大道シリーズ叢書 第5冊『大道規範』
日本語版
◆ 前置・序 ◆
大道規範–編集誌
大道シリーズ叢書第五冊
懿旨
崇心主席 文衡聖帝
序
南海古仏
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
南屏道濟古仏
有情衆生 凡に落すや 即ち先天の本質を迷失す。人世間に於いて ただ人類の重種行径 一切の開端を形成する。人世間に
は生活の過程を要し、始めて自己 人類生存の環境に適合し得る。有情衆生 皆 生活を目的とし、また生活のために生活
し、生活のために生活す。
第二回 行菩薩道
南海古仏
人生の目的 修と無修の過程を論ぜず、必ず自己の行ふ所 為す所 上蒼の原意に符して、始めて無私無為（無為）³⁹の奉獻
者と稱し得る。また人生の目的 合して——生活のために生活するのみならず、自己の行ふ所 為す所 天地良心に符合し
さらに衆生に造福するにあり、これすなわち菩薩道を行持するの具足であります。
第三回 上求下化
北極玄天上帝
人類衆生 現世に於いて菩薩道（菩薩道）¹⁶⁴を行ぜんには、必ず相當の信心と願力を要す。また行ふ所 為す所 自己のため
のみならず さらに衆生のため、すなわち自利して利他す、まさに當今時代 衆生 了知すべき過程であります。「上求下
化」は必ず自己 上行下效の作為をもて、自己思想觀念を改變すべきであります！
第四回 自利利他
九天司命真君
人類衆生 凡塵に在りて、いかんじて大乗（大乗）⁶⁰菩薩行（菩薩行）⁶²の作為をもて、自己成長を造就し、自己 豐富な
る資糧（資糧）¹⁶⁹を具足せしめたる後に、方 人類衆生に下化する能力あり。必ず上求自利して、始めて下化利他し得
る。亦 自利の後に再び利他する、まさに相當殊勝なる提昇であります。
第五回 犧牲奉獻
戊寅値年太歳 曾光星君
衆生 凡塵に在りて下化の資糧を具備せば、まず自利して後に利他するを要す。必ず先ず自己の富足を具え、初めて衆生
を造福する力あり。犠牲奉献（犧牲奉獻）¹⁷³の舉動は自己富足の後、「福餘」ありて利他の作為を行う。またこのこと
すなわち人世間において應行の事務であります。
第六回 捨己成全
精忠武穆王 岳元帥
大道（大道）¹⁰は、自然にして然るべく天地間に運轉し、人類萬物 飲食によりて身體を滋養し自己を成就す。また衆生に
「無私と無為（無為）³⁹、無我の觀念」を給予す。これ萬物 人類の生存潤生の過程を供給するにより、必ず食物連鎖の組
合を要し、初めて事務連鎖の接續あり。
第七回 天地有情
南宮孚佑帝君
天地 自然にして然るべく運轉し、亦萬物衆生のために護佑す。自然にして然るべく中に行使するに、その間 諸天の仙仏
（仙佛）²⁰高真によりて、すべての運轉過程を主導す。また每一つの環節にありて、四時季節に按照し、「風調雨順、地
靈火合」ならしめ、安適なる生存あり。
第八回 眾生有愛
豁落靈官 王天君
天地有情（天地有情）¹⁷⁵ 萬物衆生の潤生過程を長養し、必ず衆生の行為動作ありて、人世間において愛の舉動を促進
し、亦有情世界に入りて自己應行の事務をなす。これすなわち有情の人類衆生 必ず我が愛する所を愛して、初めて凡に
在りて作為を達成し得る。
第九回 誓渡眾生
南屏道濟古仏
仏 曰く：四弘誓願（四弘誓願）¹⁷⁷、凡塵の衆生を引渡すは、必ず自己 成就の資糧を具備して、初めて仙仏（仙佛）²⁰に
引渡すことを得。然らざれば人類の凡體 また身軀を加重し、業（業）¹⁹性も垢識を清除し得ず、又いかんぞ清澈なる本靈
ありて自行回歸をなさん？これ甚だ難し！
第十回 誓斷煩惱
中界至尊 東嶽大帝
四弘誓願（四弘誓願）¹⁷⁷：まさに仏家の倡導する眞諦であります。凡塵の中に在りて 衆生 仏教の修持（修持）¹²に入り
て後、「四弘誓願（四弘誓願）¹⁷⁷」を施行するに形成し、諸多の戒律（戒律）³³と應行の事務あり、人世間 太だ多き煩
悩（煩惱）の種子因ありて、煩悩（煩惱）に困らるることとであります、初めて「菩提（菩提）¹⁷⁸智慧」の轉換と提昇
あり。
第十一回 誓學法門（真理）
南無文殊師利菩薩
四弘誓願（四弘誓願）¹⁷⁷を弘揚す：まさに仏家の基本教義であります。仏道の修子 これを圭臬とし、またこれを目標と
して、人世間において大乗（大乘）⁶⁰の行持をもて作為すれば、すなわち確實に自己の本願を施行し得る。每位の衆生 修
持（修持）¹²の過程に入るや否やを論ぜず、皆自我の規範、自我の心態觀念の行使を受く。
もし仏道の博大精深をもて、衆生 修持（修持）¹²において、自己をもて自己を成就し、また衆生をもて衆生を成就し得
第十二回 誓成佛道
南無地藏王菩薩
「四弘誓願（四弘誓願）¹⁷⁷」を經由して衆生 修持（修持）¹²の關係に因りて、自己を成就し 又衆生を成就し、さらに無
上菩提（菩提）¹⁷⁸を成就し得る。仏道（仏道）¹⁸¹の精華、初めて人世間 修持（修持）¹²の調整と改造を通じて、無上仏
道（仏道）¹⁸¹成就の機會に入るを得。修持（修持）¹²なくば、仏道（仏道）¹⁸¹誓願成に入らんと欲するは、卽ち不可能
なり！
第十三回 內果外功
南無普賢菩薩
凡塵の衆生 宗教修持（修持）¹²の過程に入りて、卽ち廣く善縁を結び、又各類の善舉に參與し、自己 行功立德し得るを
給予す。卽ち凡塵の中に種種の功德（外功）を累積し、亦自己の累積する所の功德をもて、因果（因果）⁵業（業）¹⁹障
の折磨を轉換し、福報の具足する條件基礎を給予す。
第十四回 心性心魔
漢鍾離仙翁
人類衆生 宗教信仰の中に在りて、内果（內果）¹⁸³ 具足して後、必ず淨靈をもて主要關鍵となし、初めて心性を定住し
得、心魔（心魔）¹⁸²の擾するを受けず。心性の「純眞善良と心魔（心魔）¹⁸²險惡」に對し、又人類本性の體 兩面なるの
み、心性本善の中に 已に心魔（心魔）¹⁸² 擾するを伏す。
第十五回 降伏心魔
南無文殊菩薩
人類衆生 宗教の教化を受けて、「心の作用」を了知し、修持（修持）¹²に於いて いかんぞ心中の魔性を降伏すべきや、
自己 修持（修持）¹²の過程に於いて 先有利己の行爲を給予し、必ず心中の魔性を降伏して、初めて「心猿」を束住し
得、「意馬」を馴伏し得る。
第十六回 淨化靈性
南無大勢至菩薩
人世間の種種の因縁和合、我の執持あるによりて、必ず自己應行の事務と欲成の事務あり。此種 自己に給予するに、我
の所欲と不欲の分差あり。また人世間の種種の因縁和合、ただちに心念意識の中に入らん：人類の本霊に對し、必ず「心
念意識」よりて引發されるのであります。
第十七回 心魔化除
南屏道濟古佛
人類衆生 凡塵の每一件の事務、個人の往昔の經驗によりて累積し、自己の行く所と應行の方向となす。一切の作為 まさ
に自性の中に「仏性（佛性）¹¹あり、魔性あり」の分別性にして、每次の行事 皆正反兩面の抉擇を受け、一方 かくの如
くせんとし他方は然らず。
第十八回 淨化內性
南無観世音菩薩
人類衆生「魔性と魔境」の中に入りて、また內性を化除すること能わず、すなわち左右される所となる。倘し浄化（淨
化）¹⁸³すること能わざる時、必ず人世間の因縁障礙を了脫し難く、一切の有情衆生 修あると否とを論ぜず、ただちに自
己の內性を浄化（淨化）¹⁸³提昇し得るや否やを端觀す！
第十九回 內性自淨
南極仙翁
人類衆生 生存の取向に在りて、すなわち自己の行う所為す所の一切事務をもて、因縁和合の造就に融和し、ただ凡塵に
おいて自己の事務をするのみなり。また他の過程も皆本身よりて行使し、一切の事務に對し 若し自己「心性を浄化（淨
化）¹⁸³」すること能わずして、他人に靠りて浄化（淨化）¹⁸³せんと欲するは、これ不可能なり！
第二十回 佛性彰顯
南天主宰 文衡聖帝
人類衆生 凡塵に在りて、環境の種種の歷鍊と折磨を受けたる後、すなわち豐富なる人生經驗あり、まさに人生の甘苦酸
甜を遍嘗して、また人世間の因縁和合の傳承を促成し得る。若し人生の甘苦酸甜を遍嘗することを經ずば、又何ぞ豐富な
る人生經驗と知識資糧あらん！
第廿一回 佛性再顯
南無虚空蔵菩薩
人類衆生は凡塵の世界において、仏性を彰顯することにより、初めて大乗菩薩道の覚有情の境地を行じることができる。仏性を彰顯することはすなわち魔性を棄てることであり、「佛と魔」は互いに向き合う対を成し、仏性が彰顯するたびには必ず魔性が干渉しに来る。「佛と魔」はまさに一体にして両面のものであるからである。
第廿二回 唯識理論
虚空上人—南無虚空上徳人天古仏
心性・心仏・心魔・心本、皆これ至真の本體なり。人世間に於いては正に自己の主人となるべし。只だ生存潤生の爲のみならず、又ただ自己の奴隷となるのみにもあらず。此の如きは提昇し難し。假如真理明朗ならざる時、縱使さらに高深の功德と福分とあれども、皆真理を暢べて衆生を広く渡すこと能はず。
第廿三回 唯識觀念
無極元君 麻仙姑
衆生は自性の當に於いて「佛性と魔性」の兩者を以て凡塵に應用す。此の矛盾の現象は皆心念意識に由りて生じ、「萬法唯心・萬殊唯物」の兩者に在りて、「心と物」とは即ち凡塵衆生の依賴する行徑にして、每一の過程と環節は皆心念意識に由りて主導さる。
第廿四回 唯識行徑
崇心主席 文衡聖帝
大乗菩薩道覺有情の境界は人世間を通じて「阿賴耶識」の垢識を淨化して始めて「菴摩羅識」真如佛性を彰す。又一段階ごとに了知すべき範圍にして、大乗菩薩行覺有情の境界を行持せしめ蓮花佛果（國）の位階に入り得べし。
第廿五回 十二因緣
南屏道済古仏
人類の衆生が凡塵に入れば、第八識すなわちアラヤ識の不良なる垢穢を浄濾し棄除することもできず、仏性を再び顕すこともできない。また仏家の『唯識理論・唯識観念・唯識行径』、および十二因縁の過程を理解し得てこそ、この世界における人生の様々な作為を展開できるのである。
第廿六回 六道輪迴
霊宝大天尊
有情衆生が十二因縁の展開に入った後、あらゆる事務は必ず相続し、互いに結合する。また輪回輾転のたびに、六道によって霊性を極めて変更困難な位階に置き、六道輪回のたびに霊性の垢穢を増加させ、考磨の機会を添加するのである。
第廿七回 含因改造
太乙救苦天尊
衆生が凡塵に入れば、十二因縁によって促成され、六道輪回が続き、輪回のたびに垢穢を累増する。しかし垢識の中にはなお経験があって転換に供し、人世间の日常生活に 必要な一切を調整することができる。
第廿八回 生歡喜心
天官武財神 趙公明元帥
衆生は凡塵にて六道輪廻の相続を受けつつ、含因を転換し改造し得るだろうか。この過程において、もし重苦しい心境で臨めば、必ずや己が心中に本来具わる自性を開くことは難かろう。もし歓喜心をもって、いかなる横逆の阻害に直面する際も、心中に湧き起る「心悦と歓喜」を展開させることができるのである。
第廿九回 觀念轉化
温瓊天君 顕徳元帥
人類衆生が世間において思想し行動することは、第六識である意識、すなわち感覚神経を経て接收された後、直ちに第七識である末那識に伝達され、分判・組合せされる。これこそが一切の作為の根基であり、すべての動作は末那識に主導され、第六識である意識感覚神経に向かって外部へ向けて発号施令するのである。
第三十回 落實生活
斗口霊官 馬勝天君
人類衆生が人世间に生存するにあたっては、修持改造を経ることにより、業を造る機会を減らし、さらに己のために帰還の天梯と資糧を造就することができる。修持とは個人の含因の累積を改造することであり、実際に生活の過程を必要とするが、人道生存という関門を跳躍脱出することはできない。
第卅一回 當下實行
南屏道済古仏
人生のプロセスにおいて当下に実践してこそ、人世間における開拓の準備が整うのである。自ら当下をいかに行使すべきか、これが最も重要である。衆生はすべて怠惰な性質を持つがゆえに、一つの事において十日半月も引き延ばしてから実行し、さらには先延ばしできるものは先延ばしし、当下において完成させようとはしない。
第卅二回 逍遙自在
無極中壇 三太子元帥
人類の生活のプロセスに落实するには、日常の中に実際に生活し、修持の過程を経て、自らを真に人世間においてすべての過ち・不足・欠乏を修正改善させなければならない。これには自らの行いを以て真理を暢らかにし、人世間に入り、潤生を為すのみである。
第卅三回 了無罣礙
虚空聖徳仙姑 天上聖母
逍遙自在にしてまた自在逍遙たるには、「了無罣礙」であってこそ真に修持の道において総合的な提昇を図ることができる。自らに真に「了無罣礙」をなし得るか。人世間において修持の準備をするには、人の心の中に清澈にして雑念なく、さらに一切に罣礙なきことを要する。
第卅四回 福德無窮
天官福德明王
人世間の修持の過程において、真に逍遙自在たるには、了無牽掛と了無罣礙を要し、さらに「福德」が窮尽することなく、長遠に行持を為すべきである。いかなる仙仏菩薩・聖神の過程にあっても、必ず福德と智慧を具足してこそ、自らに窮尽せざる福報を与えることができる。
第卅五回 真如實性
南屏道済古仏
人類の衆生が世間において种种の行径、福德無窮を具足せんと思わば、智慧を用いて初めて展開でき、「智慧と福德」は両相具足を要してこそ、真に人世間において行持の作為があり、人世間において「真如实性」をもって修持の道において自らの主人となるのである。
第卅六回 金品蓮台
南海古仏—南無観世音菩薩
人類衆生が逍遙自在に自性・仏性を彰顯できるためには、無窮の智慧と無窮の福德を具足し、圓満自在に己の果位を成就できなければならない。すなわち個人の所作をもって己を成就するものであり、佛菩薩の果位に累積されたものであって、己を不退転の境地に入れるのである。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
太上道祖 道德天尊
完書繳旨
崇心主席 文衡聖帝
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
大道シリーズ天書第五冊——大道規制に関する著作は、すべての人類が日常の生存において「真詮及び規範」の施行を必要とするものである。これにより良き安居の生活が得られ、もしこれを超えれば、多くの不足して難安なる困惑を生じ、他者にも多大なる障害を及ぼすのである。
大道規範――推薦の序
懿旨
1998年3月17日 戊寅年二月十九日（二）
序
1998年3月20日 戊寅年二月廿二日（五）
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
1998年3月24日 戊寅年二月廿六日(二)
人類 日常の生活に於いて、この一關を脱離し得ず！故に必ず人類生存の環境に適合し、始めて人生の基本要素となし得
る！もし潤生（潤生）¹⁶⁸の方式をもて生存するのみならば、現今時代 上蒼 衆生に與うる所に對し、確かに具足す：福報
（福報）¹⁷²、福分、福澤を人世間に於いて。
第二回 行菩薩道
1998年3月27日 戊寅年二月廿九日(五)
現今時代に處して、人類 皆 いかんじて菩薩道を行持すべきかを知らず。宗教の教化薰陶を通じて、自己 無私無為の方式
をもてし、功德を求めず 自己のためにせず、應行の作用に障礙されず、皆 上蒼の原意に達し、自己 行持人生の菩薩道を
造就し得るように促すべきであります！
第三回 上求下化
一九九八年三月三十一日 戊寅年三月初四日（二）
必ずや利己において成就した資糧を、利他なる行いへと転化させなければならず、また無私無為・犠牲奉仕の精神を具えてこそ、初めて利他を行うことができる。己すら温飽できないときに、どうして利他ができようか。己すら業因を転換できないときに、利他を望むのは、まさに木に登って魚を求めるようなものである。
第四回 自利利他
1998年4月3日 戊寅年三月初七日(五)
必ず「大慈悲·大智慧·大願力」の結合を具備し、始めて人世間に施行するを具足す。衆生 まさに凡人なれば、仙仏（仙
仏）²⁰の神通力量なく、必ず「慈悲喜捨（慈悲喜捨）¹⁸²」をもて 初めて引渡の功效をなす。自己 自利具足の後に 再び利
他を行ずる、これすなわち衆生 必要了知すべき功課であります。
第五回 犧牲奉獻
1998年4月7日 戊寅年三月十一日(火)
もし能く自己の愛する所を犠牲し、また自己の擁する所を犠牲するは、犠牲において自己心甘情願、無私と無為（無為）
求めず、能く長く天地間に行持するは、まさに最大の功德者であります。
第六回 捨己成全
1998年4月10日 戊寅年三月十四日(金)
萬物を捨てて、人類の生生不息を成全すべからず。人類 いかんと感ずるや？またいかんぞ萬物も亦捨己の中に在りて、
まさに人類衆生の溫飽を成全すべきを了知せん？まさに萬物衆生 食物連鎖の一切の供給に在り、萬物の食物連鎖供給に
對し心存感激し得るか、方べて潤生の過程あり得る！
第七回 天地有情
1998年4月14日 戊寅年三月十八日(火)
天地 自然にして大地衆生を護佑し、人間有情、天地すなわち義あり、その時を守り、その分を守り、その規範を守り、
運轉を順暢にして悖らず。また天地の徳（德）¹⁸澤 整體世界に加わり、まさにかくの如し、人類と萬物の欽仰する生存空
間となる。
第八回 眾生有愛
1998年4月17日 戊寅年三月廿一日(金)
人類 かくの如き行徑にして、衆生自ら その喜ぶ事務を選擇し、人間の因縁和合の開創となし、我攀縁あるに達し、また
攀縁あるによりて、人と我との間の相互行動を促成す。もし各々の身體の發動を經由せずんば、第八識の組合に入らんと
欲するも、必ず較ら不可能であります。
第九回 誓渡眾生
1998年4月21日 戊寅年三月廿五日(火)
衆生 皆仙仏（仙佛）²⁰の引渡しを盼望し、此種の企盼の心 卽ち生起す。然れども衆生 仙仏（仙佛）²⁰の資質と本靈ある
や否やを知らずや？人類衆生 いかんぞ受渡し得んや？いかんぞ無邊の衆生を成就せんや？「衆生無邊誓願渡す」すなわ
ち大願力ある者に在りて、方べて之を行使し得る！
第十回 誓斷煩惱
1998年4月24日 戊寅年三月廿八日(金)
人生 世に在りて いかなる宗教を修持（修持）¹²するを論ぜず？いかなる道脈を修するや？いかなる派別の中にや？皆預
知し得ざる煩悩（煩惱）因あり、凡塵に在りては 互相對待の每件の事務 對錯、正反、是非の分別あり、每位の衆生 凡塵
に在りて皆五塵境の影響を受け、每件の事務 正反の對待と對策あり。
第十一回 誓學法門（真理）
1998年4月28日 戊寅年四月三日(火)
ば、すなわち：觀音菩薩の千手千眼の本質と化身であります。觀音菩薩も僅か一位なるに、每位の衆生 皆觀音菩薩の化
身にして人世間に在りて、尋聲救苦に來たる。
すなわち形成す：千手千眼、萬手萬眼、億手億眼、無量無盡の觀音菩薩、亦此の作用をもて自己の成就を行持し得る！ま
第十二回 誓成佛道
1998年5月1日 戊寅年四月六日(金)
無上の仏道（仏道）¹⁸¹、もし深切に體悟し得ず、ただ凡塵の種種の困厄、煩悩（煩惱）と歷練の過程に針對するのみな
れば、直入無上仏道（仏道）¹⁸¹の成就と境界を欲するも、恐らく成就し難し！衆生 修持（修持）¹²に入り得るも、每一
位の修持者 皆無上菩提（菩提）¹⁷⁸仏道（仏道）¹⁸¹を成就し得るを保證し得ず、必ず業（業）¹⁹因牽纏の轉換作化除を要
す。
第十三回 內果外功
1998年5月5日 戊寅年四月初十日(火)
人世間 必ず行功立德し得て、初めて福報と福分、福田の享受を具足し、さらに困難 自己を磨するを減少し得る！人類 行
功立德し得るは、必ず實際の作為ありて、人世間の種植功德に應用し具備し、人世間に各種の功德の累積する所より成長
す。
第十四回 心性心魔
1998年5月8日 戊寅年四月十三日(金)
善の中に、惡の念識を存し、善の中に 初めて良善の種子を發芽開展し得。人心 卽ち性の念識に在りて、善あり 卽ち惡あ
り、正あり 必ず邪あり。心性本善、善の中に 又心魔（心魔）¹⁸²（惡）擾するを伏し、人世間に對し 必ず好と壞、邪と
正、仏と魔の結合體あり。
第十五回 降伏心魔
1998年5月12日 戊寅年四月十七日(火)
「心猿意馬（心猿意馬）¹⁸⁵」まさに自己 了知する所の心中の魔性にして、自性（自性）⁷彰顯に對して 初めて心性改變
の可能性あり。又自己 魔境轉換に入りて、必ず魔性を化除して、障礙 牽住する所なからしむ！又「魔 內心に在りと魔
外境に在りと」を區分する所、必ず自己の作す所 為す所に因て初めて促成す。
第十六回 淨化靈性
1998年5月15日 戊寅年四月廿日(金)
仏性（佛性）¹¹の彰顯：人類の所作所為に對し、每件事 皆阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸に儲藏さるといえども、必ずしも「菴
摩羅識（菴摩羅識）⁵¹」に入るにあらず。また人類第九識 すなわち真如（真如）⁶¹仏性（佛性）¹¹、自己の本霊にしてま
た霊性なり。必ず第八識阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸の中に霊性を浄化（淨化）¹⁸³して、初めて第九識——仏性（佛性）¹¹本
識を彰顯し得るのであります。
第十七回 心魔化除
1998年5月19日 戊寅年四月廿四日(火)
進退兩難と相互矛盾を形成し、每件事務の所作所為に對し、また往昔の經驗を基礎となし、一件事務の伊始と迄止となる
も、皆自性の中「仏性（佛性）¹¹と魔性」の左右する所となる。また仏性（佛性）¹¹は衆生の具備する所、魔性も亦衆生
の具備する所、いかんぞ仏性（佛性）¹¹を彰顯し、魔性を化除せん？
第十八回 淨化內性
1998年5月22日 戊寅年四月廿七日(金)
內性：必ず「静慮（靜慮）¹⁸⁵」を通じて初めて得る所有り。静慮（靜慮）¹⁸⁵の過程に在りて、初めて一切の垢識を化除
し得る可能性ありて、「阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸」に沉んで儲藏する所の、また種種の不良垢識を浄化（淨化）¹⁸³す；静
慮（靜慮）¹⁸⁵の過程、絕べて無修の衆生の了知し得る所にあらず、尚ほ已に宗教の修持（修持）¹²に入れる者も、必ずし
も了知するにあらず。
第十九回 內性自淨
1998年5月26日 戊寅年五月初一日(火)
內性：自己の行使する所と自己の浄化（淨化）¹⁸³する所にして、又誰人 能く代えるや？人類衆生 すなわち自己を通じて
行使するなり！自性の浄化（淨化）¹⁸³ 必ず自己の作為する所にして、又每一人の自性 垢穢を棄除すること能わざる時、
必ず自己に滿身の污垢を給予し、仏性（佛性）¹¹の彰顯に影響し、同時に善德の修持（修持）¹²に阻礙を及ぼすのであり
ます。
第二十回 佛性彰顯
1998年5月29日 戊寅年五月四日(金)
凡塵に在りては經驗累積を通じて、造就し得る所 無非魔性を化除し、仏性（佛性）¹¹を彰顯するのみなり。すなわち自己
の親身體驗の過程よりして、まさに最も難能可貴なり！人類 凡塵に在りて五境の左右を受け、「眼耳鼻舌身意」の起動
する所を通じて、すなわち人世間の輪廻（輪迴）²¹相續を造成す。
第廿一回 佛性再顯
1998年6月2日 戊寅年五月八日（火）
仏性が彰顯するとき、魔性は必ずやその道程を試み、「試験なくして道は成らず」を形成する。さもなければ天下の衆生にとって、仏道を成ずることはまさに易々たるものであろう。佛と魔の二者において、もし佛のみ存在して魔が存在しなければ、衆生が帰返することは比較的容易である。
第廿二回 唯識理論
1998年6月5日 戊寅年五月十一日（金）
釋尊世に在りて經を説き法を説くこと四十九載、中に「唯識理論」を以て人生修持の基礎と爲す。若し唯識理論を以て衆生を教化せざれば、現世凡塵の修子必や真理を暢べて自らを引渡すこと難しかりけん！又「唯識理論」に對しても、往昔に於いては明朗し難く、多くの高僧大德闡述すと雖も、亦た真實義を彰すこと難かりき。
第廿三回 唯識觀念
1998年6月9日 戊寅年五月十五日（火）
人類の依賴する所は「心」と「物」の兩者の綜合體にして、凡塵に入りては「心・物」の兩者に由り、事境の過程に對し「事境・心境・物境」の三者を合而爲一と爲し、初めて開展あり。又「唯識觀念」及び「唯物觀念」は人世間に於いて必ず基礎概念と成り得べし！
第廿四回 唯識行徑
1998年6月12日 戊寅年五月十八日（金）
必ず「唯識理論」を中心思想と爲し「唯識觀念」を建立して促成し、始めて「唯識行徑」を暢行して落實せしむべし。唯識行徑は正に人世間の行持する規範にして自ら成長し自ら行持す！唯識行徑を人世間に落實して大乗菩薩行覺有情の境界を促成す。
第廿五回 十二因緣
1998年6月16日 戊寅年五月二十二日（火）
十二因縁とは、唯識学理を基礎として、初めて凡塵において人生の大乗菩薩道を目覚めた有情として展现することができる。また十二因縁の「逆観法」とはすなわち、「老死・生・有・取・愛欲・受・触・六入・名色・識・行・無明」をもって連結したものである。
第廿六回 六道輪迴
1998年6月19日 戊寅年五月二十五日（金）
この種の垢穢の増加は、霊性の浄化と自己反省を不可能にする。人類衆生が凡塵に入り、十二因縁があって後、必ずこの過程に遭う。最も主要なのは執着の個性のなせることであり、この執持による六道の反復は外境に主導されるのではなく、内境の霊性の自我演変によるものである。
第廿七回 含因改造
1998年6月23日 戊寅年五月二十九日（火）
含因とは、第八意識の内に待縁し貯蔵され、さらに因縁和合と所為所為を促成して、経験と積習となる。良い積習も悪い積習も必ず固定模式となり、このたびたびの累積は含因改造を変転できない所以である。
第廿八回 生歡喜心
1998年6月26日 戊寅年閏五月三日（金）
この作用は、まさに人類の衆生が最も欠いているところであり、横逆の中にあっては、到底この心境を展開することはできぬ。人類の衆生は、あらゆる事柄に取り組む前に、「歓喜心、感恩心」をもって臨み得るだろうか。また仙仏はことごとくこの「歓喜心、甘願心、成全心」をもって行じているが、衆生はその行跡を慕い真似ることができるだろうか。
第廿九回 觀念轉化
1998年6月30日 戊寅年閏五月七日（火）
さらに根塵意識により、「自境の根と外境の塵」を組合せ、第七識である末那識の分判を経て、さらに外部へ拡張し攀縁してこそ、各環節において必要な動作となる。また自らが選択した行動は、第八識である阿頼耶識に蔵され、時機と因縁を待って引動されるに過ぎない。
第三十回 落實生活
1998年7月3日 戊寅年閏五月十日（金）
必ず自らの修持・自らの改造をもってこそ、生活を人生に落實することができる。もし修持のためにのみ修持するならば、人世间の改造過程を了脱することは極めて困難である。特に当今の時代はすでに科技文明に入り、人類の思想領域も往時に比べてはるかに進んでいる。現今はまさに万教斉発の時代にある。
第卅一回 當下實行
1998年7月7日 戊寅年閏五月十四日（火）
一人ひとりの行いは、商売、修持、家庭、自己、人間関係、就職においてすべて同様である。先延ばしできるものは先延ばしする。実はある時はそれが良方となることもあるが、当下において常に先延ばしの性質を持っていては、すべての良善な因縁和合による創造的発展を展開することは難しい。
第卅二回 逍遙自在
1998年7月10日 戊寅年閏五月十七日（金）
時に修持の関係により、自ら心を広く開いて修持の調整変更を行うことができず、なすべき事務にしばしば自らを縛り、戒律をもって自らを束縛する。そして毎回、いかにして真に「逍遙にして自在、自在にして逍遙」たらしめるかが正しいのである。
第卅三回 了無罣礙
1998年7月14日 戊寅年閏五月二十一日（火）
自らの行いに従い、真に自らの主人となること。修持は衆生一人ひとりが真に人世間において自らの本心を清澈にしてこそ、人生修持の応有の基本であり、了無罣礙であり、修持の提昇を促成して修持の応有の本分を造就し、大きな成長空間を造就する。
第卅四回 福德無窮
1998年7月17日 戊寅年閏五月二十四日（金）
智慧の展開を具足しなければならない。智慧のみで福德なきときは、福報が欠如する。無極仙郷・極楽世界・虚空天界において長遠に超越し、恒常久遠の行持位階を具足するには、「福と徳」の両方が窮尽せざることを要する。これが最も主要な条件である。
第卅五回 真如實性
1998年7月21日 戊寅年閏五月二十八日（火）
物欲と人事物に左右されず、真に開悟の境地に達してこそ、「福德智慧」の相互輝映と両相融合を具足でき、「真如实性」の展開をもって個人の成就と為し、歓喜の心をもって開悟の準備を為し、平常心をもって観視して自満を生じさせない。
第卅六回 金品蓮台
1998年7月24日 戊寅年六月二日（金）
仏教が提唱する九品蓮台は、各宗脈の伝承が異なることによるものであり、仏教の後進が向往し印證してきたものである。九品蓮台の思想観念は、仏教の経典によってその位階を闡述し、九品蓮台は合計九九八十一の位階に分けられる。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
1998年7月28日 戊寅年六月初六日（二）
完書繳旨
1998年7月31日 戊寅年六月初九日（五）
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
人世間において「人生の目的」とは「菩薩道を行ずる」ことである。すなわち「上には求め、下には化し、自ら利し他を利する」の行であり、「犠牲奉仕・己を捨てて他を成す」をもって「天地の有情・衆生の愛」に対する博愛とし、宗教に入るには「衆生を度さんことを誓い、煩悩を断たんことを誓い、法門を学ばんことを誓い、仏道を成ぜんことを誓う」大願力を要する。
推薦序
人類衆生の生存における規範は実に多く、すべてが共同して遵守すべきものである。なぜ人世間においてこのようにするのかといえば、自身と他者に対して共に良善なる徳性の生存を形成するためであり、この因縁条件はすべての生活の安適のために、日常の条綱を有し、人世間において規範の模範に依附する。
懿旨
大道真詮すでに書を繳す  崇心道場無私を承く
序
大道シリーズ普天の下に  南海古仏来駕を降す
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
大道規範 首章を著す　道濟古仏 先ず端となる
現今時代の環境、人類衆生 最も福報に惠まれ、往昔 及ばざる所 して而今 早已に過去時空になき條件を具う。これ上天
の演繹過程に對し、また人類の進化（進化）⁴²過程であります。その中 最大かつ最終の目的は、衆生 皆 歸來の降生處に
歸返せんとするにあり——
第二回 行菩薩道
南海古仏 降り來り臨す　崇心諸生 虔かに恭迎す
人類衆生 凡に於いて 宗教の教化を通じて、自己 學習す：いかんじて無為にして犠牲奉獻すべきか？また人類衆生 凡に
在りては、奇毛怪癖 多きを免れず、いかんじて此種の奇毛怪癖を改進すべきか？自己 執著固化せしめず、始めて人世間
に於ける菩薩道行持の作為を彰顕し得る。
第三回 上求下化
北 開き 大道 迷黎を渡す　極楽世界 真の天地
大乗（大乗）⁶⁰菩薩精神の作為は、利己の後にさらに利他するに在り、始めて「大乗菩薩道」の應行任務を行持し得る。
また人生 世に在りて 修持のために修持するのみならず、生活のために生活するのみならず、「智慧と福報（福報）¹⁷²」
を具足し、自己利するに利しての後に、さらに利他して成就すべきであります。
第四回 自利利他
九天無極 本霊を降す　司命 蒼生の行を護佑す
上求自利の後、再び利他行為を行ずるには、必ず豐富なる資糧 具足して欠缺なからしめるべきであります。資糧具足す
る時は、自己 経驗累積を掌握し、始めて再び利他する能力あり。此種 必ず経驗を具備し、人世間に於いて作為あり、ま
た奉獻ありて、未來成長の依拠を造就し得る。
第五回 犧牲奉獻
戊寅の太歳 蒼生を佑く　星君慈悲 衆生を成す
人間に愛あり、天地に情あり、大地の衆生に富足の良機を與えんとするには、必ず先に富足して後、足餘ありて他の人に
奉献することを得る。また犠牲奉献（犧牲奉獻）¹⁷³はまさに自己心甘情願、絕べていかなる勉强も不願もなし、初めて
眞に無為（無為）³⁹の目的に達するであります。
第六回 捨己成全
精忠報國 人の本なり　武穆教化 實眞なり
もし人類 生活の通貨資糧を具備し得ずんば、何に由りて潤生の動作を得ん？必ず了知すべし：人世間において通貨潤生
を具備して、初めて生存溫生存溫飽の條件あり。また部分の區域 通貨をもて購買し得ず、潤生の食物連鎖溫飽の供給に
達し難し。
第七回 天地有情
南宮眾生の靈を啟化し　孚佑 大地の蒼生 迎う
天地有情（天地有情）¹⁷⁵、萬物衆生を長養し、衆生有情、仁民愛物、さらに人世間において「大乗（大乘）⁶⁰菩薩行（菩
薩行）⁶²」覺有情（覺有情）⁵⁸の境界を行持し、此種の條件 天地有情を彰顯し、人類有情の世界に契合し、天地有情、衆
生有愛となる。天地の有情 人為の善と不善に牽引されず。
第八回 眾生有愛
豁達開悟 真理開く　落筆著書 迷茫を醒ます
有情衆生 皆前次の經驗累積の造就する所を受けて、自己 いかんぞ行うべきか？またいかんぞなすべきか？前次の經驗累
積ありて、人世間の因縁和合を促成す。然れども凡塵の中の作為は、必ず攀縁して後、初めて因縁和合の造就に達し得
る。
第九回 誓渡眾生
南屏道濟古仏 著す　崇心大道（大道）¹⁰ 開張馳す
有情衆生 もし清澈なる本靈を具えず、すなわち自我如如の本性なれば、仙仏（仙佛）²⁰に引渡さんと欲するも、無非 縁
木して魚を求むるがごとし。衆生 仙仏（仙佛）²⁰の清澈なる本質を具えざるか？それとも污穢蒙垢に遭逢して、自己の本
靈の污染を加重し、又上昇超越し得ざる原因を導くか！
第十回 誓斷煩惱
中界至尊 幽冥を渡し　東嶽大帝 迷沉を啟く
人類の生存 多くの煩悩（煩惱）因ありて、初めて菩提（菩提）¹⁷⁸の種子 智慧の開展を成就す。故に云く：煩悩（煩煩
惱）卽ち菩提（菩提）¹⁷⁸ 原因 卽ちここに在り。また每一位の衆生 必ずしも然らず、まさに「煩悩（煩惱）卽ち菩提（菩
提）¹⁷⁸」の轉換する所より、有時 煩悩（煩惱）卻って進道修持（修持）¹²を阻礙し、經商と家庭および種種の絆腳石で
あります。
第十一回 誓學法門（真理）
文殊降りて世業を啟き 師利徳（德）¹⁸澤 理を闡し協す
た衆生無邊法門（法門）¹⁷⁹誓願學ぶ、法門（法門）¹⁷⁹は僅か跳板なるのみ。天 言はず、地 語らず、仙仏（仙佛）²⁰菩薩
も亦開口し得ず、又いかんぞせんや？
必ず經典の傳承を藉りて、修持者をして受益せしめん。及今の傳播者 仙仏（仙佛）²⁰菩薩の本意と教化の課程を、人世間
第十二回 誓成佛道
地藏 衆生の冥を渡化し　王者無敵 正本因なり
況んや、有時 因果（因果）⁵業（業）¹⁹障 來りて討伐する時、功德をもて 領する所の「牒憑」を轉換し討報する能はざる
時、すなわち必ず親ら償還す。「冤家宜解不宜結」の前提の下に、またいかんならんや？不定なり！衆仙仏（仙佛）²⁰菩
薩 皆慈悲心をもて、衆生のため円満（圓滿）¹³の和解を作す。
第十三回 內果外功
普渡（普渡）²衆生 自性（自性）⁷に歸す　賢徳（德）¹⁸正直 人生なり
皆人類：起心動念 回報を求めず、無私無為（無為）³⁹、乃ち眞功德者あり。然らざれば もし作功德のために功德を行す
る時は、必ず大打折扣し、每件事の起心動念 皆善心行持、犠牲奉献（犧牲奉獻）¹⁷³をもて基礎となす、此種 卽ち「無為
（無為）³⁹」の功用であります。
第十四回 心性心魔
漢心 私なく 人本靈なり　鍾聲 世間の人を醒悟す
心性本善、靈能 清く、淨く、無極に在りて 卽ち清澈なる本靈、本性であります。もし隱伏 本性 心魔（心魔）¹⁸² 擾する
を受くる時、往々衆生に對し 眞に無可奈何なり！自己 何ゆゑかくの如くせんと欲するかを知らず！又何ゆゑかくせんと
欲するや？卽ち一邊 純善、他邊 純惡の分差より、人性の本質を造就す。
第十五回 降伏心魔
文啟世 迷沉を化し　殊功徳（德）¹⁸を累めり 自己のために
魔境 無明（無明）⁷⁹の境地に入りて、自己 已に魔境に著するを認めず、入於魔境を促して知らず！人類の思想觀念：一
邊 仏性（佛性）¹¹、另外一邊 又 魔性、此の兩者 相當大なる關連あり。魔境に在りて 必ず不可移改の仏性（佛性）¹¹彰
顯あり、亦仏性（佛性）¹¹に在りて 亦不可變更の魔性あり——卽ち我執であります。
第十六回 淨化靈性
大勢底定 已に局を成す　至徳（德）¹⁸私なく 衆迷を挽く
人類衆生 心性、心魔（心魔）¹⁸⁴の影響を受け、魔境に入らざるは、必ずや困難にして！また人類の思想觀念の形成する
行為動作、每次 皆個人の因縁果報に影響し、まさに阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸の種子因に入り、また「起心動念」すなわち
「心念意識」の影響を受くるのであります。
第十七回 心魔化除
南屏道濟 堂に降り來たり　古佛規範の章を著す
まさに修持（修持）¹²者、必ず了知すべき功課過程なり！また仏と魔 まさに一體にして兩面、每次の矛盾對立、時常往昔
の經驗によりて、個人を無明（無明）⁷⁹と無知の過程に置く。倘し衆生 豐富なる人生經驗と修持（修持）¹²經驗を具足す
る時は、すなわち無明（無明）⁷⁹と無知の影響を受けざるを得るのであります。
第十八回 淨化內性
觀看す世間の苦音聲　菩薩降りて規範を成す
いかんぞ静慮（靜慮）¹⁸⁵すべきや？またいかんぞ內性を浄化（淨化）¹⁸³すべきや？これ眞實性なり！「浄化（淨化）
濾過と静慮（靜慮）¹⁸⁵」の過程に在りて、時常人類衆生によりて、每日人世間の一切因縁の組合に對し、是非、對錯、
正反、陰陽を論ぜず、全部「阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸」に納め記錄と儲藏を為すのであります。
第十九回 內性自淨
南極仙翁 降り來たり臨す　祝嘏聲中 虔恭迎す
人生 外在の一切に對しては尚比較的制御し易きも、內性の浄化（淨化）¹⁸³ 必ず甚だ掌控し難く、每次 問題事情に遇する
に在りて、心中の自性 若し自己浄化（淨化）¹⁸³すること能わざる時、すなわち外境の左右する所となり、此種の心境浄
化（淨化）¹⁸³、まさに現今衆生の要求する所、ことに眞修實行の修子 さらにかくの如し。
第二十回 佛性彰顯
崇心道場の大主席　南天の文衡 聖帝たり
人類衆生の每一つの過程、皆生存の豐富經驗を累積す。短時間の内に、必ずしも全部派上用場すること能わざるも、一段
時間を經たる後、往昔の知識と經驗累積によりて、人世間の種種因縁和合の促成する所に在りて、必ず魔性の干擾に遭逢
することを防止し得るのであります。
第廿一回 佛性再顯
虚空にして人生は皆圓滿なり 蔵經の典則あれば能く充滿す
天地の間はまさに両極の造化の過程であり、仏性が彰顯するたびには必ず魔性が干渉し、試練の程度がいかなるものかを顕さしめる。衆生がもし仏性のみを執持すれば、必ずや良き善の方向へ行うことができるであろう。されど知らず、仏は一尺高くとも魔は一丈高く、仏が一丈高くとも魔は頭の上にあると。
第廿二回 唯識理論
虚空より歸降し崇心に来る 上人臺に上がり情懷を會す
此の期！懿敕道場により新法を掌り、唯識理論を系統的に講解し、並びに「摩訶般若波羅蜜多心經」の總體精華に配合して、大道系列天書を著作し、後に「無極大道學院」の課程資糧と爲す。懿敕崇心道脈は、總堂たりとも分堂たりとも、皆仙佛により唯識理論を註解講述す。
第廿三回 唯識觀念
無極の駕前に母娘に伴う 麻仙姑崇心堂に降る
有情衆生はいかなる人と雖も「人・事・物」の三者の組合せを脱離し難く、又「心念意識」の「心・物」兩者に在りては、必ず自ら承受し自ら行使する所に由りて「唯識觀念」と「唯物觀念」とを促成し、人類の心念意識の中に建立す。
第廿四回 唯識行徑
崇心道場に主席を務む 文衡聖帝真理を闡す
即ち自己の主人と爲り而して次回の輪迴の渦中に再び入らず。自ら行うべき方向を把持し無明と無知の迷境に入らず。唯識理論を以て中心思想の基礎と爲し唯識觀念の轉換を建立し、必ず唯識行徑の落實を成就して智慧の成長超越あり得べし。
第廿五回 十二因緣
南屏天道に一貫を渡す 道済人生は和川本なり
十二因縁において唯識の基礎理論を統合発揮し、十二因縁はまた人類の現世における様々な行径でもある。唯識行径とは人類の「老死」を基礎とし、さらに「生」の始まりを振り返るのであり、「老死」の後になって初めて「再生」が始まるのである。
第廿六回 六道輪迴
無極大道院に尊臨す 霊宝衆生を淨化す
ゆえに「執持」の力こそが六道輪回の原動力である。六道輪回において大道が凡塵に示すには、必ず福德功果を具足して初めて達成でき、その中には「孝・悌・忠・信・礼・義・廉・恥」の八徳を依りどころとし、人道の綱常倫理規制に示現する。
第廿七回 含因改造
無極大道の副院尊 太乙救苦は忠誠穩やかにす
果報悪殃と転化する前には因果の討報を形成できず、この含因を変えようとするなら転化は比較的容易である。さもなくば因は既に果となり果はまた報を受ければ、善徳因縁は衆生に適応しやすいが、悪禍の受報は衆生を苦境に陥れる。
第廿八回 生歡喜心
天官の賜福にて財神臨る 武徳星君を衆生迎う
歓喜心をもって己の周囲を円満ならしめ、また歓喜心をもって己の甘願を成就させる。衆生を成就せしめんと欲すれば、必ずや比較的容易となろう。業因・業果の磨練に遭う時、衆生の心境は皆暢懐し難く、真に心を放下することもかなわず、痛苦の磨練を転変することもできない。故に歓喜心をもって臨むべきなのである。
第廿九回 觀念轉化
天官温瓊天君の情 顕徳元帥降りて臨む
往昔の経験の蓄積と、行ってきた思想・観念の創発が再び現れ、発展を経て一切の作為・行動に至る過程は、現代の録画再生機に似ている。因縁和合に触発されて、脳裏に収集・記録され阿頼耶識に蔵されたものから取り出して観視すれば、往昔の思想・観念や作為を知ることができるのである。
第三十回 落實生活
斗口霊官 道場に降る 馬勝天君天章を著す
あらゆる宗教派脈は、広く原霊を渡して帰還せしめ、また個人の修持をもって改造する。真に人世间において人道生活修持という関門を通過できるか否かは、すべて己が掌握するものである。宗教の修子にとって、「自因自果は自ら償い、自果自成は自ら受く」ことを必ず了知しなければならない。
第卅一回 當下實行
大道の規範にて天書を著す 南屏道済降りて來り著す
物事にはしばしば時機性・空間性・確実性の制約がある。当下の時機を把握できなければ、因縁はまたたく間に過ぎ去り、因縁を展開することも、善徳の因縁和合の過程を成就することもできず、一つの善徳の因縁を失い、自らが得べき福分を消し去ることになる。
第卅二回 逍遙自在
中壇元帥 堂に降り來る 三太子 道徳を揚ぐ
修持とは今後の成就のために仏果の位階に入ることであり、衆生は修持によって自らを悩ませ、広々とした心怀を暢らかにすることができず、身段を下げて改造しなければならない。また修持のたびに、しばしば自らを無知の過程に陥れる。すなわち無明の障礙である。
第卅三回 了無罣礙
天上より崇心堂に回返す 聖母歸りて道場を正す
人類の衆生が修持するに当たり、罣礙の事が多すぎれば、心懷を暢らかにして自らと衆生を成就することができない。それゆえ毎回の事務が臨むたび、心境は七上八下し、毎回の事務境においていかに心中の罣礙を打破すべきか。修持には必ず検討事項があり、自らを整備提昇することである。
第卅四回 福德無窮
天官の福德にて衆生を蔭す 明王正神 真理を伸ぶ
「福と徳」とは人世間において福報・福分を長遠に具足し、自らの資糧と為すことである。さもなければ、いかなる聖神僊仏菩薩も、天界において何らかの作為を為すことは難しく、福德・智慧の両相具足をもって初めて展開提昇ができ、福德は窮尽せざることである。
第卅五回 真如實性
大道の規範漸くに著成す 道済古仏 本心真なり
さもなければ「真如实性」を人世間に落实できず、人世間は因縁和合において、各過程と各環節は人類衆生が必ず経験の累積を要し、毎回経験の伝承と転化において思想観念を変え、往昔の過誤を統合整備する。
第卅六回 金品蓮台
南海古仏 著作成る 大道の規範 已に尾聲す
仏経に云う三三九位の位階のみではない。仏経に云う第一段階は、下品下生・下品中生・下品上生であり、第二段階は中品下生・中品中生・中品上生であり、そして第三段階は上品下生・上品中生・上品上生にして、ただ九つの位階に過ぎない。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
大道規範著完竣す  太上道祖来临を降す
完書繳旨
大道規範著完成す  皇天諸賢生に賞賜す
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
「内果外功」については「心性・心魔、心魔を降伏する」ことにより、「霊性を浄化」し「心魔を化除する」ことが必要である。「内性を浄化し、内性自ら浄まる」の基礎を形成し、この時にすでに「仏性の彰顕・仏性の再顕」の機能体を有し、人類に対してすでに一切を了知する。
推薦序
人世間の修持過程において、真に逍遥自在を得るには、牽掛なく罣礙なきを要し、「福德」は無窮尽でなければ、長遠なる行持をなし得ない。いかなる仙仏菩薩・聖神の過程にあっても、必ず福德と智慧を具足し、自らに無尽の福報を給うべきである。
懿旨
上天真理を弘揚し顕す  懿旨を恭しく接し再び著す
序
上台に会し生に著作の序  崇心善縁正に発を得
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
崇心道場 天書を著す　人生の目的 世のために彰る
すなわち無極仙郷（無極仙郷）¹⁸⁰に回歸するが主要任務であります！衆生 本來 無極天界より來た、皆 上蒼の眷顧する霊
子、有情衆生 原居天上なるも 天上の氣質なく、故に凡に降る、すなわち先天仏子 凡に降り來たる。上天 皆一律平等、
一視同仁、每一位の衆生を善待す。
第二回 行菩薩道
大道規範 次回を著す　菩薩道（菩薩道）¹⁶⁴を行じ 覚有情（覚有情）
「大道系列天書」は人世間に闡述す、いかんじて覚有情菩薩境界を行持し、蓮花仏国（蓮花仏國）¹⁷⁸（果）位階に達す
るかを。人世間に於いて 自己を成就し さらに衆生を成就する、これ一切の作為 人 因を造るを離れず、必ず好因を造り
て善果と成る。人 菩薩境界を行持し、仏果位階に達し得るのであります。
第三回 上求下化
玄天 降りて 規範の書を著す　上帝 上求下化（上求下化）¹⁶⁵ 起す
必ず按部就班にして、大乗菩薩行（菩薩行）⁶²覚有情（覚有情）⁵⁸を行持し、さらに覚悟情（覚悟情）¹⁹⁰境界に達すべき
であります。人生 世に在りて「明悟」すれば 即ち「覚性」を了知し得る。「覚悟情」は人世間に於いて 必ず「覚有情」
の作為あるべきであります、覚悟の後 さらに有情衆生を成就し得る。
第四回 自利利他
真君 降り來りて 規範を著す　自利利他（自利利他）¹⁶⁶ 本心なり
人 無極より來た、また上蒼より來たる。然れども皆 無極と上蒼の氣質および神通力量なく、塵垢の堆積する所に因り、
原本の聖軀 凡塵の汚穢に蒙垢せられ、自己も亦 已に軀體の重量を増し、重量増加に因り、凡の中に於いて 軽盈なる天體
聖軀の能量あること能わず。
第五回 犧牲奉獻
曾光降りて懿敕堂に來たり　犠牲奉献（犧牲奉獻）¹⁷³誠も亦真なり
犠牲し得るも必ずしも奉献し得るにあらず、奉献し得るも必ずしも心甘く情願するにあらず、皆自心の為す所と自心の造
す所に在り。また犠牲奉献（犧牲奉獻）¹⁷³の後、未來の果報および福德の多寡を惦記するを存すべからず。此種の觀念
根本的に有るべからず、すなわち犠牲奉献（犧牲奉獻）¹⁷³の後も、行功德の念頭なし。
第六回 捨己成全
岳元帥 天書を著し　捨己成全（捨己成全）¹⁷⁴自性增す
もし「中土の中」に生るるを得ば、ことに蓬萊仙島の衆生、皆福報、福蔭に超え、通貨潤生をもて欠缺する所なし、乃ち
正し！有情衆生 修持（修持）¹²の位階に入るに、いかんぞ天地日月星辰の定位、および萬物の源源不斷、資糧——食物連
鎖の提供に感激せん？
第七回 天地有情
帝君降りて規範を著し　天地有情（天地有情）¹⁷⁵本因なり
これ人類の善惡の共業（業）¹⁹をもて、福報と禍殃を賜予し、また天地 大公無私、世人のいかなる善惡によりて之を私せ
ず、人類の恭維によりて之を私に護佑せず、皆一體として護佑し、相同く關照す。また本因より無私、無為（無為）³⁹、
無我の位階に達し、初めて天地と共に欽仰す。
第八回 眾生有愛
靈官降りて崇心堂に來たり　王天君 衆生有愛（眾生有愛）
ゆえに人類衆生 自己の喜愛する事務に針對して欣然として之を受く、また自己の厭惡する所によりて他人を排斥し、す
なわち分別心あり。此種の分別心 衆生の愛する所と惡む所の中に因りて、往々個人の左右する所とならず、有時 厭惡と
喜愛 來たりて成就せんと欲する時、人類 之を阻擋し得ず。
第九回 誓渡眾生
天書著作 歸引を盼む　誓渡衆生（誓渡眾生）¹⁷⁷ 衆生無邊 誓願渡す
衆生 すなわち「自性（自性）⁷自渡して、仏 渡し得ず」、然らざれば諸天の仙仏（仙佛）²⁰ かくも多きに、何ゆゑ至今
なお全部の衆生を引渡し得ざるや？すなわち衆生自己の本靈の清澈なるや否やに在りて、乃ち最も重要なり！外在の功德
布施に對し、內在の「心性兩相結合」と同じく自己を成就し得る。
第十回 誓斷煩惱
衆生煩悩（煩惱）誓願斷つ　降りて天書冊を著す
すなわち煩悩（煩惱）を菩提（菩提）¹⁷⁸の種子と見做して提昇し得ず、反而煩悩（煩惱） 卽ち磨難（磨難）²⁷の因素と
であります、人類の身體を消磨し 人の心性を消磨す。また人と人との間 各おのおの角度と觀點同じからず、および各人
の經驗の欠缺する所あり、每位の衆生 亦言ひ得ざる苦惱の處あり。
第十一回 誓學法門（真理）
菩薩法を傳え衆生を渡す 法門（法門）¹⁷⁹無邊 誓願學ぶ
に示現す。正に此の作用によりて、衆生の心性過錯の作為、および無明（無明）⁷⁹の障礙を改變し得る！必ず宗教經典の
教化薰陶によりて轉換し、往上增長提昇し得る。
仏教の中に六祖慧能法師あり：一切 皆虛幻、夢幻泡影の影響であります。また金剛經に云く「もし色をもて我を見んと
第十二回 誓成佛道
菩薩降りて懿敕堂に來たり　仏道（仏道）¹⁸¹無上 誓願成す
もし受冤者 心滿意足せしめ、心中の怨恨を消除し得ざれば、討伐依憑より報復す、これ公平原則に符合す。又現今の時
代 まさに因果（因果）⁵大清算の年代にして、千禧年に近づくほど、衆生 沉淪の年代にして、まさに因果（因果）⁵業
（業）¹⁹障の總和了結に在り。
第十三回 內果外功
菩薩降りて天書冊を著す　内果外功（內果外功）
甚だしくは：功德を求めず、回報を求めず、真心一片、絕對に毫も貪求の念頭 內に在るべからず、乃ち眞正に功德あ
り。諸賢生 崇心に入りて後、具足する所 まさに人世間に在りて、修持（修持）¹²によりて自己を改造し、又行功立德に
よりて、福分の增加あるを得る。
第十四回 心性心魔
離 善化を著し 仙翁臨す　心性心魔（心性心魔）自性（自性）⁷を障す
本性淨化、心靈淨化、魔性淨化、まさに現今 修ありと無修の衆生 必ず了知すべき一環にして、初めて「仏魔心性」を體
現し、生存の中に於いて 障礙 いかんぞなるかを明白にし、人類の問題點に對し通微し了知し得、未來の結果 いかんぞな
るかを明白にす！
第十五回 降伏心魔
菩薩降りて天書を著し　降伏心魔（降伏心魔）¹⁸⁷業（業）障移る
故に仏性（佛性）¹¹の中に、仍 魔性の擾する所あり。仏性（佛性）¹¹ 衆生 皆具備する本質なるといえども、魔性 亦衆生
皆有する反面の因素であります。此に因りて「仏あり 必ず魔あり、魔あり 必ず仏あり」、人世間 まさに陰陽兩相對待の
局限にして、「仏と魔」まさに一體兩面なるのみ。
第十六回 淨化靈性
菩薩降りて規範冊を著す　浄化霊性（淨化靈性）¹⁸³真理を悟らん
全部 皆「阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸」に入りて分門別類儲藏さる。每一つの階段と過程、必ず前次の經驗累積を承襲し、好
と壞、是と非、對と錯を論ぜず、皆各人の心念意識の主導する所にして、「本識」の獨立創發する所たるは甚だ稀なり。
また累世の因縁果によりて、直接未來の福禍に影響するであります。
第十七回 心魔化除
懿敕道場 真理を闡す　心魔（心魔）¹⁸⁴化除して性增長す
人類衆生 他人の經驗を吸收し、自己に用ゆる時、往々にして他人の過程に按照して行事すること能わず。人、事、地、
物の組合 相同ならず、若し他の方法をもて行使せば、反而更大の挫折阻礙を受けん；また他人の經驗累積 借與すれど
も、必ずしも用ゆべきにあらず！
第十八回 淨化內性
心經を闡述して大乗と成す　浄化内性（淨化內性）己眞に歸す
すなわち道家の云う所：三尸神（三尸神）¹⁸⁷の監督を受け、每一位の衆生 皆個人の三尸神（三尸神）¹⁸⁷の督管を受け、
また起心動念する時、三尸神（三尸神）¹⁸⁷の監視を離るること能わず、自然に人類の舉止行動に在りて、また三尸神
（三尸神）¹⁸⁷の監視の中に因りて、全部佛家の云う所に入る：第八意識——阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸に儲藏さる。
第十九回 內性自淨
懿敕道場 新穎を展す　内性自浄（內性自淨）自ら行に靠る
自性の浄化（淨化）¹⁸³：若し內在の污垢を清除すること能わざる時、すなわち一層層內へ堆積し、若し堆積太多なら
ば、相當多の垃圾を形成し、またいかんぞ清除すべきやを知らず？請う 人類衆生に問う：若し滿身の「心性」も亦垃圾
を裝滿するや、諸君 要するや？信ずるに皆要せざるべし！
第二十回 佛性彰顯
懿敕道脈 新機を展す　仏性（佛性）¹¹彰顯して魔性離る
「魔と仏」ただ一體兩面にしてのみなり。仏の魔性の中に在りて、必ず仏を下墜せしめ、また魔性の中に在りて、必ず仏
性（佛性）¹¹をもて彰顯す。また魔性の中の仏性（佛性）¹¹、亦是無上菩提を成就するの最も主要なる條件にして、亦衆
生 皆「魔性と仏性（佛性）¹¹」の此兩者を具うるに因る。仏と魔 本は一體にして兩面なり。
第廿一回 佛性再顯
菩薩降りて懿敕堂に臨む 仏性再顯し真如圓滿す
人類衆生は、まさに学習の過程において修持を生活化すべきであり、また人道倫常を離れてはならない。現今の衆生には多くの修子がおり、しばしば人道倫常という関門を飛び越してしまう。どうして横逆と魔難に遭わずにいられようか。まさにあり得べからざる事である。人倫道徳の観念においては、人道を基本要義とすべきである。
第廿二回 唯識理論
懿敕の道場に新機を展開す 唯識の理論を主栽と為す
並びに佛家の精華を以て現世衆生を成就す。また懿敕道場の殊榮も亦た此に在り！因緣和合の起止により、「唯識學理諦」に對し崇心道場に於いて、整體の大道天書系列を剖析著作し、崇心道場の唯識理論に對し、漸く崇心の諸賢生の心性の中に建立す。
第廿三回 唯識觀念
副座主席にて真理を闡す 唯識の観念著作長し
唯識學とは起心動念を基礎と爲し、いかなる人も此の動作を脱離し得ず。然らずんば人世間の一切の作為は開展し難し。人生は又「心念感應」を以て事物の接觸と相互の結合と爲し、心念感應と事物の相互接觸とは人世間の每位の衆生が最も了脫し難き桎梏なり。
第廿四回 唯識行徑
天界より歸降し懿敕堂に至る 唯識の行径を主題と為す
人世間は必ず三界空間の輪迴相續を跳脫すべし。若し能はざれば次の輪迴の中に於いても自らの後への行徑の往路を了知し、唯識觀念を落實し、阿賴耶識の垢識種因を棄除して清除と沈澱の持續を達し淨濾の過程をも有すべし。
第廿五回 十二因緣
古仏降りて天書冊を著す 十二因縁弘展を啟す
老死とは、ただ一つの生命の終わりではなく、有情ある人類世界のあらゆる事物の終了と滅失である。すでに終了し滅失したからこそ、「再生」の始まりがあるのであり、「有」の存在があって初めて「取」の走向に達することができる。いかなる人も「有」の実相を破ることはできない。
第廿六回 六道輪迴
天尊の徳澤は大千に遍く 六道輪廻は實相の因なり
人間における天道の修为は、人類が比較的成就しやすい位階であり、制限も比較的少ない。声聞・縁覚・菩薩・仏果の位階においては制限が多く、上求して昇進超越するのは困難である。下墜ならばはるかに容易である。
第廿七回 含因改造
懿敕の道場にて天冊を著す 含因改造は本因を敦くす
「因」が「果」報となり得るのは、不变の定理である。往昔も如此、現今も如此、未来も如此。さもなくば仏家の因果理論は印証できず、仏家の一切の作為は展開できない。道家においては因果を論ぜず、ただ衆生を善に向かわせるのみである。
第廿八回 生歡喜心
趙元帥公明降りて著す 歓喜心にて迷情を化す
若し然らずんば、歓喜心は成立し難く、かえって苦瓜のような顔つきが露わになろう。また財神・福神が親近せんとする時、その面龐の不悦を観れば、すなわち首を回らして去ってしまう。現今の衆生の心念感應は皆極めて強烈であり、特に求財・求福の法会においてはなおさら如此であり、智慧を求むる者は甚だ少ないのである。
第廿九回 觀念轉化
懿敕の道場にて鴻圖を展開す 観念の転化にて業障を傾く
さらに再び組合せと創発が行われるが、すべての過程において「前導意識」が思想・観念の再現を引き起こすことが必要である。この「前導意識」とは累世の含因の総合体であり、往昔に形成された思想・観念による認知が、時空の組合せを経て再び顕現するに過ぎない。ゆえに、すべての環節はかくのごときものである。
第三十回 落實生活
弘め普く衆生を渡し 生活に落实して根本を暢かにす
因果循環においては、真に凡塵で己の主人となってこそ、宗教に入っても教条に束縛されず、極楽世界・無極仙郷・虚空天界に帰還することもできないのではあるまいか。修持者にとって、まさに当下に行うすべての事柄において、生存と信仰のすべてを日常の中に落實することを了知しなければならない。
第卅一回 當下實行
当下に実行して真心至る 普く衆生を化して歸主と為す
必ず自分に無限の惆怅と落寞をもたらすこととなり、一事も成し遂げられない。有効な時間・空間・因縁の組み合わせを把握できなければ、無明と無知の過程に陥り、それぞれの因縁和合の生起と終止を誰も完全に知ることはできず、未来がどうなるのだろうか。
第卅二回 逍遙自在
哪吒真理を闡して真心暢やか 逍遙自在にて母娘に會す
これは「清心」をもって修持できず、常に束縛を受け、「逍遙自在・自在逍遙」こそ真の修持の過程であることを了知せず、修持はまさに自分の欠点を改めること、いかに迷思を化除して信仰に束縛されないかを知らなければならない。
第卅三回 了無罣礙
罣碍なくして眞に逍遙なり 大道の規範 真理を揚ぐ
すべての事物の生起と終止において罣礙にされなければ、自然に真に事理を明白にし、真理を了悟することができる。単なる道理にとどまらない。すべての過程は真理を用いて障礙を打破する必要があり、修持の過程においてすべての事物の来龍去脈を篩選・調整してこそ、良善な利益がある。
第卅四回 福德無窮
崇心の大道場に歸降す 福德無窮 弘盛を展開す
仙仏は一人余らず「福德と智慧」を具足して成就し、初めて自らを福德無窮の境地に置くことができる。衆生が了知すべきこと、いかにして仙仏は長遠に行持し衆生を渡化できるか。衆生に比していかに福報と久遠の歳数を具足し、なお長遠に衆生を成就できるか。
第卅五回 真如實性
真如実性 人生を展開す 回歸有望にして上に臻す
自らが行持する道は自ら親しく体證する過程により、良いも悪いも喜びも憂いも、点滴すべて生活累積の過程である。人世間においては一切が実相の扮演であり、良い悪い・对错・是非などの一切の組合せが分別される。
第卅六回 金品蓮台
崇心の法航 萬里に揚ぐ 金品蓮台 發芽生ず
実は、各品位はさらに九品位に細分され、下品の中には二十七位階、中品にも二十七位階、上品にも二十七位階がある。これらを合わせると合計九九八十一位階となり、下品下生より上品上生までの条件を通過するのである。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
懿敕道場鴻図を展べ  跋示に文章の新程を起こす
完書繳旨
無極旨を崇心に頒ち  神人の会晤辛苦真なり
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
仏家の言う「唯識学」は、当今の大部分の人類衆生にとっては体知しがたく、さらには「崇心宗脈」の教學において、すべての「新唯識学」理論より多くの繁雑な名相を棄除し、「唯識理論・唯識観念・唯識行径」を簡明化し、権を破り実を顕し、濁を去り清を揚げる通徹とする。
推薦序
智慧の展開を具足すべきである。もし智慧のみで福德なければ、福報は欠乏する。無極仙郷・極楽世界・虚空天界を超遠し、恒長久遠の行持位階を具足せんと思えば、「福と徳」の両者が共に無窮尽でなければならない。これが最も主要なる条件である。
懿旨
今夜、無極懿旨の降堂頒示を恭しく接し、本堂の福德正神と城隍に三十里外にて御駕を迎えさせ、本堂の二・三関聖帝および済公活仏に二十里外にて御駕を迎えさせ、その他の神人および無極大道院の衆霊修士等は順序に従い排班し候駕せよ。失儀あってはならぬ！
序     一
◆ 本文 ◆
第一章 人生の目的
ただ凡に落しゆえに 五塵境の影響を受け、凡塵に於いて 先天の具本質を迷失す！此種 上蒼より言わく：凡に降りし衆生
（すなわち衆仏子）皆 回歸超識せんことを欲す。もし無極仙郷に返回し得れば、これ 此期 必要了知すべき殊勝聖務、こ
れ 人類衆生 甚だ明白し難き迷障であります！
第二章 菩薩道を行ずる
人世間 必ず通過すべきであります、宗教の教化および薰陶の過程を。始めて自己 業（業）¹⁹因の磨するを受くず、業果
の纏報を受くず。かくて必ず業因を転化して善果となし、人世間に於いて 修持によりて菩薩境界に入り、亦 業障を転化
して気質を変化し、累世の含因（含因）⁶³を改變し得る。
第三章 上に求め下に化する
菩薩の應行の道、さらに「仏性（仏性）¹¹」に邁向するの關鍵、比較的容易に達成し得る。人生 もし覚悟すること能わざ
る時は、有情衆生も亦 成全し難し！故に覚有情 まさに菩薩の行径、覚悟情にして始めて仏性位階に入る。衆生 皆 覚有
情領域に於いて、蓮花仏国（蓮花仏國）¹⁷⁸（果）位階に達成せんことを盼望す。
第四章 自利利他
先天無極に歸返せんと欲するに、衆生 此種の條件ありと認むるや？もし自己すら自利すること能わずば、いかんぞ利他
するやある？「上求下化（上求下化）¹⁶⁵」は衆生 菩薩道（菩薩道）¹⁶⁴の上に於いて、應具の條件と思想觀念でありま
す。また上求の中に於いて、即ち資糧を應用し、進んで下化の基本條件に転化し得る。
第五章 犠牲奉仕
かく反而無為（無為）³⁹の中に在りて、自己の功德を成就し、無形と不知不覺の中に在りて、すなわち凡間の云う「陰徳
（陰德）³⁵と陰騭」であります。犠牲し得るは必ず奉献し得るを要し、奉献し得るは必ず心甘く情願して、初めて無為の
心態と過程を具足し得る！此種の條件 未來に對して良善の回獲あり。
第六章 己を捨てて成就す
生生として息まず、永遠に欣欣向榮の舒適なる生活に存續し得るや？まさに不定なり！人類 凡塵に入りて後、すなわち
自己の先天本來、および自己の原來の自性（自性）⁷、自我如如の仏性（佛性）¹¹を了知し得ず。また當下 本質を彰顯す
べきに、明白なりや？甚だ難し！
第七章 天地有情
人類の行う所 為す所、皆天地の督管を離れず、天地 萬物衆生に生生不息の資糧を給予す。平等無私、衆生の愛と不愛、
願と不願を論ぜず、皆一體として護佑し、公平に大地衆生と萬物を照耀す。人類の共推崇し喜愛するによりて、相互循環
の秩序を更改せず。
第八章 衆生に愛あり
多くの人類 掌握し左右し得ざる事務あり。各人の因縁果報 好きも惡きも論ぜず、皆自己の感召と承受する所、願と不願
を論ぜず皆公正平等の機會あり、まさに因果（因果）⁵法則の規律であります。凡塵に在りて自己の愛と惡に因らず、皆
相同對待と相同承受であります。
第九章 衆生を渡さんと誓う
もし功德深厚なる時、內性 外功をもて培植し得。然れども衆生 皆いかんぞ外功をもて內徳（德）¹⁸を培うを知らざる
や、又外功 僅かに下世の福報に轉換するのみ！もし福 慧より更に長ければ、自己の福分深厚なる時、往々智慧に對し
て、甚だ開展し難し。
第十章 煩悩を断じんと誓う
道家より言之く：煩悩（煩惱） いかんぞ斷除せんや？すなわち能く見開き、能く放ち下す 此の兩點のみであります。ま
た仏家 かく言ふといえども、必ず見開き、放ち下すを要し、甚至 いかんぞ煩悩（煩惱）因を改變して智慧となさんや？
これ不定なり！然れども大部分 「煩悩（煩惱）菩提（菩提）¹⁷⁸因」に針對するは 卽ち此の原意に在り。
第十一章 法門（真理）を学ばんと誓う
し、もし聲をもて我を求むれば、是人 邪道を行く、如來を見ること能はず」、此種の「如來」は則ち本師釋尊に非ず、
まさに自己原本の「自性（自性）⁷の如來」であります。
いかんぞ如來にして又如去ならんや？卽ち六祖慧能および金剛經の影響深遠を受け、衆生 凡に在りて必ず：色聲香味觸
第十二章 仏道を成じんと誓う
もし此の時代に於いて、總和了結を作し得ずんば、又何れ來たりて因果（因果）⁵業（業）¹⁹障を清償し受報せしめん
や？人類衆生 修持（修持）¹²の過程に在りて、往々人生閱歷と經驗を欠缺し、事 來たりるに遇へば、卽ち自己の方法を
もて解決し應對す。有時 轉換の經驗を欠缺し、亦因縁果報を扭轉し得ず。
第十三章 内果外功
行功立德のために功德を行するや否や？修持（修持）¹²のために修持（修持）¹²するや否や？生活のために生活するや否
や？此種 卽ち已に人類生存の基本條件に背離す。又人生の過程に於いて、行功立德をもてせずして、功德の左右と拘束
とならざれば、必ず自然にして然るべく、天真率性の行使をもてす。
第十四章 心性と心魔
至性 本清寧、自性（自性）⁷ 本純潔なれども、「罪惡魔性」裡面に隱伏す。又現今の人類衆生 自行返し得ざる 最も重要
なる原因 亦ここに在り。人類衆生 凡塵に入りて、經常用 秉性 人となし、天真自性（自性）⁷をもて行事し得ず、相當多
の困擾の延續を促成す。
第十五章 心魔を降伏す
いかんぞ魔性を化除し、仏性（佛性）¹¹淨化本質を保存せんや？まさに現今の時代 衆生 必ず了知し學習すべき一課な
り！魔性の中 最も明らかなるは、卽ち自我意識高漲、自我膨脹展、實は 所謂：貪瞋痴愛憍高我慢、我が執著する所、我
が愛する所の求であります。
第十六章 霊性を浄化す
各人の因縁果報 相同なることなきは、道理 ここに在り。人類衆生の行為、皆之を謂く 自己に利ありて他人生存の利益を
侵損すと。此種 必ず自利して他を損ずるを形成し、すなわち菩薩行（菩薩行）⁶²の應有の作為にあらず、また人として提
昇し難き障礙となるのであります！
第十七章 心魔を化除す
實際上 僅かに參考となし得るのみにして、一概にして之を用うること能わず！また魔性の彰顯、現世凡塵において已に
甚だ囂張し、更に現今 已に末劫天年に入り、甚しきは已に千禧年に接近せり；ゆえに天上の仏、魔 皆降りて、有修と無
修とを分別せず、皆是因果（因果）⁵の大清算を作す。
第十八章 内性を浄化す
いかんぞ靜ならん？すなわち靜思よりて整日の見る一切を過濾し、善きは照單全收し、不良なるは棄除す！すなわち儒家
の曾子の云く：「日三省吾身」まさにかくの如し！また此種「静慮（靜慮）¹⁸⁵」すなわち整日の見る所、思う所、行う
所、為す所の種種一切を過濾し、惡を棄てて善を存するなり！
第十九章 内性自ら浄まる
當今時代の演化過程、台疆地區の垃圾大戰、他邦に遠勝して更に甚し！垃圾 自家の門に堆滿せば又いかんせん？若し抗
爭せざるは怪しむべきなり！又衆生に問う：自己の「內在心性」も亦垃圾を裝滿する時、自己も亦自己に抗爭するや？せ
んや？甚だ困難なり！
第二十章 仏性顕彰
人世間の仏魔の中に在りて、又仏性（佛性）¹¹の彰顯を至要となし、魔性をもて人道生存の根本に立たず、初めて三綱、
五常、四維、八德に對し、まさに儒家德義の傳承する所となり得る。また人世間に在りて、若し人道 先行圓滿ならずん
ば、修持（修持）¹²の位階に入らんと欲するも、諸多の欠缺と不足あり。
第二十一章 仏性再顯
もし魔性のみあって仏性がなければ、善に向かう光明の一面を導くことはできない。人世間のあらゆる段階において、「佛と魔」に左右され、魔と佛の相対する中で、いかなる事を行ずるにも、褒めあれば貶めあり、毀あれば誉ありの中で事を成すのである。
第二十二章 唯識の理論
上蒼の崇心に此の殊榮の天機を與えたるは、正に理筆の先天本願の含藏に由るものなり。人生世上に在りて如何なる宗脈を修めるとも、また如何なる道場教派に在るとも、皆「三教共和・五教共尊」を以て平和に爭わずして相處す。此れ亦た上蒼の旨意の傳承にして、原靈佛子を引渡して回歸せしめざるべからず。
第二十三章 唯識の観念
唯心に造るは即ち唯識に成るなり。「心念意識」は凡塵に於いて十二因緣を通じて組合せを爲し、人世間の種種の因緣を相繋して「十二因緣」を維持す。又唯識觀念を修行するに必須の基礎にして、「唯識理論・唯識觀念」に入りんと欲すれば比較的成就し易し。
第二十四章 唯識の行径
「聞・思・修」の三者相合する思想觀念にして如何にして過去の不良含因を改造せん？必ず阿賴耶識の淨濾の過程に由り不良を棄除沈澱して、始めて善德種子の因緣を造就成長し阿賴耶識自体に儲藏さるれば即ち真如、即ち佛性なり。
第二十五章 十二因縁
有情世界的一切は actual な物質であるから、実際の有情世界を「空」と見なすことはできない。さもなければ「頑空」の境界に陥る。もし「頑空」の境界に入れば、いかなる人も「有・取」を行うことはできなくなる。「有」の過程の中にあって初めて「取」の動作があるのである。
第二十六章 六道輪廻
もし人世間で半分の功徳もなければ、再び人に生まれようとすることは恐らく叶わない。上求の段階とは、人世间で聞・思・修・戒・定・慧を通じて成長し、霊性を調整し印証するものである。この条件は将来の智慧の増長に実利をもたらす。
第二十七章 含因の改造
ただ「良い心を持ち、良い人となり、良い言葉を語り、良い事を行う」のみ。この条件のみでは真理を暢達できず、現世の衆生に体悟させるにとどまる。道家は皆「好」の字を以て先んじるのみ、すなわち良い心には良い報い、悪い心には悪い報い。実は因果の法則である。
第二十八章 歓喜心を生ず
福德財運：まさに衆生が日夜求めてやまぬものである。もし「福と財」を求得できても、智慧をもって福德財運を培植できねば、かえって衆生は福德財運を求得する際に己を見失うことになろう。これは衆生に実質的な益をもたらすものではなく、かえって衆生の霊性を傷つけ、造業の機会を増加させるだけである。
第二十九章 観念の転化
自らが新たな思想・観念を創造して作為に加えることができなければ、輪廻相續が形成され、「含因」が再び今生に顕現することになる。この時まさに当下において、思想の理路の延伸を変更できなければ、固定された路線が形成され、やがては固化した動作が形成されるのである。
第三十章 生活に落实す
修持が己を束縛し困惑させているために、宗教の教化によって己を成就することは困難であり、すべての修持はただ迷障の中にあるだけである。これは当今の時代の修子が最も犯しやすい欠点である。修持とは人世间の含因を改造する過程であり、良善の徳性に向かって行うことができるものである。
第三十一章 当下に実行す
善徳か悪殃か、いずれも知ることは難しい。困境に遭遇したときに仙仏の助けを求めても、一時のうちに悪殃を払い尽くすことはできない。また自分自身、時機の組み合わせ・空間の組み合わせが欠如しており、これこそ衆生が体得しがたい迷いである。
第三十二章章 逍遙自在
衆生が修持の過程において、常に無明と無知の過程にあれば、いかに真に逍遙ができよう。成就は難しい。修持の過程には多くの戒律が自らを束縛するが、この戒律も犯さなければ、いずくんじて戒めの律があろうか。そうでないか。
第三十三章 罣碍なく
人類の衆生は自らの角度から世間の一切の事物を観て、常に横逆に阻まれ困難に磨かれる。もしすべての事物において自らの角度からのみ人世間を観れば、一切の衆生と天地の演繹の過程において、必ず天地・宇宙と相互に契合することはできない。
第三十四章 福德無窮
まさに自らを依循とし基礎と為すこと、これこそ人類衆生より長遠に福德を具足して窮尽せざることである。この点は衆生も成就し得ることで、仙仏と類似の脚程と行径を自ら同じくし、人類の衆生は人世間においていかに「無為」の行持を為すべきかを了知できない。
第三十五章 真如実性
衆生の経験累積を成就し、真に実生活の過程に入り、一切は実相であり、宗教の言う「空性」の論説のみではなく、実相界に生存することである。釈尊が伝承した經典教義において、文字障に迷わされず、釈尊当時の教化の涵義がいかなるものであったかを了知しなければならない。
第三十六章 金品蓮台
その位階には、なお世人が了知し難い過程がある。さもなければ、浄土法門の中で因果定論の法則を論ぜず、ただ一心不乱となれば因果法則の牽纏の局限を脱出できるであろうか。この種の条件はまさに謬言である。因果法則の定論は、仏家においては一切の架構を主導するものである。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋     一
完  書  繳  旨
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
「十二因縁」の「六道輪廻」には「含因改造」の中での成長を含み、「歓喜心を起こし、観念を転化し、生活に落實し、当下に実行する」ことにより、「逍遥自在・了無罣礙」の心悅を変え、「福德無窮」を造就し「真如实性」の中に「金品蓮台」の境地に達する。
推薦序
「福と徳」は人世間において福報・福分を長遠に具足し、自らに備える資糧となる。さもなければ、いかなる聖神仙仏菩薩も天界において何らの作為もなし難く、福德・智慧の両相具足によってはじめて展開・提昇が可能となり、福德は無窮尽でなければならない。
懿旨
無極駕前 許飛瓊仙姑
序
崇心の「大道シリーズ天書」は、真理の闡揚をもって衆生を成就せしむ。また上天の本意は当今の時代に行じ、芸芸衆生は天地の護佑を得て、必ず普化の資糧を備え、殊勝なる真理をもって衆生を成就し、自性仏体を彰顕し、現世に入り人道を基礎とし、人世間に落實して、すなわち「入世作為」とする。
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
人類生存の目的：人類福祉を創造し、「宇宙生命」の大結合を繼起し、さらに人類福祉および萬物の徳（徳）¹⁸澤を創造
する。また人類生活の目的は、生活のために生活するのみにあらず、必ず人世間に於いて大乗（大乗）⁶⁰菩薩行（菩薩
行）⁶²覚有情（覚有情）⁵⁸境界を行持し、始めて蓮花仏国（蓮花仏國）¹⁷⁸（果）位階に達し得る。
第二回 行菩薩道
人世間の生活目的、無非 自己 殊勝なる「真理」を學習し、移改すべからざる思想觀念を建立するにあり。まさに「多
聞」の過程に在りて、「聞思修（聞思修）¹⁸¹」をもて智者となり、善知識（善知識）¹⁸³の導引によりて、自己を成就し
提昇す。「多聞」すれば 即ち人生の閲歷を増し得る。
第三回 上求下化
もし「覚悟情」の領域と作為に入らずば、必ず「仏性世界」に入りて成長し難し。故に「上求下化」は、まさに覚有情菩
薩の應行の要務、覚悟情境界に入り得て、始めて眞に仏性大門の第一層に踏入する、未だ中心點に達及せず。
第四回 自利利他
人類 皆無明（無明）⁷⁹より、自己 學習経驗傳承を與えられ、教育および教化成長の中に於いて、始めて無明固化の思想
觀念を改變し、また無明より宗教修持に入り、自己 更に多き無明に遭逢せしめず。また修持に對し 無非 思想觀念を改變
して化せんとするであります。
第五回 犧牲奉獻
人生の每一つの事務の起始と終止は、皆「有為と有所作為」の中に在り、無為（無為）³⁹の境界に達すること甚だ困難で
あります。現今の時代 宗教の教化によりて、漸く「無為（無為）³⁹」の立論と觀念を、衆生の心念に建立す。故に諸多の
衆生 無私、無為を行じ、根本的に功德を求むる念頭なし。
第六回 捨己成全
衆生 皆「我」の存在に執し、皆「我を中心點」とし、我またいかん？またいかんぞ？また何ぞ？すなわち捨己して有情
衆生を成全し得ず。ただ人世間に「私」あり これ「我」であります。これ無可厚非、一人 私と為し、兩人 雙と成り、三
人 衆と成る。
第七回 天地有情
人類の喜愛と厭惡を論ぜず、さらに既定の條綱を改變せず、「天の大公」すなわちここに在り！天の有情、まさに萬物衆
生を長養照耀し；地の有情、人世間の萬物衆生を眷顧し、有情、非情の一切の物種を論ぜず、皆天地の眷顧を受く。
第八回 眾生有愛
每位の衆生 皆かくの如し。凡塵の中に在りて、陰ありて必ず陽あり、善ありて必ず惡あり、晴ありて必ず雨あり、正あ
りて必ず邪あり、是ありて必ず非あり、男ありて必ず女あり、皆相互對待の局限に在り、有情と非情（無情）の事務を論
ぜず 皆一體にして共同平等であります。
第九回 誓渡眾生
もし智慧 また福報より更低なれば、此種 慧 卽ち福より短く、智慧欠缺を蒙り、有情衆生 いかに大願力ありとも、廣渡
衆生し得ず形成せん。衆生 ただ軀體の重量を加深し、すなわち污穢の質量を加重し、又いかんぞ回歸せん？恐らく是 甚
だ成就し難し！
第十回 誓斷煩惱
能く煩悩（煩惱）因を改變し、亦能く整個の事務の來龍去脈を全盤了知すれば、必ず原因を明白通徹し、煩悩（煩惱）因
の形成する所 いかんぞなるかを、設法して煩悩（煩惱）因を破除すれば、卽ち經驗累積とであります、智慧の成長を通
じて、初めて前次の過錯を修整し得。
第十一回 誓學法門（真理）
の接收、五蘊：色受想行識の中より、因縁の造就に達し得る。凡塵に在りて色受の污染を受け、自己の「如如本性」根本
的に開展し得ざらしむ。
人類衆生 無邊法門（法門）¹⁷⁹誓願學ぶ、問う 一切 皆夢幻泡影なるに、又何れ來たりて勤めんや？矛盾を形成せざるや？
第十二回 誓成佛道
時々困擾と橫阻を受け、甚至円満（圓滿）¹³の階段に達し得ず、自己 修持（修持）¹²に在りて甚だ難くするか、經商と家
庭および身體の組合より、自己に成就の機會を給予し、又自己 經驗累積の欠缺によりて、自己 報償を受け 更加困難と橫
逆の干擾を受け、痛苦 身心を折磨す。
第十三回 內果外功
さらに眞心犠牲奉献（犧牲奉獻）¹⁷³し、卽ち功德を求めず、回報を求めず、さらに自己の意念に入らず、卽ち功德のた
めにせず、能く眞に行功立德するは、まさに上蒼の加福添壽の憑據なり！現世に於いて必ず功德を具する者、初めて累世
の因因果果を轉換し得。
第十四回 心性心魔
又每一件の事務 起頭 皆善良純潔なるべきに、魔性の使する所、魔性の引誘する所を受け、原本純眞自性（自性）⁷ 魔性
の污染を受く。魔 自心に在り、魔 本性に在りて、原本 善良の位階に入るべきに、時間、空間、地點、環境、および自己
の應對方式の左右する所となる。
第十五回 降伏心魔
衆生 太多き 魔性、魔境に入りて、尚且つ旗號を打ちて 我 代天宣化す、我 普渡衆生すと謂ひ、反而衆生を奴隷と視し、
衆生 我が差遣する所と視す。自我意識 卽ち高漲し尚且つ還不自知にして、宗教平等、衆生平等、自性（自性）⁷平等、修
持（修持）¹²更平等に背離す。
第十六回 淨化靈性
菩薩行（菩薩行）⁶²は自利して利他し、兩者 皆是相互交輝し、必ず自己に成就を給予し、また他人を成就し得る。然れど
も衆生 皆生活の束縛を受く：「もし我自己生存を求めずば、何人 我に生存を給予し得ん」、これ無可厚非にして、衆生
必ず先ず自利して後、再び他人に利する能きは甚だ稀なり。
第十七回 心魔化除
衆生と修子に針對し反面の成就を作し、屆時 すなわち修子と衆生の心性、成就の如何を明白にし得ん？また何種の層級
なるか？魔境の攝難に對しては然も甚だ恐るべきも、魔の中にも亦仏性（佛性）¹¹あり、亦慈悲心あり、時には考核の過
程において、每一位の心念意識の分差を觀察し得るのであります。
第十八回 淨化內性
浄化（淨化）¹⁸³濾過の後、必ず阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸に納められ、また儲藏前の過程の中に在りて、善德の因縁を開展
し、良多の善德因縁を積めば、自然に惡殃の折磨を受けず。此種「浄化（淨化）¹⁸³濾過と静慮（靜慮）¹⁸⁵」必ず深切に
體悟すべし、人世間の種種の因縁和合の過程、またいかなるや？
第十九回 內性自淨
若し自己の身心を浄化（淨化）¹⁸³すること能わざるは、ただ自己の奴隸と做すのみなり。人世間 皆是因縁相續の過程に
して、每位の衆生 皆相同く外在環境に對し、若し自己の心願に按照すること能わざる時、すなわち「自己の願に違背
す」、外境 皆挽救し得るも、內心性を挽救せんと欲するは、また甚だ困難なり！
第二十回 佛性彰顯
更に仙仏（仙佛）²⁰菩薩道上に提昇せんと欲するも、亦比較的不可能にして、人道圓滿 まさに衆生の根本たるに因る。若
し人道生存のこの關を跳脫する時、每每遭遇する挫折と橫逆に對し、必ず人類衆生の最も受け難き困難點にして、又何ぞ
かくの如きや？
第廿一回 佛性再顯
いかなる事柄の始まりと終わりの間も、すべての環はまたかくの如し。人世間はまさに陰陽の相対する両極であり、いかにして調和すべきか。それは人倫大道により行い、導かれるものである。またすべての衆生は仏性を顕すこともでき、魔性を顕すこともできる。佛と魔とは、まさに人類の心念意識の総合体である。
第廿二回 唯識理論
當今の時代はすでに変質すること甚だ多し。宗教間の爭端斷えず、汝虞我詐の宗教教化は、すでに非を積みて是と成し、往昔の教育條件も復なし。是の故に上蒼界定す：宗教の爭端は正に人為的要因に由るものなりと。宗教の主事者は必ず不良の業果を擔承すべし！
第廿三回 唯識觀念
釋尊の講經は又「唯識」を以て諸佛菩薩の證悟に成就せしめたり。是の故に上蒼の此の期に明訂する所：修仙・修佛・修菩薩の行徑は必ず「唯心觀念」即ち「唯識觀念」を人世間に建立し、人類に由りて大乗菩薩の基礎と行徑を爲さしむべし。
第廿四回 唯識行徑
始めて菴摩羅識に入り阿賴耶識の垢化に退轉せざるべし！唯識觀念は人世間の種種の因緣和合を十二因緣を通じて組合せ、凡塵に於いて緣を以て緣を引き、圓を以て圓を滿たし、又原を以て原を暢べて如實に原來の本位に回歸す。
第廿五回 十二因緣
まさに自分に潤生の機会を与えるものであり、もし潤生の機会すらなければ、自己の生存条件に困難が生じ、「取」の走向を形成することもできない。「取」の前には必ず「愛の欲」の観念があり、「愛欲」の形成こそが「取」の行動力となるのである。
第廿六回 六道輪迴
上求によって各段階に到達できるが、上求の成長は下墜より困難である。もし上昇超越しようとするなら、簡単には昇進できない。人世间の因果相対には必ず陰陽相待があり、正反の中で人世間を良善の側に偏らせれば下墜することはない。
第廿七回 含因改造
儒家は因果を論ぜねど、瓜を種れば瓜を得、豆を種れば豆を得るは、因果法則輪回の循るものである。因果未形成前の「含因」待縁において、いかに含因を変え破除して善果とし、果また報を受るか？ 自ら因を造らずして自らの果と成さぬことである。
第廿八回 生歡喜心
福運財徳、財運福德はまさに相輔相成するものであり、衆生は皆これを好む。特に現今の時代の人類の衆生はその度が過ぎている。真理を暢達せず、娑婆世界に迷入すれば、人類は己が何のために下凡したのかも知らず、かえって娑婆世界の中で己を見失う。帰還せんと欲するか。それはまさに縁木求魚であり、自ら掌で己の顔を打つようなものだ。
第廿九回 觀念轉化
固化が生じる所以はここにある。思想の理路・条理を変更することができれば、必ず思想を再び転化させ、あるいは新たな思想・観念を創出できるかもしれない。人類の創発の過程は人類に主導されるものであり、まさに思想・観念の組合せに他ならず、外在の根塵意識も六識の起動に配合されるのである。
第三十回 落實生活
あらゆる過程において、必ず生活に落實し、人道生存という関門を跳躍脱出してはならない。また潤生の過程において、各衆生は資糧源を持たなければならない。自給自足できなければ、福報の具足が欠けていることになり、負債を抱える。すなわち己を成就する福報がなく、人世间に負債の累積を造成するのである。
第卅一回 當下實行
時に困難が訪れ、横逆が阻むとき、その来龍去脈を理解し転化できれば、固化の中に陥ることなく、自らに転回する余地を与えることができる。時に先延ばしの方法を用いて問題の困難な点を解決できることもある。これが人世間で言う、時間をもって空間を変えるところである。
第卅二回 逍遙自在
律とは自らを制約すること、戒とは外在的に加えられる教条である。いかにして戒律に左右されないだろうか。戒を尊び律を懲とし、さらに戒律の制限を放下し、自らを悩ませず制約を受けず、障礙を了脱できないようにしてはならない。
第卅三回 了無罣礙
人類の衆生が了知できねばならないこと、天地の心・宇宙の心・修持の心・個人の心をもって、いかにすべきかを決めなければならない。また各事物の生起と終止において、天地の演繹・宇宙の演繹・人生の演繹と、各人の生存の演繹と配合して、無為の提昇超越を造就することができる。
第卅四回 福德無窮
自分のみを知り衆生の福祉を謀らなければ、「我の所執」を形成し、わが一切のみがあって衆生の一切はない。宇宙・天地の間において大公を造就して衆生を成就し、自分のためだけでなく、「上求自利」して初めて「下化利他」ができる。
第卅五回 真如實性
時空と環境の過程を体悟して修持の準備とすべきである。さもなければ、文字障に左右され、三界空間を跳躍できた修子も、一瞬にして所知障・文字障・理障・惑障に囲まれ、いかに開悟帰返の準備に達できようか。必ず惑障の迷失に陥る。
第卅六回 金品蓮台
もし因果定論を分けて論ずれば、仏教の伝播がいかに深遠たり得るかは、まさに商榷の価値がある。儒道・耶回などの宗教においてさえ、因果定律の修為はなく、ただ釈教のみが因果定律・因果法則の概念を闡述しているのである。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
衆生が人世間において有情の作為をなすは、まさに自己の成就にして、自ら己を変えしめるなり。この故に真理を暢くし、修持の道において自己を成就せねばならぬ。また毎回の輪廻相续において、もし自らを超越の定点に立たせねば、相续反復の輪転を生ずる。
完書繳旨
大道シリーズ天書第五冊「大道規範」はすでに著作完成した。本日、無極皇母の特諭嘉勉により、崇心の諸神人の辛労著作に賞賜す。すべての人類衆生の良善なる提昇にして、各種の因縁條件に対し宗脈信仰者に上昇帰還超越を提供するものなり。
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
人生の目的——現今の時代の環境において、人類衆生は最も福報に恵まれている。上蒼は衆生に福報・福分・福澤を人世間において確かに具足させ、往昔には及ばなかったものが、今やすでに備わり、過去の時空にはなかった条件が整った。これは上天の演繹の過程であり、また人類進化の過程でもある。
推薦序
すなわち仏果（国）の蓮花世界に入り、金品蓮台に向かい、蓮花化身となって、仏菩薩の功果位階を成就する。唯識理論の成長において唯識観念を建立すれば、必ず阿頼耶識より唯識行径を促成し、菴摩羅識を生じ、すなわち菩薩行径が仏果（国）位階に入ることである。
懿旨
大道シリーズ天書を著し  大道真詮を普渡に揚ぐ
序
「大道規範」は修持を依帰とし、修持過程において往昔の不良なる習気を変え、自己の主人となり、自性仏体をもって大乗菩薩行の覚有情の境地を行じ、蓮花仏果（国）の位階に入る。必ず人道を依循とし基礎とせよ。人世間の作為に背離せざらんためである。
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
もし人道生存の一關を跳脱せば、ただ緣木求魚にして、人類 日常の生活のためのみにあらず。通貨（通貨）¹⁶⁷は衆生に
とって甚だ愛すべく實際的なるも、時に通貨をもて萬金の軀體を買ひ歸すこと能わず——身體なければ、縱へ萬貫の家財
ありて何の益あらん？また何の用あらん？
第二回 行菩薩道
また 多く聽き、多く看、多く思ふ、聞思修によりて、自己の無明（無明）⁷⁹を削減成就す。故に菩薩道 覚有情境界とし
て、必ず「布施·持戒·忍辱·精進·禅定·智慧」の施行を具う。最も主要なるは！必ず「智慧」をもて起頭となし、また「布
第三回 上求下化
もし「上求下化」なくば、いかんぞ「智慧と福報」を具足し得ん？人生の追求する所、無非 直に「仏性世界」に入りて
提昇超越するにあり。「覚悟情」に註腳すること能わざる時は、「仏性大門」を敲開せんと欲するも、恐らくその本源を
成就し得ざるべきであります。
第四回 自利利他
一次次の修持改造、毎每修持（修持）¹²過程において不良習気を転換し、自己 受益の後に、始めて再び他人を利益し得
る。これ自利利他の基本要求であります。上求自利は、必ず先ず基礎を建立したる後、さらに聖神仙仏の教導と傳承によ
り、仙仏の経驗と腳程を學習すべきであります。
第五回 犧牲奉獻
ゆえに、自然にして然るべくいかなる事務をも行使し、回報を求めず、功德を求めず、卻って有為の中に無為（無為）
の境界を行使し、功德を求めず、回報を求めざる心態をもて處世すれば、すなわち天地の仰ぐ所となり得る。人類 必ず
教化と觀念によりてここに在り、初めて眞に大乗（大乘）⁶⁰菩薩行（菩薩行）⁶²の境界を行持し得る！
第六回 捨己成全
一個の團體、一個の社稷の組合を形成し、一個の國家の總合、甚だしきは一個人の世界の結合に及ぶ。また「我の私」あ
るによりて「大公（衆）」を造す。いかんぞ捨己して、衆生の一切の事務を成全せん？必ず事務連鎖の結合を要し、事務
連鎖をもて大公の行持を造就す。
第七回 天地有情
人類 萬物の靈長をもて、人世間に生活す、まさに人類 思想觀念の思考能力あり！天地の有情と無情の眷と摧殘を改變し
得。古に云く：「天作孽 猶可為、自作孽 不可活」、天地の不序の作孽によりて修整せず、ゆえに人類 趨吉避凶の本領あ
り。
第八回 眾生有愛
人類衆生 すなわち自己の喜愛する中において選擇し、自己の厭惡する中において排除す！「好と壞」自己の選擇する所
を論ぜず、また他人も替代と擺布の作用なし、すなわち自己の見る所 甚だ良くも甚だ貼心であります、さらに自己の一
廂情願なり！
第九回 誓渡眾生
衆生無邊誓願渡す——いかんぞ衆生を成就し、衆生を成全せんや？必ず相同等質の能量を具備して方轉換し得。然らざれ
ば仙仏（仙佛）²⁰ なほ仙仏（仙佛）²⁰、衆生 永遠に衆生のみにして、根本的に目標を達成し得ず。これをもて言之く
「衆生無邊誓願渡す」 仏の言に對するや？否なり！
第十回 誓斷煩惱
進んで前次の經驗轉換を有し、人類の生活過程を改變し得。また「煩悩（煩惱）卽ち種子因、種子因卽ち菩提（菩提）
んと欲するも、必ず較ら不可能にして、亦提昇智慧の成長あること甚だ難し。
第十一回 誓學法門（真理）
此種の觀念 實際の修行者に對して、卽ち頑空思想を造成す。凡塵に在りて必ず：色聲香味觸の分別と接收の中に、亦
「心念意識」の組合をもてす。
初めて「末那識（末那識）²⁹」の分判傳導あり、進んで「阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸」に入りて垢識を清除し、「菴摩羅識
第十二回 誓成佛道
此の過程 平順に達し得ず、生活と心靈 起伏の影響を受け、此種 自己 充足する改變の資本なく、亦障礙自己にして不自
知であります。一般の人 皆謂ふ：これ上天の考程と考磨なりと。殊不知 自己 寬容の心ありて、又一次次 自己を姑息す
るのみ。
第十三回 內果外功
人世間 人として出生するに、先天の來歷 いかほど殊勝なるを論ぜず、または此生の中 いかほど大なる天命任務あるを論
ぜず、必ず實質の行功立德ありて、初めて福報の具足に轉換し得。人世間 福報をもて自己に徳（德）¹⁸澤し得ざる時、卽
ち福分の倚靠する所を欠缺す。
第十四回 心性心魔
魔性 使然たるを加へて、自己 尚且つ不知不覺、已に陷阱の中に落入すれども 尚且つ知らず、更甚だしきは 沾沾自喜し
て、自己の行ふ所 為す所 皆正しと以ひ、我こそ天地の間の頂尖聰明者なりとす。殊不知 早旣に魔境に入りたるを、又奈
何ともせん！
第十五回 降伏心魔
もし自己 稱師作祖する人あらば、大約 皆自我意識の影響する所、自我天命の左右する所にして、衆生平等、修持（修
持）¹²平等の中に 衆生を帶引回歸し得ず、尚且つ自己の預設する陷阱と圈圈の中に入りて、此種 もし魔性、魔境に入ら
ずんば 皆難し！
第十六回 淨化靈性
菩薩 すなわち：上求自利して再び利他す。ゆえに菩薩行（菩薩行）⁶²と衆生行徑、異なる所 ただちにここに在り。有情
衆生の「心念意識」に對し、まさに每一件事に針對し、皆第八識の儲藏する所に入る。此種 自分の含因（含因）⁶³を改變
せんとするは、恐らく比較的困難なるべし！
第十七回 心魔化除
魔性：若し個人の心性內境において破除せんと欲するは、必ず自己の努力に依りて轉換して初めて功效あり。若し外境に
おいてはいかんぞ轉換せん？實はこの中に一つの最大の轉折點あり、すなわち「魔來たれば魔を斬り、仏來たれば仏を斬
る」——その境 眞實なりといえども、人類の見る仏魔 皆虛幻にして、また外境の迷惑する所となる。
第十八回 淨化內性
每次改正する每に、自己に善德の方に朝向せしめば、すなわち惡習の境地に墜入せず！人 皆善を喜び惡を棄つ。倘し自
己の行う所為す所、善德に朝向して導引すること能わざる時、必ず種種の不良積習を累積し、自然に形於外するはまさに
因縁和合にして、他人を損及し、また惡禍の因果（因果）⁵を重下せん。
第十九回 內性自淨
衆生 自己の心性の救治を給予し得るや、還は心性の垃圾に自己の心性と空間を裝滿せしむるや？時常かくの如し！又心
性に若し太多の垃圾を堆放する時、自己 尚ほ之を知らず！內心と眼睛 皆環境の污染を受け、同時に又時空の迷障を受く
るのであります。
第二十回 佛性彰顯
之を謂うあり：我 很虔誠なり、我 很犧牲奉獻す、我 終日道場のために付出し、我 衆生のために修持（修持）¹²の大聖務
を做すと。又何ぞ人世間の不平順と橫逆の阻擋を改變すること能わざるや？すなわち不平等心、怨嘆心、退卻心、不信心
を生起し、種種の魔性 干擾に至らしむ。
第廿一回 佛性再顯
魔の来たることは恐るるに足らず、最も恐るべきは人心の険悪さと狠毒さである。必ずや人類の教化によって人心の険悪さと狠毒さを改善しなければならない。さもなければ「因因にして果を得る」の中で、人類衆生は心を起こすたびに業を造り、また前果を受けて磨かれているに過ぎない。佛と魔とは、まさに衆生それぞれの写し鏡である。
第廿二回 唯識理論
現今の宗教は必ず汝虞我詐の局面を打破し、さらに共和して大道の爲・天地の爲に人類の福祉を創造し、始めて真に祥和圓滿の境界と位階に達すべし。されば「唯識學理」は佛家の精華寶典にして、正に「心念意識」に左右され迷障を破るべし。
第廿三回 唯識觀念
然らずんば歿度の後を待って彌勒淨土に入り唯識學を修めんと欲すれば、亦た自らを成就し難し。唯識は彌勒內院淨土の「九品蓮台」を串連して佛・菩薩の基本的果位を成就す。唯心に識る所は即ち「唯識理論」にして、すでに崇心の「大道系列天書」に著作せり。
第廿四回 唯識行徑
此の原（元）の始めは即ち無極、即ち虛空にして、極樂世界の自己に由り本來の自我仙鄉と位階に回歸す。人世間若し唯心に識るを以て自らを造就し淨化の過程を爲さざれば必ず「淨濾」の沈澱に達し難く「靜慮」の智慧も亦た有すべからず！
第廿五回 十二因緣
「愛欲」の後には「受」の感官がある。「受」とは外在が自分に促成させ、「愛欲」の需求として、自分の好むところ、自分の願意なる一切を自己に加えるものであり、「愛欲」の享受である。「受」とはまさに自己が了知し、意願をもって承担する過程である。
第廿六回 六道輪迴
必ず中庸の道に立たねばならない。偏らず倚らぬ之を中という。両辺相対待の中で上昇と下墜の差異を区分する。下墜は極めて容易なことであり、往々にして執持の力に衝勁の力を加え、ひたすら前進して阿修羅道に入り、地獄道に入る。
第廿七回 含因改造
自ら造因し未だ果を成さざる前、すなわち因縁和合の促成に遭わざる前に、必ず懺悔心・感恩心・廻向心をもって、悪業果報の来臨に対処すれば、悪業果報の磨難を軽減できる。これは千真万確の事実である。
第廿八回 生歡喜心
人類の衆生は必ず真理を暢達し、さらに自利を成し遂げた後に利他を為さねばならぬ。そうして初めて衆生を潤す働きが生じる。故に現今、上蒼は修行を積む衆生に、必ずまず真理を学び、真理をもって智慧を積み重ね受益し、能って培植せよと求めておられる。すなわち福運財徳、財運福德を具えること、これこそが正道なのである。
第廿九回 觀念轉化
結合することのできる本体はすなわち「自我」であり、自らの行動をもって自我の思想・観念を以て一切を主導する。実は最も重要な鍵は、個人の思路を調整して固化させないことができるか否かにあり、これこそが思想・観念を変更する最主要的条件である。そして人生在世のすべての過程を造就するのである。
第三十回 落實生活
人類の生存条件は潤生にあり、潤生は自給自足することが正しい。人世间において福報の富足を具足できなければ、他者の負担を増すことになり、これが共業を形成する。福報ある時には、福報なき者に分け与えれば、己が欠ける時に報いを受けることができよう。
第卅一回 當下實行
衆生は常々「船は橋頭に至れば自然と直くなる」と言うが、これは万能の妙方ではない。時機が到来したとき、またたく間に過ぎ去り、因縁を逃してしまうことがある。特に善徳の因縁はまさにそうであり、機会は永遠に自分を待ってはくれない。逆に悪殃の因縁は、決してまたたく間に過ぎ去るものではない。
第卅二回 逍遙自在
戒律は宗教教化の基本要求である。戒律がなければいかなる宗教も後代の学習者を成就できない。「青は藍より出でて藍より青し」の過程において戒律は重要であるが、決して戒律で自らを悩ませてはならない。これこそ「戒律」の遵守と尊重である。
第卅三回 了無罣礙
自らを宇宙と融合させ、天地と融合させ、人生と融合させ、さらに個己を超越してこそ、修持において十分な進歩があり、初めて人生において「真に自らの主人」となることができる。さもなければ、個人の角度のみで宇宙・天地・人生の過程を観れば、必ず相互に契合することはできない。
第卅四回 福德無窮
自ら資糧を欠き具足できなければ、いかにして資糧で衆生を成就できようか。まさに我の所執において、自らを小さな円の中に限定し、心懷を開いて天地衆生と融合することができず、人世間においてただ「我」個人の享受のみで、衆生に福沢を受けさせない。
第卅五回 真如實性
「文字障・所知障・理障・惑障」の中に自らを無明の過程に突っ込み、無明は人類の生存と経験の累積の欠如であり、人身の組合せの過程を経て初めて修持の準備ができ、すべての生活過程が真如实性である。空性と言えるか。そうでない。
第卅六回 金品蓮台
儒道耶回などの宗教は因果定論を説かずといえども、まさに因因にして果を得る印證であり、良い因には良い果を、悪い因には悪い果を得るは、他の宗教の言う「瓜を種えれば瓜を得、豆を種えれば豆を得る」にして、転移すべからざる定律である。それゆえ各宗教には異なる語彙がある。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
人類衆生は五塵境に迷い、また凡塵人世間の種種の因縁組合に制せられ、人世間の輪廻依循交替を了脱しがたく、また人類衆生の生存過程において、日常生活の中にて恒常一切の事務を有情衆生の福祉として闡揚す。
完書繳旨
佳辰すでに至る。本堂の済公活仏・観音菩薩に十五里外にて御駕を迎えさせ、本堂の虚空彩雲仙姑・虚空落筆天尊に十里外にて御駕を迎えさせ、その他の無極大道院の衆霊修院士は順序に従い排班し候駕せよ。本堂の諸神仏および衆学生もまた排班して懿旨の到堂を恭しく迎えよ。
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
最終の目的は、衆生が皆本来の降生処に帰返すること、すなわち無極仙郷に帰還する主要任務である。衆生は本来無極天界より来たり、皆上蒼の眷顧を受けた霊子である。有情衆生は本来天上に居住しながら、天上の気質を持たず、故に凡塵に降した。すなわち「先天仏子」が凡に降りたる悲しみである。
推薦序
一人ひとりの仙仏は皆「福德と智慧」を具足して成就し、自らを福德無窮の境地に入らしめる。衆生が了知すべきは、なぜ仙仏は長遠に衆生を度化できるのか。いかにして衆生よりも福報を具足し、久遠の歳数を持ちながら、長遠に衆生を成就できるのか。
懿旨
懿敕道場再び旨を接し  崇心堂中著作殊なり
序
「人道」の潤生を跳脱して、直接に「地道」と「天道」の過程に入ることは、不可能である！人世間において累世の業因を完消し、含因を改造し、往昔の冤業を破り了結して、はじめて消除できる。自身に何らの牽掛もなく、修持の順境過程に入る。
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
通貨（金錢）の一關に欠缺せば、四方に遊走し難く、必ず通貨の具足を要す、すなわち潤生に對し基本の要求あり。十分
なる必要性をもて具足するにあらずと雖も、もし欠缺せば必ず現世に生存し難く、人世間に於いて十足の生存 舒適なる
順遂の生活あること能わず。
第二回 行菩薩道
施」をもて福徳（福徳）¹⁷³の累積を成就すべきであります。
「福と慧」兩者 共に具足し、さらに修持（修持）¹²の提昇を行持す。まさに「持戒·忍辱·精進·禅定」をもて自己 「六度
万行（六度万行）⁵⁹波羅蜜」を行持せしめ、即ち菩薩境界を通過し、また自己の「心念意識」をもて人生不良累世の因果
第三回 上求下化
上求は永無止境の境界、無明（無明）⁷⁹を追索探究するに、「無之無無明」をもてせば、必ず無明を成就し開創し得る。
また一切衆生および仏菩薩、智慧と経驗累積に欠缺する時は、必ず無明探究を成就し難く、無明に於いて、まさに一切智
慧と経驗累積の転化點であります。
第四回 自利利他
自己 自足し得て、衆生を下化せんと欲するは比較的容易であります。しからずば自己 無明にして経驗なく、何ぞ資糧あ
りて 衆生を下化せん？下化步驟 必ず成立し難し。但し もし一份の眞心を具すれば、必ず對方を感動し得る。對方を成全
すること能わざる時は、成就位階に達し得ず。
第五回 犧牲奉獻
有所作為の中に在りて、無為（無為）³⁹の過程を行使し、また天地 皆無為（無為）³⁹なれば、人類は「有所作為」にして
必ず有所作為をもて「無為（無為）³⁹」に融合して、初めて犠牲奉献（犧牲奉獻）¹⁷³あり得る。またいかなる功德と回報
の念頭をも存せず、これすなわち「陰騭」であります。また人世間 甚だ作為の少なるあり。
第六回 捨己成全
萬物 皆自己を捨て、人類衆生の口腹を成全し、身體を滋養し潤活す。此種 一つの食物連鎖を形成し、食物ありて初めて
事務連鎖あり。人類 皆理所當然と認め、天地の造化に感恩するを知らず、天地萬物を長養する徳（德）¹⁸澤、もし通貨の
みあれば亦甚だ效益なし！
第七回 天地有情
人類 天地の不序と作孽を改變し、自己に存活の空間あるを給予す。人類 思想觀念によりて轉化し、天地の不序と災殃を
改變し防阻し、亦ここに成就し得る！人類 此種の本能あるによりて、科技によりて移山倒海するは、まさに人定勝天の
寫照であります。
第八回 眾生有愛
かくの如く甘之如飴犧牲し、甘んじて促成し、亦高興して承受するは、必ず自己の選擇する所であります。然れども有時
外人の見る所 すなわち「非」なり！また何ゆゑかくの如きや？ただ角度 各おのおの同じからず、自己の愛と惡の分別に
形成す。有情衆生 すなわち「愛と欲」の形成であります。
第九回 誓渡眾生
仏菩薩 皆具備す：大慈悲、大願力、大功德、大智慧、一切 皆衆生を成全するを目標とし、また衆生を成就するに努力
す。ただ人類衆生 物質の中に在りて、凡の蒙垢を加深し、さらに清澈なる如来蔵（如來藏）⁷¹の行使に達し得ず、一切の
因縁果 向上し提昇成長す。
第十回 誓斷煩惱
「衆生煩悩（煩惱）誓願斷つ」、四弘誓願（四弘誓願）¹⁷⁷を經由して人生改造の基本因に達す、能く自造因を行じ、自
受果を改變するに在り。又每每一件事務に對し皆起止の中に在りて、善果に達するや？惡果に達するや？必ず自己の承受
する所であります。衆生 皆經驗なくして轉換し得ず、每回の業（業）¹⁹因の牽纏に對す。
第十一回 誓學法門（真理）
（菴摩羅識）⁵¹」の本性、仏性に入りて達す、乃ち眞正の如來又は如去であります。衆生 凡塵の一切 皆夢幻泡影のごと
くなるを了知するに對し、卽ち人生短暫の比喻、又いかんとも奈何せん？
應當下 此の一世の努力を把握すなさい。衆生 無邊法門（法門）¹⁷⁹誓願學ぶの提昇を欲するには、必ず真理 真理 人生を
第十二回 誓成佛道
甚だしきは每次の磨難（磨難）²⁷の過程に於いて、亦いかんぞ行ふべきかを得知し得ず！又眞に修持（修持）¹²平順に達
し難く、「仏道（仏道）¹⁸¹無上誓願成す」の弘願、往々ただ一個の口號、一個の目標たるのみに形成し、たゆゑに一世
世の累積、又仏道（仏道）¹⁸¹成就の良機に達し得ず。
第十三回 內果外功
卽ち人世間に於いて、諸多の橫逆と不如意に遭逢して身心を磨せられ、如斯自己 卽ち苦を受け又難を受く。又ただ外功
の行持 具足するのみにして、もし内果（內果）¹⁸³の培植なくば、卽ち人間淨化の本質を欠缺し、本身の靈性を淨化せん
と欲するは、必ず自己を改造し得るや否やに在り！
第十四回 心性心魔
自己 承頭天命 いかほど大なるか、いかほど殊勝なるかと認め、故に普化 唯我 能く完成するのみ、捨我其誰とす！此種
の因縁觀念の者、實際 已に魔境に入れり。又仏性（佛性）¹¹、魔性 正に一體兩面にして「阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸」の
儲藏に入り、真如（真如）⁶¹ 已に污染を受けました。
第十五回 降伏心魔
人類衆生 まさに自己 能く改造する所の因本——卽ち含因（含因）⁶³より、能く長遠初発心（初發心）¹⁸⁴を保持するは、
卽ち衆生平等、自性（自性）⁷平等、修持（修持）¹²更平等の條綱であります。每位の衆生 宗教に入りて、皆眞に真理を
學び 自己を引渡し得、自己 回歸超越せんことを盼む。
第十六回 淨化靈性
菩薩は自己の心念意識によりて、未だ阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸に入らざる前に儲藏し、すでに含因（含因）⁶³の存續を斷
除すれば、「因縁」よりて「果報」と變ずる區分なし。また人類衆生の所作所為、必ず「阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸」に入
りて分門別類儲藏さるれば、すなわち未來の果報の分別を形成するであります。
第十七回 心魔化除
魔も亦幻化して仏と成り、衆生を導引して陷阱の中に入れん。其の回悟するの時、早已らく身陷す 魔性と魔境の中に在
りて、尚ほ沾沾自喜して心悅す！此種 必ず平常心をもてすべし、初めて魔境の擾を不受する！外在の魔境に對し、必ず
平常心をもて之を處し、すなわち魔境を化除し、更に困境の阻礙を受けざるを得るのであります。
第十八回 淨化內性
有情衆生、時常自己を原諒し姑息し、また次回 再び犯して自責せず、一次次 すなわち自己を寬恕し、また他人を最も責
む！人類衆生 皆此種の作為と觀念を存し、必ず自己の造業（業）¹⁹の機會を增加せしめ、また造福の機會 すなわち減少
するのであります。
第十九回 內性自淨
往昔の一切の堆積、すなわち理所當然と認め、自然に不適用の物品を搬し歸り、自性浄化（淨化）¹⁸³に不適なる精神糧
食を、全部自己の海の中に堆積す；又第八識——阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸不知不覺の中に、根本的に無用の愛物質を太多
堆積す。
第二十回 佛性彰顯
六萬年來の所有の因因果果、討報甚だ急なるあり、ただ平順に討伐するのみなるあり、尚須再び二、三千年の後を等待し
て、方か果報償還を承くるあり。ゆえに仏性（佛性）¹¹に對し、まさに衆生根本の自性なり；又魔性も亦衆生根本の秉性
にして、即常左右矛盾の困に遭逢す。
第廿一回 佛性再顯
一つの事柄において、まさに一体両面がこれを成し、不二の問題など決して存在しない。またいかに「仏道は仏性を彰顯し、魔道もまた魔性を彰顯する」か。すべての事柄は一体にして両面なればなり。もし衆生が人生の至理を了知できれば、修持に入って環境を改造することは、比較的容易である。
第廿二回 唯識理論
整體の「大道天書」系列は皆「唯識心法」及び「般若波羅蜜多心經」の涵義を講述す！諸賢生は最も福報ある者にして、此の時機に上蒼の賜う殊勝の大良機に榮膺し、必ず自らを成就し、又衆生の根本因質を成就して提昇超越すべし。
第廿三回 唯識觀念
其の含意を了知すれば「唯心に識る」唯識觀念に由り自らを成就して菩薩の位階に入り、已に九品蓮台を超え、心念意識を綜合整理して下化して菩薩の位階を成就す。必ず九九八十一の位階を通過して始めて上品上生に達し、即ち菩薩果位の超越なり。
第廿四回 唯識行徑
人世間は必ず「清除と沈澱」を経て不良の垢識と含因を轉化して其の因をして果報と成さしむべからず。又如何にして因を防がん？果報惡禍と成る造因を減少し含因の未だ形成せざる前に含因を斷除して惡因の造作と不良の報應を減少すべし。
第廿五回 十二因緣
いかにして「受」を展現し、貪求と化さしめぬか。「受の欲」より「触」の欲覚となり得る。「触」とは、あらゆる一切を受け入れて初めて「触」の感覚が生じるものである。さもなくば「触」に入るには「六入」によるのではなく、眼・耳・鼻・舌・身・意をもって「触」の接收を起動するのである。
第廿六回 六道輪迴
畜生道に入れば、胎・卵・湿・化生のうちに上天の賜ったわずかばかりの霊性を抹殺する。もし地獄道に入るのみならば、なお転回の余地があり、地府の刑罰と教育によって衆生の霊性を自己の選択を経て改造できる。
第廿七回 含因改造
人類に懺悔心・廻向心・感恩心の三心が成れば、含因の応に受くべき苦果と磨難を破除できる。善徳因縁に入り善徳をもって善縁と成すは当然である。多くの人は心態不良の情緒反応を抱き、善徳因縁も悪果に転化する。含因改造の変化はここにある。
第廿八回 生歡喜心
然らずんば、いまだ真理を明瞭ならぬ前に、財福を衆生に授けんと欲すれば、衆生の造業の機会を増加させるのみならず、かえって衆生を平順の中にあって既に帰還の資糧を見失わせ、さらに己を堕落せしめ、帰還の境地を困難にし、造悪の深淵へと陥れることになろう。これこそがまさに人世間の迷障なのである。
第廿九回 觀念轉化
思想の理路の組合せがあってこそ、因縁和合を創発・展開することができる。さもなければ、人世間において縁を以て縁を引くことはできず、根本的に因縁果報が形成されることもない。思想の理路の創発過程において、各段階はすべて「自我意識」と「根塵意識」の組合せなのである。
第三十回 落實生活
人類の福報は生活の起伏の中にあり、常に一定であることはできない。もし福報を長く具足できれば、起る者もあれば伏す者もある。すなわち俗諺に言う「晴天には雨の糧を蓄えよ」と。必ず蓄積の過程を経て福報を具足し、潤生の通貨を蔵蔵具足しなければならない。福運の中に蔵蔵し、潤生の通貨を成就するのである。
第卅一回 當下實行
むしろ時間・空間・場所・環境を引き延ばし、罠の中に陥らせ、自らを無明と未知の過程に導き入れる。人世間において善徳の因縁は成就しにくく、悪殃の因縁は必ず十全に成就する。善悪の分かれ目はまさにここにある。
第卅二回 逍遙自在
「戒と律」の両者は自らを制約された固定点に置き、当初設教の基本的な原意を離れることはできない。「戒律」を行うにあたり、同じ過ちを繰り返さないことであり、「戒と律」の形成は修持する衆生にとって一つの成就の天機である。
第卅三回 了無罣礙
ましてや宇宙・天地・人生と相提並論することはできず、自らにあっては修行に罣礙なきこと、これこそ了無罣礙に必要な基本観念である。人類の衆生はすべて自らの角度から自らの生存を観て、客観的な角度をもって宇宙・天地・衆生と自らのすべての演化的過程を観ることはできない。
第卅四回 福德無窮
このような個人の私、小さな自我の所執で、いかなる福德と福分を得られようか。甚だ難しい。さらに福報の拡張を隠蔽し、福田を荒廃させ、福沢は自らと相互に契合できない。人類の衆生は我の所執において、根本的に人世間においてより大きな福沢を開拓できない。
第卅五回 真如實性
時空の変遷において釈尊当時の原意を了知し、当今の修持の準備とすべきである。提昇に達することは比較的難しい。釈尊が諸仏菩薩を派遣し、凡塵人世間において教化を示現される。金剛経に云う「色をもって我を求め、声をもって我を求むれば、是の人は邪道を行じ、如来を見ること能わず」。
第卅六回 金品蓮台
金品蓮台は釈教には明らかには記されていないが、実は釈尊当時にはこの名称を用いなかったに過ぎない。仏家に既に九品蓮台がある以上、なぜ改めて「金品蓮台」の名称を用いようか。まして菩薩果位を成就した後、仏の果位に入る前には「九品蓮台」を去り、直接「金品蓮台」に転換しなければならない。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
いかにして「無私・無我・無執・無著」の範疇に達するか。人世間において有情衆生の模範となり、帰還の路程において豊富な資糧を自らに給うべし。人世間とは有情衆生にとって、実相の生活過程をもって絶対的にこの相循を跳脱することはできぬ。
完書繳旨
無極駕前元君 麻仙姑
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
人類生存の目的：人類の福祉を創造し、「宇宙生命」の大結合を継起し、人類の福祉および万物の徳澤を創造することである。また人類生活の目的は、ただ生活のためだけに生きるのではなく、人世間において行持し、大乗菩薩行の覚有情の境地を行じて、はじめて蓮花仏国（果）の位階に達する。
推薦序
まさに自らを依循とし基礎とすることで、人類衆生よりも長遠に福德を具足して無窮尽となる。この点は衆生もまた成就し得る。自身も仙仏と同様の脚程と行径を歩めるのである。しかるに人類衆生は人世間において「無為」の行持をなすべきことを了知せぬ。
懿旨
無極懿旨の降堂を恭しく承け、神人伏して候え。失儀あってはならぬ！
序
大道シリーズ天書の弘揚普化過程は、皆崇心の諸賢生が心力を奉献して達成し、各人の力を発揮し匯集して、破れがたき大力量を形成す。人多ければ事よく成り、普化過程において自身のため、衆生のため、また上蒼のために真理を宣揚できる。
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
通貨の具足と福報（福報）¹⁷²陰徳（陰徳）³⁵は、相當大なる關連あり。通貨 人世間に形成するや、まさに人類衆生 最も
愛し必ず具備すべきもの！いかなる宗教道脈を修持するも、「通貨」の基本要求を離るることなく、また道場に於いて
通貨具足して、始めて方便に事を辦じ得る。
第二回 行菩薩道
（因果）⁵業障を転換し得る。
凡塵衆生 皆 上蒼一體の愛する所、眷顧する仏子であります。また上蒼 皆盼望す 每一位の仏子、眞に菩薩道境界をもて
仏果位階に入らんことを。每一位の衆生も亦 仏の化身であります、すなわち「三身（三身）¹⁸⁴」より、人世間に応化し
第三回 上求下化
さらに反面より成就す、衆生および仏菩薩の覚悟する所、必ず覚悟は現世當中に在りて、経驗の借與および成長を通ずる
ことを了知し得る。しからずば いかなる衆生·仏菩薩も、自身體悟の過程を通過し難く、必ず自心體證の印驗に在り。然
らずば、何ぞ経驗傳承ありて 智慧となるを得ん？
第四回 自利利他
いかなる宗教の修子に入るも、皆 自己 多く聖神仙仏の教導を吸收せんことを盼望し、良きものを周圍の親友に分享し得
る。必ず豐富なる資糧と経驗を具し、始めて下化利他の動作あり、まさに每一人の知識経驗の分享によりて 受益し得
る。
第五回 犧牲奉獻
人 天地間より來たり、また人間に生存す。いかんぞ天地の大愛を學びて人世間に散播せん？すなわち此期の教化任務で
あります。さもなくば衆生 自己の生存のためにのみて、萬物衆生の生存を顧みず、すなわち「仁慈と徳（德）¹⁸性」の兩
者の相互結合を欠缺し、必ず衆生の大愛を成就し難し。
第六回 捨己成全
天地 衆生を護佑する徳（德）¹⁸澤滋潤の苦心、さらに一視同仁、大公無私、平等博愛にして眷顧す、まさに天地の徳
（德）¹⁸澤であります。人類も亦 萬物衆生 捨己して人類の口腹を成全するを了知すなさい。さもなくば萬物 もし人類に
吞食せられざる時、人類 いかんぞ身を養い體を潤さん？甚だ難し！
第七回 天地有情
人類 天地の定律を移改し、天地不序の滅絕を受けず、ことに天災人禍を躲避するに、人類の思想觀念に針對し、有情天
地 まさに萬物衆生を養育する徳（德）¹⁸澤であります。有時 天地 人類の不仁の作為に反撲するは、相當可怕でありま
す、此種の災殃 人類 甚だ少く明白なり！
第八回 眾生有愛
愛と欲 促成するによりて、初めて生生不息の傳承あり得る。有情衆生 皆「愛欲」を受けて情緒の抒發に影響し、自己の
選擇を促成す。好と壞を論ぜず必ず自己 受償し、先に選擇する對と錯を論ぜず、皆自己の喜愛する所をもて歡心す。
第九回 誓渡眾生
仙仏（仙佛）²⁰ 每每道場、仏堂に降臨し衆生を教化すといえども、然れども言者諄諄 聽者藐藐！いかんぞ衆生に成就せ
しめんや？皆困難なり！衆生 皆「我が執著する所」あるに因りて、仙仏（仙佛）²⁰の教化の過程 引渡しの目標に達し得
ず、仙仏（仙佛）²⁰ これをもて人類の引渡しを棄除せず。
第十回 誓斷煩惱
すなわち果報の因由とであります、必ず因果（因果）⁵法則の規範、相循する所を受く。また仏教 「衆生煩悩（煩惱）誓
願斷つ」を倡導す、何ゆゑ現今の時代に在りて衆生、宗教教化の薰陶の後に因りて、煩悩（煩惱）因を斷除し得ず 卻っ
てさらに煩悩（煩惱）因を增加し、果報牽纏 更加嚴重となるや？
第十一回 誓學法門（真理）
現實生活の中に置き、生存體驗の酸甜苦辣の磨鍊を經由し、知識經驗を累積して成長提昇して、初めて人世間に在りて、
三界（三界）²⁴空間の輪廻（輪迴）²¹を超脫して轉換し得る。
人生 世に在りて 必ず真實の生活過程あるなさい。然らざれば、人道生活の關を跳脫して、又いかんぞ無上菩提（菩提）
第十二回 誓成佛道
累世相加して一處に在りて、多くの因果（因果）⁵業（業）¹⁹障 干擾に來るを產生し、生活の局限と福報の拓展に針對
し、多くの人 宗教信仰修持（修持）¹²の位階に入り得るといえども、皆成就し得ず、亦一直 宗教信仰の中に反覆徘徊す
るのみ、根本的提昇甚だ難し！
第十三回 內果外功
必ず「起心動念」人類の「心念意識」に對し、まさに道家の云く：「心猿意馬（心猿意馬）¹⁸⁵」。心猿の中に於いて、
いかんぞ「心猿」を束住し把關せんや？いかんぞ「意馬」を馴服し約束せんや？卽ち「覺心猿、伏意馬、性初」ありて
内果（內果）¹⁸³培植の根基を給予す。
第十四回 心性心魔
もし自性（自性）⁷をもて行事せず、天性 人となさずば、必ず秉性の左右を受く。此種の秉性 卽ち魔性、天性 本自心、
自性（自性）⁷ 卽ち本靈であります。又一切の因縁和合に對し、いかなる一方の世界に入るを論ぜず、「因縁和合」の事
務 皆起止あり、然るに「本靈」は絕て起止なし。
第十五回 降伏心魔
有情衆生：凡塵に在りて 卽ち五塵境および五神通（五神通）⁷⁴の影響を受け、自己初発心（初發心）¹⁸⁴、亦塵境と神通
力の誘惑を受け、魔境に入りて、又いかんぞ魔境中の魔性を破除せんやを知らず！實は此の一切 皆人類の意念思想の造
成する所にして、絕に上蒼の演化と主導する所にあらず。
第十六回 淨化靈性
ゆえに、浄化霊性（淨化靈性）¹⁸³、すなわち阿頼耶識（阿賴耶識）²⁸の中に在りて、必ず不良の垢識を清除し、純真に回
復し、定靜生慧、安慮得祥ならしめよ。かくの如く戒中に成ありて、自己に成就の機會を給予し得る！これ人類衆生の最
も了知し難き一環にして、また多くの人 根本的に明白ならず、甚だ此種の作為なきに至るのであります。
第十七回 心魔化除
外境の魔：轉換せんと欲するは比較的容易なり。內境の魔境、轉換せんと欲するは恐らく易きこと非ず；外在那る魔境は
ただ幻化の過程にして、轉瞬にして考程を通過し得るも、最大の困難 外境に在らずして、內境の魔性なり——心魔（心
魔）¹⁸⁴若し已に生起する時、此の時 化除せんと欲するや？甚だ困難なり！
第十八回 淨化內性
有情の人類衆生、時常自己に寬容にして、他人に嚴責す。此種 まさに人類の通病と常情なり、之を謂うべしや：正邪、
是非、對錯？不可なり！衆生 皆「我」の存在あり、「我」の存在なき時 又いかんぞ他人と因縁和合を形成して相續せ
ん？甚だ困難なり！
第十九回 內性自淨
また往昔の優良なる精神糧食も、必ず一次の搬遷の時に在りて、往昔 理所當然と認むる物資、堆積太多によりて、本來
寬敞の空間を、必ず物資堆積の侵佔する所とならん。若し搬遷移轉なくば、又いかんぞ此等の垃圾を清除し乾淨ならしむ
る時を知らん。
第二十回 佛性彰顯
經常矛と盾の當中に在りて、すなわち判斷力を下定すること能わず、每每橫逆と不如意の阻に來る時、又いかんや？往昔
の眞誠信心 漸漸退卻し又冷縮して、再びいかなる信心をも生起せず、往昔の功果を一下子に完全抹煞するに變ずるは、
まさに相當無可奈何なり！
第廿一回 佛性再顯
天地の間はまさに陰陽の相対するところであり、もし人世間の陰陽の對待組合から跳躍脱出できれば、必ず三界の外の局限を超脱し、己を無明の中に置くこともない。すなわち総合体が人世间においては苦海无边であることを了知できる。また人世间は、是非・对错・正邪・陰陽の総組合より成り立つ。
第廿二回 唯識理論
凡ゆる精華を生活に融入して落實せしむるは、即ち唯識學の「萬法唯心と萬殊唯物」の寫照にして、整體の大道天書を整合す。段取りごとに講述するにあらねども、每篇の前後皆連貫し、前後亦た「心意念識」に相應す。これ最も殊勝なる條件なり！
第廿三回 唯識觀念
「金品蓮台」の位階とは正に上蒼菩薩果位を通じて佛果位階に入るなり。崇心の「大道系列天書」著作の因緣も亦た尋常ならず！「唯心に造り・唯物に成る」とは即ち「萬殊唯物・萬法唯心」にして唯心に由りて促成さる。
第廿四回 唯識行徑
人類衆生は往々含因を以て果と成し因緣和合の組合せを促成して良善と陋惡の果報を受け福蔭と償還と爲す。若し良善の果報中に太平順なれば即ち造業の機會を増し平順の中の造業を了脫し難く此の條件は即ち上蒼の願ふ所に非ず。
第廿五回 十二因緣
感じるところあって初めて「触覚」を外に形づることができる。「触」の「六入」とは、眼・耳・鼻・舌・身・意が一切の外在に触動し、「色・受・想・行・識」によって展現され、「色・声・香・味・触・法」を「六入」の延展において成就させ、すべての外在因縁を起動するものである。
第廿六回 六道輪迴
執持の力の衝勁があるか？ 自己の欲求する方向を指標として初めて転回の契機がある。人道より阿修羅道・地獄道・餓鬼道・畜生道に入れば、その行径を観るべきである。仏性が滅せざれば、天機を回復できる。
第廿七回 含因改造
含因が果を成す前、果報の償いに遭わぬ前、好坏は皆個人の心態感受にすぎない。含因の変化を改造するには、懺悔心・廻向心・感恩心の三心合一をもってこそ、不良業果の果報の磨難を修整変革できる。
第廿八回 生歡喜心
また何ゆえ上蒼は修行を積む衆生に、まず真理を暢達し明悟せよと求められるのか。人世間に生存し、いかにして真となり、いかにして仮となるか、衆生が真理を導き、まず己を成就し、次に衆生を成就してこそ、初めて渡化の本意に叶うのである。もしいまだ福德財運を授ける前であれば、必ず幾重もの考程が課せられるのである。
第廿九回 觀念轉化
必ず行為・動作が形成される。「自我意識」と「根塵意識」の両者が結合しなければ、すべての事象の起止と作為に至ることはできない。ゆえに人類衆生もかくのごとく、万物もまた同様である。動くあらゆる動物は、絶対にこの相互循環から脱却することはできない。
第三十回 落實生活
生活中に欠乏がなければ、それは修持によって福慧の両相を具足したということである。富足は必ずや自身が感召したものであって、上天が与える多少によって決まるものではない。修持の過程において、日常生活を疎かにしてはならない。修行たる修子にとって、因縁果報の形成を了知できれば、業を造る機会を大いに減らすことができる。
第卅一回 當下實行
人生のプロセスにおいて当下に実践しなければならない。無明・未知の中においては、善徳の因縁の創造的発展を把握できなくなる。人生とはかくも無奈なるもの、人世間では不如意十中八九、逆に如意なる事は一ニのみである。
第卅二回 逍遙自在
自在に修持できなければ、戒律が身に加わり、まさに修持者を転回できない過程に陥れる。然りとはいえ、戒律を荒廃させてもならない。戒があってこそ律があり、律があってこそ自らを成就する。これが修持の根本である。修持とは自らを知と無知の過程において総合的に篩い分けることである。
第卅三回 了無罣礙
このような因縁では罣礙なきは難しい。衆生にはすべて「我」の存在があり、人生・天地・宇宙の存在はなく、「我」のみを知る。我が私により自らを包み込み、天地・宇宙・人生と相互に結合させず、自我によって制限され、根本的に自らの提昇を成就することは難しい。
第卅四回 福德無窮
このようなことでいかなる福分を具足できようか。詳細に考えれば明白である。聖神僊仏菩薩はすべて衆生の利益を出発点とし、衆生を自らの児女として看待し、福田徳沢を衆生に創造し、自らも恵みを受ける。まさに上求自利にして下化利他、仙仏はすべてこの行径によりて成就した。
第卅五回 真如實性
「さらに一切を夢幻泡影のごとく、露のごとく電のごとく、一切かくのごとく観よ」と。文字般若をもって示し、文字によりて理を拆けば、必ず文字障に左右され、いかに仏菩薩果位を成就できようか。実に證することは難しい。金剛経に云うところ、昔時の環境においていかなるものであったか。
第卅六回 金品蓮台
すなわち仏の果位である。それゆえ釈教当時にはこの名称を用いなかったが、実は既に存在していたのであり、ただ衆生が經典の記載に昧いて本来の意味を了知できなかっただけである。金品蓮台は釈尊の仏果にして、如来佛と呼ばれるいかなる果位においても必ず備えるべき位階である。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
さもなければ、宗教では身体を臭皮囊の肉体と為すも、自らの霊性の障礙を超越できねば、多くの障害を自らに生じ、修持の道において人生の転換点となるが、誰もが直ちに天界に登れるを保証せず、人類には多くの努力の余地がある。
完書繳旨
無極旨を崇心に頒ち  駕前に虔恭に母娘に仕う
元君帰降して道場に戻る  麻仙姑懿旨を帯び降す
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
崇心宗脈が著作した一連の「大道シリーズ天書」において、各冊は皆「大乗菩薩道」の境地を闡述し、衆生に人世間において改造・修持の調整をなすことを要する。歿後に功果と品位を論ずるを待たず、人世間においてすでに「菩薩道」の覚有情の境地を具足する。
推薦序
大乗菩薩道の覚有情の境地を、いかにして慈悲喜捨に落實するか。人類衆生の生存の過程を「六度万行」の中にあって、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧を経て菩薩位階に至り、さらに六度万行により覚有情の境地を「唯識思想」に造就する。
懿 旨 開 読
序
自身に成就改造の資本を給え、宣化過程により破れがたき資糧を建立せよ。この時期に教化するものは、すなわち今後の師資と宣講の人材を培育し、崇心の今後の「無極大道学院」の根基を建立し、宣化の基礎と為す。序と為す。
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
利己して人を利し、利他して大衆を利し、廣く教化を宣ぶるも 亦 通貨あって始めて相互に融和す。福報の具足なき時
は、通貨の具足に欠缺し、必ず通貨含因（含因）⁶³の累積を改造し、通貨の一關の厚縁を加強すべきであります、始めて
潤生の通貨 具足し、一家の和樂を促成し得る。
第二回 行菩薩道
て重新改造調整す。
また三身をもて、必ず三際遷流（三際遷流）¹⁸⁵の過程を通じて、始めて凡塵に於いて三身：報身·化身·応身の三者、すな
わち三際遷流の組合より、過去·現在·未来·當下をもて自己および衆生を成就し通過し得る。人類 無極より來た また上蒼
第三回 上求下化
すなわち：無之無明の中より了悟の過程に達す。人生 世に在りてかくの如し、仙仏（仙仏）²⁰菩薩も亦 かくの如し。も
し親身体験印證なく、および整體心歴組合に對し、「覚悟情」をもて生存體験とする時は、必ず成就し難し。必ず無明よ
り転換して経驗·智慧となし、當下受益を了知し得る！
第四回 自利利他
下化利他：まさに對方の感觸より、また主·客觀の兩者、必ず相互に輝映し、相互に印心して、始めて下化利他の動作を
具足し得る。「主觀と客觀」の兩者 必ず齊備して、始めて円満（円満）¹³の段階に達す。しからずば！ただ一頭熱のみに
して、對方の感觸 またいかんぞ？
第五回 犧牲奉獻
天地有情、衆生有愛、まさに相輔相成なるを要し、初めて「犠牲と奉献」あり得る。人生もかくの如し、萬物も亦かくの
如し、天地もさらにかくの如し！衆生 細細と思想し得るか？天地萬物衆生、此種の大博愛の精神を具し、一體として護
佑と眷顧を為し得るか！
第六回 捨己成全
萬物 捨己して人類の溫飽潤生を成全す。人類 必ずいかんぞ自己を捨てて大衆を成全するかを了知すなさい。小我を捨て
て大我を成全し、自己の福餘潤生を捨てるは、まさに人類 必ず了知すべき最も重要なる觀念であります。人類 上蒼より
來たれども、上蒼の氣質なく、必ずしも衆生 いかやうなる氣質の作用あらんことを要するにあらず。
第七回 天地有情
宛如く：人為の戰戰禍、颱風、地震、海嘯、山崩、地裂の天災、および多くの不可抗拒の災害、天地と人為の災禍の反撲
によりて人類を收拾するは、まさに「人作孽 不可活」の寫照であります。天地の徳（德）¹⁸澤に依らば、決して輕々しく
人類を收拾せず、これ相當不仁慈であります。
第八回 眾生有愛
また自己の厭惡する所に對し排斥し、すなわち自己の選擇に關し、未來に好と壞の區分となる。人類 分別より引生し、
自己の含因（含因）⁶³ 果報となる。衆生のすべての愛欲、すなわち自己 最も貼心、最も高興と認むる所より、また最愛
自己の擁する所とであります、自己の承受する所となる。
第九回 誓渡眾生
仍舊原先の大願力によりて衆生を引渡し、衆生を成全し、皆衆生早日に醒悟せんことを盼望す！また人類衆生 凡塵に入
りて皆氣秉の左右を受け、亦現今時代の物質の影響を受け、必ず心靈上 較ら空虛にして、物質上 比較的舒適にして、自
己 回歸の觀念を忘卻す。
第十回 誓斷煩惱
人生 世に在りて 每一つの環節と過程、皆前次の經驗と教育の傳承の影響を受け、每位の衆生に對し、自己 能く豐富なる
人生經驗を具備するや否や、および円満（圓滿）¹³なる修持（修持）¹²の過程に在りて、自己 實際に教育と經驗の傳承を
通じ得ざれば、いかんぞ實質の經驗累積あらん？
第十一回 誓學法門（真理）
貫通し、文字障障礙に執著して、自己に更大なる迷障を遭逢せしむるに非ず。
正に此の原因によりて、初めて經典の大義において、仏菩薩 世に在りし時 いかんぞ修持（修持）¹²の過程たるやを了知
し得る！亦經典 仏菩薩の身體力行、および身教、言教の集合體を通じて、絕に幾個の文字のみに非ず、一切を了知貫通
第十二回 誓成佛道
仏道（仏道）¹⁸¹無上誓願成す——誓成仏道（誓成仏道）¹⁸²、衆生 もし「般若波羅蜜多（般若波羅蜜多）⁷²」智慧を具備
して成長し得ずんば、仏道（仏道）¹⁸¹の成就に入らんと欲するも、恐らく達成し難し。仏道（仏道）¹⁸¹に於いて無上菩
提（菩提）¹⁷⁸覺悟を成就せんと欲するには、必ず如來如去の本質あるを要す。もし僅かに修持（修持）¹²數拾年の光光陰
に憑るのみなれば、又いかんぞせんや？
第十三回 內果外功
然らざれば僅かに外功の累積に憑る、いかほど豐厚なるを論ぜず、亦僅かに下一世 再び輪廻（輪迴）²¹の種子なるのみ。
諸賢生 崇心に入りて、僅かに修持（修持）¹²行功立德するのみならず、尚且 必ず内果（內果）¹⁸³を彰顯すなさい、乃ち
此期 上蒼の教化の基本原意にして、亦上蒼の徳（德）¹⁸澤 人世間に落實するであります。
第十四回 心性心魔
正に此方の世界 歿度して後、卽ち他方の世界に輪轉す、又六道輪廻（輪迴）²¹の衆生、之あり、能く：天、聖、仙、仏の
道に入る者、卽ち相同等質を具足し、初めて如來又如去であります、亦一種の上昇超越にして、輪廻（輪迴）²¹ 成長と下
墜の分差を分別す。
第十五回 降伏心魔
衆生の心性に於いて、もし自ら宗脈導師爲さざる時は、卽ち平凡なる修持（修持）¹²より歸返し得、卽ち老實に人とであ
ります、老實に道を學び、老實に儒を學び、老實に仏を學ぶ！老老實實 人となる基礎と行爲、人類基本因素に背離せ
ず、人類の思想觀念 自己の主人たるなさい。
第十六回 淨化靈性
人心を浄化（淨化）¹⁸³し、本性を浄化（淨化）¹⁸³し、心霊を浄化（淨化）¹⁸³して、自己に改造の良機を給予す：人生 此
の時代に在りて、有情衆生 皆是上蒼の眷顧と愛護する衆霊子にして、また每位の衆生、皆仙仏（仙佛）²⁰菩薩の位階に成
就し得るも、ただ「迷と悟」の分野に在るのみ。
第十七回 心魔化除
內在の心魔（心魔）¹⁸⁴、化除せんと欲するは比較的困難にして、思想觀念の固執 亦甚だ轉化し難し：經商、事業、家
庭、夫妻等の一切の作為を論ぜず皆是かくの如し。他方 相互契合すること能わざる時、困境 圓滿し難く、心魔（心魔）
人生 世に在りて 常に心魔（心魔）¹⁸⁴の擾、阻礙する所となるも、時に外在の魔境にあらずして、內心 已に魔性に入る人
第十八回 淨化內性
自己の思想觀念を浄化（淨化）¹⁸³過濾し、善德の方向に導引せんと欲するは、必ず往昔の不良含因（含因）⁶³を改造し得
る；然らざれば一味に自己を寬恕し、他人を最も責むるの時、人類衆生 造業（業）¹⁹を增加するや、還は造福を增加する
や？皆是自己の抉擇する所にして、まさに未來の福禍の分別なり！
第十九回 內性自淨
人類衆生 時に皆認むる所、自己の行う所為す所 正しと。殊不知、不知不覺の中に、已に物質の影響を受け、堆積越多と
なりて心性を浄化（淨化）¹⁸³すること能わず、又垃圾を清除すること能わず、昔時 相當昂貴に費やして買ひしも、一段
時間の後、漸漸不堪適用となるのであります。
第二十回 佛性彰顯
每一つの宗教の教化過程、短短數載の間に端倪を見ることを得るにあらず、必ず長遠時空の中に於いていかんぞ行使すべ
きや、初めて一切の功效を見ることを得る：衆生無邊誓願渡、又いかんぞ衆生に對し教化聖務を作すべきや？必ず一代代
傳承して下去して、初めて教化根基となることを得るであります。
第廿一回 佛性再顯
すべての衆生には仏性があり、また魔性もある。ただいかにして仏性を彰顯することを再び成すかのみである。人類衆生がもし了知できれば、人世间はただ生活のために生きるのではなく、必ずや己が往時の不良の含因を改造できるのである。衆生には衆生自身の角度があり、仙佛には仙佛の角度がある。
第廿二回 唯識理論
往昔に在りて！此の一世に於いて因緣果報に對し、自ら含因の本質を改造して提昇す。又用うる名辭は正に佛家の辭彙にして、融會貫通し得るや否や？必ず研理の中に註解を爲すべし。若し解らざること或いは疑問あらば、上课の期間に於いて恭しく仙佛老師に質問し解說を仰ぐべし！
第廿三回 唯識觀念
正に「唯識理論」を人世間に建立し、十二因緣の組合せを通じて人世間の種種の過程を綜理したる後は、菩薩道の行徑に於いて必ず「彌勒淨土」に改めて修持することを跳脫すべし。此の位階に達せんと欲すれば斷じて一般衆生の隨心所欲にして成就し得る所にあらず！
第廿四回 唯識行徑
若し陋惡の果報を受けて償う時は必ず前次の経験の累積を跳脫し難し。倘若前次と同様の作爲に在れば此次は多くの磨難の機會を減少し又同樣の事務組合せに於いても前次の経験に欠くる所あれば此次の经验體悟に由りて前次の経験を改善す。
第廿五回 十二因緣
すなわち、眼は色を観、耳は声を聞き、鼻は香を嗅ぎ、舌は味を嘗め、身は触に動ぎ、意は法の作用を為す。末那識の思惟変換に入り、「六入」「名色」を経て「識」種含因を促成し、第七末那識において伝導し、自己に分判させ、第八アラヤ識に収納されるのである。
第廿六回 六道輪迴
さもなくば下墜輪回の中で霊性を転回不可能な境地に置く。六道輪回の相続作用は衆生が了知せぬ困惑であるが、一つの先決条件がある。自ら因を招き、自ら果を為す、皆自ら選択したことである。上求するか下墜するか、共に自ら決めることである。
第廿七回 含因改造
善徳因縁に入り善徳果報と成す前に、必ず平常心・平等心・謙卑心をもって一切の人事務を見なければならない。この過程において、憍高心・我慢心・驕傲心を存して他の因縁を漠視し、善徳因縁を悪果に転化させてはならない。
第廿八回 生歡喜心
またいかにして横逆、不如意、および種々の阻害の中にあって、「怨嘆心、不平心、嗔恨心」ならびに種々の不良な念慮と心境を生じさせずにいられようか。必ず上蒼の試練と考程に耐え抜かねばならぬ。まさに上蒼は考程という行いを通じて、その心境と振る舞いを観て決定を下されるのである。
第廿九回 觀念轉化
思想の理路において、人類がより展開できる原因もまたここにある。そして每一次の因縁和合において、「思想観念」と「思想理路」を釐清できなければ、必ず自らが行ういかなる事にも混濁不堪をもたらす。一切の作為はかくのごとくであり、必ず円融を欠くことになる。
第三十回 落實生活
逆に、因果業障の形成を了知しなければ、福報の具足も減じ、潤生の通貨の良机も減ずることになる。繰り返して福報が具足せず、あるいは運気の低迷期に遭えば、困境はまたたく間に訪れ、本来の潤生通貨を具足することがかえってできなくなる。
第卅一回 當下實行
「苦は苦として連なり」「磨は磨として続く」を形成し、人世間の苦と磨を転回して改造できなければ、必ず自らを困境に陥れる。転回できず、人生の各段階は学習の過程であり、いかに経験が豊富で充分であっても、知識の不足は免れない。
第卅二回 逍遙自在
戒と律を理解し、自ら犯さなければ、戒と律は自らにいかんともできず、修持者に制限を生じさせるか？いずれもない。戒には必ず律があり、律とは自らが行うことができ、改造の範本として二度と同じ過ちを犯さないようにするものである。
第卅三回 了無罣礙
衆生の提昇超越も成就できず、「我」の執着によるがゆえにこのような境地を形成する。「了無罣礙」を望むならば、いかに宇宙・天地・人生の過程において自らを開放し放下するか、ただそれだけである。衆生は宇宙・天地・人生の過程においてすべて相互に連なっている。
第卅四回 福德無窮
人類の衆生はこの一份の大愛・この一份の福沢が欠けている。衆生との善縁含因において、自らを小さな枠の中に限定し、眼光を大きくして衆生に徳沢を施し、万物に潤沢を与えることが難しい。それゆえ聖神僊仏菩薩は自らの福余を施捨し、下化して利他するのである。
第卅五回 真如實性
昔時の邪魔外教の伝承したる過分に偏激な言論を破除し迷障を化除し、金剛経について、現今の世代においてもなお文字によりて理を拆れば、昔時の原意を了知することは難しい。「金剛経」の通りに修持して仏菩薩になれるならば、衆生に問う、いったい何人が提昇できるか。甚だ稀有である。
第卅六回 金品蓮台
いかなる仏果もここを離れることはできない。衆生は近代の仏寺において三宝仏の蓮座を見れば、「九品蓮台」にあらずして「金品蓮台」であることを観ることができる。崇心の著作は「摩訶般若波羅蜜多心経」の演繹を融合し、それによって垢識を清除し真如仏性・真如实性に達するのである。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
大道シリーズ天書の著作の本意は、人世間において有情衆生の「入世」における基本的作為、および思想観念の更新転化にあり。さらに人世間に落實して「出世」の成長を得て、直に天界に達し、自身を成就し衆生を成就す。
完書繳旨
元君帰降して道場に至る 麻仙姑懿旨を携えて降る
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
大道シリーズ天書は、衆生の心性を提昇・転化し、人世間において過去の不良な含因と業果を改造し、「菩薩は因を畏れ、衆生は果を畏る」の警惕をもって、人世間より有情衆生の大聖務を行ずる。歿後になって成就を論ずるべきか？当下に了知でき、よく思えば明白である。
推薦序
自身のすべての行径を了知すれば、いかにすべきかが明白になる。唯識のあらゆる生活領域において、必ず「唯識理諦」を衆生の心性に建立し、「唯識観念」を自己の本来に建立し、人生の「唯識行径」の基礎を落實できる。
欽 奉
序
南海古仏 序一を降す
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
人群の通貨應用匯集に對し：福報に具足し得ず、ただ一味に「出世」の觀念をもてして、「入世」の基礎根基をなさず
ば、いかんじて自己および衆生に、實質的利己·利他の潤生動作あらしめん？これ太だ難し！人類生活の目的 また何ぞ？
第二回 行菩薩道
より來たる、每一位 仏の応化身であります。
また皆 仏子（種）の個體、いかんじて自性（自性）⁷仏體を彰顯すべきか？まさに人世間より六度万行波羅蜜を行持し、
菩薩境界に達する。故に人生 世に在りて、每一の環節 皆 経驗の累積、過往 已に成就するも 未だ成就せざるも、皆 必要
第三回 上求下化
もし次回 再び相同機會あれば、甚だ容易に過關し得る、事端の來龍去脈を掌握し得るが故に、故に跡の尋ぬべきあり。
人生 無明の転換を追求し、智慧の相疊累積となして、始めて下化有情衆生の資本 具備するに足る。しからずば、いかん
ぞ衆生に転換の天機を提供し得ん？
第四回 自利利他
いかんじて下化利他せん？必ず「熱心·信心·耐心」の三心 相互結合を用うべきであります。熱心なければ、持續努力を成
就し難く、信心なくば 對方の客觀立場に排斥せらるる時、資糧をもて引渡し難し——まさに未問前に考倒され、いかん
ぞ信心を増さん？
第五回 犧牲奉獻
菩薩行（菩薩行）⁶²の覺有情（覺有情）⁵⁸、まさに能く犠牲と奉献し、無私にして無為（無為）³⁹であります。天地 必ず
その大「公」を還し、「私」の徳（德）¹⁸性を給予す。然るに！公ありて必ず私あり、先ず「公」にして後 上蒼の賜予す
る「私」の徳（德）¹⁸あり。衆生「陰福徳（德）¹⁸」を具足すれば、必ず人間の福田と福報を成就し得る！
第六回 捨己成全
まさに大公あるを要す、すなわち天地の氣質と本能にして、初めて輕盈なる天軀を具足す。また自己 能く凡の擁する所
を捨棄し、福餘 衆生に利益して、捨つるすなわち得（徳）を得、捨つるすなわち凡の沉重なる負荷を減輕し、凡塵に擁
する一切を減少し、他人に利益す。
第七回 天地有情
すなわち人類の不仁、または共業（業）¹⁹の形成と業（業）¹⁹因の導致によりて、初めて天地の反撲あり、人類を收復と
殃する可能あり。また天の大徳（德）¹⁸ 乃ち好生、地の大徳（德）¹⁸ 乃ち養生、人の大徳（德）¹⁸ 乃ち放生と護生、人
類生生不息の仁徳（德）¹⁸をもて、萬物の生生不息に澤潤す。
第八回 眾生有愛
未來の好と壞を論ぜず、皆甚だ甘んじて承受し概括す。此種 衆生 愛あり、欲ありて、すなわち我の要する所、我の喜ぶ
所であります、しかしかやうならんや？また此種の過程 未だ好と壞の果報を形成せざる前に、必ず豐富なる經驗を具備
して、すべての不良なる含因（含因）⁶³を轉換し、未來の果報を形成す。
第九回 誓渡眾生
正に此種の條件によりて、未來に眞の行持と修持（修持）¹²の道程をなすことを盼望す、此種の原因の促成する所に在り
て、自己 姑息養奸し、一味に自己の錯誤の處を縱容し、皆寬以對己、嚴以待人にして、必ず凡塵に諸多の困擾と障礙の
過程を增加す。
第十回 誓斷煩惱
卽ち道聽塗說より、前人の經驗を自己に用ゐんとす。然れども現世の衆生より言之く：正確と視し、必然と視す。亦前人
の經驗因：環境、時代、空間、時間 皆同じからず、必ず煩悩（煩惱）因の相續する所を受く、時間、空間、環境 了知し
得ず、過去の方式を沿用すべからざるであります。
第十一回 誓學法門（真理）
し得る所にあらず。かくの如き 障礙を形成す、亦必然であります。
衆生 必ず勤めて真理を學び、初めて仏家經典の薰陶を通じて、「文字障」に入らず、經典文字の固化を受けざるを促成
す！必ず能く「活用經典」薰陶して受益し、卽ち智慧の轉換 自己の成就の資糧あり。然らざれば、法門（法門）¹⁷⁹無邊
第十二回 誓成佛道
到頭來、ただ如來又如去し得ず、反而未だ宗教に入らざる前の蒙垢を增加するのみ、卽ち天真本性を失す。就有云く：
「修持（修持）¹²一年 仏 眼前に在り、修持（修持）¹²二年 仏 天邊に在り、修持（修持）¹²三年 仏 已に見えず」、かく
の如く無上菩提（菩提）¹⁷⁸を成就せんと欲するは、比較的困難なり！
第十三回 內果外功
上蒼 崇心に聖務を給予し、一年餘の時光を經歷し、崇心の努力を觀察肯定し、「特優等」の績效を給予す。一期期の教
化聖務 必ず此より開展し、崇心 第二階段の聖務に入り得るは 原因なきにあらず、人生 自己に學習と成長の機會を給予
するに在り。
第十四回 心性心魔
菴摩羅識（菴摩羅識）⁵¹：卽ち自性（自性）⁷本來、靈魂不滅、卽ち真如（真如）⁶¹仏性（佛性）¹¹であります。又凡塵に
在りて 衆生 五蘊、五塵の結合の影響を受け、菴摩羅識（菴摩羅識）⁵¹の真如（真如）⁶¹仏性（佛性）¹¹を彰顯し得ず、凡
に在りて又心性、魔性の主導する所とであります、根本的開暢無阻たること能はず、必ず諸多の障礙を生ず。
第十五回 降伏心魔
絕に衆生を、自己の徒子徒孫のごとく、奴隷差遣するにあらず。自己 頂尖聰明なりと認むるも、有時 聰明 反て聰明に誤
らる。もし能く眞に衆生を帶領し回歸せば、卽ち眞に上天の企盼する所であります、亦歸引に相助け、所立の宗教派脈に
教導す。
第十六回 淨化靈性
人類衆生 現世に入りて、根本的に生存のこの關を跳脫すること能わず、必ず逢凶化吉、趨吉避凶の本能を具備す。此種
乃ち本質の已に具うる所なり；人世間 すなわち一體兩面の世界にして、每件事情 褒あるに必ず貶あり、毀あるに必ず誉
あり、人類の思想觀念よりて轉換し、成長の契機を給予するのであります。
第十七回 心魔化除
あり。此種の情況 當今の現世に於いて、更に不勝枚舉なる多きあり、すなわち「因果（因果）⁵總清算」の必需性にし
て、各人の因縁 不同なれども、甚しきは已に尋覓せられたり。
魔性の行う所、自己に對し時に極順境なるも、時に阻礙と困擾を造成す。ことに宗教の修子 皆是かくの如し。また魔性
第十八回 淨化內性
浄化（淨化）¹⁸³過濾、人類の思想觀念と種種の行為、初めて內性を浄化（淨化）¹⁸³する主要の工作に達し得る！「靜
思、冥思、濾思」の中に「道」の眞諦を得るは、まさに大道（大道）¹⁰の暢行する「無私、無為（無為）³⁹、無我」の觀
念にして、「大地真理」の眞無為（無為）³⁹に存し、また「上天の徳（德）¹⁸澤」なり。
第十九回 內性自淨
棄つるは惜しく、保つも亦適用するに足らず、若し家の內（自性の中）に存置して古董と欲するも 又空間を佔すこと太
多なり。人類衆生 若し此種の心態功用なれば、又往々當下にも痛下決心すること能わず、必ず我の姑息する所に在り
て、軀體心性の垃圾、および物資と潤生食糧に淹沒せらるるであります。
第二十回 佛性彰顯
崇心 立堂後 將近兩載、此の期間 褒あり、貶あり、勤奮あり、懈怠あり、第一期結束の後より、再び第二期教化聖務を開
く；今日崇心道場の光輝照耀するを觀て、眞に爲師 欣慰と高興を感ず、此の道場あり 眞に可喜可賀の事にして、諸天神
人 功不可沒なり。
第廿一回 佛性再顯
必ずや衆生自身が仙佛の脚程を学び、修持の位階に入ることができる。人世に在るすべての衆生は、「累世の因果の返済」を背負っており、大福報を得る者もあれば、平順に起伏する者もあり、三餐にも事欠く者もある。それは各人の福報と悪禍によって、享受と折磨が区別されるのである。
第廿二回 唯識理論
即ち迷障を破り、所知障の中に無明を了知し、迷思を化除す。これ崇心道場の提供し得る資糧にして、人世間に於いて自性佛體を成就するのみならず、大乗菩薩行覺有情の位階を成就し、蓮花佛果（國）の成就に達すべし。
第廿三回 唯識觀念
只だ修する所の修子のみにて皆此の位階に達し得るにあらず。又各人の心態と思想觀念の組合せ及び轉化により決定さる。「唯心に造り・唯物に成る」とは即ち「萬殊唯物・萬法唯心」此の一心のみ。人世間に於いてかくの如く、又上蒼に於いてもかくの如し！
第廿四回 唯識行徑
又無知と無明に在りて業因果報の償還に遭逢すれば必ず人類衆生を比較的忍受し難からしめ、無明と無知の遭逢の過程に於いて心性・時間・空間の組合せも亦た多くを加長して人心承受し難く、甚だしくは次の難關また如何なるものを了知すること能はず。
第廿五回 十二因緣
「行」の発展を経て、自身に「無明」が立ち塞がるや否や？ 了知することかなわず。ゆえに十二因縁の「逆観法」をもって一切の生存取向を成就するには、「老死・生・有・取・愛欲・受・触・六入・名色・識・行・無明」という名相によるのである。
第廿六回 六道輪迴
自己の執持の力によって促進し、人道の思想の「中枢」を調整する。良いか悪いか、いかにするかは、自己の行径によって決めるべきであり、ただ上天が自らに代わって決定するのではない。また各個人の因縁果報の過程を感召し、人類の生存に良善な利益を与える。
第廿七回 含因改造
もしこの不良心念が既に成れば、必ず福德善縁の延長を減らし、原有の福運と善報を短縮する。善因・善縁・善果が悪報苦果と成すのである。含因の本質を変えようとすれば、衆生は注意しなければならない。不良心態は生起させてはならない、さもなくば含因改造は困難である。
第廿八回 生歡喜心
「福德財運」を授けるか否かの根拠は何か。それはまた主事者と衆生が上蒼の考程に耐え得るか、またいかなる心境をいだいているかによるのである。もし常に「感恩心、歓喜心、成全心」を生起し得れば、必ず己と福神・財神とを相契合せしめ、相輝映して己に追随せしむることができるであろう。
第廿九回 觀念轉化
「思想理路」と「思想観念」の釐清は、含因の影響によって変更されるものである。人類衆生が凡塵に入り、每一次観念が転化する時、時には自らの学識・経験の蓄積の影響を受け、時には前世・累世の含因の影響を受ける。因に因って果を得るのであり、いかなる者もこれから跳脱することはできない。
第三十回 落實生活
すなわち何を行うべきか、何を行うべきでないかを了知できないのである。業を造る機会を減らすことができれば、逆に潤生通貨の具足と融通を減じ、人生の潤生に用いるべき福報を低下させる。また修持の関係により、己をこのような境地に置くことこそ、業を造る機会を減らす所以である。
第卅一回 當下實行
各過程は世人に温故知新を促すものであり、とりわけ当今の時代はなおさらである。一例を挙げれば、当今の「コンピューター」発展の過程は、二十余年前の286コンピューターから、すでに686コンピューターに至り、さらに786コンピューターも漸次登場しており、これらはすべて最先端のコンピューターである。
第卅二回 逍遙自在
「人は聖賢に非ず、いずくんぜ過ちなきを得ん、過ちを知りて改むれば、善莫大なり」。人類の衆生はすべて有心の人であり、戒律に影響されてはならない。これこそ真の修持の根本要義である。さもなければ、一切の修持を修持として行うとき、胸を広げ、眼界を開いて修持の全過程を観ることはできない。
第卅三回 了無罣礙
修持とはまさに自らを「了無罣礙・了無牽掛」にさせることである。人生の演繹の過程がいかに短かく無奈であるかを明白にしなければならない。数十年の寒暑の過程において天地の長遠と比較すれば、人生がいかに渺小でいかに無奈であるかがさらに顕著になる。人類は常にそうである。
第卅四回 福德無窮
なお万物衆生に徳沢を施し、今世で自らの享受を減らすも、来世においてすべての福沢を具足できる。まさに「施一にして万報を得」、この条例は天地の自然循環の過程であり、さらに福德を無窮尽にし、これが天地の演化の自然無為である。
第卅五回 真如實性
人類の衆生は常に文字障・所知障・理障・惑障に苦しみ、人世間の応有の作為を「夢幻泡影のごとく、露のごとく電のごとく」と観る。現今の人世間の种种の行径および飲食排泄睡眠の生活実相において、その実相を破除できようか。甚だ難しい。
第卅六回 金品蓮台
法界の衆生は皆物欲に迷い、「我の執着」「我の欲望」「我の修行」によって自然に困局の中に陥る。いかにして人世间の種種の過程を了脱すべきか。崇心の著作はまさに先鋒であり、諸賢生がこの期間に著作し教化を学ぶ過程である。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
人生の過程は必ず思想改造を経て、人世間に成就し、天界に成就す。有情衆生とはかくのごとし。跳脱し得るか？あるいは反復輪廻し続けるか？必ずしも定まらず。各人が選ぶ過程により、一切如来にして如去、および下墜輪廻の差別性に達する。
完書繳旨
無極懿旨を欽帯して堂に到り宣読す。諸神人虔恭に伏して迎えよ！
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
福澤と善徳は、当下において必ず具足できる。自身が擁有し、さらに衆生にも擁有せしめ、自身に具足して衆生にも具足せしめる。まさに「人生の目的は菩薩道を行ずるにあり」——上には求め自ら利し、下には化して他を利し、自身が衆生を成就すれば自身も成就する。これこそ「大道シリーズ天書」の著作の本意である。
推薦序
唯識学は、人世間において「清除と沈澱」を経なければならず、不良な垢識と含因を転化し、「含因が果報を成す」時に因を防ぐ道を知らぬ事態を避ける。含因が未だ形成されないうちに、不良な含因を断除するのである。
懿旨
無極皇母大天尊 懿旨に曰く
序
無極大道院 懿敕崇心堂
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
無非 生活品質を改造せんには、先ず「福」と「慧」の兩者 具足すべきであります。福と慧の兩者の中に於いて、必ず
「慧は福より長かるべきである」と具備す。もし慧 福より長からざる時は、時に福長るによりて自己を迷失し、甚だし
きは無邊の罪孽を造りて、甚だ了知し難きに至る！
第二回 行菩薩道
時時温故知新（温故知新）¹⁸⁶すべきであります。
人生 「温故知新」に在りて 再教育の機會を與う。人類衆生 経驗の累積と組合に欠缺するを免れず、一次次の失敗過程よ
り 再教育の機會を與え、必ず過去の不良習気と因果業報を改變し、當下の修整を成就す、すなわち重蹈覆轍すべから
第三回 上求下化
上には智慧を求めて下化をなし、人世の教育は同じく掛碍す
第四回 自利利他
故に、必ず多く勤學真理し、博學多聞し、また對方の問答に對答如流ならしめ、潛移默化をもて 對方を成就し得る。此
の時 必ず「耐心」の條件を具備すべきであります。耐心 具備なくば、對方（客觀）を引渡し、思想觀念を転化すること
能わず。
第五回 犧牲奉獻
もし「天地衆生 有情にして又愛あり」を給予する時、必ず萬物に相同の條件と待遇を給予す。人類 萬物の靈長を具備す
といえども、無故に他の動植物を戕害すべからず、必ず萬物と共同一體として護佑して、長く人世間に福澤を享受するこ
とを得べきであります。
第六回 捨己成全
仙仏（仙佛）²⁰菩薩 皆かくの如き作為にして、輕盈なる靈體あり 牽掛なし。然れども衆生 往々凡塵の：愛する所、有す
る所、喜ぶ所、厭う所、惡む所によりて、自己の靈性の輕盈を遮蓋し、「所執」の障礙あり、輕盈なる天軀を得ること難
く、凡塵に在りて自己の負擔を加重す。
第七回 天地有情
必ず：互依、互持、共生、共榮、共存 人間大地に在りて、人類 思想あるによりて、天地の失序に對する轉變を得、有時
陰晴圓缺の循環に、自己 戕害を受けざるを保護し、有情天地において、自己の修持（修持）¹²の調整と改變および保護と
為す。然らずんば！もし「人定勝天」をもてするは 乃ち謬言なり！
第八回 眾生有愛
いかんぞ宗教教化の薰習過程を通じて、經驗の改變を促成せん？さもなくば、教化經驗を通じて修整に達し得ずんば、原
本善徳（德）¹⁸の含因を、また自我固化を受け卽ち轉變し難く、必ず善徳（德）¹⁸因縁を不良なる果報に改變す、まさに
經驗豐富ならざるが導く所であります。
第九回 誓渡眾生
每一つの階段の造成する因果（因果）⁵業（業）¹⁹障 眞に何其多きや？もし僅かに小小の行功立德布施をもて、仙仏（仙
佛）²⁰因果（因果）⁵業（業）¹⁹障を轉圜せんことを冀望するは、此種の條件：仙仏（仙佛）²⁰慈悲、接轉し得れば早旣に
轉圜せり、もし轉圜し得ざる時 問う：仙仏（仙佛）²⁰に自己の功德を撥轉して、衆生に給予せんことを欲するや？甚だ難
し！
第十回 誓斷煩惱
每位の衆生、過往の方式を受けて受益し得るや？不定なり！煩悩（煩惱）因の形成する所を轉換し難く、亦菩提（菩提）
人類の方法をもて對治し得べく、必ず大なる空間ありて煩悩（煩惱）を化除す。
第十一回 誓學法門（真理）
又いかんぞ學ばん？皆文字障の執固を受く！
誓學法門、誓學真理、誓學眞諦、まさに仏、道兩家 必ず有るべき基本教化の課程であります。又いかんぞ修子に思想觀
念の改造を給予せんや？まさに此期 仙仏（仙佛）²⁰菩薩の教化、必ず基本作為あるなさい、亦たゆえに衆生 真理を勤學
第十二回 誓成佛道
すなわち修持（修持）¹²の道上に在りて、永遠の初発心（初發心）¹⁸⁴を保持せず、更にその一份の天真純善の本性を失卻
する。人世間の種種の歷練を增加すといえども、卻って蒙垢を受け 自知せず、反而沾沾自喜し、功高果大なりと以ゐ
て、ただ眼一閉すれば卽ち極樂世界、無極仙鄉に回歸し得んとす？太だ難し！
第十三回 內果外功
此種の條件、まさに崇心の諸神人の努力の結果にして、絕に天上より空く落ち來たるにあらず。ことに上蒼の聖命と任
務、凡塵に降らんと欲する時、每位 皆上天の督管と考核を受け、天上にいかほど大なる願力あるを論ぜず、下凡して願
を了するには、必ず種種の考磨と折難を歷經す。
第十四回 心性心魔
勤培外功、内果（內果）¹⁸³（徳（德）¹⁸）相互輝映は、まさに十分重要であります。何ゆゑ至今 衆生 功德十分深厚なる
者ありて、尚且つ無極仙鄉、極樂世界に回歸し得ざるや？皆自己の内果（內果）¹⁸³（徳（德）¹⁸）具足せざる導く所な
り！此期「収円（收圓）³⁰」の最も主要なる目的、いかんぞなるや？
第十五回 降伏心魔
まさに上蒼普化の原意と本質に符合す。もし眞に犠牲奉献（犧牲奉獻）¹⁷³し得ず、無私無我ならず、一味に自己の私を
もて、霸權して衆生を俎上の肉と視する時は、必ず上蒼の忌諱する所とであります、災難を降して收拾し消除す、此種
遲早の事項なるのみ！
第十六回 淨化靈性
心霊を浄化（淨化）¹⁸³し、定靜能安、思慮能得て、心霊 其の安祥なる所を得ば、すなわち心猿にして意馬、十萬八千里
を奔騰せず、人心の十惡八邪を浄化（淨化）¹⁸³するなり；人類 必ず貪、嗔、癡あり、また人世間の最も抹滅し難き作為
にして、皆生活を要し、然らずんば又いかんともすべきや？
第十七回 心魔化除
いかんぞ魔境を化除して、仏性（佛性）¹¹の彰顯に影響せざらしめん？これ最も主要なる因縁條件なり！まさに所有の累
世「好因果（因果）⁵報償と壞因果（因果）⁵報應」の分別性なり。
仏性（佛性）¹¹：衆生の本質なり、魔性：も亦衆生の本質なり。またいかんぞ仏性（佛性）¹¹を彰顯し、魔性を化除せ
第十八回 淨化內性
崇心の著作する整系列の大道（大道）¹⁰天書は、「摩訶般若波羅蜜多（般若波羅蜜多）⁷²心經」を整系統の演化となし、
衆生 其中の涵義と任務を了知するや否や？また崇心 天獨厚を得るは、原因 すなわちここに在り！期盼す 有情衆生 「般
若波羅蜜多（般若波羅蜜多）⁷²心經」の原意を了知し、又いかんぞ之を行うべきやを。
第十九回 內性自淨
有情衆生 回歮すること能わざる根本の原因、亦ここに在りて又清除すること能わず、皆我の所欲と認めて執著し、棄つ
るも惜しむも皆適せず、時常自己の不適なる物資と潤生糧食の糟蹋する所となり、自性 すなわち彰顯すること能わず、
若し當機立斷して、拖泥帶水ならざるは、まさにかくの如くすべし！
第二十回 佛性彰顯
又いかんぞ第二期聖務を、更加發揮および弘展せしめん？必ず諸賢生 眞心をもて上天の代言者たるや否やを觀ん！自然
に魔性、魔境の障礙を破除して、仏性（佛性）¹¹、仏果（國）境土を彰顯せんと欲するは必較容易なり、これ崇心の每一
つの階段に在りて、皆有相當大の聖務あり。
第廿一回 佛性再顯
ゆえに、福ある者は人人これを愛し、徳ある者は人人これを欲する。また智慧の累積において、衆生は己を「福慧双修」の位階に入れ得るか。佛と魔とはまさに福慧双修の大智者であり、なぜかくの如くなるか。いずれも福慧の両相を具えているが、ただいかに善導の方向を用いるかの違いに過ぎない。
第廿二回 唯識理論
第二期より求める所も必ず嚴苛ならん。諸賢生皆崇心を以て榮とし、教化を以て榮とし、又衆生を成就するを榮と爲すべし。これ自らを成就し又衆生を成就して、即ち上蒼の期盼なり！又自らにより大きなる成長の空間を有し、正に努力の中に由りて獲得す。
第廿三回 唯識觀念
若し「心念意識」中の垢穢識種を棄除すること能はざれば如何にして「真如佛性」に達し不變真如の如來又如去に入り得ん？人類衆生には往き來あり、來往の中に於いて人世間に註腳を爲し停止を爲して輪迴相循の左右に入らず。
第廿四回 唯識行徑
自らの心性：無明と無知に對し苦楚により身心を磨かるる時さらに痛苦深く、平順と痛苦と雖も時間は相同なれども兩者の感觸は相同ならず。痛苦は比較的長遠にし平順は比較的短暫なり。此の心境の轉換は即ち唯識行徑の落實なり。
第廿五回 十二因緣
十二因縁の「順観法」とはすなわち、「無明・行・識・名色・六入・触・受・愛欲・取・有・生・老死」という名相により、「無明」の惑迷を打ち破る。「無明を初因とす」とは、無明とはすなわち自己の未だ知らざることであり、一切が迷思と未知の中にあることである。
第廿六回 六道輪迴
人類衆生は皆、天道に入り、菩薩・仏果の道に入ることを望む。なぜ自らの心愿通りに達成できないのか？ 執持の力と思想の固化による。六道輪回において衆生は本来一つの大道を選択できるはずである。なぜ各衆生は心愿通りに達成できないのか。いかんともし難し。
第廿七回 含因改造
また平順の中にあっては薄氷を踏むが如く、一切の福運と福報を必ず平常心・平等心・謙卑心をもって見、憍高・我慢・驕傲の趾高気昂の心態を起こしてはならない。果報の善徳と悪禍は、含因が未だ変わらざる前に、自己の所為による。
第廿八回 生歡喜心
真に歓喜心をもって、福運と財徳、財運と福德を成就してこそ、人類の衆生が最も慕う神明、すなわち福德正神と相通じ得るのである。すなわち己と相互に投契し、また業因果報を転換し、歓喜心、感恩心、成全心、甘願心をもって、己を謙卑の位階に置くことができるのである。
第廿九回 觀念轉化
「因上に因を造り、果上に果を造る」は衆生の本質である。仙仏はすなわち「因上に因を断つ」ことで果報の磨難に入らず、自らの思想理路に対しても永遠に不変ということはない。人世間の治理の条件を経て、各宗教の教条においては、衆生を「為す可きと為す可からざること」の間に制限するに他ならない。
第三十回 落實生活
己が因縁果報の過程を参透できなければ、潤生通貨の具足を減じ、潤生の中で福報を展開することもできない。また善徳因縁において、己の現在の福報と貴人が具足できるか否かは、まさに重大な鍵となる。
第卅一回 當下實行
これらもさらに二十余年経れば、当今の最先端コンピューターもすべて古董となる。いかに新たな契機を開拓すべきか。世人に知らしめるべきは、固化してはならず、執着してはならず、我慢してはならず、「私が最も優れ、私が最大」という思想観念こそが正道なのだと。古に云う：
第卅二回 逍遙自在
逍遙自在の修持方式を抹殺し、常に修持のために修持に制限される。これは当今の衆生が最も了脱しがたい迷思である。宗教教化には必ず「不二過」の修持準備を前提とすべきである。自ら過ちを犯し戒律を破ったとき、勇気をもって引き受け改めなければならない。
第卅三回 了無罣礙
さらに宇宙と比較すれば、人類の衆生は螻蟻のごとく、蜉蝣の類のごとくである。宇宙の長遠と天地を相互比較するに当たり、人生がいかに渺小でいかに無奈であるかを了知しなければならない。自らをいかに開放し放下するかを促成すること、これが正道である。
第卅四回 福德無窮
衆生に問う、この大愛を具足して犠牲奉獻できるか。さらに万物衆生に徳沢を施し、自らの享受を減らして福余を万物衆生に施捨するなら、天地の回獲循環の福報は、一般の凡夫の衆生が了知し体悟して回獲できるものではない。
第卅五回 真如實性
人類は血と涙ある肉軀、この肉軀もまた天堂に上り地獄に下る種子因である。その基準点は人世間において応有の行径を為すことにあり、決して人道の生活の関を跳躍することはできず、現世の生活は必ず自ら体證し、誰も代わることはできず、まさに自らの行為の一切である。
第卅六回 金品蓮台
執着や固化がある限り、含因を転変できようか。できぬのである。すべては上天の頒定した聖務にして、「理筆天音伝真」により崇心設堂を促成し、諸賢生を集めて「人生改造先鋒部隊」と為す。この因縁は二十七年前に既に聖務として定まり、今日ようやく小さな成績を得たに過ぎない。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
太上道祖 道德天尊 跋を降す
懿 旨 開 読
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
「唯識理論」を中心思想とし、「唯識観念」の建立を促し、はじめて「唯識行径」を暢行し落實できる。唯識行径とは人世間における行持の規範であり、自ら成長し自ら行持する。唯識行径を人世間において落實し、大乗菩薩行の覚有情の境地を促成する。
推薦序
人類衆生が逍遥自在に自性・仏性を彰顕するには、智慧無窮と福德無窮を具足し、円満自在に己の果位を成就しなければならない。個人の所作をもって自身を成就し、仏菩薩の果位に累積し、自らを不退転の境地に入らせる。
懿旨
母は理天聖地に居り、南贍部洲の衆霊児を虞観す。五濁悪世に沈淪し、帰還して母娘に面会しがたきを見て、故に為娘は常に門によりて霊児の帰返を盼つ。また母心は凡に落とん衆霊児の心霊と相接しがたく、以致して心霊の接合を暢くせず、これまた心の泣く所なり！
序
天運戊寅年二月廿二日戌時
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
人世間に於いては慧 福よりも具足すべきであります、無明（無明）⁷⁹によりて業（業）¹⁹を造らず、また自己を輪廻（輪
廻）²¹の中に入らしめず。「福と慧」相輔相成たるを了知すべきであります、始めて人世間に於いて「智慧と福報」兩相
具足し、福分の欠缺によりて修持困境に入らず。
第二回 行菩薩道
ず！
再次 適時なる導引と教育成就の良機を與う、これすなわち経驗累積の再次組合！修持過程に對し、無非 往昔の誤りを改
第三回 上求下化
上昇下墜 兩つながら抓む 一代も亦 一代に傳うべし 應用得宜 阻害少なし
第四回 自利利他
必ず「耐心」を具備する 最も重要であります。時に道場 衆生を成全教化するに、耐心 往往 信心·熱心よりもさらに有用
であります。上求自利、下化利他、必ず菩薩道「覚有情（覚有情）⁵⁸」の作為を通じて「覚悟情（覚悟情）¹⁹⁰」衆生に達
し、衆生を引渡して歸返せしむるのであります！
第五回 犧牲奉獻
人類開創の過程、人類ありてより以後、すなわち人 思想觀念の思考ありて、天地の造化を轉變し、さらに萬物と平等に
共榮共生し、萬物一體共同して成就することに達し得る！天地 人類にあまりに過分の作為をなさしめず、天地 人類に反
撥せんと欲するは、まさに太だ容易なり！
第六回 捨己成全
いかんぞ輕盈なる天軀に回復せん？必ず凡塵の中に在りて、一切の罣礙を拋除し、人類衆生 罣礙すなわち障礙なること
を了知するや？すなわち輕盈なる天軀に回復し難く、まさに捨つること能はず 放つこと能はず、また大衆を成全し得ざ
るに在り。かくの如く言之く：天地間 皆抹滅すべからざる定律あり。
第七回 天地有情
天地の徳（德）¹⁸澤 萬物衆生に在りて、人類の不慈不仁によらず。人類 宗教の教化において改變し得。また人類の生存
空間 萬物衆生と共榮、共存、共生の生存條件に同じく、人類の慈悲喜捨より愛護に達し、さらに無縁大慈（無緣大慈）
第八回 眾生有愛
人類生存の過程：每一つの環節 皆前次の含因（含因）⁶³の影響を受け、亦皆自己の經驗の左右する所であります。每一人
の經驗累積に對し、有時 卽ち不良なる業（業）¹⁹因を轉變して善果となし得、亦衆生の有情、有愛、有欲に觀て、人世間
いかんぞ拿捏せんや？自己の主人たるや？不定なり！
第九回 誓渡眾生
此種の條件 行ひ得るや？否なり！皆其因 其果 自ら償ひ、其因 其報 必ず自ら受く、乃ち因果（因果）⁵法則に符合す。も
し一尊の證道仙仏（仙佛）²⁰慈悲ありて、每每自己の功果を衆生に撥付するも、此の仙仏（仙佛）²⁰の功德果位、いかん
ぞ自己 仙仏（仙佛）²⁶たるを成就し得るやを知らん？
第十回 誓斷煩惱
其の間、もし整個の事務の來龍去脈を了知し得ざる時、すなわち煩悩（煩惱）因を突破し得ず、亦同一種の模式を用ゐて
衆生の無明（無明）⁷⁹の障礙を化解し得ず！これ人類生存の困擾に對し、必ず知識經驗ありて轉化應用し得て、下一次の
智慧の受益あるを要す。
第十一回 誓學法門（真理）
せしむるを要求するのみならず、衆生の教化より自己を改變す。
人類衆生 修持（修持）¹²に在りて、每位の衆生 皆迷障に入り、鮮少 融會貫通し、一直 無明（無明）⁷⁹の顯現を承受し、
又時々無明（無明）⁷⁹の侵す所に遭逢し、無知の影響を受けす。必ず諸多の疑惑問題點あり、然れども疑惑 必ず問題障礙
第十二回 誓成佛道
世人に問ふ：此種 回歸し得るや？自己 最も了知し得る、他人に問ふを要せず、捫心自問すれば、必ず自己 いかんぞなる
かを了知し得ん。無極仙鄉または極樂世界に歸返せんと欲するに、能くや？甚だ難し！もし滿身の穢垢あらば、根本的に
輕盈なる天軀に回復し得ず、純眞自性（自性）⁷ 又いかんぞ回歸し得んや？不定なり！
第十三回 內果外功
時 我に與せず、求め得ず、得られざる苦……此種種の橫逆と不順遂、不如意、必ず衆生 嗔恨心、怨嘆心、不滿心、不平
心および種種の心態の組合を起すや否やを觀る。此種の動念 上蒼および仙仏（仙佛）²⁰ 見ることを得、人身に在りて必
ず光環 頭頂上に顯現す。
第十四回 心性心魔
卽ち自己内果（內果）¹⁸³ 具足するより、然らざれば僅に外功豐碩に憑るも、ただ下一世 再び輪廻（輪迴）²¹の種子因な
るのみ。外功培植 內徳（德）¹⁸（果）に轉換し得ざる時、亦内果（內果）¹⁸³滿盈を成就し得ず、内果（內果）¹⁸³培植 眞
に心性と魔性に見至り得、當今の教化の基本 卽ちここに在り。
第十五回 降伏心魔
降伏心魔（降伏心魔）¹⁸⁷——卽ち心猿意馬（心猿意馬）¹⁸⁵より馴服し、必ず心猿に約制を作し、意馬より降伏し、溫順
にして萬里に奔馳せしめず、乃ち自己の主人たるなさい。此種の條件 卽ち人の思想觀念を改變し得る。「心猿 意馬を加
ふ」まさに衆生每位、每日 必ず遭逢する思想觀念であります。
第十六回 淨化靈性
心霊の滋潤：必ず宗教の教化洗滌を經て、初めて完全に垢識を清除し得る。然らざれば人世間に沉迷して、衆生 根本的
に心を定靜慮すること能わず、心念意識 すなわち自己の見る所、想う所、思う所、慮る所よりて、また組合整理したる
後、初めて「眼耳鼻舌身」のすべての行動に發號施令するのであります。
第十七回 心魔化除
ん？すなわち內觀心性 中立の角度を保持す——即ち中庸の道（中庸之道）¹⁸⁶、いずれの方にも偏悖せず；魔の來り攝す
る時、仏性（佛性）¹¹は一旁に隱れ、仏性（佛性）¹¹彰顯する時、魔性も亦暫時消弭す。
魔性において：若し見る所、夢むる所、顯示する所も亦正確なるにあらず。これ乃ち仏性（佛性）¹¹と魔性の分野に入ら
第十八回 淨化內性
崇心「大道（大道）¹⁰系列天書」の註解によりて、眞正に人世間に落實して、初めて有情世界の大乗（大乘）⁶⁰菩薩道
（菩薩道）¹⁶⁴の境界を造就し得ん；また般若智慧の具足する所に在りて、亦「儒、道、釋」三教の精華を導引し、人世
間において演繹して進化（進化）⁴²せしめ、相互に人世間の菩薩行（菩薩行）⁶²徑に應用するを得るのであります。
第十九回 內性自淨
人類衆生 棄つるも保つも亦其の不足を嫌ひ、往々模稜兩可にして、すなわち果斷の判別を喪失し、即ち失する所有り：
古の云く「萬金散盡して還復來たる」、人類の每日食する物質、若し幼童より算起して、年老に至るまで累積加起せば、
足堪一個の城鄕地區ありて、方かつて足夠容納し得ん。
第二十回 佛性彰顯
又一下子に、全部聖務を完全に示知することなし！必ず崇心諸賢生 眞正に「體天行道、代天宣化」の本質あるや否やを
觀ん！長遠に教化因縁を持續するや否や？必ず更多の善縁 集結歸隊するを造就し得る、これすなわち崇心基本聖務の弘
揚推廣なり。
第廿一回 佛性再顯
仏性の彰顯は、自性本体の中に形となって外に現れ、内心から発して面龐（相）の改善に至る。元来窮凶極悪の面相も、善導によって良善の面相へと変わるのである。衆生はいかにして自性を善導し、阿摩羅識の中に入るべきか。これすなわち仏性再顕の前兆である。
第廿二回 唯識理論
何ぞ崇心に此の聖務を行使せしむるや？教化の過程に於いて崇心が獨り上天の眷顧を得たるは原因なくしてあらず。又理筆により諸賢生を帶引して蓮花佛國に向かひて成就せしむ。後には上蒼の直接督管により、若し稍かなりとも偏差錯誤と懈怠あらば必ず直接嚴懲す！
第廿三回 唯識觀念
「真如」人世間に於いて若し唯識觀念を以て轉化すること能はざれば、縱使さらに高深の大德を修めると雖も垢識を清除すること能はざれば、真如に由り佛性の再顯を成就し、自らに成就位階を與えて凡塵に真正に極樂仙鄉に回歸し、如來又如去、即ち佛體、即ち佛種、即ち佛果なり！
第廿四回 唯識行徑
人生経験を系統整合して始めて自らの生活領域に落實す。每一の過程に因りて人生経験を再び出發し過程組合せ發展するのみ。必ず自らを真正に落實せしめ又生活領域空間に於いて自ら主人と爲り得るか否やは知るべからず？
第廿五回 十二因緣
いかにして「無明」を化除するか？ 創造発展が必要である。すなわち「行の動」によるものであり、「行」の動が未だ発せざるときは、「識種の観念」の転換にすぎない。「識種」は第六意識を経て接收しなければならず、法界の一切を起動する。すなわち実在の現象界、人類衆生の生存の基礎である。
第廿六回 六道輪迴
まさに自己の所作為によって決まるのである。上天の教化において「聞思修」を通じて調整し、本来固化した思想観念を調整・滋潤して改造すれば、六道において自己の願力によって達成できる。上求昇進は人世間で教化思想を通じて調整する。
第廿七回 含因改造
悪因を造らねば悪果の磨難を受けぬ、これこそが正しい。「菩薩は因を畏れ、衆生は果を畏る」とはこれである。菩薩は因を断てるが、衆生は因を断てず、必ず果報に入り、すでに形成された好坏の償いの中で自己に磨練の機会を与える。
第廿八回 生歡喜心
冤親債主はその心境を觀じ、さらに懺悔心と慈悲の念を抱かせ、報を討たんとする因果業報を消滅、あるいは軽減せしめ、今後善徳福報を成就せしめる。また衆生に「歓喜、甘願、成全、感恩、懺悔心」が既に具われば、因果業報の討伐に対し、冤親債主も和解の余地を生じることが極めて多くなるのである。
第廿九回 觀念轉化
もし「為す可きにして為さざれば」すなわち因を造らざることであり、「為す可からざるにして為せば」すなわち業を造ることである。因と果および業障の形成は、まさに「為す可きと為す可からざること」の分野である。人類は自らが観る一切を正確無誤と言うが、知らず、時に観る一切も、またすべての来龍去脈の一部に過ぎないことを。
第三十回 落實生活
もし修行ある修子が世俗の悪煞の者に遭う時、このような修子は必ずや凡塵での福報の具足を減じ、たちまち世俗の悪煞に害される。またこの種の善徳因縁の培養によって、必ず悪煞に遭って磨かれる機会を改変することができる。
第卅一回 當下實行
長江の後浪は前浪を推す、後浪は長遠に暢漲す
第卅二回 逍遙自在
二度と犯さないこと、「不二過」への尊重である。この戒と律は汝と何の関係があろうか。逍遙の中で修持でき、迷障に侵されず、牽絆されず、戒律と自らの行為に制約されず、真に逍遙にして自在な宗教の修行者となるのである。
第卅三回 了無罣礙
初めて人生・天地・宇宙を相互に結合させ、如来又如去のごとく、人世間において「了無牽掛」「了無罣礙」の平衡基準点に成長できる。人生とは一連の輪迴の中において継承し成されるのみで、始めから終わりまで一切を総合的に主導することはできない。
第卅四回 福德無窮
福沢と善徳は当下に具足でき、まさに自ら所有し、さらに衆生にも所有させ、自ら具足してさらに衆生に具足させる。「人生目的は菩薩道を行ずるにあり」、上求自利・下化利他、自ら衆生を成就し自らも成就する、これこそ「大道シリーズ天書」の著作本意である。
第卅五回 真如實性
因果法則は人生の脚步の過程を扮演し、いかなる衆生も因果を跳躍して、極楽仙郷・無極理天・虚空天界・宇宙天界に直達することはできない。衆生は肉軀をもって当世において往昔の不良含因を改造し、現世の肉軀をもって帰返の準備とする。
第卅六回 金品蓮台
ゆえにこれはまだ始まりに過ぎぬ。「理筆天音伝真」が受けた圧力と挫折、および心酸苦楚は、決して諸賢生の了知し得るところではない。それゆえ無極皇母は特に「大道真詮」完書の際に賜り、未だ世に涉らざる天机を著作により天書の中に泄露したのである。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
無極大道院 懿敕崇心堂
欽 奉
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
自己の主人となること、しかも次にまた輪廻の渦中に陥ることなく、己の進むべき方向を保持し、無明と無知の迷境に入らず、唯識理論を中心思想の基礎とし、唯識観念の転換を建立すれば、必ず唯識行径の落實を成就し、智慧の成長超越が可能となる。
推薦序
実のところ、大道シリーズ天書の各階位は：細分して九品位、下品に27位階、中品に27位階、上品に27位階がある。これらを合計して九九八十一位階となり、下品下生から上品上生までの条件を通過する。
懿旨
今懿敕道場崇心堂は立堂一載半にして、すでに「大道回帰・大道真詮」の二冊の天書を著作す。これにより母娘の衆霊児を引渡し帰還せしめ、真理を暢くして無極天梯に向かわしむ。この條件はさらに実際に帰返無極の資糧を累積し、当今の時代に倚重し得る道場なり。
序
南屏道済古仏
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
當今時代 已に往昔に異なりまして、人類 皆 錢（前）に向かいて看、さらに物慾と生活享受を追求し、物（役）に使わ
れ、「心霊落實」の精神領域を追求する者鮮少であります。また人類の追尋すべきは：大乗菩薩道（菩薩道）¹⁶⁴、覚有
情境界を行持し、蓮花仏国（果）の極楽世界に達すべきであります！
第二回 行菩薩道
進し、偏差行径を糾正し、改正の中より人世経驗の組合を得て、生存経驗を生活の中に落實し、必ず受益する所あり。
時に一件事 來る時、應當 甚だ容易に通過し得べきも、人為的思想 これを複雜化し、複雜の後 また簡單に通過し得ず、
第三回 上求下化
下化の傳承は本來當然の事 一代また一代へと伝えねばならぬ
第四回 自利利他
「人生の目的」すなわち「菩薩道を行ずる」にあり。必ず「上求智慧」して 始めて「下化衆生」して歸引し得る。此種
先ず「自己自利」の後に、豐富なる資糧ありてさらに「利他成就」し得る。人類衆生の無明と迷障に對し、かくの如く化
除および提昇するのであります。
第五回 犧牲奉獻
「人定勝天」も、亦上蒼の應允と容許を要す。然らざれば、古より今に至るまで いずれか「陰陽組合」を通じて、長く
人世間に生存する者ありや？皆「人類 天に勝ち難し」なり！人性の本來を極點に發揮し、大博愛の精神を散發するは、
すなわち仏性（佛性）¹¹の彰揚なり！
第六回 捨己成全
「放ち得て、見開くを得」なさい、一切 皆縁（円）より來たり、來たりて又 縁（円）なるのみ。人生 かくの如し、仙仏
（仙佛）²⁰も亦かくの如し。いかんぞ仙仏（仙佛）²⁰の脚步を學ばん？すなわち捨己することに在り、捨己の愛する所を
成全し、捨己の福餘を成全し、捨己の惡む所を成全し、一切 凡塵の物境に轉ぜられざるを要す。
第七回 天地有情
天地有情（天地有情）¹⁷⁵、覆載を私せず、照耀を私せず、さらに人類衆生の因縁果報において、福祿壽富貴の生存空間
を給予し、禍福得失の形成にありて、每位の衆生の福報と禍殃に針對し、凡塵の累世に在りて 加減乘除 差異あり。ゆえ
に天地 乃ち大公にして無私であります。
第八回 眾生有愛
每人の生活環境 皆同じからず、一種の模式をもて 衆生 皆全部適應せしむること甚だ難く、每一人の生活經驗 盡く同じ
からざるを形成す。かくの如く言之く：人類 皆明白し得る知識、および生活過程の習慣する所に處し、亦自己を善と
惡、對と錯、是と非の中に置く。
第九回 誓渡眾生
此種 卽ち因果（因果）⁵法則の定律に背離す。人類の作す所 為す所の一切、まさに因因 果報を得る！每位の人類衆生 皆
自己の行使する功德に依靠して業（業）¹⁹障を兩相組合し、また每位の衆生 仙仏（仙佛）²⁰ 自己の功德をもて衆生のた
めに撥轉償還する所有の因果（因果）⁵報應なるべからず。
第十回 誓斷煩惱
「衆生煩悩（煩惱）誓願斷つ」——誓断煩悩（誓斷煩惱）¹⁷⁹、必ず自己 能く實際の經驗をもて、煩悩（煩惱）を化除す
る撥轉菩提（菩提）¹⁷⁸の種子となし、菩提（菩提）¹⁷⁸因を成就せんとす。凡塵に在りて菩提（菩提）¹⁷⁸の轉化を承受
し、能く煩悩（煩惱）因を消除し殆盡す。人生 世に在りて 每一人の富貴窮通を分別せず、皆煩悩（煩惱）因の相續する
所を受く。
第十一回 誓學法門（真理）
を打破し得て、初めて信心を生起し 信仰修持（修持）¹²となす。
此種 卽ち「大疑 大信を生じ、中疑 中信を生じ、小疑 小信を生じ、不疑 根本的に信ぜず」あり。每位の衆生 必ず——仙
仏（仙佛）²⁰菩薩の腳程を學習すなさい。いかんぞ步履を勤求學習せんや？必ず自己一箇の學習方式あり、亦自己の喜び
第十二回 誓成佛道
いかんぞ無上仏道（仏道）¹⁸¹を成就せんや？必ず成行し難し！回歸し 無上仏道（仏道）¹⁸¹を成就せんと欲するには、般
若波羅蜜多（般若波羅蜜多）⁷²智慧 卽ち先ず具足すなさい。もし大智慧を具足し得ずんば、回歸せんと欲するや？恐らく
ただ平凡の衆生なるのみ！形成す：布施、持戒、忍辱、精進、禪定、智慧、必ず智慧をもて開頭となす。
第十三回 內果外功
その意念、心識の發動する所を觀るを要せず、ただ頭上の色澤を觀れば、必ず一目了然であります。外功 勤植すれば 卽
ち内果（內果）¹⁸³を培い得、亦内果（內果）¹⁸³は：「戒、定、慧」を行持して方て達し得、「戒、定、慧」より必ず信
心を生じ、「信、願、行」の位階に達して成長す。
第十四回 心性心魔
崇心道場：真理を暢び 廣く衆生を渡し、自有 先天の條件あり、先天の中 已に註定の聖命にして、卽ち諸賢生を集合して
崇心聖務を開展し、又上蒼 必ず崇心の作す所 為す所を監督し、偏差せしめず、再び仏教に入らしめず、正に崇心立堂の
宗旨 已に明示す。
第十五回 降伏心魔
又いかんぞ降伏せんや？必ず一步步 自己の仏性（佛性）¹¹を呈現すなさい。然らざれば仏性（佛性）¹¹ 顯れず、魔性 高
き時、いかんぞ之を成全せんや？有云く：「道高一尺、魔高一丈；道高一丈、魔 頭上に在り」、然れども！絕に外魔の
致す所にあらず、乃ち自己內心の思想——心魔（心魔）¹⁸²の關係であります。
第十六回 淨化靈性
眼の觀る所、耳の聽く所、鼻の聞く所、舌の嚐む所、身の動く所の相互關連、一連串の事務の起止となり、因縁和合に達
して促成さる！また「靜化霊性」と「浄化霊性（淨化靈性）¹⁸³」この兩者 息息相關し、心念意識 もし浄化（淨化）¹⁸³す
ること能わざる時、すなわち千里、萬里の遙かに奔馳せん。
第十七回 心魔化除
んと欲するなり。若しかくの如くば、すなわち反面よりて衆生に成就するを得る、これ正しきなり！起心動念するの時、
之を仏境の成就と當作せずば、魔境の中に陷入せず、また何の原因なるや？
若し魔境顯現し、また仏性（佛性）¹¹をもて化除すること能わざる時、應該退下す：思わず、考へず、觀ず、想わず、一
第十八回 淨化內性
天道の修子を促して、眞正に自己を改造し達至せしめ、再び我最大、我最高、我最殊勝、僅かに我回歸し得るの錯誤觀念
を執持せず、すなわち我の執する所を放下し、三教を融合して一股の眞正なる修行平等の觀念を匯成す！佛教、道教、儒
教の倡行する教義を論ぜず 皆是同じなり。
第十九回 內性自淨
每日の物質：若し垃圾をもて之を處理する時、人類の所有の食物 不適合の物質に在りて、又自己を淹沒し、眞正自己に
有利なる精神食糧 少之又少なり。衆生 五濁悪世（五濁惡世）⁸¹に沉淪するの原因 亦ここに在り、又心性 若し自己に靠り
て浄化（淨化）¹⁸³せずば、いかんぞ提昇超越すること得ん？
第二十回 佛性彰顯
先前 無極皇母の懿示する所、「崇心立杏壇（杏壇）¹⁸⁹」の宗旨 永不改變の本意、すなわち崇心 新法を掌して當今時代の
中に在りて、杏壇往昔の沉腐を完全に破除し得ん！更に當今時代の需要に符合して、廣泛に衆生の回歸を成就し得る、こ
れすなわち崇心立堂の宗旨なり。
第廿一回 佛性再顯
すべての衆生は自らを修持し、また自性を改造することから始めるべきである。人類衆生はまさに「佛魔の両者が併合」して成ったものであり、もし佛のみあって魔がなければ、試練の端倪と成績が見えない。もし魔のみあって佛がなければ、光明の人生を導くこともできない。宗教信仰に入るには、必ず心性を改造しなければならない。
第廿二回 唯識理論
唯識理論第一層  人生具備如似真
第廿三回 唯識觀念
唯識觀念本已有  思想不轉很難修
第廿四回 唯識行徑
自らの所有行徑を了知すれば即ち如何に應爲すべきかを明かにす！唯識の所有生活領域に對し必ず「唯識理諦」を衆生の心性に建立し始めて「唯識觀念」を自らの本心に建立し人生の「唯識行徑」をも落實し得べし。
第廿五回 十二因緣
意識を眼・耳・鼻・舌・身を経て集合させ、意念をもって発号施令してこそ、「名色」の促進がある。名色は境に動かず、されば自己はいかにしたいと欲するか？ 外境の影響を受け、外在の一切は必ず「六入」を通じて観察感覚し、「触」の起因となるのである。
第廿六回 六道輪迴
人世间の成就上求の位階と条件を促成できる。当今の時代万教斉発し、皆が衆生を渡化すと語る。どれが真に上天に代わり大道を行ずるか？ 一定しない。自己の所為によって成就できる。「権説」か「実説」かの分別を了知しなければならない。
第廿七回 含因改造
いかなる因縁果報も皆如此である。善徳因縁の来るときは必ず衆生に平順を与える。あまりに平順すぎれば、知らぬうちに早已く多くの業果を造っている。天の下衆生を綜観すれば、往昔も如此、現今も如此である。
第廿八回 生歡喜心
仙仏の加護により全ての阻害を転化し、さらに福德因縁を転換し、因縁和合の上にまた一翼を担い、人類の衆生の福德財運において、己を成就するとともに衆生をも成就し、さらに冤親債主の討伐を消除する。皆はこれをどう思うか。日々の生活の中で、常に歓喜心をもって臨んでみるがよい。
第廿九回 觀念轉化
一部はたとえ自らが亲身に観視したものであっても、その全過程を知るのは難しい。もし行動した後であれば、必ず自らを牢として抜くことかならぬ謬誤に陥らせ、自らの観点を誤導し、思想の固化と行為の偏差を形成し、なお自らこそが正しい、自らこそが当たっていると思い込むのである。いかにも奈何ともしがたきことよ。
第三十回 落實生活
人世间の福運具足の良机を改変すれば、横逆と不如意の妨げを減らすことができる。善徳因縁の具足は、まさに人世间の修持者が常に持つべき観念であって、初めて日常生活に落實できる。「修持のために修持する」一味であれば、必ず多くの困境と磨難に遭遇することになる。
第卅一回 當下實行
前浪は難回すでに望みなし、ゆえに沙灘において卒す
第卅二回 逍遙自在
さもなければ、すべては修持のためだけと言いながら、自らを苦痛の深淵に陥れる。決して修持の応有の道ではない。修持は本来、修すれば修するほど楽しく、修すれば修するほど自在で、修すれば修するほど逍遙である。これこそ真の修持の過程であり、「不二過」によって促され、不良の含因の過程を改造して提昇しなければならない。
第卅三回 了無罣礙
人類の生存の過程において、開放し放下できず、自らの人生を天地・宇宙と相互に結合させれば、ただ自らが来世の輪迴の準備をするだけである。このような条件において、人生・天地・宇宙と相互に契合してこそ、自らがどれほど渺小であるかを了知できる。
第卅四回 福德無窮
了知すれば当下において自らを改造し、自らを「菩薩道の覚有情の境界と位階」に入れ、さらに福沢によりて窮尽せず、人類の衆生に限りなく分享し、さらに「智慧」の具足と展開を成就してこそ、崇心立堂の本意である。
第卅五回 真如實性
すべての資糧位を具足して六道輪迴に墜落せず、自性を沈淪の境界に埋没させれば、いつ回返できようか。機会は甚だ渺茫である。この軀体は必ず「真如实性」において扮演する役割であり、いかなる衆生もこの条件の局限を了脱することはできない。
第卅六回 金品蓮台
まさに崇心の諸賢生の辛苦と作為、犧牲と奉獻への賞賜である。崇心が立堂して教育教化の神聖任務に当たることは、すべて崇心によって開拓されたものである。「杏壇の規範を立てる」ことで基礎と依循の方針を確立し、今期の先鋒部隊として必要な責任と心態を備えるのである。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
天運戊寅年六月六日戌時
完書繳旨
無極皇母大天尊 懿旨に曰く
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
「聞・思・修」の三者を相合した思想観念で、過去の不良な含因を改造するには、必ず阿頼耶識の浄濾過程を経て、不良なものを棄除し沈澱させる。阿頼耶識そのものは、すなわち真如であり仏性である。菴摩羅識は阿頼耶識に退転せず、これは仏性の基礎にして、また超越の根本体である。
推薦序
金品蓮台——釈教には明らかな記載はないが、実は釈尊の当時はこの名称を用いなかった。仏家に九品蓮台があるゆえ、さらに「金品蓮台」の名称を要しようか。況んや菩薩果位成就の後、仏果に入らん前に「九品蓮台」を去り、直接に「金品蓮台」に転換する。
懿旨
特に理児は志を堅くして抜かるることなく、天命と母命を完成し、実に為娘は大いに欣慰す。今さらに天書一部を特降し、その顔に題して「大道規範」と曰う。大道シリーズと相互に結合・輝映し、凡塵に沈淪する衆原霊を天梯に引渡し帰還せしめ、無極聖界に直回せしむ。これ母の盼つ所なり。
序
老衲また来たれり  崇心著書なり
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
崇心の著作する整系列「大道系列天書」、每一冊 皆「大乗菩薩道」境界を闡述し、無非 衆生 人世間に於いて改造し、修
持（修持）¹²調整をなさしめんとす。歿度の後に待ちて 再び功果と品位を論ずるには及ばず、人世間にして已に「菩薩
道」覚有情境界を具足するのであります。
第二回 行菩薩道
必ず困難 自心を擾乱する。此種の問題 自己の作為に對し、自己の無明たるか 迷障たるかを了知し得るのであります。
人世間の種々なる経驗累積、明悟改進無明の初始より、すなわち「覚有情領悟」によりて達成す。人生 世に在りて 往昔
の誤り経験を覚悟し、自己経驗累積を修整し、思想體系の再組合に對し、かくて必ず領悟より「覚性了知」の體證に達し
第三回 上求下化
知識と經驗は前人が得たもの 適切に用いれば障害少ない
第四回 自利利他
「大道規範（規範）¹⁶³」の著作の原意 すなわち此に在り。菩薩道行持作為によりて衆生に澤潤し、崇心の聖務たるのみ
ならず、諸賢生の聖務 さらに天下衆生の聖務であります。此期 引渡をもて歸返となし、また眞に人世間に於いて菩薩道
位階を行持して、始めて成就あるを得るのであります。
第五回 犧牲奉獻
犠牲と奉献、まさに兩者分離すべからざる組合であります。犠牲し得るも必ずしも奉献し得るにあらず、奉献し得るも必
ずしも犠牲を要せず。必ず兩者相互に組合して初めて犠牲と奉献あり。奉献も亦心甘く情願し、無私無為（無為）³⁹にし
て、初めて菩薩行（菩薩行）⁶²の第一課程に達するのみ。
第六回 捨己成全
必ず自己の靈性を轉變し得なさい、いかんぞ輕盈なる天軀に回復せん？すなわち見開き、放ち下して、自己を成全するの
みならず大衆をも成全す。汝 いかんと言ふや？捨己して大衆を成全するは、またいかに不容易の事なるや。人類 皆自己
の擁する事務に障礙せられ、捨己して衆生を成全し得ず。
第七回 天地有情
人類有情 有所作為の中に在りて、有情有愛の欲求を成就し、人類 有情世界の衆生に覺悟し得るかに針對し、存活の過程
必ず改造を經由して、累世の不良なる含因（含因）⁶³を、修整して後、人世間有情衆生の良好なる榜樣を立て、良好なる
作為を示現し、人を利し己を利し得。
第八回 眾生有愛
自己の未來 了知し得ず、無明（無明）⁷⁹自己に衝激するに針對し、いかんぞ自己の角色をよく演ずべきや？經驗未だ暢な
らず、またいかんぞ學習し、いかんぞ作為すべきや？乃ち凡塵において自己の眞の主人たるは、ただ肉體あるのみなら
ず、宛如行屍走肉のごとく、自己の靈性の呈現なし。
第九回 誓渡眾生
一尊の仙仏（仙佛）²⁰ またいかに大なる能耐と功德ありて、每每の付に堪へん、因縁果報を形成し、因果（因果）⁵法則
の規範を受くべからざるや！必ず各人因果（因果）⁵各人償ふ、廣渡衆生は必然の作為、仏教、道教、天道（天道）⁴皆か
くの如し！然れども實質 衆生を引歸し得ず、又何の原因の導致する所なるや？
第十回 誓斷煩惱
煩悩（煩惱）に障礙を加ふるは、さらに相續して成り、每件の事務 さらに煩悩（煩惱）の影響を受く。菩提（菩提）
の種子 いかんぞ成長せんや？必ず「多聞」によりて閱歷と經驗を增加し、聞思修を通じて、菩提（菩提）¹⁷⁸の種子因に
達し、卽ち煩悩（煩惱）の種子因を破除し煩悩（煩惱）を化消し、乃ち無憂無煩悩（煩惱）の境界に入るを得。
第十一回 誓學法門（真理）
且つ願ふ所の方法にして、成長となす所であります。
每位の衆生 思想觀念と習性 皆同じからず、每位の衆生 教化に於ける體悟も、自己の業（業）¹⁹因と善縁の相當大なる關
連あり、また自己 願力あるや否やを加ふ。勤學真理の中に 必ず法門（法門）¹⁷⁹は一「萬法唯心、萬殊唯物」の過程にし
第十二回 誓成佛道
もし六度万行（六度萬行）⁵⁹を欠缺せば、亦相同等質に達し得ず、回歬せんと欲するも資糧を欠缺す。人類衆生 往々自我
意識高漲、自我心態擴張によりて、卽ち自己原本純善の本質 蒙垢を受け、清淨なる本靈に返らんと欲するも、必ず較ら
成就に達し難し！
第十三回 內果外功
倘若！衆生 「戒定慧」と「信願行」を欠缺せば、此種 人世間に於いて成就せんと欲するも、必ず之を得ず、自己の行持
し得る所は、「六波羅蜜種種の組合」とし、卽ち六度万行（六度萬行）⁵⁹「布施、持戒、忍辱、精進、禪定、智慧」にし
て、必ず戒律（戒律）³³をもて内果（內果）¹⁸³を成就す。
第十四回 心性心魔
先天の眞道を弘め　天地の大道（大道）¹⁰を行じ 杏壇の規範を立て　衆生の回歸を渡す
第十五回 降伏心魔
心性 本 純潔なれども、もし魔境の中に入らば、心性 污染垢穢に轉變して魔性となる。かくの如き 自性（自性）⁷純潔に
回復せんと欲するには、必ず「心 能く定まり、念 起らず、意 能く安んじ、識 動かず、性 能く淨し」て 初めて自然本性
に回復し得、亦仏性（佛性）¹¹をもて魔性の淨化となす！
第十六回 淨化靈性
ゆえに人類の能く有する所、僅かに步行と代步の機械器具のみにして、一下子に千里萬里を奔騰すること能わず。然れど
も人類の心念意識 卻って隨時奔騰して上は宇宙天界に至り、下は幽府冥界に至り、極短瞬の間に已に九千個の生滅の起
止を過ぐ、すなわち心猿意馬の主導する功用なり。
第十七回 心魔化除
切に對して冥思するなく、必ず「心を不起に定め、念を不動に定め、意を不搖に定め、識を不轉に定むる」の中に在り
て、心念意識によりて仏と魔を綜合修整し得るのであります。
魔性 心念に入りて、意識 必ず變化を起さん：また三尸神（三尸神）¹⁸⁷人類の三魂（三魂）¹⁸⁸——靈魂、覺魂、生魂を監
第十八回 淨化內性
崇心 皆能く融會して成長し、自己と衆生に眞正の成就の機會を給予す。ゆえに崇心「儒宗聖教」自然に人世間に達成
し、「無極大道（大道）¹⁰學院」の根本基礎を暢行し、また崇心の諸賢生 用心するや否や？眞心なるや否や？眞正に上蒼
に替わりて代言者たるや否やを觀るのであります。
第十九回 內性自淨
每每 すなわち不適個人心性の物質と精神食糧を累積する時、すなわち自己を成就すること能わず；又衆生 皆外境の迷
惑、誘導する所となり、自己の心性 すなわち迷失し、自己の行う所為す所 皆迷障に在りて、亦自己を淹沒す、又自性の
浄化（淨化）¹⁸³ すなわち自己に靠るべくして、他人の影響する所にあらず。
第二十回 佛性彰顯
何ぞ崇心に此の如くせしめんと欲するや？まさに因縁成熟し、又諸賢生 眞正に第一期に於いて上蒼に肯定を給與し、亦
諸仙仏（仙佛）²⁰ 能く心道場にして、崇心「儒宗聖教」に「杏壇（杏壇）¹⁸⁹規範」を立たしめ、まさに人類回歸超越を
成就す、これ勢在必行の大聖務なり。
第廿一回 佛性再顯
あらゆる環は経験の累積であり、人類衆生の種種の不如意は、まさに魔境の反面によって成就される。魔境と魔性の反面に感謝し、己に先天の免疫力を具足させるべきである。さもなければ、衆生が太平に日々を過ごせば、迷わないほうが不思議である。
第廿二回 唯識理論
學習吸納其內涵  通達智慧可提昇
第廿三回 唯識觀念
佛家專用之理諦  印記入心可停留
第廿四回 唯識行徑
即ち唯識領域空間に由り人世間に於いて自ら如何に過程を把持しさらに次の回路程と行徑を了知し「唯心に造り唯物に成る」時間・空間・環境を通じて自ら提昇超越を成就してさらに大きなる成長の受益を得べし。
第廿五回 十二因緣
観察理解の過程において、必ず「触覚」が「受」となる。「受」の本身はすなわち意念であり、いかにして外境に主導されざるか？ これはまさに自己の内境に形成されるもの。一切に「愛欲」が生じなければ、外に向かって攀縁することは困難であり、これはすべての衆生が必ず持つべき事務の連鎖である。
第廿六回 六道輪迴
方便法門と真正実義の衆生成就の本質にあり。ゆえに「六道輪回」は相続し、衆生が帰帰できない盲点は、その所聞と所言の中を透視できぬことにある。すなわち真実義すなわち実説か、風俗方便すなわち権説か。これが智慧の運用を形成するものである。
第廿七回 含因改造
平順の心灵境界に長く処すれば、いかにもしてよいか分からず、どうすべきか知らない。知らぬうちに経験磨練に欠け、自らを平順のうちに業を造る過程に置き、心灵には時常落寞感が生じ、自らもいかに行けばよいかを知らぬ。
第廿八回 生歡喜心
訪れる一日一日に対し、天地が我にこの身躯を賜わったことに感恩し、今日もまた太陽と大地を拝むことを得、さらに往昔に犯せし諸々の過ちを懺悔することにより、甘願のうちに己と衆生の一日一日を成全し、日々を快樂かつ逍遙に過ごす。歓喜と円満が加わるこれこそが、まさに人生なのである。
第廿九回 觀念轉化
この種の「まさに天下の衆生の通病」は、もし客観的な角度から事の来龍去脈を観察し、先入観を排した思想・観念を持てば、比較的正确な条理を与えることができる。「思想理路」は道理と真理が互いに競い合って決定されるものであり、また人の思想を以て択ばれるものである。
第三十回 落實生活
己が生活の中に落實できなければ、己の資本を開設することはできない。それゆえ生活条件において、潤生の関門を建立し良善の基礎を築けば、後に遭遇することはすべて、己の経験の累積における任意の過程の組合せに過ぎない。人類衆生の大部分はみなこのようである。
第卅一回 當下實行
有情衆生に座右の銘を与える。新陳代謝、時代の更迭において、当今の時代の宗教の主事者はなおさらこうあるべきだ。固化して転回できなければ、まさに前浪が沙灘に卒し、後浪は永に追いて望むべからず。真に固化しないことを形成し、思想を清新の境界に保たなければならない。
第卅二回 逍遙自在
自らの行いに責任を払い、自らと戒律に愧じないこと、自らの行いを固化させず、真に自らの主人となり、他人に自らの修持に影響させないこと。より大きな束縛と制約に遭遇したとき、方法が誤っているか、それとも自らが行いを誤ったのか。
第卅三回 了無罣礙
しかし人類は無限量の成就を創造することができ、人類の衆生は多くの無明障礙によって制限されている。すべてを見開くことが人生修持の基準点であり、人世間の輪迴の相続・循環往復を脱し、さらに現世において自らを改造し、人世間の含因の転化提昇を達成する。
第卅四回 福德無窮
衆生を教化して成就し、自らもすでに成就している。諸賢生は知るべきである。崇心堂において真理を学び人世間に弘揚できること、自らの福報はなんという幸運と福分か。福と徳はさらに今世において具足すべき本分であり、決して「福と徳」の関を跳躍してはならない。
第卅五回 真如實性
真如实性とは第九識・菴摩羅識を統合し静慮し浄濾することである。いかにして第十識・第十一識・第十二識・第十三識に達するか。微微識において改造し浄濾し調整してこそ、如实に超越する機会があり、真如实性をもって達成する。
第卅六回 金品蓮台
天まさに大任を斯人に降さんとす、必ずまず其の心志を苦しめ、其の筋骨を労し、其の体膚を飢えさせ、其の身を空乏させ、行いを乱さずして、不如意より心態・作為・應對と智慧の組合せを観しむ。これにより福祿壽を頒賜する可否が決まり、この関を通過できるかは、己が最もよく知る处である。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
虚空金筆開智天尊
完書繳旨
母は理天聖地に居り、凡塵の衆兒女を心に掛け、凡に降して後すなわち本性を迷い、常に生死の六道輪廻に流浪し、真理を暢くして帰引回返しがたし。実に母心哀泣し、常に閭に倚りて諸兒女の帰還を盼つ。奈何せん母心の深切にして心急如焚、諸兒女は為娘と互いに接心し霊性を契い印心すること能わず。
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
大乗菩薩道の覚有情の境地は、人世間において「阿頼耶識」の垢識を浄化して、はじめて「菴摩羅識」の真如仏性を彰顕できる。これは各段階において了知すべき範囲であり、大乗菩薩行の覚有情の境地を行持し、蓮花仏果（国）の位階に入る。
推薦序
金品蓮台：世に泄れる天机として、有情世界において大乗菩薩行の覚有情をなし、有情衆生を了悟し、実相世界に生活することは帰返の準備であり、「金品蓮台」に必要な認知を成就することである。また衆生は皆外を見るが、内に観て「微微識」を彰顕し得るか。
懿旨
旨到の日は上课期著作に逢う。早く出版発行して寿世せよ。南屏道済古仏を命じて主著仙師とし、三界高真を陪著仙師とせよ。再び理天帰郷の資本を接し、崇心道場により大いなる天命を締造せしむ。神人志を堅くして完成し、以て母心を慰め霊児を帰還せしめよ。神人叩首して謝恩す。
序
大道規範の書  天地の徳澤滋なり
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
大道系列天書：衆生の心性に對する提昇と転化、人世間に於いて以往の不良含因と業果を改造し得る。「菩薩は因を畏
れ、衆生は果を畏るる」の警惕、人世間より有情衆生の大聖務を行使する、歿度の後に待ちて 再び成就を論ぜんと欲す
るか？當下 即ち了知すべきであります、細思すれば明白なる矣！
第二回 行菩薩道
得る。
自己 明悟し得て、「覚者（覚者）¹⁸⁷」すなわち「智者（智者）¹⁸⁸」に達し得るか？しからずば 人世間に於いて 必ず無
明の干擾を受け、人世間に於いて 必ず思想體系の統合を通じて、始めて自己に「明悟」過程を成就し得る。すなわち
第三回 上求下化
人生 かくの如し、仏菩薩も亦 かくの如し、始めて眞に改造の資本となす。必ず「上求下化」ありて 経驗を提供し、下化
衆生して成就および転換を具備し得る。必ず「覚有情」菩薩境界を通じて、即ち「覚悟情仏性世界」に入り得る、これ千
眞萬確！
第四回 自利利他
人生 かくの如し、仙仏も亦 かくの如し。天地人 皆 衆生を引渡し仏性（仏性）¹¹を彰顕し、蓮花仏国（蓮花仏國）
（果）位階に成就す。その成就 必ず豐碩たるを得ん！ただ短視の衆生の明瞭し得る所にあらず、必ず先ず自己に利益し
たる後に さらに衆生に利益すべきであります。
第五回 犧牲奉獻
人類 福報を具足し、また福餘ある時、いかんぞ福報を欠缺する衆生に徳（德）¹⁸澤せん？ゆえに必ず盈餘、富足、豐碩あ
る時、初めて奉献と犠牲あり得る。ゆえに、人世間 必ず自己の福餘を具して、初めて因縁ありて不足の人類衆生に分享
給予す。
第六回 捨己成全
人類ありてより以來、すなわちかくの如し、こと大部分の社會 さらにかくの如し。もし宗教の教化によりて啟迪し、自
己の所有の福餘を施を施捨して蒼生を澤潤し得ずんば、亦成全の善舉ありて、福報、財富の加添あり、必ず人世間の最も
殊勝なるものを具す、これを「陰騭」と云う。
第七回 天地有情
人類 萬物の靈長たるは、その原意 ここより彰顯す。每位の衆生の禍福得失、福報と禍殃に針對し、自己に享樂と承受を
給予す。天地有情 萬物衆生を長養し、人類仁慈の徳（德）¹⁸性 天地有情の學習過程に達し、天地徳（德）¹⁸澤 萬物蒼生
にして、必ず人類の作為を經由して影響す。
第八回 眾生有愛
すなわち人云亦云し、環境の左右する所とであります、衆生 自己の生活環境に對し、有時 卽ち經驗累積を欠缺し、いか
んぞ每件の事務 皆円満（圓滿）¹³なるに達し、皆滿円ならしむべきや、初めて人世間において自己の主人たるを得。最も
重要なる條件、まさに觀念と經驗の組合であります。
第九回 誓渡眾生
すなわち人世間に於いて、大乗（大乘）⁶⁰菩薩行（菩薩行）⁶²の行徑に落實し得ず、衆生は「自性（自性）⁷自渡、仏 渡
し得ず」にして、仏菩薩 また自己の功德を撥撥轉して衆生に引渡すこと能はず！「自己の行為 自己了す、自己の功果 自
己召く、自己の業（業）¹⁹報 自己消す」に在りて、初めて因果（因果）⁵法則に符合す。
第十回 誓斷煩惱
人類衆生 自己の經驗知識をもて資本となし、經驗を承受して智慧に轉化し得。また上求多聞の知識と智慧の中に在り
て、菩提（菩提）¹⁷⁸を轉化し、煩悩（煩惱）の種子因を破除し、含藏經驗の過程をもて、自己の應用する經驗累積を成
就し、並びに自己と衆生を下化して受益せしむるを得。
第十一回 誓學法門（真理）
て、提昇を促成す。
必ず思想觀念の造就する所を轉換し、乃ち法門（法門）¹⁷⁹無邊 誓願學ぶであります。然らざれば衆生 每日の煩悩（煩
第十二回 誓成佛道
人世間 宛如一張の白紙のごとく、染色せんと欲すれば比較的容易であります、染色して後 純潔なる白紙に回復せんと欲
するは、それは不可能なり！修持（修持）¹²もさらにかくの如し、已に固化せる思想觀念に對し、轉換せんと欲するは則
ち容易ならざる事であります。人生 世に在りて 數拾の寒暑相接するのみ、又一次次 反覆輪廻（輪迴）²¹の中に相循す。
第十三回 內果外功
持戒をもて、本身の奇毛怪癖を改造し、上蒼 衆生に いかんぞ外功の累積を内果（內果）¹⁸³に轉じて顯現せしめんやを給
予す、まさに「禪定修持」であります、亦人世間 欠缺すべからざる基本要務なり！又内果（內果）¹⁸³ 具せずして 僅かに
外功の行する所なれば、必ず往々心魔（心魔）¹⁸²の侵すを招く。魔者 魔心內の果であります。
第十四回 心性心魔
杏壇の規範を立て 衆生の回歸を渡さん
第十五回 降伏心魔
然らざれば：道高 僅一尺、魔高 卽ち一丈、道高一丈、魔 頭上に在り、皆自我心性と心念意識の主導する所より、人類の
思想觀念に影響し、仙仏（仙佛）²⁰菩薩を成就し得。試問す：諸賢生 崇心に入りて學習成長し、年餘を經て、仙仏（仙
佛）²⁰の教化と薰陶 いかんぞなるや？
第十六回 淨化靈性
心念意識、心猿を「浄化（淨化）¹⁸³と靜化」し得るは、まさに意馬を馴服順伏するなり。「心念意識」は人類の思想觀
念を左右し、また自己をして成就と墮落の原因を分別せしむ。人類衆生 仙仏（仙佛）²⁰菩薩の位階に成就せんと欲する
は、まさに心念意識の轉換する成長提昇なり。
第十七回 心魔化除
督して綜合を作す。また道家の云う所：覺魂 外に在りて感覺を主り、生魂 體に在りて生長を主り、靈魂 內に在りて因果
（因果）⁵を主る；三魂（三魂）¹⁸⁸ 必ず人類の三尸神（三尸神）¹⁸⁷の督管を受け、一切の作為を引誘す。
仏性（佛性）¹¹と魔性：まさに心路歷程の轉換する所にして、一邊 仏とならんと欲し、一邊 また魔の行徑を作す。每一
第十八回 淨化內性
人世間の修持（修持）¹² いかに高深なるも、いかなる神通の力あるも、いかなる厚徳（德）¹⁸と福報あるも、皆低聲下氣
たるべし、必ず「稻穗 越々成熟飽滿するも、越々低頭す」に宛如して學習すべし。趾高氣揚して、宗教の平等、修持
（修持）¹²の平等、自性の平等を漠視すべからず。芸々たる有情の衆原霊仏性（佛性）¹¹子よ。
第十九回 內性自淨
仏陀 世に在りし時、衆生 佛法を聽聞したる後、開悟し得るは畢竟少數のみなり。また昔時にありて「十二大弟子」の成
就する所有りて、初めて釋尊の佛法の相當浩瀚なるを彰顯し、很如實に提昇超越するを形成し、また無明（無明）⁷⁹障礙
を化除して、初めて浄化（淨化）¹⁸³の成長あり。
第二十回 佛性彰顯
道家の圭臬：修持（修持）¹²の根基となし、更に佛家「般若波羅蜜多（般若波羅蜜多）⁷²心經」、および「新唯識（唯
識）¹⁹⁰學理」の主要精華を以て、融會貫通して人類衆生に下化し、儒、道、釋、耶、回五教（五教）⁹歸大乗を集合し、
また「天道（天道）⁴」禮節規範を以て、崇心往後の教化根基を立つ。
第廿一回 佛性再顯
佛と魔とは、まさに両者が互いに成就するものであり、一方は正面光明の成就であり、他方は反面経験の成就である。人類衆生はこの条件において、感謝できないだろうか。思えば分かる。また上天の意図はいかに。人世間にはそもそもこのような観念は存在しないのである。
第廿二回 唯識理論
佛家專有理諦成  有情人類之衆生
第廿三回 唯識觀念
人類衆生起心就  色聲香味觸法流
第廿四回 唯識行徑
大乗菩薩道覺有情の境界は即ち如何にして慈悲喜捨に落實せん？人生過程の六度萬行を布施・持戒・忍辱・精進・禪定・智慧を経て菩薩位階に達し、さらに六度萬行に由り覺有情の境界を「唯識思想」に造就す。
第廿五回 十二因緣
攀縁とは、自ら好むところを珍惜し追求し、厭悪するところを拋棄することである。すなわち「愛欲」の取向と捨棄を形成し、「取」の本身を経て、「取」の過程を通じて初めて「己が占有」の存在がある。「有」の過程において、すなわち事務の連鎖を起動する。
第廿六回 六道輪迴
各衆生には上求成就の条件と権利がある。ただ自己の好むところに形成し、自己の愛欲するところによって成就する。「十二因縁」は衆生を六道輪回の相続に入れ、必ず執持性であり相続性である。各衆生は自己の方法と智慧をもって上求と下墜の分差を達成する。
第廿七回 含因改造
人世间は正に累世の因果償還であり、今生の承受は累世の形成による。好坏果報は又た現在の世に現れ、未来には一切の過程を償わねばならない。人類衆生は未来がいかであるかを了知できず、ただ真誠・感恩・懺悔をもって廻向し、果報未形成の前に転移を促成するのみである。
第廿八回 生歡喜心
若し甘願して横逆の磨練を受け得れば、まさに業因・業果を消除する最良の妙方となり、この条件あってこそ人類は惬意な生活を送ることができるのである。切に望む。また崇心は真理をもって世に闡揚し、衆生を渡化し、福運財徳・財運福德の両方を具足し、智慧をさらに高めてこそ、真の福慧双修の境地に入るのである。
第廿九回 觀念轉化
思想観念とは、思想理路を総合的に発展させたものであり、思想観念は思想理路の延伸に由来する。もし観念がすでに固化していれば、必ず改造の条件に至ることは難しい。思想観念はまさに人生の「酸甜苦辣」を反映する写し絵であり、これが人為的な要因であり、また自ら招くところなのである。
第三十回 落實生活
もし人道生存を大切にすれば、己の潤生の過程に後顾之忧なく、必ず夫妻同修、父子・母女・親朋・好友と共に善徳因縁を建立し、修持の位階に入ることができる。人倫道徳の思想は娑婆世界に普遍に生存し、特に中国の地においてはさらに重視される。
第卅一回 當下實行
常に他方の意見を受け入れ、斬新な思想を受け入れて、今後普化するための資糧とすべきである。有情芸芸の衆生を成就でき、人生を当下に落实して実践することは、まさに自ら行なうべき本分である。自らを当下に実践できず、引き延ばしていては、永遠に自らを改造することはできない。
第卅二回 逍遙自在
静かに検討観視しなければならない。修持のために修持に自らを左右させてはならない。修持に遭遇する困境をいかに了脱し、いかに転化して経験を累積し促成するか。人類の衆生は修持の路程に十分憧れるが、修持の過程においていかに奇毛怪脾を改進すべきかを知らない。
第卅三回 了無罣礙
崇心が「大道シリーズ」を著作する本意は、人世の組合せにより人生の演繹過程に配合し、さらに天地間の相互組合せに至り、天地間より帰返の準備をして、宇宙天界に回帰し、自然に自らの本位に帰返すれば、極楽世界・無極仙郷・虚空天界は達成し易い。
第卅四回 福德無窮
智慧のみで福德なきときは、常に横逆と不如意の阻まれ、考磨の機会も多くなる。福德のみで智慧の展開を具足しなければ、福德具足のもとで自ら福報の中に迷失する。このような条件は崇心立堂の本意ではない。
第卅五回 真如實性
人世間において第九菴摩羅識を通過し、さらに深層の「唯識理論」において主導し、第十識から第十三識の間の各過程を一段また一段と上に推演し、真に仏道の果実位階に入り、まさに自らによって成就する。如实に受益を為し得るか。
第卅六回 金品蓮台
金品蓮台は世の天机を泄露し、有情世界にて大乗菩薩行を行い、有情衆生を了悟する。実相世界に生活することは帰返の準備にして、金品蓮台の必要な認知を成就するである。衆生は皆外を見るが、内に観じて微微識を彰顯できようか。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
虚空天界人生無  金筆凡に落ちて人に至る
完書繳旨
懿敕道場崇心堂、立堂の後すなわち普化の聖務を展開し、母に分憂し大道シリーズ叢書を完成し、天下の衆兒女を普化し、衆霊児に真如を彰顕し仏性を顕し、衆霊児を成就して帰還せしめ、かつ資糧無窮・福德無窮・智慧無窮を有せしむ。これ崇心の著作の本意なり。
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
理心光明禅師 大道規範天書再版前に題す
推薦序
有情衆生はいかに成就するか。「九品蓮台」より一歩一歩「金品蓮台」に至り、福德無窮・智慧無窮・円融自在・了無罣礙を具足し、「真如实性」より「真如仏性」を提昇し、自由自在に——如来にしてまた如去、如去にしてまた如来。
懿旨
母意に背くな  志を立て完成せよ  怠り忽せにするなかれ  聖命を完成せよ
序
無極旨を頒ち降す  道済主著と為す
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
人類の生存 何の目的ぞ 傳宗接代し 潤生となす もし唯これがためならば 提昇成長し 學びに來たる 吃喝拉撒睡するのみ
第二回 行菩薩道
「覚者 また智者」必ず如實に受益し、また衆生をも受益せしむるのであります。
第三回 上求下化
もし仏性智慧を敲開し、蓮花仏国の第一步驟を開展せんと欲するは、衆生 願へるか？大乗菩薩覚有情より、まさに一步
步に達し、かくの如き作為を成就す。期盼す 「覚有情」に於いて「覚悟情」有情世界を成就し、仏性世界蓮花仏国に入
らんことを、必ず輕而易擧ならん！
第四回 自利利他
天地が人類衆生に對して語る：「大公」を為すには必ず互いに映し合うものであり、もし己の利とした後、再び他を利する術がなければ、「自私」の行為を形成する。天地は「大公にして無私」なるもの、人類は「私ありて大公なき」ものである。これすなわち衆生自身が選擇し決定したことである。
第五回 犧牲奉獻
崇心に在りて：福報、福田、福德、福分、福澤の具足し、目前の短暫をもて之を觀ず、開堂より迄今及び往後の時空に由
りて、すなわちその端倪を見るなさい。また崇心 まさに相當豐富なる盈餘資糧を具備し、さらに長遠に自己を成就し、
衆生を下化して成就し得る。
第六回 捨己成全
捨己の所有 人を助く もし目的あらば 已に失卻す 幫助成全 福德あり 皆 滿円を得べし 心存無為 方べて眞なり 成全円満
第七回 天地有情
すなわち人類の衍生する所の禍福得失を承受す！また何ゆえに人 長く福報綿長を享受し得るや？人 三餐すら繼がざる
や？每位の衆生に賦予する所 皆相互平等なるに在りて、每位の禍福 皆自己の感召する所、皆自己の為す所にして、善徳
（德）¹⁸福報の分別性を成就せんと欲す。
第八回 眾生有愛
人生 不如意の事 十に八九、もし衆生 每件の事務 皆平順にしていかなる障礙もなからんと欲せば、すなわち必ず經驗累
積と組合を要す。もし福報と福分をもて享受するのみなれば、必ず平順と享福の中に湮沒し、衆生に對して言之く：絕對
に好事にあらず！
第九回 誓渡眾生
必ず天地の公正、無私 無偏を行持し、まさに人類衆生に反面の成就を有せしめ、眞に衆生 人世間において、往昔の不良
なる惡因 惡果の報應を改造し得、また人世間に自己を成就す、さらに「衆生無邊誓願渡す」必ず有るべき基本概念と作
法であります。
第十回 誓斷煩惱
必ず煩悩（煩惱）因を減少し、果報を形成する前の最良の方式ました。衆生煩悩（煩惱）誓願斷つ——して斷つほど煩悩
（煩惱）となるべからず、卽ち自己 了斷し得ざるに非ず。また衆生煩悩（煩惱）無邊誓願斷つに對し、自己煩悩（煩
惱）の斷除を了卻し得、菩提（菩提）¹⁷⁸の轉換となり 大乗（大乘）⁶⁰菩薩行（菩薩行）⁶²徑をもて、初めて人生の煩悩
（煩惱）因を斷除し得！
第十一回 誓學法門（真理）
惱） 同じからず。然れども有時 年頭より年尾に至るまで、すべての煩悩（煩惱） 同じであります、しかしかやうならん
や？又改變し得ず、卽ち「煩悩（煩惱）無邊誓願斷つ、法門（法門）¹⁷⁹無邊誓願學ぶ」、必ず真理をもて自己を成全
す。
第十二回 誓成佛道
無上菩提（菩提）¹⁷⁸に達し、仏道（仏道）¹⁸¹を成就せんと欲するには、必ず相當の努力を要し、更に真心一片をもて 永
遠に初発心（初發心）¹⁸⁴を保持するは、卽ち比較的成就し得る可能性あり。また初発心（初發心）¹⁸⁴を保持して、もし
一世の中 變改せずば、仏道（仏道）¹⁸¹を成就せんと欲するに足足餘あり。もし此の過程に於いて能はざれば、世俗の染
第十三回 內果外功
身の魔 卽ち人の魔 人の魔 乃ち心の魔 心の魔 乃ち性の魔 すべて魔境 皆苦磨なり 魔來たり 魔去る 卽ちその機を得 魔自
己を了知し 棄除して器と成るべし
第十四回 心性心魔
卽ち立堂の根本基礎の中に 已に明示し、崇心 真理を弘揚せんと欲するに論及せば、已に往昔宗教の教化の根本と基礎を
超越し、卽ち：三綱、五常、四維、八徳（德）¹⁸の闡述を跳脫せず、直接 心性の中に入り、更甚だしきは直ち菴摩羅識
（菴摩羅識）⁵¹の中に入り、卽ち真如（真如）⁶¹仏性（佛性）¹¹であります。
第十五回 降伏心魔
未だ崇心に入らざる先前に比し、すべての思想觀念 改變良多なるや？もし然らば、已に自己 菩薩の位階と作爲に融入し
て、初めて自己の魔性を改造し得る、必ず有るべき基本態度と作爲であります。又此種の條件に於いて、很多くは皆自己
努力精進して獲得する所であります。
第十六回 淨化靈性
もし魔性、魔境に入るは、ただ心念意識の主導する所にしてのみなり。心霊の浄化（淨化）¹⁸³と靜化、「静慮（靜慮）
性の浄化（淨化）¹⁸³と静慮（靜慮）¹⁸⁵は衆生に成就の天機を給予し、何れの宗教を修するとも皆是かくの如し。
心念意識 轉換すること能わざる時、必ず當下に成就し難く、甚しきは輪廻（輪迴）²¹の反覆相循を受けん。浄化霊性（淨
第十七回 心魔化除
つの過程 すなわち「魔と仏」の綜合體よりて自己を成就す；三尸神（三尸神）¹⁸⁷は人類の：生魂、覺魂、靈魂の顯現す
る所にして、每日 自己の所作所為を見て、全部第八意識に納め儲藏するのであります。
因に遇して縁と成り、縁に遇して果と成る。人類衆生 凡塵に在りて每一位 皆是かくの如し、絕べていかなる者も此種の
第十八回 淨化內性
歿度の後、不平等心の束縛と停滯に遭逢して、また極樂世界、無極仙鄉に歸返して提昇超越すること能わず、屆時 再び
後悔すとも 只不平等心のために、自己を戕害することの深きや！すなわち上昇回歸の第一關に刷下され、成長回歮する
こと能わず、又いかんともすべきや！
第十九回 內性自淨
自己の霊性を浄化（淨化）¹⁸³するは、必ず按部就班に來りて、一步步 初めて內性の垃圾を破除し得る；崇心の教化する
所は「自性浄化（淨化）¹⁸³」の清除よりて做起し、尤其內在心性 若し全部修整、浄化（淨化）¹⁸³、清除すること能わざ
るは、すなわち五濁悪世（五濁惡世）⁸¹生存環境の引誘を受け、回歸せんと欲するも甚だ困難なり！
第二十回 佛性彰顯
「無極大道（大道）¹⁰學院」の弘揚を成就し、崇心に針對し必ず廣泛に衆生 眞理を學ぶを成就して、すなわち仏性（佛
性）¹¹を人世間に彰顯し得る。此種の條件 すなわち衆生 凡塵の含因（含因）⁶³を改造し得る。又仏性（佛性）¹¹顯れざれ
ば必然 魔性高漲す、いかんぞ「仏と魔」を轉化し、眞道と眞理をもて今世に成就せん？
第廿一回 佛性再顯
佛と魔の再顕は、人世間において経験の伝承と累積により、人類の生存の点滴を修持の位階に入れ、より駕軽就熟に用いることができる。また佛・魔性の再顕について、衆生に能力があるか否か、己を改造し修持を調整する信心があるか否か、まさに己の努力の中に真実が見えるのである。
第廿二回 唯識理論
眼耳鼻舌身意起  應用超越真殊勝
第廿三回 唯識觀念
每位都是要用到  何人不需此欲求
第廿四回 唯識行徑
即ち佛果（國）蓮花世界に入り金品蓮台に向かひ即ち蓮花化身にして佛菩薩の功果位階を成就す。唯識理論の成長に對し唯識觀念を菴摩羅識に建立すれば必ず阿賴耶識に由り唯識行徑を促成し即ち菩薩行徑にして佛果（國）位階に入るなり。
第廿五回 十二因緣
一つの事務の起止は、必ず「己有」の占据によって「生」の存在関係を造就し、「生」の存在があるがゆえに、一切の事務と物品は長く置けば老古董を形成し、必ず時間の経過を待って滅の過程に入る。いかなる事務・物品・衆生も皆如此である。
第廿六回 六道輪迴
十二因縁は各過程の中で相続と執持を促成し、六道を凡塵に入れ、上求と下墜の本因とする。十二因縁において相続過程と執持過程を了知しなければ、人類衆生はこの渦巻から解脱できぬ。これが輪回相續である。
第廿七回 含因改造
含因を未形成の前に変え、果報の償受を断とうとすれば比較的容易である。さもなくば禍殃の境に入り、自己に考磨と魔難の機会があるものとすれば、誠に痛苦である。これが菩薩が因を畏れる所以である。
第廿八回 生歡喜心
歓喜の心を能く生ずれば真に良し。随喜の功徳は無限にして妙なり。
第廿九回 觀念轉化
決して上蒼が考程を与えて身心を磨かし、磨難を加えるのではない。人類衆生は思想理路によって思想観念の転化を見出し、ようやく人世間において自らに成就の機会を与えることができる。さもなければ、思想観念が固化すれば、転回することは必ず困難となる。いかなる原因によって形成されるのであろうか。
第三十回 落實生活
いわゆる儒家の中心思想の本質は、孝道にして、また炎黄の子孫が長く家庭の和楽を成就し、倫理道徳において父子・夫妻・母女が圓滿であれば、日常の潤生の中に落實できる。修持・経商・就業・家庭圓滿、すべての潤生観念は、必ずや人生の過程を成就させる。
第卅一回 當下實行
すなわち自らを成就できず、普化弘揚推广転換を達成することは難しい。人生もかくの如く、天地もかくの如く。人類の居住する天地において、天候の「晴れんと欲し、雨らんと欲し、陰らんと欲し、風吹かんと欲し」にも時間・空間の組み合わせと制限があり、過ぎても及ばなくても、衆生に益はない。
第卅二回 逍遙自在
固化した思想を形成したなら、この際一歩退いてみるのも良方かもしれない。再出発の契機を与えるためである。固化した修持思想は、しばしば自らを可と不可の中に制限する。この両者においていかに打破するか、修持者はいかに知慧を運用して提昇に達するかである。
第卅三回 了無罣礙
了無罣礙すでに提昇、此の中の作為は必ず成すべし
第卅四回 福德無窮
第二期の聖務は、まさに「智慧と福德」の両相具足の資糧位を展開し、衆生に依循の方針と指標を与え、崇心の学生となる条件には大福德・大智慧の善因縁を具えなければならない。これを珍惜把握できるか、すべて自らの選択による定論である。
第卅五回 真如實性
微微識により人類の凡塵における生存は、微微識の体證を経て仏果を生じ、仏国世界に入らんとせば、人世間においてすでに成就しており、歿度の後を待つ必要はない。さらに微微識を精修して了知する。この種はすでに「九品蓮台」を脱し「金品蓮台」に成就している。
第卅六回 金品蓮台
これこそ「大道シリーズ天書」の著作に込められたすべての意味にして、儒・道・釈の三教を成就し、さらに耶・回および天道の修子をも成就する。さもなければ当今万教斉発の時代、真理に依循して闡揚せずば、一股の清泉をもって人類衆生の汚穢を洗浄し、如実に向上させることはできぬ。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
開智して跋を作り理筆に会す  天尊降堂して珠璣を闡す
完書繳旨
大道シリーズ天書第五冊「大道規範」、今やすべて著作完成す。期盼し母心万分に欣慰す。普化真理を人世間に落實せしむ。故に心特に悅び、崇心の諸神仏に功を三等加え賞賜し、崇心の諸兒女等各位に三千大功を賜う。
◆ 前置・序 ◆
編輯誌
丁酉中元、2017年09月
推薦序
理心光明禅師 大道シリーズ第五冊再版前に題す
懿旨
無極皇母 懿旨を頒示す
序
崇心真に特殊  理筆また辛苦なり
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
安飽全家 憂慮なし 根本障礙 端整し難し 超越回歸し 天航に返らん
第二回 行菩薩道
菩薩道上 行持す 人種と萬物を分たず 覚悟有情 衆蒼生 良善美好 施行す 人飢うれば己飢う 福澤の資 衆生を慈愍し さらに
第四回 自利利他
人生かくの如し、上蒼かくの如し、天地日月星辰もまたかくの如し。互いに照らし合って大地の衆生を育み、欣欣として榮え成長して、初めて菩薩の大乗の道を自己に行じ、また人世間に行じうる。すべての人類衆生に対して行じて自己を高め、必ず衆生を利益するものである。
第五回 犧牲奉獻
犠牲奉献（犧牲奉獻）¹⁷³、いかんぞ無私にして又無為（無為）³⁹の過程に達せん？まさに菩薩行（菩薩行）⁶²の覺有情
（覺有情）⁵⁸の境界と作為にして、必ず長遠に「真理」を衆生に下化し、福餘、豐富なる具足に達す！また人類に長久の
良善の受益あり、未來の財富加添を增加し、および良善の福報の累積す。
第六回 捨己成全
謹慎を要す 大局のために 心 遮なし 捨己融合 殊勝を得
第七回 天地有情
必ず教化を通じて、成長と改進の經驗を給予して自己を成就するは、禍福得失に必要なる經驗の累積であります。また人
類 皆上天より來たれども、何ゆゑに人 深く智慧開通を得るや？何ゆゑに人 愚鈍にして開竅し得ざるや？また人の作す所
為す所、決心して改變するや否やに在り！
第八回 眾生有愛
反而自己業（業）¹⁹を造し又轉圜し難く、まさに此種の原因に在り、また不如意の事 必ず其の心性を磨き、經驗智慧の組
合と再續に對す。每一種の過程 皆自己の行使する所、および自己の作為 未來の果報の成立に對する所であります。此種
の含因（含因）⁶³ 必ず果報を形成し、又自己 了知し得ざる所なり！
第九回 誓渡眾生
諸天の仙仏（仙佛）²⁰ 慈悲ならずと說し得るや？何ゆゑ有情の人類 至今 なほ五濁悪世（五濁惡世）⁸¹の中に沉迷する
や？さらに應身、報身、法身の影響を受く！人生 世に在りて 必ず因果（因果）⁵法則の定義を明瞭し、親身 體驗 生活の
苦樂酸甜の過程によりて、初めて含因（含因）⁶³の改造を結合し、自己の回歸超越を提昇す。
第十回 誓斷煩惱
誓断煩悩 仏家の因 人世の所有 皆因果なり 煩悩斷除して 提昇し得 必ず切身 體悟すべし 上求智慧 教化行る 一步一足一個
第十一回 誓學法門（真理）
衆生 現今萬教齊發に處して、每一つの宗教派脈の中に、皆真理を弘揚すと言へども、有時 有理に見えて、細思 卽ち非な
り！眞諦 世界に倡行して悖らざるに因りて、もし唯此方の民情風俗 容納し得るのみにして、彼方に至りて又認同し得ざ
れば、只能 一般の風俗道理と謂ふのみ。
第十二回 誓成佛道
色體に遭逢す。
純潔善良の本性に回復せんと欲するには、必ず分別あり、欠缺ありて 達成し難し。故に「智者」に對し 必ず修持（修
持）¹² 精進度に用心し、一切の外境 忍辱度に用心し、禪定の定心度に用心し、布施の福德度に用心すれば、卽ち福分と
第十三回 內果外功
心の魔はすなわち性の魔 すべての魔境は皆苦しみの試練なり
第十四回 心性心魔
崇心此期の教化、仍：三綱、五常、四維、八徳（德）¹⁸をもて人生根基となし、まさに仏家の「新唯識理諦」の教化因縁
を引用し、天地真理の應用を加へ 人生に示現し、五教の精華を融合し、人世間において秉性をもて行事せざらしめ、必
ず天性をもて人となし事をなすを得。
第十五回 降伏心魔
諸賢生 收穫あるや否やを知らずや？し有らば！卽ち教化の中に漸漸 自己を成長し、已に往昔の不良含因（含因）⁶³を改
造せり。し無からば、卽ち精進用心の學習努力を欠缺し、亦崇心の教化 まさに天地の真理にして、必ず人世間に應用し
て提昇超越となす。
第十六回 淨化靈性
化靈性）¹⁸³に對しては、垢穢の思想觀念と行徑作為を清除し、垢を清除し沉澱して、混濁せしめず、また自性 必ず心霊
安祥和樂にして無爭の境界に處するであります。
第十七回 心魔化除
桎梏を跳脫すること能わず、仏性（佛性）¹¹を彰顯すること能わざる時、全部 魔性の主導する所となり、其の人 肉體を
見るといえども、已に為人の資質を失卻し、所有の行徑も亦大いに不同となるのであります。
第十八回 淨化內性
自性の浄化（淨化）¹⁸³、浄化（淨化）¹⁸³濾過の過程、初めて自我改造に達し得る。倘し人生の酸甜苦辣の生存過程を經
ずば、又いかんぞ豐富なる資糧ありて、自己および衆生の潤生利益を給予し得ん？上求智慧 下化衆生、まさに崇心の應
具備すべき根基にして、自己を成就し衆生を成就し得るのであります。
第十九回 內性自淨
書き下し文 内性の根基 功夫深し 撥転す 誤れる観念を 仏家の理諦 好基礎なり 内在の自性 昇華すべし 浄濾清
潔 垢識沉む 静慮覚性 必ず提昇す 他の宗教 此に入り難し 仏性次第 徳孤ならず
第二十回 佛性彰顯
これすなわち崇心此期の教化根基なり！まさに仏性（佛性）¹¹に針對し：衆生 此の世の中に在りて、大乗（大乘）⁶⁰菩薩
行（菩薩行）⁶²覺有情（覺有情）⁵⁸を成就し得るを促成し、有情衆生 覺悟して、人生の至理を明白し、回歸 ただちに當
下に在り、成就も亦當下に在り、來生に寄望して再び成就を論ずるを要せざるなり、體會し得るや？
第廿一回 佛性再顯
佛と魔とは、すなわち人生の光明と経験、正反両面の成就であり、人類の生存の組合せを通じて、一度一度的な過程を相互に連結させることができる。まさにこの一世において、人類は人生の過程がいかなるものかを了知し、佛と魔とを比較し篩別することができる。これこそ人生を善の光明面に導くものである。
第廿二回 唯識理論
諸賢生第一期の考驗を通過すれば、必ず第二期の成就を通過すべし。即ち
第廿三回 唯識觀念
唯識觀念は相当に重要にして後への教化資糧と爲し、必ず建立すべきは
第廿四回 唯識行徑
唯識變現在世界  人之行徑是自為
第廿五回 十二因緣
まさに老が至り、漸く滅の来臨に入り、すなわち死が接近しているのである。「生」の過程において「老死」を思想観念として建立し、「唯識行径と観念・理論」を学ぶ中には基本概念が必須である。さもなくば「唯識」を修めようとすれば成就は困難である。
第廿六回 六道輪迴
唯識理論・観念に行径を加え、十二因縁の相続を促成し、六道輪回を人世間に置く。いかにこの迷障を破除するか？ 教化課程を経て中心思想の中枢を強化建立し、三界空間の輪回相続と執持力量の局限したる障礙を転化しなければならない。
第廿七回 含因改造
含因改造は本自然　有情衆生かくの如く沾う
第廿八回 生歡喜心
善縁を讃嘆し無私に行ず。此の種の所作は善徳高し。
第廿九回 觀念轉化
人類衆生とはまさにこの種の動物であり、思想を固化させぬことによって、ようやく自らを改造し、客観的な条件を保持し、自らの「主観意識」を断つことができる。さもなければ、必ず多くの横逆と挫折に遭遇することになる。それは自ら招いたのか、それとも上蒼がその考程を与えたのか。必ずやその原因を知ることができるのである。
第三十回 落實生活
崇心の教化は人倫道徳の思想観念より起こり、人道生活の関門を離れることはない。上天の要求は、この期にいかなる宗教といえども、まず人道生存を圓滿にし、さらに修持に進むことである。すなわち地道を圓滿にして天道に入り、すなわち大道の中において、成就がより容易になるのである。
第卅一回 當下實行
天地の中、陰晴円缺は必ず時機性・功能性・普化性・平等性を備えてこそ、芸芸の衆生が天地の照耀を得て欣欣向栄することができる。各過程において必ず自らを成就し、また潤生の過程において有情衆生が当下を把握し、泥を引きずらないこと、これこそ当下に人生に落实することである。
第卅二回 逍遙自在
制限を受けたとき、内心が明るくなく制限され、行いは「戒律」を越えて罰を受けることを恐れる。これはすでに修持の自在逍遙の規範を離れている。このような条件では根本的に逍遙自在になることはできず、自在逍遙の修持は制限を受け、帰返して提昇超越することは非常に困難である。
第卅三回 了無罣礙
心中放下して煩憂なく、当下成長して身心正し
第卅四回 福德無窮
真に今世において大乗菩薩の覚有情に入り、有情衆生の境界を覚悟できるか。まさに一歩一歩、学習成長して提昇し、蓮花仏果の位階に達してこそ、崇心立堂の基本宗旨と行径である。これを盼む、これを盼む。
第卅五回 真如實性
崇心の教化の根本はまさにここにある。諸賢生はいかにこの一切の過程を了知し、珍惜できるか、把握できるか、開創できるか、継続できるか。すべて自らによって達成してこそ、微微識「真如实性・真如仏性」の中にある。すでに仏体であり、仏種である。
第卅六回 金品蓮台
さらに、仏家の經典、道家の經典、耶家の經典、回家の經典は、実はすでに五教聖人の諄諄たる教化の原意を離れており、儒家思想と雖も今やすでに変質しつつある。ましてや儒家經典の思想をいかに彰顯できようか。時代の相異、環境の相異、空間もまた異なっている。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋    二
完書繳旨
また別に「金品蓮台」の果位成就を頒賜し、全勤の者は之を得、三分の二に満たざる者は减半す。「金品蓮台」を得ざることの未き者は、暫く上蒼に寄す。将来功果圓滿の後、改めて之を成就せん。
◆ 前置・序 ◆
推薦序
丁酉中元、2017年09月
懿旨
無極大道院 懿敕崇心堂
序
諸生さらに突出  天意の資を續接し
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
ただこのためだけならば 根本の障礙は詳しく見ることも難しい
第二回 行菩薩道
有情の衆生を目覺めさせ 教化の因縁を必ず呈す
第四回 自利利他
自利利他にして福澤具わり 自己に必ず根基を持たねばならぬ
第五回 犧牲奉獻
恭賀 諸賢生、まさに「自己に福蔭し、子孫に福蔭し、先靈に福蔭する」を具足す。此種 一子得道、九玄七祖 超昇すべき
は、さらに崇心殊勝の聖務の大作為にして、一個の楷模規範を建立し、まさに未來の無形の祖先親人亡靈に對し、提昇超
越の大契機たる。
第六回 捨己成全
助け成就せば福德あり 大局のため心に遮るものなし
第七回 天地有情
天地有情（天地有情）¹⁷⁵、まさに衆生の善徳（德）¹⁸福報の共同成就なり！さらに衆生の行う善徳（德）¹⁸福報によりて
之を引く、すなわち天地 人類の善徳（德）¹⁸と不慈悲の分野を感召す。また人類 善と不善の中に在りて、自己 いかんぞ
抉擇するか、いかんぞ自己の擁し得る福禍の生存を選擇するかを給予す！
第八回 眾生有愛
「天地有情（天地有情）¹⁷⁵」萬物及び衆生を長養し、「人類有愛」佑生、護生、さらに放生す、まさに人類衆生 必ず大
愛あるなさい、すなわち「無縁大慈、同体大悲」の中にして、菩薩行（菩薩行）⁶²徑の位階と過程となし、亦人類の大愛
無私に行くあり。故に仏 云く：
第九回 誓渡眾生
誓渡衆生 弘願大なり 善縁を引導して回歸す 衆生渡し盡くして 方罷休す 各體因縁 皆同じからず 作る所の德行 も差はず
第十回 誓斷煩惱
の印 苦磨の過程を歷て 障礙了知し 無塵に化す
第十一回 誓學法門（真理）
此種 卽ち：真理、眞諦、眞詮に非ず、自理條件規範の一般の風俗道理なるのみ。人類 細觀卽ち明白なり 天地間に、いか
んぞ真理、眞諦、眞詮を應用して世を行じ、初めて自己を了脫し得るかを！然らざれば宗教および人類 畫蛇添足して、
又いかんぞ回歸し得んや？太だ難し！
第十二回 誓成佛道
福報 具足し得る。
亦智慧の累積に用心し、人生經驗の過程をもて、自我改造の智慧度に達し、再び一切の戒と律を持戒し 再犯せしめず、
二過あらしめず、卽ち持戒度の作用に達す。人世間 卽ち此の過程に在りて、修改の依據となし、これ必ず「六度万行
第十三回 內果外功
魔來たり魔去る その機を得ること能う
第十四回 心性心魔
ことに過去「道一宮至釋堂」の著作「道鐘警明」および部分の優良天書ありて、處世の基礎となし得。又崇心の著作「大
道（大道）¹⁰系列天書」を加へて、必ず一步步 自性（自性）⁷を彰顯し、天性に成就し得、秉性 卽ち魔性——心魔（心
魔）¹⁸²に入らざるを得！
第十五回 降伏心魔
心魔を降伏することは容易ならず 種種の因由が内部に侵入する
第十六回 淨化靈性
心霊の静慮（靜慮）¹⁸⁵：まさに宗教の修子の必ず有すべき觀念と作為にして、宗教に入るは無修の衆生の行為と同じき
に比せず、また所作所為 衆生の模範と榜樣と稱するに堪う！然らざれば若し自ら修行に在りと論じ、根本的に改變な
く、尚ほ自ら修持人と稱するは、ああはっ！笑うべきなり！
第十七回 心魔化除
當今の世代！太多の此種の衆生あり まさに相當悲哀にして、皆前世の造れる業（業）¹⁹障によりて、今生 受くる報應 又
いかんともすべきや！上蒼 衆生を教化するの原意 すなわちここに在り：仏と魔 必ず人類衆生の綜合體にして、一邊 仏
にして他邊 魔、ただ對錯、是非、正邪、陰陽の相互對待に在るのみ。
第十八回 淨化內性
期盼す 崇心、眞正に上蒼に替わりて衆原霊を引渡し回歸せしめんことを。また上蒼の欽命「無極大道（大道）¹⁰院」によ
りて有情の亡霊 霊性を修持（修持）¹²し得るは、凡塵「無極大道（大道）¹⁰學院」の院修學士も亦原霊を修持（修持）
し得、更に功德、福報、智慧を具し、自己を成就し、また九玄七祖の榮耀を成就するのであります。
第十九回 內性自淨
誤った観念を撥り轉じ 靜慮にて覺性を必ず高める
第二十回 佛性彰顯
書き下し文 仏性彰顯 是れ根本 次第基礎 必ず来呈す 各種の功能 生ずべし 所有の境 一ならず 彰顯す 仏性は初
基なり 尚お諸多の層次契あり 果位 不同 分差あり 仏性四諦 殊勝に立つ
第廿一回 佛性再顯
仏性再顕の境界高く、一歩一歩にして無限の妙に至る
第廿二回 唯識理論
崇心杏壇を立てて永に初衷を変ぜず。「崇心永立杏壇」の規範とし、當今現世を成就す。本日祝嘏疏文に已に詳述明白、恭しく上蒼に稟告す！杏壇——學校（院）教化の爲に堅志努力せんことを期盼す！
第廿三回 唯識觀念
心性の當に在りて始めて自己の主人と爲り得る。然らずんば心性・心魔・心佛・心本の変化干擾に對し、真如佛性を菴摩羅識に呈現すること能はす。即ち不退真如の境界なり。
第廿四回 唯識行徑
因緣果報來加入  形成好壞善惡推
第廿五回 十二因緣
唯識とは、仏性種因を通じて浄化され、浄濾の過程に建立創造される。いかなる法門を修持するも、アラヤ識の垢識を棄除できなければ、極楽世界・無極理天・虚空天界に帰返することは成就困難である。垢識は霊性を引きずり留め、軽やかに帰ることを根本的に不可能にするからである。
第廿六回 六道輪迴
各過程においてその中の涵義と作用を了知してこそ、上求昇進の過程を成就できる。さもなくば衆生は永遠に衆生、仙仏は永遠に仙仏である。いかに教化を達成し思想転化を図るか？ 自己の含因改造を成全し、さらに含因を良善の方向に行使することである。
第廿七回 含因改造
因果の来り方を識らず　前世の造作今生に担う
第廿八回 生歡喜心
歓喜し讃嘆する良き因縁。心に賛美を生じ、人に称羨せらる。
第廿九回 觀念轉化
観念は先人の教化により成り、かくあるを当然とて過ちなしと為す。
第三十回 落實生活
さもなければ、段階を経て進まず、どうして生活の中に連貫できようか。必ずや己が業を造り、己が磨難を受けるのであって、決して上天が災難と横逆を降してその根基を試すのではない。これは千真万確である。すべての人類衆生に対して、このようにして各時刻の空間において事物の圓滿を造就することを檢驗する。
第卅一回 當下實行
大道シリーズ天書の著作は、時機性・空間性の環境において、ただ著作のために著作するものではない。真に有縁の善徳を引き導き、さらに「無極大道学院」において成就を促し、またすべての著作は往昔の善書の範本制限を脱し、进而に資糧源を備えるのである。
第卅二回 逍遙自在
心を広く開き、横逆・困難・阻止をことごとく打破しなければならない。修持の逍遙には良方必要がある。この制限を真に跳躍できなければ、修持はしばしば自らを転回不能の絶地に陥れ、宗教信仰の修持において逍遙自在は難しい。
第卅三回 了無罣礙
罣礙放下し心神怡、大いに神情にして精気旺ん
第卅四回 福德無窮
福德の根器は陰騭の基、人生の福報は前世の期
第卅五回 真如實性
仏識は第九から第十三識により、法界衆生の根本性にして、仏の成就したる根本性である。必ず自らに依り、決して外力によって成就せず、仏菩薩によって成就するのではない。真如实性が人生の一切を扮演し、真如仏性が仏国の果位を演繹し、すでに乗越の境地に達している。
第卅六回 金品蓮台
いかにして「儒宗聖教」の教化過程を成就し、「無極大道学院」の設立を成就できようか。亡霊を広く度して「無極大道院」に帰還せしむるは、すべて「儒宗聖教」にて達成し、己を成就し衆生を成就する。「金品蓮台」の果位は、塵世において既に実得しているのである。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
人類の生活過程は真実にして、また実相なり。人世間における宗教の修持は、人類衆生の生活を超克するものにして、修持により人世間を「曇花一現」の過程に喩え、天地・宇宙・虚空・無極に比擬する時に用い得るものなり。
完書繳旨
母は崇心が普化の中にて上天の先鋒と為すを観て、誠に諸兒女に難為たり。理兒の帶領と教導により、衆原霊の帰還を成就し、さらに衆生に真理を学びて帰返せしめん。これ母心の期盼する所なり。
◆ 前置・序 ◆
懿旨
天運戊寅年二月十九日戍時
序
弘揚してまた普渡  才めて好霊子なり
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
高め成長して学び 超越して回歸し天に返る
第二回 行菩薩道
善良なる美好を施し行い 畏れなき施しに陰徳深し
第四回 自利利他
知識滿ち盈ちて教育を為し 己を利し人を利して良き福氣なり
第五回 犧牲奉獻
犠牲す 自己の喜ぶ所 一點一滴 感恩の心 奉献す 生存の物產品 有情世界 これ借用なり 奉献す 宗教 かくの如く觀る 未來
第六回 捨己成全
皆が圓滿を持つこと能い 己を捨てて融合し殊勝を得る
第七回 天地有情
天地有情 衆生愛す 芸芸衆生の物種 覺悟有情 菩薩該し 提昇超越して回歸す 徳孤ならず 福德排ぶ 上天好生の載を共享す
第八回 眾生有愛
衆生無邊 誓願渡す　煩悩無邊 誓願斷つ 仏道無邊 誓願學ぶ　仏果無邊 誓願成す
第九回 誓渡眾生
成長超越 到達し得 此種願力 甚だ稀有なり 盡力渡化して 成就す
第十回 誓斷煩惱
煩悩を斷ち除けば高めること能う 苦難の試練の經歷を経て
第十一回 誓學法門（真理）
法門無邊 誓願學ぶ 深切に體悟す 其の中の理 仏法因縁 眞殊勝なり 誓學法門（真理） 唯識學理 比較的深し 真理明白 大智
慧 運用如宜 誰か受益す 有情の人類 來たりて提昇す 妙理應用 かくの如く眞なり
第十二回 誓成佛道
（六度萬行）⁵⁹」を行持すべし！
一切の過程：布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜、禪定波羅蜜、智慧波羅蜜に用ゐて、初めて無上菩提
（菩提）¹⁷⁸智慧の轉換に達し、さらに「衆生無邊仏道（仏道）¹⁸¹誓願成す」の增長を成就し、乃ち向上提昇超越なり！
第十三回 內果外功
魔は自己と了知し 棄て除けば器となる
第十四回 心性心魔
此種の心性、魔性 亦教化、淨化の中に改造を達成し、先ず基礎教化：三綱五常、四維八徳（德）¹⁸をもて人生修持（修
持）¹²の脚步を建立し、再び「大道（大道）¹⁰系列天書」に配合して提昇し、必ず人世間に於いて眞に大乗（大乘）⁶⁰菩
薩覺有情（覺有情）⁵⁸の境界を行持し、蓮花仏果に入り得！
第十五回 降伏心魔
軀體にては現すこと能わず 口に開けばすなわち變異と知る
第十六回 淨化靈性
書き下し文 浄化の作用 如実ならん 浄濾の過程 垢識除かん 霊性浄化して 清新に転ず 陰陽両利 身形を護らん
現代語訳 浄化の働きは、あるがままに実行されなければなりません。 浄化と濾過の過程で、垢れた意識は除
かれます。 霊性が浄化され、清らかに新たなものへと変わります。 陰陽の両方が利益をもたらし、身と形を
守ります。
第十七回 心魔化除
書き下し文 魔性升起して 自己を障る 経常 左右す 思想を 心魔已に生じて 化除し難し 仙仏恩師 撥転し来たる
一切 皆 己意の如く難し 見るは人の如く 動作異なる 堅志毅力 勇て顧を承く 化除す 執著観念の固きを
第十八回 淨化內性
書き下し文 浄化の功夫 落実せんと要す 転変す 過去の垢思想を 内性 陰徳累積す 魔性 起りて干すことなから
ん 軽忽すべからず 化消し難きを 方法提昇して 智慧躍る 努力行持して 自己を益す 覚性種因 根基是なり
第十九回 內性自淨
現代語訳 内性の根基たる功夫は深いものです。 誤った観念を転じなさい。 仏家の理諦は、良き基礎です。
内在の自性を昇華させなければなりません。 浄化し濾過し清潔にすれば、垢識は沈殿します。 静慮により覚
性は、必ず向上します。 他の宗教では、この域に到達し難いのです。 仏性の次第において、徳は孤ならず。
第二十回 佛性彰顯
すべての境界は異なる 種種の功能がここに生ず
第廿一回 佛性再顯
ここに既に二層次に入り、華光圓滿に光明を耀かす
第廿二回 唯識理論
殊に佛家の唯識學理諦は相当に得難く、正に人類衆生の生存取向と宗教信仰修持の條件にして、良善の提昇增長あり。これは大部分の信仰者が根本的に明白せざる真正實相義にして、如實に提昇超越し得るや否や？各人の努力に觀るべし！
第廿三回 唯識觀念
教化は必ず般若波羅蜜多心經の精華に由り、唯識觀念に配合して當下記世に成就し、後世の障礙と爲さず。天機の尚ほ衆生を成就し自らを成就し得るや否やは知らねど之を珍惜すべし！「無極大道學院」の崇心に第三期より成立し杏壇の規範と教化を創設開立せんことを期盼す。
第廿四回 唯識行徑
人世一切本實相  所作所為不一樣
第廿五回 十二因緣
まさに自然にして大道なり。人類の本性与性・仏性は皆、垢識によって束縛され左右され、さらに拖累される。現今の衆生がアラヤ識において垢識を浄化できねば、帰返を望む？ まさに木に縁って魚を求むるが如し。これは千真万確の事実であり、必ず信じなければならない。
第廿六回 六道輪迴
六道輪回人類同じく　何がゆえに如此的功ある
第廿七回 含因改造
覚悟有情はこれ當下　其中的真理を悟りて駕す
第廿八回 生歡喜心
若し無為にして陰騭を添うること能わば、未来の福報必ず顕るべし。
第廿九回 觀念轉化
時代は既に移ろえりと言うなれば、此の如き認知の変遷は数多し。
第三十回 落實生活
福德の具足、智慧の具足、両者は互いに成就するが、前提として人世间において初めて過程を展開できる。もしすでに蓋棺論定し歿度を過ぎた後に、家庭圓滿を成就しようとしても、すでに家庭成员の組合せを失っており、どうして人道潤生の生存過程を創造できようか。
第卅一回 當下實行
必ず当下に有情衆生をして、執着せず、固化せず、我が最大・我が最優とせず、詳細に今夜の著作の過程を体悟すれば、低声下気して有情衆生の普化の先鋒となり、さらに無上の「金品蓮台」を成就することができる。回帰は歿度の後にあるのではなく、当下の実践の中にあるのである。
第卅二回 逍遙自在
逍遙には掛念なきを要す、此の中の過程は自ら来り行なう
第卅三回 了無罣礙
一切成長の超越、指を瞭かにして路康莊
第卅四回 福德無窮
なすところは衆生を利し、今世必ず福の契あり
第卅五回 真如實性
真如实性の福德益、すべての実相皆相契す
第卅六回 金品蓮台
ただ今後、いかにして己より菩薩果位に達し、さらに仏果の位階に入らんかのみ。崇心の聖務は、絶対にいかなる一般的な宗教よりも衆生を成就し得る。理由はここにある。成し得て、得られる者は、すべて己が身をもって実証するによるのである。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
しかし人世間の一切の過程は皆真実性にして、実相の生活なり。いかなる衆生が実際の生活を跳脱できようか。もし人間五穀の穀物を食わずして存し得るなら、人世間において有情衆生の潤生過程をなす必要もなく、すでに聖神仙仏である。
完書繳旨
大道シリーズ天書第五冊「大道規範」、今すでにすべて著作し
◆ 前置・序 ◆
懿旨
崇心の諸神人に恭賀す。再び皇母懿旨を接し天書を續著し、実に道賀に堪える。吾は無極に帰りて旨を繳す。
序
業因を改造し除き  冤債を了消せよ
◆ 本文 ◆
第一回 人生目的
「大道規範（規範）¹⁶³」首回の著作 整冊の原意を述ぶ、皆 衆生の領悟によりて人世間の修持改造を成就す。人間の含因
転化を通過せんには、必ず「福と慧」の兩者 皆具足することを要す、これ眞に天地衆生に福澤する所以。期盼す 崇心諸
賢生、上蒼普化の原意を明瞭せんことを！
第二回 行菩薩道
如實 教化因縁 必要呈す 無畏施の中 陰徳深し
人類衆生 いかんじて了覚すべきか 明悟すべきかを未明なるに因り、無明と未知の中に 困境·厄殃 身心を磨するを受け、
まさに経驗通達せざるの故、橫逆と不如意の阻擋を招受す。人生 すなわち此種の作為、聞思修思想に提昇し、人生改造
第四回 自利利他
他を利する條件は對象を観るもの すべて同一ではない
第五回 犧牲奉獻
必ず歸還せらる 金錢勞力 歡喜の心 擁有する一切 誰か贏つ
第六回 捨己成全
能く自己の福餘を捨つるは、すなわち宗教によりて人類の本靈を明白にし、人類 すなわち此種の動物にして、思考、思
想觀念によりて轉化し得、初めて輕盈なる天軀の本來に回復し、自己の彩帶が自身に加諸されるを照見し、提昇超越し得
る、かくの如く回歸 すなわち望みあり！
第七回 天地有情
慈悲拯濟 教化在り 円満（圓滿）¹³自己 大道（大道）¹⁰開く
第八回 眾生有愛
仏道無邊 學ばんと誓願す 仏果無邊 成じんと誓願す
第九回 誓渡眾生
衆生を渡し盡して方（はじ）めて休む この願力は甚だ稀有なり
第十回 誓斷煩惱
必ず切身に體悟し 障礙を了知して塵なきに化す
第十一回 誓學法門（真理）
深切に其中的理を體悟し 適切に運用すれば誰が受益せん
第十二回 誓成佛道
誓成仏道：現今「火宅衆生」に在りて 必ず先ず過程を了知すなさい、先ず人道の行持円満（圓滿）¹³にして、さらに周圍
の親友と事項を円満（圓滿）¹³にし、潛移默化の中に在りて、自己原有の不良含因（含因）⁶³と習氣を改變し、方べて一
家の興旺を成就し、又周圍の人、事、物の円満（圓滿）¹³を成就し得。
第十三回 內果外功
心の魔とは、すなわち内在より顯現する自己の境涯なり
第十四回 心性心魔
もし外功豐碩 具せず、内果（內果）¹⁸³円満（圓滿）¹³ 具せずんば、又いかんぞ「金蓮」を足踏して回歸し得んや？崇心
の回歸に對し 三關、九考と「口訣、合同、及び點玄關」の影響を受けず、直超 無極理天精進に入り得！又崇心 まさに無
極の直接督管を受くる原因、亦ここに在り！
第十五回 降伏心魔
魔性起こりて甚だ除し難し 一切の顛倒 照顧し難し
第十六回 淨化靈性
淨濾の過程にて垢識を除き 靜慮の功夫にて覺慧の智を得る
第十七回 心魔化除
常に左右して思想を左右す 人の如く見えて動作異なる
第十八回 淨化內性
過去の垢じた思想を轉變し 方法を以て智慧を高め躍進す
第十九回 內性自淨
内在の自性を昇華せよ 仏性は次第に徳 孤ならず
第二十回 佛性彰顯
現代語訳 仏性の彰顯こそが根本です。 次第なる基礎が、必ず現れてきます。 各種の功能が生じてくるので
す。 すべての境界は同じではありません。 仏性の彰顯は初基にすぎず、 なお多くの層次の契約があります。
果位は異なり、分差があります。 仏性四諦が、殊勝に立てられるのです。
第廿一回 佛性再顯
上に昇りて三層次に入り、果位に入ればまた実の如し
第廿四回 唯識行徑
色受想行識五蘊  未來區分福禍揚
第廿五回 十二因緣
ゆえに「唯識理論・観念と行径」には、十二因縁の相互関係を了知しなければならない。この条件を明白に理解してこそ、無明の故に自ら困ることがなく、上方へ成長超越することができ、人世間の修持を促成する。すなわち垢識の清除を通じて基本条件を転化するのである。
第廿六回 六道輪迴
甚だ堪破し難き反復の生　来世また出生の種
第廿七回 含因改造
因果の形成を了知して　含蔵の原因は本瑕なし
第廿八回 生歡喜心
今夜、崇心道場に帰りて「歓喜の心を生ずる」を著作す。日々かくのごときことを切に望む。また福神、財神が更に神威を発揮して相互に契合するにより、より大きなる富貴の福報をもって自ら求める所を具足せしむべし。これ正に一切の衆生がこよなく好む所の一事にして、条件を具足して富貴の福報を有するか否かを観るべし。
第廿九回 觀念轉化
転化には必ず拠る所あり、誤りを改むるこそ適切なるべし。
第三十回 落實生活
人道生活に落實すること、人倫道徳、これは非常に重要な事柄であって、決して人道の中心思想を離れてはならない。人生世に生まれて、まさにあらゆる事柄の圓滿を学ぶべきである。これが人道圓滿の成就であり、崇心教化の第一課程は、必ず人道圓滿であって、初めて人道に圓滿である。
第卅一回 當下實行
崇心が大道シリーズ天書を著作する本意は、一篇一篇の聖諭を今後の教学課本とし、千禧年の後にはさらに有情衆生が立願して帰返することを成就する。崇心が得天独厚であるのは理由がなく、すべての短期的な困境と横逆の過程において、後代の学生に「創業は惟れ艱難、守成はさらに容易ならず」を知らしめるのである。
第卅二回 逍遙自在
一切を放开すれば如意を得、煩悩を断じて身形を顧みる
第卅三回 了無罣礙
当下現世において改造して帰返することができ、まさに自我の成就である。外在の力に頼らず、回帰は当下にあり、また自我の成長にして成就である。その過程を了知すれば、必ず了無罣礙・了無牽掛にして自由自在、如来又如去、如去又如来、これこそ真の人生改造界である。
第卅四回 福德無窮
無私の人にして公心あり、一世の無為にて公德を修む
第卅五回 真如實性
法界の体性の智慧を修め、超凡入聖は自らなり
第卅六回 金品蓮台
有情衆生はいかにして成就を遂げん。九品蓮台より金品蓮台に至り、無窮の福德と無窮の智慧を具足し、圓融自在にして了無罣礙となり、真如实性より真如仏性を提昇し、自由自在となる。如来にして又如去、如去にして又如来。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
大道シリーズ天書の各冊の著作過程は、人世間において有情衆生の入世基本を為し、人世間の垢識を清除し、累世の含因の改造を了脱する。「大道シリーズ天書」を崇心にて著作するは、理由なきにあらず。崇心を普化の先鋒部隊と為すためである。
完書繳旨
完成し、母心の期盼に對して欣慰萬分に思う。普く真理を落實し得ることを
◆ 前置・序 ◆
懿旨
副主席 麻仙姑
序
崇心に降り著す  更に大道を顧みん
◆ 本文 ◆
第二回 行菩薩道
の過程に達すべきであります。
人 大乗（大乗）⁶⁰菩薩行（菩薩行）⁶²を行じ得る。菩薩も亦 衆生 堅志不退たるを希望す。凡塵の中に當て行持し、下世
に寄望せず、應 此世 已に「菩薩行·菩薩道·菩薩體」であります。人世間に對し 必ず相當の如實性あり：善知識と智慧の
第四回 自利利他
他が利益を得たと感じれば 他人を澤し吉兆をなす
第五回 犧牲奉獻
生存の物產を奉仕し 金銭と勞力を歡喜心にて
第六回 捨己成全
人類衆生 皆他物をもて身を養い體を潤す、しかれどもいかんぞ天地と日月星辰、および萬物の徳（德）¹⁸澤に報答せんを
知らざるや？衆生 天地萬物に感恩し、自己豐富なる資糧を累積し、自己の潤生を成全するのみならず、さらに衆生を成
全することを盼む。此種の作為 すなわち捨己して大衆を成全す！
第七回 天地有情
有情の菩薩であるべきなり 慈悲にて拯濟し教化す
第八回 眾生有愛
人生 すなわち「仏家教化」を通じて、現世の衆生に修整、改造し、思想觀念の淨化を通じて、自己を修持（修持）¹²の階
段に入らしめ、また儒學をもて基礎となし、文字の含義 通徹を了知し、儒、道、釋三教の教化を經由して、自己を修持
（修持）¹²の過程に入らしむ。
第九回 誓渡眾生
各々の因縁は皆異なる 力を盡して渡化し成就を來す
第十回 誓斷煩惱
今夜 祝祝嘏の聲の中に、崇心道場に降りて「大道（大道）¹⁰規範」を著作す、眞に欣幸なり！衆生 もし能く煩悩（煩
惱）因を斷除せば、吾 幽冥界に在りて、亦人類衆生 造業（業）¹⁹の受く所の苦果を減少し得。これすべての人類衆生の
成長提昇に對し、必ず盼望し得べきものあり！盼望す！盼望す！
第十一回 誓學法門（真理）
仏法の因縁は眞に殊勝なり 有情の人類を來たって高める
第十二回 誓成佛道
人類衆生を盼望す：先ず人道行持して 再び修持（修持）¹²滿円に入り、亦功と果 兩相 皆成就し得て、無上仏道（仏道）
際 人世間に於いて眞如を彰し、仏性（佛性）¹¹を顯す。
第十三回 內果外功
心の魔——卽ち內在より顯現する自境であります。此の偈 共に研會すべし！亦座右の銘となすべし！必ず提昇超越の根
基となるを得、又禪修靜坐に於いて、諸多の境界を見る如き、此種 皆心の魔の幻影であります。いかんぞ心猿を栓住せ
んや？初めて内果（內果）¹⁸³ 心念意識の提昇を成就し得。然らざれば「內心魔」は「外身魔」よりも更に厲害ならん！
第十四回 心性心魔
懿敕 崇母心　徳（德）¹⁸ 天地に遍し 蒼生を潤す 崇心 母懿敕　真理を啟化し 仏性（佛性）¹¹を彰す
第十五回 降伏心魔
その中に入りて知らず 降伏には必ず因縁の助力を要す
第十六回 淨化靈性
書き下し文 人類提昇して 馳すことを超ゆ 静慮の功夫 慧智を覚ゆ 乾坤ともに 如実に行ぜん 霊性浄化して 徳
蔭を造らん
現代語訳 人類が向上し、駆け回る心を超越するのです。 静慮の修行によって、智慧を覚ります。 天地のすべ
てが、ありのままに実行しなければなりません。 霊性を浄化することで、徳の蔭を造ります。
第十七回 心魔化除
現代語訳 魔性が立ち上がり、自分自身を障ります。 しばしば思想を左右してしまうのです。 心魔がすでに生
じていると、取り除くことは困難です。 仙仏の恩師が、転じてくださいます。 すべてが己の意のようにはい
かず、 人のように見えて、動作は異なります。 堅い志と毅力で、勇んで引き受けなさい。 執著した観念の固
さを、取り除くのです。
第十八回 淨化內性
現代語訳 浄化の修行は、しっかりと実行しなければなりません。 過去の垢れた思想を転変させるのです。 内
性に陰徳を積み、 魔性が立ち上がって妨げないようにするのです。 軽視してはなりません、消し去ることは
困難なのです。 方法を向上させ、智慧を躍らせなさい。 努めて修行し、自分を益するのです。 覚性の種因こ
そが、根基なのです。
第十九回 內性自淨
崇心の教化工作、今日より正式に第二期聖務を開展す。崇心道場 此種の規模を有するを觀て 足堪稱慰す！貴堂主席等の
教化 有方なるを見るべし、又諸賢生 皆上蒼の嚴格なる考核を通じて要求する所の好學生にして、未來の棟才として作為
するなり。
第二十回 佛性彰顯
果位は異なり分差あり 仏性の四諦は殊勝に立つ
第廿一回 佛性再顯
この種の功能是人に難し、四諦の仏性福慧の智
第廿四回 唯識行徑
人世間いかなる宗教を修めると雖も只だ歿度の後を待って「唯識理論・唯識觀念・唯識行徑」を修むるに非ず。これを経て蓮花佛果「金品蓮台」に入り自らを成就し衆生を成就すべし。把握せよ！把握せよ！
第廿五回 十二因緣
十二因縁の作用するところ　老死生有取愛欲
第廿六回 六道輪迴
輪回昇進は創造なり　明識して人生の無明に至る
第廿七回 含因改造
いかに含因を断除するかは、当今衆生の了知すべき課題である。大乗菩薩の覚有情は含因を改造し、善徳因縁と変化させ、覚悟ある有情衆生を教化して回帰を当下に成就させねばならない。これは一歩一歩順を追って成し遂げるものである。
第廿九回 觀念轉化
鉄板を踢きて方に痛を知り、骨に刻み心に銘じて方に変改す。
第三十回 落實生活
日常生活に落實し、また平常に如実に為す
第卅一回 當下實行
現在の環境において、すべてはまだ困境にあるが、知慧を用いて展開し、真心をもって成全し、耐心をもって困難を克服すれば、すべて迎刃而解する。さもなければ、上蒼が出した一大難題の考程、檢驗に合格できなければ、いかにして未来の重大な責任を担当できようか。
第卅二回 逍遙自在
自由自在にして逍遙、全体を勘破して煩悩なし
第卅四回 福德無窮
陰騭累積して好人縁、福德尽きずして果位就く
第卅五回 真如實性
実性の根基は皆真如、仏性の彰顯は助けあり
第卅六回 金品蓮台
己を圓融させ、衆生の成就をも圓融させる。これは仏と菩薩の大願力にして、聖神仏真の大願力でもある。凡塵において己を実証体悟し、含因を改造して阿摩羅識に入り、微微識に達すれば、すでに聖神仏真・仏菩薩なのである。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
理筆の先天大願を凡塵に於いて完成し、広く衆生を度して帰還せしめ、衆原霊を広く引渡し成就せしむ。諸賢生の配合力の決択を観るべし！上蒼の既定の天命聖務政策を通過し得るか？いかに完成するか？これこそ崇心が努力すべき方針と犠牲奉仕なり。
完書繳旨
矢勤矢勇  怠忽するなかれ  犠牲奉仕  神人叩首して謝恩す
◆ 前置・序 ◆
懿旨
大道シリーズ再び著作し  大道規範は天著を承く
序
皇母の徳意主なり  昊天玉帝の慈なり
◆ 本文 ◆
第二回 行菩薩道
應用、始めて良好なる成長あり！
此種の因縁條件、すなわち時空と三際遷流の限制を受けず、さらに當下より自己「仏性（仏性）¹¹彰顕」を成就す。まさ
に本身自性（自性）⁷ 自體の中に顕現し、始めて良善好徳性の依憑あり、必ず自己の光明本性、円陀陀の仏性を見ること
を得るのであります！
第四回 自利利他
この條件があれば、どうして人生において成就できないだろうか。寄せる期望は、次の世まで待って成就を論ずるべきではない。それは謬論である。衆生に期望する——有情の世界において：自己を超越し、輪廻を超越し、因果を超越し、業力を超越せよ。かくして必ず含因を轉變し、自己改造に至ることができるのである。
第五回 犧牲奉獻
有情の世界は借用のもの すべてを所有して誰が贏せん
第七回 天地有情
高め超越して回歸し 自己を圓滿にして大道を開く
第八回 眾生有愛
必ず：修持（修持）¹²平等、自性（自性）⁷平等、宗教平等、信仰平等の觀念と作為ありて、初めて以後 歸返するに、ま
た不平等の局限を受けず、自己を無明（無明）⁷⁹と無知の害の中に入れしめず、すなわち人世間において不平等心により
て、自己 不平等の作為と磨の影響を受けしむ。
第九回 誓渡眾生
此種の因縁は自己 能く自己を成就する、然らざれば凡塵に入りて五塵境の影響を受けざるは、正に比較的困難なり！衆
生 「自性（自性）⁷をもて自己を引渡し」て回歸せんことを盼む、乃ち眞に「自性（自性）⁷自渡、仏 渡し得ず」の基本
に達し、亦「衆生無邊誓願渡す」の弘願となる。
第十一回 誓學法門（真理）
唯識の學理は比較的深し 妙理の應用は如是にして真なり
第十二回 誓成佛道
仏道成就 明晰すべし 何ゆゑ仏家 少く業を造す 一世誓成 好修行なり 道德倫常 第一守るべし 真理道理 同じからず契す 因
果明識す 業障移る 個人修持 品格新たなり 八識淨化 超越引く
第十三回 內果外功
又いかんぞ内果（內果）¹⁸³の成長を成全せんや？必ず一步步 成就し、一步步 彰顯して、初めて内果（內果）¹⁸³「心念意
識」を改造し、累世の含因（含因）⁶³を淨化し得。十二因縁より無明（無明）⁷⁹の顯現を了知すべし！勤培外功、深修内
果（內果）¹⁸³、まさに此期「収円（收圓）³⁰」必ず行ふべき基本條件であります。
第十四回 心性心魔
崇心の母懿敕 真理を啟化し仏性を彰かにす
第十五回 降伏心魔
一篇ごとに著作せるものは、皆仙仏菩薩の心血の結晶にして、衆生の潤生に佛性の成長を顯かにし得る。また精進の資糧源を高めるものであり、すべての過程において自己の努力をもって、始めて如實なる受益を得ることができる。皆は望まんや！これ期望す！これ期望す！
第十六回 淨化靈性
陰陽兩利にして身形を護り 霊性を浄化して德蔭を造る
第十七回 心魔化除
仙仏の恩師が來たって轉じ 執著の固まった観念を化除す
第十八回 淨化內性
魔性起こらずして干擾せず 覺性の種因はこれ根基なり
第十九回 內性自淨
眞に上蒼の爲に欣慰を感ず、老仙 天界に歸返したる後、すなわち凌霄寶殿に上りて玉皇大天尊玄靈高上帝に面覲告げ、
崇心堂の肯定に對し、および整體大道（大道）¹⁰聖務推廣の眞實性に對して、此種の因縁條件 相當殊勝にして、可喜可賀
なり！
第二十回 佛性彰顯
此重の條件過程、崇心の諸賢生 應該早已に一切を明白せり！又往後いかんぞ行持すべきや？すなわち自己の行う所為す
所よりて、崇心所有の聖務に配合し、亦有情の人類衆生に提供して往上增長せしめ、更に大道（大道）¹⁰修持（修持）
の正道性に符合して、更大の成長提昇を有し得るのであります。
第廿一回 佛性再顯
観崇心の道場を観れば、道氣は上天に直沖し、まことに喜ぶべく賀すべきである。また諸賢生が堅志一心にて勇往直前するを観て、これを祝す。後には必ず「無極大道学院」を成就し、衆仙佛もまたその成るを喜び、崇心の発展を楽しく助ける。無極至尊に辞駕を申し上げる。
第廿五回 十二因緣
受触六入名色識　行は無明種因に擁す
第廿六回 六道輪迴
一切の障礙を化除し　智慧増長して陰騭高し
第廿九回 觀念轉化
今夜崇心に帰降す。思想の改造（観念の転化）を著し、その全ての過程を細やかに体得せんことを切望す。必ずや人世において己が主となり、輪廻の渦に陥ることなく、己が智慧の増長を積み重ね、さらに永遠に学び続ける態度と過程を保持せんことを。切に望む、切に望む！
第三十回 落實生活
一切の実相は虚仮ならず、宗教は謂う假世多しと
第卅一回 當下實行
盼にその意を了知せよ、切に等閑に自らを誤るなかれ
第卅二回 逍遙自在
苦処を出離し放下せば、逍遙自在にして超越躍進す
第卅四回 福德無窮
今夜崇心道場に帰降し、諸賢生と共に「福德無窮・智慧無窮」を述べ、今世において自らを改造し、自らを真の成就位階に入れる。すべての過程を用心して学び、自ら将来の「用にして具足」の受益とすべき、さもなければ時に及んで「用いようとて少なく恨む」の窮地に陥る。
第卅五回 真如實性
智慧福徳の契を突顕し、人世の一生を相照顾す
第卅六回 金品蓮台
金品蓮台より昇りて、九品蓮台を超越して成る
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
実質的な教化に達し得て、人生において仙仏菩薩が凡に降り有情衆生を成就する巧遇に縁なくとも、崇心の教化を得れば、聖神仙仏菩薩の有情教化を彰顕し得、仏性をも彰顕し得る。必ず「信・願・行」の三徳を具足せよ。
完書繳旨
諸兒女等 每位に三千大功。
◆ 前置・序 ◆
懿旨
無極旨を頒ち天命を接し  崇心道場真理殊なり
序
再び善功を創築し  必ず帰返悟りを得ん
◆ 本文 ◆
第五回 犧牲奉獻
短暫の困境によりて志を失する莫れ、往後 必ず崇心道場を明瞭し、いかんぞ上求下化の過程を達成せん？此種「犠牲即
享受、享受即犠牲、奉献心甘願、甘願眞奉献」、「享受犠牲、甘願奉献」に對し、諸賢生 皆施行を願うや否や？
第七回 天地有情
必ず人類の禍福得失によりて、上蒼の既定の災禍を提前し延後し、甚だしきは無形に消弭し得る！また此種の因縁條件
すなわち關係す：人類の行う所 為す所の善徳（德）¹⁸と不善の抉擇に！人類衆生と萬物蒼生に對し、皆良き安適の空間あ
るなさい、乃ち正道なり！
第八回 眾生有愛
衆生 本是有情の種 因縁和合 造就する所 大愛ありて 無私を行う 皆喜愛 結合に來たる 一切 皆喜愛の中 相親相愛 已に同
第九回 誓渡眾生
哈哈！哈哈！諸賢生 了知し得るか、又自己 いかんぞ自己を引渡さんや？もし了知し得ば 必ず凡塵の中に一大作爲あり、
すなわち自己を引渡して回歸し提昇超越し得る！これ人類衆生の生存取向の過程に對し、向上に增長し得、信心なきを怕
れず、ただ堅志あるに 必ず成功す。
第十一回 誓學法門（真理）
細思觀察 卽ち了知し得る、崇心に對し 諸天の仙仏（仙佛）²⁰ 真理を闡示し普化することあり、絕に一般の宮堂の比擬し
得る所に非ず、亦顯化を打ちたてる宗教の成就し得る所に非ず！何ゆゑ崇心 人世間の信仰宗教の「燈塔」となし得る
や、亦「指月標」とであります、さらに一股の「大清泉」として衆生に利益す！
第十二回 誓成佛道
なぜ仏家は業を少なく造るか 因果の業障を明識して移す
第十三回 內果外功
然らざれば 外功 いかほど殊勝なるに任せても、ただ下一世 再び輪廻（輪迴）²¹の種子因なるのみ。内果（內果）¹⁸³の修
爲 必ず確確實實 深修を作し、當下 此の一世において 必ず先ず真理を明かにし、人道を求め、人道を円満（圓滿）¹³にし
て、再び外功豐碩を行じるは、まさに内果（內果）¹⁸³萌發の最も重要なる條件なり！
第十四回 心性心魔
大家 もし此の偈を！詳かに研會せば、必ず崇心立堂 絕に偶然に非ず、又絕に一般宗教の比擬し得る所に非ざるを了知し
得。正に此の故に 上蒼 崇心に較豐厚なるを給與し、要求も亦十分苛であります、往後の教學 卽ち明白なり：第二期よ
り、「無極大道（大道）¹⁰學院」の根基を建立す。
第十六回 淨化靈性
もし自己の「根塵意識」を浄化（淨化）¹⁸³し修持（修持）¹²すること能わず、および所有の奇毛怪脾、不良の習氣を改變
せざるは、根本的に「修行人」と稱すべからず、ただ「修行のために修行する人」に過ぎず！いかんぞ自己を成就せん？
衆生 此種の人にあらざることを期盼す！諸君 いかがと云うや？
第十七回 心魔化除
いかんぞ魔性を化除して仏性（佛性）¹¹を成就せん？先ず基礎より打ち起さざるべからず。然らずんば基礎の作為を跳脫
して、紮基の架構を欠缺せん；仏と魔 まさに人類生存の過程を反映し、自性 顯れずば、仏性（佛性）¹¹又いかんぞ起現
し得ん？若し魔性をもて人と做すは比較的容易なり、實に惜しいかな！人間 太多の此種の人あり。
第十八回 淨化內性
崇心第一期の聖務、今日に至りて全部結束せり。下回より眞正に第二期教化の聖務に入る、ことに宣講人員の培訓に對
し、真理研討 必ず加強し、往後 人員 自然に良多增加し、未來に對し大いなる機會ありて「代天宣化、體天行道」の大資
糧に成就するを得るのであります。
第廿五回 十二因緣
人生の所有する基本の縁　根塵相接过て果報添う
第廿六回 六道輪迴
今夜は誠に喜ばしく、崇心道場の道気が冲天するを觀る。慶賀に堪えぬ。今後必ず「無極大道院・無極大道学院」の教化により、殊勝なる成就を自己に及ぼし、衆生をして回帰超越を成就させ、原霊帰返を成就させる。これこそ为师の期盼とする喜びとするところである。
第三十回 落實生活
もし生存は假相と言うなら、刀をもって肉體を傷つける
第卅一回 當下實行
知慧の応用は相扶持、団結の力は無比
第卅二回 逍遙自在
「逍遙自在・自在逍遙」は如来の如く又如来、如去の如く又如来、真に人世間において戒律の制約を経て、直に菩薩果位に達し、成就して進んで仏果の境地に入るには、按部就班で一歩一歩達成しなければならない。これを盼む、これを盼む。
第卅五回 真如實性
今夜、崇心道場に降来し、諸賢生が普化の先鋒を成就できるを観る。人世間のすべての考程の檢驗を通過し、如实の功果の累積があってこそ成績があり、すべての横逆と不如意を破除し、道場の弘展を成就できれば、すべての努力は必ず成功する。
第卅六回 金品蓮台
境界の層次は同じからず、仏性の果位は明らかに証すべし
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
人生の過程は必ず思想改造を経て、人世間に成就し、天界に成就す。有情衆生とはかくのごとし。跳脱し得るか？あるいは反復輪廻し続けるか？必ずしも定まらず。各人が選ぶ過程により、一切如来にして如去、および下墜輪廻の差別性に達する。
完書繳旨
また別に「金品蓮台」の果位成就を頒賜し、給するのは全勤の者に
◆ 前置・序 ◆
懿旨
引き続き昊天玉旨の降堂を接し、本堂の普賢菩薩と観音菩薩に二十里外にて御駕を迎えさせ、本堂の済公活仏および虚空彩雲仙姑に十里外にて御駕を迎えさせ、その他の神人および無極大道院の衆霊修士もまた同様に排班し候駕せよ。失儀あってはならぬ！
序     二
◆ 本文 ◆
第五回 犧牲奉獻
哈哈！今夜 諸賢生、犠牲を享受し、甘んじて時間を奉献し、さらに天書著作の殊勝の機縁を成全す。また「犠牲即享
受、奉献眞甘願」の施行、しかしかやうならん？また自己の付出に對し、心甘情願と感ずるや；哈哈！哈哈聲中 別離を
話す！
第七回 天地有情
願はくは天地 長遠に皆有情にして、禍殃を人世間に示現せず、すなわち消弭し得んは：公元2000年に部分の宗教人士の
預言、全人類 皆毀滅の災殃に誤導せらるるに對してなり！宗教の教導 皆人心を醒悟し教化し、眞に蓮花仏國の位階に入
らんことを盼む！祝賀す！祝賀す！
第八回 眾生有愛
じからず 人類衆生 本 かくの如し 組織家庭 後代嗣ぐ
第十一回 誓學法門（真理）
皆 細細觀察し了知すべし：天地に特殊の命脈あり：崇心 此の榮膺を得るは實屬不易、珍惜、保惜すべし！乃ち回歸の實
用處なり！また衆生 無邊法門（法門）¹⁷⁹誓願學ぶに對し、もし真理を學ばず、僅に顯化を用ゐて 又いかんぞ衆生を渡脫
して回歸し、眞如を彰し、仏性（佛性）¹¹を顯さんや？下 同じく諸賢生と共に勉之！
第十二回 誓成佛道
一世に誓って良き修行を成す 個人の修持にて品格新たにす
第十三回 內果外功
また「三千外功 圓かに易し、八百内果（內果）¹⁸³ 成ること難し」に對し、成就し得る者、必ず「無極」の頒賜する「金
品蓮台」をもて自己を成就し、無上菩提（菩提）¹⁷⁸に成就す。至此 已に凡體に非ず、亦眞正に超越して菩薩の位階に入
り、蓮花仏果の證果の境界に達す。
第十四回 心性心魔
一切の過程、まさに諸賢生の奮力の成就する所！之を行ひ 之を得、亦之を徳とす！明白なりや？故に「仏性（佛性）¹¹、
心性、魔性」正に一體兩面にして、一方面 成就し得、另一方面 摧殘し得、又いかんぞ魔性の淨化をなさんや？乃ち往後
必ず教導すべき課程であります。
第十六回 淨化靈性
心霊の浄化（淨化）¹⁸³と靜化、必ず静慮（靜慮）¹⁸⁵において安祥如意なるに在りて、初めて成長提昇あり。ゆえに、宗
教の修持（修持）¹²あらんと欲する時は、ただちに當下の作為方式に落實せば、すなわち今生に修持して超越し、また
「心猿意馬」を皆浄化（淨化）¹⁸³と馴服することを得る。諸君 云うや：成就し得るや否や？必ず明かし得るでありま
す！
第十八回 淨化內性
必ず宣講、接待人員の培訓を建立すべし、これすなわち第二期初期の應行聖務なり。これ崇心よりて引渡成長の必需性に
して、まさに一步一脚一個印、印印 皆踏實なり：切に盼ず！切に盼ず！祝福す：願わくは諸賢生と衆生 眞正に大乗（大
乘）⁶⁰菩薩行（菩薩行）⁶²覺有情（覺有情）⁵⁸を行持せんことを！
第廿五回 十二因緣
皆十二因縁に由りて来たり　形成して好坏福禍の沿と為す
第三十回 落實生活
痛まず痒まずして勘破できず、さもなければ痴呆の様となるのみ
第卅一回 當下實行
崇心の教化規劃はいかに達成し、いかに展開するか。知慧を用いてすべての行爲を化除し、知慧を運用して問題を解決しなければならない。個人の力を集合すれば、一つの大きな力を匯集することができ、知識・生活・経験・富、そして自性の富足を成就することができる。
第卅六回 金品蓮台
金品の成長蓮台を造り、根性の種因は既に開く
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
虚空金筆開智天尊 跋を降す
完書繳旨
これを得る。三分の二に満たない者は半減し、「金品蓮台」を得ざる者もまた暫し
◆ 前置・序 ◆
欽差大臣 李太白仙翁
序
哈哈！老衲また光栄にも「大道規範」の主著仙師を著作す。崇心が一連の大道天書を著作し得るは、まさに上蒼の徳意にして、また崇心の諸賢生が上蒼の考磨に耐え、理筆志を堅くして最も困難なる過程の中にあっても、普化の仕事を續造し得たのである。
◆ 本文 ◆
第八回 眾生有愛
大愛を行い無私たれ 人類の衆生 本來かくの如し
第十二回 誓成佛道
道徳倫常を第一に守り 八識を浄化して超越を導く
第十三回 內果外功
禪修萬宗 皆法門なり 笑談の中 性理を悟る 内果外功 相輔助す 無為造就 私偏せず 日日行持 身正を得 本性に回歸 自然成
る 心性提昇 相顧り得 徳行陰騭 本心初なり
第十四回 心性心魔
一期一期！衆生 心性、魔性の轉換と化除を了知せしめ、皆自己 行使する所、皆自我の本來であります。然らざれば自性
（自性）⁷ 顯れざる時、魔性 又顯現し、「菴摩羅識（菴摩羅識）⁵¹」に入らんと欲するも 正に不可能なり！亦如實に通徹
提昇して、初めて回歸し超越を作す！
第廿五回 十二因緣
崇心が「大道規範」を著作した本意は、「唯識理論観念」を行径（動）に促成させ、「般若波羅蜜多心経」の総体精華を演繹し、人世を浄化して直ちに「金品蓮台」の位階に達し、大乗菩薩道の境界に入るにあり。昇進はより容易となる。
第三十回 落實生活
今夜、帰降して「落實生活」を著作する。人道圓滿にして、有情衆生が皆了知することを期望する。修持のために修持するのではなく、人道潤生を抛棄するのでもない。中心思想を建立してこそ、「儒宗聖教」のすべての教化課程の基礎となり、また崇心が必ず施行すべき大聖務である。
第卅六回 金品蓮台
菩薩仏果の中に入り、圓滿に成就して乘り越えて来たる
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
無極大道院 懿敕崇心堂
完書繳旨
上蒼に寄せたり。將來 功果圓滿の後を俟ち、さらにこれを成就す！
◆ 前置・序 ◆
懿旨
崇心栄幸に再び旨を接し  天書を續著して霊子を度す
序
いかなる困難をも懼れず、内心の苦は言喻しがたし！誠に感心なり！よく努力せよ。短暫の不如意と雖も、後には上蒼の崇心に厚きを知ることになろう。
◆ 本文 ◆
第八回 眾生有愛
皆愛をもって結合し 家庭を組織し後代を嗣ぐ
第十二回 誓成佛道
吾 幽冥界の中に在りて、ただ眞心悔改（悔改）³¹あらば、卽ち衆生の過錯を減少し、苦磨を少く受く！此種の因縁條件、
有情の人類衆生 皆努力して之を施行すんことを盼む、盼む！諸賢生 辛苦であります、崇心の成全祖先と和冤釋結の過程
に對し、さらに亡靈の成就を提昇す！祝す！祝す！
第十三回 內果外功
笑談の中に性を悟り理を會す 本性に回歸して自然に成る
第十四回 心性心魔
心性本來 自具有す 區分す 良多の性種 心魔一起 制止し難し 魔性生起 甚だ知り難し 性體の中 衆性修す 皆起現 種因求む
內外相交 改移し難し 改變せんと欲するも 已に遲し
第廿五回 十二因緣
南屏道済古仏の恩師に感謝す。十二因縁を剖析し順逆観法を開示され、宗教信仰により一層の成長利益を得られる。誠にまれなるご教示である。
第卅六回 金品蓮台
帰還はまさに当下にあり、当下にして帰還し得る。天地・宇宙・虚空・無極を了知し、一体に融合すればすなわち自性圓滿、圓光普照。まさに人類衆生は努力して向上超越し、すべての困境を了脱して成長しなければならない。一歩一歩脚印にして、一歩一歩確実にする如実の帰還である。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
天運戊寅年六月初六日戌時
完書繳旨
母は崇心が普化の中にて上天の先鋒と為し得るを観て、實に諸兒女を苦しめる
◆ 前置・序 ◆
懿旨
大道規範は修持を闡し  戮力して完成し付梓に作す
序
再接再厲し、さらに殊勝なる「大道シリーズ天書」の因縁を續著作し、原霊を引渡し仏性を彰顕し、自性仏体を成就せん。「自渡自悟して帰還す」——老衲は進んで一臂の力を貸さん。序と為す。
◆ 本文 ◆
第八回 眾生有愛
天上 絕べて一尊の仙仏（仙佛）²⁶も、人類の不平等心および不平等作為あることなし、皆一體博愛、平等相互濟助にし
て、人類衆生 求むる一切 いかんぞ獲得せんやを促成す？すなわち「陰騭と福報」あるや否やを觀て決定す！今夜 降りて
崇心に來たり眞に歡喜す、甘露 諸賢生に賜予す！
第十三回 內果外功
内果と外功 相輔け合い 心性を高めて相顧みる
第十四回 心性心魔
區分して多きの性種 皆 起現して因を種め求む
第廿五回 十二因緣
十二因縁の「逆観法」とは、「老死・生・有・取・愛欲・受・触・六入・名色・識・行・無明」という名相による。
第卅六回 金品蓮台
大道規範、ここにすべての著作が完竣した。諸賢生のご苦労に感謝。崇心の著作過程を了知することこそ、己のために、衆生のために永遠に窮まらざる福祉を創造し、天地・宇宙に徳を潤す。「崇心法航」の無遠弗届、広く衆生千万を、広ぐ原霊千万を度さんことを願う。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
大主席 南天文衡聖帝
完書繳旨
兒女よ、理の兒の帶領と敎導にて、衆原靈の回歸を成就し、さらに
◆ 前置・序 ◆
懿旨
昊天玉旨の降堂を欽奉し、神人伏して候え。失儀あってはならぬ！
序
南屏道済古仏 序を降す
◆ 本文 ◆
第八回 眾生有愛
爲師 道門の總樞紐を主掌し、崇心道場 聖門の佼佼者たるを觀て、可喜可賀！必ず時常保持を加え、天に代わりて宣化
し、天を體して道を行じ、原霊（原靈）²⁶を引渡して回歸せしめ、多くの良善なる行持の條件を造就し得、また功德、心
徳（德）¹⁸、道德 自然に得べし！祝賀す！
第十三回 內果外功
無為にては私偏を造就せず 德行の陰騭は本心之初なり
第十四回 心性心魔
心魔一起して制し難し 内外相交わりて改移し難し
第廿五回 十二因緣
十二因縁の「順観法」とはすなわち、「無明・行・識・名色・六入・触・受・愛欲・取・有・生・老死」という名相による。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
南に大道を開き衆生を度し  天道無私本至仁
完書繳旨
衆生をして真理を學びて歸返せしむるは、すなわち母心の期盼する所なり！
◆ 前置・序 ◆
玉 旨 開 読
序
無極大道院 懿敕崇心堂
◆ 本文 ◆
第十三回 內果外功
大家を盼む：内果（內果）¹⁸³円、外功豐 兩相具足して、初めて眞に極樂世界、無極仙鄉、宇宙虛空天界に回歸し得る！
これは人世間に在りて必ず一番の努力ありて、卽ち此種の條件に達し得て、提昇と回歸となる！大家 皆良善の受益あり
て、亦窮盡なきことを希望す！
第十四回 心性心魔
魔性生じて甚だ知り難し 改變せんと欲すれば已に遅し
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
文筆衆を度し迷いを醒まし  功徳を衡量し自ら珍しまん
完書繳旨
無極皇母大天尊 懿命を頒示す
◆ 前置・序 ◆
欽 奉
序
天運戊寅年二月廿二日戌時
◆ 本文 ◆
第十四回 心性心魔
魔性：まさに反面 衆生を成全し、又重重の因縁組合を成就す。魔性に對し亦他の方面の善良と成就ありて、自性 邪惡一
方の欠缺する所を形成し、仏性（佛性）¹¹も亦諸多の不良なる惡性を存す。これ大家 甚だ以て了知し難き眞實性の明證で
あります、唯衆生自己 いかんぞ應用するか？いかんぞ拿捏するか？および いかんぞ發揚すべきか！
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
聖示凡例を作完し  帝心巍峨たり理を再精に
完書繳旨
無極大道院 懿敕崇心堂
◆ 前置・序 ◆
懿旨
玉皇大天尊 玄靈高上帝 玉旨に曰く
序
崇心大主席 南天文衡聖帝
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
大道規範著成就し  主要に精研必ず深究
完書繳旨
無極大道院 懿敕崇心堂
◆ 前置・序 ◆
懿旨
朕は霊霄宝殿に居り、三教の教化修持を掌管し、五教の共尊と為り、衆生を広く度して真如を彰顕し仏性を顕さんと欲し、每每に心思を尽くす。これ皆、早く原霊を帰引し自身を成就し衆生を成就し、方々に教を闡し処々に堂を開き、九二原霊が皆無極仙郷に帰返せんことを冀望するなり。
序
南贍部洲蒼生を拯い  天道無私徳を真と為す
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
席に理筆の再精修を盼ち  崇心の賢生を降来し佑せん
完書繳旨
天運戊寅年六月初九日
◆ 前置・序 ◆
懿旨
懿敕崇心堂：丙子年八月初一日の立堂後、直ちに著作の聖務を展開し、真理を弘揚し衆生を広く度して成就せしめ、実に朕心を慰む。今「大道回帰・大道真詮」の二冊の天書を完成し、さらに「大道心燈・大道天德」を合わせて、大道シリーズ天書を集成す。
序
文章功徳天地を蓋い  果報を衡量し自ら心に臻す
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
啓化弘揚衆力を合せ  衆生を普渡し真心にて求む
完書繳旨
懿旨宣読完了。諸賢生に真に母娘の崇心の諸神仏および衆兒女を疼惜する深愛と苦心を体悟せんことを盼つ。方す母娘の期盼に背かざれ。
◆ 前置・序 ◆
懿旨
まさに修持者を広く引渡し、修持の迷障を破りて帰還せしむるものなり。今「大道真詮」は書を繳し、各方より肯定を受け、朕大いに心悅す。さらに旨一道を頒ち、その書名を「大道規範」と題し、済公活仏を主著仙師に、三界高真を陪著仙師に命ず。
序
聖示降って著作の序  帝心の慈愛理筆に契う
◆ 跋・讃賀 ◆
凡    例
完書繳旨
よし！為師もまた無極に帰りて旨を繳す。
◆ 前置・序 ◆
懿旨
謹んで定める：戊寅年二月十九日に旨を接し開著し、戊寅年六月廿四日に天庭に書を繳す。早く殊勝なる「大道シリーズ天書」を著作完成し頒行寿世し、以て原霊を広く度し成就せしめ、提昇・成長・超越・帰還を、人世間にて目標に達せしむ。
序
崇心大主席に降帰  諸生皆成器を偈勉す
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
大道シリーズ天書第五冊：大道規範はすでに著作完竣した。上蒼の企盼にして、志を堅くしていかなる困難をも克服し、この聖命を達成した。可喜可賀にして、肯定に値す。
完書繳旨
正主席 虚空上人
◆ 前置・序 ◆
懿旨
朕意に背くな 欽哉忽せにするなかれ 神人叩首して謝恩す
序     三
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
大道シリーズ天書——引き続きさらに著作し、いよいよ精微を極め、人生の至理を人世間に闡述し、有情衆生の依循する模範と為す。これこそ崇心の行すべき大聖務。
完書繳旨
無極旨を頒ち崇心に賞す  副主席懿旨を帯び臨む
皇母の慈愛理筆を疼し  諸生共に母恩を感ず
◆ 前置・序 ◆
懿旨
玉皇大天尊 玄靈高上帝 玉詔を降す
序
崇心が上蒼の厚愛を得るは、まさに一部「大道シリーズ天書」を續著作することである。これは衆生を普化し蒼生を引渡し帰返せしむ。当今の時勢緊急にして諸天仙仏が心急如焚の際、方々に教を闡し処々に堂を開くのは、この叔世の沈迷の中より原霊を拯救し帰返せしめんがためである。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
三、大道シリーズ天書——出版後、必ず実際に頒行寿世し、真修実行の修子を成就し、自性・仏性を彰顕してこそ、「大道シリーズ天書」の著作の本意なり。
完書繳旨
皇母の慈愛理筆を疼し  諸生共に母恩を感ず
◆ 前置・序 ◆
懿旨
無極大道院 懿敕崇心堂
序
さらに自我の修持路において無明の迷いと盲点を破除することこそ、「大道規範」の著作の本意である。崇心堂は天の厚恩を得るは、理由なきにあらず。志を堅くして抜かれざる毅力を有し、短期間にて如期に出版し普化せるは、現今の宗教においても罕見なり。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
四、大道規範——まもなく天庭に書を繳す。有情衆生に了知せよ——大道シリーズ天書の著作した精華は、人世間において改造の資糧と為し得ば、必ず地道（修持）の圓滿を接ぎ、さらに天道の圓滿を接ぎ、これこそ大道シリーズの根本なり。
完書繳旨
大道シリーズ第五冊「大道規範」はすべて著作完成し、深く無極皇母の特別賞賜を受け、諸賢生各位に三千大功。全勤の者は之を得、足らざる者は自ら検討せよ。なぜある者はこの功勲および「金品蓮台」の賞賜を実に得られぬのか。
◆ 前置・序 ◆
懿旨
天運戊寅年二月十九日
序
理筆よく秉持し、天に代り普化する重任を担う！可喜可賀なり！「大道規範」を續著作し、必ず衆生成就の豊富な資糧を得ん。自身を成就すれば、必ず人類衆生をも成就し得る。これこそ帰返に必要な資本にして、現今において「道学の基礎を築き根基と為す」ことである。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
五、本堂の著作：大道シリーズ天書——必ず衆生を成就して垢識の根本を清除し、まず人道世界の生活過程と精神を総和し、家庭圓滿・事業圓滿・人道圓滿を成就すべし。
完書繳旨
諸賢生に了知せよ、崇心の今後の大聖務を——理筆堂主帶領の下に聖命を完成せん。諸賢生は大道に配合してこそ、帰還の資糧の主要なる拠りどころなり。また自らの努力により実質的な功果を得る。この機会は、まさに人世間に極めて稀なる天机良縁なり。必ず珍惜せよ。
◆ 前置・序 ◆
懿旨
玉旨宣読完了。吾老仙太白金星は誠に喜ぶ。欽帯して玉旨を宣読し、崇心の諸神人に会す。恭賀せよ！恭賀せよ！当今において崇心の如き機縁は少なく、短短二載にして三冊の天書を共著す。崇心能く実行し、実にこれを得たり。喜賀すべきなり！よし、大いに嬉しい！哈哈哈！吾は天に帰り旨を繳す。大家また会わん！
序
必ず融合し得ん：儒・道・釈・天道・耶・回の精華、衆生を成就し、「慈悲喜捨・博愛平等」の心态と作為を具足す。これこそ崇心の教化の根本にして、今後必ず「無極大道学院」の教化資糧を成就せん。これを盼つ！これを盼つ！序と為す。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
六、大道シリーズ天書——第一冊大道心燈、第二冊大道天德、第三冊大道回帰、第四冊大道真詮、第五冊大道規範、広く推展して有情衆生が皆春風を受けて成就し、自らを上へ提昇超越せしむべし。
玉帝の玉旨に欠く
◆ 前置・序 ◆
懿旨
崇心正主席 虚空上人
序
南天文衡聖帝 崇心大主席 序を降す
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
七、大道規範——書を繳する前に、諸賢生若し請求あらば、著作・助印・分発・流通・講解の功勳を分け隔てず、皆天書を助印流通すべし。上天自ら斟酌して賜い、消業・福報を得しめ、人生無礙・修持無礙・帰還即無礙に達せしめん。
完書繳旨
2013、1218、1940◎＃※  ０Ｋ＃
◆ 前置・序 ◆
懿旨
崇心再び著書の旨を接し  大道規範は迷いを引く
序
無極大道院 懿敕崇心堂
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
人生の過程は必ず思想改造を経て、人世間に成就し、天界に成就す。有情衆生とはかくのごとし。跳脱し得るか？あるいは反復輪廻し続けるか？必ずしも定まらず。各人が選ぶ過程により、一切如来にして如去、および下墜輪廻の差別性に達する。
完書繳旨
第五冊——大道規範第二版
◆ 前置・序 ◆
懿旨
及早に準備し續著作し  戮力して完成し恩に答ん
序
天運戊寅年二月廿二日戌時
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
南天文衡聖帝大主席 凡例を降す
完書繳旨
校稿完了、排版後に印刷可
◆ 前置・序 ◆
懿旨
今夜、南海古仏の仏誕と「大道真詮」の天庭への書繳を恭祝し、
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
無極大道院 懿敕崇心堂
◆ 前置・序 ◆
懿旨
続けて上天の旨意を恭しく接し、大道シリーズ第五「大道規範」を著作し、衆生を現世に成就せしむ。修持の迷いを化解することを要し、これこそ崇心の應に行う聖務なり。必ず全力を尽くして聖命を達成し、天恩に叩謝す。
◆ 跋・讃賀 ◆
跋.凡例
天運戊寅年六月初六日