大道シリーズ叢書 第3冊『大道回歸』
日本語版
◆ 前置・序 ◆
大道回帰–編集誌
大道シリーズの天書の第三冊である「大道回帰」は、まさに「唯識学」のすべての理論体系を基に構築されたものです。人類の衆生が宗教信仰の修行の中で、人の世における潤いある生き方の必要性を説いています。どの国や人種にも分け隔てなく、誰にとっても「衣食住育楽」の調和があってこそ、心と体の平安があるのです。
「大道回帰」の目次の最も重要な見出しは、まさに全体的な構築による理由を示しており、人類の修行において30年から50年の無明の模索を減らすことができます。人の世に「初心」があってこそ、まさに「自性仏性」によるものであり、「初因の天命」を開くことができてこそ、「了願」の機能が果たせるのです。
「真と偽の虚幻」の過程においては、「仮の形を借りて真を修める」ことが必要であり、「智慧と福報」も共に備えなければなりません。まさに「理障・事障・自縛」を経て「魔難考程」の経験を積み；「礙障・惑障・業障・所知障」を形成し、一定の試練を経てこそ、「了劫」を成し遂げられるのです。
「起心動念」の中にこそ、「超性・浄霊・垢識」が発見され、「三曹普渡」においては「真如・霊魂・真我・本霊」があり、「如来蔵」が具足し、「菩提・開悟・明心・見性」の過程を経て、「覚満・自覚・満円」によって備わるものです。
先天の真詮を弘め、    天地の大道を行い、
杏壇の規範を立て、    衆生の回帰を導く。
累世の因果を償い、   仮を借りて真を修め還る、
天賦の使命を完成し、   現代の科技で超越する。
大道というものは、私心がなく無為自然であり、また無為として何もしないわけではありません。人の世に人がいてこそ、自性の目覚めを顕すことができ、また人類がいるからこそ仏性を引き上げて衆生を成就できるのです。人の世にあって衆生が凡俗に堕ちて以来、自己を見失い、また人が世の中にあって凡塵の仮の姿に惑わされて自性を遮り、さらに五神通の顕れを少なくしているのです。
現今において言えば、昔に失ったものが、現代の科学技術文明により知識が向上し、心も昔よりも寂しく空虚になっています。また昔よりも自分の身に備わっていることを知らず、現代では自然に外部に求めるようになり、自分自身に本来「自性の根基」が備わっていることを知らないでいるのです。
「仏性」とは現代の言い方であり、古には「自性」と言いました。自性は自らに備わっているものであり、仏性もまた自らに備わっているものです。どの仏・仙・聖が成って仏性・仙性・聖性を備えられるというのではなく、皆現代の衆生が自らを迷わせて惑わしているために、やむを得ず言うのです：仏性だと！
三教を問わず、仏性・仙性・聖性は皆現代の衆生が、自らを迷わせて立てた言葉に過ぎません。したがって：仏性・仙性・聖性は皆同一の自性であり、自性を引き上げ顕扬できるかどうかは、自ら自性に回帰できるかどうかにかかっています。自性に立ち返ってこそ、仏性・仙性・聖性を顕すことができるのです。
また自らに備わっているからこそ、外部の者が取得することも変換することもできません。ただ迷いの中にあって、自らに備わる本来を知らず、自分のものを捨てて外に仏性を求めるのです。衆生はそれを得られるでしょうか？考えてみれば明らかです！仏はもともと衆生、衆生すなわち仏、ただ迷いと悟りの違いにあるだけです。
昔から言います：「菩薩は因を恐れ、衆生は果を恐れる」と。すなわち起心動念の中で、人世間の因縁果報を断ち、それが果報となって自分を傷つけるのを防ぎ、さらに善徳の果実を発芽させ発展させるのです。善因・善縁はここから広がり、人の起心動念に対して、まさに自分の分内のこととします。
自性・仏性を顕揚できるか？必ず自分自身の本性にどうやって回帰するかを考えなさい！衆生の本性を悟ってこそ、開悟できるのです：仏性・仙性・聖性は、さらに自分自身に備わっているものであり、修行だけでは得られず、善行だけでも得られず、大善人や聖人だけが仏性を持つわけではなく、衆生も仏性・自性を持たないわけではありません。そうでしょ！
人の最初の念いは、まさに心の前に起きるものです。だからこそ人世間であらゆる縁起を行い、人世間の万縁があってこそ、万物・万事の基準を成就できるのです。人類の起心動念は、あらゆる万物の始まりを包み込み、縁が動いてすべての善悪を行うことは、起心動念によって成就されるのです。
善徳の因縁か？悪殃の因縁か？それは自分自身の過去の経験にあり、積み重ねべき行いとしかるべき因縁の始まりにあります。人類の起心動念は、まさにあらゆる万縁の始まりであり、万縁の始まりにおいて、人の行いによって善悪と好悪が変わり、この人為的な要因は、皆人の行いによって選択されるのです。
人類の因縁の始まりを明了するには、思考の空間を変える必要があります。人世間の万縁の中で、宗教の修行により、本来の良くない悪縁を、善徳の良好な因縁に変えることができます。また人類の起心動念にあり、まさにあらゆる因縁（源）の始まりであり、「含因起動」とも言います。
理心光明禅師  大道回帰天書再版の前に題す
丁酉中元、2017年8月
大道シリーズ叢書第三冊
大道回帰–推薦序
起心：まだ芽吹く前には、ただ個人の心の中の考えに過ぎません。動念に至れば：それはただ自分自身の内面のことであり、まだいかなる因縁の始まりも形成していません。未来の行為について人の世で思考過程があり、善悪を問わず皆過去の経験に影響され、自分のなすべきことに影響を与えます。皆、心の起きによって明らかになるのです。
動念：心の奥深くにあり、まだ外に発展していない状態です。すべての因縁はただ自分の内面的なことですが、もし外に発展したならば、さらに因縁の結合となり、因縁の結合を経て必ず果報となります。つまり善徳か悪殃か、いずれも人類の思考と行為を経て、初めて達成できる目標となるのです。
人類は往々にして他人の心の動きを理解できません。しかし人類の思考空間において、電波念力によって自分の周囲に拡張しています。電波念力の形成において、原因を見なくても、その色沢によって善徳か悪殃か、善悪の区別がわかります。人生において、「起心動念」が最も重要なのです。
人類がこの世ですべての事を成し遂げるには、必ず心の動きを経て、すべての事の展開があります。もし心の動きがなければ、どうして万事万物の発展を成就できるでしょうか？そうでしょ！人に思考があるからこそ、人世間で衆生の福沢を創造でき、また衆生の福沢を破壊することもできるのです。この二つは非常に大きな違いを生みます。
人の心の動きの中で、もしまず良くない種因を断つことができれば、悪殃の試練を受けることはありません。人類の衆生はこれを理解できるでしょうか？非常に難しいことです！また人の起心動念の中に、まさにあらゆる万物因縁の造化を成就するのです。もし行動によって良くない種因の念を消すことができれば、多くの因果業障を減らすことができます！
人類の衆生が今世において真に自分を解脱するには、必ず「自覚」してこそ完全な境地に達することができます。人類の衆生が自覚できない時、いかに深い功徳福報があっても、自性を超越する境地には達せません。衆生は自覚できるでしょうか？まさに現代の衆生が備えるべき最も重要な務めです！
もし自覚が本霊によって明らかにされず、また外部の試練と魔難を経ない時には、経験の蓄積は難しいでしょう。人生において、経験の積み重ねを経て、智慧に転化させなければ、現世で成就する機会はありません。人類の生存は経験の蓄積と応用を経なければなりません。
そうしてこそ智慧に転化し、衆生が備える条件としての行いとなります。人類の衆生がただ修行のために修行し、善行のために善を行い、功徳のために功徳を積むだけでは、常に自分の意識に左右され、自分の好きなことだけを行うことになります。往々にして本来具わる真如を顕すことができません。
現代の衆生は、修行せず、善行せず、功徳も積まないでいられるでしょうか？もしこの種の考えを打ち破ることができれば、まさに真に自己を高めることであり、自覚から他覚へ、まさに超越の基本条件です。仏は「自覚者」と言いますが、どうやって自覚するのか？如来又如去、本当に如来又如去の意味を理解できるでしょうか？
人生の現世の過程において、もし菴摩羅識によって成就することなく—法界体性智に達せず、ただ阿頼耶識・大円鏡智に留まっているだけでは、自己を成就する機会はなく、真に如来又如去することはできず、人生はただ一コマ一コマの映像がつながっているだけになります。
衆生は皆如来仏を慕います。しかし如来仏も、衆生の修行によって成就したものに過ぎません。ただ心智と本識の過程において、第八識阿頼耶識から大円鏡智を成就し、第九識菴摩羅識に入り、法界体性智を成就する—すなわち退転しない輪迴の中に入らないこと、これが人類衆生の憧れるところです。
覚者とは：まさに悟った衆生であり、自己を悟れば万物を悟り、万物を悟れば天地の間を悟り、宇宙の過程をも悟ることができます。人類衆生が地球上に存在するのは、沧海一粟の種子に過ぎません。天地宇宙はすなわち一つの心、天地万物衆生もまた一つの心です。
真に自己を振り返る内省ができるか？必ず自分の行いによって区別されます。人が天地万物の徳沢を行えば、仏もまた天地万物の徳沢を行うことができます。このように二つが照らし合って、宇宙天地万物衆生の徳沢となるのです。また本霊が清浄でない時、どうやって如来又如去ができるでしょうか？
経験の中で、酸甜苦辣を問わず、すべて自分で感じ取れるものです。また自分の経験で得たものは、まさに深く心に刻まれて蓄積され、体得され、伝承され、経験してきたものです。経験によって自分の本質を知ってこそ、まさに自分の真如仏性なのです：「漸悟」から転化して「頓悟」となり、今世で超越できるのです！
自覚は必ず圓滿でなければならず、圓滿は必ず満圓でなければなりません。どのように円満に満たし、満たしてまた円満にするかは、まさに衆生が修行で必ず従うべき目標です。そうでなければ仏になっても仏ではなく、ただの「弗」に過ぎず、あるいは魔性になる可能性もあります。人に才能を加えて初めて仏になる契機があるのです。ですから衆生は人であって仏ではありません。
理心光明禅師 大道シリーズ第三冊再版の前に題す
丁酉中元、2017年8月
懿旨
崇心主席 文衡聖帝
1996年9月27日 丙子年8月15日（水）
懿敕道場接天旨 無極降臨重心治
天道無私任心憑 惟德惟輔真心持
恭しく旨を迎える
今宵、無極母娘の懿旨を恭しく迎え、本堂の福德正神に三十里の外で御駕をお迎えさせ、また本堂の済公活仏に二十里の外で御駕をお迎えさせます。その他の神人は列を整えて御駕をお待ちする。失礼があってはなりません！
無極駕前 董双成仙姑
懿敕道脈嶄新機 崇心道理遍大地
皇母降旨著天書 大道回帰普真理
今宵、無極皇母の懿旨を恭敬に帯して崇心道場に降臨し、懿敕を下します。母の命を恭しく聞き、神人は列を整え俯して待ちます。失礼があってはなりません！
懿旨を 読み上げる
恭敬に 奉ずる
無極皇母大天尊 懿旨に言う
母は理天の聖地にあって、世の中の人心を見るに、皆功利主義が横行する中で、真に自分の无私を出して広く衆生を救うことができていない。今の世の中で母の心を理解する修行者は少ない！皆世俗の追求に迷い、自分の本性に種を植えることがとても難しい。
今、懿敕崇心道場の理筆陳子に、堂を開き広く衆生を救い、広く教化の仕組みを展開させる。真に母の喜びとするところであり、これにより特に懿旨を下し、南海古仏と済公活仏の両方に主著仙師を命じ、三界の聖神仙仏を陪著仙師とする。
理筆陳子に著作闡教を任せ、修行者たちの儒・道・仏の三教にこだわらず、またいかなる新興宗派も皆回帰を望む。また宗教による違いも分け隔てず、皆互いに補い合いながら向上し、回帰してほしい。これが母の期待する成長と超越である。
母は特に「大道回帰」と名付けた。衆生の原霊が皆向上し回帰することを望み、母の切なる願いである。8月15日から旨を受けて著作を開始する。母は特に激励し、衆りの子供たちと神人の苦心に報い、著作が完成した後、功勳を授け、労力に報いる。
謹んで怠らず 母の意に背くな  神人叩首して謝恩す
無極皇母が懿旨を下す
懿敕道場 崇心堂
天運丙子年八月十五日
崇心主席 文衡聖帝
続けて昊天玉旨を崇心堂で迎えます。本堂の福德正神に二十里の外で御駕をお迎えさせ、さらに本堂の観音菩薩に十里の外で御駕をお迎えさせます。その他の神人は列を整えてお待ちする。失礼があってはなりません！
欽差大臣 李太白仙翁
昊天降旨懿敕堂 崇心崇德為理彰
道心大顯天德威 大道回帰渡衆揚
昊天玉旨を恭敬に帯して堂に降臨します。神人は俯伏せよ！
玉旨を 読み上げる
恭敬に 奉ずる
玉皇大天尊 玄靈高上帝 玉旨に言う
朕は九五の至尊にあり、南贍部洲台湾桃園の懿敕道場崇心堂を見る。理筆陳子が天の意を受けて道を行い、無為無私で犧牲奉獻し、著書で真理を説き、大地の衆生を広く化している。朕心特に喜び、玉旨一道を賜い、南屏道濟古仏と南海古仏の両方に主著仙師を命ずる。
三界の聖神仙仏が陪著する。その書名は「大道回帰」とする。真理を説き教化する方式で衆生を啓発し、九二の原霊子が皆帰還することを望み、母の思子涙心を慰める。旨が届いた日から授業日に著作を始め、期限を設けず早期完成を主とする。頒布して世を救う教化を成就せよ。
修行者たちが皆天の意を受けて道を行い、無為で奉獻犧牲し、「大道回帰」を成就して修行の迷いを指し示し、原霊子を導いて仏性を顕揚し、有情衆生を成就し、心性を向上させることを最も重要とする。朕が望むところであり、書が完成した日、功績を論じて賞を与える。
謹んで怠らず 朕の意に背くな  叩首して謝恩す
玉皇大天尊 玄靈高上帝 玉旨を下す
懿敕道場崇心堂
天運丙子年八月十五日中秋夜
崇心副主席 無極元君 麻仙姑
副心慈愛渡原霊 座前賢生真誠心
麻仙姑降来述因 崇心道場接天引
旨を受けて著作する任務
本堂は今日、無極懿旨・昊天玉旨を恭しく受け天書を著作します。書名は「大道回帰」。現世で上天の重視を得ることは、実に本堂の神人の栄誉です。今後の著作の中で、大道普化の証とし、修行者の皆が共に上天の救済活動に力を尽くされることを望みます。
上天は決して修行者たちを裏切りません。ですから今後、学ぶことはまだ多く、さらに努力して学習し、秩序正しい堂規を確立し、衆生の手本となり、上天のために自分を成就し、衆生を救済してください。この点を皆よく理解してください。
序一
人天教主 南無本師釈迦牟尼仏
1996年10月4日 丙子年8月22日（金）
西方極樂傳大乘 人天教主渡衆生
理筆著作天德冊 大道回帰普聖霊
序 一
人生において仏性を顕すことができるのは、まさに人生最大の喜びです。仏性を顕すには、私心を捨て公に向かい、自分を無為の境地に導き、自性を引き上げなければなりません。人性と仏性は平等に違いがなく、自己の独自な発展を向上させること、これが現代の衆生が自己を高め理解すべき最も重要な鍵です。
自性のもつ能力と可能性を引き上げることは、無私・無為をもって大乗の仏道に入ることでもあり、まさに現代の重要な課題です。「大道回帰」によって自己の仏性を高め顕すことが、最も主要な指標となります。衆生は皆仏性をもち、仏性は平等です。どうすれば柔軟に対応でき、固執や硬化に陥らないでしょうか？
必ず心性を引き上げ、真如仏性の境地に達しなければなりません。衆生が内に備えているものは、外部に求めて高めることができるでしょうか？それはこの世で変容できるかどうかにかかっています！「大道回帰」で説く真理は、衆生を教化し自性を引き上げ、無我・無誰・無凡・無聖の自性に達し、自然に回帰へと導きます。
現代において、「一つの清泉」があり、また「一つの明燈」があって道しるべとなる。まさに衆生の拠り所となり、真如の境地に達し、それぞれの仏性を引き上げます。大道は衆生を迎え帰還させる道であり、皆が大道に回帰することを望んでいます。大道が衆生を導いて回帰することは、最も切実な願いです。
人天教主 南無本師釈迦牟尼仏 序一を降す
懿敕崇心堂
天運丙子年八月二十二日戌時
序二
三清教主 元始天尊
元本無始結聖胎 始至大地方知哉
天道無私任己為 尊降懿敕道場來
序 二
大道の行い！天地は無私で、万代を運行しています。人世において自然に無為・無私として振る舞ってこそ、天地の自然の運行と調和できます。人は本来自然の中の一つの存在であり、万物の中で人が霊長となれるのは、人に知恵と思考力があるからです。
この条件によって：天地の徳沢で万物を成就し、自分を磨き、必ず自然無為の境地に達することができます。人は天地万物の一つであり、現世で自分の行いを高め、自分を成就すれば衆生も成就できます。万物には皆仏性があり、動植物の仏性も変わらないのです。
人類の中で必ず自性を引き上げ、衆生を利益しなければなりません。衆生を利益するには、上に絶えず自分を充実させ、絶え間ない長続きがなければなりません。衆生は皆平等な仏性を持ち、自分を成就すれば衆生をも成就でき、自分に備えて上を求め下を教化する条件で成長します。
これが現代において敗れない境地に立つ由縁であり、善徳の縁があってこそ人生を成就できます。そうでなければ出会う縁も成就に至らず、必ず無縁に堕して自己超越を求められず、良い縁にも恵まれず、皆が上昇する機会を得られないのです。
「大道回帰」は上天が下された天書の中で、得難く特別なものです。この書の著作は、もはや昔の善書とは異なり、自性と仏性の顕彰を目指し、如来蔵の真如仏性を大道に回帰させます。大道に自ら回帰できる者は、もはや凡夫ではなく、仏・仙・聖・神なのです。
三清教主 元始天尊 序二を降す
懿敕崇心堂
天運丙子年八月二十二日戌時
大成至聖先師 孔夫子
序三
至德無私理發揚 聖賢無因自主張
先靈歸返無極界 師恩天德報綿長
序 三
大道回帰：人生には本来の姿があり、自然で無為であることは、衆生が皆無極天界に帰還することを意味します。俗世の中でも三綱・五常・四維・八德を実践し、その一つでも備われば、残りも皆成就できるのです！
人は自然に成就した身体であり、天地の運行によって位置を得ています。
自然でありのまま、他の力によって変えられるものではありません。人は天・地・人の三才を備えて天地に立ち、人には思考と知恵があり、自分を成就し他者をも導けます。衆生が自ら善化を得れば、自性を引き上げ、明明德の境界に達します。これが人生の教化に必要な条件と行いです。
天地は無私で、人は本来自然であり、天の加護と地の守りを得るのは人の幸いです！上天の重視を得るには、人が无私をもって徳を成すことです。「大道回帰」の主要な因縁は、無私無為に戻り、自然に自分を成就し、また他者も成就して、向上し超越することにあります。
天地自然は、衆生の不善を見ても、皆その帰還を願っています。悪を恐れず大道に回帰し、自然無為・無私の境地で行動する。この条件によって、必ず自性を引き上げ自己の成就を達成し、衆生も成就して回帰させます。しかし回帰とはどこへ帰るのか？人類衆生にはなかなか理解しがたいことです！
大道とは自然に天地を運行するものであり、自然なる者が大道に回帰するのは、皆特別な使命を持っています。達成する者は聖となり賢となり、真如を顕し仏性を示し、大乗菩薩行の覚有情の世界を成就します。まさに人類が当下で自分を成就し、衆生を救い成長させるのです。
大成至聖先師 孔夫子 序三を降す
懿敕崇心堂
天運丙子年八月二十二日戌時
天運丙子年八月二十二日戌時
◆ 本文 ◆
南海古仏
1996年10月11日　丙子年八月廿九日（五）
南方に大道を開き 衆生に普く示し
古道に熱衷して 天の理を傳える
先天の眞理を弘め
教壇の 規範を確立せよ 先天の眞詮を弘め　天地の大道を行じ 海馳せり 天地 生靈を渡す 仏性 自ら顯れ 善因を提引す 天地の大道を行じ 衆生の回帰を渡す
第一回 先天の真詮を弘め 天地の大道を行う
南開大道 衆生に普し 古道 熱衷して天理を傳う 先天の眞詮を弘め 杏壇（杏壇）⁹¹の規範を立て先天の眞詮を弘む：乃ち先天 凡に落し後 すなわち世景に迷いて、自己仏性を提昇し難く、これにより自性を障礙して知らず、往々にして自己の行爲する所 皆 善の徵なるがごとく以爲い、また各人の所作所爲によりて、時々自性を迷障して心を放下し得ず、自己の「如來蔵」を提引するのであります。
もし外の境物を求め得るも、往々 僅かに曇花一現に過ぎず、眞に自性に入るに對しては自己に利なく、なほ且つ自性の彰顯を迷障せん。また衆生の心性の中、皆 物慾に迷いて外に向かいて求め、すなわち自性の中 內に向かいて求めず、往々 自己を迷失して自ら知らず。
仏性平等の中 自性の闡揚は、必ず自己 能く提昇し、および潛在の仏性を發揮せねばならず。しからずんば「先天の眞詮を弘む」にして、迷障の世景に入らざるを得んは、鮮矣！この種の自我の存在、すなわち天地と大道の運行に同じうして、自己を成就し衆生を成就すること能わざるのであります。
衆生 皆 平等の仏性を具う：もし自性の彰顯に入らんには、必ず自己の心靈と業識の轉換を清澈に提昇せねばならず、また業識と含因の中に於いて、衆生 皆 入於不著邊際に易く、また往々：我執・我著・我愛・我恵・我有の境地に在り、これ人類衆生のみに限られず。
自我の要求、我の能く得る一切、すなわち自己仏性を提引し能わざるは、自己の心性の迷障であります。ただ「我」の關のみありて、天地萬物と衆生なく、また我の欲する所、必ず我の一切の喜愛と厭惡あり、もし自我を中心となさば、すなわち大道の眞理を行持し得ず、かえって自己を迷失するであります。
天地の大道を行じ：乃ち無私・無我の大愛の中に在りて、慈（慈）¹⁴と悲は無緣大慈・同體大悲、衆生 能く天地に向かいてその大愛を藉し、萬物を成就するや否や？上天の眞 能く弘揚し、大愛を提引して萬物を成就し、萬物を成就し得ば、必ず天地と同じうして一となる。
いかんぞ萬物を成就し得んや？これ眞に行持菩薩行の覺有情たるべきであります。衆生 慈と悲の大愛と作為において、天地の大道を行じ得んには、必ず天地と同じうして一とならねばならない。衆生 皆 仏性平等を具う、もし僅かに功德を求めて「如來蔵」の本識に入らざれば、因緣果報あること難し。
かくのごとくもし「眞如仏性」の彰顯して歸返し得んことを欲せば、乃ち無稽の談と謂うべきであります。衆生 皆 仙仏（仙佛）²⁰ 能く接引して回歸せんことを冀望す。もし自己 內在の自性闡揚を行持せずんば、歸返の目標を達成し得ず。
ゆえに衆生 必ず天地の大道を行じ得て、初めて衆生を接引し、自己を接引して回歸し得るのであります。
禮運大同篇：「大道之行や、天下爲公」、衆生 皆 之を知る教語であります。されど眞に行持する者、鮮矣！知りて行わざるを「不知」と謂い、知りて能く行うを「正知」と謂う。正知にして實行ある者、必ず歸返の目的に達し得べく、天地と同じうして一となる者、必ず自引仏性の彰顯たるべきであります。
海のように馳せて 天地の生霊を渡す
仏性みずから顯れ 善き因を提引する
天地の大道を實踐し
衆生を回帰へ導け 天道（天道）⁴私なく、萬物星辰を運轉す。大道の中にその本因あり、また衆生 各その靈あり、必ず衆生 自性を提引し て、初めて眞理として天地の護佑を得る。衆生 歸返の中において、必ず自引して無爲の境地に入り、眞如仏性 往々にし て自性の具する所にして、外に向かいて求取するにあらず。
さもなければ！ただ混沌とした世の中で輪廻転生を繰り返すのみ、次の世で再び人として生まれることができるかどうかは知る由もない。必ずや無私・無為・無我・無執の念と行いを取り上げ導くことが、真に天地と一つになることであり、自らを成就させるとともに衆生をも成就させることとなる。かくして真に大道を行じて自ら帰るのである。
南屏道済古仏– 済公活仏
1996年10月18日　丙子年九月初七日（五）
世を濟う公心 宇宙を貫き
公の徳 自ら引き受け 愁いなし
第二回 杏壇の規範を立て 衆生の回帰を渡す
濟世の公心 宇宙に貫く 公德 己より任じ 愁い無し 活看す 世景 皆 虛幻 仏化 人間 天に歸就す此の生 人として修持の道理を明白にするには、必ず宗教道堂の輔助を藉りてその功を竟さねばならず。ゆえに杏壇の教導 その必要あり、また人を利し己を利する功效あり、學子をして規範に遵從して偏悖せしめず、衆學子 依循の指針あらしめ、人世間のすべての爲人處世および修持の準繩となすのであります。
杏壇の規範を立つ：乃ち現世においてその徳徵あらんとする。宗教道堂 能く衆生に標竿を立てしめ、宗教の教化本質となす。また杏壇の立つる規範、現世に條件あるに在りて、杏壇の教化 衆生を啟迪する。もし杏壇の教導・滋潤を經由せずんば、何ぞ衆生 教化の準則を明白にせんや！
杏壇 乃ち古の「私塾」、すなわち今日の學校であります。現今の教育の提供し得るは僅かに知識方面のみにして、また「心靈至眞」の方法を提倡し得ず。ゆえに必ず宗教の杏壇によりて初めて達成し、また廣大に發揚すべきであります。
衆生の回帰を渡す：衆生 凡塵に落し已に六萬年、現今に於いて已に沉淪し、自己を迷障して反心自照すること能わず。
また自己 明瞭すること能わず——我 今生 何の爲に生まるるや？また何の爲に來るや？人類 自己を迷失するのみならず、さらに自己の回返の路を阻塞不通ならしむ。
かくのごとき迷昧、眞に諸天の仙仏をして同じう哀泣を感ぜしめ、さらに母娘をして倚閭哀傷せしむ。人類衆生 もし自己 反心自照すること能わずんば、諸天の仙仏 さらにいかんと推拉するも、亦 回歸すること能わず。然れども仙仏の慈ならざるにあらず、衆生をして再び沉迷せしめて無動於衷たるを欲するのであります。
方方闡教、處處開堂、無非 衆生 皆 回歸せしめんと欲するのであります。仙仏 かくのごとく苦口婆心、一再に顯化し、廣く衆生を渡さんことを要求す。されど衆生 仏心に感同し得るや？眞に知るべからず！衆生 もし自己の內在の心性を彰顯すること能わずんば、また歸返の目標に達すること能わざるであります。
上天の顯化する所、無非 人類衆生 皆 仏性を彰顯せしめんと欲するのであります。現今の時代に對し、科技文明 資訊廣開なるにより、衆生 物慾を追求し、心靈 自我の彰顯を欠缺し、時として空虛落寞を感ず。この種 必ず仏性自顯に達すること能わず、一切の事物に對して皆 外に向かいて求む。
もし自己の內心の仏性彰顯を尋找せずんば、自己を迷障し、また人生の方向を迷失する。さらに現今の功利社會、また萬教齊發により、各人 各人の因緣の傾向する所を尋ねて行持し、無非 衆生 皆 回歸せしめんと欲す。されど現今功利主義擡頭し、衆生 皆 金に向かいて觀る。
自己の內心の眞に尋求する所 何なるかを明白ならざる、これによりて神棍 虛に乘じて入るの機會あり、衆生を欺瞞し、衆生を詐騙す。本來 上天の棟才たるべきが、錢財豐盈の誘惑によりて自己を迷失し、有錢作祟の心態 下地獄の種子に變ず。眞の仙仏 無奈と悲哀を感ずるであります！
衆生の歸返を渡す：必ず我愛・我執・我欲・我喜歡を大公無私に化し、初めて衆生を利益し衆生を成就し得る。犧牲奉獻に對するは 乃ち傳道者の必ず具備すべき條件と作為にして、下世 重新做人し得るや？實に知るべからず！
未來 牛馬となりて今生の造る所の冤債を償還するや否や？もし此世において衆生を欺瞞して罪を造らば、眞に因果の討報を逃れ得るや？また斷じて天理循環の討伐を逃れ出づること能わず！必ず現世において一了斷を作し、ただ轉世の後に、一再轉世して了斷するにあらず。
杏壇の規範を立て 教育有情 分類無し 衆生の回帰を渡し 九二原霊子を引渡す 教化學習 經驗長し 人間世界 智慧轉ず 四億佛子 善く有為す 成就超越 來り會すべしこの種 上天 願はざる所にして、衆生 回返の實行者たることを希望し、空口白話のみにあらず、亦 巧言令色の徒にあらず。冀うくは濟公活仏の徒子孫、皆 心に謹記し、この過錯を犯すなかれ、戒慎すべし！
将来、牛や馬となって、今生で負わせた借りを返さねばならないのであろうか。もしこの世で衆生を欺いて罪をなすならば、真に因果の報いから逃れられようか。また天理の循環による征伐からも決して逃れることはできない。必ず現世で決着がつけられ、ただ転生を繰り返して来世で決着をつけるだけでは済まされぬ。
杏壇の規範を立て
有情の者を教育し 分類なし
衆生の回帰を導き
九二の原霊子を引渡す
人として生れる因縁があるのか、それとも牛や馬となってこれらの業障を償うのかは、すべて己次第である。上蒼が道を伝る者に求めるのは、無私・無我の大きな愛をもって広く衆生を済度することこそ、真の上天の棟梁の才である。さもなければ羊の頭を掲げて狗の肉を売るようなもので、真にあるべきではなく、また現代に未来の地獄で苦を受ける因を積み重ねることとなる。
このようなことは上天の御意にかなわぬ。衆生には自らに立ち返り実践することを望み、ただ口先だけで言葉を弄するのではなく、巧みに言葉を変えて色を飾るような輩であってはならぬ。済公活仏の弟子たちよ、心に留めてこの過ちを犯さぬよう戒め慎め。
北極玄天上帝
1996年10月25日　丙子年九月十四日（五）
北方に善化を開き 無極を承繼し
極樂世界は眞の天地
第三回 初心
北 善化を開き 無極を承く 極樂世界 眞の天地 玄天 降臨し 聖理を闡す 上帝 徳澤 初心意初の心は、人心の動原であります。初の心に在りては、必ず心の源頭をもて、萬事萬物の緣起を成就せねばならず。もし初の心（念）なくば、すなわち一切事務の起頭を成就すること能わず。人 乃ち仏の本體、人 能く萬事を行じて一切を成就し、また仙仏・菩薩 乃ち人の行う所にして成就する者である。
人と仏との分際、ただ明悟と迷障の間に在り。また一切の源頭、もし初心（初念）において成就せずんば、事務を達成し得んと欲するは、實に不可能と謂うべし！一切の動の中に、必ず初心（初念）ありて、初めて萬物の結合を成就し得る。
しからずんば一切の動原、皆 開展および達成すること能わざるであります。
人の初性 本 善、人の初善 本 性、人の初心は動念の關にして、また動念の中に初心ありて、初めてこれをもて萬德莊嚴を成就す。また人の初心において、必ず自己の內在をもて外に求めず、人 皆 初發心あり、一切事物の初始、作為と結果に在り。
初心は動源の母にして、初心はさらに一切萬物の起頭であります。初の動は善も無く惡も無し、ただ人の念によりて、一切の事物の開始を成就す。しからずんば達成すること 必ず成就し能わず、また起心動念の初始にして、已に極大の差別性あり、また未來の善惡報應の分別を形成する。
人の初心は善も無く惡も無し、動するによりて一切萬物の伊始となる。人の初動、能く方向を把持して行使すれば、必ず善德の徵となり得る。もし好からざる方面に向かいて行使すれば、必ず惡陋の徵となる。見るべし、初の心（初發心）まさに好と壞の分野を成就する所以なることを。
また成就の過程において、初心なければすなわち動の源なく、これによりて好・壞・善・惡を形成し、必ず初動の念を見、また初心を觀て決定す！また人の初心の動する時、必ず不良を轉換して優秀となし、惡徵を轉換して善徵となすべきであります。ゆえに初動の心は、本來の具足する所である。
人 能く萬物の行為動作を成就し、また一切の作為に對し、往後においてすなわち明白なり：是非・善德・惡禍 すなわち明らかであります。また人の初心、すなわち一切萬事の起頭、ただ人心の本質 もし初心なくば、人類のすべての作為なく、また何の原因か？
人 本 初動の源頭、心の初は善惡を分たず、好壞の區別も無し、ただ念の動したるの後、すなわち善惡・好壞の分別となる。人の初心 もし長遠を思し得ば、則ち仏と成り、聖と成り、神と成り、仙と成ること餘あり。もし初心變ぜずば、すなわち本來の本質であります。
もし心念 外に向かいて奔馳すれば、すなわち心の定まらざるによりて、往々 因果業報を造下する。正に好・壞の分別、また人の作為を觀て定む。初の心 すなわち本心、すなわち原來、かくのごとき原本の心、すなわち聖仏の心にして、血肉の人心にあらず。ゆえに人の心 すなわち性、すなわち念であります。
人心の善惡 本 具足せず、無爲私・無我・無誰・無聖・無仏たるは、乃ち人類本來 具足する所有にして、凡人の眼中に聖神仙仏あるにあらず。人我衆生 六道輪廻の見に在らば、すなわち人心すなわち性・すなわち念によりて、初動の中 彼此を分たず、你我を分たず、すなわち本來の心である。
初心退轉せずば 仏となるに餘りあり
一步一腳 一つの足跡を殘し
人の作為は常に變わる
困難 に遇えば 願心は消え失せる
衆生の中で誰が本来の自己を明瞭に知りうるか。まず初心（初念）、すなわち性の本来より現れ、天地宇宙と通じ合い、その心・その念・その性が本源の具足する条件となる。また人類衆生の起心動念の中で、未来の因果応報と報償が造られるのである。
南天文衡聖帝
1996年11月1日　丙子年九月廿一日（五）
南海の庇護 生霊を渡し
文章により教えを啟き 聖なる理を傳える
聖道 懿敕堂に降り來たり
金 指を降示して著作を始む
第四回 自性仏性
南海の屏障 生霊を渡す 文章 啟教して聖理を傳う 聖道 降り來たり 懿敕堂に 降示 金指 著作起こる天道私なく 己の心に任す 功德を衡量し 自性を引く 帝心 慈懷 大いに弘揚す 偈に曰く 仏性自性 長ず古往に論ずるに、衆生 各その具する所、外に假りずしてすなわち具足す。ゆえに衆生の自性 彰顯し得るや？古往においては 各自 具足せり。されど現時 衆生 凡に落し迄今、自性の迷障によりて、五神通 漸漸 作用を減低し、さらにこの種の作用を減ずるによりて、衆生の每位 皆 迷障し、五神通をも迷失するに至る。
現今について言えば、往昔に迷失したる所、現今 科技文明によりて智識提昇するも、心靈 亦 往昔よりも落寞空虛となり、また往昔よりも己身の具足する所を知らず、現今に於いて自然と外に向かいて求取し、本身すなわち本有の自性根基を具足するを知らざるのであります。
然るに！本有の物を拋棄して顧みず、さらに外に向かいて求取するは、外界において本身の具足する物を求め得るや？否であります！乃ち衆生 自己を迷障して自ら知らず、ゆえに本性を迷昧し、五神通をも迷失し、人類衆生としてその中の內涵を明白すること能わざるに至る。
もし外に向かいて物を求取すれば、自己本身の具足する自性に取代し得るや？再び自己の需要する一切に同じうし得るや？自性の迷障は、まさに個已の無明（無明）⁷⁹にして、外において求め得るや？非なり！ただ內性の具足する條件のみありて、人類 いかんぞ明白ならんや？甚だ難し！皆 外に向かいて追尋するである。
しからずんば、何の故に衆生 皆 外に向かいて自性を求取せんとするや？ゆえに此において言う：自性は本來の具足する物にして、外に向かいて求め得る所にあらず！もし外に向かいて求め得る物は、すなわち本身自己に替代し得ざるである！衆生 自性を迷障するによりて、仏性も亦 彰顯すること能わず。
「仏性」乃ち現今の所言にして、古には「自性」と曰う。また自性は自己の具足する所、仏性も亦 自己の具足する所。
斷じて哪のかたの仏と成り、仙と成り、聖と成りて、仏性・仙性・聖性を具備すというにあらず。皆 現今の衆生 自己を迷障するによりて、やむを得ずこれを言う：仏性！
三教をもって論ずるも、仏性・仙性・聖性 皆 現今の衆生 自己を迷障して立つる言論であります。ゆえに：仏性・仙性・聖性 皆 同一の自性に過ぎず、自性 能く提引闡揚せんや？自己 能く自性の中に回歸するや否やを見る。自性に回返すれば、すなわち仏性・仙性・聖性を彰顯し得る。
古往 三教を分たず、何ぞ仏性・仙性・聖性の分あらんや？後代の世人 經由して儒・道・釋（仏）の三教に分ち、各教 亦自己の教義を引いて自性を成就す。もし宗教の洗鍊なくば、何性を成就し得るや？仏性・仙性・聖性 皆 非、自己 能く提引するを叫做：自性！
現今の言う所の仏・仙・聖の性にあらず。自性に対しては 乃ち本身の具足する所、迷障の故に、すなわち自己の本性を知らず、一味に外に向かいて求め、求め得るも、僅かに假相の性體に過ぎず！衆生 能く本身の自性を明瞭するや——すなわち仏性・すなわち仙性・すなわち聖性。
また自己の具足する所によりて、外人之を得取することなく、また轉換することもできない。ただ迷障の中に在りて、自己の具足する本來を了解せず、自己の物を捨棄して外に向かいて仏性を求取する。衆生に問う、これを得ることを得るや？思いてすなわち明らかなり！仏 本 衆生、衆生 すなわち仏、ただ迷と悟の分別にあるのみであります。
もし衆生 皆 仏と成らば、仏性 また何のかしこき處あらんや？皆 外に向かいて觀て、內に向かいて觀るを知らざるが故に、仏 もし衆生ならば、すなわち仏性なく、僅かに衆生性體に過ぎず。衆生性 すなわち自己の性、亦 自性であります。
自性の具足し得るに於いて、本身の具足する自己、能く他人に與うるや？
自性は古遠からの名稱
每位の衆生 皆 これを具足す
仏性には多くの區分あり
眞如・自性と仏 性
衆生に対してすべて平等である中に、それぞれの衆生が具える本来は、外に求めて得られるものではない。衆生がみな自性を顕わにし、己の仏性・仙性・聖性を自ら開発し、内に省み察することで、自己の本来を明瞭に知ることができる。決して外に求めて得られるものではないのである。
精忠武穆王　岳元帥
1996年11月初8日　丙子年九月廿八日（五）
忠義をもて國に報い 千古に芳し
武穆 提督として道を振い 豐なり
第五回 初因
精忠報國 千古芳なり 武穆提督 道を振い豐なり 王帥 降臨し 初因を著す 仏日 大道回歸 逢す理によりて氣によりて象たるは、まさに衆生 凡に落すの初因であります。何ぞ衆生をして凡に落して歸返せしめざるや？乃ち衆生 理天に在りて、理天の氣質なし、ゆえに凡に氣天に降至し、氣天の空間 その存在に容れ難く、ゆえにまた象天に降至す。かくて人世間にすなわち：理天より氣天より象天の過程あり。
衆生 凡に落して自己の本來を迷失し、自己の心靈を象天の中に障して、自己の本質を彰顯すること能わず。人世間に降臨する不但 自己を迷失し、亦 自性を迷蒙し、清明の本性に回復すること能わず、自己をして五濁悪世（五濁惡世）⁸¹に沉迷せしむ。甚だしくは一日復一日、また一月復一月、一年復一年に至る。
また長久の累積によりて、已に本因（初因）の上に於いて自性を求取せず、皆 無明より自己を障礙し、初因の本來に回復し難く、また理氣象の三天の歸返に於いて、また自己 何の爲めに下り來るを明白ならしめること能わず。下りて何を爲すべきや？亦 「我は仏體なり、仏體は我なり」と明瞭せず。
往昔においては 仏・仙・聖の分別なく、亦 你・我・他の分別なく、ただ衆生 宇宙天地の含覆を了解し得るのみにして、亦 覆載の過程において、人類衆生 自己を迷障し、亦 本性を迷失し、かくのごとく歸返の目的に達すること能わざるに至る。
初因の時、凡に落したるによりて、往々 天を仰ぎて觀望す——何時 能く回歸するや？何時 能く無極天界に歸して老娘親に會見するや？往々 頭を舉げて天空を仰望すれど、皆 無動於衷であります。かくのごとく日復日・月復月・年復年 消逝して、倚盼の心 すなわち達成すること能わざる心となる。
さらに本心・本性 時空の阻隔によりて、漸漸 自己を迷失し、亦 期盼の心 達成すること能わざるによりて、ゆえに自己の期望心 も亦 漸次 轉換して嗔恨心となる。何時 能く回歸するや？また何時 能く本因に回返し達成するや？往々 自己の作為の中に於いて、漸次 原本の赤子の心を脱離するに至る。
すなわち回天の路を彰顯すること能わず、さらに回天の本質を阻塞し、亦 漸次 五神通を迷失す。迷失の中に於いて、自己の不良の秉性（秉性）⁹² 漸次 顯露し來たり、また秉性をもて人と做し、ゆえに自性をもて回歸すること能わず。衆生皆 早く無極天界に回歸して、往上に增長せんことを盼望す。
されど！無極には無極の歸返の條件あり。もし不良の秉性を棄除すること能わざる時は、無極理天に歸返して提昇超越せんと欲するは、この條件 緣木求魚に異ならず。かくのごとき歸返の條件、すなわち必ず自性を彰顯し、自性をもて事を行じ、秉性をもて人と做さずして、すなわち回歸の第一要務に達し得るのであります。
初の因：衆仏子 自己の先天を迷失し、氣天に落し、また生存環境に適應すること能わず、ゆえに再び象天に落す。然るに衆仏子、本心 先天の靈性に回復すること能わざるによりて、歸返の條件あること能わざるを形成し、多くの回歸提昇超越を阻礙するを造就す。この種 乃ち各人の抉擇する所である。
初因 もし明瞭し得ば、すなわち五境の迷惑を受けず、根と塵より、同じく化清となりて、すなわち回歸の目標に達し得る。また人世間において自性仏體を彰顯し得る。初因の探討、衆生に對してもし往昔の不良秉性を棄除し得ば、正に自己の秉性の拘束を受けず、自由自在 無拘束たるを得るのであります。
凡に落したる後！すなわち象天の造就する所を受けて、初因 自己に拖累せしむるを形成し、亦 受累して初因を追溯すること能わず、進んで本來自性を迷失す。衆生 凡に落したる後、自性仏體を開展することも能わず、自性 亦 本來の體なるに初因 潮溯すること能わず、自己 世間の悲哀に留まるに至らしむ。
衆生 もし明瞭し得ば、初因において自己の本來を求取して、すなわち先天の原來に回復し得る。衆生 初因を知らざるによりて、自己の自性を包裹して、氣・理と接合せしめず、ゆえに理→氣→象 凡に落して、自己 象→氣→理より追溯すること能わず、甚だ 大道に回歸し難し。
大道たるや：自然の本來であります。人類の生存 必ず改變せんとするは、まさに象天より氣天に回歸し、さらに氣天より理天に回歸して提昇超越するであります。すなわち人道の圓きこと、地道の通ずること、天道の開くこと、これ回歸の本質であります。實にすべての人類と萬物蒼生に對し、皆 回歸の契機あり。
初因 天地の間に含藏す 一切 皆 含因あり 所有の萬物 因縁を具う 無中生有 早く具備す 開花結果 等閑に非ず 未來の實相彰顯すべし 時に待ちて動きて 出現すべし 基因本質 實體に沿う附：六祖 云く：何その「自性」 本自 具足せる。
初因は天地の間に含藏され
一切には皆 含因あり
すべての萬物は因縁を具う
無より有を生ず るは早くより具備し
人道・地道・天道はすべて人の世において成就される。自性をもって秉性を用いず行なえば、すなわち三界の束縛を脱し、大道に帰することができる。大道とは、初因を必ず了悟することである。さもなければ、いかに行動しても人世の行為に留まり、象・気・理に帰って、まっすぐ理天に達することは難しい。
開花結果は等閑ならず
未來の實相は彰顯すべし
時を待ちて動きて出現す
基因の本 質は實體に沿う 人道・地道・天道 皆 人世間より完成し、自性をもて秉性をもて事を行ぜずして、すなわち三界の束縛を了脫し、すなわ ち大道に回歸し得る。大道たるや：初因に對し必ず了悟せねばならず。しからずんば任憑いかに事を行うも、ただ人世間 の作為に過ぎず、また象・氣・理に回歸し、直ちに理天に達すること難し。
開花結果は等閑ならず
南宮孚佑帝君
1996年11月15日　丙子年十月初五日（五）
南瞻部洲において天書を著し
宮中の賢生には特殊の緣あり
第六回 天命
南瞻部洲 天書を著す 宮中の賢生 特殊あり 孚佑す 大地 衆生の靈 帝君 著作す 天命の主人類 天地と同じうして三才に並列するは、まさに因縁の促成する所、天地の護佑を得て、人類に智慧あり、思考をもて創造し、人類および萬物の福祉を利益し得る。人 世間の基準點に立ち得るはこれに在りて、萬物 各 不同の條件使命を促成す。古云く：一枝草一點露、天生我才必有用。
天命の使然：衆生 皆 誰か最も大なるや、誰か最も高きやを好みて比ぶ。亦 天命の中に於いて 各自 我は眞天命なり、我は最高階・無極・無無極・聖極・聖聖極なりと標榜す。然るにこの無極・聖極 人世間においては、僅かに人類の標榜する所、また人類の分別する所に過ぎず、根本 衆生を利益すること能わず。
上天 斷じてこれをもて分別せず：誰か最大、誰か最優、また誰か眞天命、我は先天、其の餘 皆 後天とて、他人を最低・最下の層次に貶す。この種 僅かに自我意識の高漲を提昇するのみにして、眞天命・眞無極・眞聖極・聖聖極の中に於いて、いかんぞ超越するやを思わず。
その門に入るは、ただ自己 學習の機會あるのみ。もし自己を轉換して、自性の彰顯を成就すること能わざれば、本身について言えば：縁ありて道場に入るも、仙仏の徳澤の施行を學習すべきに、卻って相互に比較し、また我最大・我最優・我最高、無極・聖極と標榜す。これ皆 人類の追求すべき所にあらず！
現世において、自己を最高・最優・最大の宗教學府に融入せしむべきや？非なり！標準規範をもて自己を成就し得るや否や、往外に察看して他人の缺失を探討するにあらず、理 應當 自己の過錯および毛病に在りて、改進し不足缺失を化除すべきであります。これ方 乃ち眞天命の應具備する條件であります。
「天命」乃ち天の大命 人世間に降す。每位の衆生 皆 天命あり、また天命の大小 全く自己の作為に憑る。大天命は大聖事・大使命を做し、中天命は中任務道程を做し、小天命は小使命を做し、亦 自己の家庭において、自己をもて道を盡くし、一家の円満興盛を造化する。
天命 世人に降す、萬物と人類衆生に對し、每一人 不同の先天使命を以て作施行す。また上蒼慈悲徳澤の下化する所、すなわち人類を改造して往上增長提昇せしむるであります。もし何ら天の使命なくば、何ぞ衆生 降凡して何をか做さんや？此の生の任務を明白し得るや？すなわち下に示す所なり：一、累世因果の償還。 二、天賦の使命の完成。 三、藉仮修眞（藉假修真）¹の還元。
天命 衆生の中に在りて、每人 皆 之を具有し、僅かに少部分の宗教人士のみにあらず。ゆえに宗教 宗教の使命あり、衆生 衆生の使命あり。每一人 世に降するの時、天命 已に早く註定せり。何時 能く此の任務を完成せんや？每個人の造就する所を見るべし！
もし現世において之を完成せずんば、必ず下世 再び來りて輪廻するのみ！かくのごとく時間 亦 已に轉換せり。また使命（天命）の完成、必ず此世において成就と了結すべきであります。また天命 衆生に賦予するは、「一枝草一點露、天生我才必有用」の基本條件であります。
並びに哪のかた 天命あるや？哪のかた 天命なきや？天命 世人に降するは、此世より完成するに由り、逃避して成就・了脫せざるにあらず。また何ぞ下世を待ちて再び人世間に來るや、完成し得るや否や？知るべからず、さらに何の苦しみぞや！往々 完結し難きを造成し、また了脫すること能わざる局面に變ずる！
宗教の使命、乃ち現今において衆生を教化し、衆生を啟迪し、迷蒙に入らしめざるに在り。これ正信宗教 必ず提倡すべき所であります。またこの種の宗教清理期の時空に於いて、人類衆生に良好なる思考の機會を與う。しからずんば宗教に入るの後、また問題叢生すれば、斷じて上蒼の樂見する所にあらず！
天命の眞假、天命の降至する最高・最大・最優秀・最殊勝に在るにあらず、修持者本身に取決するに在り、これ方 正理であります。また主事者 もし一味に信衆を網羅し、不義の財を求取し、亦 衆生の供養を受け、甚だしくは衆生を帶領して眞に回歸すること能わず、自性において增長超越せしむること能わずば。
この種の眞天命と眞使命、人為の因素に在りて、もし衆生に自性を提引しめ得ず、また往々 供養を受くるによりて心生高傲となり、亦 造罪にして造福にあらず。主事者 必ず明瞭すべし、いかんぞ衆生を帶引して自性（仏性）の中に回歸せしむるや？必ず善く自ら深思し、能く眞に衆生を帶領して回歸するや否やを！
本來 眞天命・眞無極・眞聖極たるべきも、それまた何の用あらんや？實に天命の眞假、寺廟（宮堂）の大小の分別に在らず、また人員の多寡に在らず、さらに主事者の承擔する天命の大・高・特殊なるに在らず、亦 衆生を集合して廣大なる力量となすに在らず。
この種の條件：も僅かに因縁聚合に過ぎず。眞の天命、自性仏體の彰顯に取決し、大自然の中に回帰し得て、天地と同じうして一となり、すなわち人性を盡くし亦 物性を盡くす。物性を盡くし得て、天地宇宙と同じうして至理を爲め成就し、亦 これによりて天地宇宙と同じうして一となる。
かくのごとく已に凡人の境にあらず、聖神仙仏の眞諦にして、初めて天命を完成し得る。必ず衆生に自性において實行せしむべし：天命 眞假を言わず、ただ承擔する使命 いかんぞ完成するやに在り。向心力を形成し、衆生を成就し、亦 自己を成就し、亦 衆生を渡化して成就し得る。
綜觀す 現今の世道において：眞天命・眞道場を打ち立て、我最大・最高・最優秀にして最も殊勝なりとする者、眞に衆生をして眼花繚亂たらしめ、何教を信ずべきや？誰を信奉すべきやを知らず。眞に衆生をして苦惱萬分ならしめ、また人類衆生の抉擇する所 いかんぞや？未來の結果を分別すであります！
本来、真の天命・真の無極・真の聖極であるべきだが、それで何の意味があるというのか。そもそも天命の真偽は、寺廟や宮堂の大小によって分かれるものでもなく、人の多少によるものでもなく、主たる者が受領した天命の大きさ・高さ・特殊性によるものでもなく、衆生を集めて広大な力とすることでもない。
このような条件は、ただ因縁の聚合に過ぎない。真の天命は、自性の仏体の顕現に懸かっており、大自然に帰って天地と一つになることで、人の性を尽くすとともに物の性をも尽くし、物の性を尽くして天地宇宙と至理を共に成就し、これにより天地宇宙と一つになるのであ。
かようにしてすでに凡夫の境を超え、聖神仏の真諦に至ってこそ天命を全うできるのである。必ず衆生に自性を実践させ、天命に真偽を言わず、ただ担う使命をいかに完成するか。求心力を形成して衆生を成就させ、自らも成就し、衆生を済度して成就せしめるのである。
現代の世の中を総観すれば、真の天命・真の道場を掲げて、我こそ最大・最高・最も優秀・最も殊勝であると称える者が、余りに多く衆生は目を眩まし、いかなる教えを信じ、誰を崇めるべきか、誠に衆生を苦しめている。また人類衆生の選択がどうであるか、将来の結果を分けるであろう。
天命は衆生に皆具わり  各人異なる因縁にて修める
不善は調整して変化を為し  いかに行なうか深く究むべし
有情の衆生は承け領り  異なる各種の天命あり
位に在れば必ず行を所持し  使命を成し終えて福德を迎えん
上蒼はこの清めの時期にあって、劣り頑なる伝道者を棄て、糟粕を除いて精粋を残し、現今の衆生を成就させる。さもなければ自然に任せて生滅に任せれば、往々にして方向に従うことができず、大きな無駄な道を経て初めて過ちに気づく。いかんともしがたい。
ここに至り初めて間違いに気づくが、時空はすでに移ろい、信仰の道を変える勇気も決心もない。それゆえ間違いの上に間違いを重ね、実に仙佛も共に悲しむ。衆生が皆真理の実践に入りてこそ、真の修持者となるのである。
九天司命真君
1996年11月22日　丙子年十月十二日（五）
九天無極にして真理を闡明し  司命は全意を込めて霊基を護る
真君筆を降ろして了願を著し  大道回帰して世の機を啓く
第七回 了願
天命 衆生 皆具す 不良 調整し 改變作す 有情衆生 承領あり 在位 必要 所持行す 各人 因縁同じからず修む 如何に作為すべきか 深究すべし 不同各種の天命 使命を完成し福德を迎う上蒼 此の清理期に藉りて、劣頑の傳導者を棄除し、蕪を去り菁を存して、現今の衆生を成就す。さもなくば自生自滅に任せば、往々にして方向に依循する能わず、大段の冤枉路を走りて初めて錯誤を感知す、又奈何ぞ！
此に至りて初めて不對を知るも、時空 已に錯置し、又た勇氣決心なくして信仰の途徑を轉換する能わず。故に一錯再錯し、實に仙仏（仙佛）²⁰とともに悲哀を感ず。修持（修持）¹²者の冀望は、衆生 皆 眞理の實行に入らんとすることにして、これ眞の修持者であります。
天命（天命）⁹⁹とは：現世において、人類は落凡して凡塵世間に至る。落凡するがゆえに天命 何より來たるかを知らず、又た如何に天命を完成すべきかを知らず。實に天命の大寰の中に於いて、凡塵に入りて了願（了願）⁹⁸するを得るのであります。衆生は落凡するがゆえに、累世の堆積を形成し、時として自己を迷障し、如何に天命を完成すべきかを知らず。
上蒼 旨を人世間に降し、仙仏の開示教化を藉りて、上蒼の旨意に通達す。凡塵に於いては、天筆生或いは竅手を通じて傳達するがゆえに、上天の原意を明瞭するを得る。亦た本身より觀るに：上蒼の賦予せる使命を完成して、初めて今世に了願し、方にその全きを成就するであります。
衆佛子は落凡するがゆえに、凡塵の中に於いて、時として外在の牽引を受け、自己の本性を迷失し、又た自己 如何に著手すべきかを知らず。又た如何に行使すべきかを知らず。心あって之を爲さんと欲するも、上蒼の賦予せる使命に對しても瞭解せず、又た如何にして円満（圓滿）¹³に使命を達成すべきかを知らざるのであります。
時として迷蒙の中にあって、自己 如何にすべきかを知らず、又た如何に行使すべきかを知らず。故に時として錯誤を犯し、又た體悟し難く、上蒼仙仏に對して言はず又た語らず、必ず天筆生或いは手を藉りて原意に通達して、初めて了願の初心を成就するを得る。「了願」に於いて又た如何に來たって行使すべきかを知らざるのであります。
時常做了又碰壁，繞了一大圈，才了知方向錯誤，亦因自己智慧不足、經驗未通之故。因此上蒼有時亦站在他方角度觀其成就，其目的！必要觀察眾生作為與心態是如何？若不經此關卡來考驗，能否通過？
即表示「智慧與經驗」是否具足？若是不足者，必遭逢困厄橫逆，種種之阻撓，就在人世間磨鍊心性，能否經得起考驗？對心智與心態之作為，真正能為上蒼代天宣化者，或只是濫竽充數而已，必觀整個過程就能明白！
天命在眾生是每人皆具，能否切實行使？必須自己能真正融入於圓滿無缺境地，才能通過上蒼考驗，就要一關一關通過，否則要在此世能了願，實謂不可能的！又眾生能在此世了願，作為基本根基。
時として行ひては碰壁し、大圈を繞りて初めて方向の錯誤を了知す。亦た自己の智慧（智慧）¹⁰²不足、經驗未通のゆえんであります。故に上蒼 時として他方の角度よりその成就を觀る。その目的は！衆生の作為と心態が如何に在るかを觀察するに必要なり。若し此の關卡の考驗を經ずして、通過し得るか？
即ち「智慧と經驗」具足するや否やを表示す。若し不足する者は、必ず困厄橫逆、種種の阻撓に遭逢し、人世間に於いて心性を磨鍊す。考驗に耐へ得るか？心智と心態の作為に對して、眞に上蒼のために代天宣化する者たるや、或いはただ濫竽充數なるや、必ず過程の全體を觀て明瞭するであります！
天命は衆生に於いて每人皆具す。切實に行使し得るか？必ず自己 眞に円満無缺の境地に融入して、初めて上蒼の考驗を通過するを得る。一關一關と通過せねばならず、さもなくば此の世に於いて了願し得るは實に不可能であります！又た衆生 此の世に於いて了願するは、基本根基としてであります。
並且在此世當中來成就自己，方能完成上蒼所賦予使命，進而成就眾生，應在上天所立下之願力，運用智慧思考，方能成就，有時根本不在考其智慧，而是觀心態與心智所組合，如何來應付而已！
眾生心中時常感到十分無奈，更不知如何完成，才能真正達到上蒼所要求目標，又眾生時常會產生怨天尤人之念頭，只要稍加一考，又在自己思惟觀念錯誤，不加以改變，也認為所作所為是不會錯的。
常謂之：「吾修持良久，不曾做錯他事，為何要承受如此考驗折磨？」又對痛苦挫折之事，就在道場中時而能見之，正是對根基能明白是如何！上蒼考驗過程：乃觀修持過程，能否常保初發心！
還是早已經墊高、我慢了，自大驕傲心態存在，又眾生是否會體悟初發心的可貴？能常存初心？倘若經過一段時間之後，種種毛病叢生，能否還具有代天宣化本願，亦是上蒼要求作為標榜？還是讓其放牛吃草之分別！
並びに此の世に於いて自己を成就して、方に上蒼の賦予せる使命を完成し、進んで衆生を成就する。上天の立てし願力に應じて、智慧を運用して思考し、方に成就するを得る。時として根本 智慧を考ふるにあらずして、心態と心智の組合せ如何に應付するかを觀るのみであります！
衆生の心中 時として十分無奈を感じ、更に如何に完成して、眞に上蒼の要求する目標に達するべきかを知らず。又た衆生 時として怨天尤人の念頭を生じ、稍加一考するも、又た自己の思惟觀念錯誤して、改變を加へず、所作所爲錯誤なしと認むるのであります。
常に謂ふ：「吾れ修持すること良久、曾て他事を錯誤せず、何ぞ此の如き考驗折磨を承受すべきや？」又た痛苦挫折の事に對して、道場に於いて時として見るべきもの、正に根基が如何に在るかを明瞭するであります！上蒼考驗の過程：すなわち修持の過程を觀て、初発心（初發心）¹¹³を能く保ち得るか！
還はや既に墊高し、我慢し、自大驕傲の心態存在するや。又た衆生 初発心の貴きを體悟し得るか？常存初心し得るか？
豁落霊官 王天君
1996年11月29日 丙子年十月十九日（五）
豁達として開悟し真理を闡明し  凡に落ちて勤修し自性起こる
霊官筆を取りて真偽を著し  王天君降臨して善德の期を為す
第八回 真偽
豁達開悟 眞理を闡し 落凡 勤修 自性より起る 靈官 筆を提げ真假を著す 王天君降り 善德の期天たるや：人類靈性の原來處、上天に在りて凡人を藉りて眞理を闡述す。衆生に依循の指針あらしむべし、と謂うべし。
亦た衆生は落凡の後、自性を迷障し、又た此の世 何の爲に來たれるかを知らず。又た該如何に行持すべきか？上蒼 衆生に給予し得るは、正に自己の自性を闡揚する所以であります。
衆生は自己の業障（業障）¹¹¹牽累によりて、往往 自性の彰顯を阻礙す。實に上蒼 徒に無可奈何を感ず！故に衆生に賜予し得るは早已に具備せり。衆生に給予し能はざるは、必ず自己の行持に賴りて之を得べし。往往 衆生に十分無奈を感ぜしめ、如何に獲得すべきかを知らず。唯だ自性を彰顯し得るか否かに在るのみ！
上蒼 衆生に給予するは皆是眞實自在にして、虛假ならず、造作ならず、即ち實實在在の自己本性なり。人類衆生 時として假を認めて眞と爲し、眞の事物（自性）を往往 拋棄し、一味に外在のすべての事物を求取す。此種の條件、自性に對して根本 復加し難し。
眞と假の中に於いて、假たる能は必ず眞と成る能はず、眞たる能は必ず假たる能はず。既に衆生に給與せり。衆生は往往上蒼の給予せるものを、不眞實、無價值と認め、又た上蒼の本意を誤解し、上蒼の善原を曲解し、上蒼の賦予せる本質を往往 拋棄して珍重を加へず。
上蒼欲要眾生，能得到自己具備之本靈，時常因外在因素，迷障自己所具備本來，也就認為外在一切，才是真正有價值，因而往往認假為真，但真實本靈、自性，卻是不假外求，即是每位眾生皆具本質。
亦是自己所擁有的，故而真與假，因人之定位與價值差異極大，真假分別，正是眾生角度不同所導致；又真假對立，乃是真實性！一切能藉由現世來彰顯，並非僅於現世中來具足而已，才能有真正受益。
真假所分別，就會因眾生：角度、觀念、價值不同所致，故而一切外在事物是真是假，就觀個人角度判斷差異而已，真的！
一切是永恆皆不會改變，假的！一切僅是眼前所現，但卻無法長遠恆持。
眾生卻認假為真，而將真視為假，兩者交互，讓自己不知何者為真？何者為假？人生即是在真真假假當中，也就渡過了此身，又在一世世所輪迴，將個人之「真與假」來交互使用，因此人類眾生皆是「認假為真」。
上蒼 衆生に欲するは、自己具備の本靈を得しめんとするなり。時として外在因素によりて、自己具備の本來を迷障し、外在の一切こそ眞に價値ありと認む。故に往往 假を認めて眞と爲す。然れども眞實の本靈、自性は外求を假らず、即ち每位の衆生 皆 本質を具ふ。
亦た自己の擁する所なり。故に眞と假、人の定位と價値 差異極大なるによりて、真假の分別 正に衆生の角度の不同に導かる所なり。又た真假對立 乃ち眞實性なり！一切 現世を藉りて彰顯するを得て、僅に現世中に具足するのみに非ずして、初めて眞の受益あり。
真假の分別は、衆生の角度・觀念・價値の不同に因る。故に一切の外在事物 眞なるか假なるかは、個人の角度 判斷の差異に觀るのみ。眞なるや！一切は永恆 改變せず。假なるや！一切は眼前に現るるのみ、然れども長遠恆持する能はず。
衆生は假を認めて眞と爲し、眞を假と視す。兩者交互して、自己 何れか眞なるか、何れか假なるかを知らず。人生 即ち眞眞假假の中に在りて、此の身を渡過し、又た一世世の輪廻（輪迴）²¹に於いて、個人の「眞と假」を交互に使用す。故に人類衆生 皆是「假を認めて眞と爲す」のであります。
上蒼與眾仙佛，皆要眾生能「認假歸真」，亦是「藉仮修真（藉假修真）¹」，方能見到自己之本來，亦在自己自性中，能了解自己原本所具備一切，眾生皆具佛性（佛性）¹¹（自性），就因自己無法明瞭，而一味求取外在之佛（聖仙神）。
又外在的佛（聖仙神）僅是外在而已，正是無法彰顯每位眾生必備自性，眾生皆視自己（自性）為一文不值，對自己本身所能得到又如何？正是自己所認定價值觀念而已，就有很大差別性。
若不經由第八意識清除，將污穢念頭棄離，必難以進入第九識之真如佛性，亦是佛教所言一菴摩羅識。即由第九識—佛性之真如自性，如来蔵（如來藏）⁷¹之本來，若不經由此關來清除，能成就自性？能否了解自己？甚難！
上蒼と衆仙仏、皆 衆生の「假を認めて眞に歸す」ことを要す。亦た「藉仮修真（藉假修真）¹」にして、方に自己の本來を見るを得。亦た自己の自性の中に於いて、自己 原本具備の一切を了解し得る。衆生 皆仏性（自性）を具ふ、自己 明瞭する能はざるによりて、一味に外在の仏（聖仙神）を求取するなり。
又た外在の仏（聖仙神）は外在なるのみ、正に每位の衆生必備の自性を彰顯する能はず。衆生 皆自己（自性）を一文の價値もなしと視し、自己本身の得る所 又た如何？正に自己の認定する價值觀念たるのみ、大差別性あり。
若し第八意識を經由して清除せず、污穢の念頭を棄離せずば、必ず第九識の真如（真如）⁶¹仏性に入り難し。亦た佛教の所言 一菴摩羅識（菴摩羅識）⁵¹なり。即ち第九識—仏性の真如自性、如来蔵の本來よりして、若し此の關を經由して清除せずば、自性を成就し得るや？自己を了解し得るや？甚だ難し！
上蒼賜予眾生是真實自性，但眾生眼所見，是為不可預知，也無法捉摸，如此看不到又摸不著，即視為假；但在對人類眾生眼睛所能見，僅是有形物質而已，絕非真實自性所感通者，這兩者所能見角度，正是截然不同。
南海古仏
1996年12月6日　丙子年十月廿六日（五 )
南屏護障として台疆を衛り  海上に馳騁して任に漾ぎなし
古佛金仙ただ人の為すのみ  佛臨み虚幻の章を著す
第九回 虚幻
南屏 護障して台疆を衛り 海上 馳騁して 任無漾 古佛金仙 惟だ人作す 佛 臨じて 虚幻（虛幻）¹⁰⁰の章を著す大道（大道）¹⁰たるや：自然にして無為（無為）³⁹、乃ち自身の中に在りて天地萬物に合し、自己を成就し亦た衆生を成就す。自然界に生生不息の含動あり。能く動くがゆえに萬物の生長 契機あり、正に生して息まず、永に歇止の作為なく、亦た自然本性より、外界と相互交替するを得るのであります。
萬物 自然にして然らしむる靈性を具備し、凡に落ずるは即ち自己の本性、亦た仏性（佛性）¹¹、仙性、聖性 三者皆同一體、此れ衆生の最も基本なる本性なり。「人世間」に對しては無常個體の組合せにして、無常の中に實質の實體ありて、方に萬物本身の自性を彰顯す。
無常の過往、一切の事物 乃ち時間の過客なり。亦た無常交替して禁止の過往を作し、即ち「繞と止」の過程に留停す。
萬事萬物に對して皆是虛幻なり、然れども時間の過往に於いては一切又た眞實なり。此の如く虛幻は眞實を添へて、人世間經驗の累積たるのであります。
現世に存在して註腳と爲す。一切の虛幻の中に、眞實の實相體を存すればなり。然らざれば無常 又た何ぞ其の過程を歇止する所來たるや？故に時間とともに停留して註腳と爲し得、亦た人世間及び萬事萬物 無常に對して存在するを要す——即ち時間に經驗を加へたる累積なり。
「虛幻」人生對現今而言，亦是經驗所累積而已，倘若無經驗累積，就無法達到真實人生，對眾生皆時常怨天尤人，嘆曰：「時不我予」，時常心生不滿，又感覺很多事情都是在跟我作對，怎麼會這樣？
殊不知：天時、地利、人和三者皆應齊聚，方達成善惡因緣來聚合，否則在現世中，只能有經驗累積而已；對虛幻人生，在現世來同宇宙時間、空間之交替計算，實在是微不足道，因此「虛幻人生」即在此原意。
現世重種因緣成就，形成一切世界萬物，否則若言虛幻，就無法讓眾生明瞭：何者為真實？何者為虛幻？在對一切過程，都是由現在時間與空間，來累積成為真實之人生，否則一味言虛幻，又奈何！
當下即無法達成真實人生造就，正是一連串接續之真實過程，又對永恆之恆常，在無常交替中，只作註腳之過程而已：人生言無常，宇宙亦是無常交替，所有時空皆無法歇止的，也無法替每一位眾生來休止。
時空交替，在虛與幻中闡揚真正實在人生，每一個過程皆由每位眾生經驗所累積，形成眾生一世世輪轉交替，又如何有輪迴之說？亦在真實人生加上轉瞬即逝過程，正是一幕幕組合，就是現在生活過往。
「虛幻」の人生は現今に對して言へば、亦た經驗の累積たるのみ。倘し經驗の累積なくば、眞實の人生に達する能はず。
衆生 皆時として怨天尤人し、「時 我に與せず」と嘆じ、時として心生不滿し、又た多くの事 皆我に反對するが如きを感ず。何故に斯くの如きや？
殊不知：天時・地利・人和 三者 皆 應當齊聚して、方に善惡因縁の聚合を達成す。然らざれば現世中に於いて、經驗累積あるのみ。虛幻人生に對して、現世に於いて宇宙の時間・空間の交替計算に同じくするや、實に微不足道にして、故に「虛幻人生」即ち此の原意にあり。
現世 種種の因縁成就を重んじ、一切の世界萬物を形成す。然らざれば若し虛幻と言はば、衆生 何れか眞實なるか、何れか虛幻なるかを明瞭する能はず。一切の過程に對して、皆現在の時間と空間より累積して眞實の人生と成る。然らざれば一味に虛幻と言ふも、又た奈何ぞ！
當下 即ち眞實人生の造就に達する能はず、正に一連串接連串接續の眞實過程なり。又た永た永恆の恆常は、無常の交替の中に於いて、ただ註腳の過程たるのみ。人生 無常と言へば、宇宙も亦た無常の交替なり。すべての時空 皆歇止する能はず、亦た每位の衆生のために休止する能はず。
時空交替し、虛と幻の中に於いて眞正實在の人生を闡揚す。每一の過程 皆每位の衆生經驗の累積より成り、衆生一世世の輪轉交替を形成す。又た何ぞ輪廻（輪迴）²¹の說あらんや？亦た眞實の人生に轉瞬即逝の過程を加へ、正に一幕幕の組合せ、即ち現在の生活過往なり。
眾生不明瞭何者為真實？何者為虛幻？若以此而言真實世界，因時空輪轉而成虛幻，每位眾生皆是由代代相傳至今，方有我之存在；若無真實人生，又在時空輪轉之下，不久之後又變成虛幻了。
人類眾生皆知：我有祖上之輩，一代代相互來傳承，眾生何人能見到七代以上大祖父輩之人？往往由時空轉換方能成就現今當下，又對以往祖先輩人之過程，就是真實累積，方有一代代傳承於後代子孫。
否則！祖輩於現今而言，是否謂之虛幻？不也！是對人類眾生真實過往，方有現今所造就，即有我輩之存在，現在眾生若認為「祖輩皆為虛幻」，往後曾曾孫輩，也謂現在我輩，是為虛幻否？正是相同道理！
一切組合，連接而成為世代交替，也僅是讓眾生能明瞭，何者是謂真實？何者是謂虛幻？此種分別作用，若無現今世界的變異過程，整個人世間，早已成為滿地都是人類生存環境，能否有新陳代謝來更迭？
南屏道済古仏
1996年12月13日 丙子年十一月初三日（五）
初心退らずして仏成り余り  自性顕れずんば仏性離る
初因は天地の義を包み込み  天命衆生に皆賦与す
了願して回帰し真機に依る  真偽虚幻人生の理
仮を借りて真を修め己に頼り  智慧福報もまた兼備す
第十回 仮を藉る
初心退せず 仏餘を成す 初因 天地の義を含包す 了願回歸 眞機に依る 藉仮修真（藉假修真）¹ 自らに賴る 自性顯れず 仏性離る 天命 衆生 皆賦予す 真假虛幻 人生の理 智慧（智慧）¹⁰²福報亦た兼備す人生 世に在りて、眞正 自己の爲す所の行ひ 實在不多なり。現今社會に對して、時代變遷によりて、衆生 皆福報の具足によりて、往昔より更に享受多し。亦た現代 科技に拜賜して、種種の方面 比較的便利なり。然れども衆生 容易に之を得るによりて較的珍重せず。
諸多の衆生あり、殊不知：現世の享する所、正に前世及び累世の修する福澤にして、現今世に享受す。前世の累積 此の世に承けて、承受する一切の福報、若し珍重し得ば、必ず福澤を延長し、更に現今世に福德を再造し得。故に衆生 若し珍重せば、福報加添 亦た量るべからず。
現今に於いて、衆生の享受し得る一切、自己の成就する所にして、他方の加持或いは仙仏の轉換に非ず。若し然らば、必ず福報具足して方に轉換し得。然らざれば本身の福澤 若し具足せずば、長く福報を享けんと欲するは即ち不可能にして、轉換に必須なる代價に承受し得るもなし。
眾生皆不明瞭，現世本身乃承受前世所累積，而現今所作所為，亦要留存於下世來承果報業因，是好是壞，端視自己作為而定，若想要下世能再具足福澤，必須在此世中來廣積陰德（陰德）³⁵，方能下世再享福澤。
也因此，眾生若不種福澤於下世，此生若享用完罄之時，下世必墜於苦楚之境地，此生必承前世，又前世所有造化於此生作為，而此生又轉為下一世所累積，如此即是「三世因果」之流程。
此世：若不知藉由現世一切，作為來世資糧，又何來能有下世福澤？現世因、來世果，在現今，若不知好好作為下一世資糧，必難有下世福澤所享用，在此世過程，一切皆是無常過往，現世卻是實實在在人生。
若是自身痛苦，別人也無法代替得了，自己餓時必須自己來飽食，別人吃飽我不飽；必要自己能了脫的，否則別人也幫忙不得，自己病痛自己給醫生診治，如果他人能代替病痛，則業因果報，別人也可代替了。
可知自己吃飯自己飽，自己病痛自己醫生診治，醫生僅能診治外在之假病（體），自己才能醫治自己真病（靈性），一切因緣亦要自己能了脫，方能澈悟自己本來，現世若不能藉假體而修真，如何能了脫苦楚與病痛？
衆生 皆明瞭せず、現世の本身 乃ち前世の累積を承受し、現今の所作所爲、亦た下世に留存して果報業因を承く。好し惡し、端しく自己の作爲に視て定まる。若し下世 再び福澤具足せんと欲せば、必ず此の世の中に於いて廣く陰徳（陰德）³⁵を積み、方に下世 再び福澤を享く。
故に、衆生 若し下世に福澤を種ゑずば、此の生 若し享用完罄の時、下世 必ず苦楚の境地に墜つ。此の生 必ず前世を承け、又た前世のすべての造化 此の生の作爲となり、此の生 又た下一世の累積に轉ず。此の如き即ち「三世因果（因果）⁵」の流程なり。
此の世：若し現世の一切を藉由して來世の資糧と爲すを知らずば、又た何來たりて下世の福澤あるを得んや？現世の因、來世の果。現今に於いて、若し好好と下一世の資糧として爲すを知らずば、必ず下世の享用すべき福澤あること難し。此の世の過程、一切 皆是無常の過往なり、然れども現世 卻って實實在在の人生なり。
若し自身痛苦なれば、他人も亦た代替し得ず、自己 餓ゆる時 必ず自ら飽食せねばならず、他人 飽食すれども我 飽かず。必ず自ら了脫し得るを要す、然らざれば他人も亦た幫忙し得ず。自己の病痛 自ら醫生に診治せしむるも、若し他人病痛を代替し得るならば、則ち業因果報、他人も亦た代替し得るなり。
自己飯を食ひて自己飽く、自己の病痛 自ら醫生に診治す。醫生 僅かに外在の假病（體）を診治し得るのみ、自らこそ自己の眞病（靈性）を醫治し得る。一切の因緣も亦た自ら了脫し得て、方に自己の本來を澈悟す。現世 若し假體を藉りて眞を修すること能はずば、如何にして苦楚と病痛を了脫し得んや？
眾生都知曉自己吃飯自己飽，別人也代替不得；然而若不自己行持，又如何能了脫業障消？現今眾生皆承受了上蒼德蒼德蔭，卻不知珍惜此生福報，若能藉此世假相成就下世福澤，必要能入於真正修持，方能達至目標。
否則！隨波而逐流，下世還能否為人？不得而知！倘若具備為人之資本，亦為貧病痛苦之人，但眾生皆不喜貧病痛苦，希望早日了脫於現世，但在此生若不知累積下世福澤資糧，降生於此世，則是空走一回而已！
藉現世之假，造下世之真，亦藉現世之假體，成就萬年不朽之靈性，對靈性自顯而佛性必彰揚，在此世中早已明瞭天地之大愛，宇宙之大慈成就今生，更累積下一世福德資糧，而下世則不必再來人世間。
現今早已是菩薩之佛體，不必等到下世才成就，在現世早已成就了，只是眾生甚難明瞭，亦難知曉根器又是如何？在此世早已成就靈性佛體，即自己之本來，眾生都知有來世，但不知當下即是來世，下世何來能當下？
藉此世之假體，成就佛性彰顯，否則若等到歿度後，再來論成就，早已淪落為地獄種子，眾生皆想上天堂，不願往地獄行，天堂地獄早已得，何人能了知：藉假修真方能有功？只在真實人生行持，必能達成此目標。
衆生 皆知曉す、自己飯を食ひて自己飽く、他人 亦た代替し得ざるを。然れども若し自己行持せずば、又た如何にして業障を了脫し消滅し得んや？現今 衆生 皆 上蒼の徳（德）¹⁸蔭を承受すれど、此の生の福報を珍重するを知らず。若し此の世の假相を藉りて下世の福澤を成就し得ば、必ず眞正修持に入りて、方に目標に達す。
然らざれば！波に隨ひて流れ逐ひ、下世 未だ人たるを得るや？知るべからず！倘し人たるの資本を具備するも、亦た貧病痛苦の人たらん。然れども衆生 皆 貧病痛苦を喜ばず、早日 現世に了脫せんと望む。然れども此の生 若し下世福澤の資糧を累積するを知らずば、此の世に降生するは、則ち空く一回走るのみ！
現世の假を藉りて下世の眞を造り、亦た現世の假體を藉りて萬年不朽の靈性を成就す。靈性自ら顯れ仏性必ず彰揚す。此の世の中早已に天地の大愛を明瞭し、宇宙の大慈 今生を成就し、更に下一世の福德資糧を累積して、下世 則ち再び人世間に來たるを必とせず。
現今 早已に菩薩の仏體たり、下世を待ちて初めて成就するを必とせず。現世 早已に成就せり、ただ衆生 甚だ明瞭し難く、亦た根器 如何なるかを知曉し難し。此の世 早已に靈性仏體を成就す、即ち自己の本來なり。衆生 皆來世ありと知るも、當下 即ち來世なるを知らず。下世 何來たりて能く當下たらんや？
此の世の假體を藉りて仏性の彰顯を成就す。然らざれば若し歿度の後に待ちて、再び成就を論ぜば、早已に淪落して地獄の種子とならん。衆生 皆天堂に上らんと想ひ、地獄に行かんと願はず。天堂地獄 早已に得たり、何人か了知せん：藉仮修真方に功ありや？唯だ眞實の人生に於いて行持して、必ず此の目標に達すべきであります。
藉假世間修今生 若連觀念都没有 修真改造是本來 一步一腳一個印 必要明白其過程 苦磨此世難堪忍 藉假修真人間愛 成就提昇超越載能成就現今，當下即是，又何來下世再來成就？此為謬論，是否如此？哈哈！老衲今日心真欣喜《大道回歸》已著作十回了，此書著作集三界之高真，闡述「真理於現世」能了知天機，即可了知自己回歸即有望。
無極元君　董雙成仙姑
1996年12月20日　丙子年十一月初十日（五）
真理を悟りて此の身を修め  福慧双修して德も正し
今生を成就して無極に回る  仙姑著述して修真を述ぶ
第十一回 修真
董 眞理を得て此の身を修す 今生を成就して無極に回歸す 雙修福慧 徳亦た正し 仙姑著作して修真（修真）¹⁰¹を述ぶ人生 世に於いて、中土の地區に出生し得るは、是謂：福澤具足なり。中土 難生、又た天運 來たりて降臨するに逢ひて、故に天機良縁を了知し、自性を引きて自己を修持す。正に累世中早已に註定せる善德因縁にして、又た今生 此の機縁ありて當下の地區に出生するなり。
「中華難生、佛法難聞、人身難得、修真難行」、當今現世に此の良機に逢ふ者は、是謂 福澤具足の人、因縁殊勝と言ふべく、亦た中土に生れて人身あるによりて、現今の假體を藉りて——亦是假相——更に自己「眞實靈性」を修持して提昇するを得るのであります。
此れ乃ち修真の至理なり。人 現世中に於いて多くの因縁あり、往昔 此の因縁に逢ふ者 鮮矣！世上の假相を藉りて眞を修す。然れども現今の假相を藉るは、是謂 眞正實體にして、決して假相に非ず。又た何故に假相と言ふや？人類 天地に生存するは、亦たただ宇宙と山河の過客たるのみ！
人の生命 僅に短短數十載の時光あり、又た宇宙の長遠と相互に比擬して、宇宙山河の長遠と人生の短暫、何れか眞なるや、何れか假なるや？即ち了知す：現今 實實在在の身軀あるによりて、これ即ち人類生存の實相世界、又た如何にして假世と謂ひ得んや？否なり！
針對「假世與假體」之標準即在此，若沒有身軀，又何來在此身（生）作行持？此種實實在在人身，就不能謂之假相，原因也在此，這兩者若同天地、宇宙與山河相互比擬，可謂之假相，但在現世，卻是真實人類生存。
生、老、病、死，皆須在此身作感同身受，就是讓人類眾生能有實質經驗累積，形成種種因緣牽連組合，能謂之假否？即明的！若以現今社會而言，人生若不經由此一世磨鍊改造，又該如何能轉化業因？
因為各人業因不同，又對「含在其中之因」果，所生長之外緣不盡相同，每個人在先天「含因（含因）⁶³」中，全部都是相同的；一旦降生於人世間，經過累世考磨，每一個人所具足經驗，也就會各不相同。
每一個人所結因緣，順逆不同有關係，而成就不同累世，在現今是謂福澤所致，若能修持自己真實人生：自性（靈性）成長超越，即能回歸於「無極聖境」，眾生皆盼能歸返，但都不知歸返目的，又該如何？
僅憑前人修持過程，迷蒙而不知如何摸索？亦在此種過程，又在摸索階段不同，就形成作為差異極大，針對有修眾生皆明白修持目標，但因無經驗，將種種不適歸返條件與作為，形成反覆作用，也就甚難超越。
「假世と假體」に針對する標準 即ち此に在り。若し身軀なくば、又た何來たりて此の身（生）に於いて行持せんや？此種實實在在の人身、假相と謂ふべからず、原因 亦た此に在り。此の兩者 若し天地・宇宙と山河と相互に比擬せば、假相と謂ふべし。然れども現世に於いては、卻って眞實の人類生存なり。
生・老・病・死、皆 此の身に於いて感同身受す。即ち人類衆生に實質經驗の累積あらしめ、種種の因緣牽連組合を形成す。假と謂ひ得るや？即ち明なり！現今社會に言すれば、人生 若し此の一世の磨鍊改造を經ずば、又た該如何に業因を轉化し得んや？
各人の業因不同なるによりて、又た「其中に含まるるの因」の果、生長する外緣 盡く同じからず。每個人 先天の「含因（含因）⁶³」中に於いては、全部皆是相同なり。一旦 人世間に降生して、累世考磨を經て、每個人具足する經驗 亦た各不相同たるのであります。
每個人結ぶ因緣、順逆の不同關係ありて、不同なる累世を成就す。現今に於いて是謂 福澤の致す所なり。若し自己 眞實の人生を修持し得ば——自性（靈性）成長超越して、即ち「無極聖境」に回歸し得る。衆生 皆歸返を盼すれど、歸返の目的を知らず、又た該如何せんや？
唯だ前人の修持過程に憑りて、迷蒙して如何に摸索すべきかを知らず。亦た此種の過程、摸索の階段不同によりて、作爲差異極大なるを形成す。有修の衆生に對して皆 修持の目標を明白すれど、經驗なきによりて、種種歸返不適の條件と作爲、反覆作用を形成し、甚だ超越し難し。
往往走了一大段冤枉路，到頭來能真正回歸者寥寥無幾，真令上蒼感到無可奈何！針對修真目的，就是提昇自己心性彰顯，佛性揚，自性顯露，方能同天地宇宙合而為一，就能同萬物為我體，我為萬物體。
兩者之交互，即是宇宙天地之心，能在此世彰顯，而非寄望於來世，就有諸多眾生往往迷失自己，下一世能否再出生為人，實在不敢想像：若寄望來生能有相同機緣？不知眾生能否把握當下？或是把希望寄於下一世？
此種反覆形成，對人類寄望來生一切，能謂真實否？不也！若在現世不能改變當下種種作為，而寄望來生，是謂不可能！
「修真」目的，必要眾生能彰顯各人佛性與自性，現世若無法把握當下，也就無下世來累積。
當下若無法改變自己，此生來做什麼？下世又來做什麼？眾生能明瞭否？甚難的！修者是改變不良秉性，若不能棄除秉性，在此世必難以天性行事；因此「修者」是改變不足與錯誤，「真者」是實實在在之行為。
修真：即是回歸於原始初心，亦即回復赤子之心，如此天真無邪作為，即是修真者必須具本心；否則不能回歸於無私無我赤子心，想要能同宇宙天地之心合而為一，實謂之不可能的！也根本沒此概念。
往往 大段の冤枉路を走りて、到頭眞正回歸する者 寥寥無幾にして、實に上蒼 無可奈何を感ず！修真の目的に對して、即ち自己の心性彰顯を提昇し、仏性揚がり、自性顯露して、方に天地宇宙と合して一となり、萬物 我が體たること、我 萬物の體たることを得るのであります。
兩者の交互、即ち宇宙天地の心なり。此の世に彰顯し得るにして、來世に寄望するに非ず。諸多の衆生 往往 自己を迷失し、下一世 再び人として出生し得るや、實に敢て想像せず。若し來生に相同機縁あらんことを寄望せば？衆生 當下を把握し得るや？或いは希望を下一世に寄すや？
無極元君　許飛瓊仙姑
1996年12月27日　丙子年十一月十七日（五）
普化を得て衆生を済度すべく  飛び妙に真を伝え学理成る
瓊漿玉液は無極の宝  仙姑著述して智慧増す
第十二回 知恵
許 普化して衆生を渡す 瓊漿玉液 無極の寶 飛妙傳眞 學理成る 仙姑著作して智慧（智慧）¹⁰²增す人生 世に在りて、生存を經由して經驗累積を得。人世間 人類の生存あるによりて、人世間事務の多きに對し、遠く人類よりも多し。人 即ち無明（無明）⁷⁹と無知の過程より、一點一點 累積して、方に經驗の長成あり。亦た必ず經驗累積を通じて、方に人としての基本を成就す。
種種の無知と無明、因緣の組合を通じて方に成長す。然らざれば皆 人生の經驗を得知する能はず。亦た無明と無知の過程、正に人生 必要了解の課題なり。人類 必ず聞・思・修三者の組合を通じて、方に經驗及び前人の所作所爲を獲得して、借鏡と爲す。
他人の經驗、我の應用し得るに適合するや？必ず他人の經驗を明瞭し、自己の經驗と爲すを要す。亦た他人の經驗累積の中より、自己の成長過程を開拓す。人 必ず「多聞」の段階を通じて、多聞によりて知識あり、方に人世間に豐富なる經驗あり。
若し僅に一成不變なれば、「聞法」の過程を通ずる能はず、亦た「多聞」の經驗に達する能はず。他人の好と壞の累積を、自己の缺失を改進する依據となし得。亦た他人の通過せる經驗を借鏡として、「多聞」の要求具足する智慧に達す。
「多聞」是現今世人必須具備，若無多聞，就無思想之改造，又在改造思想中，能得到「思慮」之過程，因有思慮才會有作為，眾生皆吸取別人經驗累積過程，思慮就是能否修正自己錯誤在何處！
該如何做，才不會在過程中又重蹈覆轍？正是把別人經驗，作為自己經驗改進，就會教導多聞過程來思考，自己就不要受不良所影響，眾生皆有趨吉避凶之本能，能趨吉，又不受惡橫逆來磨難。
而「思慮」作為多聞依據，所必須經過過程，否則無思慮即無經驗之達成：人類所生存每件事務，皆在思慮後方有行動，因此行動好壞，即是思慮之後，才會有行持過程，對未來事務所連結。
「聞思修（聞思修）¹¹⁴」三者無法分開，也正是相互連貫，每位眾生皆在聞思修過程，才會有智慧開展，在對智慧之多寡是否具足，必須由自己來選擇；而在完成與累積，若不通過「聞思修」所累積，又如何具足智慧！
「多聞」は現今の世人 必須具備す。若し多聞なくば、思想の改造なく、又た改造思想の中に於いて、「思慮」の過程を得。思慮ありて方に作爲あり。衆生 皆 他人の經驗累積過程を吸取し、思慮 即ち自己の錯誤 何處に在るかを修正し得るや否やなり！
該如何做して、過程中 又た重蹈覆轍せざるべきか？正に他人の經驗を、自己の經驗改進となす。多聞の過程を敎導して思考せしめ、自己 不良の影響を受くべからず。衆生 皆 趨吉避凶の本能あり、吉に趨りて、惡橫逆の磨難を受けざるを得るのであります。
「思慮」 多聞の依據たる、必須經過の過程なり。然らざれば思慮なくば即ち經驗の達成なし。人類生存の每件事務、皆思慮の後 方に行動あり。故に行動の好壞、即ち思慮の後 方に修持の過程あり、未來事務に連結す。
「聞思修（聞思修）¹¹⁴」三者 分開する能はず、正に互相連貫す。每位の衆生 皆聞思修の過程に在りて、方に智慧開展あり。智慧の多寡 具足するや否や、必ず自己より選擇す。完成と累積に於いて、若し「聞思修」の累積を通ぜずば、又た如何にして智慧具足せんや！
多聞條件：即是多聽、多看、多增廣見聞，必可增加經驗累積，也是智慧具足本來；思慮必通過多聞，方有一切事務開展，若不經由思慮完成，又何來能有行動是好是壞？即由思慮後決定，眾生因緣即由此來開展。
「菩薩畏因，眾生畏果」，應是在因上做改造，而不是入於果報當中，否則「因已成果」就會遭逢好與壞、善與惡所分判，修持者能經由思慮後，即可轉換成為善果；而眾生由思慮後，就是善惡所分別未來行動。
「聞、思、修」就是經驗累積，亦是智慧開展，若以現今眾生不具頓悟本能，可由「漸悟而達至開悟」本質，即是一步一步來成就自己，亦可成就眾生，也必要如此，方能將智慧來開展。
多聞の條件：即ち多聽・多看・多增廣見聞にして、必ず經驗累積を增加し得、亦た智慧具足の本來なり。思慮 必ず多聞を通じて、方に一切事務開展あり。若し思慮を經由して完成せずば、又た何來たりて行動の好壞たるを得んや？思慮の後決定す。衆生の因縁 即ち此れより開展す。
「覺有情（菩薩）は因を畏れ、眾生は果を畏る」。應當 因上に於いて改造すべし、果報の中に入るに非ず。然らざれば「因 已に果と成る」即ち好と壞、善と惡の分判に遭逢す。修持者 思慮を經由して、即ち轉換して善果と成り得。衆生は思慮の後、即ち善惡の分別する未來の行動なり。
「聞・思・修」即ち經驗累積、亦た智慧開展なり。若し現今衆生 頓悟の本能を具へずば、「漸悟より開悟に達至する」本質によりて可なり。即ち一步一步自己を成就し、亦た衆生を成就す。亦た必ず此の如くして、方に智慧を開展するを得るのであります。
眾生若能根器、智慧皆鋒利者，開悟即可當下展現，就不必由漸悟而開展，若由漸悟，必須通過：聞、思、修而達成智慧；否則，鋒利之根器，正是大智慧者所具足本質，根器鈍者則由：聞、思、修三者。
無極元君　九天玄女仙姑
1997年1月3日　丙子年十一月廿四日（五）
九天開地は本に無極  玄女著述して大道の基
仙姑台に臨み聖理を闡明し  元君開著して福報依る
第十三回 福報
九天 開地 本無極 玄女 大道の基を著作す 仙姑臺に臨み 聖理を闡す 元君 開著す 福報（福報）¹⁰³依る人生 世に於いて 人類衆生に對するは、正に累世中に善緣福報ありて、方に人身を得。故に人として生るる者、自由に四方に遊走し得。若し人之軀體なくば、亦た他の萬物と同じく、唯だ萬般具ふるのみ、然れども自由に遊走と行動する能はず、宛も動植物の如く、一切 限制あり。
人世間 人類あるによりて、方に萬物存在あり。人類 若し智慧具足する能はずば 亦た福報なく、亦た萬事萬物の準備と攀緣なし。外在事務よりして、人類 思考智慧あるによりて、萬物及び動植物には思考能力なし。人類 善德福報具足するは、亦た智慧の開展 現世に成就するによりてなり。
人 若し福報具足なくば、人世間に於いて 一切豐盛なる事物用品を享受する能はず。人生 世間に生存し、必ず福報具足して、方に福運享け得。福報若し具足せずば、亦た福澤享くべからず。此の如く人と人の間に形成する事務連鎖、即ち人と萬物の組合せより成る。
人因有智慧可思考，可作為一切事務的起源，就能接受外緣，形成「人我結合」，倘若不同外界之結合，必在人與人之間有某種間隙，才無法融合為一，人是食物鏈所組合，萬物亦同，因人有思考，才有良善生存空間。
故能因人之作為，分判是好是壞，即在人與萬物「食物鏈與事務鏈」，而形成一切因緣和合開展，又「人為財死，鳥為食亡」，乃因人受制於天地，而天地長養萬物，人也是萬物之一，僅因人類才有智慧思考。
故而！能在福報所造作，來加添與減少，就可累積一世世組合，因人有福報，故生為人，但在每個人，又為何不能有相同福報？為何上蒼給與每一位眾生，都相同時間、相同身，但為何每個人福報會差那麼多？
根本都無法增加一些手腳或頭眼，那又會變成如何？是否會變成與眾不同，成為怪人否？所以上蒼賜予眾生皆是相同，福報也相同，為何每人福報到未來卻不相同？其實上蒼給予眾生每個人，都一律公正、平等。
人 智慧ありて思考し得、一切事務の起源として作爲し得、外緣を受け入れて「人我結合」を形成し得。倘し外界の結合に不同あらば、必ず人と人の間に某種の間隙ありて、融合して一となる能はず。人 食物連鎖の組合せにして、萬物 亦た同し。人 思考あるによりて、方に良善なる生存空間あり。
故に人の作爲によりて、好壞を分判し得。即ち人と萬物「食物連鎖と事務連鎖」に於いて、一切の因緣和合開展を形成す。又た「人 財のために死し、鳥 食のために亡ぶ」、乃ち人 天地に制せらるるによりて、天地 萬物を長養し、人 亦た萬物の一、唯だ人類 智慧思考あるのみ。
故に！福報の造作に於いて、加添と減少するを得、一世世の組合せを累積す。人 福報あるが故に人として生る。然れども每個人、又た何故に相同福報なきや？何故に上蒼 每位の衆生に、皆相同時間、相同身を給與するに、何故に每個人福報 斯くも差異多きや？
根本 都て手足或いは頭眼を增加する能はず、然らば又た如何ならんや？衆不同となりて怪人となるや否や？故に上蒼 衆生に賜予するは皆是相同、福報も亦た相同なり。何故に每人福報 未來に至りて卻って不相同なるや？實に上蒼 衆生每個人に給予するは、皆一律公正、平等なり。
沒有那位給予較多或較少，只因為人之因素，在累世加加減減、乘乘又除除；如此相同具備福澤，在每個人也不知道該如何應用？造成每個人福澤添加或減少，形成現世為何有人福澤（報）能廣泛來具足。
有的人！福澤又比較無法具足，有者連三餐都不能，此種絕非上蒼不仁慈，在於眾生福報所具足，對各人能因自己添加與減少所關連，現今人世間，每位眾生福報，遠比往昔要來得較具足，細思，又為何會如此？
如何靜心來思考？不難發現此種條件在時運所超，是上蒼宏恩所頒賜，現今民運抬頭，君主沒落，可見人民遠比古時帝王來得具足福運，往昔帝王如果生在於現今時代舒適生存，即可明白該如何感恩！
現今遠勝古帝王 庶民亦勝昔縣令 平民更勝王侯宮 堪笑時代不同場那位 較多或いは較少を給予するなく、唯だ人の因素によりて、累世 加加減減、乘乘又た除除す。此の如く相同具備の福澤、每個人 亦た該如何に應用すべきかを知らず。每個人福澤の添加或いは減少を造成し、現世 何故に有人 福澤（報）廣く具足し得るかを形成す。
有的人！福澤 又た比較的具足する能はず、有者 連三餐すら不能なるあり。此種 決して上蒼不仁慈なるに非ず。衆生福報具足するに在りて、各人 自己の添加と減少に因りて關連す。現今人世間、每位衆生福報、遠く往昔より較的具足す。細思、又た何故に斯くの如きや？
如何に靜心して思考すべきか？不難 此種條件 時運の超に在りと發見す。上蒼宏恩の頒賜なり。現今民運擡頭し、君主沒落す。人民 遠く古時の帝王より具足福運たるを見るべし。往昔の帝王 若し現今時代の舒適生存に生るれば、即ち該如何に感恩すべきかを明白す！
現今 遠く古帝王に勝る 庶民 亦た昔の縣令に勝る 平民 更に王侯の宮に勝る 堪笑す 時代同じからざる場を福報所具足，若不引智慧相互輔助來成長提昇，即在今世中享完福報後，就已失人身機會，再來能復人身？實在不得而知！
一般人類只是具足福報而已，也就不具足智慧，此種實在是成長提昇困難點。
困難人生，必先具足智慧，再來具足福報，必要用智慧來開展福報，在對這兩者相互輔助，不但不會造業，反而更能惜福，進而造福，永享福報而不罄，即能運用智慧開展福報，就有良好生存條件。
修持者亦要能具足智慧，而用智慧加添福報，福者有餘，智慧更高，就能造福廣大眾生，因此不論修持與否，智慧所具足，又遠比福報來得更高、更甚不負此生，不論經營事業、家庭、修持，種方面都能具足。
無極元君　何仙姑
1997年1月10日　丙子年十二月初二日(五)
蓮花満開して天下に遍く  仙姑台に降りて理瑕を闡明す
無極駕前に母に侍り  著述して理障を離れ家を忆う
第十四回 理障
何花 開滿して天下に遍す 仙姑臺に降り 理瑕を闡す 無極駕前 母娘に侍す 著作す 理障（理障）¹⁰⁴ 家を憶い回歸す衆生 世に於いて、善德因縁ありて善堂及び宗教の修持に入るは、福報具足と謂ふべし。此れ乃ち前世及び累世中、早已に註定せる良善因縁にして、現世に修持の境地に入り得、甚だ且つ宗教の規範を學習し、善堂に入りて仙仏とともに眞理を共研するは、實に善德福報の超使する所なり。
若し修持に入り得ば、即ち轉圜の餘地あり。若し修持を知らざれば、此の生 亦た僅に現世中に打滾するのみにして、現世に了脫する能はず。下世 再び人として來たるや？得知すべからず！宗教啟迪善堂の教化、仙仏の闡述する眞理、皆 當今天下の頒示に符合す。
衆生及び修子を提引して眞正行持に融入せしめ得。亦た人世間に善德因縁ありて、此の生 修持に入るは、當今修子の企盼する所なり。宗教及び善堂の教化中、時として主事者及び領導前人、時・地・環境の不同によりて規律を訂め、修子遵循せんことを欲す。
修子の智慧 往往 前人領導者に及ばず、又た一味に向前して行使す。殊不知、前人領導者 時として偏差のことあり。主事者の頒訂せる規律中に於いて、若し衆生及び修子の德（仏）性彰顯に益するあらば 是謂 眞理敎化、倘し僅に規律によりて修子 遵循せしむるのみなば、又た奈何ぞ！
但是，往往不能提後進，反而形成宗教信仰修持絆腳石，原本應是上天棟樑種子，因規律束縛，變成下地獄種子，對兩者差異極大：現今時代萬教齊發，又現今已入於末劫之際，上蒼欲九六原靈皆能歸返。
上蒼慈懷派遣四億佛子下凡，引渡九二原靈來歸返，無極皇母仁慈德澤天地之心，亦是愛子心切之緣故，現今眾生有諸多上蒼派遣下凡來，欲引緣而成緣，是由引渡中成就眾生皆能回歸。
現今時代，因修子智慧難以彰顯，時常迷昧於外在顯化，而不向內在「自性佛」來探求；更是迷濛於外在名師（明師），如此皆非真正名師（明師），此明師就不及自己內性明師，又何來明師？自己即是！
上蒼派遣仙佛方方闡教、處處開堂，即要現今修子及眾生，不應求外在明師，應求自我內在明師；否則上蒼慈悲，仙佛每每立下弘願欲廣渡眾生，為何至今眾生仍迷於現世環境，又無法彰顯「自性」明師？
然れども、往往 後進を提ぶる能はず、卻って宗教信仰修持の絆腳石を形成す。原本 應當上天の棟樑種子なるべきが、規律の束縛によりて、下地獄の種子に變ず。兩者 差異極大なり。現今時代 萬教齊發、又た現今 已に末劫の際に入り、上蒼九六原霊（原靈）²⁶ 皆歸返せんことを欲す。
上蒼 慈懷 四億の佛子を下凡に派遣し、九二原霊を引渡して歸返せしむ。皇母仁慈徳澤天地の心、亦た愛子心切の緣故なり。現今衆生 諸多の上蒼派遣下凡ありて、緣を引いて緣と成らんと欲し、引渡の中より衆生 皆回歸するを成就す。
現今時代、修子智慧 彰顯し難く、時として外在の顯化に迷昧し、內在の「自性佛」に探求せず。更に外在の名師（明師）に迷濛す。此の如き 皆眞正の明師に非ず。此の明師 自己內性の明師に及ばず。又た何來たりて明師あらんや？自己即ち是なり！
上蒼 仙仏を派遣し方方闡教、處處開堂、即ち現今修子及び衆生に、外在の明師を求むべからず、應當自我內在の明師を求むべきことを要す。然らざれば上蒼慈悲、仙仏 每每弘願を立て廣く衆生を渡さんと欲すも、何故に至今 衆生 仍ほ現世環境に迷ひて、「自性」明師を彰顯する能はざるや？
真理是不變，放諸四海皆準，是確確實實不變法則，真理絕非道理；道理是因時、因地、因環境而約束產生戒律，就會因地域所關，而定下治理條件，如此正是束縛人類眾生，對修子自性佛體是為不智。
也就是治理條件，所約束眾生信仰修持教化，就不能作為眾生歸返跳板，所以真理是不變法則，道理是因地、因人、因環境而設立，如此道理可變而真理不變，即常有似是而非論調，示現在人世間。
看似有理，細觀實則不然，人間有云：爭理必氣死，理直一定氣要和，才能有良善圓有良善圓滿，眾生若不明瞭，何謂真理？又何謂道理？必無法了脫今生障礙，也無法超脫三界輪迴，只是人世間反覆輪迴而已！
何種是道理？何種是真理？若能有智慧脫離治理條件所束縛，必可在真理中彰揚自己智慧、彰顯自性佛體，就能了脫三界輪迴所限制，而不必再來人世間，更可藉緣而引緣，更能廣渡九二原靈回歸。
此種！是為真正行持修子所應學習與具備條件，所以真理不變，道理可變，也就不受理障局限，即可轉圜人世間無明障礙，即能回復清明自性，不受理障而絆住，正是自己回歸應有心態作提昇超越。
眞理は不變にして、放諸四海 皆準あり、確確實實 不變の法則なり。眞理 決して道理に非ず。道理は時・地・環境に因りて約束し戒律を產す。地域に關して治理條件を定む。此の如き正に人類衆生を束縛し、修子の自性佛體に對して不智たり。
即ち治理條件 衆生の信仰修持敎化を約束して、衆生歸返の跳板と爲す能はず。故に眞理は不變の法則にして、道理は地・人・環境に因りて設立す。道理 變すべくして眞理 變ぜず、即ち往往 似是而非の論調ありて、人世間に示現す。
無極元君　麻仙姑
1997年1月14日　丙子年十二月初六日 (二)
麻子地に落ちて万代に伝わり  仙姑帰降して崇心来たる
元君命を受けて天書を著し  大道回帰して事障改まる
第十五回 事障
麻子 落地して萬代に傳ふ 仙姑 歸降して崇心に來たる 元君 命を承け 天書を著す 大道回歸 事障（事障）¹⁰⁵改む人生 世に於いて、修持の過程中、時として理の障を受け、困境を突破する能はずして事障と成る。人類衆生 修持するや否やを論ぜず、往往 事障によりて放心 人世間の應行事務としてする能はず。又た理障 發動して果と成らざる時、即ち事障 來臨なし。
事障：正に目前修子 經常遇到する困境、又た如何に了脫するや？大智慧あるや否やを見て、事務の來龍去脈を觀察す。
故に云ふ「退一步 海闊天空、退一丈 事務の來龍去脈を細觀す」。人類衆生 宗教修持に入りて、時として前人の教導を受け、傳承經驗あり。
殊不知、前人の傳承、諸多の治理規範ありて、上蒼の旨意に非ず。往往 不應行の規範、以訛傳訛を形成し、修子 回歸大道の機會なく、理の障礙 事務障礙を形成し、更に自性本體の展現を眞に成就する能はず。
唯だ一味 斯くの如き應該と認むるのみ。此種 前人の教導 打破すべからずとて、錯誤をもて錯誤の觀念を傳承す。現今衆生及び修子、每人 皆己を頂尖聰明と謂ふも、聰明 卻って聰明に誤らるるを知らず。更に原來の本性、即ち「自性」を如何に彰揚すべきかを知らず！
也就無法提引自己佛性，配合大道與天地德澤，皆不知該如何才能打破謬誤，方能成就自己？會因理障而成為事障，就是現今修子最難突破之迷濛，對事之障礙應於在事務成果，眾生常常不知該如何行？
眾生迷濛，不知如何是好？又如何打破前人所傳承？就會給他人有造口業（口業）⁸⁰機會，倘若不能打破，又一味追尋前人所領導，明知已經錯誤了仍無法破除，也就失去彰顯自性佛體機會，經常有諸多前人領導後進，就是這樣！
自己真理未明，上蒼也無法傳達旨意的同時，領導者又不具大智慧，也不學習，僅在一次又一次傳導中，讓後進無法真正了脫自己，正是相當無奈！也就無法追尋在真理所教導，能了知自己本來佛性。
亦た自己の仏性を提引する能はず、大道と天地徳澤に配合するなし。皆 如何に謬誤を打破して 方に自己を成就し得べきかを知らず。理障 て事障と成るは、即ち現今修子 最も突破し難き迷濛なり。事の障礙 事務の成果に應在す、衆生 往往如何に行すべきかを知らず。
衆生 迷濛して、如何にすべきかを知らず。又た如何に前人の傳承を打破するや？他人に口業（口業）⁸⁰を造する機會を與ふ。倘し打破する能はず、又た一味に前人の領導を追尋して、明知 已に錯誤なるも仍ほ破除する能はざれば、自性佛體を彰顯する機會を失す。經常 諸多の前人 後進を領導する、斯くの如し！
自己 眞理 未だ明かならず、上蒼も亦た旨意を傳達する能はず。領導者 大智慧を具へず、亦た學習せず、僅に一次又一次の傳導中に於いて、後進 眞正自己を了脫する能はざらしむ。正に相當無奈なり！亦た眞理の教導する所を追尋して、自己本來の仏性を了知する能はず。
人類如何回歸無極仙鄉？實謂不可能！僅在人世間輪迴又輪迴而已，對「普渡（普渡）²」過程進而能達至「收圓（收圓）³⁰」階段，又收圓達至彰顯自性本來，亦是佛性開，是為現今所應具，道理又是現今治理眾生的準則。
真理：也就不是治理眾生，而是成就眾生來提昇；所以道理可因時、因地環境、因國情風俗改變而制定，在對真理就是永恆不變，自古迄今仍舊是不變準則與圭臬，眾生不明真理，往往以道理，認理為真，認真而為假。
殊不知上蒼宏慈，欲眾生皆能回歸於大道，大道中具備天道、地道、人道治理條件，若以天地人三者治理條件，又在準則可以隨時變更，則非真理只是道理，此種在「天、地、人」皆有不同規範與治理條件。
天地之道，亦人之道，但眾生往往不知天地之道，一味認為只有人道而已，人道生存，是國土民情不同生活習慣，就會因時間、環境、地點變遷而改造，又在事務障礙，往往會認為自己所行事務，是絕對錯不了的。
人類 如何に無極仙鄉に回歸するや？實に不可能と謂ふべし！僅に人世間に輪廻又た輪廻するのみ。「普渡（普渡）²」の過程より進んで「収円（收圓）³⁰」の段階に達至し得、又た収円 自性本來の彰顯に達至するは、亦た仏性開く、是爲現今應具する所。道理 又た現今衆生を治理する準則なり。
眞理：即ち衆生を治理するに非ず、衆生を成就して提昇せしむるなり。故に道理 時・地・環境・國情風俗の改變に因りて制定し得。眞理に對しては永恆不變、自古迄今 仍ほ不變の準則と圭臬なり。衆生 眞理を明かならず、往往 道理をもて、理を認めて眞と爲し、眞を認めて假と爲す。
殊不知 上蒼 宏慈、衆生 皆大道に回歸せんことを欲す。大道中 天道・地道・人道の治理條件を具備す。若し天地人三者の治理條件、準則 隨時變更し得ば、則ち眞理に非ず 道理たるのみ。此種「天・地・人」に皆不同の規範と治理條件あり。
天地の道、亦た人の道なり。然れども衆生 往往 天地の道を知らず、一味に人道あるのみと認む。人道の生存、國土民情の不同なる生活習慣によりて、時間・環境・地點の變遷に因りて改造す。又た事務障礙に於いて、往往 自己の行ふ事務錯誤なしと認む。
南海古仏
1997年1月17日　丙子年十二月初九日（五）
南無観世音菩薩  海航遠程にして任に遐けし
古言の真理は教化を啓き  佛著自ら束縛して天下に会す
第十六回 自縛
南無觀世音菩薩 古言眞理 敎化を啟す 海航遠程 任無遐 佛 自縛（自縛）¹⁰⁶を著す 天下に會す天下の眾生 原無極天界に居りて凡塵に降至す。先天 其の原位あり、凡塵に降至したる後、後天の氣秉を受け、先天靈性に回復する能はず、故に自己を迷障し、又た如何にして「無極」の原處に歸返し得べきかを知らず、時として思索す：該如何にして回歸し得んや？
一次次 任何の方法を用盡するも、仍ほ歸返の目標に達至する能はず。又た時として凡塵中 自己を束縛するを知らず、此れ乃ち眾生經常發生の毛病なり。故に上蒼仙仏 方方敎化、處處開堂、衆生の回歸を期望す。亦た回歸の方法 實質應用ありて、再び迷惑せず、歸返する能はざらしむ。
衆生 皆落凡の後、又た了悟する能はず：該如何に資格に達して回歸し得んや？時として各種方式を使用するも、功效ある能はず。即ち人間の應用し得る方法を思考す。然れども上蒼 歸返の條件 頒示ありて、時として記取するも、又た明瞵せず、該如何にして眞正回歸の方法たるやを知らず。
縱使上蒼旨意降至凡塵，有時因時、因地之關，眾生能明瞭者，真是少之又少；若是能明瞭者，卻因眾生私心作祟，時常迷障受自縛，也因此能否達到回返條件？若能明白即可為之，對自己也就可提昇超越。
如果能明白可為條件，也常因眾生自作聰明又「劃蛇添足」，將原本單純歸返條件，增加許多束縛困住自己，就形成自縛關鍵，又迷障自我回歸應有本來，在對眾生的自縛，給自己無法開展自性來彰顯。
在眾生而言，原本是無可厚非，但在修子而言：因受宗教啟迪後，應比無修之眾生來得較容易回歸，但往往因宗教修子，加諸自己的束縛，遠比無修眾生來得更多，而形成無法達成回歸主要原因。
自縛過程，很多修子皆謂：我那有自縛，那是別人觀點而已！只因個人自縛又無法明瞭，卻言他人受縛而不自知，在對自縛，就是現今修子所應棄除籬笆，必在自當中，能通過外在觀察，並且應該細心體會。
如此才能明瞭：是否自己自縛，還是眾生受縛？則可明白：自縛之時，若不打開此繩索，正是困住自己而不知道！又在現今時代，應該是宗教修子回歸之最佳良機，但是會因自縛而不自知，如此能回歸否？實為不可能的！
縱使 上蒼の旨意 凡塵に降至すも、時として時・地の關ありて、衆生 明瞵する者 實に少之又少なり。若し明瞵する者あらば、卻って衆生 私心作祟によりて、時として迷障 自縛を受く。故に回返の條件に達し得るや？若し明白すれは即ち之を爲し得、自己 亦た提昇超越し得るのであります。
若し明白 可爲の條件あるも、常衆生 自作聰明して又た「蛇を劃して足を添ふ」、原本單純なる歸返條件に、許多の束縛を增加して自己を困住し、自縛の關鍵を形成す。又た自我回歸 應有の本來を迷障す。衆生の自縛、自己 自性を開展し彰顯する能はざらしむ。
眾生に言ふ、原本 無可厚非なれど、修子に言ふ：宗教啟迪を受けたる後、無修の眾生より比較的容易に回歸すべし。然れども往往 宗教修子、自己に加諸する束縛、遠く無修眾生より多く、回歸を達成する能はざる主要原因を形成す。
自縛の過程、多くの修子 皆謂ふ：我れ那んぞ自縛あらんや、是れ他人の觀點たるのみ！唯だ個人自縛 明瞵する能はざるによりて、他人受縛して自知せずと言ふ。自縛に對して、即ち現今修子 應當棄除すべき籬笆なり。必ず自らの中に於いて、外在の觀察を通じて、並びに應當細心に體會すべし。
此の如くして方に明瞵す：自己自縛なるや、還は眾生受縛なるや？則ち明白し得る：自縛の時、若し此の繩索を打開せずば、正に自己を困住して知らざるなり！又た現今時代に於いて、應當 宗教修子回歸の最佳良機たるべし。然れども自縛して自知せざるによりて、回歸し得るや？實に不可能なり！
修子自縛，通過宗教教條，約束綁住自己之障礙，又在自己領悟有所牽絆，而自縛卻不自知，一味認為我不可能受束縛，但在修子而言：若不經由自我檢點，或由善知識引導、開示來歸返，會因自縛而枉費此生所修持。
修持過程，自我為是之觀念，應該打破才是正確，如果不能打破此種觀念，在修子就無法能有回歸機會，又對自縛：不論宗教修子或經營事業及家庭皆同，也就無法能同外在來圓融，就是又臭又硬個性所使然！
眾生此種毛病，如何改變才能將自縛解開？其實只要將無形繩索割除，即不受自縛迷障自己，能解開自縛，就可同外界圓融，彰顯自性，必能展開人生回歸第一要務；因此自縛是修子及眾生，任何事務絆腳石。
虚空無極驪山老母
1997年1月21日　丙子年十二月十三日（二）
驪山の風光仙頂に耀き  老母降来して蒼霊を勉む
理筆天書は教義を啓き  著述して魔難化障清らぐ
第十七回 魔難
驪山の風光 仙頂に耀く 老母降り來たりて 蒼靈を勉む 理筆天書 敎義を啟す 著作す 魔難（魔難）¹⁰⁷ 障を化して清む天地 是 自然の運行にして、眾生 天地間に處して、天地自然運轉の護佑の下に、生生不息 萬代に傳承す。古昔 人類 天地徳澤の護蔭を受け、如何に自己及び眾生を成就すべきかを思考し得る。又た現今時代に處して 已に萬教齊發、正に上蒼早已に註定せる聖務なり。
現今人類衆生、若し道場に入りて修持せんと欲せば、往昔の時空より比較的容易なり。故に治理敎義 衆生を約束するも、亦た時・地・環境に因りて分別あり、亦た現今修子 能く自己をもて成就し得るや否や、自己修持に對して、敎義 自己を束縛するや否やなり！
人類 宗教修持に入り、前人傳承、若し自性佛體を彰顯し得ば、即ち眞理實行なり。倘し治理條件の約束する所に因りて、修子「理の障 事の障と成る」、此種 自己を困住す 即ち自縛となり、故に魔難 即ち周遭に出現し、自己 對して許多の障礙を形成す。
魔難 現今衆生に對して、尤も宗教修子に對して言へば、又た時として障礙に遇ふ。魔難 上蒼 其の根基を考するに非ずして、自己 能く明瞵するや、如何に自我修持するや、自我改變するやなることあり。宗教に入りて修整改造して 即ち魔難の束縛と困擾を受けずや？甚だ困難なり！
眾生因磨難，而非考之過程，有時會替自己留個台階與樓梯下來，也會將自己魔難比擬為考磨，正是由自己無明所導致，必要明知「魔難」是謂「考磨」，應該是自己出題給自己考磨，而非上蒼出題來考根基與心性。
眾生不明瞭考磨過程，往往無法了知：魔難正是自己所感召，就在上蒼未出考題之前，自己已經是出題考自己，因此未考而先退卻，形成未考就已無考程；又或是上蒼考程，有時無妨退於此，即可觀其端倪。
若是上蒼考程，不外乎是：一、智慧，二、心態，三、作為，四、應對之過程，又此種條件經由人類心態觀念，即可明白上蒼所考程範圍，若不在此種範圍之內，必是自己考自己，其實！經常都是自召的。
眾生 磨難（磨難）²⁷に因りて、考の過程に非ず、時として自己に臺階と樓梯を留め下來せしめ、亦た自己の魔難を考磨に比擬す。正に自己無明の導く所なり。必要 明知す「魔難」は「考磨」と謂ふ。應當 自己 出題して自己に考磨すべく、上蒼 出題して根基と心性を考するに非ず。
衆生 考磨の過程を明瞵せず、往往 了知する能はず：魔難 正に自己の感召する所なり。上蒼 考題を出だす前に、自己 已に出題して自己を考す。故に未考 先退卻して、未考 已に考程なしと形成す。又た上蒼考程、時として無妨 此に退して、其の端倪を觀るを得。
若し上蒼考程なれば、不外乎：一、智慧、二、心態、三、作爲、四、應對の過程。又た此種條件 人類心態觀念を經由して、即ち上蒼考程の範圍を明白す。若し此種範圍の內に在らずば、必ず自己 自己を考す。實に！經常 皆是自召なり。
眾生不論修持與否？在考磨過程能明乎一切條件，在對自己考或上蒼考，這兩者就有不同之過程，必會在本身能否通過此種魔難，又要如何行才是正確答案，以及在應對過程，形成未來好壞與福禍。
魔難並非僅是考程而已，正是磨其心性、心態作為與應對智慧，也在考磨過程中，眾生皆無經驗，若能了解其過程又是如何？皆是無經驗以對，所以眾生能謹記一次又一次教訓，就會在下次相同考磨過程，必能通過。
記取前次失敗經驗，不再犯相同毛病即可通過考磨，但考磨並非僅是魔難而已，對考程及格與否？往往因人類心態作為，智慧應對，會造就不同的結果，若能在理之障不入於事之障，也不會受自縛而遭受魔難。
就能明白理之障礙中，可以了知魔難，正是因果（因果）⁵所循環；故而不受理障阻礙，也不會入於事之障；若無入於事障，即不受困厄來束縛自己，亦不會受魔難，經常是由自己無明來考自己，因果即由此形成。
衆生 修持するや否やを論ぜず、考磨の過程 一切條件を明かならば、自己考すや上蒼考すや、兩者 不同の過程あり。必ず本身 此種魔難を通過し得るや否や、又た如何に行すべきか 正確答案たるや、及び應對の過程、未來の好壞と福禍を形成す。
魔難 僅に考程たるのみに非ず、正に其の心性・心態作爲と應對智慧を磨す。考磨の過程中、衆生 皆經驗なく、其の過程如何なるかを了解し得るや？皆是 無經驗 以對す。故に衆生 一次又一次の敎敎訓を謹記すれば、下次 相同の考磨過程に於いて 必ず通過し得る。
前次の敗經驗を記取し、相同の毛病を再び犯さざれば 即ち考磨を通過し得。然れども考磨 僅に魔難たるのみに非ず。考程及格するや否や？往往 人類心態作爲、智慧應對、不同的結果を造就す。若し理の障 事の障に入らずば、亦た自縛を受けて魔難に遭はず。
理の障礙中に於いて、魔難を了知し得るは、正に因果（因果）⁵循環する所なり。故に理障阻礙を受けず、亦た事障に入らずば、事障 若し入らざれば、即ち困厄 自己を束縛するを受けず、亦た魔難を受けず。經常 自己無明より自己を考し、因果 即ち此に形成す。
現今修子時常遭逢魔難，有時是自己考自己，殊不知上蒼選拔賢良，只要將「魔難」加諸賢良身上，就可觀是否棟樑才？能否通過魔難過程，能否經得起加諸在軀體所有考磨？就可明瞭往後肩擔責任依據。
上蒼曰：「人有善願，天必從之」，要觀根基以及由「作為、心態、智慧、應對」而定，又上蒼選拔賢良過程，也在現世眾生經營事業及家庭亦是如此，人世間所有不平等心在受考後，就觀「魔難」後一切而定。
是否棟樑才或濫竽充數？是可以明白！亦由此來評判往後所能肩擔責任；古云「將相本無種」，修道亦然，並非某某有頭天命，某某即無任何天命，其實！僅在眾生魔難，可觀「心態、作為、智慧、應對」而成就之！
一切過程即在魔難之後，就能明白其條件是如何？又對「磨」者一磨其心性；「難」者時不我予求不得苦，在對魔難之時，必要咬緊牙關克服困難，就能通過一次次魔難考程，眾生及修子能經得起此種過程否？
現今修子 時として魔難に遭逢す。時として自己 自己を考す。殊不知 上蒼 賢良を選拔し、「魔難」を賢良の身に加諸して、棟樑才なるや否やを觀るを得。魔難の過程を通過し得るや、軀體に加諸するすべての考磨に經得起やや否やを觀て、往後 肩擔責任の依據を明瞵し得るのであります。
虚空無極地母至尊
1997年1月24日　丙子年十二月十六日（五）
地は大道を開き生霊を済度し  母心の懿徳崇心臨む
至上に無私にして大地に遍く  尊降して著述し考程を迎う
第十八回 考程
地 開き 大道 生靈を渡す 母心懿德 崇心に臨む 至上無私 大地に遍し 尊降り 考程（考程）¹⁰⁸を著作し迎ふ宗教修子 信仰に入りの後、慢慢に自我心性の障する所に因りて、自障と成る。又た智慧關連する所に因りて、理障も亦た自己を阻擋して障礙と成る。此の如く必ず考の過程と成る。衆生の中に於いて 時として人 言ふ：何をか考するや？考自己の分內の事にして、決して他人と外在の事に非ず。
此の考は何ぞや？正に自己內在の心性を考す！考の過程に於いて 困境を突破し得るや否や、方に考の過程を通過し得。
然らざれば考の過程 突破する能はざる時、考の中 藩籬束縛を脫離する能はず。又た衆生 根本 考の過程を知らず、僅に困難の來臨たるを知るのみ。
考の過程に於いて、他人或いは前人の經驗を藉りて、轉換して考程の答案と爲すを知らず。即ち考程 考の磨難を通過し得。此の過程 內在心性に外ならず、又た外在 自心人物と事境に對して決定す。故に考の過程に於いて、必要 實質經驗の累積あり。
然らざれば、一次 即ち考程を通過するは、相當稀少と謂ふべし！皆每次 考の過程に於いて、他人經驗の借與を通じて、方に自己の經驗累積に轉換し得。亦た他人の作爲をもて、他人の成功と失敗を經て、自己經驗の考程と爲す。即ち應當如何に面對すべきかを決定して、こそ眞實なり！
在考程當中，必要用經驗來轉換，加上自己思考能力所局限，而無法突破困境與考程時，必在考之過程靠自己才能突破，方能達至一切困境所轉換；考在修子而言：要明瞭前因後果，但在眾生中卻無此種觀念。
眾生若不在修持過程，就無法了解為何會如此？為何會遭逢此種困境？即不會用考之過程來轉換，就會在魔難過程，亦較修子有過之而無不及之處，就必看「心態、作為、智慧、應對」方法，才能決定的。
否則！人類眾生根本都不能明瞭，什麼是考？什麼是困難轉境？在考之過程，如何應用另外角度來化解困境；又對修子而言：也就時常會遇到考之過程，修子進入宗教修持，若不能低聲下氣，就很難行持宗教信仰之提昇。
在自己分內所應為之事，所修持前段能因初發心，迨至一段時間後，又墊高、我慢、自大、驕傲，種種私心自用，就會遭逢考程加諸於身，也在一段時間修持後，即可明白考程，有時並非上蒼來考，而是自召的！
此段過程，細細來觀察必可明白，不論任何宗教修子會因自召而受困；自召考程，在心態能否轉換？能否改進自己修持中種種缺點……此種考磨對自己：是否已失原來初發心？能否檢點自己，向內在來觀省自己？
考程に當りて、必要 經驗をもて轉換す。自己の思考能力の局限に加へて、困境と考程を突破する能はざる時、必ず考の過程 靠自己 突破して、方に一切困境の轉換に達至す。考 修子に言ふ：前因後果を明瞵すべし、然れども衆生の中 此種觀念なし。
衆生 若し修持の過程に在らざれば、何故に斯くの如きなるかを了解する能はず。何故に此種困境に遭逢するや？即ち考の過程をもて轉換することを用ゐず、魔難の過程に在りて、亦た修子より過之而無不及の處あり。「心態・作爲・智慧・應對」の方法を見て、方に決定し得る。
然らざれば！人類衆生 根本 明瞵する能はず、何をか考とするや？何をか困難轉境とするや？考の過程に於いて、如何に另外角度を應用して困境を化解するや。修子に言ふ：亦た時として考の過程に遇ふ。修子 宗教修持に入りて、若し低聲下氣する能はずば、宗教信仰の提昇を行持するは甚だ難し。
自己分內の應爲の事、修持前段 初発心（初發心）¹¹³に因りて得るも、一段時間の後、墊高し、我慢し、自大し、驕傲して、種種私心自用すれば、即ち考程 身に加諸するに遭逢す。亦た一段時間修持したる後、考程を明白し得る、時として上蒼の考するに非ずして、自召なることもあり！
此段過程、細細觀察すれは必ず明白し得る。任何宗教修子 自召によりて受困す。自召考程、心態 轉換し得るや？自己修持中 種種缺點を改進し得るや……此種考磨 自己に對して：已に原來初発心を失ひたるや？自己を檢點し得るや、內在に向かいて自己を觀省し得るや？
有時向內性來觀，又要觀什麼？古曰：「一日三省吾身」之過錯，起心動念：有否在宗教時間長久了，一切毛病也就一一顯露出來？是否已經沒有先前單純宗教信仰之修持？漸漸的，對自己蒙垢了還不知道！
更以為：只要保持目前狀況就可回天，也就會有莫大功德；殊不知，宗教前人與上位者蒙垢而不知，往往只認外在功果，不勤持內在修為，外在雖有功德，大部分只是福報較多，內在才是真功德，也是未來成長依據。
僅憑外在功德福報，又無內在深修功夫，如果欲想要歸返？實謂不可能！人類往往會將外在一切認假為真，而不了解內在真實佛性，外在一切可轉換，若能改變內在真實，正是別人也都替代不得，別人也無法竊取的！
能否不受考程？必要看自己能否真正內觀自性？正是本身所應行之確實自我，否則受到考磨過程，仍舊是無法脫離，即時常遭受考而魔難，正是無可奈何！否則自己經驗不足時，往往會瞎子摸象，又奈何！
南無準提仏母
1997年1月28日　丙子年十二月二十日（二）
道場を準備し普化の前  心性を提唱し善縁を悟る
佛は障礙を解き世人を啓き  母心の德澤真理を顕す
第十九回 障礙
道場普化の前を準備し 佛 障礙（障礙）¹⁰⁹を解きて世人に啟す 心性悟善緣を提倡す 母心徳澤 眞理顯る修子 宗教に入りて、教義の約束によりて、時として心理障礙を產す。亦た外在約束によりて、本身 自性を開展する能はず。又た心中の罣礙を放下する能はず、自己 眞正 大道中に行持せしめず、時として外在の影響を受け、自我心性の彰顯に達成する能はず。
修子に言ふ：障礙 實に本身 牽絆の困難點なり。亦た衆生 障礙あるによりて、宗教修行に入り難し。云ふ「無修 無事情、愈修 愈難精」と。何をか修すべきや？又た如何に了脫すべきや？即ち障礙中 自己を迷惑し、又た理障 て事障と成り、事障 自縛して自我となす。
任何事務を作するも、原定の目標及び方法に照らして、自己成就に達成する能はず。此の如く事障 て理障 自縛を受け、更に自己 能く了知する所によりて、又た自己本身の障礙、破除し難く、即ち自己 用心あるや否やを見る。智慧をもて困難と障礙を突破し得るや！
若し修子及び衆生の清明本性を阻擋して、一層層の蒙垢を沾染するは、此種蒙垢 原本 無可厚非なれど、自己 早己蒙垢するを知らず、自我を了解する能はず、即ち習慣成自然なり：好比す「鮑魚の肆に入れば、久しくして其の臭を聞かず、芝蘭の室に入れば、久しくして其の香を聞かず」と。
宗教修子及現今眾生，往往因自己無明，很難將本性來開展，必因自己無法清除蒙垢，即是人間障礙；也因障礙正是修子及眾生最常遇到困難點，若能突破障礙，即無任何束縛存在，如此也無障礙來磨自身。
障礙本身不具任何方式，僅在於受障礙阻擋，難以成就自己所原定目標，也無法達到自己所應行的作為；又想在障礙追尋一條突破指標，必可在本身不受障礙來考磨自己，才會有功效的。
障之本身：即無聲無臭，亦無任何形式，僅是心智磨難而已，只在障礙之中阻擋精進本質，反而讓眾生及修子做為退卻藉口；然而，上蒼若讓修子或眾生都能一帆風順，如此來人世間又要做什麼？
是讓眾生及修子能有反面成就，障礙來臨並不可怕，最怕的！正是障礙來磨之時，若無法能順利通過困難點，乃在考之過程一直旋轉，又在障礙知道該如何應對？如何運用智慧？就能通過障礙阻擋。
宗教修子及び現今衆生、往往 自己無明に因りて、本性を開展する甚だ難し。必ず自己 蒙垢を清除する能はざるによりて、即ち人間障礙なり。亦た障礙 正に修子及び衆生 最も常遇する困難點なり。若し障礙を突破し得ば、即ち任何束縛 存在なく、斯くの如く 亦た障礙 自身を磨するなし。
障礙本身 任何方式を具せず、唯だ障礙の阻擋を受けて、自己原定の目標を成就し難く、亦た自己 應行の作爲に達する能はず。又た障礙 一條突破の指標を追尋せんと欲せば、必ず本身 障礙を受けずして自己を考磨するに在りて、方に功效あり。
障の本身：即ち無聲無臭、亦た任何形式なく、唯だ心智磨難たるのみ。障礙の中に於いて精進の本質を阻擋し、卻って衆生及び修子 退卻の藉口と爲す。然れども、上蒼 若し修子或いは衆生 一帆風順ならしめば、斯くの如く 人世間に來たりて又た何をか爲さんや？
衆生及び修子 反面成就あらしむるなり。障礙 來臨するも 並不可怕なり。最も怕るべきは！正に障礙 來磨の時、順利に困難點を通過する能はざるなり。乃ち考の過程 一直旋轉し、又た障礙 該如何に應對すべきかを知るや？如何に智慧を運用すべきか？即ち障礙の阻擋を通過し得る。
「障」之本身：即是阻擋了心智，而「礙」之本質，即是妨礙身體，心智加身體，就要依靠自己，該如何來運用智慧？但有時運用智慧，亦無法突破障礙阻隔，反而會阻擋眾生前進之腳步，又何原因所導致？
此種考磨就會想要退卻，之後若是放牛吃草，即無法通過一關關考程，若能矢志不變，必可在阻礙過程能通過磨難；若一次無法通過時，又復下回再來一次，必能因前次經驗，做為開創人生原動力。
針對阻礙：正是讓眾生及修子，有更前進原動力，是否如此？能通過障礙考磨，即可明瞭障礙，正是由反面來成就眾生，在修子又能通過一次次考程，是否會因考程通過，對心性又踏實多了！
倘若不能通過考程障礙，又如何來成就一次次磨難經驗？眾生本來就不必由考程受苦難，但在人世間若僅是日復一日生活，必無法跳脫輪迴牽絆，在對人類而言，會因反面成就，就會比正面成就，來得更刻骨銘心的！
人類眾生是否歡喜障礙來臨？還是喜歡順境降臨？必因前者之不取，後者較受歡迎關係，也因此障礙必在自己運用智慧，達至成就自己之機會：倘若時間與空間相同時，障礙考磨時間必較長，又為何如此？
因為在對順境，眾生愈會感到時光容易消逝，而逆境障礙苦磨，雖然時間相同，但所受感覺，必較順境來得更長遠，是否如此？其實只是心境感受不同而已，有情眾生則較喜歡順境，而不喜歡逆境阻礙。
「障」の本身：即ち心智を阻擋し、「礙」の本質：即ち身體を妨礙す。心智に身體を加へ、即ち自己に依靠す、該如何に智慧を運用すべきや？然れども時として智慧を運用すも、亦た障礙の阻隔を突破する能はず、卻って衆生前進の腳步を阻擋す、又た何の原因 導致する所なるや？
湄洲天上聖母
1997年1月31日　丙子年十二月廿三日（五）
湄洲の山河大地の基  媽祖登臨して崇心起こり
天上の至徳私なく偏らず  聖母降臨して著述し惑障離る
第二十回 惑障
湄洲山河 大地の基 媽祖 崇心に登臨し起す 天上至德 私偏なし 聖母降り 惑障（惑障）¹¹⁰を著し離る現今修子 宗教に入りの後、宗教の啟迪を受くるによりて、條不紊 修持し得。宗教修子に言ふ、無修より修持の段階に入るは、乃ち前世 善德神の導引ありて、此の世 宗教修持に入り得るなり。若し善德神の導引なくば、現世 修持に入らんと欲するも、機縁 實に少之と謂ふべし！
現世修持し得るや、個人作爲 現世の轉換となして、今世に成就し來たるや。亦た宗教修持に入る修子に言ふ、是謂 善德の徵なり。倘し善德の徵なき時、宗教修持に入り得るは、必要 大天命及び因緣あり、或いは大願力の實行者にして、方に機縁あり。
宗教修子 善堂に入りて己身を修持し得。故に本身に言ふ、自己 含因（含因）⁶³を改造し得るや否やを觀る。若し含因上改造する能はずば、此の生 輪廻の束縛を改變せんと欲するは、實に不可能なり！故に宗教修子 若し大因縁なくば、此の生 自己を超越して輪廻を超脫せんと欲せば、必要自己 眞正 人世間に了脫し得るなり。
然らざれば宗教修持に入るは、唯だ下世再修の本質たるのみ。故に此の世中 含因を改變せんと欲せば、必要 大因縁・大時機あり、亦た自己 身體力行して、方に達至す。現今時代 萬教齊發の時、上蒼 「九六原霊」皆歸返せんことを欲して、多くの方法を用盡す。
故在上界回返之高真，方方闡教、處處開堂，無非是要現今眾生皆能有回歸之機會，又此段期間已漸漸脫離普渡，而達至收圓之階段，現今時代科技文明，資訊之傳播，已非往昔可比，若仍沿用舊法要渡眾，此當下已經過時了。
現今在螢幕上，即可由宣講者，能將所領悟經驗而傳播大眾，也在於現今之眾生福澤，亦來得比較往昔豐厚的，現今人類眾生皆有機緣入於宗教修持，在對上蒼所訂下「三曹普渡」之原意，亦在於此。
宗教在現今時代中，因資訊擴展，人類眾生只須打開電視頻道，轉至宗教節目，即可觀看現今傳法者，在演說教義傳播，能否真正帶入宗教的教義？是真有其人的，也有的！只是現學現賣者，亦有混水摸魚者之分別性！
此種作為，成事不足敗事有餘，又因自己不學無術，故而所演說之教義，必會迷惑眾生，使原本可在此世中修持歸返，因本身所學之不足，致無法達成歸返目標，現今時代修子，不僅如此，就有諸多掛羊頭賣狗肉之宗教人士！
故に上界より回返せる高眞、方方闡敎、處處開堂、無非 現今衆生 皆回歸の機會あらしむることを要す。又た此段期間 已に漸漸 普渡を脫離して、収円の段階に達至す。現今時代 科技文明、資訊の傳播、已に往昔 比すべからず。若し仍ほ舊法を沿用して衆を渡さんと欲せば、此當下 已に過時せり。
現今 螢幕上に於いて、宣講者 所領悟の經驗を大眾に傳播し得。亦た現今衆生の福澤、往昔より比較的豐厚なり。現今人類衆生 皆機縁 宗教修持に入り得。上蒼の訂下「三曹普渡」の原意、亦た此に在り。
宗教 現今時代中、資訊擴展によりて、人類衆生 唯だ電視頻道を開き、宗教節目に轉じれば、即ち現今傳法者 敎義演說傳播するを觀看し得。眞正 宗教敎義に帶入し得るや？眞 其人あるも、亦たあり！唯だ現學現賣者、亦有混水摸魚者の分別性あり！
此種作爲、成事不足 敗事有餘、又た自己 不學無術なるによりて、演說の敎義 必ず衆生を迷惑す。原本 此世中 修持歸返し得べきを、本身 學ぶ所 不足なるによりて、歸返の目標に達成する能はざらしむ。現今時代修子、此のみに非ず、諸多羊頭を掛けて狗肉を賣るの宗教人士あり！
如此必會誤導眾生，亦在自己遭逢疑惑，而無法開展智慧，因在本身而言：是為、不可為，亦在於往後必遭受下地獄之苦報；所以宗教傳播者，必要時常「上求智慧而下化眾生」，方能帶引眾生回歸，否則欲回歸，真是不得而知？
惑障在於修子或眾生而言，就是時常會遭逢之事，一件事務本身，若不具智慧，更無法了知其原來，即來龍去脈，不但不能增加向心力及信心，亦會因本身不具智慧，往往會迷障自己，即會產生疑惑，如此疑惑即成障礙。
現今修子時常有此問題，若不具智慧就無法開展，在對問題化解，觀看事情之來龍去脈，必無法脫離此種困境，更時常在疑惑中障礙了自己，原來自信滿滿之願力，就會大打折扣，對自己困難化除，也會一直困擾自己。
現今眾生遭逢疑惑不能解開，即在此世無法達成回歸，下一世又來一回，真不知是否會有相同因緣及機會？即在下世或此生下半階段，再重來一次！倘若不具大智慧之時，此一世能有多少時間，再作修持、再作回歸準備！
此の如く 必ず眾生を誤導し、亦た自己 疑惑に遭逢して、智慧を開展する能はず。本身に言ふ：是爲・不可爲、亦た往後必ず下地獄の苦報を遭受す。故に宗教傳播者、必要 時として「上求智慧 下化眾生」して、方に衆生を帶引して回歸せしむ。然らざれば回歸せんと欲するも、實に不得而知なり。
惑障 修子或いは眾生に言ふ、即ち時として遭逢する事なり。一件事務 本身、若し智慧具せずば、更に其の原來 來龍去脈を了知する能はず、向心力及び信心を增加する能はざるのみか、亦た本身 智慧具せざるによりて、往往 自己を迷障し、疑惑を產す。此の如く疑惑 即ち障礙と成る。
現今修子 時として此問題あり。若し智慧具せずば 開展する能はず、問題化解に對して、事情の來龍去脈を觀看して、必ず此種困境を脫離する能はず、更に時として疑惑中 自己を障礙し、原來自信滿滿の願力、大打折扣せられ、自己困難化除に對して、亦た一直 困擾す。
現今衆生 疑惑に遭逢して解かれず、即ち此世 回歸に達成する能はず、下一世 又た一回來たる、眞 相同因緣及び機會あるや否やを知らず！即ち下世或いは此生下半段階、再び一次重來す！倘し大智慧を具せざる時、此一世 幾何の時間ありて、再び修持し、再び回歸準備を作すや！
因此「惑障」正是現今眾生及修子，所遭逢困境之最大障礙，若無法脫離困境，就枉費此一世來人世間一番；所以上蒼此段，真不忍眾生沉淪，是以，諸天仙佛，能藉緣而引緣，無非要讓現今眾生，皆有機會能回歸。
廣成子仙翁
1997年2月14日　丁丑年正月初八日（五）
大道を廣く開き著述して回帰し  今生を成就して帰り得ん
子曰く天地の德澤潤い  仙翁降りて著述し業障墜つ
第廿一回 業障
廣く大道を開き 回歸を著す 子曰く 天地徳澤潤す 今生を成就し 得回せん 仙翁降り 業障（業障）¹¹¹を著し墜つ人類眾生 現今時代に入り得るも、每個人 多或少 皆業障牽纏あり。此世 業障を完清し得るや？必要 自己 今生 作承受なるべし。倘し完清し得ば、下世 再び一回來たるを必とせず。故に業障 人類衆生に隨伴して、每人の一生中に存在す。
有情眾生、皆 業障 如何に來りて形成するかを知らず。業障 來臨する時、自己 又た如何に完清すべきかを知らず。此れ現今 必要先ず了解の一課なり。業因形成、乃ち前世及び累世中 成因を承け、現今 承業報、衆生 「苦中 受報」或いは「福中 受報」より分別す。
福中 受報に論及せば、亦た比較的 快速完成す。倘し再び新業を造らざる時、此世 必ず完清し、下一世 再び一回來たるを必とせず。若し苦難中 受報なる時、反面 作觀察し得、若し感恩心をもて 圖報 業障償清せば、必ず現世 亦た比較的 快速完清す。
若し感恩するを知らず、又た非人道の氣勢を引用して、再び新惡業を造るの時、業因 又た果と成る。即ち一殃未だ平らかならざるに、一殃 又た起り、新舊惡業 兩者合併して、受報 更に困苦なり。故に業障 現今中に完清せんと欲せば、必要 感恩心に懺悔（悔改）³¹心を加へて、清除と完成に來たる、消業 則ち比較的快速なり。
人類眾生都不知業障起於何時？又無法了知該用怎樣方式來消業？自己未能明白，仙佛也無開示，任憑瞎子摸象作受報，必會一殃再造一殃，一果再造一果，因因業業的果果報報，又加諸自己苦磨。
本身因業障牽絆，必是此身最困苦，甚且是最難以忍受，有時可用功德來轉圜，但是有時也難以用功德，所能化解因果業障，必要親自承受相同代價來償還，也因此業障就會阻礙人類眾生及修子一切福報。
眾生因無修，故不能了知如何擺脫業障牽絆，有時受苦受難，又不知如何了脫業障束縛，就會形成一而再、再而三，業因成果報，一次次反覆形成困苦自己；又修子因入宗教，經仙佛開示，就能完成業因果報之了脫。
仙佛若介入，必會使得討報困境來得較少，又因天網恢恢疏而不漏，若討報太過分之時，業因又成果報，也就會變成下一世業因，如此「業因又成果、果又受報」更反反覆覆形成冤孽之束縛，真是無可奈何！
修子在宗教能受仙佛點化，而減少業障束縛，能完清此世業因果報；必在此一世中蒙受天恩加被，在對仙佛聖德加持，就可改變業因化解，可謂之：修子之福，也是眾生之福，正是相輔相成，提昇人類福祉。
人類眾生 皆 業障 何時より起るかを知らず。又た該用 如何なる方式 業を消すべきかを了知する能はず。自己 未だ明白ならず、仙仏 開示もなく、任憑 瞎子摸象として受報す、必ず一殃 又た一殃を造り、一果 又た一果を造り、因因業業の果果報報、又た自己に苦磨を加諸す。
本身 業障牽絆によりて、必ず此身 最も困苦、甚だ且つ最も忍受し難し。時として功德をもて轉圜し得るも、時として亦た功德をもて 因果業障 化解する能はず、必要 親自 相同代價を承受して償還す。此のため業障 人類眾生及び修子 一切福報を阻礙す。
眾生 無修なるによりて、如何に業障牽絆を擺脫すべきかを了知する能はず。時として受苦受難して、又た如何に業障束縛を了脫すべきかを知らず、一而再、再而三 業因 成果報、一次次反覆 困苦自己を形成す。修子 宗教に入りて、仙仏開示を經て、業因果報の了脫を完成し得る。
仙仏 若し介入せば、必ず討報困境 較少ならしむ。又た天網恢恢 疏にして漏れず、若し討報 太過分なれば、業因 又た果報と成り、亦た下一世業因に變ず。此の如く「業因 又た果と成り、果 又た報を受く」更に反反覆覆 冤孽の束縛を形成す、眞に無可奈何なり！
修子 宗教に於いて 仙仏點化を受け、業障束縛を減少し得、此世 業因果報を完清し得る。必ず此一世中 天恩加被を蒙り、仙仏聖德加持に對して、業因化解を改變し得。之を謂ひ得る：修子の福、亦た衆生の福、正に相輔相成、人類福祉を提昇す。
業障：正是每個人在世上皆有，又不知何時到來？更不知如何還清？業因形成果報之來臨，眾生皆在消業中度過此一生，又是每時每刻都在造下世業因，業障完清；在現今眾生必要明明瞭，該如何親自完清業障？
否則能入於此一世，不知能否再入於下世重新做人？業因又成果，果報又成因，一次次反覆無常，將自己投入無明又無知未來中；生是否很無奈？有否智慧了脫今生呢？可入於宗教受仙佛點化，而不再造業殃。
必要有善知識點化，轉變自己業因之形成，斷絕下世業因果報之形成，能替自己預留下世不受業障因果之討報，又該如何先防阻？必看自己能否在現今，行使功德來迴向冤親債主？必可減輕業障業因之討報！
有時對問題就可大事化小，小事化無，在業因完清，必要先一步了脫業因受報的痛苦，否則此一世不能了脫，下世再來一回，縱使能逃脫今生，下世又如何？能不受到業障業因之討報否？不也！又是甚難！
業障：正に每個人 世上に皆有、又た何時 到來するかを知らず。更に如何に還清すべきかを知らず。業因 果報の來臨を形成し、衆生 皆 消業中 此一生を度過し、又た每時每刻 下世業因を造す。業障完清；現今衆生 必要 明瞵す、該如何 親自業障を完清すべきや？
然らざれば此一世に入り得るも、下世 再び入りて人と做すを得るや否や 知るべからず。業因 又た果と成り、果報 又た因と成り、一次次反覆無常、自己を無明又た無知の未來中に投入す。生 是否 甚だ無奈なるや？智慧ありて今生を了脫するや？宗教に入りて仙仏點化を受け、再び業殃を造らざるを得。
文昌梓潼帝君
1997年2月18日　丁丑年正月十二日（二）
文章世を啓き真理を伝え  世道昌盛して正氣了ぬ
梓潼降臨して懿敕堂  帝君著述して知障離る
第廿二回 所知障
文 章 世を啟し 眞理を傳ふ 昌盛 世道 正氣を了す 梓潼 懿敕堂に降臨す 帝君著作す 所知障（所知障）¹¹² 離る有情眾生 宗教の教化に於いて、何が正なるか、何が非なるかを得知す。此の如く是非に對して形成する分別に針對して、修子 明瞵するによりて、如何に本身 應行の事務を行使すべきか、故に修持工夫 能く自己の知る所を明瞵し、該如何自己應行の事務に作爲すべきかを知る！
正に自己 應行・能行の事務、自己 所能了知の事務に在りて、自己を成就す。亦た經常 智慧不足なるによりて、同時 自己 應知と未知の過程を迷障す。必要「善知識」告誡するありて、方に無明障の修整を改變し得。正に人類の必要性なり。
宗教修子 自己の知る所をもて、應行の事物と成し得。又た自己の知る所によりて 本身を迷障す。所知 對與錯の中に在りて、當機立斷する能はず、錯誤の分判を脫離する能はず、自己 能く明瞵する事務に於いて、自認 一切 皆對なり、轉圜し得るや否やを論ぜず！
此種 自認 然りとして、他人を非と認むるの中、往往 此の如くなるによりて自己を迷障す。又た知障中に於いて、了知障礙を形成す。若し一番挫折を經由せずば、自己の看法と作爲を改變する能はず。故に、人類「所知障」は現代修子 最も常遇する障礙なり。
又因處在障礙之中，常常把自己陷入萬劫不復境地，更是現今修子最深切與最嚴重問題，若處於未知，因為是無明，故一切皆未能下定論，也在人云我云之下，可以改換之處，也比較容易的。
正是尚未根深蒂固，欲要來轉圜也比較容易，在有修之修子與無修之眾生而言，因為所知障中迷失了自己，就是修持過程最易犯到之毛病，有修持之修子，因承前人所啟訓，能入於宗教是善德因緣。
但又因前人教導，也難防一切皆無，使得後學者，無法了知：何謂對與錯？所面臨又無法了知一切，也在宗教作教化，若無法能成就於今生，僅在自己又受到前人之訛傳，根本都無法明瞭一切來龍去脈。
又た障礙之中に處して、往往 自己を萬劫不復の境地に陷入す。更に現今修子 最深切と最嚴重の問題なり。若し未知に處するは、無明なるによりて、一切 皆 未だ定論を下す能はず、人云 我云の下に於いて、改換し得る處 比較的容易なり。
正に未だ根深蒂固ならざるによりて、轉圜せんと欲するも 比較的容易なり。有修の修子と無修の眾生に言ふ、所知障中自己を迷失するは、修持過程 最も犯し易き毛病なり。有修持の修子、前人の啟訓を承けて、宗教に入るは善德因縁なり。
然れども又た前人の教導によりて、一切皆無なるを防ぐも難く、後學者 何をか對と錯と謂ふやを了知する能はず。面臨する所 又た一切了知する能はず、亦た宗教 敎化と作して、若し今生に成就する能はざれば、僅に自己 又た前人の訛傳を受け、根本 一切來龍去脈を明瞵する能はず。
所知障：正是現今修子最易犯到之毛病，因自己所知而障礙了自己，也在自己所知之中，又因所知不足以涵蓋一切，但卻以自己所知，而認定一切事務是絕對的，也因此無法容納他人意見。
殊不知，自己所知僅是滄海一粟而已，在對自己認定一切皆對當中，即無法容納他人所提供意見，就形成所知障之最大原因——因為自己所知，而障礙自己，也因自己所知，而否定了他人之意見，此種所知障，正是修子最嚴重的毛病。
能破除所知障，必要有「善知識」的引導，方能將所知障化除，否則在自己所知當中，又因所知不足以涵蓋一切，故而時常遭逢困境，即因所知而受限，即受限而遭困，即遭困而難脫，即難脫而受障，即受障而成障礙——此乃修子所知障最嚴重之連鎖。
所知障：正に現今修子 最も犯し易き毛病なり。自己 知る所によりて自己を障礙し、自己 知る所の中に於いて、又た知る所 一切を涵蓋するに足らざるに、卻って自己 知る所をもて 一切事務は絕對なりと認定す。此のため 他人の意見を容納する能はず。
殊不知、自己 知る所 唯だ滄海一粟たるのみ。自己 認定 一切 皆對當中に對して、即ち他人 提供する意見を容納する能はず、所知障の最大原因を形成す——自己 知る所によりて自己を障礙し、亦た自己 知る所によりて 他人の意見を否定す。
此種所知障、正に修子 最嚴重の毛病なり。
所知障を破除し得るは、必要「善知識」の引導ありて、方に所知障を化除し得。然らざれば自己 知る所當中に於いて、又た知る所 一切を涵蓋するに足らざるによりて、時として困境に遭逢す。即ち知る所によりて受限し、受限によりて遭困し、遭困によりて難脫し、難脫によりて受障し、受障によりて障礙と成る——此れ乃ち修子所知障 最嚴重の連鎖なり。
所知障礙難明瞭 自認一切是正確 他人意見不接受 形成所知成障礙 善知識引導重要 方可破除此關要 不然仍然固執己 甚難了脫此生回能破除所知障，方能在修持路途中，不受自己所知而受限，亦不受他人所知而迷障，如此能廣學多聞，就能化除所知障，而達至智慧開展，也才能在修持中真正成就自己，了脫今生而回歸於大道。
所知障礙 明瞵し難し 自認 一切 正確なり 他人意見 受け入れず 所知 形成して障礙と成る 善知識の引導 重要なり 方に此の關要を破除し得 然らざれば 仍ほ己に固執し 甚だ此生の回歸を了脫し難し自ら知るところの過程において、一路前進してゆき、挫折と横逆に面して初めて過ちに気づく。その時また魄力と勇気なくして自らの修持の方式を変えることができず、ゆえに生涯の修持を埋沒させてしまう。上蒼 これに忍びず、時に仙仏を遣わして教化せしめる。
それ所知障の眾生と修子に改正の機會あらしめんとするに外ならず！ゆえに上蒼の旨意と慈悲 すなわちこれに在り——不會と錯誤とを修整改變せしめ、自ら向上し成長し超越するを提供せんとする。問題に対して化轉解決を得るや、此種の條件 一定ならず！
上蒼の鴻慈 ここに鑑みられる。天 眾生を愍れみ、教えずして誅するに忍びず、必ず真修實行者と無修の眾生とに俱に大道（大道）¹⁰回歸の機會あらしめ、また自らの所知障（所知障）¹⁰⁸の中において、未知の一切を改變せしむ。かくて眾生と修子 回歸を得ること、比較的容易となる。
さもなくば常に、自ら知るところこそ眞の真理なりと認め、一段の時間を經て後、初めて自ら良久の修持を枉費したるを發見し、再び回首すれば恐らく已に百年の身。また眾生 もし豐富なる經驗をもて、自ら永遠に學習の態度を抱持するなば、所知障の中に迷失することなく、又自ら了脫することを得る。
修子 皆時常 外在の影響を受け、我が學習するところこそ真理なりと認む。殊不知、真理の中 前人の誤導を受け、自らの迷障と變ず。又自ら知り得るところ まさに他より多きによりて、比較的殊勝にして較高しとし、甚だしくは已に眾生平等の自性（自性）⁷を脫離し、すなわち分別心あり。
丁丑年太歲　汪文星君
1997年2月25日　丁丑年正月十九日（二）
丁丑太歳星君降りて  崇心道場吉祥を承く
汪文星君天書を著し  劫を了し厄を脱するは自強に靠る
第廿三回 了劫
丁丑の太歲星君 降る 崇心道場 吉祥を承く 汪文星君 天書を著す 了劫（了劫）¹⁰⁹ 脫厄 自彊に靠す眾生 凡塵に居り、前業を承くるにより、自らの劫數と困厄を知り得るや？甚だ難し！又自ら無知にして無明（無明）⁷⁹の過程、何時突如として災劫と困厄の來たるやを知らざる。故に時常 無知にして無明、すなわち先ず避災解厄するあたわず、更にいかんじて劫數を了脫するやを知らざる。現今の眾生 訊息を得知するあたわざるのであります！
了 劫仙仏（仙佛）²⁰の點化に依靠して、方に避災解厄し、災劫の來臨を了脫し得る。もし仙仏の指引を蒙り、避災解厄し得る人、これ有福報の眾生と謂う。福澤 現今の眾生而言、前業を承くるにより、災劫の來臨する時に方に化解し得る。さもなくば往往 災劫 臨頭して、眾生をして不知所措たらしむ。
いかんじて化災解厄を作さんやを知らず、變じて時常 災劫の考磨を受く。もし此の過程 仙仏の點化を受け、提前して預防を作し得ば、方正 現今の眾生の了脫し得る最善の方法。但し時には仙仏 提前點化せざるにあらず、災劫の來臨 正に天機を浪漏すべからざれば、必ず自ら親ら償受すべし。
故に仙仏 慈悲ならざるにはあらず、此れすなわち災劫 必ず其の自ら果報を承受すべきもの。天機 浪漏すべからざれば、又眾生 福澤なくして轉化するあたわざる時、往往 承受する災劫 正に眾生の禁えざる痛苦と折磨。又上蒼或は仙仏 常に惻隱の心をもて、必ず暗中 點化轉移せん。
此種 眾生而言、上蒼或は仙仏の從中幫助了劫化厄するにより、比較的容易に災劫考磨を通過し得る。更に考磨の過程、眾生 時に上蒼仙仏の慈悲に感召せられ、悔改（悔改）³¹の心を生ず。もし誠實に懺悔するなば、萬劫の來因を消し得る。
過往の罪惡に対し、一悔便消。
實に上蒼の鴻慈、仙仏の慈悲の致す所。その過程 すなわち眾生 實際の懺悔あり。又眾生 眞心懺悔して、一悔便ち萬劫の災を消し得るは、自ら實際懺悔して、便ち業（業）¹⁹障の來臨を化解し得る。いかんじて了劫して化災せんや？正に現今の修子或は眾生、俱に通過すべき考程であります。
了 劫いかなる人も免るるあたわず、修あると無修たるとを論ぜず、皆必ず如實に面對すべし。智慧ありて災劫の來臨轉化を通過するや否や。人類眾生 每人 前世の業因を承受し、現今時代に至りて、必ず前業を了脫して、方に今生において完劫し得る。或は此生 災劫を逃過して了るも、又下世 必ず再び來たるべき一回あり。
時には變本加厲して討伐せん。もし現世において了劫を作するなば、下世 亦再び來たるべからず、更に利息を加えて完消を作するを須いず。能く此一世において了結完清災劫するや？必ず一次次に通過し、災劫來臨の痛苦と折磨に対し、通過し得るや否や？一定ならず！
現今の眾生 必ず勇氣ありて、業因災劫の考磨を承擔すべし。もし一次 通過し得ざれば、正に自らの無明と無知の導く所。災劫の形成する原因を明瞭せず、更に經驗なくば、未知又無明の陷阱に投入せん。能く過往の經驗に、實際の悔改及び感恩の態度を加うるや？
必ず快速に業因災劫來臨の考磨を通過し得る。災劫の來臨に対し、眾生 過往の經驗を承受累積し、もし一次 通過し得ざる時、下次 必ず前次の經驗を承け、實心懺悔に感恩心を加えて完消を作し得る。又業因災劫 正に反面の成就、かくて災劫 自然に了脫し得るのであります。
眾生 もし實心懺悔に感恩を加うるなば、往往 業因を改變轉換して業果を完清し得る。もし仙仏の點化に靠らば、業因果報 消改し得べし。かくて眞に上蒼及び仙仏に安慰を感ぜしめん！又現今の修子に対し、自ら我が功果多しと認め、往往自視過高なるは、又いかんぞ？
すなわち「僭高心、虛榮心、我慢心」三心（三心）⁶⁴已に成り、即ち災劫考磨を通過するあたわず、又業因の牽纏を了脫し難し。此種の條件 修持の過程に在りて、自ら種下せし過錯を知らず、卻って自らの在る功德功果より更多し。很多人皆是かくの如き觀念。
宗教の主事及び上位者に針對し、造功の機會 比較的多しと雖も、造過の機會 亦較多し、無修の眾生より較容易たり。上蒼 賢良を選拔するに同時、往往 先前行事を見ず、必ず中間及び最後の作為を觀る。宗教の主事及び上位者、實に造功と造過 俱に最も容易であります。
用心して自らを檢點するや否や？業因 自ら召す時に形成し、上蒼仙仏の考程にあらず。修子 皆考程を言うと雖も、殊不知、考程 往往 修子自らの所作所為の感召する所、業因自召の過程を形成す。又考程を上蒼仙仏の考と比喻するは、上蒼仙仏に徒らに無可奈何を感ぜしむるであります！
了 劫眾生及び修子、俱に考程の來龍去脈を明かならずして考を言い、又上蒼或は仙仏 承擔すべきや否や？否なり！上蒼及び仙仏 言わず又語らず、修子及び眾生の自ら感召するに任す。自ら如何と認むるや否や？正に上蒼及び仙仏の慈悲に対し、能く自ら災劫痛苦折磨を了脫するや否や！
もし自ら轉化するあらば、必ず能力ありて化解し得る。修子の自召或は上蒼の考程に対し、ただ心を靜かにせば、即ち一切事務の來能去脈を觀看し得る。かくて跡の循すべきあり。故に了劫、必ず經驗と悔改に感恩を加えて反面成就を作し、往往 正面成就より更高超なり。
修子及び人類眾生に対し、すなわち了劫の中において、自らを完清し、自らを了脫して、初めて眞に修子と眾生の提昇超越を成就し得る。天下の眾生及び修子 俱に災劫を通過して了脫し、眞に上天の棟才となり、回歸超越せんことを寄望す！祝賀す！祝賀す！
了劫 消業 これ化災なり 方に能く前の惡孽を改變す 惡業を消除し 災劫を了す 刻骨銘心の苦磨なり今夜 懿敕道場崇心堂に降臨して諸賢生に賜福す。太歲禮斗安奉及び呈疏善信に対し、每月初一及び十五日 皆之を行うべし。但し七月を超うべからず、皆代りて化災解厄し得る。又太歲を犯す者は吾 自ら之を化す。今日結緣 諸賢生に勞す。
崇心道場 丁丑年より更に宏展し、更に眾生を廣渡せんことを願う。
必ず眾生 自ら親ら來たるべし 誠心懺悔して 福運開く 惡罪 消逝して 自然に解す 再び惡果の結ぶを造らず
今宵懿敕道場崇心堂に降臨し、諸賢生に福を賜る。太歳禮斗安奉および疏呈の善信に対しては、毎月一日および十五日に行うことができる。ただし七月を超えてはならない。災厄を代わって化すことができ、太歳に犯される者は吾自ら之を化す。本日結縁に労を謝し、崇心道場を祝し、丁丑年よりさらに宏展し、さらに広く衆生を済度せんと。
太上道祖　道徳天尊
1997年2月28日　丁丑年正月廿二日（五）
太上道祖天より降りて  道德おのずと真心の航たり
天尊降臨して懿敕堂  起心動念の章を著述す
第廿四回 起心動念
太上道祖 天より降る 道德 自ら眞心の航となす 天尊 懿敕堂に降臨す 起心動念（起心動念）¹¹⁰の章を著作す人類眾生 人世間に在りて、萬事と萬物の起頭あり。又一切の作為に対し、人類 思考の本領あるにより、自ら以爲應如何行持すべしと認む。自らの本意に符合せんには、必ず自ら思考空間を有し、亦自ら行持の目標方向ありて、未來の不同なる結局を形成するのであります。
起 心此種の方向、必ず往昔の經驗あらざるべからず、初めて自ら應行何事、又何の外緣を攀ぶやを促成し得る。又人生の源頭に在りて、人類 思考の本領あるによりて、每人の作為するところによりて、一切の萬緣の起頭を形成し得る。此種 すなわち人類生存の根本、正に每人之有する所。
人の初念、まさに心頭の前に起る。故に人間に在りて一切の緣頭（起）を行持し得る。人間の萬緣あるによりて、初めて萬物、萬事の準則を成就し得る。人類 起心動念に在りて、一切の萬物の起頭を含包し、緣動において行持して一切の好壞に對し、すなわち起心動念よりこれを成就す。
善德の因緣なるか？惡殃の因緣なるか？必ず自ら往昔の經驗に在り、應行と該行の因緣起頭を累積す。人類の起心動念、正に一切の萬緣の開端。萬緣の開端に在りて、人の作為によりて好壞及び善惡を改變す。此種の人為の因素、皆人の所作所為の抉擇する所。
人類の因緣の起頭 明瞭すべしとすれば、改變の思想空間を要す。人間の萬緣の中、宗教の修持を經由して、本來の不良惡殃の因緣を善德、良好の因緣に改變す。亦人類の起心動念に在りて、正に一切の因緣（源）の開端に対し、亦「含因（含因）⁶³起動」と謂う。
起心：未萌芽の前に在りては、僅に個人內心の思考のみ。經由して動念すれぱ：亦僅に自己分內の事のみにして、未だ何ら因緣の起頭を形成せず。未來の行為に対し、人世間に在りて思考過程あるにより、好壞を論ぜず俱に往昔の經驗を受け、自らの作為に影響す。
起心動念皆起心よりすなわち明白にして、動念 會に內心深處に在り、未だ向外發展せず。一切の因緣 ただ自己分內の事のみ。倘向外發展の後、更に因緣結合す。因緣結合を通過し得ば、必ず果報を成す。善德或は惡殃、皆人類の思考に作為を加うるを通過して、方に達成し得る。
古云く：「菩薩は因を畏れ、眾生は果を畏る」、すなわち起心動念の中において、人世間の因果（因果）⁵果報を斷除し、これをして果報の自らを殘害するを形成せしめず、更に善德の果實を萌芽發展せしむ。善因、善緣 すなわちこれより開展す。人の起心動念、すなわち自己分內の事。
人類 往往 他人の起心動念を明瞭するあたわず。但し人類の思考空間に在りて、又電波念力 自らの周遭を擴展す。電波念力の形成する所、原因を觀ずるを須いず、色澤より善德或は惡殃、好壞の分別性を明白にし得る。人生の世に在りて、起心動念 最も重要なるを形成す。
人類 世上に在りて一切の事務を完成するには、必ず起心動念によりて、初めて一切事務の開展あり。さもなくば起心動念なくば、又何ぞ萬事萬物の發展を成就し得ん？否なり！人 思考あるにより、人世間において眾生の福澤を造就し得るも、亦眾生の福澤を破壞し得る。兩者 極大の差異を形成す。
人の起心動念の中、もし先ず不良の種子因（種子因）¹²⁵を斷除するなば、すなわち惡殃の來磨を受けず。人類眾生 能く明白するや？甚だ難し！亦人の起心動念の中、すなわち一切の萬物因緣造化を成就す。行為より不良種子因の念頭を化除し得るなば、多くの因果業障を減少し得る！
すなわち光明ありて人世間に一回を走り得、更に人世間に在りて自らの成就を突顯し得る。然りや否や？又人類の起心動念、もし種子因の思考を經由して改變するあたわずば、自ら及び眾生を成就せんと欲するも、實に不可能なり！又人類の起心動念、正に一切の事物を開く所以。
宗教修子：もし起心動念の改造を經由するあたわずば、此一世の修持過程を完成せんと欲するも、亦現今に成就するあたわず。修子本身、種子因を轉化する具備や否や、思考空間あり。必ず今生を成就し得る。さもなくば下世 又來たる一回、此種の因緣機會を具するや否やを知らず！
起心動念 人人有す 心念を起了し 意に入る 起心の後 とて動念す 意識を引動し 前緣を明かす 因果の造就する所を明識す識種 儲藏す 必要修すべし 色聲香味觸の五塵 六識の種因 變化連なり人生 今世に在りて、思考空間に対し、正に現世に成就す。必ず一切の緣頭開端を觀て、すなわち一切事務の結果を明白にし得る。人 自らを改進し又眾生を成就し得るは、正に起心動念の中より、善德の因緣を提昇して成就するにあり、すなわちすべての行為の結果を了知し得るのであります。
心念起こりて意に入り  識種の儲藏は必ず修めるべし
心起こしたる後に念動く  色声香味触の五塵
意識を引き動かし前緣を明らかにす  六識の種因変化連なる
人生は現世に於いて、思考の空間に向き合うことこそ現世での成就である。一切の因縁の始まりを観れば、すべての物事の結末を理解できる。人は自らを改めるとともに衆生をも成就できるが、それは起心動念の中から、善徳の因縁を高めることによって成就し、すべての行為の結果を知ることができるのである。
無極大道院院尊　霊宝天尊
1997年3月4日　丁丑年正月廿六日（二）
無極大道院尊に任じ  霊宝天尊德廣く存す
懿敕道場三曹を普く  降臨著述して超性純たり
第廿五回 超性
無極大道 院尊に任ず 懿敕道場 三曹を普す 靈寶天尊 徳廣く存す 降臨して 超性（超性）¹¹¹ 純を著作す眾生 世に在りて、自ら善因緣ありて道場に入り修持す。現今而言：これ上蒼の鴻慈と謂い、亦是現今眾生の善德具足、亦是自ら善德因緣を有せんと欲して、宗教の修持に入る。善因の驅使する所と謂い、初めて機會ありて修持の條件を具足す。正に善德因緣の具足する所。
古云く：「師父 門に引進す、修行 個人に在り」、此世において自らの超越を作為するや否や、すなわち必ず自らの心性を提昇するを要す。又本身 提昇を欲するに対し、さもなくば仙仏の提攜に任憑するも、「超性」の本質を達成するあたわず。又眾生の具得る本質、正に如如不動の自性（自性）⁷。
外在の考磨及び鍛鍊を經由せず、更に眞正の修持を加うるにあらざれば、超性の目標に達するあたわず。故に現今時代の眾生、自らの心性を超越すること 最も重要なり。往昔の修持、現今と相提並論するあたわず。又往昔 現今の福報なく、亦何ら明師の指引すべきなし。
必ず自ら靠りて摸索し、初めて自心を引きて自性の超越に達す。又現今の眾生 修持 最も福報を具す。往昔 すなわち相同じき現今の福報を具足するあたわず。故に現今の眾生 福報具足する者、福報の具足するにより、外界の花花世界に諸多の稱師作祖する者あり、現今の眾生に相當の迷濛を與う。
又那れの師か、眞の明師と名師たるやを知らず。經常 眾生をして邊際の摸著らざる苦に遭わしめ、眾生に依循の指標あらしめず。古云く「老王瓜を賣り、自ら誇む」の作用、每位 皆言く：眞天命、眞道盤、眞明師と。必ずしも眾生を引いて眞正の修持段階に入らしめず。
必ず人類の自性を超越して、方正 眞に下世の輪廻（輪迴）²¹を造さず。然るに眾生 依循するあたわず、又每位 皆言く：眞明師（眞不知）の中に、眾生に依循あらしめ得るや？甚だ明白し難し！殊不知、眞に回歸し得るは、言語を用いず、亦外在の何ら顯化に靠らず。
又外在の一切、皆眞に人類眾生をして自我の本性を超越せしむるあたわず。此種の功用 はたして眞の回歸なるか、それとも偽の回歸なるか？試みに思えばすなわち明白なり！眾生 皆上蒼の疼愛する所、自ら作て自性を超越するや否や？仙仏及び他人に問うを須いず、すなわち自らの作為を明白にし得る。
超 性自我の習性を超越すること、正に現今の眾生 外假せざる功課。顯化の過程に在りて、もし眾生に教導せず——自ら自性の仏體を彰顯し、自ら本性を超越せしめば、人類眾生をして眞に大道（大道）¹⁰に回歸せしめ得るや？又此の天地間のいかなる仙仏、那れか自然而然の大道の中に回歸せざるは！
すなわち自我の超越、更に現今の眾生 必ず了悟すべき功課。さもなくば僅に顯化に靠りて眞理の依循なくば、又外在の一切、眾生をして顯化の中に迷失せしめ、眞に自性を提引するあたわず。かく而言く、仙仏 眾生を成就するか、還は眾生 眾生をして仙仏たらしめるか！
すなわち天地間の一切の作為、皆自然而然の大道の中に在りて、初めて天地宇宙と合一し得る。すなわち自性の彰顯、亦是自性を超越して達成する所。故に「三曹普渡（三曹普渡）¹¹⁴」の道理、及び整體の過程 亦是かくの如し。仙仏老師の眾生に教導する所、必ず「陰陽兩利」なり。
三曹普渡化の過程、もし自ら用功なく、又自ら超越するあたわざれば、一而再、再而三、三次の後、すなわち重新て輪廻に打入して交替せん。現今 三曹普渡化の過程、端しく眾生の所作所為によりて決定す。すなわち眞に自らより自性の提昇を超越する。
保薦（提昇入學）より祖先を超拔する中より、修行學習の最佳なる道場環境たる一處を有し得る。此種の因緣條件、正に後代子孫の孝道（孝道）³⁶ 劬勞を感念し、報恩の善心に依靠する。倘祖先親人 自ら努力せずば、一段時間の後、他人 已に成就して、自ら尚ほ輪廻の中に在り。
此種 すなわち上蒼 慈ならざるにあらず、自己の努力せざる關なり。此期に対し、修持 必ず自ら靠り、全く後代子孫の功德迴向に靠るにあらず。應當 自らの超越を提昇し、初めて後代子孫の功德成全のみを受くるにあらず、功果の多寡を以て論定せざる。かくて方正 眾生平等の教化。
超 性懿敕崇心堂 皇母（皇母）²³の懿旨を承奉し、三曹普渡の聖務を開辦する中、上蒼 諸賢生の大公無私の心懷と作為を感念し、故に上蒼より特別に懿命して「無極大道院」の教化課程となす。亡靈親人を廣渡して回歸超越せしめ、提昇入學就讀の過程より、又いかんすべきや？
必ず祖先親人の亡靈、自ら努力して成就の依據を作すべし。未來において自らを成就し及び眾生を成就し得、すなわち全部後代子孫の功德の多寡に依靠して定論するを須いず。此種 すなわち自らを超越して大道に回歸し得、亦自ら及び有情眾生を成就し、方正 眞に成就回歸。
超越性 明 白 容易ならず 修持 還お大精進を要す 性體 儲藏し 識中に入る 其の內に入らずして 超性を言う 並びに信仰 解機すべしにあらず 方法對せずば 契に入り難し 真如（真如）⁶¹仏性（佛性）¹¹ 其の中に在り ただ之を門外種と謂うべし冀望す！崇心 戮力同心して聖命を完成し、吾 願はくは特助崇心道場のすべての作為、亦「無極大道院」の修持の原霊（原靈）²⁶ 俱に成就回歸せん。語重長く、眾生 俱に實質の回歸を明白にせんことを期望す。すなわち教導より眾生 陰陽兩利、自らを成就し、自らの本來を彰顯せしめん。
修持にはなお大精進を要し  方法適わんば契入難し
性體は八識の中に儲藏され  真如仏性その中に在り
その内に入らずして超性を言うは  只だ門外の種と謂うのみ
冀望す！崇心戮力同心して聖命を完成せよ。吾は崇心道場のすべての所為を特助せんと。また無極大道院にて修持する原霊も皆成就して回帰できることを。言葉重く心長し、衆生が皆実質的回帰を理解できるよう、導きによって衆生が陰陽両利を成し、己を成就し、己の本来を彰顯せんことを望む。
南屏道済古仏
1997年3月7日　丁丑年正月廿九日（五 )
南屏大道生霊を護り  道は人生を濟く、和を以て拠り所とす
古佛提引して塵を轉化し  著述して浄霊に実性を伝う
第廿六回 浄霊
南屏大道 生靈を護す 古佛 提引し 塵を轉化す 道濟 人生 和を憑とす 淨霊（淨靈）¹¹²を著作し 實性を傳う理障 事障の因を形成し 考程 相逢して 礙障近し 知障（知障） 化除して 了劫（了劫）¹⁰⁹ 盡く 淨霊 轉化して 垢識清し 自縛 己身にして 魔難臨む 惑障 迷濛して 業（業）¹⁹障侵す 起心動念（起心動念）¹¹⁰ 超性（超性）¹¹¹ 明らかなり 三曹普渡（三曹普渡）¹¹⁴ 原霊（原靈）²⁶を救う古昔の修子 皇母（皇母）²³の懿旨を傳承し、同時に又自らの本霊をもて、上蒼の眞霊と合而為一ならんとす。又一切の作為、皆自らより完成し、修持の過程において上蒼の肯定を得ば、すなわち種種の考驗を通過して、方「自我獨化」の超越段階に達し得る。
亦自ら本霊を提昇し、天地と合而為一たり得て、初めて自ら提昇す。外力に依靠して成就するにあらず、實に自ら自らを渡す。仙仏の渡化に依靠するにあらず。古云く：「自性自渡、仏不能渡」道理 ここに在り。人類 いかんじて提昇すべきや？正に自ら靠る！
人 世上に修持するなば、すなわち自我の本來を提昇し得、亦自ら轉化するに在りて、方輪廻（輪迴）²¹に墜せず。さもなくば自ら轉化するあたわず、外在の仙仏渡化に依靠するは、長遠に自らを成就するあたわず。人類 自然にして然らしむる本需、上蒼 眾生を皆平等と視るに在りて、亦是眾生を平等とす。
すなわち上蒼 眾生を引渡する 天命たるを得、亦天命の中に在りて、眾生の願力の高低と作為、必ず未來の成就に影響す。あるひは眞に自らを成就し眾生を廣渡するあり、あるひは羊頭を掛け狗肉を賣る、ただ充數するのみ。かくの如き作為、眾生を廣渡し得るや？實に不可能と謂うべし！
あるひは自ら自らを引渡し、更に周遭の人々をして大道（大道）¹⁰に回歸せしめ得る。かくて一人成就すれば、眾人 俱に成就す。必ず自ら提昇するに在りて、亦廣大の眾生を成就し得る。又此種の條件 すなわち成就あるべく、正に自ら學習成長し、提昇超越し得る。
淨 霊淨霊は每位の修持人 必ず通過すべき課程。亦自ら本霊を清淨し得るや否や、原來の心性と本霊を改變するに在り——すなわち改變より、自らを成就し、如如不動の「如来蔵（如來藏）⁷¹」の真如（真如）⁶¹自性に達す。人類 本霊を淨化し、自我超越を提昇し、自性を超越し得るや？
すなわち「如来蔵」本身の初始。亦自我の如来蔵——すなわち眞如仏性。又每位の眾生 俱に仏性（佛性）¹¹平等を具し、更に天命の大小の導致する所にあらず、すなわち仙仏の引渡に依靠するを須いず。正に自我の本霊 淨化し得るや否や？
自性の淨化、すなわち自己本來の分內の事。
必ず自我の如来蔵を提昇すべし。修持者 自性を提引して自らを成就するにより、此種 本霊 すなわち外在の牽絆を受くべからず、眞に大道の中に回歸し得る。眾生 此一世において本霊を彰顯し得るや？すなわち自性を淨化して如如不動の如来蔵——すなわち眞如仏性に達す。
自我の本霊を引發提昇し、淨化の過程に在りて、必ず眞に自我の本霊を淨化超越すべし。すなわち第八識——阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸の垢穢を全部清除し、亦第八識の中 不良の垢識（垢識）¹¹³を排除して、初めて第九識——菴摩羅識（菴摩羅識）⁵¹に入る。正に自己本來の具足する所、外来の引渡に靠るにあらず。
人類眾生 自ら靠らんと欲するや、それとも仙仏の引渡に依靠するや？すなわち「自性自渡、仏不能渡」の本意を明白にし得る、ここに在り。仙仏 慈ならずして渡さざるにあらず、正に自己分內の本質、原來 已に具足する所。又外面の加入する物質、合宜なるや否や？すなわち明白なり！
又淨霊の過程に対し、もし第八意識內の垢識を清除するあたわずば、自性（自性）⁷、仏性、本霊を彰顯せんと欲するも、不可能と謂うべし！垢識の中に在りて、一切の外在因緣和合、すなわち拖累し及び自らの修持過程に影響し、亦原來の淨化經驗を大打折扣せん。
故に多くの眾生あり、原本 輕易に過關し得る人、經常 淨化經驗の中に於て、自らの原來を提昇するあたわず。淨化經驗亦是自我本質の提昇、必ず自ら提昇し得るや否やを觀るべし。すなわちこれより明白なり——人生修持の過程、每一階段皆是十分重要！
每一の過程 皆是經驗の累積。本霊を淨化して、初めて天地と合而為一たり、回歸 希望あり。さもなくば回歸せんと欲するも、本霊 淨化せずば、すなわち垢識の污穢 第八意識に沾滿する中に在りて、亦提昇するあたわず——自己の深重なる垢穢意識の污染する所、又いかんぞ淨化清除し得ん？太だ難し！
淨霊 轉化して 垢識清し 陰陽 俱に淨化を作すべし 自性自渡 仏も渡し難し 自性を提昇して 來り超越す 有情眾生 修持行ず思想を改造し 業因を消す 本霊清淨 幫助すべし 未來の大道途を成就す本霊の淨化 此一世 應行の最も重要なる功課たり。本霊を淨化し得ば すなわち天地と合而為一たり、回歸 即ち望あり。
天下の眞修實行の修子たち 俱に回歸せんことを冀望す！祝賀す！
一つ一つのプロセスはすべて経験の積み重ねであり、本霊を浄化してこそ天地と一つになることができ、回帰に希望が持てる。さもなければ回帰を望んでも、本霊を浄化せず、垢識汚穢にまみれた第八意識の中にあっては、高めることもできない。自ら深重なる垢穢の意識に汚され、いかにして浄化清除ができようか。あまりにも難しい。
理障形成して事障の因  己の身を縛りて魔難臨む
考程相逢いて礙障近く  惑障迷濛にして業障侵す
知障化して了劫盡き  起心動念に超性明らぐ
浄靈転化して垢識清く  三曹普渡して原霊を救う
本霊を浄化す：これは今世に行うべき最も重要な修行。本霊を浄化できれば天地と一つになれ、回帰に希望が持てる。天下の真に修め実践する修子たちに望む！皆回帰できますよう！祝賀す。
大道シリーズ第三冊目次
14. 理障  15. 事障  16. 自縛  17. 魔難  18. 考程
19. 礙障  20. 惑障  21. 業障  22. 知障  23. 了劫
24. 起心動念  25. 超性  26. 淨靈  27. 垢識
28. 三曹普渡  これは主著の仙佛・済佛恩師が大道シリーズに蕴藏した主題。皆様の参考まで。
三清教主　元始天尊
1997年3月11日　丁丑年二月初三日（二）
元本無極より凡に降り来たり  始に大地を始めて衆慈愛を開く
天徳は私なく己の為を任し  尊降りて著述して垢識を汰ぐ
第廿七回 垢識
元本 無極より 凡に降り來たる 天徳（德）¹⁸ 私なく 己が為に任す 始めて大地 眾の慈愛を開く 尊 降りて 垢識（垢識）¹¹³の汰を著作す眾生 自らの心性の中に在りて、前導の六意識あるにより、人世間の種種一切を成就せんと欲するは、皆自らより行使と活動す。故に前六識の作為する所、今世の因緣和合に対し、人世間の一切 皆是眾生本身の承受する所、又本身の行使する所。
垢 識一則、前世の業（業）¹⁹因を承受して今生を成就し、一則、又現今世の作為 下世の資糧と含因（含因）⁶³となる。すなわち本身 前世の不良習氣を承けて今生に入る。もし今世において改變するあらば、必ず下世 乾淨なる作為をもて轉化し得て、初めて第八意識に入りて垢識を清除し得る。
眾生 第八意識の中 不良の垢識を清除し得るや否や、最も重要なる一環たり！又修持するや否やを論ぜず、每人 俱に前業を承けて輪廻（輪迴）²¹に入り、今世あり。此世において、もし第八意識の垢穢を清除するあたわずば、修持 多麼高深多麼良好なりと、僅に下世再輪廻の種子因（種子因）¹²⁵のみ！
又第八意識において清除の準備を作すは、「阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸」より不良垢識の含因を清除する。垢識 甚だ今世に成就し難く、反って道修持の絆腳石を阻進す。本身の不良垢識の引誘に經得起るや否や、すなわち自ら垢識の重因を改變し得るや否やによる！
眾生 皆自らの理障及び所知障（所知障）¹⁰⁸によりて、亦自らを障礙す。此二種の障凝、正に現今の修子 最も突破し難き困難點。倘理障と所知障 棄除するあたわずば、今生 無上菩提を成就せんと欲するも不可能。理障の中に於いて經常 自らを障礙し、又所知障 自らの成就の機會を阻礙す。
人類眾生 往往 積非して是を成し、皆自らの學する所 最も殊勝なりと認む。又是：眞天命、最高、最大、最優秀とて、かくて已に自性（自性）⁷平等の規範を脫離す。又眾生の理障及び所知障の中、經常 自らを萬劫不復の境界に陷入せしむ。
垢 識此一世において脫離し得るや？すなわち心態 能力ありて八識田中の垢識を化除するや否やを見よ！正に理障及び所知障の本來となり、亦無明（無明）⁷⁹の初因に在り、修持眾生に対し 往往 積非成是するにより。かくて第八識 已に生根發芽し、棄除するあたわずば、又いかんぞ？
すなわち今世において輪廻の束縛を超脫するあたわず。第八意識の垢識に因りて、實に「意識」と言うべからず、ただ第八識——阿頼耶識と說くべし。又已に動搖するあたわず。往往 諸多の修持眾生あり、常に第八垢識 清除するあたわず、輪廻を受けて再來一次の考磨に遭う。
現今の眾生 萬教齊發の科技時代に處し、電傳視訊 廣泛に開展し、又每位の傳道者 皆言く：自らこそ眞に渡化功德する者と。眾生 皆平等、仏性 皆平等なるを明かならず。かくの過程、必ず時常 外界傳導者の影響を受く。
すなわち成就の機會を耽誤す。必ず自ら能力ありて第八意識の垢識を清除するや否やを見るべし。時常 永遠の學習態度を保持するなば、すなわち自ら八識の固化を受くべからず。此種の固化せる垢識、人間修持の過程において轉化し得るや？自らの抉擇を觀て定奪すべし！
人 皆學習の過程あり。每位 出生以後より、老死して蓋棺論定に至るまで、每時刻 學習の過程に在り、無時無刻 學習せずはなし。修持者 尤もかくの如し。往昔の前人の教導規範、時常 時、地、環境、治理の條件によりて、後來の修持者を規範す。
いかんじて作すべきや？いかんじて學習成長すべきや？殊不知、每位 成就の根基因緣 皆相同ならず、成就の方式 相提並論するあたわず。因緣 前人の指導を承受して今世を修持するに、前人 已に成就するにより、自ら一步一步 學習して、必ず成就し得るや？一定ならず！
縱觀す 天地の間 聖神仙仏、每位 成就の方式 皆相同ならざるも、一個 始終不變の法則あり——應に眾生平等なるべし！
此種の不變法則を成就の中に應用するなば、亦不同の方式 不同の道程を成就し、更に眾生平等と仏性平等の作為たり。
眾生の仏性：ただ一體兩面のみ。本身の第八意識において、不良垢識を清除し得るや？皆自らの努力の方向、及び用功するや否やによる！人世間の修持、起心動念（起心動念）¹¹⁰、每個の環境 皆相同ならず、成就の道程 相似するや否やを明白にし得る！
垢 識垢識：すなわち現今の眾生 明白すべき主要なる功課。倘第八意識の垢識を棄除するなば、正に成就の第一課たり。假し永久に起心動念の中に保持するあたわずば、もし自ら良好なる含因を成就するも、即ち外在の種種考磨の引誘に遭い、又障礙に入らん。
自らの主人たるを願うや、それとも垢識に左右さるるや？すなわちこれより觀るべし。人生 前業を承けて今生あり、此一世において作為し、過去世の種種を了斷し得るや？又人世間は「生命改造（生命改造）¹²⁷」界、此生 すなわち累世の業因を清除し、必ず今生において自らを成就す。
垢識 蘊藏す 含因の種 因に遇して緣を成し 善惡の果 污穢 轉じ難し 垢識清し 報應を承受して 又奈何ぞ 因緣果報 來り相逢す 未來の報償 福禍同じく 因果（因果）⁵ 必ず降り來り臨む ただ不良の垢種因の爲に倘し！人生 生命改造を經過せざる時、再び下一世の機會ありて修持するや？眞に得知するあたわず！人世間の垢識、すなわち第八意識（阿頼耶識）の儲藏する所。もし第九識——真如（真如）⁶¹仏性を通過せずば、現世に成就せんと欲するは、無稽之談と謂い、亦自らを超脫するあたわず、此世の業障を了脫して、今生の回歸乘越を成就するあたわず。
汚穢は転じ難く垢識清むることなく  因果必ず降り来臨す
報応を受けて又いかんともせず  只だ不良の垢種因の為なり
倘若し！人生に生命改造を経ずして、次の世に再び修持する機会を得られるであろうか。真に知る由もない。人世間の垢識は、第八意識（阿賴耶識）に儲藏される。第九識、すなわち真如仏性を通らなければ、現世に成就することは、荒唐無稽の談であり、自らを超脱し、この世の業障を了脱して、今生の回帰乗越を成就することはできないのである。
東华帝君
1997年3月14日　丁丑年二月初六日（五）
東天の德澤大千に遍く  華冑大地德無辺なり
帝心巍峨にして真理を伝え  君著して三曹普渡を顕す
第廿八回 三曹普渡
東天の徳（德）¹⁸澤 大千に遍し 華胄 大地 徳 邊なし 帝心 巍峨 眞理を傳う 君 著す 三曹普渡（三曹普渡）¹¹⁴ 顯す天地の眾生 現今時代に在りて、宗教に入るを善德因緣と謂い、又本身 眞正の修持境界あるによりて、必ず眾生 自らを超越し、自らより自らを渡化す。さもなくば僅に後代子孫と他人の拔渡に依靠するなば、長遠に實證成就超越し得るや、不可能と謂う。
三曹普渡眾生 正に「自性自渡、仏不能渡」。倘僅に他人の拔渡に靠らば、他人及び後代 永に退志せざるや否や？此種 僅に他人の拔渡に依靠する者、他人及び後代 永に善道の修持の中に在るや否やによりて、拔渡を受けし者 即ち長く福報を享けて渡を受く。
倘拔渡者 異心を生じて善道の修持を脫離する時、拔渡を受けし者 即ち天界に在りとも凡塵に下貶せん。此重 すなわち拔渡者の福蔭を受け、超拔せられし者、長く福報を享け超拔を受け得るや？必ず超拔者の所作所為を見て渡を受く。此種已に「自性自渡」の法則を脫離す——他人及び後代の超拔を受くる、正に長遠に保存するあたわず。現今 上天 鴻慈を廣開し、眾生を廣渡す。もし他人或は後代子孫の拔渡を受くる時、自ら行功立德の機會 甚だ難く、自ら超越するを得。故に必ず自らのために再び行功立德し、すなわち眾生を廣渡すべし。
此種の條件：すなわち他人或は後代子孫の拔渡に影響されず、更に自ら自らを成就し、自ら自らを引渡し、他人或は後代子孫の拔渡に左右されず、更に他人或は後代子孫の功德の多寡に受くることなく、即ち自ら自らを成就し、自ら自らを引渡す。
又一切の作為に対し、すなわち自らの行う所に在りて、行う範圍の內に自らを成就し得る。此種 すなわち「自性自渡」より成全す。ただ他人或は後代子孫の功果の多寡に依靠して評定するにあらず。本身の能く行う所、應行の事務において印證し得る。
三曹普渡此重の引渡、方正 現今の修子 了知すべき一切。若本身 功果稀少或は不足なる時、すなわち必ず他人或は後代子孫の拔渡に依靠す、僅に緣を引くのみ。本身の條件 已に善德因緣を具し、ただ因緣和合を待ちて、功果拔渡を成就す。
有縁の眾生、善德因緣を受け、信仰の和合によりて初めて成就あり。現今 萬教齊發、宗教の顯化の中に在りて、眞に此種の善德因緣に入る者、稀なり！大都 自らの意識形態 高漲の下、自我意識主義の排斥する所として、善德因緣を摒棄す。
此種の條件：眞に仙仏（仙佛）²⁰に同感哀嘆せしむ！同感悲傷せしむ！更甚者 又口業（口業）⁸⁰の毀謗を造す。殊不知天心慈仁！天徳恩廣！時遷かれば法も亦遷か、天命を承く者 必ず天の聖命を行す。かくの毀害、すなわち眞の善德因緣を、自我の型態意識の外に摒棄せしむ。
過往の先人 いかんぞ幻化するや？いかんぞ顯現するや？いかんぞ夢示するや？又いかんぞ哀叫するや？を論ぜず、亦善德因緣を得るあたわず、潛修の位階に入るあたわず。すなわち過往の先人、根本的に提昇の機會を得るあたわず。現今の眾生 眞に善德因緣に於いて行持する者、稀なり！
三曹普渡の過程、すなわち現今の眾生の過往祖先親人、皆善德因緣ある者、第三空間の生存條件の中に在りて、眞に行持し、自ら選擇せんとする一條の修持大道（大道）¹⁰を提昇する。現今の眾生 此種の善德因緣を具足するや？必ず自らの作為及び信仰による！
時に必ず自らの心態を觀て定むべし、初めて善德因緣の結合を具し、過往祖先親人をして「三曹普渡」に入りて自ら修持する機會あらしめ、亦自ら提昇を成就せしむ。これ「提昇入學就讀」と稱す。殊勝の機會、正に人世間 甚だ稀少なる。
過往の「亡靈親人」、此種の機會ありて「提昇入學」に入り、潛修の位階を有するは、正に過往祖先親人を成就し、「三曹普渡」の第一段階に入る。必ず上天仙仏の考核を經て、潛修に入り通過するや否や、尚ほ知るべからず！
もし仙仏老師の慈允を通過するなば、往後の課程、遠く現世の大學教育と學習過程より嚴苛なり。教育と學習の中に於いて、上蒼の頒布する每段階の要求に達すべし。而且每尊の仙仏の降臨、教導する課程 俱に同じからず。
三曹普渡甚だしきは！每日 不同の功課に面對すべし、必ず認眞に學習す。怠惰或は稍も用功せざれば、進度に跟上するあたわず。又自我鞭策、自我勉勵、及び同儕の學習の中に於いて、必ず互相學習、互相鼓勵、相互教導す。かくて比較的實質の精進效果あらん。
三曹普渡の過程、必ず日日學習、日日進步す。原來 冥府に沉淪せる祖先親人、先前 自ら往後いかんとならんやを知らず、又未來の去處を得知するあたわず。僅に苦難折磨を受くる、一切 了知するあたわず、甚だ無可奈何！
然れども、一切 僅に「陽世親人」の功德迴向を寄望し、早日苦境を脫離せん。懵懵懂懂より、又未來の前途を了知するあたわず。此種の迷茫、必ず數年の改造を經ての後、正道の使命者を選擇して、初めて脫胎換骨して「代天宣化」の代言者となり得る。
三曹普渡：教化學習の過程、その嚴苛なる考驗及び課程、普通の凡人の理解する所にあらず。此種の教化課程、每位の仙仏 教導する所 俱に同じからず。每位の仙仏 不同の成就殊勝の過程あり、自ら努力する多少、用功する多少、成就 すなわち多少！
此重の條件：他人或は後代子孫の拔渡の影響を受けず。他人及び後代子孫の拔渡し得る、僅に先前 報名上課するのみ。
本身 努力せざれば、亦自ら怠惰によりて影響を受け、除籍せられ又輪廻の轉換を受けん、それは無可奈何！
一世世 反覆輪廻し、又苦難に磨身せらる。善德因緣ありて修持の靈修院學士に入る者、俱にこの點を明白にし、必ず更に努力勤奮用功し、早日 仙仏の教導する所有の課程を盡く學習完成せんことを期盼し、更に得之易からざる善德因緣を珍惜す。
三曹普渡惟だ錯失して輪廻の苦楚に遭わんことを恐れ、更に自ら了悟參透する過程に在りて、左右同儕に互相教導し、相互切磋、相互鼓勵學習す。すなわち每位の院修學士、俱に上蒼の要求する標準に符合し、學習の中に往後「代天宣化」の資糧源を建立し得る。
上蒼の頒訂せる條綱圭臬に達し、往後 成仙、成仏、成聖、成神の依據となす。必ず上蒼の考核を通過して結業す。再び玉帝の旨令を侯し、各天或は各地に派至して職貴を行使し、及び「無極理天（無極理天）¹²⁸」に回歸して更に留學精進するや否やの分別性あり！
總じて、本身 成就するや否や、學習過程より一切を明白にし得る。又派任の後、時に「用時方恨少」を感ず。故に學習の過程中 腳步を加快して實地修整と實習を作し、かくの教導學習の受くる所、必ず其の中の堂奧に深入し得る！
「三曹普渡」の過程、本身の不良含因（含因）⁶³を轉化して善果となし得る。靈修院の修學士に入る所有の者、全部 學ぶ各種の聖務、往往 凡人の理解する所にあらず、及び得悉する觀念にあらず。「三曹普化」の過程に対し、自らの身上より成就し得る。
三曹 設立す 天地人 堪嘆す 一世 苦來り磨す 普渡す 有情 億萬の霊 堅志 信心 來り回歸す 降り來たり 人間に 潤生を作す脫し難し 業（業）¹⁹障 考磨深し 提昇 向上し 弘引を作す 仏性（佛性）¹¹ 彰顯し 超越行ず自ら成就したるの後、更に他人を化育する、すなわち三曹普渡化の過程！但願くは天下の眾生の祖先亡靈親人、俱に普渡を受けて靈修精進し、更に後代を教化して長遠に流傳せんことを！祝賀す 崇心道場 天命を承けて：一「無極大道院」を設立し眾生を廣渡して回歸せしむるを。
吾等！願くは一臂の力を慨助し、すなわち眾原霊（原靈）²⁶子を廣渡して、回歸、超越、成長、提昇し得ん。又此種の殊勝因緣條件、正に上蒼の基本條綱、下化する有情眾生に針對し、一世人より成就に達し得る。盼之！盼之！
有情億萬の霊を普く済度し  向上に提昇して弘引を為す
堅志信心にて回帰し  仏性を彰顯して超越行を為す
自己を成就した後に、再び他人を化育できること、すなわち三曹普渡（化）である。
過程において！天下衆生の祖先亡霊親人が皆普渡を受けて霊修精進し、さらに後代を教化して長く遠くまで伝わりますことを願う。崇心道場が天命を承け「無極大道院」を設立し、広く衆生を済度して回帰させんことを祝賀す。
吾ら！喜んで一臂の力を貸し、広く衆原霊子をして回帰・超越・成長・提昇せしめん。この種の殊勝なる因縁条件こそ、上蒼の基本条綱であり、有情衆生を化すために、一世において成就に達することができる。盼む！盼む！
南华帝君
1997年3月18日　丁丑年二月初十日（二）
南天大道生霊を護り  華開き懿德黎民を拯う
帝曰く無私にして善因を提し  君著して真如により自性に回ると
第廿九回 真如
南天の大道 生靈を護す 帝曰く 私なく 善因を提ぐ 華開き 懿德 黎民を拯う 君 著す 真如（真如）⁶¹ 自性に回る人類眾生 現今時代に在りて、萬教齊發の關より、俱に自らを最上乘、最顯化と標榜し、亦最も眾生をして感應を得しめ、又最も殊勝なりとす。人類 往往 經驗不足によりて、外界の引誘を遭受するを免れず、自ら判斷力不足の下、經常 盲目崇拜を造成す。
人類眾生 人間生存に在りては、僅に短短 數十寒暑の交替のみ。もしあやまちて一步の路を走らば、再び回頭せんと欲するも、又一時空の轉換なり。自ら判斷力ありて修持經驗となすや？現今時代の作為より改變し得るなば、かくて尚ほ轉圜し得る。
人世間の所有修持過程、比較的實際にして、比較的自らを改變し易し。さもなくば時空轉換して、再び修持の機會あるや？實に明瞭し難し！時空轉換と判斷力不足によりて、往往 再び虔信せず、宗教修持の善德因緣に入らざるを造成す。
自ら 此一世 本來に回歸するあたわず、落寞蒼茫の心境を帶いて輪廻（輪迴）²¹の中に入り、眞に無可奈何！宗教信仰者かくの如き作為あるは、善德因緣 不足なるか？還は具うる經驗と判斷力も亦不足なるが故か？很大なる障礙を造成す！
もし宗教の修持に入り得るも、每位の修持者 俱に成就し俱に回歸するを保證するあたわず。正に自ら努力する多少、用心する多少、盲從なるや善德因緣 具足するあたわざる關係による！更に修持者 相互矛盾を造成す、亦是ここに在り。
人世間の修持過程、已に萬教齊發なるにより、良莠不齊を免れず。羊頭を掛け狗肉を賣る者、仙仏の名を藉て大いに其の道（盜）を行す者、亦乏しからず。此種の造業眾生、原本 天命を帶びる者、ただ本身 修持 一段時間の後、已に變質せり。
再び機會ありて上蒼の棟樑才として、眾生を渡化し眾生の回歸を接引するや？此種の心態より明白にし得る！人類眾生本具仏性（佛性）¹¹：すなわち自性（自性）⁷、本性。而して此「性體」、すなわち如如不動の真如（真如）⁶¹、亦是人生本具する一なる眞如の自我。
真 如すなわち外在の功德にあらず、本身內在 自省の反觀たり。必ず第八意識の中 垢識を清除し、垢穢を掃盡して、初めて原本の眞如を彰顯し得る。人生 世に在りて 百年に過ぎず、有用の時空の中に在りて、自らの主人たるや？一定ならず！
更に人世間 自我を彰顯す——眞如仏性、聖性、仙性、皆自己の本性のみ、自己の本來のみ。人類眾生 往往 外に向かって自己 已に具備する「眞我」を求取するを喜び、又時常 外に向かって外在の一切を求得し、自己 具所 融合するや否やを知らず。
人世間 自我本來 俱に向外求すべからず。又人類生活の因素：向外求取の功能を具す。人類生存 必ず精神の依靠あり、正に向外求取を要す。但し自己內在 具足せる本性、すなわち向外求取するあたわず。もし向外求取するなば 已に具備する自我、自ら明瞭するや否や？
將た原本の自我を除かんや？又向外求取の假我、自己の眞我に代え得るや？すなわち明白なり——人 皆外に向かって看るを好み、內に向かって觀ず、常常 諸多の原諒すべからざる毛病を犯し、更是時常 自ら矛盾して知らず、又いかんぞ眞如の自我 闡揚し發揮するを得ん？
すなわち自ら生存空間を給し得る。さもなくば自我本性を蒙蔽し、又いかんぞ自らを成就し得ん？又いかんぞ眾生を成就し得ん？然りや否や！「眞如自性」必ず自我檢驗を通過して、初めて本來自性を一一開發し得る。自己に對し 又甚だ彰顯し難し。
人類 先天より落凡の後、すなわち後天の影響を受け、早已 具備せる眞我 皆蒙蔽せしめ、原來 眞我有りしも、又早已 此世に埋沒し、更に自己の眞我 開展するあたわず。人 即ちかくの如き動物、自己に眞我たるありと知らず、往往 假を認めて眞とす。
真 如不知 外在の一切 ただ借看、借用、借擁有のみ。滅度の後 又帶走するあたわざるを。因緣和合の具足する所に対し、又生住異滅（生住異滅）⁷⁶の過程に在りて、いかんじて自らの眞如本性を成就するや？滅度の後 初めて成就と彰顯するにあらず、すなわち當下 眞我、如来蔵（如來藏）⁷¹——眞如自性を成就す。
人世間 俱に每次の輪廻の生滅を通過して、每次次の改造を達成し、改造の中に生命 生生不息ならしむ。必ず自ら用心と努力の多寡を觀て定む。人類眾生 此種の能力あるや？自らの所作所為の抉擇による！
眞如自性：每位の眾生 俱に本質を具備す。「如来蔵」すなわち自己の本來、亦外在の動搖を受くべからず。いかんじて自性を彰顯して今生に成就するや？さもなくば下次 再輪廻 一段 いかんなるや？相同じき善德因緣 再び修持路程に入るや？一定ならず！
眞如 本是 大實相 區分す 有形と無形と 自性 眞如 同じからず 人類の種因 俱に具備す 各體の種因 亦正常なり 層次境界 分張し難し 仏性 魔性 航を同じくせず 一切 眞如 性體 彰らかなり人世間 必ず生命改造（生命改造）¹²⁷を通過して、本來自我の眞如、自性を闡揚し得る。更に闡揚の中 已に仏體、已に聖軀、已に仙種たり。人世間の改造を通過して、當今《大道回歸》の著作に成就し得る。崇心の諸賢生の虔誠矢志 邁向光明大道路を觀るべし。
有形と無形を區分するも  層次境界分張り難し
自性真如同じからず  仏性魔性同じ航路にあらず
人類の種因皆具え  一切の真如性體彰わになる
人世間において生命改造を通じて、本来の自我真如・自性を闡揚することが必要である。闡揚の中で、すでに仏體であり、すでに聖軀であり、すでに仙種である。人世間を通じて改造し、現今「大道回帰」の著述に成就する。崇心の諸賢生が虔誠に志を立て、光明の大道を邁進する姿を観ることができる。
西华帝君
1997年3月21日　丁丑年二月十三日（五）
西方天界無極を承け  華德照耀して大地に遍く
帝曰く衆生皆本霊  君降りて著述して靈魂起こると
第三十回 靈魂
西方の天界 無極を承く 華德 照耀して 大地に遍し 帝言く 眾生 皆 本霊なり 君 降りて 霊魂を著作し 起す眾生 現世に在りて 前業の輪廻を承くるにより、初めて今生の存在あり。又本身の一切 亦前世の所作所為に因り、必ず前業を承けて初めて今生あり。かくて相應循環して、人生の動源を成就し、生生不息の動源に一切の作為に対し、種種の因緣和合あり。
人生 世に在りて：必ず三尸神（三尸神）¹²⁶の督管を通過す。すなわち現今の人類の言うIC微晶體。いかなる事も 皆不可抹滅の印象あり、初めて人生の種種事務を造就し、亦現今の所有作為を成就す。起心動念（起心動念）¹¹⁰或は行動に付するを論ぜず、皆人類の三尸神 霊魂中に記載す。
人の霊魂：起心動念の影響を受け、自ら前業を承受し、初めて今生の一切を造就す。人の霊魂の中 三尸、必ず人の起心動念に、前業因緣和合を加うるにより、自ら種種の作為を促使し、亦今生の所有因緣果報を成就す。
人 起心動念の中、自ら外緣を成就するのみならず、內心の本霊に在りて、自ら種種の因緣和合を行使せしむ。人の霊魂必ず三尸神の督管を受け。又人類の霊魂「主魂、覺魂、生魂」の三者に分かつ。霊魂——亦人類の三尸神、每位 俱に一方を督管す。
人の霊魂：必ず自らの行う及び應行の事務の中に在りて、いかなる人も 三尸の督管を脫離するあたわず。人類の軀體——覺魂、すなわち五塵境の種種——眼 色を觀、耳 聲を聽、鼻 香を聞、舌 味を嚐、身 觸を動かす——の影響を受け、覺魂を促使し、感覺神經 外に向かい發號施令す。
初めて身體の動源となり、亦動源の起頭 發號施令する者——すなわち意識本身（第六識——意念の起）即ち生魂。生魂：故に「意念」の生起たるや、生魂の具足し得る意識傳導の功能、すなわち事務の分判——是非、善惡、好壞、對錯の差のみ。
すなわち陰陽（陰陽）⁴⁵相互對待を形成し、現世中の種種一切を成就す。人類の生魂 外界に在りては肉眼をもて見るを得ず、僅に覺魂の第六意識に接收せられ、及び第七の末那識（末那識）²⁹ 分判傳導するに在りて、人世間の行為動作 俱に密切なる關係あり。
靈 魂此一世の所作所為、亦霊魂をもて自己軀體の本相とするあたわず、すなわち自性より分別す。人 皆前世の所作所為の業因によりて、初めて今生の種種因緣和合あり。人類の覺魂、生魂 僅に此世有用なるのみ、時空を轉換し或は下世に入れば、輪廻 用い難し。
此生——覺魂、生魂、すなわち霊魂の影響を受けず、亦三魂の串連に影響せず。三尸 再び下一世或は輪廻の督管に入らず。霊魂 前五識——覺魂 意識に入り、更に末那識の生魂に入るを受けて、初めて霊魂——軀體自相に直通し、亦即ち自性、初めて霊魂の顯現あり。
今世の所作所為の一切、皆詳實に人類の霊魂中に記載入る。すなわち第八意識——阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸の顯現する所、人類本來の一切の原動力となす。又霊魂 正に時空に抹減せられず、輪廻の轉寄他方及び下一世に因るにあらず、全部 霊魂の牽引するのみ。
霊魂本身 好壞、善惡、是非、對錯の分判を具せず、僅に人類 必ず此世を通過し、教化及び因緣和合の過程に在りて、一切の法相より起動を形成す。故に人類 世に生存し、必ず先ず覺魂を通過し、進んで引動及び種種の作為を受け、更に「生魂」より「主魂」の儲藏を促成す。
すなわち現今時代の言うIC微晶體。皆人「起心、動念」に「入意、藏識」を加うるの後、「意識」の「末那識」に傳入し、更に「阿頼耶識」に輸送入して種子因（種子因）¹²⁵を儲藏し、すなわち遇因成緣 外に向かい推送し、更に所有の因緣果報に影響す。
すなわち人類の因果（因果）⁵の始まり、此種 自身 前世及び累世の種種含因（含因）⁶³を承受して、生生不息の作為あり。仏 曰く：「閻提眾生 起心動念、無不是因、無不是業」、これすなわち現今の所有因緣和合：未來の福禍の分別性を起現す。
靈 魂形成す——是好、是壞、是善、是惡、是是、是非、是對、是錯、皆前業の軌跡を承受して影響す。故に人類 正に前業を承けて今生に入り、此生 又下世の造因者、すなわち造業の原因——含因。又含因の具うる條件、未來の福禍の差別を區分す。
霊魂本身 無記にして、是非、好壞、對錯、善惡を論ぜず 皆霊魂中に納入す。すなわち第八識——阿頼耶識の儲藏する所。更に此生或は輪廻轉換に抹減せられず。此種の無記 亦僅に緣を待つのみ。此種の條件 必ず因緣和合成熟を待ちて、初めて顯現す。
宛如 現今の錄畫機の類似作為の相同じきごとく、人生の一切 すなわち前業の影響する所。時に自らに對し、いかんと思はばいかんたるべしとするあたわず、必ず前業を承けて初めて今生に入り、今生 又下一世の造因者。人の起心動念、すなわち霊魂の牽引に影響す。
又いかんぞ承受する業果を改變するや、正に霊魂より引導す。もし不良含因を摒除するなば、僅に清淨意識を留め、含因即ち不良垢穢の左右する所とならず。霊魂 必ず因緣和合を具備して、初めて作為あり。さもなくば業因 果とならんと欲するも、呈現するあたわず。
人生の經驗、正に現世の業因を改造して成長す。又霊魂の儲藏處所、必ず人類の所作所為に在りて、霊魂の儲藏する處に影響し、及び一生の運勢に對す。もし不良業因を淨化するなば、清淨善德良因を儲存して、即ち下世或は未來の中 不良業因の影響を受けず。
此生 正に前業の演化を承けて得る所、輪廻の種子因を改變し得るや？還は下世 又來たる一回なるや？或は累世の種種堆積、又一次次の輪廻の後、業因種子を改變するあたわずば、霊魂 即ち不斷に業因に隨て下世或は他方に投生し、未來の福禍の差別を造就す。
霊魂 正に永遠不滅、好壞、善惡、是非、對錯、福禍……を論ぜず 皆霊魂の儲藏功用に影響せず。すなわち「阿頼耶識」の藏庫、轉化し得るや？ただ自ら改變する能力あるや否やによるのみ！初めて現世に自ら提昇超越を成就し得る。
霊の區分 三者あり 各體 功用同じからず 有情眾生 俱に具備す 覺魂 感覺を主掌す 霊魂 覺魂 生魂 徹す 軀體 本有 業を造す各體 生魂 生長の配を掌理す 霊魂 因果の堆を吸納す
各體の功用同じからず  軀體本に造業各あり
有情衆生皆具え  生魂掌理し生長を配す
覺魂は感覺を主掌し  靈魂は因果の堆を吸納す
今宵の著書はここまで。崇心の諸賢生と一堂に会す幸いあり、吾心慰められる。また貴堂の主席關聖の盛情なるご招待により、無極皇母大天尊および無極大道院院尊霊宝大天尊の法相の開光点眼を執り行えた。
真に幸いを感ず！聖像眼前に。開光既に畢わる。恭賀す、無極皇母および霊宝大天尊の聖像に豪光發し、斗牛に沖すと。さらに崇心道場の広く衆生を済度して回帰せんことを祈願す。
北华帝君
1997年3月25日　丁丑年二月十七日（二）
北方傳述して迷黎を濟度し  華堂の德意真理を闡明す
帝徳真悟して無極に返し  君著して真我普天の機
第卅一回 真我
北方 傳述す 迷黎を渡す 帝徳（德）¹⁸ 眞悟 無極に返る 華堂 徳意 眞理を闡す 君 著す 真我（真我）¹¹⁵ 天機を普す眾生 現世に生活し得るは、俱に善德福報を具有す。此善德 必ず現世の影響を受け、此世において自我の原來を了悟し得るや？但し往往 氣秉の左右する所となり、時常 自我を迷惑し、亦現世 自我本來 いかんぞ了悟するやを知らず。自我先天の原來、提昇回歸し得るや？
自我の外在、外塵境と接觸し、經驗より智慧に轉換して、初めて自我本性の發揮を闡揚す。又自我 常に外界の引誘を受け、自己の真我に迷失す。又眞我の形體、正に肉眼をもて觀るあたわず！真我 本來の自性、すなわち「如来蔵（如來藏）⁷¹」の自我のみ。
人生 世に在りて、常に外在の一切に左右されて自我の分判とす。外在 人類の行為に影響するにより、外界 觀る一切の因緣、時常 外界の迷惑を受け、「眞我」いかんぞ彰顯揚するやを知らず。亦自我提昇超越するあたわず。
人類の霊魂 凡塵に落入して、已に自己の眞我を觀視するあたわず。人類眾生 又「三魂七魄」の左右する所、更に現世の一切作為 人類の氣秉の影響に受制し、種種の束縛を形成し 原來自性に回歸し難く、反って環境の重種不良の誘因を受け、自我を困擾す。
真 我人生 世に在りて、不良誘因、不善含因を轉化するなば、すなわち淨霊（淨霊）¹¹²の過程中に於いて、慢慢 自我本來を彰顯し得る。又人 凡塵に在りて、常に外境の左右する所、心を靜かにして平常心を保持するあたわず。靜思反問す——自己は何ぞ？我は誰ぞ？誰か我なる？我又何を來て作すや？
いかんぞ本來の眞我に回復するや？此種 唯我のみ。すなわち你、我、他の分別心あり。此重の分別を打破するあたわずば、「我執」の固化あり、すなわち「我所執著、分別心 即ち起る」。我執なき時 又自我を彰顯するあたわず、反って矛盾を形成す。
すなわち人生を困擾し、亦自我成就を左右す。もし靜思して、心を定靜に下して、再び自らを反觀する時、往往 自らのために悲哀を感ず。然りや否や？修ある子、もし時常 阻礙を受けて考磨せられ、又不如意横逆の左右する所、心靈上 即ち境に受て轉じ、すなわち境を轉ずるあたわず。
真我善を思わず、惡を思わず、亦分別對待なく、常く心靈の寧靜を保つ——「靜 極處に到る」、すなわち眞我本來。有情眾生 俱に此一分の心靈寧靜を欠缺し、故に常に外境の左右する所、亦心靈內在の眞我に影響す。回復眞我自性に達せんと欲するも、更是不可能なり！
眞我自性、又いかんぞ自性を闡揚して發揮するや？正に人人 俱に達成し得る。人 外在の五境を受け、「根と塵」の接觸に束縛するのみ。亦人間に在りて每日の當中 皆一輪廻なるを知らず、天天 俱に輪廻之中に在りや否やを了悟し得るや？
此種の過程 又甚だ難し！
有情眾生 年月日時の左右する所なるにより、春生、夏長、秋收、冬藏の過程 すなわち一年の過往、亦是一年の輪廻。又每日凌晨の初始（深夜零時）、すなわち輪廻の開端、種子 孕育して生根し、清晨（五至六時）に至るを待てば、即ち一日輪廻 又始まる。
初生發芽、陽光照耀、漸漸養分を吸收し、風吹雨淋の過程を承受し、いかんぞ站立するやを學習す。午前九時に及びて、此時 初生より漸く站立するを得、即ち幼童の時光、青少年の過程を學習す。一切 比較的新鮮にして懵懂無知。
中午の時分に及びて、此時 已に壯年たり。一切 幼童の學習過程を脫離し、所作所為 必ず自ら負責すべし。稍候 午後三時に至りて 正值人生經驗 最も豐富、處世 漸く成熟す。生存の過程 又另一段階の開啟、此時福報 すなわち比較的良好なる條件あり。
傍晚に至りて、已に風霜雪雨の煎熬を飽受す。此時の作為 必ず較多考慮す。人生の阻礙 相對的に比較減少す。應に夕陽無限好、只是近黃昏。漸漸 中老年の段階に步入し、又種種の歷練 此時 最も豐富。豐富なる人生經驗を善用するなば、往後 亦較的成就あり。
真我夜晚の來臨に至りて、此時 已に年輕無知及び衝動にあらず、一切の作為 俱に按部就班として完成し得る。亦自ら時間と空間ありて未來の鋪路を成就し得る。再び夜深し、已に入土為安なるや？後代子孫 又更替し、一代傳一代、看得開くや？
人類生存の條件中、又いかんぞ眞我たるやを知らん？時常 自我——本霊を蒙蔽し、又何方に漂往するやを知らず。夜深し、一切 靜止す。看來 人類一生 皆是かくの如く、皆世代交替 人生過往より、迨至凌晨起、一切 又重新開始。
凌晨、清晨、上午、中午、下午、夜晚、深夜、又凌晨に返回す。整體生存 亦反覆輪廻、周而復始。體悟し得るや？一日之中 即ち輪廻一次、一月 又輪廻三十次、一年 更に輪廻三百六十五次、一生 すなわち人生大輪廻。
何時初生するや？何時入土するや？誰人 明白するを得ん？誰人 掌握するを得ん？每日と每月に在り、每年及び每一生を加え、大と小輪廻の中、又一次次 反覆輪廻するのみ。每日 俱に輪廻の中に在りや？唯同樣事務を作す、轉化し得るや？
すなわちこれより了知し得る！
自我の中の真我、輪廻の更替によりて消滅するあたわず、反って前次輪廻の過程を累積して經驗となし、一次次の累積を形成す。外在の左右する所となり、前次輪廻の經驗を抹減し難し。人生 即ち外塵境の左右する所、前業の種種作為を承受し、含因（含因）⁶³となる。
含因：又前次輪廻の影響を承受す、正に好壞の果實。含因 すなわち種子（因）進而發芽の後、成長開花して果實と成る。亦是業（業）¹⁹障と福報の來臨。人生 前業を承け及び此生の所作所為、正にいかんぞ轉換するや——所有不良因緣果報のみ！
もし每次輪廻の中に於いて、前業 何たるやを明白にするなば、すなわち人類の業（含）因 いかんぞ果報を形成するやを了知し得る。「自性眞我」、正に輪廻によりて消減するあたわず、反って前次輪廻成果作為の堆積を增加し、更に「業障と福報」の來臨となる。
人生 すなわち不斷 業因の累積、亦輪廻に累積す。每日輪廻、每月輪廻、每年輪廻、一生大輪廻 尤もかくの如し。每次輪廻の更迭の中、人類の業因果報を造就す。業障束縛を了脫し得るや、すなわち業報を轉換して福報を成就し得る。
真我眞我自性 すなわち本來、すなわち霊魂、ただ宗教の用いる名稱 不同なるのみ。稱する每個の名稱 俱に不同功用あり、名稱不同なるにより、顯現する功能作用 亦不同なり。實に皆是相同一種の物體、ただ各宗教の言う 名稱差のみ！
眞我 不滅、すなわち輪廻の中に存在す。原來善良なる含因の功能效用を發揮し得るや否や、亦自己の眞我を顯現し得るや？人生 皆外在の接受過程に在りて、眞我の彰顯を引動す。故に一切因緣果報の形成過程、又いかんぞ轉化するや？正にいかんぞ不良惡因を改變するや！
眞我 由來 早已有り 甚だ少なし 突顯して來り出現する 自我 眞實の本體 反覆 輪廻 各世の中 人間に入り 蘊藏修す ただ軀體を留め 業就を造す 眾生に隨て 來り轉移す 超越 回歸の期を待つ現今の眾生 俱に外に向かいて觀るを喜び、いかんぞ內に向かいて觀んや？すなわち人類 內觀し得るにより、人一生 いかんぞ作為すべきや？いかんぞ眞我彰顯を成就するや！自ら提昇超越し、靜靜反思、靜靜 自ら內在心性を檢討すべし。
《大道回歸》すなわち眞我回歸に在り、自ら了脫し、自ら成就し、すなわち人生過往を明白にし得る！「心靈自我」の發揮 心靈淨化し、亦自ら向上円満（圓滿）¹³乘越の機會を得ん。大家 俱に成就し得る。
現今衆生は皆外を観るを喜び、いかに内を観るか思わざる。すなわち人間において内観し、人の一生をいかに為すべきか、いかにして真我を彰顯し成就すべきかを明瞭にすべきである。自ら提昇超越し、静かに反思し、静かに自らの内在心性を檢討すべきである。
「大道回帰」とは真我の回帰にあり。自らを了脱し自らを成就すれば、人生の過往を理解できる。「心霊自我」より浄化された心霊を発揮すれば、自らに向上し円満に乘越する機会を与えることができ、皆が成就できる。
中华帝君
1997年3月28日　丁丑年二月二十日（五）
中土生れ難く既に逢臨し  華天道を開き自心を鎮む
帝天地の肇原始を観  君降りて著述し本原霊とす
第卅二回 本霊（原霊）
中土 難生 已に逢臨す 華開き 天道 自心を鎮す 帝觀す 天地 原始を肇す 君 降りて 本霊（本靈）¹¹⁶原霊を著作す眾生 世に在りて 成就するや否や、皆自ら行使するによる。此種 行使し得て又 四大部洲の中に生じ、殊勝の區域に入る。中土をもて生存空間とせば、本區域に生ずるは 皆是福報の具足する所。古人 云く：「人身難得、中土難生、佛法難聞、修真難行」。
眾生 俱に福報を具足し、地域の限制を受くべからず。人類生存の福報 前世及び累世の具足する所。本霊原來の原霊（本霊）、すなわち無極より凡塵に降至る。人類 凡塵に在りて、生命改造（生命改造）¹²⁷を經由して、初めて生生不息の原動力を創造し得る。これすなわち人類の「生命體」。
生命の原動力、必ず自ら擁有する福分を具備して、初めて現世に福報を享用し得る。さもなくば何ら半點の福分なくば、現今世に生存し得るは福報不足と謂い、經常 横逆の阻擋に遭逢し、稱心如意なり難し。又現世 基本生活の條件 いかんぞや、正に自らの具足する所。
本霊（原霊）、いかんぞ自ら福報を行使し、舒適なる生活環境を給するや？眾生の本霊 原來 無極（理天）より太極（氣天）に降至り、太極 又凡塵（象天）に降至る。所有循環の一切現象、皆自ら凡塵に落入の後、又回歸の原動力を開展するあたわず。
凡に落入の後 即ち凡塵の五境の蒙蔽する所、自己本霊 彰顯するあたわず、又清澈なる原霊（本霊）に回歸し難く、即ち外在の引誘を受け、凡塵に入りの後 又いかんぞ回歸するやを知らず。象天より氣天に返り、更に理天に回歸するや？すなわち自ら能力の具足する條件による！
本霊 初始の心を具足するや？一切外在の引誘、皆人の心より起る。凡塵の種種過程、すなわち本霊 局限する所にして、本霊原動力を具足するあたわず。すなわち自我本來の初始、很だ無極理天に回歸し難く、自己原來の本位に回歸す。
本霊（原霊）眾生 皆上天の衍化する所。每位 原來本位に在りて、すなわち天上 已に自ら本位あり。凡に落入の後、一再 凡塵の誘因に遭逢し、清明本性に回復し難からしむ。正に自我本性——原霊（本霊）、人類眾生 回歸大道（大道）¹⁰を開展するあたわざる原因、亦ここに在り。
眾生の本霊 俱に具す、ただ回歸初始を達成するあたわざるのみ。原來本位に在りて、すなわち先天より中（氣）天に落ち、而後象天に落入す。いかんぞ先天大道に回歸するや？後天より回歸し、更に中天に遡り、更に中天より氣秉を抛棄し、更に先天に回復す、すなわち無極本來。
此段時期の一切作為、もし自己本霊を清澈するあたわずば、無極理天（無極理天）¹²⁸に回歸せんと欲するも、不可能と謂う！亦僅に象天（凡塵）輪廻するのみ。超越するなば、中天天界 神職に蒞任し、不良氣秉を抛除し、自己本霊を清澈改造して、すなわち先天原霊に回歸す。
いかんぞ原始 本霊初始に回復するや？人生歷練の過程、必ず「生命改造」を具備して向上提昇すべし。さもなくば！
「生命改造」を經由せずば、先天本霊に回復せんと欲するは「緣木求魚」とならん、亦眞に成長超越するあたわず、又奈何ともすべからず！
人生の經驗、必ず通過すべし：生住異滅（生住異滅）⁷⁶の過程、人生酸甜苦辣の經驗歷程を遍嚐し、經驗より知識を吸取し、知識より智慧に轉化して改善の資本となす。人生 世に在りて 改造し得るや否や、必ず自ら 宇宙演繹の過程を明瞭するや否やによる、正に大道運轉の作為のみ！
すなわち宇宙の生命改造を通過し、必ず生命改造の中に在りて、原來初始——本霊（原霊）を求取り、更に無極先天に回歸す。人類生存の過程より始むべし、一步步に 按部就班 行使し、自ら本霊を原始初地に置く、すなわち不動心と不動性。
不動靈：すなわち自我眞我 如如自性、亦是如如不動の本霊。いかんぞ提昇增長して回復するや？必ず回歸原動力を具足して、初めて自性眞我 清澈に回復し、宛如 薄翼にして天地を觀照し得、亦如 清澈明鏡の呈現する所、何ら一點の紗紋も帶せず。
本霊（原霊）人類の本霊、必ず自性眞如 如如不動の本霊性に回復すべし。ただ何ら一點の蒙垢ありとも、俱に自性眞我に不利。かくの清澈なる回復、すなわち眞我本來、自性原霊。眾生 皆外に向かい求取すれども、殊不知、いかなる外在の一切、俱に本霊の清澈を輔助するあたわず！
本霊 自我 いかんぞ清澈するや？すなわち心に不動、念に不動、意に不動、識に不動。八識：阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸を經由して轉換し、霊魂より眞我に回歸して、初めて外在一切 改造進化（進化）⁴²し得、同時に自ら本霊初始を輔助す、亦「如来蔵（如來藏）⁷¹」の「真如（真如）⁶¹本性」たる。
人類眾生の所有具備、もし生命改造を經由せずば、無極天界に回歸せんと欲するや？軀體 已に極重なる塵垢を挾帶し、必ず上清 回（昇）天、下濁 凝降於地の影響を受く。自ら いかんぞ垢穢を清除するや否や？又本霊：正に何ら一質も挾帶せず。
これより觀るに：本霊 正に前世より帶來し、輪廻轉世に抹減せられず、又消除せられず。人生經驗の累積、正に本霊清澈改造より、自ら回歸本質となる。人類眾生 俱に先天本來あり、いかんぞ回歸するや？いかんぞ清澈するや？すなわち現世中に一番の奮鬥と改造を作す。
すなわち自ら回歸本質となり、初めて自らを大道に回歸せしめ、無極に回歸し、本來（原霊）に回歸し得る。眾生 俱に仏性（佛性）¹¹（自性）原始を具す、即ちここに在り——回歸せんと欲するや、輪廻せんと欲するや、皆自らの掌握する所！いかなる仙仏 俱に替代するあたわず、亦自ら單獨回歸するあたわず。
本霊 凡塵に入るに隨う 業を帶て 人世間に進來す 原霊 合一して 根基を作す もし堪破して 惡を造らざれば 累世の因果（因果）⁵ 眞を失はず 修持改造して 歸程に返る 宿世 造業の期を消除す すなわち成長の大良機なり必ず本霊初始を提引し得、又本霊 先天無極に回歸し得るや？然りや否や？冀望す 天下眾生 俱に眞に行使することを：原霊初始、して自ら回歸せんことを。期盼す「無極大道院、懿敕崇心堂」、更に拓展して眾生を廣渡し、眞理を勤學し、原來本位に回歸せんことを。
原霊合一して根基と為し  宿世の造業の期を消除す
若能く堪破して惡を造らざれば  すなわち成長の大良機
必ず本霊の原始を提引でき、本霊が先天無極に回帰できることを望む。果たして然るべきか。天下の衆生が皆真に実行できるよう冀望する。原霊の初始により、自ら回帰できるよう。無極大道院懿敕崇心堂がさらに広く衆生を済度し、真理を勤學し、元の本位に回帰せんことを期待する。
南屏道済古仏
1997年4月1日　丁丑年二月廿四日（二）
南に天道を開き迷航を濟度し  屏障の功德もまた自ら當たり
道濟降り來りて天書を著し  古佛登りて如來藏を著す
第卅三回 如来蔵
南開天道 迷航を渡す 屏障 功德 亦自當たり 道濟 降り來たり 天書を著す 古佛 登著す 如来蔵（如來藏）⁷¹真如（真如）⁶¹ 彰顯し 霊魂清し 真我（真我）¹¹⁵ 歸返す 本原霊 如来蔵中 菩提（菩提）¹¹⁷ 顯る 開悟（開悟）¹¹⁸ 必須 已に明心（明心）¹¹⁹ 見性（見性）¹²⁰ 方に 覚満（覺滿）¹²¹ 盈つ 自覚（自覺）¹²² 覚満 互に應ず 滿圓円満（圓滿）¹³ 覚有情（覺有情）⁵⁸ 大道回歸 仏國に行く人生 世に在りて 正に來たるあり又去るあり。人生 かくの如く、萬物 亦是かくの如し。倘 人生及び萬物 俱に來たらず又去らずば、すなわち「有恆」の中に「恆常」久遠なるを得ん。人生 かくの如く、萬物 亦是かくの如し。生存空間 萬物の存在する所なるにより、初めて生生不息の傳承を開く。
人 皆世世代代傳承し、すなわち人類生存空間を創造す。生存空間 萬物及び人類の存在する所なるにより、初めて活潑なる生命力を展現す。又生命を「宇宙繼起」恆久傳承の必要性となし得る！又人の本霊 無極より來たり、上天より人間に降至る。
凡に落入の後、外物の迷障を受けて、初めて自ら回返の標準を達成するあたわず、亦自ら いかんぞ原來に回歸するやを知らず。來たる時あり 必ず去るあり。來來又去去 即ち當下に在り。もし自我回歸の目標を達成するあたわずば、自己を姑息して、回歸の作為あるあたわず。
人生 即ち來たるあり又去るありに在りて、當下に一了斷を作するあたわず。時常 外在の誘惑を受け、自ら人類一生を迷障せしむ。人類生存 來たるの時に對し、現世をもて定論を下すなば、來たるの時 作為打算するや、亦回歸 人生基準點となすや。
倘 回歸するなば、すなわち當下に作為 一世了脫を完成し得る。故に來たるあり 必ず去るあり、來來又去去の中、自ら本霊 回歸原點に定むるや？人生過往、もし如来蔵の中に定めざれば、一切作為 亦僅に下一世 再輪廻の種子因（種子因）¹²⁵のみ！
如來藏もし現世より了斷を作すあたわずば、現世の人生 如来蔵、眞我本霊の中に自我原來を彰顯すべからず、根本的に回歸するあたわず！現今世代の眾生 回歸の標準に未達なれば、必ず人生六度万行（六度萬行）⁵⁹を行持して、一切作為 回歸要件に符合すべし。
人 世上 王侯たるも乞丐たるもを論ぜず、俱に相同自性（自性）⁷平等、「六度万行波羅蜜を行持し」て人生基準點となして、初めて回歸主要原動力に達す。故に「如来蔵、眞我」、須く現世 改造を具すべし、亦 回歸原點に達し得る。
如来蔵の眞我、前八識の中にのみにあらず。一切外在 五塵境の突顯する所、必ず人生因緣和合の接觸を通過して、初めて因因得果 起現す。人生因緣果報 他人 替代するあたわず、其因 其果 俱に自得、外在他人 俱に自己を替代するあたわず。
如来蔵：必ず一切垢識を清除改造し得て、初めて污穢意識を棄除す。五境：眼、耳、鼻、舌、身 通過の後、即ち第六「意識」接觸に引動し、「末那識」分判傳導に入り、更に「阿頼耶識」分門別類 儲藏に入る。
好壞、是非、善惡、對錯を論ぜず、即ち「阿頼耶識」庫藏當中に一儲存す。又無分別 甚だしくは：無記。人類生存經驗此種の儲藏ありて、初めて「善德と陋劣」因緣和合をもて、人生種種因緣果報を成就す。
人 皆生活累積の中に經驗吸收に達し、吸收生存知識 人生經驗となす、更是生活過程。無記の中、人類 下一刻 又いかんならんやを了知するあたわず。横逆 來たる時、人 俱に心智 防堵を作すあたわず、亦環境の左右する所となる。
時常 一次次 反覆經驗の需求に受け、所作所為 行事準則に對し、人世間中 初めて經驗累積あり。故に「如来蔵 本是仏性根基」の具備する所、即ち自我本性。又「原霊」——本霊、いかんぞ人生回歸の作為となさんや？
人生 俱に本來自我の中、いかんぞ眞我原來點に回歸するやを知らず。亦時常 外界の誘導を受け、原本簡單なる回歸點 心智の引誘を受け、人生眞如仏性 開展するあたわず、すなわち如来蔵本性。又一切眾生 俱に輪廻交替するのみ！
一世世 輪轉、もし「六波羅蜜、六度万行」を具足するなば、回歸せんと欲するは比較的容易なり。此種要求條件 亦ここに在り。眾生 もし「布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧」六度万行波羅蜜を行持するあたわずば、根本的に回歸要求に達するあたわず。
人生修持條件、每宗教 教導、要求 俱に不同なるも、皆此種要求を離るるあたわず。有情眾生 每每 他教 俱に外道或は外教と視なし、自我を主教となす。此種 否認すべからざる事實。いかんぞ之を行すや？他教或は我教をもて 教導傳承するを打破し得るや？
如來藏又いかんぞ他人の長處を吸收し、自我の短處を改造するや？「他教 即ち我教」より一修整を作し得、自我要求の中 初めて回歸本來作為あり。倘 一味に他教を排斥し、我教を標榜し、修持工夫 到家するも 他教に容れず、すなわち分別心あり。
すなわち回歸に一大過錯を記せん。故に我教の殊勝 亦他教の教化、傳承殊勝の處を讚嘆すべし。必ず宗教平等の中に在りて本來に回歸す、正に分別すべからざるなり。不平等心に入るべからず、即ち現今宗教修子 具うべき心態と作為。
六度万行「布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧」此六種の作為、即ち每宗教 立教の基礎、亦各種宗教 名稱不同なるのみ、皆此種相互性を離るるあたわず。每位修子 此目標に達するなば、改造方面 已に外在の影響を受けず。
必ず自我提昇 已に具備し、六度万行の根基 力行し得て、原本意識形態を眞我の提昇に置き、如如不動本性に在りて、更に自我提昇條件 起心動念（起心動念）¹¹⁰改造となす。これすなわち「六度波羅蜜」施行の條件。
因緣和合條件 力行するのみならず、改造成就資本となし得、又內性本質 外在修持條件 眞に自我提昇し得る。かくて上蒼の安排を經ずして、原點 即ち原來本位に回歸し得る。眾生 俱に來生あらん、來生 いかんたるやを知らず？又何たるや？
如来蔵中 すなわち眞如 明識 功能の作用する所 有情眾生 本 かくの如し 如来蔵中の本體 人類 少聞 不知の處 殊勝 大なる感觸あり 原本 具備す 亦如實なり 成仙作仏 根本柱なりいかんぞ掌握するや？即ち當下現世に在りて、下世 再び來たるや否やを明白にし得るや？甚だ了知し難し！必ず甚だ努力して、佛家「唯識學理諦」に涉獵すべし、如實性ありて增長提昇せん。願くは天下眾生 俱に自我回歸の中に在りて、回歸本來に達し、即ち豐富なる資糧本あり。
六度萬行「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧」の六种の行為は、各宗教の立教の基礎にして、宗教名称の違いのみであり、この相互性を離れることはできない。修子一人ひとりがこの目標に達すれば、改造においてすでに外部に影響されなくなる。
必ず自己提昇にすでに備わり、六度萬行の根基を力行することができ、本来の意識形態を真我に置いて提昇し、如如として動かぬ本性にあり、さらに自己提昇の条件として、起心動念の改造を為す。これが「六度波羅蜜」の施行条件である。
因縁和合の条件を力行するのみならず、改造成就の資本とすることができ、また内性の本質に外在の修持条件をもって真に自己提昇できる。このように上蒼の配列を経なくとも、原點、すなわち本来の本位に回帰できる。衆生には皆来世があるが、来世がどのようなものか、いかなるものか知らない。
如來藏の中は真如  人類少しく聞いて処を知らず
明識の功能の作用する処  すなわち殊勝なる大感觸あり
有情衆生本より是の如し  原本具備してまた実の如し
如來藏の中の本體  仙と成り佛と為る根本の柱
いかに掌握すべきか。すなわち現在の現世において、来世にまた来るべきかを明瞭にできるか。知ること甚だ難しい。必ず非常に努力し、仏家の「唯識学理諦」を渉猟すれば、実如性をもって増長提昇できる。天下の衆生が皆自己回帰の中で、本来に回帰し、豊かな資糧本を有せんことを願う。
真如彰わになり靈魂清く  真我本原霊に歸返す
如來藏の中菩提顯れ  開悟は必ず心已に明らむべし
性を見て方ち覺滿盈し  自覺覺滿相互に応ず
滿円圓満に覺有情  大道回帰して佛國に行く
これは主著の仙佛・済佛恩師が大道シリーズに蕴藏した主題。皆様の参考まで。
南極長生大帝
1997年4月4日　丁丑年二月廿七日（五 )
菩提というものは、もともと樹など存在しない。明鏡というものも、もともと臺などではない。本來、そこ には何一つ存在しないのだ。どこに塵や埃が付著しようか。
大帝著述して菩提門  降來して崇心堂に意會す
第卅四回 菩提
南極仙翁 道場に降る 大帝 菩提（菩提）¹¹⁷の門を著作す 長生 世人 學樣せんと欲す 降り來たり 崇心堂に意會す菩提 本來 樹無し 明鏡 亦 臺に非ず 本來 一物も無し 何處にか 塵埃を惹かんこれ六祖慧能大師の禪示せる眞機、後代修子たちに 自ら本性彰顯を提昇する機會を與う。六祖 累世の中 已に根器 相當鋒利、經文を觀るを須いず、ただ經意を聽聞して 即ち其中涵義 何たるやを了知し得る。此重 一世に達成すべきにあらず！
故に、本身 文字障（文字障）¹²⁹の左右する所とならず、經を聞きて自ら了悟し得る、正に根器鋒利の故。又宿世累積の資糧能量に因りて、當下此一世 自性彰顯し得る。文字障の左右する所とならず、亦自ら自性仏體を提昇し得て、五祖の傳承を得。
傳承する所 すなわち「心傳、衣缽、信物」印證を打破して、傳承 千年を歷ての後、後代修子 六祖を典範依歸となし、修持準則となし得、又修持自性彰顯を提引し得る。正に往昔「心外別傳」迷失を打破す、是爲：頓悟（頓悟）¹²³根本。
身 似たり 菩提の樹に 心 如し 明鏡の臺に 時時 勤めに拂拭し 勿れ 塵埃を惹かしめんことをこれ正に神秀大師 體悟せる資質、亦是菩提種子 闡揚する所、漸悟（漸悟）¹²⁴より行じ、漸漸 自ら種種缺失を了悟して改進要點となす。一切眾生に対し、もし六祖慧能大師の頓悟資糧を具足するなば、すなわち先天根器 鋒利と謂う。
此種條件 觀るに、人類眾生 皆此種根器 具備する少なし。俱に自ら迷失と無明（無明）⁷⁹障礙に在りて、すなわち學習の中より、一步步 自ら仏性を彰顯すべし。又一切眾生 頓悟資糧 具せず、必須 一步步 按部就班に、漸漸「漸悟」資糧に達成し得る。
亦すなわち神秀の言う所——「身は菩提の樹に似たり、心は明鏡の臺の如し、時時 勤めに拂拭し、塵埃を惹かしめ勿れ」！かくの體悟あらば、自性仏體を彰顯せんと欲するに、必須 一步步 完成し、漸悟 累積して資糧となし、頓（開）悟の境に達す。亦是 比較的實際なる。
南無虛空上徳人天古仏 1997年4月4日 丁丑年二月廿七日(五)眾生 皆言く：六祖慧能 頓悟の資糧あり、鋒利なる根器ありと。殊不知！これ乃ち多少世の資本を累積して、初めて此の種の根基を達成するなり、また一蹴して幾すべきにあらず。必要 多少世の先天含藏・先天資質を累積して初めて達成す。倘若 現今を以て言えば、甚だ少ない人類眾生 此の種の條件を具す。
落凡の後、すなわち五塵境の影響を遭受して原來に迷失す。若し此の根器ある者ありとも、落凡して迷失すれば、一切從頭來りせざるを得ず。かくの如く自性仏性（佛性）¹¹體を彰顯せんと欲するも、不可能と謂うべし！また現今科技時代文明の衝擊により、先天根基の深厚なる者、本身 また落凡の迷惑に遭逢す。
自己を迷失し、また本性を迷失するに至り、自性仏體の闡揚を開展せんと欲するも、さらに困難となる。殊不知！諸多の先天根器の深厚なる者あり、落凡の後 外在の引誘を遭受し、また深厚なる根基に迷失し、自己 點化・當頭棒喝を缺くによりて、先天根器を完成し、すなわち鋒利なる根基を以て開展とするのであります。
菩提本無樹：菩提の種子 これ真如（真如）⁶¹と謂う。若し改造を經由せずして、今世に成就し得るは、謬言と謂うべし。
眾生 頓悟の資糧を具せざるに於いて、若し學習の中より、今生および累世の不良なる含因（含因）⁶³を改造し得れば、必ず今世の中に自己の菩提種子を成就して更新し、往上なる成長の條件を有するでありませう。
真如の本質、すなわち如来蔵（如來藏）⁷¹の真我を彰顯するなり。真我 正しく靈魂不滅にして、また「菴摩羅識（菴摩羅識）⁵¹」仏識の種因を成就し、また自己の本來なるもの、自性・仏性・仙性・聖性 皆是なり。眾生 皆 自己の具する現世は何たるやを知らず。また今生 此の世界に來たりて、また何を為すやを知らず。
當今 應行の要務を如何に完成すべきや？一切 迷失するに、若し僅かに自己の盲目摸索に賴らば、必要 一段の很長き時間の考磨を經て初めて達成し得べく、また考磨の過程に於いて、所有の不良なる氣秉および含因を改變して、初めて円満（圓滿）¹³に先天原位に回復し、また先天自我の本來たるのであります。
仙仏の告知を經由することなく、すなわち三界（三界）²⁴・宇宙・天地と合して一となり得、また了知し得る：過去・現在・未來の三世の中に、すなわち當下に一切を了知し、宇宙天地の玄機を了知し、また如何に修持（修持）¹²すべきや？
三際（過去・現在・未來を曰く：三際）の還流の組合せを通過し得るならば。
必ず所有の應行の事務を知り得るでせう。人類 此の境界に生存し、早已に自性仏體の開展を具足し、また宇宙天地と合して一となり得る。我すなわち宇宙天地、我すなわち萬物眾生、我すなわち自性仏體。蓋棺論定の後に待つまでもなく、早已に三界を脱離し、無極勝境に達し、提昇超越するでありませう。
菩提智慧善根の種 人類追求し來りて獲得す 無樹菩提 何れの處にかあり 不足を檢討し改進を作す 摩訶般若 大道弘む 慧覺 此の中にあり 明鏡 非臺 自ら修すべし 智慧成長 果位就ず祈願す 大家：く「漸悟より頓悟に達し」て即ち菩提種子を闡揚することを得られん。また「身は菩提の樹に似たり」より「菩提本無樹」の境界となり、一步一步 自らを彰顯し、自己を成就し眾生をも成就し、「普渡（普渡）²」を論ずるに及ばず、早已に回歸し、圓満なる自性仏體——菩提種子に達することを得ん。ただし自己の所作所為によりて往上に成長するか否かによる。大家 必要努力すべし！
仙佛に告げられることなくして、三界・宇宙・天地と一つになることができ、過去・現在・未来の三世を了知し、現在の一切を了知し、宇宙天地の玄機を了知し、いかに修持すべきか。三際（過去・現在・未来を三際という）の遷流の組み合わせを通じてできる。
必ずすべての應に行うべき事務を知ることができる。人類はこの境界に生存し、すでに自性仏體の開展を具え、宇宙天地と一つになることができ、我すなわち宇宙天地、我すなわち萬物衆生、我すなわち自性仏體であり、蓋棺論定の後を待つ必要もなく、すでに三界を脫し、無極勝境に達して提昇超越する。
菩提智慧善根の種  摩訶般若大道弘し
人類追求して獲得す  すなわち慧覺此の中にあり
樹なき菩提何處にかあり  明鏡台に非ず自ら修むべし
檢討して不足を改進と為し  智慧成長して果位就く
皆に祈願す：「漸悟によりて頓悟に達する」すなわち菩提種子を以て闡揚し、「身は菩提樹の如し」より「菩提本に樹無し」の境界へと一歩一歩彰顯し、己を成就し衆生をも成就すれば、「普渡」を論ずるまでもなく、すでに回帰し、円満自性仏體・菩提種子に達する。各自の所為により向上成長すべきである。皆必ず努力せよ。
北極紫微大帝
1997年4月8日　丁丑年三月初二日（二）
悟りを開いて自らの心を明らかにし、一切を貫通して障害なく、自分を遮るものを悟り、一歩一歩確かな足 跡を刻む——これこそ人間として必ず行うべきことである。事理を円満にしてとどまり、満円を成すのは外側の働き、悟 りを開いて果を証し、大いなる愛へと転ずる。
大帝降臨著述して真に開悟し  偈に蒼黎を喚び悟りて自ら醒む
第卅五回 開悟
北極天道（天道）⁴原霊を渡す 大帝降りて真の開悟を著す 紫微宮中 眾生を教う 偈　蒼黎を喚びて自ら悟るを促す眾生 現今の時代に於いて、善德の因果（因（因緣）⁵を有して宗教の修持（修持）¹²に入ることを得ば、若し開悟の境地に達せんと欲するならば、必要 先ず智慧を以て闡揚し、すなわち真如（真如）⁶¹仏性（佛性）¹¹の開展に至りて、初めて真の發揮あるべし。また人類眾生 若し智慧の開展を經由せずば、開悟の境地に達せんと欲するも、較的不可能と謂う。
修あるや否やを論ぜず、自性の闡揚發揮に於いて、若し外在の磨鍊を經由して經驗となすことを得ずば、自性仏體を開展せんと欲するも比較的困難なり。また人類眾生 若し「頓悟」の資糧を具せずば、必要 先ず「漸悟」より按部就班に自性を開展して、開悟の境地に達すべしであります。
開悟：古昔の時、眾生 自修の方式を以て達成し得るも、現今の教化過程に於いては、諸多の書籍・經典の相互陪襯を以て參修に供すること較的多く、開悟の境地に達し得ること、往昔よりも較的多くまた廣泛なり。現今の眾生 此の福報を具足するは、正しく自己前世の播種して今生に收成するなり。
收成の過程に由りて、ただ宗教に入りて修持することを懂るのみか？否や！眾生の具足する善德因緣によりて宗教修持に入るも、若し信仰修持の投向する師門 錯誤ならば、あるいは自己 錯誤の修持觀念を轉換すること能わずば、再び如何に努力するとも、皆是 白費心血なる！
自性 彰顯すること能わず、また開悟の境地に達すること難し。開悟に對して：時には心態と作為・心智および應對に觀て影響す。その關鍵は自己の了知する一切が、正確なるか錯誤なるかにあり。「悟と誤」の間なること明白なり、修持者時常 之の困境に遭逢するのであります。
開悟：真の了脫に達し得るも、錯誤 成就の腳步を建立すること能わざるに至らしむ。ゆえに「開悟・錯誤」僅に一牆の隔たり、ただ一體兩面のみ。開悟の經歴 修持者に今生の了脫超越を與え、了脫の後 廣泛に眾生を引渡し、眾生を成就す。
錯誤の體會に至りては、自己 永に翻身の地なからしめ、また自己の錯誤によりて、往昔の努力 皆是 白費となる。上蒼實に此を見るに忍びず、時に仙仏（仙佛）²⁰を派して暗中 點化す。永遠の學習態度を抱持し得るや？一定せず！必要 自己の經驗を以て、錯識の修整となすべしであります。
修あるや否やを論ぜず？皆 此の種の態度を抱持せざるべからず、初めて眞に生存の智慧 加うるに經驗の累積を以て、開悟の境に達することを得。人類眾生 宗教に入りし後、投向する師門および前人の教導 正しければ、每位の修持者 必ず投向する師門を以て、回歸開悟の境地に達し得るを信ず！
必ず自己を成就し、向上に提昇超越することを得。若し投向する師門および前人の教導 錯誤なる時、また智慧を以て學習經驗を扭轉すること能わずば、開悟あるいは回歸の境地に達せんと欲するも、不可能なる！此の種の條件、必要 甚だ用心ありて、初めて成長あらん。
開悟の後 眾生に與うる所、僅に內心 任何の負擔なきのみならず、開悟の後：心境 平和と寧靜、さらに天地と合して一となり、心境と作為の中より、一種 輕飄飄たる感覺を得、また心境と靈性 皆 自我本來に貫通す。
「如来蔵（如來藏）⁷¹・真如（真如）⁶¹・真我・自性・仏性（佛性）¹¹・仙性・聖性」を論ぜず、すなわち如如たる赤子の心に回歸し、一切の舉動、自己に心境の開展を與うるも、任何の負擔なし。此の心境の呈する感觸、筆墨を以て形容し、言詞を以て表達すること能わず。
正しく自我の感受し得る心境に取決し、また每位 盡く同じからずと雖も、得る所 心如止水・身輕如雲、すなわち靈性中已に任何の牽掛なし。かくの如き 正に眞に開悟に達して體會する所の寫照なり。何の方式によりて開悟の本質とるに拘らず、心境 皆 此を離れず。
開悟の後の心境、宇宙天地と合して一となり得る：宇宙すなわち我、我すなわち宇宙。天地すなわち我、我すなわち天地。眾生すなわち我、我すなわち眾生。さらに此の重 すなわち自性の開悟にして、ただ人類の眾の了知する開悟のみにあらず。此の種の過程・結果 皆 分別あり、相差 また大なり。
眾生 若し此の種の經驗累積を通過して成就すること能わずば、智慧の開展に達せんとし、さらに開悟の境に至らんと欲するも、不可能と謂うべし！眾生の中に 若し開悟の資本を深具すれば、必要 能く自性を引きて、現今の作為を成就し、また必要 真如赤子の心を以て人となり、かくの如くば回歸も比較的容易なるべし。
然らずば！若し一顆の樹を論じて、根幹 已に腐爛し、根基 已に斷たば、また如何にして枝葉茂盛なることを得ん？「赤子天性」を以て回歸を成就すること 達し難し。實に「開悟」の最も主要なる關鍵、鋒利なる根器を具うることを須ゐ、ただ聰明なるや否やの分別のみにあらず！此の種の關鍵 甚だ大なる差別性あり。
時には上上人 下下智あり、下下人 眞悟智あり。また根器の鋒利なるや否や？實に缺くべからざるなり。期望す 有情眾生皆 大根器を以て開悟し、今生を成就せんことを。また願祝す「無極大道院」廣く原靈を渡して回歸せしめんことを。
「懿敕崇心堂」廣遠に眾生を成就し、提昇超越せしめんことを。
悟る己が身の障礙する所  成全滿円は外に在り
一歩一足一つの印  開悟證果して大愛に轉ず
時に上の上の人にも下下の智あり、下下の人も真悟の智あり。根器の鋭鈍は実に不可或缺的。有情衆生が皆大根器をもって開悟し、今生を成就せんことを望む。また無極大道院が広く原霊を済度して回帰し、懿敕崇心堂が広く衆生を成就し、提昇超越せんことを願う。
東極青华大帝
1997年4月11日　丁丑年三月初五日（五）
東方琉璃金の世界  極楽天界世間に傳う
青華著述して明心の言  大帝降臨して真實の篇
第卅六回 明心
東方琉璃金の世界　極樂の天界 世間に傳う 青華 明心の言を著作す　大帝 降臨して真實の篇眾生 現今の世に於いて、善堂および宗教に入りて修持するを得るは、正しく人類眾生に一回歸の機會の處所を與うるなり。現世に此の機緣あるは、すなわち本身の具足する所、此れ亦是 前世善德の建立する所にして、本身の心態に在りて、必要 自己の主人となり、自己に駕馭せらるるにあらざるべし。
若し自己の主人たること能わずば、すなわち輪廻（輪迴）²¹に隨いて流轉す。人生 世に在りて正しく所有の累世因緣の集合點にして、現世に於いても「人類因果（因果）⁵」および「生命改造界」なり。必要 内に向かって早已に具足する自性を求取し、すなわち真如（真如）⁶¹すなわち内觀自性の闡揚を得て、本身 原來 已に具備す。
正しく當今の人類眾生 必要 具備すべき努力なり。また人類眾生 自性を通じて淨化し、自性を啟發および彰顯せしむ。明心の中に本已 具足するも、外境の污染を受けて、本身の無明（無明）⁷⁹を促し、智慧を開展し、自性の闡揚を發する能わず。
人生 世に在りて、自己の本心を明瞭して、初めて明心して見性す。若し自己の本心を明瞭すること能わずば、自性仏體を彰顯せんと欲するも、不可能と謂うべし。本心の中に於いて、自性の啟發する所を具足せざるが故に、自性を蒙蔽し、開展すること能わず、回歸の機會なし。
一切の外在の根塵の接觸、必要 五境を通じて六度万行（六度萬行）⁵⁹を成就し、初めて行使することを得、將有可能自己の本性を開展す。必要 自己の本心を明瞭し、明心して見性す。人生 即ち此の如し。若し自己の本心を明瞭すること能わずば、また如何に？
外在より引動せば、緣を引きて緣と成り、因緣和合を受けて、現今一切の源動となす。人類の本性 生と俱に來りて、正しく現今または前世および累世の作為の影響する所にあらず。人 皆 外に向かいて觀看し、人類の一切に對して、已に生存を原點に定位すること能わず。
さらに自己の根本をして、自性本來を彰顯する機會なく、一味に外に向かいて觀看す。眾生 皆 本心の彰顯する所なく、今生に成就することも難く、一切の希望を下世に寄望して成就せんとす。然りや否や？相同の因緣を以て下世を成就し得るや、實に不知と謂うべし！
人類の生存 皆 無明（無明）⁷⁹また無知の中にあり、經驗の累積なきによりて、人と萬物を動源より勉強 因緣和合の作為を開展せしむ。また人類 皆 自己の本心の淨化する能わず、人生の過程 十分 無可奈何に變じ、ただ現今の生存を以て、下世の輪廻流轉とするのみ。
一切の希望 皆 下一世に寄望して再び完成せんとし、さらに無奈なり！若し下世 此の因緣なき時、輪廻によりて自己の本性を埋沒し、開展すること能わざるに至らんや。眾生 皆 未來および下世に寄望するは、無可厚非なり。人 必ず希望ありて、初めて目標に達成し努力作為す。
自己の本心を明瞭するは、すなわち初心、すなわち真如仏性なり。一切 皆 自己の用心あるや否やに定る。人 皆 自己 應如何行ずべきやを知らず。また如何にして自性真我を彰顯し得るや？「明心見性」に對する真の體悟も甚だ難く、また眞修實行の修子に提供すべき所の追求と企盼如何にせん！
若し經驗の累積を通過すること能わずば、智慧を成就せんと欲するも、不可能と謂うべし！現今の眾生 皆 前方（金）に向かいて觀て、自性中の本來初心 亦すなわち本心を埋沒す。往々剛愎自用にして自性を開展すること難く、智慧の成長を成就して、開悟の境地——明心また見性に達せんと欲するも、具足すること能わずと謂うべし！
本心を明かにして眞性を見るは、すなわち自我改變の方針にして、現世に於いて追求すべき所なり。人類眾生 若し「頓悟」の資質を具さずば、「漸悟」より明心して見性に達すべし。若しただ本心を明かにするのみにして、本來の眞性を見ること能わざれば、すなわち自性の根基 人生を開展する能わず。
本心を明かにして本性を見るに達す！また何心を明かにすべきや？何性を見るべきや？正しく現今の眾生 常に遇う瓶頸なり。常に外塵境の引誘を受け、若し淨化および自己の思考模式を改變すること能わず、經驗を通じて智慧の轉換に達すること能わずば、また如何に本心を成就して見性し得ん？甚だ難し！
現今の眾生 迷障事務を瞭解すること能わず、故に人 皆 現世中に困苦に遭う。大部分 反面より自己を成就するも、正面より自己の困境を成就するも、皆明かならず。正反面の過程より、自己の見解と思慮を變じて障礙を改めしめ、初めて成就あらん！
必要 通過す：聞・思・修の歷鍊、初めて經驗の累積に達し、經驗より智慧を成就し、さらに智慧より思想の改造を成就す。すなわち人身の第八識——阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸の淨化する所にして、垢識の影響を受くることなし。假如 眾生「智慧轉變成淨化」によりて本身の儲藏を淨化せずば、開悟すること能わず。
其中「本心を明かにし、眞性を見る」の根基を與うるは、すなわち明心して見性なり。若し自己の缺點と過錯を明瞭し得ば、錯處を改變し得る。聖賢も亦 錯を知りて能く改むるに在りと謂う。人生 即ち每次の錯誤の中より自己を改變す。阿頼耶（第八識）の儲藏——全部を淨化し、明本心・見本性を通過することを得。必要 自ら轉化し、仙仏に依賴して轉化するにはあらず。人 皆 仙仏の引渡を寄望するも、自己 轉化および淨化の原動力を具足すること能わずば、今世に「明本心と見本性」を成就せんとするも、ただ下世 再び輪廻するの種子と謂うのみ！
自己の心性を明白にす 修持改進し提昇を要す 宗教を信仰し改造を作す 心靈成長 大いに受益すこれ！初めて目標と希望ありて、現世または下世を成就す。人類に對しては受益無窮なり。今日 幸いに無極大道院・懿敕崇心堂 天書系列《大道回歸》の著作に參著す。冀望す 崇心堂 能く「三曹普渡（普渡）²」を廣開し、眾生 接引して早日回歸せんことを。乃ち吾の盼望する所なり。
人間造業の情を體會す 清淨無染
好身形 缺失を檢討し來りて提高す
心性圓融 無限の妙
心霊成長にして大いに受益し  心性圓融して無限の妙
こうしてこそ目標と希望を持ち、現世または来世を成就し、人類に無窮の利益がある。本日無極大道院・懿敕崇心堂の天書シリーズ「大道回帰」の著述に参与する幸いあり。崇心堂が広く「三曹普渡」を開き、衆生を接引して早く回帰せんことを冀望す。これ吾が所望。
2015、0226、2323◎＃※ ０Ｋ＃
下面に附表あり
六波羅蜜―六度萬行（附表）
太極天皇大帝
1997年4月15日　丁丑年三月初九日（二）
本性の実体を見とどけることは容易ではない——常に自分のそばにありながら。心を明らかにするのは易し いが、本性を見るのは難しい。方法が正しくなければ知り得ない。有情の衆生は理解し難く、根本の跡形すら見えない。
大帝著述して見性の篇  崇心に降來して真機を述ぶ
第卅七回 見性
太極 天より無極を承く 大帝 見性の篇を著作す 天皇 人間 初期に晤す 降りて崇心に來り 眞機を述ぶ人類眾生 凡塵に潤生するに、若し自性を彰顯せんと欲するならば、必要 開悟の境地を通過し、さらに「本心を明かにして、初めて本性を見知す」べし。故に「明心見性」實に現今の眾生 追求企盼する所にして、能く眞修實の過程を以て：自性を導引して開悟の境に達し得るや！
人生 現世に在りて、必要 外在の五塵境の結合を經由して、初めて經驗を提引し、本身の思考模式となす。往昔の經驗を智慧の累積となし、本身 外界と結合するに對して、因緣の攀附する所、每件の事務の伊始となりて、すなわち自我本身の中に在り。
善德因緣を具さずば、一切の開端に達せんと欲して、善德因緣を引申して自我の提昇となさんとするに、必要 自我本來を自性の中に置き、すなわち自性を以て人の基本となし、一切の外在の左右する所と受ず、さらに自性の影響を動かさず。此の種の條件 成長の必要性たる！
また自性を以て一切の根基となせば、必ず本來に回歸し、自己の心を明瞭することを得。但し必ずしも自己本體の心性を明瞭するにあらず。人の心 外在の根塵の接觸を受け、因緣和合を引動し、和合の過程に於いて、善惡を具さず？好壞を具さず？是非を具さず？對錯の差異性を具さず。
ただ因緣和合の來るを待ちて、人の所作所為に對し、善惡・是非・對錯・好壞を判定し、一切の作為を分別す。因緣和合分別を具さず、外在の根塵および所有の事務 皆 第八意識の儲藏する所に入りて、初めて再び第七意識の分別に回復し、また第六意識に返りて接收す。
人類 外境の根塵接觸すれば、因緣和合の開展を得。また自性は外界の蒙垢する所たらず、故に本心を見、本性を明かにせんと欲するには、必要 人類の因緣和合の造作する所を了解し、初めて本性を見、本心を明かにする過程に達す。然らずば開悟の境に達せんと欲するも、不可能と謂うべし！
明心見性：何性を見るや？自己の具足する原始眞霊に對するのみ！また原始眞靈 任何の污點を具さず、任何の瑕疵の影響を受くることなし。本心 正しく自己の初心にして、ただ人類 凡塵に在りて外界の引誘を受くるにより、眾生の原具する本靈 外界の左右する所となる？否なり！
本靈 無極より來り——また太極に降至り、兩儀を分ち再び四象を分ち、本 萬殊に散ずるの關なり。故に人の本靈の具足する所、また唯此のみにあらず、諸多の先天本領あり。例えば五神通（五神通）⁷⁴ また本靈の具足する所にして、さらに不善不惡の本質を具す。
ただ落凡の後、人類の所作所行 一切 本靈の思考方式を改變し、初めて善惡・好壞・是非・對錯の分別あり。依って眾生本具す：自性・仏性・聖性・仙性は、相同一體の本質なり。此を見得て、初めて眞の「本心を明かにし、本性を見る」あり。
眾生 皆 謂う：現在心は我が自己のものなりと。殊不知、現在心 不可得、過去心 亦不可得、未來心 更に不可得。また如何にして得ること能わざるや？一切の外境 時空の限制を受け、長遠に本心原始眞如を具足すること能わず、ただ剎那の間のみ。
人類有情眾生 皆 此世または過去世の中に於いて、應當 已に成就せるべし。一切の過程 必要 明瞭す：過去心・現在心・未來心 皆不可得。ただ當下の本心に在りてのみ、眞の「眞如我心」にして、また本來の自性なる！本心すなわち原來自性の衍化する所に對す。
當下の本心、すなわち現世一切を開展することを得る。有情眾生 明瞭するや否や、現在此の時の作為を、永恆の註腳と謂うべきや？一定せず！現世の鍛鍊に於いて、外在の影響を通過し得るや？自己の本性を迷濛せしむるや？外在の鍛鍊を通過せずば、當下の作為經驗の累積に影響す。
智慧の開展を成就せんと欲するも、亦 具足すること不可能なり！また人類眾生 必要 現世を經由して改造し、身心を磨難し、考磨の中に於いて、所有の作為經驗および智慧を以て成就す。外在の鍛鍊を經由して、初めて考磨を通過し得て、刻骨銘心の感受あらん。
人生 皆 不如意十之八九と謂うは、實に自己經驗の不足に由りて導く所なり。事務 來臨する時、如何に應對すべきやを知らず、眞に困境の局勢を扭轉し得るや？倘若 經驗豐富なる時、一切の事務に對し、必ず自己の行為を左右すること難く、此の種の條件 自己の體悟する感受あり！
反而って自己 事務を左右し得る。事務の來龍と去脈に對し、必要 經驗の累積を通過して、初めて智慧の開展に達す。故に智慧の累積豐富なる時、開悟の根本となし得、乃ち本心を明かにし、本性を見る具備する所なり。明心見性、乃ち自己の分內の事なり。
外在一切 皆 本性に入ること難くして、本心の影響を受く。本心を明かにして、初めて本性を見る。本心に本性を加うるすなわち當下の開悟にして、當下 自己の眞我を見る。若し現世 此の重の過程を經由せずば、無上菩提を成就して、見性の地に達せんと欲するも、必ず成就し難し！
人生の過程 一切の外在因素、五塵境の根塵接觸を通過するは、正しく自己往昔の錯處を改造し得て、自己の缺點を明かにす。若しさらに内に深觀せば、必ず自我本來の居處を明瞭し、また何處に在りや？必ず「玄一指」を受けて初めて回歸すべきや？當下 明白すべし！
人類 本來の居住する處に在りて、初めて自己をして真如（真如）⁶¹仏性に回に回歸せしむ。自性の中より開悟し、眞に自己の爲に回歸大道（大道）¹⁰の途徑を找尋す。人類 皆 外境に迷濛す。若し外境の影響を經由して改造せずば、開悟・明心見性に達せんと欲するも、正に不可能にして、さらに矛盾す！
一つ一つの関門を越えていくほかなく、その中にこそ本来の種性の観照がある。
人類 正しく生命經驗累積改造界にして、必要 智慧を通過して、初めて本來の心を明かにし、自己の本性を見る。開悟 すなわち成就す！願くは眾生 皆 自己の本心と本性を見んことを。今日 幸いに《大道回歸》を共著す。願くは崇心道場 眾生を普渡し、原靈回歸を成就せんことを：祝賀す！祝賀す！
明心容易く見性難し  必ず一關を一關過ぐべし
方法適わんば了知し難し  其中的原始種性の觀
人類は正に生命経験累積改造の界であり、智慧を通じてこそ本来の心を明らかにし、己の本性を見、開悟して成就できる。衆生が皆自己の本心と本性を見せんことを願う。本日大道回帰を共著する幸いあり。崇心道場が衆生を普渡し、原霊の回帰を成就せんことを願う。祝賀す！祝賀す！
南無大日如来仏
1997年4月18日　丁丑年三月十二日（五 )
大に三曹を開き衆生を濟度し  日光照耀して凡塵に遍く
如來如去して真に自在  來時は更に覺滿臻るを知り
第卅八回 覚満
大開三曹 眾生を渡す 如来如去 眞に自在 日光照耀 凡塵に遍し 來りし時 さらに覚満臻るを知る人類眾生 現今の世界生存の中に於いて、天機を了知し得るや、實に不可明白と謂うべし！また宇宙の變化に於いて、天機の奧祕を了知し得るには、必要 五神通（五神通）⁷⁴を具備して方に具足す。若し五神通境を具備すれば、宇宙の眞機を知曉し、上蒼の原意を明白にし、上蒼の旨意を傳達することを得。
人類生存の得知および應行の要務を明瞭し得るも、人類眾生 皆 本靈を具すと雖も、眞に五神通境界に達するは、少しと謂うべし！一切の神通力 本來 人類の應具足する所なるも、何故に現今時代の眾生 皆 此の種の成就能力なく、反って越來越沉淪するや？
人類開拓史を以て觀るに：現今文明科技時代に處して、當今社會に對して論ずれば、應當 さらに神通力を具すべく、過之無不及の處あるべく、さらに眾生の福分深厚なるを彰顯し得。亦 自己の具足する神通力、また福分の影響によりて埋沒し、當今現世に彰顯することさらに無し。
人類 本來 應具足 神通力なるに、何故に現今 彰顯すること能わざるや？本身 靈不通するに因るや？實に已に具足する神通力を埋沒せり。若し本靈の中に覺滿の境地を具足せんと欲するも、不可能と謂うべし！また科技文明 人類の生活習慣の方便性を改變し、さらに人類眾生に普及す。
現今の眾生 本具 原霊（原靈）²⁶なれども、自我の神通力を彰顯すること能わず、必要 藉由す：靈媒または竅手および正鸞生・天筆生 方に行使し得。之あり 上蒼の一切を了知し得、之あり 乩（眾）生の修持と境界に關係あり、已に具足する神通力に入りて、「覺滿」の境地を成就することを得。
靈媒または竅手および正鸞生・天筆生 本身の定力・修持の願力の多寡に觀て之を定む。人類 總て認為す 一切の溝通力量皆 上蒼より來ると。此等の鎮使命任務ある者、仙仏と相互に溝通信息するに對して、若し覺滿の境地を具さずば、現今を成就せんと欲するも、緣木求魚に無し。
此の種の條件の乩（眾）生、能く眞に宇宙または上蒼および仙仏の旨意を了知するや否や？一定せず！完全に本身「覺滿」の程度に取決す！また人類 必ず外在の五境より、之を轉化す：眼色を觀る・耳聲を聽く・鼻香を聞く・舌味を嘗む・身觸を動かして起現す。
また外在の五塵境を以て、「根と塵」の所有の相互接觸となし、初めて轉換して「根塵」前五識の觀察する所に入り、必ず轉換して經驗累積を成就し、亦 五塵境より結合して、外在因緣の起頭を成就し、再び五塵——成所作智（成所作智）⁶⁶の過程に入る。
成所作智の經驗過程、成所作智に達して轉換することを得、經驗と外在の相互結合を讓し、初めて第六意識——すなわち「意と念」の起頭に入ること有可能。意と念に對し、外在五境を經由して、成所作智に入り、一切の因緣の結合 すなわち此より開展す。
人類眾生の思考模式、若し五境を經由して——成所作智に轉化せずば、必ず第六意識の意念分別に入ること難く、初めて妙観察智（妙觀察智）⁶⁷に轉化す。人生 必ず一切の外在の動作を觀察するによりて、乃ち所有の事務の伊始に對して、初めて發號施令し、行動あるべし。
若しただ一切の變化を觀るのみにして、妙観察智に入ること能わずば、再び妙觀察の轉換によりて、初めて人生の因緣和合を產生す。正しく此より開展す。若し因緣和合の過程を經由せずば、必ず第七末那識の分別に入ること難し。人類 本具 分判の功能、正しく每人 皆 超吉避凶の本質（領）を具す。
自己の困境の中に於いて、如何に困苦を轉換して順境に達するや？すなわち第七——末那識の作為なり。すなわち轉化して——平等性智（平等性智）⁶⁸となる。一切眾生 皆平等にして、富貴貧賤を論ぜず、また「本靈および本識」に對して皆一律に平等、ただ現世の福報の厚薄 不一なるのみ。
末那識第七識の作用：眾生 皆仏性（佛性）¹¹を具し、亦 皆平等なるに、また如何に末那第七識を——平等性智に轉換するや？必要 心態および作為に觀て定む。人類の思想觀念の轉分判を促成す。末那識（第七識）すなわち平等性智に轉換し、再び第八識——阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸の儲藏に入る。
阿頼耶 本身 無記なれども、分門別類の功夫あり、また一切の導引作用を具有す。人類眾生 自我本來に入ること能うや？
必要 阿頼耶第八識の導引する所に觀て定む！若しただ儲藏の功能を具するのみなれば、また如何に因に遇いて緣と成るや？一切の作為 必ず轉換の餘地難し！
若し平等性智 分判の功能を具さずば、必ず第八識——阿頼耶の轉化する所に入ること難くして、——大円鏡智（大圓鏡智）⁶⁹の儲藏となる。每位の人類 皆「眞如と眞我」の平等性、すなわち自性を具す。若し大円鏡智を彰顯すること能わざる時は、必ず眞如仏性に達すること難し。
眾生 輪廻（輪迴）²¹の中 週而復始す。若し大円鏡智を闡揚すること能わずば、必ず眞如自我に入ること難し。人 本具 仏性（自性）、人類眾生に對して 皆 眞如自我如来蔵（如來藏）⁷¹の中に平等にして、初めて第九識——菴摩羅識（菴摩羅識）⁵¹の自我を引發し、また轉換して本靈——法界体性智（法界體性智）⁷⁰に入る。
人類眾生、如何に眞如自我を彰顯闡揚するや？仏と菩薩 皆 自我眞如の發揮者にして、眾生に帶ぐる所、正しく無窮無盡の觀摩と學習なり。假如 眾生 若し第九識——菴摩羅識に入らずば、——法界体性智に轉化すること難く、また自我本來を光輝すること難し。
かくの如し！「大円鏡智」より初めて轉化の更深一層の——法界体性智に達し、以て自我眞如 如来又如去にして永不退轉ならしむ。然らずばただ——大円鏡智に入るのみにして、亦 眞に自我輪廻を了脫し、三界の束縛を跳脫すること難く、必要 其の內涵 又 如何なるかを明白にすべし。
法界体性智：すなわち眞の自我、已に眞如の如来又如去に入りて、すなわち業因および福報の影響を受く！此の境界に至りて 已に福報に非ず、而して福報を轉ず。此時 已に業因に非ず、業因および業障果報を轉換す。人生の過程 若し此の關を通過すること能わずば、如何に自性仏體を彰顯するや？
該如何今生を成就するや？未だ現世輪廻不休なるや？または早已に三界束縛を跳脫せるや？すなわち了知し得！人 若し三界の束縛を受くれば、必要 覺行円満（圓滿）¹³、覺悟 已に開け、初めて此の種の境地に達す。然らずば時開悟し時蒙蔽し、能く眞に了脫するや または下世に寄望するや？亦 甚だ超越し難し！
人生 覺行円満、必要 滿圓に達して初めて成就す。然らずば現世に於いて 必要 一關關の考磨（魔）を以て自己を成就し、五塵境の因緣和合より、すなわち——眼色を觀るを第一識とし、耳聲を聽くを第二識とし、鼻香を聞くを第三識とし、舌味を嘗むを第四識とし、身觸を動かすを第五識とす。
前の所謂る：眼・耳・鼻・舌・身を「五境根」とし、色・聲・香・味・觸を「五外境塵」とす。「根と塵」の相互接觸因緣和合によりて、初めて一切の作為を產生し、再び「意と念」の第六識に輸送入り、外在一切の作用の如 何たるやを感受し得る！
前五識の根と塵の接觸、產生する一切 轉化して——成所作智となり、また意念の第六識に入りて すなわち——意識となり、意念 法界眾生と接觸して起因し、則ち意法起因、是を第六識とす。前五識——成所作智——轉入 第六識——妙観察智 來りて起現す。
再び第七末那識——平等性智に入りて分判したる後、再び第八識——阿頼耶識の儲藏に入り、轉化して——大円鏡智となり、正しく自我仏性の彰顯に入りて、初めて第九識——菴摩羅識に達す。實に早已に——法界体性智を具足し、則ち不退轉の境地に入る。
覺行円満 大慧智 關關考程 輕忽せず 公道 人より來りて施行す 陰徳（陰德）³⁵滿盈 福慧豐かなり 修行の過程 苦磨馳す 一步步の中 無私を行ず 覺滿 必ず徳の引あるべし 超越回歸 如意親なり當今現世の光輝本性・無垢眞我・円満眞靈・覺滿眞如を成就し得。かくの如く如来又如去、すなわち當下に成就す！また今日 幸いに大道天書を共著す。希う 眾生 眞に自己の自性を了知し、すなわち原靈回歸 有望ならん！預祝す 崇心道場 廣く眾生を渡して回歸せんことを。
公道は人の施來に由り  覺滿は必ず德引あるべし
陰騭滿盈して福慧豐か  超越回帰して如意に親し
現今現世に光輝本性・無垢真我・圓滿真靈・覺滿真如を成就できれば、このように如來のごとく如去にして、現在のうちに成就できる。また本日大道天書を共著する幸いあり。衆生が真に自己の自性を了知すれば、すなわち原霊回帰有望。崇心道場に廣く衆生を済度して回帰せんことを予祝す。
人類の本能功用―        附表二
知識をもって経験累積を成就し、智慧に轉換して開展し自性仏性を彰顯す
南無薬師如来仏
1997年4月22日　丁丑年三月十六日（二）
南無至上に佛性を呈し  藥師衆生靈を濟化す
如來真に如去に能う  佛降りて著述し自覺清し
第卅九回 自覚
南無至上 仏性を呈す 如来 眞に能く如去す 薬師 眾生靈を渡化す 仏降りて著作す 自覺清し人類眾生 今世に於いて眞に自己を了脫するを得るには、必要「自覺」にして方に円満（圓滿）¹³の境地に達す。また人類眾生 若し自覺すること能わざる時は、多麼深厚なる功德福報ありとも、亦 超脫自性の境に達すること能わず。眾生 能く自覺するや？正しく現今の眾生 應具備の最も主要なる作為なる！
人生 若し宗教の修持（修持）¹²に入るを得るは、正しく前世 已に善德之本を累積し、亦是 善因緣なり。但し每位の宗教に入る修子 皆 全部回歸することを保證するにあらず。必要 自性の啟發超脫にして初めて機會あり。また自性了悟、亦本來自覺にして、超脫の應具條件なり。
假如、自覺 若し本靈の闡揚を經由せず、また外在の考磨と魔難を通過せざる時は、必ず經驗累積あること難し。人生 世に在りて、若し經驗累積を經由して轉換し智慧となすことなくば、必ず現世に成就の機會なし。人類生存 必要 經驗累積の應用を通過す。
轉化して智慧となる、これすなわち眾生の具備すべき條件作為なり。人類眾生 若しただ修持のために修持し、行善のために行善し、功德を作すために功德を作すのみなれば、經常 自己の意識の影響を受け、ただ自己の喜好する事務を作すのみにして、往々 本來具足の眞如を彰顯すること能わず。
現今の眾生 能く修持のためにせず、行善のためにせず、功德のためにせざるや？若し此の種の觀念を打破し得ば、乃ち眞に自我の提昇たる。亦 自覺より覺他、正しく超越の基本條件なり。仏曰く「自覺者」如何にして自覺するや？如來又如去、能く明白す：眞の如來又如去の意義をや？
人生の過程 宛も旅行の如し。旅行の中に於いて、如何に閱歷と見聞および知識を增加し得るや？すなわち智慧成就の提昇あり。若し人生を未來または下世に寄望せば、往々 落空す。また時間の過往に對し、人類 經常 時・地・環境の分差によりて、自己原來の初衷を改變す。
輪廻（輪迴）²¹時空の轉換、當下に於いてすら改變すること能わざるに、また未來または下世に改變および修整せんと妄想するは、皆是 種種の理由と原因 一大堆にして、根本 皆 成就あること能わず。必要 能く眞に無私無我・無分彼此の境地に入り、當下に心智と作為を改變し抉擇すべし！
人生 現世の過程に於いて、若し：菴摩羅識（菴摩羅識）⁵¹を經由して——法界体性智（法界體性智）⁷⁰を成就せずば、若しただ阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸・大円鏡智（大圓鏡智）⁶⁹に停滯するのみなれば、正しく機緣あって自己を成就すること能わず、亦 眞に如來又如去すること能わず。また人生 ただ一幕幕の映像の連接なるのみ。
人類の作為、皆 每次輪廻また輪廻の中にあり。また人生の每階段と每一過程 往昔を成就し得と雖も、「阿頼耶識」正に不可抹減なり。人 外在の結合を通過して經驗累積を成就し得。若しただ自我本意を以て行使するのみなれば、亦 甚だ自己を提昇すること難し。
眾生 皆 如来仏を喜愛す。但し不知 如来仏 亦是 眾生修持して成就する所なるを。ただ心智と本識の過程に在りて、第八識阿頼耶識より大円鏡智を成就し、第九識菴摩羅識に入りて、法界体性智を成就すなわち輪廻の中に不退轉なるは、これ人類眾生 嚮往する所なり。
人類 法界に生存し、一切の因緣 皆是 自己の本質を成就す。有時 亦 自己より了脫開悟の過程を來し、自己を覺悟す。然らずば 若し自我檢定を通過せずば、自我內省の功夫に對して、若しただ外在の功德に賴り、または外在の因緣によりては 皆 自覺すること能わず。
覺者：正しく了悟の眾生にして、自己を了悟すれば即ち萬物を了悟す。萬物を了悟すれば即ち天地間を了悟し、亦 宇宙の過程を了悟す。人類眾生 地球上に生存し、ただ滄海一粟の種子なるのみ。天地宇宙 すなわち同一心、天地萬物眾生 亦是 同一心。
能く眞に自我自覺內省するや？必要 自我の所作所為に看て分別す。人 能く天地萬物の徳（德）¹⁸澤を行じ、仏 亦 行天地萬物の徳澤を行じ得。かくの如く兩相互照、すなわち宇宙天地萬物眾生の徳澤となる。また本靈の淨清すること能わざる時に對して、該如何 如來又如去することを得んや？
必要 自我反省に在りて、本來の眞我・原來自性に回歸するに達し、能く眞に成長に達すれば、即ち提昇回歸に在りて、早已に自覺了悟あり。自覺の過程 若し覺滿に達すること能わずば、滿圓あらんと欲するも、即ち眞に如來又如去すること能わず。此の種 自己に對して 甚だ嚮往する所なり。
眾生 仏の如來たるによりて仏を喜愛し、亦 喜愛の中に時常 膜拜し、又 時常 其の行徑を效仿す。依って「仏すなわち如來、如來すなわち仏」とも。但し「如來」 能く眞に如來又如去するは、すなわち任何の掛礙なく、乃ち仏 如來又如去を通過して、必ず廣く眾生を渡して回歸せしむ。
時代 已に科技文明に至り、知識成熟す。一切の外在 若し自我內性の彰顯を提昇すること能わずば、現今時代に處して眾生 遵循する所なし。また宗教信仰に投入するも、回歸の目標を達成すること能わず。人類生存 必要 五境の轉換を通過して、經驗累積となる。
經驗の中 酸甜苦辣を論ぜず、皆 自己の意會する所にして、自己經驗の獲得する所、正しく刻骨銘心の累積・體悟・傳承・經過なり。經驗より自己の本質を了知するは、正しく自己の眞如仏性なり。初めて「漸悟」の中より轉換して「頓悟」となり、今世に超越す！
自覺 必要 円満にして、覺滿 必要 能く滿圓なること。如何に圓圓として滿滿、滿滿また圓圓たるや、正しく眾生修持 必要 遵循の目標なり。然らずば 若し成仏し得るも亦 仏にあらず、ただ弗なるのみ。亦有 魔性に變ずる可能あり。若し人を加うることありて初めて成仏の契機あり。因んで生は人にして 仏にあらず。
若し仏 眾生を離るれば、未だ仏體なるや？仏 亦 ただ弗にして、仏にあらざるなり。故に仏 必要 眾生の因緣を通過して、初めて仏の名稱を成就す。然らずば：仏 亦是 眾生、眾生 亦是 仏、唯だ如此のみなるや？亦 ただ名稱および不同層次の有情眾生なるのみ！
自覺成就し自ら創造す 種種を經て來りて考磨す 覺他 必要 無私を行ず 自利利他 相輔助す 人間 甚だ此に到ること難し 才有 此の如き大福報 有教無類 亦是如實 成長提昇 大慧智今日 幸いに《大道回歸》第卅九回：自覺を著作す！吾仏 特に來りて消災解病殃の甘露を賜予す：茶水を備えよ！此の茶諸賢生および今夜堂に來る諸善信大德に賜與し、能く業劫を消し病殃を去り福慧を增さん。また祝す：無極大道院・懿敕崇心堂 廣く菩提を開き、眾原靈回歸を成就せんことを。
種種の考磨を経て  才めて此の如き大福報あり
覺他は必ず無私を行じ  教えて類無きもまた実の如し
自利利他相輔助し  成長提昇して大慧智
本日「大道回帰」第卅九回「自覺」を著述する幸いあり。吾佛特に災病殃を除く甘露を賜る。茶水を備えよ。この茶を諸賢生および今宵來堂の諸善信大德に賜り、業劫を消し病殃を去り福慧を増す。また祝す。無極大道院・懿敕崇心堂が廣く菩提を開き、衆原霊の回帰を成就せんことを。
南無阿弥陀如来仏
1997年4月25日　丁丑年三月十九日（五）
南無衆生如來を念じ  阿彌陀經觀自在
如來如去して真の實際  佛降りて著述して滿圓開く
第四十回 満円
南無 眾生 如来に歸す 阿弥陀経 觀自在 如来如去 眞の實際　仏降りて著作す 滿圓開く人類眾生 現世の中に於いて、修持に入るは善德の因果（因緣）⁵あり。本靈 宗教の教化を受けて、必要 能く眞に自我本靈を彰顯す、すなわち仏性（佛性）¹¹なり。また本靈 趨向する所、必要 法界体性智（法界體性智）⁷⁰に入り、すなわち眞如「菴摩羅識（菴摩羅識）⁵¹」の中にして、初めて円満（圓滿）¹³の境界に達す。
眾生に對し 必要 自我檢驗・自我改造を通過して、初めて自我円満に達し、滿圓の中に自己を成就し、自己を了脫することを得。人類眾生 自我の中に原本 已に「仏性本質」を具す。必能 眞如仏性に入り、必要 此の種の境地に達して、初めて円満にして無缺なるを具有す。
人類生存の過程、すなわち眞に六度万行（六度萬行）⁵⁹——「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧」を実行すべし。初めて現世の中に、自己を提昇して超越す。若し六度万行の功能作用に入り得ば、すなわち自我檢定に在り、一切の修整を通過し、人生改造の經驗あるべし。
人 能く言い・能く動き・能く思考す。故に三界（三界）²⁴の中 天地人三才（三才）⁷⁵に立ちて、若し此世に於いて 自我本靈の原來を行使すること能わずば、自己を成就することも比較的困難なり。また人生の過程、必要 一切の外在五塵境を通過し、根塵の相互接觸に在りて、初めて自己に經驗累積を促す。
經驗累積の後、初めて智慧に轉換す。知識の獲得する過程に在りて、人生歷練を累積し、知識を轉換應用する すなわち智慧なり。修持（修持）¹²の過程 亦是 此の如し。然らずば 自我提昇の要求に達成すること能わず。人世の中 若し知識の轉變を經由せずば、智慧の成長を獲得することも能わず。
此の種！根と塵の接觸過程、「扶塵根と淨色根」の兩者 相互に交換應用し、扶塵根を轉じて淨色根となして成就し得。
人類 世に生存し、根塵の接觸に對し、每位の眾生 皆 事實に面對し、每日の見る所・行う所・動く所・言う所より、因緣和合の相互接觸に達す。
每次の因緣和合の接觸過程、自己往昔の業（業）¹⁹の因を改造することを成就す。人類眾生 「生命改造界」にして、若し生活改造によりて自己を成就すること能わずば、滿圓の境地に達せんと欲するも、不可能と謂うべし！人類の習性氣秉と信仰に對し、經常 根深蒂固にして、學習過程を轉換すること能わず。
若し永遠に一顆の學習心態と作為を保持し得ば、必能 根と塵の接觸の中より、自己の缺點の何處に在るやを了知し得。
學習過程に於いて、一切の不良なる氣習（秉）を完全に棄除し、原來「有稜有角」の個性を、磨（魔）して圓圓にして滿滿、滿滿また圓圓となす。
倘若 眾生 此を以て自己の本質（自性）を成就し得ば、すなわち原始初心 圓圓にして滿滿に達す。人類生存の過程、自己の不良個性に使されて、円満と滿圓ならざるに致すや？かくの如く為さば、即ち人生 諸多の不足を欠缺し、また如何に改進すべきや？
人生の過程 任何の外在角度を求めず、正しく每一件の事務の円満に取決し、滿圓を以てす。また周遭の人・事・物をも円満すべし。一切眾生に對し、動植物および有情世界の眾生を含括し、生命の長短・富貴貧賤を論ぜず、皆 有情世界の光輝を彰顯し得。
人類眾生 覺有情（覺有情）⁵⁸に於いて、すなわち大乗（大乘）⁶⁰菩薩行（菩薩行）⁶²なり。大乗菩薩行を行使完成せんと欲すれば、すなわち菩薩境界より仏果境界に入り得。一切蒼生 皆 有情世界の眾生にして、應 彼此を分たず 汝我を分たず、初めて大慈・大悲・大智・大慧・大願の有情世界を彰顯す。
現世の中：若し大乗菩薩行 覺有情の作為を行使せずば、仏性世界に入らんと欲するも、不可能と謂うべし！亦 眾生 皆汝我の分別ありて、此の藩籬（藩籬）¹⁷を打破すること能わず、分別と對待の中に在りて、自己を了脫し三界輪廻を跳脫すること難し。
覺有情の所有眾生、應具す：大慈・大悲・大智・大慧・大願、初めて仏性本質を彰顯し得。福澤を自我に求めず、應 眾生に施捨して、初めて自我提昇す。福澤を求めざれば 則ち福澤具足す。外在一切を祈求することなく、即ち一切を具足す。
有情眾生 必要 此の境界に達して、初めて滿圓なり。滿圓 現今眾生の中に往々較欠缺にして、また如何に放得下・看得開たるや？即ち外在の影響を受くことなく、再び輪廻に入ることなし。かくの如く 有情眾生 必能 受惠良多にして、往上增長提昇す。
円満の境界、乃ち眞に開悟 必須具備する所なり。人類生存の過程に對し、即ち不円満の中より 円満に改變す。任何事も円満の中に達成し、滿圓の中に成就し得！人生 此の如きや？實に人世間「吃虧 即ち 佔便宜」、即ち一切の円満を通過し得。
圓圓にして滿滿、滿滿にして圓圓、乃ち有情世界の眾生 元（原）始初地に回歸するなり。すなわち眞如自我、本靈眞我・赤子の心の原靈、すなわち如来蔵（如來藏）⁷¹の自性にして、亦 現世當中 已に仏と成れり。大乗菩薩行 滿圓の境界を保持して、仏體となる。
仏性に對し：即ち円満にして無缺、無垢にして掛礙なし。人類生存 即ち此の如く、乃ち眞に回歸を作して、三度空間三界の束縛を受くことなく、能く眞に大道（大道）¹⁰に回歸し、自然而ら本靈なり。祈望す 諸仏子 皆 能く深切に上蒼 廣く眾生を渡す苦心を體悟せんことを。
《大道回歸》：至此 已に全部円満結束す。能く滿圓すれば 即ち円満、能く円満すれば、眞に滿圓なるは 回歸せずして已に回歸す。かくの如く 本靈 即已 三界を跳脫して 無極理天に直超す。吾仏 今夜 幸いあり！《大道回歸》第四十回：滿圓を著作す、因緣 相當 殊勝なり。
《大道心燈》共著36回、《大道天德》共著32回、《大道回歸》共著40回、合著 共に108回たる。正しく天地36天罡72地煞の円満に符合し、即ち回歸大道 滿圓にして、亦 能く上蒼10800年 廣渡教化に符合し、原靈を成就して回歸超越せしむ。
滿滿圓圓 好因縁 後代を教育し來りて傳承す 圓圓滿滿 是れ根基 生命改造し超越を作す 陰徳（陰德）³⁵福德 大願を行ず提昇し未來 福 滿に添う 人生一世 好福氣 回歸円満 大道（大道）¹⁰の機崇心道場 能く弘揚す：天徳（天德）³⁸・母徳・玉徳・論論徳・仏徳 皆 具す！期盼す 分別せず：儒・道・釋・耶・回、五教（五教）⁹同源なることを。實に對して：三教同宗 亦 一花五瓣！回歸 即ち當下に在りて、現世の中より 自己を成就し、亦 眾生を成就し得！
生命改造して超越を為し  回帰圓滿にして大道の機
崇心道場は弘揚できる。天德・母德・玉德・諭德・佛德を皆具える。儒・道・釋・耶・回を分別せず、五教同源、実は三教同宗にして又一花五瓣。回帰は現在のうちにでき、現世において自ら成就し、また衆生をも成就できる。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋一
太上道祖 道德天尊
1997年4月29日 丁丑年3月23日（火）
太上道祖降聖堂 道德天尊助弘揚
大道回帰已完成 降来著跋啟禎祥
跋 一
大道回帰はすでに著作完成し、その間に三教および諸天の高真が降堂して著作した内容を融合しています。これらは皆、諸天の高真が昔に成就した経験の過程であり、その経験をもって現代の衆生を成就させるものです。現代の善書の中で、仙仏の過去の経験をもって衆生を成就し得るものは、まさに得難い天書と言えます！
現代の衆生が理解できる過程は、無明の障によって自己の本霊の顕現が妨げられています。この過程を変えることができ、現代の仏子たちと衆生を成就しようとするなら、特殊な天書と言えます。そのため上天は特に崇心の「大道回帰」を重視し、広く衆生を救い、自己の本霊に立ち返り、自ら行なうことを願っています。
自ら顕し、自ら向上することは、有情衆生の原霊仏子が悟るべき第一課です！「大道心燈・大道天德・大道回帰」これらは上天が下した「大道天書」を一貫した教えとして、真に修行する者に、真に自分の本来を悟り、自分自身と衆生を成就することを期待しています。
上天はまた、仏子たちが悟りの中で、自分を成就するだけでなく衆生も成就していることを見ています。つまり縁によって縁を引き、皆が手を携えて回帰し、真に三界の輪迴を脱し、無極理天の境に達し、龍華三會において衆生が皆帰還するのです。
「大道回帰」は現代において、天書を知る中に、まさに一冊の得難い殊勝な著作であり、また自己の本来を高める天書の宝典です。この書はまさに出版して世に広めます。この天書を宣揚し、上天の心に沿い、共に仏子たちの帰還を助けます。跋とします。
太上道祖 道德天尊 跋を降す
無極大道院 懿敕崇心堂
天運丁丑年三月廿三日戌時
跋二
南海古仏
南海古仏降道場 無極大道真吉祥
懿敕崇心著天書 大道回帰普天揚
跋 二
私の仏が大道回帰を著作し、南屏道濟古仏と共に主著仙師となりました。「大道心燈・大道天德・大道回帰」において、皆私の仏の二人が主著仙師として、その間に理筆陳生が諸天高真仙仏の心血と経験の結晶を完成させました。本当に苦労が多く、感心するばかりです。
崇心道場で聖命を完成し、この三冊の天書をまとめて今後の一貫教学の宝典とします。これは無極皇母の美しい徳と昊天玉帝の慈悲仁愛によるもので、また南天主宰が理筆を推薦したおかげで、真に最初に著作の聖命を完成できました。そのため諸天仙仏の期待は非常に高いのです。
さらにこの天書の宝典は極めて得難いものと見ています。「漸悟」と「頓悟」の基礎から、「漸修して頓悟に至る」境地によって物事を理解し、衆生は一歩一歩自己の本霊・本来・仏性を顕さなければ、「大乗菩薩行」の境地に入ることができません。
大道心燈・大道天德・大道回帰は、まさに一貫した教育の連なる基礎です。この天書は基礎的ですが、実際には昔の天書が達し得なかった境界を超越しています。もしこの三冊を一つにまとめれば、衆生が段階的に修行の過程を理解し、深い悟りの境地に達することができるでしょう。
現代の衆生よ！天界の因縁を知ることができるのは、実に稀なことなのです！真に自己の本霊を顕し、自性・仏性を説いて道理を悟り帰還できるなら、今この瞬間に！悟って自ら帰還し、まさに着実に向上超越するのです。必ず上天の徳沢を体悟してください！
大道回帰：今やすべて著作を終えました。私の仏の二人がこの天書著作の聖務を完成し、また喜ばしく思います。未来に向けてなお多くの殊勝な因縁を実行し、必ず堅い意志で達成し、実際の救済効果を持たなければなりません！この天書が発行された後、広く衆生を救って回帰させましょう！跋とします。
南海古仏 跋を降す
無極大道院 懿敕崇心堂
天運丁丑年三月廿三日戌時
跋三
南屏道濟古仏
南屏道濟古仏降 崇心道場不一樣
理筆陳生真辛苦 諸生辛労功亦彰
跋 三
大道回帰はすべて完成しました。老衲は本当に嬉しいです！今夜「大道心燈・大道天德・大道回帰」この三冊の天書を完成できたのは、まさに上天がすでに定めた聖務であり、この天書を理筆に「天音伝真」として著作させ、三界の高真の心血が凝縮されたものです。
春風化育に転じ、世に頒布し、衆生に依拠と悟りの機会を与えます。深く各章節を体悟すれば、自分の本霊の中で真如仏性を高め、自己の如如自性を向上させ、無上の智慧を開き、今世を成就し、無極聖境に帰還できるのです！
大道心燈・大道天德・大道回帰は、合計108回を著作し、36天罡・72地煞の円満に符合します。天罡地煞の中で衆生の業因を転換し、衆生の悪因を解脱するのです。この徳沢は、過去には非常に稀な条件であり、今になって初めて上天の「大道演繹」の契機が訪れたのです。
衆生の自己回帰を成就することが、上天が三冊の天書を著作した本来の意図であり、この過程の中で、劫数を解脱し、業障を清め、智慧を開き、真如仏性・蓮花仏国の果に達します。また三教の教義を融合し、天道・キリスト教・イスラム教の精華を合わせ、現代に降った仏子を成就します。
縁によって縁を引き、円によって円を引き、五濁悪世に沈んだ有情衆生を導いて回帰させましょう！この天書を広く宣化し、儒・道・仏・キリスト教・イスラム教、および一貫天道を分け隔てず、すべての宗教の修行者が自己の本来の境地に回帰し、成長超越できるように。跋とします！
南屏道濟古仏 跋を降す
無極大道院 懿敕崇心堂
天運丁丑年三月廿三日戌時
凡例
南天文衡聖帝
南天開啟大道路 文衡保奏理筆殊
聖帝降来著凡例 師言衆生回心初
凡 例
一、大道回帰：説く真理は、現代の儒・道・仏・キリスト教・イスラム教および天道の真の修行に合致し、修行者を自性の真我に回帰させる。まさに一冊の得難い天書の宝典である。
二、大道回帰の著作において、各章回を必ず丁寧に体悟し、真髄を理解すべきである。三界高真の心血の過程を融合しており、この書の殊勝な因縁の場所には仙仏の加護がある。汚してはならず、清潔を保って天神の福運を招くべきである。
三、大道回帰：著作の目的は、現代の衆生が自己の本来を自覚することにある。一切衆生は仏性・聖性・仙性を持ち、皆自ら顕して回帰でき、仙仏に頼って成就するのではなく、自分で自分を成就してこそ真実である！
四、大道回帰：著作完成後、必ず編集出版を強化しなければならない。この書を広く宣化し、多く印刷して無量の衆生を成就する。この天書は崇心堂の今後の教学基礎となり、儒・道・仏・キリスト教・イスラム教および天道の修行者の修行指標となり、修行参考の天書の宝典として提供する！
五、大道回帰：書を提出する前に、修行者に願いがあれば、この書を多く助印することができる。上天は斟酌して業障の消除・業報の完済を与え、自己の性靈を清浄にし、上に昇らせる。
六、大道回帰・大道天德・大德心燈：またこの三冊を一つにして、将来の弘化の基礎とすることができる。丁丑年六月廿四日に謹んで、玉皇大天尊 玄靈高上帝の聖誕を祝し、書を天庭に提出する。修行者たちの苦労と努力を上天は裏切らない！
南天文衡聖帝 凡例を頒す
無極大道院 懿敕崇心堂
天運丁丑年三月廿三日戌時
完書繳旨
崇心主席 文衡聖帝
1997年4月29日 丁丑年3月23日（火）
無極降旨到聖堂 崇心諸生排兩班
大道修士皆一樣 恭聆母命降道場
恭しく 懿旨を 迎える
今宵、母の命が堂に降り来ることを恭しく聞き、本堂の福德正神および観音菩薩に十五里の外で御駕をお迎えさせ、本堂の天上聖母および済公活仏に十里の外で御駕をお迎えさせます。その他の無極大道院の修行者たち、諸賢生および本堂の神仏は列を整えて御駕をお待ちする。失礼があってはなりません！
無極駕前 九天玄女仙姑
無極頒旨到道堂 懿敕道場普天揚
崇心堂中著天書 大道回帰不一樣
母の命が堂に到着して旨を下すことを恭しく聞きます。神人は列を整え俯伏せよ。失礼があってはなりません！
懿旨を 読み上げる
恭敬に 奉ずる
無極皇母大天尊 懿旨に言う
母は理天の聖地にあって、衆霊児が凡に堕ちた後を見るに、自己の本性を見失い、常に六道の中を輪迴して休まない。故に母の心を悲しみ泣かせ、時に門によって霊児たちの帰還を待つ。しかし待っても待っても心は満たされず、霊児たちが帰ってくることを望むのは、まさに心が焦げるようであり、聞く者は遠く果てしない。
まるで母心のメッセージを受け取れないようで、この無明はどうしようもない！常に母の心を痛ませてきた。今、台湾の懿敕道場崇心堂で、理筆陳児が母の心の徳を体し、「大道回帰」を著作して、衆霊児に報いて無極天梯に帰還させ、二度と六道に沈まないようにする。
今やすべて著作完成し、功績は高く果報は大きい。三界の聖神仙仏の苦心の著作は、必ず霊児を目覚めさせて回帰させる。実に母の望むところであり、今やすべて完成し、「大道心燈・大道天德・大道回帰」の三部天書がまとめられ、実に現代の霊児たちが回帰するための最も主要な依拠となる。
母の心は大変喜んでいる！崇心堂の神人たちを見ると、志を立て勇んで母の命を完成し、母の心配を分担してくれた。よって特に各霊児に五千功勲を授ける。全勤を基準とし、二分の一に満たない者は半分とする。この功勲は現在の福報に変換でき、霊児たちが母の心配を分担した苦心に報いる。
崇心道場の神仏は功績を三等加える。寛慰のために、崇心の霊児たちが理筆陳児の導きのもと、母に代わって霊児たちの帰還を迎えることを望む。これが母の深い願いである！志を立て聖命を完成し、母の意に背いてはならない！
謹んで怠らず  神人叩首して謝恩す
無極皇母大天尊 懿旨を下す
無極大道院 懿敕崇心堂
天運丁丑年三月廿三日戌時
崇心副主席 麻仙姑
皇母降旨頒道場 無極元君麻姑降
懿敕崇心著天書 今已完竣普吉祥
今宵、無極皇母が懿旨を道場に降し、本堂を慰賞される。現今本堂に欠けているのは福報である。よって皇母の慈仁により功勲徳沢を福報に変えて諸賢生に賜る。皇母の徳沢と用心深さを深く体悟せよ！
諸賢生が大道回帰を著作するために払った辛苦と心血は決して無駄にならない。上天もまた各人の必要に応じて、最も切実に必要とする賢生に福報を賜る。上天の崇心道場への厚い扱いを深く体悟し、上天が崇心堂に何を期待しているかを理解し、大切にしなければならない！
今宵、無極皇母が諸賢生に賜った旨を、必ず大切にせよ。これは皇母の崇心への深い思いやりであり、また今後の崇心堂の聖務発展のために努力せよ！上天と無極皇母の成全の恩恵に背いてはならない。未来の中で必ずこの一切の天机を理解する時が来る。