大道シリーズ叢書 第2冊『大道天書』
日本語版
◆ 前置・序 ◆
<div class="text-block">大道系列天書第二冊——『大道天徳（大道天德）³⁸』、人類衆生のすべての良善なる生存に對し、日常の生活に依附しつ</div>
<div class="text-block">つ、生存の取向より一切「唯心所識」の必要性を了知し、一つ一つの動作に「心念意識」の相互結合を要するものであ</div>
<div class="text-block">り、また人類のすべてに必要なる接續であります。</div>
<div class="text-block">『大道天徳』——日々のすべての接續動作を順序正しく、日常の「眼耳鼻舌身意」の起動を通じ、「色聲香味觸法」によ</div>
<div class="text-block">りて明白となり、人類衆生のすべての「新唯識學」の理諦、人世間より平常の生活に入りていかにあるべきかを明らかに</div>
<div class="text-block">する。これすなわち人類の生存であります。</div>
<div class="text-block">全體『大道天徳』の目錄——緣由より人間に初生が形成された後、さらに發心無爲（無為）³⁹すれば、創造（創造）⁴⁰と</div>
<div class="text-block">開創によりて演化（演化）⁴¹および進化（進化）⁴²に至り、無常（無常）⁴³の変化（變化）⁴⁴の流程に對し、相対（相</div>
<div class="text-block">對）⁴⁶と平衡（平衡）⁴⁷の中を經て、日常における「眼は色を觀、耳は聲を聽、鼻は香を聞、舌は味を嚐、身は觸覺を</div>
<div class="text-block">動、意は萬法を起す」を明らかにする。</div>
<div class="text-block">人類衆生のすべての「第七：末那識（末那識）²⁹、第八：阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸、第九：菴摩羅識（菴摩羅識）⁵¹」、</div>
<div class="text-block">四大（四大）⁴⁸の仮合（假合）⁴⁹によりて成住壊空（成住壞空）⁵⁰に變化し、まさに覺有情（覺有情）⁵⁸菩薩と衆生、さ</div>
<div class="text-block">らに六度万行（六度萬行）⁵⁹——布施・持戒・忍辱・精進・禪定・智慧、大乗（大乘）⁶⁰菩薩行を生じ、眞如（真如）⁶¹</div>
<div class="text-block">と仏性（佛性）¹¹に至る。</div>
<div class="text-block">この種の因緣條件について、すべての人類衆生の日常生活において、各人が良好なる生存を必要とする。しかし、各人の</div>
<div class="text-block">日常の用意名稱を知らず、全體の接續がいかにあるかを根本的に了知しない。ゆえにいかなる宗教を信仰するとも大きな</div>
<div class="text-block">落差があり、人世間に落實できないのであります。</div>
<div class="text-block">浩瀚なる宇宙天地の成因、無極未動の初、萬物 皆 藏し、無の中にすでに「含因（含因）⁶³」成り、因緣 未だ熟せずば萬</div>
<div class="text-block">物 成り難し。また一切の原動の中にすでに成因あり、ただ緣を待ちて發する。その緣 未だ至らざる時、すべての作為に</div>
<div class="text-block">ついて達成し難し。期至りて萬物 初動し、無極より太極に降り、一切の初生 そもそも起動あるによりてである。</div>
<div class="text-block">太極 動きて兩儀を分かつ、かくて一より二に、さらに四に分かつ。陰陽（陰陽）⁴⁵天地の初始 これより起こる。人世間</div>
<div class="text-block">陰陽あるによりて男女を分かち、兩性の成因 時に更迭し、兩性の分別において、交合によりて後代を傳延し生生不息。</div>
<div class="text-block">また原始の初動、初生においてその原性 純潔にして瑕疵なし。</div>
<div class="text-block">初生の念 善惡を分たず、初動の念に在りて、先天の原性を具す。原性 動きて善惡を分かち、學習教化と經驗において、</div>
<div class="text-block">人類衆生の所爲を累積し、應該と不應該、應爲と不應爲の中、教育と學習、前人の承先啟後する所 敎導すること利益多</div>
<div class="text-block">きものであります。</div>
<div class="text-block">人類蒼生 學習と教育の治理條件の下に、自己の生存を束縛し、また規範する所 もし當時の治理條件にのみ適合すれば、</div>
<div class="text-block">回返の基礎に適應し得ず。かくて治理の道によりて、生のために福祉を謀るべきであります​然らずば！ただ治理のために</div>
<div class="text-block">規範するのみにて、すでに先天に回返する條件となり難し。</div>
<div class="text-block">修持（修持）¹²において、蒼生 宗教に入り、前人の引導を承け初めて道場に入る。その原始本性 皆 善惡の念なく、また</div>
<div class="text-block">平常心において行持し、この時の心念 最も純潔無瑕、甚だしくは完美無缺である。宗教に入れば必ず治理の規範と條件</div>
<div class="text-block">あり、いかになすべきや？またいかになすべからざるや？</div>
<div class="text-block">無常の変化：人類が世上に生活するについて、時刻不停に時空旋轉し、時空の流程に諸多の變化あり。各環節の轉換につ</div>
<div class="text-block">いて、人人 皆「陰陽相互對立」に處し、かくて一切を成就し、人すなわち對立の中において因緣を成就し、未來の好壞</div>
<div class="text-block">を區分するのであります。</div>
<div class="text-block">ある時 一つの事務 來臨し、惡（壞）果と見ゆるも、人類の作爲の中に於て、もし善德の心をもて行使と造就をなし、ま</div>
<div class="text-block">た感恩の心をもて完成すれば、惡（壞）果 來臨するも、後果 かえって相反する善緣（果）を得る。ある時は善（好）因</div>
<div class="text-block">と見ゆるも、また人類の作爲に大いなる變化あるものであります。</div>
<div class="text-block">世人 皆 超吉避凶の本能あり、善きを喜び吉祥をえがみ、惡を棄て禍を避く。これ人 本能（經驗）すでに如此の觀念を具</div>
<div class="text-block">備し、甚だしくはこの觀念 根深くして拔くべからざる。ある時 もし惡運凶禍 來臨する時、必ず解厄の方法を求取し、平</div>
<div class="text-block">日に善德功果を積む者は、早日 苦厄を脫離し得る。</div>
<div class="text-block">もし善德の因緣なく、また事理を明かさざるを加えば、必ず迷茫として措くる所を知らず、すなわち心急に亂投醫する現</div>
<div class="text-block">象を造成し、ひいては一連串の苦厄 身心を磨するを引發し、また一椿一椿の考磨、ある時 まさに自己の「頑冥固化」 體</div>
<div class="text-block">悟し難きによりて導かれ、考程を受けて退志を生ずる。</div>
<div class="text-block">好因 好緣を成し、壞因 壞緣を成し、好因 壞緣を成し、壞因 好緣を成す等、不同の分別をもて成就する。これは人の作</div>
<div class="text-block">爲の中にありて、いかに善德の因緣を造就完成すべきや？方法 必ず多く宗教に親近し、および善德の智識と前賢の薰</div>
<div class="text-block">習、開導を與うるもしくは諸天の仙仏（仙佛）²⁰の加持普照を蒙るべきである。</div>
<div class="text-block">理心光明禪師　題す 『大道天徳』天書再版に際して 丁酉中元、2017年8月</div>
<div class="text-block">人間の過程：すなわち草木の一春のごとく、最後 落葉枝枯し、終に凋萎して沒す。かくてすでに枯木となり、さらに蟲</div>
<div class="text-block">蟻の侵蝕を受け、落地歸根す。その間「地水火風」四大の仮合の助力を經て、芽より枝に、幹より枯れ、滅に至る。出生</div>
<div class="text-block">より長大、壯に至るまで皆如此である！</div>
<div class="text-block">いかにより眞に自己のために作爲する機會を得るや？眞に渺小にして短暫、皆 眾人のために忙碌するのみ、自己のため</div>
<div class="text-block">に後々 道路を鋪くこと 能くする者 實に容易ならず。衆生 皆 宗教の修持に入るを好む。もし人類の本質として ただ修持</div>
<div class="text-block">のために修持するならば、必ず今生を了脫し難く、自然に仏性の本質を彰顯し得ない。</div>
<div class="text-block">人の初 性 本 善、仏性の中には善と惡を具せず、ただ如如不動、眞如無垢なるのみ。人の善惡、喜好に影響されず、眞如</div>
<div class="text-block">本性の彰顯、必ず自己 精進して般若波羅蜜多（般若波羅蜜多）⁷²の大智慧の提昇に用心して、初めて彼岸に達し得る。第</div>
<div class="text-block">九「菴摩羅識」に入り得るや否や？一定しない！</div>
<div class="text-block">人間 すなわち含因改造界である。前世の所作所爲 知り得ず、ただ今生の受報のみ。前世 未明 無知に加えて、すでに過</div>
<div class="text-block">去のこと、逝者 掛懷するに及ばず。今世 有生の年に掌握し、不良の前因を斷除して改造し得るや？阿頼耶識の轉換によ</div>
<div class="text-block">りて、初めて來世 自己の未來のために道を鋪き得る！</div>
<div class="text-block">菴摩羅識：また阿摩羅識と称し、仏性においては眞如本識、これ無垢識である。本識の前導する所によりて、まさに本識</div>
<div class="text-block">より彰顯し、必ず內境の第九識の中に入り得る。仏性の本質を彰顯せんと欲すれば、必ず第九「菴摩羅識」に入らざるべ</div>
<div class="text-block">からず——これ正しきである！</div>
<div class="text-block">第九「菴摩羅識」の儲藏、この重分別 人類の八識田中に對し、すなわち「毘盧性海（昆盧性海）⁷³」の種子因である。も</div>
<div class="text-block">し第八識の上に、三心（三心）⁶⁴：阿頼耶識の貯藏にあらば、ただ貯藏するのみ 待緣に過ぎず、第七識末那識を經過する</div>
<div class="text-block">によりて、必ず眞如の本性の彰顯に入り難い。</div>
<div class="text-block">六波羅蜜の六度万行、實際の「萬法實行」「萬緣皆通」の過程をもて、上求下化の資糧とする。また眞の「無我眞如」と</div>
<div class="text-block">「法性眞如」の兩者 相逆せず。仏性 必ず「仏性と眞如」に依持する——これ一體兩面、また兩者 皆是である。</div>
<div class="text-block">眞如：まさに人類衆生の原本の具足、彰顯せずとも具有する。衆生 現世の環境に蒙蔽され、仏性より彰顯し得ず、宗教</div>
<div class="text-block">に入りては自性を既往に回溯し、また原來の本性に回歸し得る。人類衆生 また五蘊に阻礙される、しかし五蘊は仏性眞</div>
<div class="text-block">如を成就彰顯する要件である。</div>
<div class="text-block">眞如仏性無垢、清淨にして無爲。人間に生活に落實し、もし外塵境の染著を經ずば、何ぞ智慧を開展する本質のあらん</div>
<div class="text-block">や？人世間 波折受難、困苦橫厄……重重の不如意の集成を經て、此生 まさに前世の生命改造界、人間において一切の困</div>
<div class="text-block">厄の阻擋を經歷する。</div>
<div class="text-block">眞如 また仏性と称す。菩薩 必ず十行・十住・十地（十地）⁸²・十願・十智を通過し、十階段の作為の中にあって、菩薩</div>
<div class="text-block">必ず大願力・大智慧・大悲心・大慈性・大福德の集合を具すべきであります​また「大願力」「大慈悲」の開展に對し、初</div>
<div class="text-block">めて十地の行持において彼岸に到達し得る。</div>
<div class="text-block">大悟澈大智、中悟澈中智、小悟澈小智、衆生 每日 皆 開悟の過程に在りて自知せず。實則 開悟の分別、いかでか實際に</div>
<div class="text-block">體證し、智慧を累積するや？仏性眞如の要件の彰顯を通過し得るには、必ず實際の作為ありて、ただの道聽塗說、もしく</div>
<div class="text-block">は經典書本より來るに非ざるべきであります​</div>
<div class="text-block">これら なお現世の實際經驗の應用を通過するに足らず、實際の修持 自己を成就し得るや。「金剛經を註解する者、金剛</div>
<div class="text-block">經を講解する者、金剛經を聽聞する者、金剛經を實行する者」何人か佛と成り得るや？諸君 いかが謂うや？實を言えば</div>
<div class="text-block">——ただ「實行者」のみ 能く「佛」と成り得るのみである！</div>
<div class="text-block">仏菩薩は種種の因緣和合を通過し、守中（守中）⁷⁷の本質を累積す。この間 もし分別對待心なければ、初めて三界（三</div>
<div class="text-block">界）²⁴の因緣困擾を跳脫し得る。人類衆生 了脫し得るや否や、ただ自己の作為を能くする中にあり、まさに「智慧と福</div>
<div class="text-block">德」を通過して、福慧双修（福慧雙修）³⁷あり得る。この種の「陰徳（陰德）³⁵性」初めて長遠であります。</div>
<div class="text-block">仏性に對しても、時時 赤子の心を保持せねば、眞に長久に仏性を如實 開展し得ず。必ず時時不斷、時斷時續に非ずし</div>
<div class="text-block">て、初めて眞如の境地に立ち得る。人世間には諸多の覺有情菩薩の作為あり、これをもて周遭の人・事・物を渡化し、提</div>
<div class="text-block">昇超越を促成する——これ必要性である！</div>
<div class="text-block">眞如仏性の擴展：實地の了脫に在りて、未來もしくは歿度の後の開展を寄望するに非ず。實地の經驗を通過して、當下</div>
<div class="text-block">すなわち仏性を彰顯し得て、初めて「覺有情」「顯仏性」「彰眞如」に入り得る。ゆえに世人「用心」あればすなわち成</div>
<div class="text-block">就し、仏菩薩と衆生の分別 すなわちこれに在り。</div>
<div class="text-block">理心光明禪師　題す 大道系列第二冊再版に際して 丁酉中元、2017年08月</div>
<div class="text-block">行善主席　北極玄天上帝</div>
<div class="text-block">1993年9月30日　癸酉年八月十五日(四)</div>
<div class="text-block">行善渡眾有成績 著書再接研正理 殊勝教化皆天命 神人共扶振道機</div>
<div class="text-block">書き下し文：行善 衆を渡して成績あり／著書 再び接ぎて正理を研す／殊勝の教化 皆 天命／神人 共に扶けて</div>
<div class="text-block">道機を振る</div>
<div class="text-block">現代語訳：善行をもて衆生を渡し、すでに實績あり／著書を再び受け繼ぎ、正理を研鑽せよ／殊勝なる教化、</div>
<div class="text-block">これ皆 天命なり／神人 共に扶けて、道の機を振興せよ</div>
<div class="text-block">接旨著作</div>
<div class="text-block">今夜 八月十五日 中秋月圓の佳辰、まさに本堂 天書の接著を榮膺するにあである、本堂福神を命派して十里外 接駕、本</div>
<div class="text-block">堂城隍を命派して五里外 接駕、其餘の神人 排班して候駕し、儀を失するべからず！</div>
<div class="text-block">無極駕前　九天玄女仙姑</div>
<div class="text-block">行善著書挽天機 天道無私自心憑 普化證道真理義 大道天德培根基</div>
<div class="text-block">書き下し文：行善 著書して天機を挽く／天道 無私 自心の憑／普化 證道 真理の義／大道天徳 根基を培う</div>
<div class="text-block">現代語訳：善行をもて著書し、天機を挽回せよ／天道は無私、自らの心を憑み所とせよ／普化と證道、これ真</div>
<div class="text-block">理の義なり／大道天徳 根基を培え</div>
<div class="text-block">欽奉 無極懿旨 降堂頒布、神人俯伏！</div>
<div class="text-block">懿旨開讀</div>
<div class="text-block">欽奉</div>
<div class="text-block">無極皇母大天尊　懿旨曰</div>
<div class="text-block">母 理天聖境に居し、心 九六の原兒 沉迷して歸らざるを繁り、母心 蘊藏して泣泣し、時に倚門盼望す。奈何せん 原靈兒</div>
<div class="text-block">歸らず、屢々聖仏を差して降凡し、原靈早日 回歸して共に母顏に聚ぜんことを欲す。</div>
<div class="text-block">今の世道を觀るに、人心 皆 功利主義に迷い、心性の修持を忘卻し、皆 回歸の途を了悟し難し。南瞻部洲 北台 桃園 行善</div>
<div class="text-block">堂を觀るに、諸神人 共に天命を效じ、普渡（普渡）² 衆生のために遺力なく、創堂より今日に至るまで すでに天書數部</div>
<div class="text-block">を著作し、皆 能く「大道」の恩澤「天徳」の彰顯を共普す。</div>
<div class="text-block">特に命ず——南屏道濟古佛 帶引理筆陳生、眞理をもて回歸の道を傳述し、書名曰く『大道天徳』一部、現今の修子が修</div>
<div class="text-block">持の瓶頸上の問題障礙を克服とし、心性の提昇彰顯、原始本靈への回歸の依據たるべきであります​母 行善の神人 矢志效</div>
<div class="text-block">勞 不懈不怠なるを觀る。</div>
<div class="text-block">この天書の著作を再び爾堂に榮膺せしめ、廣く宏效を收めんと期し、母心の期盼する所 毋負せよ。また行善の諸子 心向</div>
<div class="text-block">一致の誠に達し得る、母心 甚だ慰む。天書著作の命のほか、特に「智筆原靈觀察」を加え再び提昇し、兩堂の普化の效</div>
<div class="text-block">驗に符合せしめん。</div>
<div class="text-block">母意を負うことなかれ　欽哉 勿忽　叩首謝恩</div>
<div class="text-block">無極皇母　懿旨を頒示す 南天直轄道堂 桃園行善堂 天運癸酉年八月十五日戌時</div>
<div class="text-block">金闕內相　太白仙翁</div>
<div class="text-block">行善大道有榮光 理筆著作傳真諦 天德無私照心房 普化眾生兆吉祥</div>
<div class="text-block">書き下し文：行善 大道 榮光あり／理筆 著書して眞諦を傳う／天徳 無私 心房を照らす／普化 衆生 兆吉祥</div>
<div class="text-block">現代語訳：善行の大道に榮光あり／理筆 著書して眞理を傳えよ／天徳は無私にして心房を照らす／衆生を普</div>
<div class="text-block">化して、吉祥の兆しを示せ</div>
<div class="text-block">欽帶 玉詔降堂、神人俯伏！</div>
<div class="text-block">玉詔開讀</div>
<div class="text-block">欽奉</div>
<div class="text-block">玉皇大天尊　玄靈高上帝詔曰</div>
<div class="text-block">朕 九五至尊に居し、天・地・人三才（三才）⁷⁵の升降の權衡を掌り、五教（五教）⁹教導の責任を職司す。南天直轄道堂</div>
<div class="text-block">桃園行善堂を觀るに、爾等 普化 代天宣理、濟世靈療 廣く效應を收む。惟 爾堂 著作の方面においては 應加强し、教化推</div>
<div class="text-block">廣に利するべきであります​</div>
<div class="text-block">ゆえに命ず——南屏道濟古佛 主著、帶引理筆陳生 著書闡理 衆を渡し、三界高真 陪著し、天心德（德）¹⁸澤に符合せしめ</div>
<div class="text-block">ん。是故に書名 題して「大道天徳」、再び爾堂 接著作を命ず。ことに現今 宗教教派 極めて多く、皆 心性を闡述し難</div>
<div class="text-block">し。</div>
<div class="text-block">本書の著作、特に當今の時弊の束縛と解脫に針對し、修子にさらに精進を與え、無極回歸の信心を有せしめん。これ乃ち</div>
<div class="text-block">母娘の盼む所、ゆえに朕心 大いに悅び、特に玉旨一道を降し 帶往開讀せしむ。書成の日の論功行賞、天心德澤の施與を</div>
<div class="text-block">犒慰せん。</div>
<div class="text-block">朕意を負うことなかれ　欽哉 勿忽　叩首謝恩</div>
<div class="text-block">玉皇大天尊　玄靈高上帝　玉詔を降す 南天直轄道堂 桃園行善堂 天運癸酉年八月十五日戌時</div>
<div class="text-block">北極玄天上帝</div>
<div class="text-block">1993年10月2日　癸酉年八月十七日(六)</div>
<div class="text-block">北開大道渡迷痴 玄玄奧妙境無止 上德唯修本心至 降來行善作為序 極樂世界用心持 天道無私振心池 帝傳正理皆大智 勉勵</div>
<div class="text-block">諸子自性知</div>
<div class="text-block">書き下し文：北 開く 大道 迷痴を渡す／玄玄 奧妙 境止むことなし／上德 唯修 本心 至る／降來 行善 序と為す</div>
<div class="text-block">／極樂世界 用心持す／天道 無私 心池を振る／帝 傳う 正理 皆 大智／勉勵 諸子 自性知る</div>
<div class="text-block">現代語訳：北に大道を開き、迷い痴れる者を渡せ／玄玄たる奧妙、境涯に止みなし／上德はただ修むるのみ、</div>
<div class="text-block">本心至る／降り來たり行善に、序と為る／極樂世界 心を用いて持せ／天道は無私、心の池を振る／帝 正理を</div>
<div class="text-block">傳う、皆 大智／諸子を勉勵す、自性を知れ</div>
<div class="text-block">今夜 行善道場に降來し、『大道天徳』乙書の序を為す。行善道場 立堂より今日に至るまですでに數年、この期間 偶々</div>
<div class="text-block">降堂の聖訓のほか、諸子の言行・功過 亦 觀察・掌握・督導の中にあり、未來 重任大任を擔當し得るの依據とす。</div>
<div class="text-block">母娘 頒來したる『大道天徳』乙書、當今の宗教修子に提供す。修持の路途に諸多の困厄あり、これ己の所為にして知ら</div>
<div class="text-block">ざるもあり、上天の考磨 根基の必要性なるもあり。然而 無考不成器、考磨は上蒼の願に非ず、必ず考程を經て、個人修</div>
<div class="text-block">持の成效を彰顯すべきであります​</div>
<div class="text-block">考程：亦 人生の一部分を佔するのみ。この期間 最大の差性、すなわち自己の心（性）態・觀念 最も攸關す。また天書著</div>
<div class="text-block">作の緣由 亦 ここに在り、有情の諸仏子 能く自己の心性の彰顯を提昇せんことを期し、初めて天心德澤に符合し、原霊</div>
<div class="text-block">（原靈）²⁶の本位に回歸し得る。</div>
<div class="text-block">吾 亦 十分欣慰す。行善の諸子 能く一本虔誠の初衷、聖門の提昇開創 新契機、北台地區において標竿と棟樑となる。實</div>
<div class="text-block">に聖堂神仏の教導 有方であります。この初衷 變わらざるをもて 行道の根基とし、亦 諸子 皆 能く上蒼の負う使命を達成</div>
<div class="text-block">せんことを願う——序と為す！</div>
<div class="text-block">北極玄天上帝　序を降す 南天直轄道堂 桃園行善堂 天運癸酉年八月十七日戌時</div>
<div class="text-block">濟公活佛</div>
<div class="text-block">濟世利人皆自己 活看世人真迷痴</div>
<div class="text-block">公出有理發正義 佛心闡理述真機</div>
<div class="text-block">濟公活佛</div>
<div class="text-block">濟世利人皆自己 活看世人真迷痴</div>
<div class="text-block">公出有理發正義 佛心闡理述真機</div>
<div class="text-block">書き下し文：世を濟し人を利する 皆 自己／活看 世人 眞 迷痴／公 出づるや理あり 正義を發す／仏心 闡理 眞</div>
<div class="text-block">機を述ぶ</div>
<div class="text-block">現代語訳：世を救い人を利するは、皆 自己のことなり／世人を活看すれば、眞に迷痴なり／公に出づるや理</div>
<div class="text-block">あり、正義を發す／仏心をもて理を闡き、眞機を述べん</div>
<div class="text-block">序</div>
<div class="text-block">老衲 今夜降來す！行善『大道天徳』乙書の序を為さん。人 天地の間に立ち、天地人三才を秉して萬物の靈長たる。その</div>
<div class="text-block">中 最も樂道すべきは、乃ち人 思想行動の作為あること。ことに當今 道場林立し、眞修實行する者亦 少なからず、仏を</div>
<div class="text-block">藉て大いに其の道（盜）を行ずるもあり。</div>
<div class="text-block">また此世の所作所為、ただ自己のために來世の苦果を造る。もし此世 衆生のために一分の利を謀り得ば、すなわち自己</div>
<div class="text-block">の下世のために十分の功德を造就し得る。また人類衆生 皆 眼前に迷いて後を觀ず、もし後を觀り得ば、必ず自己に來生</div>
<div class="text-block">の業（業）¹⁹愆を造らしむることなからん。</div>
<div class="text-block">試みに現今を想へ、前世に累積せる業愆によりて折磨を受け、衆生 なお惡を為さんや？正に不定なる！道場の修子 前業</div>
<div class="text-block">を受けて知らざる、時に天地不公を怨恨す、その間の因由 乃ち自己の前業の造る所。ゆえに今世にすべての考程の折難</div>
<div class="text-block">を磨す、必ず良多である。</div>
<div class="text-block">上蒼 これ睹て、不教而誅するに忍びず、屢々仙仏を差して臨凡し、衆を渡し緣由を解說す。無非 有情衆生 能く早日に業</div>
<div class="text-block">愆の牽纏を了脫せんことを希望するであります。時に顯化して衆生を渡し、時に處處に闡教す、また迷者 仍 迷う。して</div>
<div class="text-block">當頭棒醒し得る者 必ず先天の條件、および個人の願力の促成する所である。</div>
<div class="text-block">この間の瓶頸と困厄、善智識の解說と點醒を得て、亦 了脫し得る。然らずば 必ず仙仏の慈悲顯化の救渡に依靠すべきで</div>
<div class="text-block">あります​この種の條件 すなわち本書の主旨である。しかし修持の過程において、諸多の阻擾と考核あり、藩籬（藩籬）¹⁷</div>
<div class="text-block">を踏出だす者 初めて理念を心性に融し得る。</div>
<div class="text-block">かくて！自己の修持の進步を提昇し得、また累世因果（因果）⁵業障の消除を完清し、輕鬆に修持成長の提昇を為し得</div>
<div class="text-block">る。これ必要條件であり、また人世間に良善行持の標準あらしめ、皆 上往の提昇增長の機會あり、自己を成就し亦 衆生</div>
<div class="text-block">を成就す——序と為す！</div>
<div class="text-block">濟公活佛　序を降す 南天直轄聖堂 桃園行善堂 天運癸酉年八月十七日戌時</div>
◆ 本文 ◆
第一回 緣由
南屏道済古佛
道教教主 太上道祖 道德天尊
1993年10月9日　癸酉年八月廿四日（六）
大道天徳は天冊に著す  生霊を救いて心遮りなし
仏性を引きて元に帰らしむ  自然に回復して更に理徹う
太清の原境当前に現れ  上徳は心より自ら顯る
道道大路盡皆通じ  祖傳の香りは延びて通天に現る
道途の功德は業愆を完うし  德惠は四方に邊懸を拯う
天來たりて理を闡べ心篇を述ぶ  尊は蓬萊に降りて道脈綿々と續く
天時・地利・人和の攸關によりて、各個の答案を形成し、答案の中にまた對と錯、正と不正を形成す。
いわゆる差之毫釐、失之千里、各人の成敗もまたこれによりて知るべきであります、また各人の持する角度と方向 皆 異なる。
上蒼もまたこれによりて眾生を責怪することなく、設教（設教）⁸⁵して眾生を普化す。
設教普化の作用は蒼生をして明瞭せしめんと欲するにあり、對と不對の中において研討を作す。
1993年10月9日　癸酉年八月廿四日(六)大道天徳 天冊を著し 提引 仏性をして原來に歸らしめ 拯救 生靈 心に遮ることなく 回復 自然 再び理徹す今夜『大道天徳』第一回、まず老衲が上台して引述し開端といたします。
稍候して道教教主 太上道祖 道徳天尊の親降を仰ぎ著作といたします。
機會甚だ難得、また甚だ稀少の條件であります。
天道（天道）⁴に私なし、唯だ徳を以て輔とす。
蒼生 世界に立ちて萬物その間に在り、人類世界を造就し、周而復始、轉輪を成就し、生生として息まず。
これ大道（大道）¹⁰循環の中における最も重要なる關鍵にして、先天の中 各おの異なる含因（含因）⁶³あり、未來成果の差識を區分し、極大の分別性を形成するのであります。
上蒼 蒼生の善を為すや惡を為すやによりて、いずれか一位の原靈子をも摒棄することなし。
然れども萬物 皆 靈性あり乃ち天地の化する所、唯だ悟と迷の分野に差あるのみ。
ゆえに上蒼 すべての原靈子 皆 能く回返することを盼望す。
有情蒼生 原位より人世間に降る、この過程 善と惡によりて分別するものにあらずであります。
天道の設教もまたしかり、教化の中より一にして再、再にして三 顯化す、これ 蒼生をして不知より漸く知り明瞭して通徹せしめんとするにほかならず。これ上蒼の大徳にして、すなわち教育・教化をもて眾生を引導し行事の準則となすのであります。天道の大徳、教化の中より蒼生をして明瞭せしめ、さらに蒼生の觀點より諸多の縱橫交錯を形成し、無數の緣由（緣由）⁸³を引發す。緣由の中にさらに正と歪、對と錯、是と非を分別す。因緣（因緣）⁸⁴すなわちこれより生成し、また天道の教化 明瞭を必要としたる後に、初めて實際 身體力行を得るのであります。行動に分別あり、分別の中にまた諸多の因緣產生し、環環相扣して花花世界の形成となる。因緣果報（因緣果報）⁸⁶をもて現今人世間とであり、環境もまた因緣より成る。その間 若し因緣を外放せず、後に再び內に收縮して獨立個體を形成せば、必ず個體の中において 他緣の左右する所なきに至るであります。また眾生の善を為すと惡を為すとによりて、自己を包裹し、外緣を爭わずして、すなわち無以復加、外緣の引導する所とならずして「私」となるも、その「私」人性の中において、卻って「仏性（佛性）¹¹彰顯」の最も主要なる因緣を成就す。この種の「私」すなわち仏性彰顯の最も主要なる因緣である。但し若し僅かに自己の私の中に在りて他方を加持する無くんば、修者の立場において若し能く成就せば、すなわち獨善其身（獨善其身）⁸⁹である。その私の中において他緣を引導し兼善天下（兼善天下）⁹⁰とならば、初めて世界を成就す。さもなくば僅かに自己 私となりて、いかんぞ能く天地を成就せんや？私の中に公あり、その公 乃ち能く大眾に融合す。眾を「公」とす、故に能く私を公に引き、天地間 初めて正氣（正氣）⁹¹ありて生ず。かくのごとく言う：人類 群族を離れて居ることを得るや否や？否であります！若し群族を離るれば 一切 自ら來たり承擔せねばならず、天下の蒼生 また何ぞ必ずしも多く來たるを要せんや？この種 蒼生 私を以て公に就かしめ、初めて能く世界を成就す。人の因緣 群を離れて居るべからず、とりわけ當今 さらに甚だし。現今の蒼生 若し獨り山川河海に往きて自居せば、起居皆 不便である。試みに思え、現今 已に資訊時代に入り、文明科技 往時に代わる。若し人類 群を離れて居ることを得ば、必ず一番の決心と挫折ありて、方に かくのごとく為すであろう。天道無私唯德輔 大道來行天地人 緣由眾生皆相同 人類若是太自私 有情人類道德附 無私無為德不枯 各自造作不同功 上蒼改造成大公上蒼 これを見て、蒼生をこの時代の中において引導し、先天の原位（性）に回復せしめんと欲する。これ 內心の「私」を引導して「公」とならしめるにほかならず。ゆえに因緣の中において 蒼生 明瞭を必要とす、人と人は環環相扣して分離すべからず、道場（道場）⁸⁷の渡化もまたこれより起こるのであります。
第二回 人間
通天教主  靈寶天尊
1993年10月16日　癸酉年九月初二日（六）
靈山にて渡化し真靈に返し、寶德は心により真誠に憑る。
天來降りて筆を啟け人間に、尊金篇を開き原性を述ぶ。
如何に人世間より行持して歸返の大路に至るか。
人の原由の根本、正に天より降る所にして、若し天生地養と言うのみにして教化せずば、また僅かに生活の中に打滾するのみ。
1993年10月16日　癸酉年九月初二日(六)靈山渡化　眞靈に返し　寶德 心より至誠を憑き 天來たり筆を降ろし　人間に啟き　尊 金篇を開き 原性を述ぶ通天教主　靈寶天尊天道（天道）⁴に私なく、平等公正であります。
人倫の間 傳延 生々息ずること止まざる因あり、傳延の中 人の善惡、陰陽（陰陽）⁴⁵の變化に造就し、變化の過程 成因と失因あり。
成と失の中において、人と人の一種の牽制關係を形成し、この種の關係 また人間の分離すべからざる相を形成するのであります。
相繫の中、人と人 能く感情をもて結合して社稷となす。
社稷の內 有者は出類拔萃し、有者は鶴立雞群し、有者は默默無聞、有者は平平汎汎、有者は亦 庸庸碌碌として其の一生を終う。
人間において各おの異なる角色あり、各人の演ずる角色もまた異なる。
綜觀！人生 陰陽の交合より胎を成し、また母胎に孕育すること十月 方に瓜熟蒂落し、哇哇と大哭一聲 この世界に來である、不知不覺の中 成長し來である、及び長ずるも！また何より來たるや明かならず？また何の為に來たるや？も僅かに無明（無明）⁷⁹と未知の將來に對し 先ず一番の打算を作す。
娘胎を離るるより、哺乳を受けること三年、含辛抱養、數載の教育あり。
最初 無知より漸く明瞭して為人處世の道となるも、凡に落し後 ただちに先天を迷失し また原來の本性を迷障す。
教育において若し僅かに如何に為人處事すべきかを教導し、原由一心性の教化をなさずば、歸返を欲せんや？實に登天するが如き難きであります。
故に宗教の本意、また能く蒼生を教導す。
應に短暫なる有生の年を運用し、自己を做好し 大眾に有利なる善舉をなすを知るべきであります。
若し自己の私を以て、その私 己に利して他に利せずば、必ずこの世の中において、諸多の圓滿なる境を達成し能ざることあらん。
また孽を造りて知らざる者、往往 不知不覺の中 業（業）¹⁹を造り、業を造りてまた如何に改善すべきか明瞭せず。かくのごとく業因 已に果を成せば、下世 また牽累を受く。これ乃ち蒼生の犯し易き通病である。人世間 教化の不足によりて、必ず宗教を藉りて輔導す。然れども仙仏（仙佛）²⁰もまた人より修成し、ただ宿世 能く天心徳澤の作為に符合するのみ。また回歸の後、亦 時に蒼生を念とし、時に降凡し、また時に常駐人間す。生の病を解脫せしめんと欲し、過ちを改め 正道を成すことを盼うのであります。かくのごとく人世間においては徳徵を留むべきであります、故に徳性の中において、蒼生に一つの遵循と學習の指針目標あらしめ得る。また人世間において宗教もまたこれによりて蓬勃發展し、とりわけ現今 さらに萬教齊發、已に另一の嶄新なる境界に入る。人倫 宗教の發展によりて、累世 他方より降生して今世に至るを形成す。世人 終日生活の為に奔忙し、縱し能く天下の財寶を賺進し、皆 自己の擁有に歸すとも、また日食 最多七餐、夜宿 最多八尺に過ぎず。これが為に已に多多であり、然れども成就越大、位階越高、心靈 すなわち越々空虛に顯る。これ現今眾生の最大の障礙であります。此の刻 當務の急、いかんぞ自己の作為を提昇すべきや？若し環境 異なりて善知識（善知識）⁸⁸眾多なるに遇わば、幕僚の間 皆 能く蒼生に利益し、人群に造福するは 乃ち大幸者という。遇う環境 善知識に欠くれば、則ち酒色財氣とであり、また常に自利を本位として、いかんぞ蒼生の為に福利眾を謀らんや？必ず嘆息すべきであります！人類 族群を偏離すべきではありません。人 今世において宗教の教化によりて、必ず蒼生の為に謀福の機會あり、また比較的 把握あるのであります。また當今の世人 甚だ富足し、富足の中 終日奔忙して、較的 一息停留の機會少なく、またいかんぞ提昇することあらんや？甚だ難きである！人之由來難明白 若言福祿降來至 生命改造人間界 悲歡離合在其間 時間空間兩安排 最怕造孽真多哉 喜怒哀樂續相來 苦空無常反覆載空閑の時 他方に旅遊せんとするも、唯だ感覺す 心中 總は何事か缺くるごとしと。これ皆 內心中の空虛の然らしむる所にして、不足を感ずるに至る。また因緣 宗教活動に參加する機會あらば、必ず善念を導引して初發し、初發において緣を藉りて緣を引き、宗教の一分子となる。宗教の教化に對し、必ずこれより第一步を起こして引導するのであります。
第三回 初生
三清教主　元始天尊
1993年10月23日　癸酉年九月初九日（六）
元本無極より太極に降り、始めて世間の初生の地に至る。
天道は私なく唯德のみを輔け、尊の前に啟け後を天濟に恃る。
原性 動きて善惡を分かち、學習教化と經驗の中において、人の所為を累積す。
應該と不應該、應為と不應為、教育と學習、前人の承先啟後する教導によりて受益すること良多しであります。
時・地・風俗民情の差異に因りて規範を立て、治理の道に適應し、當時の所需に合わす。
また教育と學習の中において、諸多の原始根基に不適なるものあり、僅かに治理條件に適應するのみ。
1993年10月23日　癸酉年九月初九日(六)元本 無極 太極に降し　始めて世間 初生の地に至る 天道 私なく唯だ德を輔とし　尊 前に啟き後を恃み 天濟す三清教主　元始天尊浩瀚たる宇宙 天地の成因、無極（無極）⁹²未動の初 萬物 皆 藏し、皆無の中 已に「含因」と成れり。
因緣未熟にして萬物 難成、また一切の原動の中 已に成因あり、ただ緣を待ちて發す、その緣 未だ至らざる時、すべての作為に對し 達成し難し。
期至りて萬物 初動し、無極より太極に降る、一切の初生 起動する因ありてである。
太極（太極）⁹³動きて兩儀（兩儀）⁹⁴を分かち、かくのごとく一にして二、再にして四の分かれ、陰陽天地の初始 これより起こる。
人世間 陰陽あるによりて男女を分かち、兩性の成因 時に更迭し、兩性の分別において、すなわち交合によりて後代を傳延し生々息ず。
また原始の初動、初生するによりて、その原性 純潔にして瑕疵なきであります。
根本 一絲の善惡 俱に無く、また分別對待なし。
兩性の初動後 食するによりて欲を成し、欲念より再び七情六欲（七情六欲）⁹⁵を引動す。
此の時 原始の初生 最も純真にして瑕疵なし、欲念の動するによりて、始めて方に生息の機會あり。
人の初め、未だ原動の念を發せざる 最も純潔にして瑕疵なき、これすなわち人間の最も基本なる念である。
初生の念 善惡を分たず、初動の念に在りて、先天の原性を具す。
人の初動、無より生有し、動の中より人性を日常生活の規範に付諸す。これ既に習慣となったので、故に本性を迷障す。また人 若し習慣の作用を回觀すること能ば、すなわち學習の過程において、一切の不適應なる治理條件を摒除し得るのであります。然れども摒除の過程、必ず大智の運用を引用して、方に作為あることを得。さもなくば隨波逐流して、また自己を埋沒す。人類蒼生 學習と教育の治理條件の下に、すなわち自己の生存を束縛す。また規範に對し 若し僅かに當時の治理條件に適合し、かつ回返の基礎に不適なれば、かくのごとく必ず治理の道に因りて、生の為に福祉を謀ずべきであります。さもなくば僅かに治理の為に規範し、已に回返先天の條件となし難きである。修持（修持）¹²の上において、蒼生 宗教に入り、前人の引導を承け初めて道場（道場）⁸⁷に入る。その原始本性 皆 善惡の念なし。また平常心の中に行持し、又 此の時の心念 最も純潔無瑕、甚だしくは完美無缺である。宗教に入る 必ず治理規範と條件あり、何をか為すべきでありますか？何をか為すべきでありませんか？必ず可為と不可為の中において、對と錯、正と邪、善と惡の分別觀念と行為動作を形成す。この種の行動 すなわち宗教の治理規範を受け、また初生後の一切の作為の開端を形成す。而して善惡の分判を受け、また宗教の教導 學習と教育によりて、漸漸 事情の看法を明瞭するのであります。若し宗教の前人 能く正導を以てせば、必ず教育の中において原始本來（性）を分出し得ん。また假如 宗教の前人 僅かに傳延教脈の上に論斷し、また當時の治理の所需をもて規範せば、すなわち正道を加えて摒棄せん。後來者 前人の承くるところに因り、また何れか正なるや？何れか正ならざるやを辨じ難し。この種！また僅かに前人の教育傳延を承受し、後學者 亦 回返の魄力あること難く、甚だしくは大智の運用中 已に存するなし。故に能く前人の積習已に深き不良規範を摒除し得るや否や？この種 甚だ難きである！かくのごとく、初生の環境も亦 十分に重要にして、善惡の因緣もまたこれによりて往後の根據を成就す。初生過程難了知 給與人類有智慧 無極太極生陰陽 綁住雙方來婚配 浩瀚宇宙天地馳 改造地冥福澤賜 乾坤初成結張網 傳承後代好綿長し よく綿長たらしめん宗教において初生の門徒（學生）を教育することは 十分に重要であります。初生の徒（學生）善惡なきに因る。謂いあり、修習一年 仏 眼前に在り、修習兩年 仏 天邊に在り、修習三年 仏 已に見えず。これすなわち教育を受くるの中において、自己の原始本來を認識し清楚ならず、皆 心 外に向かいて觀るの然らしむ所である。
第四回 發心
南屏道濟古佛–濟公活佛
1993年10月30日　癸酉年九月十六日（六）
濟道の人生は佛性を彰し、公德は己が爲にして心自ずから清し。
活潑の世景に初めに心を發し、佛道は合一して本自ずから靈なり。
此の時 已に蒙蔽・阻塞し 天性の良能であります。
然れども戒律と教條の約束の下に、為人處世の道を明白にすることを得、これ乃ち宗教の要點の所在にして、亦 能く原本の不良・不好の陋習を改正し、端正なる人生となす。
故に社會の風氣善良にして、また道場（道場）⁸⁷到處林立するに至る。
初めて道場に入るや 本性天真なれど、教律の約束すなわち一切の本性に非關なる差異を產す。
1993年10月30日　癸酉年九月十六日(六)濟道 人生 仏性を彰め 公德 己の為に 心 自ら清し 活潑たる世景 初發心 仏道合一 本性靈南屏道濟古仏　濟公活仏人の一生 世間に在りて忙碌し、心 清かること難く、性 明ること難し。
また人類眾生 すなわち生活の一切の瑣碎事務に羈身されれば、片時の清閒あること甚だ難く、甚だしくは皆「盲と忙」の中に一生を過ぐ。
嘆ずべきであります！若し短暫なる心靈の清淨あらば、亦是 人生の一大樂事であります。
若し能く宗教に入りて修持（修持）¹²するも亦 前緣にして、また現今教化の最も主要なる一環であります。
然れども宗教に入る時、當時の初發心（初發心）⁹⁶は純善にして惡なし。
初めて宗教に入るや 一切 皆 無知 亦 未明、故に一切の作為、宛如 孩童の天真なるごとく可愛く、無私無邪、人の感覺に眞に可愛き極みであります。
この種の作為 皆 天性の天真に合乎す。
然れども漸漸 宗教の教條の約束によりて、之をして何れか戒たるを明かならしめ、何れか律たるを明かならしむ。
またこの種 宗教の信仰者と修持者に對し 必要かくのごとく、また戒律（戒律）³³あるによりて 必要遵守し、初めて良善の宗教規範あり。
戒律の約束、天真純性をして分別あらしめ、心中の種種の束縛を產し、原性を彰顯すること甚だ難し。
善思理念において、道場の戒律 人心に深植すれば、外界の修持なき眾生の行事作為よりも、比較的 能く天理良心に合乎す。所行 亦 端正なる作為あり、外界と相較するに、確實一種の可敬・可佩・可親の儀態あり、修持なき眾生に模仿・學習の榜樣を給う。道場 能く綿延して斷えず、修持 諸多の戒律の束縛あるによりて、原本 為すべきも 亂りに為すことを敢えず、比較的 能く造業の機會を減少す。初めて道場に入る者、宗教の一切を未明にして、時に常に歡喜・讚嘆の心を生ず。若し能くこの心を長遠にして斷えざれば、成道 足る餘りあり。修持者の初發心、能く天地の自然法則に合乎すれば、この種の心の初動、亦 能く仙仏（仙佛）²⁰（天地）を感動して善緣の成長を成就す。これすべての好因緣に對する提昇である。初心の宏效 人によりて異であり、之あり 初發心によりて、能く發心して道業を成就し、之あり 發心の初動、長遠に持する能わずして功虧一簣す。また一段の時間の後、漸く宗教道場の一切の作為を明瞭し、また漸く怠惰懶散の心を生じ、すなわち昔時の初發心あること甚だ難し。之あり 道場において要職を擔任するによりて、侮慢・驕傲・貢高心を生じ、および後學の恭する所、初發心の本意に影響し、發心すなわち大打折扣す。初めて道場に入り 迄至一段の時間、すなわち何れか造るべきの才なるや？何れか放牛喫草なるや？何れか造惡累積なるやを明瞭し、すなわちこれに於て分判す！人 善願あれば 天 必ず之に從う、亦 發心者の作為を見て論ず。眾生 皆 時に發心す（善心）、然れども發心の初動において、能く心態作為を彰顯し、往後道業を成就する依據となす。然れども 能く己利をもて公利を造し（無私）この種の發心 亦 比較的 能く天地を感動し、比較的 能く善業を成就す。發心可成天地間 之後事務來阻礙 人有善願天必從 發願心力沒持恆 初心不退成佛仙 已變初發障心田 也要願力能始終 何來發心可成功發心の持續、必ず最も主要なる目標であるべきであります。さもなくば人生一世の中において、時に發心し、時に發心の念を斷てば、また長遠なること能ず、すなわち發心の條件を失す。また隨便に發心して 有時 造罪して知らざるを避くべきではありません。然れども必ず恆を持ちて善心を發し行使すること、方に發心の最も主要なる條件と目標である。
第五回 無為
南屏道濟古佛
1993年11月6日　癸酉年九月廿三日（六）
心無く柳を挿して能く蔭を成し、世代を傳ふる爲に森林を植う。
大道の運轉は皆自然にして、一切は無為にして坦率に真なり。
能く此の作用をもて提昇して大公にして私なしとなさば、すなわち能く大道に自然の原動力を添加するのであります。
人類蒼生 皆 有為の環境に在りて、無為の事業を成就し、また道場の傳延不斷を造就す。
これ一種の向上成長であります。
ゆえに宇宙の創造（創造）⁴⁰は自然法則に在り、天地の創造もまた自然法則の中に運轉し、人生もまた自然法則に在りて、此の重ねる自然無為の道を行使す。
南屏道濟古仏 1993年11月6日 癸酉年九月廿三日(六)無心 柳に挿して蔭を成し得　世代に傳えんとて森林を植う 大道（大道）¹⁰の運轉 皆 自然にして　一切無為（無為）³⁹坦率にして眞であります天地の運轉、自然にして無為であります、能く萬物を孕育して生生息まざる。
天地の運轉 一切 皆 自然の道を秉り、此の種の運轉の眞理、すなわち自自然然にして、萬物の行使を受けて差別あるにあらず、能く萬物生長利養の原動力を造就し、人類衆生に對して生存の必要性あり！無為人生 能く天地の孕育を受け、善惡の因縁（因果）⁵を造就するも、皆 大道自然の運轉にして悖らず。
累世の中 人の作為、天地の大道と相提並論すべからず。
天地 人の作為によりて分別あるにあらず、皆 萬物 其の體を同じくし、さらに其の份を同じくして之を眷顧す。
ゆえに天地の萬物に對する能仁、具に此に在り。
聖人の治は無為にして、庶人の行は有為であります。
此の作為 皆 人世間の成就に關し、生れながらにして不同の緣分の因由を形成す。
また人類一生の處する環境と時代同じからず、古の「無為」は現代人に認同され難く、皆 有為の行使と有所求の中より探索するのであります。
人生 すなわち一切「有所為」を形成すれば「無所為」なること難し。
然れども所為の中 自己の私をもて「提私引公」し得ば、天の大徳（德）¹⁸ すなわち此に在り。
私なりと雖も、大公によりて私なるが、此の私 すなわち無為の作用であります。
自然の中 加うる所なしであります。人生における一切の作為と人身の能動、皆 天地自然法則の運轉に合す。何物か自然の行使を受けざる？動植物 皆 自然不變の法則を具え、また因縁によりて造就す。自然界 人をもて萬物の靈長となし、人 智慧ありて思考し能く是非對錯を分辨す。無為上智者、すなわち能く蒼生のために福を謀りて求むる所なし。旨は利他に在りて利己を思はず。利他の中 已に利己の功能を具有すればであります。功利を求めざれば則ち功利自ら達す。是れ無為にして無所求、自己 良善の成長を得ること能く、また自己と衆生に提供す。宛も天地運轉の如き徳澤なるのであります。中智者 己智によりて、先ず利己して後に利人す。此れ乃ち有為の作為であります。先ず利己するによりて、已達して後方に人に達し、已足して後 能く人に足す。此れ道場修持（修持）¹²の子の具有する心態も亦 無不可であります。先ず利己して再び利人し、利人して無私となる、中智より上智へと行持する者、按部就班 依序に提昇行持するのであります。下智者 利己の後、すなわち封閉して往外して利他することなし。此の私 公に就き難く、公私論の中 自然法則に反す。物極必反：また私利 公なく、公私の中 すなわち顛倒す。縱使豐衣足食すとも、往後も私の過ぎたるによりて、後來 私をもて公を補うに至る。此れ自然法則の具する基本條件であります。上智者 公によりて私なし、上蒼の補足する所 すなわち無為の法理であります。私の欲求を受けず、自然の中 無為なる者、方に眞理の認同する所であります。天地の無為 蒼生の祈求によりて自然法則を改變するにあらず。人生 自然法則の中の一個の過客に過ぎず、夫れ復た何をか求む？之を求めて能く得るや？一定ならず！若し天地自然法則に違反せば、行為 すなわち違背す！人世間 無為によりて有所作為あり、作為ありて方に利他し得。利他の環境に於いて 本身の基本條件を具備せんには、先ず己を足して方に他を足し、先ず己を利して方に他を利す。此れ人生の基本條件であります。然らずば何れよりか資糧（資糧）⁹⁸利他の功能條件を成就せん！無為無私 天來成す 天地運轉 本自然 聖人の治 是れ無為 人類の作為を修整す 此の種の作為 眞に殊勝 宇宙の公理 按循して臻る 庶人の行 而も有為 無所為の中 眞の無為為なる中に眞の無為がある無為有為をもて再び無為に回返するは、すなわち現世道場の應具條件であります。また人類世界において無為の上智者に達せんには、必ず自己 足夠の本錢ありて、方に中智の有為より、上智の無為の境界に達し得。これ必要なる基本條件にして、如實に向上して成長する所以であります。
第六回 創造
人天教主 本師釈迦牟尼仏
1993年11月13日 癸酉年九月三十日(六)
宇宙開創は自然の爲し  天地陰陽は本より畏れなし
人間創造は天機に登り  大道天徳は心扉を述ぶ
創造の道は衆生を利し  天地の演化は德の盛んなり
人類生活の求めるところ  溫飽は必要にして通貨成る
無の中に有を生ずるは本に具存す  因を其中に含み既に如此
未來は只因緣の生を待ち  變化成長はこれ真實
宇宙開創とは無の中に有が生まれることなり、しかして無の中に已に成因を含み、無の中に有が成ると雖も、其の原因には既に種が植ゑられてをりたり。故に成因の中に於て時空の因緣に遇ひて啟動し、星宿繁衍し、已に動の因を成就し、乃ち星宿に在り、亦已に原緣の應に具備すべき條件を成せり。
時分至るを待ちて、天地の開創、宇宙の形成も亦一時に動きて、漸くに動の中より原緣を引き出し時を待つ。僅かに時刻の將に至るを待ちて、宇宙虛空の由來を成就す。天地萬物は乃ち宇宙の化すところ、天地間の無の中より有を生じ、無の創造の中に在り、無即無の分に非ず、即ち無の中に即ち含因有り。
含因は能く一切の原緣を有し、此の時に萬物は皆靜にして動無く、時至らんとするを待ちて、方に動の成因有り。此は無の無の中に而して有を生ずるなり。一切の創造過程は即ち此種の條件に在り、天地間は無より有に至り、此の過程累進して億萬年に及び緣至るを待ち、天地開創に在り、亦時の將に至り一切就緒したるなり。
機緣を待ち、動を待って發す。此れ即ち天地開創の由來なり。而して人類生存の由來も亦天地萬物の緣を待って至るに因る。遠古の際には未だ衣裳なく體を蔽ひ、生吞活飮なりしは、此れ遠古の人生なり。智慧漸くに開け、漸く明かにして如何に行ふべきを了り、是れ人類生存の道なり。
遠古の開創も亦無の中より有を生じ、有の中にして還た無に歸り、春夏秋冬の更替に由り、亦人生は草木の一春に例ふ。亦人類の一生に在り、僅かに人類の生存せしむるのみ、數拾の寒暑連接してのみ。若し人生の一世を、春生・夏長・秋收・冬藏に例ふれば、人間の一生に喩ふべし。
衆生に警惕せしめ得、又人類衆生に若し一生（一年）のみあらば、蒼生誰ぞ敢えて惡を爲さゞらん、善を爲さずんばあらむや。人類の生存は無數の一年を以て一生を成す。今年過ぎの後には又明年有り。若し今生過ぎの後即ち來生無からば、如くにして何の人も敢えて惡を爲さむや。
人類衆生一切の開創は、即ち無の中に而して有を生ず。然れども此れ無に非ず、即ち人生中に具備する萬緣の開展にして、僅かに緣を待って動くなり。因緣の成熟を受けらば便能く一拍即合す。此の種の因緣は已に人生の創造機緣を具備し、時として人の開創に執著し、亦時として放心せざるなり。
心中に常に抱持す。此れは己が創造し開創せるところなりと。是の故に常に執著に束縛せらる。知らず、天地の開創・宇宙の開創は、乃ち自然にして無爲なり。人生の開創は、僅かに蒼生に福を謀るの過程中にのみ在り。微小なる人類の無明、何ぞ宇宙天地に學び、人生の開創を自然無爲とせざるや。
人類は草芥に例ふ。何時歿度を欲し、又如何にして能く明瞭せん。否なり。人の一生は即ち因緣の中に於て生存を求む。若し僅かに己が爲にのみ活けば、即ち自然無爲の道を失ふ。實は人の一生は、皆他人の爲に服務するに在り。故に云ふ。人生は服務を以て目的と爲すと。唯だ己が知らざるのみ。
創造の過程は蒼生に皆明瞭せしむるに在り。人生は僅かに數拾の寒暑の連接するのみ。能く長遠の眼光を放たんや。即ち生きて又死し、死して又生る。人生は誠に苦短く、又奈何ともし難し。思ふべし己が此の一生も亦かくの如きや。世相を看清楚ることは、即ち大智慧の者なり。
嗟乎、何ぞ身段を放下し、天地蒼生の爲に福祉を謀り、亦能く己が爲に無邊の福報を造就せざらん。創造の過程は無爲と雖も、即ち無爲の当中に在り、己が有爲の再無爲を替へ、能く有爲を成就し、他を利し又己を利す。能く其の堂奧を明瞭せんや。己れ必ず努力せよ。
第七回 開創（創造二）
大成至聖先師　孔夫子
1993年11月20日　癸酉年十月初七日（六）
大道天德は吉祥を呈し、開創の緣由は平常に由る。
道場は普化に心を任せ、如是此番は一樣ならず。
人生 何時か任務と使命を了結し、使命の負責を完成するや？皆 人類の了知し難き所なり！一家の開創、陰陽兩性の結合の後に在りて、陰の使命：乃ち人類生息の傳延を主導するに在り、陽の使命：乃ち此の家の一切を保護し、能く之をして憂なく、亦 即ち和樂円満（圓滿）¹³の境地に達せしむるに在り。
此の種の生息の關係 能く家庭の命脈を延續し、傳延の目的に達す。
人類 唯此の家のために、一生心血を付出する所 甚だ觀るべきであります​陰陽兩性の傳延、亦 即ち社會結合を帶動す。
天地運轉 皆 自然にして無為の道、亦 即ち人類開創の縮影であります。
大成至聖先師 孔夫子 1993年11月20日 癸酉年十月初七日(六)大道天徳 吉祥を呈し 道場普化 心の為に任す 開創の緣 平常に由る 如是 此の番 同じからず開創（創造）天地萬物の生存する所、人間創造に對して皆 無為自然の過程に在り。
其の因を成すは乃ち道の自然であります。
人間天地に立ちて自ら其の肇因あり、乃ち生生息まざるに在りて、方に人類延續の成就す。
また人類一生の中 特殊の使命あり、天生我才 必用あり、人の初生 すなわち使命を擔負して來たる。
かくのごとく一生に在りて、有者は一帆風順、有者は苦難を受けて存活し、有者は平平凡凡（常常）一生を過ぐ。
其の間いかなる角色といえども、皆 自己の擔負する責任と使命を離るること能はず。
人の結合によりて國家社稷欣欣として榮えを成就し、人類傳延 亦 此に因りて綿綿として斷えず。
人 合群するを得ば兩性の功亦大であります。人 天地人 並列して三才（三才）⁷⁵となる緣由亦 此に在り。また人類 開創によりて社會團體と成り、此の中 即ち創造の能力を含有す。人類上古の清純に因りて、其間 創造能力較なし、上天演化較緩慢であります。人類 すなわち競爭（競爭）⁹⁹によりて諸多の創造人才を生出す。開創（創造二）此の種の人才 一生の中、すなわち一生 研究開創に窮し、一而再、再而三 探究を形成す。失敗の中 教訓を求め、失敗の中 原因を檢討して再改造し、有志者 事竟成を造就し、亦 人類開創 生活舒適の原動力を帶動す。亦 此に因りて無量の蒼生福祉を造就し得るのであります。開創の本質 作 具足す 必要 研究に發明を加う 創造の二 發明の資 按部就班 修整に來る 人間の難明の途を改め得 優良器具眞に特殊 無中生有 眞實に變ず 精緻提昇 人 是と稱す人類一生に受く所の苦難と折磨、すなわち他人より猶多し。其れ苦なりといえども、逆境に在りて能く自己を成就し、亦生己が家の利益を成就し、亦 公出して天下を利するあり。然れども若し公出する能はずば、多くの私に因りて傳沒落し、亦 良多 已に失傳して消聲匿跡するあり。此の種の條件、皆 公出して社會を利益する能はざるに關す。人類衆生 亦 良多の機會を失う。現今時勢 已に往昔の相互比擬に同じき難く、所有公出し得べきものに對して、必ず衆を利し亦 己を利するを要す。自己 受益し得、亦 衆生 受益せしむる、方に開創無為の道なるのであります！
第八回 演化（創造三）
南天文衡聖帝
1993年11月27日　癸酉年十月十四日（六）
南に大道を開き迷癡を渡し  天德の著作は心池を振るう
文筆は傳世して皆教化す  功德を衡量し真德を持つ
聖示は演化して心智を培い  帝は衆を濟して誠志を主る
堂に降りて普く化し共に心處す  詩に曰く萬緣は自らは無始より
宗教道場：本是代天宣化（代天宣化）¹⁰⁰の旨であります。
天の無語亦無言なるに因りて、乃ち人間宗教道場の修持作為を藉りて、道場の命脈と成る。
道場 能く生命原來の教化因縁に關するを提倡し得るに因りて、生に對して修持行善者を利し提供し得、必ず演化の過程 無數の功德を增加す。
演化（創造三）亦 能く蒼生を利益するに因りて、故に上蒼の樂見する所であります。
天道の演化は無の中に而して有を生じ、無の中に已に成因を具ふ。萬物は皆無より有に含因すと雖も、僅かに緣を待って成就するのみ。此の人間の演化も亦無の中に而して有を生じ、有の中に而して生長し、長の中に而して大壯を成し、大にして老に至り、老にして漸くに枯れ、枯の中に而して滅に至る。此れ人類の演化過程なり。
虛無縹渺の中より、見ることも、觸れることも、嗅ぐことも能はず。然れども虛無の中に成因を能くし、無の中に無きことに非ず。只だ無の中に緣を待つばかり。緣の動を待って一切を成就するに至り、人世間に演化するに必ず經過すべし。生・住・異・滅（成・住・壞・空）の過程なり。
一切の因緣は人類の能く掌握する所に非ず、亦上天の能く控御する所に非ず。乃ち自然にして無爲の中に緣を待って生じ、緣を待って長ず。上天も亦能く自然生長の道を控御すと雖も、人の行善と作惡に因りて、禎祥と災禍を降し、人類の未來の福禍に變るなり。
此れ種は上蒼の能く控御する所と雖も、亦人の作爲に因りて變改有り。故に上天の演化も亦此の環境に在り、蒼生の未來を成就し、又演化の過程に能く上蒼の器重する所は、宗教道場の作爲に在り、天心德澤に符合せば、必ず成因有り。
此の重ね 上蒼の能く控御する所なりといえども、亦人の作為によりて改變する所あり。
宗教道場は本より天に代りて化を宣ぶの旨なり。天の語無くして言亦無し、乃ち人間宗教道場の修持作爲に藉り、道場の命脈と成る。道場は能く生命の原來教化因緣を提倡し、蒼生の修持行善に利するものを提供し、必ず演化の過程に因りて、無數の功德を増加す。
ゆえに上天演化 亦 此一環境の中生の未來を成就し、又演化の過程 上蒼の器重する所となり得るは、宗教道場の作為 天心徳澤に符合し、必ず成因あり。
亦た蒼生を利益する能くするに因り、故に上蒼の樂見する所なり。蒼生を利し善を行い修持有功なる者に在り、能く仙佛と同じく在るは、亦た菩薩の行爲なり。此れに由り知りぬ。天に代りて化を宣ぶ過程の必須性を。人の行使に對して端倪を見るべし。如くして蒼生に藉りて蒼生を渡すは、亦た演化過程の一环なり。
此の種の演化一环は、必ず仙佛の心・菩薩の行を能くし、方に道場を成就し、宣化推廣す。道場と宗教とに因り、人世間一切の関係を離るる能はず。道場の興盛に對しては、主事者と學生と相關す。天に代りて宣化する中に、學生の明瞭せざる及び知らざる・無明は甚だ多し。
宗教の主事者は、先を承け後を啟ぶる教化の責任を負ひ、後の學者に修持の道路を提供し、人世間に遇ふ挫折・橫逆を化解し、無明の進道に対する精進心を消除し、堅定の信心を与ふ。盲點を突破せざれば、將に後の學者に一分の失落感を帶たらむ。相對的に！又人材の培植を阻礙す。
衆生（學生）は無明と未知に因りて宗教道場に入り、無明と未知の中に在りて、長遠の成就あること甚だ難し。如くして阻礙に遇ひて長進の機會を失ふは、豈に人を惜ましませむや。故に宗教に入るには、必ず聖神・仙佛に藉りて盲點を指引し、時に善智識者の提携を要す。
乃ち能く蒼生 行善修持有功なる者 利益し得て、仙仏（仙佛）²⁰と同在するを得るも亦菩薩行（菩薩行）⁶²の行為であります。此より知るべきであります​代天宣化の過程 必須性あり：人の行使に對して端倪を見るを得。かくのごとく 蒼生を藉りて蒼生を渡すと雖も、亦 演化過程の一環であります。此の種の演化一環、必ず仙仏の心・菩薩行を有して、方に道場宣化推廣を成就し得。亦 道場と宗教 人世間一切の關係を離れ難きに因りて、道場興盛に對しては主事者と學生 相關あり。又代天宣化の中 學生 明瞭し難きと未知・無明 甚だ多し。宗教主事者、承先啟後の教化責任を負う。後學者に修持道路に於いて、人世間に遇う所の挫折・橫逆を化解し、無明の進道精進心を阻擋するを消除し、堅定信心を給予す。盲點 若し突破せずば、將に後學者に一分の失落感をもたらし、相對亦 人才培植を阻礙するのであります。衆生（學生）無明と未知に因りて宗教道場に入る。無明と未知の中 長遠の成就あり難く、かくのごとく阻礙に遇いて長進の機會を失卻す。豈に人を惋惜せしめずや！故に宗教に入るには、必ず聖神仙仏の盲點指引に依靠し、時には亦 善知識（善知識）¹⁰¹者の提攜を要す。能く自己 靠りて改變を作す、これ最も重要であります。然らずば 任由仙仏或は善知識の指引すとも、自己 改變を思はずば、誰も自己を動搖する能はず。指引と善改の方面 必ず提昇し難し。蒼生 明白すべきであります​此れ最も主要なるものであります。又 道場演化に對して、能く蒼生資糧源を提供す。若し蒼生に資糧源增進をもたらす能はずば、亦 長遠增進する能はず。又 如何にして仙仏教化を能く日常生活に落實せんや？亦 蒼生（學生）實際體悟して、方に精進心あり、長遠にして持續す。然らずば 日常生活と脫節せば、此れ長遠たり得るや？試想 すなわち知るべし！演化 必要 修整あり 承先啟後 代代傳う 生住異滅 是れ過程 若し能く其中の理を識らば 開創 一切 衆生を利し 成長 提昇する來りあり 所有の演化 是の如く眞 超越回帰 天乘に返る超越回帰して天乘に返る演化（創造三）大道演化 乃ち無為、道場演化 有為であります。如何にして有為の中 無為を成就せんや？必ず生及び道場主事の作為によりて定まる。創造・開創・演化 能くす、必ず各方面 配合して皆共識ありて、方に成就し得。然らずば 何れよりか創造と演化來らん？實は蒼生 唯演化の過程に在りて、此の一生を度過するに過ぎざるのみ！
第九回 進化
南海古仏
1993年12月4日　癸酉年十月廿一日（六）
南に著作し大道の冊を編み  海に馳騁して天德を述ぶ
古詩雅賞は共に心識す  仏理の教化は直ちに心を徹す
創造の道是れ無爲にして  開創の本質は人類を利す
演化の過程は萬物に合し  進化の目的是本位に歸す
進化の本体を提昇し  人類始めて大成を成し得ん
次次回回に改修を重ね  精緻なる品質の増加あり
人間的一切は皆かくの如し  固化して改めざれば進馳し難し
久しからずして淘汰に遭逢し  好因に跟上すること能わず
人類 改造精進の作為を經て、心中の「至明」の階段を形成すといえども、また僅かに原本位の開頭を達成するに過ぎず、本位への回歸には未だ一段の長き距離ありであります。
いかに現世において作為すべきや？これ乃ち當務の急にございます。
人類に進化ありて、方に創進の原動力あり。
また創進の本質と目的、これ眾生の福祉を增進せんと欲するものでございます。
天地萬物は皆演化の過程に在り、時空の轉換に因りて無常と謂ふ。無常の中に時に迭り、累世の一环を形成す。人類は長久に演化の環境に處し、生が何の爲に來るを知らず。生を欲せざれども已に生じ、死を知らずして已に死す。此れ人類の能く祈求し、自控し、主導する所に非ず。
故に人類は希望の中に如く願ふ所を求むる能はず。心中に必ず時に罣礙と不順遂を感じ、人類の求むる所能く自主し主導せば、進化の目的は即ち本位に歸す。又人の源頭は無極と虛空に在り。能く原本位に歸返するや。累世と今世の作爲を見るに非ざれば、方に達成す能はず。
進化の目的は、原本位に歸返するに在り。現世に於て演化の過程に由り、改造と精進を經過し、即ち方に進化の初步段階に達す。人類は改造精進の作爲を經過し、心中の「至明」の一段階を形成す。此れも不過ち原本位の開頭に達するのみ、回歸本位には尚ほ一段の長き距離有り。
如何にして現世に作爲せん。乃ち當務之急なり。人類に進化有りて、方に創進の原動力有り。又創進の本質と目的は、衆生の福祉を増進せんと欲す。宇宙開創の無爲を以て論ずれば、人類の進化の方に造福の目的に達す。又道場の開創は、時に蒼生の必要とする所の精神依歸を導引す。
若し宇宙の開創無為（無為）³⁹を以て論ずれば、人類の進化 方に造福の目的に達し得る。また道場（道場）⁸⁷の開創、適時に眾生の需要する精神の依歸を導引いたします。教條と戒律（戒律）³³を立てて修持（修持）¹²の依據となす。道場の善眾においては自己の修持を以て最終目的とせず、また眾生を提攜するを共識となす。すなわち修持するによりて已に能く達し、かつさらに他人に達し得る。この一人の提攜 眾人の成就を形成し、また行為 已に人類の作為を超え、能く菩薩行（菩薩行）⁶²・仙仏（仙佛）²⁰心に達す。それでは個人成就するとも、即ち因果（因果）⁵の束縛を受けず、能く己を成し人を利し得るものでございます。唯だこれ 因果の束縛を受けずといえども、人間の修持においては、時に境を受けて轉ずるに落ち、因果に落ち易きに導かれます。故に能く長遠に菩薩心・仙仏行を保持して、方に因果の束縛を受けず、即ち能く解脫するのでございます。道場と現世の環境、開創の人によりて、時に道場を執持し、この現世の環境を我創造すと視なし、常に執して放たず、利他の行為において已に固化とならん。縱し道場の因緣を成就するも長久なること能わず、また私の認定あるによりて公に出ず、またいかに良善の福祉 施予するあらんや！開創の中 徳業（德業）¹⁰³を成就せんと欲せば、必ず能く開創して執有せざるべきであります​然らずんば能く長遠にして悖らざるや否や？開創を己の有なりと執著するも、また僅かに短暫の「曇花一現（曇花一現）¹⁰²」に過ぎず。綜觀するに歷代の道場 長存する者、皆 創造して執持せず、開創して佔有せず、方に長遠の道でございます。進化の目的、眾生の福祉を提昇せんと欲するにあり。提昇の中において心中の原本を探求するに、この種の探求 必ず諸多の困惑と迷茫を生じ、また多くの無明（無明）⁷⁹障礙を造就す。必ず眾生 能く心中の光明を點燃し、清寧（清寧）¹⁰¹本性を回復し、さらにこれを以て天地と相接して、回歸の目的を達成すべきでございます。進化本體要提昇 次次回回作修改 人間一切都如此 不久遭逢被淘汰 人類才能有大成 就有精緻品質增 固化不改難進馳 無法跟上好因質い素質についていけなくなる然らずんば！心中の光明を點燃するなくんば、また何ぞ清寧（清寧）¹⁰¹本性に達するを來たさんや？本位に回歸せんと欲するも、登天よりも猶難し、ただ累世の中に打滾するに過ぎず。ゆえに進化の目的、これ心靈を清淨無為の境界に歸至せしむるにほかならず、すなわち能く「真無為」の增長あり。故に人類眾生 甚だ此の觀念を有すること難しであります。
教條と戒律を立て、修持の依據と爲す。道場の善眾に對し、己が修持を最終目的とせず、而して蒼生の提携を共識と能くす。修持に因りて己れ達し、且つ能く他人に達す。此の一人の提携は、衆人の成就を形成し、又此の種の行爲は人類の作爲を超え、菩薩行・仙佛心に達す。
然らば個人の成就は、即ち因果の束縛を受けず、能く己を成し人を利す。惟だ此れ因果の束縛を受けざると雖も、人間に修持すること、時に境に落ちながら轉ぜられ、因果に落ち易し。故に能く長久に菩薩の心・仙佛の行を保持すれば、方に因果の束縛を受けず、即ち解脫を能くす。
道場と現世環境は、開創の人に因り、時に道場を執持し、此の現世環境を我が創造と視る。時に執著して捨てざれば、即ち利他行爲上に已に固化を成し、縱ひ道場の因緣を成就すれども能く長久ならず。亦た私有の認定に因りて公にに出ず、如何にしてか良善の福祉を施與せん。
開創の中に、德業を成就せんと欲せば、必ず開創して有を執はざるを要す。然らざれば能く長遠にして悖らむや。開創を執著して己が有とせば、亦た僅かに短暫の「曇花一現」のみ。綜觀すに歷代の道場にして能く長存する者は、皆創造して執持せず、開創して占有せざるに在り。方に長遠の道なり。
進化の目的は衆生の福祉を提昇せんと欲し、提昇の中に心中の原本を探求す。此の種の探求は必ず多くの困惑と迷茫を生じ、亦た多くの無明障礙を造就す。衆生に能く心中の光明を點燃し、清寧の本性に回復し、再び此れを以て天地と相接し、而して回歸の目的を達成せんことを要す。
第十回 無常
九天司命真君
1993年12月11日　癸酉年十月廿八日（六）
九重の天地は無極を開き  天德大道に正氣あり
人間煙火の生を司り  命に無ければ時として倚るを求む
真道は私無く學理の基  君子の治は世の迷いを化す
堂に降りて無常の論を闡べ  詩に衆を渡して真理を剖く
每一の環節も決して同じからず、類似し得るも已に甚だ容易ならず。
ゆえに人生の中、無常 必ず時々我らの四周を圍繞す。
例えば——大道の車流、每一時段 皆一種の環節にして、紅綠燈を經過し前方に轉換すれば、また另一個の環節（結）と空間が待受けている。
人間に進化有りて、就き人類の生存有り、方に欣欣向榮を成就す。萬物の當中に人間の進化無くば、一切の因緣に進化に因りて造就す。人のうちに若し進化無からば、必ず退歩し、即ち守舊なり。保守を以てせば、必ず進化を成し難し。然りながら人の一生の中に、進化は必ず具備すべきものなり。
進化の過程は無常の過程に依り、人は娘胎を出づるより、進化の段階を經過せざるを得ず。進化の中に必ず無常の存在有り。每一の環節と時段は皆無常の中に在り。故に無常の方に進化（歩）を造就し、正に兩者の相存相依にして、人類の生存取向を造就するなり。
人、娘胎を離れし後、必ず哺乳撫養を經、牙牙として語を学び、長ずるに及び、教育に由りて生存と爲人の道を明らかにし、進みて學習の中に、漸々に社會の各段階に入る。此れは一個の轉化過程にして、亦た過程中に各時段皆同じからず。故に人生は一つの芝居の如く、每日に繰り返して上演す。
各環節も亦た決て同じからず、縱ひ能く類似すと雖も甚だ不易し。故に人生中に無常は必ず時に我らの四周を圍繞す。例を舉げむ。大道の車流、每一の時段は皆一種の環節、紅綠燈を経れば前方に轉換し、又別の一の環節（結）と空間を待つ。
これ一個の轉化過程にして、過程の中 每一時段 皆同じからず。
一條の道路より駛り來り、何者が能く見る所の人事物に類似せん。實には皆同じからず。即ち人生の當中に、時に狀況に眼前に現れ、時空を轉換すれども亦た同じからず。若し朝八時に出發し、十時に目的地に到るを預定せば、道路は同じと雖も、其の間に經る人・事・物・景觀は皆同じからず。
ゆえに人生 まさに一齣の戲のごとく、每日皆 重ねて上演されるのであります。
正に人生は芝居を演ずるが如し。目的地に到らんと欲せば、只だ如何にして己が役割をよく演ずるに在るのみ。又每日清晨に食する物品に對し、烹飪を經て、人の求むる口味同じからず。素を好む者あり、葷を好む者あり。其の間は各人の喜愛の角度の差異に各別有り。
清淡の食物を好む者あり、肉食を來らさずんば止まざる者あり。又一日の食に、若し早晨に比較的清淡ならば、一日の清新なる頭腦を帶らす、思考力も亦た敏銳なり。肉食多ければ、清晨より翌日迄の思考力遲鈍なり。飲食の方面に清晨淡食を能くし、己が頭腦に清新の思考を与ふ。
清新の思考は己に無窮の福澤を帶らす。人は無常の中に、時に多くの良機を錯失す。若し清新寧靜の思考力あらば、能く己に多くの方便を帶らす。人間は無常の中に、時に四周の環境を轉換し、一つの芝居の上演の如し。各人皆主役にして、各人は亦た脇役なり。
生・旦・淨・末・丑、各人の扮する役割を見るに在り。大衆に歡愉和樂又は傷感不悅を帶らすを能ふ。皆是れ己に一個の演出機會を与ふるものなり。人類衆生は螢光幕上に扮する役割は、皆時に變化し、又時に異なり、刻刻に各人の異なる役割を上演す。
一條の道路を駛り來たりて、何れか能く見る所の人事物に類似するや？實は皆 同じからず、人生の中 時々狀況 眼前に出現し、轉換の時空もまた同じからず。
もし朝八時に出發し十時に目的地に到らんと預定せば、道路同じといえども、經過する人事物景觀 皆同じからざるのであります。まさに人生 演戲のごとく、目的地に達せんと欲せば、ただいかによく自己の角色を演ずるかのみ。また每日清晨 食する物品 烹飪を經過するも、每人の求むる口味同じからず、素食を喜ぶ者あり、葷食を喜ぶ者あり、其間 各人の喜愛する角度の差異 分別あり。清淡の食物を喜ぶ者あり、肉食を要する者あり。また一日の食 朝において較的清淡ならば、一日を通じて較的清新なる頭腦をもたらし、思考力も較的敏銳となる。肉食較的多き場合、朝より翌日まで思考力 較的遲鈍となる。飲食の方面 朝における淡食は、自己に清新なる思考を與うるものであります。清新の思考：自己に無窮の福澤をもたらす。人 無常の中、時に諸多の良機を錯失す。清新寧靜の思考力あらば、自己に多くの方便をもたらし得る。人間 無常の中、時々四周の環境を轉換するは、まさに一齣の戲の上演のごとく、每人 皆 主角にして、每人 また配角でもある。生・旦・淨・末・丑、端しく每人の扮演する角色を見る。大眾に歡愉和樂あるいは傷感不悅をもたらし得るや、すべて自己に一個の演出の機會を與うるもの。人類衆生 螢光幕の上に扮演する角色を觀るに、皆 時々變化し時々同じからず、刻刻 異なる 各人不同の角色を上演するのであります。一齣の戲：時に數段の章回に分かれて演出す。細思すらく、那の時段か同じたるを得んや？原版の帶を再び播放すれば、方に同じたるを得る。然らざれば 類似するも已に難能可貴である。播放の時段同じからず、人事物 皆同じからず、時間も同じからず、かくて已に無常の過往たるのであります。無常の過往 人の一生の中、時に自己のために鑽營し、また自己のために打算す。人類 すなわちかくのごとく作為す。人を自私なりと謂い得るや？否であります！人の私には公あり、もし眞に太だ「私」ならば、天理 能く其に大「公」を造らん。これ人類衆生の了知し得ざる迷障の事相であります！無常變化す人世間 時時變異す本恆常 無之無中 常に因あり 好壞 己の造る所 改變し得 一切の因縁 等閒に非ず 何人か識る眞理の篇 觸緣相受して 果報臨む 償報 自ら得て 福禍侵す人生の作為 すなわちかくのごとし。無常の中 何時歸返するや？すなわち一齣の戲の結束であります。世人に問う：一齣の戲の結束、後人に留むる評斷 何なるや？すなわち現世の所作所爲を觀て論ず。人類衆生 皆 世人に不好の評斷を留むるを欲せず。要言之：己の利をもて人を利し得て、方に名留千古なるのであります！
第十一回 變化
清水祖師
1993年12月18日　癸酉年十一月初六日（六）
清心は水の性の如く安寧にして、水中に垢なくして靈自ら清し。
祖傳の德訓に根本を培い、師の言は變化にして復た清明に歸る。
かくて人事物に仙仏を加え、普化の相互結合を合成す。
清水祖師 1993年12月18日 癸酉年十一月初六日(六)清き心 水の如く 性安謐にして 水中 無垢 靈 自ずと清し 祖徳（德）¹⁸の訓を傳え 根本を培い　師の言 変化（變化）⁴⁴して清明を復す人生 世に生存するは、時間と空間の相互交錯によりて成る。
人類 時間の流程あるによりて、方に空間の存在を造就し得る。
人生 もし時間の到臨なくば、因果の和合の造就なく、人の一生において、もし時間と空間の相互結合なくば、一切の因縁 必ず成立すること能わず。
また時間と空間の相互結合 方に成就し得るによりて、必ず時空の中 変化すること停むることなし。
しからずんば停頓すれば一切 開創し得ず。
此種の因縁法則、すなわち時間に空間を加うること 方に達成し得る。
人 必ず不斷の変化の中に處し、変化において方に創進あり、変化の過程 ただ因縁の降臨を待つのみであります。
もし時空の造就なくば、また因果の和合を達成し得ず。
例を挙ぐるに——人の一生に年月日時あり、人と相約定し 何時・何日・何月・何年・何地點なるかを定む。
此の約定の時刻、必ず時間の來臨を待ちて方に赴約し得。
時間已に定まり、地點 すなわち空間の選擇たるによりて、此の兩者相加すなわち時間に空間を加うること 方に達成し得る。
此の約定の期間、尚ほ交通運輸工具の促成ありて、方に目的地に抵達し、しからずんば必ず相約の人事物を成就し難し。
時間に空間を加うること 方に因縁の誕生を造就し、時間に空間を加うること 方に因縁の結合を產出するのであります。
もし本堂の著作と濟世の作為をもてすれば、亦 年月日時の時間を訂出し、地點 すなわち行善堂一樓の主席殿に在り。
もし二樓の無極殿なるや否や？亦可なり！此れ空間に諸賢生の參與を加え、および仙仏（仙佛）²⁰の降臨、正に天書と濟世利人の作為を進行しつつある。
もし時間に空間を加え、諸賢生と仙仏を加えて共に一處に成すことなくば、濟世著書の神聖なる工作を成就し得るや？甚だ難し！時間に空間を加え、さらに諸賢生の交通運輸工具をもて代步とすることによりて、方に善因縁の連結を促成し得るのであります。
また時間に空間を加うること、求むる所と相約の作為を達成し得れば、人類の生存 すなわち代代傳延する。
此の時空 夜間十九時三十分より、時間一分分經過す、これ時間の不停留であります。第一段階より今に至り、已に三十分の時空 消逝せり。人事物地點 皆同じといえども、時間の過往 已に同じからず。此種 時間同じく空間の中に成就する所、すでに第一段の文章にあらず。整篇の著作完成に至りては、また另一の時段流程であります。空間類似すれども時間 已に同じからず、人間の過程 皆かくのごとくなりやと體悟し得るか？また上回の著作の時間と空間について言えば、空間同じく、時間同じく、但是已に一星期の轉換にして、仙仏もまた同じからず。下回次に至りては、時間空間また同じといえども、已に一星期の轉換を經て、仙仏また同じからず。人生 すなわちかくのごとく、類似し得るも已に事過境遷せるのであります。人 皆 無常の中に時空の轉變を度過し、人生の中 各不同の遭遇あり。古云く：「命を恨みて天を怨むる莫れ」。人 命運の乖舛にして時々挫折と不如意に遇う。此段時間 人の作為によりて、無明（無明）⁷⁹の障礙・過錯怨尤を產生し、不如意と挫折を身に加うるに至る。不如意と稱すれども、不如意の中 過往の作為を借鏡として再び犯さず、次回の時空と事物の來臨前に、必ず先づ一番の修正をなして自然と重蹈覆轍せず。橫逆の來臨あるも、時に反方向の思考をもて面對すれば、さらに衆生を成就し得る。これまた一種の逆増上縁（逆增上緣）⁷⁸の激發であります。もし一味に順境の降臨を追求すれば、人類の劣根性の習慣のもとに、時に自己を迷失し、順境によりて衆生の造罪業の機會を增加し易し。ゆえに逆境の來臨、修持（修持）¹²者をもて觀ずれば、まさに最も成就の可能性あり。時に衆生の觀點多く同じからず、必ず衆生の何の角度をもて衡量するやを見るのであります。時であります、命であります、運なり——これ世人の常聞く所にして、三者の關係 實に分かつべからず。時間に空間を加うること相結合して、方に因縁を成就し得る。もし時・命・運 三者の配合なくば 必ず成就し難し。また人類の善惡の因縁の中、「靜慮」の思考をもて體會・省修し得るや否や。人の思考 善心の驅使を加えて、自己を警惕の中に行持せしめ、經驗の累積によりていかんとして作為すべきかを明瞭にす。かく正道を行じて、人生の光明の大路を開き得る。蒼生 願わくは《大道（大道）¹⁰天徳》の——まさに橫逆をもて衆生を成就することを體悟せよ。もし一番の磨鍊と考驗を經ずば、いかんぞ更に高き境界に達し得んや？眞理の更迭 是れ平常 明識す 天地の変化 常であります 人類 日々 変化あり 小より大に至る 同じからず 宇宙の法則 亦恆常であります 日日同じからず 本如常であります 何人か 不変卦なるを得ん 無常の來臨 已に昇華す然り！世人 もし太だ容易に之を得ば、必ず容易に得るによりて善加珍惜せず、豈に大道自然の運轉と相互違悖するにあらずや？仏の言に「沙を淘して始めて金を見る」と。蒼生に祈望す、當前の所有する一切を珍惜するのみならず、さらに未來の幸福を開創するに努力し、世人の福祉を永遠に造就せんことを。皆 願意なるや？
第十二回 流程
北極玄天上帝
1993年12月25日　癸酉年十一月十三日（六）
北極布化して迷癡を拯い  玄天の教化に正氣あり
上帝は大道の論を著作し  詩を降して天德の期を提說す
無常變化の流程  相對の陰陽是れ平衡
因緣和合を媒體と爲し  時空は旋轉して留まらず
かくのごとく好事壞事、好因壞因、必ず人類の作為と應對を觀て論ず。
好きも未だ好きとは限らず、壞きも未だ壞きとは限らずの分別あり。
また何ぞ此種の差別性あらんや？好因 好縁を成し、壞因 壞縁を成し、好因 壞縁を成し、壞因 好縁を成す等、不同の分別をもて成就するは、人の作為の中 いかんとして善德因縁を完成造就すべきや？方法 必ず寺廟・宮堂及び善德智識と前賢に親近し、開導を與えしめ、あるいは諸天の仙仏の加持普照を蒙ることを要す。
無常變化は、人類の世に處りて生活するに、時刻も時空の旋轉に止まず、時に時空の流程に多くの變化有り。各環節の轉換に對し、人人は皆陰陽の相対立に處す。此れの方に一切を成就す。人は即ち對立の當中に在りて因緣を成就し、未來の善惡を區分す。
若し只だ時空の旋轉にして因緣の促成無くば、必ず何れの事務をも成就し難し。又人の一生に、因緣和合は最も重要なる一环なり。果して因緣の促成に機會無からば、即ち因果定論無し。又人の一生に、因緣和合は正に成就す。甘・苦・酸・甜・鹹・澀の過程なり。
即ち業障の來臨と考磨の前導に由る。又僅かに因緣和合の開端のみ。然れども因緣の開端に對し、亦た成因の關鍵なり。其の後は即ち果報の成熟條件なり。果報の成熟に、尚ほ成就の過程の善きか惡しきか、未だ定論を下し難し。此れ因緣果の關係なり。
時に一事務の來臨は、惡（壞）の果の如く見えて、人類の作爲の當中に、若し善德の心を以て行使と造就を爲し、又感恩の心を以て完成せば、惡（壞）果の來臨の如く見えても、後果は能く相反する善緣（果）を得。時に善（好）因の如く見えても、人の作爲に大きな變化有り。
これ因縁果の關係であります。
常に知らずして、互に猜忌と惡毒の心を以て行使と作爲を爲せば、時に善果（因）も亦た惡因惡果と成り得。如くして好事壞事、好因壞因は、必ず人類の作爲と應對を以て論ず。好は必ずしも好に非ず、壞は必ずしも壞に非ず。又何ぞ此の種の差別性有るや。
時に一事務の來臨、惡（壞）果と見ゆるも、人類の作為の中、もし善德の心をもて行使と造就をなし、感恩の心をもて完成せば、惡（壞）果の來臨と見ゆるも、後果 反對の善縁（果）を得ることあり。
好因は好緣を成し、壞因は壞緣を成し、好因は壞緣を成し、壞因は好緣を成すと、異なる分別を以て成就す。人の作爲の中に在り、如何にして善德の因緣を完成造就せんや。方法は必ず寺廟・宮堂及び善德智識と前賢に親近し、開導を与へ、又は諸天仙佛の加持普照を蒙る。
時に善（好）因と見ゆるも、人の作為の中 また大いなる変化あり。
世人は皆吉を趨け凶を避くる本能あり。善と吉祥を喜び、惡と禍を棄てるは、乃ち人の本能（經驗）に已に此の觀念を具備す。甚だしきときは此の觀念は根深くして拔く能はず。時に惡運凶禍の來臨に遇ふに及ばば、必ず寺廟宮堂に至りて解厄の方法を求め、平日に善德功果を積める者は、方に能く早く苦厄を脫離す。
往々にして不知情をもて、互相猜忌と惡毒の心をもて行使と作為をなし、時に善果（因）も亦 惡因惡果に變ずることあり。
若し善德の因緣無く、又事理を明めざれば加はらば、必ず迷茫して措く所を知らず。即ち心急きて亂れて藥（醫）に投ずる現象を造成し、以て一連串の苦厄を引發して身心を磨かしむ。又一樁又一樁の考磨は、時に正に己が「頑冥固化」にして體悟し難きに由りて導致す。
即ち考磨の過程に由り、他人よりも多く來り、又他人よりも慘痛を來す。時に新殃を造りて自ら知らず。如くして誠に可憐なる衆生、時光の流程に對し一刻も留まらず、又考磨の過程に、時に仙佛に對し不信任感を生じ、時に考程に受け志を退く。
世人 皆 吉に趨り凶を避く本能あり。
善き吉祥を喜び、惡しき禍を棄つるは、人本能（經驗）已に此觀念を具備し、甚だしく此觀念 根深くして牢かに拔くべからず。時に惡運凶禍の來臨するに遇えば、必ず寺廟宮堂に至りて解厄の方法を求取し、平日に善德功果を積む者は、早日苦厄を脫離し得る。もし善德因縁なく、また事理を明かにせずんば、必ず迷茫として措る所を知らず、急病亂投藥（醫）の現象を造成し、以て一串の苦厄 身心を磨するを引發し、又一樁又一樁の考磨、時にまさに自己の「頑冥固化」 體悟し難きに導く所以である。すなわち考磨の過程 他人より多く、また慘痛を加う。時々新殃を造りて自知せず、かくのごとき眞に憐れむべき衆生であります。時光の流程 刻も停まらず、また考磨の過程、時に仙仏に對して不信任感を產し、時に考程を受けて退志を生ず。ことに道場の修持子、事理を明かにせず、自己の固化を加うるによりて、考磨の期間 事理を明かにせず、また善德因縁の培植なく、時空の流程 必ず較的長遠となり、考の過程も較的長く、磨の流轉も較的久し。人生の時空の旋轉 一瞬にして、已に多くの環節を過ぐるのであります。考磨の過程、總じて甘甜順境 較的短きを覺え、一生 經常 苦厄の中に度過すと感ず。現世 了脫し難し。人 現世に時空の距離を縮め、また現世報應の因果過程を縮短（接近）す。ゆえに人の一生、いかほど久しく酸・甜・甘・鹹・澀の過程の中に處するや？必ず何の心態をもて處世と完消應對するやを見るのであります！無常の変化、時時にして同じからず、流程の中も亦 每分每秒同じからず。綜觀す——現世の車禍の發生 分秒の中に產生するのみ。もし仙仏の濟渡導引を受けば、必ず大事を小に化し、小事を無に化し、凶に逢いて吉に化す。これ必要なることであります！人類一世の流程 喜怒哀樂 日日あり 流逝過去 回返し難し 回想記憶 堪え蹉跎す 一切の因縁 皆實眞であります 悲歡離合 是れ人生 曾て走り過ぎて 再び反觀す 人世の因果 更に高く轉ず因果はさらに高次元へ轉ずる時光の過往も、またかくのごとく轉瞬の間に因縁を成就す。すなわち人の一生、ただ時空の轉換に過ぎず。もし因縁 遇い難くば、事務 發生し得るや？否であります！必要 人生の方向を把握し、當下にして方に成熟し得る。またすべての過程も、ただ人類の心態の轉換に過ぎないのであります。もし放下し得て、看開し得ば、人生 すなわち歷史の過程の中に、見證の一頁を留め得る。轉瞬の時空、自己のために停まり得るや？甚だ難し！皆 轉瞬の空間の中に在りて、時光 必ず停り難く、捉摸し得ず。當に人生を把握し、自己一生の預測（準備）を善くなして、かくのごとく方向 偏離せざるべきであります​
第十三回 相對（陰陽一）
南屏道濟古佛–濟公活佛
1994年1月1日　癸酉年十一月二十日（六）
濟世の公心は宇宙に貫き、公德は天心を愁へず。
活潑なる人間は皆相對にして、佛心の德憫は本より內修す。
日辰の照耀 光明世界と謂い、月辰の照 陰盛世界と謂う。
もし日辰の照耀のみにして萬物 動の中に在らば、必ず靜止の時刻難く、休息の時程も難く、恆を保持して平衡に達すること能わず。
ゆえに日辰 光明陽盛と謂い、月辰 黑暗陰盛と謂う。
兩者の間 相輔相成して方に「恆常生機」あり。
南屏道濟古仏-濟公活仏 1994年1月1日 癸酉年十一月二十日(六)濟世の公心 宇宙に貫き 公徳 爲すなく 天心愁う 活潑なる人間 皆相対なり　仏心徳憫 本內修す天地萬物、陰陽の相対の中に立てり。
相対の中に處し、相対して平衡す。
又 萬物 皆 陰陽の相対ありて、方に傳延を成就し、もし陰陽の相対なくば、必ず生生不息の傳延を達成し難し。
傳延において、方に輪廻（輪迴）²¹の生息を造就す。
人世間の生存に對しては必要性であります。
地球星系 太陽と月亮の相互光熱の照耀あるによりて、方に地球空間の人類を造就し、大地に欣欣として榮ゆる機を與う。
白天 日辰の照あるによりて、方に成長の目的に達す。
もし日辰の照射なくば、天地萬物 必ず陰暗昏沉に處し、生息の良機なし。
萬物 必ず日辰の照耀をもて、方に成長空間を促成す。
日辰の光明の賜物、必ず人類と萬物の需要する所であります。
人生 日辰の照耀なくば、沉悶に處して生機なく、自然 光明の顯現なし。
萬物 日辰の照耀あるによりて、方に人世間に成長進步の空間をもたらすのであります。
日辰をもて言えば、白天の運轉 動の極（陽盛）と謂う。
動極 必ず反して陰となり、陰より漸次 陰盛（極）に至る。陰極をもて人類萬物の靜止時程となす。靜の中 轉を見ずといえども、宇宙空間をもて言えば、此時刻 必ず經過す。かくのごとく陰盛にして靜なるは、動かずといふにあらず、靜止なりといふにもあらず。ただ人類の肉眼の可视と感覺し得ざるを代表するのみ。ゆえに陰盛に對しても亦 人類と萬物 動の極によりて休止す。かくのごとく人生の中、もし一味に工作して休息の時間なくば、勢ひ負荷し能わず。故に陰盛の時空ありて、方に人類と萬物に休息の空間を與うるのであります。もし人類萬物 一味に工作（動）することのみ知りて、休息（靜止）の機なくば、必ず爭端不平の世界となる。ゆえに陰盛 人類と萬物に充電と休息思考の空間を與え、明日の挑戰に迎接して生息を作さんとす。易言すれば——陰盛の來臨は、衆生に再出發の「生命契機」を與うるものであります。萬物相対す——男（陽）あれば必ず女（陰）あり、兩者 生息傳延の命脈である。もし相対の陽なくば、必ず孤陽あるいは孤陰によりて成長し難し。然れども陰陽 相生の契機をもて、萬物の福を造り、衆生に更に豐富なる成長空間を與う。これ甚だ如實にして必要なるものであります。もし萬物に生存進步の養分を與えずば、必ず保守して進化し得ず。ゆえに人生は一串の不停の創造（創造）⁴⁰および流轉の過程をもて成就す。綜觀す——人類萬物の開創の史蹟を論ずるに、人類の「陰女・陽男」あるによりて、方に生長を促成し、後代子孫に舒適の環境を傳延し得る。ことに現今の人類の生活 最も舒適にして、遠古の不能なる所、今 已に達成し得る。上古の無き所、現今 已に眼前に在り。此種 まさに當今の科技文明の顯現にして、現今の衆生の厚福と謂うべきであります​すなわち必要 此種の上蒼の恩賜を善加珍惜し、方に爲人の道たるのであります。衆生の厚福、此世に顯現すれども、尚ほ福報不足の者ありて、小瑕疵あり。まさに「自殺輕身の謬論」であります。もし自己のために福を造らず、かえって衆生に不良の榜樣を殘さば——人身 難得 此世界に生ず、必要 有生の年を珍惜す。然れども經常 苦難較的多く考磨較的深きことあり。もし反面より觀察・體會し、磨難と橫逆の來臨に 感恩の心をもて克服せば、完成の中 人身の歷鍊を增加し、自己に成長經驗あらしむるを得ん。かく何の樂かざらん？もし一味に現世の考磨 難挨又難過なるをもて思惟せば、恐らく再び人身を造就し難からん！有情の衆生 何人か識る 陰陽日月 善惡登す 唯人 自ら召し 良否を分かつ 人間の相対 本實眞であります 局限を跳出して 超越成る 好壞福禍 自ら造り慎め 未來の報償 必ず明臻すの報償は必ず明らかに至る試思せよ：他國には尚ほ食不裹物、衣無蔽體の困境の諸多あるに、再び反思せよ——蓬萊仙島に生ずる衆生、遠く他國および神州の衆生よりも厚福なるに、豈に輕言「輕身自盡」すべけんや？須知すべし——身の亡ぜる後、壽年未終の時、尚ほ枉死城に監禁せられ、受苦受難して壽盡に至るまで！此種の境況 遠く現世の苦難よりも 百倍以上 難挨にして、一死百了して解脫し得るにあらず。生生累世の中 每日必ず再び自殺一次し、重覆痛苦の悲哀をなさん。此點の傳謬論は糾正すべく、屆時後悔して人身を復し難きを免れしめ、受苦遙遙として止期なく 又 何ぞ必ずや？眞に可嘆加悲哀なるものであります！
第十四回 平衡（陰陽二）
虛空上人–南無虛空上德人天古佛
1994年1月初8日　癸酉年十一月廿七日（六 )
虛實の人生は宇宙に貫き、空轉して世間に心疇を培う。
上德は己に由り心に任せて爲し、人間の著作は平衡に就る。
もし三界の內に在りては、仍陰陽兩極の開端に屬するのみ。
人類の生存に對しては必要なるものであります。
然り！陰陽兩極の相対、必ず互に相生相長し、また相生相剋して相互に成る。
人世間と幽冥界は、正相対であります。
虚空上人-南無虚空上德人天古仏 1994年1月8日 癸酉年十一月廿七日(六)虛實の人生 宇宙に貫き 空轉の世間 心疇を培う 上徳 己に由り 心を任すとして　人間の著作 平衡就る宇宙の形成 乃ち大虛空の空間ありて、方に成因と環境あり。
宇宙に對して言えば、人類の生存する地球空間 乃ち滄海一粟に過ぎず。
また人世間の生存空間 萬物と陰陽の相生相成の世界より成る。
生活空間の中に 絕對の「相対陰陽」あり。
方に人類生存の空間世界を成就す。
陰陽の兩極の中、もし相対なくばすなわち平衡なし。
故に世界の基準點 守中（守中）⁷⁷にあるのみと言う。
平衡不足なれば、必ず偏悖一方となり、偏一方をもて論ずれば、必ず陰陽の消長の成就し難し。
此種の相対過程、ただ人世間に方に用あるのみであります。
此空間を離れなば、相対平衡し難し。
ゆえに宇宙空間について言えば、また相対の關連を具備するに因らず。
宇宙の他方世界には、此相対なきによりて、故に三界（三界）²⁴の外に跳出し得る。
人世間には日辰の照耀あり、月辰の來臨あり、兩者 必ず相輔相成して、方に現今世界を成就し、陰冥世界より超越良多たるのであります。
幽冥界をもて言えば、日辰の分ありといえども、日辰の照耀 不足の處 すなわち陰冥世界となる。「陽間と陰界」をもてすれば 必ず相対論にして、形成は最終 必ず「陽間を成就し、陰界を改造する」をもてして、三界普渡の說あり。すなわち「三曹普渡」の總關鍵 まさに此に在るのであります。陰陽相対の平衡點 すなわち守中に在り。守中の要旨、まさに一方に偏悖せざるであります。かくのごとく互相消長の過程、すなわち物極必反の道理を避け得る。守中の本義：衆生の物極必反の理をもて、修持の準則となし、準則をもて圭臬となして、方に守中の本義に達す。すなわち三度空間の輪廻を脫離し、三度空間において根本了斷をなす。了斷において 必ず輪廻の苦磨を脫出し得る。然れども人類衆生 日常の觀る所 皆「相対性」を出で得ず、また平衡し難く、不知足・不感恩を形成し、人生の業障を知らず、まさに日常の所作所爲によりて成るを知らず。すなわち困厄の磨・橫逆の阻を了脫し難し。もし業障の桎梏を脫離し難くば、時々輪廻の中に打滾す。此種の平衡準則、すなわち物極必反の道理を明白にすべきであります​また日常の中 一日の生滅を行ずる、まさに日生滅をもて、人類生存の標準となすのであります。何人か一日の生滅を脫離し得るや？甚だ難し！心を放下し得て、日夜陰陽と相互對待の存在する所を知らず——人類衆生皆 陰陽の對待の中に存在し、脫離の跳板あること鮮少にして、皆 時々相対の中に在りて、人生の守中に立ち難し。故に修持するや否やを論ぜず、心境を守中の點に寄託すべし！必ず一方にも偏悖せず、すなわち三度空間を脫離して、另一の境界の成就に達し得る。また平衡の基準 一方にも偏悖せざるのみ。人類 平衡の生活において、必要 時々知足し、時々創進す。もし知足のみにして創進を知らずば、守中の點に達せんと欲するも、眞に登天よりも尚難し！平衡の本質：すなわち知足に創進を加うるをもてす。現世において成就の機會あるべきであります​しからずんば僅かに知足し又創進せずば、必ず守舊となりて守中にあらず。守中は必要 創進ありて方に達し得る。此修持の最高境界は「開悟」であります。開悟の過程 必要 明理覺悟し得べきであります​「菩薩 覺有情（覺有情）⁵⁸と稱す——覺悟情」であります。守中の要義：衆生に先づ「開悟」して後に「覺有情」ならしめんと欲するであります。すなわち菩薩行（菩薩行）⁶²の行持にして、原性（仏性）を彰顯せんとす。修持は必ず明理實行して覺有情となり、進んで仏性（佛性）¹¹の世界に達す。此種の人類衆生 すなわち衆生のみにあらず、已に菩薩體と仏體であります。ただ人類 察覺し難きのみであります。平衡の道 人に利し 歸せしむ 相対の局限 上下を分かつ 世間の相対 看清すべきであります 所有の障礙 超越し得 一切 人の爲なるを明白にし 提昇と沉淪 互相推す 長久の居住の情にあらず 回歸の必要行あり回歸の必要な行がある此種の過程、もし覺有情（覺悟情）の修持成長を經ずして、仏性の彰顯に達し得るは、すなわち胡亂瞎說に過ぎず。人類切記すべし——愚弄されて自知せざるを。修持 長久の時間にして初めて不對を感知するも 已に遅し。人世間 覺有情（菩薩行）仏性の世界に達せんと欲せば、必要 按部就班に、一步步 往上に行走すべきであります​いかんとして往上に增長提昇するか、乃ち眞に受益回獲たるべし！此種の條件あるは、まさに自己の增長超越を作すであります。また未來 必ず如實回歸し得べく、提昇して超越增長し、如實證果して仏菩薩の成長に達する所以であります。
第十五回 眼色（第一識）
南宮孚佑帝君
1994年1月15日　癸酉年十二月初四日（六）
南宮は啟化にて天書を著し、大地を孚佑して德臻の主なり。
帝君は降來りて眼色を論じ、詩を降して賢生を殊に勉勵す。
まさに人類衆生 此種の傾向と感受あり。
然れども良きや否や？皆 人類生存の過程を脫離し得ず。
人生的一切 「好と惡の分野」に在りて、相対の中 平衡の守中し難く、まさに相対陰陽の準則を離れず。
眼の觀色、眼 人生の初動の緣由である。
南宮孚佑帝君 1994年1月15日 癸酉年十二月初四日(六)南宮 啟化して天書を著す 孚佑 大地 徳 主に臻る 帝君 降り來たりて眼色を論じ　降詩して賢生の殊を勉勵す人類衆生 每日見る一切、皆「眼の觀る所」の必要に在りて、行為目標動作を達成す。
此眼の觀る得る一切、皆 人生の因縁を離れず。
又 因縁の造就も、含因（含因）⁶³の成分を了脫し難く、すなわち第一識（眼觀色）の觀る所において、人類の第一步となるのであります。
每日の開始 第一の動作、必ず兩眼を睜きて世界を看、一切の作為 すなわち「眼色の觀る所」を離れず。
然り！眼の觀る範圍の內、必ず自己の造就する一日の開始に在り。
此種 一日初發の前、一切の初始に對し、必ず眼の觀視し得るによりて之を定む。
眼の觀し得ざる縁、すなわち一日の後に在りて、方に當日の緣由（因）を形成す。
緣因の形成と初動に在りて、もし眼の見る所なくば、因果の和合の目的を達成し得ず。
故に一日の初緣、もし眼の觀る所を經ずば、其緣 果を成さんとするも比較的困難であります。
人生の第一識：修持ある人と無き人を論ぜず、皆 人類生存の第一識に同じ。
まさに眼の觀る所にして、方に「因縁和合」の原動力を組合せ成す。
世人 皆 艶麗美好の一切を喜好し、不良雜亂陋色を惡む。
人生 もし眼の視る所を經ずば、好と惡の分別 必ず成立せず。
ゆえに一切の因縁に對し、必ず眼の觀る所を透過して、方に更に一步進みて行動する所あり。しからずんば必ず成立し難し。人類生存の中、もし盲者の見ざる（視障）をもてすれば、一切を觀視せんと欲するも無く、故に造業の機會 亦 相対に減少す。但し盲（視障）なるによりて衆生 皆 眼を矇ずるにあらず。此種の因縁條件、人生 何に創進の機會の來たるや？故に眼の觀る所ありて、方に世界の美好円満（圓滿）¹³を造就し得る。眼も亦 優美艷麗を喜ぶ。此種 優美艷麗の色彩の中、人生 必ず喜好するによりて、行動の緣由を加速す。艶麗美の本質、必ず眼視を透過して達成す。世人の喜好 同じからず、經常 人の觀る得る「眼色」の作用の中、各人の喜好によりて創進を加え、最後 必ず不美と灰暗の色澤を摒棄す。此種 創進改造ありて、眼の喜好する色澤となる。然れども眼の功能 視覺の中に在りて、必ず人類觀視の前鋒たるのであります。又其前鋒 衝鋒陷陣を要せずといえども、人身の中 人類生存の第一要件である。是故に人生 必ず眼をもて靈魂之窓となし、其承受する功用、まさに人類生存の本質 原始要件である。此種 すなわち人世間の必要條件にして、人類每日日常の需要性を造就するのであります。眼觀色：第一識である。其後 眼の觀る所によりて大腦中に傳え、大腦の思考を經由し、其他の相關器官の功能作用を指揮す。人一生の中、「眼視」あるによりて人と人の因縁を產出す。又 眼視の具備する角色、古云く「非禮莫視」。必ず眼の功用によりて福禍の緣由を達成す。古訓に：眼觀を正當に用い、眼 邪色を視ず。すなわち人の原由初動の中、眼視するによりて一切を成就す。但し六識 必要 眼視を透過して意念の中に傳え、人間の善と惡、美と醜を分判す。人類 もし眼視を善加利用し得ば、人生幸福の開端を造就し得るのであります。現今をもて言えば：もし眼觀色なくば、又 仙仏降臨の時、文章 成篇し得るや？否なり！此種 眼の觀る所の功用、まさに世人の多く善書經典を看、多く利己利衆の書籍を閱し、貫通運用すれば、すなわち多聞達理ありて、自己の慧覚（慧覺）⁸の擴展視野を成就し、更に利世助人し得るのであります。眼觀色塵 第一たり 此の福なくば 天 黑暗であります 人類衆生の根本 形形色色の大世界 人間 皆 具足すべき期 所有の色彩映基し難し 第一識の種 眼 塵を觀る 起始 造業 此の中に生ずこの中に生ずる眼の功用：人身において擔負する角色 甚だ重要であります。もし眼觀色なくば、人類世界 すなわち黑暗となり、光明の來臨を見ず。眼の功用 すなわち光明の前導であります。もし人身の中 善加珍惜せずば、必ず自己に無窮の煩惱をもたらし、又 生存の中 必ず眼觀色をもて基本となす。人類衆生 もし眼に對し何らの疏失あらば、必ず人類に諸多の煩惱と苦楚を添加す。眼 光明神ありて「靈魂之窓」と謂う。人身 もし光明の世界なくば、必ず黑暗の中に陷入す。光明を欲するや、黑暗を欲するや？すなわち自己の抉擇によりて良善の依附あるのであります。
第十六回 耳聲（第二識）
漢鍾離仙翁
1994年1月22日　癸酉年十二月十一日（六）
漢室の江山は唯德によりて致り、鍾毓の山林に清新の池あり。
離境は幻化して耳聲を提げ、大道天德にて迷癡を化す。
人類 聲響の大小によりて適應能力を調整し、人耳の功用を促成して、人生の所用の效能に達す。
人の聲音 もし正前方の遠處に在らば、顯現する所 僅かに「口動と唇齒」の開合を觀るのみにして、全部の音量を傳達し得ず。
又 耳の功能 音量の波動にして、音量 四周に傳達し、對方 すなわち接收功能を具す。
漢鍾離仙翁 1994年1月22日 癸酉年十二月十一日(六)漢室の江山 唯徳のみ致す 離境の幻化 耳聲を提す 鍾毓たる山林 清新の池 大道天徳 迷癡を化す人間の生存條件、必要 眼觀色・耳聞聲に因りて、方に人世間に立足し、兩福を失して體漏之人となることを免る。
體漏⁹⁷者すなわち前因の促成する所であります。
人 もし耳聞聲の功能なくば、必ず福報の中 已に一個の福分を減じ、人「耳聽聲」の福分を具足し得ざるであります。
人世間 美妙の音樂を聽聞し得ずといえども、人世間において 相対に不悅の言語を聽聞するをも減ず。
ゆえに人生 もし耳聞聲の福分を具足せずば、耳根清淨にして 人と爭端する機會を減ず。
人 眼觀色ありて方に色彩を促成し、繽紛亮麗の彩色世界を形成す。
人類の生存、色彩あるによりて彩虹の本樣を形成し、人世間 必ず色彩の形成する所ありて、方に五花八門 推陳出新して開創す。
眼の觀る得るは僅かに色彩と物品のみにして、其功能 人生六識の一を具す。
ゆえに人類 必要 雙耳ありて、方に耳聞の原動力を達成するのであります。
人 耳聞聲ありて、自己に一種の警惕を與う。
又 聲響 人類の承受し得る音量を促成すなわち限制あり、無限量の聲響にあらず。
必要 人類の忍受し得る範圍の內に在りて方可であります。
假如 打雷爆炸の聲響、もし咫尺の近きに在りては、負載する音量 人の忍受し得ざる所であります。
聲響 遠方に在らば、接受し得る所 又 另一番の處境であります。
人の音量の負荷 確に極限あり。
しからずんば聲響 太だ大なる時、必ず人の耳膜 震破して負載し得ず。
耳識（耳識）⁵³——人身體の中に重大功效を具す。
人の講話：まさに溝通管道の功用を達成し、又 如何に接收し回應するかの功能の效益を具備す。人をもて觀るに、もし耳功能 顯ならずば、必ず重大なる耳疾ありて方に此效用を失す。現今の人類 時代科技文明の賜によりて、耳疾の病症 他の器材を藉助し、耳の功能を補助回復し得る。人の一生、もし健全なる雙耳功能を具せば、すなわち福分一樁であります。耳の功能において、人 必要 此種の福分を具す。もし此福分を具足し得ずば、現今の科技をもて其不足を補い得る。實に人類の一大福音、大厚福の導く所であります。此種の條件 人類の福分をもて之を定む。耳聞聲——六識の中、眼觀色の促成する所ありて、他の功能の相互促成に因る。人の身體の上、必ず接收效益を具す。人類衆生 もし眼觀色して耳に傳達せずば、僅かに人體功能の上 各自爲政するのみ。此種の人類 必ず意識（意識）⁵⁷傳導の誘因を具せず。人の身體 必要 眼觀色を透過して、意識（大腦）の中に傳す。身體の他の功用によりて、彰顯し得ず又配合し難きは、此人 世上において必ず円満幸福し難く、人體功能 亦 各自爲政にして、密切に配合し得ず、人類生存の缺陷痛苦を產生して折磨を受くるに至る。又 人の耳 聲響を聞き得て、方に人類の正常生活を成就す。一般に言えば、人 生活の中 較的悅耳の音を聽聞するを喜び、又 他人の稱讚と好言を聽聞するを好む。人類も亦 好拍馬屁に趨向す。ゆえに「音聲」人生の中 盡皆同じからず、ことに讚美と好聽の言語において。すなわち有利の言詞 盡皆喜好し、比較的他人の批評責備を喜ばず。喜好と厭惡の分別を作す、すなわち音聲によりて、生存因縁の接收程度を促成し、善惡因縁の第二開端を成就す。人生 世に在りて具備する身體、必要 各部功能の密切配合ありて、方に目標作為に達す。人の第二識——耳聽聲、まさに接收功能を具す。もし大腦（意識）の分判を經ずば、功能の上 僅かに接收效益を具すのみ。又 雙向の傳導功用なく、身體各部の功效に在りても、必ず耳の聲響によりて、方に意識の中に傳送す。大腦の功用、亦 接收する所 己に利ありや否やを分別し得る。他人の言語 耳中に傳ずれば、人の意念によりて分判し、接收するや摒棄するやの分別を作す。人の一生、耳 常に善音を聞けば、不良の誘因を摒棄し、善良の音を常聞するによりて、必ず不良の含因を改變し得る。耳の功能も亦 人の選擇によりて、今世の效益を成就し、今生を成就し得る。耳聞聲は人生 成因の原來を具し、人の成因に對し、もし不善の「含因」を具備せば、必ず耳の傳導を經て、亦 摒棄して接收せず、人一生の中 多くの過錯と造業の機會を減少し得るのであります。現今の耳聾者、造罪の機會 亦 良多を減ず。人 もし不良の言詞を接收せず、あるいは接收したる後 左耳に入り右耳を出ださば、すなわち馬耳東風となり、造罪の機會を減少し得る。良善有利の言詞に對し必要 善加利用し、接收程度を改變して、己を利し他を利し、善智有用の功能となるべきであります​耳聽聲來りて好惡を分かつ 聲樂 動聽 甚だ美妙 第二識の種 耳 聲を聽く 好壞の変化 耳 心に傳う 有情の衆生 福德 澈す 人世當中 音 耳を悅ばす 良善の福報 生ずるあり 業果を引動して 自ら來り成すもし他人の不利・不善の言詞を投ずるを聞きて、すなわち暴跳如雷せば、此擧 自己に對しても忍受し難く、他人も亦 受け入れ難し。故に耳聞の功能、宜しく善德智識を多く接收し、自己を充實して己を利し他を利すべきであります​方に人類衆生 第二福報に於いて、具備すべき條件をもて受益する所以であります。
第十七回 鼻香（第三識）
張果老仙翁
1994年1月29日　癸酉年十二月十八日（六）
燈を張り綵を結んで氣象新たなり  陰德を積めば福自ら臨まん
老師の訓題は鼻香を論ず  道德の重整は心自ら淸らぐ
鼻の香臭を聞くは古來より有し  感知の神經は入世の究
明かに人間に苦難の多いを識り  提昇超越すれば必ず修む
人生一世に呼吸を要し  日日に必要にして奇しからず
第三の識種にして鼻にて香を聞く  欠缺すれば脹氣を生ず
此種 生れながらにして上蒼の賜う所、決して科技をもて移轉すべきものにあらず。
先天と後天の兩者 皆 具備すべく、若し不良の相貌に氣色の佳ならざるを加うれば、困厄橫逆の阻む所に遭逢するを觀ることを得る。
此種 他を言うを俟たず、僅かに氣色を觀るのみにて明瞭であります。
足見す、鼻の正歪と氣色は決して現今の科技の改變し得る所にあらず。
人の身体の各器官は、生存の中に已に重要な功能有り。人生若し身体の支撐無くば、必ず因緣和合を達成すること能はず。人の顏面に各同じからず。善相を得る者あり、惡相を得る者あり、良相を得る者あり、劣相を得る者あり。略く看れば、各人面目同じき者多く、又何れの原因に由るや。
然れども仔細に觀察せば、各人の面相は決て同じからず。人の臉上に目・耳・鼻・口有り、方に人類顏面を構成す。而して面相の上に分別して英俊あり、厚實あり、端莊あり、陰險あり、凶惡あり。多くの類似面相は、皆人の七孔に因り、方に人の相貌を成す。
相貌の人に於くは、先天の帶び來る所に屬す。更改する能はず。正に后天の德業・慧性を以て不良の相貌を変る。變らんと欲するや否やは、人の念頭作爲に由りて決定す。相貌を変ずるは大人に在り。此の條件は人の作爲に區別し、正に善惡と福禍の差別性なり。
此種の條件は他の器官の具せざる機能作用にして、鼻の好壞 其の一生を觀ることを得。
鼻は人の相貌の上に、正中の功效を有す。亦た人に鼻有り、能く人世の中に於て聞嗅の分判性を爲す。此の條件は他の器官の具備せざる功能作用なり。鼻の善惡は其の一生を観るに能ふ。若し鼻の優良なれば、必ず錦繡の前程有り。若し鼻の不正（不良）なれば則ち前程憂ふべし。
鼻の優良なるは必ず錦繡の前程あり、鼻の不正（不良）なるは則ち前程堪憂であります。
人の鼻の上には人生の福禍を主導する作用あり。人類の一生は鼻の蔭を受け、必ず人生に光明と歡樂を帶らす。鼻蔭を受けるは此の生の所爲に非ず、乃ち前世の累積にして成る。時に人の作爲は鼻を正しく且つ豐厚に得、更に聚財を能くし、人類に良善の生存空間を提供す。
人の鼻上には人生の福禍を主導する作用あり、人類一生 鼻の蔭を受くれば、必ず人生に光明と歡樂をもたらす。
現今の科技は能く先天の不良鼻型を變ずると雖も、氣色と相貌輪廓に於ては、長遠に不變を造ること能はず。此の種は生來上蒼の賜ふ所にして、決して科技の能く移轉する所に非ず。人の先天と後天の兩者は皆具備せざるべからず。若し不良の相貌に氣色の不佳を加はらば、困厄橫逆の阻みに逢ふを観るべし。
鼻の蔭を受くるは此生の所為にあらず 乃ち前世の累積より成る。
此の種は他に言ふに及ばず、僅かに氣色を観れば方に明瞭す。鼻の正歪と氣色は、決して現今の科技の能く更改變化する所に非ず。又鼻は人の相貌の上に、正に人類の一生を主導す。福・祿・壽・富・貴の關鍵にして、方に鼻の人の財帛に對し具備する條件を明らむ。
時に人の作為 鼻正しく且つ豐厚なるを得、さらに聚財することありて、人類に良善なる生存空間を提供するのであります。
人の相貌は先天に關はると雖も、鼻の功能の中に、鼻は香臭を聞く功能有り、己が善し惡しに選擇を与ふ。香の氣味・臭の氣味に對し、此の兩者の間隔は甚だ遠し。人の鼻は通気の功用を具ふ。若し鼻の塞がれば、思考の力は必ず影響を受く。
現今の科技 先天不良の鼻型を改變することを得と雖も、氣色と相貌の輪郭においては長遠に不變なるを造就不すること能わず。
鼻の主要功能は、亦た細菌感染を防止し、及び通暢を具備す。若し鼻の塞がれば、必ず口に藉りて輔助と爲し、必ず多くの困擾を造成す。生活に大なる疾痛を造成せざると雖も、間接に人の思考と頭腦の清新に影響す。故に鼻の通暢は、人類の生存に最も主要なる功能體を具備す。
又 鼻の人の相貌上において正に人類一生の福・祿・壽・富・貴を主導する關鍵たるによりて、鼻子の人の「財帛（財帛）¹⁰⁴」に對する具足條件を明白にするであります。
人の相貌は先天と關あり、然れども鼻の機能中において、鼻に聞香臭の機能あるによりて、自己に好と壞の選擇を與う。香の氣味、臭の氣味に對し、この兩者間 相距甚だ遠し：鼻は通氣の功用を具し、若し鼻阻塞を受けば、思考能力 必ず影響を受く。鼻の主要機能は、また細菌感染を防止し、及び通暢を具備することにあり。若し鼻塞すれば、必ず嘴をもて輔助とし、必ず諸多の困擾を造成す。生活において大いなる疾痛を造成することなしと雖も、間接に人の思考と頭腦の清新に影響す。故に鼻子の通暢は、人類の生存において最も主要なる機能體を具備するであります。人類 若し鼻を用いずして口をもて呼吸に改むれば、必ず細菌及び他物の侵入を阻擋し難く、容易に人生の他疾を造成す。故に鼻の功用 甚だ重要にして、輕視すべからざるである。若し鼻息止まり呼吸即刻來らざれば、俗議に：「懶惰喘氣、即ち死屍一具」となるところ、人類は呼吸をもて生存をなすものであります！鼻の呼出・吸入は、人類の生存において一時の欠缺も許さず。鼻の香臭を聞くは各人の感受の不同なる差別性によりて、ある者は鮑魚の肆に入るが如く、久しくして其の臭を聞かず；又ある者は芝蘭の室に入るが如く、久しくして其の香を聞かず、皆 薰染されて知らざるである！此點！宗教の教化するに宛如である。剛く道門に入り來たりし時 滿心歡愉、此種の熱心騰騰たる情愫、一段時間の後に、慢慢に宗教の粗意を瞭解したる後 即ち懶散の心態を生じ、元來の初心（初心）¹⁰⁶と熱心 即ち消失す。簡言すれば：宗教に入り一段時期の後、原形畢露するであります！また精進心あること難く、原先の初心・熱心 亦た早已に蹤影を見ず。若し更加に精進思考を知らざれば、人云亦云を形成し、不良の口業（口業）⁸⁰と惡因を造下して又た自己を障礙す。かくのごとく宗教の教化不足によりて、亦た轉化し難く、先前の初心と熱心を回復するは困難であります。鼻は人の一生を主導す。宗教中において 若し不知によりて罪を造さば、尚ほ情有可原にして、其の罪 尚ほ轉化を得。若し明知して故犯せば、惡果 即ち他人より罪一等を加う。此點！現世宗教の修子（修子）¹⁰⁵ 謹記在心せんことを希望す。宗教に入るには 必要 自己の無明（無明）⁷⁹を轉化して智慧となすべきであり、即ち宗教に入るに其の功用あるが故であります。然らずんば罪を造りて又た知らず、さらに提昇超越（提昇超越）¹⁰⁷し難し。表面 修持（修持）¹²者のごとく道貌岸然たれども、結果 則ち背道而馳し、原本 應に天堂に上るべきの人才、遽かに地獄に墜入する種子因となる：鼻一息來らず、雙腳一蹬すれば 即ち無常（無常）⁴³の來訪（到）であります、一生 亦た即ち結束するであります。鼻聞香臭古來有 明識人間多苦難 人生一世要呼吸 第三識種鼻聞香 感知神經入世究 提昇超越必可修 日日需要不稀奇 欠缺就會生怨氣る人の鼻息 乃ち空氣の給予する所、每人の身體 必要好自珍重し、方に有用の人生を成就す。人類 對して必ず善く鼻の通暢を保持し、即ち清新なる頭腦及び思考能力を擁す：又た此歲末の際、新春將に屆かんとするの時、祈望す 世人 皆 光明燦爛の前途あらんことを。今夜諸賢生お疲れ様でございます！歲末の感言「知恩・惜福 加實」、また「修道無他、實行即是」につきまして、これは皆様が拿擔し掌握し得る條件であります。いかなる問題によりて影響されることなく、唯だ自己 堅志をもて達成し得るや否やに在ります。そうすれば良善なる成就があり、人類千古以來 皆是の如くであります。
第十八回 舌味（第四識）
藍采和仙翁
1994年2月26日　甲戌年一月十七日（六）
藍藍の功果は心自ら爲にし、采采の素齋は心の香會にす。
衷を和らげて濟を共にして普化と爲し、仙翁は著作して舌味を語る。
また此次の法會に烹ける菜色、上乘と算せずといえども、色・香・美味の中に在りて、已に一種の佳餚の境に達す。
また素宴の主掌は、各位の賢生の共成努力する所にして、善信大徳に香味猶存の滿足感を與え、また素宴の準備の中に在りて、とりわけ諸賢生の努力に由り、方に今日行善法會の功德円滿（圓滿）¹³あり、素齋（素齋）¹⁰⁵を品嚐するに、現今時代に在りては已に日趨普遍の事であります。
現今の素食餐廳、自助餐廳の林立を觀るに、素齋の材料は相當廣泛に加え、葷菜よりもさらに豐富と稱すべきであります​現今時代の轉變に在りて、とりわけ科技發達、人類の口味・色澤・造形への欲求は十分に講究し、尚且つ佳餚は源源不斷に推陳出新し、眾生の口福は時代の賜う所と言うべきであります。
人生世に在りて、身體髮膚はこれ父母に受く、敢て損傷すべからず、善加珍惜すべきであります。
とりわけ口の能言善道は、いよいよ慎言して口徳（口德）¹⁰⁴を重視すべきであります。
口の能言と能食とによりて、初めて身體の健康を維持し有用の軀となし、すなわち身體の原本を保養するを要するのであります。
身體を善加珍惜保養せずんば、すなわち安適し難いのであります。
此の種の身體すなわち人の生存に在りて、一個の健康體を保有すること能わず、また人は五濁悪世（五濁惡世）⁸¹に處し、若し食物を慎選せず一味に胡亂に飲食せば、すなわち自己の身體に健康より不健康に變ずるをもたらすであります。
故に食物の增減と選擇について、味覺は言うなれば相當重要なる一環を占むるのであります。
口の能言：舌の動を以て主導となし、舌の起動の中に在りて、若し舌を割り去らばすなわち言語の初動無く、また一切の禍福皆 舌の起動と閉阻とによりて分別す。
舌の本體すなわち能く萬味を嚐む、また利己の動源を創造すること能し、實は舌の功用は、すなわち人類をして好言語を以て眾生を教化せしむるにあるのであります。
舌の起動、能く好言を言い、また能く惡語を言う、またここに人の一念の差別によりて正と歪とに導く。
正と歪との兩者未だ發せざる前は、すなわち人類本初の變化無き處にして、また各個の念頭に在りて、皆 善徳と惡因との結果を造就すること能く、正に人類生存の福禍の分別性である。
舌（口）の起動する所にして初めて善惡の因縁を造就す。
人類の本體は自己の因縁に由り、外在の因縁を加えて社會一切事務の關鍵を造就す。
舌は能く萬味を嚐む、一切の食物に對し皆 口と舌の動に由り、さらに齒の嚼むを以て元素と成し食道を經て胃に送り消化を加え、轉化して養分となし全身を滋潤す。
さらに身體に不適なるもの、および不良の穢物を對して排泄し外に出す、これ舌の起動を以てす。
若し口を經ずんば必ず齒の動に就き難く、また食物の口中に入ることを達成し能わず。
但是若し僅かに口の動に在りて舌の動無くんば、さらに酸甜苦辣の味覺を將て細嚼の本源と成すこと能わず。
食物 口を經て舌に至りて起動し、酸甜苦辣の原味を分別し、また各人の理想、喜好に對し、烹飪を加えて佳餚となし、各人の喜好を憑てこれを食す。
また諸多の口味ありて眾生に選擇せしむ、すなわち各人の喜好を主となし、若し烹き理想しからず口味佳ならざれば、すなわち入口し難いのであります。
因而ち舌の好む所、食の分別に由り、若し能く各種の佳味を烹かば、必ず人に一種の心動欲食の喜好感を與え、また色・香・味俱全の差別性あり。
綜觀す、現今の葷菜食物、素菜もまたその形狀に仿て改良を加え、とりわけ口味の佳なるはさらに一流にして、僅かに物品の中に腥味を減ずるのみ。現今の眾生 多言すべからず：已に深厚の福分あり！然れども修行の過程に在りて、能く宗教に入る者は未だ少くあわれなる、また何故にかくの如きでありますか？上蒼原霊（原靈）²⁶歸返を渡せんと欲し、萬物を幻化して眾生に食用を與え、眾生をして口業（口業）⁸⁰の造作を減ぜしめ、素齋を下化して食用に與う。最も主要なる功用は殺生の過程を減じ得るに在り、素齋に改めて潤生す。此の種の豐富なる佳餚 若し善加利用せずんば、眞は上蒼をして感嘆せしむ！眾生の能く殺生を減ずることを願うのであります。素齋に改めて食用するは、上蒼の盼望する所である。また口の動 舌根隨起し、齒の互動を加えて生命の元素となる、口の動の中に在りて、若し舌の跟かざればすなわち業（業）¹⁹因の造就する所を達成し能わず、眾生 口舌の利を以て一時の快によりて他人を害する勿れということを形成す。實は！口業の造成は僅かに一念の間に在り、善惡すなわちこれより分判す。故に人類の一生、若し口舌の利を以て能く己を利し眾を利せば、必ず自己に成就の機會を與うべきであり、反對に若し一味に口舌の利を逞しくし、他人（眾生）を殘害せば、此の舉 天地の容れざる所に屬し、未來の因果（因果）⁵必ず自ら償受すべきであります。人の善惡因縁 若し口業の造罪を減ずることを得ば、成就の機會を與うること能く、人 若し口舌を節制に加えずんば、自己にさらに造罪の機會あらしめ、自己に後日に一片の黑暗の來臨を殘さん。また口能く言い、舌能く動く、必要善く善徳の本能を運用し、自己を造就しまた他人を成就すべきであります。現代宗教講堂の師資、口徳（口德）¹⁰⁴の造就を培養すべく、能く口舌口徳を以て眾生を廣渡し、方に口舌口徳の本來であり、また蒼生 利己利他の言詞を以て、眾生を渡化して回歸せしめんことを要す、これすなわち人生原本の主要因縁にして、言詞の利益の必需性を促成す。口と舌は身體五官の一にして、一を缺くべからず、若し善加利用し自己の享樂の為にせずんば、人類の身體を造就して有用の軀となし、然らずんば身體をして罪を造らしめ、すなわち此の生を黑暗の未來に處せしめん。口舌に對するは一種の良善と惡陋の分別にして、自己に對してはすなわち福禍の差別あり。現今の時代、時遷ずれば法も亦遷ず、若し自己の有用なる軀體を以て、數拾寒暑の中に在りて、一生を利用し、代天宣化の資本となすことを得ば、一來 渡己、二來 渡眾、口舌口徳の造就を與う。然らずんば口舌口惡（禍口より出ず）、また自己を萬丈の深淵に推し下さん、奈何！舌嚐萬味皆入口 必有飽食之需求 眾生需要食物鏈 方能溫飽來存活 萬民以食為天機 有情萬物之根基 人類烹煮要熟食 第四識種舌味意祈望眾生の能く多言好語、多講好話、多行好事、多作好徳、多存好心ならんことを。必ず自己を成就し亦眾生を成就することができます；かくの如く已に不良因縁を離るる第一步であり、また好心・好念・好相・好口・好言あることを加うれば、すなわち回歸の初緣を達成することができます。
第十九回 身觸（第五識）
李鐵拐仙翁
1994年3月5日　甲戌年一月廿四日（六）
李子は滿地に桃花遍り、鐵樹は銀樣にて年華に任す。
拐は天道に通じて身觸覺を述べ、仙翁は降來りて真話を述ぶ。
人之身体：身觸に因りて方に感覺あり、亦た身之觸必ず前四識の配合を加へて、方に完整身軀と謂ひ得る。
又た人類軀體は正に父母より傳承を受けたるもの、必ず珍惜を加ふべきであります。
身之觸は即ち人類生存所有因縁の基本要件を主導するが故であります。
身觸本能：有用軀體を以て、數拾寒暑人生円満（圓滿）¹³の因縁を造就し得。
李鉄拐仙翁　1994年3月5日　甲戌年一月廿四日李子満地遍桃花　拐通天道身觸覚 鉄樹銀様任年華　仙翁降來述真話人の身体は、面首あるに因りて、故に五官分明なるを得る。
五官の中に於て僅かに面首輪廓に次ぐのみ。
一人の人若し面首のみにして身軀なきんば生存し得るや？否や！人の面首必ず身体を加へて支撐して、方に個人生存の根本を成就し、亦た活動力あるを要するのであります。
人の根本に於ては、必ず両者相互接合して、方に身の本來を造就す。
面首は人體作功用を主導し、身体を透して方に成就因縁の機会あり。
若し身体の起動を經ずば、相互因縁難く、人の軀體五官端正・身體四肢健全なるを具備する者は實に福ある人であります。
現今人世間の因縁、人類若し微恙遺憾あらば、完整軀體を具足し能はず、缺陷の人（障害者）と變ず。
唯だ此の不完整體の人、或は身体正常人より器官を減ずる者は、生存上健全の人より更に多く心力を付出せねばならないのであります。
其の肇因は前世に虧欠する所ありて、今世不健全體を形成す。
又た現今缺陷の者は、往昔より福報を具へる。
往昔不健全なる者は黑暗角落に生存し、人に冷嘲熱諷され、心智と人際に樂觀開朗を欠缺せしが、現今の時代科技文明を以て改造し得るのであります。
人生を光明前途に面向せしめ驅使し得、再び黑暗角落に躲て人に冷嘲熱諷されることなく、現今不健全なる者も亦た科技發達に因り改造されて殘んでも廢せず、時に健全者より更に出人頭地することあり。
皆心智轉化の相對に付出する所に因り、亦た他人より辛苦し、多く來るのであります。
亦た身軀を以て人生根本と為し、藉仮修真（藉假修真）¹し、本來に回復するは、即ち人性を落實す。下世再び人為り得るや？各人の善惡因縁の所作為に看よ！然らざれば牲畜と出生し、所有冤欠を償還するは、實得不償失であります！覚を伝輸する。五根の塵種が慧智を明かにし、人間の行持に変ず。外在の神経が接触を作し、起心動念もまた此の如くであります。當下！人生に對すれば蠟燭の如し、己を燃燒して人を照らすべきであります​是れ人類生存の根本にして、人類本質より成長する所以であります。此種因縁條件は、所有良善好增長の必要性に對するもの、亦た自己行持の無為（むい / Non-action / Wuwei）³⁹觀念より提昇する所、是れ未來の依憑であります。
第二十回 意法（第六識）
曹國舅仙翁
1994年3月12日　甲戌年二月初一日（六）
曹新に啟舅は無極を念じ、國泰民安にして居に疑ひなし。
舅子は皆正道に生を留め、仙翁は降來りて意法を起す。
若し蒙垢の累積を受けて成るは、正に清明に回復し能はず。
故に人世間必ず人生本來を承接し難く、亦た一生一世層層疊疊の累積を造就し、又た人類思想觀念を改造し能はず、即ち因果論の中に輪廻（輪迴）²¹して、原來本質に回復し難く、意識觀念法則に對し必要明白である。
人類身體に對し、必ず五塵境の接觸を經るべきであります：眼・耳・鼻・舌・身、再び色・聲・香・味・觸より起動して、意念の中に傳至し、所有行為動作を造就するのであります。
曹国舅仙翁　1994年3月12日　甲戌年二月初一日曹新啟舅無極を念す　国泰民安疑なく居る 舅子皆留正道生　仙翁降來意法起人生世に在りて、身體あるに因りて、故に眼・耳・鼻・舌・身の起動あり、再び外縁より内在に傳至し、内在の中より必ず意念を經て起動し、方に再び外に對し傳導す。
若し意念の傳導を經ずば、必ず一切因縁の造就を成就し難いのであります。
身中意念の主導する所によりて、方に外界と相互結合し、亦た人生因縁の初動を造就す。
即ち色・聲・香・味・觸は外縁に屬し、外境より主動せらるるも、若し情・理・法を經て分判せずば、必ず人生の外縁を成就し難く、亦た人類五境より染著せらるるのであります。
內在「識種」の顯露する所となる分判と成り、意念より起現して、方に外在の境を引動し、最後に識種を以て生生不息の主要動源と為る。
人因果（因果）⁵の論中に於て、若し本身意念の主導を經ずば、一切因縁を成就する能はず、亦た事務を造就し難いのであります。
人類本質、「意識（意識）⁵⁷觀念」の行動によりて、方に因縁を以て果報を成就す。
故に菩薩は因を畏れ、眾生は果を畏る。
因縁果報の中に於て、又た因の上に改造を作さず、若し已に果を成せば即ち改變し難し。
含因（含因）⁶³の中に於て、因の初動より改造を作さんと欲するが、乃ち人之本質の最も重要なるものであります。
人之本質——性體は如如不動にして、其の心善良純真であります。
必ず塵世の染著によりて初因を改變し、此に因りて一層層往上堆積す。
若し所有蒙垢の累積を清除し能はずば、始より終るまで皆知らず。
若し蒙垢の後明瞭して清除し得ば、即ち原始純潔の本質に回復し、亦た善良初心たるのであります。
此重「人の原來の本質」を明瞭するは又た如何に？方に業（業）¹⁹障を清除して回歸原來の本位に至るを得る。
「認識法則」の過程、必ず意念より行使し、所有造就外境の結合を作す。亦た外境接觸の一切は即ち五塵境であります。五識の主因に對し、亦た外境の主導より意念の初動に入り、意識を經て心靈（大脳）に傳至し分判するのであります。念の動あり再び往外輸送し、人體外境接觸の相互過程を形成す。然れども人類軀體意念の起動を經たる後、人之意念亦た捉摸不定とであります、即ち「心猿意馬」の外張と關係あり。何故に此の如きや？人之意念即ち心之外圍にして、即ち人體の功用であります。同時に亦た外界と相關連接行為主導を發生す。人之心念、若し教育を經て改變せずば、外界の誘導に經得起し難く、外界誘惑の傳導來たるに、即ち「心念」の分判により接收と不接收を分かち、人心念の接收程度に於て、亦た眾生因縁本質を開創し成長するのであります。「心念法則」即ち「意念法則」は人心の本來に屬す。故に人心は血肉の組成する所にして、意念は卻て視見し難く、心の起動より即ち念の動、心念相互結合して、因縁造就の與否を分判す。人心血肉の組成する所と雖も、人心の分別に不同差異あるのであります。意念の主導する所によりて事務關係を分別し、亦た意識觀念（心念）より促成し、必ず身體の外境結合を造就し得。「心念」「意識」本身に對して言えば、何事か結緣し得べきや？何事か結緣し能はざるや？眾生皆喜好する所の利を以て結緣し、不好所惡は即ち排斥して結緣せず。人之喜好と惡は世人捉摸し難く、必ず「因果法則」に於て分判す。人身外塵境の攀縁によらずば、即ち善惡因果を成就し能はず。若し內塵境に於ては心性の改造によりて、方に人身含因の變化を達成す。此の如く心念・意念相互交替、即ち人類「心念意識」であります。人之心は意念の使する所、僅かに念識第六識のみ、即ち人之外心のみ。人之心念の段階に分別するは、正に人類の心念・意念即ち識の本來にして、「人心皆念識」即ち心之初（心之外）と成り、心之念識となりて、一切行為動作を起現するのであります。身を受け入れている。前世の因果が來りて相報し、業因を消除すれば福慧は高くなる。根と塵が相接して感知を作し、第六意識に伝入して馳せるのであります。人之根本は無知より經歷體驗の過程を經て、本因を改變するに至る。即ち過ちを知りて能く改むるに在り。人身即ち不知に因り無明（無明）⁷⁹なるに因り、必ず學習經驗に於て、低聲下氣して學習し、學習成熟するも又た謙虛を以て眾生を教化す。必ず含因改造より、輪廻束縛を脫離す。人之「心念意識」も亦た有情の人類眾生に觀て、いかんぞ此世を善待するや！
第廿一回 末那識（第七識）
韓湘子仙翁
1994年3月19日　甲戌年二月初八日（六）
韓に其の樂を得て唯だ心の主とし、湘條の道理を自ら忽せにする勿れ。
子曰く末那識成著なり、仙翁は慈示して心の初めに回る。
末那識は亦た阿陀那識（阿陀那識）⁶⁵と稱す、名稱異なるも本識は則ち同じ。
阿陀那識の上に、即ち末那識の前引にして、末那識に導入する主要關鍵となる。
人類の三心（三心）⁶⁴：意念一心（初心）の思考より、二心に入りて分判を作し、即ち世人常に言う「三心兩意」であります。
又た其の中兩心の分別に因りて、此に因りて末那識は即ち阿陀那識であります。
韓湘子仙翁　1994年3月19日　甲戌年二月初八日韓得其楽惟心主　子日末那識成著 湘條道理勿自忽　仙翁慈示回心初人類世に於て、六識の中に、前五識は外境の為に、塵世の人類接觸に對し、一切有為外境の分別を作すに端視す。
外境の初動と結合因縁に於て、若し第六識（意念）の傳導を經ずば、必ず心識に入りて分判を作し難く、又た六識は意識の傳導を以てすれども、僅かに人の內心のみであります。
因縁初動の成就に、若し第七末那識（末那識）²⁹の分判を經ずば、必ず思想紐に傳入し難し：前五識は「境塵外識」、第六識よりは「心內境識」と為り、內境に於ては外境の染に同じ難し。
外境染塵に在らずと雖も心識の內境塵に對し、外境染塵より直接內境に傳じて蒙垢するのであります。
此の內境の蒙垢、正に外境染を以て清洗し難く、亦た心內境に於て為人處世の根本を明白にして、方に內境染垢を清除し得。
內境染垢は必ず明理に作為を加へて、方に外塵境の消除に傳ず。
人類眾生根本 此種の作用を不了知す、又た何の為ぞや！末那轉識：即ち分判功能あり。
人之初心に對し：即ち意念識種、而るに人之二心：正に末那分判の主因であります。
末那轉識は又た眾生心識、接觸する一切事務の關鍵所在にして、末那識は人身上第七識為り、此れ分判と督導の功能作用であります。
轉識の主導功用に於て：正に外境染に因り、直接第六識（大腦）中に涵心念し入る。
故に第六識の思考、若し第七末那識の分判なくば、即ち任何因縁を成就し難く、末那識は即ち人身の煩惱根であります。
人若し煩惱の染を經ずば、即ち菩提の顯現なし。
又た煩惱根：必ず第七末那轉識の分判功能を經て、所有善惡因縁を生じて造就し得。
第七末那識に對し、人類今生の作為接觸に伴ひて定まり、煩惱種子の來源と雖も、又た末那識は人類因縁の接觸する所、外境關鍵起始の主導功能あり。
阿陀那識、二心の傳導に因りて分判功能に入りたる後、再び第三心：阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸——第八識の含藏に入りて、即ち因果を以て顯現し、正に現今眾生の承受する苦甘・惡善の因果報應であります。菩薩は因を畏れ、即ち因の上に改造と斷除を作す；眾生は果を畏るれども、果の上に改造を作さず、之をして開花して再び結果せしむ。正に今生因縁果報の分別にして、亦た眾生に果報より惡果の來磨苦楚を改變し得しむ。易言すれば、眾生に明白ならしむべきであります：何者か能く為し、又た何者か能くせざるかの分別を！希望は因の上に改變を作すに在りて、果の上に變更するに在らず、亦た已に遲きであります。若し善德因縁なれば、眾生何人か改變を願はんや？思いて即ち明らかなり；必要了知す：いかんぞ不良「含因（含因）⁶³」を改變するや？正に前世の所作所為の不良惡因より、開花を防止して惡果の來磨を受けざるは、即ち此の如きであります！人類眾生若し防惡因之道を明白せずば、不良の含因を改變せんと欲するは、登天よりも尚難し。故に防惡因の道は、正に善心に善念を加へ、明理に作為を加へ、感恩に關懷を加へ、誠心に本心を加ふるを以て、即ち不良因縁果報の惡因の顯現を防止し得るのであります。人類能く時々上記の心情を以て、念識恆常不變なれば、必ず明理に實行を加ふるに於て、即ち防惡因の道であります。意念本識の外塵境、又た第七識に接觸するの時、即ち分判に思考を加へて、方に作為あるべきであります。然らずば外境來たる時、本性即ち顯現して直接反應す。即ち思考せず、分判せず、此種の作用も亦た眾生造罪の緣由であります。人類眾生思考に分判を加ふれば、即ち人・地・時空の差別と環境の差別に因りて、生出する各種作為も同じからず。此の如き因縁の相生相成は：即ち人世間の所有演化（演化）⁴¹過程であります。人間の演化：人生宛も一齣の戲の如く、早より晚まで演じ、年幼より老死に至り、蓋棺論定に至る。人類生存の所有功果および善惡因縁；至っては每人かくの如く演戲の角色を以てせんや：自我掌握・自我導演・自我變更、端視す人類「末那識」の分判功用、作為の定まるに！の因由は相接触し、伝導輸送して感応は殊であります。心内境識も同じからず、平等性智（平等性智）⁶⁸は殊勝の功であります。能く善演して定まり、能く自我主導すれば即ち自己の主人たるを得。必ず宗教に入りて深く經藏を入れ、六度万行（六度萬行）⁵⁹：布施・持戒・忍辱・精進・禪定・智慧の作為を以て、即ち今生修持（修持）¹²の圭臬と為し、方に不良含因の延伸する障礙を改變し得。自導・自演して輪廻の束縛を受けざるのであります。
第廿二回 阿賴耶識（第八識）
何仙姑
1994年3月26日　甲戌年二月十五日（六）
何必ぞ我に問う人心無きことを、仙道は如意にして自ら無始よりす。
姑娘は神仙道を修め成りて、降りて阿賴耶識を述べて著す。
即ち人生因縁造就の結合する所、若し三心の本識なくば、即ち人世間の演化（演化）⁴¹過程なく、阿頼耶識の儲藏（存）功能を形成す。
第七識の分別作用あるに因りて、前五識：眼・耳・鼻・舌・身——「自境根」より、若し外界と相互接觸する五境：色・聲・香・味・觸——「外境塵」と結合すれば、即ち意法觀察および接收を通過し、再び第七末那分判と傳導に輸送す。
皆外境の染著に在りて、若し內塵境の接收なくば、前五識外因の傳導を受けて內塵境上に入り、亦た前五識を以て一つの成所作智（成所作智）⁶⁶に轉化すべきであります。
何仙姑　1994年3月26日　甲戌年二月十五日何必問我人心無　姑娘修成神仙道 仙道如意自無始　降述阿頼耶識著人類眾生若し前七識より、外境と內境の各識の中に、第七末那識の分判功能傳導あるに因りて、又た人の五蘊の中に於て、色・受・想・行・識を受け、內外相接して人生主導に於て、正に第八識阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸の中に儲藏し入りて、方に累世の中に因果（因果）⁵の顯現あるのであります。
因果の顯現は人類身上に在り、萬物の中に對し各靈性を具す。
本識に於て若し第八識の儲藏なくば、必ず因果相生相成の關係に導入し難く、亦た所有因果報償の顯現なし。
時に因縁和合に在りて、若し時空環境を經て造就せずば、其の因の果報を達成し難いのであります。
若し果報の中より、防惡因の道を以て改造を作し得ば、必ず惡果の來磨に先立ちて、多くの業（業）¹⁹障牽纏を減少す。
人身外境の接觸過程に對し、若し大腦第六識を經て接收功能せずば、第七末那識の傳導分判功能を加ふるも、又た儲存し難し。
儲藏功能：即ち當今の錄影機に類似す。
時間・空間・環境の結合に遇ひて必ず能く重新再現す。
此れ即ち「阿頼耶識」の儲藏功能。
人之第二心は前に已に之を述ぶ。
人之第三心：阿頼耶本識、阿頼耶第八識儲藏（存）の功能ありと雖も、亦た分別接收の功能作用あり。
人心第三心に就て論ずるに、若し此を以て作為とせずば、即ち第八識に於て儲存所分別の功能を形成し能はず。
故に三心（三心）⁶⁴、必ず全部人心第八識の顯現を通過して、方に因縁和合の促來あり、方に眾生に成就と考磨經驗の機会を給予し得るのであります。
人心本識：阿頼耶第八本識の顯現する所を經て、任何接收關鍵を通過して、因果顯現の中に一一表露し來たる。
第六意識の上に一つの妙観察智（妙觀察智）⁶⁷に轉化し、方に外境の不良誘因を摒除し得て、再び第七末那識に入り、加以て一つの平等性智に化成す。
此の三種「智覚」は人生甚だ之を用いること少なし。必ず平等心を以て、即ち分別なく、「守中（守中）⁷⁷」に在りて、第八阿頼耶識の中に傳導入して儲藏し、此種不良の堆積を、進化（進化）⁴²して——大円鏡智（大圓鏡智）⁶⁹と成す。即ち心王如來、亦た如如不動の本心、即ち如来蔵（如來藏）⁷¹の前導であります。再び第九識菴摩羅識（菴摩羅識）⁵¹に入り、真如本體・仏性（佛性）¹¹の彰顯、內外塵境の染著を經て、第九識——仏性真如に達し、一つの法界体性智（法界體性智）⁷⁰に轉化す。此れは必ず一段の很長時間の眞正修持（修持）¹²を經て、亦た很深切の功夫あるを要して方に達し得るのであります。然らずば有情眾生第八識の中に徘徊して、第九識に入らずば、即ち輪廻（輪迴）²¹の束縛を脫離し難く、阿頼耶識に對しても亦た輪廻の束縛を脫離し能はず。人生若し一番深切の修持を經ずば、又た口頭上に修持を談じて身行はず、知りて行はざるに等しく、輪廻の束縛を了脫し能くするや、實に困難であります！人類の修持、我執・我見・我慢・我痴・我愛……自己を束縛するに因りて、又た客觀と主觀の條件の上に於て、一丈退きて眾生および自己の作為を觀看し、輪廻束縛を脫離する條件に達し得るや否や、已に本錢を具備せり！然らずば任憑固執・無知・無明（無明）⁷⁹の思想觀念又た如何に？正に絕對輪廻を脫離し能はず。現今の修持已に往昔に非ず、必ず先づ能く自己を渡回して迷失せざるにして、方に再び外に向かいて眾生を渡すべきであります。然らずば自己無明にして又たいかんぞ眾生を渡化し得んや？眾生を渡化し成就するは上求自利にして、方に下化して利他たる、即ち「普渡（普渡）²」の最も重要なる一環であります。修持者：若し一味功德を貪求し信眾を拉攏して、自己に考磨の機会を增加せば、上蒼「普渡」の功能の中に於て、亦た必ず自己先づ「悟」を了して方に他を「悟」すべきであります。然らずば遺「誤」自己とであります、再び他人に遺「誤」す。音同じと雖も義已に甚だ相遠き矣！す。七識を分判して主理を作し、分門別類して來り堆積す。大円鏡智は真如を拱し、因に遇ひて縁を成し、累報隆であります。此重條件必ず己に因りて誤ることなく、又た他人を誤導することなし。表面上渡化たると雖も、其實は己を誤り又た人を誤る。防誤の因は、必ず自己先づ能力ありて多く經典を研習し、多く聞達し理を明かにし、多く人生の無常（無常）⁴³を勘驗し、行為動作「無為（無為）³⁹」を顯現せしむるに在り。此の如く「輪廻」の本質を瞭解するに已に進步あり。
第廿三回 菴摩羅識（第九識）
南屏道濟古佛
1994年4月2日　甲戌年二月廿二日（六）
道德の大路は盡皆通じ、濟世の功德は必ず自ら弘む。
古諺に菴摩羅識の出づと言い、佛心は天德の種を著作す。
故に人身の掌握し得るは、僅かに短短數拾寒暑のみであります。
いかんぞ眞に自己の為に作為の機会ありや？眞に渺小にして短暫、皆眾人の為に忙碌するのみにして、自己の後の為に路を鋪く者、實に容易ならず。
眾生皆宗教の修持に入るを好むも、若し人類本質僅かに修持の為に修持せば、必ず今生を了脫し難く、自然仏性本質を彰顯し得ないのであります。
此に因りて修持者は牛毛の如く多けれども、悟性の者は鳳毛麟角の如く少なし。
南屏道済古仏　1994年4月2日　甲戌年二月廿二日道徳大路尽皆通す　古菴摩羅識出世す 済世功德必ず自弘す　仏心著作天徳種人身前八識の心識上に於て、外境の染著を受け、內境種種に入る。
能く人と生まれし者は、必ず人世間因縁の造就する所にして、又た人類前八識の染著に於て、若し第九識真如本識に入らずば、正に輪廻（輪迴）²¹を脫離し能はず。
此の條件必ず所有功用を明白にすべきであります。
菴摩羅識：亦た阿摩羅識と稱す。
仏性（佛性）¹¹の中に於ては真如本識、此れ無垢識為り。
本識の前導する所に因りて、正に本識より彰顯し、必ず內境第九識の中に入り得：若し仏性本質を彰顯せんと欲せば、必ず第九「菴摩羅識」に入ることこそ正確であります！前八識の染垢、又たいかんぞ清除するや？端視す各人用心研理し、經藏を深入するや否や！故に輪廻循環に於て、眾生皆心道に向かひ、又た仙仏の護佑と加持を求助すれども、若し人生修持（修持）¹²道路の經歷に過ぎずと當すれば、亦た仏性彰顯の條件に達し得ないのであります。
此種！仍舊六道輪廻の束縛に礙され、今生必ず了脫の機会難し。
又た何故に此の如きや？人類生存の經歷、每人必ず前五識の外境迷痴を經て、再び第六識心念第一心の接收を經て、再び第七末那識第二心の分判に入り、之後に藏庫に傳入して貯藏す。
此の如く第八識の上に、第七識の主導する所を經て、第三心阿頼耶識の貯藏に入る。
唯だ貯藏は僅かに待緣のみにして、必ず真如本性——第九「菴摩羅識」の儲藏する所を彰顯し難く、此種の分別は人類八識田中に對し、即ち「毘盧性海（昆盧性海）⁷³」の種子因であります。
人間の過程：即ち草木一春のごとくなるのみ。
又た何を以て人間輪廻循環は眞に草木の如しと言ふや？最初生長環境より、生根發芽出頭し、再び日雨淋を經て、漸次小苗より粗枝とであります、進んで綠葉を生じ、轉じて開花成蔭し、再び粗幹に變じて果実纍纍に至る。
最後に落葉枝枯し、終に凋萎して沒す。
此の如く已に枯木と成り、再び蟲蟻の侵蝕を受けて、落地歸根す。
其間「地水火風」四大（四大）⁴⁸仮合の助力を經て、成長過程の中に於て：芽より枝、幹、枯、滅に至る。
人生も亦た此の如きや？出生より長大して壯に至るまで皆是の如くであります！人類の生存は壯碩に入りて老・病・衰・死に至る。
此の如く人生世に在りて宛も草木の如し。
其中橫逆・困厄・病殃・不如意・不順遂……種種諸般の折磨を經て、後來又た大地に歸還す。
故に人生眞に「一齣の戲」の開演するのみ、何日か下幕するや？自己の用心の多少・努力の多少に端看して定まる！用心して修持し努力精進する者、方に仏性を彰顯し得るのであります。人之初性本善、仏性の中には善と惡を具せず、僅かに如如不動、真如無垢のみにして、人の善惡・喜好の影響を受けず。真如本性の彰顯は、必ず自己精進して般若大智慧の提昇に用心して、方に彼岸に達し得。能く第九「菴摩羅識」に入るや？一定せず！必ず人間の種種歷鍊・考磨を經て、方に因縁を促成して、「眞正開悟精義」に達し得。然らずば人間に於て時に了悟し、時に迷痴して、眞に大智慧ある者は實に少なし！故に「般若波羅蜜多（般若波羅蜜多）⁷²」の具備する所、必ず眾生能く眞に彼岸に達するを要す。是れ正確の要義であります。人間は即ち含因改造界であります。前世の所作所為を得知し能はず、僅かに今生の受報のみ。然れども前世の未明加無知は已に過往せり、逝者掛懷すべからず。今世能く有生の年を掌握して、不良前因の改造を斷除し得るや？方に下世に於て自己の未來の為に路を鋪き得るのであります！真如仏性無垢、清淨にして無為であります。人間生活に落實するに、若し外塵境の染著を經ずば、何ぞ開展智慧の本質あらんや？人世間波折受難・困苦橫厄……種種不如意の集成を經て、此生正に前世生命改造界にして、人間一切困厄の阻擋を經歷するであります。此れ方に菩提智慧を提昇し得。菩提種因は正に煩惱を轉化するの最主要なる糧食：若し煩惱を經ずば又た何ぞ了悟せんや？何ぞ菩提種子の生根發芽あらんや？故に「煩惱」は人生の「菩提種因」に相對して、唯だ一體兩面に過ぎず。能く平常心を以て觀看するや？全部循環輪廻の端倪即ち此に在り！人生は即ち前世含因の改造處所であります。日常經驗の累積より、點點滴滴堆積して成る。再び「般若波羅蜜多」の互映の下に、大智慧と大菩提を形成して煩惱を轉化し、彼岸に達するの法と為る。必ず按部就班一步步往上行くべきであります、所有過程必ず相當辛苦と覺ゆるであらう。然れども換來する果実は、將に更に豐かにして甜美ならん。必ず含因改造の中に於て、今生亦た自己の為に一切不良含因の突現する所を了斷す。人類此一世に於て迷痴を受けて了脫し難く、他人の借鏡を觀看し、再び自己を思ひて、縱使天下の財富・物質を我得とするも又た如何に？此の過程已に來世再輪廻の種子を種付け、又た奈何ともすべからず！若し知足感恩に實行を加へて、必ず輪廻を了卻し、亦た再び人世間に來りて考磨を受くることなからん。然らずば必ず了脫し難く、生生世世輪廻の牽纏を受く！人世間に對して眞に苦し！又た苦し！更に苦し！痛苦來りて相續す！除す。菴摩羅識は本意を主り、成仙作仏の大根基であります。有情了知すべし提昇すべきを、法界体性智慧証すのであります。第一識より第九識に至るまで、每個過程必ず很長の歷鍊を經る。眾生懼るることなかれ、唯だ心あるものは必ず達成し得。若し一番の歷鍊を經ずば何ぞ脫胎換骨して彼岸に達するや？特予有情眾生を鼓勵して勇往向前せしめ、眾仙仏時々護佑せん。天上に在りて、皆大家の攜手同心回歸を見得ることを願ふのであります。
第廿四回 四大
南無地藏王菩薩
1994年4月初9日　甲戌年二月廿九日（六）
地獄は空ならずば佛に成らず、藏經典籍は心窩を潤す。
菩提に樹なくして煩惱を轉じ、薩多是れ四大の活を著作す。
故に水の流通性は、血液循環疏導を通ずるにあり。
疏導し得て方に通ず。
若し通ぜざれば、必ず病變苦磨を引起す。
故に水は全身を滋潤し、身心を清涼淨潔ならしむるのであります。
南無地蔵王菩薩　1994年4月9日　甲戌年二月廿九日地獄不空仏と不成す　菩提無樹煩悩を転ず 蔵経典籍心窩を潤す　薩多著作四大活人間世に於ては、「地・水・火・風」四大（四大）⁴⁸の組成する所であります。
四大の中に人生と萬物を形成し、亦た地水火風の組合ありて方に人間と萬物の生長あり。
然らずば若し一樣を欠缺せば、亦た人間に連貫作為あること能はず。
此重條件正に每一種皆具ふべきであります。
「地」の形成：宇宙間に於ても天之虛空あるに因りて、天と地の間に方に萬物の生息を容納し得。
首先必ず地の堅實性あるべきであります、方に萬物眾生の踏立を鞏固し得。
故に地の重要なるは可想而知であります。
人身に對し地の堅實に因りて、乃ち身上の骨骼整個身體を支持するのであります。
動物間に宛も、若し骨骼の支撐なくば必ず行走し難し。
故に骨骼は地の堅實性為り。
此種堅實性、即ち人身と動物の重量を支撐し得。
又た地の堅實性に對し、若し外力の侵襲を受くれば、必ず堅實の支撐を損す。
故に「地」の堅實、亦た房屋その他の重量を承載し得るのであります。
水は人身の上に、水の流通あるに因りて、方に骨肉肉體の內に包容あり。
若し水の流通なくば必ず人之健康を阻塞す。
「水」は大地に於て、正に萬物生長の原動力を滋潤す。若し水の遍灑萬物なくば、即ち生長の機会なし。水は舟を載し亦た舟を覆す。過と不及は皆生存空間に適はず。故に水の重要なるは適中たるべきであります。萬物生存、若し水過多なれば必ず災禍と成り、之に反して不足すれば即ち乾旱の苦を受く。人生も亦た同じく、每日必ず飲水し、方に身上過分の熱度を體外に排し得。人は他の食物を食せずとも、絕對必ず飲水すべきであります。故に水の功用は人體健康功能を左右し、人類軀體の百分之七十は水の組合にして、百分之三十は他の物質となるのであります。「火」の主要功能：陰暗に於て光明を給予するに在り。人生世に在りて若し火の光明を具せずば、陰冷環境に處せん。此種亦た日辰の照耀を受けず。故に水あるも亦た火の調節を要す。而して水火功能を調適するに、必ず兩者皆適中たるべきであります。若し過火なれば、人必ず病するのであります。即ち昏迷不醒人事とであります、必ず身體健康と健全思考に影響す。人類身體僅かに火の熱度四十度左右を容す。此の熱度を過ぐれば即ち過火にして、必ず火の熱度を減低すべきであります。火は人體上體溫を保持するの主要者、火の熱度必ず適中たるべきであります。太低なれば即ち水の侵蝕を受け、亦た存活し難いのであります。人類眾生は三寸の氣より呼吸す、正に火の餘溫のみであります。又た火は大地に於て即ち萬物生息を普照し、光明成長の助力と為す。人之食物も亦た火を通じて烹煮し、不潔細菌を消滅し得、亦た身體健康を保持し得。又た火の功用は相當重要であります。「風」の流動：萬物の中に於て、地の承載・水の流通・火の光明あり。水と火は必ず風の吹動を藉助して、方に火を引燃し得るべきであります。若し風の暢通なくば、人體の水（血液）は身體每一個部位に傳送し能はず。此より知るべきであります：風の吹動に相當重要性あり。火の燃燒、若し風の助長なくば、其の火必ず滅す。風の人身に於けるは正に鼻の呼吸にして、必ず呼吸を通じて全身に傳ずべきであります。若し人一小時呼吸せざれば、其の人存活し得るや？甚だ難し！人の身上各部器官は必ず水と火の相互調適に配合し、更に風（呼吸）の傳導を加ふべきであります。即ち血液循環を適中環境に保持し得。人之身は地（骨肉）の組合する所あるに因りて、水（血液）の流導を加へ、風の吹動あれば方に血液を傳送し得、更に火の保溫を加へて必ず健康身體を成就し得。然らずば任何の一項を欠缺すれば、即ち「破敗病痛」であります。故に人類身體は即ち四大の組合する所、此に在りてであります。「風」の大地に於ては、即ち火の照耀・水の流通の疏導適中たるを要す。過と不及は皆人類と萬物の生長に適はず。又た酷熱沙漠は過熱（火）に因りて、萬物皆空間の中に生存し能はず。若し南北極の冰山に處すれば、水の極冷に因りて、亦た生物存活の空間難し。人類生存は正に四大組合を通じて、亦た四大適中たるを要して、方に生存安適の空間あり。地の承載する重量に至ては、地の堅實性あれば方に負載目的に達す。四大は生存環境の上に於て、人體と動物皆需要であります。能く「風調水順、地靈火合」たるは、乃ち人類と萬物の福であります。之に反して四大に於て、過分と不及は、則ち萬物と人類の福に非ず。故に四大組合は人類に觀て、正に眞實性を具ふるものでありて、虛假に非ざるのであります。済す。人類衆生は明澈し難く、軀體は四大個を具備す。地の肉體骨骼より來り、鼻息風動して存活哉。現象界（人世間）に言すれば、正に眞實性にして仮合（假合）⁴⁹に非ず。然れども宇宙當中、人類四大に因りて方に生存改造の眞實性を具す。若し提昇超越し能はずば、亦た過往循環のみ。眞如（真如）⁶¹仏性に對してこそ永遠なるもの、故に眞如を彰し、仏性を顯すは、正に人類追求すべきであります！
第廿五回 假合（四大之二）
南無大勢至菩薩
1994年4月16日　甲戌年三月初六日（六）
大道は普く迷癡を渡し、勢態は正道にて主心を治む。
至德は無爲にして假合を提げ、菩薩は著作して自ら回持す。
若し軀體を具備せずば、眞實性軀體なくして、外界と結合して之を仮合と謂ふは、正に不可言なるが故であります。
軀體具備す：地の骨肉・水の血汗・火の溫暖・風の流動（鼻息呼吸）、方に整個人を以て系統傳導を作す。
若し地水火風を經ずば人と謂ひ得るや？否や！唯だ軀體なき靈魂のみ。
若し僅かに靈ありて軀體に入らずば、人身一切因縁を成就し能はず。
南無大勢至菩薩　1994年4月16日　甲戌年三月初六日大道普化渡迷離　至徳無為提仮合 勢雄正道主心治　菩薩著作回自持人世間四大（四大）⁴⁸の組合あるに因りて、方に萬物を成就す。
又た天地の中萬物の生長あるに因りて、方に因縁和合の成就あり。
「地・水・火・風」四大の組合する所に由りて、即ち眞實にして虛假の肉身に非ず。
現象界を以て論ずるに、又た眞實性軀體に對して、方に未來一切含因の衍化を成就し得るのであります。
四大は宇宙（地球）の循環流程に於て、必ず四大の組合を具備す。
四大組合の條件は必ず相互連貫性あり。
若し其中一項を欠缺すれば、亦た軀體眞實存在を成就し難し。
又た修持者或は宗教を以て論ずるに、唯だ修身を借て之を仮合と謂ふのみ。
世間界を以て言すれば、正に千眞萬確不變の軀體であります。
每人必ず此の軀體を具備して、方に外界と結合して因縁を成就し、欣欣向榮・多采多姿の人生を造就し得。
人體眞實性と謂ふに、若し經常愛惜を給予せず、往後有用の軀と為さずして、一味蹧蹋して珍惜せず、之をして隨て生滅せしめ、此を未來有用の軀と為さずば、即ち自生自滅の途徑に上る。修持より觀るに：必ず此の軀體を珍惜すべきであります、然れども亦た過分包容・吝惜すべからず。若し外界と接觸せずば、宛も溫室の花朵の如く、外界風霜の侵襲に耐え難し。此の如く有用軀體と為すは必ず困難であります！故に軀體を保護すればするほど、越えず外界と接觸すべきであります。必ず歷鍊一番の功夫ありて、方に外界困厄と誘惑に抵擋し得。此れ即ち宗教の教導する人身修持（修持）¹²であります。此の軀體を以て「藉仮修真（藉假修真）¹」の原意と作す。四大仮合（假合）⁴⁹の身軀は、唯だ今世有用の時に方に之を寶と謂ふ。一旦人身已に此一世の職責を完成し、今生旅程亦た結了せば、軀體を永遠長存せしむるや？軀體長遠不壞（垢）たることを得るや？それ不可能であります！人身の軀體、僅かに現世百年左右を容す。今生軀體に對しても亦た此生有用のみにして、絕對下一世に留待して再用すべからず。若し軀體を留待して下一世に再用し得るならば、所有零件已に不堪使用であります。人類軀體は宛も過眼雲煙の過程のみであります。若し僅かに此生（身）の作為を持して、自己往後含因成果の為に努力せずば、下世再び人と做り得るや？眞に得知し難く、亦た想像し敢えず！此一生此の身を借用して、藉仮修身（真）の原意と作す亦た此に在り。人類藉仮修真の本意——能く四大仮合の身を好好應用するに在り。往後修真の資本と為す。若し過分此身を溺愛し或は蹧蹋すれば、皆此身を有用組合と為すこと能はず。人一生眞に一場の好長好長夢境のみにして、一旦醒むるの時已に另外一個時空であります。世人能く此身（生）本性を彰顯するや？即ち用心此生（身）なるや否やに看る。す。地水火風人間に生じ、明識演繹皆天乗であります。水の流通は血液の作、風の吹動は鼻息通ずるであります。每人の與生俱來に皆眞如（真如）⁶¹仏性（佛性）¹¹あり、唯だ現世外境の迷惑するのみ。能く此種の桎梏より跳出するや？必ず用心の人あり！人類本來仏性具備して覚有情（覺有情）⁵⁸を成就し得。人間に落實して菩薩行（菩薩行）⁶²を行じ、必ず己利を以て利他し、己達を以て達他す。此の如くにして做到するや？
第廿六回 成住
南無普賢菩薩
1994年4月23日 甲戌年三月十三日（六）
普化の道上に覺有情あり  賢生道に進みて真實性
菩提は轉化して煩惱滅び  薩心の著作は住行を成す
生住異滅の變化  過往を借りて心の華を看る
若し此の生の牽掛と爲らば  軀體の過亡にして何處にか語らん
成住壞空はkan破すべし  改造提昇は必ず作すべし
衆生は仏の本性を明めず  反覆輪迴して下世に構す
また外境の一切は必ず外に向かい結合あり、初めて「成」の因ありて、「住」の相に入る。
住相に對し外境の染著ありて、すなわち智識分判となり、智識分判に對し一切ただ接收するのみ、また外緣の主導する所を形成するであります。
住——の本質は成長過程の當中に在りて、人類の成長は必ず「地・水・火・風」四大（四大）⁴⁸の組合を借助し、初めて欣欣向榮の目的に達す。
もし風霜雪雨の侵襲を經ずば、すなわち免疫體あり難く、また火（陽光）の照耀あり難し。
人は天地の間に在れば、即ち成因の存在有り。故に宇宙の演化過程には成住壞空の定理有り。人生は成・住・壞・空の過程の中に一生を了す。此れ即ち「成」因の形成する所にして、又形成す。若し時間と空間と環境の配合無くば、能く因緣和合を成就するや否や。難なり。
成は、人生來觀に於て、未だ生まれざる之前は含因に緣り、方に其の因を成就し、僅かに時日の來臨を待ちて、因緣の造就を形成す。如くして「成」因は、必ず「成」の過往の中に緣を待つばかり。方に萬物の因緣を成就し、緣を待ちて含因を存すのみ。時の到るを待ちて、即ち一拍即合を能くす。
成は未だ生まれざる之前に緣を待つ、成の過程に在り、成の初生に即ち外界と相互に結合すべし。必ず條件を以て配合せざれば、必ず成の形成し難し。成は初生の過程に在り、必ず外界と相互に結合し、方に「住」の成長過程に在り、上に發展を能くす。
また外境の一切も、ただ緣を藉りて相生相成するのみ、「成因」の作用に在りて、すなわち因緣和合（因緣和合）⁸⁵を要するのであります。
進みて「成」の過程を形成し、外界と結合し、外境の染塵を達成す。外境染塵に對し、必ず人生の五塵境に依附し外に緣を攀ぶ。方に意識に轉入して接收す。又外境の一切も、亦た僅かに緣に藉りて相生相成するのみ。「成因」の作用に、必ず因緣和合を要す。
この重條件にして、初めて萬物および一切の體相を成就す。
此の種の條件は、方に萬物および一切體相を成就す。外境一切は必ず外に結合し、方に「成」の因有りて「住」の相に入る。住相に對し外境の染著あれば、方に智識の分判と成り、智識の分判一切は只だ接收に在り。亦た外緣の主導する所を形成す。
住の本質は成長の過程の中に在り。人類の成長は必ず「地・水・火・風」の組合せに藉りて、方に欣欣向榮の目的に達す。若し風霜雪雨の侵襲を経ざれば、免疫體を得難く、又火（陽光）の照耀も得難し。過分と不及は、皆人と萬物に利せず。
人類及び萬物の居住する空間は必ず中道にして、方に人と萬物の生存に適合す。人類は五穀雜糧を食みて、身体の原動力を輔助す。若し過分と不及あれば、焦爛の過程を形成し、必ず健康に影響し身體の災殃を促す。住の本質若し中道に在れば、方に環境の變遷に適應し、生活品質の無礙に適應を能くす。
住の成長は、必ず人身の幼より長じ、壯となり、老いて滅に入るに在り。人身の住は、必ず此の過程の上に、有用の軀體をよく保護し、能く今世に一番の衆生を利益する作爲を爲し、又住の品質の提昇に對し、必ず大衆の福祉德澤を利益し、人類及び萬物に利を加ふ。
常言に「天生の才必ず用あり」と。此の警語は人類衆生に勉勵し、能く今世に己が力を發揮し、且つ大衆の力を結合し、共に人群萬物に造福す。又住所の成長は、必ず人生の過程に在り、衆生に不利の舉動を造成せず、方に「住」の人身品質に於ける提昇を發揮す。
過分と不及、皆 人類および萬物に不利である。
人類および萬物の居住空間は必ず中道（中道）⁸⁴を要し、初めて人と萬物の生存に適合す。人類 五穀雜糧を食して身體の原動力を輔助す、もし過分と不及あらば焦爛の過程を形成し、必ず健康に影響し身體に遭殃せしむ。住の本質 中道に在らば、すなわち環境の變化に適應し、生活品質 無礙に適應し得るのであります。住の成長——は必ず人身の幼より長、壯より老、老より滅に入るに因る。人身の居住は必ずこの過程に在りて、有用の軀體をよく保護し、今世に在りて一番の利益眾生の作為あり、また住の品質の提昇に對し、必ず大眾の福祉徳（德）¹⁸澤の利益あり、人類および萬物に加諸すべきであります​常に言う「天生我才必有用」この一つの警語、人類眾生を勉勵して今世に在りて自己の力量を發揮し、並びに大眾の力量を結合し、共同して人群萬物を造福す。また住の成長に對し、必ず人生過程に在りて、眾生に不利の舉動を造成せず、すなわち「住」を發揮して人身の品質を提昇し得るのであります。古昔の「住」はすなわち生活品質を提昇し得ず、時常 苦難の漩渦當中に落入す。現今の眾生 蓬萊寶島に居するを得て、この世界において每個人 相當深厚の福分を具有す。此種の福分は宗教提倡の賜導に拜し、天下各國を綜觀して此の福報を具する者、ただ蓬萊寶島の眾生のみである。人類は「生・住・異・滅」生住異滅（生住異滅）⁷⁶の觀念に生存す。もし警惕の前導なくば、必ず時常 舒適生活に沉迷し、自己および眾生の爲に福澤の未來を立下するを知らず。易言すれば：成住壞空の觀念、正に人生過程を失せざるのみ、世人の如き災厄來臨前に在りて、知曉し得るや？甚だ難い！生住異滅の變化 若し此の生の爲に牽掛來たらん 成住壞空 堪破すべきであります 眾生 仏本性を明かさず 過往を借看し心心華 軀體過亡 何處にか話さん 改造提昇 必ず作す 反覆輪廻 下世の構え人 已に五神通（五神通）⁷⁴を具せず、故に未來の災殃 良多を了解し難く、また生・住・異・滅の觀念なし。人 避け難く皆 斯くの如き想法にして、また何日か災殃來るを警惕せず：人類の成住過程、ただ此の世の借看・借用するのみ、何の物が自己の擁有する所か？ただ此の一世人 擁有し得るのみである！眼一閉・腳一伸、何の物も自己の擁有にあらず。ゆえに人生 何を求む？何を爭う？何を鬥う？古云「三寸の氣在りて千般有り、一息來たらず萬事休す（皆已に空し）」、人身 眞に感あるかな！能く此の身を自己の未來の修持（修持）¹²實行と爲し、これ眞正に了脫する者である。南無文殊菩薩 1994年4月30日　甲戌年三月二十日（六）文理正道培心悟 菩提種子回根本 殊勝功德本無處 薩行壞空來成著
第廿七回 壞空
南無文殊菩薩
1994年4月30日　甲戌年三月二十日（六）
文理正道は心悟を培う  殊勝の功德は本より處無し
菩提の種子は根本に回る  薩行の壞空に來りて成著す
壞空の變化は世間の理  其中の眞實の義を明識す
反覆の輪迴は必ず待つべし  未來の再生は如意し難し
人世の一切都かくの如し  長短の時空も亦如實なり
此の中の原理を明識して  超越提昇は堅持すべし
ゆえに！人 能く天地と並列して三才（三才）⁷⁵となる、原因 すなわち此に在り。
人 天地と並列して三才となるは、まさに人類 思想ありて含因を改造し得るに因る。
成住の過往 亦た此の如く、生活條件 若し壞空に步入すれば、人 すなわち老化と滅亡を開始し、此に至りて一切 康健に回復し難く、老あるによりて初めて毀滅の來臨あり。
人類の生存 すなわち毀滅の中に在りて、天地に歸還し、かくてまた他の一段階の新生を展開す。
人類の處る現世一切は、皆成住の過程に在り。「成住」有るに因りて「壞空」の來臨有り。人生は即ち壞空の過程に於て人の一生を成就す。人生の成住過往に、天地の形成に因り、方に人類の生存空間有り。人の居住する空間に、過と不及は皆中道に非ず。
人類は必ず中道に在り、全ての含因を成就す。又含因は必ず年月日時の間隔を通過し、人類の一生の因果循環を成就す。故に人の一生に必ず四季の更迭有り、春夏秋冬の反覆循環を造就し、方に人生の一年を組合す。又每年十二箇月に分別す。
每月に三十日左右の相互接替あり。每月の接替には必ず日の分別あり。又每日の初動に、陰の極（夜の深き）に於て一切靜止す。時空の接替に陰動（結胎）より陽至まで、清晨は人の出生の如く、一切は初めより再び一度やりなほすべし。午前に至りては孩童の如し。
また「無常」の中に在りて「有常」を守り得る；簡言すれば：すなわち「無常の中に觀看有常」、有常と無常、皆 人間の演化（演化）⁴¹過程である。
中午は又青少年にして、又午後に至れば壯年なり。日落黃昏は老年の如く、暗夜の來臨は人の將に亡ぶるに似たり。深夜に至れば又壞空の變化と成る。人類の生存は每度の更迭に在り。此れ即ち人類の一生なり。人の一生の中に、年月日時の分別に因り、必ず當下を把握すべし。
演化（演化）⁴¹法則：必ず「有我」の存在あり、初めて「無我」の觀念を內心深處に明顯し得る。
方に人生の「含因」を改變す。年月日時之接替に、又人の初動の如く、轉瞬にして中年、頃刻にして又老年に至る。「成」因に方に「住」の存在有り。「住」に對し必ず「壞」の準備有り。又「壞」の準備に由り、又「空」に一切を回復す。
此種すなわち內心の明燈、唯だ此の如くして、初めて人身の仏性（佛性）¹¹を彰顯し得る：成・住・壞・空 萬物の中に在りて、每一個の環節同じく、天地循環の法則は千古不變である。
故に言ふ。人間の「成住壞空」の過往は、即ち人の一生なり。人類の生存空間は存在接替點に因り、正に人生の無常を表示す。又「無常」の中に「有常」を守住す。簡にして言ふべし。即ち「無常中に有常を觀る」に應ず。有常と無常は、皆人間の演化過程なり。
變じ得る者、まさに個己の含因（含因）⁶³の改造である。
演化の法則は、必ず「有我」の存在ありて、方に「無我」の觀念を內心深處に明顯ならしむ。此れ即ち內心の明燈なり。唯だ此の如くにして、方に人身の仏性を彰わす。成・住・壞・空は萬物の中に在り、各環節は皆同じ。天地循環の法則は千古不變なり。
累世の中 人と萬物の存在する所、すなわち時空交替の過程による。
能く變ずる者は、正に個己の含因改造なり。累世の当中に人と萬物の存在は、即ち時空の交替の過程に由る。故に今世に此に出生し、來世に又忽然として他方の地區に出生す。此の種の生生不息の接替は、累世の含因を能く將に此の世に由りて改造せざるべからず。
ゆえに今生 此に出生し、來世 また忽然として他方地區に出生す、此等 生生不息の接替、累世の含因を、必ず此の世によりて改造し得るや否やを知らず！すなわち「成住壞空（成住壞空）⁵⁰」また「生住異滅（生住異滅）⁷⁶」の過程に在りて、すなわち人類生存の過往である！現世において「山河為主、人為客」の循環、山河 變ぜず人 能く變ず、人と萬物 皆無常（無常）⁴³變化の過程に在りて、人と萬物の一生を了結す、人と萬物に對し、皆ただ過客のみである！山河大地 こそ此の空間の主人なるも、山河大地 卻って災殃を引いて人世間に降す、また「地水火風」四大（四大）⁴⁸の助緣に遭逢して、初めてこれにより人と萬物の生存空間を改變し得る。
即ち「成住壞空」又「生住異滅」の過程に在り。即ち人類生存の過往なり。現世に「山河が主・人が客」の循環す。山河は變らずして人は變る。人と萬物は皆無常變化の過程に在り。人と萬物の一生を了す。人と萬物に對し、皆只だ過客のみ。
人類 すなわち此種反覆の改變の中に在りて、現今の舒適生活に達す、これ上天の徳（德）¹⁸澤演化（演化）⁴¹と謂う。
また時空の交替に對し、何人 倖免し得るや？自古至今 皆人 此の桎梏を脫離するなし、ゆえに人 當下に放開し得て、自我の仏性（佛性）¹¹本來を提引し、往上成長して、初めて輪廻（輪迴）²¹を了脫し得るのであります。
壞空の本質——は人類と萬物を他の一段階の改造に入らしむること。成住壞空（成住壞空）⁵⁰の定律あるによりて、初めて新生の開始あり。もし古往至今 壞空の存在なくば、地球の生存空間に對し、また人と萬物の生存に供する何らのものなし、必ず此の生（身）の一切を多く利用し、當下にしてすなわち結果を改變し得るのであります。また謂うなかれ：未だ來生（年）ありと、さもなくば一年また一年、生また一生、すなわち此の身の一切の毛病習性を姑息し、何時か了結し得るや？人類 ただ此種の環境に生存するのみ、眾生に提醒す、必ず無常（無常）⁴³觀念を內心に深植して、初めて當下に在りて一番の利人利己の徳澤をなす。成住壞空：主要是眾生の根本を改造するに在り、此の世に入りて必ず己を利しまた天下を利す。人類の生存空間に在りて、單に個人のみにあらず、未だ廣大なる天下の眾生、および諸多の萬靈蒼生動植物あり、此種すなわち有情眾生の生存の定義にして、單に人類眾生のみを指すにあらず。人と萬物 皆演化（演化）⁴¹に創られ、亦た天の化する所であります。上天演化の過程、まさに大道演化の過往のみ、また『大道天徳（德）¹⁸』著作の目的 亦た此に在り、すなわち自己の含因基準を改變し、眾生の含因と相互に接合して、初めて此の世に在りて、人間苦磨の束縛を了脫し得るのであります。壞空變化世間理 反覆輪廻必等待 人世一切都如此 明識此中之原理 明識其中真實義 未來再生難如意 長短時空也如實 超越提昇要堅持人類眾生 未だ自己の仏性（佛性）¹¹を明かさざるにより、知るべし：仏（佛）は眾生あって、初めて仏性の可貴を顯露し得る。さもなくば平等性智（平等性智）⁶⁸の論に在りて、仏 すなわち眾生、眾生 すなわち仏、眾生 すなわち菩薩、菩薩亦た眾生であります。もし當下に覺（悟）有情の作為を實行せば、久しくして、歸空の時を待ちて菩薩となるを要せず。して當下にすなわち實現し 亦た仏性を彰顯し得る。「覺有情（覺有情）⁵⁸」の作為を實ずる、これすなわち菩薩行（菩薩行）⁶²の基本作為である。成住壞空（成住壞空）⁵⁰、生住異滅（生住異滅）⁷⁶、ただ過往を借看するのみ、當下に在りて覺（悟）有情の含因を改造し、仏性と成り、仏體と成るのであります！南屏道濟古仏 1994年5月7日　甲戌年三月廿七日（六）南開著作大道行 道德重整唯人間 覺有情（菩薩與眾生） 地水火風萬物成 菩薩落實覺有情 屏障功德福自臨 濟世利人真心性成住壞空演流程 當下了脫仏性增
第廿八回 覺有情（菩薩與眾生）
南屏道済古仏
1994年5月7日　甲戌年三月廿七日（六）
南開は著作して大道を行く  屏障の功德にして福自ら臨む
道德の重整は唯人間にあり  世を濟い人を利して真心性
地水火風にして萬物成り  成住壞空に流程を演ず
菩薩は落實して覺有情なり  當了にて佛性を増す
覺有情の中に衆蒼生あり  菩薩と衆生は同一の程
層次の境界は既に超越せり  然らずんば仍凡人なり
衆生を離れれば菩薩に非ず  覺悟有情にして到達可し
陰騭の智慧高きことを要す  果位の不同にして差別大なり
人 地水火風四大（四大）⁴⁸より組成され、萬物 亦是 の如し。
萬物組合して個體となるに在りて、「成住壞空（成住壞空）⁵⁰」はただ人間過程を演繹するのみ。
眾生 現世に於いて菩薩行を落實し、覺有情を實踐せば、必ず現世より人間の含因を改造し得る。
菩薩は人の修持（修持）¹²によりて達至し、眾生 菩薩を榜樣と目標として、同樣に菩薩の境地に達し得る。
人間に落實して覺有情の菩薩行に在り。人と菩薩の間の差別は、人類の本能的作爲に由り含因を改變し、方に菩薩行を現世に成就す。覺有情は必ず實際に身體力行し、人間を轉じ覺有情の世界と成し、又衆生は人世間に因り覺有情の作爲に在りて、菩薩行徑の成就に入る。
菩薩行について言えば、まさに天下有情の眾蒼生を利益するである。
菩薩の本質は無為の目的を成就することなり、故に菩薩の本質の成就する所は、衆生に尊崇信奉の目標を持たしむ。菩薩と衆生の因縁は、又衆生の世景に迷うものに就き、現世の束縛を受け、敢えて心を置いて行使せず。衆生は皆仏性の本能を具うも、又五蘊（色受想行識）に牽纏束縛せらるることなり。
「上求自利と下化利他」ただ此のみ、菩薩の本質 眾生に依りて成ず、しからば眾生 菩薩を成就せんとするも、亦是 十分容易の事であります。
即ち自己を迷失して佛性を彰わし難く、僅かに人類生活の為に奔忙す。人類は根本的に「無私」の作爲に入り難く、故に「大公」にて接引し難し。人世間五蘊に牽纏されれば、人間を菩薩行の本能に提攜邁進させること能わず。衆生の本能と菩薩と相違無く、僅かに迷と悟りの間に在り。
覺有情 己私を爲さず、至公・至正・至理の大情をもって天下を同利し、此種の覺有情、能く眾生をして無為の事務をなさしむ。
人間の作爲に、衆生と萬物有りて、方に覺有情の本來を彰わし、菩薩道の因緣を成就す。衆生が「了悟」の關鍵を具備することを要し、首重は「開悟」の過程なり。人類衆生は皆迷いて盲なり、菩薩は悟りて無爲にして己の利を爲さず、則ち福澤を創造し一切を成就す。
衆生と菩薩の言に就きて：菩薩即ち衆生、衆生即ち菩薩。菩薩は能く無爲を行じ、衆生も亦た能く無爲を行う。菩薩は人より修持して達する所、衆生は菩薩を榜样と目標として、依樣に菩薩境地に達する能ふ。菩薩行を以て言えば、正に天下の有情的蒼生を利するなり。
「上求自利と下化利他」仅此のみ。菩薩の本質は衆生に依りて成り、然らば衆生が菩薩を成就するも、亦た甚だ易き事なり。覺有情は己の私を爲さず、而して至公・至正・至理の大情を以て天下に同じく利す。此の種の覺有情は、能く衆生に無爲の事務を作らしむ。
人は地水火風により組成され、萬物も亦た如し。萬物の組合せ個體と爲り、「成住壞空」は不過ち人間過程を演繹するのみ。衆生は能く現世に菩薩行を落實し、覺有情を実踐し、必ず現世に由りて人間含因を改造す。菩薩は因を畏れ、即ち因の初動に其の果を成さしめざることなり。
菩薩 因を畏る、すなわち因の初動に在りて其の成果たらしむることなし。含因の改造に對し、すなわち五蘊（五蘊）⁸³の接替に入らず、故に「眼」・「耳」・「鼻」・「舌」・「身」・「意」六識の接收を受けず、さらに「末那識（末那識）²⁹」の分判「阿賴耶識（阿賴耶識）²⁸」の儲藏に入らず。菩薩 含因に在りて已に斷除し、故に果報の成就に在らず、まさに因を斷ち得る者である。すなわち不良惡果を改變し、轉變して善因緣果報を成就し得る。含因の本質 五蘊（五蘊）⁸³の牽纏を受けず、また五蘊の預設陷阱に落入せず、また含因の改造、まさに人類現世の含因改造界であります。目標に達せんと欲すれば、必ず經藏を深入し、時常 仙仏（仙佛）²⁰の普照を受け、新觀念を增加して行使すべきであります​進んで現世生活に融入す。現今眾生 時常 覺有情を行じ、一家の組合に在りて兩位の菩薩（夫婦）を具備して初めて覺有情を行使し得る。また兩位の菩薩 すなわち家庭を改造して、さらに圓滿興旺增長に入らしむる、まさに基本の「無為（無為）³⁹」眾生、大都 行じて知らず、また根本 不了知するである。下化の過程、子孫「覺有情」の薰染を受けて自私ならず、皆 家庭成員の付出せる心血と勞累に因り、亦た何ら辛勞苦楚を言うを敢てせず、すなわち「歡喜捨」・「歡喜受」の過程に在りて家庭を成就し、「慈悲喜捨（慈悲喜捨）⁸⁶」の願力をもって、甘之如飴として回報を求めず、これ覺有情の過程である。菩薩行の最も基本なる作為、子孫 若し兩位の菩薩の辛勞を感念し得ば、すなわち家庭の徳（德）¹⁸澤を彰顯し、「孝子賢孫」と言うべきであります​菩薩と家庭、また上天演釋の化に對し、すなわち家庭を興旺すべきであります​眾生 皆覺有情菩薩行を經過し、何人も倖免し難く、よくなし得るや？己の努力によるのであります！覺有情中眾蒼生 層次境界已超越 離開眾生非菩薩 必要陰騭智慧高 菩薩眾生同一程 不然仍就是凡人 覺悟有情可到達 果位不同差別大からず 差別は大きい用心行使するや否や？家庭の覺有情を落實して、初めて自己より漸次全世界へ擴展し、萬物および人類眾生に及ぶ。ゆえに每一個の家庭 皆兩位の菩薩の護佑あり、家中のすべての成員眾生に對し分開し難く、すなわち親情 永遠に相同じき血緣關係にして、切斷する能はず。南無觀世音菩薩 1994年5月14日　甲戌年四月初四日（六）觀看人間皆虛幻 世人迷盲不知返 覺有情（六度萬行一） 音聲傳喚回救醒　菩薩六度才歸還
含因に對し改造するに在り、又五蘊の接替に入らず。故に「眼」「耳」「鼻」「舌」「身」「意」の六識の接收を受けず、更に「末那」の「阿賴耶」に貯蔵せらるるに入らず。菩薩は含因に已に斷除すれば、果報の成就に在らず、正是に能く因を斷つ者なり。
方に不良の惡果を改變し、轉變して善因緣果報を成就す。含因の本質五蘊に牽纏されず、又五蘊の豫設陷阱に落入せず。又含因の改造は、正に人類現世の含因改造界にして、目標に達するには、深く經藏に入り、常に仙佛の普照を受け、新觀念の行使を増加すべし。
第廿九回 覺有情（六度萬行一）
南無観世音菩薩
1994年5月14日　甲戌年四月初四日（六）
人間を観るに皆虛幻なり  世人は迷盲にして知ることを知らず
音聲の傳喚にて救い醒まし  菩薩六度にして始めて歸還す
六度萬行は第一等  布施・持戒・忍辱は真なり
各種の不同なる法を區分し  覺悟する有情の衆生
財施・法施・無畏施  戒律を守りて遲疑する勿れ
生忍・法忍・無生忍  有情衆生を饒益して持す
並びに「無縁大慈、同體大悲」の心胸をもって人生の基本體と為し、此の如く無畏・無縁大慈悲心を行持するは、道場の棟樑と為す：無為（無為）³⁹にして名利を求めず、高攀を求めざる心念をもって、個の小螺絲釘と為る。
人の行持愈高きほど愈不良の一面を見易く、小螺絲釘こそ根本の大棟であります。
愈低聲下氣なるほど、愈平常心・菩薩行を見得、覺有情の根本を具足する。
又た覺有情において、衆生に平常心をもって行持せしむるは、即ち菩薩心・仏心である；故に無畏施は、平常心をもって看待し、居高して徳を具せず、居高して道を具せざる常理にあらずして、無畏施の圭臬と為すのであります。
覺有情菩薩行の中に在り、菩薩の慈悲は衆生を離れず、時に娑婆世界に降至して衆生を救渡す。覺有情六度萬行を以て、人生行持の基礎とせば、佛性を彰わし輪迴を了脫して回歸す。六度萬行に對し、正に菩薩行の具備すべき基本條件なり。
六度萬行の第一度：布施度——布施は慳貪を度す
◎一、財施——財施の本質は、衆生に己の福餘を以て他人に施捨することを要す。財施の動機に於て、急時の救渡を欲し、常時的な救渡に非ず。依賴性の形成を避くべし。急時の困厄は人の豫測能わざる所にして、常に無常の到來を感じ、手足を失措うことなり。
財施は急を救うにして貧を救うにあらず。
財利の布施は、己の福餘を以て他人を救渡・幫助し、困難を化解す。長遠の救渡は、教え導きて困厄を脫離する方法なり。一味に金錢物質で救濟するに非ず。易言すれば、魚を与えるより漁の方法を教えるに如かず、食物を与えるより耕種・稼ぎ養家活口の方法を教ふ。財施は急を救いて貧を救わず。
二、法施（法施）⁹⁵——法施の本質は、已に己利に達し而下化他人せんと欲するにあります。
◎二、法施——法施の本質は、己を達し己を利して下にて他人を化することなり。此の法施は言語を以て衆生を教化す。法施に於て、現學現賣の方式を以て衆生を救渡し得。例えば一句の言語は、他人を利するも亦た他人を害す。法施には己を充實にして、智識を求めて轉化して資糧と爲すを要す。
此の法施は言語をもって衆生を教化する。
◎三、無畏施——財施・法施は皆己に餘力有りて方に下に他に化す。而して無畏施は、主に衆生に身段を放下し、低聲下氣に行持し、衆生を幫助す。如何なる高位と雖も、袖を捲りて下に衆生を化す。己達して而して化し、此の如く財施・法施及び無畏施を以て化渡と爲す。
法施において、現學現賣の方式をもって衆生を救渡し得る：例えば一句の言語も、他人を利し亦た他人を害し得る。
并びに「無緣大慈、同體大悲」の心胸を以て人生の基本體と爲し、此の如く無畏・無緣大慈悲心を行持して、道場の棟梁と爲す。無爲にして名利を求めず、高攀を求めぬ心念を以て、小さな螺絲釘と爲れ。人の行持愈々高ければ、愈々不良の一面に遇い易し。小螺絲釘こそ根本の大棟樑なり。
法施においては必ず自己を充實し、上求智識して轉化して資糧となすべきであります。
即ち能く低聲下氣なるほど、方に平常心・菩薩行を見、覺有情の根本を具足す。又覺有情は、衆生に平常心を以て行持せんと欲す。即ち菩薩の心・佛心なり。故に無畏施は、平常心を以て看待し、高きに居りて德を備へず、高きに居りて道を備へぬ常理に非ず。無畏施の圭臬と爲す。
三、無畏施（無畏施）⁹⁶——財施・法施は皆自己に福ある時に、方に下化於他し得る；而るに無畏施は、主として衆生に身段を放下し、低聲下氣に行持し、衆生を幫助せしむるにあります。
第二度：持戒度——持戒は悔患を度す
いかなる高位にあっても、袖を捲りて衆生を下化し、己達して利化し、此の如く財施・法施及び無畏施をもって化渡するのであります。
第二度：持戒（持戒）⁸⁴度——持戒は犯を度す一、律儀戒——戒律（戒律）³³をもって人生修持の標準と為し、持戒をもって自己に逾界行為あるや否やを觀察す。
故に律儀法戒は必ず衆生の遵守する所にして、逾矩せず、長く戒律の行持を準則と為し、人類衆生に必要なる規制と戒律³³を遵守せしむれば、此の綱紀を逾越することなきのであります。
二、攝善法戒——必ず衆生に「諸惡莫作、衆善奉行」の心態をもって、時々行功立德して自己を修持せしむ。
戒をもって修身の標準と為し、正法の根本を護持し、貪功好徳の心態として作ずるにあらず、衆生を救渡するは、まさに人類に攝持を作し與うるにあり、亦た提昇を必要とするのであります。三、饒益衆生戒——無縁大慈、同體大悲の心念をもって、行持の標準として利己利人と為し、此の戒をもって戒律の基礎と為す。衆生を自己の兄弟子女の如く視て、衆生を利益するを基礎と為して、方に無為の境界に達し得る。自己の成長超越に對し、亦た衆生を利益するのであります。第三度：忍辱（忍辱）⁸⁵度——忍辱は瞋恚を度す一、生忍——生忍は人生において、一切の橫逆無常の阻擋にして、忍をもって法度と為し、平常修身の準則と為す。生忍に對しては時々四周の阻隔に遭逢し、生忍（身）の忍は、有形にして見得る所、即ち一切の橫逆・困厄の來臨を克服して、忍の修持と為すのであります。二、法忍——法忍は一切因縁の造就にして、無形の中に「心」に加えらるゝ考磨である。心盡の苦は言語をもって表し得ざる所、法忍：無形にして見得ざるも、感得することはできる。此の法の忍は、心の苦境に忍び、苦境を化して無形に消弭するであります。三、無生法忍（無生法忍）⁹¹——衆生は生忍あり、又た「身體觸境」について論ずれば、法忍は乃ち「心靈意境」を指す。無生法忍は大乗（大乘）⁶⁰の修持者について、生忍・法忍の接觸する境上、及び一切の外境・內境皆忍ぜず、亦即「無忍の忍」、まさに成道の圭臬であります。と持せよ說明して明かせば：根本的に忍がなく、忍の念頭もないのであり、此の如きは忍の界限を超越したのであります。世人は常に百忍は皆人世の外境にあると言うが、內境の忍も、亦た心態・身體の兩者に忍ぶのみ。若し「苦を吃するを補と為す」心境をもってせば、無忍の念頭を生ずるのであります。六度万行の布施・持戒・忍辱、まず此の三度をもって、菩薩行の第一・二・三の基礎と為す。下に尚ほ精進（精進）⁸⁵・禅定（禪定）⁸⁶・智慧の三度あり。故に菩薩行は必ず六度を具備して、方に現世の基礎改造として、人類の成長を促進するのであります。修持（修持）¹²の過程において、大乗⁶⁰の菩薩行は必ずまず小乗菩薩の行徑の基礎累積をもって到達すべきである。故に六度の本質は、一切覺有情の菩薩行（菩薩行）⁶²を了脱し得る。若し六度を通過することに精んぜずして、菩薩果位に直超し得る者は、鮮矣！根本的に不可能であります。今日「菩薩行⁶²」の剖析する所、己利をもって出發點と為し、來日の利他の資糧として、用罄するに至らざるよう。此れ即ち當下より施行し得るにして、尚ほ資糧の具足あるべきは、まさに點滴累積して方に達成し得る。一蹴して幾たびか到るにあらず、此れ眞に現世に落實し得る者であります。
第三十回 覺有情（六度萬行二）
南無虚空蔵菩薩
1994年5月21日　甲戌年四月十一日（六）
虛實的人生に真性を悟り  空法生性は自靈により
藏寶は心より內に發し  菩薩論を著して人心を醒ます
精進禪定にして智慧增す  求化の精進は提昇を要す
心定まり口定まり意も定まり  生空智の中に德性成る
生空智中の法空智  一切智智は如實智
六度萬行陰騭豐かにして  覺悟有情の大慧智
二、口定——（身定）身口は心境の驅使を受けて、方に身體各部の行動を成就す；人の作為は皆口業（口業）⁸⁰の造就にありて判斷し、亦た今生較多の身口業障に阻る因縁を形成す。
此れ即ち身口意業障の外縁、まさに外境に接觸する時、最初の原動力であります。
三、意定——意定まるるは、必ず身口心を通して外に向かいて行持して、方に意念の傳導する所に入る。
故に意識は必ず自在無垢なるを要し、まず清淨心靈ありて方に意念を淨化し得る。
六度萬行は菩薩行に在り、六波羅蜜と謂ふ。六波羅蜜を以て彼岸に到るや否や。必ず現世に實際に施行し、方に抵達す。六度萬行の所は、必ず實際に來りて持行すべし。沽名釣譽の修持に非ず。
第四度：精進度——精進は懈怠を度す。精進に於て必ず以下を以てす。
◎一、斷精進——斷精進は一切の不良習性を斷除することを要す。人の本性に於て比較的懈怠にして、此の習性を斷除して漏らさず。能く精進の心を以て修持の段階に入り、尤も人の懈怠なるは精進の心力を阻擋せん。懈怠を改變せんとするには甚だ困難なり。此の斷修行は、精進の原動力を阻礙せん。
二、修精進——宗教の修持に入るは前世に修持の含因ありて、又た今世に宗教道場に入りて一分子と為るは、必ず善良の種子を具有し、此の善縁をもって他方に擴展し、並びに廣く衆生を渡して善縁を結び、修持に對して修精進に入り、不斷努力して方に達成するのであります。
◎二、修精進——宗教修持に入りしは前世修持の含因有り、又今世に宗教道場に入りて一分を成すに、必ず善良の種子を具備せざるべからず。此の善緣を以て他方に擴展し、廣く衆生を渡して善緣を結び、修持に入りて修精進に進む。不斷に努力して、方に達成を能くす。
三、求化精進——求化精進は斷精進・修精進をもって眞に智慧の境地に入らんとするにあり。
◎三、求化精進——求化精進は、斷精進・修精進を以て眞に智慧不輟の境地に入る。上求の智慧能量と資糧を具備し、方に自我の含藏を充實にして、下に衆生を化す。能く上求下化せんや。必ず自己の具備する資糧・願力・精進度を觀るべし。必ず此種の能量資糧を具備し、尚ほ不斷に精進せば、必ず目標を達成す。
上求智慧の能量と資糧を具備して、方に自我の含藏を充實し、下化衆生し得る。
第五度：禪定度——禪定は散慢を度す。分述以下の如し。
上求下化し得るや？必ず自己の具備する資糧・願力・精進度の多少に看よ！此の種の能量資糧を具備せんには、尚ほ不斷に精進して、必ず目標を達成し得るのであります。
◎一、心定——心能く定まりて方に己が行持を以て、修持の依據と爲す。心若し定まらざれば、必ず心猿意馬にして、心の定力を把持すること能はず。身體と外界境地とを相互に結合せしむ。但し外界に左右せられず「心の清淨」。故に心の定は、即ち禪定の內緣なり。
第五度：禅定（禪定）⁸⁶度——禅定は散慢を度す。
◎二、口定——（身定）身口は心境に驅使され、方に身體各部の行動を成就す。人の作爲は皆口業に造りて判斷す。亦た今生の比較的多くの身口業障に因りて因緣を阻礙す。即ち身口意業障の外緣にして、正に外境に接觸する時に、最も原動なり。
分述如下：一、心定——心定まるる能はば方に自己の行持をもって、修持の依據と為す。
◎三、意定——意能く定まるに、必ず身口心の外に向かう行持を通過し、方に意念の傳導に入る。此の意識は自在無垢たらんには、首先要に心霊を淸淨にし、方に意念を淨化す。意の動は即ち念の動にして、亦た心の動なり。三者は息息相關し、僅かに意に於て「九識」に分別するのみ。
心若し定まらざる時は、必ず心猿意馬にして、心の定力を把持し得ず。
身體と外界境地とを相互に結合し得るも、外界に左右されず「心の清淨」たるを得る。
故に心の定は、まさに：禅定の内縁であります。
意の動は即ち「念の動」亦是心の動、三者息息相關し、唯だ意に於て「九識」に分るゝのみであります。
心は內境の分別にして、禅定の本來體は「心・念・意」の三者を合一せしむるにあり。
此の三者の分別功能は即ち「心定淨」を無念の境界に致すにあり、之を禅定の基本功夫と為す。下はまさに「識種」の分差條件にして、人類「識」の功用を了別するは稀であります。第六度：智慧度——智慧は愚痴を度す。分述如下：一、生空智——人の修持經驗は智慧度に入る。人類に賢明・聰慧・愚蠢・笨拙の分あり、其の間生活は外界と相互に接觸し、眞に智慧をもって修持と為す者は、稀である！皆外界と接觸し、盲をもって盲を引き、又た眞に修持の內心境地に入る能はず。般若は皆口上に修と言うのみにして、內心時々掙扎して知らず、時々瓶頸盲點に遇いて、智慧精進力の開創を阻礙す；生空智は一切皆因縁の造る所、即ち萬法唯心唯物、此の生一切の空も、只是時間の過客に過ぎず。二、法空智——一切皆因縁の造る所、法性に於て生も亦た空、法も亦た空、修持の有為法をもって無為法を行じ得る；一切の作為は大乗菩薩行者の理念をもって、一切因縁觀・法性觀・空觀と為すのみ。所有の因縁は皆自然法則、心を放下し得るや？看開すなわち是である！三、一切智智——乃ち真如（真如）⁶¹本性「無我真如」「法性真如」は即ち仏の本來、衆生は皆仏性を具す。「一切種智」に在りて、「一切智智」の真如仏性に入り、清淨無垢自在にして無為、如實「大智智」の開展ある所以であります。六度万行：まさに菩薩道を修するに具備すべき因縁條件にして、「六波羅蜜」に在りて成就し「涅槃（涅槃）⁸⁸」の本來に達し、亦是彼岸に到達する大智慧者であります。人生は必ず因縁法則を通過し、又た因縁法則に於て自己を成就し衆生を成就し、「六度波羅蜜」の彼岸超越を提供するのであります。菩薩道を行持し得るは、必ず「布施波羅蜜・持戒波羅蜜・忍辱波羅蜜・精進波羅蜜・禅定波羅蜜・智慧波羅蜜」をもって人身の本體を行持し、小乗の修持より漸次声聞（聲聞）⁸⁹・縁覚（緣覺）⁹⁰に入り、再び大乗菩薩行持の觀念理路に入るのであります。眞に大乗菩薩行を行持する者は、自ら上智慈悲心を求め、下化衆生の資糧と為し、大乗理念を行ずるは菩薩の具うべき要件；覺有（悟）情の菩薩行は、まさに菩薩衆生を救渡する慈悲大願力にして、衆生の接引を通して、方に世間有情衆生を覺悟し、人生を五濁悪世（五濁惡世）⁸¹に了脱せしむるのであります。見・聞・知・覺をもって、衆生回帰の接引と為し、智慧を運用し得るは、衆生より声聞⁸⁹・縁覚⁹⁰を成就し、再び菩薩境地に入る。仏性¹¹を彰顯せんには、まさに按部就班に一步一步往上回歸すべく、一步にして仏境に登入するにあらず。衆生は當即（下）開悟（頓悟）の本領を具する者甚だ少ないのであります。必ず一步一步漸悟の境界に入り、菩薩行は六度波羅蜜をもって、覺有情菩薩行の實際果實に達す。真如仏性を彰顯せんには已に資本を具備して、空しく「頓悟」の虛幻に入ることなきよう。故に「漸・頓」は皆人の智慧含因の分別に在るのであります。衆生は「頓悟（頓悟）⁹⁸」の資本を具せず、必ず按部就班に來りて行持して、終に「漸悟（漸悟）⁹⁷」了脱する一日あらん。自己に對しては向上成長・提昇・超越あり、まさに學習成長の必要性にして、此の種の功能作用は眞修實行者に對して、大いなる鼓舞激勵あり、亦た陰徳（陰德）³⁵性あらんのであります。
第卅一回 覺有情（大乘菩薩行）
南無阿難陀菩薩
1994年5月28日　甲戌年四月十八日（六）
阿賴耶識は真如を藏す  難題出でぬは特殊なり
陀陀は本覺に入らば  菩薩圓滿して真初に還る
各體の菩薩行端正にして  有情を引渡して世に生く
自覺覺他皆圓滿にして  真如は大道程を超越す
菩薩行持は覺有情  大乘行者の福德行
自覺通過して圓滿を成し  覺他圓滿にして佛性を彰す
經驗累積、大乗菩薩行為は順境を求めず、專ら逆境中に自己を成就し、人世間の種種苦楚を累積して、低聲下氣にして、菩提智慧に轉化し得る。
含因の改造に在りて眞に人世間に落實し、提昇して回歸超越・成長・円満¹³・乘越と為すのであります。
覺他の過程：必ず自己自覺し得て、方に自己の資糧をもって、含因の原由を轉化改變し得る。
覺他は必ず衆生に改變提昇あるを要し、又た覺他の過程に於ても、衆生の遇う種種の問題に由りて、必ず一一對治すべきであります。
菩薩行：圓滿の境地に入りては、覺悟の經驗有り、又經驗中に於て五蘊と外境の接觸を通過す。「覺悟本來」は衆生に菩薩行に於て、自我の小乘修持を以て覺他に達し、圓滿の境界に到る。覺悟に在りては、自悟を通過して衆生を了悟し、再び圓滿の境界に入る。
菩薩行若し自覺を通過せずば、必ず大乘の理念を行持すべし。大乘の修持に對し、經驗の累積を通過して眞に人世間に落實す。有情の衆生無からば、何より菩薩と佛あらん。大乘の修持觀念に於て、小乘の修持に由りて自己の含因累積を改變す。
含因は、上の智者は當に行持し、中の智者は實地に了脫し、下の智者は按部就班にして、一歩一歩改造を爲す。自覺に於て必ず現世の經驗累積を通過し、人世間と衆生を逃離して孤獨に修持するに非ず。又大乘修持者の途徑に對し、必ず酸甜苦辣の經驗有り。
自覺經驗の含藏不足なれば、衆生酸苦經驗の累積を通過し能はずして、人云亦云の陷阱に落入するであります。
如くして！方に眞に實際に人生の修持過程を了悟す。大乘の菩薩行は必ず人間全ての生存考驗を通過し、方に實際に經驗累積す。正に確切たる實際の經驗にして、只だ經典より觀るに非ず、眞実にして人の如く水を飲む、冷暖自ら知る。點點滴滴は皆己が作爲なり。
人云亦云：即ち自己の經驗承受の過程にあらず。
人生必ず考驗と折磨を通過し、經驗の全ての酸甜苦辣を轉化して人生の喜怒哀樂と爲す。是れ人生經驗の最良の證據なり。自覺通して、覺他の行爲に行ずる能ふ。若し自覺經驗の含藏に不足あらば、衆生の酸苦の經驗の累積を通過する能はず、而して人云亦云の陷阱に落入せん。
自己若し艱苦承受なくば、覺他經驗は則ち不足嫌あり。
人云亦云とは、即ち自己の經驗承受の過程に非ず。自己に若し艱苦の承受無くば、覺他の經驗に對しては不足なり。惡運橫逆來りて磨く。即ち智慧菩提の闡揚にして、若し一味に順境に處せば、又何れか外境の苦磨承受あらん。人生必ず甘苦の過程を通過して、方に痛苦の經驗を珍惜せん。
惡運橫逆の來磨は、即ち智慧菩提の闡揚であります。
次に考磨來る時に及んでは、即ち應對如流にして、困厄に苦しめられて其の心を磨かさず。又大乘菩薩の落實に對し、逆境・困厄・橫阻に遭逢して、尚ほ其の苦磨を感じず、甚だしきは之を轉化して菩提種子と爲す。苦種（菩提）智慧に藉り、眞に人世間に行持す。
若し一味に順境に處せば、又た何の外境苦磨を承受せん？人生は必ず甘苦の過程を通過して、方に痛苦の經驗を珍惜するのであります。
經驗累積、大乘菩薩行は順境を求めず、專ら逆境の中に己が身を成就す。人世間の種種の苦楚を累積して、方に低聲下氣にて轉化成りて菩提智慧と爲す。含因の改造に在りて眞に人世間に落實し、提昇・回歸・超越・成長・乘越と爲す。
次回の考磨の來る時に至りては、即ち應對如流にして、困厄の心を磨くを受ぜず。
覺他の過程：必ず自己に自覺し、方に己が資糧を以て、含因の原由を轉化改變し得る。覺他は衆生に改變提昇の有るを要し、又覺他の過程に在りても、衆生の遭遇する種種の問題に由り、必ず一一に對治すべし。八萬四千法門に對し、八萬四千の智慧を通過して對治す。
又た大乗菩薩の落實に對しては、逆境・困厄・橫阻に遭逢しても、尚ほ其の苦磨を感ぜず、甚だ其れを菩提種子に轉化し、苦種（菩提）の智慧を藉りて、眞に行持於人世間するのであります。
八萬四千法門に對して、八萬四千智慧を通して對治するのであります。
若し八萬四千問題の產生する所を經由せずば、何の八萬四千菩提の造就か來らん！覺行圓滿は正に覺他の境地にして、必ず智慧闡揚を通して、問題を一一無形に消弭す。人肉身ありて仙仏（仙佛）²⁰菩薩は則ち無く、唯だ「真如霊性」衆生を超越するのみであります。人類衆生知て行ぜざれば、必ず菩薩衆生救渡の宏願を阻礙す。人の現世成長に於ても、亦た現世に種種不如意の問題あり、必ず菩薩救渡心の實際行持に配合すべきであります。然らざれば菩薩苦心即ち白費となって、衆生は時々不順遂を感じて、時々菩薩と仙仏²⁰に救渡を要求するのであります。若し菩薩救渡の心を明瞭せずば、菩薩一番の苦心を白費す。必ず智慧を求むる中に、衆生皆菩薩の腳步を學習し、一步一步菩薩道に行持せんことを欲す。理念・智識・觀念に於て、人類衆生菩薩苦心を了解せず、一味孤意に行じて、衆生に試問す：菩薩行あり得るや？否や！菩薩仙仏は宛如自己の親長の如く、天下衆生皆菩薩の腳步を效法せんことを希望す。一步踏穩め再び一步を行じ、日積月累に對して即ち菩薩行覺有情を彰顯し得る：必ず自覺覺他を通過して、覺行圓滿に入る。「若し施し得ば即ち捨し得、亦た得る」、必ず心無所求の中に回獲更に多し。覺有情菩薩行：人類衆生世間に於ては、色・受・想・行・識の五蘊⁹⁹を經由して組成される。每一件事務にも圓滿・圓融を求むべきも、圓滿境地に達し難きには、必ず看得開・放得下たるを要し、束縛羈絆を受くことなく、自己の此の一生を困擾せざるべきであります。了知すべきであります：天下の財物は皆借觀・借用に過ぎず、生存の時擁有し得るも、兩眼一閉すれば又た何の物が自己のものなるや？夫妻・子女・財物・田產、一切の一切、皆自己に屬せず、亦た唯だ此の肉身臭皮囊の禍福功過を背負うのみ！若し現在の擁有する一切を珍惜せず、一味造罪して財物を求取せば、又た造罪機會を增加す。所有財物に對しては、正に之を利用して衆生を成就し、衆生に福を造するにあり。又た財物と願力には密切の關係あり、願力愈大なるほど愈「天の財・世間の財」を藉りて、世人を成就し造福し得るのであります。「覺他の覺行」體悟圓滿し得るや否や、必ず世人の內心の喜愛する一切を放下し得るやに看よ。覺行圓滿は「施捨し得る」「放得下」「看得開」より作起し、人世に造罪機會を減じ、財物を利用して衆生に福を造し、覺行圓滿に於て一次の考驗を通過し得るのであります。「覺行圓滿」は覺有情菩薩行の具うべき條件にして、菩薩道に於て「十地（十地）⁸²」の行持を通過して、方に真如本性に入る。『大道回帰』は衆生皆實際に菩薩行に入らんことを欲し、則ち天の福、衆生の福、亦是菩薩の福にして、真如仏性を彰顯すること易如反掌、已に菩薩體・菩薩身・菩薩行であります。
第卅二回 覺有情（真如與佛性）
南無彌勒菩薩
1994年6月初4日　甲戌年四月廿五日（六）
彌陀佛心は眞如と稱し、勒化は世景を眞初に歸す。
菩提成就して佛性顯はれ、薩時すなわち化して眞實に悟る。
故に必ず現世因縁組合を藉用して、方に未來成就あり。
衆生と仏・菩薩の分別は、唯だ真如仏性の發揮し得るや否やに在り。
開悟の過程に深淺不一の「大悟・中悟・小悟」の契入あり。
大悟は大智を徹し、中悟は中智を徹し、小悟は小智を徹す。
無極元君  九天玄女伝示  無極母娘の懿旨  降譬於
南天直轄道堂  桃園行善堂
天運甲戌年五月十日戌時
桃園行善堂後の因縁により  更遷して桃園光明堂と為す
南屏道濟古仏・濟公活仏　1994年6月11日　甲戌年五月初三日濟世公心無為至 活看世景皆虚幻 公徳由己回真執 仏心真如本無私と私なし人類衆生は覺有情の實際境地を通して、方に眞の覺悟に到達し、仏性と真如を彰顯し得る。
必ず現世に實地了脫すべく、歸空の後に到達するにあらず。
現世菩薩は當下即ち菩薩にして、歿後に方に菩薩と稱するにあらず。
仏性を彰顯するも亦是現世當下に於て、即ち成就し得るのであります。
真如は亦た仏性と稱す：菩薩は必ず十行・十住・十地⁸²・十願・十智を通過して、十階段の作為の中に於て、菩薩は大願力・大智慧・大悲心・大慈性・大福德の集合を具うべきであります。
亦た「大願力」「大慈悲」の開展に對して、方に十地の行持をもって彼岸に到達し得るのであります。
六波羅蜜の六度万行は、まさに實際「萬法實行」「萬縁皆通」の過程をもって、上求下化の資糧と為す。
又た眞に「無我真如」と「法性真如」の兩者相違逆せず：仏性は必ず「仏性と真如」に依持し、即ち一體兩面にして、亦是兩者皆是であります。
真如：まさに人類衆生原本の具する所、彰顯せずとも亦た具有す。
衆生は現世環境に蒙蔽されて、仏性より彰顯し得ず、宗教に入りては自性を既往に回溯し、亦た原來本性に回歸し得る。
人類は又た五蘊⁹⁹に阻礙さるゝも、五蘊亦是仏性真如を彰顯成就するの要件であります。
若し此の種の經驗累積を通過せずば、又た何の實際感受か來らん？故に仏と菩薩に對しては：まさに實際經驗考磨を通して、經驗をもって世人を教育する資糧と為し、又た人世間に成就因縁あり、現世一切の作為をもって資本を成就し得る。
必ず如實成長超越あるべきであります。
然らざれば若し現世考磨を通過せずば、成就に親自體證の過程あること能はず。
衆生每日皆開悟の過程に在りて自ら知らず、實則開悟の分別ありて、又た如何に實際體證し、智慧を累積し得るや？仏性真如の要件を彰顯し通過し得るは、必ず實際作為あるべく、唯だ道聽塗說、或は經典書本より來るにあらず。
此等は尚ほ現世實際經驗應用を通過するに足らず、實際修持自己を成就し得るかどうか。云ふあり「金剛經を註解する者・金剛經を講解する者・金剛經を聽聞する者・金剛經を實行する者」又た何人か仏と成り得るや？皆之を如何に謂ふや？實を言へば：唯だ「實行者」のみ方に「仏果」と成り得るのみ！倘し金剛經を註解するを通過せず、再來講解聽聞金剛經文の過程なくば、又た何の智慧をもって判斷し得るや眞の實行者なるや？故に必ず「著作・講解・聽聞・實行」に對して、皆連續一貫動作あるべく、方に仏菩薩經典を實修の依據と為し得るのであります。人類は經驗累積によりて智慧分判を成す。現在未だ「真如」に入りて成就し得ずと雖も、必ず中心點（中和公正）を守りて分判すべきであります：まさに人世間に陰陽の分別ありて、兩造の間若し一方に偏悖せば、亦た三界（三界）²⁴の束縛を跳脫し得ず。仏菩薩は種種因縁和合を通して、守中（守中）⁷⁷の本質を累積す。此の間若し分別對待心なくば、方に三界因縁困擾を跳脫し得る。人類衆生了脫し得るや否やは、唯だ自己の作為を將にし、まさに「智慧と福德」を通して方に福慧双修（福慧雙修）³⁷ありて、方に長遠たるを得るのであります。仏性境地は「初地開悟」より、「長遠不悖」の境界に入りて、方に世俗の牽纏を受く致さず、又た「自體仏性」の蒙蔽障礙を受く致さざる。故に菩薩には入胎の迷あり、前世貴く仏菩薩為りと雖も、若し此の一世に實修實煉を通過せずば、又た如何に本性真如を彰顯し得るや？仏性に對しては、亦た時々赤子之心を保持して、方に眞に長く仏性を如實に開展し得る。必ず時々不斷にして、時斷時續にあらず、方に真如境地に立ち得る。人世間には諸多覺有情菩薩の作為ありて、此をもって周遭の人・事・物を渡化し、提昇超越を促進するは、必要性であります！真如仏性の擴展：まさに實地了脫によりて、未來を寄望するか歿度の後に再び開展するにあらず。實地經驗を通して、當下即ち仏性を彰顯し得て、方に「覺有情」「顯仏性」「彰真如」に入る。故に世に在る人「用心」あらば即ち成就し、仏と菩薩の分別即ち此に在るのであります。初地の仏性は轉化應ず『大道天徳（大道天德）³⁸』已に尾端に入ったのであります、有情衆生皆共修共勵し、眞修實煉を通して、龍華三會に於て大家攜手回歸し得ることを祈願す。亦た上蒼と皇母（皇母）²³の慈盼を感望し得る、「大道（大道）¹⁰」は自然法則の運行する所であります！「回歸」は仏性真如の顯露、實修實行まさに是れであります！『大道回帰』をもって眞に此の世に於て、早已に活菩薩（現世菩薩）・活仏（現世仏）である：又た『大道天徳』尾篇已完成り、大道¹⁰法船に更に大いなる弘展あり、人を渡すこと更に豐かに、亦た次冊に接續して『大道回歸』を著作する殊勝因縁を願祝するのであります。
◆ 跋・讃賀 ◆
<div class="text-block">南屏道濟古仏　降跋</div>
<div class="text-block">『大道天徳（大道天德）³⁸』已に完書す。現今の世代に又一盞の明燈を增加し、特に眞修實行者に對しては、此の明燈の</div>
<div class="text-block">指引を藉りて、五濁悪世（五濁惡世）⁸¹の修持に對して歸返の資本と為す。又た衆生は必ず五蘊⁹⁹の接觸を透過して、方</div>
<div class="text-block">に現世に經驗累積を落實し、亦た今生の實際經驗をもって、修持の見證に投入するのであります。</div>
<div class="text-block">『大道天徳』は天地無私、自然運轉法則を彰顯す。衆生は現世塵縁を受けて本性を迷障し、亦た此れに因て行持準則を迷</div>
<div class="text-block">障し、故に多くの災難障礙あり。更に現世に於て、因縁和合を通して、人生本質を成就すべきであります。然らざれば唯</div>
<div class="text-block">だ生生息ず累劫輪廻²¹のみ！</div>
<div class="text-block">此の種の因縁を綜觀するに、皆衆生靜下心思する能はず、清淨境地に達至せざるに因る。故に必ず人生歷煉を通して、一</div>
<div class="text-block">步步覺有（悟）情の境地に朝向すべきであります。菩薩行の目標は必ず努力奮發向上し、小乘より漸次中乘に入り、再び</div>
<div class="text-block">上乘に提昇し、大乗菩薩慈願悲行に對すべきであります。</div>
<div class="text-block">行持規範に於て、漸次仏性真如本質の彰顯に達す。然るに人類衆生又た何を以て遲遲醒悟し得ざるや？正に迷障深陷して</div>
<div class="text-block">導致する所にして、又た意念無爲を成就し得ず、故に時々前進の腳步を阻礙す。若し仏性を彰顯せんと欲せば、似乎又た</div>
<div class="text-block">だ臨門一脚に差すのみ。</div>
<div class="text-block">大道たるや：人類萬物の依循する準則にして、「回歸大道」の途は、必ず身體力行し得て、菩薩方に彰顯し得る。</div>
<div class="text-block">天徳たるや：乃ち萬物を涵して生生息まず、人世間所有の因果迷障に對し、如實了知化除の方法を受益せしむ。</div>
<div class="text-block">『大道天徳』：天徳³⁸の彰顯に入る、其の理此に在り；易言すれば：天徳は衆生と萬物皆長ずる所ありて、自然無為純眞</div>
<div class="text-block">本來に回復するに在るのであります。</div>
<div class="text-block">衆生は皆真如仏性を具す。現世に於ていかなる宗教をも分たず、唯だ「無爲」「無私」の本來を行じ得ば、即ち實際菩薩</div>
<div class="text-block">行を行持し得る。故に眞の菩薩行者は、即ち宗教の別なく信仰の分なく、亦是唯だ一個の宗教或は佛教を指すにあらず。</div>
<div class="text-block">現今時遷法も亦た遷る、唯だ仏性真如を彰顯し得ば、當下即ち活仏・活菩薩にして、歸空して方に菩薩と稱するにあら</div>
<div class="text-block">ず。實地一切作爲を通過したる後、即ち社會を改變し、清淨祥和の境に達し、亦た未來人間淨土世界を成就し、以及び乘</div>
<div class="text-block">越して蓮花仏國に入るを得るのであります。</div>
<div class="text-block">故に言く：三教同宗、五教（五教）⁹同源、正に彼此を分たず、如何に真如仏性に達至し得るや、同歸大道なるのみ！此</div>
<div class="text-block">に由て知り得る：『大道天徳』の著作に對しては、必ず心を靜めて詳加思慮し、時々自我を反觀し、刻刻本來面目に回溯</div>
<div class="text-block">すべきであります。</div>
<div class="text-block">即ち漸次真如を彰顯し、代天普化の大任を承擔し、衆生渡化の責を挑起し、同時亦た衆を引て「心燈（心燈）³」の光明</div>
<div class="text-block">照耀を尋回せしめ、輪廻²¹の束縛を突破して、三界²⁴を脱離し提昇超越する所以であります。</div>
<div class="text-block">南屏道濟古仏　降跋於 南天直轄聖堂桃園行善堂 天運甲戌年五月初三日戌時</div>
<div class="text-block">南天文衡聖帝　降示凡例</div>
<div class="text-block">大道天徳已完成 普化增添生力軍 神人著作倍苦辛 行善諸賢徳更明</div>
<div class="text-block">書き下し文：大道天徳　已完成す／普化に生力軍を增添す／神人著作　苦辛に倍す／行善諸賢　徳更に明らか</div>
<div class="text-block">である</div>
<div class="text-block">現代語訳：大道天徳は已完成す／普化に生力軍を添う／神人著作は苦辛に倍す／行善の諸賢よ徳は更に明らか</div>
<div class="text-block">である</div>
<div class="text-block">今夜堂に降來し、『大道天徳』一書の凡例と為す：</div>
<div class="text-block">一、凡そ『大道天徳』を著作する堂生倍感辛勞、皇母（皇母）²³の功勳賞賜頒賜に准ずる前、若し任何の挫折と橫逆ある</div>
<div class="text-block">ば、先ず疏を呈して、酌情其の業（業）¹⁹愆を減ずることを得るのであります。</div>
<div class="text-block">二、凡そ本書著作期間、仙仏（仙佛）²⁰降論の文章、深切體會し身體力行せんことを期盼す。自己の修徳をもって未來資</div>
<div class="text-block">糧と為し、普利代天宣化の資本と為すべきであります。</div>
<div class="text-block">三、凡そ『大道天徳』を助印し、分發・宣論・講解する善信功德の者、業¹⁹障を削減し、福祿を增加するを基準と為すこ</div>
<div class="text-block">とを准ずる。</div>
<div class="text-block">四、本書著作期間は、乃ち三界²⁴の高真嘔心泣血の結晶にして、即ち現世修持の指針と成る。世人每段章回に實地體悟す</div>
<div class="text-block">るよう望む、是れ必ず得る所あるべきであります。</div>
<div class="text-block">五、本書即に付梓出版問世せん、眾多助印を加え、以て廣布流通に利し、行善普化の資と為し、諸生に更大收穫あるを得</div>
<div class="text-block">せしむることを望む。</div>
<div class="text-block">六、著書期間の篇幅は、行善法堂天恩報答の佳禮と為し、更に此を以て皇母²³慈愛關懷に叩謝する所以であります。</div>
<div class="text-block">南天文衡聖帝　降示凡例於南天直轄聖堂 桃園行善堂 天運甲戌年五月初三日戌時</div>
<div class="text-block">無極駕前 九天玄女　傳示無極母娘懿旨</div>
<div class="text-block">行善大道已著成 天徳禅性真心誠 完書頒示賞功勲 再接再厲辛苦程</div>
<div class="text-block">書き下し文：行善大道　已に著成す／天徳禅性　真心誠である／完書頒示して　功勲を賞す／再接再厲　辛苦</div>
<div class="text-block">の程</div>
<div class="text-block">現代語訳：行善の大道は已に著成す／天徳禅性は真心誠である／完書を頒示して功勲を賞す／再接再厲せん辛</div>
<div class="text-block">苦の程を</div>
<div class="text-block">欽奉</div>
<div class="text-block">無極皇母大天尊　懿旨曰</div>
<div class="text-block">行善『大道天徳』今已に著作完成す。此の書は現今宗教聖堂に於て一創新の舉にして、特に本書は衆仙仏²⁰累世實際經驗</div>
<div class="text-block">の促成する所、當今修子の瓶頸に對して、突破力量の化解あり。</div>
<div class="text-block">即ち眞修佛子の道途信心を促進し得て、現世實際經驗を通して、今生覺有情菩薩行に入りて提昇し、仏性¹¹を彰顯し得る</div>
<div class="text-block">を助け、修子行持の方針と為す。實に不可多得の天書であります。</div>
<div class="text-block">母 行善神人を觀るに、著作期間戮力同心し、共に普化の爲に努力す。而して今『大道天徳』は已に全部著作完成し、母</div>
<div class="text-block">心甚だ悅び、特て諸兒女・諸神仏共に著作苦心を爲すを嘉勉し、特て行善諸兒女每人二百功を賜り、以て嘉勉す。</div>
<div class="text-block">又た行善諸神每位功勳三級を加え、普化大道¹⁰見證を慰と爲す。母娘亦た欣喜す、行善今已に渡化相當實效に達し、諸兒</div>
<div class="text-block">女能く娘の心を體して、早日天鄉に歸返せんことを期望するのであります。</div>
<div class="text-block">行善著作『大道天徳』完竣の後、甲戌年八月十五日戌時に奉じて再び天旨を接して著作す。此れ乃ち行善道堂普化見證に</div>
<div class="text-block">して、亦た一大責任を榮膺する所であります。</div>
<div class="text-block">諸天神仏・諸兒女、天旨の來るを靜待し、行善聖業普化円満¹³完成に利せんことを冀望す；接著前の時間に於ては、天音</div>
<div class="text-block">傳眞靜思慮識を加强するの外、全體諸子仍宜準備配合すべきであります。</div>
<div class="text-block">無極元君 九天玄女傳示　無極母娘懿旨降諭於 南天直轄道堂桃園行善堂 天運甲戌年五月十日戌時</div>
<div class="text-block">桃園行善堂在後面之因緣，而更迭為：桃園光明堂</div>