大道シリーズ叢書 第27冊『大道倫理』
日本語版
◆ 前置・序 ◆
書名
2009年5月22日　己丑年四月二十八日（金）
副主席 麻仙姑
大道シリーズ叢書第二十七冊－大道倫理
矢（や）を勤（つと）め矢（や）を勇（いさ）み、怠（おこた）ること勿（な）く忽（ゆるが）せにすること勿（な）く、志（こころざし）を堅（かた）くして完成（かんせい）を全（まっと）うし、母命（ぼめい）の派任（はにん）に任（まか）す。
◆ 跋・讃賀 ◆
大道倫理讚賀言　　七期弘展自然開
大道倫理序讚言　  　人類眾生道德新
誠に感ずるに相応しく慶賀すべし　崇き心にこの天機あり
大道の倫理に依り帰し　弘化は世界に遍く
回教教主　穆罕默德先知降序言於
南無虚空　上徳人天古仏
◆ 前置・序 ◆
書名
2009年05月29日　己丑年五月初六日（金曜日）
麻姑副座が登台し来たり　  　恭しく懿旨を接し示しを頒つ
大道シリーズ二十七冊　　福祥兆臨み財徳開く
謹んで御旨と玉詔をお受けいたします
本日は崇心宗脈が、再び「大道系列天書」二十七冊のご聖旨奉戴の佳き日を迎えました。誠に崇心にとってこの上ない慶賀の時でございます。冊々がことごとく　上天のご肯定を賜り、有情衆生の善き因縁を相互に成就させ、有情有愛の正道世界へと昇華させて参りました。今まさにご聖旨奉戴の佳辰が到来したのであります！
命じる。本宗脈の虚空龍翔天尊、虚空鳳翔天尊、虚空道傳德天尊をして、三十里外にて無極懿旨を恭しくお迎えし堂に来たらしむ。命じる。本宗脈の虚空理德仙姑、虚空濟公活佛、虚空福德明王をして、二十里外にて無極懿旨を恭しくお迎えし堂に来たらしむ。その他の神仏と無極大道院の院修学士らは列を整えてお出迎えの準備をし、礼儀を欠くことなかれ。
無極の御前  許飛瓊仙姑
無極の御前にて懿旨を頒ち　  　
欽んで降凡し崇心を帯ぶ
大道シリーズ二十七冊　綱常倫理の先後を著す
謹んで、無極の懿旨が崇心道場に降り、神人ともに伏して拝し奉る。
懿旨を開き読み奉る
謹んで奉る
無極皇母大天尊  懿旨に曰く
母は理天の勝境に住まい、凡塵の衆生に向けて「綱常倫理」を施し構築することに、大いに期待を寄せておられます！道徳規範を完成させることができることを。今、南贍部洲の中土・台湾を見るに、綱常倫理は非常に完璧ではありますが、これを現代の人道世界に適用するには、おそらく大きく完全な構築は難しいでしょう。
よって、上蒼は人道世界の道徳規範を新たに調整し、全く新しい規範を依り所とされるとともに、「新三綱」を整えて公布された。母心の桃園に位置する懿敕崇心堂は、丙子年の立堂以来、上蒼の職志に対し、天地の真理を著作「大道系列」として天書に記し、これを世に明らかにしてきた。
今般、大道シリーズ第二十六冊『大道綱常』の天書を完成させたことを受け、引き続き人道世界に構築された著作を進めるべきであり、母なる心は喜びをもってその表題を『大道倫理』と命名されました。これは綱常と相互に補完し合い、有情の衆生たちに、現代における綱常と倫理の相互関係を理解させるためであります。
このように大道系列の第二十七冊を主導と依り所とすれば、善良で幸福な家庭生活が円満に実現し、未来の霊子たちが真実の「綱常倫理」を構築できるようになる。これをありのままに実践し、目指す日が来れば、早期に著作を完成させ、天地・人倫・大道に対し全く新しい気象をもたらすことができるであろう。
矢を以て勤め矢を以て勇み、怠ること勿れ忽せにすること勿れ。志を堅くして完成を期し、功勳に犒賞を与えん。
◆ 跋・讃賀 ◆
南無大日如来仏　降讃賀を於て
回教教主　穆罕默德先知降序言於
南無燃燈古仏
◆ 前置・序 ◆
書名
無極皇母大天尊が　無極懿旨を下される
儒宗聖教
真仏心宗
無極大道院
懿勅崇心堂
天運己丑年梅月二十八日戌の刻
謹んで　麻仙姑姉妹の殊勝なる宗脈が、再び　無極皇母様の御肯定を得られ、大道シリーズ第二十七冊『大道倫理』の聖旨奉受を成し遂げられたことをお慶び申し上げます。私は直ちに理天に戻り聖旨を奉じます。またの機会にお邪魔いたします。では、これにて失礼いたします。
主席　虚空文澤教化天尊　文衡聖帝
無極理天より懿旨を頒ち　　大道系列の弘化を保持す
再び昊天の玉旨が降り来たり　崇心道場に福財至る
本日は崇心宗脈の体系において、再び無極懿旨を恭しくお迎えし、堂において頒示を終えました。続けて昊天玉詔を恭しくお迎えし、本宗脈の無極大勢至菩薩、無極文殊菩薩、無極普賢菩薩に命じ、二十里の外において昊天玉詔を恭しくお迎えし、堂において頒示いたしました。
再び命じて本宗脈の無極國際観世音菩薩、無極東瀛観世音菩薩、無極天心淨瓶観世音菩薩を派遣し、十里の外において昊天玉詔を恭しくお迎えさせ、その他の神仏学生と無極大道院・院修學士は、列を整えてお待ちし、礼儀を欠くことのないようにせよ。
昊天の欽差大臣　李太白仙翁
昊天の欽差李太白　再び降りて崇心に至る
心に喜び湧きて真に楽しむ　天の徳沢の愛を栄えに受く
謹んで天の玉詔が崇心に降り、再び示されたことを拝受し、心躍り楽しみ、心も安らぎ、喜び幸せに存じます。神も人も平伏して拝します。
玉旨を開きて読む
謹んで奉る
玉皇大天尊　玄霊高上帝の玉旨に曰く
朕は九五の至尊にあり、世間の「人倫道徳規範」を非常に重視している。特に南贍部洲の中華の地に暮らす炎黄の子孫たちが、道徳規範を重んじることを切に願い、人道世界の「道徳基準」が真に実践され、未来の科学技術文明と相互に高め合うことを期待している。
したがって、中土の炎黄の子孫を二十一世紀を基準点とし、かつ天地全体にわたり施行できることを、切に願うものである！南贍部洲、桃園懿敕崇心堂宗脈によって著作された大道系列天書を観るに、上蒼のため、衆生のため、有情世界のために、模範となる棟梁の宗脈によって施行されていると言えよう。
今、大道系列第二十六冊『大道綱常』の完書を以て御旨に応えしめ、理に応じて大道系列第二十七冊を、崇心に下賜し再び著作せしめ、相互に印證と提昇とを得んとす。朕心甚だ悦びて其の顔を題して曰く、『大道倫理』の天書著作と。
命により四大仏尊を派遣する：南海古仏、南屏道済古仏、南無燃灯古仏、南無上徳人天古仏を主著仙仏とし、崇心の衆仙仏を陪著仙仏とする。勅命が下された日より直ちに著述を開始し、早期に完成させ、人間界により円融な倫理綱常をもたらし、未来の道徳規範を高める弘化を推進する。
◆ 本文 ◆
第一回   　倫理綱要
南無虚空　上徳人天古仏
◆ 跋・讃賀 ◆
華冑寰宇成大道　  　教主降來頌勉成
回教教主　穆罕默德先知降序言於
2009年6月2日　己丑年五月十日（火）
◆ 旨 ◆
完書繳旨
矢のように勤め矢のように勇み、志を堅くして達成を図る。上蒼は職志を鑑み、嘉すべきもの勉むべきものなり。
◆ 前置・序 ◆
書名
昊天玉皇大天尊　玄霊高上帝　玉旨を頒示された
儒宗聖教　真仏心宗　無極大道院　懿敕崇心堂
天運己丑年梅月二十八日戌の刻
ああ！老仙がまた崇心に降臨され、昊天玉詔を授けられるとは、誠にこの上ない喜びでございます。崇心がこの天機良縁を得られ、崇心の努力と神仏及び学生たちの堅固な志と忍耐力によって実行され、自らを成就し広く衆生を救済されることを心より慶んでおります。勅旨の授与が完了いたしましたので、老仙は速やかに昊天に戻り勅旨を復命いたします。またの機会にお邪魔いたしましょう。皆様、またお会いいたしましょう。
大主席　南天主宰　文衡聖帝
南天の主宰降臨し来たりて　崇心の主席の徳意を排す
謹んで御旨の玉詔を奉じ迎えまして、吉祥福運と財徳が開かれますように。
本日、無極より下された懿旨と昊天の玉詔を謹んでお受けし、大道シリーズ第二十七冊『大道倫理』の天書が示されました。すべての聖務を完了し、上蒼の徳沢をもって今後の「天音伝播」において弘揚することができるようになりました。相互に高め合い、人類衆生が真実の恩恵を受けられることが必要です。
人倫世界の「道徳倫理綱常」を構築することを対する、これを正道と謂う。今日、御旨を拝受し、崇心宗脈が度々上蒼より肯定を賜り、再び「大道系列天書」の著作を光栄にも担うこととなり、実に感無量である。全ての神仏及び学生が更なる学びと成長を得て、向上超越されることを切に願う。皆様、ご苦労様でした。ではまた。
2015年3月8日21時23分◎＃※   了解；南無大日如來仏
◆ 本文 ◆
第一回   　倫理綱要
2009年6月5日　己丑年五月十三日（金曜日）
◆ 跋・讃賀 ◆
頌　　勉
南屏道濟古佛　降跋二於
南無虚空  上徳人天古仏
◆ 旨 ◆
完書繳旨
矢のように勤め矢のように勇み、怠ることなく忽せにせず、志を堅くして達成せよ
◆ 前置・序 ◆
書名
南無、衆生は皆実在なり　大日如来仏降臨す
◆ 本文 ◆
第二回　   道德倫理
2009年6月9日　己丑年五月十七日（火曜日）
◆ 跋・讃賀 ◆
耶教教主　耶和華　降頌勉於
大道倫理跋三贊勉
南無燃燈古仏
◆ 本文 ◆
第三回   　倫常三要
2009年6月12日　己丑年五月二十日（金）
◆ 跋・讃賀 ◆
大道倫理讚賀言　  　七期弘展自然開
讃賀
大道は万霊を以て依り所となす
いかなる国や宗教、宗派を区別することなく、すべて同様である。世間の倫理綱常に対しては、相互に人道世界を高め合い、それを拠り所とする。人倫道徳を互いに支え合い、有情衆生が人道世界に入った後、道徳に依拠して成長し、将来人類衆生が利益を得られるようにするのである。
このように、人道世界の行為・動作に対して、過去の道徳観念を引き継ぎつつ現代の時代に合わせて従うこと、これは倫理綱常に対して行われ、現代的な方法を引用しながら真の実践と普及を図り、有情世界に「新綱常と倫理」を実践させることで、円満で良き家庭が実現するのです。
倫理とは衆生に対する規制である
大いなる世界の有情なる衆生は、思想の構築を高めなければならず、人道世界において倫理綱領を実践することにより、新たな三綱・五常・四維・八徳を構築して実践する。これにより、中華の炎黄の子孫は互いに補い合い、人倫道徳の思想に基づく行動において、必ず拠り所となる規範を構築することができる。
上蒼より示された経緯により、有情衆生の倫理綱常を新たに制定し、新たな条綱を人道世界に施行する。未来の有情衆生に対して真に施行された後は、道徳の規制に背くことなく、これは上蒼の慈悲が有情衆生に下され、新たな「新倫理条綱」に従って施行されるものである。
喜ぶべきこと、賀すべきこと
褒めるべきこと、励ますべきこと
大道倫理序讚言　　人類衆生道德新
◆ 本文 ◆
第四回     人生三要
2009年6月16日　己丑年五月二十四日（火曜日）
◆ 跋・讃賀 ◆
南無大日如來佛　降讚賀於
儒教の聖なる教え
真の仏教の心髄
無極大道院
懿旨により崇心堂を賜る
己丑年蒲（あやめづき）月初六日、戌の刻
ああ！またもや、天が重大な使命を下され、崇心宗脈に再び降臨して著作を頒布されることを感じます。これは未来の有情衆生にとって、また新たな道徳倫理の向上となるでしょう。崇心宗脈にご迷惑をおかけしつつ、共に未来七期の弘揚と引渡について協議いたします。
主イエス・キリスト
キリスト教の博愛は世に伝わり　和の道は衆生を皆引き上げる
回教教主　ムハンマド預言者降序言於
◆ 本文 ◆
大道倫理第一回　　倫理綱要人本章
第五回　   天地蓋載
2009年6月19日　己丑年五月廿七日（金）
◆ 跋・讃賀 ◆
頌     勉
大道の倫理の綱要
有情世界の数多き衆生に対して規制条件を定めるとは、すなわち人道世界の行為規範を確立し、この大いなる天下に公布施行することを指します。いかなる国や宗教宗派の区別なく、すべて　上蒼より定められた綱領に基づいて実行されます。同時に、有情なる衆生が、中華の炎黄の子孫であれ西洋諸国の民であれ、区別なく全て成就されるようになるのです。
すべては　上天が示された導きに従い、有情世界のすべての衆生、特に人類の衆生は必ずこれに従い、かつ　上天の基本構造がどのようなものであるかを理解しなければなりません。皆が「新三綱」に従って守り、有情の世間に良き善縁が生まれるようにすべきです。
大道は綱常倫理によって構築される
人道世界は、いかなる時空の因縁も区別せず、また過去・現在・未来の有情衆生をも区別しない。上蒼の条綱に従って行動するときこそ、未来の無数の衆生が人道世界に入った後、必ず守るべき倫理条綱が定められ、人々の世に施行されるのである。
大いなる天地のすべての人類衆生に対して、人倫道徳に従って正しく行うことはこのようであるのか？それは、父母が子女に伝え、子女が子孫に伝えること、皆この同じ綱領を共有しているからであり、また中国と西洋の国々の区別なく同じであるからです！この天地人三者が共に良きものを増長させていくのです。
このような縁起と条件は、上天の大きな情けと大きな愛、広く人々を愛する行為の依り代であり、これこそが正しい道である。この情けは、上天の「新三綱」が崇心宗脈の体系に下され、著作と施行がなされることを感じさせ、喜ばしく賀すべきことである。アーメン。
◆ 本文 ◆
第一回　　倫理綱要
第六回　   日月普照
2009年6月26日　己丑年閏五月四日（金）
◆ 跋・讃賀 ◆
耶教教主　耶和華　降頌勉於
儒宗聖教　真仏心宗
無極大道院　懿勅崇心堂
西暦二〇〇九年五月二十九日二十時
崇心宗脈の体系が初めて「大道綱常と倫理」を再構築し、相互に関連付け、未来の有情衆生に対して新たな道徳規範を提供できたことをお慶び申し上げます。これはまさに未来の人類衆生への福益であります。しばらく崇心にて、この未来の救済と成就を目指す会議に参加させていただきます。アーメン！
預言者ムハンマド
ムハンマドは崇高な心を授かり、  　吉祥なる預言者として天の声を明らかにせり。
◆ 本文 ◆
大道倫理第二回　　道徳倫理を架構と為す
第七回　   皇王水土
2009年6月30日　己丑年閏五月八日（火）
◆ 跋・讃賀 ◆
大道倫理序讚言　  　人類眾生道德新
序　　文
大道倫理の施行
現在、天下のあらゆる宗教流派を区別するのは、人道世界において相互に補完し合い、道徳規範を再構築するためである。すなわち、世の中の倫理綱常を再び整え公布し、21世紀の有情衆生に道徳規範の主体となる縁を提供し、相互に補完し合うことで、人類衆生が利益を得られるようにするのである。
よく理解できるのは、上天が選ばれた『大道シリーズ天書』の棟梁となる宗脈は、懿敕崇心堂によって著作され、主要な因縁を成就させるために示されたものであり、上天と未来の衆生にとって、大いなる福の縁、大いなる福の報い、大いなる福の田、大いなる福の徳、大いなる福の運を施すものである。人間の科学技術はすでに21世紀の文明の中に入っている。
人類の衆生の道徳規範と行動観念は次第に堕落していきました。上天はこれを見て、新たに人倫綱常の道徳規範を制定し、倫理の条綱を施行させました。これが正しい道と言われるものです。人道の世界では、必ず道徳規範に依拠しなければならず、それによって初めて倫理綱常の施行が確立され、管理規制の実効性も生まれるのです。
大道倫理の頒布と作用
現代の科学技術文明は、人間性の本質に対し、DNA遺伝子の改良・変更を通じて向上させ、優れたRNA因子を超越するものである。このような人道的世界の実践は、未来の科学技術によって人類の福祉を創造し、相互に従うべき綱領を持つことができる。人間社会はまさにこのような科学技術文明の進化の作用の中にある。
もし道徳を立て直すことができなければ、未来の有情衆生は皆、科学技術文明のみに重きを置き、人間性の道徳規範は沈み埋もれてしまう恐れがあります。よって、上蒼は新たな法を掌握し、人道世界の道徳規範を再び整え定め、未来の有情衆生が共に守るようにすることが、まさに正道なのです。
また、天界および五教の聖人たちの共同審議を経て、この世の規範として公布されました。このため崇心堂にはこの天機の良縁による著作が定められ、誠に慶賀に値するものであり、人類衆生の道徳実践に寄与し、確固たる拠り所を築き上げ、自らを利し衆生をも利することとなるでしょう。
◆ 本文 ◆
第二回　道徳倫理
第八回　   父母養育
2009年7月3日　己丑年閏五月十一日（金曜日）
◆ 跋・讃賀 ◆
回教教主　穆罕默德先知降序言於
儒宗聖教　真仏心宗　無極大道院　懿勅崇心堂
西暦二〇〇九年五月二十九日二十時
ああ、また機縁が台湾桃園の崇心宗脈に降り、大道倫理の序文を述べるとは、誠におめでたいことです！皆様のご尽力に感謝し、しばらく崇心宗脈をお騒がせし、共に未来の引渡しと成就について協議いたします。
◆ 本文 ◆
古仏降著第三回　　倫常三要本是真
第九回　   師長教育
2009年7月7日　己丑年閏五月十五日（火）
◆ 跋・讃賀 ◆
回教教主　穆罕默德先知降序言於
南無上徳人天仏　　古道の音を伝えて娑婆に至る
崇心宗脈は真に殊勝なり　大道の倫理を以て構築された
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、こんばんは。本日は、南無大日如来仏、南無東方薬師如来仏、南無本師釈迦牟尼仏、南無阿弥陀仏、キリスト教の教主ヤハウェ、イスラム教の教主ムハンマド、儒教の教主大成至聖先師孔聖人をお迎えしております。
道教の教主たる太上道祖・道徳天尊、南屏道済古仏、南海古仏など数多くの聖仏が崇心宗脈に集い、未来の人類衆生の道徳倫理綱常について協議し、相互に補い合う会議を開かれた。崇心宗脈に対し多くの改革と調整がなされようとしており、本宗脈のすべての神仏と学生たちが共に力を合わせて実現することを願っておられる。
いかにして未来の四億の仏子を導き救済するか、皆で共に成し遂げることが正しい道である。自らが学び成長する機会を得ることは、あなた方にとって尽きることのない利益となり、また未来の成就のよりどころとなる。どうだろうか？自ら努力せよ。しばらくの間は大声で騒ぎ立てず、仙仏のご協議の妨げにならぬよう注意すること。
2015年、3月8日、21時25分◎＃※   了解；
◆ 本文 ◆
第三回　倫常三要
第十回   　有情眾生
2009年7月10日　己丑年閏五月十八日（金）
◆ 跋・讃賀 ◆
回教教主　穆罕默德先知降序言於
南無燃燈古仏降臨す　崇心道場に吉祥兆す
◆ 本文 ◆
第一回   　倫理綱要
倫理綱要の必要性
有情なる衆生が人道世界に入ってからというもの、ずっと群居生存において相互に従うべき規範があり、人倫道徳に依拠しています。これは人間の行動規範を規制するものであり、また、人倫道徳の規範・準則があるからこそ、遵守すべき綱領が存在するのです。これもまた、綱常倫理が相互に支え合っている所以なのです。
なぜ有情衆生が人道世界に入ると、人倫道徳規範への依拠が促されるのでしょうか。人道世界では、集団で生存するだけでなく、倫理規範や道徳的依存が必要であり、管理制度の相互性が存在します。この管理制度の相互性こそが、有情衆生が必ず守らなければならない綱紀なのです。
人道世界の行動規範は、すべての衆生の行動を規制することを通じて、遵守すべき必然性を持つ。人道世界は管理規制が相互に従うことによって初めて人倫道徳の基準が成立するのであり、もし人倫道徳の基準から離れるならば、人類が禽獣と異なる点は一体どこにあるだろうか？人類衆生が禽獣と異なる霊長たる所以は、この規範に依拠するのである。
この種の霊長類は人類を高等な種族としているため、思想の創造と進歩があり、また
人類の衆生が集団生活の生存志向を持つと、異なる形態の作用の区別が生じます。人道世界で生存志向を行う際には、同時に人間の行動基準を人間の道徳規範に組み入れるべきであり、このような人間の道徳規範を実施していく必要があります。
人倫道徳の規範
有情なる衆生は、必ず共に遵守すべき規範があります。人道の生存基準とは、人が万物の霊長たることを以てし、また万物の霊長たる「人類衆生」に対しては、その行為動作が他の種よりも高潔であるべきであり、これこそが正しい道なのです。また人間の生存においては、相互に共に遵守する必要があり、それによって初めて規律が施行されるのです。これが倫常であります！
人間が生存するには集団生活を営むことが前提であり、これが人の行動規範に組み込まれている。また人の行動規範は、集団生活における生存の方向性から逸脱することはない。有情の衆生はしばしば人倫道徳の遵守において多くの越境行為を犯すが、このような人類共通の遵守事項から外れた行為に対しては、倫理綱領の実効的な作用を及ぼすことができないのである。
人為的要因に対しては、行為規範を守らないことに対して罰則を設けて制限する必要があります。有情の衆生はしばしば境界を越え、人間が生存するための綱領に従うことができないため、道徳規範が存在し、行為規範を制限する必要があります。まさに共通して守るべき倫理道徳規範が必要であり、それに従って規則を施行すべきです。
古来より、人類が生存の方向を共にする時から、多くの事柄がこのように存在し、一部の規制を守らない有情衆生に対しては、必ず制限を加える必要があるという認識が形成されてきた。このような不良行為者の行動を制限することこそが正道なのである。なぜこのような制限行為が必要なのかといえば、他の人々が共に遵守している時に、これらの越権者には相応の罰が与えられるべきだからである。
倫理綱領は相互に補完し合う
人道世界においても、このような越軌者への懲罰を引き合いに出すことで、戒めの必要性が示される。言えることは、戒めを経た後にこそ、修整と変革が可能になるということだ。人は過ちを犯すことを恐れるべきではない。最も恐るべきは、過ちを犯しながらも悔い改めることを知らず、依然として我が道を行き、「これこそ私が好むところ、何が悪いのか」と思い込むことである。
このように、人道世界の行動規範がすでに人倫道徳の基準から逸脱している場合、もし越えた者に罰が与えられなければ、それは他の有情衆生にとって良くない模範となります。そして、この上蒼が定めた条綱は、必ず人類が共に守り越えてはならず、それが人道世界の管理規制なのです。
あまり多くを制限することはないが、無形の管理規制により、越権者を罰せずに放置することもない。もしこの世で越権行為があまりにも多ければ、来世には禽獣として生まれ変わることになるが、それも当然のことである。来世に禽獣として生まれ変わった時には、人間世界の道徳規範に縛られることはなくなる。
天が定めた綱領を下して人道世界に頒布施行されるものであり、また宗教に対して頒布される道徳規範にも、共に遵守すべき必然性がある。さらに人為的要因によって共に遵守され、いかなる国家、宗教、団体、単位などをも区別することなく、共に人道世界に頒布された道徳規範を施行するものである。
有情の衆生の倫理規制
人類の衆生は道徳規範に従って行動すれば、多くの人道世界に合致する行動規範が生まれ、人道世界には共通して遵守すべき規則が存在します。規則を遵守することは相互に補完し合い、管理上の欠陥も生じません。人道の生存とはこのようなものであり、管理制度の中に組み込まれて実行されるのです。
皆が人間の行動規範に従い、道徳的規範が構築した枠組みに組み込まれることで、既に道徳体系が確立され、人倫道徳の規制として発布されていると言えます。これは管理規則の実施に他ならず、倫理綱領の実施基準に合致するものです。大いなる世界を完成させるにあたっても、善良な道徳規範が存在することでしょう。
また、人の行動規範については、「新三綱、五常、四維、八徳」に沿って人道世界に導入した後、倫理的な規制が働き、共通の倫理道徳規範が遵守されるようになります。人道世界の行動規範はまさにこのようなものであり、すべての生存に対する肯定的な導きとなり、人類の衆生が生存の方向性を見出す中で役立つのです。
綱常倫理と倫理綱常
「倫理綱常と綱常倫理」が互いに補完し合う境地に入る。このようにして、皆が共に道徳規範に従う中で、一部の道徳規制を守らない者に対しては、どのような感情を抱くだろうか。まさに非常に痛恨の思いと惜しむ気持ちである。人類衆生の行為は正面向上の向上であり、人道の生存には正当で整然とした行為規制が存在するのである。
また、人道世界においても、必ず持つべき基本的な行動と常識がある。上蒼が『懿敕崇心堂』に授けた著作は、道徳規範を再調整するものであり、無極皇母大天尊および昊天玉皇大天尊玄霊高上帝によって、すでに以前から定められた規則に基づいて施行されている。
崇心堂を設立した後、改めて道徳の規制を定め、『倫理綱常、綱常倫理』を人道世界に施行いたしました。このような天機の良縁が世間に授けられることは稀であり、まさに情ある人類衆生が家庭の幸福と一家の和楽を実践し、未来の衆生の福祉を利益することを願っております。
倫理と道徳は規範を定め　人間は縁によって互いに支え合う
綱常倫理が補佐として働き
情ある衆生の道徳は広く行き渡る
大道倫理の第一回　南無燃燈古仏会
降り来たりて崇心を以て訂定を作す　未来の衆生の福德これに随う
この偈は、すべての有情衆生が互いに励まし合い、人倫道徳の規範を未来の有情衆生の行動の拠り所とすることで、さらなる向上を図るべきである。単に科学技術文明を引用するだけで、道徳倫理の綱常による構築を疎かにすれば、未来の21世紀における人類衆生の真の向上と大いなる超越は実現できまい。
無極の瑤池に鎮座する宝の仙童
無極瑤池の宝を鎮める仙
童の言葉　童の語り　童の徳の言
大道倫理の第一回　  　大宗師が来たりて聖篇を闡明す
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、今晩は。本日は本宗脈大宗師　南無燃燈古仏が降臨され、大道倫理第一回を著作され、倫理綱要を第一回次として執筆されました。次回はこの倫理の主要部分を引き続き著作され、未来の有情衆生が真に向上できるよう導かれます。
人類の道徳水準がより大きな完成を得られ、「倫理綱常」が相互に補完し合い、また『大道綱常』と共に『大道倫理』を支え合うことで、未来の有情衆生がより円満な成長を遂げられるようになります。皆様が自らの学びと成長を高められるかどうか、それが未来への相互のよりどころとなるのです。
重点的にご紹介：大道シリーズ天書の『大道綱常』と『大道倫理』、この二冊の天書に記されている内容は、まさに上蒼が五教の教主、教尊、聖人、諸天仙仏らと協議を重ね、現代におけるあらゆる人倫道徳の衰退に対処するため、新たに『綱常』と『倫理』を相互に連携させて修正・制定されたものです。すべての人倫道徳の拠り所となる指針を示し、人類衆生の未来の規範として、この天機の良縁を『懿敕崇心堂』の天音伝真著作として授けられました。これは未来の有情衆生が従うべき基準となるものであり、この新たに修正・整えられた条綱は、現代の人類の道徳規範に合致し、上蒼の慈悲深き徳沢と天機が下ろされて成就されたもので、天恩の広大さが十分にうかがえます。
2015年、3月8日、21時26分◎＃※   了承。
大道倫理第四回　　人生三要を正綱と為す
第十一回   　白手起家
2009年7月14日　己丑年閏五月廿二日（火）
第一回   　倫理綱要
南無上徳の人天の仏　崇心道場互いに我を成す
第四回     人生三要
第十二回   　創業維艱
2009年7月17日　己丑年閏五月二十五日（金）
第二回　   道德倫理
道徳及び倫理は衆生にとって必要である
有情なる衆生は、人道世界において生存のための活動を常に行い、人道の生存規範に依拠しています。この規範は道徳を基盤とし、倫理に基づく生存の方向性を促進することで、相互に結びつきを持つようになります。このような人倫道徳への依拠は、有情なる衆生に、いかに行動すべきかを理解させるものです。
生存志向において、道徳的行為規範に融合することは、有情衆生が人為的要因によって促進されることで、道徳的倫理への依拠が可能となる。道徳的倫理の枠組みは人道世界を通じて規制され、共同で遵守すべき必然性を有し、また人為的要因が行為準則を超えないように至らしめる。
必ずや道徳倫理の綱常に対して、相互に補完し合う性質を持つことができる。有情の衆生はしばしば生存の方向性に関するすべての欲求を引き合いに出すが、しかしながら、どのように道徳規範に基づいて基礎を築くべきかを知らず、同時にどのように遵守すべきかもわからない。つまり茫然自失のうちに、越えてはならない一線を越えてしまうのである。
道徳規範は行動によって完成され、人為的な管理を引き起こすことになる。
倫理規則を適用する際の制約は、また人道において適用される綱領でもある。大いなる世界の視点から見れば、人道世界の万物と蒼生には共通の道徳規範が必要であり、この中で他の種に対する行為も、この綱領に従って実行される。
道徳規範及び行動規制
数多くの種族が存在し、人間世界の道徳規範を持たないにもかかわらず、人類社会に示すべき模範を示している。例えば、子羊は母羊に跪いて乳を飲むことで恩を表し、カラスは親鳥に餌を返すことで育ての恩に報い、犬は忠義を尽くして門を守る精神を持つ。これらの動物たちの中にも、このような道徳規範が備わっているのである。
もし人類を万物の霊長と見なすならば、道徳規範を遵守できなければ、万物の霊長たる身でありながら、禽獣と異なるところがあると言えようか：万物の霊長たり得るか？ それはできないのである。万物の霊長たる人類の衆生が道徳規範を全うするためには、必ず確実に実行し、決して越えてはならない。それこそが「人」と呼ばれる所以である。
倫理：これは共同で遵守すべき綱領であり、
道徳：これは共同で遵守すべき規範であり、
規範：まさに倫理道徳の綱領制度を管理するものである。
このような相互に補完し合う人類衆生の制度は、
必ず倫理道徳規範に従って遵守しなければならない！
これこそが人と呼ぶにふさわしいのである！
これはすなわち：人の仁をもって、人としての仁となすということである！
人の仁は、人の仁徳を引き合いに出して、仁徳のある人を成就させるものであり、人はこのような行為や動作を持つべきである。そうして初めて仁と仁の道が存在し、それは必ずやすべての人が知るべきものである。そしてこの慈悲の道徳規範を引用し、有情衆生が共に遵守できるようにし、人に仁を知らしめることも、仁人が知るべきことである。
人類の衆生は群れを成して生活する
そもそも誰もが知っている通り、これこそが正しい人間の道である。ではなぜ仁の道を守らなければならないのか？共通の規範が必要であり、すべての背くことのできない過ちを制限しなければならない。また人はよく誤った行いを引用して事を行い、この世界に同意することもできない。このような同意できない状態で、果たして一人だけで生きる方向を選べるだろうか？非常に難しいことだ！
必要とされるのは、人類世界はまさに相互に群居する社会であり、このような群居社会には相互行為の規範が必要であり、それによって初めて共同で遵守すべき倫理の必然性が生まれることです。もし一人で独居することができれば、すべての欲求も比較的単純になりますが、このような生存過程では、より大きな衣食住の充足、快適さ、利便性、普及性を実現することは困難です。
なぜこのようになるのか？それは、一つの地域で集団生活を営むと、人々はそれぞれ異なる職業を選択し、異なる生業に従事するようになるからです。それぞれの人が様々な職業に就いた後、異なる欲求や必要が生じます。すべての衆生はそれぞれの職業の立場から生計を立てており、この制約から逃れられる者は一人もいません。
また、人々はそれぞれ異なる職業による生計維持の志向を持っているため、求める食物連鎖も様々な食物連鎖が存在し、そこに多種多様な生存活動が加わります。これがまた事象の連鎖によって結びつけられているのです。諸君はもう一度よく考えてみてください、様々な異なる職業が求めるものは、人々が食物連鎖の供給を求める際に、より多くの選択の機会を提供しているのです。
道徳と倫理を結びつける
すべての事象の連鎖が整うと、通貨連鎖による金銭的豊かさが生まれます。こうして食物連鎖においては、人々が温飽を求めることができ、皆で共同して創造することが可能になります。また、人々の欲求の中には異なる志向が生じ、選択可能な生物種も増加し、必ずやより大きな向上作用がもたらされるでしょう。その中で、事象の連鎖は互いに結びついていくのです。
すべての人間の衆生が、もし単に食物連鎖のためだけに存在するのであれば、物事の連鎖においてもより大きな完成をもたらすことができます。これは群居社会の必然性なのです。もしただ一人で独居するのであれば、わざわざ手間をかけて食物連鎖や物事の連鎖への欲求や行動を起こす必要もなく、もしこれがただの食物連鎖であり、さらに物事の連鎖が組み合わさったものに過ぎないのであれば。
一切の人の行為作用は、それぞれの業によって、他人に対しても生を潤す条件を提供し、相互に補い合うものである。有情の衆生はこのような問題において、事物の連鎖の組み合わせを知り、食物連鎖の必然性を引き起こす。また、人間の衆生は食物連鎖による温飽の供給から離れることはできず、これもまた一種の相互補助なのである。
あなたが他人を助ければ、他人もあなたやあなたの家族を助けてくれる、これはまさに集団社会に必要な基本的な綱領と作用である。人間が人道世界に入れば、道徳規範が施行される。皆さん、よく考えてみてほしい、このような道徳規範に基づく集団生活は、それぞれの生活が人道世界に溶け込むことで成り立っているのだと。
生存し群居するすべての需要
その中で引き起こされるのは、それぞれの過去における全ての福と禍が、今世の中に入り込むことである。また、異なる業種が求めるもの、食物連鎖と事象の連鎖の組み合わせは、生存の方向性としての必然性でもあり、得られるものは通用貨幣によって充足される。同様に財富の蓄積も生じ、良質な通貨が十分に備わることになる。
このような群居社会において、国や社会の区別なく、各自が担う役割や行動がどのようなものかを理解する必要がある。ある者は容易に通貨を得る因縁に恵まれ、ある者はなかなか通貨を得る因縁に恵まれない。これはそれぞれが持つ通貨の福縁の多寡によって、この一生で為すべき業の違いが決まるのである。
しかし、業界に固執して生計を立てる者にとって、もし新しさを求め変化する道理を理解できれば、小さな業種でも大きな収穫を得ることができます。ただ、各自が少しも考え方や観念を変えようとしないことを恐れます。もし大きな成果や収入を望むなら、おそらく非常に逆転しにくい制限に直面するだけでしょう。この世では常に新しさを求め、変化し、新たな行動を起こすことがあります。
現代はもはや昔とは異なり、あらゆる天の法則に対して多くの修正と改善がなされてきました。現在の科学技術文明は古い文化に対し、多くの融合が難しい変革をもたらすでしょう。人類の食物連鎖に事務連鎖が組み込まれ、通貨連鎖でつながることで、このような状況が数多く生じることになります。
道徳倫理の規制
人道世界はこのようにして向上と実践へと進んでいくのであり、これは有情衆生に対する一種の行動規範である。相互に規制し合う動きがなければ、人道生存の主要な機能体としての役割を果たすことはできない。もし相互扶助の必要性が失われれば、この時点で人道生存の中に融合することは困難となる。
また、人間社会の生存と融合において、あらゆる業種の活動は相互補完の必要性を持っています。それぞれの業種にはその必要性があり、それは人類の生存を必要とし、様々な新興業種の応用を促進します。もしあらゆる業種が一つの形態に固執して変化しないならば、現代の時代において淘汰される恐れがあります。
これは現代の時代が新しさと変化を求める中で、皆に斬新な思考の機会を与えるものです。人道世界が自らを変え、他者をも成就させることができるかどうかは、人道世界の行動規範がどのようなものであるかにかかっています。人類の衆生は永遠に変わらないものだと思ってはいけません。あなたにとっては、自分の思想や観念を変えることも難しいことなのです。
また、新たな思考と方法を持つことができないのは、ちょうど現在の崇心宗脈もそうであるように、もしより大きな思考体系を持つことができれば、あなた方にとって新たな思考観念を応用することは、より大きな向上と超越をもたらし、仙仏のご心遣いを理解することができるでしょう。現在のすべての不足や欠点、誤りをどのように修正し、変えていくべきかを、必ずや体得しなければなりません。
群れを成して社会を営み、衆生のために
食物連鎖の中で潤いをもたらす
事務の連鎖の中で共に生きる
道徳倫理は皆ここから生まれる
倫理綱常が築き上げたものは
すべての生存を整え修めなければならない
自ら変わる必要がある　　　全く新しい考え方を求める
この偈は、有情衆生と崇心宗脈のすべての学生と共に励まし合うものである。現在の職業が永遠に変わらないかどうかについて、もし財を入れることが難しいならば、相互に補い合って変化させる円融性が必要である。変化させることができるか？それとも一つの形に固執して変えず、既に全力を尽くして努力したと言いながら、自然と大きな財源が入ってくるのは非常に難しくなるのである。
無極瑤池  霊宝仙童
正主席が聖理を説き明かされる　  　無極瑤池の霊宝の意
大道の倫理は規制を作り、群居の生存は道義をなす。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈正主席　南無虚空上徳人天古仏－虚空上人が降臨され、『大道倫理』第二回を著作されました。『道徳倫理』の規制と、現代社会の変革について、大まかな方向性を述べられます。
皆さんが新しい思考体系を持ち、新しい作風を身につけることを願っています。そうしてこそ、未来の教化をより大きく成就させることができます。あなたたちは、その中の奥義と秘訣がどこにあるのか、理解すべきです。自分で掴み取ってください！必ず得るものがあるでしょう。まさに人類衆生のすべての善良な好因縁条件によって、上へ上へと成長していくのです。
重点分享：人類の生存は集団生活であり、食物連鎖の需要が不可欠であると同時に、事物連鎖によって結びつき、最も重要なのは通貨連鎖が完備されていることです。この三つが人類衆生にとっての必須条件であり、この制約から逃れられる者は稀です。これが人類生存の実相であり、あらゆる業種で派生する活動を通じて、世の中のあらゆる生存が繁栄を構成しています。したがって、各業種の異なるタイミングも収入の多寡に影響し、各人の金銭的福報の大小を分けるのです。
2015年3月8日21時27分◎＃※   了承。
南海古仏
大道倫理第五回　　天地蓋載衆生契
第十三回   　守成不易
2009年7月21日　己丑年閏五月廿九日（火）
第二回　   道德倫理
南開大道は広く衆生を救い
海中慈航は天より来たりて成る
第五回　　天地蓋載
第十四回　   辛勤持家
2009年7月24日　己丑年六月三日（金）
第三回   　倫常三要
倫理綱常の果たす役割
有情なる衆生の福祉を向上させるためには、人道世界において必要な要素を備えることが求められます。また、人道世界の三要素を潤いあるものとすることは、あらゆる有情衆生にとって基本的な役割を果たす必要があります。では、この三要素とは何でしょうか。第一に食物連鎖、第二に事象連鎖、第三に通貨連鎖です。さらに、第四として因縁連鎖が挙げられます。
これは有情衆生が現代において逃れられない主要な因縁の根本であり、すべての衆生は以上の三つの要件を備えなければ、人界において安らかに生活することができません。この三つの要件に対しても、すべての有情衆生は代償を払い、異なる通貨を充足させることで、生存の方向性において不足を憂うることなく至ることができるのです。
いかにしてより大きな財産を具足するかについては、まず従事する職業の種類を区別する必要があります。それが現代の時代と結びつくことができるかどうか？そして財産の供給と回収の違いを獲得すること。また、異なる職業によって得られる報酬や利益を区別し、さらにそれぞれの衆生が前世で積み重ねた福徳の報いによって、今生において具足するものが形成されるのです。
人道に生きるための三つの要諦、すなわちすべての衆生が必ず備えるべき基本綱領があります。
このような条綱の働きは、食物連鎖と事象連鎖の中で相互に連なり、通貨連鎖によって組み合わされ、環環相扣（連鎖的）な人道世界を形成しています。つまり「倫常三要」を主体と依り所として、収穫と充足を具えているのです。
人倫の三要の第一の要
食物連鎖――この食物連鎖は有情衆生であり、動くものすべての万物蒼生に必然性がある。なぜ人道世界では人種や他の種を区別せず、動く動物すべてに食物連鎖による供給が必要なのか？人道世界は必ず人為によって作り出され、食物連鎖による供給を具えているのである。
自分自身が衣食に困らず、家族全員もまた衣食に困らないようにすること。しかしながら、人倫の世界において最も重要な働きは、まさにこのようなものであり、このような食物連鎖によって支えられ、最終的にはすべての有情衆生が安らかに生きられる空間を形成する。もし、衣食を満たす食物連鎖がなければ、「飢えと寒さが盗みの心を起こさせる」ことになる。
すなわち、衣食が足りず、盗みの心が生じ、必ずや他の衆生に損害を与える行為を引き起こす。このような問題は、すべて十分な衣食が得られないために生じる。食物の供給が不足し、また衣食に事欠く状態では、人道世界における生存の過程において、不足を満たすことができないのである。
まさに一つの種類があり、人為的要因によって衣食を得ることができると同時に、人道世界には食物連鎖が必要不可欠です。また、食物連鎖の供給は、事象連鎖の循環作用を提供し、通貨連鎖を具現化させます。こうして人道世界では、人間の志向性に基づいて生存に必要なものが生じるのです。
倫常三要の第二要
事務の連鎖－これは人類の衆生が生存するために必須のものであり、第一段階の食物連鎖を経た後、第二段階の事務連鎖へと移行する必要があります。すべての有情衆生はこのように、職場に入って働くことで生存の方向性が生まれ、職場で心血と精力と時間を注ぎます。それぞれの衆生は互いに補い合い、成就し合うのです。
また、職場に入って働くことで、普段の無為な遊びが減るからです。このように職場に入って働くことで、物事の連鎖の中において、通貨の連鎖に必要なものを交換し、あらゆる業種における物事の連鎖の必要性と相互のつながりを形成し、自分自身が人道世界に生まれた後、職場に入って働く必要性が生じるのです。
また、職場での仕事を通じて時間、精神、体力を費やした後、毎日同じ業務を繰り返す中で、あらゆる業種の営みは、有情衆生の多様な必要と欲求を満たすために集約され、その欲求に応じて様々な異なる業種が生み出す職場が融合し、一つの大千世界を形成しています。
人道の生存に必要なものとして、人類が通貨を獲得する根拠があり、すなわち通貨連鎖－金銭の供給と獲得が存在します。あらゆる有情の衆生が職場に入り、異なる業種で通用する物品を生み出し、様々な業界の需要を通じて人道の生存に組み込まれます。これは各人が職場で労働力を提供する拠り所となるものです。
倫常三要の第三要
通貨の連鎖－人が毎月の通貨と交換した後、その通貨で物品を購入することは、つまり人間の生活に必要な縁起の体に対して、異なる業種が生み出す物品を、職場での労働によって得られる報酬、すなわち世間で言うところの「給料」を通じて、自らの生活を潤し、また自らが温飽を得る必然性を満たすことである。
人類は通貨を用いて食物を購入し、食物連鎖を通じて供給され、これによって事象の連鎖が形成される。そして、あなた方も皆同じくこれを必要とし、同時に「倫常三要」の必然性へと入っていく。人道世界においては区別なく、どの国、宗教、団体、組織、あるいは小さな一つの家庭に至るまで、すべてこのようになっている。
有情なる衆生は生存の過程において、一人として生活の綱領たる規範から離れることはできません。得られる通貨の多寡にかかわらず、必ず各自が営む業種によって、どれだけの通貨を獲得し得るかが区別されます。つまり、あなた方が言うところの通貨利潤や給与報酬であり、人間界に生存する限り、異なる業種と時空の因縁が存在するのです。
もし豊かな者がこの世にいるならば、多くの通用貨幣を持ち合わせることになり、言えるだろう：この種の人が蓄積した通貨の縁は、家族を温かく満たすことができるだけでなく、財産も十分に備わり、福報も比較的多く、一般人よりもより快適で便利で普及した享受を得ることができる。これらはすべて前世の福報がもたらした良い結果である。
倫理の三要の基本的な働き
人間は動いてこそ活力に満ちた動物であり、人間の活動力は過去の福禍と善悪の因縁を今生に取り入れることを促します。このような前世の良し悪し、善悪、福禍はすべて、この世における一切の福報と悪禍の差別に影響を及ぼします。有情衆生は、前世の福禍がどれほどあるかを理解することができないのです。
また、この一生において、すべての財貨が満ち足り、享受できるものはどのようなものか理解することもできません。多くの迷いの障壁が生じるでしょう。皆さん、よく観察してください。一人ひとりの現在の人生を、生まれてから老いて死ぬまで、どれだけの財貨が満ち足り、どれだけの福の恵みを享受できるでしょうか？それによって、この一生の福報がどれほどのものか理解できるでしょう。また、この一生の福分がどのようなものであるかも知ることができるのです。
さらにそれは大きな因縁を創造することであり、果たして十分に創造できるかどうかは分かりません。必ずしもそうとは限りません。天の時、地の利、人の和に努力と正しい方向が加わってこそ、より大きな通貨の因縁と豊かさを得ることができるのです。この創造方法は使えるでしょうか？努力を通じて通貨の一部を充足させることも、十分に評価できることです。方法はすでにお伝えしましたが、使えるでしょうか？振り返って考えれば分かるはずです！
倫理の三要は至宝なり　  　人間の食物は温飽をもたらす
衆生の事務に必要なものは
通貨財源が必然的に求められる
人の道に生きるは良き縁にあり
福の縁を創り今世に顕る
来たるべき時が満ち足りているかどうかを知ることができるならば
すでに自分自身に告げ知らせているはずです
この偈を！有情の衆生と共に励まし合い、倫常の三要因縁の本質を解き明かし、皆がより充実した方法で互いを成就させられるように。あなた方が皆『豊かな人』となり、その中の秘訣を理解して応用できることを願っています。
無極瑤池の鳳瓊仙女
無極の瑤池より鳳瓊来たり
仙女登台して賢儕と会す
皆様吉祥にて安寧ならんことを　通貨豊かに財運開けますように
諸聖仏と諸賢生、および無極大道院、院修学士の皆様、今晩は。本日は南海古仏が降臨され、大道倫理第三回を著作されました。倫常の三つの要点を詳しく分析され、皆様のさらなる向上と、本宗脈相互の向上と成全のために、皆が導き学ぶことができます。修養を改め変化させ、十分な功徳を積み重ね、さらには豊かな向上者となることを期待します。これこそが正しい道であります。
重点を分かち合う：倫常とは倫理と綱常であり、人間社会には絶対に必要なもので、これは人倫道徳の基本です。また、倫常以外に、人生の三つの要点は：食物連鎖、事物連鎖、通貨連鎖の三つです。人間である以上、誰もが食事という食物連鎖を持ち、仕事という事物連鎖があり、その後にお金という通貨連鎖があるのです。すでに人間として生まれてきた以上、あなたにもこのような必要があるのではないでしょうか？誰も「いらない」とは言わないと信じています！
2015年3月8日21時28分◎＃※   了解。
南屏道済古仏
大道倫理第六回　　日月普照恩沢生
第十五回　   勤勞節儉
2009年7月31日　己丑年六月十日（金）
第三回   　倫常三要
南屏道済古仏降臨す　崇心道場に吉祥を呈す
第六回　日月普照
第十六回　   珍惜物資
2009年8月4日　己丑年六月十四日（火）
第四回     人生三要
人生の三つの要諦とは何か
人類が生存するには食物の供給が必要であり、また仕事の営みも必要です。さらに通貨が十分に備わっていなければなりません。そうして初めて通貨を使って食物を手に入れ、衣食を満たすことができるのです。この中には必ず仕事の連鎖が組み合わさっており、それによって通貨を用いて生活を潤すことができるのです。言えることは、通貨が十分にあるかどうかは、まさに有情の衆生にとって最も切実に必要とされる基本的条件であるということです。
通貨を十分に用意する必要があり、それによって生存に必要な食料供給と交換することができます。この食料への欲求は、すべての衆生に必要なものであり、さらに不可欠なものです。金持ちであろうと貧乏であろうと、すべて食物連鎖の需要があります。つまり、すべての有情衆生は「ご飯を食べなければならない」のです！
有情なる衆生がこの世界に入ってからは、いかなる国や宗教、団体、組織であれ、小さくは一つの家族に至るまで、それぞれが食事を必要とします。もし人類の衆生が食事をしなくてもよければ、通貨を用いる必要もなく、事務的な組み合わせも必要とせず、すべての人道的な生存はこのようになるでしょう。
生存と温飽には食料の供給が必要であり、初めて潤いある生活を真に享受することができる。
益、どのようにしてこのような受益を、事務連鎖の職場仕事を通じて、給与報酬に換え、有情衆生が善良で十分な生活を送れるようにするか。つまり、各人の事務業種によって、通貨の基本的条件を満たすことである。
財貨は、福のある者が多く用いる
通貨もまた分割されており、毎月あるいは一度に少しずつ入ってきます。蓄積した通貨を使い切った後、次の回あるいは翌月には再び入ってきます。また、一度に通貨が戻ってくることもあります。このようにして、日々懸命に働くことで、当然得られる金銭通貨を手に入れ、家族を養い、一家の温飽を満たす利益を得ることができるのです。
もし福報が良く、かつ行いが称賛に値する時は、この種の通貨も比較的多くなる。この時、より多くの通貨・金銭を充足させようとするのも、一種の成長と蓄積であり、「財富」と呼ばれる。この種の通貨が充足する基本は、言うならば：人道世界に生まれた後の、人間として生きるための必須条件であろうか？
通貨が必要で、それによって生活のあらゆる物品と交換します。もし福徳に恵まれた人であれば、より優れた物品を手に入れることができ、生活もより快適で便利になります。さらに様々なレベルの楽しみもあり、このような生活の質は一般の人とは異なります。まさに古くから言われる「福報ある者は多くを使う」という通りです。
一般の人々の福徳が普通か、あるいは比較的少ない場合、このような状況では、それぞれの人生の過程において、自分は一生誰も害したことがなく、何の悪い行いもしていないのに、なぜ得られる財産はこれほどわずかなのか？また、なぜもっと十分に持つことができないのか？これは、各人の前世の因果が今生に植え付けられたことに関係している。
福報は順番にやってきて、下界に降り注ぐ
前世に蒔いた善悪の福禍の因縁によって、今生に具わるべき福報の量が決まります。ですから、上蒼は一人一人に対して絶対に公正平等であり、今生に具わる福報を「分割して年ごとに」授け、一度にすべてを授けることはありません。
古人が言うように、三年ごとに運気が巡り、良し悪しが順番に訪れる。三年ごとに吉凶が巡り『福と禍の因果応報』が訪れる。これが人生というものだ。天は今生の福徳と蓄積を全て一度に授けず、毎年少しずつ、それぞれの運命と縁に応じて分け与える。これにより「先の収入を前借りする」ような窮地を避けるのである。
したがって、すべての衆生はそれぞれ異なる年額の飲食、金銭、福徳の享受を得ることになります。このような人道世界において言えば、まさにこれこそが上蒼の大いなる徳沢なのです。もし今生のすべての福徳や財貨を一度に下ろしてしまったならば、多くの人はたちまち使い果たし、少しも残すことができず、その後の日々をどう過ごせばよいのでしょうか。
今生にはまだ長い年月が残されている。しかし、人生のあらゆる局面にはどうしようもないことがつきまとう。それでもなお、多くの人々は金銭を巧みに活用し、自らの財産を着実に増やしていく。これは一種の相互補完の関係と言えよう。福徳とは通貨によって具現化されるものであると理解すべきである。このように福に恵まれた者は、比較的通貨にも恵まれやすいものである。
通貨福報相互借用
これは相互に補完し合う循環作用であり、人間に生まれてくる者は前世からもたらされた福徳がどれほどあるかを知り、より一層大切にすべきである。また、前世の福徳が全くない人もおり、生まれる前に必ず天に福徳と通貨を借りなければならない。このように天から借りた福徳は、未来において必ず返済しなければならないものである！
また、各人が今生でどのような行いをしているかを見てみよう。もしその人が一生の行いによって相当な福徳を積むことができれば、より大きな収穫を得られるだけでなく、天から借り受けた福徳と財貨を返済することもできる。このような人は比較的福に恵まれており、福徳と財富を積みやすい人である。
普通の人は福徳すらなく、通貨も不足している上に、生まれた時（台湾のことわざ：土に落ちた時）の運勢も悪く、さらに福徳と通貨をあっという間に使い果たしてしまい、将来の収入を先食いしてどうしたらよいかわからないこともある。このような福徳と通貨に欠ける人は、両親や親族に「一時的な融通や借り入れ」を頼むしかない。
福報と通貨、この中には借用されるものがあり、父母や親族の福報や通貨も比較的多く、親族の不足する通貨生活を負担することができます。福報を持つ者は比較的順調に親族の世話をすることができるのです。まさにこれが、有情衆生がなぜ父母、子女、親族、眷属と共に生活するのかという、この種の天機の奥秘をあなたは知っているでしょうか？
親族の福徳を借りて世話をする
人界の道理はこのようなもので、なぜ父母、子供、親族などが共に生活するのかというと、それは通貨と福報を合わせて使うためです。前世の福報と通貨が比較的不足している人もいるため、このようにして親族の福報と通貨を「借りて」一時的に「やりくり」することができ、すぐに返済する必要もあまりありません。
しばらくの間、生活のプレッシャーを和らげるために先延ばしにすることができ、人道の現在の一部の有情衆生はまさにこのような状態にある。また、通貨と福報については、前世からもたらされたものか、今生で借りたものか、そして前世に負ったすべての因果業障を清算するために訪れるものかを区別する必要があり、このような今生で共に暮らす親族は、喜んでこれらの親族を養うことになる。
ましてや自分が産み育てた子孫であれば、喜んで引き受けるだけでなく、多くの親族、すなわち自分の父母、叔父甥、伯母叔父、兄弟姉妹などがこれに加わる。このような親族の情愛や倫理関係を、どうして断ち切ることができようか。古くから「瘡蓋のできた我が子でも、やはり我が子が一番可愛い」と言われるように、人生とはまさにこのようなものである。
このような実の子孫は、福徳をもたらすものであれ、前世の因果の負債を清算するために訪れるものであれ、有情の衆生は心から進んでこれに尽くし、むしろ細やかに至るまで苦労を惜しまず世話をし、常に少しの不満や不承知も抱かない。まさにこのようにして、人間の衆生の因果の清算は互いを成就し合うのである。
通貨と福報の充足
さもなければ、有情の衆生が前世に負ったすべての因果応報は、いかにして償われるのであろうか。まさに幽玄のうちに、天は汝の前世の行いを、加減乗除して今生の報いとして移植されるのである。人の世に生きる三つの要諦、一つは食物連鎖、二つは事柄の連鎖、三つは通貨の連鎖、これらが具足しているのである。
すべての生存はこの三種の相互因縁から離れることができません。人は人道世界に入った後、通貨を十分に持ち、また仕事に従事してすべてを捧げなければ、給料という報酬を得て家族を養い生活を維持できると教えられます。皆さんはこのように行動していませんか？この渦の中に入ることこそが、まさに人生の実相なのです。
これもまた一種の生存の方向性としての必然性であり、どれほど大きな福徳を持つ者であっても、この一生において人間界に来る時には、何一つ持たず、ただ一人「空っぽの両手」でこの世に来るのである。それなのに、なぜ多くの福徳や災いが生じるのか？このような前世の因縁と果報の区別が、今生の中に組み込まれているのである。
あらゆる事柄の連鎖関係を組み合わせて考えると、今生のすべての福徳がどれほどあるかを知ることができるだろうか？それが通貨や金銭に換算できるものなら、どれほどの財産があるかもわかるはずだ。この世の中はまさにこの「金銭通貨」のために天地をひっくり返す騒ぎを起こし、さらには通貨のためには良心さえも平気で売り渡すことがしばしばである。
人類の生存に必要な三つの基本条件
つまり、俗に言う「良心を犬に食われた」ような人々は、自分が過去の福徳が不足していたことを知るべきであり、当然ながら財貨も不足し、生活の中で困難に直面するのは避けられない。このように、福徳を増やすには「陰徳」によるべきだと知らず、財貨を増やして豊かになることができないのである。
この時、通貨を十分に得るためには、必ずしも従事する職業や職場での仕事を通じて通貨を蓄積する必要がある。しかし、上記の方法以外にも、必ずしも従事する職業から通貨を蓄積するとは限らない。時には、ある因縁が訪れた時、理由もなく多くの通貨が蓄積されることもある。
このような条件について、皆さんはご存知でしょうか？必ずしもそうとは限りません。有情の衆生は、自分にどれほどの福徳があるか理解できず、それによってどれだけの通貨と交換できるかも分からないのです。一人の人間の福徳は累世にわたって積み重ねられてきたものですが、同時に今この瞬間からも積み上げることができます。このことを理解しているでしょうか？必ずしもそうとは限りません！これこそが衆生の迷いの障壁なのです。
今こそまず知識を持ち、次に智慧を養い、そして徳性を備え、その結果として福報が得られるのです。このように福報が満ち足りたとき、財貨もまた自然とあなたの家に訪れるでしょう。今この福報を積み重ねようとするならば、あなた方はそれを実践しているでしょうか。もしまだならば、今日から始めましょう。これらの知識を実践した後にこそ。
人倫の三要もまた人生の三要である
才能があれば智慧が生まれ、この智慧は良き智慧であり、一般的な悪しき智慧ではありません。この良き智慧を活用すれば、徳性も加わります。人は徳性を積み重ねさえすれば、福報を得ることも比較的容易になります。この福報はあなたのそばに付き従い、逃げようとしても逃れられず、捨てようとしても去らず、離れようとしても離れません。
汝が走り回るのについて行くだけで、通貨を家に引き込むことができ、このような福報があって初めて通貨の蓄積を享受できる。これは人生の三つの基本であるが、有情の衆生は皆これを知らず、どうやって徳性を引き出して生存の営みに加えればよいのか？世の中のすべての良き因縁条件は、まさに自分自身が作り出したものである。
もしあまりにも多くの奇毛怪脾の人がいれば、徳性を増やすことは天に登るよりも難しいことになる。また、奇毛怪脾の人は自分では気づかないが、他人にははっきりと見えている。このような人々の問題点を修正できなければ、来世に再来する機会は、他の人よりもずっと多くなる。
人生の三要は普遍的に通用するもの、すなわち食物・事務・通貨を擁することなり。
福報ある人は用いること多く　  　通貨十分に互いに湧き出づ
この世の縁は前世の縁
今生に必ず明らかにせねばならぬ
もし足りなければ改める必要があり　ただちに福徳を積み重ねて補う
この偈よ！有情の衆生と共に励まし合い、人生の三つの要を積み重ねて具足させよ。すでに大道倫理第四回の中で下化され、皆の思想観念を向上させ超越へと導いている。　師匠は今日また来た、皆はどんな加持を望むのか？時限があるゆえ、改めて行おう！
無極瑤池  喜瓊仙女
無極より降り来たりて崇心に至る
瑤池の勝地に人は少なく行く
喜びの瓊宴に諸神人と共に会し
仙女の徳意、衆生に情けを注ぐ
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、こんばんは。
本日は南屏道済古仏が降臨され、『大道倫理』第四回を著作されました。
人生の三つの要諦を、共に日常の話として語り合いましょう。
世の中で必要な通貨を如何に蓄積すべきかについては、
既に皆様の思想観念の中に取り入れられておりますが、
ただ、その応用の仕方が分かっていないだけなのです。
常に奇妙な毛並みや変わった癖を追求していると、財産を十分に蓄積することは難しくなります。これは正しい考え方を改める必要があり、そうして初めて大きな財徳を十分に蓄積することができるのです。どれだけの功徳を積んだか、どれだけの陰徳を積んだかは、一人ひとりの福徳の量を見れば分かります。人生の三つの大切なものには、第四の「因（姻）縁の連鎖」というものがありますが、これは人間の衆生にとって必要なものです。
重要なポイントの共有：人生においては、福徳が不足していると感じることがよくあります。自分の福徳が不足していると、金銭や財産も不足しがちです。時には、親族や友人、同僚、知人から一時的に借りることで、当面の困難を乗り越えることができます。人生の三つの要諦、すなわち人倫の三つの要諦とは、このような時に不足を補うために親族から福徳や金銭を借り、互いに共に生活を支え合うことです。このような親族の絆こそが、人倫の大道の基本です。その奥義がどこにあるのか、考えてみてください。答えはすでにその中にあります。
2015年、3月8日、21時29分◎＃※   了解；
南天文衡聖帝
天書著作第六回　  　皇王水土衆生愛
第十七回　   婆媳之道
2009年8月7日　己丑年六月十七日（金）
第四回     人生三要
南天主宰文衡帝　崇心道場大主席
第七回　皇王水土
第十八回    　婆媳問題
2009年8月7日　己丑年六月十七日（金）
第五回　   天地蓋載
天地は万物を覆い載せる恩恵
有情世界の生存の在り方は、相互に依り頼み合いながら天地の覆い載せる恩恵に応え、また天地が覆い載せる徳沢は、あらゆる万物の生きとし生けるものに立ち所を与える。この天地の中で、生存を営むと同時に相互依存の関係が生じる。このような相互依存の関係は、人類衆生の生存の在り方においても、天地が覆い載せる恩恵に報いる必要がある。
したがって、情愛を持つ人類衆生は、天地が覆い載せる徳沢に対してどのように知るべきか？人類衆生も互いに愛し合い、すべての万物蒼生を護生し、放生し、育生することが、人倫の基本である。人道世界の生存の方向性も、基本的な行動を持つことになり、人類衆生と他の種の衆生を区別することなく、
相互に共存して人道世界で生存することは、上天が公正平等に扱うところであり、すべての万物蒼生が人道世界で均衡して生存し、互いに支え合う行動を取ることができる。このような行動は、人類衆生が天地の一切を理解すべきであり、相互に補い合う必然性を持ち、また良き生存空間をもたらすものである。
人界において生存するには、もし人類の衆生のみが存在するならば、生存の過程において
食物連鎖による供給条件だけでは、人類を含む衆生の需要を満たすことはできない。したがって、あらゆる万物の霊長に対して、人間道の生存における相互均衡を加えることで、それぞれが自らの生存の道を持ち、互いに平等にこの世に生きることができるようになる。
天地が覆い載せる恩恵
このような各種の生存の道は、互いに各生物種の生活圏を侵害することなく、天地の間で相互にバランスを取りながら生きることができる。また、この人間世界には人類の衆生だけではなく、他の多くの生物種の衆生も存在し、人類と共に生きることで、有情の華やかな世界を形成しているのである。
人々が互いに慈しみ合うことを促すべきであり、人類の衆生は「天には生き物を慈しむ徳があり、地には生命を育む徳があり、人間には生き物を放ち守る徳がある」ことを理解すべきです。この三つが合わさってこそ、倫理綱常の必然性が生まれます。人道世界の生存とは、正しい道徳倫理を持ち、それを人間社会に実践することを指すのです。
すべての万物の衆生は生存活動において、互いに依存し合い、有情なる人類の食物連鎖に対して、さらに事象の連鎖の組み合わせにより、通貨の連鎖が必要とされる。これは人類を万物の霊長とし、すべての他の種の衆生を統治する存在たらしめるものである。かくして、人類の衆生は他の種の衆生よりも、より優れた思想観念と行いを有するのである。
人類は他の衆生を慈しみ守るべき必要性、すなわち仁徳と慈悲をもって人類を含む衆生を護り救うことが正しい道である。人間の行いを通じて他の種の衆生を成就させること、それは人類が他の種の衆生を慈しみ育むことに加え、これらの種の衆生が人類の生存の方向性を妨げないことによる。
天は覆い、地は載せ、衆生に大いなる徳沢を施す
同時に人間の生活圏を侵すこともなく、天地の恵みの中で、天地に生きるすべての万物蒼生に対して、相互に補い合い、配慮することができる。他の自然に生きる種々の生き物たちが、人間に飼育される必要がなくなれば、人間の食物連鎖への供給が減り、まさに飼育と捕獲の区別が明確になるのである。
また、多くの他の種の衆生が、この人道世界に相互に共存していることもあります。これには「飼育・世話と自然生長」の区別があります。もし種の衆生について言えば、一方は人間が飼育・世話するもので、つまり人間の食物連鎖の中で生存するために提供されるもの、もう一方は自然に生長し、人間の飼育を受けないものです。
このような種の生き物は、人間の食物連鎖に入るべきではなく、食卓の上の食べ物となるべきではない。人間が飼育するものと自然に生息する他の種の生き物を比較するとき、すべての人間は生き物を保護し、放生すべきであり、むやみに殺生してはならない。これこそが、人間が仁をもって生き物を慈しむ基本的な行動である。
人類を含むあらゆる生き物が、この天地の中で互いに平穏に暮らし、それぞれの生存の道を歩むことができるのは、まさに上天の徳沢が常に「人類による放生・護生、殺生禁止の基本条件」として掲げてきたものである。天地が覆い包み支える対象は、人類であれ他の生き物であれ区別されることはない。
天は覆い、地は載せ、人類はその中に住まう
あらゆる生命はそれぞれの生活条件や異なる生活圏において、互いに安らかに適応し合うことができなければならない。他の種の生き物に対しても、互いに安らかに適応し、平等かつ公正に共に生きる必要がある。もし人類が他の種の生活領域に入り込んだ場合、その瞬間、他の種から侵害や殺害を受けることはないだろうか。
保護措置はあるかどうか？時に、人類が他の生物の生活領域に侵入する際には、必ず知っておく必要がある。人類が他の生物を挑発すれば、人類の行動は侵害を受けることになる。この時、保護措置が必要であり、そうして初めて他の生物による自身の安全への侵害を免れることができる。
しかし、往々にして人間が自ら災いを招くのです！また、人間の衆生が無明のまま他の種族を挑発すれば、他の種族から危害を加えられることになります。人間が他の種族から危害を加えられたとき、もし彼らの生活領域に侵入することを避けられれば、他の種族からの危害も受けずに済むのではないでしょうか？これこそが正しい道ではないでしょうか？
人間が共に生存するということは、すなわち互いに安らかで適切な生活を営むことであり、天地が覆い載せるすべての恵みを理解しなければならない。人類と衆生は天地に対して多くの影響をもたらしており、必ず「地水火風」という四つの要素を通じて、人類衆生と万物の生きとし生けるものに対して、相互に補完し支え合う性質を持つと同時に、互いに傷つけ破壊し合う性質も有しているのである。
天地は万物を覆い載せるという恩恵の働きである
なぜこの二者は、ともに衆生を成就すると同時に衆生を害することもできるのか。人間が生きる空間は、まさに相互に対峙する依存性なのである。このような相互対峙による対立の中で、有情衆生は一方で向上し超越を目指しつつ、他方では同時に沈み堕ちていく。人道世界とは、まさに矛盾に満ちた世界なのである。
このような縁起の条件はどうしようもないことです！しかし、上昇して超越する力を持つ者は確かに大勢います。一方で、堕落して沈んでいく者もまた大勢います。このような矛盾と対立が、すべての人々の生存において同時に存在し、まさにその矛盾と対立の中で、自らを向上させ、超越する原動力が生まれるのです。
もし、この中の問題点を理解できなければ、向上や超越を望んでも、ただ繰り返し輪廻するだけであり、堕落し沈んでいく者にとっては、それが当然の行為に過ぎない。このような人道世界は天地に覆われ、すべての万物の霊魂に対して、それぞれ成就と沈淪をもたらし、ただひたすらに生生世世を繰り返し輪廻させるだけなのである。
天は覆い地は載せる衆生の群れ
生存の中に矛盾が相い交わる
なぜかくも大いなる疑問を抱くのか
まさに沈淪を超越するためである
天地は衆生を覆い載せて住まわせる
情ある蒼生は皆、その宜しきを得る
互いに共存し合い　活動の空間を基盤とする
この偈を！すべての衆生と共に互いに励まし合い、人間としての生き方を求める一方で、天が覆い地が支える徳沢を必ず理解しなければならない。まさにこの五つの恩恵の基準こそが、人類衆生に利益をもたらし、良き因縁と条件を生み出し、向上して高みへと昇るのである。また、すべての向上できる者にとって、これはまさに成就への原動力となるのである。
無極中壇元帥
無極の因縁来たりて心を崇め
中壇に登台し有情と会す
元帥は古風で親しみやすく、皆様のご安泰と吉祥が訪れます。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈の大主席、南天主宰文衡聖帝が降臨され、『大道倫理』第五回を著作されました。天地が覆い載せる恩恵を、人道世界の生存の指針とし、安適で平安なる行いができるよう、天地が互いに引き上げ合うことを知るべきです。
また、相互矛盾とはどのようなものか？真に理解できる者は大いなる智者であり、もし理解できなければ永遠にただの凡夫に過ぎない。さらに、上昇と下降の区別についても分ける必要がある。皆が成就し、学び成長するために来たのか、それともただ講堂で授業を受けるために来たのかを知らないが、真に上昇し超越しようとするなら、自分自身が備えるエネルギー体に対しても、どれほどの区別があるかを理解しなければならない！慎み戒めよ！
重点を分かち合う：人はこの天地の間に住み、すべての生きとし生けるものと共存するこの世の中で生きている。天が覆い地が載せる恩恵について、どれほど理解しているだろうか？一般の人々はこのような観念を持たず、生まれてから今まで、これは当然のことであり、感謝するに値することは何もないと考えているのではないだろうか。どうしてそのような考え方をする必要があるのか！もしこのような考え方であれば、人々の世の中で自分に恩恵を与えてくれたすべてのことへの感謝、天が覆い地が載せる恩恵は古から今に至るまで、必ず天の配慮に感謝することが正しい道であるということを理解するのは非常に難しい。
2015年、3月8日、21時30分◎＃※   了承。
虚空護世  文澤教化天尊
大道倫理第八回　　父母養育の徳澤深し
第十九回　   婆媳爭鬥
2009年8月14日　己丑年六月廿四日（金）
第五回　   天地蓋載
虚空の護世、崇心に来たり
教化の天尊、主席を行く
第八回　父母養育
第二十回   　婆婆角度
2009年8月18日　己丑年六月廿八日（火）
第六回　   日月普照
日月は広く照らし、衆生はその恵みを受ける
天地の覆い載せる恩恵を観じるに、この天地に存在するすべての生きとし生けるものは、皆天が覆い地が載せる恩恵を受け、互いに補い合って存在している。天地の間に立ち、人道として生きる道を歩むことができるのは、必ず前世の善行と福徳の報いがあってこそ、今世に人間界に生を受け生きることができるのである。これこそが天地の覆い載せる恩恵に対する、天地の徳沢への感謝の礼なのである。
人間の好き嫌いによって区別するのではなく、あなたがこの天地に生きることを妨げることもなく、すべての万物の生けるものの生活を公平かつ平等に互いに顧みることであり、有情の衆生がこのような方法で天地に入り生存することこそが正しい道である。一般の宗教ではあまり考えられない作用であり、有情の衆生が天地に入ることで、太陽と月が広く照らすのである。
昼と夜に分けられ、昼と夜によって繰り返し形成される。毎日が昼と夜によって区別されることで、人間界は生存空間の累積を計算することができ、異なる時空における成長の因縁が生まれる。人類の衆生はこの計算方法を用いるが、他の種の衆生にはこのような計算方法は存在しない。
それゆえに人類が万物の霊長である所以は、まさにこの点にあり、生存空間に対して
計算方法によって初めて知ることができる。この時空世界の中でどれだけ長く生きてきたのか？また生命に対して自分がどれだけ長く生きてきたのかを計算する？そしてこの一生の時空因縁の中で、この天地に生きてきた一種の累進計算である。
天は覆い、地は載せ、日月は普く照らす
人類の生命は延ばすことも縮めることもできます。では、どのように寿命を延ばすことができるのでしょうか？これはまさに現在の有情衆生が最も切望していることの一つです。なぜなら、現代の科学技術によって、過去には達成できなかった文明の領域に、現代の科学技術の手法を用いて、有情衆生の寿命を延ばすことができるからです。
このように、今を生きる有情の衆生は言えるでしょう。まさに相当な福徳が潤いをもたらし、また天の徳沢によって人類の衆生が21世紀に入り、天地のあらゆる科学技術文明を引き出すことができたのです。月の光が照らすように応用され、現代の太陽光発電技術として活用されているのです。
また、現代の電力が依存している、必ずや太陽の光輝に照らされる光明を応用する必要を一部減らし、大きな方向性をもって完成させる。この種の科学技術は現在、電力の応用しか知らず、さらに広範な他の科学技術を応用することはまだできない。このように『太陽光発電』の役割に対しては、多くのコストを支払う必要がなくなるだろう。
取り尽くすことも、使い果たすこともできないものがある。それは、人間界において日の光を利用し、「太陽光発電」を生活の方向性に応用することで、さらに大きな向上をもたらすことができる。また、日の光発電の応用についても理解できる。しかし、人道世界では、「月のエネルギー」―陰の闇に満ちた物質を浄化する作用については理解することができない。
日月は普く照らして作為す
これは古代の科学技術文明の進化を引用したもので、現代のあらゆる科学技術・医学の原理を対象として、すべての文明病を解消し治癒させる進化科学技術です。これが「月辰純陰浄化エネルギー体」の働きであり、遠からぬ未来に、人類世界は必ずやこの種のエネルギー体を、様々な時空の中で応用することになるでしょう。
有情なる衆生は理解できない。なぜこのような純陰の月のエネルギー体が、人類の多くの文明病を癒すことができるのか？さらに大きなエネルギー体は他の生存空間に応用されており、人道世界の現在の科学技術は太陽光発電技術を利用できるだけであり、まさにまだ始まったばかりと言える。
太陽光電のエネルギー体と月の純陰のエネルギー体を理解する必要があるが、その中の奥義を悟ることができるだろうか？有情衆生は現代の科学技術によって、太陽系には生存する地球だけではなく、さらに無数の星体が存在することを理解できるに過ぎない。このような殊勝なエネルギー体は、人類には到底理解し得ないものである。
人道世界の生存の方向性は、日々の循環する過程を記録し、地冥星において循環するものであり、これは日月が遍く照らす恩恵を以て、あらゆる万霊蒼生の生存を守り育むことである。人道世界は太陽の光が遍く照らす恩恵によって成り立っており、現代の科学技術では『太陽光発電』のエネルギーとしてのみ理解し得るに過ぎない。
太陽光発電及び月のエネルギー
さらに、未来の「月辰純陰」エネルギー体を応用することで、人類の衆生は地冥星において、数多くの科学技術文明と、あらゆる利益による福徳を享受し、すべての万物の霊的存在に福徳を広く応用することができる。また、このような福徳を絶え間なく継続させ、未来においてさらに多くの福徳の恩恵を高めることができる。
この種の科学技術文明の知識は、人間界においてまだ開発されておらず、またこのような思考観念も未だ存在しない。このように、人類衆生が「月辰純陰エネルギー」を応用することは、まさに太陽光発電の不足を補い、人間社会において真の向上を実現し、「太陽エネルギー光電体」と「月辰純陰エネルギー体」を相互に融合させるものである。
未来の科学技術文明の向上と超越こそが、人類世界における不足や修行における不足を、文明と科学技術で補う最も真実に即した方法である。人類衆生は、上天により多くの資源を振り向けてもらい、下界で人道世界に利益をもたらすことができ、これはまた、現代の思考観念を人道世界に取り入れる一つの形でもある。
日月は普く照らし、光輝くエネルギー
初めて真に如実に応用できるようになるのである。しかし、これもまた、この時期に上天が下ろされた「天地エネルギー体」と「日月エネルギー体」および「宇宙エネルギー体」が相互に連動しているのであり、有情の衆生はこの成長がどのようなものであるかを理解し得るであろうか。最新の「月辰エネルギー体」が現代に下ろされているのである。
また多くの福徳があり、未来の有情衆生に恩恵をもたらすことができる。すべての人類衆生は、「太陽が普く照らす光のエネルギー」が尽きることなく使い切れないエネルギー体であることを知っている。しかし、現在では多くの人々や科学者が、「月のエネルギー」の科学技術文明を理解することができないでいる。
これは、未来のすべての天地エネルギー体に対して、「地水火風」の四つを通じて、未来の科学技術文明の大幅な向上を実現するものである。また、崇心宗脈が未来に科学的概論を成就することを提供し、皆が日辰太陽の「光電エネルギー体」と月辰の「純陰エネルギー体」を理解し、これらが人類の動力の真のエネルギー源となることを明らかにするものである。
日月は普く照らして恩恵を与える
また、すべての科学技術文明に対しても、より大きな進化と向上、そして超越をもたらします。これはまさに、上天がすべての人類の衆生と、未来の第二陣のハイテク人材に対して下されたものであり、この種の科学技術文明の応用を導くことができます。そして、あなた方もこの文明と科学技術の向上を機に、未来において真の超越を成し遂げることができるのです。
それはまさに根本的な原動力に真に回帰する力であり、人類世界には太陽光発電のエネルギー体しか存在しないと思ってはならない。もし月の浄化エネルギー体がなければ、どうして有情衆生が「他地に移化」したり「他化して地を移す」ことができようか。それは空想物語であり、すべての科学技術にとっても向上し難い障害となる。
天機良縁を理解するには、未来の有情衆生の修行過程は大いに短縮され、すべてのハイテク人材の回帰と超越を借りて、良き因縁条件を備えて上昇超越することができ、同時に一歩一歩成就に至るのです。これは自分自身を利益し、衆生をも利益することができ、非常に実際的なものなのです。
日月が普く照らす恩恵は
有情世界の全人類に及ぶ
エネルギー向上は光と電に頼る
太陽と月が互いに推し進める
科学技術文明を知るべき　人類の生存は限りなく良し
上蒼は大いなる因縁を授け給う
回帰超越して如実の妙に至る
この偈は、有情の衆生及び崇心宗脈のすべての神人と学生たちと共に、未来の科学技術文明の真の向上について語るものである。それは単なる一知半解の理解ではなく、多くの障害を乗り越え、誰もが手にすることができるものとなる。良き普及と快適さ、便利さをもたらすであろうことを、皆で心待ちにしていよう。
無極降道天尊
無極の因縁にて凡塵に降り　降道天尊の徳意は真なり
主席は降りて倫理を著し
科学は引用して天乗に返る
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈主席　虚空護世文澤教化天尊　文衡聖帝が降臨され、『大道倫理』第六回を著作されました。日月が遍く照らす恩恵は、まさに斬新な思考をもって著作されたものであり、言うなれば、まず皆様の思想を高め超越させるものと申せましょう。
未来には大道シリーズの天書において、再びこの種の著作が現れるでしょう。皆様はじっくりと考え、忍耐強くお待ちください。このような天機は必ずや人間世界に降りてくるのです。本日、主席が著された未来の科学技術文明に関する著作は、『太陰エネルギー体』を引用し、あらゆる霊魂と衆生に対して、より大きな成就と向上をもたらすことでしょう。
この考え方は、皆にまず斬新な思考を持っていただくためのものであり、ハイテク人材を引き寄せる新たな思考でもあります。この縁は崇心宗脈にとって、まさに真実をもって導きと成就を可能にするものです。この二百万人を超えるハイテク人材の帰還と集結によって、皆も学び成長することができ、福徳も次第に増していくことができるのです。
すべての学生は、禅師が心を込めて講義する内容を真に理解し、心を込めて体得しなければ、真に「心を明らかにして本性を見、悟りを開いて果を証す」ことはできません。なぜなら、この種のエネルギー体も崇心宗脈の基本課程であり、単に本を書くために参加するだけで、真に心を明らかにして本性を見、悟りを開いて果を証そうとするのは、非常に困難だからです。
細やかに仙仏の先生方が下ろされる資糧の源を体得し、それに禅師の解説が加わることで、崇心で学ぶ資糧の源は、皆が未来において必ず向上と超越のために用いることになるでしょう。実にありのままに、皆が尽きることなく利益を受けられるよう与えられています。このような殊勝な因縁は、人間界には本来まったく存在しない条件です。皆さんはこれを大切にするでしょうか？よく考えてみてください。
重点的な共有：現在、人間界で応用されているのは『日辰太陽エネルギー光電体』のみであり、『月辰太陰浄化エネルギー体』の存在を知ることは極めて困難です。このエネルギー体は現在使用されている太陽エネルギーを千万倍も超越しており、未来において一つひとつ人間界に示現されるでしょう。しかし、一般人の概念や現代の科学技術ではその核心と奥義に深く入り込むことができず、そのため月辰エネルギー体が示現するものを開発することができません。今日、崇心の仙仏恩師はこのような天機と奥義を人間界に下ろされました。今後、『大道シリーズ天書』において詳しく分析されることになるでしょう。
2015年3月8日21時30分◎＃※   了解。
無極元君　麻仙姑
大道倫理第九回　　師長の教育、徳澤長し
第廿一回　   媳婦角色
2009年8月21日 己丑年七月二日（金）
第六回　   日月普照
麻姑副座が降臨され　大道の倫理が徳沢を開く
第九回　　師長の教育
第廿二回   　婆媳圓滿
2009年8月28日 己丑年七月九日（金）
第七回　   皇王水土
皇王の水土はすなわち国家なり
有情なる衆生は、人道世界においては、国家の保護が必要であり、それによって居住地域での生存と安楽が得られます。国土の保護による成就は、それぞれの国家の守護から来るものであり、有情なる衆生はどの国に暮らしていても、互いに成就し合う必要があります。食物連鎖と事象の連鎖の組み合わせにおいても、これは必要とされることなのです。
通貨の連鎖による相互依存が必要であり、人間の生存はこのように相互循環し、生存の方向性においても連鎖的に結びついています。国家の保護がなければならず、そうして初めて国家間の相互管轄が安定的に行われます。つまり、税収によって国土が整えられ、建設が不可欠であり、まさにこれが有情衆生の生存のよりどころなのです。
そしてすべての衆生が、この国で安らかに暮らせるようにするのです。古くは「皇王水土」と言われましたが、皇王とは君主時代の呼称であり、今はもうこの名称は使われていません。昔の君主時代には、すべての生きとし生けるものの生存は、「虎のそばに仕えるが如し」と言えるもので、いつ理由もなく殺害されるか分からないものでした。
根本的に理解していない、つまりは戦々兢々として、薄氷を踏むが如く、これが現代の時代である。
もはや理由なく殺害されるような残虐な行為はなく、まさに『君主の時代』から『民主の時代』への変遷によって、有情の衆生は生存の方向を定める際、それぞれが自らの生存の道を持ち、人類は皆このようにして安らかな生活を営んでいるのです。
皇王の水土によって形成されし
いかなる不安定な時代や不景気の時期であろうと、生活の方向性においては食物連鎖による供給が必要であり、すべての衆生の生存のための生業を形成する。あらゆる業種が提供する多くの生活上の利便性の中では、通貨・金銭によって食物の供給を購入しなければならない。このように食物が供給された後には、仕事としての事務が必要となる。
以上の三つは、生存の道の必然性において相互につながっており、すべての衆生も同じです。誰もが食物による温飽を必要とし、この食物による温飽は国家の保護があってこそ、多くの損失を招かないのです。しかし、国という視点から見ると、有情衆生の生活過程はどうなのでしょうか。
これは自らの能力と食物連鎖、および業務連鎖が相互に結びつき、食物と業務を通貨・金銭と交換することを促すものである。また、有情衆生は互いに密接につながっており、すべての有情衆生がこのようである。そのため、すべての人類衆生は食物連鎖の必要性を持ち、それによって様々な業種の業務連鎖が組み合わさって形成されるのである。
通貨チェーンの金銭を応用して組み合わせたものを回収し、食物チェーンと事務チェーンという二つの生存依存対象と交換する。人道世界の生存とはこのようなものであり、大国であれ中堅国であれ小国であれ区別なく、相互に保護する行動があり、すべての国の衆生に対しては、互いに共に生活しながら制度に依拠して帰属するのである。
皇王水土の保護
なぜなら、人間の倫理綱常は相互に従うべきものであり、倫理綱常があって初めて制度や儀軌が定まり、国民は安らかで平穏な生活空間を得ることができるからです。このような条件こそが国家保護の重要性であり、有情衆生が倫理綱常を実践することで、あらゆる問題の過程において相互に補い合い成就していくのです。
さらに生活の方向性については、互いに成長し合えるべきであり、一人ひとりが互いに密接につながり合っています。どの家庭であれ区別はなく、一体なぜこのようになっているのでしょうか。このいわゆる生存の連鎖こそが、有情の衆生が一人ひとりに時間と労力を捧げ、苦労して通貨としての給与を得ている所以なのです。
食料や生活用品を十分に得ることができるようになる。これはまた、仕事や業種において費やされる時間、空間、精神、体力が、通貨の充足と交換されることによってもたらされる。人間界はこのようなものであり、特に、より発展し、より文明化された国々ではなおさらである。現代は古代の時代とはすでに異なっていると言えるだろう。
このような生存への依存は、鎖のように連鎖しており、さらにどの家庭を見ても同じことが言える。国家による保護があるからこそ、各家庭は安定して快適な生活空間を得ることができる。同時に、現代社会では快適さと利便性が広く普及しており、人々の生存の方向性により大きな普遍性をもたらす供給がなされている。
皇王の水土が成し遂げたもの
また、非常に大きな利便性と、快適で温かい生活がもたらされます。すべての人類が生存する世界に入ると、異なる国家の保護を受けることになります。それぞれの国家は大きな集団であり、また群居社会でもあります。それぞれの国家の文化教育の程度は異なり、文化、民族、言語も多様です。
国によって生活様式が異なれば、異なる文化、異なる民族、異なる言語が天地の間に相互につながり合うことになります。このような相互につながり合う生活様式は、すべての国の生活様式において、異なる人種、異なる文化、異なる言語、異なる生活、異なる習慣、異なる信仰など、さまざまな違いとして現れています。
それぞれの国の生存様式は異なりますが、食物連鎖の供給という点では大同小異です。そのため、生活様式は異なっていても、食物連鎖における選択は同じになります。この中には多くの違いがありますが、すべての食物連鎖における生活の方向性は同じなのです。
炎黄の子孫はアジア人と呼ばれる。
ただ、異なる民族、異なる言語、異なる文化、異なる生活様式があり、さらにそれぞれの国には異なる制度が施行され、異なる領土によって守られている。このような異なる生存様式の中で、すべてが平和に共存して一つの天地に生きることができる。それぞれの国には異なる保護条件があるのだ。
炎黄の子孫に対しては、華夏生活圏においてはアジア人と呼ばれ、アジア全域に散らばる様々な国の生活様式にも、互いに補い合う道がある。それぞれの国々の生活様式は、「文化、言語、人種、食生活、信仰、習慣、生活」などにおいて。
人種や国家を区別するためではなく、必ず食物連鎖と事務連鎖があり、それに通貨連鎖が加わり、一つの大きな世界として共に生きています。有情衆生は現代において、すでに昔とは異なっています。昔は隣村や他の省都へ行くにも、多くの時間を費やさなければなりませんでした。
国があってこそ安寧がある
しかし現代では、隣村や省都に行くのは瞬時にして可能であり、異なる国へ行くには海を渡らなければならず、以前は十日や半月かかってようやく到着できたものが、今では朝出発すれば昼前には他の国に到着できるようになりました。これは航空機の力によって実現されたものです。
天涯は隣の如しと親しむことができ、これはすべての異なる国々が現代の科学技術文明を引用して発展させることであり、またこのような時空の因縁の中で生存することができる：快適さ、利便性、普及性の向上であり、福分に対しては言える：天の賜物であり、また現代の科学技術文明の造化に拠ってこそ受益を得ることができる！
家を出てからは、もはや歩く必要もなく、車に頼って移動することができます。冷暖房完備で、心を動かす音楽や映像も楽しめ、速やかに目的地に到着できます。さらに、風雨や日差しにさらされることもありません。このような恵みは素晴らしいものです！これにより、多くの人々が恩恵を受け、より高い生活の質を享受することができるのです。
皇王水土は国境を分つも　人類の生存は相互に依る
有情の衆生は生活を営むに
通貨・食物・事務・契約を要す
天地の間に生を営み　有情の万物互いに睦まじくす
天は護り地は佑け、よく融合し
衆生を保護し道徳を聞かしむ
この偈は、すべての有情衆生と崇心宗脈の、すべての学び手・宗生が互いに励まし合うものである。人道の生存過程において、まさに天地と相互に融合できるからこそ、人々の世には善良さが増長し、順調に生きる幸福な生活過程が現れるのである。これは期待でき、実現できることである。
無極喜楽天尊
無極より崇心堂に降り来たりて、喜び楽しみ吉祥が皆に満ち溢れる
天尊は諸神人と共に会し、渡化を弘揚して得意の意を揚げる。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、今晩は。本日は本宗脈副主席の麻仙姑が帰還され、『大道倫理』第七回を著作されました。皇王水土の因縁を天書内に記し、全ての衆生が互いに助け合い、異なる国々で暮らせるよう願っております。
各人の因縁とは、文化教育、生活言語、飲食信仰の違いでありながら、地球村として共存できることである。このような融合の因縁は、生存様式、地域、文化、教育が異なっていても、必要な食物連鎖、事物連鎖、通貨連鎖は同じであり、発展途上国であればあるほど、このような傾向が強くなる。
重点ポイントの共有：皇王の水土、すなわち国土と家庭は国家を意味します。それぞれの人が異なる因縁により、異なる国家に生まれ、それぞれの国家に守護の網が形成されます。それはすべての国民を隣国の侵略や侮辱から守ることができ、これが国家の重要性です。すべての国民は、国家の安全と必要な費用を共同で維持しなければならず、つまり税金を納めることで初めてこの国を守る力が生まれます。国民もまた国家の守護の恩恵に感謝すべきです。なぜなら、皆が同じ一つの国家に生きる同胞だからです。
2015年3月8日21時31分◎＃※   了解。
無極二関聖帝
大道倫理第十回　　　有情衆生の徳意情
第廿三回　   賢能媳婦
2009年9月1日　己丑年七月十三日（火）
第七回　   皇王水土
無極より旨を頒ち崇心に降り　二関聖帝登台に臨まん
第十回　　有情衆生
第廿四回　   有德媳婦
2009年9月4日　己丑年七月十六日（金曜日）
第八回　   父母養育
父母の養育は千辛万苦
天、地、君、親、師、友という綱常倫理は、人間世界で人として生きる上で、必ず綱常倫理の規制が必要であり、同時に一種の管理規章制度、典則規範でもあります。人道生活における必然性として、人の行動は天地の管理規制と連動し、人の行為と規範を束縛するものなのです。
したがって、すべての衆生はそれぞれ、行うべきことと行ってはならないことを区別し、このような人間としての生活は互いに支え合い、管理制度の相互関係に用いられてこそ、倫理の規範としての機能と作用を持つことができるのです。すべての衆生は、父母の養育を経て初めて温飽を得て行動することができます。これこそが、父母が子を育てる過程そのものなのです。
これまでに積み重ねてきた苦労は、筆舌に尽くしがたいものがあります。このような人としての世界での生活は、実の子供たちと共に暮らすことに似ています。なぜ親は子や孫を育てるのかといえば、そこには実の血縁関係があるからです。縁あってそれぞれが父母の家に入り、親族として結ばれるのです。
なぜ、親は他人の子供を養わないのか？どんなに苦しく困難であっても
たとえ生活が困難であっても、自らの子や孫には誠実に尽くすことができる。これはまさに血縁という繋がりがあるからこそである。他人の子であれば、このような「大いなる慈愛の心」で育て上げることは難しい。この血縁という関係は、実に微妙なものなのである。
父母の養育の恩
また前世の様々な善悪の因縁が重なり合い、生活の方向性や日常生活において互いに補い合い、支え合う関係が生まれます。つまり、血縁関係が存在するのです。したがって、人道世界はこの血縁によるつながり――父母、子供、兄弟、姉妹、そして全ての親族関係を維持するものなのです。
同時に、人類の衆生は最も愛と苦労を惜しまず、全身全霊で自分の親族や家族を世話することができる存在でもあります。人道世界の営みは、血縁というこの絆を通じて、すべての親族と共に生活することで、人類の綱常倫理の必然性が実現されます。これはまさに、上天の大いなる巧妙な御配慮なのです。
その中には前世からのすべてのものがある：善悪、良し悪し、福徳の区別があり、すべての因縁果報が消え去ったり逃げたりすることを許さない。皆さんはこれをどう思われるだろうか？これこそが倫理と親情の基本であり、すべての血縁関係も区別しない：男女、良し悪し、美醜、優劣、善し悪しなど、すべてが自分自身の血を分けた子孫なのである。
この血縁の絆こそが、過去のすべての恩讐を一つに結びつけるもの。もし立派な子孫や親族に恵まれれば、先祖に栄光をもたらす徳沢となり、家門を輝かせることもできる。これは先祖に対する立派な答えであり、このような良き子孫を得るためには、まず徳を積むことが必要である。
父母の養育の恩恵
もしこの世に徳性を積むことが難しく、良い子孫を望むならば、おそらく自らの願いや求め通りにはならず、良い子孫の縁に恵まれて家系を継ぐことも極めて難しいでしょう。良き徳性を備えていないのに、良い子孫を望むことは、恐らくは累世の怨親債主を招き寄せ、それらが生まれつきの家に現れやすくなるのです。
つまり、前世あるいは累世の様々な冤債を、自分自身の直系の子孫によって返済させる方が、比較的容易に償えるのです。このような状況では、安らかで平穏な一生を送りたいと願っても、おそらく思い通りにはならず、生きていくのも難しくなります。そうなると、多くの不満や不安が生じ、悩みや苦しみが次から次へと付きまとうことになるのです。
ただ祖父祖母、父母と呼ばれるだけで、直系の親族が一生かけて苦労して築いた財産に対し、前世で負った怨みの借りを進んで返そうとすれば、このような財産問題が生じるのです。実は！将来は必ず子供たちが継承するものなのですが、ただ今のところ、あなたが一時的にこの財産を握っているだけなのです。
このような現象を見ると：結局のところ、後々には全ての財産を心から喜んで子孫に継承させ、所有と享受を許すことになる。これはまさに前世からのすべての因縁の借りが今に至り、心から喜んで牛や馬のように働き、また彼らのために全てを捧げて互いに円満にし、すべての因果の報いを返済するのである。このような心からの犠牲と奉献が形成されるのだ。
父母が子を養い育てる苦労は並大抵ではない
慈愛の光は子孫が安らかな生活を送れるよう見守り、その中で親から受けた養育の恩恵に対して、恩返しに来たのか借りを返しに来たのかを区別せず、心から喜んで世話をします。これこそが天下の親心の慈愛の光です。子供たちは皆、親にとって「心の肉、掌中の珠」であり、借りを返しに来たのか恩返しに来たのかを区別することはありません。
一視同仁に大小の差別なく、すべてを成し遂げて世話をすること。父母のすべての苦労と労苦は、まさに天よりも高く、海よりも深く、地よりも広い。さまざまな恩恵と慈しみは、まさに天が二人の生き菩薩を降ろし、あなたの一生を世話し、少しも不平や不満を言わないことである。すべての父母は、子や子孫に対してそうである。
すべてを公平平等に扱い、すべての実子や子孫に安らかで温かな生活を与えることを、心から喜んで行い、不満を抱くこともありません。ただひたすら子供たちの将来を考え、すべては子孫の満足感のためであり、最高の物質的享受を与えるのです。
そして、それを自分の実の子であると言い、祖先に対しても申し開きができる。なぜなら、人が人を伝えることは不変の法則であり、祖先から父母へ、父母から子へ、子からまた後の代へ、後の代からさらに子孫へと伝わるのは、互いに支え合い継承していく必然性によるものだからだ。このような美しく優れた伝統を、いかにして永続的に綿々と受け継いでいくかが問われている。
天下の父母の心の苦労
自らの行いを顧みて評価し、未来の吉凶・善悪・禍福を分別する。過去の累世の良し悪しは問わず、今に至っては甘んじて受け入れ、すべての良き物質を子孫たちが安らかに温かく、生存と享受に必要なものとして残す。これは父母が子らを養い育てることであり、前世の善悪を分別しないのである。
これを見れば、天のご配慮が実に巧妙であることがわかります。前世のすべての恩愛や怨み、因縁果報を見逃すことは決してなく、すべての実子や子孫に対して公平に扱われています。あなた方は、父母の養育の恩恵に対して、その中のさまざまな過程がどのようなものであったかを理解することができるでしょうか？もしその中のすべての苦労を理解することが難しいならば。
未来、あなた自身が子を育てる時になって初めて、この苦労と血の滲むような努力の重みを実感できるでしょう。あなたがたを苦労して育て上げたこの恩恵、すなわち両親の養育の恩は実に広大無辺で、天よりも高く、地よりも厚く、海よりも深い徳沢なのです。おわかりでしょうか。なぜ上天は前世の恩讐因果を家庭の中に組み込まれたのか。
父母と子供の親子の情
すべての恩讐因果因縁は、あなたの家に後代の子孫として加わるのか？すべての因果恩讐を区別しないのであれば、このように円満に成就させたいと望むことは、非常に難しい！また前世の怨みの借りを融解し消すことも、正しい道の方法を得るのは難しく、このように　上蒼がすべての恩恩讐讐、および因果前世の因縁に対して手配されるのである。
あなたの家に入り子孫となる者は、恩返しに来たのか借りを返してもらいに来たのか区別なく、皆あなたと血縁関係にあるのです。この血縁関係があれば、恩を返すにせよ借りを返すにせよ、どうなるでしょうか。つまり直接迅速に、より心から進んで、因果応報の「借りを返すか恩を返すか」という償いに合致しやすくなるのです。このような天地の法則が人道世界に組み込まれているのです。
まさにこの一世において借りを完済し、かつ過去のすべての報恩の行いにも合致する。これは上天の公正平等なる慈しみであり、大宇宙のあらゆる霊魂と衆生に対して、父母と子、兄弟姉妹、子孫と眷属という相互に完璧な家族関係をこの一生に植え付けられる。これは互いを成全し合い、また互いに支え合う関係なのである。
良きも悪しきも縁となりて汝が家に入り　  　末代まで瑕なきものとなる
皆が借りを認めないことを恐れず、公平に恩返しの借りを討ち取る。
人生一世人として生まれるのは、皆前世の因縁によるものなのです。
すべての善悪の根は
福も禍も自らが成す
この偈を、有情の衆生と共に励まし合いましょう。父母が子を育てるのは大変な労苦です。このような父母と子、親族家族が共に生活する情愛は、互いに恩を成し遂げて報い、互いに債権を追及し返済するものであり、汝が心から甘んじて受け入れ、喜んで返済するようになるのです。
まさに家に入って「恩返しと借り取り」をするのは比較的早く、また心から進んでの犠牲と奉仕に合致するものであり、その中の奥義をじっくりと味わえば、心から進んで円満な成就をすることができる。大いなる天地の情ある人類の衆生も、このような行いによってこそ、親族の「恩返しと借り取り」という因果関係に合致するのである。
無極道真天尊
無極より崇心堂に降り来たり
道真弘めて大道は揚がる
天尊は諸神人と共に会し、父母の養育の徳沢は長し。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、今晩は。本日は本宗脈　無極二関聖帝が降臨され、『大道倫理』第八回を著作されました。父母の養育の徳沢と恩恵は既に大道天書の中で詳しく解き明かされ、生活における方向性の理解を妨げる障害についても記述されました。これもまた更なる大きな成就であります。
前世の良し悪しや善悪、因果を分別せず、親として一切計算しなければ、心に不満や不本意は生じず、ひたすら子の立身出世を願うものです。親の心血は非常に大きなものであり、皆さんは親の養育の恩恵を理解できているでしょうか？各自が実感すべきことです。崇心宗脈は、縁あって戻ってきたすべての善縁に対し、確実な導きと成全を強めなければなりません。
皆様の犠牲と奉献を拠り所として、著書に参加できる者は幸いである。
それぞれの部分は非常に大きく、努力しなければ向上することはできません。このような条件は非常に稀であり、崇心宗脈だけがこのような良縁の因縁を持っています。皆さんが大切にすれば、上昇し超越して回帰する契機を得ることができるでしょう。
要点を共有します：親が子を育てる際には、善悪や美醜を区別せず、たとえ病気の子であっても自分が産んだ子が一番良いという思いがあります。このような親子の情こそが人倫の基本精神を支え、各家庭は代々受け継がれ、祖先から父へ、父から子へ、子から孫へと宗族の徳と血筋が伝えられてきました。この世に親孝行という恩返しが存在するのは、この綱常倫理の規範によるものです。恩返しに来たのか借りを取りに来たのかを区別せず、すべては自分自身の実の子や子孫であり、前世の因果応報による善悪や吉凶禍福を細かく観察して区別することもできるのです。
2015年、3月8日、21時32分◎＃※   了解；
無極三関聖帝
第十一回　白手起家
第廿五回   　妯娌和睦
2009年9月8日　己丑年七月二十日（火）
第八回　   父母養育
無極三関聖帝降り給う　崇心宗脈吉祥を呈す
第十二回　　創業は維（こ）れ艱（かた）し
第廿六回   　姑嫂摯友
2009年9月11日　己丑年七月二十三日（金）
第九回　   師長教育
師長の教育の恩恵
人間世界における生存の過程は、まさに教育と教化を通じて子孫に伝承されるものです。このような経験の蓄積は、教化による成長と向上の中で無明の煩悩に遭遇することなく、常に機会教育として、上昇と成長を遂げることができます。一人ひとりが教育と学習を経て、自らにとってより大きな利益を得ることができるのです。
大宇宙の天地において、すべての万物の霊性と衆生は皆このようであり、人間界の衆生だけに限らず、あらゆる万物の衆生に遍く及んで、同じく完全な成就がなされる。人類の衆生は『知識を下ろして経験として成長し、智慧として積み重ねる』ことで、行動規範に対して極めて正確に把握することができ、無明の障害も生じることがない。
教育文化は人類の衆生にとって、学習においてより大きな完成をもたらすものであり、まさに学習を通じて収穫と利益を得ることに他ならない。人道世界は、教師、先輩、両親、各業界の先達などを通じて、学習と成長の経験を教え導く。一人一人がこのようにしてこそ、このような学習と成長は大きな効果を発揮するのである。
さらに、ある事柄について知っているかどうかによっても、無明の中から
行動規範を定めると、学ぶ必要が生じます。人道世界で生活するには、学びと成長を通じて自らが利益を得るのです。このような利益は有情衆生にとって学びの収穫となり、また学びを通じて築かれた知識と経験は、次なる実践に活かされます。
師長の教育と徳の恵み
もし、応用が順調に進めば、それはすなわち一種の智慧の向上であり、またあらゆる衆生も皆同じように、師匠や父母、年長者の教えを受け入れ、それを応用する学習過程の一歩一歩において、知識と経験を積み重ねてこそ、真の利益を得ることができます。有情衆生がこのような条件に恵まれるのは、相互のつながりによってもたらされるものなのです。
いかなる時空においても同様であり、それは前の世代から次の世代へと受け継がれ、人間の知識の中で成長していく。あらゆる事柄の始まりから終わりまでの過程もまた同じであり、幼い者にも年長者にも区別なく、等しく利益をもたらす。各人が持つ知識は、一定の時間が経つと、もはや大きな応用ができなくなる。
すべての衆生は学習の段階を経て、自らの経験を積み重ねるとともに、他人の経験も自らの知識領域に取り入れ、将来の経験として獲得していきます。これは師匠や他の縁による教えを通じて、自らの思想体系に組み込まれ、すべての人々の世の中で最も重要な構成要素となるのです。
必ずや依拠すべき動作を有し、すべての人道的世界における行為の基準は、まさに相互に補い合うものである。有情衆生が師長の教導を受け継ぐこともまた、下位を教化する機能の体現であり、さらに教化と教育というこの二つの機能体が、前人すべての経験の積み重ねから生まれ、師長による教導の伝承があることを理解することができる。
師長の教化の功徳
このような人道世界の事務連鎖は人為的要因にあり、学習経験を下化して結びつけることで、個人が使用できる機能効果が生まれます。それによって初めて、人道世界の生存志向が相互に支え合い、必ずや機能作用を持ち、生活過程において相互に結合するのです。このように結合することで、すべての人類の事務連鎖は相互につながり合うのです。
皆さん、もう一度よく考えてみてください！このような相互につながる事象の連鎖は、より大きな利益をもたらすことができるでしょうか？多くの場合、大きな利益がありますが、個人の理解の違いによって、すべての相互につながる事象の連鎖が、まさに衣食住を支える食物連鎖を提供していることに気づかないこともあります。つまり、食物連鎖は自分一人の力だけで生産することはできないからです。
必要に応じて他の人々が食物連鎖の物品を提供し、相互に連携して組み合わせることで、皆が必要とする欲求を満たし、各人の必要とする食物連鎖の供給を全ての人々に行き渡らせる。しかしながら、師匠が教育し、教化を通じて伝承するものは、自分自身に対するものだけでなく、むしろ全ての生きとし生けるものに対するものである。
人類世界のあらゆる業種を通じて教え伝えられ、また事柄の連鎖が食物連鎖の求めるものと組み合わさることで、人々はまさにこのようにして、すべての食物連鎖と事柄の連鎖を通貨の連鎖へとつなぎ合わせ、充足させているのです。このようにして、誰が食物による食事、事柄による業種、通貨による金銭に制限されず、束縛されずにいられるでしょうか。
師長の教化と教育の効果
すべての有情衆生はこのようであり、人道世界に入ってからは、食物連鎖と事物連鎖の二つの組み合わせが通貨連鎖を備えた後、この種こそが人道世界で適用される基本原則となる。他の万物蒼生に対しては事物連鎖と通貨連鎖を用いる必要はなく、食物連鎖による組み合わせさえあれば十分である。
皆さん、もう少し考えてみてください。人類の衆生は食物連鎖において、様々な業種が異なる物資連鎖の品々を提供しており、自ら生産する必要がありません。通貨連鎖を通じて食物や物品の需要を購入すればよいのです。他の動物のように天地の間に生きて、大変な苦労をして食物連鎖を完備させる必要はないのです。
したがって、他の動物たちも必ずしも満足できるとは限らず、求める食物はしばしば十分に満たされず、温飽さえままならない。一方、現代の人類衆生を見ると、まず福徳が満ち足りてこそ、通貨金銭によって求めるあらゆる物品を購入できる、これが通貨チェーンの機能と効果である。
古くから言われている：『籠の鶏には餌はあるが湯鍋に近く、野鶴には糧なくとも天地は広し』。この言葉は現代の人々に対してこう言えるだろう：師長の教えを通じて、あらゆる仕事の連鎖が組み合わされ、それぞれの職業が生活を潤すために必要なものを提供している。通貨や金銭を用いて購入できる家庭の生活必需品は、誰もが自ら食物連鎖の生産に携わる必要はない。
各業界の師匠が教育を伝承し継承する
直接に通貨や金銭を用いて、日常生活における必需品を購入することができます。これには食物連鎖およびすべての生命の物資が含まれます。各業種ごとに異なる伝承があり、異なる師匠の教えによって蓄積された経験が、それぞれの業界に伝承されています。それらは相互に連結し、あらゆる衆生の異なる業種に対して、それぞれの欲求に応じた必需品を充足させています。
このように通貨や金銭は、人類の衆生が互いに必要とするものであり、また皆はただ自分の職業の中で、時間や精神、労力などを費やせば、通貨を十分に得ることができ、また通貨を獲得して自分の財産、田畑や家屋、車両や物品、そしてあらゆる生存に必要なものを蓄積することもできるのです。
これは師長が教え導くものであり、あらゆる業界の師長が教え導き、育成し、伝承し、人々を各業界で学び応用できるようにつなげることです。全般的な才能を学び成就することはできるでしょうか？また、すべての衆生が学ぶ時空の縁はわずかであり、根本的に完全な全才を応用することは不可能なのです。
また、異なる業界にはそれぞれ異なる先達が教えを授け、有情衆生のために様々な業界を相互に結びつける伝統を継承しています。人類はあらゆる業界に感謝すべきであり、それぞれの業界が提供する多様な物品への欲求を通じて、互いに補い合い生活の質を向上させ、超越することができるのです。皆さん、この道理をお悟りになりましたか。悟ることができれば、それを善く活用することができるでしょう！
人生は一本の連なりとなり　様々な業界で教化は続いていく
師長の伝承は各業界に及び　有情衆生の福気を増す
先達の伝承は下化を為し
代々相伝えて心の華を開く
師長の恩徳を思いやる　　有情の衆生に佳話を伝える
この偈は、すべての有情衆生が互いに励まし合い、異なる業界の師や先輩の教えを、それぞれの業界の精髄として次世代へと伝えていくこと、これこそが潤いある生活を営むために必要なことである。その中にある因縁を深く観察すれば、人の世のあらゆる生活が、単独で需要と供給が成り立つ生活ではありえないことが理解できるであろう。
無極金龍三聖母
無極の因縁来たりて心を崇め
金龍の聖地に人の徳を引く
三聖母が諸神人と会す　初めて舞台に登り気象新たなり
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、今晩は。本日は本宗脈の無極三関聖帝が降臨され、『大道倫理』第九回を著作されました。師長の教育伝承を分析し、万霊衆生のさらなる向上と超越に資するものであり、すべての衆生はそれぞれの業において努力することが肝要であります。
通貨や金銭で生活必需品を購入できることは、人間界においては「本当に幸せなこと」と言えます。他の種の生き物にはこのような福はなく、一般の生き物は衣食住を満たすために必死に努力し、食料の供給を確保しなければなりません。そのため、人間が集団で生活することは、より大きな進化をもたらし、互いにより円満に融合していくことができるのです。
本宗脈の仙仏が伝えるには、今年七月より、すべての善縁の学生と宗生の家族に対し、真仏心宗の宗生の列に帰依するよう戻ってくることを求めます。これは仙仏が護佑するものであり、多くの困難や災難、病苦を減らすことができます。これは本宗脈の衆主席が伝える、引渡しと成全を行う一つの大事務であります。
重要なポイントを共有します：誰もが幼い頃には、必ず両親からの教育と伝承を受けます。幼児は学校で教師の教育を受けながら学び、同時に他の人の行動を模倣します。大人になって社会に出ると、学ぶべきことがあまりにも多いと感じるようになります。どの業界にも異なる分野があり、学ぶべき知識があるため、それぞれの業界には異なる師匠がいて、学習経験や知識・知恵を伝承しています。また、これらの伝承を次世代の人々に引き継いでいます。このような異なる業界の人々は、一般的には自分たちも師匠や先輩の一種であるとは気づきません。ただ学校教育を受ける者だけが先生や師匠だと思いがちですが、実はどの業界にも経験と知恵を持つ人々がいて、彼らこそが各業界の先生や師匠、先輩なのです。お分かりでしょうか？学校で学ぶことよりも少なくはなく、むしろより多く、より多くの恩恵を受けることができるのです。
2015年、3月8日、21時33分◎＃※　了承。
無極司命真君
第十三回　　守成は易からず
第廿七回     勤儉興家
2009年9月15日　己丑年七月二十七日（火）
第九回　   師長教育
無極の果位たたえ崇心に　司命真君降り来たり臨む
第十四回　   家を支える苦労
第廿八回   　女人爭鬥
2009年9月18日　己丑年七月三十日（金）
第十回   　有情眾生
有情なる衆生は互いに補い合う
有情ある衆生は群れをなして社会を形成し、人間は互いに依存し合って生存しています。また、異なる職業間で相互に支援し合うこともあります。有情ある衆生はこの広大な天地において、あらゆる食物連鎖と事物の連鎖の組み合わせの中で、人間の生存に向けたあらゆる需要と供給の方向性を提供しています。これはすなわち、人間社会の基準に則って、異なる食物連鎖と事物の連鎖を提供しているのです。
実に！すべては同じく通貨の鎖＝金銭によって構成された生産の完結した現れであり、まさに人道世界において生活する中で、人類の衆生が生活を営む上で必要なものである。しかしながら、人類の衆生が他の業界の有情衆生に対して、感謝の心と徳を創造する恩恵を抱くことができるかどうかは、必ずしもそうとは限らない！
さらに、このような考えを持つ人はほとんどおらず、当然のことだと思っているので、なぜ感謝しなければならないのか？おそらくほとんどの人がそうでしょう！人道世界のあらゆる生活は、異なる種類の職場にいる衆生の生産活動によって支えられ、生活の状況に組み込まれています。その中で、人間の成長は相互に支え合うことができるのです。
すなわち、人間生活に必要な基本綱領であり、この綱領は生活において
以前には互いに助け合い、支え合うことがありましたが、皆さんにお尋ねします：もし生活に必要なすべてのものを自分自身で生産しなければ手に入らないとしたら、便利だと感じるでしょうか？皆さんはお金で必要なものを購入していると信じています。
有情の衆生の殊勝なる因縁
それによって、異なる業種の需要と供給が生まれ、はじめて物事の連鎖が完成します。人道世界の生活とはまさにこのようなもので、様々な業種に携わる有情の衆生に対し、生活に必要なあらゆる物品を提供し、それぞれの家庭の必要性に応用していくのです。これは一種の相互扶助であり、皆が通貨という金銭を支払うことで、すべてが満たされていくのです。
自ら全ての食料や物資を生産する必要は全くなく、すべての物資が十分に整う中で、どのように人間社会においても、他の人々への相互支援の必要性を提供できるかが問われます。様々な業種の需給関係も、各業種間の相互支援の必要性を確立することにこそ意味があります。
皆さん、もう一度よく考えてみてください。自分が費やした時間、精神、労力が、通貨報酬という形で返ってきて、家族全員の生活を支え、温飽を満たしている。これは、月々の努力に対する対価であり、人道世界が築き上げた秩序の枠組みでもあります。そして、このような形で、一人ひとりが多くの苦労を払っているのです。
時間と精神、労力を費やして毎月の報酬や給料を得るという、このような因縁と条件こそが分業協力の大社会なのです。誰もが自分の従事する業種の中で、異なる業種の必要性を満たすことに貢献しています。これはまさに、人道世界における集団生活における相互補完の関係なのです。
有情なる衆生の生存と協働
いかなる業種を区別することなく、どの業種にも存在の必然性があります。もしその存在の必然性に合致できなければ、淘汰されてしまい、生存の機会を得るのは難しくなります。異なる業種に必要な製品やサービスを提供し合うことは、分業と協力による大きな共同生活です。先進国であればあるほど、この傾向は顕著です。
分業と協力によって、すべての人類衆生の生存に関する事柄の連鎖が形成され、組み合わさっています。あなたもその一員です、信じられますか？まさに分業と協力による集団生活があるからこそ、文明が進んだ国ほどこの必要性を感じるのであり、また異なる有情衆生が異なる業種の役割を演じているからなのです。
他の衆生が生活に必要な様々な物品を提供してくれるので、あなた方は通貨（金銭）さえ備えていれば、他の衆生が提供するあらゆる物品を手に入れることができます。このような人道世界では、生活に必要なすべての物品が相互に支え合いながら提供され、各人は異なる職業を通じて時間、精神、労力を費やしているのです。
通貨や給料を十分に得ることができ、もしより多くの人の憧れや好みに合致すれば、様々な業界が提供する物品は多くの人に歓迎され、より多くの通貨報酬も得られるでしょう。つまり、各人が従事する業界によって、通貨が十分かどうかが分かれるのです。この中には、それぞれの業界の異なる性質も含まれています。
あらゆる業種が生活に必要なものを提供している
それぞれがどれだけ多くの利益を得られるかを分けると、すべての有情衆生はそれぞれの福徳と方法が異なります。同じ業種でも、経営する人によって客層や収入が異なることがあります。その問題点はどこにあるのでしょうか？まさに、それぞれの前世の因果において「福報」が十分に備わっているかどうかであり、また福報のある人に従うことで、より多くを得ることができるのです。
もし、ある業界の経営者が福徳に恵まれていないなら、衣食に困らない程度の生活ができれば上々で、より多くの財貨を満たすことは難しい。この問題はどこにあるのか、皆さんにお尋ねしたい。誰もが同じように時間、精神、労力を費やしているのに、得られる財貨の報酬はなぜ異なるのか、どうしてこのようなことが起こるのだろうか。
同じ業種であっても、支払われる対価は同じ労働でも同じ報酬とはならず、さらに各人が前世で積んだ様々な福徳と悪果が異なるため、異なる人が経営すると、多額の通貨を十分に持つ者、順調な収入を得る者、わずかな通貨しか持たない者に分かれます。業種が異なれば、異なる報酬の差別が生じるのです。
誰もが同じものを費やしていると信じています：時間、精神、労力ですが、異なる通貨報酬を得ています。この金銭通貨において、三つの形態が形成されます：一、充足、二、平穏、三、不足。この三者の区別は、まさに同じ仕事に異なる報酬が支払われることであり、各業種の異なる性質によるものです。
有情の衆生とその行い
自分の払った努力を区別してみると、同じ時間、同じ精神力、同じ労力を費やしても、得られる報酬の通貨量は異なる。このように、各人の前世の福徳と今生の努力によって、異なる性質の報酬がもたらされる。人々はこのような状況を自分自身に当てはめて考えると、他人が多くの通貨報酬を得られることを羨ましく思うのである。
同じように十分な通貨を回収することができないのは、なぜでしょうか？自分が努力しないわけではなく、自分が奮起しないわけでもなく、非常に無念なことです！また、人と人とは異なる因縁によって結びつけられており、それぞれ前世の因果が異なるため、今生で積み重ねた福報も異なり、当然得られる金銭や通貨も異なってくるのです。
前世において、一人一人が蒔いた種は、人に少し多く与えることで、今生今世において、多くの人々が互いに支え合い、助け合うことになる。ではなぜ、自分がとても努力しているのに、より多くの通貨的利益を得ることができず、得られたとしてもほんのわずかで、まるで現代の人が言うように「満腹にはならず、かといって餓死もしない」状態なのだろうか。
様々な業種が華やかな世界を形成している
このような人はただ他人を羨むだけで、自分自身は少しも改善しようとせず、より多くの通貨を手に入れようとしても、木によって魚を求めるようなもので、到底より大きな報いを得ることはできません。あなた方はより大きく多くの通貨を得たいと思いませんか？きっと、誰もが好むことでしょう！それを手に入れたいと思うなら、なぜ十分に備えることができないのでしょうか？
有情なる衆生には様々な職業の区別があります。あなたにとって、従事している職業が十分な財貨を具足できるかどうかは一概には言えません。また、もし単なる職場で働く人であれば、月々の給与所得はほんのわずかであり、より大きな福徳を備えてより多くの財貨を蓄積することは難しいでしょう。これが職業による違いなのです。
あなた方は、その中に全身全霊で打ち込んで貢献しているでしょうか。それとも、ただ毎月給料をもらう日を待ち望み、その他の日々はどうにかやり過ごし、その場しのぎに過ごしているだけでしょうか。もしそうであれば、全身全霊で打ち込むこともなく、頭角を現そうとすることは、非常に難しいことです。職場で働く人が、永遠に日の目を見ないというわけではありません。
知行合一を極めれば、必ず優れた人材が生まれる。
また考えてみましょう。誰もが払った努力が他人から認められるかどうか、その中で全身全霊をかけて仕事に取り組む人々は、果たして他人の認めと賞賛に値するのか。一部の人はこう考えるかもしれません：こんなわずかな給料しかもらえないのに、牛や馬のように働いてまで努力するなんて！あまりにも割に合わないし、そこまでする必要もない、あまりにも愚かだ！
計算に長け、常に損得勘定をしている人がいる一方で、本当に惜しみなく与え、損得を気にしない人もいる。後者のような人は、出世する機会が比較的多い。一般の人は努力を怠り、あれこれと損得を気にしすぎるため、出世の機会が大幅に減ってしまう。世の中とはそういうもので、根本的にはみな損得にこだわりすぎ、計算高すぎるのである。
人はどれだけの努力を払ったか、天も地もあなたのために計算してくれます。あなたは損得を考えましたか？もし考えていないなら、自分が愚かだと思わないでください。他の人はそんなに多くを払わないのに、なぜあなたはそんなに多くを払う必要があるのか？愚かな人よ！このように損得を考えすぎる人は、一生涯で頭角を現すことなど、まったく不可能です。
人生の一世は苦しみに耐える時期であるが、職場での仕事もまた良しとすることができる。
全身全霊で尽くすことが必要だ　損をすることこそ得をするのだ
ある人は一生、損得にこだわり、決して損をせず、常に比較してばかりいる。
苦労を惜しまず進んで行う
天が応えて福運を高める
この偈を、有情の衆生が互いに励まし合い、仕事の場で互いに励まし合うために捧げます。皆が与えるものは、たとえすぐには何の報いもなくとも、長い時を経れば大きな報いとなるでしょう。天は真心を尽くす者を裏切らず、心を込めて尽くせば、たとえ人があなたを損なうことがあっても、天は決してあなたを損なうことはありません。やがて成功した時、その中には必ずあなたの分があるのです。一から成功を築く者たちの理由は皆この通りであり、成功はあなたのものとなるでしょう。
無極進財天尊
無極の因縁は比類なき大いなるもの　進財天尊の徳沢の心
大道の倫理が著作として現れ
衆生を目覚めさせ、世の機運を起こす
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院・院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈　無極司命真君が降臨され、『大道倫理』第十回を著作されました。少しの損を引き受けられるかどうかで、より多くの報いを得られるかが分かれます。一部の有情衆生は損得を気にするものの。
このような人は、少し時間をかけて見守れば、短期的な損得にこだわらず、時空の縁に従って持続的に努力することで、福報と成功の差が大きく開くことが分かる。どのリーダーも見る目がないわけではないから、一定の時が経てば、より多くの人から認められ、より多くの昇進の機会を得られるようになるだろう。
皆さんは、今日の仙仏の著作の意図を理解できるでしょうか？その中に秘められた奥深さをじっくりと味わってみてはいかがでしょうか。職場での仕事も、修行も、宗教への信仰も同じことです。自分が今損をしていると思っても、他人はあなたが愚かだと思うかもしれませんし、「愚か者だ」と笑われるかもしれません。しかし、このように損を引き受ける人が、長く続けていくうちに
必ずや、些細なことにこだわる人よりも、成長と成果において差がどんどん広がっていくでしょう。さらに数年後には、こだわらない人はすでに高い地位に就き、起業して経営者となっています。一方、当時こだわっていた人々を振り返れば、相変わらず同じ場所で足踏みしているだけです。成功者の秘訣が理解できるでしょうか？皆さん、よく考えてみてください。
あなた方はあまりにも愚直すぎるか、あるいはあまりにも計算高くて損得勘定をする人たちです。それぞれがどれだけの努力を払ったかは区別でき、誰もが心の中で分かっています。あなたがどれだけの努力を払ったかを見れば、どれだけの成果を得る機会があるかがわかります。古い言葉に言う：舞台の下で一番長く待つ人が一番良い席を取れる。この言葉の意味をよく理解してください！しっかり努力し、決して損得勘定をしないでください！
要点の共有：人間の衆生はよく比較したり、計算したりします。このような人は表面的には自分の求めるものを得られるように見えますが、実際にはすでに多くの成功の好機を失っています。なぜそうなるのでしょうか？一般的な視点から見れば、このような人に対して疑問を抱くでしょう。あなたがこれらを計算したり比較したりするとき、同じように得るものがあれば失うものもあるのです。得ることと失うことは、まさに人間界の実相なのです。計算しない人はあまりにも愚かではないか？もし計算しなければ、他人に利用されると思わないでください。実際に利用されているかどうかは、見る人の視点によって異なります。誰もが賢いと信じていますが、人があまりにも抜け目なく、決して損をしないように行動する、このような人は一生懸命比較し、計算しすぎます。そうしてあなたはどれだけ得ましたか？よく考えればわかることですが、時には少し愚かで、比較せず、計算もしないほうが、かえってより多くの福徳と幸運を得ることができるのです。
2015年、3月8日、21時34分◎＃※   了解。
無極文昌帝君
第十五回　勤労と倹約
第廿九回　   男人苦受
2009年9月25日　己丑年八月七日（金）
第十回   　有情眾生
無極の因縁は崇心に降り　文昌の徳沢は衆生を潤す
帝君の著作十一回　白手から家を興し福を導く
第十六回　   物資を大切に
第三十回　   夫妻離異
2009年9月29日　己丑年八月十一日（火）
第十一回   　白手起家
ゼロからの起業の基本
人生において、あらゆる生存の方向性に対し、努力を通じて相互の成果を築き上げる。この中で、人道世界における生存の働きは、必ず「無から有を生じる」ことから始まり、そこから手ぶらで家業を興し、創造と発展を遂げるのである。これは人類のすべての基本的な行いであり、また一種の成功の基本的な機能と働きである。
人道世界における生存様式は、すべて「無から有を生む」創造と発明によって築かれ、ゼロからの出発が可能となる。あらゆる時空環境においてこの理は変わらず、いかなる国家や宗教、団体、組織、事業、家庭といえども例外ではない。有情衆生はまさにこの「無から有を生む」働きによって行動を起こすのである。
白手起家によるすべての創造を築き上げ、家族や子孫に繁栄をもたらす。なぜ人道世界には白手起家が存在するのか。それは人類の衆生がすべて「無」からすべての行動を始めるからである。どの時空も例外なく、人種を問わず、すべては「無」から生じる。一人ひとりが皆、このようにして始まるのである。
無より有が生じ、有の中に実在が存し、さらに外へと発展していく。それらを分別せず
どの国や宗教、団体、事業、組織、そしてどの家庭においても同じことが言えます。なぜそうなるのか、皆さんはよく考えてみたことがありますか？また、このようなゼロからのスタートが広がり発展していく過程においても、同じことが言えるのです。
ゼロから築き上げたもの
すべては「無から有が生じる」ことから始まり、また「有」の中においてのみ広がり発展させることができる。同じように、どの家庭もそうであり、両親から生まれた子孫は、両親と共に成長するのが当然の道理である。しかし結婚前は、元来みな独り身の男女に過ぎないのである。
この時、二人が結婚したことをきっかけに家庭が築かれます。本来、二人が結婚すれば子孫が生まれるものですが、それに伴い生存に関する問題も数多く生じます。もし稼ぎが十分でなければ、平穏な生活を送ることは難しく、これは一種の生活のプレッシャーが生じることを意味します。
このようなプレッシャーが生じた後、困難に立ち向かい突破する方法を考え、事業を切り開くためにより一層努力し、自社の製品を他の人々にアピールします。他人の好みや評価を感じ取れるかどうか？必ずしもそうではありません！この時こそ、更に優れたものを追求し、顧客の好みに合うよう、全ての修正と改善を重ねていくことが必要となります。
才能がすでに相当豊富な人脈と愛好者を蓄積していると、大きな発展の原動力が生まれます。この世でゼロから身を立てる運命を持つ者の多くは、最初は非常に順調ではありません。一定の試練と鍛錬の期間を経て、初めてより優れた成長を遂げることができ、試練の必要性を通過してこそ、真に熟達した境地に至るのです。
ゼロから起業するための条件
人間世界の生存方式は、自らの製品を広めることと同様に、人類衆生のすべての生活過程、および生存の方向性もまたこのようにして行われています。すなわち、「無から有を生じ、有の中に実を存し、実の中で発展を遂げる」という経過を経るのです。このような状況を理解することは、まさに自らの品物が表舞台に上がることができるかどうかを知ることなのです。
有情ある衆生を喜ばせ、自社の製品を購入したいと思わせることは、まさにこの世のあらゆる創造過程において、努力を通じて人間の生存に必要なものを実現することです。また、人間の生存に用いられる物品である以上、必ず人間の視点で完成させなければなりません。そうでなければ、どうして通貨連鎖の報酬を蓄積することができるでしょうか。
これは自己に対する試練の中で、基本的な好みの作用を十分に備え、皆に好かれることは自己への肯定となる。もう少し深く考えてみれば、人間世界の生き方もまさにこのようなものである。好きなものがあればこそ、購買衝動が生まれ、心から喜んで通貨を使って好きな物品を購入するのである。
汝らはさらに細かく考えてみよ。現代の世の中には、人々が好む物品がどれほどあるか、それらにお金を出して購入したいと思うかどうかを。まさに、好きで心から購入したいと思う物品があれば、通貨の連鎖による蓄積が具足されるのである。皆はこの中の奥義を知っているか、またどのようにしてか？よく考えてみよ！
一から築き上げるすべての働き
人類の衆生が何を好むのか？有情の衆生が何を必要とするのか？通貨を用いて欲求する物品を充足させられるものは何か？人類の生存における基本的な機能はまさにこれであり、また、事務の連鎖によって組み合わさったさまざまな業界で販売される物品は、有情の衆生にとって大きな魅力を持つことができるだろうか？
みなさんが喜んでお金を出して購入してくれるようになるのです！もし、このような商品を好む人があまりにも多いならば、販路拡大において非常に大きな販売力を発揮し、このような努力によって、ゼロからスタートした起業家たちが無から有を生み出し、ゼロから成長してきたことを理解できるでしょう！このようにして、膨大な販売チャネルを築き上げることで、通貨の流通はより豊かになるのです。
わずかな収穫だけではなく、大きな普及と発展が可能であり、世の中のどの国や宗教、団体、さらにはあらゆる事業や組織、そしてそれぞれの家庭も同様である。そうでなければ、どうして無から有が生まれるだろうか。しかもそれは「有の中から実を結び、実の中から広がっていく」のである。
つまり、一人の人間を通じて、無限の可能性を創り出すことができるのです。皆さん、よく考えてみてください：世の中の比較的優れた事業や組織は、すべてそうではありませんか？皆、ゼロからのスタート、つまり「無からの始まり」を経て、初めて未来の「無限の可能性」が生まれ、膨大なビジネスチャンスが創出されるのです。
ゼロからのスタートで遭遇した挫折
また、それぞれの人がどれだけ努力し、どれだけ心を込めたかを理解する必要があります。そこには大きな違いが生じるのです。事業体に対してどれだけ心を配り、経営に取り組んだかによって違いが生まれます。もし人類の衆生が永遠に進歩することができないならば、どれだけの智慧を応用し、どれだけの行動を起こしたかを見なければなりません。それに応じて、どれだけの報いを得るかも決まってくるのです。
世の中はこのようなものであり、現在もまたそうであり、未来も同じです。これが「無から有を生む」、つまりゼロから始める基本なのです。誰もがゼロから始めた後、あらゆる過程で数多くの挫折や困難、逆境に直面し、さらには足を引っ張られ、すべてを一掃されることもあるでしょう。
さらに、他人に破壊されることさえある：肉を食べて骨を吐き出さず、もしこのような問題に遭遇した時、どのような感慨を抱くだろうか？刀を取って相手を殺してしまおうか！もしそうするなら、あなたは賢い人間ではない。人間の一生は生まれてから老いて死ぬまで、それぞれの段階が一つの挑戦であり、ただ各人の前世の因果がどうであったかを観るだけである。
ゼロからの事業立ち上げの困難を解消する
もし困難や挫折、逆境、そして様々な不如意が何も起きなかったなら、どうしてより大きな原動力が生まれるだろうか。これこそが人生というものであり、困難な時空が訪れるたびに、生きる潜在能力を引き出し、そのような困難を一つ一つ乗り越えなければならない。圧力がなければ動力も生まれず、創造力などいったいどうして生まれようか。
これは相互に連鎖する人道世界で育まれるものであり、人間は一生を通じてストレスを解消しなければならない。一部の人は歯を食いしばって勇敢に前進し、また一部の人は常に不平をこぼし、さらには不満を抱いて天や人を恨む。また、ごく一部の人はどうすればよいかわからずに堕落し、一日一日を無為に過ごし、しばしば現実から逃げようとする。
そして、人間の思想や行動の違いが、未来の結果の差に影響を与えるのです。あなたはどのような人間なのか、自分自身で理解できるはずです。まさに今こそ、上天がより大きな免疫力の向上を与えてくださっているこの時、思想や観念、そして行動を少し変える必要があります。そうすれば困難を突破し、より大きな成長と向上を遂げることができるでしょう。
ストレスは動力の源泉である
さもなければ、このような時空の中では淘汰されてしまう。それどころか、一生をかけて苦労して築き上げた事業さえも淘汰され、再起する大きな機会など得られるだろうか？非常に難しいことだ。では、どうすれば免疫力を高められるのか？さらに創造力を新たに向上させること、このような時機こそ、すでに優れた知識を備えているはずだ。
困難な問題に対処できることも、最良の試練の機会である。一般の人々はそうは考えず、自分の能力はこれくらいだとしか思わない。そうなると、天が与えてくださるご加護も感じ取ることができず、より大きな成長の力が必要となる。この時空のただ中で、あなたはどのような感想や見解をお持ちだろうか？
成功を望むならば、変化することが必要です。過去の不足や欠点、過ちをすべて修正し、自らがより大きな飛躍を遂げられるようにすることが正道なのです！人の世に、一生平穏無事で、何の波風も是非もない者など絶対にいません。人々の世界こそ、陰と陽、正と誤、善と悪、正と邪、是と非が分かれる場所なのです。
ゼロからのスタートは困難を乗り越える必要がある
天地の間の相互に対応する法則を理解することができるだろうか？もし理解できるならば、その中の道理がどのようなものかもわかるだろう。自由自在に運用することもでき、未来に対してより大きな向上と超越を果たすことができる。そうでなければ、一生を平穏に過ごすだけで、無限の創造を生み出すことができるだろうか？普通の人はただ平凡に、だらだらと一生を過ごすだけである。
もしあなたがこのような人なら、この人道世界に来ても何の不思議もありません。一生を平穏無事に過ごし、創造力も原動力もまったくないからです。より大きな爆発力を望んでも、成功する力はまったく得られません。知るべきは、生活が苦しければ苦しいほど、創造力はかき立てられるということです。
どのようにして困難を解決し、順調に乗り越えるかを考え、その時こそ心の安定感が得られる。もし次に挫折に遭った時も、同じ方法を用いてあらゆる困難を克服する。それはまた、未来に対する大きな向上と超越をもたらす。これが人生であり、人類の生存の真実である。遠い昔から現代に至るまで、時代を問わず、このようなものなのだ。
白手起家を基本とし
人類生活の一生とする
困難は常にありと知り　  　如何にして根源を明らかにして除くか
無一物から身を起こすには創造力に頼る　無から有を生み出すのは実に不思議だ
一生涯を通じてこのように過ごすことができれば、さらに広く発展させていくことがより良いことです。
この偈は、有情の衆生が互いに励まし合うと共に、崇心宗脈体系のすべての学生と主事者に対しても、互いに励まし合うものである。また、いかにして上へと如実に超越し、成長していくことができるか。その中で必ずや自己のすべての努力を観じ、白手起家の命格の運勢を創造すれば、良き善き成功が訪れるであろう。細かに体得し、悟りを得るがよい。
無極納福天尊
無極の因縁深く厚し　福を納めて衆生皆愛受す
天尊は今日輪番の当番を務められ、大道倫理の天書を作られました。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈の無極文昌帝君が降臨され、『大道倫理』第十一回を著作され、無から有を生み出す白手起家の真髄を解き明かして皆様にご理解いただきました。また崇心宗脈も同様に、『真仏心宗 無極大道院』を建立し、その弘揚と普及に努めております。
まさにゼロから始めることによって、このように遭遇する困難はどのようなものか？人との関係を応用して、すべての困難や障害を克服することができるかどうか、つまり知恵を応用することができれば、そうでなければすべてがまた元の場所で足踏みをしてしまう、どうしようもない！仙仏の先生の意図を理解できるのは、まさに鉄が鋼にならないことを恨むようなもので、このようにしなければどうして修整や変化ができるだろうか。
過去において既に多大な功績があると見做されていた者に対し、これは上天の本来の意図ではなく、崇心宗脈全体に更なる向上と超越を授けたのである。皆はこれを活用できるであろうか？全ての学宗生が心を込めて努力する様子を見よ、正しい方法を用いてこそ、善良かつ真実のままに向上し超越することができ、また真実の恩恵を受けることができるのである。
重点を分かち合う：人生はすべてゼロから始まり、また「無から有が生まれ、有の中に実が存在し、実の中で発展する」というものであり、これは人間の努力によって満たすことができる条件でもあります。すべての事業の第一世代は、何もないところからスタートした人々であり、自分自身に大きな力を与えてくれます。この力は方向性が正しくなければならず、それが正しければ、すでに半分は成功したと言えます。しかし、努力だけでは必ずしも成功するわけではなく、以下の条件が必要です：古人が言う天の時、地の利、人の和の三つでさえ、必ずしも成功を約束するものではありません。現代において成功するためには、さらに以下の条件を加える必要があります：
一：時機を捉える　　二：方向を正す　　三：目標を明確にする
四：努力を怠らず真摯に取り組む　　五：志を堅く持ち揺るがさない　　六：智慧をもって判断する
七：信用が確かである　　八：福報に満ちている　　九：製品が優れている
十：お客様に好かれる　　十一：態度が親切　　十二：サービスが行き届いている
十三：人付き合いが良好である
十四：善縁を広く結ぶ
十五：衆生の利益を豊かにする
以上の十五項目がすべて揃っていれば、自然と評判も立ち、口コミで広がらない方がむしろ不思議でしょう。あなたもこれらの成功条件を備えていますか！
2015年3月8日21時35分◎＃※   了承。
無極広沢尊王
第十七回　嫁と姑の道
第卅一回　   雙親無依
2009年10月2日　己丑年八月十四日（金）
第十一回   　白手起家
無極の徳は心に崇く来たり
広く衆生を潤す理、当然なり
尊王著作十二回　創業の艱難必ず明白なり
第十八回　　嫁姑問題
第卅二回　   圓滿結局
2009年10月6日　己丑年八月十八日（火）
第十二回   　創業維艱
無一物から事業を興すのは誠に困難である
白手起家の条件として、人道世界におけるすべての生存の方向性を理解できれば、多くの人間としての行動や動作が生まれ、創造的な事業に加わることで初めて事業体と融合することができます。この中で事業体について言えば、白手起家の気風は、世の中で自らの行動に対して、また様々な業種を通じて世の中に参入する姿勢を指すと言えるでしょう。
有情ある衆生のすべての生存の方向性に対して、相互に支え合うことが可能であり、この種の職業経営は、各人がそれぞれ経営する職業に分かれています。自分自身の努力によってゼロから始めた後、初めて創業の必要性が生じます。一般的に見ると、創業の過程は皆非常に困難であり、非常に苦労して経営するものなのです。
このような起業家にとっては、通常の人よりもはるかに多くの時間と空間、そして努力を費やす必要があり、相当な時間と空間、精神力、忍耐力も必要です。それでもなお、必ずしも成功するとは限りません。成功の法則には、タイミング、天の時、地の利、人の和、そして方法や目標など、すべてが揃っていなければなりません。
もしその中に一つでも欠けるものがあれば、成功して人より抜きん出る日が訪れることは、おそらく難しいでしょう。
恐らく木に登って魚を求めるようなことになるでしょう。なぜなら、成功を望むには必ず必要なものがあります。第一に天の時、第二に地の利、第三に人の和、第四に目標、第五に方向、第六に努力。これら六つの基本的要素は、全て互いに補い合い助け合うことが必要だからです。
創業は艱難であり、守成は更に易からず
成功を収める日が訪れるためには、また、経営する業種が衆生の欲望と需要に合致する必要があります。もし衆生が求めず必要としないものであれば、経営する業種には大きな障害が生じます。このような人道世界における業種の区別が、通貨流通の需要に組み込まれることで相互に成長し、初めて利益を生むことができるのです。
どの業種においてもそうですが、必ずその業種の特性を理解する必要があります：在庫を持つ必要があるか、期限のプレッシャーはあるか、また各業種でどれほどの利益が見込めるかは、その業種の必要性を観察して利益を追求すべきです。たとえ独占市場であっても、衆生の需要があるかどうかを観察しなければなりません。もしそれが衆生が必要とするものであれば、その必要性に応じるのです。
行う事業には多くの収益があり、サービスも親切で、さらに衆生のことを考えてやれるなら、そのような事業は比較的有利です。もし衆生に歓迎される事業であり、かつ衆生にとって必要なものであれば、あなたにとってはまさに長期にわたる安定した収入を得られる生活であり、また様々な業種の違いでもあります。
人類の衆生が求めるものは何でしょうか。誰もが社会に入れば、必ず他の人々と接触し、共に生存に必要な資源を分かち合わなければなりません。人生とはこのようなものであり、いかなる人であれ、人間である限り、食物連鎖と通貨連鎖の需要があり、さらに事柄の連鎖の三つが組み合わさっているのです。
起業の条件と苦労の代償
皆さんにお尋ねします：人間の衆生は一生涯、何のために生きているのでしょうか。皆さんはまず食事が第一で、次に通貨（金銭）が十分にあることを求めると思われるでしょう、そうではありませんか！すべての衆生は必ず満腹でなければならず、そうしてこそ「飢え寒さに耐えかねて盗み心が起こる」ことなく他人を傷つけず、善良な生存空間を持つことができるのです。
通貨はまたどのようにして十分に備わるのか。必ずや事務連鎖の組み合わせが必要で、他人に提供して様々な業種の必需品を購入させる。どの人も皆このようであり、この種の制約から離れることはない。どの業種においても起業の過程では、それぞれの起業経営者は非常に苦労しており、一日八時間だけ働くなどとは考えていない。
さらに、それぞれが創始した業種に長時間従事し、終日その業界に身を置くことで初めて、通貨を生み出す因縁が整うのである。人類の衆生はこのように、あらゆる業種は創業当初、皆大変な苦労を伴うものであり、もしそれが発明創造者であれば、その苦労はさらに千百倍にも及ぶのである。
また、研究開発のたびに必ず成功するとは限らず、費やされる時間、空間、精神、労力は他者よりずっと多くなります。それでもなお、創造発明した物品が本当に市場に出せるレベルに達し、有情の衆生が鑑賞し認めて、進んでお金を払って購入したいと思うようになるかどうかは定かではありません。
創業は艱難を極め、成功の要因となる
発明品や創造物、そのような創造発明や起業経営の苦労は、決して一般の人々が理解できるものではありません。様々な苦労を重ねた後、結局は徒労に終わるという人も大勢います。人類社会における創造発明者や起業経営者を見ると、努力が必ずしも成功につながるとは限らないのです。
努力しなければ必ず成功しない、まさにこのような定義であり、また努力こそが成功と不成功の分岐点であり、努力の中から繰り返し修正と改善を経て、より大きな発展の余地が生まれ、同時に他者からの認めも促す。営んでいる「独創的な事業」も比較的有利になる。
研究者や発明者というのは、往々にして非常に孤独な空間に身を置くものです。彼らの大半の時間は研究や発明の過程に費やされ、このような孤独な空間は、研究者や発明者に「生来の孤独癖」をもたらしがちです。そのため、彼らは世間との融和が根本的に難しく、起業家や経営者とは異なる個性を持つことが多いのです。
これが、外界と相互に円満に調和することが比較的難しい原因である。まさにこのため、起業家が置かれた個性の在り方を理解する必要があるのはなぜか。もし修整して変化させることができなければ、起業を志しても往々にして社会に受け容れられない。現代社会に様々な業界のマーケティング担当者が存在するのはなぜか。異なる分野の業種に専従し、それによって多様な人材を区分けするためである。
成功の創造は必然でなければならない
この種の販売人材は、研究開発の人材とは異なり、その中に潜む微妙な違いを理解できるだろうか？往々にして成功の分岐点は、用いる方法が適切か否かにかかっている。一つの業界に必要な基本要素が全て揃っていたとしても、それらの条件が揃っているに過ぎず、まだ広く販売展開することはできないのである。
研究開発のオリジナル発明者にとっては、まだ始まったばかりに過ぎない。もし現代の世の中に立脚したいならば、必ずや衆生の習性はどうなっているのか？衆生が必要とし求めているものは何か？衆生の購買力はどの程度か？を理解しなければならない。言えることは、どの分野にも優れた者が現れるもので、どの業界にもそれぞれ異なる専門知識の領域があるということだ。
人類の衆生が求めるものは、もしもはっきりと理解でき、また必要と欲求をありのままに把握できれば、それを適切に活用することができる。しかし、その中にはまだ多くの克服困難な障害があり、起業家、研究者、発明者、販売者に対して、互いに連携して利益を得られるかどうかが重要なポイントとなる。
創業はまことに困難である
誰もが努力がそのまま成果に結びつくことを望みますが、必ずしも全員が成功するとは限りません。このような成功の条件には、多大な努力の余地が必要であり、それによって初めて成功の基本的条件が整うのです。そうでなければ、世の中の起業家は皆必ず成功することになり、成功者となるのはあまりにも簡単すぎるでしょう。
また、なぜ多くの人が失敗し、さらなる向上を遂げられず、場合によっては全滅して元手すら回収できず、非常に落胆するのか。これは単に努力の中で成功の条件を備えているかどうかだけでなく、非常に強い意志と忍耐力、そして様々な困難を克服する勇気が必要であり、さらに打ちのめされない精神も必要だからである。
この精神こそが成功者に必要な条件であり、崇心宗脈への貢献にどう応用できるかはどうだろうか。視点を変えれば、今日の仙仏の著作の意味が理解できる。過去の行いを改めることもでき、皆がよく考えれば、良き縁と条件が向上していくであろう。
創業は困難に満ちており、どの過程も苦難を伴うものです。
研究開発と創造は　それぞれの分野にそれぞれの道あり
守成の難きを知るべし
長く志を堅く持つは当然なり
良質な製品に宣伝を加え　  　優れたサービスで財が入る
この偈は、すべての有情衆生が互いに励まし合うものであり、あらゆる業種においても同様です。また、それぞれの業種において創業がいかに困難であり、守成がさらに容易でないかを理解することができます。ゼロからスタートする運命の中で、いかに無から有を生み出し、有の中から充足を得るか、これこそが実際の生存の過程なのです。皆様が細心の注意を払って体得されることを願っております。
無極道円天尊
無極道円降臨来り　  　登台共に諸賢を会す哉
聖仏学院の皆様、ごきげんよう。吉祥が広く展開されるのは、まさに理にかなったことです。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、こんばんは。本日は皆さまと共に研鑽を深めたいと存じます。先ほど、本宗脈の無極広澤尊王が降臨され、『大道倫理』第十二回を著作されました。創業の艱難辛苦たる本来の意義を天書の中に著され、また、すべての道務に対して同様の調和がなされることを切に願っておられます。
上蒼の「無から有を生む」ということが、いかにして十分に備わるのかを理解することができるならば、将来の功績は非常に大きなものとなるでしょう。このようなゼロからの出発という宿命は、多くの創業の苦難を経てはいるものの、それによって大きな成長と向上がもたらされます。仙仏の先生方がゼロからの出発に寄せる期待を理解し、無から有を生む創業の過程を経ることができるのです。
実践によってこそ多くの改善が可能であり、さらにすべての成果は実際に行動に移されて初めて、より大きな弘揚が実現するのです！また非常に大きな教育的効果もあり、皆が自分自身に対して大きな自信を持つことができます。すべての学生の願力がどのようなものであるかを観察しましょう！必ず実行に移してこそ、善良で良い効果が生まれ、依り所となるのです！
重点を分かち合う：どの業界にも優れた人が現れるもので、どの業界の創業者・経営者も、無から有を生み出すゼロからのスタートであり、あらゆる努力において自分自身に頼らなければならず、この種の起業プロセスは非常に苦労の多いものです。第一世代がゼロからすべてを築き上げた後、第二世代もしばしばそれに加わりますが、この両世代は苦労を重ねた後、これほどまでに苦労する必要はないと感じるようになります。また、後の世代により安定した快適な生活環境を与えたいという思いから、彼らを甘やかしがちになります。そして、これらの子孫たちは、両親や祖父母の苦労をほとんど理解することがありません。かつてのすべての努力と苦労がなくなると、このように蓄えを使い果たしてしまえば、家運は衰えるのは当然です。まさに古い言葉にあるように、「富は三代を超えず」とはこのことを指します。皆さんの参考とし、どのようにその中の不足点を理解するか、少し考えていただければと思います。
2015年3月8日21時36分◎＃※   了解。
無極岳武元帥
第十九回　   嫁と姑の争い
第卅三回　   吃虧是福
2009年10月9日　己丑年八月廿一日（金）
第十二回   　創業維艱
無極は大世界に降りて　岳武の徳は大道を潤す
元帥の著作十三回、守成の難しさは必ず従うべし
第二十回　　婆婆角度
第卅四回　   饒人是德
2009年10月13日　己丑年八月二十五日（火）
第十三回   　守成不易
創業は艱難であり、成功を守ることもまた容易ではない。
創業の道は困難であり、それを見れば守成の難しさも分かる。これは人為的要因にあり、第一世代の創業は非常に困難であり、その努力も比較的苦労が多い。もし第一世代から第二世代へと引き継がれる際、第二、第三世代がかつての創業の苦労の過程を経験していなければ。
それゆえ、当時の創業の困難さをどのように理解すればよいのか、非常に難しいことです。守成の過程では、第一世代の創業の苦難と困難を理解することは難しく、また第一世代の創業の苦労をどのようにして守成の第二世代以降に引き継ぎ、完成させるべきかも分かりません。第二、第三世代の守成においては、往々にして第一世代のような努力をすることが非常に難しいのです。
なぜそうなるのか？守成とは、創業経営を継承した後、さらに研究開発や改良変化を続けられるかどうか、つまり継承と守成が互いに支え合うものですが、必ずしも長続きするとは限らず、しばしば一定期間が経つと、守成を維持しにくい怠惰が生じてしまうからです。
このように、守成の難しさを考えれば、初代の創業がいかに困難であったかが分かります。
二代目、三代目以降も、初代創業者の揺るぎない志を持ち続けることができれば、事業を守り継ぐことにも長きにわたる持続性が生まれる。このような課題をいかに継承していくか、事業を守り発展させるためには相応の不断の努力が必要不可欠であることを理解しなければならない。
創業も難しければ、守成もまた易からず
また、守成とは、いかなる国や宗教、団体、組織、事業、家庭も区別せず、すべて同じように扱うことを指します。それぞれ異なる業種において、事業体の発展を推進する必要があります。同時に、守成においては、一歩一歩慎重に進め、誤った行動を避け、創業や経営の困難に伴う苦労を防ぐことが不可欠です。
一瞬にして守成者によって抹消されてしまい、創業の困難さに比べると、二代目、三代目以降の子孫たちは、守成もまた大変な苦労であることをなかなか理解できず、さらに後代の守成者たちは、その中の辛酸苦楚をなかなか体得できないため、異なる心構えや基準が生じ、創業は創業、守成は守成で、これもまた容易ではないと考えてしまうのです。
このように、創業と同時に、事業を継承する者に伝え、それをさらに大きく発展させることを理解できるかどうかは、事業継承者に対する必要な教えです。このような問題点をどのように理解すべきか、また常に革新と変化を求め、経営上の問題点に対して解決策を見出し、向上させる必要があります。現代社会が何を求めているかを理解しなければなりません。
一般的に、過去の不足、欠陥、誤りを改める必要があります。人間の要因として、新製品には相互依存が求められます。同時に、旧製品も大切に慈しみ守るべきです。このような新奇な製品が、有情の衆生に相互の愛着や大切さを感じさせ、喜んでお金を出して購入し、商品を販売する気にさせるかどうかです。
後世の人は守成の苦しみを理解し難い
人類という衆生は、新しさを求め変化を望む本性を持っており、新奇で刺激的な製品を好み、一つの製品に対して好きか嫌いかの境界線を設けます。同様に、これは販売者の収入の多寡や、利益報酬の豊かさにも影響を及ぼします。これこそが通貨と利潤が十分な影響力を持つ所以であり、販売量によって決まるものなのです。
あらゆる製品は、衆生の必要に応えるものでなければなりません。もし製品が長期的に衆生の需要に応え続けることができるならば、起業し販売する品物には持続的な必要性が生まれ、安定した収入も得られるでしょう。人間はまた、移り気な生き物であり、新奇で刺激的な製品が現れるたびに、それを広める手段を講じるものです。
現代では、メディアを通じて広告を展開し、製品を多くの人々に知らしめ、皆がこの製品を購入したいと思う気持ちを抱かせることで、製品の販路を広げることができます。そうでなければ、口コミだけに頼った宣伝では、目標を達成するまでに長い時間がかかってしまうでしょう。現在のメディアを活用することが大切です。
このような前提条件には華やかな包装が必要であり、さらに専門的な人材の販売知恵とプロモーションが加われば、有情の衆生に憧れを抱かせ、進んでお金を出して購入する気にさせることができます。また、このような発明創造による製品は、起業を通じて確固たる基盤を築き上げることで、現代の有情の衆生にとって非常に大きな魅力となっています。
創業は難しく、守成は易からず
また、広告効果をありのままに伝えることも、大いに助けとなります。製品を世界の舞台に押し上げるためには、確かな内実が必要であり、長期的な実用性も求められます。さらに、部分的に華やかな包装を施しつつも、価格を高く設定しすぎないことが、より良い販売につながります。人間の衆生の多くは、このようなあり方を好むものです。
このように、起業家、経営者、販売者、そして流通経路が一本の線でつながることで、まさに生活必需品の販売拡大方法が可能となります。しかし、あなた方がこれを活用できるかどうかはわかりません。世の中では新奇な製品が次々と生み出されており、多くの人々が新奇な製品を好む傾向があります。これは人間の心理なのです。
まず試用してみなければ、この新奇な製品が自分に合うかどうかを知ることはできません。何度も消費者に試用してもらった後は、改善や変化を加え、新たなものを生み出す必要があります。また、現在世の中にあるすべての製品は同じで、繰り返し修正と改良を経て、より優れた精緻な製品となっているのです。
幾度もの淘汰を経て、あらゆる製品はその時代のニーズに合致するものでなければならず、さもなければ容赦なく淘汰される運命にある。これはあらゆる物事が自然淘汰の厳しさに直面していることを示しており、まさに冷酷な競争力による優勝劣敗の世界である。あらゆる製品が自然淘汰によって選別される中、果たして有情なる衆生はこの問題の本質を理解することができるだろうか。
創業も守成もいずれも容易ではない。
経営する業界や、創造・開発する製品が、時代の需要に合致し、購買意欲を刺激するものであるかどうかが、長続きする鍵となります。また、人類の衆生は、あまりにも多くの競争者の中で、それぞれの業界には異なる競争相手が存在し、淘汰される過程も多くあるのです。
一つの業界が長く持続できるか、それとも束の間の花火に過ぎないかは、創造発明と起業経営者、そして守成者がどのようなものであるかを見ればわかります。人類の生存志向の行動様式によって、それぞれが営む業界が区別されるのです。また、人類の生存に必要なあらゆる生活物資の必要性が融合しているからでもあります。
すべての人々はこのようなものであり、誰一人として事務用の物品を必要としない者はいません。このような事務用の物品は、まさにすべての有情衆生が必要とするものであり、このような欲求や必要性について、自分自身に適しているかどうか、必要としているかどうか、緊急性があるかどうかを理解できれば、創業や経営がどのようなものであるかがわかるでしょう。
新製品と創造的発明
後世を守り継ぐ者たちはどうであろうか？これによってはっきりと分かる、世の中のあらゆる職業はそれぞれ異なり、現代はさらに昔とは異なっている。有情衆生のすべての職業はすでに実に様々で、またそれぞれの職業には異なる欲望と性質がある。現代の様々な職業において理解しなければならないのは、どの職業からでも優れた人材が生まれるということである。
志を堅くして奮闘すれば、成功は期待できます。しかし、方向、目標、努力に加えて、福報が必要です。さらに、天の時、地の利、人の和という三つの条件が揃って初めて成功できるのです。そうでなければ、努力だけでは必ずしも成功するとは限りません。ただ、成功した人々は皆、努力しています。その最大の要因は、「福報が最も重要である」ということです。
その他には、努力、方向、目標があれば十分です。ただし、それは現在の衆生が必要とするものに基づいていることが前提です。そうでなければ、たとえ大金が入ってきたとしても、それは子供だましのようなものに過ぎません。一つの事業体が長期的に持続可能な経営を実現できるか、それとも短命でつかの間の花のように終わるかは、それぞれの人の福徳の量次第です。
創業の艱難は自らに依りて  守成の難しもまた易からず
方向と目標に努力を加える　努力の条件は福気である
成功はなおさら必要である　人間は同じ購買欲を持つ
長く持ち続けるには細心の注意を払い
通貨は水の如く必ず契約に応じる
この偈は、すべての有情衆生が互いに励まし合い、様々な異なる業種において、守成の難しさを知る必要があり、また経営者の福徳の大小を理解しなければならない。人道世界は事物の連鎖によって構成され、通貨の連鎖を具足しており、現在において長く成就を保ち続けることで初めて収穫を得ることができるのである。
無極満徳仙姑
無極は有情を造り成し生かし
満徳は蒼霊を護り佑けて真ならしむ
仙姑今日登台来り　大道倫理著作成る
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、こんばんは。本日は『大道倫理』天書第十三回の当番を務めることとなりました。ちょうど本宗脈の無極岳武穆王元帥が降臨され、創業の艱難辛苦に続く第二部「守成の不易」を解説され、人間界のあらゆる事業体が永続的に維持されることについて述べられます。
経営者に対しては、大いなる福徳の報いがあってこそ、大いに弘揚する機縁が得られる。このような弘化は、人間社会において展開されるものであり、それゆえに真実の普及が広がっていくのである。今日、仙仏の先生方が心を砕かれた深いご配慮を、しっかりと悟らなければならない。すべての人間社会における事業体は、まさに相互の因縁によって成就され、それによって持続可能となるのである。
要点の共有：創業の苦しみを経験した第一世代と、事業を守ることの難しさを味わう第二世代、そして勤勉に家を支え福報に恵まれた第三世代が互いに連鎖し、環のように繋がっています。つまり、第一世代と第二世代の苦労の中に第三世代が加わると、第三世代に対して過度に甘やかす傾向が生まれ、かつてのように真剣に努力して奮闘することはなくなり、第三世代に対する愛情の蓄積は往々にして行き過ぎてしまうのです。
もし継承が続かなければ、断絶する可能性があります。このような第三世代は普段から安逸に慣れ親しみ、祖父母や両親が苦労して事業を起こした過程を理解することができず、真剣に努力する姿勢も持ち合わせていないため、より大きな成果を上げるのは非常に難しいのです。逆に、第一世代や第二世代が残した事業を、第三世代がさらに発展させることができれば、より大きな成功を収めることができます。このような縁や条件は、事業を守ることの難しさを象徴する第三世代であり、革新を生み出せるかどうかに関わってきます。よく「富は三代続かず」と言われますが、一方で多くの場合、事業を拡大し、さらに発展させて成功を収めた子孫が「先祖の名を輝かせる」こともあります。古くから言われているように、優れた子孫を得るためにはまず徳を積み、先祖の徳を長く受け継いでいくことが必要なのです。
2015年3月8日21時36分◎＃※   了解。
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第卅六回   　勤儉忍讓
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第十四回　   辛勤持家
勤勉はゼロから事業を興す基本である
無一文から事業を興すのは容易ならず、家業を守り発展させるには、人間社会の一員として家庭を築き上げるように、どの業種であれ例外なく、懸命に家計を支える努力が必要である。あらゆる業界に共通して言えることだが、創業の苦労を経た後、その成果を維持していくことは大変難しい課題であり、このような局面では、常に勤勉に家業を守り立てていく姿勢が求められる。
この業界を長く持続的に守るためには、勤勉に家業を維持することができなければ、事業や様々な業界を成長させることはできず、疑いなく単なる現状維持に過ぎません。勤勉に家業を維持した後には、必ず「修繕、改善、革新」を行う必要があり、それは現状維持の難しさを相互に補完し合うものなのです。
また、家計を支えるための勤勉さには、より完全な向上が求められます。各業界の基本的な枠組みは正しいものですが、しかし、勤勉さだけでは必ずしも家計を支えられるとは限りません。それでも、最も基本的な部分では不足や欠落が一切生じないようになります。これは比較的保守的な方法であり、なぜ勤勉に努力して初めて家計を支えられるのか、節約もまた必要不可欠なのです。
どのような業種であれ、最初は無一文から始まり、最小限の資本でスタートするものです。
最大限に発揮させること；このような「小を以て大を博す」作用は、中土の炎黄子孫において基本的な行動様式として変わらず、必ずや「小を以て大を博す」ことによってより大きな収穫があることを理解すべきである。人道世界は常にこのようである。
家を支えるには、必ずや成果を上げるべし
このような小さなことから大きなことを成し遂げる基本的な行いは、あらゆる業界で払われている勤勉な努力にこそある。その中で、各人が払っている努力は、それぞれの業界における努力であり、必ず勤勉に家を守るという基本に従わなければならない。そうしてこそ、この業界と家庭が衰退することはない。あらゆる業界は相応の努力を払った後、初めて金銭的な報いを得ることができるのである。
このような努力は、すぐに報われるとは限りませんが、平穏で満ち足りた生活を送ることができます。つまり、成功には努力が必要ですが、努力が必ずしも成功につながるわけではありません。なぜそうなるのでしょうか？それは、努力をした後には、方向性や目標、そしてその成果が人々に好まれるかどうかが重要だからです。
もし、ある業界の製品が人々の深い支持を得られなければ、事業の拡大は難しく、安定した収入も得られず、かえって元手を失う悔しさを味わうことになり、ひどい場合には全財産を失うことさえあります。そのため、倹約して家計を守るという基本姿勢においては、世の中のあらゆる業種を問わず、最初は必ず一定期間の努力が必要なのです。
初めて確固たる優れた基盤を築き、外へと拡大する契機を掴むことができる。人道的な世界はこのような経営の必要性であり、また各新業界が開拓されるたびに、開拓者は他の人よりも一層苦労し、勤勉に、努力する。このような苦労、勤勉、努力が無駄にならないようにするにはどうすればよいか？
家計を支える基本的な役割を果たす
必要とされる観点：天の時、地の利、人の和、そして販売する物品が人々に好まれるかどうか。このような厳しい試練に耐えられず、他者に好かれないのであれば、多くの努力――時間、精神、労力、丹念な世話――を費やしても、金銭が入ってくるのを待つしかないのは明らかである。
他人が次々と金銭を手に入れるのを見ていると、自分にはなかなかお金が入ってこない。そんな時、心の平静を保つのは難しく、どこか間違っているのではないかと感じる。次々と疑問が湧いてくる。風水が悪いのか、立地が悪いのか、人通りが少ないのか、経営方法が間違っているのか、とあれこれ考えを巡らせる。
これらの様々な不適切な要素が重なり合うことで、安心感を得ることが難しい障害点が生じます。この種の障害は、経営者や販売担当者にとって非常に大きな打撃となります。なぜこのような状況が起こるのでしょうか？他人が日に日に財源を蓄えていくのを目の当たりにしながら、自分自身は日に日に客足が遠のいていく――この原因は一体どこにあるのでしょうか？
努力以外にも、まだ多くの未知の問題があることを理解しなければならない。自分自身の能力はどれほどあるのか？認知と観察力はどれほどあるのか？その中で、販売する製品に対する観察に加えて、人々に深く好かれることができるかどうか。どの商品も人々の確かな支持を得られなければ、大きな収入を得ることは根本的に不可能である。
成功する販売手法
なぜならば、人間が好み憧れる商品は一種の吸引力であり、この吸引力は人間に対して非常に高い購買力を生み出すからです。では、販売される商品はどのようなものか？購買者の人波が戻ってくるか、あるいは口コミが次々と広がるかによって、自らの商品が人々の欲望に対してどのような追求をしているのかを知ることができるのです。
もし、再び購買力が戻ってこない状況で、人間の欲求も一度限りの購入に留まるならば、おそらく商品自体を見直す必要があるでしょう。自社の商品が他者から憧れられ、好まれているかどうかという点が、努力を重ねたにもかかわらず十分な回収が難しい障害となるからです。商品が他者から好まれ、憧れられるようになった時こそが重要なのです。
大きな利益をもたらす「財宝が倉庫に入る」状況であっても、他人の商売が繁盛しているのを一日中見て、自分が経営する店は閑古鳥が鳴いているのを目の当たりにすれば、どのような心境になるだろうか。経営者にとっては非常に大きな試練であり、どうしようもないことだ。経営者の見識と知恵はどうだろうか。それは過去に判断し、選択した業種が誤っていなかったかどうかにある。
また、選択した業種が他の人よりも有利かどうか、つまり台湾のことわざで言う「比較的市場で受け入れられるか」については、これは個人の福報と大きく関係しています。なぜ普通の人はどんな業種に就いても相応の収入を得られるのに、多くの人はどんな業種に就いても損失を出し、ひどい場合には元手さえも回収できないのか。
眼光が鋭く判断が正確であってこそ、成功を収めることができる。
また多くの資本を借り入れ、後には借りた利息さえ返済できなくなり、債権者が毎日家に押しかけて金を要求し、終日怒鳴り散らしてあなたを恐怖に陥れ、東に西に逃げ隠れし、一日中憂い顔でどうしようもない状態に。なぜ自身の運命はこれほどまでに過酷なのか？問題の所在は一体どこにあるのか？
これには天の時、地の利、人の和の三つ以外にも、方向性、目標、タイミング、そして努力が必要です。さらに商品自体も市場で競争力があり、人気があることが求められます。それに加えて、福徳の報いも添わなければなりません。そうでなければ、すべての努力の末に、たとえ収入を得られたとしても、その見返りは努力に比例するとは限らないのです。
しかし、投入した努力と比較すると、バランスが取れず、収入を得ることも難しく、しばしば無駄な努力に終わることが多い。この状況は経営者にとって非常に大きな打撃となる。人間の衆生はこのようなものである。なぜ過去に事業を選択する際に、まず自らの能力を十分に考慮しなかったのだろうか。
自分自身の本命と福徳に合ったものがあるかどうか、さらにそこに注いだ努力は、単なる時間と経験の蓄積だけではありません。もしこのような経験がお金で買ったものであれば、前回の失敗から教訓を学び、前回選んだ職業がちょうど時機を知らなかったために、大きな損害を被ったことを理解するでしょう。
家を支える根本は勤勉に努めること
一つの事業を営むには、舞台の下で長く待てばやがて自分の番が来るということを理解する必要があります。これは、あらゆる事業に携わる衆生への戒めです。時に、他人の認めや好評価は一瞬にして得られるものではなく、長い時間をかけた経営と努力、そして苦労の積み重ねが必要です。これこそが、その苦労がもたらす結果なのです。
また、毎日の客足が増えているか、それとも次第に減っているかも把握すべきです。これは商品そのものの問題に関わるだけでなく、サービスにも関係します。この二つが合わさって、商品が人々に好かれるか嫌われるかがはっきりと分かり、同時に収入があるかどうかの根拠も明らかになります。
心理的にもかなりの障害と隔たりが生じ、金銭的な回収や利益を得ることはさらに難しくなります。人道世界の様々な商品が有情衆生に長期的な需要をもたらし得るかどうか、この長期的な欲求の中から、時間の経過とともに次第に顧客が訪れるようになり、それに親切なサービスが加わればよいのです。
もし、従事している業種が独占的なものであれば、より人気を集めやすく、市場での競争力も高まります。このような独占的な業種は、つまり唯一無二の業種であり、長い時間を経てその地域で必要とされる商品となり、収入も増えやすくなります。そのため、家族のために懸命に働くことも比較的容易になるでしょう。
市場の需要がどのようなものであるかを理解する
世の中で求められるものは、まさに一人ひとりが必要とするものであり、また多くの人々が欲求を抱いているものです。もしそうであれば、成功する機会も他の人よりずっと多くなります。この時は勤倹に努めて家を守り、どんな職業であっても差別せず、お客様から深く愛され認められるようになるのです。人とは違う成果を上げたいと思うなら、他の人も気にかけることはないでしょう。
ただ一つの独占市場で誰も比べられないから、経営者にとっては、比較的気楽なものだ。また、お客様はあなたが販売する商品を好み、喜んでお金を出して購入してくれる。このような状況では、マーケティングや企画はまったく必要ない。なぜか？このような人の福報も比較的良いからだ。
皆さん、よく観察してみてください。このような経営者は、たいてい福々しい顔つきをしており、非常に親しみやすい感じがします。同じように、お客様もこのような縁を好まれる傾向があります。おわかりでしょうか？実に、半分以上は前世で積み重ねたものであり、今生でこのような大きな縁と福報を得て、その家に加わることができたのです。
家を支えるには勤勉に働き、倹約に努め、労苦に耐えなければならない
どのような職業であれ、必ず何かを捧げる必要があります：労力、精神力、時間、様々なものなど。その中でも、家庭を支えるために努力することは非常に重要であり、どのような職業の人でも、一人ひとりがそうあるべきです。人間として生まれたからには、少しぐらい苦労しても大丈夫です。人間として生まれたからには、勤勉に生きるべきです。
人というものは勤勉であってこそ報われるものであり、また仕事を持ってこそ報いを得られるものです。もし誰もが一日八時間しか働かず、大きな収穫を得たいと願うなら、それは各人の払った努力次第です。精神と時間をかけて報酬を得るのです。他人がより多くの労力を費やし、懸命に働いているのを見て、羨ましいと思うでしょうか？
人よりも勤勉に働き、より多くの労働と精神的努力を払えば、より多くの収入と見返りを得ることができます。人よりも多くの時間と努力を費やす必要がありますが、それによってより大きな収入を得ることができ、通貨で家庭で欲しいものを購入できるのです。これは、公平な努力と見返りが等しく機会を得られることの証です。
ゼロから事業を興すのは　  　守り抜くことの難しさを知るべし
家を支える努力は必ず報われる　継続的な奉仕は大きな見返りをもたらす
人生一度は努力すべし　人として生きるなら気概を持て
人より多く努力すれば　収入は倍増し　福は自らに返る
この偈を！有情の衆生と共に励まし合い、勤勉に家を守る第三篇を、皆と共に励まし合い、皆が知ることができるよう願います。その中にある福徳と智慧の応用は、時に全ての計画よりも完璧であり、大きな利益をもたらします。秘訣は既にその中にあり、常に福徳ある者が多く用いるものです。
無極理法仙姑
無極仙仏降りて著作す　　理法の徳澤有情に及ぼす
仙姑が今日当番で参上し
倫理天書が登壇して演説を始める
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈の無極城隍帝君が降臨され、『大道倫理』第十四回を著作されました。ここでは、勤勉に家庭を守る因縁について分析を加え、全ての人倫世界と崇心宗脈の学生に対して、より大きな成就をもたらすことを願っております。この中で、福徳と智慧の応用について述べられますが、これは皆様が真に利益を得られるものとなるでしょう。
重点を共有します：各業種の違いによって、すべての生き方の方向性が互いに結びつき、また各人の経営スタイルも人によって異なります。このような問題点について、一般の人は「努力さえすれば必ず成功して収穫を得られる」と考えがちです。実はそうではなく、この中にはあまりにも多くの不確定要素が含まれており、努力したからといって必ずしも成功するとは限らないものがたくさんあります。さらに、古代から言われてきた「天の時、地の利、人の和」、そして現代の「方法、目標、タイミング、努力、福徳、知恵」なども必要です。それに加えて、人間の欲求に違いがあるかどうかも、お客様に深く好かれるかどうかに影響し、そうして初めて成功の収穫を得ることができます。どれ一つとして欠かすことはできません。皆様の参考までにご提供いたします。
2015年3月8日21時37分◎＃※  了承。
無極玄天上帝
第廿三回　賢き嫁
◆ 跋・讃賀 ◆
大道倫理跋三贊勉
2009年10月23日　己丑年九月初六日（金）
◆ 本文 ◆
第十四回　   辛勤持家
無極の因縁が崇心に降りて　玄天上帝の徳意が導く
大道倫理十五回　勤労節倹は本因なり
第廿四回　有德なる嫁
第十五回　   勤勞節儉
勤労と節約は美徳である
白手で家を興した後は、守りを固めるのが容易でなく、家をしっかりと維持し続けるためには、勤勉で倹約でなければならず、そうして初めて長く続き、より大きな収益を得ることができる。また、この世におけるこのような勤勉と倹約は、すべての衆生が必ず持つべき基本的な考え方である。すべての衆生は、この世の福報が良かろうと悪かろうと、その福報を大切にしなければならない。
長期的な蓄積を実現するには、勤勉で倹約する美徳が欠かせず、そうしてこそ家庭に後顧の憂いがなく、これこそが正しい道である。また、勤労は美徳であり、倹約もまた美徳である。この二つが揃うことで、十分な財の蓄積が可能となり、金銭的な福徳に恵まれない者は、なおさら勤勉と倹約に励む必要がある。
なぜ勤労が必要なのでしょうか。前世の福報を今生に持ち込んだとしても、一般の人々は長く続けて大きな財徳や福報を積み重ねることはできません。これは言わば、少し使えばすぐに尽きてしまうようなもので、将来より大きな収穫を得ようとするのは、木によって魚を求めるようなもので、無理な話です。このような環境下では、どうして十分な通貨や福報を蓄積することができるでしょうか。
人界はどの地域の衆生をも区別せず、人類の衆生から見れば、すべて
通貨の連鎖が組み合わさって初めて、金銭的な能力が十分に備わり、求める物品を購入することができます。このような物品は全て金銭を必要とし、それによって初めて購買の原動力が生まれます。もし人間の衆生に福徳が不足しているならば、通貨を十分に備えようと望むことは非常に難しいことなのです！
勤労と節約の必要性
家庭に衣食住を与えられることは、すでに天があなたを疎かにしていない証です。このような福報は、選択した職業と大いに関係があります。なぜ現代では多くの人が、容易に通貨の縁に恵まれるのを見ることができるのでしょうか？時機の良し悪しに関わらず、このような福報に恵まれた人は一般的に言えば、福報と通貨に満ち足りているものです。
景気の良し悪しを全く区別せず、むしろ少しも関係がなく、日常生活における通貨の蓄積にも何ら影響を及ぼさない。このような福徳の通貨に恵まれた衆生は、どのような職業に従事していても、少しばかりの精神的労力を払うだけで、他人の千百倍の収穫を得ることができる。
このような福報と通貨はどのように形成されるのでしょうか。前世において無為の布施を行い、少しも恨みや不満を抱かず、ましてや「三輪体空」の境地で、すべての行いは陰徳の積み重ねであったからです。このような行いに対しては、一文の施しが百文の回収となり、さらには千万文の回収となるのです。
このような人々は、現世においてわずかな努力を払うだけで、他の人々よりも多くの報いを得ることができます。皆さん、よく考えてみてください。なぜこのような人々は、福徳と財貨を容易に蓄積することができるのでしょうか。それは前世において無為の布施を行い、しかも他の衆生に非常に大きな利益をもたらしたからなのです。
福報に節約を加えれば富を築くことができる
このような布施は、今世において大きな福徳と財産に恵まれることになります。皆さんもこのように得たいと思いませんか？無為の施しと三輪体空の布施があるかどうかを観察する必要があります。このような人間の福徳と財産は、累世にわたって積み重ねられ、勤勉と倹約の中で培われたものであることを理解しなければなりません。すべての福徳をありのままに大切にすることが肝要です。
この中において、全ての衆生は皆同じである。また、福報を得たならば、それを大切にしなければ永続的に保つことはできず、わずかな善行をしただけで、このような福報という通貨を得ようとするのは、おそらく非常に困難であり、たとえ得られたとしても長くは続かず、しばしば「寅の年に卯の年の食料を食べる」という苦境に陥ることになる。
有情なる衆生は、福徳に恵まれた者も、普通の者も、貧しい者も区別なく、皆、勤勉で倹約であってこそ長く安泰でいられる。それぞれの職業によって持つ金銭の多寡は異なるが、福徳がどうであるかも理解できるであろう。勤勉に努めた後には、さらに倹約に家計をやりくりしなければ、家庭に後顧の憂いなく過ごすことができるのである。
家庭において長期的に十分な財産を維持するには、どのような点に注意すべきでしょうか。第一に、勤勉であること。勤勉こそが求めるものを満たすことができるからです。これは時間、精神、労力を費やして得られる報酬であり、家族を養うための基盤となります。第二に、倹約であること。給与や報酬として得たものを大切に使うことです。
勤労と節約を基本的な行動指針とする
また細かく分類し、家庭における必要な支出項目はどのようなものかを把握する必要があります。そうすれば、余裕のある部分で不足を補い、無駄な出費を節約して、いざという時の備えとすることができます。さらに、人間を含むすべての生き物の生存は無常の旅人であり、この制約から逃れられる者は一人もいません。ですから、「無常は常に、身近に付き従っている」と言われるのです。
その中にある本来の意味は、誰もがこの一生において、未来にどのような災難に遭遇するのか根本的に理解できないこと、またどのような禍いが起こるかも分からないこと、今日が過ぎた後、明日もなお健在でいられるかどうかが分からないことです。したがって、「無常」とは人界における無形の殺人者であり、防ぎようのないものなのです。
そもそも次の瞬間がどうなるか、まったくわからない。有情の衆生は、無常が訪れないと思いがちだが、知らず知らずのうちに閻羅王が常に通知を送っている。今日が過ぎれば、明日はまた一日減る。今年もそうであり、来年もそうであり、年々そうである。人間は自分がいつ命を終えるか、理解することができない。
お尋ねします。人類の衆生には、明日がどれほどあり、今年がどれほどあるでしょうか？必ずしもそうとは限りません。無常が訪れた後は、両足を伸ばし、両手を広げて、もはや世の中のすべてのことに構わなくなることがよくあります。今生の寿命がどのようなものかを知ることができるでしょうか？難しいことです。絶頂期には、よく横暴で非常に悪質な勢いを示すものです。
人生は無常、誰が免れられようか
地位を失って初めて、自分が一生の間にあまりにも多くの敵を作り、恩人たちも次々と去っていったことに気づいた。残りの人生や来世で、かつての絶頂期のような福徳や富を得ることなど、もはや不可能だ！人生はただ時空の旅人に過ぎず、舞台に上がるも下りるも、将軍になるも宰相になるも、波の上がり下がりに過ぎないということを悟れるだろうか。
これが人生という一つの芝居であり、誰もが一生を生きる中で、無常はただ常に身近に付きまとうだけでなく、命さえも取り去り、あなたのすべての福徳と財産までも奪い去るのです。皆にとっては泣くに泣けず笑うに笑えない時空の因縁であり、人生の一世はどうしようもなく、このような時空の中で一生を過ごすしかないのです。
節約：これは不必要な出費を防ぐことであり、これは人類の衆生が最も知るべき事柄である。人は誰しも一生を通して「無から有が生じ、有の中に充足を得る」という過程を経る。福報と金銭もまた同じであり、この限界を超越できる者がいるだろうか？まったく不可能である。
理解しておく必要がある：舞台に上がるも下りるも、将軍となるも宰相となるも、高まりも低まりも、再び舞台に上がり将軍となる時、つまり波が次々と押し寄せるような高まりの時には、相当に良好な人脈を備えることができ、相当に多くの金銭や財産も備え、相当に良好な物質的享受も備えることができる。これらはすべて人生の高まりが備える条件である。
勤労節約の本来の意味
古くから言われている：「好天の時に雨の日の食料を蓄える」とは、つまり人間社会が舞台を降りた後、もう演じる芝居がなく、さらには低迷することを深く恐れることである。この時、過去に積み重ねた善縁がどれほどあるかが、未来の福報と通貨の多寡に関わってくる。そしてこの一生は、勤勉で倹約に過ごさなければならず、そうして初めて比較的持続可能になるのである。
また、豊かな通貨を享受することができてこそ、真の人生と言えるでしょう。皆さんはどうお考えでしょうか？一般の人々が長期間このような環境にいると、第一世代は比較的勤勉で倹約でき、第二世代は家業を守り家を維持することができ、第三世代は生まれた時からすべての福報が非常に良好で、優雅な生活に慣れてしまうのです。
罪を犯し悪業を積む機会も、自然と多くなってしまいます。人生は浮き沈みの連続であり、もし福徳が不足し欠乏している時には、財産を蓄積することは難しく、福徳も家に入って来ることができません。あるいは、あなたに福徳が備わるのをずっと待っているのかもしれませんが、このような状況をあなたはどうお感じになりますか？
したがって、福徳と金銭がまだ訪れないときにはどうすればよいか。たいていは勤勉に働き、それに倹約を加えることで、安らかに日々を過ごすことができる。これこそが根本的な道である。人間の衆生がどれほどの福徳を持っているかについては、天は誰にも教えてはくれない。事業を拡大すべき時なのか、それとも現状を守るべき時なのかを判断するのは自分自身なのである。
勤労と節約の美徳の効用
これといった目立った現れはなく、あなたにとっては、常に比較的進んで労苦を惜しまず働き、さらに倹約を重ねることで、家庭に後顧の憂いがなくなることが、この人生で払う代償なのです。皆さんにお尋ねしますが、勤勉ですか？倹約していますか？一般の人々は貧しい時には、皆かなり倹約し、また勤勉でもあります。
しかし、福報が良い時には、稼いだお金を使い切ることさえできないほどで、あなたは節約するでしょうか、必ずしもそうとは限りません。人間の衆生は皆移り気なもので、環境が少し良くなり、手元にいくらか銀貨が貯まると、すぐに悪業を造りがちです。この時に悪業を造らない者は、あまりにも稀なのです。
人間は順境の中にいると、あまりに平穏で順調すぎて、かつての勤勉で倹約な美徳を失い、過去のすべての警戒心を忘れてしまうことがよくあります。古人が言うように、「富は三代を超えられない」という理由はまさにこれです！三代目は、一代目の創業の苦労や二代目の守成の困難さを理解できず、ただ福報を享受するだけになってしまうのです。
富は厚い徳を積むことによってこそ、長く続くことができる
それゆえ、三代目の子孫の代になると、たちまち先祖が積み上げてきた財産を使い果たしてしまい、もはや財産が増えることもなく、それどころか自分は十分な福徳に恵まれていると思い込み、この人生はこのままでいいのだと考えてしまいます。まるで口を開ければご飯が運ばれ、手を伸ばせばお茶が届くような、あまりにも安楽な生活を送っていると、かえってその人をダメにしてしまうのです。
本来この世で、向上し超越すべきところを、今になって初めて知る。天が下す禍いは、まさに富貴によって消え去るもの。しかし天が授ける福もまた、勤勉と倹約、逆境の中から増し加えられる。どうしてこのようになるのか？人生一世、いかにしてこの中のすべての奥義を見破り、上へと成長していくべきか。
その奥義を悟ることができるならば、その秘密はどこにあるのか？もし悟ることができなければ、その中の秘密と玄機について、皆さんは特に注意を払わなければなりません。なぜなら、無常は常に身近に付き従い、あらゆる物質的な享受や金銭的富を一瞬にして消え去らせ、完全に消し尽くしてしまうからです。あなたは防ぎようもないのです。
将相となる道の浮沈あり
高潮低潮は繰り返す
舞台に上がるのも下りるのも悟っておくべきだ　広く善縁を結ぶことが正しい道である
創業の苦労は勤勉に耐え
守成の難しさは心を砕く
倹約して家を治めることが真の道であり
長く続けることで福と財が高まる
この偈を！有情の衆生と共に励まし合い、世の中のすべての浮き沈みは、ただ一つの時空の因縁によってもたらされたものに過ぎず、それを掌握できるか？不可能である。福徳の通貨が比較的良好な時には、必ず福徳をさらに増し加えることを心がけよ。またこのような事例は世の中にあまりにも多い、戒めとすることができるか？必ずしもそうとは限らない！
無極道円仙姑
無極の道円くして登台を成し
仙姑欣び悦びて賢載に会う
皆様吉祥、ご安泰でありますように。勤労と倹約はなおさら大切です。
諸聖仏と諸賢生、そして無極大道院及び院修学士の皆様、今晩は。本日は本宗脈の無極玄天上帝が降臨され、『大道倫理』第十五回を著作され、勤労と節倹の美徳を天書の中に記されました。今日の奥義がどこにあるか、皆様はお分かりでしょうか。
勤労と倹約も無為の布施と合わせて初めて、福報が増し財産が蓄積される。福徳を積むことも持続しなければならず、そうすれば金銭に恵まれやすくなる。さもなければ、景気が悪い時でも多くの人が安らかな一生を送れるわけではない。その中で全ての努力の要諦は、勤労と倹約に福報を加えることこそが正しい道なのである。
重要なポイントを共有します：事業経営も個人の家庭も、勤勉で倹約であることが必要です。生存と経営の両方に福徳が加わってこそ、比較的順調に進むことができます。もし家庭や事業経営において、あまりにも多くの困難や障害、問題が山積みになっているなら、その大部分は前世の福徳と善き人脈の縁が不足していることによるものです。今生において広く善縁を結び、布施行を多く実践すれば、多くの障害や問題の発生を減らすことができます。信じられますか？試してみてください！
2015年3月8日21時38分、◎＃※、了解。
無極教化天尊
第廿五回　妯娌和睦
第十五回　   勤勞節儉
無極教化天尊降り給う　崇心宗脈吉祥を兆す
大道倫理十六回　　物を大切にするは本来の姿
第二十六回　義姉妹の親友
第十六回　   珍惜物資
物資を大切にし、福を惜しむ条件
有情なる衆生は区別なく、前世の福徳が今生に加わるものであれ、あるいは一から身を起こす宿命を持つものであれ、皆、物資を大切にしなければならない。なぜなら、すべての物資の由来は非常に容易ではないからである。したがって、すべての衆生が口にするもの、用いるものは、必ず大切にし、決して粗末にしてはならない。
これは、天の徳沢がすべての物資を下化し、人道世界において相互に応用されることです。しかし、有情の衆生にとって、このような物資はまさに天地が生み出した物品であり、必ず大切にしなければなりません。それこそが福を惜しむ基本的な行いであり、また皆が共に享受し、天地の中に豊かな物資が満ち足りることを可能にするのです。
上蒼が創り出したすべての種は、有情の衆生に対して区別するものではなく、ただ人間の衆生のみならず、大いなる天下のあらゆる万物の衆生に対して言えることであり、異なる種が存在することは、食物連鎖の組み合わせの必要性を提供するものである。また、食物連鎖の組み合わせがあるからこそ、物事の連鎖の必要性が生じるのである。
こうして通貨連鎖の因縁が整い、これらの様々な要素が重なり合うことで、有情が生じるのです。
衆生の実相世界においては、いかなる人間衆生も、食物連鎖と事象連鎖、そして通貨連鎖という三つの連鎖から逃れることはできません。まさにこの三連鎖によって、情ある人間衆生の一人ひとりが、衣食足りた穏やかな生活を営むことができるのです。
物資の基本的な役割を大切にする
現代において、さらに顕著なのは、便利さと快適さが広く普及し、あらゆる衆生が飽食を求める願いが相互に縁を結び、購入を通じて必要な物資を満たすことができることです。人道世界は購入を通じて必要な物資を手に入れ、求める必需品を所有することができるようになりました。このような条件は、人間の衆生を基本としています。
また、すべての生活物資について、情愛を持つ人類の衆生が皆所有できるようにし、さらには一人一人が公平に十分に持てるようにすることです。人類の衆生は、自分が持っている物資をより大切にしなければならず、たとえ現在の福徳がどれほど良くても、さらに福を大切にし、お金で購入したすべての物品を大切にしなければなりません。
しかし、過ぎたるは及ばざるが如し、いずれも中道ではありません。有情の衆生にとって、衣食住が満たされることは、ただ腹一つ分の必要に過ぎません。毎日の三食に加えて夜食やその他の衣食住の物資。福徳が良くても、多くの金銭を使って購入する方法で、この金銭で買える条件を手に入れたとしても。
必要に応じて知るべきことは、生存に必要な物資を提供する様々な有情衆生も、すべて金銭で購入して交換しているということです。生存に必要なあらゆる物資に対して、有情衆生はあまり浪費してはならず、過剰に所有することも避けなければなりません。また、人間の生存の方向性においても、福を大切にし、物資を大切にしなければなりません。
物資の効用を大切にする
人々の世はまさに「春に生じ、夏に育ち、秋に実り、冬に蓄える」という循環を繰り返しています。あらゆる物資は季節の移り変わりの中で、月ごと、年ごとに異なります。昔は保存方法を活用して多くの物資を蓄積・貯蔵できましたが、現代では冷蔵庫や冷凍設備がなければ、多くの物資を新鮮なまま保存することはできません。
また、食物そのものについて観察してみると、もし保存期間が長すぎると、新鮮さが失われ、健康に多くの支障をきたすことになります。現代はもはや昔とは異なり、かつては物資を何年も保存できましたが、今の世の有情衆生は皆、比較的新鮮なものを好みます。保存期間が長すぎると、物資そのものに様々な変化が生じる恐れがあるのです。
一部の漬物や酒類を除いて、長い時間を経なければ食べられないものがあります。このような物資から見ると、現代の衆生はこの種の物資にあまり新鮮味を感じず、また現代の衆生は新鮮な物質を重視する傾向があり、十分な栄養成分を含むものは、腫瘍やがんの発生を多く減らすことができるのです。
現代の人類は、知識と知恵が成長し高められています。そのため、昔ながらの一部の漬物類には以前ほど憧れを抱かなくなりました。これも知識と知恵が高まった結果であり、人類衆生の健康に対して、より大きな成就と利益をもたらすことができるのです。物質の源は多かれ少なかれ、すべて天地が生み出したものであり、有情の衆生が享受できるようにと与えられたものなのです。
物資を大切にし、無駄遣いをしてはならない。
現代の有情衆生に対して見るに：昔の古代帝王の家の食事と比べても、ずいぶんと改良され、より新鮮なものとなっており、これはまさに天地の徳沢がすべての人類の生存と衣食住に対して、大きな向上作用をもたらしているのである。それはすなわち、人道世界における生存の方向性が、天地の生み出す物資に対して向けられているからにほかならない。
様々な業種の衆生を通じて、全ての人類の衆生に食物連鎖の中で供給がなされる。また、「春に生じ、夏に育ち、秋に実り、冬に蓄える」という四季を通じて生み出される様々な物資によっても供給される。言えることは、異なる季節に生み出される物品は、その季節においてより豊富で安価であり、また比較的廉価で新鮮な物品であるということだ。
すべての人類有情にとって、わずかな金銭で季節の品物を購入できることは、大きな福音である。さもなければ、日常生活の必需品をより高価な金銭で購入せねばならず、多くの有情にとって充足が困難となる。これは上蒼の本来の御心ではない。
経由して、上蒼は過去の不足や欠如を、有情衆生が比較的容易に条件を具足し、過去を超えることができるようにし、また「量産」によって比較的多くのものが得られるため、比較的少ない金銭で購入でき、所有を具足することができる。さらに、すべての普及的な便利さを得ることができる。
品質が良く値段も手頃なら、人気を得られるでしょう。
また、より大きな快適さの向上があり、皆さんはこれが良いとお考えでしょうか？これはつまり、ほとんどの有情衆生が、往昔の帝王の家にあったような食料物資の平均的な分かち合いを十分に備えることができ、すべての有情衆生が十分に満たされることを可能にするのです。これは、上蒼の基本的な恩恵であり、大いなる天地の環の中にあるすべての衆生の福徳を増大させるものです。
自分が生み出したものであれ、他人が提供したものであれ、物質的に恵まれているからといって、決して無駄遣いをしてはいけない。天の恵みを粗末にすることは、個人の福徳を損なうことになる。これは物資を大切にし、福を慈しむ行いであり、すべての衆生が衣・食・住・行・育・楽において満ち足りた生活を送るための心得である。
これは他の有情の衆生が多くの時間、空間、環境を犠牲にして得たものであり、人々の生活におけるあらゆる物品を提供しています。私たちは「誰か知る、盤中の飧、粒粒皆これ辛苦」という道理を深く理解する必要があります。これは農業社会が日常生活に提供する主要な食糧であり、人類衆生の飲食と温飽を成し遂げるものです。
物資を大切にすることも一つの美徳です
一切の福を大切にすることは有情の衆生により大きな利益をもたらし、また各人の福報の多寡は前世で積み重ねたものであり、今生において福分が満ち足りているのは前世で積み上げた善報を享受しているからである。もし今生において一切の物資を大切にせず、未来や来世には食べるものもなくなり、このような天の恵みを無駄にする行為も福を惜しむことを知らないのである。
強化すべき点として、若い世代への人間教育において、彼らは両親が幼少期に経験した苦しい生活を全く理解しておらず、また時代の変化によって誰もが福徳に恵まれ、欲しい物を容易に手に入れられるようになったことです。皆様には物資を大切にしてほしいと願っています。もし物を粗末にし、資源を大切にしなければ、個人の将来の福徳は大きく損なわれることになるでしょう。
将来皆が食べるものに困ることがないよう、また物資を大切にする基本的な考え方と知識を持つべきです。情け深い人類の衆生は、良き行いとして物資を大切にします。古くから言われているように、誰が知るか皿の上の食事が一粒一粒苦労の結晶であるかを。得難き物資に対しては、その得難さを必ず大切にしなければなりません。
無一物から事業を興し　倹約に努め家庭を支え合う
嫁と姑は互いにいたわり合い大切にすることで、初めて家庭の幸せが訪れる。
人生の一世、多く福を惜しめば　必ずや未来に天の護りあらん
陰徳豊かに満ちて円満を招き、成長は徳の厚き顧みを超越す
この偈は、有情の衆生が互いに励まし合い、世の中のすべての物資を、自分自身だけでなく、他の有情の衆生にも安らかに行き渡らせ、後顧の憂いなく生きられるようにするものです。これこそが　上天の大いなる徳の恵みであり、その奥深さを悟ることができるでしょうか？
無極道円仙姑
無極より賜わりし崇心に来たり　  　道円仙姑の徳意に導かる
諸聖賢生の皆さん、ごきげんよう。
吉祥七期の大道を行く
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈　無極教化天尊が降臨され、『大道倫理』第十六回を著作されました。物資を大切にする本来の意味はすでに天書の中に記されております。天地の徳沢が有情衆生に及ぶことを理解できれば、安らかで不足のない生活を送ることができ、人類衆生は物資を善く大切にし、決して自然の恵みを無駄にすることなく、これこそが正しい道であると願っております。
要点の共有：人は誰しも、生涯における全ての生活過程において、物資を大切にする行いが必要です。もし福禄に欠けるならば、自らの求めるものを満たすことはできません。特に一生の福禄の中では、衣禄・食禄・住禄・行禄・育禄・楽禄・財禄・福禄・寿禄・富禄・子禄・功名禄などに分かれ、全てを具えることは困難です。よって、具えているか否かを問わず、上記のあらゆる福禄を一人ひとりが大切にし、物資を浪費して天の恵みを粗末にしてはなりません。そうすれば自らの全ての福禄を損ない、未来の福禄の具足も減じてしまいます。これは誰もが実践できる惜福の行いであり、有情の衆生すべてが大きな福禄を具えることができるのです。
2015年、3月8日、21時39分◎＃※   了解；
無極普賢菩薩
第廿七回     勤倹で家を興す
第十六回　   珍惜物資
無極より旨を頒ちて崇心堂に臨み
普賢、著作して倫理の章を成す
大道の系列は弘揚を展べ　  　姑と嫁の道は必ず明暢ならん
第廿八回　女人の争い
第十七回　   婆媳之道
嫁姑問題は古くから存在する。
中国の炎黄の子孫の家庭では、誰もがこの問題に直面します。また、このような人道世界の行動規範は、倫理綱常を通じて相互に構築され、初めて相互に補完し合うことができます。それはまた、姑と嫁の問題を相互に円満に解決し、家庭を円満にする幸運の星となることで、初めて家庭の繁栄を築くことができるのです。
人界ではこのように古来の道徳規範を実践してきたが、今の時代は昔とは異なっている。もし道徳倫理を現代の時代に強引に適用しようとすれば、おそらく現代の嫁たちにとっては規範に従うことが難しい障害となるだろう。また、かつてのように順調に実践されることも難しい。これは異なる時代における行いの違いである。
一つの家庭には、必ず「姑と嫁という二者」がつながり合って存在し、家庭全体が繁栄するには、倫理規範に基づいて行うべきである。姑が家庭の主な支えであるならば、嫁に対して相互に教え導くことができ、これもまた一種の相互伝承である。昔から言われているように、嫁が姑になるまでの過程は、全体を通して非常に苦労の多いものである。
新たに嫁いだ女性は皆、夫の家に入り、息子の伴侶として家庭を築き、嫁という立場を担います。
妻の夫は、共にこの一生を生きることになります。新婦が夫の家に入ったばかりの時は、すべてが初めてで不慣れであり、この家庭のすべてを理解するのは難しいものです。姑は新婦に忍耐強く教え導く必要があります。
嫁と姑の道は問題を解消する
嫁いだ後は、すべての礼儀作法や家中の大小の事務について、姑の経験をもとに嫁が学び成長していく。その中には嫁が学び経験を積むべきことが多くある。だから古くから言われているように、嫁は舅姑に仕え、夫を支え、家中の大小の世話をしなければならない。
このような条件は、核家族で言えば比較的成就しやすいが、大家族となると、一般的な努力だけで成就できるものではなく、なお多くの忍耐力が必要で、怒りや屈辱をこらえ、兄弟嫁同士、姑と叔父、親戚同士、すべての関係する親戚に対して四方八方に気を配り、さらに八方美人に振る舞わなければならない。
多くの嫁はこのように歩んできました。このような殊勝な因縁と条件は、まさにあなたが今生で取り組むべき課題です。女性として嫁となった者は皆、ありのままに向き合わなければなりません。いかにしてそれを美しく完璧なものにするか、これこそが「家庭を円満にする福の星、あなたの名は―良き嫁」なのです。
このように、普通の人では務まらないことです。夫は家をきちんと守っていれば十分ですが、妻は自分の役割を完璧に果たすだけでなく、家庭内外や親戚関係まで隅々に気を配らなければなりません。さらに毎朝早く起きて朝食を用意する必要があり、この状況は現代社会においても変わりません。
嫁と姑は互いに尊重し合う
また、時代や状況によって異なります。昔の嫁姑関係では、姑の方が威厳があり、嫁が一言でも反論すれば、それは嫁が悪いとされました。一方、現代の状況を見ると、嫁も仕事に励み、家庭のために尽くす努力は、夫が外で働く努力に決して劣りません。
ただ、すべての女性が嫁となった場合、大いに忍耐することが必要である。それどころか、一部の家庭では、家族全員が食事を終えて初めて嫁が食事をする余地ができ、さらにはすべての食器や皿、そしてあらゆる雑事は嫁一人が引き受けて行わなければならない。このような嫁に対する扱いは、まことに非常に不公平であると言えよう。
もしあなたが嫁の立場だったらどう感じるでしょうか。視点を変えればわかることですが、夫という立場は比較的楽で、妻という立場は比較的忙しいものです。このように、天はこのような形で調整を加え、多くの科学技術文明による調理方法を下ろされ、これらの嫁たちが少し楽になれるようにしてくださったのです。
嫁と姑はどちらも女性であることを理解しなければなりません。姑もまた、もとは他人の家の娘であり、夫の家に嫁いで嫁となったのです。姑もかつては嫁としての苦労を経験してきました。ただ、姑は先にこの家に嫁ぎ、息子を産んであなたの夫となり、その後二、三十年を経て今の姑となったのです。
嫁と姑が仲良く暮らすための心得
あなたも今後同じように、嫁から姑へと変わっていくのです。これは必然的な現象であり、変わることのない道理です。昔の姑はもっと威厳があり、嫁を教え導いて家族全体が学び成長して繁栄するようにしていました。嫁の立場も同じで、皆他人の家の娘として、夫の家に嫁いで嫁となったのです。
これもまた姑と同じく、一生の青春時代を夫の家に捧げ、さらに子を産み育て、一生をただ夫の温もりのためにのみ生きるのです。まるで牛や馬のように、一生の青春を費やし、さらに恨みも悔いもなく年を重ねて働き続け、一日の休息も得られません。
もしこの二人の女性が、いずれも他家から嫁いできた娘で、家のすべてに対して無償の奉仕を惜しまなかったとしたら、夫としてどう感じるだろうか？女性は一生をかけて青春を捧げるのだから、良き伴侶に巡り会い、生涯大切にされ、妻の捧げた青春を無駄にしないことができれば、少しは心の慰めとなるだろう。
もし、良くない人に出会ってしまったら、それまでの青春の年月は無駄になってしまい、一生の苦労が水の泡となってしまいます。このような犠牲と奉仕、質素倹約は全て、夫や子供たちの家族のためであり、姑や舅に仕え、夫を支え、全ての子供たちの世話をしてきたのです。
嫁と姑の関係は円満に
これこそ「偉大な女性の徳の恵み」が家庭全体に及ぶ様子です。皆さんはこの二人の女性が「姑と嫁」として生きることをどう思われますか。女性の一生は果たして何のためにあり、またどうすることもできないのでしょうか。実に大変なことです。姑もまた他家の娘であったのです。ただ少し早くこの家に来ただけで、一人の男性を産み、それが嫁にとっての夫となったのです。
この「姑と嫁」は本来、同じ陣営に立ち、互いに支え合い、互いに円満であるべきであり、それが正道である。彼女たちは皆、他人の娘であり、夫の家に嫁いで嫁となり、二、三十年の苦労と歳月を経て、一生分の青春をこの家に捧げてきたのである。
姑も次第に年老いてゆき、この頃には子供たちもだんだんと成長して大人になります。そうすると結婚の必要も出てきます。家の娘は必ず他人の息子に嫁ぎ、また他人の娘も家に迎え入れて息子の嫁にしなければなりません。言ってみれば、ただ自分の娘を使って、別の家の娘と嫁を取り替えているだけなのです。
家に入るということは、互いに家庭の幸せを円満にすべきものです。他家の娘を嫁に迎える時には、昔自分も他家の娘として嫁ぎ、夫の家で嫁として二十年から三十年もの歳月を耐え忍び、今日の姑となったことを思い起こすべきです。
嫁と姑の道は互いに補い合うもの
大切に世話をしなければなりません。他家から嫁いできた嫁も、実の娘のように世話し教え導くべきです。この二人の女性が栄えれば、この家はすべてが成就します。これは中土から受け継がれてきた倫理的美徳なのです！すべての問題点は学びと成長の機会であり、知識と経験を高め積み重ねていくことでもあります。
すべては学んだ後に、少しずつ積み重ねてきたもので、どうしても多くの誤りや不足、欠点があるものです。嫁の立場を十分に理解し、姑の苦労も汲み取らなければなりません。この世に、嫁も姑も相手と争いたいと思う人は一人もいません。そんなことは絶対にありえないことです。
ただ個人の視点が異なるだけで、すべての問題に対する見方も違います。嫁の不慣れや無知に対しては、大目に見てあげる必要があります。これは避けられないことです。また、心を広く持って、嫁が他家の娘として嫁いできて、息子の世話を手伝ってくれることに対して、この一点だけでも感謝すべきです。
良好な嫁姑の関係
また、家計から給料をもらうこともなく、むしろ長年にわたり世話を焼き、あなたの息子や孫のために生涯を捧げてきました。そう考えると、現代で外国人メイドを雇う場合、年俸200万から300万円（ボーナスやインフレ調整前）が必要なことを考えれば、いかに彼女たちが節約に努めてきたかがわかります。
また、あなたが払ったのはほんのわずかでしかなく、三度の食事と住まいを提供しただけで大きな役割を果たし、家の多くのことを助けてくれる助手となれるのです。このような視点で、姑と嫁の両方の役割が同じであると信じれば、共感を持って互いに大切にし合うことができるでしょう。ただ、嫁が新しい家に来たばかりの時は別ですが。
全てを優しい言葉で辛抱強く教え導き、そうして初めて「良好な姑と嫁の関係」が築けるのです。また、息子が他家の娘を娶り、家の大小の世話を手伝ってもらうのは割の良いことです。あなたにとっては、多くの子育ての負担が減り、今後はできるだけ手放すべきことは手放していきましょう。
嫁と姑の道を考えると、どちらも他人の娘であったのです。
親心は天下共通とはいえ、子供が成長した後は永遠に手放さずにはいられません。むしろ、別の女性に家事の労苦を分担してもらい、息子の世話を全面的に手伝ってもらい、家中の煩雑な事務を処理してもらい、さらに孫の世話という責任の大半も担ってもらうべきです。
姑として、いつまでも息子や孫を抱きしめて離さないつもりか？もしそうなら、お前は本当に愚かだ。これはまさに現代の人間たちが悟れない迷いの障壁だ。上蒼が息子の好む女性をこの家に嫁がせたのだ。お前はもっと大きな包容力を持てるか？
新婦には必ずよく教え導き、互いに情を大切にし、優しい言葉で辛抱強く教えれば、嫁とまるで実の母娘のように、親しい姉妹のように円満に付き合うことができます。これは女性の婚姻運であり、結婚しない限り、天下の女性は皆同じです。嫁姑の良好な関係を大切にし、あなたならきっとできます！
嫁と姑の道が円満に調えば　家族は栄え福徳が開ける
この世の青春のすべては　ただ夫のために尽くす
他家の娘が嫁に来ても　あなたと同じように良く世話をする
昔のことを思い出してみよう　どれほど慈しみ愛したことか
この偈を、有情の衆生と共に励まし合い、『嫁姑の道』第一回目として互いに励まし合い、現代の世に「嫁と姑」が必要とする二人が心を一つにし、同じ舟に乗って困難を乗り越えることで初めて円満な家庭の幸せが訪れることを示します：良き嫁は、すなわち『良き姑であり良き嫁』なのです。
互いに幸せで穏やかな人生を創造し、皆様が良縁に恵まれ、ご家庭の繁栄を促進し、家庭円満を創造されることを願っております。これは上蒼が期待するところであり、現代の新しい女性の家庭においては、嫁姑の関係において円満かつ調和のとれた幸せの源を築き、21世紀の新しい女性の素晴らしい家庭を創造することができるのです。
無極豁落霊官 王天君
無極豁落の霊官来たり、王天君登台し会に臨む
皆様吉祥、ご無事でありますように。嫁と姑の仲睦まじきは、理に適うことです。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院・院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈　無極普賢菩薩が降臨され、『大道倫理』第十七回を著作されました。まず第一回として嫁姑の道を詳細に分析されます。今後もこの嫁姑の道について継続して説き明かし、すべての家庭が円満で幸福な良き家庭となるよう導かれます。
現代の若い世代に、倫理綱常の中にあるすべての姑と嫁の接し方を理解させ、より円満な家庭を築くことができるよう願っています。この大道倫理の天書が、すべての人に無限の恩恵をもたらし、家宝として伝えられることを期待しています。それにより、世の中の夫婦の離婚という苦境を減らすことができるでしょう。
ポイントを共有します：姑と嫁の問題は古くから存在し、異なる二人の女性が同じ空間で生活する時、常に一人の男性をどうケアするかが課題となります。この男性はしばしば板挟み状態に陥り、一方には母が、もう一方には妻がいるため、この問題が生じると二人の女性の異なる価値観が浮き彫りになります。当然ながら用いる方法も異なるため、二人の女性はそれぞれ「夫」と「息子」としてこの男性を掌握しようとし、姑と嫁の関係が円満でない場合、息子であり夫である男性は二人の女性に挟まれて悩むことになります。もし姑と嫁の関係が円満であれば、
姑は嫁の立場に立って考え、嫁も姑の立場に立って見ることができれば、どちらもこの愛する夫のためではありませんか？どちらもこの可愛い息子のためではありませんか？すべての視点が同じなら、何を争う必要があるでしょう？ただ方法が違うだけではありませんか？双方が一歩譲り合えば、互いに感謝し合えるではありませんか？それで何事もなくなるではありませんか？何を争うのです！ただ夫や息子に自分の言うことを聞かせたいだけでしょう。こんなにひどくする必要がありますか？それだけの価値がありますか？まったく価値がない！こんなはずではなかった、皆さんと共に励まし合いたいと思います！
2015年3月8日、21時40分◎＃※   了承しました。
無極文殊菩薩
第廿九回　　男の苦しみを受ける
第十七回　   婆媳之道
無極の因縁来たりて心を崇め　文殊菩薩登台に臨む
大道倫理十八回　　嫁姑問題に新たな道徳的示唆
第三十回　夫婦離別
第十八回    　婆媳問題
嫁と姑の問題の原因
古来より嫁姑問題は存在し、中国に限らず世界各国でも同様である。特に先進国ほどこの問題が顕著になる傾向がある。これは人間関係において、一人の男性を巡って二人の女性が互いに支配権を主張し合い、双方の要求に従わざるを得ない構造が生じるためである。
互いに円満な一日を迎えることができるのは、なぜでしょうか？その理由は、一人は母親であり、一人は妻であるからです。この二人の女性が求める対象は、一人は息子であり、一人は夫であり、この一人の男性が二つの役割を演じているのです。しかも、この二人の女性のどちらも疎かにすることはできません。
もし、一方を怒らせてしまえば、もう一方に相当な不満を抱かせてしまう。そうなるとこの男性は散々な目に遭うことになる。このような男性はまさに板挟みで、一方は自分を育ててくれた母親、もう一方は新しく迎えた妻。この二人の女性の間で、どう調整すれば双方を円満に納得させられるだろうか？
これはかなり大きな問題点ですが、どうすれば完全に解決し、障害を取り除くことができるでしょうか？
これは古来より存在する問題である。一人は母親、一人は妻。この二人の女性は、一人は血縁で育ててくれた女性、一人は長く連れ添う女性であり、どちらも他家から嫁いできた娘たちなのだ。
嫁姑問題の対処法
一人は父の妻としての母、もう一人は自らが心から愛する妻。このような関係において、どのようにして二人の女性が互いに円満に、また共に一つの屋根の下で暮らしていけるだろうか。もし二人の女性が争いを始めれば、この男性は平穏な生活を送ることは難しく、常に板挟みの状態に陥ることになる。
嫁と姑の間で互いに寛容であり、互いに包容し、互いに尊重し、互いに慈しみ、互いに家庭の繁栄のために責任を創造し、家庭の幸福を円満にすることができるかどうか－それは二人の女性、一人は姑、一人は嫁であり、このような和やかな関係が、どの家庭にも難しい問題があるという状況を形成しているのです。
二人の女性が心から進んでこの家庭のために尽くすようにするには、それぞれの家庭の教化と身を以て示す教えの水準がどうあるかに関わってきます。賢淑な姑は、嫁が新しく門をくぐった後、必ず身をもって示す教え、言葉による教え、しつけによる指導という方法を取る必要があります。また、身をもって示す教えと言葉による教えは、嫁が受け入れやすいものです。
もしもしつけがあまりに厳しく、口うるさく言い過ぎると、嫁の不満を招き、息子の枕元でこそこそと愚痴をこぼし、腹いっぱいの不満をぶちまけることになるかもしれません。このような威厳を振りかざすしつけの方法は、もはや現代の時代には合わず、一般的なしつけに対しても、息子は妻に少し我慢するよう慰めるでしょう。嫁の立場から見れば、これはまったく正しいことです。
新婦を家庭に導き入れる
姑の立場から見れば正しくないわけではないのです。そうではなく、ただ二人の視点が異なるだけです。現代の世の中の時空と因縁はもはや昔とは違います。一つの円満な方法としては、嫁が新しく家に入った後、姑は新しい嫁を導いて家事を切り盛りさせ、家族全員の生活のすべてを習熟させるべきです。
また、新しい嫁が代わりに働いてくれるので、姑も少し息をつく機会ができ、姑のすべての生活習慣は新しい嫁に教えられ、一つまた一つと学んで成長していきます。さらに、家に伯父、叔父、叔母などが一緒に住んでいれば、かなりの人数が一緒に生活することになります。
先生とお姑さんだけではなく、お舅さんもいらっしゃいますから、家族全員が一緒に暮らすととてもにぎやかです。新しく嫁いだ花嫁は、家に入ったばかりで大勢の見知らぬ人々と向き合い、一緒に生活しなければなりません。一人ひとりの性格や習慣が異なるため、ゆっくりと付き合い、少しずつ慣れていく必要があります。
この新しい嫁が夫の家に入るにあたって、直面する問題は山積みとなる。新しい嫁が大家族に入るのは、夫に接するだけではなく、多くの親族にも接しなければならず、そのプレッシャーは普通の人には想像もつかないものだ。特に中国の炎黄子孫の家庭関係においてはなおさらである。
嫁と姑の問題の核心
倫理観念が新婦の生活に組み込まれると、どう対処すべきかわからない問題点も生じます。これは非常に大きなプレッシャーでもあります。このような生活環境は新婦にとって挑戦であり、すべての親族と共に生活を営むことは、まさに非常に大きな問題点なのです。
すべての問題にどう向き合うべきか？人間関係が複雑に絡み合う中で、それはちょうど新婦が嫁ぐ前に十分な心得を身につけているかどうかに似ている。さもなければ、どうして大家族の構成員すべてに対応できようか？核家族ならまだしも、大家族に直面するとなれば、非常に機転が利き、あらゆる方面に気を配らなければならない。
この時、一人の新妻がご主人の家に入りました。姑もかつては他家から嫁いできた娘であり、また姑はあなたのご主人を産んだ後、この家での地位はすでに確立していました。一方、新妻がご主人の家に入ったばかりの頃は、すべてが初めてで、慣れるのもなかなか難しいことでした。
また、家族一人ひとりの生活習慣、食習慣、個人的な癖などを理解することもできず、新しく嫁いだ者にとっては一つの挑戦であり、新しい環境に直面するプレッシャーでもあります。どう対処すべきでしょうか？この中で、夫も姑も同様に、初めはお互いに不慣れな関係から、少しずつ学び成長していくのです。
辛抱強く学べば成長する
そして自分に子供ができた後は、舅姑に一つの答えを出すことができる。もし、昔のように男尊女卑の傾向が強い家庭であれば、新婦が産むのがすべて男の子であれば、この新婦の家庭内での地位は日に日に姑よりも安定し、日に日に多くの寵愛を受けることになる。
このように、新妻は夫の家に入り、日々学び成長しながら次第に地位を築き、やがて家庭全体の中心的な存在となります。この段階になれば、嫁姑問題が生じる可能性は比較的低くなります。ただ懸念されるのは、新妻がずっと女児ばかりを出産する場合で、そうなると先祖への報告が難しくなるのです。
この新妻は、舅・姑・叔父・伯父・姑などから次々と軽んじられ、さらに男の子を一人も産めないことで、新妻に対するプレッシャーは非常に大きくなります。このプレッシャーは、家に「金の孫」を授けることができないという思いから生じるものです。
新婦に対しては非常に残酷な仕打ちであり、新婦を抑圧し否定することで、彼女が家庭のために尽くす努力をすべて無に帰せしめる。こうして姑と嫁の問題が表面化するのも必然である。二人はそれぞれ別の家の娘として嫁ぎ、夫の家で家系を継ぐという重大な使命を担わされているのだから。
嫁と姑の問題の根本
この二人の女性について言えば、嫁は他人の家の娘であり、夫の家に嫁いで家庭全体を担い、家系を継ぐという重大な責任を負っています。もし舅姑の願いに沿って孫が生まれれば、女性としての立場は軽視されにくくなるでしょう。
もし一人の男子の孫さえ生み出せない時には、古代の習俗に従って、姑は嫁に要求を出し、息子に後添えを娶らせることを求める。この継室を迎えるという要求は、子孫を生み出せないこれらの嫁にとっては、非常に残酷な打撃であり、また嫁にとっても非常に不公平なことであるが、どうしようもないのである！
昔の風習や人々の心情はこのようなものでした。そうでなければ、子供を引き取って育て、自分の家の姓を名乗らせることもできました。このように子供を引き取って自分の姓を継がせる方法もありましたが、嫁の立場から言えば、お互いを補い合えるという面はあるものの、心の中にはどうしようもない切なさを感じるものでした。
どうして他家の嫁は嫁いできてすぐに喜ばしい知らせがあるのに、うちの嫁は見た目も悪くないのに、どうして孫の顔一つ見せてくれないのだろう。このような心理的なプレッシャーは、嫁への不満や様々な文句に変わっていく。昔の嫁はこのようなことで大いに辛い思いをしたものだ。
嫁と姑の問題は互いに補い合うもの
人に辛さや苦しみを訴えることもできず、ただ胸の内に押し込めるしかなく、家の中での立場も軽んじられる。このような嫁の身の上は、実に大きな無念であり、どうしようもないことだ。自分が望んだわけではなく、もしかすると夫に問題があるのかもしれない？また、姑の期待に応え、家に孫の顔を見せたいと願っている。
年々待ち続けてきたが、結局は年々失望の気持ちが募るばかり。このように金孫を産めない嫁に対しては、どうしてもこの家庭での生活が耐え難く、つまり心理的プレッシャーが生存そのもののプレッシャーよりも大きくなってしまう。人生ここに至っては、すべてがこの嫁が金孫を産めないというプレッシャーのせいだと責められる。難しさはまさにここにあるのだ。
あいにく天はこの哀れな嫁を少しも顧みず、彼女はみんなの顔を向けることもできず、よくこっそり布団に潜って声を押し殺して泣いた。これはご主人に小さな金の孫を産んであげられない悲しみであり、人の世とはこのようなものだ。非常に大きな悪影響が生じ、嫁への非難はさらに非常に厳しいものとなった。
世間では往々にしてこのような問題を嫁のせいにしがちですが、これは嫁だけの問題ではないと理解すべきです。しかも息子を責めることはせず、嫁にとっては非常に不公平な状況を生み出しています。もし賢明な姑であれば、線香を焚き神仏に祈り、一日も早く嫁が家系を継ぐ子宝に恵まれるよう願うものであります。
嫁はプレッシャーに悩まされている
姑からすれば、これもまた比較的よくあることであり、このように新婦が早く妊娠の知らせを届けてくれることを期待し、家に金の孫を抱けるようになってこそ、先祖に対して申し訳が立つというもの。しかし、姑自身は息子を産むことができても、嫁が産めないとなると、このプレッシャーは姑にとっても嫁にとっても、非常にやりきれないものなのですね！
一般の人々はこの心境を理解することはほとんどありません。人生において願い求めることもまさにこのようなものです。また、姑も当時は同じように、自分自身のパターンに従って嫁に要求をしていました。そしてこのような当然のことが子孫に受け継がれていく中で、このような条件下では、姑もまた過去の経験を経てきたのです。
嫁に対する要求も同様で、その結果はどうでしょうか？必ずしも一定ではありません！人道の世界では視点が異なるため、姑の理不尽な要求を責めることはできません。そうではありません！人から人へと伝わることは、相互に受け継がれる必然性があるからです。すべての人は父母から受け継ぎ、そして子孫へと伝えていくのです。
嫁と姑の問題の円満な解決
人生とはこのようにして受け継がれていくものであり、私たちが人を生み、その人々がまた次の人を生む。この天の道理にかなった継承について、古くから「不孝に三つあり、後継ぎがないことが最も大きい」と言われてきた。では、姑と嫁の間の問題を、いかに円満に解決し成就させることができるだろうか？それは、姑と嫁の双方が累世にわたって積み重ねてきた因果がどのようなものであるかを観ることにある。継承の必然性は、まさにここにあるのである。
また、現代の時空因縁はもはや昔とは異なっていますから、現在の世代の医学技術を借りて、子孫を残す問題に対処することもできます。また、革新技術によって多くの姑と嫁の問題も調整され、家庭の繁栄がより大きく向上し、家庭の幸せを円満にする福星となることを願っています：あなたの名前は『良き嫁』と呼ばれています！
嫁姑の道において求められるのはまさにこのようなことであり、これによって姑と嫁の立場がどのようなものかを理解することができます。このような互いに関わり合う縁と条件は、皆が共に歩み寄り、嫁姑の間で必ず円満にしなければならないことを大切にすることを願っています。もし心にわだかまりがあれば、相手の立場に立ってよく考えてみてはいかがでしょうか。次回を楽しみにしています。
嫁と姑の道は円満に 二人の女性は倫常の岸に
同じ家庭に嫁ぎ入り　  　姑は先に家堂に入る
子孫に伝えることは必ず適切であるべきで
子を産み育てるのは天の定め
一家の繁栄は家長にあり　嫁は子孫を継がせるもの
この偈は、すべての有情の衆生が互いに励まし合い、嫁姑問題を互いに分析し合って解決を図るものであり、皆様により大きな向上をもたらすと同時に、現代の人々の思想観念にも示唆を与えます。昔とはすでに異なっているのです。もし昔のままなら、今の嫁たちは非常に惨めな生活を送っていたことでしょう。それゆえに、天はこれを見て、多くの方法を新たに変えて整えてこられたのです。
無極斗口霊官  馬勝天君
無極斗口霊官が来たり、馬勝天君が台に登り並ぶ。
崇心著作倫理の書　　姑と嫁の道は互いに慈しみ合う
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈の無極文殊菩薩が降臨され、『大道倫理』第十八回を著作されました。嫁姑問題をそれぞれの立場から、新たな視点で解釈し、大道シリーズの天書の中で詳しく分析されております。
双方のあらゆる心構えや考え方、認識と行動に対して、より大きな融合が可能となり、また嫁姑双方の立場を明らかにすることで、より良き縁に恵まれ、共に善き関係を築くことができます。医学技術の発展によって子宝に恵まれ、皆が子孫を残し、家系を継承できるよう願っております。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。
ポイントを共有します：人生の縁は人それぞれ異なり、各人の視点も異なります。姑と同居している嫁は、しばしば反抗的な心理を持ちます。しかし、姑と同居していない嫁は、姑がいる人をとても羨ましく思います。このように姑と同居している人は、姑がうるさく言い過ぎると嫌がりますが、姑がいない人は、姑にうるさく言われたくてもそれが叶いません。人は幸せの中にいながら、その幸せに気づかないものなのでしょうか。
お姑さんの世話を受けるお嫁さんについて、一般の人々はこう考えます。50％の人はとても幸せだと思い、50％の人はとても大変だと思う。どうしてこうなるのでしょうか？その原因はどこにあるのでしょう？ただ、人それぞれの考え方や感じ方が異なるからです。また、尊敬できるかどうか？感謝できるかどうか？これらすべてが、あなたの人間としての態度や家庭の幸せと円満さに影響します。実は、考え方を少し変えれば、すべてが違って見えてきます。将来あなたも必ずお姑さんになるのですから、これは必然的な現象なのです。
2015年3月8日21時41分、了解。
無極大勢至菩薩
第卅一回　　雙親無依
第十八回    　婆媳問題
無極大勢至菩薩が降臨され、崇心の著作を完成させられた。
大道倫理十九回　　嫁姑の争い、是非大いにあり
第卅二回　円満なる結局
第十九回　   婆媳爭鬥
嫁姑の争いの根本問題
有情なる衆生が同じ家庭に集い暮らすことは、千古に求め難い大いなる因縁である。善悪の因果を分別することなく形成され、その中には前世の因果が多く含まれ、それが現世の親族関係として現れている。これらの親族は互いに補い合うべき存在であるのに、どうしてこのような問題が争いを生むのであろうか。
また、二人の女性が一人の男性を巡って争うという状況が生じた。一人は母親、もう一人は妻である。同じ一人の男性にとって、これは板挟みの状態となり、母親の側に立つことも妻の側に立つことも難しい。まさに進退両難で、思うように孝行を尽くすことも、妻を大切にすることもできなくなってしまうのだ。
この種の問題を世間の視点で見ると、どの家庭も多かれ少なかれ抱えているものです。例えば、なぜ姑は嫁と争うのか？その理由の一つは、二十数年にわたって育ててきた息子が、よその家の娘を娶って家庭に入れることです。その目的は息子の世話を手伝わせるためであり、その人物こそが嫁なのです。
つまり、姑の大いなる助けとなったわけです。もし姑がこのような心構えでいられるなら
嫁が家に入り、家族の世話をしてくれていることに感謝し、嫁にはもっと寛容であるべきだ。しかし世の中の姑には、このような心を持つ人は少ない。つまり、他人の娘が自分の家に入ってきただけなのだ。
嫁と姑はなぜ争うのか
家族を助け、息子の世話をするために来ているのに、なぜ姑の考え方を少し変えることができないのでしょうか？姑の立場から見れば、新しい嫁が家に入り、すべてを一から学ばなければならず、この家庭の大小さまざまな事柄は、まさに姑が家の中を整える手助けとなるはずです。
また、お姑さんを手伝って家の中の様々な雑事の面倒を見ることもできます。このようなお姑さんには感謝すべきで、すでに他人の娘を迎えて息子の日常生活の世話をしてもらっています。昔から苦労して育ててきた息子もすでに大人になり、そろそろ他人の娘を迎えて家庭を築き、事業を興す時が来たのです。
他家の娘が自分の家に入れば、大いに役立つというもの。この新婦が家に入るにあたっては、すべてのことを一から教え、どのように成長すべきかを指導しなければならない。そうして初めて彼女は物事を容易にこなせるようになり、家庭全体に早く順応することができる。そうすれば、姑と嫁の間の溝やわだかまりも大きく減ることだろう。
新婦が家に入ると、生活上のあらゆる問題が生じる。なぜなら、姑にとっては、他人の娘が夫の家に嫁ぎ、夫を支え子を育て、つまり子孫を残すことになるからだ。しかし、子孫というのは息子が生まれることであり、将来成長すれば、必ず他人の娘を娶って妻としなければならない。
嫁と姑の双方の異なる視点
本来、子供の生活は親の教えに依存し、家業の伝承にも依存していました。親から生まれた子孫に対しては、親の職業を受け継ぐことが比較的多かったのです。また、それは一種の自営業としての家庭生活であり、つまりこのような生計を立てられる職業があったからです。
また、姑はこの家に二、三十年ほどおられ、すべての問題は姑の掌握の中にあり、他に困難や障礙もありません。家の生活過程に加わり、子供たちが成長したら、それぞれに結婚させ、嫁がせなければなりません。また、このような結婚や嫁入りは、まさに人の世の風俗習慣であります。
つまり、自分の娘を他人の息子の嫁に嫁がせ、また他人の娘を自分の家に嫁として迎え入れる。このような問題点を観察してみると、まさに自分自身の過去の姿が、嫁となった者にそのまま映し出されているのである。子供たちが成長すれば、それぞれ嫁に行き、嫁を迎えて、一つの家庭を築いていくのだ。
そのため、家には次々と新しい家族が加わり、親の心血は今に至って言えることは、既に報われてきたと言えます。しかし、物事は往々にしてこれほど単純に円満に収まるものではなく、娘や息子が結婚する相手が良い家庭であることも必要です。このような問題は比較的親を悩ませることは少ないのですが、ただ心配なのは、子供たちが結婚する相手がどうかということです。
嫁と姑の道は互いに補い合うもの
表面上は申し分ないが、内実は表向きとは異なる。このような状況では、両親に大きな悩みをもたらし、子供の縁談に対して非常に良からぬ心境を抱かせることになる。これこそが両親の心配事であり、同時に非常に大きな試練でもある。こうした問題は、将来になって初めて次々と表面化してくるのだ。
親が気にかけるのは、まさに子供たちの結婚のことであり、もし良い家の娘を嫁に迎えられたり、良い家の息子に嫁がせることができれば、親の心配事はずっと少なくなる。古くから言われているように、女の子は「菜種の運命」であり、自分自身の前世の善悪の因縁は、表面上見えるすべてが正しいとは限らない。
娘が嫁いだ先が良いか悪いか、また息子が娶った相手が良いか悪いかは、しばらく時が経たなければ分からないものです。どの親も我が子のことを気にかけるように、他人の子も同じであり、他人の親もまた我が子の伴侶が良いか悪いかを気にかけるものです。これこそが天下の親心の悩みなのです。
前世にまつわる善徳と悪禍の因縁が、未来の福禍を分ける種をまくことに関わる。このような子への心配は、まさにどの親も抱く心の懸念であり、子供が婚姻を果たして初めて、未来の善悪の因縁がどのように現れるかを理解できる。また、嫁の行いを知ることもできるのである。
嫁と姑の争いのすべての原因
元々互いに気に入ったからこそ、この縁談を承諾したのであって、自由恋愛であれ見合いであれ、嫁本人から見れば、よその家からわが家の生活に迎え入れられ、しかも息子とこれからの人生を共に過ごすことになる。この一生を共にする相手である男性の人柄が良いかどうか、それは分からない。
また、舅姑のご様子はいかがでしょうか。その家では、伯父、叔父、姑など親族とのお付き合い、また嫁同士の仲が円満にいっているかどうか、これは新婦がまだ夫の家に入る前には、誰しもが抱く不安なのです。将来、姑からいじめられはしないか、また夫の家族と仲良くやっていけるかどうか、わからないものです。
すべての問題が円満に解決されることにも関わっています。つまり、嫁入りした後、すべての問題が一つずつ顕在化し、このような内心の不安も次々と浮かび上がり、自分がその任に堪えられないのではないか、この家族に溶け込めないのではないかと深く恐れるのです。自分の能力に対して、しばしば疑問符がつくことになるでしょう。
このような能力を持ってこの家を切り盛りできるかどうか、他人のご飯をいただく身となり、さらにこのような新婦はまだ嫁ぎ先に入る前は皆こうであり、それに加えて夫が自分を大切にしてくれるか、自分の言うことも聞いてくれるか、様々な角度と役割が、以前の実家とは全く異なり、大きな隔たりが生じることになる。
新婚生活には様々な問題が山積みです
嫁ぐ前のすべては新たな出発であり、自分自身を守る役割も果たします。夫に大切にしてもらえるだろうか？また夫が自分の意思に従い、良き伴侶であってほしい。このような嫁の立場は前途多難で不安定であり、自らも落ち着いてはいられません。
古人は「船が橋のたもとに着けば自然にまっすぐになる」と言いました。嫁ぎ先での生活はすべて、自分が想像するほど悪くもなければ、またそれほど素晴らしくもないでしょう。どうやってこの家を繁栄させていくか？舅姑に申し訳が立ち、舅姑に孝行を尽くし、そして家族全体の人間関係を円満にすることができるでしょうか。
このような嫁迎えは、まさに家族に新たな成員が加わる時であり、新婦が家に入ることで、今後さらに家族が増える可能性が生まれるからです。またこの時、舅と姑の心境にも一種の期待があり、新婦が「金の孫」をもたらし、自分たちが祖父・祖母に昇格する機会を与えてくれることを願っているのです。
他家では既に孫の顔が見られるというのに、我が家にも嫁が入った以上、同じ喜びを期待するのは当然だ。家の名誉を高め、先祖代々の願いにも応えたい。新婦への期待はまさにそこにある。願いが叶うかどうかは、今生で蒔いた種が芽を出すかどうかにかかっている。
方法は多くあれども、人をしてこれを行わしめねばならぬ。
昇進するかどうかを決める際、祖父母の役割においても、親に対する期待も同様であり、義理の両親と実の両親を区別することはありません。このような伝承は、親に対する責任であり、義務であり、さらには権利でもあります。これらすべてを合わせると、人倫の大道の基本となります。
これはまた人道世界の倫理の継承であり、有情衆生に婚姻を授けると同時に、双方の両親は常に一日も早く金の孫を抱くことを切に願い、隣人に自慢できるように、他人に自慢されて嘲笑されることのないようにと望んでいる。また、両親の心境も同様に、婿の家に一日も早く人口が増え、金の孫が生まれることを切に願っているのである。
そして、夫の家のすべてに対して申し訳なくなく、生まれ育ち教育の基本において、まさに人倫の大道であります！この世にはこのような婚姻制度があり、人から人への継承を促す良き因縁条件も生まれ、二つの家が縁を結び婚姻を結ぶことになります。このような婚姻制度はまた、各人の前世の因果によって決まると観るのです。
嫁と姑は子のために争い　一人の夫に一人の妻
二人の女が来て争いを起こす
ただあなたの意見を聞きたいばかりに
これは千古に伝わる言い伝えで、金の孫を生み、良い子孫を残すことです。
先祖に申し訳が立つようにできれば、子孫が受け継いで喜んで見守ってくれるでしょう。
この偈頌は、すべての有情衆生が互いに励まし合い、姑と嫁の争いの前半部分を互いに成就させ合うものです。それぞれの役割の違いと個人の習慣の違いを、どうして一つの家庭で円満にできるでしょうか？姑と嫁が共に子女の婚姻に向き合い、大きな視野で理解し、自らもより大きな余地を持って成就させることが必要です。これこそが円満な家庭の福の星であり、あなたの名前こそが良き嫁なのです！
無極天官　趙公明元帥
無極天官が崇心に降り立ち、趙公明元帥が来臨した。
大道倫理の著作に依れば　　姑と嫁の争いも円満に導かれる
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の院修学士の皆様、今晩は。本日は本宗脈の無極大勢至菩薩が降臨され、大道倫理第十九回をもって、姑と嫁の争いの前半部を分析されました。双方の立場を理解することで、人類は「姑と嫁」の心情をどのように知ることができるでしょうか。子育てにおいて多くの悩みを減らすことができ、「相手の身になって考える」ことで問題の核心がどこにあるのか理解できるようになります。
ポイントを共有します：現代における嫁姑の争いは、一般的に嫁の知識レベルが大幅に向上し、比較的強くなっていると言えます。そのため、昔からの嫁姑問題において、現在はむしろ姑の方が比較的弱い立場にあり、嫁の方がより強い立場にあると言えるでしょう。それでもなお、現代の嫁たちは親孝行の道理を理解し、舅や姑に仕えることができます。このような嫁は称賛と評価に値します。良い嫁は、過去の姑の家事のやり方や子育ての経験を尋ねることができ、それによって現代の若い世代が子育てをする際の参考とすることができるのです。
ここには多くの知恵が詰まっています。このような優れた知恵は、子育て経験者にとって実際の育児に大いに役立ちます。親の負担を軽減し、子供の苦しみを和らげ、医師の手を煩わすことも減らし、さらに時間、金銭、精神、ストレスといった負担を軽減することができます。これらの方法を軽視して、現代ではもう通用しないと思ってはいけません。むしろ、多くの苦しみや困難を減らす機会を与えてくれるのです。実は、おばあちゃんたちはそれぞれ異なる方法を持っています。ぜひ尋ねてみてください。皆さんに計り知れない恩恵をもたらすでしょう。
2015年3月8日21時42分◎＃※   了承。
無極註生娘娘
第三十三回　　損をするは福なり
第十九回　   婆媳爭鬥
無極註生娘娘降臨し、大道系列の弘揚を広く展開す
倫理天書二十回　  　婆婆角度是本樣
第三十四回　人を許すは徳なり
第二十回   　婆婆角度
婆婆のさまざまな視点
大いなる天地のすべての人倫世界の衆生は、皆それぞれの家庭において互いに倫理道徳を支え合い依存している。特に姑と嫁という二人の女性が、一家の事務を取り仕切って家庭全体を繁栄させることこそが肝要である。このように、姑の立場から見れば、年長者としてこの家に居住し主導的な地位にあるのである。
嫁はもと他人の娘であり、新たに我が家に嫁いできて、息子の妻となる者です。この役割において、姑と嫁という二人の女性は、息子であり夫である一人の男性を巡り、母の言うことを引き続き聞くべきか、妻の言うことを聞くべきかという対立を抱えます。この二人の女性は一人の男性に対して、互いに異なる要求と期待を寄せているのです。
両者の立場が対立し合い、包容心と円満な解決がなければ、安らかな家庭生活を望むのは非常に困難である。なぜなら、この二人の女性は共に男性にとって最も重要な存在であり、家庭内での立場が将来に影響を及ぼすからである。いかに取捨選択するかが問題となる。
なぜ姑の視点から分析するのかというと、姑は長い間この家に住んでいるからです。
さらに、自分自身の実の息子が他家の娘を嫁に迎える場合、母親の役割は一変します。この母親は突然、妻の姑となり、妻が家に入ってからしばらくは、互いに探り合う時期が必ずあります。
婆婆の角度から示現する
家族全員の習性や気性をどのように理解できるでしょうか？これは嫁ぐ前の相互比較で感じたことであり、自分自身の兄弟姉妹と共に暮らし、二十から三十年の青春時代を過ごした経験と同じです。一人の母親がこれらの子供たちを苦労して世話するのは、ただ彼らが将来立派な大人に成長することを願っているからに他なりません。
無事に結婚相手を見つけて嫁入り・婿入りができれば、親として一つの心配事がなくなる。そうでなければ、子供がうまく結婚できるかどうか気をもむことになる。このような親の心中の思いはなかなか晴れないもので、もし年をとっても異性の友人がいないとなると、親にとっては本当に大きなプレッシャーとなる。
このようなプレッシャーは、他人の子供が順調に結婚できるのを見て、自分の子供にはなかなか結婚相手が見つからないことから生じます。こうして、親としての役割を担う者の心配や焦りは、子供自身のプレッシャーよりもはるかに大きくなるのです。しかし子供がずっと結婚相手を見つけられないなら、早めにお見合いをして、結婚に向けた動きを始める必要があるでしょう。
これは一組の新婚カップルを見ての感想ですが、もし自由恋愛で結ばれた場合、両親の心配や気苦労は比較的少なくなります。なぜなら、相手は自分自身が選んだ人であり、両親がお見合いで決めた相手ではないからです。両親の立場からすれば、互いを成就させることになりやすいのです。自由恋愛とお見合い結婚、この二つにおける両親の心配の度合いは、非常に大きな差があるのです。
姑の立場から新婦を認め受け入れる
一般的に言えば、息子が嫁をもらうと、一人の息子を失うようなものだと言われます。どうしてそうなるのでしょうか？通常、息子は長い間両親と共に生活してきましたが、新しい嫁が家に入ってからは、親子の情と倫理を保ちながら互いに成長していく必要があります。また、姑もかつては嫁であり、実家を大切にしていたことを思い起こすべきでしょう。
故に古より「天上には天公、地下には母舅公」と云う。このような母方の親族とのあらゆる相互関係は、まさに一族の親族が互いに支え合い、世話をし合う絆を保つものである。姑の実家と嫁の実家は、二人の男性がそれぞれ他家の娘を娶った後に持つ実家、すなわち一人の妻の実家ともう一人の母の実家という関係にある。
このように、母方の実家と妻の実家にとっては、互いに親戚関係にあり、また父子ともに他家の娘を妻として迎えている。こうした関係の中で、姑は息子に対し、これまで二、三十年にわたり母親の言葉に耳を傾けてきたが、やがてその言葉は次第に妻の言葉に取って代わられていくのである。
心の中の地位は母への尊敬と依存から、次第に妻への愛情と依存へと移り変わっていきました。また、この二人の新しい夫婦が結婚してから、愛情の結晶が生まれ始めました。両親にとっては、これは天にも昇るような嬉しい知らせであり、このような喜ばしい知らせは、両親が待ち望んでいたこと、つまり男の子か女の子かという異なる視点に関わってきます。
子を産み育てて家系を継ぐ
結婚後に金の孫が増え、男女の区別なく同じように大切にされるようになりました。昔は男の子が生まれてこそ金の孫だと特に重んじられていましたが、このような考え方は今の時代にはもう当てはまりません。むしろ娘の方が親思いで、定期的に帰ってきて両親の面倒を見てくれます。そのため、かつての姑としての役割は以前ほど重要ではなくなってきています。
もし、一人息子だけであれば、やや嫉妬深くなり、嫁に対して一種の排斥行動を起こすでしょう。まるで息子が嫁に奪われてしまったように感じ、もう母親の言うことを聞かず、妻の言うことだけを聞くようになったと。このような嫉妬の役割を変えることができなければ、嫁に対するプレッシャーはかなり大きくなる恐れがあります。
一人の息子を嫁に奪われたような気がして、心の中ではどうにも味気なく、嫁に対しても良い顔をしなくなる。このような舅姑と嫁の双方は、互いを補い合い円満にすることの重要性を感じ取る必要がある。つまり、この家を繁栄させ完成させるためである。しかし最も恐ろしいのは、舅姑の圧力が嫁にかけられた時、どうなるかということだ！
昔の嫁は皆、怒りを飲み込んで我慢し、一歩引いて家庭の調和を保つものでした。このような比較的温厚で淑やかな嫁は、家事を隅々まで行い尽くすことを厭いません。逆に、もし嫁の立場が非常に強硬で、姑と争うようなことがあれば、一日として安らぎの日は訪れず、この家は繁栄も調和も得られないでしょう。
嫁姑の役割はどうやって円満に果たすか
姑は主人の母親であり、嫁として姑と仲良くやっていくことができなければ、一緒に暮らす時もこの家に居づらくなり、当然早く引っ越して出て行きたくなり、毎日戦争状態になるのを避けたいと思うでしょう。これは姑にとっても良くない現象であり、嫁にとっても良くない現象です。このような嫁姑の関係は必ず改善されなければなりません。
理解できないこと：息子が嫁をもらった後、気にかけることは必要ですが、息子はもう大人ですから、息子夫婦の日常生活に干渉しすぎる必要はありません。人それぞれ考え方も生活空間も異なるものです。お互いを尊重し合い、円満に過ごすことが、より良い関係を築くことにつながります。むしろ、姑が干渉しすぎることを心配するべきでしょう。
また、苦労して育て上げた息子は、以前はとても素直だったのに、今では妻を娶った途端に母の苦労を理解できなくなり、どうしても納得がいかず、さらに嫁と教養レベルが大きく異なり相容れないとなると、こうした姑と嫁の問題が次々と起こり、息子は板挟み状態になってしまいます。
どちらの側も怒らせるわけにはいかない。もし母親を怒らせれば、不孝者の汚名を着せられる。もし妻を怒らせれば、今夜は寝室に入ることもできず、居間で寝るしかない。これはサンドイッチ状態の息子であり夫である。そして母親と妻の立場の二人は、このことをどう考えるべきか？実に難しいことだ！
嫁と姑の役割が互いに変わる
新しく嫁いだ女性は夫の家のすべてに慣れず、姑の言動に対してもまずは夫の話を基準に行動しますが、それが円満にいくかどうかは定かではありません。嫁として家庭に入り、最も親しいのは夫であり、同時に家族全員の習慣を理解することで、次第に物事がスムーズに進むようになるのです。
最も恐ろしいのは、姑がいつまでも手放さずにいると、この嫁は苦しみを背負うことになる。このような姑は必ず知っておくべきだ：息子は確かにあなたが産んだものだが、昔の人は「子の身を生むことはできても、子の心を生むことはできない」と言っている。嫁をもらえば、心は妻の方へ向かい、母親は傍らに置かれてしまう。常に心に留めておくべき言葉がある。
汝はただ息子の体を生むことができるだけで、息子の心まで生むことはできず、ましてや永遠に母に向かって変わらないなどということがあるだろうか？それはあまりにも難しい。決して空気の読めない親になってはならない。親の養育の恩を返さないわけではないが、時代が変わったことを理解しなければならない。昔はよく嫁が姑に虐待されたものだ。
今日では、このような話はほとんど聞かれなくなりました。つまり、姑が嫁をいじめないだけでも、あなたはとても幸せなことです。どうしてそうなるかというと、時代が変わったからです。今の舅や姑は、せいぜい息子夫婦のために孫の面倒を見るくらいです。息子夫婦がいてこそ、何人もの孫が生まれて、あなたがおじいちゃん、おばあちゃんになれるのですから、喜ぶべきことです。
聡明なる菩薩のすべての行い
もし姑がいつまでも手放さずに干渉しすぎると、「嫌われる」状況を生み出し、非常に疎まれる存在となり、舅と姑も賢明ではなくなります。つまり自分で苦労を背負い込むことになるのです。時代は変わり、倫理綱常も現代の息子たちに一層の孝行を求めています。なぜこのようになったのでしょうか？
現代の孝行息子は、上は父母に孝行するだけでなく、下は子供たちにも孝行し、それでも足りなければさらに下の孫たちにも孝行しなければならず、一生涯本当に大変です。これではあまりにも差がありすぎますね！賢明な舅や姑は、嫁をもらって息子を失うことを理解し、親として心から納得できるでしょうか？
少し考え方を変えてみれば、息子とは永遠に血のつながりを断ち切れないのだし、息子や孫の世話を嫁が手伝ってくれているのだから、安心してもいいはずだ。嫁が重荷を増やして、二人の責任を分担し、大いに軽減してくれていることに感謝しなければならない。賢い人は少し考えればわかることだ。もし執着が強すぎて手放せないなら、そこから派生する問題点は山ほど出てくる。それは賢明なやり方ではない。
父母と子は親しい人となり　互いに生きて自らの宝となる
成長してそれぞれ婚姻を結び　嫁ぎ入りも嫁ぎ出すも皆女の身
父母の苦労は心に留めよ　二三十年の労苦を忘れるな
嫁が来て苦労を分かち合う　息子の一生に幸運が訪れる
角を曲がれば、姑としての苦労が分かるようになり、ここで手放さなければならない。また一人の女性が家に入り、あなたの息子と孫の世話を一生してくれる。あなたは嫉妬するか？執着するか？手放せないか？ああ、本当にあまり気にしなくていいよ。全て嫁に任せておけばいい！舅と姑も楽しく気ままに旅行に行ける。どうだろう？さあ、すぐに行動しよう！
無極顕徳元帥 馬勝天君
無極顕徳元帥来たり、馬勝天君徳意を排す
大道倫理の著作は、当今の世代において倫常が改まる。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道学院、学院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈　無極註生娘娘が降臨され、『大道倫理』第二十回を著作されました。姑の立場から述べられ、息子が嫁を娶った後、嫁の実家とより親密になることについて、姑としての役割を振り返ってみましょう。
昔のあなたもそうでしたように、実家の面倒を見て支えてきました。今は嫁があなたの役割を引き継いでいます。もう全てを手放しても良い時です。これ以上息子とべったり一緒にいることは、あなたにとっても何の助けにもならず、嫁にとっても負担でしかありません。どうしてそんなことをする必要があるでしょうか。昔のあなたが支え役を果たせたように、嫁にももっと自由な空間を与えてあげてください。きっと嫁もあなた方を天地のように敬ってくれるはずです。どうでしょう？視点を変える時が来たのではないでしょうか。
重要なポイント：姑の立場から見れば、家庭全体を支える苦労を重ねてきた年長者です。息子が嫁を娶った後は重荷を下ろし、嫁にも学び成長する機会と空間を与えるべきです。そうしてこそ、嫁は家庭のすべてを担えるようになります。実際、姑の指導を通じて、どの嫁もきっと慣れた手つきでこなせるようになり、家庭を繁栄させ、さらには「素晴らしい良き母」になれると信じています。今の嫁は未来の姑でもあるからです。嫁としての経験を経て母となり、息子が結婚して新たな花嫁を迎えれば、その母はやがて姑へと昇格します。同時に立場も変わります。自分もかつてはそうだったと振り返り、心を重ねて考えれば、嫁が新しく家庭に入った時のプレッシャーがどんなものか分かるはずです。嫁により大きな空間を与えることで、あなた自身も良い日々を過ごせるようになります。頑張りましょう！
2015年、3月8日、21時43分◎＃※   了解；
無極地母娘娘
第三十五回　温良謙恭
第二十回   　婆婆角度
無極の因縁は真に殊勝なり
地母の娘娘降り来たりて成す
大道倫理廿一回　　嫁の立場から福の陰は真なり
第三十六回　勤倹・忍耐・譲り合い
第廿一回　   媳婦角色
嫁は家を興す役目である
嫁いできた嫁は、他家の娘であり、我が家に来て母の役割を助ける存在です。家のすべてのことに自ら手を下して取り組む必要があり、またこの家庭の繁栄のためにあらゆる努力を尽くし、すべてを成し遂げなければなりません。このように、現代の嫁に求められることは、昔よりもさらに厳しくなっているのです。
つまり現代の嫁には、十八般の武芸を備える必要があり、しかも一つひとつが完璧でなければならない。これは昔の「女に才無きは徳なり」とは異なり、現代では「女に才無きは得無し」、すなわち「得られざるを得」という状況である。新しい嫁が夫の家に入るということは、まさにその家庭全体を繁栄させるために来るのである。
姑にとっては、多くの苦労や世話が減ったと言えます。別の角度から見れば、少し耳障りな言い方かもしれませんが、家に新しい人、つまり「台湾からのお手伝いさん」が一人増えたようなものです。では、新しい嫁をどのように扱うべきか？これについては、人それぞれの見方が異なるでしょう。
他家から嫁いできた娘が、家に入って姑のすべての家事を手伝う。
重荷を担いでくれる存在がいることで、姑への負担は大きく軽減されます。さらに、将来は家族全員の世話を一手に引き受け、家庭の経済的支柱となるような嫁は、台湾の家政婦とはまた異なる役割を果たすのです。
嫁の役割－家庭を繁栄させる
このように、現代では新婦に求められるものは、昔よりもさらに豊富な知識と経験を持ち、あらゆる技芸に通じていること、さらには複数の役割を兼ね備えていることです。家庭の内外のあらゆる事柄は、嫁が手伝い切り盛りし、家事の一切を細かく計算して切り詰めることも求められます。
互いに補い合って家庭を繁栄させることができる。このような嫁は、まさに女性が夫の家に入り、大小さまざまなことに一役買い、特に子育てを重視し、夫を助け、子を育てることに力を注ぐ。そうすれば、夫もこれほど苦労する必要はなくなる。
しかし、妻としての責務はまさに当然であり、疑いの余地もなく、いかなる不満や不平も抱くことはできない。それは嫁としての本分であり、家庭を繁栄させ、子を産み育てるべきであり、日中は仕事に追われ、時には退勤後も急いで帰宅して夕食の支度をしなければならない。
妻が担う家事は、夫には到底理解し得ぬものゆえ、男たる者は妻の労苦を深く慈しみ労わるべし。また嫁が夫の家に入るのは、姑と寵愛を争うためではなく、ただ人倫の道理に従って一人の夫を支えるためなり。末永く慈しみ守り給うや否や。
嫁の役割と長所
また、妻は一生懸命に尽くし、夫の家に入って良き妻となることを大切にし、姑の求めに応じて学びながら成長し、家族全体を支え合いながら、新婦として夫の家のすべての責務を果たしていくのです。
しかし、古人が夫婦は小さな敵同士と言うのはなぜか。『夫婦は敵同し、敵でなければ夫婦とはならぬ』とは、若く気性の強い二人の新たな伴侶が、口論で互いに鋭く対立しやすいこと、さらに夫婦の間にはそもそも隠し事などなく、常にありのままを見せ合うからである。
夫婦が互いに真心から愛し合えるかどうかという点について、このような夫婦関係の条件下では、新妻が夫の家に入ると、まずは学習の過程があり、家庭全体の切り盛りを確立し、また全ての家事において姑の不足を補い、同時に夫の足りない部分も補います。このような女性の天職としての全ての献身の中で。
男は陽とされ、女は陰とされる。この陰陽は必ず調和し、互いに補い合い、助け合ってこそ、繁栄の気勢を成就することができる。この気勢は一定の時間を必要とし、初めて一つの家庭を平凡から繁栄へと導き、さらにその繁栄から円満な幸福を創造することができるのである。
嫁の役割を果たす
このような条件のもとでは、姑の不足や夫の至らぬ点もすべて嫁の手によって補われ、すべての家事の苦労も心から甘んじて受け入れ、決して不満の言葉はない。それどころか、今の家政婦よりもはるかに劣る状況で、夫は妻の無償の献身を理解できるだろうか。
これを当然のことと思ってはいけません。立場が入れ替わった場合、あなたはそうしたいですか？必ずしもそうとは限りません！また、古い言葉に「女に才無きはこれ徳なり」というものがありますが、これはあくまで古代の要求です。現代社会において、新時代の女性が何の技術や能力も持たずに他人の仕事に就こうとすれば、とても務まるものではありません。
他人の家の飯を食べる以上、その家庭の不足している点を理解しなければならない。なぜなら、それぞれの家庭は異なる個体であり、どの家にも言いにくい事情があるからだ。どんなに賢明な姑であっても、多くの不十分な点がある。したがって、たとえどんなに賢明な姑であっても、新しく嫁いできた嫁に無理な要求を押し付けるべきではない。
この新妻は最初から苦しみを味わい、姑の仕打ちを恐れて反抗することもできず、これからの日々が決して楽にならないと感じていた。このような態度は、新妻にとって非常に不公平であり、また、賢くて厳しい姑にとっても非常に不公平である。どうしてそう言えるだろうか！
嫁の成長と学び
別の角度から見れば、新妻が聡明な姑に出会った時、もしへりくだった態度で接し、謙虚に真剣に学ぶことができれば、次第に聡明な姑のすべての技を学び取ることができる。皆さんは、この新妻が夫の家に入ったらどうなると思いますか？より大きな学びと成長を得ることができるのです。
将来きっと内外のあらゆる人間関係に対応できるようになるでしょう。このような学習と成長は、人間の視点から見れば、この聡明な姑に対して多くの理解できない点があるかもしれません。しかし、逆の方向や視点から見れば、まさに新婦を一人前にし、非常に素晴らしい技量を身につけさせ、家庭の切り盛りをとても上手に手伝えるようにしてくれるのです。
これこそ賢明な姑が嫁を成長させるために行った配慮であり、このような視点は皆さんにとってどのように映るでしょうか？まさに非常に貴重なことです！世の中では自由恋愛であれ、仲人の紹介であれ、新婦を迎えて我が家の嫁にしたなら、どうすれば嫁もまた互いに成長し合えるようになるのでしょうか。
嫁の立場と譲り合い
皆さんが先ほどおっしゃった「厳しい姑」というのは、実は嫁が夫の家に入り、成長してあらゆる家事をこなせるように訓練するためのもので、その鍛え上げられた技量は大したものですよ！自分の姉妹たちも、将来それぞれ嫁いでいくことになりますが、それは嫁が家に入るのと同じようなものです。
他家の娘が嫁いできて、家のすべてのことを切り盛りし、姑の手助けをする。姑の役割とは一体何だろうか？現代の新しい女性は自分で働きに出て、給料を得て家計を助けることができる。新しい時代の女性は、自分自身の考えや視点を持つようになっている。
昔と比べると、旧時代の女性の生き方は確かに異なっていましたが、旧時代の「無才は即ち徳」という女性観は、もはや現代にはほとんど適合しません。現代の新しい女性にとっては、才能がなければ「得る」ことができません。ここでの「得る」とは、まさに才能がないために何も得られず、時代の変化についていくことも非常に難しくなるという意味です。
賢き嫁の役割
また、新時代の女性に求められるのは、夫と対等に付き合えることです。昔の大家族では女性は一段低く見られていましたが、今ではそのような習慣はなくなりました。ですから、現代の新しい女性はより多くの福徳に恵まれ、三度の食事のために台所に立って全身も家の中も煤だらけにする必要がなくなったのです。
現代の新しい女性たちは、かなりモダンな調理器具を持つようになり、三食の食事を作るのも以前よりずっと簡単になりました。つまり、時代が変わったことで、嫁の果報も昔と比べると、負担が大幅に軽減され、多くの不足や欠点も減り、三食作る不便さも避けられるようになりました。これらはすべて現代の科学技術のおかげです。
異なる時代において異なる女性たちに成就をもたらすことは、まさに天の祝福が今この現世に加えられている証である。同時に、現代の新しい女性たちの生活の質を高める多くの知識と知恵を提供し、もはや「女子に才なきは徳なり」という窮地に陥ることなく、数多くの専門的な技術を身につけることができるようになった。
嫁としての役割を果たし、姑を助けて家事を整理し世話をする。
この家のためにこそ　繁栄に満ち福に溢れんことを
現代女性は本当に幸せだ　三食の食事も比較的楽に整えられる
以前のように真っ暗ではなく　家中が活気づいている
この偈は、すべての有情衆生と共に励まし合い、嫁としての役割について第一回目の著作を試みる。次回は引き続き、嫁としての務めについて述べよう。これまでの全体を通じて、より大きな成就があり、嫁の苦労の過程を思いやることができる。嫁も姑も共にこの家庭のために犠牲を払い、献身し、悔いなくこの家庭を繁栄させようとしている。
夫となる者は、安らかで幸せな家庭を与えることができるでしょうか。女性が最も恐れるのは、良くない人に出会うことです。古くから言われています：男性は職業選びを誤ることを恐れ、女性は伴侶選びを誤ることを恐れる。これでは一生幸せを語ることは難しいでしょう。周囲にこのような状況に陥った親族がいるならば、必ず戒めとすべきです。同時に、情ある衆生が互いに助け合い、嫁姑の間でも円満にやっていければ、幸せな家庭を築くことができるでしょう。あなたはどうお考えですか。
無極の真理  聖帝を導き渡す
無極の因縁が崇心を降ろし
真理が徳意の情を引渡す
聖帝は今日神人と会し
皆で共に福の来臨を迎える
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道学院の院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈の無極地母娘娘が降臨され、『大道倫理』第二十一回を著作されました。嫁の役割を現代人の視点から天書に明らかにされました。これは、将来すべての有情衆生が、姑と嫁の争いに遭遇し、なかなか手放せない場合に対するものです。
大道倫理『嫁姑篇』を詳しく読むことは、大いに助けとなるでしょう。上天が期待するのは、嫁と姑の立場の違いを新たな方法で解釈し、より大きな成就と円満をもたらし、世の中の綱常倫理を再構築して幸福な家庭を創造し、高い離婚率という苦境を減らすことです。
近頃、台湾南部で発生した八八水害は、天災と人禍が相まって南台湾の山間部を襲い、多くの原霊衆生を失うこととなり、誠に悲しむべきことです。また、大いに同情に値し、憐れむべきことでもあります。崇心宗脈は今月の懺悔礼拝の日に、大きな位牌を用いてこれらの亡霊を供養し、成仏させねばなりません。
また、今年（己丑年）七月の普施法会においても、全ての犠牲者のための大きな位牌を追加し、供養を行う予定です。皆様のご参加をお待ちしております。これにより、これらの原霊もさらに向上することができます。本宗脈には確かにこのような効果があるのです。
ポイントを共有します：一般的な見方では、嫁は仲人の手配と結納金、そして縁起物の菓子で娶ってくるものだと考えられています。これは一つの伝統的な習俗であり、婚礼儀式における必需品でもあります。現代では、多くの煩雑な儀礼や形式が次第に廃れつつあり、男女双方が納得できる方法に変わり、過去の複雑な礼儀も大幅に簡略化されています。そのため、娘を嫁がせる際にも、形式的なものとして軽く済ませることが多くなっています。
わずかな結納金と、親しい人や友人に配る一部の引き出物で、娘が嫁ぐことを知らせ、皆に吉報を分かち合う。こう言えるかもしれない：結納金の額はもう気にしない、娘を嫁がせるのに逆に多額の持参金を出す人も大勢いる。持参金が全くなくても、考えてみてほしい：妻を娶って家庭を支えてもらうだけでも価値がある、これは一人ひとりの認識や考え方次第だろうか？まさに女性それぞれの異なる運命なのだ！
他人の家の娘が嫁いできた後を大切にできるということは、つまりあなたに代々続く血筋を継がせてくれるだけでなく、これから先もすべてを取り仕切り、この家のために牛や馬のように働いてくれるということです。それであなたは多くの負担やプレッシャーを減らすことができ、もし解決できない問題に遭遇しても、相談し合い、悩みを分かち合い、労苦を和らげてくれる人がいるのです。様々な良いことがたくさんあって、あなたは夜中にこっそり笑ってしまうでしょう！信じられますか？
2015年3月8日21時44分◎＃※    了承。
無極王母娘娘
◆ 跋・讃賀 ◆
大道倫理跋一賀　　　弘揚四海真理伸
◆ 本文 ◆
第廿一回　   媳婦角色
無極王母が崇心に降り立ち　  　倫理と徳の新たな意を著作す
大道シリーズは弘揚を展べ　  　嫁と姑の和合は円満の因なり
◆ 跋・讃賀 ◆
跋     一
◆ 本文 ◆
第廿二回   　婆媳圓滿
嫁と姑の円満には互いの性質が大切です
有情なる衆生がこの世の家庭生活において、常に二人の女性をめぐって争いを繰り広げています。なぜこのような争いが起こるのでしょうか。それは、この二人の女性が共に一人の男性を支配し、自分の意のままに動かそうとすることに起因していることを知る必要があります。つまり、姑と嫁の間における最も核心的な問題点なのです。
この二人の女性に、どうすればこの男性を互いに世話し合えるようにさせられるのか？さらに大きな円満と繁栄を得るためには、必ずこの二人の女性、つまり姑と嫁の間の関係がどのように円満であるかを観察しなければならない。そうでなければ、この男性はサンドイッチ状態となり、二人の女性の争いの中で一日が一年のように長く感じる日々を送ることになるだろう。
もしあなたがこの男性であったなら、どうするだろうか。もしあなたがこの二人の女性の一人であったなら、どのように感じるだろうか。この三人の関係をいかに円満にするか。さらにこの家庭の繁栄を大きく成し遂げることが、正しい道である。古くから台湾の諺に言う：「子が多ければ父は餓死し、嫁が多ければ姑は気絶する（家を担う－台湾語の発音）」。
このように女性は二人だけですから、比較的簡単に対応し、円満に済ませることができます。もし
子供や嫁、娘が多いということは、おそらく思うようにはいかないでしょうね。昔から「子が多いと父は餓死し、嫁が多いと姑は憤死する」と言われています。このような多子は、実に大きな負担なのです。
嫁姑の円満はどうすればよいでしょうか
姑に対して：ただ一人だけですから、姑が一家を切り盛りし、さらに大勢の子供たちを育てるのは比較的苦労が多く、問題も多くなります。しばしばある時期が過ぎ、すべての子供たちが成長してそれぞれ結婚すると、一部の舅と姑が、順番にそれぞれの息子の家で一か月ずつ食事をするという形になります。
姑と舅に対しては、それぞれの息子と嫁が三度の食事を用意し、温かく満たされた生活を支える必要がある。姑と嫁の二人は、いずれも他人の家から嫁いできた娘であり、夫の家でこの男性のために子を産み、夫を助け、子を育てる。つまり、一生の青春時代を犠牲にして得たものなのである。
これは親子の間の世話と配慮について言えば、もし嫁と姑の間で頻繁に争いが起きるならば、一つは悪い嫁、二つは悪い姑、三つは醜い顔つきとなり、人々に嫁姑の関係が円満でないと噂されることになる。また、嫁と姑の問題が次々と現れ、それぞれの立場が異なるため、多くの余計な枝葉が生じてしまう。
二人の女性に対して、非常に大きなダメージを与える可能性があります。嫁と姑の間では、一体何が原因なのでしょうか？言えることは、二人の女性の立場が異なり、またこの男性を独占して言うことを聞かせたいという思いからです。そうでなければ、この男性は苦しみを味わうことになり、この二人の女性が引き起こす問題点は絶えず現れるでしょう。
嫁姑の争いに悩む問題
このように、嫁と姑の間の問題点は、一人一人の学識や教育、家庭背景が異なるにもかかわらず、問題は同じです。それは、息子であり夫であるこの男性を独占したいという所有欲によって、この男性を支配しようとすることです。一方は夫であり、一方は姑、一方は息子であり、一方は嫁、最も親しい人たちです。
皆さん、一つのことをはっきり認識できるでしょうか。実を言うと、嫁が家に入った時点で、すでに明らかになっていることです。それは、嫁が姑を助けて息子の世話をすることであり、夜は妻と一緒に寝て、二人の仲はとても甘くて親密です。もともと息子を呼びつけたりしていたのは、今では嫁が世話をし、独占するようになり、母親は傍らに置かれてしまうのです。
このような母親である姑の心中も複雑で、息子と嫁にどうすべきか、どうあるべきかを指示したくなり、姑への専制と嫁の立場を円満に両立させることは難しく、このような姑と嫁の間には大きな円満を望むのは非常に困難です。
口喧嘩はしなくても、互いに心に溜め込んでいれば誰も気持ちの良いものではありません。また、この世に生きる以上、男女ともに結婚という道を経て次世代を生み出し、伝統を受け継いでいくものです。これは天地の道理に適った継承であり、姑に対しても同じことが言えます。彼女も他から嫁いできた娘であり、息子を産んであなたの夫にしたのですから。
嫁と姑の間の問題点
あなたに、姑の世話をする息子の一員として加わる機会を与え、姑のすべての苦労を分かち合い、二人の女性がどのように平和に共に暮らすかを考えさせます。つまり、双方の認識が一致している必要があり、一般的には、嫁が姑を母親のように尊重し、姑も嫁を娘のように大切に扱うことが慣例となっています。
二人の女性も比較的平和に一緒に暮らすことができるのは、これが比較的円満なところです。しかし最も恐れるべきは、一部の姑と嫁の間では、全くこのような視点で、姑を自分の母親のように、嫁を自分の娘のように接することができないことです。このような態度こそが、より正しいあり方と言えるでしょう。
一般の人にはなかなかここまでできるものではありません。古くから言われているように、「嫁の不孝は三度の食事を焼くこと、娘の孝行は通り過ぎるほど遠い」と。昔の考え方では、今の嫁に対して言えば、不孝な嫁であっても三度の食事には困らず、温かく満たされているのです。一方、たとえ娘がとても孝行で心遣いが細やかであっても、行動を起こすにはどうしようもないというのが実情です。
また遠くに嫁いで他郷にいて、一日中面倒を見たいと思っても、心では思っても行動に移すのは難しい。一般的な認識では、嫁は実の娘ほど心が通じないと思われている。このお姑さんの心の中にはすでに差別心がある。古来より、嫁と姑の関係が実の母娘や姉妹のように親密な例は数多くある。あなたはそれを実践できるだろうか？
娘は実の子で、何かと気が利くものです。
娘は実の子とはいえ、二、三十年世話をしてから嫁がせるのだから、わが身をわが娘に置き換えて考えてみるべきだ。息子に嫁を娶らせたなら、嫁を実の娘のように慈しむことができるだろうか。そうすれば嫁にとっても公平と言える。つまり姑と嫁の関係という観点から、円満に解決すべきなのである。
すべての問題点に対して解消するよう努めること。そうでなければ、嫁を嫁として扱うことで分別心が生じてしまう。嫁をもらったのは息子の世話を手伝ってもらうためであり、息子を奪い合うためではないということを理解しなければならない。しかし、あなたは今生ずっと娘の面倒を見たいと思うだろうか？そうではないだろう。子供たちが成長したら、それぞれ婚姻を結ぶものなのだ。
また、この家が長く持続し繁栄することを伝承することこそが正しい道である。人の世は感情の世界であり、情を持つ衆生は「覚有情」と呼ばれる。人と人との間の感情において、同じ家族として共に生活する中で、相互に伝承し合うことができ、この特別な縁による感情を大切にしなければならない。
他の女性が家に入り、息子の世話をする手助けをすれば、それは母親の負担を軽減することになりますが、あなたが提供するのは三度の食事と住まいだけです。一方、嫁は青春のすべてを捧げて、あなたの息子の世話という負担を軽減してくれるのです。この状況をどう感じられますか？
嫁は他人の生んだ子ゆえ、心は外に向かうもの
思い返せば、昔のあなたも他家の娘だったのです。嫁に来たのが少し早かっただけで、息子も授かり、今は嫁の夫となっています。己の心を推し量って、嫁にもっと良くしてあげるべきです。嫁があなたの一生の苦労を軽減し、この家庭を大いに助けてくれていることに感謝しなければなりません。
感じ取ることができるでしょうか？このような考えを持つ人は非常に少なく、どうしようもありません！もしこの状況が姑に対して言うならば：このようにすべきでしょうか？嫁が嫁いできたからといって家族の一員だと思い込まず、よく嫁を虐待する、このようなやり方は将来良い結果をもたらさず、現在のやり方と考え方を変える必要があり、それが正しいのです。
嫁の立場から見れば、姑に対しては「天のように敬い、母のように従い、目上の人として孝行する」ことが求められます。そうすることで、夫にとっては板挟みになりにくく、二人の女性の間で板挟みになって苦しまずに済みます。また、嫁は姑を自分の母親や姉のように見なすことも大切です。
このようにすれば、嫁と姑はより親密な関係を築くことができます。また、姑を母親や姉のように思うことで、コミュニケーションも取りやすくなり、あらゆる事柄や問題についても気軽に話せるようになります。心の中に溜め込まずに済むので、このようなコミュニケーションによって、相対的にすべての問題点がより円満に解決できるようになるのです。
良好なる姑と嫁の道
姑をまるで実の母親や姉のように感じることで距離が縮まり、嫁を自分の子供や妹のように大切に扱うことで、二人の女性の間に距離が生まれず、争いも起こりません。このような関係性の中で互いに支え合い、一方は夫であり、もう一方は息子という最も身近な存在を中心に、円満な関係を築くことができるのです。
二人の女性の間により大きな円満と幸福が生まれる、この奥義を皆さんはご存知でしょうか。人生一世の縁において、身内への気配りが行き届いていれば、敵でさえも身内に変えることができ、より大きな円満も得られやすくなります。天下のすべての「姑と嫁が良き母娘のように」、天下のすべての「姑と嫁が良き姉妹のように」なることを願っております。
皆さん、試してみたいですか？それほど難しくはありません。もしこのように実践できれば、周囲から羨ましがられることでしょう。一方は夫であり、一方は息子ですから、この男性が何か悪巧みをしようとしても、おそらく成功しないでしょう。このように、姑と嫁の関係がまるで母と娘のようであり、姉妹のようでもある。これこそ現代の「新しい良い姑と嫁の道」なのです。
嫁入りした嫁と姑は、もともと別の家の娘であったことをよく理解しなさい。この家庭に入って円満で繁栄をもたらすために来たのです。二人の女性が心を一つにして家族の悩みを分かち合い、労苦を分担し、またこの一人の男性を互いに世話するならば、この家庭が繁栄しないのはむしろ不思議なことです。古人が言うように、二人の女性は家庭を興すこともできれば、家庭を滅ぼすこともできます。あなたはどのような女性になりたいのか、まさに自分自身が選択し、決断できることなのです。
繁栄する家は女性に依る　円満な幸福の人生を成就す
二人の女性が手を結べば　家庭全体に幸運が訪れる
嫁姑円満に仲良く　あなたを借りて触れ合う
一方は夫、一方は子、いずれも至親の良き眷属なり
この偈は、すべての有情衆生が互いに励まし合い、姑と嫁の道が円満でより調和のとれたものとなることを願うものです。嫁を迎え入れた後、虐待や苦しみを与えるのではなく、将来良い日々を過ごしたいと願うならば、それは非常に難しいことです。あなたが嫁に何を与えるかによって、将来嫁がどのように報いるかを知る必要があります。あなたの福徳が非常に高くない限り、将来は苦しみを耐え忍ばなければなりません。皆様が「新時代の良き姑と嫁の情」を築かれんことを願っております。
無極の真理  聖帝を教化す
無極真理が登台し来たり　聖帝の教化と徳沢を広く伝える
大道倫理第二十二回　嫁と姑の円満は理に叶う
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道学院、学院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈　無極王母娘娘が降臨され、『大道倫理』第二十二回を著作されました。嫁姑円満の道を第二回にわたって分析され、次回はさらに大きな成就へと続きます。将来、嫁姑の円満の道をいかに実現するか、ご理解いただけますよう願っております。
嫁と姑が永遠に対立するものではなく、互いに結びついて良き母娘や姉妹になれると悟ることができれば、二人の女性はどうなるでしょうか。より大きな成就をもたらし、家族全体の幸福と円満を繁栄させることができるのです。
明後日は今月の懺悔法要の日であり、すべての善縁が集まることで互いに円満となります。皆様が心を込めてお迎えくださるようお願い申し上げます。また、皆様にとりましても学び成長する機会となりますように！これらはすべて、自らの「基礎修養」のために努力するものなのです。
重要なポイントを共有します：多くの人は、娘は自分が産んだ子だから心が通じやすく、嫁は他人が産んだ子だから心が外を向いていると考えがちです。もしそうだとしたら、昔、あなた自身が嫁だった時も同じだったのではないでしょうか？あなたの姑（祖母）に対しても、同じように扱われたのではありませんか？もしそうだとしたら、今は時代が違います。過去に受けた不平等な扱いを深く反省し、このような苦しみの歴史を繰り返さないようにしましょう。考え方や心境を変えれば、息子と嫁と良好な関係を築き、家族が幸せで円満な生活を送ることができます。あなたはそれを望みませんか？
2015年3月8日 21時48分 ◎＃※   了解。
無極国際  観世音菩薩
◆ 跋・讃賀 ◆
跋の完成因縁
◆ 本文 ◆
第廿二回   　婆媳圓滿
無極より頒下された懿旨が臨み、国際観音が親しく降臨される。
大道倫理二十三回　　賢き嫁は家運を興す
◆ 跋・讃賀 ◆
南海古仏　跋一を降す
◆ 本文 ◆
第廿三回　   賢能媳婦
賢い嫁は願ってもない存在だ
有情なる衆生が人道世界に入った後、家庭の繁栄に対して互いに気遣い、助け合うことになる。このような因縁条件は天地の道理にかなった人倫の大道であり、また、すべての女性が夫の家に入った後、嫁としての経験を学び始め、この一家の習性を知り、知識と知恵を積み重ねていくものである。
もし賢明で有能な女性が嫁となれば、その家庭には必ず繁栄する機会が訪れます。たとえ現在がどんな困難や逆境にあろうとも、時を経るにつれ、その努力によって家庭に繁栄をもたらし、家族を調和させる効果を発揮するでしょう。まさに一人の賢い嫁があれば、家庭は栄えるのです。
また非常に大きな福徳が加わり、このような女性は「夫を栄えさせ、子を守る」という宿命を持つのです。実は求めれば得られるというものではなく、あなたの善行の因縁と福報がどれだけあるかによって、得られるかどうかが決まります！まさに非常に得難いものであり、これこそが円満な家庭の福の星と呼ばれる「嫁」なのです。
しかも、すべての女性がこのような条件を満たすことができ、これは天地の進化の法則でもあります。
過程とは、まさにそれぞれの女性が夫の家に入った後、家庭がどれほど衰退しようと、あるいは困窮貧乏で三度の食事にも事欠く状況であっても、一人の賢明な嫁が加わることで家庭を繁栄させることができるということであり、これこそが賢明な女性の取り柄と言えるのです。
賢き嫁の基本心得
もう一度よく考えてみると、女性が嫁いで夫の家に入った後、家庭のために尽くす中で得られるものは、夫からの愛おしみであり、これは天地の道理にかなった当然の規範である。皆さん、もう一度よく考えてみてください、女性が夫の家に入り、一生涯の青春の歳月を捧げるのです。
夫と共にこの家庭を繁栄させていく中で、全ての苦労は黙って飲み込み、多くの不如意なことに遭っても、昔まだ嫁ぐ前のように、甘えてやらないと言うわけにはいきません。人の妻となった以上、全てを引き受けなければならず、以前できなかったことは今学ばねばならず、また多くのことを一から始めなければなりません。
また、夫を助け子を育て、子供を養い育て、舅姑に孝行し、嫁同士仲良くし、姑や叔父を敬い、近所付き合いを円滑にすることも求められます。上はあらゆる孝行から下はあらゆる養育、そしてすべての親族との和やかな付き合いまで、このような女性に要求されることは、男性には理解しがたいものなのです。
新たに嫁いだ娘が夫の家に入ると、すべてが新たな始まりとなります。かつて実家で過ごしてきた日々の習慣は、もはや過去のものとなりました。夫の家に嫁いだ以上、それ相応の責任を負わねばなりません。自分が好むと好まざるとにかかわらず、それらの感情を顔色に表してはならず、よそ様に笑いものにならぬよう気をつけるべきです。
嫁はすべての家事を学ばなければならない
家族に「この嫁は少し行き過ぎだ」と思わせないようにするのも、嫁としてのやむを得ないところです。ではなぜ夫は非難されずに済むのでしょうか？妻はあらゆるプレッシャーと非難に耐えなければならず、自分にとっては非常に不公平なことです。これは良き嫁として当然の振る舞いであるべきなのです。
一人の嫁は、やがて姑になるまでの学習過程において、まず嫁という役割の関門を経なければなりません。それを学んだ後、家族全員や親戚が自分の貢献を認めてくれるようになって初めて、あなたは半分成功したと言えます。このような嫁自身が担う天職は、嫁に対してこのような要求と行動を求めるものなのです。
不公平かどうかは、それぞれの人の考え方や認識次第です。一般に、嫁に求める要求は、夫よりも厳しいことがよくあります。よく考えてみてください、公平でしょうか？いいえ、まったく公平ではありません！男性が得をしすぎていて、女性は少し損をしているのです。これは将来、必ず変わっていくでしょう。
優れた嫁とは、全ての学びと努力を経て初めて、家族の繁栄に向けて共に歩み始めることができるのです。あらゆる努力と苦労、犠牲と献身、一挙一動は、すべてこの家族の和合と繁栄のためであり、その中にある全ての苦しみの過程を理解することができるでしょうか？それぞれの人の認識と観念によるのです！
賢き嫁の振る舞いと対応
昔から言われているように、女性は才能がなくても徳があればよいとされていましたが、現代ではもはやそうではありません。現代の新しい女性像は、あらゆる技芸に通じ、賢く有能な嫁として機転が利き、つまり聡明で知恵があり、さらに少しばかりの抜け目なさも備えていることが、立派な賢妻の条件と言えるでしょう。
円満な家庭の福星を持つ必要がある。つまり、この家庭の大小さまざまなことを切り盛りする能力があり、さらにすべての家族に対してより大きな円満をもたらすことができる。このような良き嫁は必ず賢く有能で、少しばかりの聡明さを持ち合わせてこそ、初めてこの家庭のために繁栄する条件を真に整えることができる。すべての女性が夫の家に入る姿を見れば、それは明らかである。
あらゆる苦労をこらえて支えることは、現代の言葉で言えば、まるで給料の出ない家政婦を雇うようなものだ。しかも、ただ三食と寝る場所を提供しているだけに過ぎない。果たしてこれは割に合うと言えるだろうか。しかし、世の中の女性たちは皆こうしており、本当に愚かと言わざるを得ない。自分の娘を嫁がせて、代わりに他家の娘を嫁に迎え入れているのだから。
一人の子を育てて一人を嫁に出すのが公平で正しい道である。もしどの家庭もこのようにすれば、比較する必要もなくなる。もし七、八人の息子しかいなかったらどうだろうか？もし七、八人の息子しかいなければ、それはあまりにも多くの利益を得ていることになる。子が多いと父親は飢え死にし、嫁が多いと姑は怒り死ぬ（家を支える重荷となる）。
賢き嫁はよく働く
あなたの家庭の教育やしつけがどのようなものかを見れば、前世の善悪や福禍の関係もわかります。一人の良い嫁がいかに貴重であるかを理解し、賢く聡明で家を切り盛りする人を大切にしなければなりません。もし何人かの良い嫁が家庭に入り、この大きな家族を繁栄させることができれば、それは前世に良い福報を積んだ修行の結果です。
今世、これほど素晴らしい嫁があなたの家に入り、更なる円満をもたらすことができるのは、まさに天があなたに与えた良い福報の現れです。女性が夫の家に入れば、必ず実家の習慣も一緒に持ち込むものですから、二人の生活習慣は当然異なってくるのです。
最初のうちは、夫の家の生活習慣にどうしても馴染めず、適応する機会もなかなか得られないものです。夫の家の生活習慣には、一歩一歩、より大きく学び成長しながら向き合う必要があります。また、実家の生活習慣を夫の家に持ち込むことで、異なる様式の生活習慣が形作られていくのです。
この時期、夫婦の家庭におけるすべての日常生活や飲食は、つまり実家での生活習慣を引き継いでいます。もし良い嫁であれば、実家と夫の家の良い生活習慣に気づき、それをずっと保ち続け、良くない習慣は徐々に改めていくでしょう。これはまさに将来の子育てと深い関係があるのです。
鶏に嫁せば鶏に従い、犬に嫁せば犬に従う。
このような良き嫁は、賢く能力ある機会教育であり、自ら学び成長することができる。これは家が栄えるか衰えるかの分かれ目であり、良き嫁が真に徳があり善良であることを知る必要がある。さらに物事の判断において夫と相談できる、つまり夫と苦楽を共にすることができるという点が加わる。
人類の衆生が理解できるのは、どのような夫があれば、どのような妻がいるということであり、夫の家の職業は、往々にして妻が一生をかけて支え、その家庭の事業を堅持するものである。一人の嫁が夫の家に入り、どのような職業の夫に嫁げば、その後はその職業の嫁となるのである。
「鶏に嫁せば鶏に従い、犬に嫁せば犬に従う」とは、夫がどの職業に就こうとも、妻は夫の職業に合わせて家事を切り盛りするという、比較的伝統的な古い言葉です。現代ではこのような言葉はもはや流行らず、科学技術が発達した今の時代では、夫の家業が永遠に続くとは限りません。
賢き嫁は夫の家業を共に営む
もしそれが良い業種であれば、それは非難されるべきことではない。もし良くない業種であれば、淘汰されてしまう。このような夫の家業と妻は互いに補い合う関係にある。良い嫁の名前は「賢く有能で徳がある」と言い、家庭を繁栄させることができる良い嫁にとっては、どんなに苦しくても不平を言うことはない。
良い嫁であれ、嫁姑の間に大きな問題があれ、この姑は永遠に姑の役割にしがみつくことはできません。なぜなら、嫁こそがあなたの未来、二十から三十年後の後継者だからです。今、嫁を大切にしなければ、将来姑が嫁に孝行を望むのは、ほぼ不可能でしょう。
嫁と姑の関係について見ると、どちらも他人の娘が夫の家に嫁いできたのです。ただ、姑の方が少し早く来て、あなたの夫となる息子を産んだだけです。過去のすべてのわだかまりは心に留めておく必要はありません。また、将来あなたは姑の立場を引き継ぎ、さらにあなたの嫁もやがて姑になるのですから。
賢くて有能な良き嫁が幸せを築く
この千古変わらぬ道理は必ず心に銘記すべし。故に今こそ嫁に対していっそう良く接しなければならぬ。そうすれば、後々嫁もまた汝を天地のごとく敬うであろう。これこそ良き嫁のあるべき基本の行いである。良き嫁は過去にこだわらず、また比較すべきでもない。たとえ過去に姑から虐待を受けたことがあっても、それを成長のための学びと捉えるべきである。
また、どうして恨みを心に留める必要がありましょうか。姑との過去のことは気にせず、心を広く持ち「徳をもって怨みに報いる」ことができれば、良い子孫が生まれ家を継いでくれるでしょう。良い嫁に必要なのは：賢く徳があり、善良で度量が広いこと。これは前世からの良き縁であり、今生でこのような条件を備えた方が我が家に嫁いでくれるのです。
ですから、賢くて優しい嫁は知恵を持ち、徳性も備え、さらに善良さと家族を思いやる包容力が必要で、少しばかりの機転も欠かせません。そうしてこそ、より大きな福が授かり、家族全体を円満にすることができ、円満な家庭の福の星となるのです―あなたの名は『良き嫁』です！これはどの女性にも実現できる条件です。
賢き嫁が家に入れば　すべては天の配剤なり
前世の福報を今生で享受し、徳沢が興隆し福気が開く
嫁姑の争いは何のため　ただ見る角度が違うだけ
皆が他家の娘たち　  　共に集うは吉祥の兆し
この偈は、有情の衆生が互いに励まし合うものです。大道シリーズの天書、すなわち『大道倫理』第二十三回に記された賢き嫁の物語は、将来もし姑と嫁の問題に直面した時、『大道倫理』がすべての姑嫁間の争いを解決し、円満に成就させてくれるでしょう！
無極千万護法総管　福徳正神
無極の因縁が崇心に降り　千万の護法総管が臨む
福德正神が初めて登壇され　皆様に吉祥と福運が訪れます
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道学院の院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈の無極国際観世音菩薩が降臨され、『大道倫理』第二十三回を著作され、嫁姑問題を剖析なさいました。優れた嫁となることはいかに容易でないか、また母親である姑も他家の娘として嫁入りしてきたのですから、互いに大切にし合わなければなりません。
ただ、先に嫁いでから夫の家に入り、その後息子を産んで他家の娘を嫁に迎える、つまりは家系を継がせるためなのです。しかも皆同じ役割のため、同じく息子のためであり、一方は夫という役割。この二人の女性が、どうしてこのような些細なことで争い合い、収拾がつかなくなる必要があるでしょうか、それはまったくもって無意味なことです！
大後日は崇心宗脈の、今年七月の普施法會でございます。全ての善縁を成就させることができ、また今回の「八八水災」で罹難された全ての有情の亡霊、善縁に対しても普施濟化と提昇超越を行います。皆様と共にこの盛挙を支え合い、相互に円満成就できますよう願っております。
ポイントシェア：賢明で有能な嫁は人生で得難い存在であり、一般的な人が賢明で有能な嫁を娶ることができれば、それは前世で積んだ善行と福徳の報いであり、このような良縁を得ることができたと言える。古くから「良き子孫を得るにはまず徳を積め」と言われるように、賢明で有能な嫁は、どんなに苦しい生活環境であっても、時間さえ与えられれば、その悪い困窮した環境を立て直し、家庭を繁栄させることができる。このような賢明で有能な嫁に、あなたは気づいているだろうか？実は、わざわざ探し回らなくても、身の回りで気づくことができる。まさにどの家庭にもいる賢明で有能な嫁、それは誰だろう？その名は「偉大な母」である。だから今嫁としての立場にある人も、やがては「母」の役割に昇格し、さらに「母」の役割から「姑」の役割へと昇格していくのだ。頑張ってほしい！特に嫁姑の感情も円満にね！あなたならきっとできる！
2015年、3月8日、21時48分◎＃※　了承。
無極東瀛  観世音菩薩
◆ 跋・讃賀 ◆
古仏降著倫理冊　跋二賀頌喜慶迎
◆ 本文 ◆
第廿三回　   賢能媳婦
極まりなき東の海に旭日昇り　観音菩薩降り来たりて成る
大道倫理二十四回　　有徳の賢婦は家を興し盛んにする
◆ 跋・讃賀 ◆
跋     二
◆ 本文 ◆
第廿四回　   有德媳婦
徳のある嫁はさらに求め難い
有情なる衆生の子女は成長すると、恋愛や交際をするようになり、それが家庭を築き事業を立てる契機となります。子女が家庭を築こうとする時には、まず相手方の家風を探り、その娘の人間性や振る舞い、そして母親の為人や処し方を尋ねれば、この娘の母としての徳と模範がどれほどのものか知ることができるでしょう。
嫁に迎えられるだろうか？良い嫁というのは、能力だけでなく徳性も備えていなければならない。もし賢明さだけなら、それはあまりにも普通で、どの嫁も賢明ではあるが、必ずしも徳性があるとは限らない。このような考え方で家を治めようとしても、その家庭が繁栄するのは一時的なものに過ぎない。
賢能な嫁を理解するとは、いかにして徳性をもって家庭を支えるべきかを知ることこそが真実である。夫の家を繁栄させる徳の恩恵は、嫁選びのよりどころとなる。なぜなら、徳は賢能よりも高次の基本的行いであり、一般の女性は賢能であっても、必ずしも徳を備えているとは限らないからである。
このような徳のある嫁は、家庭を長く繁栄させることができ、
後世の子孫を教え導くこともまた一種の教化による完成であり、それゆえに徳を備えた嫁は非常に求めがたい。また、世間が後世の教化を願うのは、母の教えを基本とするからであり、したがって母の教えはすべての教育の基本である。
古の徳ある婦人からは必ず賢く孝行な子孫が現れるものである。
古代の賢母たちは非常に偉大であり、多くの母親は子供たちを立派に育て、後世に利益をもたらし、また出世させることができました。例えば、孔子の母、孟子の母、岳飛の母などの偉大な女性たちの母性愛は、後世の子孫を教化し、すべての母性愛の徳と恵みが後代の子孫に受け継がれるように導きました。
これらの偉大なる母親たちは皆、徳を備えた人であり、また徳ある嫁とも言えます。さらに、すべての女性は人の母となり、また人の嫁となり、同じく夫に対しては良き伴侶として導き、子を教え育てる良き方法を以て、自らの見解と実践をもって家庭全体の繁栄に貢献しているのです。
同時に、母性教育の輝きを発揚させ、子孫が人としての基本を理解できるように促します。徳性を備えた行動こそが、人をも自分をも利する完成であり、このような徳のある嫁はなかなか出会えず、またこのような条件を持つ者が世に生まれることも稀です。天下の子女は皆、母親から生まれたと言えるでしょう。
子育ての責任はすべて女性にのしかかっていますが、このような縁は実に微妙なものです。女性の輝きが家庭を照らし、世話をすることは、まことに貴重なことです。人道世界がより大きな完成と向上を遂げられるのは、すべて「母なる愛の偉大さ」によるものです。このように徳のある女性は、自分自身にも他人にも利益をもたらすことができるのです。
徳のある嫁は必ず賢く有能である
子女を教育することができ、教化の中で頭角を現す過程において、その徳は自らの家庭に恩恵をもたらすだけでなく、世の中にも恩恵を及ぼすことができます。真の模範を示すことができるのは、彼女たちが天下で最も偉大な母性の徳の輝きであり、賢く有徳な母親であって、それは賢い嫁よりもはるかに高い次元にあるからです。
一人の賢い嫁があれば、家庭を繁栄させることができます。このような賢い嫁は比較的求めやすく、得やすいものです。なぜなら、世の中の女性は賢い人が多いからです。これらの女性たちは夫の家を心行くまで世話し、一生の青春を捧げて、この家庭のすべてを守ってきたのです。
言えることは、すべての女性は賢く有能であるということです。このような世の中の因果応報の巧みな仕組みは、前世でどのような善い行いを積んだかによって決まります。前世で多くの善い因縁を結べば、今生ではそのような善良な嫁が得られるのです。もし前世で多くの悪い因縁を作ってしまったなら、今生で良い嫁が家に入ることを望むのは、まったく不可能なことです。このような良い嫁は、必ず賢く有能でなければならないのです。
また、相互に受け継がれることで一家が栄えるのであり、世の中の優れた嫁たちも皆そうである。必ず良い嫁が一人いて家を興す必要がある。さて、今のすべての女性たちよ、あなたたちは良い嫁であろうか？きっとそうだと信じたい。一人ひとりがこの世に生まれ、自らの家庭を栄えさせる使命を背負っているのだから。
徳ある母の行い
区別なく、実家の家庭も夫の家の家庭も、あなたに人生の舞台を与えます―良き妻であり母である役割を演じるには、必ず嫁としての役割という関門を経て、その試験に満点を取れるかどうか？どうすればそれを最高のものにできるか？どの母親も、それを最高に、最も素晴らしく、最も優れたものにしたいと願っていると信じています。
また、自分が賢く有能な良き嫁となり、一家を繁栄させ、夫の家族や子供たちなども気遣い、互いに助け合い守り合えるよう願っています。あたかも天が二人の生きた菩薩を降ろして家庭を守り、すべての家族の面倒を見てくださるかのように。このような賢い嫁は、より徳のある条件に従う方法を学ぶ必要があります。
この家庭に対して、後世の子孫により大きな徳沢をもたらすことができる。古くから言われる「富は三代を過ぎず」という言葉は、まさに一般の人々に対する戒めである。しかし、世の中には賢明で有能な嫁を迎え入れ、学びを完成させ、より高い徳性の条件を備えて実践していくことができる。また、自らの行いを通じて、家族全体の徳性を守り支えることもできるのである。
また、代々家の中で子孫に伝えられ続け、世の中の「富は三代を超えず」という呪縛を打ち破り、さらに徳は千万代の子孫にまで及ぶことができる。このような古来の教えが警告していること、つまり「徳を修めることを第一とする」ということを、どのように真に向上させる道とすべきか。良い子孫や嫁を得るには、必ず徳を積むことを優先としなければならない。
徳ある嫁は賢く家を興し　徳性賢き嫁は母の教えを大とす
人間はとかく些細なことにこだわりがちである。言うなれば、こだわる人は比較的多く、少しも犠牲を払って他人に便宜を図ろうとしない。つまり、こだわりがちな人は、大きな福徳に恵まれることは非常に難しいのである。世の中は、こだわればこだわるほど、すでに多くを失っているということを理解しなければならない。
得るも失うも、互いに平等に扱うこと、つまり永遠に損をしない人だからこそできることです。もし徳のある嫁であれば、些細なことを気にしたり比べたりせず、むしろ自分自身を律することが正道であり、まさに母の徳が何世代にもわたって受け継がれるかどうかの恩恵なのです。
子孫への教育と教化において、古くからの明らかな教えはこうである：人は損をすることに堪えうる本分を持っているのか？いや、そうではない。一般の人々は損をしたくないものであり、ましてや貧しい人々を助けようとはしない。この世には「損をすることは得をすること」という考え方が必要である。今生で人々に多くの便宜を図れば、それはあなたにとって今生で損をしたことになるかもしれない。
来世には多くの人があなたに便宜を図り、裕福な生活を送らせてくれるでしょう。このような損をする人は、今の享受が良いのか、それとも将来の長期的な享受が素晴らしいのか分からず、損をすることが得をすることだと知りません。しかし、一般の人々はこのような考え方を認めず、互いに干渉しない関係を築いています。
大いなる徳と度量あれば、大いなる福あり。
さらに、私は人を犯さず、人にも私を犯させない、私は損をせず、人にも損をさせない、という人があまりにも多い。世の中では、広く善縁を結ぼうとしてもそれは不可能であり、広く善縁を結ぶということは、少し多く損をしてもいいと思えることであり、そうすれば後になって必ずあなたに必要なものが返ってくるということを知るべきである。世の中に徳があるかどうかは？
有情ある衆生に対して、もう少し損をしてもいいのではないかと考えてみてください。今はたくさん損をしているように思えても、後々に積み重なって多くの善縁や良い結果をもたらすのです。これはまさに、徳の高い良い嫁が教育や教化の課程において、母性の輝きを持って実践することで、子供たちに大きな成長をもたらし、より多くの報いを得ることができるのです。
世の中でこのようにできるだろうか？必ずしもそうではない。常に人々に少しでも多くの便宜を図る、つまり世の中の「母なる徳の輝きが示す模範」こそが、子を教育する基本である。もしこのような縁と条件をもって自らの家族を教化できれば、「大徳ある者」には必ず「度量の大きい者」がいるはずだと信じる。あなたは「大いなる福ある者」がついてこないと言うだろうか？
「母の教えの徳沢」を自らの家庭において実践すれば、必ずや家族に影響を与え、さらに周囲の人々にも影響を及ぼすことでしょう。試してみたいとは思いませんか？これこそが「母性の輝き」なのです。かつての孔子の母、孟子の母、岳飛の母のように、子孫の教育を成し遂げ、将来の人間形成と行動の基礎を築き、子々孫々への繁栄と継承を実現することができるのです。
徳のある人は損をしても自分自身であり、天地には必ず正義がある。
一滴も漏らさずに　　未来の自分に返す
徳ある嫁は家を栄えさせ　賢き嫁は互いに褒め称える
賢能は多くても徳を備えるは難しく、人生一世は自らの家を盛んにすべし
この偈を！有情の衆生と共に励まし合い、世の中に徳のある良き嫁は非常に得難いものですが、賢く優れた嫁が学び成長した後には、徳性が加わり増すことができます。あなたがたはそれを望みますか？試してみてください！良き善き因縁が生まれ、上へと伸び向上し、先祖の名を輝かせ、より大きな成就をもたらすでしょう。
無極福德正神
無極座は崇心堂に鎮座し、福徳正神は徳を広く顕揚する
諸聖仙佛賢生の皆様、ご機嫌麗しゅう
皆様の吉祥福気がますます盛んになりますように
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道学院、学院の修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈　無極東瀛  観世音菩薩が降臨され、『大道倫理』第二十四回を著作されました。有徳な嫁について分析し、世の中の良き嫁について述べられます。汝もまた円満なる家庭の福の星である。このような良き嫁は比較的得やすいが、有徳な嫁は容易には得られない。これを皆に提供し、互いに学び成長する機会と致しましょう。
ポイントを共有します：中国の歴史には多くの徳のある嫁がおり、彼女たちの名前は「偉大な母」と呼ばれています。誰もが生まれた後、母親の教育を受け、あらゆる倫理や道徳を知るようになります。このような環境の中で、すべての嫁の基本的な役割は、夫を助け、子を育てること、つまり子供を育て教育することであり、またこのような影響と教化の中で、母親の責任は父親よりも大きくなります。現在では、母親の責任は父親の責任よりもさらに重くなっており、それぞれの家庭の倫理や道徳からも理解できます。私たち現代の家庭教育は、すべて母親が子供を教え導いています。少し大きくなると、様々な塾や幼稚園に入れて、みんなと一緒に学び成長し、親の教育負担も軽減しています。ですから、すべての母親は偉大なのです。ただ、有名になっていないだけです。そうではありませんか！このような感覚を持つことができますか！
2015年、3月8日、21時49分◎＃※   了承；
無極藍衣金聖 観世音菩薩
◆ 跋・讃賀 ◆
跋二之賀頌
◆ 本文 ◆
第廿四回　   有德媳婦
無極の因縁は真に殊勝なり　藍衣金聖観世音
大道倫理二十五回　  　嫁と嫁は仲良く元より親しむもの
◆ 跋・讃賀 ◆
南屏道済古仏　跋二を降す
◆ 本文 ◆
第廿五回   　妯娌和睦
嫁同士は仲良く、兄弟は深い愛情で結ばれている。
母が子を産み育ててこそ、子が成長して結婚することができ、一家の兄弟姉妹も皆成長すれば、それぞれ婚姻によって結ばれる。これは人倫の大道の基本であり、この人倫の大道が行われることによって初めて、子孫が代々受け継がれていくのです。
このように、一家の精神的支柱は全て父親の主導に由来するが、全ての事柄は母親が全面的に責任を持って処理する。そのため、母親は子を産み育て、その血筋を後世に伝える。この時、他家の娘を娶って嫁とし、また自分の娘を他家に嫁がせ、嫁として迎え入れることになる。
この役割と立場の転換は、同じ女性が払うものでありながら、役割においては大きな変化がある。つまり家庭内の兄弟を区別する場合、伯父と叔父に分けられる。このように叔父の妻と伯父の妻は、まさに二つの異なる家庭からこの家庭に嫁いできた者であり、これをもって親戚と呼ぶのである。
この時、伯父の妻と叔父の妻、そして父の妻に対して
母とは、すなわち三種以上の異なる家庭から生まれた女性が、家に嫁いで親族関係を広げることを指します。この三人以上の女性はそれぞれ異なる家庭の生活習慣を持ち、必ずや自らの家庭生活に溶け込まなければなりません。
嫁同士の仲良くは必要です
嫁ぎ先の家庭に溶け込むためには、姑の教えに従うことが必要であり、そうすることで多くのトラブルも減らすことができる。このような人間社会における家庭での結婚で生じる「嫁同士」の関係とは、二人以上の異なる女性が同じ家に嫁いで共に暮らすことを指す。昔の大家族には、このような相互支援や互いに溶け込み、感情的に調和する関係が比較的多く見られた。
現代はすでに核家族化が進み、かつてのように互いに支え合い、助け合い、思いやる関係は次第に薄れつつあります。今なお共に暮らす大家族が維持されていることは、大変貴重なことと言えるでしょう。特に、家の中に二人以上の嫁同士が同居している場合にはなおさらです。
互いに支え合い、助け合い、寄り添って生きていけるかどうかは、普段の振る舞いや人との接し方を見れば分かるものだ。この「妯娌」という関係は、父や叔父・伯父の妻たち同士の呼称であり、家に入ってくればそれは親戚となる。この時、妯娌が仲良くやっていけるかどうかは、必ずしも姑の教えや薫陶によるものではない。
各人の異なる認識の角度を互いに融合させることができてこそ、このような嫁と姑の関係を親族と言えるのである。天の下で共に同じ屋根の下に暮らすことができる、そのような親族というのはいかに容易ならざることか。また、嫁と姑の間には互いに慈しみ合い、この家庭を共に大切にしていくことが必要である。
嫁同士が仲良くすれば、兄弟の仲も円満になります。
言葉で表すのは非常に親密な関係であり、二人以上の親族がいるからこそ、異なる家庭の生活環境や教育を受けてきたにもかかわらず、古い言葉に「性格を知れば共に暮らしやすい」とあるように、これはまさに親族関係のあり方です。叔父や伯父、その妻、そして母親を親族と呼ぶように、このような親族関係はすべて、家族の伝統を後世の子孫に受け継いでいく必要があるものです。
また、いわゆる「嫁同士」とは、互いに良きにつけ悪しきにつけ縁によって結ばれ、一つの家庭に迎え入れられて親族と呼ばれる存在です。そのため、すべての叔父、伯父、父の子孫たち、つまり従兄弟姉妹が共に生活できるということは、たとえ伯父や叔父の子孫であっても、実に容易ならざる縁なのです。
あなたと血縁関係にある、つまり傍系の血縁親族が同じ屋根の下に住み、共に生活することは、良縁が自らの生活に加わったということです。このような嫁同士の関係は互いを補い合うものであり、伯母や叔母であっても、母と同じように嫁同士の関係にあるのです。
しかも皆、祖父母の嫁であり、母に対しては同じ嫁同士として共に生活しています。この家にはこのような親密な関係があり、外部の人々よりも一層親密で、同じ祖先から受け継がれた子孫であるからです。舅姑を互いに大切にし、この家庭を繁栄させていくのです。
血縁の親族が一緒に住む
これは一種の人間世界における生活の過程であり、一般的な親戚よりも一層深い関係を持っています。この親密な関係があるからこそ、同じ屋根の下で暮らす従兄弟たちは、感情の絆もより密接になるのです。また、生まれてからずっと共に過ごしてきた日常の一つひとつが、その証左となっています。
すべての生活習慣や日常生活もほぼ同じであり、このような同族、同種、同家庭の生活習慣は、一般の人々よりも一層深い親密な関係をもたらし、また一般の親戚よりも一層深い親密な縁を結びます。そして共に生活できることは、良好な縁であると言えます。
また、いとこたちと共に生活し、共に心の痛みや苦しみ、喜び、怒り、悲しみ、楽しみといった一つ一つの出来事を経験することで、あなたと相互に関係を持つようになり、自分自身ともこのような感情の絆で結ばれるのです。世の中のすべての親族関係や倫理は、互いに支え合い、互いに世話をし、互いに助け合うことであり、これが倫理の綱常が持つべき基本的な条項なのです。
皆様は血縁によって結ばれた親戚関係を保っておられます。ご自身の兄弟姉妹、そして従兄弟姉妹の方々があなたにより大きな円満をもたらしてくださいます。一つの家庭においては、姑以外の女性たちは皆、母親や叔父・伯父の妻たちが互いに補い合って共にあります。この時こそ、嫁同士は互いに情愛を持つことが大切なのです。
嫁同士の和合の基本
この家族の大小、三代、四代にわたるすべての感情の絆を維持しているのです！この時、嫁同士が仲良く一緒に暮らせれば、比較的安定した生活が送れますが、もし嫁同士が些細なことで頻繁に言い争い、さらには仲違いして敵対するようになれば、それは姑にとって非常に大きな試練となります。
どちらかに偏っても円満にはなりません。この時、姑の立場としては、嫁が嫁いできた直後に、まず嫁の教育や文化的背景、人付き合いや物事への取り組み方など、様々な縁や条件を理解することが必要です。仲良くやっていけるか、お互いに慈しみ合い、この家庭の繁栄を支えていけるかは、嫁の日々の言動からきっとわかるものです。
この嫁が一緒に暮らしていけるかどうかは、姑の観察と指導を通じて、この嫁の性格や傾向を知ることができます。一緒に暮らせるのか、それとも別居する必要があるのか、この時姑の役割は非常に重要です。また、これらの女性たちは皆、他家の娘たちだからです。
この家に嫁いで家族となることも、非常に親密な関係の一つであり、各人の生活習慣は将来に影響し、この家庭生活が円満にいけるかどうかには、非常に大きな関係がある。このような嫁と姑の間が仲良くやっていけるかどうかは、一目瞭然である。
嫁と嫁の仲が睦まじいのは、すべて良き縁によるものです。
嫁ぎ先の姉妹の間には、寛容の心が欠かせません。物事の問題に対しては広い心で見ることができ、大小の事柄に寛大な度量を持てるのが円満な道です。さもなければ、何事にも細かいことにこだわり、些細なことでも気にする人が、あなたと私の違いにまで目を向け、このような気にする嫁は、物事に対して互いに助け合うことができません。
このような嫁は、一つの家庭の中で仲良く暮らそうと思っても、大きな障害が生じる。なぜそうなるのか？それは各人の知識レベルや、人付き合いの円満さにも関係している。さらに、自分が費やしたものにこだわるような嫁では、家庭全体が円満になることはあり得ない。
一家の姑として、これらの嫁たちの行動規範については、必ず皆が共に仲良く暮らせるようにしなければなりません。また、すべての嫁の行動には和やかな調和の機会がありますが、ただ恐れるのは、それぞれの立場が異なり、嫁たちの家庭での教えも異なり、行動規範もさらに異なるため、根本的にお互いに融合する方法がないことです。
この時期に分家するのは必要であり、長い間ほんの些細なことで皆が言い争うのを避けるためでもあります。姑は家中の大小様々なことを取り仕切らねばならず、時には板挟みになることもあります。嫁同士の関係が良くない場合、子供たちが成長して結婚した後、しばらくすると「樹大分枝」の道理で別々に暮らすようになるのは、よくあることなのです。
比べず、こだわらず
ほんの些細なことから、それぞれの心にわだかまりが生じ、誰々が間違っていると決めつけ、さらに理不尽で理解できないと感じてしまう。このような状況は家庭内でよく起こり、兄弟姉妹の間では比較的寛容であっても、嫁や義理の姉妹同士となるとそうはいかない。
人それぞれの視点や知識・教養の水準は異なります。このような状況で、無理に一つにまとめようとしても、根本的に不可能です。また、時が経てば必ず大樹が枝分かれするように、それぞれの家庭の負担を分かち合うために別れることになります。そうすることで、兄弟姉妹や嫁姑の間の感情は、少なくとも良い縁として維持することができるのです。
また、常に一緒に生活していると、舌と歯のように親密な関係でも、時には噛んでしまうことがあります。皆さんにもそんな経験があるのではないでしょうか。ましてや、二人以上、生活環境や教育、考え方の異なる人々が共に暮らし、平穏無事でいようとするなら、大きな包容力を持ち、互いに融合し合うことが必要です。
さもなければ、一般の人々は包容する雅量を持つことは非常に難しく、つまり、嫁同士の仲睦まじさにおいては、感情の絆を強化する必要があり、そうして初めて嫁同士の仲睦まじさと姑と嫁の間により大きな円満をもたらすことができるのです。皆さんもそうではないでしょうか？兄弟姉妹それぞれの異なる結婚の縁を経て、この家庭に迎え入れられ親戚となったのです。
嫁と嫁の仲睦まじさは理解が肝要で　互いに親しみ愛し支え合うもの
親しく共に暮らし　子孫に幸せを継ぐ
木が成長すれば枝分かれするように
人はそれぞれの道を歩んで行くもの
それぞれの家庭は皆親しき縁
互いの因縁が支え合う
この偈は、すべての有情の衆生と共に励まし合い、嫁と嫁の和合の基本を解き明かすものである。世の中でなぜしばらくすると、兄弟の家庭も枝分かれして葉を茂らせ、それぞれが自分の家庭を顧みるようになるのか。これもまた互いに親族の情と倫理を支え合うためのよりどころなのである。もし姑と共に生活するときには、普段からこの嫁の人間性がどのようなものであるかを知ることができるのである。
無極壇徳  地蔵王菩薩
無極壇に徳を備えし地蔵王菩薩、宝台に登りて福気旺んなり
崇心七期を弘揚すれば　吉祥如意に財運暢ぶ
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道学院の院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈　無極藍衣金聖   観世音菩薩が降臨され、『大道倫理』第二十五回を著作されました。今回は「嫁と嫁の和合」について著述され、有情衆生が家庭において、すべての親族との良き縁を和やかに保つことができるかどうかを論じられます。
関係するのは、一人ひとりの在り方次第です。なぜなら、嫁同士が仲良くできるかどうかは、それぞれの家庭の教育問題にも関わっており、より大きな成就を得られるかどうか、姑と嫁の相互の縁がどのようなものであるかにも影響します。どちらにも偏った扱いをしてはならず、そうすることで初めて嫁からの冷たい視線を浴びず、損得を考えても得にならない事態を避けられるのです。
口では言えないまでも、心の中で不満を抱え、なかなか手放せないと、将来のあらゆる爆発点を形成することになります。嫁姑の間、兄弟嫁同士の間、義理の兄妹・兄弟間の問題の隙間は、すでに存在する問題点です。どうすれば心を開いて、良き縁を結ぶことができるでしょうか。
ポイントを共有します：嫁同士の仲が円満にいかないことはよくあり、また日常生活での言葉のやり取りや些細なことから恨みを抱き、口には出さずとも心の中で愚痴を言い、それが将来の別居の引き金となることもあります。表面上は衝突せずとも、陰では「道理が通じない、付き合えない人」とレッテルを貼られてしまうのです。実際には、それぞれの立場に間違いはなく、ただ視点が異なるだけなのですが、嘆かわしいことです。しかし、どんな母親であれば、どんな子供を育てるもので、あなたと同じように親戚付き合いを絶ってしまうこともあるでしょう。それでは何の意味があるでしょうか？嫁同士が仲良くやっていくことが必要であり、そうすればすべての親族やいとこ同士の関係もより円滑になるはずです。信じられますか？
2015年、3月8日、21時49分◎＃※   了解；
無極紫衣銀聖 観世音菩薩
◆ 跋・讃賀 ◆
虚空上人跋三作 大道倫理弘展開
◆ 本文 ◆
第廿五回   　妯娌和睦
無極より降り来たる大いなる因縁
紫衣の銀聖観音現わる
大道倫理二十六回　嫁と姑の親友和合の章
◆ 跋・讃賀 ◆
跋     三
◆ 本文 ◆
第廿六回   　姑嫂摯友
義姉妹の親友の基本
有情なる衆生は、他家の娘を嫁に迎えると同時に、自らの娘を嫁がせて他家の嫁とする。このような人倫の道徳は、一つの伝承として相互に支え合っており、有情なる衆生のすべての家庭にとって、子女を持つ者は必ず経験すべきことであり、良き縁に恵まれることが求められる。
我が子と他家の子が互いに嫁ぎ娶ることで、初めて子孫へと受け継がれていく。これは天地の理法であり、人倫の基本綱領でもある。人為的な関係によって相互に円満を成し、互いに伝承していく。すなわち人と人との姻戚関係が連綿と続いていくのである。
お二人とも他家の娘で、一人は実の娘が嫁いだ後、もう一人は他家の娘を娶った後、どちらも他人の家の飯を頂く身となります。つまり二人の娘は同じことをするわけですが、その任に堪えられるかどうか、以下に参考までに述べます。
一者、この家は今後汝に任せて取り仕切らせることとする。
二つ目に、経済の支柱も相互に円満でなければなりません。
三に、将来の家庭の女主人となること。
四つ目には、全ての家族の大小を問わず、面倒を見ることです。
五つ目に、この家庭に繁栄と成長をもたらすこと。
六つ目は、夫を助け子を教え、子供を育て育て上げることです。
七つ目は、舅姑に仕えて従順であり、嫁同士や姉妹の間柄も円満にすることです。
八つには、すべての親族と仲良くして、互いに助け合うこと。
九つ目に、外部に対しては円満に、あらゆる面に配慮が行き届いていなければならない。
十に、人として円満に成功し、認められなければならない。
嫁と姑はどうすれば親友になれるのか
この十項目が女性一人に実現できるかどうかによって、模範的な母親と言えるかどうかが決まります。また、世の中のあらゆる生き方においては、昔からの優れた伝統を引き継ぐことが非常に重要であり、それによってより大きな円満と成就が得られるのです。なぜなら、女性が夫の家に嫁いだ後は特にそうだからです。
親族は舅と姑以外にも、小姑、姉妹の嫁、兄弟の嫁、伯父叔父などがおり、大勢の親戚が一緒に暮らしている中では、新しく嫁いできた花嫁は、実家では経験したことのない家事の一切を、結婚後に一から学び始め、後に初めて自分の家庭を切り盛りできるようになるのです。
特に叔父や伯父などとの交流においては、嫁同士の間にも互いに学び成長する知恵が多くある。また、姑や嫁同士の情誼については、より緊密に結びつき、つまり互いに親しみ愛し合い、共に寄り添うことが大切である。さらに、すべての女性が家事を担当することで、男性は後顧の憂いなく過ごすことができる。
夫の家に対して相互に助け合うことができ、また夫婦の結びつきがまさに良縁である場合、このような良縁の中には夫婦二人だけではなく、多くの親族が共に暮らしていることもあります。その時、嫁と姑の情誼は、嫁同士の感情の円満さに関係し、また常に非常に穏やかで融和した関係を築くことが求められます。
女性が家事を取り仕切り、姑や嫁も皆女性である。
将来、叔母は必ず嫁いでいくものであり、あなたもまた他家から嫁いでくる娘です。この両者のすべての言動は同じであり、ただ異なる環境で生きる過程に過ぎません。また、姑と嫁、嫁同士は皆女性であり、いずれも他人の親にとっての「掌中の珠、心の肉」であり、嫁として家に入って嫁の役割を果たすのです。
家の中のすべてのことを取り仕切るにあたり、姑や嫁、兄弟の妻たちとは互いに支え合い、慈しみ愛し合わなければなりません。それは夫を愛するよりも一層深くあるべきです。なぜなら、皆同じように良き家庭の娘として嫁いできたからです。すべての立場と視点は同じであり、心を比べて夫の家と実家のすべてに対処するときは、真実をもって円満にすべきです。
娘と嫁という役割を果たす上で、まさにすべきことである。また、一人の女性がすべてを捧げる中で、夫が妻（嫁）の立場と視点、そして実家の娘としての立場と視点を理解し、夫の家にも実家にも互いに配慮し合い、補い合うことが、まことの道である。
これらのいわゆる「姑と嫁」「兄嫁と弟嫁」は、すべて他家から嫁いできた娘たちであることを知らねばなりません。実家の両親を気にかけるのは当然であり、嫁いだからといって少しも気にかけないわけにはいきません。逆に、夫となる者は責任と義務を持って妻を助け、義理の両親に孝行し、世話をすべきです。
嫁と姑の情誼と、兄嫁と弟嫁の情感
現代の世の中では、このような心の広さを持つ人はほとんどいません。なぜなら、多くの人は嫁いできた女性は夫の家のために尽くすべきだと考えており、「昔のように実家に頻繁に帰るべきではない」と思っているからです。しかし実際には、心に度量があれば福も訪れるのです。そして、義理の両親の生活の様子を時折見舞うことも大切なことなのです。
もし妻の実家側が孝行してくれ、婿や娘に世話を焼かせる必要がないなら話は別だが、嫁に行った娘も親孝行の務めは続けるべきである。『他人の息子を夫に迎えるなら、必ず舅姑に孝行すべきであり、他人の娘を妻に迎えるなら、やはり妻の両親に孝行すべきである』これこそが公平な道理というものだ。
私心が強すぎて一方に偏ってはいけません。夫や妻として、心の中ではどのように考えるでしょうか？このすべてを理解できるはずです。娘が嫁いだ後、なぜすべての娘に対してより心を寄せるのか、それゆえに夫の家のすべてに対してより大きな貢献をすべきなのか、まさに一人の娘の心構えと行動なのです。
互いに補い合って完全なものにすることは、当然そうあるべきであり、それによって互いに共に暮らすことが形作られてきた。本来、皆が将来同じことを成し遂げるはずであったが、ただ住む場所が変わり、生活習慣も異なるだけである。この中で、嫁と姑、兄嫁と弟嫁の間の情誼と感情は、やはり互いに支え合っていく必要がある。
姉妹の情と嫁姑の関係
義姉妹の情誼、嫁同士の縁が互いに結びつき、より大きな円満を得るためには、義姉妹や嫁同士が互いに助け合い、支え合い、すべてのことを円満にすることが必要です。あまり細かいことにこだわらず、比較もしすぎてはいけません。そうすると良い結果は得られません。なぜなら、良い義姉妹や嫁同士は、こだわるべきでも比較すべきでもないからです。
ほんの少し余計にやっても、死ぬほど疲れることはありません。ほんの少し疲れるだけです。それは、嫁と姑、兄弟の嫁同士の情誼と義理において、この家庭のすべての円満を支え合うことが必要であり、同時に、あなたの後の世代の子孫も目にすることでしょう。母親がどのような人物であるか、つまり自分自身の母親が『身をもって示す』模範を。
子供たちに将来の模範となる指針を与えることは、現在の行いが二、三十年後の結果となるということです。もし将来、娘が良縁に恵まれることを望むなら、母親である時から「自らの行動で模範を示して教える」べきで、些細なことにこだわらず、むしろ自分自身を厳しく律することが大切です。そうすれば、娘の将来にはきっと素晴らしい結婚生活が訪れるでしょう。
親が手本を示せば子はそれを見習う
嫁ぎ先で食器を捧げ持つように仕えることは良い模範となり、また「どんな母親ならどんな娘が育つ」という現象を生み出します。皆さんもよく観察してみてください。もしある母親が些細なことにやかましく言うなら、その娘も同じようになり、将来嫁いでも同じようにやかましく言うでしょう。これによって「母としての教育が及第点に達していないかどうか」がわかるのです。
教え出した娘も不合格で、あなたはどう思いますか？このような母親が細かいことを気にしすぎると、先生まで巻き込んでしまい、さらに叔父や伯父、嫁姑の間にも大きな溝が生じ、親戚同士に大きな災いや害をもたらします。このような状態で良い子孫を望むのは、明らかに木によって魚を求めるようなものです。
あなたの言動はすでに合格点に達しておらず、しかも自分がお嬢様気質だと思い込んで、この家に入った以上は、舅や姑さえもあなたの顔色をうかがって暮らさなければならない。そんなことをすれば、周囲の人々はあなたを「女の暴君」と言うでしょう。そして夫までもがそんな生活に巻き込まれているのです。夫の心が安らかでいられると、あなたは思いますか？
良き子孫を得るには、まず徳を積むことが必要である。
人々からこう言われるでしょう：妻を恐れ、親不孝な子で、立派な子孫が欲しいのか？ありえない！将来もろくでなしの子孫が生まれ、あなたに腹立たしい思いをさせます。このような舅・姑に対する怒りの報いは、すぐに子孫に現れ、あなたを苛立たせるのです。あなたはどう感じますか？
これは嫁と姑、また嫁同士の間柄において、決してあってはならず、また持つべきでもない、互いに計算し合うようなことです。人生は一度きり、共に過ごす縁を大切にすることは、いかに難しいことでしょう。わずか数十年の月日は、あっという間に過ぎ去ってしまいます。しかし、あなたのこの女暴君のような振る舞いは、人々の茶飲み話の種として、いつまでも語り継がれることでしょう。
よく聞く話ですが、ある人が女帝のような妻を娶り、舅姑に逆らい、家族全員を敵に回してしまったというのです。これで円満になれると思いますか？もしそんな雰囲気の中で生活したら、どんな気分になるでしょう？全く割に合いませんよね！家族全員に対して、十分に調和のとれた配慮ができることが必要です。
嫁と姑、嫁同士の和合の道
縁あって共にいるならば、今この時を大切にしなければなりません。これからも毎日仲良くお会いしましょう。嫁と姑、また嫁同士の良き関係こそが、家庭を繁栄させる最も重要な縁の根本であり、円満な家庭の幸せの星となるのです。だからこそ、あなたの名は『良き嫁』と呼ばれるのです。あなたは人から称賛されたいですか、それとも嘲笑されたいですか。
人生において、幸せな縁に恵まれたならば、その幸せと良縁を大切にすべきです。時が経てば兄弟もそれぞれ独立し、自らの家庭を築くことになります。あなたが大家族の中で示す一挙手一投足は、子供たちが将来見習う立派なお手本となるのです。
どのような子供が欲しいかは、今の自分の行いによって決まります。子供の未来があなたと同じように、良い手本となるか悪い手本となるかは、まさに天の道理が示すところの、母親の「身をもって教えること、言葉で教えること、しつけをすること」がどうであるかによります。これこそが母性の輝きに満ちた美徳なのです。
嫁と姑の情誼は大切にせよ　同じ女性としての縁なれば
嫁同士も同じく 互いに支え合い頼り合うべき
親の振る舞い子は真似る　良き習慣こそ共に歩む道
良からぬ習性は未来に現れ
良からぬ悪しき手本を示す
この偈は、有情の衆生が互いに励まし合い、皆がより大きな成就を得られるよう、良き嫁と姑、姉妹の良い縁を結ぶことが大切です。まさに互いに支え合い、助け合うべきであり、これこそが良き嫁としての在り方であり条件でもあります。人生は長くも短くもなく、何事にもあまりにこだわりすぎたり、比較しすぎたりすると、円満には至りません。
時に心を広く持てば大きな福報があるものだ。実のところ、嫁同士も姉妹も皆女性であり、同じ立場でこの家を盛り立てるべきなのだ。古人はこう言った：嫁同士姉妹が尻を一つに結べば、良い福気が訪れる。この言葉の意味がお分かりだろうか。つまり、家の女性たちが団結し、互いに支え合ってこの家を守り、皆が心を一つにして協力すれば、家庭全体が繁栄するということだ。
無極の白金蓮  観世音菩薩
無極白金蓮菩薩、初めて登台し駕を成す
初めての縁結びに賢き人を迎え
吉祥如意、良き夫の家に恵まれます
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道学院、院修学士の皆様、今晩は。本日は本宗脈　無極紫衣銀聖  観世音菩薩が初めて降臨され、『大道倫理』第二十六回を著作され、姑と嫁の深き友情、嫁同士の親睦の篇を天書に示現されました。これは世のすべての良き嫁たちが互いに親しみ愛し合うべきことを示しておられます。
しかし、計算したり比較したりしてはなりません。そうすると自分自身により大きな円満と調和を得ることができず、夫や義理の兄弟との関係も円満ではなく、義理の姉妹や嫁姑との関係も円満ではありません。これらの障害をどのように取り除くべきでしょうか？寛大な心を持ち、これらの親族に対してより大きな成全と配慮を示すことができてこそ、真実の性質に叶うのです。
重点を分かち合う：良好な義姉妹の情誼、嫁同士の和合は、まるで実の姉妹のように何でも話し合え、隔たりや障害も一切ない。小姑は兄嫁を敬い、兄嫁は小姑を慈しむ。嫁いだ後も実家に戻って長兄の妻に、家事を切り盛りする秘訣を教えを請う。このような義姉妹の情誼と義理は、ずっと繋がり続け、叔父と甥、小姑と甥の間でも頻繁に交流が生まれる。そしてこのような子孫の親情はより密接になり、多くの繋がりを持つ。ただ、どのような母親かによって、どのような子供が育つかが心配だ。もし性格が偏屈でやり方があまりにも横暴なら、教え育てられた子孫も偏屈で横暴になり、親族との融和が難しく交流が途絶えてしまう。これは大勢いることで、皆が少し注意深く観察すれば、その兆しを見て取れるだろう。
2015年3月8日21時50分、了解。
無極天心浄瓶 観世音菩薩
◆ 跋・讃賀 ◆
大道倫理讚跋
◆ 本文 ◆
第廿六回   　姑嫂摯友
無極天心の浄瓶開き　観音菩薩降臨された
大道倫理二十七回　　勤倹で家を興すは理に適う
◆ 跋・讃賀 ◆
大道倫理跋三贊勉
◆ 本文 ◆
第廿七回     勤儉興家
勤倹に励んでこそ、家を興すことができる。
有情ある衆生が生存の方向性を持つと、婚姻によって結ばれ一つの家庭を成し、また多くの成員が集まって親族関係を組み、互いの縁によってこの家庭の繁栄に努めることになります。有情ある衆生、特に坤道（女性）の職責は、勤倹によって初めて家を保つことができることに、より重きを置いています。
つまり、繁栄の基本原則があり、それは家族全体に対して、家庭内により大きな円満をもたらすことができるものであり、勤勉と倹約は必ず備えるべき基本動作である。なぜそうなるのか？すべての衆生には前世からの福徳が現世に加わるが、一人ひとりの因縁果報は異なり、また各人の前世の因果によって区別されるからである。
現在の財産や福徳の享受は、自分が思うほど順調ではないことを理解しなければならない。誰しも今生においては福徳の浮き沈みがあるものであり、このような浮き沈みは日常生活の中に存在する。過度な支出がなければ、平穏で適切な生活を送ることができるが、もし様々な悪い要素が加われば、そうはいかなくなる。
寅年に卯年の食糧を食べるような苦境に陥り、前世の福徳を今生に前借りすることになります。
その中には多くの不足や欠乏が生じるでしょう。その時には、「好天の時に雨の日の食糧を蓄える」という心構えが必要で、勤勉で倹約な生活を送ることで初めて家を興すことができます。どの家庭も同じです。また、一般の人々は最初は福徳も比較的豊かで、生活も順調に過ごせています。
勤倹こそが家を興す道である
財産を手に入れたいと願うならば、少し努力するだけで順調に集めることができます。このような時には、勤勉と倹約の必要性を知らず、自分の福徳が容易に通貨を蓄積できる縁に恵まれていると思い込みがちです。通貨を得る縁は比較的早く訪れ、安らかな生活空間をもたらすことを理解せず、このような福徳と通貨に恵まれた状況を当然のことと考えてしまいます。
大したことではないと感じるようになり、しばらく経つと、次第にすべてがうまくいかなくなり、福徳と財産が徐々に失われていくのを感じるようになります。また、福徳と財産がどれだけ残っているのかも分からなくなります。もし将来になってから勤勉で倹約な生活を送ろうと思っても、おそらく遅すぎるでしょう！
通貨や福報の因縁が次第に消えていくのも、また予測できないことである。世の中のすべての行為の基準は、未来にどのような結果をもたらすかわからない。ただ天命に任せ、天の采配に委ねるしかない。「好天要積雨來糧」という基本的な考え方は、人間の世界において必ず持つべき基本的な認識である。
そうでなければ、いつの日か福徳と通貨の間に断層が生じた時、真に平穏で快適な生活空間を保つことは難しくなるでしょう。勤労は必要であり、倹約もまた必要です。なぜそうする必要があるのでしょうか。一人ひとりの生活は、まず飲食という必需品に支えられています。その他の生活支出については、毎月の収入に応じて計画的に配分すべきです。
勤倹に家を治める美徳
楽しみを得ようとするなら、どのような生活空間を選ぶべきか？この時、勤勉に働いて得た給与報酬で家族全員を養うことができ、このような比較的良好な通貨の福報が生活に組み込まれる。また、各人の収入による通貨報酬が家族全員を養うことができない場合には、節約を心がけ、細かく計算し、収入に見合った支出をしなければならない。
毎月の収支がバランスしているかを確認し、購入しなくてもよいものは必ず節約し、お金を貯めて予期せぬ出費に備えます。必要な時に初めて使うようにすれば、より大きな安心と快適さを得られ、先食いの苦境に陥ったり貯蓄が難しくなったりすることもなく、生活が非常に苦しくなることもありません。
もし、普段から倹約を心がけていなければ、いざという時に不足してしまいます。そのような時は、親族に頼って一時しのぎをし、この難関を乗り越えて不足を補う必要があります。このように親族に頼る際には、普段の行いがどうであったかが問われます。もしたまに不足する程度であれば、他人も最初はあまり言わないでしょうが、もし常に不足しているようであれば、自らを省みる必要があるでしょう。
自分自身の能力が不足しているのか、あるいは福徳や方法が足りず、収入が十分に得られず、家計に大きな悩みを抱え、家族にも心配をかけることになる。このような時こそ、倹約と勤勉が不可欠であることを知る必要がある。良き女性としての基本的な責任として、収入に見合った支出を心がけなければならない。
晴れの日に雨の日の食糧を蓄える
言えること：良き嫁はこのような不足があってはならない。なぜ良き嫁なのか、あなたの職責はこの家庭を繁栄させることにあるからだ。女性としての責任を担う以上、家庭全体の繁栄の有無を分けるものとなる。良き嫁であれば、必ず収入に見合った支出を心がけ、家庭に十分な余裕をもたらすものである。
将来のあらゆる事態に備えてこそ、十分な余裕と蓄えを持つことができ、良き嫁が夫の家に入り、家庭を守り、夫を助け子を育て、舅姑に仕え、兄弟姉妹と仲良くし、姑や叔父に従順であるという基本的な責務を果たすためにも、勤勉で倹約して家を切り盛りすることが必要であり、それによって初めて家庭は繁栄するのである。
これは天が授けた天職であり、嫁に課せられた責任と使命である。したがって、どの家庭にも一人の良き嫁がいて、倹約して家を切り盛りすることが必要不可欠なのである。人道世界においては、これ以外にも嫁に対する要求は夫よりも厳しく、女性にとっては非常に不公平である。皆さんもこのような感覚をお持ちではないだろうか？
良い嫁は必ず倹約に努め、家計をしっかりと切り盛りするものです。
つまり、嫁としての一生の課題は、逃げても逃れられず、避けても避けられないものであり、勇気を持って向き合い、さらに前進してこそ、より大きな繁栄を得ることができるのです。この家庭で百点満点を達成し、またこの世での課題も合格点を取ることができれば、あなたはそれを望みますか？また、それを成し遂げることができますか？頑張って試してみてください！
すべての良縁は努力の後にこそ、より大きな成長を遂げることができ、また子孫の代々にも大きな助けとなります。なぜなら、良き嫁が生み育てた子孫たちは必ず「母の輝き」に従って、勤勉に家を守り、すべての美徳を学びながら成長し、それはまた身をもって示す模範となるからです。
与えた後に感じることは、この家族に対しては細やかな気配りを惜しまず、また心から進んで犠牲を払い捧げているということです。では、何を求めているのでしょうか？根本的には何も求めず、また考えることさえ恐れています。ただ一心に家族全員、老若男女のことを気にかけ、一人ひとりが心の中で最も大切な人であり、あなたの一生のすべての課題はこのようなものなのです。
身をもって教え、勤倹の模範を示す
しかし、あなただけではなく、世の中のすべての良き嫁も皆そうではありませんか？何を誇る必要があるでしょうか？人生はこのようなもので、あなたのすべての課題に合格しても、未来には次々と新たな試練が待ち受けています。どの家庭も同じであり、それぞれの家には母性の輝きが存在しているのです。
同時に、良き子としての心構え、良き嫁としての心構え、良き母としての心構え、良き姑としての心構え、良き祖母としての心構えを理解することができます。全ての過程は一つひとつ照らし合わせる関門のようなもので、それぞれの役割と立場において、どのような心構えで臨んでいるのかを自覚することです。これが理解できれば、あなたのこの人生における課題が合格か不合格かを知ることができるでしょう。
もし不合格なら、来世でもう一度やり直すのか？それなら現状を変えた方が良い！崇心宗脈には、あなたが向上し超越したいなら、必ず戻って宝を掘り起こす必要がある！また、すべての四億の仏子たちが、真に円満に回帰し乗り越えられるように、私たちは長い間お待ちしてきた！みんなで一緒に宝を掘り起こそう！
人生の一世は苦しみに耐え磨かれる
すべては家族のために働くためなり
大小にかかわらず皆が心を配り　勤倹に家を治めれば善き縁多し
良き嫁は女性なり　　すべての辛苦は情けを了し難し
ただ夫と子供たちのために
家族全員で力を合わせて家を栄えさせる
この偈を！有情の衆生と共に励まし合い、良き嫁となる殊勝な因縁を、大道倫理が説く世間の姑嫁問題に対して、同じ視点で互いに融和させましょう。なぜなら皆、他人の娘としてこの家に嫁いできたのですから。この一生の全ての課題はこれであり、それを完璧に成し遂げましょう！
無極元聖  関聖帝君
無極元聖関聖帝　大道倫理の理諦を闡明す
嫁姑の問題はここにあり　  　有情の衆生は明らかに知るべし
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、今晩は。本日は本宗脈　無極天心淨瓶  観世音菩薩が降臨され、『大道倫理』第二十七回を著作されました。勤倹貯蓄による家運隆盛の基本綱領を述べられるとともに、姑と嫁の問題を円満に解決し、現代社会における姑と嫁の問題を解消するための指針を示されました。
双方とも寛大な心で互いに融和し合うことが必要であり、もはや昔のような嫁姑の間の悪しき争いは、現代の時代には合わなくなっています。昔は姑が嫁を虐待する話をよく耳にしましたが、今では嫁に虐待されないだけでも大きな福報があるのです。立場を入れ替えて相手の身になって考えれば、より大きな円満を得ることができるでしょう。
ポイントシェア：姑と嫁の関係は古来より存在し、その多くは些細な事柄に過ぎません。実は、お互いに感謝の心を持つことで、些細なことは気にならなくなるのです。また、姑は息子を育て、あなたの夫として与えてくれました。嫁として教えを受けるのは当然のことです。一方、嫁は嫁いで来て息子の世話を手伝い、さらにあなたの家のために子を産み、家系を継いでくれます。二人は同じ一人の男性を支えているだけで、方法が少し違うだけなのです。役割も異なりますが、立場を変えて考えてみれば、なぜ些細なことにこだわる必要があるでしょうか？互いに一歩譲れば円満に解決します。試してみてください、頑張りましょう！
2015年、3月8日、21時51分◎＃※   了解。
無極満徳仙姑
◆ 旨 ◆
完書 旨を繳す
◆ 本文 ◆
第廿七回     勤儉興家
無極の因縁深く厚し　　満徳仙姑降臨して作す
大道倫理二十八回　　女の争いあってはならず
第廿八回   　女人爭鬥
女性が争うのは何のためか
家庭における姑と嫁の問題は、親子の情誼にも影響を及ぼし、また家庭生活に大きな悩みを生み出します。これは二人の女性、つまり姑という立場と嫁という立場の間の争いであり、この両者が家庭内の父子関係に甚大な支障をもたらすのです。
また、どのようにしてそれを解消するかについては、多くの方法がある。昔の時代は比較的保守的で、嫁には常に少し我慢するよう求め、姑と嫁の争いを引き起こさないようにし、近所に笑いものにされないようにしていた。現代では、家を出て別居することができ、二人の女性が争いを起こす問題を避けることができる。
また、家庭全体の雰囲気を非常に気まずいものにしてしまい、なぜ嫁と姑の間に和解の機会を持たせようとするのか、現代の世の中にどうしてこのような問題が生じるのだろうか。女性は夫を支え、家族全員の面倒を見、さらに舅姑に仕えなければならず、人の世の道とはまさにこのような規範によって定められているのである。
このような相互に人から人へ伝わる基本的な条件とは、いったい何なのか？この二人の女性は
争い、何のことで互いに隔たりが生じ、良くない争いが起こるのか。姑に対しては、彼女がすでに早くからこの家に嫁いできた一員であり、つまり自分よりも早くこの家庭に入った者であることを理解しなければならない。
女が争えば男が苦しむ
夫を支え、家族全員の生活の世話をすることは、もうすっかり慣れて大変な時期も乗り越え、さらに何人かの子供を授かり後継ぎを残し、月日が経つにつれて子供たちも次第に成長し、それぞれ結婚する年頃になると、今度は別の女性を嫁に迎えなければならなくなります。
同時に息子の日常生活の世話をし、両親の負担を分担することもできます。これは一種の相互継承であり、この継承は姑の立場から見れば、息子をよその家の娘に託して世話をさせることで、自らの心の願いを果たし、これからはすべて嫁に息子の世話を任せることになるのです。
母としてできることは、ただ傍らで見守ることだけであり、手を出すことはできません。二人の嫁の感情も自分で責任を持たなければなりません。この時、もし姑として息子たちの世話を完璧に行いすぎると、嫁の立場から見れば、お互いに意思疎通が難しい衝突点が生じる恐れがあります。
また、嫁姑の間に導火線が形成されることもあります。実際、皆が自分が愛する人のために気遣う時には、互いに寛容になり譲歩するものですが、もし姑が強い態度で嫁に指導を加え、「こうすべきだ、ああすべきだ」と言う場合、嫁にとっては姑の指導を尊重することが必要です。
女の争いで男はたまらない
これはまさに学びと成長の過程であり、それによって互いに安寧な生活空間を持つことができるのです。もし、嫁の態度が長い間抑圧され続ければ、爆発点に達し、姑に対してより大きな不満を抱き、強気な態度で接するようになります。このような状況では、息子や父親の二人は安寧を得られず、心中穏やかではいられなくなるのです。
さらに、将来多くの不満や隔たりという苦難を生み出すことにもなります。つまり、姑の役割を担う者は、心理的要因を理解しなければなりません。嫁はすでに息子の世話をするために迎え入れられた以上、最初のうちは嫁ができないことを姑が教える必要があり、嫁がこの家庭のすべてについて理解し、スムーズにこなせるようにしなければなりません。
多くの煩わしい障害を生じないためには、まさに姑の教えを通じて、良い嫁が備えるべき必要性があるのです。もし嫁の能力が非常に優れ、高い教育水準と学識を持っている場合、姑と嫁の間の問題は比較的多くなりがちで、双方には寛容さと一歩引く姿勢を持った人物が必要です。
二人の女性が争いを起こし、家の男性が居心地悪く感じるようなことは起こりません。なぜなら、姑の立場では、息子の世話にはすでに慣れており、息子の性格や癖もよく理解しているからです。一方、嫁の立場では、夫の生活習慣は理解できても、夫婦として一緒に生活し始めてからしばらく経たないと、完全には把握できないものです。
お姑さんは息子の世話が慣れている
夫婦の間にこのような嫁姑問題が存在すると、息子が板挟みになって悩むという状況がよく起こります。一方は母親、もう一方は妻であり、どちらも疎かにできません。中華の子孫としての古来の教えでは、嫁は一歩譲って忍耐し、長上を敬うことで平穏を保つべきだとされています。
このようなしきたりはすでに五千年近くも続いており、時代の移り変わりの中で、今ではさまざまな行動様式が生まれ、嫁と姑の間にさらなる円満をもたらすことができる。嫁が孝行することは、両親に大きな安心を与えるものであり、また嫁や孫たちが一日中同じ家庭で過ごす姿を見られるからこそ大切なのだと、理解する必要がある。
大小の家族が互いに一緒に暮らせることは、いかに幸福で円満なことか。これは孝行の道でもあり、子孫へと受け継がれるべき教育課程でもある。もし姑と嫁の関係が円満でなく、嫁が頻繁に「別居したい」と騒ぎ立て、両親と一緒に住もうとしない場合でも、姑と嫁の争いを最小限に抑えることができるのである。
息子は親孝行のために、いつも妻に「耐えてこそ安泰」と要求することがよくあります。このような嫁に対する相互の円満と要求について、古人は「性格を知れば仲良く暮らせる」と言いました。姑と嫁の間には相互の円満と成就があり、嫁は他家の娘であり、私たちの家庭に嫁いできたからこそです。
舅姑と同居する生活は、羨ましがる人もいれば、嫌がる人もいる。
このような生活様式はすでに昔とは異なっていますが、嫁となった者は少し我慢しなければなりません。時間はそれほど長くは続かず、一般的には約二、三十年ほどです。さらに実家で暮らした二、三十年を合わせると、人生の四、五十年が過ぎてしまいます。この時になって初めて自由になれるというのは、嫁にとってあまりにも残酷なことではないでしょうか？
「知性好相居」は古代の名言であり、家族に対しては包容と配慮を持って互いに助け合い、同じ家庭で共に暮らすことを指します。家族全員に円満な家庭の幸せをもたらし、あなたの名前は「良き嫁」と呼ばれます。これは中華の子孫が受け継がなければならない大切なことです。
嫁姑の争いにも耐え忍び、父母に逆らうこともしてはならない。夫たる者は、妻の辛さや苦しみをより一層思いやる心を持つことが肝要である。一方に偏ることは許されず、父母への孝行は当然の務めだが、愛する妻にもより安らかな生活の場を与えるべきである。
嫁ぎ先から別居する問題を減らすことができます。また、姑と嫁の間で生じる問題は、視点が異なり、執着を手放せないことから来ています。一般の人々は、舅姑がいないことの利点ばかり考えていますが、舅姑がいないことの不都合には気づいていません。人それぞれ視点が異なり、持っている人はとても嫌がり、持っていない人は羨ましがるものです。あなたはどう思いますか？
習性を理解すれば仲良くやっていける　良いコミュニケーションで互いに一歩譲り合おう
まさに人道世界を理解できるからこそ、すでに持っているものを大切にしないことがある。舅姑がいる者は子や孫の世話を手伝ってくれ、また生活上のあらゆる不満や悩みを最小限に抑え、しばしば解決してくれる。嫁と息子の間の口論や争いの障害も同様である。
舅姑があまりにも古風で口うるさく、あなたを不快にさせ耐え難い思いをさせているのであれば、このような過程を理解する必要があります。舅姑が皆そうだとは思わないでください。信じられますか、将来あなたもそうなるでしょう。どうしてそうなるのでしょうか？それは両親が子育ての経験の中で、お互いを補い合うことができるからです。
各人が子育てを行う「手法と条件」は異なりますが、なぜそうなるのでしょうか。それは親が子を育てる「手法と方法」がどのようなものであるか、また福報がどのように分かれるかに関係しています。このような福報と手法・方法こそが、子育てが順調にいくかどうかを決める選択肢であり、人としての世界における基本的な経験でもあるのです。
また、親が子を育てる中で得た経験は、問題の悩みを比較的容易に解消し、より大きな成果をもたらすことができると、皆さんは信じますか？昔の田舎のおばあちゃんたちの積み重ねた経験は、現代の若者たちの多くの不足や欠点を変える力を持っています。それが時代遅れだと思わないでください、とても役に立つことが多いのです！
女の争いに男は悩まされる
なぜ女性の間に争いが生じるのか、その原因は何か。まさにこの二人の女性が、同じ一人の男性をめぐって、姑が手放すことができるかどうか、嫁が夫の基本的な生活を全面的に世話できるかどうかにある。もし姑がこれやあれやと要求を強いるならば、しばらくすれば多くのわだかまりと隔たりが生じる恐れがある。
つまり、姑に対するすべての不満を心にしまい込み、後になって夫に引っ越しを要求することになるのです。この時、姑と嫁の争いがここで終わるか、それとも続くかは、嫁がどれだけの抑圧や我慢に耐えられるかによります。こうして、この男性はしばしば板挟みの状態になってしまうのです。
未来において、この家族はまた大樹が枝分かれする必然性を迎えるでしょう、ただその時が早いか遅いかの違いだけです。なぜなら、女性同士の争いに男性が苦しむことになり、どちらかに偏っても円満には至らないからです。また、女性同士の争いで男性が苦しみ疲弊する中、この二人の女性は互いに一歩譲ることができるでしょうか？これはあなた方が選択し、分別すべきことなのです。
良き嫁は堪え忍ぶに足り
良からぬ環境もまた過ごし得る
先生が大切にされれば、家庭は円満に、楽しみも多くなります。
嫁姑の喧嘩に家を出て　外に出れば暇もなし
親孝行はなかなか難しいものだよ、両親と舅姑に仕えるのは。
まるで息子になって、心を挟まれるようだ。
この偈は、すべての有情衆生と共に励まし合い、嫁姑問題と引っ越しの理由を第一回の題材として取り上げ、次回もこの問題を引き継いで完成させたいと思います。これはすべての嫁姑争いに苦しむ男性たちへの戒めであり、現代社会にはあまりにも多くの実例があります。周囲を少し観察すればすぐに分かることです。どうか皆様の身にこのようなことが起こりませんように。皆様はどのようにお感じになりますか？
無極浄瓶白衣観世音菩薩
無極浄瓶白衣登　　観音菩薩賢生に会す
皆様の吉祥が思いのままに　円満な家庭に福気が満ち溢れます
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の院修学士の皆様、今晩は。本日は本宗脈の無極満徳仙姑が降臨され、『大道倫理』第二十八回を著作されました。女性同士の争いの前半部分を分析し、なぜ嫁と息子が家を出て住むようになるのか、その原因について述べられます。また、樹が大きくなれば枝分かれするという条件下においてもです。
同じく有情の衆生が互いに励まし合い、皆に「孝順」という二文字をはっきりと示す。なぜ一つの家庭で円満な生活を送り、三代、四代、五代と皆が一堂に集まることができるのか。まさに千古の良き大善の因縁であり、こうして一つに集まることができることこそが、中土の炎黄子孫の優れた伝統なのである。
このような良好な縁起の条件は、現代において次第に衰えつつあります。このような思想観念を持つことができるかどうか、つまり前の世代とも互いに同居できるという考え方は、より大きな円満と幸福をもたらし、皆様に参考として提供できるものであり、集団で暮らす喜びもまた、孝行の道が受け継がれる一つの形なのです。
ポイントの共有：二人の女性が争った後、息子夫婦は引っ越したいと言い出すでしょう。嫁姑の問題が悪化するのを防ぐには、双方の立場の対立を和らげることで、円満な結局を迎えることができます。このような状況では、もし姑がもう一緒に住んでいなければ、家の中で姑が小言を言う声もなくなり、嫁の心のプレッシャーもなくなります。これからは大小さまざまなことをすべて自分で処理しなければならず、もう姑が手助けしてくれることはないのだと喜ぶべきです。以前は姑が少しうるさかったかもしれませんが、多くの良い点もありました。家事を嫁に任せて手配してくれ、実際に多くの助けになっていました。考えてみれば、姑がいることの利点はたくさんあります。私たちの未来も今の嫁姑の状況と同じで、私たちの息子も嫁姑の不仲や争いのために家を出て住むことになるでしょう。
心を比べてみれば、姑の心境はいかがなものか。もし今、現在の苦境を改善できず、互いにしっかりと話し合わなければ、将来同じ過ちを繰り返すのは避けられない。自分の心が寂しく落ち込み、嫁を迎えたことで息子を失い、今の状況と同じではないか。息子も孫も一緒に住んでおらず、会いたくても嫁の機嫌を損ねるのを恐れ、心の中はいつも辛い。世の中の嫁であるあなたの思いはいかがか。はっきり分かったか。分かったなら、急いで姑に一緒に戻って住むよう頼もう。そうしなければ、将来あなたが今の状況と同じように、息子や孫、嫁が皆出て行ってしまい、「家族団らんの喜び」を失い、あなたの心は楽になるだろうか。
崇心宗脈の仙仏の老師：
開闢二種の燈種が転化し、双方の累世にわたる冤債を解消し、夫婦と姑嫁の円満を成就する。
一、累世の怨みを解き和やかに楽しむ灯
二、夫婦円満に和やかに楽しむ灯
お問い合わせ先：＋886（0）3 3788 755
あなたは上に上がって、お参りに行き、お祈りを捧げてください。
2015年、3月8日、21時52分◎＃※   了解。
無極理法仙姑
無極の因縁降り来たりて　　理法仙姑が著作を排す
大道倫理二十九回　男の苦しみは受けるべきにあらず
第廿九回　   男人苦受
男の苦しみのサンドイッチ
有情ある衆生が嫁姑の間の問題で争うと、男性の苦しみや辛さに影響を及ぼします。これは嫁姑問題の双方にとっての核心的な問題点であり、相互に円満な関係を築くことができてこそ、悪化する傾向を好転させることができます。もし嫁姑の間に多くの問題や隔たりがあると、家族全体の雰囲気に影響し、特に家の主人や息子の感情に影響を与えることになります。
一日中とても居心地の悪い雰囲気に包まれていて、どう対処すれば良いのか、どうすれば円満に解決できるのか分かりません。なかなか心を開いて笑顔になることができず、これは女性同士の争いが男性を苦しめ悩ませている状態です。姑と嫁の問題はどう処理すべきでしょうか？お互いが一歩ずつ譲り合い、寛容さと理解を持つことが必要で、そうして初めて円満な解決への第一歩が踏み出せます。
また、姑と嫁の間で、修復が難しい争いが生じた場合には、姑の立場は、すでにこの家に嫁ぎ、息子を産んで嫁の夫となった者であり、姑としての役割は家事を熟練してこなすものであり、しかもこの家庭の大小さまざまな事柄をすべてよく理解していることを、必ず知っておく必要があります。
この家庭の悩みもまた容易に解消できるはずなのですが、しかし、嫁は新参者で
嫁いできた家庭では、息子の起居生活を世話することになります。この時、姑の考え方を少し変えれば、嫁が息子の生活全般を手伝ってくれることに感謝しなければならず、多くのトラブルも減らせて、良好な家庭生活を送ることができます。
嫁はあなたの息子の世話を手伝う者です
また、母親は一生涯息子に付き添うことはできません。今では息子も嫁をもらいましたから、嫁と息子が互いに歩み寄る時間を必ず与えなければなりません。実は昔から嫁が家に入るというのは、あなたに代わって息子の面倒を見るためなのです。この点を理解すれば何の問題もなく、姑として心を落ち着ける必要があります。
かつてあなたが姑のために息子（夫）の世話をしたように、今は嫁があなたの息子の面倒を見ています。このような時空の因縁の中で、嫁はすでに姑の役割を引き継ぎました。嫁はあなたに孫を産み、やがてその孫も成長して大人になります。時が経てば、それぞれが婚姻の道を歩み始めるのです。
また自分の娘を嫁がせ、他人の娘を娶り入れる。このような縁起の下では、あなたの役割もまた異なり、昇格して祖父母となる。これは親が子を養育することも、ただ一時のことに過ぎず、成長すれば永遠に抱え続けることなど到底できないのである。
まさかあなたはこの一生をずっと子供たちの世話に費やすつもりですか。別の女性があなたに代わって息子の世話をしてくれるなら、その時こそ安心して身を任せ、清らかな福を享受できるはずです。これからの人生のことも考えなければなりません。もし嫁姑の役割が互いに円満に補い合えないなら、親が子育てをする期間は一時的なものに過ぎないことを、しっかりと理解する必要があります。
男性の苦しみは女性の争いである
それぞれが嫁ぎ先や婿先を見つけ、嫁や婿となれば、今度は子供たちをそれぞれの家が助け合って世話することになります。どうしてご心配なさる必要がありましょうか。世間一般ではよく心配されるものですが、またこれらの新しい家族は「舌と歯のように仲が良くても、時には噛み合う」こともあるため、これが親にとって最大の心配事となるのです。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか。夫婦双方の役割と立場が異なるため、大きなすり合わせが必要な部分があります。二人の立場も異なり、視点も異なり、考え方も異なり、行動の仕方もさらに異なる場合、すり合わせの余地はさらに大きくなるのです。なぜこのようなすり合わせは、一定の時間を経て初めて変化と転換が可能になるのでしょうか。
お互いの習慣や気性を理解し合ってこそ、円満な関係を築くことができます。このような時間は長くも短くもあり、それは二人の新たな絆を育む力次第です。もしあまりにも長引くようであれば、大きな障害が生じる恐れがあります。それを解消できなければ、二人の間に大きな争いの余地が生まれてしまうでしょう。
そして夫婦喧嘩に発展した場合、よくあるのは喧嘩が終わった後、怒りも収まり恥ずかしい気持ちになることで、「寝床で喧嘩しても寝床で仲直り」という円満な関係が生まれます。もし口論が激しく双方が譲らなければ、最終的には離婚という結末を迎える恐れがあります。これは新婚夫婦が理解しておくべきことです。
人それぞれの立場が異なる中で、どうすれば互いを生かし合えるか
既に夫婦である以上、全ての問題は話し合いによって円満に解決できるはずです。そうでなければ、お互いに一歩ずつ譲り合わなければなりません。そうしなければ、毎回のように離婚という最悪の結末を迎えることになりかねません。もしそうなったら、それはきっと大きな不満や怨恨が積もり積もって生じた結果に違いありません。
一般の人は婚外恋愛を恐れますが、これは世間で言う「七年目の痒み」です。現代では、七年も待たずにすでに痒みがたまらなくなり、そもそも「七年目の痒み」を待つ必要さえないかもしれません。夫婦双方に理解させる必要があります、この世のすべての良縁は非常に稀なものであることを。
今という時点において言えば、このような縁しかないのです。現代人がよく言う「次の女性（または男性）の方がもっと良い」というのは、必ずしもそうとは限りません。古今を眺めてみると、むしろ次の男性（または女性）の方がさらに悪い場合が多いのです。本当の難しい点は、今この瞬間に、あなたたち二人が共に解決できないことであり、現在の生活におけるすべての良くない行いなのです。
夫婦双方の様々な欠点や不足、誤りを改めようとせずに、次に円満な結婚を望むことは不可能です。未来において必ず再び同じ問題に直面するでしょう。現在の問題すら解決し変えようとしないのに、次により大きな円満が得られるでしょうか？極めて難しいことです。このような考えは持たないようにしましょう。
なぜ男性は苦しみ悩むのか
今をしっかりと捉えて完全に善美を尽くすことができれば、より大きな円満を成し遂げることができる。それはこの一生の中で、すべての成果がどのようなものであるかを見ることである。もし成果が合格に達していなければ、次により良い条件を得ようとしても、まったく不可能である。夫婦それぞれの役割においては、姑と嫁の双方が共に円満であることが求められる。
男性はサンドイッチ状態になることもなく、どちらかに偏ることも良い現象ではなく、理想的な解決方法でもありません。この時、両親と妻に対しては、一方は自分を生み育ててくれた母親であり、もう一方は朝も夜も共に過ごし、同じ床を共にする妻です。このような状況で、どちらかに偏ることができるでしょうか？できません！
もし妻や子供ばかりをかばえば、親族たちはあなたを不孝者だと罵るでしょう。もし母親ばかりをかばえば、妻は家を分けるか別居すると騒ぎ立てるかもしれません。さらに深刻な場合には、別れ話になり、離婚に至ることさえあります。このような悩みを、一人の息子であり夫である男性に、また二人の嫁姑である女性たちに、どうして耐え忍ばせることができましょうか。
このような問題は解決できるのか？それは可能である。双方の役割と立場の違いを理解し、互いに一歩譲るか、あるいは別々に暮らすことで、この問題を解決し、円満に成就させることができる。新婦が家に入る際、すべてがまだ状況に馴染んでいないうちに、夫は妻に対して穏やかな言葉で諭す必要がある。
嫁のすべての学びと感謝
何事につけても、まずは母親にどうすべきかお伺いを立てる必要があります。嫁も口を滑らかにして姑を褒め、この家を切り盛りするすべての苦労と成果を心から称え、優しい言葉でお伺いを立てれば、それに応じて姑もあなたにどうすべきかを教えてくれるでしょう。こうしてしばらく時が経てば。
この二人の女性の間の感情も非常に円満であり、姑は必ず尊敬されるべきであり、また嫁も賞賛と尊敬を受けるべきだと信じています。双方が互いに感謝し合い、嫁が嫁入りして息子の日常生活の世話を手伝うことに対して、このような縁は双方が真心から感謝し合うべきものです。皆さんはこれができるでしょうか？
このようにできれば、嫁姑の問題も生じず、まるで母娘や姉妹のように親密になれるでしょう。嫁として嫁いできたのは互いの縁によるもので、同じ家庭に入ったのです。最初は何もわからない嫁も、何度も学びを重ねることで、次第に家庭全体を円満に切り盛りできるようになるのです。
嫁の学びと成長
長い時間をかけて見て学ぶことも、正に一種の学習です。姑も年を重ねるごとに年を取り、体も次第に弱っていきます。その時、嫁は姑の役割を引き継ぎ、将来の姑となるのです。このような縁は、一つ一つの動作を学んだ後に、再び経験を積み重ねていくことで生まれるものです。
また次回の知識と知恵の活用において、共に生活できることはなんと素晴らしく、なんと容易ならぬことか。どうしてわざわざ「自分が強がる」ことで多くの人々を怒らせようとする必要があろうか。それは良策ではない。すべての不足と欠点を改め、家族の繁栄を助けることが、はじめて円満なる家庭の福の星となるのだ。汝の名は『良き嫁』という。承知したか？
現代の世の中において、人類の衆生にとって最も理解し難く、防ぎにくい問題の一つは、夫婦喧嘩の原因があまりにも多いことです。二人が常に一緒にいるため、些細な仕草もすべてはっきりと見えてしまいます。ちょっと目配せするだけで、相手が何を求めているかがよく分かるのです。夫婦双方にとって、それはあまりにも親密すぎる関係と言えるでしょう。
夫婦の口論はまたなぜ起こるのか
すべての問題点が浮き彫りになり、よく「もう妻だから」「もう夫だから」と思い込み、相手も「もう夫だから」「もう妻だから」と考えて、当然のように強い「所有欲」が生じ、すべきこととすべきでないことを理解すべきである。このように夫婦双方を観察すると、どんなに仲の良い夫婦でも、なぜ些細なことで口論してしまうのかが分かる。
古人は言いました：「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」と。喧嘩も口論もないなんて、そっちの方がおかしいでしょう！実際、夫婦の間で時々口論や喧嘩があることで、かえって多くの争いを避けられるものです。
また、夫婦の間で怒りが大きくなった時、たまに口論をすると、かえってより親密になれることもあります。
行動的、信じますか？決して夫婦が争ったり喧嘩したりすることを勧めているわけではありません。
このような夫婦喧嘩は、現代の若者たちには耐えられないものですが、なぜそうなるのでしょうか？実は、夫婦双方がコミュニケーションを取れるかどうかが最も重要なポイントであり、もしコミュニケーションが取れなければどうしようもありません。よく激しい口論に発展し、これが双方の離婚の主な原因となっています。また、これは各人の認識の違いによっても決まってくるのです。
縁ある夫婦は必ず大切にせよ　良き縁を得て共にいるは難し
嫁姑の関係も改善できる　夫婦喧嘩は慎重に
面子のために別れを選ぶ  心からごめんなさい
今を大切にする良き伴侶よ　いつまでも共に歩み続けよう
この偈は、すべての有情なる衆生と共に励まし合うものであり、世の中における夫婦喧嘩の問題について初回の分析を試みました。次回はこれを引き継ぎ、さらに深く掘り下げて完成させましょう。そうすれば、きっと
良き縁と好条件に恵まれ、互いに寄り添い合う。このような良き伴侶として共に暮らせば、お互いに支え合い、永遠に連れ添う夫婦となるでしょう。
無極浄瓶天衣の観世音菩薩
無極の徳意が崇心に降り立ち
浄瓶と天衣が台を登りて迎え奉る
観音菩薩が神人と会われて、皆が吉祥を共に喜び祝う。
諸聖仏と諸賢生、および無極大道院、院修学士の皆様、今晩は。本日は本宗脈　無極理法仙姑が降臨され、『大道倫理』第二十九回を著作されました。男性の苦しみを受ける後半部分を分析し、また夫婦の争いの問題について、離婚の原因を分析されます。これにより有情の衆生が夫婦の縁の大切さを理解できるようになります。
人はなぜ今あるものを大切にできないのだろう？なぜ次なる結婚にさらなる利益を期待するのだろう？今の結婚で本当に変わることができないのに、次の結婚で変われるだろうか？むしろ今から変われば遅くはない。子供に円満な家庭生活を与えること、これこそがこの世における主な課題であり、合格か不合格かが問われるのだ。
ポイントシェア：嫁姑問題の観点から、もし嫁が聡明で機転が利く人であれば、口が少し上手で、まず姑に取り入り、また心から姑の家事の腕前を褒めるべきです。姑を自分の母親のように親密に扱えば、そうすれば人に気に入られ、嫁と姑の間に隔たりはほとんどなくなります。あなたが夫の家に入った時、第一関目の人との和合はすでに初歩的に成功し、次に家族全員の歓心を買うことです。夫の助けもあり、姑も喜んであなたを助けてくれます。この家庭では、みんながあなたを尊重しますが、あなたはまず舅と姑を尊重しなければならず、また舅と姑もあなたを尊重してくれます。その時、みんながすべてあなたの言うことを聞くようになります。また、あまりけちであってはならず、長い時間をかけて家族の心を買う必要があります。そうすれば、あなたはこの家ですでに成功しており、つまり円満な家庭の福の星であり、あなたの名前は「良き嫁」です。試してみたいですか？
2015年、3月8日、21時53分◎＃※   了解；
無極善円仙姑
無極の因縁が崇心に来たりて、善く円満に著作す倫理の情
仙女は情ある者と縁を結び
夫婦が離別するは仁ならざる性
第三十回　   夫妻離異
夫婦が離婚すると、子供に影響を与えます。
女性が男性と争い、男性が苦しみを受けると、夫婦間に大きな口論の余地が生まれます。もし改善されなければ、やがて夫婦間により大きな危機を招き、最悪の場合離婚に至ることもあります。この時、子供たちなどには非常に大きなダメージを与えます。このような問題は、夫婦双方が一歩譲ることで解決できます。
本来ならば簡単に円満に収まるはずだったのに、なぜ事態はますます悪化していくのでしょうか。夫婦間で些細なことから頻繁に口論が起こり、さらに他の問題も絡み合って、お互いに一歩も譲らない状況が生まれました。それによって双方の怒りはさらに増幅され、ついには夫婦間の理解が失われ、妻は夫がいつも母親の味方ばかりしていると感じるようになってしまったのです。
そして双方の認識や考え方は、腰を据えて深く検討し、よく話し合うこともなく、互いに譲らず、さらに暴力が加わることで、将来は離婚という結末を迎える状況へと発展してしまう。この中には多くの姑と嫁の問題があり、舅や姑と兄弟姉妹の間にも問題があり、家族全体がごたごたとした状態に陥ってしまう。
さらに妻の面では、この家庭の中に受け入れられることができず、
この家庭の問題の悩みの種となり、家族や夫婦双方の考え方について、よく些細な問題で口論が絶えず、夫婦双方が互いの性格を我慢できなくなり、さらに言葉遣いが辛辣になるという状況に陥っています。
夫婦の離婚原因
さらに、こうあるべき、あああるべきと考え、妻の考えに従って考える必要があり、また相手の占有欲が非常に強い時、この家庭で安らぎと平和を得ることは不可能である。なぜなら、一人の女性の占有欲によって、この夫は永遠に自分の所有物であると考えるからである。
同じ人間でありながら、夫は自分の言うことを聞くべきで、姑の言うことを聞いてはならないと考える女性がいます。このような女性は非常に大きな負担となります。男性側に相当の寛容さがなければ、家庭の安らぎと平和を望むことは大きな障壁に直面し、平穏な日々を送ることも難しく、終日口論の中で過ごすことになるでしょう。
女性に対する独占欲は当然のことですが、行き過ぎてはいけません。独占欲によって、夫自身が守るべき行動規範に影響を与えることを避けるべきです。ここで夫婦双方に求められる認識とは、互いの愛情と情義を大切にし、家族全体を支え合うことです。
また、一つの家庭が繁栄できるかどうかは、女性の責任だけでなく、男性の責任も非常に重要です。このような男女がそれぞれ半分ずつの義務と責任を負って家庭を守ることで、幸せな家庭を築くことができ、それは双方の共通認識も必要です。もし、夫婦がいつまでも解決困難な状況に陥っているならば
女性は所有欲を強く持ちすぎてはいけません
たちまち感情が極めて不和となり、さらには反目して敵となり、武力を以て相対するという困った状況に陥ることもある。もし夫婦の離婚問題が生じたならば、まずは腰を据えてよく話し合う必要がある。それぞれの夫婦には異なる縁があり、それゆえに互いに結ばれているのだ。同じ枕を共にする夫婦として、その関係は善、中庸、悪の三つの大きな類型に分けられる。
この中には、おおよそ冤親債主が比較的多いのです。あなたは前世の行いが今生に植え付けられ、一組の夫婦となったと信じていますが、誰が誰に借りがあるかは、すでに過去のことだと知る必要があります。いったん夫婦となった以上、仲良くし、それぞれが責任を持ってこの家庭を共に支えていかなければなりません。
そうでなければ、すべてを前世の悪しき因縁に帰してしまい、この世における因果の改善という点では効果がなくなってしまいます。各人が心を込めて前世の悪しき因縁を転換させなければなりません！あなたこそ成功者なのです！努力が必要ですよ！夫婦双方にとって、前世の良し悪しにかかわらず、この世では心を込めて結婚生活を築いていくことが大切です。
また、互いにこの家庭を支え合い、あなた方の子供や子孫も、両親に孝行し、舅や姑に仕えなければなりません。これは双方が基本的に果たすべきことです。夫婦間のいさかいについては、深入りしないこと。さもなければ、あなたが双方を仲裁し、どちらかが悪いと言った途端、あっという間に二人は仲直りしてしまうかもしれません。
夫婦喧嘩にはあまり介入しないほうがいい
あなたは今、仲裁役を務めているのに、調停者が当事者に転じてしまい、言及した双方の問題はその後どうなったのでしょうか。賢明な人は、適切な助言をいくらかした後は、残りは夫婦自身に解決を委ねるものです。さもなければ、今あなたが口にしたすべての言葉が、将来相手に報復の材料として利用され、調停者が当事者に転じる結果となり、得るものより失うものの方が大きくなってしまいます。
古人も言うように、夫婦喧嘩の仲裁に入るのは、本当に運が悪いことだ！実際、夫婦の喧嘩は度が過ぎなければ、放っておけばいい。賢くない者は夫婦喧嘩に加わり、片方の味方をすれば、もう片方は恨みを抱く。結局、骨折り損のくたびれ儲けになってしまう。どうしようもないことだ。
これは夫婦喧嘩で、ちょっと口論したり罵り合ったりする程度なら問題ありません。ただ、お互いに深く傷つき合うような喧嘩は、後でひどく後悔することにもなります。周りの人は少し様子を見るだけで、あまり干渉せず、度を越さないようにすればよいのです。また、夫婦喧嘩がさらに大きな傷を生むような事態に発展した場合、その後で元の関係を取り戻そうとしても、果たして修復できるかどうかはわかりません。
夫婦が長く一緒にいすぎると、時には喧嘩をしたり、揉めたりして、少し怒りを発散させると、さっきまでの怒りの最中はやりすぎだったと感じ、とても申し訳なく思います。相手の流血や傷痕を見ると、自分もやりすぎたと感じます。
夫婦喧嘩は気持ちの整理に役立つ
そうすると良心の呵責を感じ、非常に心が痛み、無念に思います。この時、大きな慚愧の念が生じますが、皆さんはどうすべきだと思われますか？それは各人の認識によって決まるべきです！何度かこれを経験すると、このような一進一退の状況はもう起こらなくなり、夫婦の絆も大いに深まります。なぜそうなるのでしょうか？それはつまり、人間衆生の持つ劣った性質によるものなのです。
加えて、抑え込まれた怒りが爆発し、言葉は非常に鋭く、理にかなっていても相手を許さず、双方とも怒りの頂点にあり、互いに一歩も譲らないため、二人とも相手が自分を許すべきだと考えてしまいます。逆に、願いとは裏腹に双方が譲らず、相手が怒りの頂点にある時の言葉をさらに挑発することになります。
このような怒りの頂点で手を出さなければ、周囲はどう思うだろうか。まさに現代の若い夫婦が抱える問題点である。夫婦双方の怒りが頂点に達し、手を出さずにはこの怒りを飲み込めず、ついには大喧嘩に発展する。その時、悲痛な叫び声が他の家族を驚かせ、仲裁に入って双方を引き離すことになるのだ。
今、夫婦二人とも怒りの頂点にあり、少しも譲ろうとせず、それぞれが自分の理屈を主張し合っている。他の家族も何が起きているのかさっぱり分からず、どう仲裁すればいいのか本当にわからない。このような夫婦喧嘩は、たいてい些細な問題に過ぎず、それぞれの認識の角度が異なる上に、内心の爆発点を抑えきれなくなっただけのことだ。
夫婦の離婚問題点
はっきり言えば！深い恨みもないのに、姑と嫁の問題、教育問題、子育て問題、親族関係の問題、金銭問題、生活問題などが生じる。そして最大の問題点は、夫婦双方がうまくコミュニケーションを取れないことにある。このような摩擦の多い時期には、まだ完全に調和が取れていないために、長く連れ添った夫婦でもよく口論になるのだ。
夫婦の間で口論や罵り合いが全くないということはあり得ません。現代人はお互いに円満にやっていくことができず、問題点を克服することができないのです。それぞれの欠点や過ちに対して、相手にはまだ改善の余地があると思わせておきながら、夫婦双方は自分が正しいとわかると相手を許さず、少しぐらいなら大目に見ることもありません。
さらに、一方がよく小言を言い、時にはくどくて聞いていても煩わしく感じ、一日中小言を聞かされるのは嫌で、帰って寝ないようにすれば小言を言われる機会も減る。この時、夫婦双方はしばらくの間冷戦状態になり、互いに無視し合うことになるが、それがかえって良い変化をもたらすこともある。
この段階はまだましな方で、しばらく時間が経てば、時間をかけて距離を置くことでどちらかが譲歩し、すべての問題が円満に解決できるものです。ほとんどの夫婦は元の鞘に収まることができると信じています。最も恐ろしいのは、恨みを抱きやすく、相手が非常に理不尽だと思い込んでしまい、心のわだかまりを解くことが難しいタイプの人です。
夫婦喧嘩はあまり根に持たないように
相手の欠点や不足をいつまでも気に病むようになること、これはまだ大したことではなく、しばらく時間が経てば解決できる問題です。しかし最も恐ろしいのは、口論の後にお互いに譲らず、些細な問題を夫婦間の冷戦に発展させ、それでもなお互いに一歩も引かないことです。
両者が互いに一歩も譲らず、誰が何と言っても聞かず、誰が説得しても受け入れず、ただ面目と意地のために、最後には「じゃあ離婚しようか」という一言が飛び出す。この時点では大抵が口先の怒りの言葉に過ぎず、もしどちらか一方が身を引くことができれば、本当に離婚という悲しい結末にまで発展することはなかっただろう。
一般的に言えば、よく「離婚を口にする」人です。一度、二度、三度…と何度も繰り返すうちに、嘘が本当になってしまうのです。こういう人は恋愛中は狂ったように熱中し、相手を天の月のように大切にしますが、いらなくなると、むしろ壊してしまっても相手の存在を認めようとしません。
夫婦双方が離婚に至るきっかけ
さらに、双方の気勢が互いに強く、どちらも一歩も引かない状況で、そこに他の第三者が火に油を注ぐようなことをすれば、夫婦間の状況はもはや手がつけられない局面に陥ってしまう。こうした問題は、現代の若い夫婦の間ではどこにでも見られるが、なぜこのようなことになるのかといえば、双方の怒りの気持ちが非常に強いからである。
さらに、あなたは必ず私の言うことを聞かなければならず、これもダメ、あれもダメで、どちらか一方が大きく譲歩しなければ円満にはいかないのです。もし夫婦が大喧嘩をしても、しばらくするとまた元通り仲良くなるなんて、どうしてそんなことがあり得るでしょう、あなたはどう思いますか？そうでなければどうしようもありません！現代の若い夫婦はよくこういう状況に陥ります。
現代の若い世代は、夫婦の情愛において、仲睦まじい時はとても甘いが、口論になると互いに一歩も譲らず、些細なことが双方の争いの原因となる。実際は大した問題でもなく、それほど重要でもなく、解決が難しいわけでもない。しかし、二人の視点と怒りが大きくなり、誰も譲ろうとしない。
夫婦が離婚しても、切れない縁が残るものです。
このような状況は夫婦双方にとって、必ず折衷点が必要であり、そうして初めて双方が円満になれる。今、一部の夫婦はほとんど口論や喧嘩、争いがないのを見ることができる。なぜあの夫婦は仲睦まじくいられるのか、それに比べてあなたたち二人のこの喧嘩夫婦は、一日でも喧嘩しないと気が済まないようだ。この問題は一体どこにあるのだろうか？
根本的な原因は、双方とも相手に勝とう、相手を打ち負かそうとし、どうしても相手を押さえつけようとするからです。双方とも一歩も引かず、そうなれば面白いことが起こるでしょう。また、この時はなるべく関わらない方が良いです。さもないと、台風の余波に巻き込まれて、両方から嫌われることになります。自分が仲裁しているつもりでも、調停役だと思っても、そうはならないのです！
実は！自分自身の将来に大きな悩みをもたらすのは、往々にして「仲裁者が当事者に転じる」という状況で、まさにどうしようもないことです。夫婦の離婚問題は、単に一、二点の問題ではなく、数多くの問題が生じてきます。このような状況は、夫婦双方の認識や考え方による選択にも関係しており、円満で幸せな結末を迎えることができるのです。
夫婦の愛情は慈しみ深くあるべきであり
互いに寛容に支え合いましょう
夫婦として結ばれる良き縁は、前世から既に定められていたことなのです。
お互いが良く改め合うことを大切にし、喧嘩や争いはすべきではありません
コミュニケーションは良い方法です
幸せが永遠に続きますように
この偈頌は、有情の衆生と共に励まし合い、夫婦の離婚の一因を分析し、夫婦の情愛を持続させるために、日常生活の細やかな点に目を向け、問題に対して解決と調和を図ることを提案します。そうすることで、子供たちに大きな傷を負わせることを避けられるのです。次回はこの問題についてさらに詳しく分析していきましょう！
無極白玉 観世音菩薩
無極白玉観世音　　菩薩登台に有情を会す
夫婦の間のいさかいは　離縁の理由とはならず　むしろ愛情を深める契機となる
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、今晩は。本日は本宗脈　無極善圓仙姑が降臨され、『大道倫理』第三十回を著作されました。これは夫婦離別について初めて著作されたもので、現代社会の高い離婚率を踏まえております。現代の若者たちが夫婦互いの感情を大切にし、家庭の幸せと円満を育み、子供たちに対してより良い教育的模範を示すことが、まさに正道であることを提供するものです。
重点を共有します：現代の若者の高い離婚率は、かつて台湾と中国が世界で2位、3位に躍り出たこともあり、まさに警戒すべきことです。この悪しき風潮を転換しなければ、将来、すべての衆生が一生に数回も離婚することになりかねません。それは上蒼の基本原則ではありません。なぜ『大道有情、衆生、因果綱常、倫理』を新たに著作したのか、その本来の意図はここにあります。皆様に上蒼の並々ならぬご苦心と善意、そして諸天仙仏の恩師方の慈悲深いご配慮が、いかに広大無辺な恩恵であるかを理解していただくためです。新しい手法を用いて、嫁と姑の心理的視点の微妙な違いを、極めて明確に分析しています。皆様が一目で理解し、自分が直面している問題や状況を容易に把握し、どのような方法で解決すべきかを知ることができるよう提供しています。それらはすべて『大道倫理』という天書の中に著作されています。それを応用できるかどうかは、各自の受け止め方次第です。また、現代の有情なる衆生に、高い離婚率という悪しき風潮を減らすことを提供しています。これは上蒼と多くの仙仏が切に望まれていることです。
大道シリーズ叢書：第12冊『大道有情』、第24冊『大道衆生』、第25冊『大道因果』、第26冊『大道綱常』、第27冊『大道倫理』。この五冊のシリーズ叢書は、現代社会が直面する以下の課題に対して、真実に即した解決の道筋を示しています：すべての無形界の怨親債主による報いの要求、祖先や亡くなった親族による干渉。また、現代社会における高い離婚率という風潮に対して、真の理解に基づく解決法と実践方法を提供し、皆様の参考に供するものです。
2015年3月8日21時54分、了解。
無極伝道仙姑
無極殊勝の大いなる因縁
道を人間に伝えれば福浅からず
仙姑は著作の第三十一回に記す、両親が頼るものなくして移り住むべからず
第卅一回　   雙親無依
なぜ子供は両親を頼りにできないのか
人々の世において、男女二人の争いの後に生じる夫婦間の隔たりは、離婚後には子供たちが頼る者を失う結果をもたらす。離婚後、祖父母や他の親族が世話をすることはできても、このような世話は子供たちへの愛情において、両親自身が慈しみ世話をするには及ばないのである。
このような状況から言えば、人間界においては、両親の愛情が必要であり、自らの子らの世話を受けることで、互いに完全な形で父母の慈愛と庇護を得ることができます。また、完全な家庭が形成され、世の中に家族団らんの喜びが生まれます。まさに父母と子の親情こそが、「新三綱」の基本的な条項と言えるのです。
人道世界の規範として、未来への拠り所となる必要性がある。決して！子が親の愛情に頼れなくなるようなことがあってはならぬ、それは実に哀れであり悲しいことである。人倫の情とは、若い頃は誰しも血気盛んで、しかも自分の意見こそ正しいと思い込むものだ。
また、相手に強要して、必ず自分の意思通りにしなければならない、このような自分に対する
自分の考えや行動が円満にいかない場合、あるいは二人の意見が合わない時、子供は両親の愛情に守られることを失い、結果として「雌鳥が雛を連れるのは楽だが、雄鳥が連れると右往左往する」という状況が生じます。
両親の離婚は子供の親子関係に打撃を与える
この世において、父母の役割と使命はそれぞれ異なります。ではなぜ、両親が揃って子供の生活の世話をする必要があるのでしょうか。これはまさに役割の違いによるものです。母親の場合を言えば、比較的容易に子供と打ち解けて世話ができますが、父親が子供の世話をするとなると、大きく異なり、また大きなプレッシャーを感じることになります。
親の役割とはいえ、父の役割と母の役割を区別すれば、子供の日常生活全般において、母親の方がより細やかな気配りができ、物事を円滑に進められるものです。一方、父親が生活面の世話を担う場合、なかなかうまく調和が取れず、様々な問題や支障が生じがちです。
このような状況では、両親それぞれが異なる役割を担い、一家の異なる職責と使命を分かち合うことも、慣れたものである。もし両親が離婚すれば、子供への打撃は大きく、まさに父母双方の慈愛に欠けた世話となり、思えば心が痛むような状況となろう。
現代において、台湾と中国は世界で2番目と3番目に離婚率の高い国となり、これは中華民族の子孫にとって決して良い現象ではありません。このような問題において、離婚する前に一度考える必要があるのではないでしょうか。多くの人は離婚を軽い気持ちで捉え、よく激情の中で決断を下しています。
台湾と中国が離婚大国に躍進
もし双方が心穏やかな時に、互いの感情を改めて振り返ることができれば、多くの問題点が改善され、夫婦が離婚に至る可能性もずっと少なくなるでしょう。ただ、問題は二人とも怒りに任せてしまい、自分の立場や考えだけが正しいと思い込み、「あなたが悪い」「あなたが理解してくれない」と責め合ってしまうことです。
このような状況が生まれたのは、夫婦二人にとって「歯と舌は仲良くても、時には噛み合うこともある」ということが痛いほど分かるからです。この世の夫婦は、互いに夫としての役割、妻としての役割を理解し合い、二人ともこの家庭の幸せを懸命に維持していると信じています。しかし、なぜ二人はしばしば口論してしまうのでしょうか。
普段から些細な問題、つまり取るに足らない小さなことに過ぎないのに、どうしてそれを大きくして、収拾がつかない状況にまで発展させてしまうのでしょうか。実際、双方のどちらかが一歩引くだけで、譲歩や調整が可能になり、争いを解消して元通り仲良くすることができます。この種の問題は、何よりも面子が一番大切なのです！
しかし、夫婦双方は往々にして怒りの最中にあり、一方がまず手を上げると、相手もまた手を返して応酬し、双方が殴り合いとなり、より大きな傷を生むことになる。夫婦喧嘩はよくあることだが、なぜ問題が起こる前に、双方が冷静に考える時間と空間を持つことができないのだろうか？
夫婦互いに一歩譲れば縁は永遠に続く
一方的に角を突き詰めるようなことはせず、手がつけられない状態にまで発展させてはいけません。そうなると挽回の余地がなくなり、夫婦の離別を招くことになります。そして夫婦が離婚した後になって初めて、すべての問題が次々と表面化するのです。親子関係の問題や子供の教育についても、もはや父母の愛情による調和は失われてしまっているのです。
この時、子供たちは尋ねます：どうして両親は離婚するの？どうして私たちをいらないの？そしてこの時、子供たちが感じる苦しみを、両親はまったく知らないのです。たいていは些細なことから始まり、子供の育て方やしつけに対する両親の考え方の違いが、しばしば双方の口論の引き金となってしまうのです。
しかし、これらは離婚の原因とはなりません。いわゆる「三尺の氷は一日の寒さでできるものにあらず」というように、少しずつ積み重なって最後に爆発するのが恐ろしいのです。本当に！この怒りを抑えきれず、そばに善知識がいて諭してくれる人もいないと、どんどん行き詰まってしまい、長い時間が経つと、夫婦双方が異なる立場から対立するようになってしまうのです。
しかも溝はどんどん広がり、二度と修復する機会がなくなり、最終的には離婚という結末を迎えることになります。それはとても悲しいことです！夫婦の離婚は、問題点を解決するどころか、むしろさらなる大きな問題を生み出してしまうのです。なぜなら、多くの問題は、将来になって初めて次々と困難として現れてくるからです。
人は禽獣とは異なり、霊長としての行いを持つべきである。
もし双方が後悔していれば、まだ修復の余地があります。しかし、自分も浮気をしてしまった場合、事態はさらに悪化し、より復縁が難しくなります。親となる若者として肝に銘じておくべきは、子供たちに幸せな家庭を与えることが、この人生で果たすべき基本的な責務だということです。一時の感情に流されて、親族の忠告を無視してはいけません。
とにかく先に離れてから考えましょう。このような仮初めの芝居が本物になってしまうと、往々にして収拾がつかなくなり、取り返しのつかない事態に陥ります。そうなれば、どうしようもない家庭問題となってしまいます。あなたはそんな状況を望みますか？実際のところ、ほとんどの人間の夫婦はそんなことを望んではいないのです。
ある種の人は浮気性で、出会う人ごとに恋心を抱き、それによって非常に快楽を感じるのでしょうか？人間の衆生は禽獣と同じではありません。なぜなら、禽獣の交合は往々にして白日のもとで行われますが、人間の衆生が情愛の行為をするときは、戸を閉めて他人に見られないようにし、非常に恥ずかしがるからです。
これは天理倫常の規範であり、まさに人間が万物の霊長として、他の種に対して良き模範を示す必要があるからこそ、家庭の愛情の温かさを維持できるのです。もし自分もあのような人のように、出会う人ごとに心移りするようでは、あなたはどう感じますか？恥ずかしくは思いませんか？
離婚してからすべての問題が始まったばかりだ
あるいはすでに麻痺してしまい、まったく感覚がないのかもしれません。もしそういう人であれば、本当に恥知らずと言わざるを得ません。まさにそのような行為があるからこそ、家族の妻や娘、そして子孫がこのような情事の借りを返さなければならなくなり、彼らはどのような思いをすることでしょうか。あなたの情事の借りを返すために、来世ではある種の動物として生まれ変わることになるのです。
周りには美男美女が取り巻き、好きな者を選び、楽しく一生を過ごさせてくれる。これは自ら進んで好むところであり、どうしようもないことだ。嘆かわしい！人の一生には基本的な体面が必要で、もしこのような基本的な体面さえないなら、それはただ人皮をかぶった獣にすぎない。
一つは一つを支え、一つは一つを愛し、一つは一つを乗り越え、また一つは一つを捨てる。もしあなたが捨てられる側だったら、どんな気持ちになるだろうか？人生にはこのような倫理と親情があり、それらが結びついて一つの幸せな家庭を築くことこそ、天が定めた綱であり、人倫の大道が本来備えるべき基本的な役割なのである。
『夫婦は子供にとっての規範』であり、子供を世話することは当然のことであり、親としての義務でもあります。しかし、もし夫婦が離婚した後、再婚の機会があり、それぞれに新しい相手が家庭に加わった場合、古い言葉に「継母は前妻の子を顧みない」とありますが、実際には、前夫や前妻の子供を世話するような継父や継母は非常に稀です。
夫婦が離婚すると、子供は愛情のよりどころを失う。
元々は些細な問題に過ぎなかったのに、どうしてここまで心を鬼にして、家族の絆を壊す必要があるのでしょう。二人がかつて交わした甘い愛情を思い返してみてください。離婚後に生じるこの種の問題について考えてみると、もし離婚後に子供に会いたくなったり、子供が両親に会いたくても会えなくなったりしたら、それで本当に良いのでしょうか。決してそうは思いません！
あなたは心から安らぎを感じていますか？布団にくるまって泣き崩れ、後悔に暮れる日々を繰り返さないことを願います。今からでも修復できるかどうかは、二人がプライドを捨てられるかどうかにかかっています。人生で家庭の温かさを大切にできるのは、二人の使命であり、この世での修行です。もしそれを成し遂げられなければ。
来世でまた同じことを繰り返すのはさらに最悪です、皆さんは望みますか？絶対に望みません！これは両親が離婚した後、すべての問題が一つずつ浮上してくるのです。情ある人類の衆生に勧めます、一時の怒りの炎によって、二人が苦労して築き上げた幸せな愛情と温かい家庭を一瞬で崩壊させないでください。
お二人の誤った決断によって、一瞬にしてすべてが破壊されようとしています。これは良いことではありません。離婚は親子の温かい情を壊し、すべての苦しみと痛みは、お二人にとってこの世の永遠の心の傷となるでしょう。どうして双方が腰を据えて、よく話し合わないのですか？お互いにより大きな余地を持って自分を変えていくために。
良きコミュニケーションで子供に完全な家庭を
すべての不足や欠点、過ちを改めることが正道である。人は聖人ではないから、誰にでも過ちはある。相手にも余地を与え、互いに変わる時間と空間を持たせ、現在の苦しみや低迷を好転させれば、現代の高音で鳴り響く離別を減らすことができ、まさに離婚率を下げる最善の方法となる。
しかしながら、あまりにも多くの夫婦が離婚した後、多くの変化が生じ、さらに不満をぶつけ合い、子供たちに苦しみや困難をもたらすこともあります。離婚する前に、夫婦双方の長所や良いところをもっと探してみることはできないか、よく考えてみる必要があります。「相手には何一つ良いところがない」と言ってしまうと、円満に解決することは難しくなるでしょう。
もう一度振り返って考えてみてください。もし双方がこのような考え方なら、あなたもそれほど良くはありません。まさにあなたのこのような認識や考え方こそが、相手への感謝の気持ちを根本的に知らず、今日の離婚という局面を引き起こしたのです。一方的に細かいことにこだわらず、この『大道倫理』をもう何度か読み直してみてください。そうすれば、今の離婚したいという思いを解決できるはずです。いかがでしょうか？頑張ってください！幸せで円満な良い結末を願っています！
人生の一世、善きことには縁あり
夫婦連理の契りを保ち続けよう
双方とも大聖人ではないから　過ちや欠点は避けられない
一時の激情に駆られたばかりに
二人の想いは永遠にすれ違う
父母の情は子孫へと続き
世話する倫理に大道は顕れる
この偈を、共に有情の衆生が互いに励まし合いましょう。今の時代、中土の炎黄の子孫は、世界の高い離婚率ランキングで既に二、三位に躍り出ていますが、皆さんは恥ずかしく思わないでしょうか？仙仏は常にどうしようもないと感じています！次の男性や女性の方がもっと良いだろうと思わないでください、それはあり得ません。実は少しだけ我慢すれば、それを乗り越えた後にはまた幸せで平和な日々が訪れます。信じられますか？頑張りましょう！
無極国際弥勒仏
無極国際崇心が訪れ　  　弥勒仏尊が初めて登台される
諸仏賢生の皆さま、ごきげんよう。吉祥如意、福徳開けますように。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、今晩は。本日は本宗脈　無極伝道仙姑が降臨され、『大道倫理』第三十一回を著作されました。夫婦の離婚が引き起こす諸問題を分析し、夫婦双方が共通の願いを持ち、家庭の幸福と温かい愛情に満ちた親情を維持して支え合うことを切に願っておられます。
重要なポイントを共有します：人は聖人ではなく、誰にでも過ちはあるものです。過ちを知れば必ず改める、これに勝る善はありません。もし相手が一時の過ちを犯しても、許せるなら心を広く持って受け入れましょう。また、体面ばかりを気にして、なかなか受け入れられないということも避けたいものです。夫婦として結ばれるのは、前世で積んだ福の結果であり、今生で共に暮らすことができるのです。どの夫婦も、相当な時間をかけて互いに歩み寄り、理解し合うことで、ようやくお互いを思いやることができるようになります。互いに慈しみ愛し合うことで、喜びも苦しみも分かち合い、今あるすべてを大切にすることができるのです。頑張りましょう！
2015年、3月8日、21時55分◎＃※   了解。
無極喜楽天尊
無極の徳澤 人間に降り　喜楽の事物 吉祥延ぶ
天尊は三十二の章を著し、円満なる結局にて幸福は続く
第卅二回　   圓滿結局
夫婦の喧嘩は円満な結末を
有情なる衆生である夫婦は、しばしば些細なことから大げんかになり、相手がまったく道理をわきまえていないと感じます。こうした原因から、一度我慢した後も、繰り返されるたびに耐え難くなり、やむなく口論し、騒ぎ立て、争い合い、殴り合い、噛み合うという苦境に陥るのです。
このような夫婦は、まさに古人の言うところの「犬の喧嘩」のようなもので、しばらく放っておけばまた仲直りするものです。夫婦間ではこのような状況は極めて普遍的に見られます。ではなぜ夫婦の離婚が起き、子どもたちが親の愛情を失うことになるのでしょうか。これもまた現代社会において、西洋から伝わる悪しき風潮の影響によるものなのです。
中華の地に加わり、炎黄の子孫の生活空間に入ると、一部の家庭では良い習慣を学ぶどころか、かえって多くの悪しき習慣を身につけてしまう。これは現代社会において、まことに慎むべきことである。夫婦が離婚した後、往々にして一種の反動現象が生じ、過去の様々な出来事を振り返り、必ず後悔の念が湧いてくるものである。
その時は腹が立っている最中で、相手の大切さなどまったく感じられず、むしろ
これは当然だと思い、こうあるべきだと考え、相手のすべての献身に感謝することもなく、すべてが当然のことだと思っている。夫婦の間では、わざわざ遠慮したり気を遣ったりする必要はなく、すべてが赤裸々に目の前に現れている。
夫婦円満の結末が主な目的です
相手がしてくれたことを大切に思わず、当然のことだと思い、感謝する価値もないと考えるなら、それは間違いです。もしあなたがこのような考え方をするなら、相手が非常に喜んでしてくれる人でなければ、相手の不満や恨みを買うことになるでしょう。
しかし、時には甘い言葉で慰めることも必要で、それが正しい道なのです。夫婦が離婚した後になって初めて、相手がこれまでにしてくれた全てのことに感謝すべきだと気づくことがよくあります。そうした状況では、元の鞘に収まるのも比較的容易ですが、厄介なのは、芝居が本当になってしまった後、さらに一歩進んで行き詰まってしまうことです。
さらに、自分の過ちがどこにあるのかを省みることさえしない。このような夫婦が離婚した後、子供たちの親情が頼るもののない現象は、少しも変わることがないだろう。人生この世に生きて、性を知り好み合って共に暮らすということは、一組の夫婦が結婚する前、まだ一つの家庭を築く前には、あまり深く考えることはないものである。
今では、もう一人の人があなたと共に寝床を共にするようになりました。もし一緒に過ごす時間が少なければ、少しの違和感と新鮮さを感じるかもしれません。しかし、しばらく生活を共にすると、すべての問題が次々と現れ、相手の欠点と思えることも次々と明らかになります。その時には、夫婦間の新鮮さもすでに失われてしまっているのです。
夫婦の離婚が円満に終わる
だから、人はつい悪い方にばかり考えがちになり、自分が一体何者なのかを省みることもなく、自分は完璧だと思い込み、相手には何の取り柄もないと決めつけてしまう。このような状態で夫婦が争わず、衝突せず、離別しないということはありえない。こうした場合も、たいてい離別して初めて相手の長所に気づくものだ。
必ず相手がいなければならないと感じるようになり、破鏡重円の機会も生まれるでしょう。一般的な問題を分析すると、双方はしばしば面子の問題のため、互いに譲らず、甘い言葉で慰めることもありません。離婚してしまえば、破鏡重円の機会はもうなくなってしまいます。
双方が一歩ずつ譲り合い、子供たちのことを考えられるようになるのが正しい道です。そうでなければ、次に会う男性や女性がもっと良いと思うでしょうか？ましてや、今の状況を変えようとする気概もないのに、次の結婚が円満になると考えるのは、まったく不可能なことです。
もう一つ別のケース：暴力を振るわれる場合を除いて、一方が暴力に耐えつつ害を受けていると、もう一方にはより大きなダメージがあるというのは、これはまた別の話である。双方が離婚した後、またある種の人はこの一生で、必ず二回以上の結婚を経験する必要がある。それによって、運命を変えるための修正方法も形成されなければならない。
夫婦ともに再婚の運命、破鏡ついに再び円く
「二妻・二夫」以上の宿命を持つ者に対して、正しく運命を変え、厄介を解消することができる。また、あなたがた二人の婚姻が天地に再び誓いを立て、新たにやり直すのを助ける。この世の一人ひとりの宿命と運命は同じではないため、多くの人が「二妻二夫」以上の宿命を持つ者となるのである。
このような離婚の後、再び破鏡を重ねて円く修復する者は数多く存在し、子供たちにとってはより円満で幸福なこととなる。したがって、世の中の結婚は、双方が一歩譲り合い、互いに忍耐し、相手に怒りを鎮める時間を与えることができると言える。夫婦双方を問わず、誰しも感情の反応はあるものだ。
人間には誰しも怒りが爆発する時がある。人々は五穀を食べて暮らす中で大きなストレスを抱え、様々な気分や感情の起伏が生じるのは避けられない。ただ普段は表に出さないだけだ。こうした時こそ、双方が互いに譲り合い、問題をしばらく先延ばしにする必要がある。時間をかけて問題の核心を薄めていくことが大切だ。
つまり、時間をかけて空間を広げ、お互いが円満な生活を送れるようにするのです。夫婦が離婚した後、再び破鏡を重ねて円満な結末を迎えられるかどうかは、それぞれの感じ方と努力次第です。もし相手がもう何の取り柄もないと思っているなら、まず自分自身がどれほど優れているか、振り返ってみてください。
相手を一方的に責めるのではなく、自らを省みて改めるべきだ
もし、あなたが払ったすべての苦労と努力が、相手にきちんと伝わるべきものであれば、二人が別れることはありえないはずです。もしお互いが相手を理解できない人だと思ってしまったら、夫婦として別れた後に元の鞘に収まる可能性は、非常に小さなものとなってしまうでしょう。
実は！どの夫婦にもそれぞれ欠点や不足があります。それぞれの立場から感じることも異なり、お二人も聖人ではありませんから、大小様々な欠点があるのは当然です。ただ、互いに暗黙の了解で口に出さないだけなのです。しかし、あまりに長く胸にしまい込むと、将来爆発する引き金になりかねません。この世で夫婦の縁を大切にできるかどうかが問われているのです。
長く続く情愛と情誼を持ち、今生を共に過ごすこと、つまり夫婦が決裂した後でも再び和解し破鏡を重ねて円く修めることができ、再び結婚し直すこともできる。これは非常に重要な一環であり、もし夫婦に「双妻双夫」以上の命格を持つ者がいれば、まさにこのようにしてこそ円満な結末を迎えることができるのである。
身内や子供たちに対しては、より大きな責任を持つことができ、子供たちを親情に頼ることもなく、他人に「お父さん」と呼ばせたり、「お母さん」と呼ばせたりすることもありません。もしそうなったら、あなたは心を痛めないでしょうか？この世で共に暮らせるのは縁があるからであり、夫婦として結ばれるのもまた然りです。
相手の情けを大切にすれば、情義は永遠に続く
これは前世で結ばれた縁であり、良し悪しを問わず、この「責任、義務、権利」を円満に果たすことが正しいのです。人間は帳消しにできるかもしれませんが、因果は再び起こらないでしょうか？いいえ！来世でもう一度やりたいですか？
今生この一世で、必ずこれを完璧に仕上げなければ、あなたを離れさせてはくれない。さもなければ、人間の衆生は平気で去ることができるが、因果の縁によってまたあなたたちは結びつけられてしまう。この世の課題が果たされたかどうか、成績が合格点に達したかどうかを観てみよ。もしまだならば、来世にはさらに悲惨な形でまた繰り返される。あなたはそれでもよいのか？
あまり面白くないですね、きっと皆さんも望まないでしょう。もし理解できたなら、腰を据えて夫婦でよく話し合ってみてください！問題をどう克服するか？どうお互いを成就させるか？そしてどう円満に歩んでいくか？幸せな良い家庭を築くにはどうすればよいか？この世において夫婦は因果によって結ばれているのですから、良いも悪いも区別はありません。
この一生で前世の因果を完成させ、しかも完璧に仕上げなければならない。さらに、天の審査にも合格しなければならない。今生の試験に合格すれば、来世ではもう互いに絡み合うことはない。ただ、夫婦双方が責任を負わないことを恐れるから、多くの問題が生じるのである。
破鏡重圓と円満な結末
実は！夫婦が円満に一生を過ごすのはそれほど難しくありません。ただ、一方が譲歩し、一方が耐え忍び、一方が愛情を注ぎ、一方が甘さを添え、一方が感謝し、一方が恩を感じれば、今生の夫婦としての縁がどれほど良くなくても、大きな問題にはならないのです。ただ、多くの人が占有欲や支配欲が強すぎることを恐れています。
すると次のような思いが生じます：なぜ私を譲ってくれないのか？なぜ私の言うことを聞かないのか？なぜ家庭を顧みないのか？なぜ責任を果たさないのか？なぜもう私を愛してくれないのか？なぜ浮気をするのか？理由は数多くあり、些細な問題で夫婦が激しく言い争うこともよくあります。実際、どんなに仲の良い夫婦でも、時にはこのような状況になることがあるのです。
ましてや、現代の男女の考え方は昔とはすでに異なっています。かつての「一途に一人に尽くす」という観念は、次第に現代の価値観によって薄れつつあり、夫婦間の情義と友情に基づく相互の支え合いは、どうにもならない状況へと変わりつつあります。これは実に悲しいことです！しかし、どうすることもできません！
夫婦の価値観の再構築
このような状況では、夫婦間の感情に対する価値観に非常に大きな隔たりが生じます。昔の仲人による縁談のように、結婚してから初めて相手を知り、恋愛を始めるようなものです。現代の若者の恋愛とは異なり、付き合って間もなく同棲を始め、長く経つと新鮮さが失われてしまいます。
相手に感謝すべき価値があるとは思わず、このような人の価値観は、現代の夫婦関係において見直す必要があり、真の調和の道を通じて幸福を創造するためには、人情と義理とは何かを理解しなければならない。行いを慎まず、また独断専行してはならず、それは夫婦の情誼を損なうだけでなく。
同時に、子供たちも両親の温かい世話を受ける機会が減り、あなたはそんな状況を見たいですか？考えてみてください！この世のすべての相互の情義と情誼は、親子、兄弟姉妹、親族友人などに関わらず、すべて相互の「情義と情感及び情誼」という三つの要素から成り立っているのです。
まさにこれが、人と人との相互円融と親密さを育み、この世において『情義、情感、情誼』が互いに支え合う所以である。これはすべての有情衆生が持つべき基本的な行動であり、ただあなたと相手がより親しいか、つまり良縁がより深いかという違いだけである。夫婦間の情愛もまた同じ道理である。
円満な結末は破鏡を修復して再び円くする
例えば：夫婦や親子、兄弟姉妹、親戚友人、同僚の間でも同じことで、あなたとある人の善因縁が比較的深ければ、より親密な行動が生まれ、それは『情義、情感、情誼』が相互に結びついたものである。世の中のすべての因果関係を、最善の結末と円満に導くことができるのである。
これは人間の基本的な動作であり、夫婦関係の区別なく同じことです。さらに考えてみると、一組の夫婦が他人よりも親密であるかどうか、この他人よりも親密な関係について、どのような問題が思い浮かぶでしょうか。それは夫婦の間には偽りがなく、何の作為もなく、何の仮の姿もないということです。
形成にも何の不満もなく、何の不足や欠け、誤りもなく、すべてのことを包容し善く理解することができる。また夫婦、兄弟姉妹、父母と子供、親戚友人、同僚に対しても同様に、汝は今生においてこう言うことができる：誰とも怨みを結ぶことがなく、したがって不良な婚姻関係もない。
実は、自分が求めすぎるからこそ、夫婦間でも親しすぎるあまり、多くの良くない障害が生じるのです。夫婦が結ばれるということはまさにこのようなものだと皆が理解し、よく考えてみてください！一生の幸せを大切に創り出すことは、あなたに幸せな甘美さをもたらし、円満な家庭と良好な人間関係をもたらします。試してみたいと思いませんか？しっかり努力することが必要です。
人生の一世は皆試験の如し　夫婦の結びは親しく寄り添うもの
要求が多すぎるからこそ　双方が不満を抱き怒るのです
汝自身をよく管することが必要であり、是非の論議にこだわる必要はない。
人間関係が思い通りにいけば　幸せで満ち足りた大きな道理
この偈は、有情の衆生が互いに励まし合うものであり、世間の倫理、特に夫婦や姑と嫁の問題について、すでにすべてを書き記しました。まさに　上天が崇心宗脈の大道系列天書を通じて、未来の有情衆生が従うべき人倫道徳の綱常倫理と因縁の体系を示されたのです。これもまた一種の規範であり、実は誰もが実践できるものなのです。
無極国際弥勒仏
無極の国際展が弘揚を広め
弥勒仏が来たりて書を著し暢かにす
諸賢聖仏の皆様、ごきげんよう
吉祥如意、福と財に恵まれますように
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、今晩は。本日、本宗脈の無極喜楽天尊が降臨され、『大道倫理』第三十二回を著作されました。夫婦が離別した後、互いに一歩譲って破鏡を重ねて円満な結局を迎えるための成全について、有情衆生がこの世において参考とすべき糧を提供されます。
また、次の男性や女性がもっと良いだろうと思わないでください。もし、あなたの福徳がこれだけしかないのに、さらに良い条件を望むなら、それは不可能です。むしろ、もっとひどい相手に出会ってしまい、後悔しても遅すぎます。今持っているものを大切にし、問題を一つ一つ乗り越えていくことが大切です。
幸福で円満な結婚生活を送ることが、まさにあなたが今生で果たすべき課題です。もしそれを認めずに逃げてしまえば、来世でもう一度、さらに悲惨な形で繰り返されることになります！それはまったく割に合わない問題であり、ありのままに向き合ってこそ、良き変化が訪れるのです！明日はまた中秋の名月、皆様のご多幸とご如意をお祈りし、月が満ちるように人も円満に、結婚生活も円満でありますように。
ポイントシェア：古くから「願わくば天下の有情の者、終に眷属となることを」と言われてきましたが、今は「願わくば天下の眷属、皆有情の者であらんことを」と言います。この言葉の意味を理解できますか？皆さん一目見ればわかると思いますが、時間が経つと新鮮さが失われ、パートナーに対して甘く愛情深くあることも当然のことと思ってしまい、やる気も起きず、多くの問題が生じてしまいます。有情なる夫婦の皆さん！お二人はあまりにも長く環境を変えず、情趣も失い、一日中家にこもってまったく活気がありませんね。夫婦で新鮮な環境に変えて情趣を増し、出かけて山水を遊覧し、心身をリフレッシュさせれば、より大きな円満を得ることができます。いかがですか？ご一緒にいかがでしょう？
2015年、3月8日、21時56分◎＃※   了承；
無極進財天尊
無極の因縁は実に殊勝なり
財を進めて人間に皆愛成す
天尊は三十三回の著作を著し、損をすることは福であり、道徳が生まれる。
第卅三回　   吃虧是福
損をすることは福となるという概論
有情なる衆生は理解することができません。人道世界の行動規範は、物事を完璧な段階までやり遂げるべきであり、これは人と人との間で実践され、物事の問題を成就させるものです。一般の人々は皆、「損をするのは福である」という道理を理解していますが、理解しているだけで、実際にそれを実践することは非常に難しいのです。
このような「損をすることが福となる」という概論を理解できなければ、それを実践することはできず、むしろ自分の方法に従って行動してしまう。そのため、しばしば計算高くなり、相互に円満な関係を築くことができず、物事を完璧に成し遂げることもできない。それどころか、「なぜ自分がこんな損をしなければならないのか、全く割に合わない」と考えてしまう。
有情ある衆生はこの道理を理解できるが、問題が生じた後には、このような不利益を黙って受け入れたくないという気持ちが生じ、相手と「なぜ相手はそのようなことをしたのか、その理由は何か」とやり取りするようになる。異なる視点から平等な行動基準を持ち、自分自身の認識に基づいて「公事は公に処理する」という態度を取ることになる。
誰にも便宜を図ることはなく、ましてや少しの便宜すら与えることはありません。
また、このような状況では人を助ける度量がない。たとえあなたが公正で客観的であることは間違いなくても、他人が付け上がる行為だと考えるなら、その必要はなく、またその一息を飲み込むこともできない。
損をすることは得をすることでもあり、また福でもある。
そうすると公事公办的（規則通りに厳格に処理する）になってしまい、少しも人に便宜を図らなくなる。人の世の行動基準は、常に自分の能力の範囲内で、人に便宜を図れるならば常に便宜を図り、また人を許せる所では人を許すべきだと知る必要がある。あまり度を超えなければよい。たとえあなたが今は正常な手順に従って進めているとしても。
しかし、人に便宜を図らないだけでも、すでに人として処世する良縁を失っている。人間の衆生が過ちを犯し、衆生を衝動させることを避けるためにも、業を造ることがしばしばある。時に、自分の意志ではなく、自分が望んでそうしたわけでもないと悟れば、やむを得ない職責の領域に入り、さらに悪業をすでに造ってしまっていることに気づくのである。
この時、改心しようとし、このような悪しき行いを改めようとするならば、この人にはまだ良心が残っており、ただ善縁を結ぶ機会に恵まれなかっただけであると嘆かわしい。人間は感情の生き物であり、因果は互いに循環し続けるものである。いつか必ずあなたにも巡ってくる時が来る。世の中の因果応報には、異なる時空における機縁があるのだ。
この世であれ、次の世であれ、必ずまた巡り会う機会は訪れます。物事に対する見方は人それぞれ異なり、また現代社会で共有されている価値観においても、疑念を招くような利益供与は避けるべきです。過度な熱心さが自分と他者との間に理解不足を生み、双方の関係を円滑に保てなくなることのないよう心がけなければなりません。
損をすることは福となるというのが基本的な行動指針である
このようなことは、双方が円満でなければ、問題や事柄がより大きな成就を得ることはできません。有情の衆生はこう考えるでしょう：損をすることは福であると！人間社会の教えはまさにそうであり、人と人との間には常に相互の縁によって支え合う関係があること、人は永遠に頂点に立ち続けることはできないということを知らないのです。
一般の人が人生の浮き沈みを経験するとき、もし頂点にいるならば、ちょっとした手助けで多くの善行の縁を結ぶことができます。その後、多くの人があなたを助けに来るでしょう。ただ、頂点にいるときに「福を大切にする」ことを知らないのが心配です。人に便宜を図り助けられるなら、けちけちせず、常に人にもう少し便宜を図ってあげましょう。
このような便宜を図ることは、悪に同調することではなく、人に便宜を図ることで、他人が多くの資源を得られるようにすることです。あなた自身は少しも利益を得ていなくても、広く衆生に恩恵を施すことができれば、あなたは皆にとっての貴人となります。また、このような善良な縁は往々にして善行には善行で報いるものであり、将来に回報が訪れる機会があります。すべての人は皆、このようなものです。
因縁果報の中で、人に便宜を図ることが「美徳」であり、人を助けることが「福徳」であり、物事を完璧に仕上げることが「陰徳」であると知ることができる。この三つの徳が集まった時は常に行うべきであり、たとえ現在は何の利益もなくとも、未来には多くの人があなたに報いるだろう。かつて蒔いた徳の陰がそうさせるのだ。
物事に対する姿勢
まさにある人は、なぜ物事を完璧に成し遂げることができるのか、それは他人の利益を図るためでもなく、人をあまりにも欺くためでもない。因果の循環過程を理解しなければならず、一人ひとりがこの一生の中で経験するすべての浮き沈みは、すべての衆生に奉仕する機会を与えることができる。善行を広く多く行うことが必要である。
今生において大きな福報が得られないとしても、未来あるいは来世において、このような報いは潮のごとく絶え間なくあなたの因縁の中に加わり続けます。現在多くの人々がまさにこのように、前世の善行の因縁によってもたらされた福報に支えられ、物事を円満に成し遂げ、完璧に近い境地まで到達できることを、しっかりと理解する必要があります。
人に便宜を図り、常に人を助けることで、大きな福報があなたの生活の中に加わります。これはつまり「善良な人は人に欺かれても天は欺かず、悪人は人に恐れられても天は恐れない」ということであり、天の道理は必ず報いるという必然性から、あなたには多くの福報がもたらされるのです。人と人との間は、ただ良縁か悪縁かによって取捨選択されるに過ぎません。
すべての衆生は、善縁を広く結ぶ機会を望み、誰とも怨みを結びたくないと願っていることでしょう。しかし、いざ問題が起こると、それはもともと望んでいたことではなく、しばしば意に反する結果となり、悪業を積んでしまい、取り返しがつかなくなることもあります。今生において、人は飲食や排泄、睡眠といった基本的な生理的欲求を除けば、すべて自分自身以外のものなのです。
損をする人に福報と回報が訪れる
そのほかは、すべて自分の身内や有情の衆生に対して奉仕することであり、一人ひとりがそうであり、一人ひとりには多くの処理すべきことがあり、また多くの人があなたに物事を任せてきます。あなたは物事を処理する態度をどのように持っていますか？必ず知っておくべきです。人のために忠実に事を成し、また必ず人のために忠実に義を尽くすことができなければなりません。
誰もが物事を完璧に仕上げたいと願っているはずです。しかし、責任を負った後、物事を完璧に仕上げる人もいれば、いい加減に済ませる人、あるいは仕方なく適当に終わらせるだけの人もいます。このような人は、一生懸命に努力することができず、なかなか成功を収めることができません。
職場において、自分が担うべき職責や分内の事柄を区別せずに、有情の衆生が物事に対する態度は、一般的には自分が負うべき職責を果たせばそれで良く、それ以外は自分に関係ないと考えるものです。これは一般の人々が取る方法であり、より良き善縁を成就する機会もないと信じています。
このように、自らの職責として担う使命を果たすことは当然であり、非難されるべきことではありません。しかし、他者から託されたことを行う際に、それを完璧に仕上げることができるかどうかこそが真の円満なのです。有情の衆生は「なんと不思議なことか！なぜそこまでする必要があるのか？自分の分内のことではないのだから、一応終わらせればそれでよいのではないか」と考えるかもしれません。
損をしても気にしなければ、福を積むことができる。
また、なぜ彼を完璧に仕上げる必要があるのか、普通の人ならそれはやりすぎだと思うだろうし、あまりおせっかいを焼いてそこまでする必要もない。このような時には、あらゆる事柄には始まりと終わりの問題があり、また多くの不足や欠陥に悩まされるものであることを知る必要がある。物事に忠実に取り組み、成し遂げることこそが正しい道なのである。
人に損をさせられたと考えるべきではありません。これはまさに人類が向上できない心の在り方であり、世の中では、損をすることは往々にして得をする原動力となります。世の中はこのような問題に満ちており、その秘訣がどこにあるのか分からないのです。なぜ人に便宜を図り、さらに一歩進んで便宜を図り、しかも完璧に成し遂げなければならないのでしょうか。
このような人々の行いはあまりにも愚かであり、あまりにも理解しがたい。誰もが知っているように、人として行き過ぎてはいけない、適度な生存空間を保つべきだと。なぜか？常に人に便宜を図れば、将来の福報を増やすことができるのか？多くの人は、すでに人に利益を取られたと思っているのに、それでも気にしないのか？比べもしないのか？実に難しいことだ！
人類の衆生とはこのようなもので、計算し、比較する者よ、あなたは一体どれほど得たというのか？人と人を比べれば気が死ぬほどだ。同じ人類の衆生であっても、一人ひとりの衆生がこの世で享受する『生存の福報』を理解すれば、その差は四百余りの等級に及ぶ。あなたの福報は果たしてどれほどあるのか？そもそも誰も知る由もないのである。
前世の福報は人それぞれ異なります。
人は皆、生まれ落ちた瞬間に定められた天命によって、この世での福禄の量が決まっている。だから何を比べ、何を計算しようというのか。自ら運命を創造し、天が定めた生まれつきの運命を変えることができてこそ、真の収穫を得られるのである。この世は比較と計算の繰り返しである。なぜ同じ仕事をしても報酬が違うのかと。
なぜ他人の得るものが自分より多いのか？つまり、比較し、さらには計算してしまうのです。人と人の先天的な運命はそもそも異なるものであり、あなたが運勢を創造できるというのは、過去の良くない運命を変えることなのです。多くの人がそうしているのです！しかし、ほとんどの人は、事を半分しか成し遂げていないのに、大きな報いを求めようとします。
知らず知らずのうちに、自分が払った努力が他人よりも多く、しかも気にしないなら、もしあなたがそういう人なら、成功のチャンスも他人より十数倍多くなるに違いない。同じように、もし自分が努力せず、ただ生活のため、他人に見せるためにやっているなら、物事をより円満に成就させるのは難しいだろう。
そのため彼を完璧に仕上げることはできず、実際には報酬を得るためだけに働いている。このような考え方を持つ人を責めることはできず、また改めるのも非常に難しい。ただ家族を養うための給料を得るためだけに働いているのである。人は多くの仕事を恐れてはならず、ただ少し疲れるだけである。
事態の態度と問題の打開
あなたが行ったことは、たとえ他人が見えず感じられなくとも、確かにあなたのICマイクロチップに、一連の行動の全過程が詳細に記録されています。同時に、天もあなたの一生の努力に従い、もしあなたが常にこのように努力しているなら、他の人よりも大きな成功の機会を得られるでしょう。
損をすることを、多くの人は理解しがたいと思うかもしれません。しかし、真に無為の心で与える者、あるいは真に向上し超越しようとする者にとっては、このような心構えと行動がどうしても必要です。それは、この一生において比較せず、計算せず、さらに人に便宜を図り、人に便宜を図り、それに加えて私心なく無為の心で与えることなのです。
この一生の努力と苦労は言うまでもなく数知れず、まさに未来の向上と超越の基となるものである。真に上昇し超越できる者は、皆、比較することも、損得を気にすることもなく、ただひたすら物事を完璧に極めるまでやり遂げ、この一生において既に初歩的な成果を収めている。上天の審査には既に合格点をいただいたが、更なる資源を望むか？では、次期にまた続けよう！
人生一世苦しみに堪え憐れむべきは
ただ通貨に金銭あるがためなり
人と比べては計算し　家族皆苦しみ悪業の罪を負う
損をしても福が来るとは知らずに　陰徳を積む善き縁を結ぶ
人に便宜を図れば便宜を図るほど　未来はきっと良い仙人になる
この偈を、共に有情の衆生が互いに励まし合いましょう。『損をすることは福である』という前半部分を天書の中に述べ、次回はさらに損をすることが成長の原動力であるということを続けて、皆様の参考として提供し、人類の衆生が利益を得られるようにいたします。
無極黙徳
観世音菩薩
無極の因縁、心を崇めに来たり
宗脈に帰依し、弘め導くことと為す
黙徳観世音菩薩が
御台に登られて、諸々の有情と共に会される
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の院修学士の皆様、今晩は。本日、本宗脈の無極進財天尊が降臨され、『大道倫理』第三十三回を著作されました。そこでは、「損をすることは福である」という前半部分を分析され、有情衆生のさらなる成長と利益のために、将来の成就の根拠を提供されました。また、犠牲を払って奉献することがより大きな報いを得られること、皆様の知識と智慧が大きく増進されること、そして業障を消し福慧を増す機会を得られることについても述べられています。
重点を分かち合う：よく多くの人が「損をするのは福である」と言うのを耳にしますが、これは誰もが理解している道理であり、また多くの人がよく他人を諭す言葉でもありますから、この言葉はさほど馴染みがないはずはありません。実のところ、皆口では言い、他人にも諫めることはできますが、いざ自分が問題に直面すると、比較や計算が生じ、心のわだかまりをなかなか手放せず、そうなると円満な境地には至りにくいものです。一人の人間の処し方はどうか？それは普段から物事に対して責任を持つ態度を見ればわかります。普通の人は物事をやり終えさえすればよいと考えがちですが、それでは半分しか終えていないに過ぎません。実は、一つのことを完璧に成し遂げ、さらに将来の継続的な問題まで考え及ぶことができれば、その時点では何の報酬も得られないかもしれませんが、それは将来に福報をもたらす根拠となり、つまり天地の奥深い妙なるところなのです。人間の思想は、一人一人のiCマイクロチップを通じて、それぞれの心の動きや思いがどのようなものであったかが記録されます。すべての善悪の種子は将来必ず芽を出すのです、信じられますか？
2015年、3月8日、21時57分◎＃※   了解；
無極納福天尊
無極天界より降り来たりて
福を納め人間界に喜び満つ
天尊は三十四回の著作を著され、人を許すことが徳の根本であり、これが真実である。
第卅四回　   饒人是德
損をした人も人を許すことができる
有情ある衆生は皆、自分に有利なことを好み、細かいことまでよく計算します。このような問題は、人間界の行いとしてはまさにその通りですが、天地の無為の立場から見れば、本来このようであるべきではありません。一般の人は計算しすぎて、往々にして天理を失ってしまいます。つまり、なぜ人間世界では計算し合うのでしょうか。
もし、天地が徳沢を演繹する様子を観察するならば、このようであるべきではない。人々の世界において「損をするのは福であり、人を許すのは徳である」という模範を行動の基準とすることこそ、まさに向上の主要な原動力となる。有情の衆生が人道世界の倫理基準を理解しないため、天地の条綱を規範として定めているのである。それならば、少しばかり損をしたとしても、何ということがあろうか！
往々にしてあなたに対して多くの災難を減らし、多くの福報を得ることができる。だから一般の人は短期的な利益にしか目が向かず、長い目で見た人間世界の行動基準を見ることができない。これはすべての人道的世界の行動基準の中にあり、人類の衆生は往々にして少しの損をすることで、人と人との間の調和を生み出すのである。
誰かが損をした時、その人の心はとても不快に感じるのではないでしょうか？また
人に得をさせてしまったと思い、皆がこのような損は自分には耐えられない心境だと考えれば、相手と理屈を言ったり争ったりしようとする衝動が湧いてくる。もしそうなら、事を増やすよりは減らす方が良いのではないだろうか。
損をするのは福であり、人を許すのは徳である。
往々にして未来に多くの災難を減らすことができる。同時に、あなたの忍辱の修行がどのようなものかも観察される。この天地の徳沢に対する基礎こそが、天下の無理に耐えられるかどうかであり、無情な打ち壊しにも耐えることができる。これは未来の福分を増やすことになる。この時に少し損をした、あるいは多く損をしたとしても、自分自身の心の在り方がどうであるかを観察すればよい。
また、忍耐と弱さを持つ人々に対して言えば、損をすることはむしろ得をすることなのです。人生の浮き沈みの一つひとつ、すべての局面が試練であり、すべての生きとし生けるもののこの世での行動規範はどうあるべきか？天地の因果の循環と作用を通じることができるかどうか、因果応報に対する裁きはどのように形成されるのか？
この時に忍辱がなければ、あるいは気勢が非常に高まって争おうとするならば、このような好戦的な性格では、この世で多くの怨みや敵を作ってしまっているでしょう。この時に平穏な生活を望むことは不可能であり、自分自身が災いを受けるだけでなく、家族にも危険が及び、父母や妻子が望むことに背くことになります。
それはただ一時の心の直さを誇示して、一生の苦難と災いを蒔くだけで、どうしようもない？何も苦労する必要はない？まさにこの一生の因果の循環が現在に加わり、前世のすべての因果応報を現在の時空に現出させるのだ。実は少し損をしたり人を許したりして、この一息を飲み込み、心を置き換えて他人と怨みを結ばないようにすることこそが大切なのだ。
人生には浮き沈みがあり、上がり下がりがある
同士を善縁を結ぶように導くことができれば、前世のすべての因果を今生に植え付け、多くの因果業障による報いを変え、軽減することができる。人間の衆生は往々にしてこのような限界を突破できず、「なぜ自分が人に得をさせなければならないのか？」「なぜ人を許さなければならないのか？」「あまりにも割に合わないのではないか？」と考えてしまう。これはそれぞれの人の認識が形成されているに過ぎない。
人に得をさせないことや、人を許さないことはできるか？もちろんできますよ！これは各自が選択することです。また、少し損をして人に得をさせたり、許せる場面では人を許したりすることは、徹底的に追い詰めてはならず、人を許せば天の道理の循環がないとは考えてはなりません。さらに、各自がどのように判断するかを見極めるのです。
人々の世において、前世の因果の良し悪しがどうであれ、現在には多くの悪しき因果が今生に植え付けられています。あなたに対して、人に便宜を図らせたり、少しの利益を与えたり、多少の便宜を提供したりすることは、いずれも自らの福徳と度量であり、また未来に大きな福報をもたらすこととなるでしょう。
因果の観点から見ると、このような状況では往々にして多くの災難が減少し、人を許すことが徳であり、損をすることが福であるという度量を理解することができます。すべての有情の衆生が「忍辱」を実践できれば、忍耐と譲歩ができるようになり、今生において前世の因果による干渉が減り、因果の悪報による侵食も軽減されると信じられます。
人を許すのは徳であり、損をするのは福である。
さらに、交通事故が発生する前にすべての警戒を見ると、このような状況は現代の若者の車の運転において、前世の因果によって、運転中やバイクの運転中に討伐のために仕掛けられるものである。現代の世代は最も因果を結びつけやすく、互いに知らない二人を争わせて傷つけさせ、それはまた忍耐によって退けることができるかどうかを試すものである。
この時、少しの損を被ることで、人との怨みの連鎖を断ち切れることが多い。また、このような機会は、そもそも災いを予測することが難しい。すべての因果はその瞬間に宿っており、どのような方法で報復するかは、交通事故が起きた場合の方が報復しやすい。これが、怨みを持つ者や借金取りが報復を求める理由である。
あるいは現代の人間関係における因果の絡み合いも、すべてこのような原因によって形成されている。もし侮辱に耐えることができなければ、次の瞬間にはおそらく双方が災いを被ることになる。どちらが勝っても負けても、良い現象ではない。このような前世からの因果の応報に対しては、「損をすることは福であり、人を許すことは徳である」という心構えで、それを解消していくことができる。
言えることは、円満な結局があれば、来世も再びこのような煩わしさに巻き込まれることはない。これはまさに人と人との間における「損をすることは福であり、人を許すことは徳である」という基本であり、また人間界における成長と学びでもある。なぜそうする必要があるのか？人間界では、一般的な因縁が成熟する中で、一体誰がこの一生ずっと損ばかりできるだろうか、そんな人はほとんどいないのだ！
天は愚かな者を愛するというが、本当に愚かなのだろうか
しかし、今は損をしたとしても、未来はどうなるだろうか？ 天はこのような損をする人を見守っている。つまり、天の子である。誰かがあなたの便宜を占めても、この天は失ったすべてを補ってくれる。なぜなら、「人は善であれば人に欺かれても天は欺かず、人は悪であれば人に恐れられても天は恐れない」という古訓があるからだ。
なぜ人間界においては、損をすることがかえって大きな福報をもたらすのかというと、天もまた同じように、すべての損をした有情衆生を等しく慈しみ、人間世界のいかなる国々でも区別なくそうされているからです。『損をすることは福であり、人を許すことは徳である』、人間界では何も計算しないことです。なぜなら、天は愚直な人を愛でるからです。
このような人は皆、あまりにも愚直すぎると見なされるが、そうではない！まさに天のご意志を受けた天子であり、自らのために策を練らず、ましてや自らの損得を計算しない。なぜなら、このような天の子は、少しも計算をしないからこそ、上天からの報いは非常に豊かであり、往々にして天が与える福は逆境を通じて訪れるものだからである。
天地の徳沢は進化を演繹する
しかしながら、一般の人は往々にして計算高く、他人を出し抜くことばかり考え、まるで悪知恵の働く鬼のようだと言えます。このような人は他人を利用することしか考えず、一生を通して良い果報を得ることなど、到底不可能なのです。天地が人間界に対して『天地が徳と恵みを広く行き渡らせる』ことを学べるかどうかは、公正平等にすべての有情衆生を導くことにあります。
まさにこう言えるでしょう：施しがあり、捨てる心があり、得るものがあり、福徳の基本観念があるからこそ、有情の衆生は皆このようにすべきなのです。あなたはあまりにも抜け目がなく、計算高すぎて、まるで鬼のように狡猾になってしまっています。また、あなたはこの一生で決して損をせず、人を許すこともなく、自分の福徳だけを多く増やそうとしていますが、それは決して得られるものではありません。
また、天は素直で誠実な人を愛し、この世のすべての万物を大切にし、一切の私心なくすべての有情衆生に対応しています。私たちも天のように素直で誠実に人と接し、人として生きることを学ばなければなりません。天地の恩恵が大きな力を発揮して広く施されることを望むならば、それが福報を与える根拠となり、人類は初めて十分な福分を備えることができるのです。
損をしても自分に福が来る
人を許すのは徳を積むことになる
世の中ではあまりに計算高く立ち回ると
得るものと失うものの道理をはっきり知るべきだ
一生の福報は天より賜り　自ら布施して情義あり
真理大道を悟り契うならば　大いなる福と根器を得る
この偈を！有情の衆生と共に励まし合い、上天の基本構造と働きを、この世において「損をすることは福、人を許すことは徳」として、皆で実践してみてください。きっと将来、大きな恵みと収穫を得られるでしょう。共に努めましょう！
無極方徳大禅師　済公活仏
無極方徳大禅師　南邑弘化はこれ無私なり
済公活仏は神人と相まい、吉祥如意に徳慧智を授かる。
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院の院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈の無極納福天尊が降臨され、『大道倫理』第三十四回を著作されました。人を許すことは徳の基本理諦であり、前回の「損をするは福なり」と合わせて考えると、これら二つは人世間の因果応報をいかに変えるかという最善の方法を示すものとなります。
すでに天書の中に下ろされているので、今日から皆さんが車を運転したりバイクに乗ったりする際には、もう怒りを爆発させることがなくなるでしょう。ほんの少しの譲り合いが、自分自身を多くの災難や悪しき禍から遠ざけることができるのです。心を落ち着かせ、穏やかに対処することで、大きな転換が訪れるでしょう。お分かりいただけましたか？皆さんのご尽力に感謝いたします。
ポイントシェア：損をすることは福であり、人を許すことは徳である。この世に生きる誰もが知っていることですが、人間には多かれ少なかれ、過ちや不足、欠点があり、しばしば無意識のうちに過ちを犯すものです。だから、許せる時は人を許しましょう。たとえその瞬間は心が晴れず、その気持ちに適応するのが難しくても、心を開けば、寛大な心を持つことができます。時が経つにつれ、何も気にせず、比較もしなくなり、人に少しでも便利や利益を与えられれば、それだけ多くの福徳が得られるのです。信じられますか？人間としてこの世に生まれたなら、人と悪縁を結ばないようにしましょう。そうすれば、この人生で未来の世におけるすべての悪い報いの干渉を断ち切ることができます。そうすれば、多くの善い縁があなたと共にあり、一生涯、貴人が多く現れ、福徳もより豊かで満ち足りたものになります。試してみたいと思いませんか？これが運命を変える実際の方法なのです。
2015年3月8日21時58分、了解。
無極道円天尊
無極より旨を頒ちて天書を著す
道円く徳愍みて蒼生を顧みる
天尊は三十五次にわたり著作をなされ、温良謙恭を必ずや保たれる。
第卅五回　   溫良謙恭
温良謙譲は人としての基本である
人世の一生における道徳倫理の規制は、上蒼の基本条綱に従って構築されております。これは人道世界の行動規範において、有情衆生が人道的に生存するあらゆる動作が、上蒼の条綱に合致するように整えられたものであります。かくして「新三綱・五常・四維・八徳」が施行されるのです。
また、「智、仁、勇、和合」を実践し、道徳規範によって人道の生存基準を高めることにおいて、これに含まれる有情の衆生もまた、温和で善良、謙虚で礼儀正しく、勤勉で倹約、忍耐と譲りの美徳を備える必要があります。そうして初めて、人間として成長する過程において相互に補い合う基本的な行動が取れ、これこそが正しい道であり、人倫の基本規範にも合致するものです。
人倫道徳の一つ：温
温：これは、へりくだらずおごらずの基本的な態度であり、温はまた和やかさの表れでもあります。すべての衆生が人間界で生きるにあたり、人に温和な印象を与えられるか、それとも強い威圧感を与えてしまうかは、一人ひとりの態度次第です。温かさは双方の距離を縮め、敵意を和らげることができます。
温かさには互いを高め合う作用があり、温かさは人と人との感情を深める役割も果たします。すべての有情の衆生は温かな態度に対してより受け入れやすく、もし温かさが表れていれば、双方の間に距離も敵意もなく、まさに人と人が関わり合う過程において、より大きな円満と成就が得られるのです。
穏やかな雰囲気の中でこそ、多くの良縁が育まれ成長していくものです。だからこそ人は皆、温和で温かい人生を好み、あらゆる人との触れ合いにおいても同じことが言えます。夫婦間の情愛はなおさらで、これは一種の心構えの問題です。双方が甘い言葉を交わし合えるようになるためにも、一度試してみたいとは思いませんか？
人倫道徳の二：良
良：それは優秀さが表れたものであり、良はまた高度な品質でもある。良がこの世に生きることは、高尚な品質によって高められることであり、人道世界は良いことに対して比較的好きであり、また比較的受け入れやすい。人間の衆生はまさにこのようであり、良いことと優れた生活の質を切に願っている。
すなわち、人界における基本的な行為とは、すべての有情衆生に対して、人界においてはこのようにあるべきものである。また、良好な生活習慣は高尚な品格であり、有情衆生にとっても必要不可欠なものである。このような高尚な品質を備えた生活習慣は、生活空間により大きな追求をもたらすことができる。
人道世界では、このような格調を好み、この条件を生活の一部として受け入れることを喜びとします。良質なあらゆる事柄と物質に対しては、心を楽しませ目を喜ばせる基本的な欲求であり、優れた基本条件でもあります。誰もが自分自身が、つまり皆が親しみを感じる人であることを望んでいるものと信じています。
人倫道徳の三：謙譲
謙遜とは、自らの長所を内に秘めて誇示せず、人々に対して謙虚な態度と行動を取ることである。もし誰もがこのような謙虚な振る舞いと姿勢を持てば、多くの人々が喜んで汝と共に過ごすようになるだろう。まさにこの謙和の道があるからこそ、人と人との間に友情が育まれ、互いを高め合うことができるのである。
すべての衆生は謙虚な人と共にいることを好みます。この「謙」とは、人に対して敬意を持って互いに接することであり、まさに有情衆生の最も基本的な行いです。それは謙虚さに内包される行為であり、「素人は賑わいを見て、玄人は奥義を見る」と言いますが、その意味を理解することができるでしょうか？
また、言っている内容に実体があるかどうかは、その人の行動や言動のすべてを見ればわかる。それによって、その人がどのような品格や資質を持っているかが分かる。また、自分を謙遜し、他人に寛大であることは、比較的人気のある人であり、謙虚さが必要であることも理解しているが、謙虚すぎると偽善になってしまう。
したがって、有情の衆生は自分に対して少し謙虚であるべきです。そうすることで、すべての「人、事、物」という三つを円満に成就するための良き因縁と条件が得られます。もし能力が及ぶなら、謙虚すぎることも避け、自分が偽善的になることを防ぐべきです。これこそが人道世界における基本的な行動であり、また自らの才能が発揮される余地を生み出すのです。
人倫道徳の四：恭
恭：これは礼儀を遵守することであり、人々が互いに尊重し合う条件です。他の動物とは異なり、人間には品格と自尊心があり、また高尚な情操があります。それゆえ、人と人との間では互いに相手を敬うことが必要であり、礼節を欠くことで他人から軽蔑され、品格のない人間と見られないようにするためです。これは人間の基本です。
したがって、相手を敬うことは自分自身を敬うことでもあり、まさに人間世界の生活規範である。有情の衆生は生活のあらゆる面において、他者からの尊重を必要とし、また人の尊敬も必要とする。互いに敬い合うことは双方が持つべき基本的な綱領であり、このような認識も必要である。人は自分自身を敬うこともできれば、他者を敬うこともできるのである。
これは有情の衆生に対して、互いに仲良く同じ環境で暮らすことができ、恭敬礼尊に対して多くの良い感覚を持ち、人から尊重され、互いに争うこともないということです。なぜなら、人と人との間には、互いに恭敬礼尊を持つことが正しい道であり、これこそが人類の基本的な綱領だからです。
あなたが他人を尊重すれば、同じように他人もあなたを尊重します。このような生き方は、人間には誰しも優越感があり、他人からの肯定と尊重を求めたいと思うものです。特に、より大きな成果を上げている人ほど、このような心理が強くなります。しばしば、一つの事柄で尊重されないと感じると、互いに尊重し合わなくなり、口調も非常に悪くなってしまうのです。
温良な行いと態度
人は必ず温厚で善良な行いと態度を持つべきです。もし台湾の諺にあるように「赤芽芽（無作法で粗暴）な人」だったら、あなたはその人と一緒に生活したいと思いますか？いいえ、違います！人は温厚で善良な生き物であるということを理解しなければ、それが正道であり正しいことなのです。もし人が温厚でもなく、強引に押し付け、赤芽芽な人だったら、どう思いますか？その人と一緒にいたいと思いますか？いいえ、違います！
なぜ温厚な人と一緒にいることを好むのかと言えば、それは謙虚な人にとって温厚な人というのは一種の温和な生き物であり、また温和な態度を持つと同時に、互いに謙虚な振る舞いも必要だからである。そうでなければ、考えてみてほしい：羊もまた一種の温和な生き物だが、謙虚な振る舞いはない。だから高尚な種とは言えないのである。
人類は高尚な種であり、温厚で謙虚な礼節をわきまえることができる。これは人倫道徳の基本であり、人と人が共に暮らす中での情感の融和でもある。より親しい間柄であればこそ、なおさら温厚謙虚な礼節をわきまえるべきであり、親しい者に対してこそ、温厚謙虚な行動規範を知ることが、双方をより大きく成全する真実の道なのである。
有情なる衆生は知ることができる。温良で謙虚で恭しい態度は、人間の生活における基本的な動作であり、まさに倫理道徳の規範であり、さらに綱常の規制に従うものである。また、すべての衆生が普段からこのようにしているからこそ、もし温良でも謙虚でもなければ、その傍らにいる者は、しばしば言葉遣いの悪さに影響を受ける可能性がある。
人類は謙虚で礼儀正しい行動を取る必要があります。
台風の余波に巻き込まれることを恐れるでしょう。あなたはどう思いますか？とっくに避けたいと思っているのに、一緒にいることすらできません。これが人間の基本的な行動規範であり、衆生の行動基準でもあります。まさに「温良謙恭」という行動態度であり、人道世界が互いに融合して共に生き、一つの大きな社会集団を形成しているのです。
有情なる衆生は人と人との間に、このような温和で謙虚な行動規範を持つことで、多くの暴力的な気配が減少します。人と人とはまた、この温和で謙虚さを保ち合うことで、人道に基づく生存と相互成長を促し、同じ地域で共に暮らすことができます。これこそが、人の世における人としての温和で謙虚な在り方なのです。
それは、まるで天のように互いに繋がり合い、どの一環も同じである。また、人は高尚な動物であるがゆえに、人類は温良謙譲な態度を持たなければ互いに融合できないことを理解できる。つまり、人と人との間には相互の円満と成全があり、さらに大きな円融が可能となるのである。
温良謙譲は人倫の根本である
実に！人類の衆生は皆、遭遇する人情世故が全て温良謙恭であることを願い、また周囲の一人一人が皆、温良謙恭を持つことを望み、それによって円満に幸せな生活を送ることができると願っています。また「温、良、謙、恭」という四つの行いには、それぞれが相互に繋がり合い、互いに円融を生み出す関係があります。
温厚で善良な人柄は人と結びつきやすく、謙虚で礼儀正しい態度もまた人とのつながりを生みます。これはすなわち人倫道徳の規範と言えるでしょう。人間世界の有情なる衆生にとって、温厚善良な人々は比較的接しやすく、互いに親しみを持って交われると理解できるからです。また温厚な人々は、強い圧迫感を与えず、人に大きなプレッシャーを感じさせないためでもあります。
人間は温和な動物であり、また人間は万物の霊長という高貴な存在でもあります。だからこそ、万物の霊長である人間は他の種の生き物たちとは異なり、温和な動物であることによって、人と人が共に同じ場所、すなわち集落を形成して暮らすことができるのです。
皆さん、よく考えてみてください。人と人との間には、温和で善良な行動が必要ではないでしょうか。そうしてこそ、皆が平和に共に暮らすことができるのです。このような素晴らしい縁と条件は、すべての人間社会において必ず実行すべき事柄の連鎖であり、人類の衆生は初めて善良に仲良く暮らすことができるのです。皆が、仲の悪い人と一緒にいることを望むでしょうか！
温和な態度で行いを為し　謙虚に恭しく互いに理解し合う必要がある
人類が共に生きることは　両者ともに帰すべきところとなる
生活の目的を高めよう　  　高尚な水準は必ず達成される
謙虚で礼儀正しく、温和で善良な振る舞いこそが、高等な人生のあり方である。
この偈は、すべての有情衆生が互いに励まし合い、人為的な要因によって成長し、温良謙恭の行動規範を守ることで、まさに天と一体となるのです。これこそが人間の生活の大綱であり、皆がこの人道的生活の条綱に従い、これまでのすべての悪しき習慣を改め、人類の生存に適応することを願います。
無極聖蓮  観世音菩薩
無極聖蓮観世音菩薩、登台して有情と会す
大道の倫理次第に完うし　  　弘めて寰宇に徳沢新たなり
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、こんばんは。本日、本宗脈の無極道圓天尊が降臨され、『大道倫理』第三十五回を著作されました。温良謙恭の基本を天書の中に著し、人為的要因が相互に補完し合い、向上できるようにされました。これは上蒼の徳沢が人道世界に及ぼされたものです。
対する：新三綱、五常、四維、八徳において構築されていなかった徳の潤いと綱領も、すでに天書の中に下ろされ、有情衆生が共に守るべき基本行動として示されています。これは人類衆生が実践すべき必然のものであり、一人ひとりがこのように、温良謙恭を実践の行動として行うべきなのです。
重点を分かち合う：人間は温和な動物であり、周囲の人や物事に対しても、出会うすべてが温厚で善良で謙虚で礼儀正しい行動態度であることを望んでいます。世の中のすべての人付き合いや処世術は、「温・良・謙・恭」の四つに分けることができます。それぞれを分解して解釈すると、異なる役割がありますが、「温良・謙恭」を合わせると、多くの人間の衆生の行動規範となり、人倫道徳の綱常倫理の必然性でもあります。このような人間の生存の根拠は、有情衆生の行動から来ており、すべての衆生が、あらゆる人や物事が優れた品質であり、高水準の良好な生存環境であることを望んでいると信じています。したがって、現代の時代もこの条件に向かって進んでおり、まさに皆が期待を持って見守ることができるところです。
2015年3月8日21時59分◎＃※   了解。
無極道真天尊
無極は崇心堂に降り至り、道真天命の徳意を彰わす。
天尊は三十六回の著作を著され、勤倹と忍耐譲りこそが長く続く道であると説かれた。
第卅六回   　勤儉忍讓
勤倹と忍耐は人倫の基礎
有情なる衆生が人道世界に生きる方向性を持つことは、必然的なことであり、また生活を営む上で過去から受け継がれる基本的な条件を必要とし、自らが人道世界に存在し続けることを可能にする。このような条件は有情なる衆生にとって見れば、新たな三綱・五常・四維八徳を実践し構築することが必要であり、また数多くの道徳倫理に依拠しなければならない。
有情なる人類の衆生は、生存において特に「勤・倹・忍・譲」は相互の道徳であり、「勤倹」と「忍譲」を合わせて、必ずや人世において実践しなければ、より大きな福祉を得ることができる。このような福祉こそが、まさに人世において相互に触れ合う原動力なのである。
人倫道徳の五：勤勉
勤：それは労働の基本であり、怠ることなく、さらに精進努力して勇往邁進し、あらゆることを可能な限り完璧に成し遂げ、より円満に完成させることである。また、勤とは怠らずに努力して行動することを指し、人間界においては勤労がより大きな助けとなる。人は往々にして怠けがちで、物事に専念して完遂することができないものである。
これによって、あってもなくてもよい障害や困難が生じ、また物事を中途半端にしかできず、完璧に成し遂げることができない。このように、人はこのような状況に陥り、自らをより大きく完成させ向上させることができず、勤労が一種の犠牲であることを明確に認識する必要がある。しかし、犠牲を払った後には、多くの収穫を得ることができるのである。
まるで：人間界の職場のように、多くの人はただ自分の担当範囲の仕事を終わらせて提出するだけで、他のことにはこれ以上力を注げず、自分の担当範囲の仕事を終わらせたらそれで終わりです。このような人が本当に頭角を現す機会を得られることは非常に稀だということを、彼らは知らないのです。なぜそうなるのでしょうか？
ただ他人に利用されることを非常に恐れているなら、「勤」という字について言えば、半分しか合格していない。他人に利用されることを恐れず、自分が努力を払うこと、たとえ他人が今すぐにあなたの努力を認められなくても、あなたの一生の努力に対しては合格と言える。これこそが、有情衆生にとって最も理解しにくい奥深いところなのだ！
人倫道徳の六：倹約
倹：節約して福を惜しむとは、自分が持つ全てのものを過度に浪費せず、天の恵みを無駄にしないこと。特に自分の力をわきまえて行動し、節約すべきところは必ず節約し、少しも無駄にしないこと。このようにして初めて、倹は福を大切にする美徳であると言える。この世に生きる者は、「晴れた日に雨の日の食糧を蓄える」という道理を理解しなければならない。
一般の有情衆生の福徳が十分に満たされていない時には、しばしば「寅年に卯年の食糧を食べる」ことになりがちです。ですから、人間の衆生は倹約を心がけることが正しい道なのです。しかし、すべての支出の中で、何を倹約すべきで、何をあまりにもけちけちしてはいけないのでしょうか。あまりにも倹約しすぎるのも良い現象とは言えず、世の中には往々にして多くの人間関係が存在するものです。
この時節には、先のことを考えてから行動し、お金で食料や日用品を購入する際には、勤倹節約を心がけることが美徳であり、自らの福徳にもつながります。天地の恵みを無駄にしてはならず、より大きな福運を得るためにも、人は今与えられている物資を大切にすることが求められます。
より大きな未来の福徳を具足することができるからです。したがって、「倹」とは自ら蓄えたものを浪費せず、将来の不測の事態に備えることで、不足に悩むことがなくなります。これはまさに人類衆生が事前に準備するためのものであり、多くの人々は非常に倹約しているからこそ蓄えを持つことができ、こうした人類衆生は通貨に困ることはありません。
人倫道徳の七：忍
忍：不合理なことや暴力的な事柄に対して堪え忍び、相手と争いを起こさず、より大きな円満を実現できることである。まさに双方が争いを起こそうとする時、いかにして互いに意思疎通を図り、円満に解決するべきかを知る必要がある。もし自分の思い通りにならないならば、一歩退く契機を見出すことが必要である。
人間同士の争いは、往々にして互いに良からぬ悪事を引き起こすものである。因果応報を論じる際には、しばしばこのような争いの問題を通じて、前世の因縁果報が引き合いに出され、それが今生に加わることで、「忍」という関門を乗り越えられるかどうかが問われる。もし乗り越えられるならば、その後どうなるのだろうか。
前世に償うべき因果応報は、最小限に抑えられる。もし堪忍の関門を突破できず、双方が争い傷つけ合えば、前世あるいは今生の因果に対してさらに怨恨を深め、より大きな報復を生むことになる。人と人とはこのようにして忍の境地を悟り、問題に対して一歩退くことで、より広大な空間を得るのである。
「一歩退けば海は広く空は高い」とはまさにこのことであり、人間世界において相互に円満に成就し合うことができる。忍耐の上には、心の不満に対する刃が立っている。この不満や恨みは「忍」という字の上にあり、合格か不合格かを看破する分かれ目となる。「忍に忍ぶ」ことは、往々にして修行者が実践する基本的な修養である。
また、有情の衆生が面子の問題を減らし、問題を最底層まで押し下げて円満にし、自分自身が無限の利益を受けられるようにし、他人と怨みを結ばず、同じように因果の報いを最低限に抑え、消し去ることができます。これは人類の衆生が累世の怨みの債務を円満に解消するための最良の方法です。
人倫道徳の八：譲り
譲り合いとは、互いに礼儀と尊重を示すことであり、双方が礼譲の基本条件を備えることです。譲ることに関して言えば、目先の利益は大きくないかもしれませんが、実は一歩引くことで、後々の福がより豊かになるのです。一歩譲ることで、往々にして自らにより大きな余地が生まれ、良好な結末を形作ることになるのです。
あたかも世の中で車を運転するように、狭い道ですれ違う際に双方が譲らなければ、多くの時間を無駄にしてしまう。もし互いに少しずつ譲り合えば、すぐに順調に通り過ぎることができる。仮に双方が譲らず無明の怒りを起こし、車を降りて理屈を言い合い、態度が悪く口調も荒くなれば、その時また双方は口論を始めてしまう。
喧嘩をしないというのは、ありえないことだ。もしそれに加えて双方が言葉で挑発し合えば、多くの傷害問題が生じる。双方が傷を負うのは避けられない。さらに、その後の傷害問題も双方にとって頭の痛い問題となる。実は、その場で双方が少しずつ譲り合えば、何も問題は起こらなかったのではないだろうか？
なぜこのような傷害を生み出すのか？それは忍耐と譲歩ができないからであり、双方が共倒れになる結果を招き、さらに互いに相手を傷害したと訴え合うことになる。このような状況は現代社会ではあまりにも多く見られ、それはストレスや怒りが大きすぎるからである。時には一歩引くことで、より大きな福報が身近に訪れ、多くの無意味な争いや災難を減らすことができる。
人間の美徳には勤勉、倹約、忍耐、譲歩が必要である
勤：自らの財産と金銭を積み重ねることができる。倹：自らを小康、中康の豊かさへと導くことができる。忍：問題に対して見通しを持ち、双方の間に生じる多くの事端を減らすことができる。譲：世の中の全てに対して一歩譲れば、より広い空間が得られる。勤倹忍譲は人類の美徳であり、よく活用すべきである。
このような「勤倹」は福徳と財富を積み重ねることができ、「忍譲」は賢明に身を守り、事端を減らして自らに大きな福報をもたらし、未来のすべての問題点を成就させ解決する。これが人道世界の倫理綱領であり、また有情衆生が人道世界において新たな三綱を主軸として実践するものである。
『新三綱、五常、四維、八徳』以外の問題点に加え、自らに対するより大きな「人倫道徳」の完成を図り、あらゆる「綱常倫理」が相互に規範し合うよう補助すること。人倫道徳は人間世界においてこのようなものであり、世の中で人倫道徳の条綱を実践することが必要なのである。
有情なる衆生の行動規範に対しては、多くの円満と成全がなされるでしょう。自分はどれだけ行ったか？すべては上天がそれぞれの有情なる衆生を評価されるのです。この一生において人として行いをなす根拠は、すなわち点数が付けられるのです。合格できるかどうか？また未来と来世、すべての善悪、良し悪し、福禍の根拠をも評価されるのです。
したがって、有情の衆生は、この一生が終わった後に、次の世はどうなるかと考えてはなりません。つまり、今生のすべての行いが決め手となり、今生で出会うものは前世の積み重ねによるものであり、同様に、未来や来世の福報が備わるかどうかもそれによって分かれるのです。これはまさに一点の誤りもなく、真実そのものです。
大道倫理三十六回が完結いたしました
大道倫理はここにすべて完成し、すべての大道シリーズの天書に対して、『大道有情衆生の因果』を通じて施行するには、必ず『綱常倫理』によって構築されなければならず、そうして初めて人道世界の生活基準に合致するのである。この五冊の大道シリーズ天書は、すでにありのままに有情衆生に、この一世の行動基準を提供している。
上蒼はまた、すべての人倫世界において、未来の世代の規範に合致しないものを改めて修正し、有情衆生が現代の21世紀に適合するようにし、倫理基準を人倫世界に施行させました。これこそが、上蒼が有情衆生に対して基本的な恩恵を下し、人倫道徳の再構築を提供したことなのです。
すなわち、すべての宗教をよりどころとするだけでなく、人道世界におけるすべての倫理綱常についても、確実に実践する必要があります。また、人類衆生には往々にして多くの良からぬ行いがあり、それら様々な良からぬ行為に対しては、確実に修正し改めていかなければなりません。しかしながら、人類衆生はそれを完璧に行うことができるでしょうか？
ただ個人の心の持ちようや考え方の違いに過ぎません。もしそれに私心が入り込めば、円満に成就して向上することは難しくなります。それどころか、私心からくる独りよがりで、本来円満に成就できるはずのことを、ひどく台無しにしてしまうことさえあります。それでは何の意味があるでしょう。「人を許せる所では許してやる」というのは、善良さによる解決の道なのです。
大いなる福報が身に添うことになる。これは紛れもなく円満な成就であり、情ある衆生の誰もが成し得ることなのだから、しっかりと努力すべきである！人と怨みを結ばぬよう心がけよ。そうしてこそ、未来の時空で再び縁が巡り合う時、解き難き障礙を生じさせずに済むのだから！
大道有情の因果は　衆生皆かくの如く作すべし
綱常倫理を実践すれば　必ずや未来に福多く
天の音は真実を伝え　古より響き渡り
情ある科学技術は　衆生に賞賛されん
上蒼の徳沢は千万千　福祉の徳蔭は天書のごとく長し
この偈は、有情なる衆生が互いに励まし合うものであり、まさに上天が『大道倫理』のすべての綱領に望むところを、天書の中に下ろし、未来の有情なる人類衆生に対して、より大きな天の音を下ろし、未来の科学技術がより文明的に顕現することを提供し、まさにすべての人類衆生を利益するものである。
無極妙蓮 観世音菩薩
無極より天命降りて頒たれ　妙蓮帰依す仏心の壇
菩薩初めて登台に来たり　神人と共に会して大いに弘展す
諸聖仏と諸賢生、及び無極大道院、院修学士の皆様、こんばんは。本日は本宗脈　無極道真天尊が降臨され、『大道倫理』第三十六回を著作されました。ここでは『勤倹忍譲』を、前回著作の『温良謙恭』と繋ぎ合わせ、人道世界により一層の円満をもたらすものであります。
なぜなら、倫理の綱領においては、相互に完全を成すことが必要であり、これは人間世界の行動規範が相互に支え合うことで、より大きな向上を実現できるからです。大道倫理の著作はこれで全て完成しました。次回は跋文と凡例の著作となります。皆さん、楽しみにしていてください！ご苦労様でした。ではまた！
重点を分かち合う：勤倹忍譲は、人倫道徳の基本綱領が互いに補い合うのを助けるものでもあります。勤：努力して怠らず、倹：節約して浪費せず、忍：暴虐を見極め、賢明に身を保ち、譲：一歩退いて海と空が広がる。これらを合わせると、勤倹：努力して奮闘し、節約すべきところは節約し、一つの美徳を成し、忍譲：問題に遭遇した時、耐えることができて争わず、双方の暴力的で激しい気性を少し抑えることです。同時に事柄の争いを減らすことができ、より大きな後の幸福を得ることができます。人生とはこのようなもの、試してみたいと思いませんか？
一冊の天書が完成するには、必ず天・地・人の三者が苦労を共にし協力して成し遂げねばならず、仙仏の恩師方の心血の結晶を費やし、また多くの仙仏の老師方が労を惜しまず降臨して著作されたことに感謝します。ようやくこれを著作し終えることができたのは、実に得難い機縁です。崇心宗脈はこの十三年間に、合わせて二十七冊の大道シリーズ天書を著作し完成させました。各冊の天書にはそれぞれ異なる主題と構成があり、またそれぞれ異なる天機が示現されており、有情衆生にとってそれぞれ異なる利益をもたらすものとなっています。
大道有情の衆生の因果は、必ず上蒼が定めた綱常倫理に従って実践する必要があり、それによって円満な人生が得られます。大道シリーズの天書『第十二冊：大道有情』、『第廿四冊：大道衆生』、『第廿五冊：大道因果』、『第廿六冊：大道綱常』、『第廿七冊：大道倫理』、合計五冊の天書は、異なる衆生の必要に応じて著述されたものであり、これらを通じて宝を掘り起こし無明を解消し、求めている答えを得ることができます。同時に、あなた方の幸福な生活にも真の利益をもたらすことができます。大道シリーズ『第廿八冊：大道天音』は、人類の科学技術と宇宙全体の星々、地球生命の空間について真の分析を行い、また人類が現在直面している災厄をどのように取り除くかについても示しています。期待してください！
大道シリーズ天書の全ての解説著作：
新たなる三綱：君臣の忠義の綱　親子の綱　夫婦の和合の綱
中心十二徳目：
孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥、智、仁、勇、和合
このほかにさらに十の根基がある。
温和、善良、謙虚、恭順、勤勉、倹約、忍耐、譲歩、道徳、倫理
2015年3月8日22時00分◎＃※　了解。
南海古仏
南海の屏障は群生を護り　古仏の徳意は大道を成す
◆ 跋・讃賀 ◆
跋     一
大道は徳をもって衆生を覆う
人々が世の中で生活するために依り所とするものは、人道の生存に対して相互に成長をもたらし、人と人との間の「綱常、倫理、道德」のよりどころを成就へと導きます。これにより、有情の衆生の生存の方向性はより大きく向上することができ、まさに　上天が人道世界に徳の恵みを施し、新たな三綱・五常・四維・八徳によって構築されるものを成就させるのです。
特に古来の三綱を修正・改善し、倫理規範を完成させることで、有情の衆生の生活過程においてさらなる向上が可能となる。この人道世界の生存準則は、21世紀から30世紀までの千年間に適用され、有情の衆生が規範に従い、この世において実践するための指針を提供するものである。
綱常倫理は規範である
人々の世は綱常倫理の規範によって、人間の生存に組み込まれ、人道世界の未来の生活を大きく向上させることができます。皆さん、この30年間をよく観察してみてください。人類の衆生は
生活様式は大きく向上し、言うなれば、炎黄の子孫としての帰属感がより強くなり、人々の
世間の日常生活は、利便性、快適性、普及性を高める方向へと調整されています。
すなわち、人道世界はより大きな完成を成し遂げるべきであり、さらに上天が古来の三綱・五常・四維・八徳の規範を再び整え、新たな条綱を人道世界に施行される。人的要因によって、より大きな『人倫道徳規範』の成就を可能とし、いずれも『人倫綱常の準則』に背くことはない。
跋之完成因緣
まさに、上天の慈悲は有情衆生が向上し超越する因縁の根本であり、また崇心宗脈の体系に対し、さらに進化した高次元の境地への成長をもたらすものである。これは未来の有情衆生がより大きな恩恵に浴し、すべての人類衆生が利益を得て、善良な成長と向上・超越を遂げられるようにするものであり、大いに称賛に値する。
一冊の書が完成するまでには、すべての著作に携わった仙仏の先生方が千里の雲路を越え、苦労を厭わず降臨して著作をなされた。このような殊勝な因縁と条件が、崇心宗脈の聖仏と学生たちが共に集い、大道シリーズ叢書第二十七冊『大道倫理』をすべて完成させたことに合わさり、まことに賞賛に値し、励みとなり、喜び祝うべきことである。
南海古佛　降跋一於
儒宗聖教　真仏心宗　無極大道院　懿勅崇心堂
己丑年菊月初三、戌の刻
よろしい、崇心が再び上蒼の職責使命たる天機良縁を成し遂げ、未来の有情衆生が依循する指標となったことを恭賀いたします。崇心宗脈にしばらくお邪魔いたしましたが、皆様、またお会いしましょう！
南屏道済古仏
南屏は衆原霊を成就し　道済は弘化の徳意新たなり
跋     二
大道の所有する弘大な展開
有情なる衆生が現代において、互いに助け合い、互いに高め合うことができ、人類の生存の質が向上していることは、ここ数十年の科学技術文明を見れば明らかであり、人道世界の生存に大きな変化をもたらしています。これはまさに、人道世界の生存の方向性として必要な生活の成長なのです。
天地の徳沢を経て、人類衆生の生活が開かれ、今や科学技術文明の時代に入りました。すべての人類衆生の生存は大きく変わり、さらに大きな成長と向上を遂げています。人間社会における科学技術文明を知る必要があると同時に、有情衆生の心の構築に対しても、より大きな超越が求められるのです。
ただずっと受け入れがたい状況に留まるのではなく、心を静めて自らの心を高め成長させ、超越していくことが必要です。『古代の経典』と現代の『天音伝播』は互いに補完し合い、大きな利益をもたらすものです。これはまさに現代において最も優れた奇跡の書であり、未来において、ありのままに衆生に利益をもたらすでしょう。
人類の倫理規範
人為的要因を人倫道徳規範の中に取り入れることは、管理規則によって完成を図り、また有情の衆生が現在の時空因縁の中で、より大きな受益の空間に入ることができるようにすることである。観ることができる：古代と現代は相互に補完し合うものであり、また人類衆生の『心の構築と自心の浄化』を高めるものである。
肉体により大きな利益を得ることができるならば、このような「身体、心、霊」の三者が受ける利益は、有情衆生が人道世界において成就を遂げるために、まさに人間の要素によって決まります。充足しているか不足しているかの区別については、この時空の中で、人間の行いがこの時空の因縁に入り成長することを知る必要があります。
跋二之賀頌
これはまた、有情の衆生が天機の示現を理解できず、同時に障害や悩みの原因を知ることが難しいことでもあります。いかなる宗教の流派も、崇心宗脈のような天機の良縁を持つことは稀なのです！これはまさに　上蒼が大いなる天機の職志を授け、下界の凡塵世界に降ろされ、数多くの仙仏の先生方によって教え導かれることなのです。
さらに、主事者が堅固な志と不屈の精神を持ってこそ、補佐役をまとめ上げることができ、また上天の職務と使命をより広く発展させ、向上させることができる。これらは必ず、堅固な志の試練と検証を通じて初めて、その『心構え、観念、対応、知恵、行動』がどのようなものであるかを知ることができる。このような職務と使命を持ち、堅固な志と不屈の精神を保つことができることは、まさに称賛に値することである。
上蒼の天書が人界に下化されることとなったのは、理由なくしてのことではない。同時に、崇心宗脈の体系が集結し、すべての聖仏と学生が心を一つにして、この『大道系列天書』を完成させた。一冊また一冊と著作されるこれらは、人界の規範となるべき基準なのである。
南屏道濟古佛　降跋二於
儒宗聖教
真仏心宗
無極大道院
懿勅崇心堂
己丑年菊月初三、戌の刻
あらまあ、老僧また参りました。本日はあいにく時間が取れず、またの機会に改めてお伺いいたします。崇心において次なる天書著作の規制についてご相談させていただきたく存じます。皆様お疲れ様でございます。どうかすべてが吉祥でありますように！
南無虚空因縁来　　上徳人天古仏排
大道倫理讚跋
有情なる衆生が人道世界で生活する過程において、人々の生存が依存するすべてのものの中で、一人ひとりが倫理道徳の規範において、存在する拠り所とは何であるかを理解できるだろうか？このような昔の綱常倫理を現代の時代に取り入れることは、おそらく多くの有情衆生にとって、人倫道徳の規制が何であるかを理解することができないのではないだろうか？
まさに、いかなる国や宗教、団体、組織、家庭の違いも区別せず、より大きな成就をもたらすのである。すべての世間の行為規範のうち、一部はすでに現代の時代の要請に合わなくなっているが、上天より天命が崇心に下され、これらの現代の時代に合わない規制を改めて修正することとなった。
このような規範を改めて制定し修正することは、有情の衆生が共に遵守し、人倫道徳の規範を越えることなく、生活の中で倫理綱常に依拠できるようにするためである。また、業を造り無明の障害を減らし、未来と現在の有情衆生がこの時空の因縁に入るにあたり、修正と変更の根拠とするためである。
綱常倫理と道徳規範
言うことができる：古来の倫理規範を越えることなく、新たな規範を従うべき指針とする。人間社会はこのようなものであり、綱常倫理を応用して相互に結びつけ、このような思考と行動を人道世界のよりどころとする。さらに、上天は『大道系列天書』を、未来の『崇心人文科技大学』の主要な縁として定められた。
すでに未来に『弥勒浄土内院の総体精華』に入ろうとする全ての内容を、大道シリーズの天書の中に下ろし伝えました。これは現代の人類衆生にとって、より大きな道徳倫理の規制を普及させ、向上させるためです。これは一つの時空、一つの因縁、一つの天機、一つの徳沢であり、また崇心体系が堅固な志と毅力を持つことができる所以でもあります。
大道倫理跋三贊勉
崇心宗脈は、上蒼が命じられた大道宗脈であり、決して一般の宗教と比べられるものではありません。人道世界のあらゆる宗教が互いに観察し合うとき、このような重んじられる理由が理解できるでしょう。上蒼が崇心宗脈を偏愛しているのではなく、むしろすべての崇心仙仏と学生たちの堅固な志とたゆまぬ努力が、この天機の良縁を成し遂げたのです。
至上なる天は、度重なる審査において特に優れた成績を収められました。いかなる妥協もなく、大道シリーズの天書を冊ごとに期日通り完成させることができました。これは天下の宗教の中で最も厳しい審査を集大成した成果であり、至上なる天の栄誉であり、仙仏の栄誉であり、崇心の栄誉であり、さらに有情衆生の栄誉でもあります。これらはすべて人道世界の中に広く伝えられていくのです。
『大道先鋒部隊』の弘揚と拡大こそ、崇心が輝かしい一頁を記したものであり、人類衆生への福徳は限りなく、また諸仙仏が有情衆生を導き渡し、回帰・超越・円満・乗越へと前進させることとなり、まさに慶賀と賞賛に値するものである。
南無虚空　上徳人天古仏虚空上人　降りて跋を三たび讃め勉む
儒教の聖なる教え
真の仏教の心髄
無極大道院
懿勅崇心堂
己丑年菊月初三日、戌の刻
ああ、また一冊の天書の終章を迎え、これはすべての敬虔な神仏と学徒たちの努力、揺るぎない意志と忍耐力が成し遂げたものです。喜ばしく、祝うべきことです！
南無、衆生は皆如来なり　燃燈の心法を崇め、心を排す
古仏共に筆の因を理め　  　遠き昔より仙仏降臨し載す
凡　　例
一、大道とは：有情の衆生が持つ生活の指向であり、人道生活の相互補助があり、大道に対して自然に行使するもので、これが有情の衆生にとって最も理解しがたい障礙である。人為的に学び成長することは、一つの経験の蓄積による成就であり、学び成長した後に初めて真の利益と収穫を得ることができるのである。
二、大道とは：天地万物の衆生に対して、人道において生存し、万物を以て霊長とするのが人類である！このような人類の生活には、多くの無明の障礙があり、またなぜこの人世に来たのか理解し難く、さらになぜ生活を志向しなければならないのか？このような成長はどのようなものか？人と人との間には、必ず親情や倫理の規制がある。
三、大道とは：特に現代の衆生はこれらの規範を理解してはいるものの、従うことが難しく、より大きな円満を得ることができない。そのため、しばしば家族の情愛や倫理が円満に成就されず、かえって自らがより大きな収穫を得ることを妨げている。このような人道世界における生存の障壁は、より大きな成長と利益を得るための変革を阻んでいるのである。
四、倫理について：綱常は互いに連携し合い、人倫道徳規範を高めるものである。人は禽獣と異なる点がわずかしかないが、それは人間に思想の余地があり、人倫道徳を実践できるからである。もし人倫道徳規範を持たなければ、ただ禽獣の皮を被っているに過ぎない。来世にはまるで四足の禽獣のようになるだろう。なぜなら、禽獣でさえも従うべき道徳規範があるからである。
五、倫理：有情なる衆生が人道世界において互いに倫理綱領を実践し合うことは、まさに上天の徳沢が人道世界に下って規範となり、未来の衆生により大きな利益と家庭の幸福円満をもたらすものである。このような利益こそ、人類衆生の生存に必要不可欠なものであり、そのまま生存の中に下ろされているのである。
六、大道倫理：これは家庭生活における夫婦の情誼、姑と嫁の間柄、嫁同士の和合、兄弟姉妹の関係について述べたものであり、世の中のすべての家庭の幸福と円満を創造し、また問題や障害を解消するものである。この道理は『大道因果、大道綱常、大道倫理』という三つの天書に詳しく述べられており、無明の障害を取り除くものである。
七、大道倫理：現代の衆生の無明に対し、家庭円満を創造する原動力となるものは、まさに上蒼の衆生福祉への慈悲による創造であり、また崇心宗脈が上蒼より賜った職志を完遂することにあります。この天機を人道世界に下ろし、人倫道徳の規範を完成させ、人類衆生が共に遵守すべきものを提供するのです。
八、大道倫理の条綱は明らかである：これは『大道倫理、大道綱常、大道因果』という三部の天書に記された根本的な原義である。なぜ人間の世にこのような倫理、綱常、因果の分析が必要なのかというと、衆生がしばしば「自分が喜べば、何をしても構わない」と考えがちだからである。
九、もちろんです！他人の権利と利益を侵害しない限り、そもそも何らかの因縁果報が生じることはありません。ただ、すでに他人の権益や家庭を侵害し、人倫道徳の規範に従うことができず、悪しき模範となってしまった場合、それを人類衆生と呼べるでしょうか？否です！これでは倫理の常道が保たれにくくなってしまいます。
十、大道倫理の完備した書：これは上蒼の慈悲の徳沢が下って人道世界を化し、著作、助印、配布、解説、普及、導引、弘揚の区別なく、各人が払った努力が集まって大道弘化の殊勝な因縁となるものである。これは上蒼が人道世界に対し、真に道徳規範を高めて成長させるものである。
十一、また各人が払った努力に応じて、功績を表彰し、心血を注いだすべての人々に対して、互いに完璧を補い合って成就させます。今や大道倫理を公布し世に伝えることが完成し、人類衆生に対してこの世に如実に施行するにあたり、真に円満な家庭の必要性が必ず生じます。これが基本的な条綱となります。
南無燃燈古仏　凡例を降ろす
儒宗聖教　真仏心宗　無極大道院　懿敕崇心堂
己丑年菊月初三日、戌の刻
またもや完書の良き時節を迎え、大道倫理跋文と凡例の著作が良縁を結びました。崇心宗脈の今後の弘化にとって、より大きな助けとなるでしょう。次回は堂前に香案を設け、大道シリーズ第二十七冊『大道倫理』の完書を旨に奉り、早期に準備を整えます。
2015年3月8日22時03分◎＃※   完了；
懿勅崇心堂大主席　南天主宰文衡聖帝
懿勅崇心大主席　　南天主宰文衡帝
大道の倫理は書の旨を完うし　  　弘く展べ広めて有情の意を推す
◆ 旨 ◆
完書繳旨
諸聖仏及び諸賢生、並びに無極大道学院の院修学士の皆様、今晩は。本日は大道シリーズ天書第二十七冊の完書奉告の日であり、誠に崇心にとってこの上ない慶賀の時であります。これはまさに、全ての神人たちが堅固な志を持って上蒼の職志を成し遂げた結果であり、未来の人類衆生にとって真の綱常倫理が確立され、また有情衆生の向上に徳沢がもたらされることとなりました。
今日良き時辰至れり、命じて本宗脈の　虚空御伝天尊、　虚空落筆天尊、　虚空道伝徳天尊を三十里の外に派遣し、恭しく無極懿旨を堂に迎え来たらしむ。命じて本宗脈の　虚空彩霊仙姑、　虚空彩霞仙姑、　虚空彩虹仙姑を二十里の外に派遣し、恭しく無極懿旨を迎えしむ。その余の神人と無極大道院の院修学士らは班を列ねて駕を待ち、儀を失うことなかれ。
無極の御前  麻仙姑
無極の御前に侍して皇母に仕え
崇心の副座に麻仙姑
大道倫理天書冊　完書繳旨德意顧
謹んで無極の懿旨を帯びて本宗脈に帰降し宣読す。神人ともに俯伏す。
懿旨開讀
謹んで承る
無極皇母大天尊  懿旨に曰く
母は理天の勝境に住まわれ、南贍部洲のすべての人倫道徳、綱常倫理の規範に対して相互に完全なものとされました。これはまさに五千有余年を経て、初めて人道世界において再び修訂調整が行われたものであり、現在の二十一世紀から未来の三十世紀に至るまでの人類衆生にとって、道徳規範へのより大きな向上が可能となるものです。
これは、天界が五教共同会議で決定したことであり、有情の衆生が人間界において実行すべきものです：三綱五常、四維八徳、特に『新三綱』については改めて調整を加え、現代の有情衆生が人倫規範において相互に従うべき必要性に必ずや適合するようにしなければなりません。
今や『大道有情、衆生因果は、綱常と倫理を用いて従うべし』という五部の天書の著作をすべて完成させた後は、必ずや人類世界の道徳綱常倫理の応用に依り、これを高めて多くの子らを利益せしめ、良き善き家庭生活の条綱を得るに至ってこそ、真の道と言えよう。
母は心から大いに慰められました。懿勅崇心宗脈は丙子年に堂を建立して以来、ずっと大道シリーズの天書を著作し続け、今や大道シリーズ第二十七冊『大道倫理完書』を完成させて天命に応えました。これはまことに母の心を大いに慰めるものです。特に崇心のすべての神仏のご指導は大変ご苦労が多く、教化は非常に顕著で、功績は極めて大きいものでした。
これは、上蒼がより多くの機会をもって、全ての霊児の『心性、霊性、道徳』という三つの要素の向上と超越を成就させることであり、理にかなって崇心の神仏の功績を三等加算して賞するべきである。また、崇心の全ての学生の功績を天榜に銘記し、未来の全ての宗教の模範とするとともに、麻仙姑に命じて無極の瓊漿三壺を携えさせた。
崇心堂の茶席に加わるにあたり、二部は崇心の全ての仙仏に、一部は崇心の全ての霊子たちに与え、上蒼の職務に対する犠牲と奉献を労う。このような殊勝な因縁条件は、母の心を大いに慰めるに足り、未来の弘化と普及を大いに成就させ、必ずや良き効果と利益を人世にもたらすであろう。
無極皇母大天尊、懿旨を下される
儒教の聖なる教え
真の仏教の心髄
無極大道院
懿勅崇心堂
己丑年菊月初六日、戌の刻
よし！崇心のすべての仙仏に祝賀を申し上げる。またもや天恩を賜り、無極瓊漿を授かり、皆様のさらなるご成長につながることを喜ばしく思う。師として急ぎ無極に戻りご復命を果たし、しばらくしてから崇心宗脈に再び戻ることにしよう。皆様、またお会いしましょう！
懿勅崇心堂正主席　虚空上人
虚空より崇心堂に降り来たり　上人登台し道洋を賀す
大道の倫理は書の趣旨を完うし
再び励みを重ねて天の賞に感謝す
本日は崇心宗脈が再び上蒼のご意思を奉じ、大道シリーズ第二十七冊『大道倫理』を完書し、ご報告を申し上げる日であります。すべての良縁善因に向けて、このような殊勝な条件を以て成長と普及を達成するため、先ほど無極懿旨を恭しくお受けし、引き続き昊天玉詔を拝受いたしました。
命ずるに、本宗脈の無極普賢菩薩、無極大勢至菩薩、無極註生娘娘をして二十里の外にて恭しく昊天玉詔を迎え、堂に来たりて頒示せしむ。さらに命ずるに、本宗脈の無極城隍帝君、無極司命真君、無極広沢尊王をして十里の外にて恭しく昊天玉詔を迎え、堂に来たりて頒示せしむ。その余の神人及び無極大道院、院修学士らは列を整えて駕を待ち、儀を失うことなかれ。
欽差大臣　李太白仙翁
昊天の勅使降臨す　李太白仙翁の徳愛
謹んで玉帝の降された崇高なる心を奉じ、
大道の倫理を完備し書を編む。
謹んで奉る。昊天より玉詔降り来たり、崇心に頒示する。再び甚だ欣慰を感じる。かくの如き功勳有るは、人世間に於いて第一の成績と為し、賀すべきなり。神人俯伏す。
玉旨開読
謹んで奉る
昊天玉皇大天尊　玄霊高上帝の玉旨に曰く
朕は九五の尊位にあり、南贍部洲の中華の地において炎黄の子孫が、人類の三綱五常・四維八徳を実践する様子を観るに、現代に至るまでに既に一部が人道世界の規範に合わず、これもまた世の中で綱常倫理に従うことができない原因であり、それによって多くの断絶が生じ、人倫道徳が真に実践されていないのである。
まさにこの世の中では、悪業が絶えず造られ、真に清らかな行いが難しい状況です。なぜ現代において「人は倫理に従わず、天は暦に従わない」というような悪しき風潮が蔓延っているのかといえば、それは有情の衆生の罪悪がすでに満ちあふれているからです。そのため、五教の聖人が新たに定め直し、中土の古来の三綱・五常・四維・八徳を再び規範として整えられたのです。
また、一部の不適切な部分は現代の規範に合わないため、今ではこれらすべてを完成させました。言えることは、大道有情の衆生の因果に対しては、綱常倫理をもって施行することでこそ、世の中のあらゆる災難を救うことができ、さらに世の中の不足や悪しき習慣を改め、人類に利益をもたらすことができるのです。
朕が観るに、台湾桃園の懿敕崇心堂は、常に大道シリーズの天書を著作することができ、毎回 上蒼の求められる期限に従い、一度として少しも漏らすことなく、今や大道シリーズ第二十七冊『大道倫理』の完書を以て御旨に応え奉った。誠に嘉すべきこと、賀すべきことである。
朕の心は大いに喜ばしい。崇心の神仏の功績を三等特進して褒賞し、崇心の全ての学生には一人につき一千の大功を賜る。その他は全て天榜に記録して公平を明らかにする。これは崇心宗脈の全ての仙仏の功労に対するものであり、まさに天地の演繹する徳沢を透徹して見極め得るものとなろう！これは正に全ての人類衆生の幸福と徳沢を利益するものである。
大道シリーズ    自己を成就し　衆生を引渡す
昊天玉皇大天尊　玄霊高上帝　玉旨を頒示し給う
儒宗聖教　真仏心宗　無極大道院　懿勅崇心堂
己丑年菊月初六日、戌の刻
ああ！ 我が老仙がまた崇心に参り、再び昊天の玉旨を下賜する。崇心の未来の功績が非常に大きく、また上蒼より大道の棟梁たる宗脈として任命されたことを実感する。すべての神人も心を一つにし、上蒼のため、自身のため、衆生のために、更なる向上と成就を得られるよう努めねばならぬ。老仙は急ぎ昊天に戻り旨を復命し、またの機会にご挨拶に参ろう。では皆、また会おう。
懿勅崇心堂主席　虚空文澤教化天尊
虚空の徳は心堂を崇め　主席文衡聖帝の御姿
大道の倫理は完全に書を収め、さらに励みを重ねて功勳を揚げる
大道倫理は本日、ついに全ての執筆を終え、天の御心に奉げることができました。すべての神仏と学生たちは、未来の大道天書に対して、真理の著作の中で一つ一つ示現してくれるでしょう。これもすでに十三年間待ち望んでいたことです。すべての大道聖務に対して真に弘揚すべきであり、これは上蒼の願いでもあり、皆が成し遂げるべきことなのですから、当然のことですよ！
母娘の恩賜の功績はすべて天榜に銘記されている。先ほど母娘が恩賜くださった瓊漿を、生徒一人一人が少しずつ持ち帰るが、欲張りすぎてはならない。わかるか？また玉帝よりすべての生徒に一人千功勳ずつ頒賜されるが、これは全出席者を基準とし、三分の一に満たない者は半減、その他はこれに準ずる。
諸賢生は、この功績をもって満足し、得意になってはいけません。そうすればすぐに局面を整えられ、必ず謙虚な態度で皆に「智慧と福徳財運」を加えていただく必要があります。皆様には謙虚な姿勢で、より大きな福縁を迎え、悪い気運を変えられるよう願っております。
下冊天書は大道系列第二十八冊であり、今月十七日火曜日に堂前において再び無極懿旨と昊天玉詔を恭しくお受けいたします。すべての学生の皆様には早めにご準備いただき、本日のような慌ただしい状況とならぬようお願い申し上げます。明日は十三年繳書法会と懺悔法会を共同で開催いたします。今回の効果が良好であるかどうかも拝見し、来年の法会の参考とさせていただきます。皆様とともに努力してまいりましょう！
2015年、3月8日、22時06分◎＃※  了解。
大道倫理の編集可能な完全版