな資糧源（エネルギー）を得るものである。この中において、上天が汝らに真の受益の余地を与え得るか否かは、もし単なる生活空間のみであれば、やむを得ないことなのである。
ここにおいて人道の生存の質は、非常に大きな区別があります。誰であれ、生活の必須条件において安適に暮らすことができます。ただ、各人の心の力の投入の中で、どれだけの基本的な収益を得られるか？各人の通貨への欲求の縁、および生活の質の向上に対して、どのような区別があるのでしょうか？
人界におけるいわゆる生存の方向性は、真に自らの通貨エネルギーを持ち、人為的要因を通じて蓄積し、福分と徳性を備えることができる。これは千古より変わらぬ法則であり、すなわち、汝がどれほどを費やしたかが、未来にどれほどを得られるかを決定するのである。決して少しの漏れもない。
通貨の縁起と食物連鎖及び業務連鎖
人界になぜ生活が必要なのでしょうか？なぜ「食物連鎖と事柄の連鎖」の結合が必要なのでしょうか？もし食物連鎖がなければ、人間世界は働かずともすべての生活ができる状態に流れてしまいます。このように、もし人界に食物連鎖が必要なければ、事柄の連鎖も必要なくなり、働く必要もなく、ましてや通貨という縁も必要なくなってしまうのです。
つまり、食物連鎖は必要とされず、この中にはまさに鎖のように繋がり合って、少しの漏れもないのです。有情世界でいわゆる生存の方向性は、必ずや事柄の連鎖が通貨の因縁を通じて互いに補い合うことで成り立ちます。どのような業界であれ例外はなく、崇心宗脈でさえも様々な業界の一つに数えられ、教育文化の課程を実践しているのです。
たとえ大道の聖なる務めを広く展開するために天が冠を授けたとしても、このように大道を弘めるには、果たして通貨という縁を必要としないだろうか？ まさに必要なのである！ もし通貨という縁がなければ、あなた方はどうやって大道を弘め広げることができようか？ あなた方はみな、食事、睡眠、車での移動、歩行、書籍の印刷、教化の広布など、すべてにおいて通貨という縁を必要としないというのか！
人類の衆生は互いに支え合わなければならない
互いに必要とし合うことができてこそ、どうすれば自らが豊かな通貨因縁を積み重ねる境地に達することができるのでしょうか。それはあなた方が知識と経験を応用し、他者のすべての前車の鑑を積み重ね、智慧の成長に善用し、通貨因縁をもって大道弘化の普及に必要なものを具足することにあります。
これは単に宗教の志業に対してだけでなく、人類のあらゆる職業分野においても、あなた方には「目標、時機、方向、努力、堅志」という五つの要素が互いに補い合い、あなた方の実践方法に応用されることで、必ずや将来、真の成功を収めるための要件が備わることになります。
これは仙仏があなた方に与えた相互成全の機縦で、すべては自らの手の中にあります。これを弘揚・推広と呼ぶのです。あなた方はこれを活用できるでしょうか？それともいつまでも嘆き、雑念に囚われ、くどくどと愚痴を言い続けるのでしょうか？「通貨因縁がない」などと言い訳して。これは他の衆生に対する戒めとしても同じ道理で、必ず真の成長と成就を得ることができるのです。
天の徳と恵みは均しく等しく
福分と徳性は元より自ら生ず
福と徳は財を生むことができ　　徳と福の正神はこのように成る
人間の縁は通貨を要す　　通貨は水の如く本より貴し
プラスチック貨幣は今すぐに使え　　有情の衆生も共に行動を起こす
この偈を！同じく有情の衆霊子たちが互いに励まし合いなさい！　上蒼の徳沢を下ろして人道世界に化する必要性は、水が来るのを銭水と謂うが如しである！その中の秘訣を理解できるかどうか。まさに今、汝らが具足することができるこの因縁、今日の仙仏が示す所の深意を、汝らは細かに体得してまた如何であろうか？
これはあなた方に十分に備えさせるためであり、「金銭と水、金銭と水」の必要性についても、人間の衆生にすべての良き因縁と条件をありのままに提供し、向上し成長し超越していく必要性です。皆様、本日はご苦労さまでした。今日のご相伴に感謝し、あなた方の祝賀の心遣いに感銘を受けます。ありがとうございます。すべてが吉祥でありますように。ではまた。
虚空彩霞仙姑
虚空の因縁は極まりなく生じ
彩霞の有情は皆、互いに成し合う
仙姑は今日当番で参ります　　諸賢と共に有情の集いに臨みます
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日、本宗脈の大宗師である南無燃燈古仏がご降臨になり、崇心に戻られて『大道德澤』第二十回を著作されました。これは、皆様が真に理解できるよう、皆様の通貨因縁における全ての不足と欠如について明らかにされるものです。
このように応用することで、自分自身はどのようにして通貨の因縁を具足できるのでしょうか。つまり、あなた方が言うところの「マネー（MONEY）」を具足することです。これはまさに、あなた方の未来と現代において、真に具足することのできる殊勝な条件なのです。
2014年8月16日15時17分◎＃※　　０Ｋ＃
南屏道済古仏
◆ 跋・讃賀 ◆
大道シリーズ 宇宙に展開　　徳沢 跋を作りて互いに行く
◆ 本文 ◆
第二十回 　上蒼德澤
南屏は衆生の霊を守護し
道済は降りて大道を行ず
古仏の著作廿一回　　玉帝の慈仁、福祉新たなり
◆ 跋・讃賀 ◆
跋    一
◆ 本文 ◆
第廿一回　 玉帝慈仁
上蒼の徳沢は下って人道世界を化す
有情なる衆生の原霊が到達するに当たり、真に人道世界の福祉を向上させることができる。それゆえ、現代は過去のすべての人世間の進化に対して、まさに上天が基本的な枠組みを成している。この中で特に、昊天玉皇大天尊玄霊高上帝と玄穹高上帝の両尊が、大いなる仁徳と慈悲をもって護り導いてくださっている。
このような徳沢の依り代は、玄霊高上帝が九五至尊の位に登られて以来、昊天星際を司り大いなる天地を統治され、あらゆる徳沢は地冥星全体を高めるためにあり、科学技術文明に対して真の恩恵をもたらすことができる。これは地冥星から見れば、あらゆる科学技術文明が創造するものは、情ある人類衆生に利益をもたらすものである。
すべての聖神、仙仏の共同議決により、この21世紀を真に完成させ、人道世界の生存の方向性に対して、必ずや真実の向上と恩恵をもたらすことが必要である。度重なる、無極界、虚空界、昊天界の連携による各天界の行政会議において、この決断がなされたのである。
過去のあらゆる生存の方向性に対して、つまり地冥星に入って潤生を行うことができた者、およびかつて生存した聖仏、さらに外宇宙の有情なる原霊仏子たちなど、かつて地冥星に駐留し、そこに居住する因縁のあったすべての者を選別し、互いに「将を借りる」作用を通じて高め合い、成就させるのである。
玉帝は慈愛に満ち、仁徳をもって衆生を潤す
初期に外部星系から招聘したこの200万人以上のハイテク人材は、地冥星において研究、発明、創造を通じて育成され、今日の地冥星の科学技術文明を築き上げました。さらに人道世界に真の利益と収穫をもたらし、まさに諸天の仙仏や聖神たちが共にこの21世紀の向上と創造を支えてきたのです。
元々は、地冥星を再び混沌へと移行させる更新作用を、二、三十余名の聖神や仙仏らが共に玉帝に懇願し、この天命を取り下げていただくことでした。これは、昊天玉帝がなぜ禅譲による退位をされたのかという理由によるものです。したがって、昊天玉帝が禅譲された後、改めて考え直し、改革を進めることとなりました！
玄霊高上帝が九五至尊の位に登られた後、全ての地冥星の有情衆生についてお考えになりましたが、このような状況下では、依然として真の向上や超越を果たす因縁の根本を得ることができないということでありました。しかし、昊天玄霊玉帝は再考を重ねられ、このいわゆる向上や超越ができないという限界について、新たなご判断を下されたのであります。
これは単に、現在のこの時空の因縁によるものではなく、さらに、過去六万年近くにわたってずっとそうであったのです。さらに、第一元会と第二元会におけるすべての科学技術文明の発展を見ると、地冥星が人道世界に対して、真により大きな成長に向かうことが必要であり、そうして初めて人類衆生に利益をもたらすことができるのです。
玄霊玉帝は有情の衆生に徳沢を施す
即ち、昊天、無極、虚空において、幾度となく協議を重ねる中で、この21世紀を再調整し、140年余り前に「借将」の役割を果たした科学技術文明を、地冥星へと下ろすこととなった。これは昊天玄霊玉帝の慈愛深き御心によるものである。
南贍部洲の全ての科学技術文明を地冥星自体に引き上げて創造し、科学技術の成長を進化させる主要な因縁は、まさにこの種の文化に焦点を当て、科学技術文明を向上させ超越させる革新であり、ほぼ三十年以上の歳月を経て、すでに真に「借将」の科学技術文明を地冥星の中に下ろすことができるようになったのです。
有情なる衆原霊子の生活の方向性と生存の方向性に対して、快適さ、利便性、普遍性を実現することができる。これは人道世界に真の利益をもたらすものであり、また汝らはこのような殊勝な因縁を経て成就に至り、さらに過ぎしすべての帝制の徳沢を互いに修整し合うこととなる。
古き帝制の徳沢ゆえに、地冥星の中に再び生じたものは、多くのが化し難き障害を抱えている。このいわゆる徳沢の障害に対し、各時代の有情衆原霊子たちは互いに利益を受け合い、すべての回収を享受することができる。これこそが、各時代がそれぞれの因縁を持つ所以である。
昊天玄霊玉帝の大いなる徳と恵み
このいわゆる「帝制の恩沢」において、互いに補完し合うことができるのは、まさにこの「帝制の恩沢」が、過去の各王朝の守護、成就、そして慈しみを通じて、各時代の民衆を相互に守り支え合うものへと至り、また幾度となく繰り返される各王朝のすべての交代作用を経てきたからである。
また、多くの場合、殺戮行為を経なければ王朝や王位を獲得できない者がいるが、これは各王朝が生み出した殺戮行為であり、上蒼の視点から見れば、まさに取るべきではない行為である。そのため、上蒼はまた各宗教の教主や教尊が共同で協議し、昊天玉帝の職務を推挙することを採用しているのである。
これは大寰世界の各朝代において、およそ三百余年にわたり、共推あるいは選挙制度を通じて生み出されてきたものである。このいわゆる共推や選挙は、すでに現代において人道世界の各国の選挙制度を確立し、さらに人道世界の過去の朝代におけるすべての移り変わりを改めるものとなっている。
もはや殺戮行為によって生み出されることはなく、まさに 上蒼が大いなる天地の中のすべての国の選挙制度に対して、共推あるいは選挙によって生み出されるように、このような 上蒼の大いなる慈悲の徳沢がすでに人道世界に下って施行され、先祖の徳沢を受ける者にはすべて機会が与えられる。
上蒼の定めた制度は、すべて施行される。
すなわち、様々な選挙制度や共同推挙制度を経て選出され、さらに民主主義の時代の到来を経て、互いに補い合ってきた。かつての王朝交代の過程では、必ずや民衆は塗炭の苦しみを味わった。これは大宇宙の天地に存在するすべての国々において、二度と民衆を塗炭の苦しみに陥れるような殺戮行為が起こらないようにするためである。
また、人間界の主事者に対しては、王朝交代の中でこう言うことができる。西洋欧米の国々は中国の国々に比べて、優れている点も劣っている点もない。このような徳の恩恵によって、各王朝交代時の殺戮行為を減らすことができる。これは、各個人の祖先の徳に依拠する選挙制度、あるいは各主体の主事者を選抜する制度に対してである。
また、真に上天の職責と使命を担う者が来ることを指す。このいわゆる選挙制度と共同推薦制度においては、必ずや賢能の人物でなければならず、無道な暗君であってはならない。さもなければ、大いなる人道世界や各国の民衆に対して、真に大きな恩恵と恵みをもたらすことはできないのである！
すなわち、徳ある者、道ある者は、必ずや大いなる天地のすべての国々の民を潤し、その福祉を限りなく長きにわたって続かせる。まさにこの因縁の中で、昊天、無極、虚空を経て連なり、共にこのような徳の潤いを選び分け、またすべての仙仏の共議による選択を経て成し遂げられるのである。
玄霊玉帝は慈悲深く冥界の星を照らす
現代という時代において、上天の徳の恵みにより、昊天玄霊玉帝の大いなる慈悲と仁愛が、有情世界にまで及んでいます。このような学びと成長を通じて向上することが、まさに人道世界の真の利益となり、すべての生活の方向性と快適さ、便利さ、普及性をもたらすのです。
これこそが、昊天玄霊玉帝大天尊の慈仁なる徳意が、凡塵世界に下化される所以であり、いかにしてこの科学技術文明を以て、汝らが潤生の中で真に恩恵を受けられるようにするか、すなわち、人道世界において単に生活の方向性をより大きな成長効果へと向けるのみならず、実質的な利益をもたらす道を探求することである。
必要に応じて、いかに自らの経験と知恵を善用するかを理解すべきである。真の福祉をもって向上させるには、すなわち、玄霊高上帝というお方がおられる。本来は古代の赤火星系より南贍部洲に降臨され、三国時代にご降誕なされた。俗名は関羽といい、天界の選挙を経て、衆議によって推戴され、九五至尊の位に登られたのである。
人間界において、「仁・義・礼・智・信」の五常を体現する真の君子としての試練を経て、さらに全ての宗教——五教が共に尊ぶ教えをも包含する——による推挙を受け、更には無極皇母がすべての諸天仙仏を通じて選出されるという過程を経て、現在の昊天玉帝という御名と地位が授けられたのである。これはまさに、五常を体現する真の君子たちによって共に推挙された所以である。
科学技術文明が進化を生み出す
他の五名の候補者と共に、互いに昊天に礼譲し、このようにして再び諸天の仙仏が共に推挙した結果、文衡聖帝　関羽の得票数が比較的多かった。それゆえに、このような因縁によって現在の大寰天地の民主選挙が生じたのであり、これは昊天が西洋欧米諸国に下化し、共にこれを伝承してきたものである。
このように、あなたがたは理解できるはずです。なぜ現代の各国にはこのような選挙制度があるのか。これもまた、上天がもたらした恩恵なのです。古来、王朝が交代する時には必ず多くの殺戮が生じたものですが、それを民主的な選挙による政権交代へと転化させたことこそが、正しい道なのです。
これは、およそ140年余りにわたるすべての「借将」の作用を通じて、かつて地冥星に借将されたものを地冥星に下ろし、数多くの現地の文明を生み出し、地冥星に移植することができるものである。このような現地の科学技術文明の伝授の過程には、記憶再生の思考構築も含まれている。
しかしながら、多くの発明や創造は以前から存在していました。その中でも「心有霊犀一点通」と「通徹科技借将種」の二つは、文明を地冥星に下ろし、科学技術文明を向上させ、創造・研究・発明を促すものです。皆さんはここ30年があまりにも違うと感じられませんか？
科学技術は昔とは違う
全ての科学技術文明は「一日千里、一日万里」と形容することができます。これは、二百万人余りのハイテク人材が地冥星に降り立ち、借り物の役割を果たしながら発明、創造、研究を行うことによるものです。このようにして、現在から達成される非常に斬新な科学技術文明が、必ずや未来に現れることでしょう。
未来において、これらの「借りてきた将軍」を帰還させなければならないが、一部はおそらく地冥星に残ってしまう恐れがあり、一部は必ずや元の故郷に帰りたがるだろう。また一部は帰りたいと思いながらも、自分が俗世に入ってしまったために、もはや戻れず、超えられず、まずこれらの「借りてきた将軍」の役割を果たさなければならない状況となっている。
すべてのハイテク人材が集結し、真の回帰の天梯大道が得られる。この天梯大道は大いなる天地の中で、すべての者が回帰の恩恵を受けられる必須の道である。これは人道世界における「地を移して他を化す、あるいは化して他に移す」という、あなた方の仮想現実が次第に成熟してきたことを通じて実現される。
必ず理解しなければならない、自分はどのような国に帰るのか？どのような星体か？どのようなエネルギー体か？これらの知識観念は、また汝らが知らなければならない全ての知識過程であり、そうでなければ帰るべき時に帰らず、帰るべきでない時に帰ってしまい、どうして回帰の第一条件を達成できようか？非常に難しい！
上蒼は基本的に慈愛深く、万物の生きとし生けるものを慈しむ。
まさに、昊天玄霊玉帝が九五至尊の位に登り、三十三天界とその下に属する七十二冥地、地冥星も含めて統治するにあたり、このいわゆる「借将」による回帰を、いったい誰が担うことができるのか？それは借将の役割を高め、人道世界におけるすべての創造と発明を促進することにある。
自らが選択した道、帰還を望むか、留まることを望むか？その鍵は、このような時空の因縁の中で、これらの発明者たちを借りる機会を得られるかどうかにあります。あなたが地冥星の時空因縁の中で成し遂げた成果はどのようなものか？もしその成果が非常に優れたものであれば、必ずや上蒼より降ろされる資糧の源を通じて、自らが帰還できる境地に至ることができるでしょう。
もし成績が平凡で普通であれば、自分で帰るか帰らないかを選ぶことができる。もし成績が芳しくないなら、戻りたいと思っても垢穢が深重であり、つまり多すぎて、清浄な霊体の光明を現すことが難しく、これは帰ることができない。誰であれ、地冥星に入った者は皆そうである！
人類の衆生は上昇し超越する
かつて如何に偉大であれ、聖人や神仙、仏陀がこの世に降臨する際には、必ず悟らねばならない。今の汝はもはや過去のあの高次元の仏聖ではないのだ。言うなれば、今もし穢れが多すぎれば、かえってその汚れに引きずり下ろされやすく、汝が度重なるたびに超越的な回帰を達成することを難しくしてしまう。
なぜこのような限界と障害があるのでしょうか？これらの「他星系から招かれた」原霊仏子たちに対しても、また元々地冥星に存在する九二原霊子たちに対しても同じことが言えます。さらに、なぜ真に自らのQNAを自己発光させて高め、自性仏体の成就として顕現させることができるようになる必要があるのでしょうか？これらは次回、さらに深く分析されるべき殊勝な大因縁となるでしょう！
上蒼の徳沢下りて化す　　昊天の玄霊玉帝の華
借将の門を開き発明を促し
科学技術文明の気象を語る
人間の縁は皆つながりあい
向上は難しく縁に左右される
地冥星に留まって人を演じる
成績は毎回零点ばかり
この偈は、有情の衆霊子が互いに励まし合うものである。真の利益と回向を得るか否かは、自らが選択する分かれ道にある。汝らは繰り返し重ねるごとに、すべてを汝らが今生きる科学文明の中で実証し、必ずや向上し高められ、超越することができるであろう。
このような殊勝なる因縁条件は、また非常に得難いものであり、しっかりと把握する必要があります。皆様にはご苦労をおかけしましたが、崇心宗脈にお邪魔いたしまして、また明日の十一周年堂慶法会には、多くの神仏、聖仙、高真…などが降臨され祝賀を賜ります。皆様、ご苦労さまでした。ではまたお会いしましょう！
虚空彩雲仙姑
崇心十一周年慶　　大道先天の書を捧ぐ
諸天の仙仏降臨し来たり　　共にこの勝会に大道を迎え奉る
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南屏道済古仏が降臨され、「大道德沢」第二十一回を著作されました。昊天玄霊玉帝の徳沢を闡明し分析され、あなた方にこの天命の契機がどこから来るのかを理解させてくださいます。
また、何によって生じ、何によって成就されるのでしょうか？崇心宗脈はまさにこのような殊勝な因縁に乗じて、上蒼の徳沢に満ちた天機を明らかにし、示現することができます。これはまさにあなた方に真に殊勝な天機の因縁があるからこそ、すべての学宗生が真実のままに向上し、成長し、超越していくための道を提供するのです。これこそが正しい道なのです。
明日は土曜日で、また懿敕崇心宗脈の十一周年堂慶です。全ての準備は早めに済ませるべきです。明後日終了後は、必ず道場全体を二日間清め清掃しなければなりません。台風の日でも通常通り行います。また、崇心宗脈の今回の法会は、仙仏が一年前にこの日取りを定めた特別な縁によるものです。
一つには、台湾北部及び全島の災厄に対し、その大半を軽減し消し去ることができる。二つには、諸賢生の求心力がどれほどのものであるかを見よ。三つには、汝らが既に長く続けてきたことに対し、如何にして円満に完成させるか、この状況は賞賛に値し、励ましとなり、喜び祝うべきことであり、心を動かされ実践をもって達成すべきである。
また、明後日に参拝に来られる仙仏と友宮堂の方々にも、心を込めておもてなしすることが必要です。崇心宗脈十一周年の堂慶において、より大きな功績を捧げ、集結することができるでしょう。皆様が一丸となって、この一心の成就にご参加くださることを願っております。必ずや良き弘化の推進がなされ、台湾の今回の災難も大いに軽減されることでしょう。
さもなければ今年の下半期は決して吉祥の年とはならず、それによって汝ら及び台湾の地の原霊子たちの災難を転換することはできぬ。汝らは理解したか？明日のすべての法会の手順と儀礼は一切普段通りに行い、より一層心を込め、より一層熱意を持って接待することが最も重要である！如何に「大道天地と大道先天」この二冊の天書を普及させるかが、まさに汝らにとって最高の弘揚の契機である。皆様、ご苦労さまでした。ではまた。
2014年8月17日13時08分◎＃※   ０Ｋ＃
虚空上人一南無、虚空上徳人天古仏
◆ 跋・讃賀 ◆
南海古佛　跋一を降す
◆ 本文 ◆
第廿一回　 玉帝慈仁
虚実殊勝の大いなる因縁
空しく凡塵を転ずること限りなき年
上徳の言うところは皆真の徳なり　　人は皇母の懿徳篇に著す
◆ 跋・讃賀 ◆
道済弘化と推広　　古仏の賛賀跋引則
◆ 本文 ◆
第廿二回　 母娘懿德
昊天玉帝の御恩沢
下界の凡塵世界に降りて、大いなる天地の万物の蒼生に対して、ハイテク文明を高めること。この中で言えることは、昊天と無極が度重なる会議を経て、いかにして未来世界を、すべての人倫世界の生存の方向性に対して、真に向上し超越できるように高めるかということであった。
ここから理解できるのは、昊天玄霊玉帝の徳沢と、無極皇母の懿徳が連携して施行される条件を除けば、いかにしてこのような機能と効果を完全なものに至らしめるかということである。それはつまり、未来の原霊子たちの生活空間において、ハイテク文明によって快適さ、利便性、普及性という成果を超越させることにある。
これは現代の人類世界に向けて達成されるものであり、真の利益と回収を得ることができます。このように、昊天と無極が共に協議し、互いに補い合って四億の仏子を救済し、さらに二百万人以上のハイテク人材の力を借りて、地冥星において科学技術の創造、あらゆる研究と発明を推進するのです。
これは現代の科学技術に対するものであり、また過去の様々な特別な因縁に対しても同様です。さらに、無極皇母を略して母娘と呼ぶのは、大宇宙の天地に存在するすべての無数の霊魂たちに対して、生活の快適さと利便性を普及させ、向上させるためです。また、このような人道世界の成長と向上は、まさに有情衆生に利益をもたらすものなのです。
無極皇母の懿徳は天下に遍く及ぶ
真に自らの未来の成長の拠り所となるものが必要であり、また、大いなる天地のすべてにおいて、いかなる国や流派、宗教も区別することなく一体である。無極皇母大天尊の慈徳が人界に降ろされ、人界のあらゆる生存の方向性――利便性、快適さ、普遍性――を支えているのである。
すなわち、無極が虚空天界を相互につなぎ、そこから「将を借りる」ことで人道世界に施行されるのです。この将を借りる作用があるからこそ、虚空と無極がつながる展開が可能となります。これは、虚空天界の将を借りる作用を実に如実に応用し、他の星系では未だ下化されていない一部の殊勝な発明を実現するものなのです。
借将作用の応用による施行は、このように理解することができます。また、このいわゆるハイテク文明に対しては、虚空天界から将を借りることによってのみ、発明と創造が完成され、現代の時代に入ることが可能となります。いかなる国や宗教の流派も区別せず、地冥星に生存するすべての霊子たちが、共にこの元会に参画するのです。
地冥星によって示現されるのは、科学技術文明を真に向上させることができるということであり、このようなことは虚空天界から下ろされたもの、そして無極天界によって連携され、さらに昊天天界の徳の恵みが南天星系に及んでこのような成果を成し遂げたのです。つまり、南天星系を以て他の各天界の星系を統理し、相互に補い合うということです。
母の徳は殊勝にして慈悲大いなる因縁
この中で、必ず南天主宰文衡聖帝が全責任を負う総主理となり、それゆえ、南天は東、西、北、中の各天界の星系と共に、如何にして地冥星に下化すべきかを協議する。科学技術文明の再構築において、このように各天界の下化を経て、既に成就されているのである。
さらに、第一元会と第二元会を区別せず、現在の第三元会に至るまで、これらの殊勝な因縁条件は既に地冥星への下化を通じて示現されており、比較的疎遠な障害も生じません。ましてや、各天界から凡塵世界へ下化されることは、まさにそれぞれの時空における因縁そのものなのです。
かつては、すべての者が地冥星に下って示現したことがあった。今や！再び下ってこれらを教化することを要する。言うならば、比較的容易な事柄がある。このような因縁条件を現代の時代から観ると、さらに多くのものが 上蒼より「借り受けた者」として凡塵世界に下り、研究、発明、創造を行っているのである。
このように観ることができる。この殊勝なる因縁は、まさに無極皇母（母娘）の親しい懿旨が南天及び各天界に下達されることによって成し遂げられたものである。これはまた、無極皇母が地冥星を経て大いなる成全をなされたと言えよう。これは母娘自らが各天界に下された懿命によって達成されたのである。
懿徳は福を増し、有情の衆生を益す
すなわち、母なる徳をもって各天界星系に呼びかけ、この殊勝な使命を共に成し遂げ、下化と達成を実現することである。今こう言えるだろう――すでに140年以上の歳月を経て、特に最近40年の間に加速的に進展し、高度な科学技術文明が創造・誕生し、人類衆生すべてが真実の利益を得られるよう提供されてきた。
これは無極皇母（母娘）の慈徳であり、下界の人倫世界に降ろして成就を為すものである。すなわち昊天星系を経て、玄霊玉帝が各星天を統治し、相互に成就を成し遂げることで、「将を借りる」という作用が達成されるのである。もし昊天玄霊玉帝が玉旨を下されず、各星系の天界に降ろされなければ、このようなことは起こり得ない。
各天界がそれぞれ昊天玄霊玉帝の玉旨を施行しようと思っても、恐らく達成は難しいでしょう。なぜなら、全体として施行・頒布するには、必ず昊天玉帝の玉旨が必要であり、そうして初めてこのような因縁の誕生を促すことができるからです。このように示現し、昊天の行政機関を通じて、各星系の天界へと下ろしていく必要があるのです。
さらに、凡塵の地冥星において、各宗教の主宰者や聖人たちが、何度も繰り返し協議を重ね、昊天星系の科学技術文明をどのように取り入れるべきかを議論し、それを凡塵世界に広めようとした。その後、清と明の二つの時代を経る中で、封建的な体制が強固になり、その実現は非常に困難なものとなった。
懿徳の五行への応用
そのため、西洋の科学技術を導き入れ、人道世界のあらゆる発明や創造を示現し、西洋の科学技術文明を経て、さらに精緻な科学技術の創造を追求してきました。しかし、全体においては依然として東洋の五行──「金・木・水・火・土」が相互に補完し合う要素が欠けているのです。
この中には、西洋の科学技術は対処療法や表面的な改善には至ることができ、相互に向上させることはできるが、「金、木、水、火、土」という五行が相生する内的な利益をいかに活用すべきかを理解することはできない、と述べられている。そのため、五行の相生・相克を活用して物事を成就させることが、しばしばできないのである。
今、中華の炎黄の子孫に対して言えることは、地冥星における発明と創造を借りて、いわゆる科学技術文明の向上を図るということである。これには将来多くの可能性があり、それは中華の五行相生の原理が創造と発明研究に活かされるからである。一方、西洋世界は「地、水、風、火」の四元素のみによって完成させようとしている。
このように「地、水、火」の三者は、必然的に「風」が「金、木」を相互に連携させる主導力を要するのである。区別なく、「金、木、水、火、土」の五行を連携させるには、必ず「風」の主導が必要であり、この風の主導こそが、あなた方がいうところの「空気」なのである。
五行の根源に基づいて施行する
ここにおいて空気が「金・木・水・火・土」を生み出すことにより、初めて互いに相生し、相成し、相補い合って完全なる依存関係が成立するのである。もしこの理を悟らなければ、人道世界でいうところの気体とはいかなるものか、いかにして「先天一炁・大道一炁・元始一炁・道元一炁」を善用すべきかを理解することはできまい。
この中で大いなる天地に生きる無数の衆生に対して、さらなる高みへの引き上げがある。また、どのようにしてこの「金・木・水・火・土」の五行が、炁（気体）の導引を通じて、全体の五行の中に欠けているものこそが、まさにこの先天一炁であることを理解し、人界の五行と相互に補完し合い、成就させることができるのである。
これこそが真実であり、あなた方の生き方により大きな成就をもたらす正しい道なのです！大いなる天地のすべての原霊子に対して示されていることが一つあります。それは、大いなる宇宙の先天の気体をいかにして地冥星の中に取り込むかということです。あなた方の科学技術では、まだこのようなことは十分にできないことを理解する必要があるのではないでしょうか？
すなわち、真空状態というものがあり、そこから生じる点火不可能な気場がある。広大な宇宙全体の星系空間において、「真空状態」と「実空状態」の両者をどのように理解すべきか、このように真空の中には必ず点火できない欠陥があるが、実空状態では火の光明を順調に点けることができる。
懿徳の功績は人類と衆生に恩恵をもたらす
いかにして空気中の先天の炁体を善く利用するか？自燃器によって生じるものに応用すること、これはまた水の点火があなた方にとって、未来の高速移動装置の燃料体として、水の点火を経由して、深海の水資源と先天の炁体エネルギーを応用し、それによって動力を永続的に止まらなくする必要があることを理解しなければならない。
あなた方が水の動力によって得られるものがあるならば、その中の道理を理解する必要があります。どのようにしてハイテク文明に対して善く示現すべきでしょうか？これこそが正しい道です。人道世界は宇宙全体の星系から下化されたものであり、それぞれの層次や境界が異なるため、それぞれの時空の因縁によって下化されるものも異なります。
言えることは、科学技術文明に対して真の恩恵がもたらされることは疑いようがなく、必ずや将来の科学技術文明によって実証されるでしょう。では、皆さんはそれをどのように善用されるのでしょうか。中国の五行思想が相互に補完し合うこともまた、研究発明や創造を通じて未来の科学技術文明を高める上で、絶対に必要な要素なのです。
五行の中の「水、火」の二つを応用し、さらに「金、木、土」を相互に連携させることで、未来世界を向上・創造する原動力とすることができます。これは、あなた方が21世紀から未来の30世紀に至るまでの千年の歳月において、必ず応用すべきものなのです。
母と娘の美徳がさらに高められる
すなわち、あなた方に理解していただけるのは、人間界が探究し、発明し、創造するものは遠くまで届き、自らをより利益し、あらゆる霊的存在や衆生を利益するということです。この中であなた方の科学技術文明は、現在において過去のあらゆる時空の因縁を超越しており、このような状況であなた方がいかにして現在において昊天星系とつながるかということです。
また、昊天星系の総主理、すなわち南天主宰文衡聖帝を総依帰とし、人道世界もまたすべての主理構造を通じて示現されるためです。崇心体系はまさにこのような殊勝な因縁に乗じて、未来の四億二百余万の仏子たち、そしてハイテク人材の集結を通じて下化を実現するのです！
さらに、回帰示現による向上と超越が求められる。したがって、崇心宗脈の体系に入ることができるあなた方は、決して平凡な存在ではない。累世にわたり、優れた大きな福報の因縁体が降ろされてきたからこそ、この崇心体系に真に参入できたのである。崇心宗脈は入学の門戸が広く開かれ、誰もが参入できるとはいえ、このことを深く理解せねばならない。
しかし、審査は厳格であり、もし大いなる福縁、大いなる福報、大いなる智慧、大いなる覚者でなければ、崇心宗脈の体系に入って修行成長することはできず、謙虚な心を保てず、高慢な態度をとる者は、容易に選別されてしまう恐れがあります。これらの殊勝な因縁条件を持つ者は、あなた方の未来においてさらに高い成就を上げることができるのです。
汝等の一歩一歩、一足一足、一つの印、印印皆踏実に示現し、凡塵世界におけるすべての向上超越を体現している。汝等が深く体得できるかどうかは知らないが、崇心宗脈体系の殊勝なる因縁、そして天機使命とはいかなるものか？各人が自ら体得し選択せよ！そうすれば良善なる成長と超越が得られるであろう！
昊天玄霊玉帝の徳
無極皇母、徳沢を頒つ
向上超越の因縁を高め
天と共にこの規則を成す
東西南北中の天界　　南天の主宰は徳の意志を顕す
文衡聖帝が総主理を司り
下界に崇心大道の縁を化す
この偈は、有情の衆生たちが互いに励まし合うものである。汝らが崇心宗脈の体系に入った後、必ず理解しなければならないのは、いかにして自らのすべての犧牲と奉獻を応用するかということだ。これこそが真実の性質であり、汝らの未来が真に向上し、超越するための道である。ただ人界に留まり、輪廻の間に反復するのではなく。
それはあなた方に対して、真の上昇や超越があるわけではありません。つまり、あなた方全員に真の向上があり、それは自分自身の全ての努力によって達成される成果に依存しているのです。相対的に！この中にある良好な因縁の成長を理解する必要があります。まさにそれは、皆が回帰し超越することを可能にするものです。ご苦労様でした。皆さん、さようなら！
虚空彩花仙姑
虚空無極来たりて串連し　　彩花登台皆相勉む
仙姑は諸神人と共に会し
母娘の懿徳は大道の篇なり
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈正主席　虚空上人－南無虚空上徳人天古仏がご帰還され、崇心宗脈の著作『大道德澤』第二十二回をお示しになりました。これは無極皇母（母娘）の慈愛に満ちた崇高な徳を下化し、著作を通じて明らかにされるものです。
汝らが真に明確にすべきは、自らの未来にいかにあるべきか、そして自らの歩むべき道は何かということである。これこそが正道である。また、汝らが崇心宗脈においてすべてを捧げてきたとき、私心なく無為であったが、最も欠けていたのは法施と無畏施であった。ゆえに今後は「三施並行」を強化することが正しい道である。
さもなければ、あなた方は財施のみを知り、法施に対しては常に完全に成し遂げることが難しく、無畏施に対しても、真に相互に成就し合うことを築くことが難しい。必ず理解しなければならないのは、あなた方が崇心宗脈に入った後、特に法施の面で強化が必要であり、これは崇心宗脈があなた方の師資を育成する上で、当然備えるべき条件であり、これこそが正道である。
さもなければ、多くの学生が自ら法施を用いて他の善縁を導くことができず、必ずや「師資培訓」の面でのさらなる向上に頼らざるを得なくなり、それが正しい道となる。よろしい、本日はここまでとし、明日はまた土曜日、すべての授業は通常通り行われ、引渡も同様である。皆様、お疲れさまでした。ではまた。
2014年8月17日15時50分◎＃※   了解＃
南無大勢至菩薩
2007年10月16日　丁亥年九月六日（火）
南無、衆生が如来と称える
大勢至の徳、道理を開く
菩薩は徳を施し恩沢を記す書を著し
昊天は妙用を成し全うすることを助け給う
◆ 跋・讃賀 ◆
跋   二
◆ 本文 ◆
第廿三回　 昊天成全
昊天はすべての仁慈な徳政を司る
さらに、無極皇母が地冥星を助け、すべての万物の蒼生の生命の質を向上させるために、人界の過去の出来事を通じて観察することができる。すべての生存の方向性は、真にすべての霊魂の子らに利益をもたらすものでなければならず、それが真実である。そして、このような利益を受ける者こそが、まさにそれなのである！
また、ほんのわずかな人々だけが執り行い、利益を得るものではありません。広く多くの霊的な存在にまで拡大する必要があります。それによって「身体、自心、霊性」の三者が互いに補完し合い、まさに人為的要因によって向上・超越することが可能となります。そこには昊天の行政単位が主管するものがあります。
地冥星において、この21世紀において、中土の炎黄子孫が互いに成就し合い、また道徳を基盤とした綱領によって統合され、道徳と倫理が真に大道を弘めて完全なものとすることが協議されました。さらに、人道世界が未来の科学技術文明に対して、利益をもたらし、向上と成長を促すことができるようにすることが議論されました。
まさに地冥星のすべての創造過程はどのようなものか？それは未来においてどれだけ天の徳沢を受け入れられるかによって決まり、すべての原霊子が真に「身体、霊性、自心」の過程を完成させることを可能にし、このような共同協議の後、議題を定め、すべての共同協議の議論を行うことができるのです！
昊天の徳政は良き善き好因縁の条件なり
経を重ねるごとに、回を重ねるごとに、五教と諸天の神聖、仙仏…などが、また繰り返し、何度も来て修整を行い、その中で適用しない因縁と作為を、不良な欠陥を修整と改進を加え、未来において、真に多くの衆原霊子の更なる向上、超越のための思惟構築が可能となるようにする。
これによって初めて行動力の拠り所が得られる。これはまた、昊天の行政機関が、無極皇母および昊天玄靈玉帝のご意志を奉じて、東・西・南・北・中央の各天界において、全体の星系・星宿に依拠して活動し、大いなる天地の向上と超越に参与し支援することを指している。
この21世紀から30世紀までの一千年間において、人道世界の科学技術文明を未来へと向上させ、また未来の全ての原霊子が持つ徳沢を更に超越的な成長へと導く。それはただ地冥星を完成させるだけでなく、地冥星の空間を超越することも可能となる。
また、未来の四億余りの星系、星際の模範的な役割を通じて、真に古天文学、古科技学、古道德学、古人類学、古倫理学の基礎的方向へと入り、全体の宇宙、虚空、無極が受け継ぎ下ろすものについて理解し、一つの原始的な根拠地における相互の因縁を把握することができる。
昊天はすべての基本的な作用を完成させる
このような徳の恩恵を受け継いで、科学技術文明を担っている。また、なぜ科学技術が人類衆生に実証されるのか？それは全宇宙全体と同様に、相互に連動する一種の遺伝子本質が下化されているからである。あなた方はさらに科学技術文明を観察してみよ、なぜそれが人類衆生に対して、このような時空に入った後に現れるのか？
現れ出たものは、まさにこのような機縁を連ねるものであり、また科学技術文明は全体宇宙・虚空・無極の基盤から来ている。これは千古の昔から人道世界において、根本的に相互に検証することができず、人道の生存指向への依存的行為であり、この時空の因縁を通じて「将を借りる」という成全がなされるのである。
これは昊天の天界行政単位であり、互いに補完し合いながら、すべての東・西・南・北・中の各天界に対して行使される。全体の人道的世界に依拠し、科学技術文明を経由する必要がある。いかにして古天文学、古科学技術学、古人類学、古道徳学、古倫理学の徹底的な進化を遂げるべきか？
もし現代の時代が古代のあらゆる文明に対して、根本的に真に理解することができないならば、時空の因縁によってこれらの古代天文学に加え、外宇宙の隕石をいかなる星体の中に投げ入れるかについてのすべての知識観念を、必ず理解しなければならない。これらのいわゆる流星群は、いったいどのようにして形成されたのか！
宇宙の星系すべてに良き善が増長しますように。
その通りです！各惑星が爆発した後、形成された隕石が他の惑星に向かって放出される時、必ず宇宙・虚空・無極の遺伝子本質を伴い、全人類の原始的な根源的要因に向けて、冥王星全体と他の惑星体の中に散布され、異なるエネルギー体へと変化するのです。
あなた方もまた、地冥星の外縁部にあるすべての星の光と流星体が生み出す消滅の力がいかに大きいかについて考えてみてください。なぜなら、一つの隕石が他の星体に向かって投げ出されるとき、必ずそれぞれの星体のすべての引き寄せと浮揚の力による投げ放つ機能に制限されるからです。では、このような投げ放つ機能の働きはどのようなものなのでしょうか？
まさに汝らが理解できるように、外部宇宙の天体から生じるすべての隕石に対して、人道世界を守る機能的な働きを加えること。また、全体として未来の科学技術文明が人道世界に入るために、必ず必要な基本綱領であり、さらに人為的要因によって様々な関連する過程を克服することでもある。
一足飛びに達成できるものではなく、むしろ地冥星の科学技術創造においても、いかなる断絶も生じさせず、科学技術文明の一歩一歩、一足一足、一つひとつの足跡を、確実に研究、発明、創造へと刻み込み、その後、繰り返し何度も選別を経て、より精緻な品質の創造と向上を図る必要がある。
昊天は根本より有情の衆生を護り給う
今すぐにでも見ることができる。このような基礎工事は、すでに初歩的な機能と効果を発揮し、最も基本的な土台が築かれている。未来においては、さらに一歩進んで、人為的要因によってもたらされたものや、科学技術による再構築による向上を目指して選別が行われるだろう。あなた方は本当に幸運なことだ。このような天の機会、良き縁に巡り合えたことを喜びなさい。
下界の地冥星に降りて成就された、今現在の衆原霊仏子たちは、果たして真に上蒼の徳沢の功徳効能を感じ取り、自らに真の利益をもたらすことができるでしょうか。これは人為的要因に対して、なぜこの時期、この時空の因縁において、このような殊勝な条件が備わっているのかを理解しなければならないことです。
また、自ら進んで入ることで、地冥星におけるすべての生存の方向性に対して、肉体を備えていると言えるのである。そうでなければ、もし単に「霊性、自心」が作用しているだけで、一つの「肉体」を備えていることが欠けているならば、それはただ第二から第三の空間に留まり、人道世界のすべての科学技術文明を羨むだけに過ぎない。
上蒼は、この約二十年ほどの間に、大宇宙の天地に存在するすべての衆生に対して、累世にわたる因縁果報を再検証・再評価し、真の大清算を行ってきました。このような時空の因縁に焦点を当てて、すでに二紀（24年）が経過しました。この時空の因縁は、未来の科学技術に対しても、確かな助けとなるでしょう。
天はすべての良きものを善く成し遂げられる
すべての因果関係を総決算した後、各王朝の帝政の役割を評価し、各王朝が過去のあらゆる徳の加護のもとで成し遂げた善き縁は、今また凡塵世界に落ち、再び位置づけられ、大いなる天地が未来の科学技術文明に向けて、すべての再構築の過程を授けられることとなる。
さらに再評価を加えるならば、各々が地冥星に入った後、どうなるべきか？何をなすべきか？どのような角度で未来の時空因縁と向き合うべきか？互いに補い合うこともできる。これもまた一つの時空因縁による選別過程であり、しかも、過去いかなる朝代の帝制因縁をも区別しないのである！
このいわゆる異なる朝代の因縁には、既に何度も何度も地冥星へと再び入り直した者もあり、これを功績の再定位、再考査、再検証、再評価と呼ぶ。また、それぞれが地冥星へ入るとはどういうことか？各々の行いの過程を通じて、判断することができるのである。
未来においてもなお、各王朝がさらに進化することは可能でしょうか。例えば、あなた方人間界の民選指導者のように、このようにして生まれるのです。また、このいわゆる特別な縁に対しては、過去の福徳を各王朝の国々に広げるということがあります。指導者自身の福報や徳性はどのようなものでしょうか？
昊天の選別制度は優れた効用がある
まさに昊天によって、各王朝が地冥星へと入る際に、改めて位置付けがなされ、各々の国に生まれた者、あるいは各地域で一方の雄として富を誇る者たち、これらのいわゆる富者たちと各国の主事者たちは、昊天による選別を経て再び入るべきであり、いかにして行うべきかが問われるのである！
また、自らが過去に施した善政と恩恵をすべて振りまくのか？このいわゆる発明や創造によって、一地方を支配する富裕な商人となり、さらには自らの国を支配するに至る。これはいかなる時代の帝政に対しても、今こう言えるだろう――もはや過去のように王朝が交代するたびに、必ず多くの殺戮行為が生じることはない、と。
すなわち、汝ら人道世界におけるいわゆる民主選挙制度を通じて、様々な能力を発揮する者たちが自らの過去に培った福徳を享受し得るようにするためには、国家政権の平和的移行が必要不可欠である。また、汝らはまさに地冥星におけるすべての展開過程の証人として参画しているのである。
今世紀21世紀から未来の30世紀に至るまでのこの一千年間、必ずやこのようにして国家の主導的指導者が生まれるであろう。すなわち、徳を備え、福分に恵まれ、後世の子孫に福祉をもたらす者こそが、上蒼がこの期に再び高め、超越させる殊勝な因縁を担うことができ、「祖徳流芳」が伝承することを証し得るのである。
昊天は徳と恵みを成就させ給う
もしこのようにできなければ、かつて地冥星において中土と西洋欧米を区別せず、全世界がそうであったように、王朝が交代するたびに必ず多くの殺戮行為が生じる。また、あなた方が21世紀から30世紀までのこの千年の間に、全世界の国々はすべてこのような作用を及ぼすことになる。
一体どのような徳が後世の子孫に恵みをもたらし、未来の国家を担う者を選び、あるいは一方の富を支配する雄大な覇者となり得るのか。これはまさに真実であり、汝らが今後五十年ほどの間に必ず理解できることである。上蒼昊天の徳の恵みの基本構造は、このようになっているのではないか？
まさに、未来において徳の恩恵が深い者を選別し、異なる国々の主事者として参加させ、管轄や制度の行使に従事させるのである。また、このような汝ら人道世界における民選制度は、次第に形成されつつあり、徳政と暴政を区別するものとなっている。ゆえに、汝らが今目にし、遭遇するものは必ずやこのようなものであるはずだ！
また、これはあなた方にとって未来への戒めともなり、あなた方の未来には必ず真に施行される細則と綱領があるでしょう。それはあなた方すべての生き方の方向性であり、子孫の代々にまで深い幸福をもたらすものです。もはや、真の天命を持つ者だけが主事者の管轄や制度に入るというわけではありません。
祖の徳は必ずや子孫の福と恵みを定める
そして、深い徳沢を持つ祖先、深い福分を持つ祖先、子孫に徳沢を残す祖先にこそ依るべきです。それゆえ、あなた方は今は祖先ではありませんが、時空が移り変わり、百年後にはあなた方も人々の祖先となります。したがって、今、徳沢が深い者、福分や福祉が厚い者は、国家の統治にも携わるべきです。
国の繁栄に対する福縁と福分、および徳沢には厚薄の違いがある。今、汝らは自らと子孫のために厚い福祉、福徳、徳沢を積むことができる。それが真に汝らのためであり、自らを成就させるだけでなく、未来の子孫への徳沢ともなるのである。
さらに自らを積み重ねることで、深く厚い福徳の恵みと幸せを得ることができ、また自らが上昇し、超越するためのよりどころを持つことができます。そうでなければ、もし代々ただ地冥星に沈み落ち、真に超越することができなければ、地冥星に対してはただ借りて見る、借りて使う、借りて享受する時空の旅人に過ぎず、どうすることもできません。
肝要なのは、このいわゆる昊天の大いなる徳と恵みが、まさにあなた方の現在を成就させるものであることを理解することです。果たして福分があり、徳と恵みが深く積み重なっているでしょうか。必ずや良き因縁と優れた条件が訪れ、向上し成長し、超越へと至るでしょう。まさに良き祖先の徳が積み重ねられてこそ、すなわち自らが今この瞬間から実践を始めることこそが、真実のあり方なのです。
無極皇母が懿旨を下され　　昊天玄霊玉帝は慈しみ深く
東西南北中の各天が
元会の福祉を参賛して賜わる
科学技術による民主的な指導者の選出は、王朝交代に伴う殺戮を改め除く。
平和裡に政権を移し　　徳沢は後代の衆霊子に及ぶ
この偈は！有情なる衆霊子らが互いに励まし合うものである！上蒼の大いなる徳沢と御旨を共に議し、昊天会議において成し遂げられたこと、すなわちすべての星系、星際をもって成し遂げられたことを、汝らはまさにこのような時空の因縁の中で、この元会の提昇創造に参画し賛同するのである。いかにして深厚なる福祉と徳沢を創造すべきかを、必ずや悟らねばならない。
まさに自分が今積み重ねるものによって決まるのです。百年後にはあなたもまた祖先となるのですから、祖先の徳があるかどうかは、今この瞬間から積み重ね創造していくかどうかにかかっています。それこそが自分自身を益し、子孫をも益する正しい道なのです。皆様が崇心宗脈にご相伴いただき、心を砕き、しばしの間ご迷惑をおかけしましたことを感謝いたします。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。さようなら。
虚空に輝く虹の仙女
虚空の因縁は大いに異なり　　虹が降りて道を開き弘む
仙姑は今日神人と会い給う　　大道の徳沢かくの如くに工し
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日、南無大勢至菩薩本尊が降臨され、「大道德澤」第二十三回を著作されました。上蒼昊天の徳澤が成就される過程を詳しく分析され、皆様が現代という時代を理解できるよう、古代帝制の時代は既に終焉を迎えたことを明らかにされています。
したがって、上天は再び審査基準を調整し制定し、これらの古代王朝の帝政時代のすべての霊魂たる衆生を検証し、改めて地冥星へと入り、再び出生することを通じて、未来において民選国家の指導者に十分に相応しいか、あるいは一方の雄となる富める商人たり得るかを、必ずや過去の功績、福徳、徳沢を根拠として判断されるのである。
またこのため、もはや王朝交代の時期もなくなり、多くの殺戮行為が生じることもない。人道世界の綱紀や制度がどのようなものであるかを理解する必要がある。大いなる天地のすべての万物の生ある者たちが、互いに福祉を成し遂げ、徳の恵みによって守られ恩恵を受けることができるようになるには、必ず未来の時空における因縁を見極めて選択しなければならない。
本日の聖なるご教示を、詳しく細かく解説することができるかどうかは、あなた方の「師資培訓」において完成させた訓練にかかっています。これは今になって初めてあることではなく、すでにずっと以前から公布されていたことです。ただ、あなた方が実行しなかっただけなのです！どうかしっかりと努力してください！解説者が明確に理解できなければ、主事者が必ず補講を加えます。お分かりいただけましたか？皆様、お疲れ様でした。すべて吉祥にて、またお会いしましょう！
2014年8月17日17時42分◎＃※   ０Ｋ＃
南無文殊菩薩
◆ 跋・讃賀 ◆
南屏道済古仏　跋二を降す
◆ 本文 ◆
第廿三回　 昊天成全
南無無上の衆生霊　　文殊菩薩聖明に会す
大道徳沢二十四回　　南天主理大道行
◆ 跋・讃賀 ◆
心灯億万盞を灯し　　古仏降臨し佳話を語る
◆ 本文 ◆
第廿四回　 南天主理
無極皇母と昊天主宰
この二つの慈悲と仁徳は互いに補い合い、大宇宙の天地に存在するすべての原霊子たちに対して、生存の方向性を明確に示すと同時に、より超越的な高みへと引き上げることを与えている。これはこの元会を経て初めて得られる徳の恵みに依拠するものであり、なぜこのような依拠条件が人間界に示現されるのであろうか。
人道世界の現今の時代において言えることは、ますます贅沢で偽りが増し、清明な霊性を回復することが難しくなっていることです。大いなる天地の間において言えば、真の教育と教化が必要であり、これによって初めて人道世界の生存の方向に適用できるのです。また、この元会を経て、上蒼の共議による度重なる聖なる務めを経てきたのです！
上蒼の聖務は、無極皇母と昊天玄靈玉帝らが共に協議し、東・西・南・北・中の各天界に公布して施行される。その中でも特に南天は、すべての昊天行政機関を統括する拠点として位置づけられ、行政機関は南天主宰文衡聖帝である関聖（関平）が担当している。
今回の元会総主理は、責任が重大であるため、また南天が人道世界の寺廟や宮堂に示現する機会が比較的多いことから、この種の聖務は必ず南天の管轄に依拠しなければなりません。さらに、現代においてすべてを観察するに、もし古代の聖門鸞務システムに基づくならば、それは現代の宗脈に示現する因縁によるものなのです。
南天の主はこの元会の一切の聖務を司る
また、南天文衡聖帝に関して言えば、寺、廟、宮、堂において、その数は過剰と言えるほど多い。したがって、南天の行政単位が管轄する区域は、各体系およびすべての関帝聖廟が相互に補完し合い、各体系の寺廟宮堂が相補い合って発展するよう、このような聖務を実施する必要性がある。
もしこの世紀の科学技術文明をもって、人道世界に入り示現するならば、またこのような因縁を、すべての国と宮堂が互いに成全するために提供し、すべての寺廟宮堂をして示現せしめるであろう。特に、中土炎黄子孫の国においては、より一層、文衡聖帝たる関帝廟の示現を見ることができるであろう。
このゆえに、関聖武帝とは相互に補い合う因縁が生じることとなり、加えてすべての観音寺院および天上聖母を祀る寺院においては、すでに七割以上を占めるに至っています。このような時空の因縁が重なり、「南天天界」がすべての寺院・宮堂の使命を主導するに至ったのです。
さらにまた、「母娘系統、一貫系統、鸞門系統、慈惠系統、霊山系統」…などに対して。共にこの時代のすべての因縁を参究して顕現し、人道の科学技術が21世紀に示現するものに対して、まさにこの種の因縁を連ねて、真に施行する機能と効果を有するものとします。
南天の主理行政の施行
また、南天の天界を以て、全体の各天界に連携させ、中土の国々、西洋の国々、全世界のあらゆる国々に対しても区別なく、中土の炎黄の子孫に西洋の欧米諸国を加え、相互に連携させて、儒教、道教、仏教、キリスト教、イスラム教などの宗教を含むものとします。
言えるのは、地冥星はまさに南天星系の天界を依り所としており、これは南天の行政単位に対して機能と効果を発揮している。なぜこのような因縁が「南方丙丁火」に示現されるのか？しかし、南方丙丁火こそが光明に満ちた世紀の王朝なのだ。
また、この元会においては、昊天玄霊玉帝が九五至尊の位に登り、五教の聖人、教主、教尊らによる推挙を受けた後、行動を開始することができる。これは南天天界の総主宰であり、南天文衡聖帝－関聖が総統理を務める縁によるものである。
これは区別のないことである。台湾、神州、南洋、そして世界各地もすべて同様であり、なぜこのような因縁が各国への示現を促すことになるのか。人道の因縁が創造され促されるのは、人間の要素によってこそ、上蒼と共にこれを成就し、このような天機の良縁が生まれ、四億の仏子と九二の原霊を導くことができるのである。
南天主は21世紀の大いなる因縁を司る
すなわち、上天の行政が下達され、大いなる天地の中にあるすべての南方丙丁火のシステムに対して、照らせば光明が現れる。また、南天のシステムはまさに「儒・道・釋・耶・回」の各宗教の教化成就に対し、儒家思想体系に由来し、儒家の因縁によって統合されることを促すものである。
必ず理解すべきは、儒家は孔子を依り所とするが、しかし儒家は文聖人に加えて武聖人を備えてこそ、現代のあらゆる国において確立されるのであり、すなわち「山西一聖人、山東一聖人」である。しかし「山西一聖人は武聖であり、山東一聖人は文聖である」この両者である。
「礼運大同篇」が実践可能なのは、広大な天地の間において、天の機微と因縁によって創り出され、促されたからこそである。今日、文聖人と武聖人が儒家思想を確立し、全世界に広めることができたのは、まさにこれが将たる所以である。孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥の八徳の因縁が連なり結ばれてこそ、実現するのである。
人道世界において現在言えることは、極めて少ない者が「八徳」を基礎として到達できる状態であり、そのため既に父は父ならず、子は子ならず、母は母ならず、女は女ならぬ現象が形成されている。さらに古代の明らかな教えに背いていることさえある。特に今日の天下では台湾地域がより甚だしく、これは上蒼の慈悲が足りないと責めることはできない。
天地は互いに連なり合い、古より伝わる智慧
中国古代の道徳学を再教育と教化に活用し、後世の子孫が善用できるようにすべきです。21世紀に入ったとはいえ、人類の古来の道徳学は消し去ることのできないものであり、必ず再び発揮し弘めていくことが正道であることを理解しなければなりません。未来のすべての人道的世界が向上し高められるようにすべきです。
区別なく、中国の炎黄子孫の寺廟や宮殿、あるいは西洋欧米の他の国の寺廟や宮殿、さらにはすべてのキリスト教やイスラム教などの教会や礼拝堂も含めて、共に「八徳」の道徳学を参究し、さらに人倫学の倫理道徳へと高めていかなければ、人倫道徳に沈淪を繰り返すばかりで、向上することはできません。
こうして形成されるのは：父は父ならず、子は子ならず、母は母ならず、女は女ならず。このように観れば、すでに乱れている今日の世の中に対し、必ずや改めて「八徳」に焦点を当てた教育を施す必要がある。これこそが正道である！人道世界が最も基本的な道徳観念を持つこと、それがまさに南天が「八徳」教育を主管する基盤となるのである。
必ずや自らの体系の因縁によって、これを促進し連携させる。それゆえに、全大寰天地のすべての神祇が共にこの殊勝なる因縁の乗越と円融に参画するのであり、すなわち「八徳」を基盤とする。この八徳に説かれる「孝・悌・忠・信・礼・義・廉・恥」は、また中土古代の教えに依拠するものである。
南天行政システム再教育
この「八徳」は人道世界に立ち、あらゆる体系の教育と教化を主導するものである。必ずや八徳を人道世界の思想教育に取り入れなければならない。では、いかにして八徳を通じて再教育を行うのか。それは人道世界において相互に依拠し合い、人倫体系のあらゆる構築機能に対して、教育と教化を完全なものとするのである。
したがって、「八徳」とは、あなた方に対して、共に人倫道徳の最も基本的な綱領を参究できるものがあるということです。これはまた、あなた方に対し、人道世界が単なる生存のためだけではなく、必ずや人倫道徳に依拠し、さらに人倫体系の中から生まれる相互成全の体制を持つよう、完成へと導くことができるものなのです。
それゆえに人倫の規範は、人為的な教育や教化を加えることによってのみ、あなたがたに孝行の道を全うさせることができるのです。八徳すなわち「孝・悌・忠・信・礼・義・廉・恥」という綱常に照らし、また八徳はあらゆる生存の指針となる道徳規範として、この世に施行されるのです。
また、あなた方の生存の方向性に対して真実を実践するものであり、南天の行政を大いなる世界の天地の中華炎黄の子孫に再教育する中で、人倫道徳の基本綱領とは何か？まさにこの通りです！そうでなければ、台湾と神州を見るに、このような人倫道徳の喪失は、すでに贅沢と詐欺、邪悪が生存の中に入り込むほどにまで至っているのです。
南天竺に伝わる正統な教え
根本的に純粋な人倫道徳を回復することさえできないのに、あなたがたはこのような感覚を持っているだろうか？それゆえに、大いなる天地に対して、どの寺社仏閣も区別せず、西洋欧米の教会や聖堂を含むすべてが、共にこの元会（21世紀）の人倫道徳学に参画し、さらに自分自身に対しては、道徳に依拠する綱領を持つのである。
これはまさに、上天の教育と教化の機能に合致するものであり、すべての中華の子孫、特に台湾地域のすべての人倫道徳規範に対して、次第に埋もれてしまったため、それゆえに多くの災厄、災難、横禍が蓬莱の宝島に降りかかることになる。これはあなたがたが必ず理解すべきことである。
南天行政教育体系は、全大宇宙の天地において、人間と称されるすべての衆生に対して共通する因縁に基づき、古人類学、古道徳学、古倫理学が相互に補完し合い、さらに古科学技術学、古天文学がこれを促進し連携させることによって成り立っています。ここであなた方に問います：八徳とは何でしょうか？
無極より旨を頒ちて凡塵に降る　　昊天玉帝の徳意真なり
南天の主はこの因縁を司り
人の倫理と道徳の深みを統べ治める
八徳の教育が教化するところ
それぞれの因縁に応じて心の華を開く
心を一つにしてこの大聖の務めに励み　　上蒼の佳話を広く世に伝えよう
この偈を！有情なる衆霊子と共に互いに励まし合いましょう！上蒼の最新の聖なる務めを、儒家思想の伝承に示現するにあたり、上蒼の徳沢を体得できるかどうか、未来の有情衆生に真の利益をもたらし得るかどうかが、真実の姿であります。皆様にはご相伴いただき、崇心宗脈をお騒がせいたしました。どうもありがとうございました。またお会いしましょう！
無極中壇元帥
祝賀の声の中、登壇の儀式を執り行う
無極中壇元帥の御心を体現す
諸賢大徳皆安らかにして良し　　八徳の基を大道の理に建つ
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は仏教の南無文殊菩薩本尊が降臨され、大道徳沢の第二十四回を著作されました。これにより、上蒼の最新なる聖務を下化され、特に八徳教育に関する下化が既に公布されました。
あなたがたは共に「孝、悌、忠、信、禮、義、廉、恥」の実践を参究し、必ず人倫道徳をよりどころとしなければ、真実の性分にかなうものとなります。また、人倫道徳こそが古人類の最も基本的な綱紀であり、さらに一切の上天と人類とを結びつけるすべてのつながりを維持するものであるから、このような綱紀がどれほど大切であるか、おわかりでしょう。
古天文学、古科学技術学、古道徳学、古人類学、古倫理学に対する研究を確立する必要があります。これはあなた方への訓練を通じて、将来の人類世界に道徳的基盤を築くためであり、この八徳の縁起は決して小さなことではありません。その中で「媚角」については次回に説き明かしましょう。
明日はまた土曜日で、すべての引渡しは必ず行わなければなりません。仙仏は度々、回を重ねる著作の中であなた方に、どのように実行すべきかを伝えてくださいます。もし理解できない場合は、水曜日や土曜日に再度お尋ねください。お疲れ様でした。今日は小さな中壇などの仙仏のご長寿をお祝いいたします。ありがとうございました！皆様、またお会いしましょう！
2014年8月19日16時38分◎＃※   ０Ｋ＃
南無普賢菩薩
◆ 跋・讃賀 ◆
跋    三
◆ 本文 ◆
第廿四回　 南天主理
南無無上の衆生心　　普賢は導き渡す衆蒼の霊
菩薩は徳の書を降ろし、心を崇めて連ねて施行を引く。
◆ 跋・讃賀 ◆
南無燃燈古仏　跋三を降す
◆ 本文 ◆
第廿五回　 崇心串連施行
南天の主理 無極の懿旨 昊天の玉詔
崇心宗脈のすべての聖務使命は、必ず南天行政単位を通じて下化を施すものである。これは本体に対して行動を起こすことで、相互に依り頼み支え合うことができ、また本体によって下化が行われることによって初めて、その来龍去脈を真に理解することができる。人為的要因を経て達成されることにより、大いなる天地の聖務が依って帰するところとなるのである。
この天機の使命を、凡塵の自らの体系に下して弘化をなすことは、今日の天下に対して、自らの体系に偏ることを形成するのではない。また、一つの聖務が凡塵世界に下される時には、必ず自らの体系を通じて下されることによって初めて真に施行でき、良き成果を上げることができるのである。
さもなければ、もし重要でない単位に下向けに教化を施しても、彼らは上蒼のご意思を理解できず、また貫徹して実行することができません。下達されたご意思を広く教化するにあたって、必ず大きく割引されてしまいます。このような実行条件に対しては、自らの宗派体系に偏ることなく、初めて真に実行できると言えるのです。
すべての実行においては、上天の職責と使命に依拠するものであり、まさに真実のままに凡塵世界へと下ろされなければならない。必ずや「南天体系」のすべての寺廟・宮堂を建て置くことを以てし、またこのような自体の体系によってこそ、すべての行為と建置が、上天の御心においていかなるものであるかを、より真に理解することができるのである。
崇心は南天の諭旨を奉じて施行する
もし一般的な寺社仏閣のように、根本的に相互接触ができない状態であれば、このような旨意を下達して公布する際には、必ず旨意の完全性に影響を及ぼすことになる。これは真に下化単位において施行され、上蒼の肯定を得ることが必要であり、これこそが人道理世界に対して誠実に対応し、相互に依拠する主要な機能体となるのである。
これもまた、上蒼に対して聖なる務めを遂行するための基盤を築くことができ、まさに比較的実践的な条件であり、また上蒼のご意思が度々、繰り返し下される際、この世において、いわゆる「懿旨と玉旨」が下されて広められる時には、必ずや上蒼のご意思とその意図を真に明確に理解できる条件が必要です。
この職責と使命の必然性に対応するため、また人道世界が相互に実践する基盤があるからこそ、真に理解する必要があります。人道世界のすべての主要な因縁の本質について、人道世界が上蒼と相互に連携できるかどうかは、実践の細則全体の部分にかかっているのです。
あるいは大幅に割り引かれるかもしれないが、これもまた聖なる教えが凡俗の世界へと下される完全性の有無によって、いかにして公布すべきかが決まるのである。これは、上天が自ら直属する宮堂寺廟へと下されることに対する実施細則であり、自らの条件と接触者に関わり、使命である聖務を引き受け実行できるかどうかが問われるのである。
崇心の施行を連ねて  上蒼の御旨を奉ずる
すべての下位への教化と指示の受け取りはどのように行われるべきか？また、なぜ現代において、世界中の寺院や宮堂が相互に指示を受け取る中で、自らの直属の部下に対してこそ、より全体的な一貫性を持つ必要があるのか？このような全体的な一貫性があればこそ、必ずや向上へと成長し高まっていくのです！
上蒼に天機の使命があり、それを凡塵世界に下達しようとする際には、他の適任者を選び出し、一部の主理を担わせることもあります。また、このような所謂「主理」が上蒼の旨意を完全に受け取れるか、あるいは受け取っても理解できないか、あるいは全く実行できないかということは、すべて因縁の条件によるのです。
それは天の御心を下界に伝えることができず、またこのような条件下では、天の御意を凡塵世界に下す際には、必ずや比較的制度が整い、受け入れ態勢の良好な寺院・宮堂、あるいは宗派を選び、細則を公布して実行させ、完全なる円満性を達成するのである。
これは、上蒼が天機を示現し、凡塵世界を考慮する際に必ず取る方法である。しかしながら！真に選ばれた者は、上蒼の職責と使命を真に実行することが第一条件の要素であり、これもまた上蒼の職責と使命が凡塵世界に下されるために必要なことである。
上天より下された御旨により、崇心堂はこれに応える
基本条綱と選定機能の効用を応用することで、はじめて上蒼の基本条綱と精神構造に合致し、また大いなる天地のすべての直属する寺廟・宮堂に対して言えば、いかに相互に上蒼の職責と使命に協力するかという、下界に下達され施行条件として成就されるべきものをもたらすことができる。
天が地上にご命令を下される際、このいわゆる選抜制度と選別条件は、必ずや天が最も重視される事柄である。さもなければ、一つの聖なる務めや使命が凡塵の世界に下されたとき、天のご意思に従って公布・施行されなければ、おそらく達成は極めて困難であり、どうしようもないことであろう。
上蒼の職責と使命の必然性において、どのように選ばれた者であるか、必ず主事する仙仏と主事する人事の主宰者がいなければならない。これに加えて、すべての神人との連携の度合いはどうか？また、一つの聖務・使命が凡塵世界に下される時、必ず起こる動作と機能の効果についても同様である。
これは施行細則の公布に対するものであり、必ず必要な条件があり、また上下が心を一つにして事に当たれるかどうかによって、聖務と使命との調和度がどのように決定されるかということである。また、大いなる天地において、いわゆる直系に属するすべてのものに対する下達には、必ず公布された施行細則の実行があり、それによって聖務が完遂されるのである。
崇心は南天の行政指示を連携させる
すべての基本制度と選別条件は、このようにあるべきであり、南天を崇心宗脈の上級機関とすることは、いかに上級機関からの指示を下界に伝え、実行するかである。人道世界におけるすべての聖務と使命は、職責と使命に対して真に完遂条件を達成しなければならない。さもなければ、ただ詔勅を受けても実行しないだけである。
また、上蒼がご覧になることに対しては、これは取るべきではなく、また受け入れることもできません。なぜなら、このような大道のすべての施行細則は、すでに相互の条綱の必要性が確立されているからです。中土、台疆、南洋、西洋、欧米…など、南贍部洲の中にあるすべての場所は、上から委ねられた事項を受け入れなければなりません。
施行細則の完全性を制定することによって、上蒼の職責と使命に対して、真に施行・公布の必要性が生じ、相互に協調する完全性も得られるのである。このような因縁条件によってこそ、上蒼の職責と使命を完遂し得る者は、必ず主事の仙仏と人類衆生が相互に協力し合わなければならない。
規制施行の主要な因縁の根本は、いかなる体系に対しても同様であり、また、頒布施行の必要性があるからこそ、相互に構築して施行する機能が生じるのです。これが人道世界において、なぜ上位や下位の相互連携を確立する必要があるのかという理由です。まさにこのような因縁によって達成されるのです！
崇心の施行は人々の世に在り
人倫世界における相互の補完において、あらゆる職責、使命、聖なる務めが果たす機能は、このような縁によって初めて真の向上が達成され、またこのような職責、使命、聖なる務めを完遂することができる。これは極めて真実であり、数多くの経験、知識、智慧の蓄積によって向上してきたのである。
なぜならば、このような機能の効用を施すことによって、人道世界における経験の貸借を通じてのみ、無明を除去することができるからです。また、人道世界のあらゆる経営体系についても同様であり、必ず自らの陣容を備えていなければ、真実の不二法門を実践することはできません。まさに自らの体系を持つことが必要だからです。
これらの聖なる任務と使命を達成し、完全なる必須性を成就するためには、さもなくば、上司の命令や旨意が凡塵世界に下されても、完全に受け止められず、職責・使命・聖務を奉じて完遂することができぬ。汝らよく考えてみよ、成就に至ることができようか？必ずや上下の附屬関係を理解せねばならぬ。
実際に完全性がどのように実践されているか？これは現在の地球の状況から見ると、このような因縁がどのように促進されているかということである。また、崇心宗脈の体系は南天行政体系の中でも優れたものであり、南天の意思が凡塵に伝えられる因縁であり、それは上蒼の職責、使命、聖なる任務を完遂する必然性から来ている。
崇心経営体系と道務体系
崇心の道務体系の実施に対して、上下が心を一つにして人道世界の主要な因縁の根本を連携させる。無極、虚空、昊天、南天を経由して、崇心宗脈体系の全ての実施細則を連携させ、必ずや理解すべきは、崇心大主席こそが南天主宰文衡聖帝であり、崇心体系の実施過程に対してである。
この十一年間、上蒼と諸天仙仏が崇心宗脈に与えたものは、上意下達の基本的な機能であると確信できます。上蒼がすべての肯定と賞賛を与えたのは、まさに上蒼の職責、使命、聖務を崇心宗脈に下されたとき、全力を尽くして達成するためであったのです。
申し上げますれば、上蒼の御目からご覧になれば、崇心宗脈の基本的な機能とその効果は、教育と教化の働きにおいて殊勝な向上をもたらし、また崇心体系に対しても、このいわゆる上蒼より委ねられた使命を完遂すべきであり、ただこの十余年の歳月に留まらず、既に上蒼より信頼を寄せられ、約束を賜っているのであります。
崇心体系の基本構造は、上蒼が安心して施行・公布できるとともに、あらゆる困難を克服することができます。上蒼にとって、崇心宗脈は「信用の看板を掲げる大道宗脈」と言えます。この十一年余りの歳月の中で、大道を弘め徳沢を広めるために積み重ねてきたすべての功績は、完全な成就と確固たる肯定をもたらしました。
無極昊天皆で議し　　南天下に達し旨意を頒つ
崇心串連して施行を作し　　道徳経教は皆共に斉し
十一の光陰の時期　　天は必ずや義を賞賛せん
諸天の仙仏さらに共に議す　　信実をもって大いなる宗基と為すべし
この偈は、有情の衆生と崇心宗脈のすべての神人と共に励まし合いましょう！また、すべての上天のご意志に対して、完成させることができ、互いに成就し合うこともできます。必ずやすべての任務と使命の完成を向上させることができ、それが最も重要なことです。心を込めて著作に寄り添っていただき、ありがとうございました。ではまた！
虚空彩鶴仙姑
虚空の因縁は大いに異なり　　彩鶴は天際を飛翔す
仙姑は今日賢生と会い、
崇心を以て道務を施行し奉る。
諸聖佛と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南無普賢菩薩が降臨され、「大道德澤」第二十五回を著作されました。これは上蒼の徳澤を崇心宗脈の全ての「道、徳、経、教」の体系に連携させ、崇心宗脈の全ての道務を弘化するためのものです。
既に次第に多くの真実の機能と効果が現れております。それゆえに、大宇宙の中でいわゆる他の因縁に対しても、互いに補い合い助け合うことができ、それが最も重要であります。明日はまた土曜日で、すべての導きは引き続き通常通り行われます。また、本宗脈の「師資培訓」は、すべての実施細則に対して、必ず実行に移さなければなりません。
主要な機能体を理解することができれば、八徳条綱をどのように応用するかについて、これが未来において真に理解すべき必要性であることがわかります。そうでなければ、崇心宗脈が台湾八徳市に立脚しながら八徳条綱を実践しなければ、いかにして上蒼から託された職責と使命の功勲に向き合うことができるでしょうか。一歩一歩着実に達成へと向かう必要があり、もし理解できない点があれば、明日にでも皆で検討を提起してください。皆様、お疲れ様でした。すべてに吉祥があります。またお会いしましょう！
2014年8月23日14時05分◎＃※   ０Ｋ＃
南無観世音菩薩
◆ 旨 ◆
完 書 繳 旨
◆ 本文 ◆
第廿五回　 崇心串連施行
南無観世音菩薩　　大いなる道の徳は有情を潤し駕す
弘化を頒行して天命を承け
凡塵の蒼生家に福を造る
第廿六回　 承命施行
昊天の徳は弘化の作用に澤す。
人倫世界を施行するための綱領が必要であり、また上天の命を受けて職責と使命を履行することも必要である。では、なぜ大宇宙の上天の御旨が下界に下されるのか。それは、本体の構造が自らの体系において施行されることによってこそ、真に安心して依拠することができるからである。
これは大宇宙の天地に生きる全ての有情の衆生に対して、上下心を一つにし、上に立つ者が模範を示し下の者がそれに従うという機能と効果を達成するためのものである。すなわち、人為的要因を通じて、弘法教化を成就し向上させることを目指す。人道世界においては、大宇宙の天地の中で言うならば、必ずや　上天の職責、使命及び任務をもって、天命を受けこれを実行に移さなければならない。
また、現代においては、世の中の有情なる衆生は皆、人は必ず天に勝つことができると思い込んでいます。しかし、彼らは知らないのです、すべては　上天によって支配される人道世界であることを。すべての科学技術文明と行動は、まさに人道の行動の中に、必ず　上天の依り代が必要であり、そうして初めて善良なよりどころを持つことができるのだということを。
決して人倫道徳によって構築されたものから逸脱することはなく、これは極めて真実に人間的要因によってもたらされるものです。人の行動として、もしこのようにしなければ、天の神霊が命を受けて実行すると言われ、必ず再び人間的要因と協調して実現させねばなりません。これは背くことのできないものであり、人道世界におけるすべての生存の方向性です。
命を受けて有情なる人類衆生に施行す
人間の生存に対する依存性を必要とすること、すなわち人的要因とは、人類が創造、発明、研究を行う際に、人間の生存志向に依存せざるを得ない必然性を持つものであり、また人道世界のすべての人的要因は、他の神霊世界と比べて、まさに真実の創造が不可欠であるという点で異なります。
もし神霊世界があれば、実相世界を創造することはできません。また、すべての世の中の事物は、人為的要因に対して相補い合って創造の機縁をなすことができます。さらに、人道世界には神霊が相互に依り添うだけでなく、人類世界の衆生が存在し、生存の方向性が相互につながり合っているのです。
しかし、天が命じた行動を実行する主要な因縁体に対しては、天が選別を経て選ばれた者こそが、異なる職責、使命、聖務に対して下される行動を命じられて実行するのであり、まさに人間世界の創造、発明、研究が相互に成就されるように、その通りに実現されるのです。
すなわち、下々を教化するための主要な因縁の体をもって施行するものであり、またこのような天機良縁に対し、審査と選別を経た因縁をもって創造するものである。さらに、上蒼の職責を基本の枠組みとしつつも、上蒼の主体構造から外れることはない。このような認識と観念を持つことが必要であり、そうして初めて実現不可能な不良な局面が生じることを防ぐことができるのである。
上なる天は命を受け、人界に施行する
さらに、天命を受けて実行に移すことについて考察する。この種の天が下界に教化を施す事柄は、すべての実行の効果と利益は、各人が自ら認識し、基本構造を理解することが基準であり、それによって初めて真に：聖なる務め、使命、職責に対して全力を尽くすことができる。このような機会は非常に稀である。
また、人間世界において、つまり人間の要素によるすべての創造、発明、研究を通じて、自らを利し、人類の衆生を利し、さらに子孫を利するということは、まさに相互補助の精神があり、人間の要素によって促進され、つまり人間を基準点とする基本的な物体に依拠しているのです。
また人道世界において知ることができるのは、なぜ崇心宗脈体系が上蒼の重大な責務を担うことができ、さらに人為的要因による度重なる試練を経て、今日の事務体系があるのか。また、天命を担うとはいかなる命を担うことか？実行するとはいかなる行いを実行することか？必ずや上蒼の試練を経なければならないのか？
方にありては、命を受け継ぎ施行して、完成と達成を全うすることが、まさに正道である。また、上蒼の職責と使命を受け継ぎ、これらの任務を一つの力の集合へと化し、必ず事物の本体が求めるものに対し、このいわゆる天命を受け継ぐことを、施行の機能と効果とし、すなわち真実の如くあるがごとく行うことである。
命令を施行するには選択の余地はない
また、上蒼の使命を奉じて実行する者は、まさに物事の本体に対して、すべてのいきさつを理解し、あらゆる時空の環境で起こるすべての事柄を知り、いかにして物事の中で、すべての問題を通り抜け、人為的要因によってすべての障害を克服できるかを理解できるのである。
さらに、神霊や仙仏などと共にこの使命・職責・任務を遂行することができ、またこれらのいわゆる職責・使命が下達された後には、必ず施行細則や経験の蓄積を後ろ盾としなければなりません。さもなければ、もし行いながら同時に修正を加えるようなことになれば、多くの時間と空間を費やすことになってしまいます。
これらのいわゆる企画主体性は、自らの過去の経験の蓄積に由来し、実施機能の効果を顕彰するに至り、さらに事柄そのものに対して実施される、つまり絶え間ない努力によってのみ達成されるものである。まさに「懿敕崇心宗脈」を骨格として、未来の人類により大きな福祉をもたらすものである。
より大きな創造と完成、研究と発明が可能となり、さらに200万人を超えるハイテク人材を活用して成長を支える構造を築くことができます。これはまさに「天下を行き渡らせ、天下のために用いる」「世界から取り入れ、世界のために用いる」という根本理念の体現であり、誠実に有情の人類衆生に利益をもたらすものなのです。
命を受けて施行する主な役割
また、地冥星から来るすべての天地のエネルギー体と材料源も、この天地の中で集結され、この世界から取り出され、当然この世界のために用いられるからこそ、それは当然のことであり、人為的要因を成就するためです。なぜ崇心宗脈を施行する必要があるのでしょうか？
観るに：崇心宗脈は過去十一年間の試練の中で、度重なるごとに、常に上蒼の職責、使命、任務を果たし、その都度、上蒼と諸天仙仏から肯定と賞賛、そして喝采を勝ち得てきた。これは決して、単に「大道シリーズ天書」の著作という面だけに留まるものではない。
さらに、崇心全体の上下にまで広がり、共にこの一心を成し遂げたからこそ、今日のように上天が御旨を示し、下界の凡塵世界に伝えることができたのです。これは非常に稀有な、天にも等しい大いなる機縁であり、また崇心から見れば、このような天機の良縁を得ることができたのは、「上下一心、神人共契」というこの因縁の殊勝なる成就によるものなのです。
これは人道世界におけるすべての教化に対して、真に人道世界の宗教を相互に補完し合い、導き回帰させる普遍的な活動ができるものであり、また普及性を持つものです。崇心宗脈が上蒼の御旨を承り、下界の凡塵世界に伝えた後、過去の度重なる審査を経てきたことを理解する必要があります。
殊勝なる使命は有情の衆生を利益する
次なる段階では、様々な異なる：職責、使命、任務の継続を公布・提示する。また、この第六期の使命は既に公布・下達されており、ただあなた方が適任となるのを待って実行に移されるのを待っている。未来においては「三綱、五常、四維、八徳」の構築と著作に重点を置き、さらに教育と教化を通じて向上を図っていく。
真に豊かな資糧の源を備えてこそ、はじめて如実に展開することができ、また崇心宗脈にとって未来に向けた「道・徳・経・教」という四つの使命は、必ずや如実に達成されるに違いない。このいわゆる「道の源、徳の性、経世、教化」という四つの大任務を、すべて実行に移すのである。
その中で、必ずや徳性を比較し連続させること、まさに未来の徳性体系に対して、再び教育文化課程と融合させることが必要です。それは現代の時代背景において、西洋欧米の良くない風潮がすでに台湾全体に蔓延しており、むしろそれを上回り、さらにははるかに超えているからです。このような良くない人道世界の風潮は、必ず新たに修正されなければなりません。
しかし、本来 上天は崇心に徳性を授けられたが、時空の因縁によって再教育するには、完全な体系が必要であり、これは徳性と相互に関連している。宗教、経済、教化の完全性において、崇心宗脈に欠けているのは経済体系であり、創設から現在に至るまで、未だ真の効果を見るに至っていない。
命を承りて施行するは、最も主要なる因縁なり。
また来年の戊子年には、必ずや経済体系の豊かさと充実が強化されるでしょう。宗教の観点から見れば、教育と教化に対し、崇心には実に天の大いなる清流があり、それが地冥星の中に広く行き渡ります。これは崇心体系が創り出した作用であり、人為的要因を通じて実現されてきたものなのです。
すなわち、大いなる天地に宿る徳の恩恵に依り、今この瞬間を通じて成就され、上天の御心を奉じて命を受け、下しては施行の働きを広め行う。これはまことに真実のままに成就されるのであり、必ずや理解せねばならない。宗教に対する観点から見れば、崇心宗脈体系の優れた因縁の条件によって、良き善きものは増長し向上していくのである。
まさに補完するのは、儒教、道教、仏教、キリスト教、イスラム教という諸宗教の円融であり、すなわち「大道シリーズ天書」を著作して天下第一の奇書とし、また現代の時代において有情の人類衆生に対して、科学技術文明に対する思想と観念を高め、相互に利益を得て回向することができるようにすることであり、これは必要不可欠なことである。
さらに政治の観点から見ると、崇心が掲げる「宗教は政治に干渉しない」という理念は徹底して貫かれているが、それではなぜ政治という問題の縁が崇心に降りてきて実行されるのか。それは、南天のご命令が崇心の体系において、政治体制の再構築を相互に補助し合い、必ずや未来においては後の世代の子孫たちを依り所としなければならないからである。
上蒼の徳沢経済体系
まさに福徳と経済的豊かさは、子孫のために自ら築き上げるものであり、経済体系は自らの手で創造する必要があることが真実である。また、天が突然黄金を降らせて人々の生計を潤すことはあり得ず、人間界の資源を用いて通貨や取引の連鎖を形成し得ることを理解すべきである。
現代において、あなた方は「黒金（石油）が主導権を握る」時代にいますが、黒金は次第に枯渇しつつあります。仙仏はすでに「藍金（海洋資源）」を通じてあなた方の思考と観念を啓示しており、必ずや深海の水資源である藍金を経なければなりません。未来の通貨としての縁を潤い合わせる存在となるためには、どうしても「藍金」によってあなた方の通貨に潤いと生命を与える必要があるのです。
形成されると、尽きることなく取り出し、使い果たすこともない。この種のものはさらに如実であり、このような未来の科学技術文明はすべての善き因縁に積み重ねられ、次第に始まっていく。あらゆる必要は知識、経験、智慧の運用に対してこそ、如実性となる。また、教育文化の課程において崇心宗脈を観るに、人数は多くないものの。
「大道シリーズ天書」を通じて導かれる教化の機能は、確かに真に豊かな功績を積み重ねてきました。上蒼が崇心宗脈の体系を肯定されるに当たり、実に心を砕かれたご配慮であり、また主事者自身の堅固な志と忍耐力、そして数多くの困難を乗り越える力を通じて、崇心宗脈は揺るぎなく立ち続けることができたのです。
命を受けて施行し、相互に連携する
したがって、主事者たちは皆、固い決意を持って努力し、歯を食いしばって様々な困難を乗り越えることができれば、将来必ずや成果を結ぶことでしょう。また、教育文化課程において、いかにして外界が崇心宗脈の優れた機能を認められるようにするか、これこそがあなた方の更なる尽力によって成し遂げられるべきことであり、まさに真実の性質にかなうものなのです。
これらは、三綱・五常・四維・八徳によって体系を構築し、また崇心を依り所とし、天命を受けて上蒼が認める教育文化課程として完成されたものである。未来の子孫や後進の学生たちが、先人が木を植える苦労を理解し、後人がその涼しさを享受するということを、互いに実感できるよう誠実に伝えている。
互いに連携し、福徳を後世の子孫に施し行い、真実の利益を回り来たって得るならば、これこそ真の向上である。汝らはまさに「大道の先鋒部隊」なり、真に施行できるか、あるいはただ崇心宗脈の学生として名を掲げるのみかは、自らが明らかにし、自らが知るべきこと、仙仏もまたことごとく明察しておられる、汝らの行いはいかにあるべきか？
天命を奉じて来たり賜う　　創造発明同じ次ならず
研究開発は福祉を為し　　受益は後代に徳性を保つ
昊天は南天と連なりて　　旨意を頒ち示し福徳を添う
崇心を以て命を承け大施を行い
福祉を創造して大道を顕す
この偈は！有情の衆霊子が互いに励まし合うものである！一つの　上天の命が凡塵世界に示されるのは、あなた方に理解していただくためである。なぜ崇心宗脈の体系にはこのような：職責、使命があるのか？そこには：南天、昊天、無極、虚空の確証があり、それゆえ崇心宗脈は現代の架構を担っているのである。
知識と経験の智慧をよく応用することが、まさにあなた方が達成できることであり、未来のすべての良き幸せは、一歩一歩確かな足跡を刻み、一つ一つの歩みを着実に踏みしめることによってこそ実現するのです。皆様にはお付き合いいただき、崇心宗脈にしばらくご迷惑をおかけしました。ではまたお会いしましょう！
虚空霊意仙姑
虚空は命を奉じて道旨を頒つ　　霊意は台に登りて大道を保つ
仙女は諸神人と共に会し
大道の徳沢は上蒼より賜わる
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南無観世音菩薩がご降臨され、「大道德澤」第二十六回を御著作くださいました。天命を奉じて実行する主体の架構を、まことに如実に完成されました。また、崇心宗脈の体系こそが、この如実なる作用であることを、必ずやご理解いただきたいと存じます。
いかにして天の御心を地上の世界に受け継ぐべきか。これは天に対する確信の中で、各体系の異なる職責と使命をありのままに実現することであり、すでに聖務は六期を経ております。崇心宗脈に対し、従来の良からぬ習慣と悪しき風習を改め、真に実行すべきことをすべて実践することが、まさにありのままの姿なのです。
昔のように名義だけを掲げて、真の奥義を悟ることが難しいままではなりません。そうでなければ、あなた方は豊かな功果を積み重ねても、現在と未来の福報に転換することができず、どうすることもできません。その時には皆がすでに帰還しているのに、あなただけがまだ他方の世界で輪廻を繰り返しているなら、それは仙仏の望むところではありません。
皆さんが同時に整え、過去の良くない気風を改める調整を行うことが必要です。そうしてこそ、自分自身を真に向上させることができます。皆さんにそれができるかどうかわかりませんが、どうでしょうか？よろしい、皆さんお疲れさまでした。ではまた。
2014年8月23日19時25分◎＃※   ０Ｋ＃
南無虚空蔵菩薩
南無無上称菩薩　　虚空因縁非等閑
蔵伝密法ふたたび塵世に入る　　大道の徳沢　衆生を潤わす
第廿七回　 大道德澤
崇心は命を承け、大道を弘めて化をなし、徳澤を施す。
すなわち、上蒼の慈悲は下界に降りて人道世界を教化し成就させ、また人道世界を依り所とされる。これは人道の生存に不可欠なものであり、背くことはできない。また、大宇宙の天地において、すべて人間衆生と呼ばれるものの主要な因縁の根源は、人為的要因による実相世界の創造と進化に由来するのである。
これは極めて真実に即しており、人為的要因が真の成長を遂げるためには、必ずや人道世界の一切の実相作用が必要であり、それによって初めて人為的要因を実相世界における生存の方向性へと具現化することができる。上蒼が人為的要因に対してもつ見方は、人類衆生の創造にこそ真実の本体が存在し、これを実相体の因縁の根本と称するのである。
霊性世界の観点から見れば、その因縁の働きは、霊の本体を依り所としているものの、この状況の中にはあまりにも多くの層次が区別されており、大道の弘化に対しては大いなる天地の中で、生存の方向性と呼ぶものがあります。しかし、霊性世界は生存の方向性を用いないため、実相世界の真実の一面に対する関わりも少なくなります。
ここには、真実の相の一面に対する依りどころとなる主要な因縁の根本があり、人為的要因によって成長することを最も主要な条件とし、また、一切の大いなる天地の中で生存の方向性と呼ぶものである。これは、人道世界をいかなる時空の因縁にも区別することなく、すべて生存の方向性に依拠しているのである。
大道の殊勝なる因縁
また、実相界の生存への依存があるからこそ、創造、発明、研究、成長が相互に循環し、人為的要因による創造を通じて、尽きることのない福祉が自らに利益をもたらし、子孫たちもまた発明、研究、創造という道筋をたどり、生活の快適さ、便利さ、普及性を成長させることができるのです。
また、大道の総体的な因縁について言えば、それは人間世界におけるあらゆる生存の方向性に由来するものであり、生存の主要性において欠くことのできない要素である。人為的要因によってもたらされるものとして、「衣・食・住・行」の必要性は必須であり、これに「育（教育）・楽（娯楽）」の二つが加わって初めて、教化の因縁による楽しい生活が可能となるのである。
もし生存の方向性に対する相互依存的な成長が欠如しているならば、それは個人の福縁が十分でないことを意味し、また上蒼の恩恵は、全宇宙の天地に存在するすべての衆生が相互に普及し成長し合う機能に由来するものであり、昔のようにわずかな人々だけで天地の大いなる恩恵を享受するものではない。
現代の有情衆生にとって、これは心から納得できるものだろうか。さらに普及のための利便性や快適さも必要であり、これもまた　上天が繰り返し強く求めておられることなのです。普遍的な教化の実践における真実性が求められています。これは人道世界の、あらゆる生存の方向性から離れることはできません。同時に、　上天の衆仙仏と各宗教が互いに連携を形成することが必要です。
大道の徳沢は、万物蒼生に及ぶ。
大いなる天地における宗教の教育と教化について言えば、このような天地教化の縁によって成長を遂げるためには、必ずや真実の理諦が必要であり、それを人道世界において学び成長させることによってこそ、教育と教化の課程は真に後世の子孫へと受け継がれ、その恩恵をもって成長することができるのです。
このような福祉の体系が相互に継承される主な縁起は、人間世界において生存の方向性を一瞬たりとも疎かにできないこと、また人間世界が生存のために大道の徳沢に依拠しなければならないことにある。それによって初めて生活に：快適さ、便利さ、普遍性がもたらされるのであり、これらはすべて過去の先人たちの苦労の積み重ねによるものである。
さらに、諸天の仙仏が、再三にわたり凡塵世界の多くの霊子たちに強いて、彼らが真に利益を受けることができるようにし、もはや昔のように、国の主事者の生殺与奪の権力に苦しむことのないようにされたことは、すでに現代の社会環境には相容れないものであり、上蒼の徳沢が如何なるものであるかを理解することができるであろうか。
これは、過去のあらゆる王朝の変遷を経て、すべての就任（即位）後に、すべての殺戮行為を掌握できるようになることを改めて変えることである。それは取るべきでない行為である。各王朝ごとに、全体の歴史のすべての演繹過程がどのようなものであったか、そして悪い教訓をどのように記憶すべきかを深く理解する必要がある。
大道に依り帰する使命の働き
すなわち、徳沢を基盤として、大道の弘化は　上天の共なる成就であり、また昊天　玄霊玉帝の徳沢が人道世界に下ろされてきたのである。これは二千有余年にわたるすべての悪習と陋規を経て、新たに修整と変革がなされてきた。しかしながら、現代はすでに民選制度へと進化しているのである。
また、上蒼と同じように殊勝な因縁条件であり、互いに補い合ってすべての未完了事項を整える。もし現代の地冥星の様々な国々から見れば、主事者の交代において、すべての生殺与奪の権力の消滅を減らすことができ、すなわち上蒼の大いなる徳沢が凡塵世界に降り注ぐことができる。
そうでなければ、歴代の王朝交代や即位のたびに、多くの殺戮行為が生じることになります。それは上蒼の根本教義ではありません。大宇宙の天地に存在するすべての原霊子にとって、生命の連続性を長く保つためには、異なる王朝交代や即位の際に、必ず多くの殺戮行為が生じることになるのです。
さらに、禍が九族にまで及ぶこともあり、これは言えることです：上蒼がこの悪習を見て、さらに王朝の帝制が文明に合わないことを修正することこそが、上蒼が戒めとする主な根拠となります。また、現代のすべての衆生が地冥星に入るにあたり、言えることは：悪事を働かず、法を犯さなければ、自ら安らかに過ごすことができるということです。
大道の徳は有情なる人類衆生を潤す
また無明の殺戮による「生殺与奪の権」の影響も受けません。もし地冥星全体の大災厄（劫）という観点から見れば、どの時代にも必ず災禍が降りかかりますが、ただその大小に違いがあるだけです。天災に対しては避けることができますが、人災については、一つの規律で全ての生存の在り方をまとめることは難しいのです。
このように、あなた方はあらゆる生活をよりどころとし、特に現代社会における発明、創造、研究においては、すでに広く行き渡り洗練された成長を遂げたと言え、さらに時を重ねれば、必ずや未来の科学技術文明を真に向上させることができるでしょう。それこそが、天の根本的な綱領と慈悲の恵みなのです。
大宇宙の天地のすべての霊子を枠組みとしてこそ、このような仕組みはあなた方に真の利益をもたらすことができます。これはすでに過去のすべてとは異なっており、現代の世代の霊子たちが互いに一つの事象の連鎖の中で補い合い、自らの知識、経験、知恵をもってすべての思考空間を転換させることが必要です。
理解できるのは、上天が現代の霊子たちに対して、自身の福分の多寡を区別せず、ただ心を込めて一つの体系を運営すれば、必ず真の効果があり、自分自身も真に利益を得られ、さらに自分自身の福縁が具わり、通貨を加えて蓄積することは、真実性であるということだ。
徳の恵みと功徳は、すべての衆生に遍く及んでいる
もしあなた方の人間界のネットワークで分析するとしたら、あなた方はそれをネットワーク販売に応用できるでしょうか！これは自分の福分の多寡を区別するものではなく、むしろ知恵の成長に対して、自分がどれだけ心を砕いたかによって、自分の福分と通貨の量が決まるのです。常に自分自身の選択にかかっています。
必ずや、あなた方が21世紀に入るにあたり、上蒼はすでに人道世界に対するすべての福分を改めて変えられた。自らが創造し、自らが成長し、自らが蓄積することができるようになったのだ。それが真にあなた方の利益となるものである。あなた方は自らの頭脳に、新たな思考と観念を与えることができるだろうか。
もし一成不変であれば、それはただ前世の福縁に従って、今世に再び入り利益を受けるのみであり、またこの現代という時代に対しては、すでにインターネットやネットワークを通じて利益を得ることが実相にかなっている。したがって、あなた方の福分に通貨を加えることで、皆が人道世界において利益を受けることができるのである。
また、あなた方自身のことを考えれば、財貨が満ち足りることと福分が満ち足りることは、前世で積み重ねたものが今この時に利益をもたらすということであり、まさに真実の性質にかなっている。この中で、自らが営む方法、つまり利益を受けるか受けないかの区別については、必ず人道世界で言われるところの「天の時、地の利、人の和」という三つの要素の組み合わせを理解しなければならない。
徳の恵みは根本の働きであり、衆生に利益をもたらす。
これら三つに対して言えることは、それはあなた方の現在において行うべき全ての事柄であるが、天の時は既に到来し、地の利は自らが大いに努力して創り出すことができ、この方面における成長については、人の和は自分が外界と互いに補い合い助け合うことができるかどうか－信頼と実践の作用であり、広く推し進める条件を備えているということである。
往昔、今日、未来という方向性を区別することによってのみ、自らを益することができる。これは自らを理解させ、また自らに備わるすべての福縁と通貨がどのようなものであるかを知らしめるためである。もし現代の科学技術文明を応用することができなければ、汝らはただ自らの過去の福報に従って歩むのみであり、それだけのことである。
根本的に持つべきではない：創造、研究、発明。必ず理解すべきは、崇心宗脈体系の殊勝なる因縁は一体どこにあるのか？未来において汝らが受益できるか否かの区別であり、さらに自己に利するものを創造することが正道である。研究、発明、創造を通じて、汝らが真に受益を得る必要があることを理解できるのである。
大道の徳は天地万物を潤す
さもなければ、ただ天下第一の学府という名ばかりで、自分自身の考え方を変えることもできず、ひたすら福分と通貨の充足ばかりを求めるならば、あなた方は自ら崇心宗脈の中に入ることになる。もし自分自身の思考体系と行動様式を変えることができず、一世を過ごすだけの良い福分と通貨を得ようと妄想するならば、それは根本的に達成不可能なことである。
これはあなた方に対するものであり、崇心宗脈の体系を学び、成長させるために応用することができます。目を凝らし、巧みに考えを巡らせて運用することが、真に未来に対して福分と通貨の成長をもたらすのです。また、より豊かな智慧と経験を積み重ね、これらの資源を活用して自らを利し、さらにすべての無数の霊子たちをも利するのです。
あなた方は、これはこのようにあるべきかどうかと考えていますか？仙仏が望んでいるのは、あなた方が実際に道務の本質を応用し、また経済システムの成果を区別することです。どのようにして互いに補完し合い、また分離することができ、干渉や絡み合いを受けずに済むのか。それはあなた方が知識と経験を積み重ねて応用し、智慧を獲得し、利益を得る条件によるものです。
仙佛の先生方のすべてのご教示
仙仏は既にこの面において、崇心の学生に対して真実の成就を為されました。これは必然的に、自身の目の利く者と目の利かない者との区別であり、これは知識、経験、智慧の蓄積を応用してこそ必要であり、多くの人類衆生の福祉を創造することができます。それこそが崇心宗教脈体系であり、この十一年間の教育の効果なのです。
これを広く普及させ、遠くまで広げることができるかどうかは、あなた方がどのように応用するかにかかっています。さらに、その奥深さを理解することができ、このいわゆる自利利他の行為は、自分自身が成長させ、仙仏が加護して完成させるものであり、後世の子孫のために自利利他の福祉を開くものだと言えるでしょう。
大道の徳沢の総体的な因縁は、上蒼によって創造され、南天行政単位の促進を通じて、崇心宗脈の体系に降臨し、相互に補完し合うものである。これをいかに善く活用すべきか？それは汝らがこの十一年の歳月をかけて培い、訓練してきたすべてのものが、汝らの未来において利益を受けるか否かの区別となるのである。
上蒼より南天に旨を頒ち給う　　文衡を主宰する聖帝の言
心を崇めて連なり行いを施せば　　徳は蒼生を潤し福祉を添う
知識と経験を応用できれば
十年の教育は必ず広まる
良き知恵を積み重ねて巧みに用い
研究を創造し大衆に利益をもたらす
この偈は、有情の衆生が互いに成長し合い、崇心宗脈の体系と共に励まし合うことを示すものです。汝らが理解できるように、人界の福祉をいかに開拓すべきか？子孫たちが末永く恩恵を受けられるよう助けとなり、遠くまで届くものであってこそ、真に崇心宗脈の未来の経済体系を発展させることができます。さて、皆様にはご相伴いただき、崇心宗脈の一時期をお騒がせいたしました。ご苦労さまでした。ではまたお会いしましょう。
虚空霊会仙姑
虚空より縁を降ろし来たりて　　霊会に諸の有情と共に叙ぶ
大道の徳沢の架構　　心を崇めて福祉の新しきを創造す
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、今晩はおやすみなさい。本日、南無虚空蔵菩薩が降臨され、「大道德澤」第二十七回を著作されました。大道德澤を崇心宗脈の体系に応用し、未来の経済体系をいかに成就すべきか？必ずや人道世界においては「道をもって人を弘むる」ことによってなされるのです。
大道を行おうとするならば、必ず通貨がなければ道を弘めることはできません。道を弘めるのに、通貨がなければどうして弘揚できましょうか。必ず宗教の殊勝さを理解するとともに、生活を潤すことも互いに形成し合ってこそ、はじめて弘道の推進に安適することができます。もし貧しい者が弘道を行うことはできても、それを広げていくのはやはり困難なことなのです。
したがって、道は通貨から離れず、通貨は道から離れることはなく、互いに補完し合い支え合う関係です。また、崇心体系は繰り返しあなた方に強調していますが、これは累世にわたる良くない因縁を変えることができるのです。これはつまり、あなた方に理解していただきたいのです。今はもはや紅陽期に貧しい道を修めた時代とは異なり、崇心宗脈の体系に入ることで、「豊かな道」を修めることができるのだということを。
もし富足の道を修めなければ、知識、経験、智慧も貧しいままとなり、あなた方は成就することができるでしょうか？これは時空を異にするものであり、崇心宗脈の体系は繰り返し要求を強めております。あなた方が富足の道を具足すること、経験の富足、智慧の富足、徳性の富足、福報の富足、通貨の富足を備えることを求めているのです。
覚性はさらに豊かになり、大いなる豊かさを成就する…あまりにも多い！あなた方は一生でこれらの豊かさに到達することができるが、あなた方はそれを望むだろうか？明日はまた土曜日、崇心宗脈が引き渡す大吉の良辰、あなた方はこの方面での努力ができるだろうか？それは自分自身の認識と観念にかかっている、皆さんお疲れ様でした。明日またお会いしましょう！
2013年、0827、1225◎＃※   ０Ｋ＃
南無彌勒菩薩
南無至上の菩薩に礼したてまつる　　弥勒浄土に未来の駕を待つ
大道徳沢二十八回　　徳沢大道衆霊華
第廿八回　  德澤大道
崇心宗脈のすべての行い
すなわち「大道シリーズ天書」の著作によって、現代のあらゆる宗教の不足を補い、また現代の科学技術理論の作用によって、過去の四億の仏弟子を成就させ、さらに二百余万人のハイテク人材を借りて：研究、発明、創造を行い、地冥星のすべての応化大徳の恩恵を向上させるのである。
有情なる衆生の成長を潤すべく、このように十一年の歳月を経て、崇心宗脈のすべての行いと動作は、上蒼より肯定され、すべての行動の基準となる指標が与えられました。すなわち、現代において「儒・道・釈・耶・回」のいずれの宗教にも区別なく、すべての宗教を向上させることです。
このような行為は、大いなる天地と、すべての生ける霊性の存在が成長するための条件に対して、相互に従うべき規範となるものです。これはまた、上天が人間界に下されたものであり、幾度もの試練と審査を経て、上天の厳格な検証に合格した者だけが、度重なるご下命によって、それぞれ異なる尊い使命と任務を授かるのです。
大道弘化の基本動作に対して依拠できるものを与えることは、崇心宗脈のこの十一年間における、すべての労苦を積み重ねた行為と動作こそが、正しい道であり、また真実性であり、さらに大いなる天地の一切の衆生の霊子にとって、成長の向上が可能となるものである。このいわゆる成長を超越へと導くことが必要である。
上蒼の徳沢は基本の功用なり
人道世界におけるあらゆる学びを通じてこそ、成長があり向上がもたらされる。これはまた、大いなる天地の中にあるすべてのいわゆる人道世界が、後の世代の子孫たちへと徳の恵みを応化させることでもあり、現代の科学技術文明に示されているものである。現代という時空の因縁において、また今この時空の因縁による徳の恵みが、すでに人間世界へと降ろされているのである。
この大道の成長を依り所とし、また天地のなかにあって、真に向上・超越へと向かうことのできる因縁の根本でもあります。しかしながら、このいわゆる天下の衆生を利する大いなる徳の恵みは、いかなる国や宗教、宗派の別なく成長し向上していくことで、あらゆる良き善き因縁が生じるのです。
現代の科学技術文明にとって、過去のあらゆる時空の因縁や宗教宗派の区別なく、すべてが一体であることを理解することが必要です。この広大な天地の中で互いに補い合い、成就し合うのです。もし過去のすべての基礎となる営みがなかったならば、どうして実際に成長し、向上し、超越することができたでしょうか。
また、どうして現代のように、非常に正確に科学技術文明を達成し、創造力を高めることができるでしょうか。これは非常に大きなプロジェクトです。人道世界に対しては、まさにこのような行動を通じて、地球全体を結びつけ、すべての現代の衆生が淘汰されず、制限を受けないようにするかどうかが問われています。
文明と科学技術の基礎を切り拓く先駆者
これは人道世界の現在にとっても、科学技術文明の成長を切り開くものであり、未来の科学技術文明を向上させることで、現在よりもはるかに何千万倍も優れた科学技術文明が実現するでしょう。特に「移地他化」と「移化他地」の二つは、過去においては決して人道世界に示現し、応化して成就することはできませんでした。
しかし、現代の基盤構築プロセスにおいては、すでにこのいわゆる「移地他化」あるいは「移化他地」を徐々に示現することが可能となっています。また、未来の科学技術は「藍金体系」の分野においてもさらなる成長が見込まれるため、藍金体系こそが、上天が未来に応現する主要な資糧源となるのです。
何者が線につなぐことができるのか？つまり、利益を得る条件があるということです。これは上天が青金体系を重視し、またこの種の条件に重きを置いていることから、大いなる天地の応化の過程において、人道世界に示現し、このいわゆる徳沢に対して、人道世界の有情衆生がその内なる意味合いを深く悟ることができるかどうかということです。
もし上蒼の大いなる恩恵とその真意を理解することができず、ただ人間世界の研究、発明、創造にのみ注力するならば、それは単に物質的な向上に過ぎません！根本的に霊性を高めることはできず、必ず理解すべきは、あなたがたは今や天下第一の学府に進み、そこで学び成長するのだということです。
徳の恵みは根底にあり、万物の蒼生に利益をもたらす。
申し上げますれば、虚空の彼方より無極仙佛老師が崇心宗脈に降臨され、皆様と双方向の対話と分析をなさっています。皆様に対して言えることは、これは現代宗教の中でも最も優れたものであり、また過去の宗教経典の不足を補い、さらに皆様の学びと成長を助け、より広大な思惟体系へと導くものなのです。
申し上げます：あなた方はいかに幸運であり、大きな福縁に恵まれていることでしょう。現代においてこのような天与の良縁に巡り合える者は稀です！極めて稀なのです！さらに稀少なことです！もし仙仏から宝を掘り当てることができれば、あなた方はこう言えるでしょう：得られる利益は千年百年の歳月をかけても到達し難い成長の恩恵であると。
さらに、徳沢に対し、心宗脈の設立を重んじることで、あなた方に師資育成の基礎工事が可能となりました。これはまさに、天地宇宙の奥義と神秘を、あなた方の思想体系の中にありのままに降ろし届けるために、あなた方に対して実現されたことです。これは現在のあらゆる宗教や宗派が及ばないところなのです。
また、今日の世界のあらゆる宗教や宗派は、すべて過去の経典を引用して応用している。これはすでに過ぎ去った応用行為であり、あなた方が今すぐに成就を達成したいと願うならば、真に来て、あなた方の思想体系を再調整する必要がある。そうすれば、善良な成長と向上が得られるだろう。
大道はすべての徳沢を演繹する
さらに、これらの最新・最良・最優の宏大な思想体系を、汝らの思考の中に加えることが、最も真実に近く、真に善良な向上と創造、成長へと向かう道であり、これこそが崇心宗脈の体系に入ることのできない汝ら有情の衆生仏子にとって、最も真実な道である。
あらゆる思想や観念を向上させ再構築するために、しかしもし現時点で崇心宗脈の体系に入ることができないならば、このようにインターネットやネットワークを通じて、また「大道シリーズ天書」を明確に体得することで、さらに自分自身の未来における成長と学習のための思考体系を築くことができます。
再び建て直すことで初めて真に理解できる。天地が演繹する徳の恵み、上天が演繹する徳の恵み、仙仏が演繹する徳の恵みとは何か？必ずや過去の一切の経典に対して、これらはすべて先人たちが通り抜け、それぞれの時代に著作された因縁であり、今こう言えるのだ：さらに天地の演化の過程をもって、現代の時代に符合させるべきである。
過去の経典を対照してみると、確かに応化成長が実現できたと言えます。また現代の視点から見れば、これら二千年前に生まれた経典は、幾度にもわたる修正を経て、文言文で記述されたため、全体として奥義を貫徹することができず、特に仏教系統においては「如是我聞」で始まる形式が顕著です。
宗教の経典を理解できる者は稀である
これらの教えの意義は、一人の有情なる仏子を完成させ成就させることができるが、汝らはよくよく考えてみよ。その中には一部の大徳や高僧、真の成就者たちの見解、そして仏教の六祖恵能大師の深い悟りを体得した者たちを除けば、残りは皆、稀なのだ！少ないのだ！さらに稀なのだ！
上蒼はこれを見て、仏教の理諦を再調整し、より大きく殊勝な天機良縁とし、『大般若経』全体が示現するものを『般若波羅蜜多心経』の中に凝縮されました。これは心経によって観じ、またわずか二百六十余字の全体をもって、心経の総体の精華を貫いております。
これこそが、南海古仏と南屏道済古仏の両尊が、なぜ無極皇母にご旨を請うて、人道世界に「懿敕崇心宗脈」を下し、当代随一の奇書「大道シリーズ天書」を著作するに至ったかの理由である。これはまさに「心経の総体精華」に対して、より大きな弘化をなすものである。
また、現代の口語文を引用することで、これらの有情の衆生・原霊・仏子たちが、その内包する定義と精華をいかに理解しやすくするか。現代の人類衆生にとって真の利益と成長をもたらすためには、これらの恩恵はまさに仙仏が顕現し、上天が顕現したものなのである。
大道が顕現する機能の働き
天地の間にあるすべての霊子たちに、より大きな成長と成就をもたらすために、いわゆる有情の原霊仏子たちが人道世界において生存以外に追求するすべての行動は、必ず「身体、自心、霊性」の三者を結びつけ、自らの全存在を統合して向上させるものでなければならない。
これこそが人道世界を理解し、この世に人として生まれるための根本的な働きであり、自らを向上させ、自らの過去のすべての無明の思想を再構築する過程である。このように人類衆生の生活は、単に自らの衣食住を満たすためだけではなく、さらに自らの霊性の超越と浄化のためでもあるのだ。
これこそが、あなた方人間世界に対して、地冥星の中にあるがゆえに成長の限界から脱し得ないということがないようにするものである。必ず理解しなければならないのは、地冥星における一切の相互対立とはいかなるものか？また人類衆生はただ生存の方向を求めるだけなのか？そうではない！生活の安楽のためであり、心の平安もまた安らかでなければならないのである。
さらに、「身体、自心、霊性」という三つの要素を向上させ、超越することが求められます。それこそが、上昇と超越的成長を真に実現する道なのです。上蒼の根本的な教えは、四億の仏子と、二百余万のハイテク人材、そして九二原霊仏子を共に向上させることにあります。
徳澤大道の応化による功徳と利益
この「大道系列天書」が明らかに示すところに従って、自らいかにして上昇と超越を達成すべきかを知ることができるのです。これは崇心宗脈の体系に学ぶ者だけが受益できるものではなく、必ずや大いなる天地のあらゆる有情なる衆生、原霊の仏子たちにまで広め、彼らをも受益させ、仏教の殊勝なる「唯識学」へと進化させねばなりません。
未来においては「大道系列天書」によって薫習され、必ずや様々な国々の異なるバージョンが現れ、人道世界の思想と構築に対してさらなる向上と超越をもたらすでしょう。これは未来の人類衆生の思想体系にとって極めて真実味のあることであり、真に成長と学習の向上を達成し、思想観念をさらに発展させることができるのです。
まさに有情世界においては、あらゆる宗教、宗派、国家の有情原霊仏子を区別なく救済するものである。ここから、なぜ上天がこのような機能と効果を必要とするかが理解できる。それは人道世界の思想体系を必ず再調整し、新たな現代の科学技術観念を組み込むためである。
また、現代の科学技術文明と人々の思考様式は、すでに時代の流れの移り変わりに追いつくことができず、そのため人々は贅沢に走り、欲望を貪り、自らの心を浄化して向上させることができません。つまり、遠い古代の清らかで霊的な境地に回帰することができず、代々と地冥星に沈み、そこで生きることになるのです。
人類の生存は非常に困難であり、向上させることは難しい。
それはあまりにも簡単なことです！では、この向上を妨げる障害をどのように取り除くかというと、あなたたち人間世界のすべての「心を明らかにして本性を見、悟りを開いて果を証する」者たちに、その中の秘訣と微妙なポイントがどこにあるのかを深く理解させることが必要なのです。そうすれば、向上を超越することも比較的容易になるでしょう。
「明心見性、開悟證果」への体得に至り、真の成長を遂げることができます。しかしその前提として、まず自らの「自心・霊性・身体」の三つが、真にへりくだって謙虚であることが必要です。単なる未熟な芽生えのような体得では、累世の怨親債主の討伐を受けやすいからです。
自らの心の魔が顕現したものを整理し、さらに自らをより悲惨な苦しみの過程に置くことに加えて、このいわゆる真の「明心見性、開悟証果」とは、大宇宙の天地において、未来の科学技術文明がより大きな向上と超越を遂げ、善良な成長がもたらされるためのものである。
さもなければ、もし一人の赤芽芽たる者が来て応化体証を加えるならば、それはおそらく現代の時代の衆原霊仏子たちが耐えられる苦難ではない。このような因縁条件は、真にへりくだって謙虚であることが必要であり、それこそが大徳沢に対して真に如実に応化することであり、真に自らを益し、また有情衆生を益することになるのである。
霊性の向上を基礎とすれば　　肉体の構築は必ず疑いなし
心性はさらに超越することができ　　明心見性は自分自身である
悟りを開き果を証するには時期があり　　いかにして智慧を応用して頼りとするか
大いなる天地の恵みは
すべての有情衆生に等しく通じる
この偈は、有情の衆生の子らよ、あなたがたに学びを励まし成長して弘化を行うよう促すものである。もしあなたがたが真に利益を得て収穫があるならば、良き善き因縁の条件が必ず備わり、実のままに向上増長し、超越して高みへと昇ることができるでしょう。皆様、ご苦労さまでした。崇心宗脈にお付き合いいただき、しばらくお騒がせいたしました。ではまたお会いしましょう。
虚空霊通仙姑
虚空の因縁は本来異なり
霊通の意会は有情の衆生なり
仙姑は今日賢生と会われた
大いなる道の徳の恵みが喜びと共に訪れる
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南無弥勒菩薩本尊が降臨され、「大道德澤」第二十八回を著作されました。一つの徳沢大道の弘化を詳細に剖析し、大寰天地の中の一切の衆霊子を成全し、向上増長させることができます。
まさに未来の科学技術の方向性において、相互に示現がなされ、また崇心宗脈の体系的な成長学習の中で、応化と示現が行われます。これはすべての崇心宗脈の学生たちに、未来の天機示現がどのような方向に向かうかを理解させようとするものです。さて、ご苦労さまでした。皆様、またお会いしましょう！
2014年8月27日13時25分◎＃※   ０Ｋ＃
南無地蔵王菩薩
南無、衆生の念い如来の如く
地蔵王菩薩降臨された
大道徳沢二十九回　　構築施行みんなで進めよう
第廿九回　 建構施行
大道徳沢基本構造
大宇宙の天地において、すべての無数の霊性の子らを向上させるために、生存の方向性を持った行動を通じて向上と超越を図るのであり、これは現代の時代に行われていることである。また、上蒼が福祉の実現を主導されているからこそ、この中には大宇宙の天地、すべての無数の霊性の子らを成就させるという働きも含まれているのである。
言えることは、今日の時代に至るまで、すでに多くの恩恵が人間界に降り注がれている。これは現代の時空環境において、相互に成長し合えることでもあり、これこそが上天の大いなる慈悲と徳の恵みであり、人間界を成就させるための正しい道なのである。また、人間世界はこのような時空環境の中で、いかにあるべきであろうか。
人類の衆生がもし単に生存のためだけを指向するならば：食べ、飲み、排泄し、雑事をこなし、眠るだけなのです！　上蒼はそもそも豊かな資糧の源を下す必要もなく、万霊蒼生の生活を超越的に向上させる必要もありません。それは上蒼の基本構造と本来の意図ではなく、あらゆる善良な成長と向上の条件を曲解することになります。
これもまた、天がこのような時空において、人道世界に対し向上成長を促すものであり、これは現代の世代にとって必要な教育と教化による成長こそが真実の姿である。では、どのような構築が必要か？必ずや人道世界に対し、あらゆる霊性を持つ衆生が時代の違いを理解できるようにすることであり、単なる生活のためだけではないことを知らしめねばならない。
構築作用は必ずその条件を持つ
それはとても簡単なことです。自分自身に生存の方向性を持たせることができ、また現代の時代において、あなた方の思想や観念が自分自身を成長させることができるかどうか、これは人道世界の衆生にとって、自分自身が理解できるようにするものです。もし自分自身の福縁が不足している時には、知ることができるかどうか、必ず福気を併せ持つ必要があります。
自らが大いなる集団と共に福を併せ持つことができるようにすること、これは現代の有情衆生が、このいわゆる「福を併せ持つ」ということを理解できるかどうかである。それは自らの不足を以て、大いなる集団と相互に支え合う作用を持つことができ、また比較的福の少ない人々にとって、自らが求める通貨を容易に蓄積することもできるのである。
また、とてもありのままに十分に満たすことができます。さらに、時空の違いにより、上蒼はすでに過去のすべての因縁を変え、これらの人道世界に入った万霊蒼生が、あなた方の求めるものをとても容易に満たせるようにしました。特に、あなた方が現代の時空の因縁によって満たされていることを理解できること、それはもはや過去の作用ではないのです。
必要に応じて知識、経験、智慧によって成長し、自らを楽にすることができ、人間世界で言うところの「マネー（通貨）」を十分に備えることです。これは福分が足りない衆生にとって、楽に成就し充足させることができるものであり、つまりは地球全体を基本構造として成り立っています。
効能を構築し、人類と衆生に利益をもたらす
また、なぜあなた方は現代の時空因縁の中で、通貨の因縁を容易に満たすことができるのか。これは、このような時空因縁の中で、あなた方がインターネットを上手に活用できるかどうかにかかっている。それによって、あなた方はいわゆる福徳と通貨因縁の条件を、とても楽に満たすことができるのである。
ここにおいて、コンピュータ分野で学び、さらにコンピュータ関連の情報を適切に活用し、あなた方の不足や欠落を補うことが必要です。これは既に成し遂げられている成果であり、さもなければ、過去のあらゆる因縁の中で、通貨の因縁を具えるには、前世において多くの福報の因縁を積み重ねる必要があったのです。
これをお前たちの通貨因縁に転換することができるが、現在の時空因縁の違いを考慮すれば、もしコンピューターに関する情報をうまく活用すれば、必ずや多くの応用可能な条件が得られるだろう。これは比較的遅れた国々や福徳の足りない衆生にとって、このような因縁を通じてお前たちの経営体系に対応することができるのである。
加えるに、先に大きな成長と依存と要求があるならば、必ずやあなた方が先に電伝映像についての通徹した理解を備えることになるでしょう。つまり、コンピューターシステムに対して非常に容易に理解し応用できるようになるのです。これは最も基本的な機能を善用することで、あなた方が電伝映像のすべての集結を理解し、またその仕組みを把握することを可能にします。
施行細則が制定されれば、恩恵を受けることになります
あなた方こそ、テレビ電話（コンピューター）を活用し、さらに中国語、英語、日本語に精通するというこの縁と条件を生かすことができるのです。このような機縁は、以前の時点で仙仏がすでにはっきりと示されていましたが、あなた方は相変わらず自分勝手に振る舞い、学習と成長を全く貫徹することができていません。
このようにして簡単に、あなた方の国際的視野を十分に備えようとするのは、あまりにも遠すぎます！これは仙仏が望むことではありません。なぜなら、あなた方には怠惰な心があり、その日暮らしをし、適当にごまかすことができるからです。これはあなた方が理解できることではなく、崇心宗脈の体系は台湾だけにとどまるものではないのです！
もしそうならば！仙仏はそもそもこれほど豊かな資糧の源を下ろす必要もなく、また汝らは大道の先鋒部隊である。汝らがこの一世で成功できず、未来の時空因縁で再び一巡りするならば、それでは心にどうして耐えられようか？これもまた　上蒼と仙仏の、鉄が鋼にならぬことを恨むが如く、汝らに再三強く要求を加える所以である。
これは主事者が本来すべて知っていたことだが、実行力が不足しており、あなた方が言うところの、未来に全世界へ弘めようとするその考えは、疑いなく、愚か者の夢物語に過ぎない！ 仙仏は常に目標、方向、理想を示し、あなた方の考えを先んじて啓示し教え諭してはいるが。
施行作為の効能は、利益を受けることにある。
しかし、もし実行できるのに実行せず、ただ未来を待ち望んで善用しようとするなら、将来の時空と因縁はすでにあなた方にとって不利なものとなっているでしょう。どうしてさらに大きな成長と収穫を得られるでしょうか？そうではありません！必ず仙仏の言う「目標、方向」を善く理解し、全体計画を把握してこそ、あなた方にとって真の利益と報いがあるのです。
この方向と目標をいかにして真に実践に移すかは、あなた方が将来本当に利益を得られるかどうかの分岐点です。これまでに与えてきた教育と教化は、もし「老いるまで学び続ける」という千古不易の名言と法則を真に理解できるならば、特にあなた方にとって今以上に重要となるものです。
なぜなら、あなた方はすでに現代の若者たちと距離があり、またあなた方の思想体系も次第に古くなり、柔軟性を失っているため、現代人が備えるべき条件がどのようなものかを理解することができないからです。これはあなた方の言語能力やコンピューター能力に対して、教師育成の主要な因縁として加えられるものです。
もしあなた方が経営する体系の中に加わり、真に利益を得る条件を備えていなければ、将来必ず淘汰されてしまうでしょう！あなた方は心の中でどう思われますか？仙仏はまさにあなた方に対して、より新たな思考体系を持っておられ、またあなた方に対して「固定化せず、固執せず、頑固にならない」とおっしゃっているのです。
施行の目的は人類皆が成長することである
様々な因縁と条件とは、現代のあなた方に成就をもたらすことができるものであり、またこれらのいわゆる現代科学技術は、崇心宗脈の聖なる務めのために用いられるべきであり、六期弘化の基本教材としてこそ、まさに真実のままに自らを益し、衆生を益することになるのです。これもまた、あなた方が崇心に入ってからのことなのです！
まず自らを利し、その後衆生を利することができる。下化を真に実行するには、まず基礎的な条件が必要である。そうでなければ、たとえ膨大で豊かな資糧源を有していても、未来に外国から回帰する善縁があっても、言語による意思疎通ができず、ただ身振り手振りで伝えるしかなく、どうして真に四億の仏子の回帰を導くことができようか。難しいことである！
これが崇心宗脈の体系であり、なぜこれが現代における天下第一の学府であるかの理由である。もしあなた方が真に理解できなければ、ただ名義だけを掲げるに過ぎず、未来において国際的視野と宇宙的視野を持とうとするのは、さらに難しいことだ！実に難しいことだ！これは崇心体系の全ての学生に対して、自らの不足と欠如をいかに理解できるかということである。
人生は生まれてから老いて死ぬまで、絶えず学び成長するものです。この現代においては、まさに電伝映像技術（コンピュータ応用）の時代に入っています。もしあなた方が永遠にコンピュータ音痴であれば、真の利益を得たいと思うなら、ただひたすら自分が前世で積み重ねた福徳と通貨因縁の多寡に従うしかありません。
実施の主な目的
根本的にできないというのは、「命中有時終須有、命終無實莫強求」（運命にあるものは必ず訪れ、運命にないものは無理に求めても得られない）と言うことです。しかし崇心宗脈の仙仏老師は「命中無時要造就」（運命にないものであれば自ら創り出すべき）と説かれます。これは崇心宗脈の体系が繰り返し標榜する主要な因縁の根本です。もしあなた方が現代という時空を善く活用できなければ、既に存在する因縁を活かすことはできないのです。
「無から有を生み出す」ことで創造することができます。それはあなた方にとって真の回収と利益となります。したがって、あなた方が「無から有を生み出す」創造の方法を学び、さらに「有の中に実在を保ち」、そして「実在から獲得する」必要性を理解し、真に「有の中に実在を保つ」学習を成長と獲得に応用することができるのです。
仙仏が求められるように、あなた方の語学能力と電伝映像能力、経営能力、引渡能力に対して、真に実施できる機能を持たせることができます。それこそが、自らが過去の良からぬ因縁を改め、真に自らの成長に有利で豊かな資糧源を蓄積できる創造となるのです。あなた方はこれを成し遂げることができるでしょうか。
構築実施の目的　　コンピュータ応用必ず可能なり
語文の力をさらに強化し　　四億の仏弟子を導き渡す契機とする
人生は死ぬまで学び続ける　　どの時空も共にある
学び得たものは自分自身のもの　　他人が奪い去ることは難しい
この偈は！崇心体系と万霊人道の蒼生と共に、互いに励まし合うものである！ただ人道世界で酒に酔い夢を見て死ぬのみにあらず、また自ら宗教に入ったと思い込み、すでに人生の終わらぬ学びと成長を忘れ、互いを高め合うことを怠ってはならない。しばし崇心宗脈にてご一緒できたことを感謝し、皆様のご多幸をお祈りします。またお会いしましょう！
虚空霊竅の仙姑
虚空の因縁は真に異なり　　霊竅が台に登りて賢衆に会す
仙姑の慈悲は大道を行き　　上蒼の弘めを建て施行す
諸聖仏と諸賢生、そして無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南無地蔵王菩薩本尊が降臨され、「大道德澤」第二十九回を著作されました。一つの構築施行における不足を補い、完成へと高めること。これは崇心宗脈体系のすべての学生に向けられたもので、自分を時代遅れの存在と思い込んではならないという教えです。
もう動けなくなるほど年を取ってしまった！自分は絶えず学び成長し続けなければならないと悟らねばならぬ。それこそが汝らの未来にとって真の成長と向上をもたらすのだ。人生、いかなる高齢に達しようとも、上蒼の目から見れば永遠に子供のようなもの。このようにしてこそ、汝らは真に向上し超越することができるのだ。
それはあなた方自身の考えや観念によって、より大きな成長と学びへと転換されるのです。また、あなた方が言うLKKは、あなた方自身への皮肉に過ぎません！自分自身もLKKだと思っているのではないでしょうか。つまり、永遠に待ち続け、人生最後の日（死、逝去）が訪れるのを待っているのです。果たして、あなた方はそれを望んでいるのでしょうか？
明日もまた土曜日です。全ての引渡しは従来通りに進められ、全ての成果は自らの努力の中で未来を判断する根拠となります。ただ名義だけを借りて崇心体系の学生と称するのは、まことに恥ずかしいことです。果たして仙仏の真意を理解できるでしょうか？皆様、ご苦労様です。全てが吉祥でありますように。ではまた。
2013年8月27日15時57分◎＃※   ０Ｋ＃
南無阿難陀菩薩
南無仏、家に真如と称す　　阿難陀来たりて理を闡べ述ぶ
菩薩は三十の誓願を立てられ　　福徳を広めて衆生を顧み給う
第三十回　 推廣福澤
施行建構の主要因縁本
これは大いなる天地の徳沢を広く推し広げることであり、これは現代の世に生きる人類衆生にとって、真に福沢の普及を向上させることができ、さらに人道世界が相互に支え合うことができるようにするものである。天地が進化させる大いなる徳沢を、人類衆生の生存の方向性に必要なものとして加えることで、あらゆる良き善き好因縁が現れてくるのである。
現代の人類衆生に対して、このような福徳を広めることができるかどうか、ごく少数の人々だけが恩恵を受けるのではなく、すべての有情衆生に対して、すべての原霊仏子が利益を得て回帰できるようにすることは、さらに上蒼の基本的な構造と綱領であり、すべての有情なる人類衆生を利益することができるのです。
有情なる衆生が人間界に入るや、皆が天地と共に成長進化を演じることができ、また天地の徳沢が遠くまで届かないところはないというのは、まさに正道である。また人類世界の発明創造を通じて、生存の方向性に快適さ、便利さ、普及性を提供し、人類の生活を向上させることもまた然り。
現代の世において、このいわゆる福徳は、天の根本的な構造からもたらされるものであり、今この時空において、この種のいわゆる福徳と福報はすべて人界に降り注いでいる。あなた方はよく観察してみるとよい：なぜ現代の世は、地冥星（地球）をもって「地球村」と呼び、互いに融合し合うことができるのか。
推し広める功用は、すべて来たりて成就せしむ。
また、昔は知識が比較的閉鎖的で、遠くまで伝播することができず、さらに科学技術文明のない比較的遅れた時代にあったため、この天地で起こるあらゆる事象を明確に理解することは非常に難しく、このような事象を伝播・弘通を通じて人類衆生の良好な向上と成長を促すことも、非常に困難でした。
それゆえに理解できるのは、長い時間と因縁を経て初めて到達できる殊勝な因縁条件であり、この種の伝播機能は小地域からの拡散に限られ、全面的に普遍的に広めることは根本的にできません。これは伝播システムを構築することができず、このような福徳を完全なものとすることはできないのです。
また、過去のあらゆる情報伝達は口頭によるものであり、これは過去の世代において、機能的な効果をもたらす縁がなく、天の御心や諸宗教の福音を迅速に伝えることができなかったことを意味します。現在の世代と古代の世代が異なる点は、まさにこのようなところにあります。
上蒼の福沢が時代を経て因縁を重ね、成長と向上を遂げるにつれ、現代と過去の世代の違いは、上蒼の福祉の因縁と福沢の因縁にあり、それは各人の時空における成就と不成就の区別に関わっている。これこそが、人道世界がなぜこのような時空の因縁の中にあるのかという理由である。
上蒼はすべての衆生に徳澤を施す。
天の徳と福分を広めることができるのか？これは互いに補い合う稀有な縁であり、またこの天の福沢と幸福を広めることは、その中で全面的に達成するのは難しく、有情世界に福沢を広める普遍的な力は、有情衆生がこの天の機会と良縁の中にいながらも、
しかし、真に利益を受ける者がいれば、これほど多くの原霊子が成就に至ることはない。このいわゆる上蒼の福祉を伝播することは、人道世界を完成させることであり、いかにしてこのいわゆる福沢を大いなる天地に広めることができるのか。まさにこの福沢と福祉の実践においてこそ、それは行われるのである。
深く創造と研究、発明を行う必要があります。このように他者の力を借りる作用によって、現在の時空の因縁の中で成長を遂げ、上蒼の徳沢を人間世界に広く伝えていくことができます。それによって、自らの学習と成長を通じて、その中の奥義と秘訣を体得し、自らのすべての良きものを増長させる利益を得ることができるのです。
奥深い思索の世界に入り込み、その構造と核心を構築することができる。このような細やかな思索を通じて、自らが利益を得、成長に至ることができる。その中に潜む様々な奥義は、人それぞれの体得の仕方が異なる。もし言うならば、各人がその奥義と殊勝さを体得するには、「思考の新潮流」という観念を加えて完成させなければならない。
福祉の普及と基本機能の推進
上蒼の大いなる恩恵に対して、それは僅かな人々が利益を受けたり報いを得たりするだけのものではありません。それは上蒼の基本的な構造ではないのです。上蒼の恩恵は、人類自身が創造し、研究し、発明したものから来ているということを理解する必要があります。その中で最も重要なのは、広く普及させるという壮大な視野と遠大な見識を持つことです。
才能をありのままに活かすには：研究、発明、創造を成し遂げた後、それを広く普及させることができなければ、あなた方のこれらの発明・創造・研究の成果は、いったい何の役に立つのでしょうか？これは単にあなた方が研究、発明、創造する能力があるだけでなく、いかにしてそれを広く普及させるかが最も重要なのです。
有情の衆原霊子に利益と回収をもたらすことができ、あなた方はこの中にある主な機能を理解することができるでしょうか？これは人界において達成され、大寰天地に借りる作用を通じて、いわゆる「借りる」作用の機能効果をどのようにあなた方の経営体系に組み入れ、完成させることができるか？崇心宗脈体系の学生たちは理解できるでしょうか？
あなた方の言う「藍金企業」の経営方式について、どのように収益を上げ、回収しているのか？このいわゆる藍金企業は、上蒼が崇心宗脈体系のために構築されたものであり、十一年の歳月をかけた審査と検証の中で、度重なる思考の試練と行動の実践を経てきたからである。
福沢最大の基本条件
多くの試練や試験があり、あらゆる因縁を思惟体系を通して通過させ、成長し、上蒼の大いなる徳沢を体得することができる。しかし、いわゆる上蒼の重責大任を担える者は少なくないが、真に上蒼の演化の徳沢を体得できる者は稀である。いや、さらに稀なのである！
人界の有情衆生は、宗教体系に触れた後、往々にして宗派の経典に潜む迷妄に囚われ、さらなる成長と学びを妨げられてしまいます。このため、上天は現代のあらゆる宗教者に対し、上天の悟りを演繹し、大いなる徳を広めるための相互検証を課しているのです。
まさにこれらの因縁条件に対し、より広大な視野と心の広さを持ってこそ、初めて天地の進化によって育まれたものを真に理解することができ、また人界がなぜ向上できない障害に直面するのかを悟ることができるのです。さらに、過去の経典の解釈によって生じた迷妄により、このような障害や制限、束縛を突破できないのです。
したがって、より広い視野と心を持つことができなければならない。より広大な思考体系を持つことが必要であり、そうして初めて、このような未来の衆生の福祉と幸福に対して、より広く後世の子孫に恩恵を広めることができ、真に有情衆生の進化と成長、成就に至り、真の恩恵をもたらすことができるのである。
福沢基本構造の成長
人道世界において、どのように実践すべきか区別せず、真に広く普及させるためには、上蒼の基本構造がどのような働きをするかを理解する必要があります。この中でも特に、思考構築の緻密さが真実の性質であり、また緻密さは自らの利益を往復して獲得するものであるため、必ずや自らを益するものとなります。
すべての人界の因縁は、必ず知識の蓄積と経験の成長によって引き出されるものである。次に来る事柄に臨んで応用されるもの、それが智慧である。智慧は菩提の種子の主要な因縁の根本であり、もし人界に煩悩がなければ、どうして菩提の種子が生じようか。それが智慧へと転換され、応用されるのである。
また、この「審（縝）密」は、あなた方にとって成就を保証するものであり、このいわゆる審（縝）密とは、あなた方を智慧獲得のために活用し、いかにしてその一切の内実を審査し、審（縝）密な内容を把握し、一切の因縁創造の過程を了知することを指すのである。
衆生に福徳と幸福を広く施す
これはあなた方にとって真の保障となり得るものであり、絶えず困難や挫折、逆境に阻まれるようなものではありません。これらの出来事は時空の因縁を増し、時間を引き延ばして遅らせることもありますが、それはあなた方の向上を阻む障害となる一方で、綿密に細やかに体得する過程において、すべての事柄のいきさつを理解する機会ともなるのです。
これによってすべての経緯を理解することができ、一方的な噂や誤った言葉の媚びに惑わされることはありません。これは現代の複雑な事物の連鎖の中で、各人が利益を得るか否かを区別する方法でしょうか？このような緻密な分析を通じて、各人の将来が利益を受けるか否かを区別する判断基準なのです。
人道世界とは、経験を積み重ねて知識を成長させる世界であり、単に智慧を高めるためだけにあるのではありません。これこそが煩悩と菩提の最良の転換なのです。なぜ人道世界では積み重ねが可能で、煩悩を菩提へと転化できるのでしょうか。それは緻密な段階を経た再構築の過程を通じて、自らが直接的な成就へと至る契機に入ることができるからです。
福沢を広める必要性
わざわざ遠回りをしなくても、成就に到達できる方法があります。このような条件や縁があれば達成可能ですが、すでに他の人が先に成し遂げてしまっているのです。そうなると、いわゆる知識や経験、知恵の向上は大幅に減ってしまいます。では、どうすれば素早く成長し、成就に至ることができるのでしょうか？
審（縝）密さというのは非常に重要な基本的認識であり、これはわざわざ遠回りをしなければ到達できないものではありません。つまり、あなた方の審（縝）密さの修練が十分かどうかを見極めることです。そして、速やかに到達するか否かの違いを言うならば、良き因縁条件が生まれ、向上し成長し、超越していくことができるのです。
また、崇心宗脈体系のすべての学び手、宗生たちが、「審（縝）密」を通じて成就に至ることを願っており、「愚延」によって成就されるものではありません。この「審（縝）密と愚延」による利益の違いを区別し、この両者の成長における利益をどう見極めるかは、賢愚の判断にかかっています。
創造発明の契機　　作用を借りて早く移す
人間は恩恵を受けて成長する　　審密と愚鈍が互いに調和する
福の恵みは末代まで広がりゆく　　天の恩寵はこれより授かる
すべての霊性ある仏子は皆、利益を受け、
人間としての成長は二つの道を修める。
この偈は、有情の衆霊子が互いに励まし合い、上蒼の大いなる恩沢と福徳を人間界に降ろし、「審密と愚延」の区別について、それぞれが達成可能であることを示しています。しかし、すでに到達し、往復さえできる境地においては、それは軽々と成し遂げられることなのです。
もう一方も、ただ一度来ただけに過ぎず、しかも既に多くの天機と良縁を失っている。このような条件は「審（緻）密さと愚かな延滞」そのものとどう違うのか？必ずや真実を見極めることができるだろう。皆様には長らく崇心宗脈にお付き合いいただき、お手数をかけました。ではまた。
虚空落筆天尊
虚空の層は真に殊勝なり　　筆を下ろして凡塵に真を示す
天尊は諸神人と共に会し、福沢を推し広めて審らかに密かに成す。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は南無阿難陀菩薩本尊が降臨され、「大道德澤」第三十回をお著しになります。福徳を広く推し進める著作で、皆さまと共に「審密と愚延」の区別について論じるものでございます。
必要であるのは、なぜ早く到達できるのかを理解することです。さらに、簡単に何度も往復できるようになるのは、すべての道のりが明確かどうかに関係しています。大いなる天地のすべての宗教は、生死を超越できると説いていますが、その中で、綿密な理解と愚かな延滞の理解は、どちらも到達できるのです。
しかし、時間が引き延ばす障害の中で、いかにして綿密な中に知り得るだろうか。その内の道程には、明らかであるか否かの区別があり、すなわち「道を知る者と知らざる者」との分別性がある。全ての路筋を明らかに識別できるかどうかは、まるで地元の人と初めて来た者のように、道の理を明らかにせずに誤る差別である。
明日もまた土曜日で、渡し引きの好機でもありますが、あなた方には「道を知っているか知らないか」ということがなかなか理解し難く、このような「緻密さと愚かな延滞」についてはどうしようもありません！本宗脈には一部の学生がただ著書に来るだけで、他の一切には参加せず、あなた方の未来の回帰の道が遅れる恐れがあります。
必ずやあなた方の時間を増やし、今すぐに悟りを開き、一世代で成就することは難しくなります。これは自分自身の努力の有無にかかっている選択であり、無理強いできるものではありません。将来になって後悔しても、すでに定まった結末なのです！崇心宗脈に入ったからといって、安心して何もしなくていいと思うのは間違いです。一歩一歩、着実に努力を重ね、精進することが正しい道なのです。さあ、皆さんお疲れ様でした。では、またお会いしましょう。
2014年8月27日18時10分◎＃※   ０Ｋ＃
太乙救苦天尊
無極大道の副院尊
太乙救苦の徳広く存す
天尊は三十一回の経典を著され、その徳の恵みは天地に満ちて厚く行き渡る。
第卅一回　 德澤效用
施行フレームワークのプロセス
一つの事象の始まりと終わりをどのように観察できるか？この基本的な構造から観察することで、未来はどのような因縁条件となるのか？これはすべての人界の根本を向上させるために、この人界の構造と、上蒼が定めた構造とを相互に比較し、どちらがより衆生を利益するかを明らかにすることが必要です。
必然的に人道世界に対しては、人的要素によって達成を成し遂げ、また　上蒼を主要な構造の因縁の根本とすれば、大きな方向性を実行する機能と効果があります。どのように　上蒼を通じて連携させるべきか？人道世界に相互に依拠できるものを与えれば、未来の福祉に対してはどうなるのか？これもまた非常に理解し難いことです！
必ずや構造の実施に関わるものは、それ自体が持つ機能と効果が、いかにして成長を達成するか？それは、人道世界におけるあらゆる機能の方向性と効用の中で、実際に顕現できるものであってこそ、真実の性質となる。すなわち、上蒼によって制定されるか、あるいは人為によって制定されるか、相互に補完し合うことによってである！
この中には、公正と平等が備えるべき条件が含まれており、それは広範に施行されるべきであり、わずかな人々だけが利益を受けるものではありません。それは上蒼の基本的な条件ではなく、必ずや上蒼の基本的な構造を理解することができます。大いなる天地の中の乾坤の衆生、すなわち人類の蒼生も、万物の蒼生なのです。
上蒼の徳沢の基本構造
これもまた乾坤の衆生に対して、いかにして上蒼の徳沢と受益があるか？それは人道世界の施行効用がどのようであるかにかかっている。もしこのような施行の利益が得られないならば、必ず施行者がどのように行うかを観察しなければならない。大いなる天地のすべての衆生が、皆、受益者となることができることが、正しい道なのである。
上蒼より申し上げますと、全体が恩恵を受ける施行作用であり、わずかな人々だけが恩恵を受けるものではありません。また、上蒼の架構を施行する者には、上蒼のすべての架構と人道世界の架構との調和が求められます。この二つは互いに補い合い、いかなる欠落や不足も生じないようにすべきです。
上蒼が施行する構造は、すべて大宇宙の天地に存在する一切の衆生を依り所としているのに対し、人道世界のすべての施行構造は、各人が利益を受けることを依り所としている。この両者の間には違いがあり、施行の過程において必然的に多くの衆生の利益が損なわれることになる。それでは、どうしてより広い心と視点を持つことができるだろうか。
また、人道世界において必ず学ぶべき視野とは、大いなる徳の恩恵に対して施行の枠組みを構築する際に、人道世界のあらゆる衆生が真に恩恵を受けられるようにすることであり、わずかな人々だけが利益を得るのではなく、ましてや上蒼の大いなる徳の恩恵と基本条件だけに留まるものではありません。
徳沢の主たる構造と因縁の根本
人為的要因によって達成される必要があり、真の機能効果を与えることが実現可能であり、また人道世界において生存志向の過程において、生活に対して一種の快適さ、便利さ、普及性を備えた後、さらに心の静化（浄化）を高めることが必要であり、それは心の浄化の過程である。
宗教の洗礼が必要であり、初めて到達できるものであり、また宗教が持つ教化の根本は、昔の五教の聖人に由来するものである。今となってはこう言える：すべての五教の聖人に対して、彼らは度々、回を重ねて天地の衆生を護り、それぞれの地域の宗教的信仰が真の恩恵を受けられるようにしている。
このいわゆる宗教信仰が深く人心に根ざすことができるのは、生活の方向性が快適さ、利便性、普及性を追求した後、さらに向上を目指すべきものであり、単に生活が快適で便利になり普及しただけで、心の平穏が得られず、真の時空の因縁を得ることができないという状態に留まるべきではないからです。
自らの心の浄化による成長を促すことは、上天が人間界の生存の方向性として定めたものである。なぜ真の浄化と向上が必要なのか？それは、浄化を経てこそ、大宇宙におけるいわゆる霊性の浄化と静化を理解し、人為的要因が科学技術文明の進歩によってどのような影響を受けるかを知ることができるからである。
徳の恵みが効を奏すれば、良き善きものが益を受ける
必要とされるのは機能的な効果であり、このように大宇宙天地の乾坤に生きる衆生に対して、快適さ、利便性、普及性を備えた状態に入った後、自らの「心、霊性、肉体」を浄化し成長させることができるのです。未来の衆生に対しては、相互の因縁と条件が備わるべきであり、それは「大道系列天書」の著作において実現されるものです。
最も重要な因縁の根本は、現在の過程を見るのではなく、未来をいかにすべきか、そして「大道系列天書」を全宇宙に弘め教化できるかにある。これこそが正道であり、「徳沢を基盤」として作用させることである。それはまた、崇心宗脈体系の学びと宗生たちが、現在において明らかに理解できるようにするためでもある。
自身の向上ができない障害と困難点はどこにあるのか？上蒼が崇心宗脈体系に対して行う監督と審査は非常に厳格であることを悟らなければならない。言い換えれば、主事者と多くの学生たちに対して、あなた方の欠点を補い修正し、さらにあなた方の未来に起こりうるあらゆる状況に対しても、完全なる修練と調整が必要なのである。
事前にあなた方の周囲に示現するのも、これはあなた方に対する試験課程の運用であり、またすべての学生の心理的要因と心態・観念の正しさについて、あなた方への次の課程、すべての試験課程がどのようなものか？どのようにして自分自身の不足と欠点を乗り越えるか？を選択するためである。
機能の効果は人類に利益をもたらすことができる
果たして天の審査に耐えられるかどうか、そして真に通過した喜びと言えるかどうか、これは機能と効果を施す行動の中で、崇心のこの十一年の歳月の全過程がどのようなものであったか、教育と教化はどのようなものであったかを観ることであり、このように崇心宗脈「大道系列天書」が現れた所以である！
あなた方が受験に向かう最良の模範とは、自らの実体験に仙仏の先生の教えを加え、外部のあらゆる状況が仙仏の教導後の検証から来るものであることを理解し、必然的に仙仏の教導の過程の中で試験に対応することです。それはあなた方にとって真の向上と超越をもたらすものなのです。
この機能と効果は、この十一年間における一切の応化の過程から来ており、あなた方に真の向上をもたらすものです。教えずに罰するのではなく、あなた方自身が応化の試練の過程を経てこそ、最も重要な因縁の根本を通り抜けられるかどうかが問われるのです。これこそが正しい道であり、崇心宗脈の体系によって実行されるべきなのです。
未来の教育と教化を真実のままに応用するに当たり、汝らは知るべきである。上天と人道世界における未来の教育と教化は、汝らがそれを乗り越えることを可能にするか？それは可能であるが、その中の奥義と秘訣がどこにあるかを皆理解していない。さらに崇心宗脈の体系を理解できなければ、汝らがそれを成就することはできないであろう。
機能向上の効果的活用
また、向上の原動力も生まれ、あなた方は「大道シリーズ天書」を通じて理解したことを、自らの体験を通して、天地の演繹過程や、宇宙・虚空・無極・昊天・南天・崇心がどのように相互に関連し合っているかを、自ら明確に把握できるようになるでしょう。このような教育と教化において。
言えることは、今日の世界において、これほど豊かな資糧源を持つ宗教は絶対に存在しないということです。それによって、あなた方は天地の創造過程がどのようなものであるかを真に理解することができ、また人類衆生の福祉と福恵がどのようなものであるかを知ることができるのです。これは一種の群居生活体であり、人類衆生に利益をもたらすものです。
一切の人為的要因に対して行動を起こし、必要性を成就させるとは、すなわち汝らが自らの生存の方向性における一切の動作を、真実のままに向上へと高め、下降して沈淪せしめないことである。また、汝らが先立つ観念によって創造し成長することを可能とし、ただ単に汝らを過去の経典の中に留まらせることにもならぬ。
古き知識の認識を通じて完成される、このような既に科学技術文明の時代に入っているのに、もし再び過去の経典に頼り、あなた方の読むもの、知るものがただ二千年前の産物に過ぎないなら、それは既にずっと前に錆びついてしまっているのです！あなた方はまだそれを宝と思い、それどころか抱き続けて離さない、これでは真の成就に至ることはできません。
徳の恩恵の功徳と効能
現代の世において、もし真に世の中と人類を向上・超越させる契機を提供できなければ、宗教に入った後、いかにして成長と超越を達成すべきかを理解することはできない。人道的な生き方を基盤として向上を図るにしても、それは単に生活機能の向上だけではなく、一体どうすればよいのだろうか？
さらに、あなた方の「心と霊」の両者さえも、善良な向上を遂げることができず、自分自身の「自心の本能」と「霊性の機能」の作用についてはどうであろうか。もし宗教に入ったとしても、あなた方の生存の方向性を成就させることはできず、ただ自分が宗教に入った後は善良な人間であると一途に思い込むだけである。
あなた方はあまりにも浅はかです！あまりにも多くの人々が、宗教に入った後、自分は修行していると言いながら、修行（羞恥心）の定義が何かを知らないのです。みな自分は修行していると思い込んでいて、そもそも修行（羞恥心）の定義と役割がどういうものかさえ理解していません。それゆえ、理解することもできないのです。
宗教に入った後は、当然ながら自らのあらゆる奇抜な癖や気性を改めるべきであり、それらの奇抜な癖や気性を持ち込んで、宗教の神聖さと厳粛さを汚すべきではありません。これは宗教に入った後に向上を妨げる障壁となるものであり、情ある人間の衆生は、自分が宗教に入った後、どうあるべきかを考えるべきでしょうか？
いかにして真に修行の方法を変えるか
しかし、善良な人と言われるが、宗教の中にも多くの善良でない人がいることを知らない。あの修持（羞恥）と呼ばれるものは、あまりにも多すぎる！必ず人道世界に到達し、自分の奇抜な癖や性格をきれいに整理しなければ、未来に上昇し、超越するための最も基礎的な修練に過ぎない！
もし自分の不足と欠点を理解できず、「自分にはもうない！自分の修行は本当に良く、修養は最高だ」と言うなら、それはおかしい！仙仏の先生方ははっきりとご覧になっているので、自分で強弁することはできません。宗教修行に入る（恥を知る）には、自分の変わった癖や性格がどういうものか、本当に区別できるかどうかを理解する必要があります。
才能が真実の如く、自らに対して真の向上と超越を達成すること、これは今日の修行者たちが互いに励まし合い、真の向上と成長を達成するものである。ゆえに、宗教の洗礼を受け、帰依した後には、必ずや気質を変化させ、外界にも感じ取られるようにしなければならない。あなた方が宗教に入ってからの変化は、いかがであろうか？
才能は外界からの肯定を得て、宗教的修持（羞恥心）において合格するかどうかの変化を遂げることができ、これが現在および将来の教育と教化にとって真に実行可能な主体構造となり、また修持の機能と効果が実のところ向上し超越されることこそが真実である。
上蒼は主体となり構造を成す　　有情の乾坤ことごとく我が自己なり
宗教に入ってどう改めるか　　奇妙な癖は自分で作る
施行の徳沢を構築し
天意を連ねて明らかに通ず
人生の大いなる道理を体得し
衆生の大いなる福徳を成就す
この偈は、有情の衆生同士が互いに励まし合うものです。崇心宗脈の体系的な学びと宗生に対して、真に当今天下第一の学府に入ることができるようにとの願いが込められています。ただ名ばかりの学生であることは取るに足らず、未来には必ずや他方の世界に落ち、繰り返し生存の道を探すだけになってしまうからです。
その時になって後悔しても、すでに何百回、何千回も生まれ変わってしまっていることでしょう！これは取るに足らない過程です！すべての学び手、宗生たちが自らを大切にし、正しい宝を選んでほしい。そうすれば未来に後悔することもなく、大きな遺憾を残すこともないでしょう。本日は皆さんがご一緒に作業に参加してくださり、本当にご苦労さまでした。皆さん、またお会いしましょう！
虚空金筆開智天尊
虚空は無極の生を連ね　　金筆は智を開きて衆賢生ず
天尊が台に登り福運生ず　　神仏と学生と共に会す
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、今晩は。本日は無極大道院副院尊・太乙救苦天尊が降臨され、「大道德沢」第三十一回を著作されました。一つの徳沢の機能と効果について皆さまと共に研究し、宗教に入った後、いかにして自らの奇矯な性分を修め整えるべきかを探ってまいりましょう。
諸賢生にお尋ねしますが、あなたがたには仙仏の先生がおっしゃるような奇抜な癖や変わった性質はありませんか？もしあるならば、早急に修正し改めてください！さもなければ、未来において上昇超越することはできず、無極・虚空・宇宙天界へと乗り越えていくことができません。なぜなら、上蒼にはこのような奇抜な癖や変わった性質を持つ仙仏はいないからです。もしそんな仙仏がいたなら、天界はとっくに混乱しているはずでしょう！
したがって、あなた方は、自分自身の奇妙な癖や変わった性格がどこにあるかを理解することができるでしょうか？宗教の道を一生歩んできて、最後には超越への回帰を望みながら、またもや振り落とされるようなことがあっては、得るものより失うものの方が大きくなります。現在の自分自身の欠点や奇妙な癖を変えることが正道であり、それが未来において真に上昇し、超越して修整されることにつながるのです。
近頃、学生たちはこう言える：真に修正できる者は、仙人も仏も皆詳細に記録している；修正できない者、あるいは自分勝手に振る舞い、我がままを通し、好き勝手にする者は、すぐに修理されてしまうだろう！これは仙人や仏があなたを修理するのではなく、別の縁によるもの、善徳と怨親による修整（理）であり、あなたを金ピカ（すっからかん）にするのだ！
その時には苦しみに耐えかね、嘆き悲しむことになるでしょう。人類の衆生のすべての良からぬ行いや動作は、良からぬ怨親債主を引き寄せ、彼らに討たれることになります。仙仏の先生方があなたのために転換したり防いだりしてくれなければ、まさに怨親債主が討つことを許すことになり、必ずや大きな苦しみを引き受けることになるでしょう。皆様、ご苦労様です。すべてが吉祥でありますように。さようなら！
2014年8月27日19時42分◎＃※   ０Ｋ＃
大いなる宇宙  金徳星君
金徳は星体を造り上げ　　星君は降りて福気を増す
大道の徳沢は三十二回に及び　　宗教の徳沢は多くの霊が依る
第卅二回　 宗教德澤
人類の生存の方向性が依って立つ拠り所
人道世界のすべての行為動作を観察することができます。それは、自分自身の欲求と必要に応じて行動を起こすことです。これは大いなる有情衆生に対して行使される条件であり、自らの欲求の必要に入ることを与え、またこのような必要があるために、必ず原動力が生じて行使され、大いなる天下に対して行為が依存するのです。
まさに、上蒼がすべての宗教を通して下化し、その機能と効果を高めるために、人間性のあらゆる種類を区別し、それぞれの宗教の教化因縁を施すことによって、すべての衆生が信仰のよりどころに入ることができるようにするのです。この中で、人道世界は相互に支え合い、人間の信仰が主たる因縁の根本となるのです。
まさに自ら宗教に入った後、さらに向上を目指すことができるが、必ずしもそうとは限らず、往々にして堕落してしまう。宗教に入った後、なぜそのような行動をとるのか？これこそ一つの迷いの障壁である。また、すべての有情衆生を善く導き、宗教信仰に入らせることを依り所としている。
このような宗教の信仰者のうち、85％以上は善良な人々ですが、15％ほどはそうではありません。なぜなら、有情の衆生は皆、自分勝手な奇抜な考えや気まぐれな性質を宗教の信仰に持ち込むからです。善良な信仰者にとって、これは大きな衝撃となり、他の善良な人々にも影響を及ぼすことになります。
宗教の本質には、良き善き好縁が備わっているのです。
また、宗教への信仰という観点から見ると、様々な異なる奇抜な癖や変わった性格を持つ者が宗教に入った後、非常に否定的な行動と模範を示すようになる。これは、良くない衆生が宗教に入った後、宗教そのものに対する良くない振る舞いを形成し、さらにはこのような良くない奇抜な癖や変わった性格を変えることができない状態である。
このようにして、他の善良な人々に対して悪い模範を示すことになり、また、このようないわゆる信仰者は、ただの看板を掲げて「修持（羞恥）者」と称しているだけで、実際には根本的に羞恥心（修持）を知らず、さらに、自分の変わった癖や気性を修正し変えることもできないと考えるようになるのです。
このような所謂修行者たちは、根本的に恥を知らない行いや動作をし、良くない模範を示す行為によって、外界からはとても宗教的信者としての行いとは認められにくい。もし社会の中であればまだしも、一旦宗教に入った後は、根本的に自らの良くない気質を修正することができない。
上蒼がご覧になるのは、まさに悪しき者たちが改心し、さらに気質さえも変えられるかどうかであり、これは上蒼が最も誇りとされることです。しかし、多くの者は自らの悪しき気質と行いを真に変えることができず、宗教に入った後、大きな悪しき模範となり、信仰する宗教に悪影響を及ぼしてしまうのです。
人類の衆生が持つすべての不善なる行い
外部からの批判を信頼できず、参加すべきでないとすることは、このような奇怪な癖や宗教信仰を害する者に対して、あなた方はどうお考えでしょうか？ さらに大勢いるのです！ 大宇宙のすべての有情衆生に対して、自らの悪しき点や不足を修正することができる、このような宗教はまさに善良な信仰と言えるでしょう。
団体の大結合においてこそ、宗教の本質としての主要な教化機能を発揮できるのです。もしこのような悪習のある人々が宗教に入った後、真に自分自身の悪しき習性を改め、変化させることができるならば、必ず一定の期間を経て、あらゆる試練と苦難を乗り越えることで、初めて変革がもたらされるのです。
このような、いわゆる良くない気質や習慣を持つ信仰者に対して、その気質を修整し変化させることができます。これは「教えに類なし」という教化の因縁に正しく応えるものであり、相互に補い合うことができるのです。一方で、修持者が宗教に入った後も、依然として我が道を行くならば、おそらく信仰する宗教に悪影響を及ぼすことになるでしょう。
また、外部の人々に理解しがたい印象を与え、宗教の本質やその団体が一体何なのかという疑問を抱かせることにもなります。すべての人を宗教の実践に導けるわけではないということを、しっかりと理解する必要があります。さらに、このような縁と条件のもとでは、悪しき習慣を持つ者は、時間をかけて鍛えられて初めて、再び信仰の道に入ることができるのです。
宗教の教化の因縁
有情なる衆生にとって言えば、人間界はまさに教育と教化を基盤としている。このいわゆる信仰者というものは、宗教に入った後、必ず真の変化を遂げなければならない。さもなければ、ただ名義だけを掲げる者、いわゆる修行者（恥を知る者）となるが、この一点の羞恥さえも理解することができないのである。
ましてや自分が修行者だなどと論じるのは、全く笑止千万です！あなた方の周りにこのような人はいませんか？現在のあらゆる宗教の宗派の中に、このようないわゆる「群れを乱す者」、すなわち宗教的信仰の修行者と称する者がいますが、一体どこに恥があるのか自分で分かっていないのでしょうか？自らの良くない習気を必ず修正しなければなりません。
自らの良からぬ気質や奇矯な癖を真に改めることができてこそ、初めて真の修行者と言えるのです。単に宗教に入っただけで、真の恥（修行）の意味を知らなければ、本来善良な宗教の教義と教化に影響を及ぼすことになります。これは、いわゆる修行者にとって、必ず改めなければならない真実の姿なのです。
宗教による教化を通じて自らの欠点や不足を改めることができるかどうか、それは上天が最も望む機能と効果である。つまり、宗教を善良な教化の機関とし、あらゆる宗教は五教の聖人たちが後世の子孫のために信仰の拠り所として与えたものであり、それによって正しい向上がもたらされるのである。
徳沢が定まる特別な因縁
このような宗教の徳と恵みは、まさに教育文化の課程に対して注解と認識を加えるものであり、これは五教の聖人によって後世の伝道者に伝承され、さらにこのような昔の経典や教義を自らの思想体系の中に取り入れ、このような銘記をした後、自らが受ける益を深く理解することができるのです。
各人の教育文化課程に対して、相補い合いを達成することができます。なぜなら、一人が教育を学び、子孫を教化した後、必ず成長することができ、また自分が学んだ課程や知識を後輩の学生に伝えることで、必ずや利益がもたらされるからです。
このいわゆる、教育と教化を通じて達成されるものは、各人が持つ認識観念であり、すなわち自分自身の未来に対する、学び知る意図と知識の意図である。これは先人からの教化の縁によって成就に至ることができ、これもまた各人の認識観念にとって必要なものであり、すべての良き観念を認識することを形作るのである。
また、このような認識の観念は、各人の学習と成長から生まれるものであり、知識と経験が豊富に蓄積された後に、次に同じ問題に遭遇した際にそれを取り出して応用することができます。これは智慧の現れであり、このようにして智慧を通じて、各人の認識に利益をもたらすことができるのです。
執着せずに修行すれば、必ず良い成長がある。
まさに悟りを開くことの最良の描写であり、また悟りの本質とは、利益を受けるための条件が必須であることです。それはただ現在に応用できるだけでなく、未来や後輩の学人にも広げることができ、皆が利益を受けることができるのです。あなた方は「悟りを開く」という過程を、単にすでに悟りを開いた神々だけのものだと思っているのではないでしょうか！
これを「証道の果位」と呼べるでしょうか？いえ、そうではありません！これはその果実の豊かな収穫を証するものであり、これが受益の主な因縁の根本です。また、自分自身が受益する基本的条件と、他者が受益する条件とが、双方の受益として成長していくのです。そうすれば、あなたがたは日々、毎日、受益の中にあり、また証果の中にあるのです。
あなた方は理解できるだろうか。これは天地の運行に対して、人為的な要素を加えて促進し成長させたものであり、また、すべての情ある人類の衆生に対して、このような因縁で宗教に入った後、さらに宗教の知識や認識を明確にし、各自が学び、理解したすべてのことについても同様である。
これによって悟りの境地を証し、利益を得ることができるが、あなた方に活用できるかどうかは分からない。もし、このような悟りを開いた神霊のみが証果と呼べると考えたり、あるいは大徳高僧のみが証果と呼べるとするなら、それは単なる宗教的な名称に過ぎない。どうして証果による利益があると言えようか。必ずや全ての実際を観察してこそ、それを証することができるのだ！
徳の恵みがもたらす真の効用
実は、天はすでにこのいわゆる悟りの成果や恩恵を、この凡俗の世界に降ろしておられるのです。あなた方は果たして悟りの成果や恩恵を得ているでしょうか。それとも、悟りの成果も得られず、恩恵も受けていないと思っているのでしょうか。あなた方が宗教に入った後、仙仏の知識領域をどのようにして自分の第八識の中に取り入れているのでしょうか。
将来同じ問題に遭遇した際に取り出せるように、つまり以前に学び習得した知識を、今直面している状況の理解と成長に応用することです。そうすることで、自分が学び習得した課程がどのようなものであったかを見ることができます。これはまた、あなた方の応用力がどのようなものであるかを試すものでもあります。
すなわち、知識領域を現在の事柄に対して相互に高め合うことであり、単に自己が悟りの果実を証して利益を受けるだけでなく、さらに人々に広めて共に利益を受けることです。これは宗教の徳が教育文化体系に及ぼす縁であり、まさにこのようにして、あらゆる事柄を徹底的に理解し、また如実に応用することができるのです。
これはあなた方が信仰に入った後、自身の良くない習慣や認識を変えられるかどうかということです。信仰に入ったからといって、すべての認識が以前と同じように「我が道を行く」と考えてはいけません。もしそうなら、宗教の善良な面を汚すために信仰に入るべきではなく、外部から悪い行いと見なされるべきではありません。
宗教教育文化の徳沢
このようないわゆる信仰は取るに足らず、宗教の善良な本質を否定するものであり、それを修行者と称するのは、まことに恥ずかしいことです。宗教の教育と教化の機能・効果に対しては、自らの奇抜な癖や気性を改めて修正することができ、数年の修行と改造を経て、外界からも認められるようになるのです。
不善なる者が修行を通じて気質を改め、自らの奇抜な癖や変わり者の性格を修正すること。このような過去の事例は、古代においても数多く実証されてきたが、現代においても同様の修行者は非常に多く、自らの悪しき習性を改めることが難しく、それらを宗教的信仰に持ち込んでしまう者が少なくない。
あなた方はよく周囲を観察してみてください。宗教の名を借りて、修子（羞子）と称する者がいるかどうか。一目で明らかになるでしょうし、これもまた良くない見本です。あなた方はどう思いますか？宗教の本質が教え導くところは、自分自身を修正し変化させることこそが正しい道なのです！
人は誰しも、理由もなく自分自身の悪しき気質を変えることはできません。必ず痛い目に遭ったり、大きな災難に直面したりした時こそ、自らを厳しく律する決心がつき、初めて変革と修正が可能になるのです。そうして初めてありのままの自分と向き合い、奇怪な癖や悪しき性分を修正した後、未来において上昇し、天界との大いなる融合を超越することができるのです。
悪しき風習が宗教の本質に影響を及ぼす
さもなければ、天界にあまりにも多くの不良な奇毛怪脾の神祇仙仏がいたら、あなた方はどう思いますか？天界が乱れないわけがないでしょう！これは大いなる天地のすべての衆生に対して言うのです：習性、慣性、秉性に加え、決して変わらない悪しき個性によって、自らが宗教におけるすべての不良な模範となってしまうことを指します。
あなたがたを導き、成就させるために、宗教的な洗礼と帰依を経た後には、必ずや気質を変化させなければなりません。これはまた、あなたがたが未来において真に向上し、超越するための大きな因縁なのです。仙仏がくどくどと説くと思ってはなりません。それこそが、あなたがたの未来が上昇し、超越できるかどうかの真の原動力となるのです。このようにしなければ、どうして成就できましょうか。
必ずや真に体得せねばならぬ、仙仏の心遣いの苦労は、あなた方の一世での成就か多世での成就かを区別するためである。もし一世で成就できる者であれば、このような良からぬ気質と風変わりな性分は、必ずや今すぐに修め整え、改めねばならない。もし多世で成就する者であれば、次の世かあるいは多くの世の中において、依然として改める機会があるのだ。
このような条件は、急いで変えようとしなくてもよい。来世まで待ち、また機会があれば変えればよいのだ！ただ、あなた方が望むかどうかはわからない。このような縁起の条件があれば、善良なものが増長し、向上し、超越することができる。自らの不足や欠点をありのままに理解し、どのように向上して修養（羞恥心）し、変えていくべきか、自ら選択することができるのだ。
天の大いなる慈悲を体し　　仙仏は姿を現し改めて行う
苦口婆心をもって求めれば　　成長の区別は世々に墜つ
人間の宗教が教化する所　　学び習い成長し名を改め掛ける
一世成就は早急に改めるべし　　多世成就は未来の話なり
この偈は！有情の衆霊子たちが共に参じ、宗教に入った後、いかに真の修行と変化を実現するか、単に宗教に入っただけの自称修行者（恥ずべき者）であってはならず、少しも変わることができなければ、来世あるいは多くの世を経て成就する者の中に、汝の分け前もまたあるのだ！皆様にご相伴いただき、崇心宗脈にしばらくお邪魔いたしました。ご苦労さまでした。ではまたお会いしましょう！
虚空銀筆大道天尊
誠に苦口婆心をもって喚びかけんとす　　虚空に銀筆を揮って大道に還る
天尊は諸神人と共に会し、吉祥如意に性端を改む。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は大寰宇宙金徳星君が降臨され、「大道德沢」第三十二回を著作されました。一つの宗教の徳沢を示現するにあたり、それはあなた方に求められる、一つの当下一世成就、あるいは多世成就の区別についてであります。あなた方はどちらをお望みになるのか、お尋ねいたします。
もし多世をかけて成就する者であれば、今この時、仙仏が説く言葉を聞く必要もなく、来世あるいはさらに多くの世を待って成就すればよい。それならば、あなたがたはこの一世においても修行者と呼べよう。しかし、もし一世で成就しようとするならば、必ず悟らねばならない。今この瞬間、自らの奇矯な性格や奇怪な気性、そして良からぬ習性を、早急に改めなければならないと。
それはまさに、真実のままに今この瞬間に証果を得て、利益を受けることです。あなた方は仙仏が心を砕いて教育し、教化する深い思いを理解しているでしょうか？先ほどの聖なるお言葉に対して、すでに一部の学生は心に深く感じるところがあり、自分自身を改めることができる一方で、また一部の学生はただ馬の耳に念仏のように、すぐに過ぎ去ってしまいました。これもまたどうしようもないことです！
各人の心念の転換は、また未来の成就のよりどころであり、必ずや自分自身の一生を成就させることができます。すべての努力の良い結果は、未来において成就の依拠となることができるでしょう。これは自らが努力して得たものであり、皆さんお疲れさまでした。明日はまた土曜日で、これもまた引渡しの良い機会です。皆さん、お疲れさまでした。ではまた！
2014年8月27日21時30分◎＃※   ０Ｋ＃
大いなる宇宙  木徳星君
大いなる宇宙の諸惑星　　木徳星君が降臨して探求する
大道の徳沢三十三回　　教化の徳沢衆生を修めしむ
第卅三回　 教化德澤
宗教の教育文化課程
観ることができる：その主な因縁の本質を継承することにおいて、まさに有情の衆生が教化によって受け継ぐものであり、単に宗教のみを区別するのではなく、さらにあらゆる生存の方向性における教育の継承にまで広がっている。つまり、経験の蓄積が相互の継承と次世代への伝達によってなされ、この中において人道世界に向けて、教育文化の課程が成長していくのである。
教育と教化を伝承の拠り所とするのは、人類世界において、あらゆるものは教育と教化による伝承を経て初めて、古代から現代へと連綿とつながることができるからです。では、このような教育と教化をどのように伝承し、次世代へと継承していくのでしょうか。それは必ずや、人道世界における生存の方向性に対して、行動規範の拠り所を持つことを通じて実現される必要があります。
このような行動規範は、生存を経て初めて次世代へと伝承されていく主要な原動力となります。もし次世代への伝承がなければ、どうして現代の世代を向上させることができるでしょうか。根本的に生存を支える行動さえ持つことができません。生存のための行動があるからこそ、教育の経験を伝承していく必要があるのです。
また、技術と技能の教育を通じて、生計を潤す行為が生まれます。これは、人為的要因に対して極めて如実に、教育と教化の基本として蓄積されてきたものです。また、人間の行動や行為を、将来の子孫への経験伝承として、生存の方向性に基づく行動に前人の経験を積み重ねることで、生計を潤す能力が培われるのです。
教化を伝承することの必要性
これは潤生の動作の後、必ず生存志向を持って潤生の如実性に入ることが必要であり、また人道世界においては、いかなる因縁の中にあっても生存動作が不可欠です。これは異なる国々においても潤生が相互に調和し、人類の生存志向が潤生の動作に注ぎ込まれることによるものです。
先人の経験が積み重ねられ、後世の子孫へと受け継がれることこそ、教育や教化の下で決して消し去ることのできない働きである。これは現代の社会教育や学校教育のみならず、人道世界における経験の伝承も含まれ、汝らが社会や学校、宗教における教育と教化を受ける際に、すべてを理解しなければならない。
これには必ず先人の経験があり、後代の学び手や子孫に伝えられていくものである。では、どのようにして教育と教化の徳沢を施していくべきか。汝らが理解すべきは、「学院教育、宗教教育、社会教育」のほかにも、これら三つを経ずに積み重ねられる、教育と教化の根本的な性質が数多く存在するということである。
さらに、各人が受け継いだ「師から弟子への個人的な伝授」あるいは「師から師への伝授」の経験の蓄積は、一般的な教育や教化では得られないものです。このような「師から弟子への個人的な伝授」と「師から師への伝授」の経験の継承を体得できれば、まさに非常に優れた向上がもたらされるのです。
師は密かに伝授し、師から師へと伝えられていく。
このような「師から弟子への個人的な伝授」や「師から師への伝授」からどのように利益を得るべきか？各人の心構え、考え方、行動を見つめ直すことによってこそ、自分自身の真の成長につながるのです。「師から弟子への個人的な伝授」によって各人が得た成長こそが、やがて「師から師への伝授」という広大な利益へと発展していくのです。
各流派の成長を区別し、基本の技を学ぶことはどうあるべきか？もし「師匠が個人に密かに伝授する」ことで自己を向上させ、超越することができるなら、それは「師匠が師匠に伝授する」という広範な方法よりもはるかに優れている。つまり、師匠がある部分やある人に対してだけ、個人的に秘訣やコツを伝授するのは、むしろそれ以上に効果的である。
これは各人の立場の違い、および各人の利益の成長と獲得に対するものであり、現代の世の中で言われるところの、「師と私」を惜しみなく伝授することである。これは媚びやこつに対する理解と悟りの違いであり、もし崇心宗脈の体系から見れば、いわゆる「明心見性、開悟證果」の体得である。
仙仏は惜しみなく全てを授け、あなた方に真に益ある向上を提供していますが、あなた方は仙仏の慈悲の恵みがどのようなものかを理解できるでしょうか。これはまさに、千古より伝わる仏法の真理を明らかにし、真の成長と利益を得ることをあなた方に与えることです。これはまた、「師匠が私的に伝授する」という成長過程でもあります。
学科によって教師の修練も異なります
しかし必ずしも、崇心宗脈体系の全ての学生が、仙仏の先生方の全ての秘訣と奥義がどこにあるかを、真に理解できるわけではありません。もし真心から仙仏の先生方の慈悲と恩恵を理解し体得することができれば、「師が私的に伝授する」という全幅の伝授があるのです。これは、あなた方がこの一世の因縁がいかに殊勝であるかを、真に理解できるということです。
さらに、あなた方に対して「明心見性、開悟證果」の体証を授けることができるならば、仙仏が「師私相授」するとはどういうことかを理解できないはずがありません。つまり、仏教の最高次元である「明心見性、開悟證果」を体得しなければ、あなた方に対して「唯識学理諦」の専門的奥義をすべて伝授することはできないのです。
これはあなた方に対して誠実に申し上げます。この一生において、仙仏の先生方の大いなる慈悲の徳沢と、自らが成長し、積み重ねてきたことが、未来に対して真に多くの益をもたらすことができるのです。これは先ほど述べた「師が私的に授ける」という条件とは異なります。先ほど申し上げたのは「師の私的な伝授」であり、今申し上げているのは、すなわち「師から師へと伝え授けられる」ということです。
このいわゆるより広範な教化と教育とは、大勢の人々が仙仏の妙味と秘訣がどこにあるかを体得できるものである。また、汝らが崇心宗脈の体系に入ってから、どれだけ心を込め、どれだけ努力し、どれだけ成長し、どれだけ学んだか。開堂より今日に至るまでのすべての変遷はどうであろうか！
師から師へと広く深い教えが伝えられていく。
個人の思考や観念の影響を受けずに残るものは、必ずや仙仏の先生方の広範な教学課程を体得することができる。つまり、段階を踏んであなた方に対し、天下第一の殊勝なる因縁を分析し、さらにあなた方に対して真に「明心見性、開悟証果」についての悟りを体得させるのである。
それは、回を重ねるごとに、また一冊一冊の天書の中に、多かれ少なかれ向上の機会が与えられています。このように仙仏の先生方は「師から師へと伝授する」という、より広範な教育方法を用いて、あなた方の現代的な思想を改革しているのです。もし可能であれば、まず自分自身の過去のあらゆる思考構築を白紙に戻してみてください。
必ずや真に理解し、体得することができるでしょう。仙仏の先生方が煩わしさを厭わず、たびたび、繰り返し、あなた方の奇抜な癖や性格を、思考の構築として修正してくださるのは、あなた方が現在において、仙仏のご意図をどれほど理解できるかということです。これはすべての崇心宗脈体系の学生に対して、非常に殊勝で大きな福の縁なのです。
未来の成長と成就の殊勝なる大因縁に入るにあたり、必ず理解しなければならないのは、仙仏の先生方は単に全てを授けるだけでなく、「師が個別に密かに授ける」と「師から師へと広く授ける」という二つの相があるということです。そうでなければ、あなた方の累世にわたる全ての因果の報いは、とっくに到来していたはずです！すべての怨親の報いは一体どうなっているというのでしょう！
師匠と弟子との間で、密かに伝授されるものがある。
あなた方は崇心宗脈の体系において、容易に学び成長することができるでしょうか。このように言えるでしょう。現代の宗教各派にはない天機の良き働きによる成就は、非常に大きな願力が必要であり、それによって初めて向上し、成長し、超越する因縁条件が得られ、優れた利益を得ることができるのです。
これは　上蒼　無極皇母の直々のご慈命――「懿敕崇心宗脈」によって設立され、さらに　昊天玉帝　玄霊高上帝の大いなる御恩沢を加えられ、また　南天主宰文衡聖帝の強力なご支援を崇心宗脈体系に賜り、あらゆる善き行いの規範を整えられたものである。
如何にしてあなた方に容易に取り組めるようにするか、それは真理を認めて真実に帰する学習成長を促すことであり、さらに崇心宗脈体系のすべての仙仏の先生方が、たびたびあなた方に対して、千古以来の大道の先鋒部隊として、真に如実にあなた方の思想改造を進めることによって、正しい行動と動作を実現できるようにすることです。
必ずや未来において、真に天の豊かな資糧源を得ることができ、自己の成長と成就に対して、それはまさに真実であり、ただ過去の宗教経典を研究学習するだけではないのです！それはすでに振り返るに堪えず、成就にも堪えず、人類が理解できないまま形成されたものです。
教化の徳沢がもたらす効用と効果
人道世界とは、各人の成長が相互に補い合う世界である。汝らは皆、その方法を知らないのではないか？この所謂千古以来、汝らを思想改造によって向上させてきたのは、単に汝らを宗教に入らせた後、向上できない障害に閉じ込めるためではなく、まさにその制限と障害の中に閉じ込めるためである。
崇心宗脈の体系を理解できるならば、それは決して一般の宗教や宗派が比べられるものではない。なぜ現代のすべての衆生が、これほど無明で智慧に乏しいのか、いやむしろこれほど愚痴に満ちているのかを、知る必要がある。これは仙仏が嘲笑しているのではなく、いわゆる衆生の習気が根本的に転換できないことに対する嘆きなのである。
21世紀に入り、すでに自らの先天の本性を見失っているため、真に上蒼清流宗脈の学びと成長に入ることは非常に困難であり、これは古来のあらゆる宗教経典があなた方に対して、どのように向上させるべきか分からない状態です。また、このことから言えるのは、今日、天下に宗教を信仰する者は多いということです。
しかし、真に向上し超越できる者は稀である！いや、極めて稀だと言える。宗教的信仰に基づいて修行する者は数多くいるが、その多くは「真の良慧」による向上と成長を欠いており、常に「偽りの良慧」を用いているため、自らを向上させ超越することが極めて困難となっている。
異なる宗教の異なる使命
これはまた、現代の世の宗教と信仰者たちの悲しみでもある。さらに、皆が来世には再び輪廻の連鎖の中に留まり、真に理解し悟ることが難しい。天地の進化がもたらす徳と恩恵とは一体何なのか？人間の生存と創造がもたらす徳と恩恵とは何なのか？宗教が教化と教育を通じて与える徳と恩恵とは何なのか！
往々にして過去の知識と知恵が「所知障」を形成し、向上できない障害となって、自分が宗教に入った後、本来宗教に真の向上と超越的な成長を期待していたにもかかわらず、知らず知らずのうちに、宗教に入った後はかえって自分自身の向上し難い障害に制限されてしまうのです。
また、現在のすべての「収円体系」も同様であり、根本的に自心本性を顕現させる境地に入ることができず、「仏性真如」の向上においても、しばしば「魔性真如」が顕現してしまう。これはどうしようもないことです。まことに無念であります。崇心宗脈の学生たちは、このような状況をどのようにご覧になっているのでしょうか。
まさに一つの反省の観念が育つのである。すべての有情衆生は、自分が宗教修行の境地に入ったことを一流だと思い込んでいるが、自分が累世にわたって積み重ねてきた奇抜な癖や性分が自分の中に溶け込み、すでに宗教的信仰に固有の、固定化した行動の列に組み込まれ、もはや上昇も超越もできない状態になっていることに気づいていないのである。
教育は大いなる徳を教化し、恩沢をもたらす
ただあなた方が宗教に入った後、外界の衆生と比べて比較的善良であることを学ぶだけです！根本的に、自分自身の奇抜な癖を修正することさえできません。これは現代の宗教の教育と教化に対してであり、往昔の五教の聖人たちの修行方法には、真に善良で良い方法を引用することができないのです。
今となっては言えることだが、すでに質は大きく変わり、はたして往時の第一世代のように学び成長することができるだろうか？否である！皆、各人の固着した要素に制限され束縛されている。宗教修行の課程という観点から見れば、根本的に合格水準に達しておらず、どうして真に上昇し超越することができようか？まさに千真万確、向上することは極めて困難なのである。
結局のところ、自分は宗教のために苦労してきたのだから、手柄はなくとも苦労はあったはずだ、と考えるのは有情衆生の思い込みであり、一方的な自己満足に過ぎず、自分には多大な功績があると思い込んでいるに過ぎない。自らが実は最大の障害であり、自らの変わらぬ奇矯な性分こそが問題なのだと、しっかりと悟らなければならない。
教化と徳の恩恵は最大の向上をもたらす
自分自身を修め変えようとしても、どうなるというのか？仕方のないことだ！それゆえ、宗教に入った後は、自らの過去の固執や、風変わりな癖を修正し、自らが汚れや穢れた考えや行動に染まらないようにすることができる。これこそが、古来よりすべての向上を妨げる障害点なのである。
自ら取り除く必要があり、先天的な性質の悪さと人道世界の習性・慣性が重なり合うことで、「いやな個性」の固定化は非常に変えにくいものとなる。もし自分の奇妙な癖や変わった性格を改めることができなければ、累世にわたって積み重ねられてきたもの、あるいは生々世々にわたってこのような状態が続くことになる。
また、自らが真に上昇と超越、円満と回帰を達成することを妨げてしまう。さもなければ、汝らはどうあるべきか。必ずや先天的な条件がある。それは、自らの無明に対して必ず改め除くことができ、かつ宗教に入った後、真に自らを向上させ超越することができてこそ、はじめて仙仏の教化するところを真に実現できるのである。
仙仏は一世で成就することを教え導く
これは一つの生涯の中で、仏果の位階を成就することができるのであって、来世や累世を経てから成就することを期待するものではありません。つまり、今この瞬間を掴むことができないのに、どうして未来世になってから成就しようなどと期待できるでしょうか。これはまさに、愚か者が夢物語を語るようなもので、真の成就に至ることは極めて難しいと言わざるを得ません。
仙仏の先生がいつもお説教ばかりしていると思ってはいけません。仙仏の先生が繰り返し耳を提げて命じるのは、あなた方がただちに悟りを開き、この世で仏の果位を成就することを願ってのことなのです。あなた方すべてが成就すれば、仙仏の先生はどうなるでしょうか。それはあなた方の未来に対して、より大きな期待と託す思いを持つことになるのです。
これは　上天の一貫した根本的な主旨と理念であるが、あなた方は理解できるだろうか？もし今この瞬間に理解できなくても、必ず未来において、一歩一歩確かな足跡を残しながら、仙仏の先生方が教えてくださったすべてのことを体得していくことになる。よく学び、よく考え、それぞれの段階における微妙な要点やコツが、やがてはっきりと見えてくるだろう！
信仰を拠り所とし　　自らを明らかにする
悟りを開き果を証して会いに来る　　自ら益を受け大道は従う
奇妙な毛並みと変わった気性は変化を起こす　　宗教の成長はそれぞれが自分で編み上げる
一歩一歩確かな足跡を刻み　　未来へと果てなく続く恵み
この偈は、有情の衆生同士が互いに励まし合うものであり、また全ての宗教に入った後に、真に自らの無明と奇抜な癖を修正できる者こそ、自らを向上させ超越する道を歩む者であります。単に自分が「天賦の使命を果たした」と考えるだけでは、未来において必ずしも上昇超越できるとは限らず、それでは如何ともしがたいのです。
しかし、「累世の因果の償い」の中には、依然として「仮のものを通じて真を修め、本源に還る」という条件があることを知らない。これは現在、霊山体系を歩む者、あるいはすべての収円体系に対して、修整と戒めがあり、これこそが正しい道である。皆様、ご苦労様でした。すべてが吉祥でありますように。崇心宗脈にしばらくお邪魔いたしました。さようなら！
虚空御伝天尊
虚空には極めて少ない人しか歩まず　　御伝道の御旨が崇心に降りる
天尊は諸神人と共に会し、大道の徳沢は天の音を揚げる。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は大寰宇宙より木徳星君が降臨され、「大道理徳の恵み」第三十三回を著作されました。天地の教育と教化の徳沢を以て、皆様と共に参集し、天地の進化の基本条件と徳沢が如何なるものかを、真に理解することができるようになります。
有情なる衆生は、自己の固定化を除去し、宗教に入った後の無明と無知による理障、惑障、所知障を解消するための、真に体系的な構築を行うことができません。どうしてこの一生の中で、真に回帰し、超越することを期待できるでしょうか。それは不可能なことです。
自らがすべての宗教の綱領を相互に構築し、天地の殊勝なる真実の理諦に乗じて、自らが上昇し超越するためのすべての大いなる因縁（契機）を得る必要がある。その時、未来に対して誠実であれば、良き成長と向上が得られる。また、このような恩恵は世の中では稀であり、自らが把握できるものである。
明日もまた土曜日で、全ての引渡しは通常通り行われます。では、本宗脈は今後どのように進めるべきでしょうか？もし正しい方向性が定まらない場合は、水曜日と土曜日に仙仏の先生方と共に研究してください！必ずやより大きな成長と利益を得ることができるでしょう。さて、皆さんお疲れ様でした。ご多幸をお祈りします。では、またお会いしましょう！
2014年8月28日10時58分◎＃※   ０Ｋ＃
大いなる宇宙  水徳星君
大いなる宇宙に星は数億万　　水徳星君が降りて来られる
大道の徳沢三十四回　　教育の伝承は永遠に新しきを留む
第卅四回　 教育傳承
人道世界のすべての良き伝統
まさに教育と教化を骨組みとし、経験を後代の学生や子孫に伝承して相互につなぎ合わせ、あらゆる行為や動作を人道の主体としての応化に取り入れて成就させることである。これは人道世界にとって、先人や師長の経験を高め、後代の子孫に伝承し教化する必然性がある。
また、自己の生存の方向性および行為動作の依存において、必ず食物連鎖による結合が必要であり、それによって初めて事務連鎖の行為動作が生じる。これは有情衆生が逃れられない事実と障害であり、このいわゆる食物連鎖と事務連鎖が存在してこそ、すべての行為動作が可能となる。これこそが正しい道なのである。
すなわち、教え導き学び育むという教化作用を支えの枠組みとし、必ずや学び成長することができ、また行為動作の相互依存を持たねばならない。これもまた、教え学び伝承する教化を形成するのである。いかにして教育の基礎を築くかといえば、大宇宙天地の先人の経験をもって教化とし、後世の学ぶ者たちが、互いに対応し合う教育の授業を得られるようにするのである。
師匠の経験を後代の子孫や後進の学生たちに伝え広めることができるのは、人道世界におけるいわゆる関連事項すべてにおいて同様であり、教育の機能というものは、人間としての生存の方向性に必要なものであり、また生存の方向性は食物連鎖に加えて、事柄の連鎖が結びついたものだからです。
教育は子孫に受け継がれる
すべての人々の世界における行為や動作には、いわゆる先人の経験があり、それを必要とする者へと伝えていく。これが学習と成長の必然性である。このいわゆる学習と成長は、先人の経験の蓄積によって成り立ち、あらゆる事象の連鎖を構成する。また、このいわゆる事象の連鎖は、良し悪しによって成果を生み出すのである。
通貨の因縁が具足しているかどうかをよく見極める必要があります。もし通貨の因縁を具足させることができなければ、どうして教育体系に対して真の恩恵をもたらすことができましょうか。また、このようないわゆる教育体系において、必要な者に対して訓練を施し、各人の生活技能に必要な道具や生活技術を蓄積させることなどできましょうか。
潤生の基盤として、これは衣食足りるか否かの違いを生み出し、先人たちが経験を積み重ねて伝えてきたことにより、後世の子孫や学び手たちは教育体系を通じて、多くの潤生の技能を増やすことができます。特に、現代の科学技術文明において、あらゆる発明と創造の品々に対応すべきものです。
この種の品質は、絶え間ない改善を経て、回を重ねるごとに修正が加えられ、品質が向上していく。これは人道世界において、外部からの認可と肯定を得られるものであり、特に、多くの人々に愛され、認められる品物となる。もし人間の衆生の品質という観点から見れば、人道世界での生存の在り方を経た後にこそ、その真価が発揮されるのである。
教育を継承する主な機能
人間もまた器物のようなもので、生まれてから何度も学びと成長を重ね、その度に思想や観念、行動様式を修正し改善していく。そうして多くの不良品ともいえる思想や行為を改め、優れた品質を高めていくことで、気質を変化させていくのです。
外界からの認同と肯定、そして愛着を得るためには、人倫の世界において言えば、不良品や欠陥品を真に修復し改善することであり、教育の質が如何にあるべきかという問題と深く関わっている。それはちょうど物品の品質と同じく、この世に生きる有情の衆生も、切磋琢磨を経て初めて有用な器となり得るのではないだろうか。
これは自分が本当に修整改造できるかどうか、不良な瑕疵品質を再生させる過程であり、自分自身に対して真の修整を行うことです。累世にわたるすべての奇抜な癖や、さらには不良な先天的な性質を、「習性が自然に慣性となる」後に、どうやって修整改変すればいいのか分からず、自分自身の不良な「臭い個性」をどうすればいいのか？
これは物品の品質に対する修繕と改造であり、人種の品質も同様の瑕疵がある。しかし、人道の生存もまた同じで、どの宗教の流派に入るかに関わらず、教育の伝承を理解する必要がある。それは累世にわたる不良な瑕疵の品質――習性、慣性、個性、秉性――を修整すべきことに由来する。
教育の基本的な質と実践
すなわち、度重なる修整と変化を重ねることで、このような比喩が理解できるだろうか？なぜ現代のすべての有情衆生は、自分自身の奇抜な癖や性格を修整することができず、向上させることができるだろうか？もし修整できれば、良好で精緻な品質が生まれ、まさに向上と超越が実現し、人々からも愛される存在となるのだ！
あなた方はすでに仙仏の位階を離れ、さらに一歩前へと進みました。必ず理解しなければならないのは、人間世界におけるいわゆる行為や動作は、先人たちの教えを経て、一種の風俗習慣を形成するということです。そして、このような風俗習慣が善良で正しいものであれば、後の世代の子孫に対して優れた模範作用を果たすことができるのです。
もしそうであれば、風俗習慣が非常に悪く粗野であると、後代の子孫に多くの良くない気質を形成することになり、さらに「習慣が自然となる」という状態に至れば、これは良策とは言えません。また、ある地域の風俗習慣は、その地域の善良さの有無に影響を与え、特に悪い風俗習慣は非常に良くないものです。
さらに後世への影響と模範を示すことで、未来における多くの上昇と超越の困難な障壁が生じることになります。これは有情の衆生が、いかに自らの習性、慣性、個性を区別し、生存する居住地域の風俗がどうあるべきかを考えることです。もし孟母三遷のように、孟子の聖人としての教育と継承を選択するのであれば。
伝承に本来備わるべき浄化と汚染
比較的善良な地域では、教育の伝承と薫習が行われます。これは子孫や学生にとって、白紙のように清らかで汚れのないものです。もしあなた方が色を加えれば、子孫や学生に相互の染着をもたらすことになります。また、どのような条件が上昇と下降の区別となるのでしょうか。
教育の継承がいかに重要であるかを考えれば、まさにあなた方が崇心宗脈の体系において見るように、あなた方はすでに今日の「天下第一の学府」の中に入っているのです。一般の学生から見れば、まったく何の明確さも悟りも感じることはないでしょう。あなた方がさらに深い次元へと比較を進める時、どうでしょうか！
あなたがたは今、すでに「浄染」の中に入って成長を遂げ、また「染浄」の中で向上し超越してきたのではないでしょうか。それではさらに深く考えてみてください。現代のあらゆる宗教を見渡してみると、現代に仙仏が降臨し、天下第一の奇書「大道系列天書」の学習課程を著作するということが、果たしてあり得るでしょうか。
これは千古以来、根本的に人世界の宗教著作には存在せず、特に、上蒼が既に次々と、回を重ねる課程を用意し、汝らが「浄染と染浄」へと向上することを促すものである。また、千古以来、根本的に人道世界に下ろされることのなかった、天機奥祕の課程でもある。
伝承とはどのような役割を果たすものか
また、諸天の天界の奥義は、「大道シリーズ天書」の中に記されています。これはあなた方が千年万年と祈り求めながらも、かつて得られなかった確証と成就であり、教育の伝承にとって後世の子孫たちへの特別な縁でもあります。今のあなた方は「犧牲を捧げ、捧げて犠牲となる」時空にありますが。
しかし、あなた方は自分自身の未来がどのようなものになるか、分かっていないのではないか？そうではない！つまり、教育課程を通じて、まずあなた方に新しい思考と観念を与え、それによってあなた方が過去の一部の時代遅れの経典に執着し続け、さらにそれを抱きしめて、人界であなた方が今いるこの瞬間に「犠牲を捧げ、捧げて犠牲になる」ということをさせないようにするためなのだ。
それだけでなく、今後何千万年もの向上と超越を得ることができるが、すべての者が超越できるとは限らないことを理解する必要がある。もし崇心宗脈が堂を立てなければ、いかなる機会もなかったのである。このような天の機縁に、あなた方は既に最初に手に入れたのだ！これからは、自分自身の向上を考えて行動する必要がある。
行為動作は修整されているか？それによって初めて真に上昇し、超越することができる：宇宙、虚空、無極天界が相互に成就し合うこと。これは汝らが崇心宗脈に入った後、すべての因縁が既に定められており、今後一切の行為動作は、汝らの努力と奮闘次第で決まる。それは「自らが望むか否か」の分かれ目である。
伝承の機能と役割
もし崇高なる心の宗脈の著作がなければ、未来の衆生の福祉を展開することは難しい。あなた方の今創造している福田はどうであろうか。「浄染と染浄」の深い根を培うことができる。あなた方の福田はどうであろうか。自分自身でどれだけ根（耕）を植えるのか。すなわち、自分自身のすべての努力がどれだけあるかを観じ、未来の成就のよりどころとせよ。
あなた方にとって崇心宗脈に入ることは、まさに現代の「天下第一学府」で学習課程を受けるようなものです。ここには多くの諸天天界の仙仏がおり、これまで決して凡塵世界に降ろされることのなかった奥義があります。崇心宗脈が道場を設立した後、初めてこのような天機の良縁が生まれ、諸天仙仏の豊かなエネルギー体が降臨して著作をなすことができたのです。
これはただ一般の福分だけではないのです！必ずや累世にわたって蓄積された相当に大きな福縁と福分があってこそ、崇心宗脈に入り学び成長することができるのです。あなた方への教育伝承においては、まず自分自身を利益し、その自己利益の後に、さらに衆生を利益するのです。このような道程（道理）がお分かりいただけるでしょうか？
教育の伝承とは、経験の継承である
天下に臨んで、すべての無数の霊魂を救済するにあたり、心に悟らねばならぬ。仙仏は言葉を語ることはできないが、汝らは確かに言葉を発することができる。また、このいわゆる無形界の仙仏は、汝らの欠点を正し改造するために存在し、汝ら人間の資質をますます向上させ、新たに修正するのである。
さらに精緻かつ微細であり、あなた方の品質が向上するならば、どこへ向上させたいとお考えですか？「虚空実宝浄土世界」へと超越したいのであれば、必ずや人世において相当に高い品質を備え、なおかつ一切の奇異な癖や奇怪な性向を修整改造し、いかなる不良な欠点もあってはなりません。
その品質をさらに一層高め、超越させるために、あなた方にとって今必要なのは何度も何度も繰り返し修正を重ね、自らをより高い次元へと引き上げ、一段階また一段階と向上させ、超越させることです。もしその過程で、少しでも屈辱や不満、不平を感じたなら、その品質は一瞬にして崩れ去ってしまいます！それでは、どうしてさらに向上させることができるでしょうか？
向上と超越には、固い意志を持って達成することが必要です。
上昇して超越すればするほど、いわゆる人間界の多くの習性、慣性、個性や気質などは存在しなくなります。もしそれらがあるならば！　上蒼の第一回目の試練でふるい落とされてしまい、どうしてさらに上昇できるでしょうか？　できませんよ！　それに加えて何かをすれば、あれこれと愚痴を言ってもどうしようもないのです！
さらに、不平不満が山積み、問題が山積み、困難が山積みで、今すぐに向上と高みを目指すことはできません。まさに人間界の不満と怒りがあるのに、どうして天界に昇ることができるでしょうか。これらの習性のない仙仏と共に、一つの天国星系に住むことができるでしょうか。あまりにも難しいことです！
あなた方は、このような習慣性が上昇し、超越できると思っているのでしょうか？不可能です！このいわゆる習気は、ある領域から染みついたものであり、それぞれの体の異なる作用をはっきりと見極めることができるでしょうか？つまり、自分自身が現在のこの領域に存在している間、多かれ少なかれ、このような奇妙な癖や変わった性質を持っているのです。
教育は後世に伝えられ
経験は積み重ねられてゆく
利益を受けるか否かの差は、悪しき習慣を持つべきではない。
個性と性質は互いに支え合い　　これもまた制約される領域の序列である
もし整備の必要があれば必ず改めよ
より優れた品質を求め、丹念に育てよ
この偈は！有情の衆霊子たちが互いに助け合いを成し遂げるために、あなた方すべての働きに対し、また教育の伝承として用いられます。このような教育の伝承はさらに多くの状況に分けられ、また善き因縁と悪しき因縁に分かれます。つまり、あなた方は取捨選択の区別を応用することができるのです。皆様、ご苦労さまでした。すべてが吉祥であります。心を込めてご相伴させていただき、崇心宗脈にしばらくの間お邪魔いたしました。皆様、またお会いしましょう！
虚空理治法天尊
虚空は崇心に連なり　　理治法は道を導き来たる
天尊は諸神人と共に集い
皆が心を一つに合わせる。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は大寰宇宙より水徳星君が降臨され、「大道理徳沢」第三十四回を著作されました。後世への教育伝承の因縁を、極めて透徹して剖析され、汝らもまた「物品の品質」の如く、修整と変化を為すべきか否かを説き明かされます。
これはあなた方を成全するためのものであり、自分が人道世界に入った後、すべての問題の核心点は、自分自身を修整し変化させることができなければ、自分自身の次から次へと続く不良な習気を、上昇と超越を望むなら、どうして一世で成就することができるだろうか？絶対に不可能なことです！
よく理解しておく必要があります。あなた方が崇心宗脈の体系に入った後、すべての因縁と努力は自らが創造できるものであり、その時になって「自分には功績はなくとも苦労はした」などと言ってはなりません。それではただ人間界に留まるか、昊天星系での成長に甘んじるだけです！決して地府に入って討伐されることはなく、累世の重罪を除いては。
その他は皆、あなた方が払った努力と貢献に応じて、真の報いが得られ、それによって初めて一世で回帰を成就し、仏果の位階を超えることができます。皆で一緒に頑張りましょう！必ず努力を重ね、自分自身が仙仏の加護による順境の中に埋もれてしまわないように、その時になってまた業を造ることのないように！よし、皆さんお疲れ様でした。すべてが吉祥でありますように。さようなら！
2014年8月28日12時35分◎＃※   ０Ｋ＃
大宇宙の火徳星君
大いなる宇宙に星系は満ち渡り
火徳星君は降臨されし由縁
大道の徳沢三十五回　　潤生の徳沢は衆霊を佑く
第卅五回 　潤生德澤
教育は受け継がれ、人々を潤す
すなわち、潤生の前提となる動作が存在し、これには経験の蓄積が必要であり、技術と技能の実践を通じてのみ、いわゆる人間の能力を向上させることができる。潤生の動作に対しては真実性のある回向がなされねばならず、人間世界は生存への志向から離れることができず、したがって潤生の必要性からも離れることはできない。
もし潤生（生活を潤すこと）においては、必ず通貨が備えるべきものを積み重ねなければならず、そうして初めて通貨を充足させることができる。また、通貨は人道世界を経て、時間と精神、そして労力を犠牲にして通貨の充足を手に入れる。では、どのようにして通貨を食物や物品と交換するのか？自らの生活の方向性を潤すことができるのであり、それは各人の努力を見極め、選択することによるのである。
必要がある、レベルと作用を向上させてこそ、人道世界の安定と快適さ、利便性、普及的な広がりに適応できる。つまり、生存の方向性における必然性と真実性を相互に結びつけることを通じて達成されるのである。これもまた、人道世界において生計を潤すと同時に、一部を犠牲にすることが必要とされる所以である。
これは大いなる天地の間に存在する機能と効果である。もし人界の時間を犧牲にして通貨を獲得することができなければ、人界には事務連鎖の組み合わせも必要なくなる。しかしながら、事務連鎖の組み合わせは食物連鎖への供給であり、人間世界の飽食の動作なのである。
すべての生物の生存には、食物連鎖が必要不可欠です。
すなわち、生活を潤すためには、通貨を物品や食料と交換する必要があります。それゆえ、食料と物品は人間社会において欠かせない重要なものであり、生活を豊かにするためには、単に物品、商品、食料の三つを備えるだけでなく、それらを通じて自らをより大きな快適な空間へと導いていくことが求められます。
このような快適さ、利便性、普及性の向上により、自分が求めるあらゆる物品、商品、食料を購入するためには、共通通貨が必要となります。これは、物事の連鎖と食物連鎖そのものの要求であり、機能的な効果を発揮するためには、教育、教えの伝承、技術、技能を通じて転換することが必要です。
この必然性をどのようにして、自らがより豊かな資糧の源を創造し、通貨が具えるものをありのままに獲得できるようにするか。それはまた、自らが自らに対して、時間、精神、労力、知力など、あらゆるものを投入した後で初めて、商品や物品、食物の供給と交換できるようになるものである。
己自身に対しては、技能を学ぶ熟練の有無を備えるべきか？これは技術、技能、教育、教化が伝承されることであり、大いなる天地のすべての衆生に対しても同様であり、この種の限界から離れることはない。まさにこの所謂、通貨をもって物品、商品、食料の供給と交換するというあり方の中にこそ
潤生とは、衆生が必ず持たねばならない性質である。
人間界においては、このいわゆる生活の方向性に対し、必ずある程度の犠牲と払い出しが必要であり、それによって初めて充足を得ることができます。つまり、人間界において言えば、すべての払い出しとは、自らの一部を犠牲にすること：時間、精神、労力、知力、そして過去に学んだ技能と技術を応用することなのです。
創造された物品に対しては、このような時空の因縁によって成就されるのであり、また人道世界の必要性に対しては、技能・技術を本体としている。つまり、自ら熟練した技能と技術を投入した後でこそ、物品や商品を食物連鎖と通貨連鎖が備わったものと交換することができるのである。
必ずやこれらを一定の数に累積した後、各種の報酬をそれぞれの貢献者に与えることになる。これは通用貨幣が備える機能であり、通常は豊富な量あるいは一定の数に達するたびに蓄積され、その後各貢献者に報酬が与えられる。これは時空の因縁が事物の連鎖を相互に形成する過程である。
つまり、通貨を十分に持つことで、自分の家庭において温飽と安定した生活を確保できるのです。もし技術や技能で通貨を十分に得ることができないならば、知力や精神力、労力を積み重ねた後、通貨という報酬を得て、家族を養い生活を支えなければなりません。
潤いを与え生かす徳の恵みは、有情の万物に利益をもたらす。
これは人道世界に対して、なぜこのような行動が必要なのか？人道世界においては、すべての作用が金銭によって計られることを知る必要がある。もし人類世界が金銭（通貨）の充足に欠けているならば、それはすなわち「散ぴぴ」（非常に貧しい状態）であり、どうして通用貨幣の福徳を積み重ねることができようか？
これは金銭が不足しているため、食料や物品、商品を手に入れて家庭生活を潤すことができず、家庭の温かい食事と満足を得ることができず、また家庭全体に対する世話の責任も果たせない状況です。このような状況こそ、なぜ「通貨の蓄積と充足」が必要なのかを物語っています。それがあれば、良き生活を送ることができるのです。
汝ら人間世界の者たちは、ただ生きることを知るのみで、いかにして通貨の因縁を積み重ねるかを根本的に知らず、それゆえ通貨を十分に備えることができず、自らが求める品物、商品や食物と交換することができない。汝らが現在の福報を大いに享受していると思ってはならない。もし他の国々と比較してみれば、どうなることか！
時には、通貨を使っても商品、物品や食料を手に入れることができず、通貨だけを持っていても何の役にも立たないことがあります。残念なことです。このような時、お金は全く無力です。しかし、これらの先進国では、十分な通貨さえあれば、必ずや商品、物品や食料、そして自分が望むあらゆるものを手に入れることができるのです。
生存するためには欲求が必要である
また、人道世界における潤生の必要性は、人類全体のあらゆる職業がそれぞれに生み出すあらゆる産物、物品、商品、食料から来ています。これらは潤生を得るために利用され、通貨もまた必要とされます。では、どのようにして通貨を蓄積し、不足することなく潤生を得るかが、正しい道なのです。
人道世界においても、わずかな通貨を蓄えるだけでは済まないのです！しかし、常に「無常が身近に付きまとう」という状況の中で、どうして毎日無事を祈る札を掛けていられるでしょうか？できません！必ずや通貨への需要は積み重なっていくのです。もし一人ひとりの衆生の立場から見れば、今日食べる分が足りて今日が終わればそれでよいというだけのことです。
また通貨を多く蓄積する必要もなく、そのため人間界が求めるものは、通貨が備えているものに絶えず蓄積され、どうすれば節制できるのか分からなくなる？このように何度も繰り返すうちに、心を満足させることさえできなくなり、将来がどうなるかなど全く気にしなくなる？これは飽くことを知らない貪欲な求めである。
潤生において前進（金銭）を目指すか、それとも衣食住が満たされれば十分かは、各人の心構えと価値観の選択である。また、十分な資産を得た後には、多くの時間が生まれ、自らの未来である「生死の大事」に向けて向上を図ることができる。さらに、それは単に人間界の潤生における快適さ、便利さ、普及だけにとどまるものではない。
潤生の機能は利益を向上させることです
もしそうならあまりにも簡単すぎる！しかし、すべての過程は果たしてそうなのか？そうではない！つまり、あなた方自身の快適さ、便利さ、普及性を確保した上で、さらに各人の時間をかけて完成させ、自分が求めるものを得て、自分の未来の来世に対して責任を負うことができるのである。もしこの問題を深く、明確に理解できなければ、どうしようもないではないか！
また、人間世界において「無常は汝の身辺に付き従う」ということを徹底的に理解することもできず、この一生が過ぎた後はどうなるのか？これは未来の来世と一切に対して、自分自身が責任を負うべきものであり、他人が代わりに責任を負ってくれると思うべきではありません。「各自が飯を食べて各自が満腹し、各自の業障は各自が担う」という前提のもとでこそ！
これは汝ら未来の次なる生に対する責任である。もし度々、転生の度に向上して高みを目指すことができなければ、汝らは世々代々、転生の度に地冥星に沈淪を繰り返すことになる。果たして汝らはそれを望むか？否！これは宗教に入ってからの修行であるが、すべての者が上昇し超越できることを保証するものではない。
「各人因果各人で引き受け、各人の業障は各人で清算する」というのは、教育や教化の後、どうしてこのような疑問が生じるのでしょうか。まさに教育や教化によって薫陶される過程こそが、人々にすべてを理解させることができるのです。もし各人が「師匠から密かに伝授される」ように学び、各人が遭遇する問題を必ず解決できるようになれば。
潤生は有情を引き上げて成長させます
また、先の教育と教化に対して、どのように「道徳、倫理規範」に基づいて構築することができるだろうか。一般的には、道義を両脇に置き、利益を中央に据え、まず行動し後で説明し、まず利益を得て後で補うというように、自らの良心を欺いて追求した後、つまり因果業障の干渉が形成されることになる。人類の衆生は、これをどのように言うだろうか？
知らずにいるのは、人間界における先の教育と教化が、もし本当に効果と利益をもたらすものであったなら、とっくに天下の人類衆生を広く救済し回帰させていたはずではないか。それなのに、なぜ現代には宗教の宮堂が林立しているのか？さらに、道徳、規範、人倫、綱常に対して真に適切に対処し、その効力を発揮することができないでいる。
これは理解し難いことですが、あらゆる時空の因縁は、自らの行いによって、未来の功徳と業障を自らに評価させるものであり、まさに汝が過去のあらゆる時空の因縁によって積み重ねたものに基づき、繰り返し、巡り巡って功徳と業障を判別していくのです。これは紛れもない真実であります。
また、功徳と業障が互いに相殺し合い、平らかにできると思ってはならない。それは不可能なことである。また、それぞれの時空の因縁において、過去の教育や教化は各人に非常に大きな利益をもたらすが、なぜ教化と教育が進むほど、人類衆生の習性はますます堕落していくのか？その原因はどこにあるのだろうか？
潤生機能を高めることが、すなわち受益となる。
もし教育や教化によって、本来ならば向上すべきところが、かえってますます堕落していくとしたら、このような教育や教化の無力さを、あなた方は理解できるでしょうか。もし教育や教化を行わなければ、さらに堕落し、事態はますます悪化し、ついには教育や教化そのものが不要になってしまうでしょう。そんな世界は、いったいどのようなものになるのでしょうか。
真に魔性の世界であるがゆえに、人道世界はなぜ「霊性、自心、身体」の三つを向上させねばならないのか。より大きな達成を集めるためである。「無常は常に汝の傍らにあり」という警句を理解できなければ、汝らは宗教に入れば仙仏が守護してくれると考えるであろう。
人道世界がなぜこのようなものであるかを理解する必要があります。「無常は常に身近に付き従う」という警句に対し、これはあなた方の過去のすべての因果業障が絡みつき、干渉しているからなのです。人道世界は生まれてから老いて死ぬまで、非常に長い時空の因縁であり、どうすることもできません。
既にこの世に生を受け、この列車に乗り合わせ、さらに自らその車輪を動かし始めた以上、生まれてから老いて死ぬまで、いつ下車するのかは誰にもわからない。それならば、どうして無常の観念が深く根づいているのかを理解できるだろうか。それはあなた方の第八識の中にあり、自分自身に対して誠実に向き合うことで、安心してこの旅路を歩むことができるのである。
人類の輪廻は事相をはっきりと見極めなければならない
これは汝ら人道世界への警告である。もしかすると、これを軽んじる者もあろうが、汝らはよく観察してみよ。生まれてこのかた、誰が永遠に死なずにいられようか？ 否、誰もいない！ 皆、ただ一つの時空因縁の過ぎ去る旅人に過ぎぬ。汝らもまたこの時空の中にあって、このすべての未知なる「生死の大事」を、はたして見極めることができようか！
また、生・老・病・死を通じて徹見することができる。すなわち、悲哀と苦しみによって明らかになることが、真実の姿である。なぜなら、生・老・病・死・哀・苦は、この世において避けられないものであり、すべての生存の過程において、誰がこれを避けられようか。誰がこれを免れられようか。否、生きるものには必ず死がある。
まさに無常の観念に対して、しっかりと基礎を固める必要があります。したがって、あなた方が宗教に入った後は、なおさらこのような観念と行動が必要です。もし基礎がしっかりしていなければ、すぐに自分自身の人生という車が故障してしまい、いつ早々に降りることになるか分かりません！つまり、いわゆる「死んでしまう」ということです！あなた方はこれをどう思いますか？
もし人生の過程を深く理解することができなければ、ただ生活の糧を得るためだけで、他のすべてを顧みないということではないでしょうか？そうすれば、次々と、巡り巡る輪廻の中に、必ずあなたの分け前があることになります。人間世界が作り上げられ、創造され、修整されるのは、自分自身の思考体系と行動に由来するだけだと理解できるでしょう。
潤生は徳を高め、万物と蒼生に恵みを施す
また、自らが宗教に入った後、確固たる基礎を築くことができてこそ、はじめて「無常」が訪れた時に、あっさりとこの世を去ることができるのです。人間はこの世に生を受けた以上、生活を営みながら心を浄化し、魂を高められなければ、ただ空しく一生を終えるだけなのです。
汝らは宗教に入ったとはいえ、名ばかりの修行者（恥ずべき者）に過ぎぬ！来世には必ず再び輪廻を繰り返し、この世の人間界や他の世界で、ただ肉体を替えるのみ！また別の名で生を潤す、これこそが紛れもない真実、この障りを真に悟ることができるか？
もし真に智慧ある者と言うならば、必ずや人道世界のあらゆる検証と試練を通り抜け、それによって向上し超越することができる。このような秘訣と機微を、あなた方は悟ることができるだろうか。また、人間世界に入っては繰り返し輪廻し、再び多くの子や孫を生み出すことにも陥ってはならない。これこそが世を重ねるごとの立派な成果である。なんと嘆かわしいことか！
潤いある暮らしは快適で便利だが、あまりに享楽に走ればそれは身勝手となる
通貨の善き因縁を知らず
下世輪廻の度ごとに便ちなり
宗教の本質に入りて　　無常の観念馳るを明らめよ
人間の身体は借りて見るも借りて用いるも
肉体は過ぎ去って亡くなる、本来このようなもの
この偈は、有情の衆霊子たちが互いに励まし合い、潤いある生をより超越した境地へと高めんとするものである。それは、度重なる人道世界や他方世界での反復輪廻に留まることなく、単に肉体を借りて生まれ変わり、名を変えて仮の宿りとするような在り方を超えるものだ。よく見極められるか？自ら選び取るがよい。
汝はこの世では○○○と呼ばれ、次の世ではまた╳╳╳と呼ばれ、その次の世では△△△と呼ばれ、さらにその次の世では□□□と呼ばれる。それについて汝らはどう思うのか？仙仏が冗談を言っていると思うなかれ、これは紛れもない真実であり、深く考えればすべてが理解できる。人間界のすべての輪廻はまさにこの通りであり、また数多くの子孫を生み出してきたのである。
ただ、肉体を変え、場所を変え、性別を変え、名前を変えて転生するだけのこと。誰が免れ、誰が解脱できるというのか。自ら努力して向上するか否かの差、聡明で知恵ある者と世俗の凡庸な者との区別は、結局のところ上昇して超越するか、堕落して輪廻するかの二つに過ぎない。これは汝自身が選択し、掌握できることなのだ。さて、皆様お疲れ様でした。どうかすべてが吉祥でありますように。しばらくの間、崇心宗脈にお邪魔いたしました。ではまたお会いしましょう。
虚ろなる道は徳の天尊を伝う
虚空の世を空しく渡り　　道を伝えて世界に徳を行わしむ
天尊は今日、神人と会合され
著作の構造を体得されました
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は大寰宇宙より火徳星君が降臨され、「大道德澤」第三十五回を著作されました。潤生の徳澤を極めて明瞭に分析され、また汝らが次々と回を重ねる度に、肉体はただ一つの過ぎ行く身として転換し、また新たな名前に換わるに過ぎぬことを示されました。
さらに、この名前をいつまでも抱き続けて手放さず、来世でもまた使いたいと思うなど、あまりにも価値がないことです。このような消滅のやむなきをどう理解すればよいのでしょうか。あなた方が宗教に入った後、必ず無常の観念を持つことが必要です。そうしてこそ、自分自身がいつでも、どこでも、安心して自由に帰ることができるのです。
明日土曜日はまた渡しの好機です。どのように進めるべきでしょうか。あなた方自身の努力も見守り、それが真実の性質となります。近頃はだんだん寒くなってきました。何事も慎重に、風邪を引かないように、寒さを避けて、他の病気を引き起こさないことが肝要です。よろしい、皆さんお疲れ様でした。すべて吉祥でありますように。明日またお会いしましょう！
2014年8月29日18時53分◎＃※   ０Ｋ＃
大いなる宇宙  土徳星君
大いなる宇宙の星系に　　土徳星君が降臨されました
大道の徳沢三十六回　　有情の義を成全し提昇す
第卅六回　 成全提昇
崇心体系の著作
凡界の視点から見れば、まさに宇宙、虚空、無極、昊天、南天を連動させ、人間界における「懿敕崇心堂宗脈」を通じて、このような特別な使命と任務を体系的に解明し、天機の奥義を実践することにより、現代という時代において、真に未来のすべての衆生にとっての大いなる福と利益をもたらすことができるのです。
向上へと高め、超越することができ、また相当に殊勝な任務を担うことができるからこそ、このような機縁が21世紀に入る因縁となるのです。これは一般の人々が到達できる条件と使命ではなく、相当に高いレベルの因縁が構築されて初めて、このような殊勝な因縁が成長と完成に至ることができるのです。
このように、このような天界によって相互に結びつけられたものに対して、すでに初歩的な概念と思惟が形成され、後のすべての出来事、すなわち各々の縁が熟するのを見て、向上と成長を促すことによって、「大道シリーズ天書」を人間界を通じて著作するには、必ず天界の御意志が人道世界に下される必要があるのです。
未来の使命と聖なる務めを、人間界に持ち込んで高めること。上天の数多くの奥義を、人間界に対して明確に理解し、天機を体得できないままに下ろすこと。そして、このいわゆる殊勝な因縁に対しては、非常に特殊な組織が必要であり、それによって初めて良好な効果を成し遂げることができる。
功徳の働きはどのように衆生を利益するのか
このようにして理解できるのは、上天が十数年前にすでに、人間界における「懿敕崇心堂宗脈」の設立を始められ、今や十一年の歳月を経て学びと成長を重ね、崇心宗脈体系のすべての構築を理解し、すべての神仏と学生に対して厳格な審査を行ってきたということです。
また、数多くの時代を経て、いかなる資糧の源もなく、崇心宗脈の体系を観察することができる。それは「無から有が生じ、有から実が存し、実から成就する」という過程を通じて、上蒼の「無から有を生ずる」創造に合致し、さらに崇心宗脈の体系における仙仏が、この世では極めて困難なこの殊勝な使命を担っていることを深く理解することができる。
経路は；虚空、無極、昊天、南天、西方…などを通じて、人間の教育文化の宗脈と相互に結びつき、今まさに弘化の功績を見ることができる。これはすでに早くから凡塵世界に利益をもたらしてきたのである！また、上蒼による度重なる審査を経て、あらゆる障害と制限を乗り越えてきたのである。
このような殊勝なことは、すべての崇心宗脈の神仏と主事者に対して、昊天の度重なる会議の場において、もしも人世間の「懿敕崇心宗脈」が話題に上るとき、まさにすべての諸天仙仏が親指を立てて一番と賞賛し称えることができるものであり、またこのような殊勝な因縁は誠に稀なことなのである。
教化の機能と役割を全うする
これも崇心宗脈体系の多くの仙仏、および主事仙仏の教育と教化の効果によるものであり、今日に至って初めて上蒼の肯定と賞賛を得ることができたのです。これは単に一度や二度のことではありません！それどころか、毎年このように、すべての参賛著作に携わる仙仏たちは、崇心宗脈体系の殊勝さと栄光を感じることでしょう。
これは、上蒼の教育と教化の真実性があり、さらに人道世界において、崇心宗脈体系の学生たちが大道の弘化と普及に相互に協力するという、非常に容易ならざる教育と教化の機能である。上蒼の職志を基礎とすることができる者は、まさに稀であり、また鮮やかなことである。
すなわち、崇心宗脈体系を通じて、上蒼の徳沢と慈悲がすべての衆生を慈しみお護りくださることを、21世紀の現代人が理解し、上蒼の徳沢と慈悲を感じ取ることができるようになるのです。また、天地宇宙のすべての仙仏が、時を選ばず、絶え間なく、この世に徳沢と教化をもたらしていることを知ることもできるのです。
その通りです。まるで天下の父母のように、この世のすべての衆生を慈しみ育てる存在があります。これは教育と教化の機能と効果を果たすものであり、また人道世界を向上させるものでもあります。さらに、昊天金闕玉皇大天尊玄靈高上帝が九五至尊の位に登られた後、天地の大いなる恵みについて改めて深くお考えになられたのです。
上蒼は天地のすべての生きとし生けるものに徳と恵みを施される。
このような措置は本来、混沌とした状況を整理し、地冥星に対して更なる向上を図るためのものである。これはすなわち、昊天玄霊玉帝が過去の第一元会と第二元会において、地冥星に入ったすべての高度な科学技術人材を「借用」し、現在の地冥星に迎え入れることによって実現されるのである。
さらに付け加えるならば、研究、発明、創造を通じて、なぜ今日まで人道世界の科学技術文明が発展してきたのか。次第に多くの恩恵と成果がもたらされているが、もし昊天玄霊玉帝の慈悲と徳沢がなければ、どうして今日の凡塵地冥星の科学技術文明がありえようか。あなた方はよく考えてみるがよい、このような時空環境の中で、なぜこのようになっているのかを。
また、なぜ人類の科学技術文明を向上させる必要があるのか？なぜ民選の国家指導者が必要なのか？なぜ「古代天文学、古代科学技術学、古代人類学、古代道徳学、古代倫理学」を通じて、この世に生きるすべての衆生の道徳と倫理規範の真の向上と確立を目指すのか。
これは未来21世紀から30世紀までの千年間を向上させるためのものであり、未来の他の四億余りの星系に対して模範を示すものです。これが本来ならば再び混沌に戻るはずだったのですが、昊天玄靈玉帝の慈悲深い大いなる徳の恩恵により、このような悪しき運命を阻止し、転換させたのです。
全てを完成させ、徳を高め、すべての衆生を恵みで潤す
このような天機の良縁を実現し、未来の科学技術をより大きく向上させ完成させるためには、必ず理解しなければならない。いかに人為的要因に対処するか？それはまた、人と人との縁の体系を通じて、このような向上と完成を実現するのである。必ずや人道世界の殊勝なる因縁によって成就されなければならない。
すなわち、天が下界に使命を下された後、直属の部署がこれを普及・推進することができてこそ、真に天の下界へのご命令を体現できるのです。天が下界にご命令を下される時には、必ずこれを受け継ぐ直属の部署があるはずです。しかし、昊天玄霊玉帝が最も敬愛されるのは、一体何でしょうか！
これはまさに南天体系の権衡であり、また南天主宰文衡聖帝たる関聖（関平が職務を担う）の管轄に属するものである。ゆえに南天直轄体系の下、二百余りの地区単位――宮、堂、寺、廟があるが、南天体系が最も安心し肯定できるのは、まさに汝ら「懿敕崇心堂宗脈」なのである。
この因縁は観ることができる。この十一年の歳月にわたる審査は、つまり上天の最も厳格な検証と試練を通過したものである。今、上天がすべての旨意を直ちに凡塵世界に下される時、まさに汝らが著作し、受け継いだ任務と使命によって、上天の職責を実行する機能を果たすのである。
成就と向上の主要な因縁の本体
これもまた、あなた方がこの十一年間で学び成長してきた中で、選ばれた者たちがまさにこのような条件によって引き上げられ、高められたことの証であり、それはまことに得難いことなのです。すなわち、南天の体系がすべての世の宗教を審査する中で、特に南洋地域および現在の中華の地に住む炎黄の子孫たちの宗教に対して行われたことなのです。
審査と検証を行うことは、各地域の責任者が、繰り返しの検証を通じて、教育と教化という聖なる使命を果たすことができ、かつ上天の監督と審査の課程に適合する殊勝な因縁条件を備える者であるかどうかを確認することです。これはすべての寺、廟、宮、堂、および世の中のすべての責任者に対して適用されます。
また、仙仏の主事者に対しても、相互に検証と審査が行われます。このような殊勝な因縁が審査の検証に入ることで、すべての人員と学生だけでなく、すべての参賛人員と神仏なども含まれます。さらに、このような天機はすでに一年前に審査を完了しています。
真に授かることのできる、上天の認めるものは、二十余りの寺院や宮堂に過ぎず、また主事者に対する審査において、真に通過できるのは「懿敕崇心堂」のみである！これは仙仏が崇心宗脈の体系を偏愛しているのではなく、まさにこの十一年の歳月の中で、汝らを細やかに観察してきたからである！
大道シリーズ天書は人類衆生に利益をもたらす
崇心宗脈体系のすべての活動は、さらに、上蒼の未来において重責と大任を担う使命者たちの拠り所となるべく、崇心宗脈体系に属するすべての仙仏および学生たちを真に向上させ、完成へと導くものである。すなわち、崇心宗脈体系の「大道系列天書」を著作することを通じて実現されるのである。
現在までに23冊の著作が完成しており、これらはすべて上天の恩徳と慈悲を基調とし、さらに宇宙・虚空・無極・昊天の大いなる恩恵を詳述し、さらに日月・星辰・天地・仙佛・国々・師の恩・教育・教化…など、あらゆる進化発展の恩恵を解き明かし、もって世の中と人々に示すものである。
皆、このような徳の恵みの枠組みから離れることはなく、それこそが未来の人類衆生にとって、真の弘化と成長が可能となるものである。これは、上蒼のすべての教育と教化が、仙仏を通じて人道世界に伝えられてきたものであり、また、汝ら人世において、このような殊勝な機縁を得ることができる者は、稀である！まれである！
成全による向上と向上による成全
また、どうして下界を教化して向上させることができるだろうか？必ず知る必要がある、人間界のあらゆる過程と行いは、上蒼によってはっきりと観察されており、人為的要因によって強弁されるものではない。あなた方がどれほど豊かな功績と偉大な業績を積めるかは、人間界の記憶―微結晶体を通じて可能となるのである。
すべての過程は、まさに「天心鏡」を通じてありのままに知らされるものであることを理解すれば、人道世界の行いはいかなるものかが分かるでしょう。これは人間の強弁で全てを決められるものではありません。往昔、人類衆生は「人定勝天」（人の力は天に勝る）が絶対だと考える傾向がありましたが、それは正しい思想観念ではないことを理解する必要があります。
天地自然の運行過程が、自ずとすべての衆生を育むものだと思ってはならない。もし上蒼が地冥星の科学技術の弘化を主導していなければ、どうしてわずか140年余りの間に、宇宙科学技術を地冥星に移植することができただろうか。上蒼と諸天の仙仏の大いなる恩恵がなければ、それは不可能であった。
人類の衆生の科学技術は天に勝つことはできない
汝ら人間界で言うところの、人為的な努力によって必ずや天に勝てるという考えは、あまりにも浅はかである！肝に銘じるべきは、人道世界の一切の過程は、すべて上蒼によって主導され、整えられるものであるということだ。これこそが、人間界に対する教育と教化において、真に向上を促し、完成に導き、次代へと伝えていく所以なのである。
あなた方も今このように、先人たちの経験を崇心宗脈の学生たちの思考体系に積み上げることができる。そうすれば今あなた方が恩恵を受け、さらにそれをあなた方の子孫へと伝えていくことができる。これこそが上蒼の基本的な徳の恵みと教化の縁であり、まさに真実の道である。未来の衆生にとって大きな福となるのである。
これによって千秋万代にわたる大いなる徳沢をもたらし、高めることができる。あなたがたは、上蒼と仙仏たちのすべての苦労に満ちた心遣いを理解できるだろうか？まさにすべての崇心宗脈の学びと宗生たちに向けて、現在において利益を受け、未来において人類衆生を利益することができるように、良き善き因縁の条件が上昇し、成長・向上・超越していくのである！
大道の徳の恵みはすでに尽き果てた　　
真実の全体を引き上げ完成させることに幸いがある
福祉は未来のすべての生きとし生けるものへ
千年万年、科学技術は歩みを進めん
大道の衆生が再び著作をなす
弘化教育の徳沢厚し
有情世界の大いなる因縁　　天が配慮して見守り給う
この偈は、有情の衆霊子が互いに励まし合い、汝らが真に理解するために、天地の徳沢がどのように進化の過程を辿るのか？また未来の衆生の福祉のために、どのように汝らを教育し教化し伝承していくべきか、それこそが崇心宗脈体系の基本の務めである。さて、皆様にはご相伴いただき、崇心宗脈の時を煩わせ、汝らのご尽力に感謝する。皆様、またお会いしましょう！
虚空鳳翔天尊
虚空鳳翔天尊登　　大道德澤已完成
諸天の仙仏がお越しくださり感謝申し上げます
著作を奉納しご指示を仰ぎ次回また参上いたします
諸聖佛、諸賢生、ならびに無極大道院霊修院士の皆様、こんばんは。本日は大寰宇宙より土徳星君が降臨され、著作をなさいました。また、この「大道系列天書」第二十三冊――「大道德澤」第三十六回の著作を完了され、次回は跋と凡例となり、その次回には堂前に香案を設けることとなります。
叩謝いたします。天が徳の恵みと慈悲を成就させてくださり、「大道德澤」の完書を以てご命令を果たすことができました。これはまことに得難き殊栄であります。毎年二度、千万世にわたる機縁が集結して初めて、このような天与の良縁が生まれるのです。この因縁を通じて、あなたがたが崇心宗脈の体系に参入し、学び成長していくことが明らかになるのであります。
いかにして自らをより大きな向上と超越へと導くことができるのか。あなた方は、多くの仙仏の先生方の深い配慮と奥義を理解することができるだろうか。つまり、自らが獲得し、利益を受けることによってこそ、あなた方の現世における真の成就と向上が実現するのであり、これは紛れもない真実である。
明日は土曜日であり、崇心宗脈体系「無極大道院」の栄誉ある日でもあります。ちょうど第十三期無極大道院霊修院士の審査、証道玉旨の発表があり、明日の禅機による迷いの障壁を破る時間は、定刻通りに行われ、遅れることはできません。礼儀を欠くことのないように。さあ、皆様、ご吉祥あれ。では、またお会いしましょう。
2014年8月30日16時15分◎＃※   ０Ｋ＃
南海古仏
南海の屏障 衆霊を護り
古仏降り来たりて 徳意を迎えん
◆ 跋・讃賀 ◆
跋    一
大道の殊勝なること
上蒼の基本構造は、人道世界のすべての行いを基準とし、有情の衆生を「大道德澤」へと高めることができるものである。人道世界を福徳の深耕によって成就させること、これこそが有情世界になぜ福徳の深耕が必要なのか、という問いに対する答えである。
また、この21世紀においては、すべての倫理道徳行為の拠り所となる基準がすでに埋もれてしまっている！さらに、いかにして福祉のよりどころを向上させるべきかもわからない。常に世の中で達成しがたい制約や障害に直面するが、このような障害をどう取り除くべきか？それによって良きものが成長していくのである。
これは人的要素を組み合わせることで、上蒼の科学技術文明と調和し、人道的世界に埋もれた倫理道徳に対処し、人文と科学技術の発展を支えることができる。このような人文と科学技術は、まさに相互に補完し合う関係にある。
徳と恵みは互いに助け合い、補い合うものである。
このように、大いなる天地において、すべての生ける原霊子たちを成就させるためには、特に現代の時代が科学技術文明の向上に入ったものの、かつてのあの親情の温かさや、人情の機微をわきまえる成長が欠けていることを踏まえ、大いなる天地に対して「人文と科学技術」が互いに補い合い、共に発展していくことが必要です。
また、人倫道徳によって構築されたもの、すなわち人類世界がどのようにして確立されたかというと、三綱・五常・四維・八徳がどのように施行され作用したかによる。さらに、人文道徳の基本的な教育条件と観念は、まさに人的要素によって全世界へと広がっていくのであり、これが徳の恩恵の基本的な枠組みである。
すなわち「科学技術を基礎とし、人文道徳を主軸とする」ことであり、この両者がどちらか一方でも欠ければ、真の施行機能を発揮することは難しい。しかしながら、人道世界においては、道徳のみによって真に向上させることもできず、未来の有情衆生の福祉を真に享受させることも難しいのである。
現代の科学技術を活用し、さらに人為的要因に必要な教育と教化を加えることが正道である。特に、崇心宗脈の「大道シリーズ天書」の内包する真髄を体得し、それによって未来21世紀の成長と向上を切り開くことは、未来の衆生すべての福祉に対して、非常に大きな指針となる効果をもたらすものである。
南海古佛　降跋一於
儒宗聖教　真仏心宗　無極大道院　懿勅崇心堂
丁亥年葭（よしづき）月初九日、戌の刻
謹んでお祝い申し上げます！崇心宗脈－大道シリーズ天書第23冊『大道德澤』が、ついに完成に近づいてまいりました！未来の衆生の福祉に向けては、教育と教化を基盤として向上させ、真に思考体系の成長を変革することが必要であり、これこそが真実の姿であります。また、崇心宗脈にご協力をいただき、今後の弘化と徳澤について共に協議させていただきました。皆様、またお会いしましょう！
南屏道済古仏
南贍部洲に徳澤を著す　　有情ことごとく獲得す
跋   二
大道は衆生を利益するものである
人道世界を対照として見ると、未来の霊子たちには拠り所となる基準があり、この21世紀の科学技術を完成させ、向上させることができます。すなわち今、上天は「将を借りる」形で二百余万人のハイテク人材をこの地冥星に降ろし、研究発明と創造普及を行わせ、有情なる人類衆生に利益をもたらしています。
言えることは、現代の世において、すでに科学技術によって初めて示された兆しがあるということです。これは、上天が地冥星のすべての衆生に対して、大道そのものを応化し高めることを成就させようとしているのです。これは、人道世界において千古以来、真に超越することが非常に難しく、また極めて稀な天機の良縁なのです。
また、なぜこのような因縁が地冥星において施行されることになったのか？それは特別な縁によって育まれたものであり、未来の霊子たちの福祉に対して真のよりどころとなって広められ、さらに科学技術文明と人倫道徳のすべてを以て向上させ構築することができるからこそ、真実の性質を持つのである。
徳澤とは人文倫理である
科学技術が人道世界に現れることに対して、現代の人類衆生は、科学技術文明によって互いに支え合うことが難しく、むしろ科学技術が進歩すればするほど、人心はますます狡猾で悪賢くなっています。そのため、上蒼は宗教や宗派のすべての不足している点に対して、補い修正することを始められました。
このような状況に対しては、必ずや人倫道徳をもって人類の生存に寄り添わなければならない。そうしなければ、科学技術文明と人倫道徳の真の向上を両立させることは難しく、これこそが上天が地冥星のすべての霊子を救済するために必要な修正なのである。
また、各宗教や宗派に対しても、それぞれ再定義し、未来の人倫道徳の依存と構築を整えることができます。これは人為的要因による教育と教化であり、人間としての生存の方向性を追求する際に、必ずや科学技術、人文、倫理、道徳を相互に依拠させなければならず、それこそが真に現実に即したあり方なのです。
そうでなければ、科学技術文明だけが発展し、人文・倫理・道徳の実践が埋もれてしまえば、人類の「心・霊性・身体」はますます狡猾で危険なものになってしまいます。これは天の根本的な構造ではなく、真に修正と改革を加えることが正道であり、正しい道なのです。
南屏道濟古佛　降跋二於
儒教の聖なる教え
真の仏教の心髄
無極大道院
懿敕崇心堂
丁亥年葭（よしづき）月初九日、戌の刻
ああ！老衲また崇心宗脈にて皆さまとご対面いたしました！皆さま、吉祥、安好でございます！崇心宗脈がさらに大きく前進しているのを拝見し、崇心のすべての基礎構造をもって、未来の衆生と宗教の模範とせねばなりません。さて、しばらく崇心宗脈にお邪魔し、未来の引渡成全について共に議しましょう。では、またお会いいたしましょう！
南開大道は普く弘化し　　無量の功果は自心の華なり
跋    三
大道は教化を主として理を説くものである。
すなわち、人為的要因によって、未来の人類の福祉を向上させるとともに、科学技術と人文教育および教化を同等に重視する。科学技術文明の必要性の中で成長し、また科学技術が現代社会にもたらす利便性、普及性、快適な実用機能によって、次第に実際の効果を発揮しつつある。
これは有情の衆生が、しばしば自らの倫理や親情がどうあるべきかを忘れがちであり、また人類の衆生における倫理や綱常がどうあるべきかについてである。国家を主導する者に対しては、その施行するすべての管理と徳政が、未来の衆生が真に獲得できるよう、さらに実際に機能と効果を有するものでなければならず、それこそが真実に即したものであることを明らかにする必要がある。
そうでなければ、単に人為的な統治だけを残して、人倫道徳が施行されなければ、円満と円融を達成することは難しく、どうして自分自身を利益し、さらに衆生を利益することができるでしょうか。しかし、上天が国家の主導者や責任者に期待することは、自らを起点とし、身をもって模範を示し、世の中に規範を示すことです。
徳は知識の根幹なり
教育と教化は、必ずや人々の心と自らの心深くに根ざすことが必要である。大いなる天地のすべての統治条件は、上蒼のすべての依り代から来るものであり、またいずれが徳沢を持つであろうか。徳沢は国を護り、その衆生を守ることができる。国の主事者の本質に対しては、集団による守護の必要性が必ず存在する。
さらに、三綱・五常・四維・八徳をもって行動することができるならば、これは上天が最も必要とされる実行事項であり、なぜそうする必要があるのかを理解しなければなりません。つまり、教育と教化によって完成され、またあなた方の思考と観念の中に、未来の衆生の福祉が無限に長く続くことができるのです。
南無燃燈古佛　降跋三於
儒宗聖教の真仏心宗
無極大道院　懿敕崇心堂
丁亥年葭（よしづき）月初九日、戌の刻
崇心宗脈の宗脈が、このような天機を得て、上蒼に認められた棟梁の宗脈として、「三綱・五常・四維・八徳」の確立と普及を推進できることをお慶び申し上げます。しばらく崇心宗脈に留まり、今後の引渡しと成就について共に協議いたします。皆様、ご苦労様でした。では、またお会いしましょう。
虚空上人－南無虚空上徳人天古仏
虚実の人生は瞬く間に過ぎ去り、空しく輪廻を転ずるは嘆かわしきかな
上台に共に会す諸の有情　　人の言う徳沢は凡例として作す
凡 例
◎ 大道とは、正に自然のままをその構造とし、人界の歳月の中で学習過程を通じて成長するものである。あらゆる衆生は皆このようであり、この限界から脱することはできない。ゆえに道の弘揚は、必ず人的要素によって拡大・推進されなければならず、大徳の恩沢によって成就されるのである。
◎ 大道とは：また、人類世界の教育と教化に対して、必ずや真のよりどころとなる人道世界の行動規範を持ち、互いに補い合って完成させなければならない。いかにして教育と教化を真に実践していくべきか？
単に技能や技術だけを身につけるのではなく、「心性、霊性、身体」の成長をさらに超えることは非常に難しく、ましてや向上を達成することは困難であり、良き縁や条件もなく、真実をもって成就することはできません。
◎ 大道とは：教育と教化は衆生を依り所とし、教育と教化の本質が衆生の業を造る手助けに陥ることを許してはならない。これは、多くの霊子が「自心、霊性、肉体」を向上させることが非常に難しくなるからである。
自分自身に到達することは成長と超越の契機でもありますが、これは現代の人類衆生にとって最も克服が難しい障壁でもあります。このような悩みが繰り返し生じないことを願っております。この障壁は人類にとって非常に大きな打撃となるからです。
◎ 徳沢とは：未来および現在に対して、過去の様々な因縁を連鎖させ、教育の徳沢を有情衆生に施すことができる。現代の教育は、技能や技術の習得を本位とし、心の構築に依拠した福祉を持つことは非常に難しい。もし長善の心構えや観念を持ち難いならば、未来にどうして徳沢を下ろし広めることができようか？
◎ 徳沢とは：これは教育、教化の根本であり、単に技術や技能、科学技術を学ぶだけでなく、さらに福祉や徳性を付け加えることである。もし善良な思考や観念を持つことができれば、未来において思考体系を構築し、深く根付かせることができ、人道世界に対して真実のままに作用し、後世の子孫に福祉をもたらす因縁の基となるのである。
◎ 徳沢とは：人類の生存に必要な条件に対し、快適さ、利便性、普遍的な安定性をもたらす作用であり、有情の霊魂たちが自らの学習と成長の過程において、未来により多くの幸福を得られるようにすることである。
深く思惟体系の中に植え付けられ、自分と衆生に対しては非常に大きな因縁がある。この種の因縁は、上蒼がわざと人間の衆生を成長させ、完成させ、獲得させ、利益を得させるために仕組んだものである。
◎ 大道の徳沢：未来の人類衆生に対して、科学技術文明の向上と同時に、心霊の向上こそが最も重要であることを理解できないならば、また自らの福徳や智慧がどれほど深いと思わないことである。各人が得る利益と収穫は、天地と比べることなど到底できない。互いに助け合い向上することが、真実の本性なのである。
◎ 大道の徳沢：人道世界の行為動作に依拠し、あらゆる国々と衆生がこの21世紀に入る中で。言えることは「天涯も比隣の如し」一瞬にして到達可能であり、相手の国や家庭の中に至り、互いに融け合い応化して成就し、また速やかに到達することができる。
これは科学技術文明の恩恵による縁であり、人類世界になぜこのような殊勝な縁があるのか。まさに上蒼が開かれた一つの、衆生の学びと成長を高めるためのものであり、さらに真実である：快適で、便利で、普遍性がある。
◎ 大道の徳沢：有情に対する宗教の教育と教化においては、かつての「唯我独尊」という誤った思想を打破することが必要です。人道世界が宗教に入る際、最もよく遭遇するのは、自らの信仰が最も大きく、最も優れ、最も高く、最も勝れているという誤った見解です。
知らずして、天下の全ての宗教は皆このようなものであり、どれ一つとして互いに比べたり、計算したりできるものはありません。必ずや互いに尊重し、互いに助け合い、互いに成長し、融合してこそ、大いなる宗教の円満が実現するのです。
◎ 大道の徳沢とは：これは崇心の「大道シリーズ天書」を以て補完し、現代のあらゆる宗教の不足を埋め、さらに宗教間の障壁を打破してこそ、あらゆる宗教の隔たりに対し、「三教同宗、五教同源」を以て、共和・共栄・共存し、互いに大きな達成を得ることができるものである。
◎ 大道德澤とは：崇心宗脈「大道シリーズ天書」の著作であり、これにより上蒼の徳澤、仙仏の徳澤、日月の徳澤、天地の徳澤、衆生の徳澤、教化の徳澤をもって、すべての霊子に理解させ、自らが地冥星に入ったとき、なぜ天地がすでに備わっていたかを悟らしめるものである。
既にこれほど優れた豊かな環境が備わっている。自らが成長し学ぶことができるようになったのは、天地、日月、星辰、上蒼、仙仏、衆生、先人たち…などの慈悲深い導きと、教育・教化によって受け継がれてきた、有情なるすべての衆生を向上・超越へと導く恵みに感謝することが必要である。
◎ 大道德澤とは：これは諸天の仙仏が降臨して著作されたものであり、未来への弘化において著作、講解、配布、印刷支援、宣伝…などによって成し遂げられる。　上蒼は必ず真心を尽くして捧げる者に対し、大道德澤－系列の天書が相互に補完し合い、福・禄・寿・富・貴を授ける。これは真心を捧げる者が得る報いである。
崇心宗脈  正主席虚空上人　降凡例を降す
儒宗聖教　真仏心宗　無極大道院　懿勅崇心堂
丁亥年葭（よしづき）月初九日、戌の刻
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日は、南海古仏、南屏道済古仏、南無燃燈古仏をはじめとする衆聖仙仏と、師が降臨され、大道シリーズ第二十三冊『大道德澤』の跋一、跋二、跋三と凡例をお著わしになりました。
未来の弘化を実りあるものとするには、「大道シリーズ天書」の研究と普及、宣伝に一層力を注ぎ、情ある人類衆生を利益し、すべての良き因縁条件が向上発展するよう努めねばなりません。次回は全巻完成の上奏となり、皆様が早めに準備され、天恩師徳のご加護とご成就に感謝の誠を捧げられますよう心より願っております。
国暦：正月一日、引き続き大道シリーズ第二十四冊を恭しく受け取り、これに加えて聖旨を受けて著作し、未来の衆生が参加することを導き、また崇心宗脈に対しては更なる境地の向上を目指し、良き弘化の普及を推し進めることが、真に実行される必要があります。さて、本日はここまでとし、皆様お疲れ様でした。ではまた。
2014年、0831、1012◎＃※   ０Ｋ＃
南天の主宰　文衡聖帝
懿勅崇心に完旨を頒ち　　南天主宰道示を降す
文衡聖帝の心は喜びに満ちて安らぎ
大道の徳沢は上蒼より賜わる
◆ 旨 ◆
完書繳旨
本日もまた、我が崇心宗脈にとって、大道シリーズの完書が天命に奉じられる佳き日となりました。誠に崇心のため、心から喜びを感じております。上蒼の職責（志）を依り所とし、「大道德澤」を骨組みとして、未来の有情なる衆霊子たちが、上蒼の根本的な働きと慈悲の徳沢が如何なるものかを理解できるようにするとは。まことに崇心宗脈に対し、この上ない慶賀と安堵の念を抱かずにはいられません。
謹んで無極の懿旨を堂に迎えるべく、本宗脈より虚空彩霊仙姑、虚空彩雲仙姑、虚空彩霞仙姑を三十里の外に派遣し、恭しく無極の懿旨を堂に迎えさせた。また、本宗脈より虚空道伝徳天尊、虚空御伝天尊、虚空龍翔天尊を二十里の外に派遣し、恭しく無極の懿旨を堂に迎えさせて宣布せしめる。その他の神仏と学生、及び無極大道院の霊修院士らは、列を整えてご到着を待ち奉る。
無極の御前  董雙成仙姑
無極の懿旨が崇心に降り　　御前で母に仕える徳の情
董雙成仙姑が降臨され　　徳沢に満ちた懿旨を下される
謹んで、無極の懿旨が崇心道場に下され、宣読されることをお祝い申し上げます。崇心宗脈がこの天機良縁を得られたことを心よりお慶び申し上げ、更なる殊勝な使命の完遂に向けて、引き続きご尽力されますようお祈りいたします。神人ともに平伏し、儀礼を欠くことのないようお願い申し上げます。
懿　旨　を　開　き　読　む
謹んで拝受いたします
無極皇母大天尊の懿旨に曰く
母は理天の聖境におられ、凡塵の衆生を引き上げ導く契機に対し、真心を尽くして成就させておられます。人道世界を向上させる働きを通じて、上蒼の徳沢を成就し、この徳沢を弘化成長に応用することは、今こう言えるでしょう：皆この天機良縁を持ちながら、いまだに上乗の超越に至ることは難しいと。
極めて僅かしか導き渡すことができず、多くの霊児たちが無極理天の仙郷へと巡り帰ることができないため、母の心は常に門によりかかり、凡界に降りた諸々の子や娘たちの帰還を待ち望んでおられる。今、台湾の母心は懿勅をもって崇心堂を建てられ、丙子年の立堂より今日まで、母心が待ち望まれるところ、上蒼の殊勝なる天機を人道世界に示現せしめんとされている。
これは崇心堂宗脈によって著されたもので、すでに第二十三冊－『大道德澤』の完書を上奏し、母なる心は大いに喜びと賞賛を覚えておられる。それゆえ、崇心の神仏と諸々の子らは心を一つにし、力を合わせて成し遂げ、上蒼への職責を成就したことは、まことに感心に値するものである。
今や「大道の徳沢」を以て完成に至った！理に応じて崇心の諸仙仏が教導し、多くの子女たちが労苦を尽くしたことを賞し、これを言わば：十分の辛苦、母なる心は大いに悦ぶ！崇心の仙仏・衆神職らには各々三等の功勳を加えて賞し、また諸子女の功勳は天榜・黄榜の中に銘記し、以て天下に成し遂げられたことを明らかに告げ知らしめる。
また、双成が無極の瓊漿二壺を携え、崇心の茶の中に加え、諸神仏と子供たちに直接福と利益を添える。これは崇心堂の未来の経済体系が真実のままに展開されるよう、崇心が相互に補い合い成就するためである。母なる心が褒賞の資糧源を下され、崇心の労苦に対する報いとされた。
無極皇母、懿旨を下される
儒宗の聖教
真仏の心宗
無極大道院
懿勅崇心堂
丁亥年葭（よしづき）月十二日、戌の刻
よろしい、麻仙姑姉妹の宗脈が再び無極皇母より直接この功績へのご褒美を賜り、今後の成長に多くの助けと弘化をもたらすことをお祝い申し上げます。私は急いで理天に戻りご命令を果たし、またの機会にお邪魔いたします。皆様、吉祥であります。ではまた！
虚空上人－南無虚空上徳人天古仏
懿勅崇心正主席　　虚空上人登台期
大道の徳は書の旨を完うし　　再び接し再び励み更に奮い起こる
本日はまた崇心にとって大いなる吉祥の日であり、誠に崇心宗脈のために無比の慶賀を覚えます。期を重ね、冊を重ねて上蒼より肯定と賞賛を賜り、人道世界が依り所を持つことができ、上蒼と諸天仙仏の徳沢を下ろす役目を担うもの、それがまさに崇心宗脈であります。先ほど無極懿旨を恭しくお受けしたばかり、続けて昊天玉詔をお堂にお迎えし頒示いたします。
命じられて崇心宗脈の無極城隍帝君、無極司命真君、無極岳武元帥を二十里外に派遣し、昊天玉詔を恭しくお迎えして堂に来ていただく。また命じられて崇心宗脈の無極國際觀世音菩薩、無極東瀛觀世音菩薩、無極中壇元帥を十里外に派遣し、昊天玉詔を恭しくお迎えして堂に来ていただき頒示を仰ぐ。その他の神仏と学生及び無極大道院霊修院士らは、整列してご到着をお待ち申し上げる。
昊天の欽差大臣　李太白仙翁
昊天の徳は凡塵に澤し　　欽差大臣降り来たりて臻る
李太白仙翁が降臨され　　天の玉の詔を奉じて成し給う
昊天の玉詔を謹んで帯び、崇心堂に降り来たる懿勅を頒示す。神人ともに俯伏す。
玉旨開読
謹んで奉る
昊天玉皇大天尊 玄霊高上帝の玉旨に曰く
朕は九五の尊位にあり、世俗の教育と教化に対して、真に心を込めて導き渡すことに努めている。あらゆる宗教の隔たりに対し、世俗世界のすべての宗教が調和し、共存し、互いに尊重し、共に栄えることが正しい道である。そうすれば、慈悲の徳沢をもって、すべての良からぬ心を包み込むことができるのである。
凡俗の世において相当な補助的成長を果たし、これにより三教同宗・五教同源の理念は次第に良好な基盤を築くに至った。今や、台湾桃園の懿敕崇心堂は、丙子年の創立以来、上蒼（天）の機微なる奥義に対し、優れた「大道シリーズ天書」を編纂し世に頒布して人々を教化している。
これまでに大道シリーズ第二十三冊「大道德澤」の完書を上旨に奉ることができました。これは崇心宗脈が堅固な志をもって上蒼の職志と使命を達成したことに対する称賛であり、崇心の一期一期、一冊一冊が何の遅延も滞りもなく、期日通りに真に完成されたことを心より感服いたします。この志は賞賛に値し、喜ばしく、励みとなり、慶賀すべきことです。
朕の心、大いに悦ぶ！懿勅崇心堂宗脈の神仏に対し、凡塵の衆生を導き教化し向上させることに心を砕き、教え導くこと、言うべく、既に相当大きな効果と功績を上げている。これにより崇心の全神仏が、上蒼の職志を成し遂げるために心を尽くし命を捧げていることが十分に窺える。理をもって崇心の神仏の辛苦の労に報いるべきである。
特に功勲三等を加え、崇心の衆仙仏らに授けるとともに、すべての学生の功勲を天榜・黄榜の中に銘記し、未来の弘化における効果が真の収穫を得られるようにする。これにより、すべての崇心学生の真の功勲が銘記され、汝らが未来において上蒼の大いなる徳沢を実証できるようになるのである。
皆様に授け、完成へと高め導くためには、必ずや「大道シリーズ天書」の著作を続け、上蒼の徳沢を広め、教育文化の成長を促すことが必要です。「大道弘化」を通じて自らと多くの霊子を高め、「自らを徳沢で潤し、多くの蒼生を徳沢で潤す」ことによる超越的な向上は、まさに真実の在り方であります。
昊天玉皇大天尊　玄霊高上帝が玉詔を下賜されました
儒宗聖教
真仏心宗
無極大道院
懿敕崇心堂
丁亥年葭（よしづき）月十二日、戌の刻
ああ！老仙がまた崇心堂宗脈に来られ、昊天玉詔を下されました。まことにつぶさに、巻ごとに、真心を込めて崇心の志を堅く保ち完成させてきました。上蒼が下される一つひとつ、一巻一巻の著作は、いかなる時空においても漏れることなく、遅れることなく行われています。これは崇心宗脈に対する確かな肯定と賞賛であり、まことに上蒼の職志を成し遂げてきたのであります。
諸天仙仏が度々、冊々に全ての肯定と賞賛を賜ったのは、まさに崇心宗脈の衆聖神、仙仏らの教導が優れ、また上下心を一つにして「大道德澤」を弘化し成し遂げたからに他なりません。老仙は速やかに昊天に戻りご復命いたし、改めてまたお邪魔いたします！皆様、またお会いしましょう！
崇心主席  文澤教化文衡聖帝
懿勅崇心再完成　　大徳道沢書を成し繳す
神仏を敬う学びの道を成し遂げたことを恭しく祝い
功績は天の記録に刻まれ成就された
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の霊修院士の皆様、こんばんは。本日、無極より「大道德澤」の完書が下賜され、また昊天の完書も下賜され、これにて全ての奉納が完了いたしました。これは崇心宗脈のすべての神仏と学生にとって、まことに心躍る喜ばしいことであり、上蒼の御意志をまた一つ成し遂げることができました。
また、上下すべてがこの一心を共有し、上蒼の「大道弘化先鋒部隊」としてのこの職責を担い、自らと衆生の未来の向上のために基礎を築き、弘化の礎を築くこと。これは崇心宗脈の体系にとって、大きな成果と収益をもたらすでしょう。明日は土曜日、すべての引渡しは通常通り行います！
来週の日曜日は、今月の全拝懺法会でもあり、衆生を救済する良き機会でもあります。また、無極大道院霊修院の修士たちが、悟りを証し恭しく無極理天へ帰還し、さらに精進を深める儀式も、日曜日の午後に行われます。まさに多くの重要な時が重なり合っておりますので、皆様のご参加と相互の成就を心よりお待ち申し上げております。皆様、お疲れ様でした。ではまた。
2014年、0831、1102◎＃※   ０Ｋ＃
大道シリーズ天書第二十三冊『大道德澤』、全編完成し編集可能となりました